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2018年5月

2018年5月 9日 (水)

大垣市の子供達の命を護れ

コンクリート路上のストリートフットサルは危険

大垣ドローン墜落人身事故の二の舞を危惧

 

 元気ハツラツ市では、石黒塾の主催で毎回、コンクリート路上のストリートフットサルが開催されている。子供たちには危険であるので、即中止すべきである。

 石黒塾のフェイスブックから調べると、このイベントは2015年ころから始まったようだ。その頃の写真をフェイスブックで見ると、今とほとんど同じ状況の設備で、危険性は今と同じである。元気ハツラツ市は大垣市主催も同然であり、石黒塾の企画は大垣市に管理監督責任がある。大垣市役所は子供達の命を商店街の金儲けの為に危険に晒している。

 

一般社会の状況

 ネットでフットサルの設備を調べても、こんなちゃちな設備はお目にかかれない。コンクリートの路上でフットサルをしている例は見つからなかった。ペラペラのベニア板仕切りで、フットサルしている例も見つからない。これは、大垣地方だけの痴呆的な状況のようだ。

 

日本フットサル連盟の規約

 日本のフットサルは、日本サッカー協会とその傘下にある日本フットサル連盟によって統括されている。日本にあるフットサル専用の施設は、屋外の人工芝コートが比較的多い。ただし、日本サッカー協会主催・主管の競技リーグや各種大会では、基本的に屋内の体育館やスポーツコートの屋内施設で行われる。コンクリート路上なんてもっての外である。

 

識者の意見

 大垣駅前商店街の商店主達は、コンクリートの路上での球技は危険だからやめろと言っているが、石黒塾のメンバーは全く聞く耳を持たず、ずっと継続されている。また子供たち用のフットサルは、大垣駅前商店街の活性化には何の貢献もしない。私も商店主にも、その設備の危険性を通達しているが、大垣元気ハツラツ市実行委員会は無視である。危機管理の意識さえない。

 石黒塾に中止さえ指導できない元気ハツラツ市実行委員会も大垣市にも、組織を統率する能力も運営能力もない。そういう無政府状態で、事故は起こるもの。2017年11月7日の大垣市主催のロボフェス大垣・ドローン墜落人身事故のような事故が起きるの危惧している。

 

石黒塾には危機意識が希薄

 石黒塾のメンバーは危機管理の何たるかを全く理解できないようだ。そんな意識ではお店の活性化など夢の夢である。フェイスブックから調べると、石黒塾には若者だけの集まりで、見識がある年長の経営者はいないようだ。今の石黒塾の教えでは経営はまともになれまい。当然、自分達のお店の顧客に対する安全意識と対策が欠如しているだろうと推定される。良識ある顧客は、恐ろしくて、寄り付くまい。だから大垣駅前商店街が衰退している。

 

石黒塾には経済観念が欠如

 このフットサルの企画は、大垣市から元気ハツラツ市の事業として予算が付与されている。つまり子供達の命に影響する凶行に大垣市が金を出して奨励している。それは市民税である。このフットサルは商店街の活性化には何の貢献もしない。商店主達からは、このフットサルは元気ハツラツ市の邪魔になるとブーイングである。石黒塾は、それさえ聞き流しである。大きな場所を占有して、その分の露天商の利用料が取れず迷惑なのに、石黒塾のメンバーはその経済の原則さえ理解できない。元の塾長の石黒靖敏氏は生徒達に何を教えたのか。教え子を見れば、教師のレベルが分かる。

 

学校と大垣市の無責任さ

 学校の担当者の眼も節穴である。子供達を危険に晒して、何も気がつかない。大垣市教育委員会はこんな貧相なフットサル設備で子供達を遊ばせていて平気なのか。何が「子育て日本一を目指す大垣市」なのか。お笑いを通り越して、怒りである。税金泥棒である。

 

大垣市長には危機意識・危機管理がない

 大垣市長は毎回、元気ハツラツ市に顔を出すが、そういう危険性のある場所は素通りである。見ざる、聞ざる、近づかず、である。それに対して、トヨタグループのトップは自ら現場に足を運び、具体的に危険性箇所を指摘する。大垣市長はトヨタのトップの爪の垢を煎じて飲んでほしい。

 私が前職で務めたトヨタ系の工場では、月に一回、現場の職制は当然だが、間接部門の管理職も一緒に現場に出て、工場内に危険な場所はないかの相互点検を実施していた。元気ハツラツ市でそんな対策は見たことがない。大垣市は警備会社に丸投げである。大垣市には危機管理が存在しない。その結果がドローン墜落人身事故であり、室村町アンダーパス水没事故、高屋町地下道水没事故で長期閉鎖事象である。それで誰も責任を取らない。江戸時代の封建社会のようである。

 

大垣市への天罰

 トヨタの危機管理が一流なので、結果として繁栄している。三流の大垣市政と対極にある。トヨタの城下町の刈谷市役所には危機管理室があるが、大垣市には、危機管理室の言葉さえ影も形もない。一事が万事である。

 その危機管理対策が怠慢であった天罰が、ドローン墜落人身事故である。大垣市に責任があるのに、その責任を業者へに押し付けた。大垣市民として恥ずかしい。責任を明確にせず、真の責任者がドローンとドンずらしたから、危機管理が益々進まない。

 

親の背中を見て子供は育つ

 ドローン墜落人身事故みたいな不祥事を起こしても、業者に責任を押し付ければよいとの悪例を示した。大垣市役所の年寄りの後姿を石黒塾の若者が真似をしている。若者は言っても聞かないが、年寄りのやる愚かさをすぐ真似る。今の石黒塾のように。

 経験ある年長者は、後進に範を示すのが勤めである。大垣市役所はその逆をやっている。大垣市長を筆頭に、である。

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   2017‎年‎10‎月‎1‎日 元気ハツラツ市で

2018年3月4日の元気ハツラツ市の状態

 ベニヤ板のピン角が危険

 支えの棒が、歩行者がつまずく危険あり

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201848日の元気ハツラツ市の状態

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2018年5月6日の元気ハツラツ市の状態 

 見栄えのためにベニヤ板に色を付け、恰好を直しただけで、危険防止には全く配慮がされていない。危険性は、前と同じである。子供達が勢い余って囲いのヘリのピン角にぶつかれば、腕を切る危険がある。角で足を引っかければ怪我をする。これでは寂れた場末温泉の遊技場である。大垣市役人の精神の貧困さを表している。

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2018-05-09

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年5月 8日 (火)

松本明慶佛像彫刻美術館 ~ 訪問記

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 本美術館には、昭和から平成にかけて松本明慶大佛師によって謹刻された佛像が168体(20184月現在)も展示されている。松本明慶師が40年の歳月を賭して完成させた大日如来をはじめとして、様々なお姿・表情の木彫刻の佛様が出迎えて頂ける。日本屈指の佛像彫刻美術館である。

 201855日に訪問して、写真を撮らせて頂いた。重い三脚とカメラを担いでの訪問となった。春の連休中で大混雑の京都の中で、ここは別世界の静寂な空間である。

 なお、文中の「大広間」(第一展示室)等の表現は私の勝手な命名で、正式名称ではありません。現在、名称を募集中とか。

 

迎賓の間(玄関)

 松本明慶仏像彫刻美術館の玄関の戸を開けると、蓮の葉に乗った高さ55cmのブロンズ製のかわいい童観音座像が笑顔で出迎えてくれる。その雛型の白檀の一本彫り童観音座像のサイズは12cmである。5倍に拡大しても、その形状に破綻がない。松本明慶師が言われるように緻密に作られているから、どれだけ拡大しても、その形に破綻がない。

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玄関広間(一階ロビー)

 1階の玄関広間では、学芸員の松本華明さんが優しく出迎えてくれる。来訪名簿に記帳をして1階を一回りしてから2階に進もう。

 一階の壁には、松本明慶師が全国にお納めした大佛19体の写真が年代ごとに展示されている。松本明慶師が36歳で初めて挑んだ大佛・不動明王を起点として、現在に至るまでの大佛造佛の軌跡をご紹介している。2015年に高野山金剛峰寺中門に納佛した広目天立像・増長天立像の納佛風景の写真も興味深い。

 1階に置かれたテレビモニタでは、松本明慶師の仏像彫刻のドキュメンタリーが放映されている。お土産コーナで、関連図書や絵葉書、干支の木彫刻、白檀のお線香、Tシャツ等のグッズが売られている。

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大広間(第一展示室)

  2階の大広間には、なじみ深い仏様が並んでいる。沈香・白檀・桧・欅・楠などを材とした、一木づくりの味わい深い佛像である。広々とした空間で落ち着いて仏様を鑑賞できる。

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本丸お前立ちの間(第二展示室)

 「本丸お前立ちの間」には、懐に入れてお守りとして持ち運べる白檀の緻密な「香合佛」が中央に展示されている。寄木作りの佛像製作を説明したパネルも興味深い。奥に風神、雷神の仏様が睨んでおられ、お前立ちのお役目である。

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本丸の間(第三展示室)

 この本丸には、松本明慶大佛師の代表作が展示されている。この重厚なテーブルと椅子に座って周りの佛像を鑑賞しながら小久保館長から佛像の説明を聴こう。静かに思索にふけるには最高の場である。

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身閑の間

 私はここを「身閑の間」と呼んでいる。ここに座ってこの「本丸の間」と向うに見える「奥の院の間」の佛様に囲まれて過ごしていると、寺院で佛様を拝んでいるのとは少し違う心境で、自分を見つめることができる。寺院では、畏れ多くてご本尊の前で恐縮してしまい、自分も構えてしまいがちだが、ここではのどかで安らかな気持ちで、己を飾らずに佛様と接するすることができる。

 己の身が閑(のどか)でなければ、自分が何者か、どこからきて、何を求めて生きているかを考えられまい。家の門の中に、木を置いて世間と距離を置くのが「閑」である。いわばそれは結界である。その反対に鳥居を門の中に置くのが「開」である。心を失うと書いて「忙しい」である。

 神様の世界は八百万の神様がおられると言われるが、思索にふけると佛の世界も同じく八百万の佛様がおられると思わざるを得ない。そう考えさせてもらえる空間である。ここで思索にふけると心が安らぐ。静かな時が過ぎてゆくのが心地よい。

 ここの佛様は寺院のようには御精魂が入れられていない。言い方が悪いが、お寺のご本尊になられる前の修行中の佛様である。何時でも要請があれば、お寺の御本尊として出世(?)して祀られる資格のある佛様ばかりである。それ故、気楽に肩を張らずに手を合わせることができる。その多くの様の中に、己を発見する。

奥の院の間(第四展示室)

 「奥の院の間」は、昨年に完成した新しい展示室である。この建屋の2階の部屋を全て統合して大空間を作り、展示室に改装した。かなり前に完成していたが、松本明慶師が細部にこだわりを持って進めたため、なかなか公開してくれず、やきもきしていた。また施設管理上の問題で、役所との交渉で時間がかかってしまった。私は松本明観さんにも、「途中でもいいから早く公開して」とセッついて、完成前に見せてもらった。やっと今年初頭に正式に公開された。

 ここには、今まで展示したくても大きさと数量の多さのため展示できなかった佛様が展示されている。その多くが大佛の雛形として彫られた佛像である。

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アクセス

 京都御所の蛤御門より徒歩2分の場所である。地下鉄丸太町駅より、京都御所沿いに北に500m歩いて、護王神社の角の交差点を西に曲がって200mの場所にある。(地下鉄丸太町駅より徒歩12分)

住所 〒602-8004 京都府京都市上京区下長者町通室町西入ル西鷹司町16

 

開館日

原則として毎月第1週・第3週の土曜日と日曜日

1日が日曜日の月は、7日・8日・21日・22日に開館

午前10時から午後5時まで開館している。入館無料です。全国の展示会のため、閉館の時もあるので事前に電話で確認ください。

(075-332-7974・松本工房)

正式の情報は、松本明慶仏像彫刻美術館のホームページを参照ください。

http://m-myoukei.com/

 

2018-05-08

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2018年5月 7日 (月)

アンパンマンに頭が上がらない大垣市長

 2018年5月6日、大垣元気ハツラツ市が開催され、調査に赴いた。そこで、大垣市長の役目とは何か、市長の使命とは何かを考える機会を得た。

 大垣ハツラツの当初の目的の撮影も終わり、途中で喫茶店に寄ったおり、落とし物に気が付いて、再度、元気ハツラツ市の中央の新大橋に出かけたら、黒塗りの公用車が目の前に止まって、大垣市長が降りてきた。見ると行き先は、元気ハツラツ市のメイン会場でのアンパンマンショーである。

 大垣市の平成30年度予算額は、1,563 億9,600 万円である。大垣市長は、一時間1,785,342円、一分間297,557円の経費が流れて去っていく大垣市行政の執行に責任がある。それをアンパンマンにうつつを抜かし、あろうことか公衆の面前でスマホをいじっていた。

 

大垣市長にやって欲しいこと

 そんな時間があれば、大垣市の未来を考えることに時間を使って欲しい。衰退しつつある目の前の現実を直視して欲しい。直視すべきは、スマホの画面ではない。見るべきものを間違えている。市長が参加すべきは、アンパンマンショーではない。そんなのは、委員長か副市長の部下に任せればよいのだ。そうしないから、大垣市は衰退している。大垣市の興亡は全て組織の長、つまり大垣市長の双肩にかかっている。

 

大垣市長の使命

 大垣市長の使命は、大垣市民の幸せと生活の安全の確保、大垣市の発展のための政策を施し、大垣市の百年の計を立てる事である。そのために、何をやって、何をやらないかの戦略を練るのが仕事である。戦略とは、戦いを略すること。全てに手を出していては、戦いに勝てない。アンパンマンショーへの参加は、略すべき行事である。その軽重を考えられないのでは、リーダーとしての市長の資格がない。

 

金の義理のための裏事情

 アクアウォークのアピタ大垣より、アンパンマンショーの公演費用を半額で提供するとの話が大垣市にあったそうだ。元気ハツラツ市のチラシのトップに、「アンパンマンショー」は「アクアウォーク大垣共催イベント」として掲載されている。その義理立てで、大垣市長がアンパンマンショーに嫌々「ご臨席」されたようだ。本心では、子供相手のショーなど見たくもないだろう。私でも時間を取ってまでしては見たくもない。それ故、大垣市長は、暇を持て余してスマホをいじっていたのだろう。つまり大垣市長はアンパンマンに頭が上がらなかったのだ。ショーが終わったら、大垣市長は現金なもので、挨拶をするでもなく、あっという間に消えた。いつもなら滔々と演説をぶつ大垣市長であるのに。このアンパンマンショーは「大垣市政100周年記念事業」の一つなのに、だ。せめて子供たちがアンパンマンと握手する姿を見てあげて欲しかった。見て上げるのも教育である。

05dsc01626  5月6日12:16 大垣市長のご臨席 

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 5月6日12:18 スマホ

07dsc01641  5月6日12:19   市長の体の姿勢が、嫌々であることを示している。

08dsc01643 5月6日12:20   市長に媚びを売るアンパンマン。

 子供たちの夢を壊している。

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 アンパンマンと握手するために並ぶ子供達

 大垣市長はいつの間にか姿を消している

大垣市長の薄情さ

 大垣市長は12時前に会場に到着した。それよりほんの少し早く来て、その前の出し物の大垣西高校の若人の和太鼓演奏や吹奏楽部演奏を聴いてあげれば、大垣の未来を背負う若者への励ましになったのだ。吹奏楽部の代表が挨拶で、「今回の演奏で、学校最後の舞台を飾れた」と涙ぐんで挨拶をしていた。それを聞いていたので、市長の振舞いを情けなく思った「徳不孤 必有隣(論語) 徳は孤ならず 必ず隣有り」の正反対を大垣市長は実行している。大垣市民として恥ずかしい。政治に、人情がなければ、血の通った政治はできない。政治家大野伴睦氏は、「政治は義理と人情だ」と明言した。大垣市長は、金の義理しか果たさない人である。政治家として失格である。

01dsc01573  5月6日10:43 大垣西高校の吹奏部演奏

02dsc01606  5月6日11:32 大垣西高校の和太鼓演奏 

「アンパンマンショー」が100周年記念事業?

 「アンパンマンショー」を元気ハツラツ市で開催しても、大垣市は少しも活性化しない。まず元気ハツラツ市が大垣衰退の元凶なのだ。それさえ分からない大垣市長である。そのアンパンマンショーが「大垣市政100周年記念事業」の一つである元気ハツラツ市のトップイベントとして扱われている。子供相手のこのショーをトップ記念行事とする扱いには、大垣市民として恥ずかしい。

 

正義の味方は誰?

 原作者のやなせたかし氏は、アンパンマンを「正義」というテーマで創作した。氏は端的に「『正義の味方』だったら、まず、食べさせること、飢えを助ける。」と述べている。大垣市長が正義の味方に肩を持つなら、大垣駅前商店街が寂れて、商店主たちが食べられなくなっている現実を直視すべきである。元気ハツラツ市で、食べる金を稼いでいるのは、市外県外の露天商達である。大垣駅前商店街の商店主達は飢えている。廃業が続いている。今年は大垣駅前商店街組合の理事長のお店が閉店した。大垣市の商店街の状況を象徴している事象である。

 

公用車の運転手のお仕事

 アンパンマンショーの間、黒塗りの公用車の運転手も手持ちぶたさに、車の横に立って時間を潰していた。彼の人件費も市民の税金である。その後、彼は運転席で居眠りをしているようであった。当日はポカポカ陽気であった。

 仕事とは尊いものである。しかし、その尊い仕事を、投げやりにさせているのは、大垣市長の心がけの拙さである。市長を春の連休中に、付加価値の生まないアンパンマンショー視察のために送迎するのは、辛かろう。眠たくもなる。

 

公用車の異様さ

 その公用車の後部座席の窓を見て違和感を覚えた。濃いスモークフィルムが貼ってあって車内が全く見えないのだ。市長は公人である。何が後ろめたくて顔を隠してまでして、こそこそと市内を公用車で走り回っているのか。なぜ隠す必要があるのか。市長は、あちこちに顔を出して、顔を売っているのに、この公用車の後部窓の状態は異様である。天皇陛下の御料車には、スモークフィルムなど貼ってない。国民の父として振舞いをされていている陛下を見習ってほしい。大垣市長は、大垣市民の父も同然である。公用車の中で居眠りをしているのを見られたくないのかと勘ぐってしまう。移動中なら、居眠りしても何の問題もないではないか。

03dsc01616  5月6日11:53 大垣市長の公用車到着

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 5月6日12:18  大垣市長を待機中

どのイベントが一番重要なのか?

 テクニカルライティング的には、冒頭に記載する事項が一番重要なのだ。新聞でも、冒頭の記事が一番重要である。大垣西高校の若人の和太鼓演奏や吹奏楽部演奏などは、元気ハツラツ市のチラシの末尾に記載されているので、大垣市としては重要ではないとの意思表示である。こんな市長で、大垣の未来はどうなってしまうのか。心配で心配で、昼寝もできない。お蔭様で夜は熟睡している(?)。

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元気ハツラツ市の宴の陰で泣く

 元気ハツラツ市が開催されている大垣駅前通りは露店が開店して人出で賑わっているが、商店街のアーケード通路はシャッター通り化していて、中央の賑やかさとは対極で、人通りもまばらである。当日は、大垣市のやり方に反抗して店を閉めている店主も多い。誰かうまい汁でも吸っているのか?

 大垣市長は、役員に公用車からメインの中央舞台に案内されて、そのまま帰るので、この状況を見ないようにしている。見ざる聞かざる言わざる、である。

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2018-05-07

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2018年5月 6日 (日)

「徳不孤 必有隣」とのご縁

 徳は孤ならず 必ず隣有り(論語)

  その意味は、「本当に徳のある人は孤立や孤独であることはない。純粋で高潔な人や謹厳実直な人は、とかく近寄りがたく敬遠されがちであるが、いかに峻厳、高潔で近寄りがたくても、真に徳さえあれば、必ず人は理解しその徳を慕い、教えを請う道人や支持するよき隣人たちが集まって来る。」である。

 人は、自ら学び得たことや、技量が世間に省みられず、認められないことは耐え難い。往々に、己の主義主張や心操を曲げて、世間に迎合してしまいがちである。しかし、道を求め続け、学を究め続ければ、おのずから理解者は現れ、支持する人も出てくるのだ。

 陰徳陽報として、目立とうが目立つまいが、人の嫌がることを陰徳として喜んでさせていただく下座行に徹すると徳は高まり、人々は慕い集ってきて孤にしてはおかない。

 

理解のご縁

 2018年4月13日の朝、馬場恵峰師を彦根市の松居石材商店にご案内した。その応接室にかかっていた額が「徳不孤」であった。私には、あまりに達筆すぎて読めなかったが、恵峰師はすぐ理解して、解説をしてくれた。それが上記である。

 この額は、松居石材商店の先代が、鳩山一郎氏を自宅に泊めてもてなしたことへのお礼として、鳩山一郎氏がその場で揮毫されたという。石屋さんだから、家に揮毫用の太い筆もあるのです。

 後日、政治家大野伴睦氏が、この額を見て「一郎の字だ、一郎の字だ」と喜んだという話を松居さんの叔母がしていたという。残念だが、今はその叔母さん以外に、その生き証人はいない。伝聞である。

 一介の石屋さんに鳩山一郎氏も大野伴睦氏も訪問してくるとは驚きである。松居石材商店は創業文政12年(1829年)で、創業189年のお店である。文政12年の前年には、シーボルト事件が起きている。文政12年は、「桜田門外の変」の起きた31年前である。私もよき石屋さんとご縁ができて嬉しい。

 

鳩山一郎

 鳩山一郎氏は、(1883年(明治16年)- 1959年(昭和34年))は、日本の政治家、弁護士である。第52・53・54代内閣総理大臣で、位階勲等は正二位大勲位。55年体制最初の内閣総理大臣を勤めた。

 鳩山一郎氏が提唱した「友愛」は、1938年に出版されたリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの著書『The Totalitalian State against Man』(直訳: 全体主義国家対人間)を原点としている。「友愛」の論語版が「徳不孤 必有隣」のようだ。

 

大野伴睦

 大野伴睦氏は、(1890年(明治23年)- 1964年(昭和39年))岐阜出身の日本の政治家で、東京市会議員を経て衆議院議員となり、衆議院議長、国務大臣北海道開発庁長官、日本自由党幹事長、自民党副総裁を務めた。没後、従二位勲一等旭日桐花大綬章。

 氏は典型的な党人政治家として知られ、「伴ちゃん」の愛称で親しまれた。また、「政治は義理と人情だ」「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ」等の名言を残した。今まで私には、新幹線駅「岐阜羽島駅」を誘致した政治家としか頭になかった。今回、大野伴睦氏を見直した。

 

ご縁の不思議さ

 今まで、お墓を作るための打ち合わせで、この松居石材商店を訪問してこの額を何回となく見ていたが、今回、馬場恵峰師を松居石材商店にご案内したご縁で、その意味を初めて理解した。少し恥ずかしい。また鳩山一郎氏と大野伴睦氏に、いまさらながら親しみを覚えた。

 2018年5月4日、松居石材商店のご主人を改めて訪問して、この額の写真を撮らせて頂いた。ご縁に感謝。

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2018-05-06

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2018年5月 5日 (土)

日下部鳴鶴書の伝承者

 馬場恵峰先生は、原田観峰師の一番弟子である。原田観峰師(1911~1995)は日本習字の創立者である。原田観峰師は、窯元12代目の馬場恵峰師(当時43歳)を見込んで、窯元当主を廃業させ、京都に単身赴任で呼び寄せて一番弟子として修行をさせた(昭和45年)。それで今の馬場恵峰先生がある。

 当時20名の窯元の社長の身から、修行の弟子扱いになり、給与はうん分の一の7万円に急降下である。ボーナス無し、深夜まで働いても残業手当なしの生活である。週に二回は徹夜の日々である。当時、原田観峰師は独裁者で、口答えは許されず、多くの同僚が辞めたという。今でいうブラック企業並みである。だから恵峰師は、京都では良い思い出がないという。それ以来、師は京都には足を運んでいない。当時、先生が、京都から九州に帰ると旅費だけで3万円が飛んでしまう。だから2年間、帰郷もせず京都で頑張られたが、体を壊して九州に帰られた。その間、三根子先生が九州で5人の子供を抱えて、書道を教えながら家庭の生活を支えられた。頭が下がる。多くの塗炭に満ちた苦労があり、今の恵峰師がある。単に字が上手かったから、今の書道の腕が出来上がった訳ではない。

 ほぼ同じ時期(昭和48年)、私は前職のトヨタ系の会社に入社して、初任給は7万6千円、残業代も多大で賞与もありの生活である。先生のそれと比較すると自分の恵まれかたに対して、先生に肩身が狭い。

 

原田観峰師の功績

 原田観峰師は、明治44(1911)年3月21日、福岡県山門郡瀬高町(現みやま市)に生まれる。幼少期より筆をとり、卓越した書の才能をすでに見せ、勉学も優秀であったという。明治の三筆と言われた日下部鳴鶴の書を学んで、日本習字の元となる字体を作った。昭和28(1953)年、同地で西日本書道通信学会(公益財団法人日本習字教育財団の前身)を創立し、「正しい文字・美しい文字」の普及活動を展開した。日下部鳴鶴の書が、芸術の字ではなく、誰でもどこでも、何時でも読める字を書いてきた。だから原田観峰師の字もだれでも読める明快な字である。原田観峰師は、平成7(1995)年に亡くなるまで、多くの受講者のため、手本執筆と講習会等に奔走し、その半生を書道教育に尽くした。

 

弟子の相伝

 日下部鳴鶴は馬場恵峰先生の宗師に当たる。だから、恵峰先生がよく「俺の字は、日下部鳴鶴の字とそっくりだろう」という。2018年4月12日、馬場恵峰師を彦根市の長松院にご案内して、井伊直政公出陣の掛け軸をお見せしたら、揮毫された日下部鳴鶴の字を示して、「「英」と「春」の字は俺(恵峰先生)の字とそっくりだろう」と説明された。それが師弟関係での字の相伝だという。確かに、私の家にある馬場恵峰先生の掛け軸の字とそっくりである。弟子の相伝を納得した。

1p1100350  馬場恵峰師 長松院にて  2018年4月12日

2p1060924 日下部鳴鶴書  「東作」は若い頃の雅号

31img_4428 馬場恵峰書 「英」に注目

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 馬場恵峰書 「春」に注目

 

2018-05-05

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2018年5月 4日 (金)

「猩々軕」の予行練習に出会う

 春の大垣の街並みに流れるお囃子は、大垣まつりが近いことを知らせてくれる。2018年5月3日、憲法記念日の大垣市駅前通りの観光客の状況を調査に行った帰り道、宮町でお囃子が聞こえ、その先を見たら「猩々軕」が練り歩いていた。5月12、13日の大垣まつり出演のための練習だという。近くの蛭子神社で、舞の奉納をしてきた帰りで、若い衆がひと休みをしているところである。5月7,8,9日には、夜の練習があるという。街の若い衆が大垣の伝統を守っている。感謝。

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 大垣市宮町で 2018年5月3日14:20

 

「猩々軕」とは

 この軕は謡曲「猩々」を主題にした「能からくり軕」である。大垣まつりに出演する13輌ある軕の一つである。謡曲「猩々」は五番目物で、能の演目では最後の出し物である。「猩々」は想像上の動物で、オラウータンに似て赤い髪は長く垂れ、顔と足は人に似ていて大酒を飲むと言われる。

 この軕は昭和20年7月29日の大垣空襲で焼失したが、平成13年に56年ぶりに再建され、平成22年に漆、金具、彫刻などを施して完全に復元された。

 

「猩々軕」の掛芸

 この軕の芸目では、軽快な「酒を飲む猩々」の曲が始まると、猩々は舞いながら壺に近づき、汲めども尽きない酒樽に顔を突っ込んで鯨飲する。猩々が壺から顔を上げると、猩々は酒に酔っぱらった赤面となっている。曲が「獅子頭を付けた猩々」に変わると、酔った猩々は興の赴くままに舞い、屋形に入り、出てきた時は獅子に変身している。この時、壺が4つに割れ、中から牡丹の株が浮び上がる。獅子はその牡丹に戯れ、興にまかせて狂ったように舞う。この時、若い衆たちが軕をこの舞に合わせて激しく回転させて、八幡様の門前から走り去る。芝居の幕引きのようなエンディングである。

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059l4a8632  赤い顔になった猩々

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 牡丹の前で獅子に変身

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 若い衆たちが軕を舞に合わせて激しく回転させる。大垣まつりで 2015‎年‎5‎月‎9‎日‏‎9:43

見送り

 見送りには、日展画家和田能玉氏が描いた「白沢怪」と揖斐川町の書家窪田華堂氏の筆になる賛が、豪華に手刺繍で縫い上げられている。賛の漢詩は、白沢怪が中国古代の聖君黄帝に語った言葉である。白沢怪とは、古代インド波羅奈国の剛勇の王である。この言葉は意味深長である。組織の興亡は全て組織のリーダーにかかっている。それは今も昔も変わらない。今の大垣市長に聞かせたい。

 

 黄帝東巡国  黄帝が東国を巡行した

 白澤克玄論  白沢怪は意味深い言葉を述べた

 賢君明俊徳  帝が賢く徳のある政治を行えば

 天祥降子孫  子々孫々に至るまで目出度く栄える

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千匹猿

 上勾欄の下に千匹猿の彫刻があり、全て異なる猿として彫られている。

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11p1060310  収納の建屋

「お頭」保管

 大垣まつりのエンディング「恵比須軕のお頭渡しの儀」の「お頭」保管は、船町、伝馬町、岐阜町、宮町の4町内が一年交代で担当している。宮町の役員の方から、今年は、宮町が「お頭」保管の担当であるという話を聞いた。 

12p1010353_2  「恵比須軕のお頭渡しの儀」大垣八幡神社にて 2017年5月14日21:20

「猩々軕」の詳細は浅野準一郎著『大垣まつり』風媒社(2013年)を参考にしました。

2018-05-04

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年5月 3日 (木)

身閑夢亦安養心

 2018年3月28日、大村市の馬場恵峰先生宅に写真撮影のために訪問したおり、壁にかかっていた「身閑夢亦安養心」の掛け軸が目に留まった。読み方を聞くと「身のどかにして、夢また養心を安んず」である。これは恵峰先生が心がけている信条とか。またその軸は、日本では入手困難な貴重な中国製である。なにか閃くものを感じて、即、譲っていただく決断をした。

 この軸は特殊な模様の入った紙材で、先生の書き賃よりも軸の原価のほうが高い。

 

忙と閑

 「忙しく」慌ただしく日々を過ごしても、良き人生は送れない。しいと(のどか)は対極にある。「忙」とは「心」を「亡」くした状態である。

 「閑」とは門の間に木を置き、他からの侵入を防ぐ仕切りの意味を表わす。一人静かに考える環境と時間を作りことである。そうしないと人生の道を誤る。

 ギリシャ時代の哲学者(スカラー)は、労働は奴隷にさせて、自身は閑だから哲学を考えていた。閑だから考えれるのだ。哲学者のスカラとは、ラテン語で閑という意味から派生した言葉である。学校(school)もスカラから派生した言葉である。閑だから学べるのだ。

 

組織の長の役割

 行政の長の中には、全ての行事に顔を出して、自分の顔を売ることに余念のない市長がいる。忙しすぎて、大事な市の行事の神事で居眠りさえする。抹消的なことに執着して、大事な百年の計には頭が回らない。些細な行事は副市長やその委員長に任せればよいである。市長がしゃしゃり出ても何の付加価値も生まない。それはルーチンワークで、戦術のレベルである。組織の長は、戦術ではなく100年の計、戦略を考えねばならぬ。

 

夢の実現

 忙しい忙しいと自慢するように走り回っている経営者がいる。私は彼を自分の時間を作れない愚か者だと軽蔑している。それでは戦術に溺れている実務者でしかない。それは部下に仕事を託す才覚のない経営者である。部下が育たないから、ますます忙しくなる。それでは夢の実現など、夢の夢の悪夢である。

 この軸を自宅に持ち帰り、早々に座敷に吊るして毎日この軸を眺めている。心が安らぐ日々である。私はこの軸を眺めながら、閑(のどか)に20年後の夢が実現できる戦略を練っている。 

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 梱包のために軸を下す恵峰先生 2018328

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  珍しい模様の入った軸。恵峰先生は、表装された軸に直接揮毫される。

 

2018-05-03

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2018年5月 2日 (水)

岩村の石室千体佛に参拝

 7年に一度だけ開帳される岐阜県恵那市岩村町一色の「石室千体佛」が、2018年4月22日から5月6日まで一般公開されており、私は5月1日に参拝した。

 岩村駅に着いて、当初、私は隆崇院に石室千体佛があると思い込んでいたので、目的地とは反対方向の隆崇院の方向に歩いたので、時間ロスをしてしまった。途中でおかしいと気が付き、途中で石室千体佛御開帳のご奉仕の方に出会い道順を教えて頂いた。感謝。

 岩村の街並みを歩くと、白い紐が岩村の街並みの中心地から約1キロ離れた「石室千体佛」の中尊一体まで結ばれ、道しるべの役割にもなっていた。

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 小山の上が石室千体佛

石室千体佛

 石室千体佛は経塚で、寛永9年(1632)、岩村城主松平乗寿が住民の安泰繁栄などを祈願して建立した。乗寿は菩提寺の瀧厳寺に命じて浄土三部経千部を石筐(石の箱)に蔵め地中深く埋蔵し、その上に石室を設け一千体の阿弥陀像を安置した。埋めて上に石室を設け、千体の阿弥陀佛像を安置したとされる。

 石室千体佛は110年を経て荒廃してきたので、岩村城主の乗賢は大給松平本家の下総国佐倉城主松平乗邑と相談し、寛保元年(1741)に協力して修繕再営した。石室を改修するとともに佛像も新しくつくり替え、前の古い佛像は供養して地中に埋蔵した。

 佛像は1001体ある。中尊一体はご身長一尺四寸(約42cm)座光共に三尺六寸(約109 cm)で小佛千体は三寸(約9 cm)で座光共に四寸(約12 cm)であるが、小佛千体のうち10体は100体ごとの首像として四寸(約12 cm)座光共に五寸五分((約17 cm)と少し大きい。一千体とも金彩(金箔)が施してある。

 石室千体仏を再営した乗賢も乗邑も乗寿の曽孫であり、三人とも老中の大役に任じられ、乗邑は将軍吉宗と組んで享保の改革を断行した。

 (平成30年3月 恵那市教育員会作成の説明書より)

 

拝観と写真撮影

 石室内部の仏様は身を屈めてのぞき込まないと拝めない。親切な配慮として手前に鏡が置かれており、そのお姿が鏡に映っている。金箔が施された佛像は、数が千体もあるせいで壮観であり、有難味が感じられる。また7年ぶりの御開帳で、かつ写真撮影が許されているので、有難い。

 多くの寺院で仏像の写真撮影が禁止されているが、是非、解禁をしていただきたい。禁止をしてお寺さんにどんなご利益があるのか。お寺で売っている写真が売れなくなるのが、原因のようだ。料簡が狭いではないか。佛道に反している。

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街の風景

 今回の石室千体佛のご開帳では、岩村がNHK連続テレビ小説「半分、青い。」のロケ地で、ドラマとの相乗効果もあり多くの観光客が訪れていた。また4月9日放映の「鶴瓶の家族に乾杯」でも取り上げられたようで、街では「オジサン、テレビに出ていたね」とお店の人に声をかける観光客も多くいた。

 石室千体佛を参拝した後、ぶらぶらと岩村の街をのんびりとぶらついた。五平餅を食べ、ラムネを飲み、あつあつの焼き栗を食べて、ささやかな幸せを感じた。ハンバーガー店などのファストフード店がないのが気持ちよい。

 今回の岩村訪問の目的は石室千体仏参拝以外にもう一つは、岩村の街並みの軒先に掲げられている佐藤一斎の言葉を書いた板の調査である。現在、あるプロジェクトを計画している。

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2018-05-02

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眼の命を慈しむ(9/9) エピローグ

佛様からのメッセージ

 三好眼科での眼の検査が終わり、診察報告も吉田副院長から受け、待合室で会計を待っていた時、千手千眼観音菩薩像を慣れ親しんだLUMIX TZ30( CCDが1/2.3サイズ)でスナップ撮影した。このカメラは2010年に定年記念イタリア旅行のために購入した。今回の訪問では、正式にCCDフルサイズ機のCANON 5D-Ⅳで撮影を行った。

 正式の撮影も終わり、診察も終わり、そのTZ30で軽い気持ちで2枚を連続して撮影したが、その出来栄えに驚いた。最初の撮影画像は普通の黄色の木目で自然色であったが、同じ位置で連続の撮影で、カメラの調整機能にはなにも触っていないのに、2枚目の写真は青みがかった色調に変わっていた。カメラ内のカラーのホワイトバランスが変ったようだ。僅かの光線の変化の具合で、カメラの自動調整機能が過剰反応をして、ホワイトバランスを変えてしまったようだ。

 この変化を、私は仏様からのメッセージと受け止めた。今までは目が黄色(要注意)であったが、今は青色(安全)になったとの啓示と受け止めた。感謝。安心して、三好眼科を後にした。

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健康の秘訣

 これは内緒の話(?)であるが、三好輝行先生の奥様が、三好先生が松本明慶先生の仏像彫刻を集めることに喜んでおられるとか。それ以前は、三好先生は、夜な夜な飲みに出歩き、体もメタボ気味になり不健康であり、先生の健康を心配していたという。それが松本明慶大仏師の仏像彫刻に出会い、その収集を行うようになってから、生活が健全になり、夜に飲みにいくことも減り、体も健康体になったという。仏様のお陰である。

 

病気を治す

 病気になれば医師が治療をしてくれる。しかし医師は治療をするが、病気を治すのは己である。自分の病気を治そうという「気」がなければ、病気は直せない。病気を真剣に直したいなら、病院を選び、医師を選び、病気を研究して病気の真因を見つけ、薬を選び、生活習慣を変え、食生活を変え、命を見直し、生を感謝して、病気を直そうという「本気」を持たねば、病気は直せない。病気とは、ご先祖が己に課す試練である。どこまで病気を治す取り組みに真剣になれるか、それが試されている。

 死んでもよいから健康管理である。死にたくてもおいそれとは死ねない。しかし生活如何で簡単に病気にはなる。生死は神仏の管理であり、健康は自分の管理責任である。

93dsc005581  馬場恵峰書  この板は東日本大震災で倒壊した神社を再建した時に出た桧の端材で作られている。

手を合わせる先がある幸せ

 私も自宅の松本明慶先生作の佛様に、毎日手を合わせるようになって、昔の不健康な生活とは、少し縁遠くなった。目の前に美しい芸術作品としても価値がある具体的な佛像があると、手を合わせるにしても、拝み甲斐がある。空中に手を合わせるよりも有難いと感じる。手を合わせていると、ご先祖より頂いた命を大事にせねばと思うようになる。松本明慶先生作の佛像とのご縁に巡り逢ったのは佛縁である。見えること、生かされていること、ご先祖に見守られていると意識できる「今」の一日は幸せである。感謝。

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2018-05-02

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2018年5月 1日 (火)

眼の命を慈しむ(8/9) 福山分室

 下図は、三好先生より接遇して頂いた三好先生の自宅応接室である(2012年当時)。三好眼科病院の6階の自宅内にある応接室兼美術館である。後で松本明慶大仏師の図録を見ていたら、「松本明慶仏像彫刻美術館 福山分室」蔵という佛像が多くあった。三好先生の名刺をよくよく見たら、「松本明慶仏像彫刻美術館 福山分室 館長」とあり、この応接間の存在に納得した。

 2018年現在、福山市内に正式の「松本明慶仏像彫刻 福山分室美術館」を建てることが決まり、計画が進行中とのこと。

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展示されている仏様の紹介

千手千眼観音菩薩像

 この仏様は2012年に訪問した時はなかったが、2回目の2013年に訪問した時に鎮座されており、そのお顔の美しさに驚嘆した覚えがある。当時、三好先生の自宅応接間に置かれていた千手千眼観音菩薩像は、あまりに出来が良いので、松本明慶師も手放すのが辛いらしく、完成してもなかなか福山に納佛してくれなかったと三好先生がぼやいていた。この千手千眼観音菩薩像は、現在は新しい待合室で患者さん達を慈愛に満ちた眼で見守っている。

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子安観音菩薩

 「松本明慶仏像彫刻美術館 福山分室」で見どころの仏様の一人が、子安観音菩薩である。この5人の赤子と観音菩薩像は一木から彫られている。明慶師の技が最高に発揮された仏様である。優しいお顔と眼差しが魅力的である。

 赤子とは、その仏に一番近い存在である。邪心を持たずひたすら母の愛を信じて生きている。今は邪心に満ちた己も、生まれた時は佛に近い存在であった。それが今は汚れた存在になってしまった。それを拭う修行が必要と諭してくれる仏像である。

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ひな人形

 「松本明慶仏像彫刻美術館 福山分室」で、さりげなく飾られたひな人形も隠れた名品である。ひな人形の黒髪は、端渓の硯で磨った墨を和紙で濾し、胡粉仕上げの下地に墨で髪の一本、一本が繊細に描かれている。胡粉地とは胡粉(貝殻の粉)と膠で混ぜ合わせて作る。男びな女びなの後ろには鳥居と三宝に乗った宝が描かれている。その宝とは女性のために働くことである。家を建てる甲斐性である。服に描かれた松は、冬でも枯れない常緑樹で、女性への変わらぬ愛を象徴している。鳥居の下に紐が描かれているが、それは人を束ねる人となれという願いが込められている。

 女びなの後ろには「※」印が描かれているが、それはお米を表し、家の食を守るとの意味である。そこに描かれた升は、家計を取り仕切る意味である。

 さりげなく作られたひな人形にも、松本明慶大仏師の魂が宿る。岩田明彩師の彩色の技が光る。 本体は楠、台座は桧である。

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 応接間に鎮座した不動明王坐像には、腰を抜かし、圧倒された。

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2018-05-01

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