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2024年11月

2024年11月29日 (金)

魂は永遠なり、馬場家『太平記』写本 三代記

 

 先日、波佐見町にある馬場恵峰先生(第12代当主)の実家を訪問し、馬場清治氏(第13代当主)から、最近完成した「馬場家古陶磁資料室」を案内してもらった。

 この「馬場家古陶磁資料室」では、馬場家の第3代当主からの陶磁器の作陶歴史が整理され展示されている。後日その紹介する予定である。今回一番感動した所蔵品を紹介する。

 一番目を引いたのは、馬場家の当主が3代にわたり、『太平記』の写本50冊展示されている。第9代の弥三郎が20巻、第10代の亦一が20巻、第11代の亨(恵峰先生の父)が10巻を書写した。馬場家の当主が三代にわたり(約100年間)書写をした事実に感銘を受けた。その内容が圧巻である。その字が美しい。

 人は生老病死で精々100年の命だが、例えば、魂はこの馬場家でいえば永遠の命を保っている。もし血筋が繋がっていなくても、その精神を受け継いでいれば、その馬場家魂は継続する。

 同じことが日本魂にも言える。約300年前で(13代前)にさかのぼれば、4096人の親がいる。2000年を遡って見れば、日本人は全て家族である。日本人はご先祖が培ってきた尊い精神を受け継ぐ責任がある。

 

 

『太平記』とは

『太平記』は、日本の古典文学作品の1つである。歴史文学に分類される。「日本の歴史文学の中では最長の作品」とする説もある。ジャンルは軍記物語。成立は室町時代。

 

概要

 全40巻で、南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇の即位から、鎌倉幕府の滅亡、建武の新政とその崩壊後の南北朝分裂、観応の擾乱、2代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任まで(1318年  - 1368年)の約50年間)を書く軍記物語。

 表題の「太平」は、平和を祈願する意味で付けられていると考えられており、怨霊鎮魂的な意義も指摘されている。

 第二次世界大戦後、「太平記」を称する小説やテレビドラマが多く作られたため、混同を避けるために『古典太平記』と呼ばれることもある。

    以上、Wikipedia「太平記」を編集

 

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 多くの古陶器が展示されている。

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   『太平記』の写本50冊




 
2024-11-29  久志能幾研究所通信 2975号  小田泰仙

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良く生きるための人生戦略計画

 

1 人生戦略計画とは、人生とは何かを考えること

  その思考がなくては、人生を歩めない。

  その思考がないとは、地図なしにジャングルを迷走する事。

  思考には知識が必要だ。人生工場で作るものに道具が必要だ。

  人生工場で、知識はそれを作るためのフォークリフトである。

  人生工場で、効率的な作業をするにはフォークリフトが必要だ。

  手作業で作るのと、フォークリフトを使うのでは雲泥の差がある。

 

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  馬場恵峰書、文責 著者

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2 人生は予測できない

  未来は予測できない。しかしその未来を創ることはできる。

  それが縁起である。良き縁を作れば、良い未来が作れる。

  ただし、それは絶対ではなく、リスクがある。

  予測とは可能性を見付ける事。リスクの可能性は予測できない。

  戦略とは、不測の事態を少なくする作業。

  「戦略」とは、人生で無駄な戦いを「略する」こと。

  人生は生老病死。

  人生時間は、実質7000日、無駄なことに構っている時間はない。

  人生工場の生産で、「智慧」は、カンとコツである。

  それを使い一味違う製品が生み出せる。それが人生製品の付加価値である。

 

3 明日のために今日何をするかを考える

  明日行うことを夢見て楽しむことは無益である。

  今日、何をやるかを考えて、それを実行することが人生の全て。

  明日は永遠にやってこない。

  明日は死かもしれない。それが人生だ。

 

4 戦略計画でリスクをゼロと見なさない

  人生では、全てのことにリスクがある。

  何が起きても不思議でない。一寸先は闇。

  その全てを受け入れることから人生は始る。

  全てのリスクを受け入れる能力を作る。

  達観、諦観、史観、死生観。そこから人間家業を始めること。

 

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2024-11-28  久志能幾研究所通信 2974号  小田泰仙

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2024年11月26日 (火)

旧メディアは洗脳ウイルス、自分の頭で考えよう

自分の城は自分で守れ

 

 日米の大手マスコミ(オールドメディア)は新興宗教団体と同じ体質である。オールドメディアは教祖(拝金主義)の偏向した教えを頑なに守る。教祖は国民を愚民化して支配しようとしている。米国マスゴミはトランプが大嫌いで、偏向報道に徹している。日本のオールドメディアは、米国報道に右習えである。もっと質が悪い。

 オールドメディアを通して洗脳されると、大事な情報がスルーされ、偏向加工された情報を流される。それに気が付かずにいると、誤った判断に陥る。ご用心、である。

 起きた事象を自分で考えて、何故なぜと5回繰り返し、その結論を自分で出さないと、カネを盗られ、挙句に命までを盗られる。だからその要約作業をマスコミ任せにしてはダメなのだ。

 学校で真面目に勉強してこなかった学生が、一流会社(まともな会社)に入社できず、偏向したマスコミ会社にしか就職できなかった。そんなレベルの人が書いた記事を信じては、人生の終わりである。

 最悪の就職先は新興宗教団体、偏向政党である。

 

日本の失われた30年の原因

 それが原因で、日本に失われた30年が生れ、先進国中で日本だけ年間所得が下がり続けている。この30年間、政治屋や特権階級、上級国民がやりたい放題である。それで貧富の差が拡大した。

 それは洗脳された国民が間違った人に投票したのが原因である。

 一般国民は、増税と値上げ、賃金低下で踏んだり蹴ったりである。それはオールドメディアに、なすがまま洗脳された我々の責任である。早く洗脳に気が付いて、目覚めないと日本は滅亡である。

 

 その一番簡単な対策は、オールドメディアと距離を取る事。購読、視聴を止める、それだけで、オールドメディアは自然死する。

 

末路

 新興宗教団体の信徒の末路をよく見よう。オウム真理教徒は絞首刑、統一教会信徒は元首相暗殺で、殺人罪で起訴されている。暗殺のようなことまで実行できない人は、お布施過多で破産である。中には1億円を寄付した人もいる。

 日本が洗脳工作に目覚めないと、それと同じ末路が待っている。

増税は盲目のお布施と同じである。政治屋、利権集団の懐を肥やすだけだ。

 

事件の偏向報道例

 

地球温暖化対策を御旗に暴走

 EV化、太陽光発電、風力発電とSDGsを御旗に、ごり押し政策が破綻している。トランプ次期大統領により、大逆転の政策がされる。その利権集団を後押ししてきたのは、オールドメディアである。どちらが正しかったかは、数年で結論がでる。

 地球温暖化対策の盲進で戦争、エネルギー価格の高騰、物価高騰、移民問題がまきおこった。それを正しく報道しなかったのが、オールドメディアである。

 

北朝鮮による拉致問題

 30年前から日本海岸で拉致問題が多発しても、オールドメディアは報道しなかった。きちんと報道していれば、皆さんが注意をして、被害者数が激減していたはず。社会党の土井党首は真実を知っていたと噂される。土井は被害者家族の陳情を無視した。無視したことは事実である。社会党は北朝鮮とツウツウの党である。それをオールドメディアは知っていても、忖度して報道しなかった。

 

ジャニーズ問題

 関係者には既知の事実で、オールドメディアは犯人に忖度して報道しなかっただけ。

 

宝塚歌劇団問題

 ジャニーズ問題と根は同じ

 

朝日新聞 慰安婦問題

 捏造問題である。今でもアサヒの体質は変わっていない。アサヒはオールドメディアの代表格である。

 

消費税問題

 税率5%から10%に消費税アップの折、マスコミは優遇税制を受けるので反対せず。だれの為の報道機関なのか?

 消費税を福祉に使うのは、日本だけである。政策が狂っている。消費税は、弱者をいじめ、富裕層を優遇する税制である。米国では、消費税制度はない。

 

木原事件

 ネットであれだけ大騒ぎをしても、オールドメディアは黙殺である。国会議員は税金で賄われる。不正な税金の使用は犯罪である。

 

汚職報道

 中国から賄賂を受けていた現職大臣・岩屋外相のスキャンダルは報道をせず(米国では起訴の報道)。いつもならワイドショーで大騒ぎだが、この件は、静かに忖度で無視である。

 

「トランプ、ハリスは接戦」との偏向誤報道

 結果はトランプの圧勝で、オールドメディアが嘘の報道をしていたことが露見した。

 米国民の大多数がハリスの無能ぶりを理解して、トランプを選んだのに、池上彰は最後までハリス支持一本槍であった。

 

岐阜新聞・中日新聞は大垣市政の批判をせず

 両紙は小川敏前市長への忖度記事ばかりで、それが遠因で大垣は没落した。

 小川敏市政20年で、大垣の価値は半減した(公示地価が半減)

 

中日新聞が河村名古屋市長の南京事件に対する意見広告を掲載拒否

 新聞社の自殺である。

 

オールドメディアはSNS規制を論じる

 斎藤元彦知事への偏向報道を大々的にやっていながら、SNS規制とは、893の居直りである。

 

ワクチン被害を隠すように紅麹サプリ被害だけ過剰に報道

 2024年4月1日現在で、摂取後死亡5人、入院110人超える紅麹サプリ被害だが、それより大きな被害のワクチン被害を報道はせず。ワクチン被害は最低800人の死亡者、実際は10万人単位の死者であると推定される。不自然死数のデータから推察される。それを隠すため、小林製薬が身代わりの生贄になったようだ。

 「ワクチン被害者は10万人単位の死者である」と推定される件は、東大津市長がデータで示し、市民にYouTubeで啓蒙活動をしている。

C国の危険性

 C国が危ないと真実の報道をしないから、無知の駐在員が中国に駐在して、無差別殺人者に襲われる。米国は早々に危険国と認定して、渡航注意を発令している。日本の外務省は無視である。

 C国全土の学校で、中共は反日s教育を強制しているから、日本人には危険なのだ。それをオールドメディアは全く報道しない。それこそ犯罪である。

 

国民が大借金であるとのウソ

 財務省が国民一人当たり1千万円の借金がある、それで増税だと洗脳工作をしてきた。それをそのまま国民に伝えてきたのがオールドメディアである。

 財務の知識が有ればバランスシートが理解できるはず。それがオールドメディアは理解できないようだ。財産があるから借金が出来る。それを日本は破綻寸前だと嘘の広報をしたのが、オールドメディアである。破綻する国家の国債の金利が世界一低いわけがない。破綻寸前の国家は、国債の金利が高いのだ。

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我以外皆我師

 オールドメディアと反面教師として眺めよう。どんなものにも存在価値がある。あんな落ちぶれた身になってはならにと教えてくれる存在である。どんな事象も第三者の眼で冷静に見る習慣を付けよう。Dsc098631s

 

 

2024-11-26  久志能幾研究所通信 2973号  小田泰仙

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2024年11月25日 (月)

南海トラフ大地震を疑似体験、百聞は一震に如かず

 先日、静岡県地震防災センタの見学会があり、地震対策を実体験した。百聞は一見に如かずである。

 説明員の方から、最初に大陸のプレートの構造、その動きで地震が起きる原理を説明された。南海トラフ大地震は周期100~150年ほどで繰り返し起きている歴史がある。地震は自然界の自然現象である。

 

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  静岡県地震防災センター

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 説明員が大陸のプレートの構造と地震が起きる原理を説明

 2011年~2020年で、マグニチュード6.0以上の地震は、全世界の17.9%が日本周辺で発生。

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 南海トラフ巨大地震の発生頻度  いつ起きても不思議ではない。

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 そこで、震度7の激震の模擬体験をした。最初、模擬地震体験台で、震度6を体験して、その後、震度7の模擬体験で衝撃を受けた。震度6でもかなりの衝撃であったが、震度7は凄まじかった。我々が学校の教室で授業中との想定で、地震が起きた場合の模擬体験である。震度7で台が振動し始ると、目の前のスクリーンには、机が倒れ、机が飛んでくる状況である。なかなかにリアルな模擬体験である。

 手前の支え棒に掴まっていても、振り飛ばされるほどの衝撃である。それが約1分間続いた。足腰が弱った方は、体験を辞退された。それは正解で、私も足腰が弱っていて、模擬振動中に振動台に乗ったことを後悔をした。実際、私の体力では、その衝撃に耐えることは危なかった。

 まさに百聞は一震に如かず、である。いくら口で泡を飛ばしてその恐ろしさを論じても、実際の激震を体験すると、真剣にその対策をしようとする気になる。良き経験であった。

 

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  震度7の激震の模擬体験

  目の前の机が跳んでくる。

  支え棒に摑まっていても、振り飛ばされるほどの激震である。

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 南海トラフ大地震は歴史的に、自然現象的にいつかは襲ってくる。その準備にやり過ぎることはない。

 静岡県防災センタの説明では、南海トラフ大地震での当初想定された10万人の死者数を、対策で2万人の死者数の予想に下げられたそうだ。それでも一県だけで2万人の死者数予想である。全体では32万人の死者が予想されている。何事も備えが必要だ。

 地震の予知は現時点では、不可能である。最近起きた大地震は、政府の予想していない場所ばかりで発生している。年間900億円もの金を地震予知に使いながら、全く成果が出ていない。予算を絞り、その金を防災予算に向けるべきだろう。

 地震国の日本では、どこで起きても不思議ではない。だからこそ、日頃の備えが大事である。

 

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  地震予知予算  文部科学省発表

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人生の地震、絶望、挫折

 人は一回の挫折や絶望では自殺をしない。耐震補強をした家は一回の震度6の地震では、たいがいは家が傷むが倒壊しない。しかし熊本地震のように24時間以内に2回も震度6,7クラスの地震に襲われれば、一回目で傷んだ家を2回目の激震が倒壊させる。だから熊本地震の被害が甚大であったのだ。

 日頃、辛い体験や嫌なことを多く味わって、そういう激震に耐える心の強さを養っておくことが大事であるとの思いを新たにした。

 エリートとよばれる輩が、過保護に育てられ、実社会で1回の失敗を経験して、挫折する姿を勤めていた会社で目のあたりにした。

 そういう点で、私はエリートではなかったので、叩かれ罵られ、虐げられて会社生活を送ったので、度重なる挫折には負けなかった。

 

2024-11-25  久志能幾研究所通信 2972号  小田泰仙

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2024年11月18日 (月)

人は4度死ぬ、仕事とは後世への遺産

訂正 「知りたることを教えざるは…」の発言者

 久志能幾研究所通信、2024年11月16日の銃後の教え 健康で長生きするためにの中で、「知りたることを教えざるは 金を借りて返さざるが如し」の発言者を福沢諭吉と表記しましたが、私の勘違いで、正しくは、石川理紀之助でした。

 訂正します。間違いのご指摘ありがとうございました。

 以前のブログ、2022年9月16日 (金) 伝えるとは、學ぶこと で、この言葉の原作者を記述しているのに、それをすっかり忘れて福沢諭吉と勘違いしました。訂正して、お詫び申し上げます。

 

 それほどに、福沢諭吉翁の多くの言葉は私に影響を与えています。言葉とも人生の出会いです。その言葉と出会ったからこそ、福沢諭吉翁は私の中で、まだ生きています。福沢諭吉が死んでも、その言葉を覚えている人がいる限る、彼はまだこの世に生きています。私もそんな人生を歩みたいと思います。

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 下記は、先日の「みとりし講演会」で、私がお話しをした一部です。

人は4度死ぬ

 一度目の死は、生きる屍となった時(ベッド上で生き永らえている)

  75歳以上は、25%が認知症、半分は寝たきりか病院通い

  男性の健康寿命は70歳、女性は73歳

 二度目の死は、肉体が滅んだ時(医学的、法律的な死)

 三度目の死は、その人を覚えている人が、亡くなり、故人の遺品が忘れ去られた時

 四度目の死は、日本民族が滅んだ時

  だから日本人の魂と日本を守るべき

  過去70年間で、180以上の国が消滅した。

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下記は私の好きな言葉(福沢諭吉翁の言葉)

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2024-11-18  久志能幾研究所通信 2971号  小田泰仙

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2024年11月17日 (日)

銃後の教え 健康で長生きするために

人生は戦争だ。弾の飛び交う戦場での心得

 

15の人生訓 (銃後の教え)

 

1 時間は命と考える。

  ある人と面会1時間とは、その人の命の一時間を頂いていること。

  人生80年として、29,200日しかない。

   そのうち、幼児期の6歳まで、終末期の自由に動けない9年間を引くと人生は65年である。

  そのうち、自由に使える時間は1日8時間。

  だから一生で、実質7900日しか時間がない。

2 人生は全て縁から始まる。ご縁を大事にする。

   人生は縁起が全て。

   どんなモノにも原因・縁起がある。なぜ何故を5回繰り返せ。

   「縁が無いという縁なき人」と争わない。そっとその人から身を引く。

   お釈迦様でさえも「縁なき衆生、度し難い」と達観されている。

3 どんな事があっても、生きているだけ幸せと思え

  一つの命が生まれる確率は、1億円の宝くじが百万回連続で当たると同じ。

4 一生かかっても実現できない夢を持つ。

  棒ほど願って、針ほど叶う。

  千里の道も一歩から

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5 きょうようときょういくを持つ

  今日やるべき用がある。今日行くべきところがある。

  そのために、小さなことでよいので、地域貢献をしよう。

  「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」ではいけない。

 

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 死を恐れず、健康を損なうことを恐れよ

  死は神仏の管理。健康は人の管理項目。

  自分の体の状態に無関心では簡単に病気になる。

7 金は人生劇場の入場料と心得る。

  カネを使って人生経験を詰めないと、詰まらない人生となる

  カネはあの世に持って行けない。死ぬ時にはゼロ円にしよう。

8 未来は変えられないが、過去は変えられる。

   過去の嫌な経験を修行として考える。

   それがあったから、今の自分に成長できた。

   そう思わない人が、人生を暗い末路にする。

9 利他の精神で生きる

   五右衛門風呂の定理で、やったことは自分に帰ってくる。

10 神仏ご先祖を敬う、神仏に頼みごとをしない

11 近い将来、壇上で講演している姿を思い描く

   知りたることを人に教えざるは、借金をして返さざるが如し

                 (石川理紀之助

12 孤独を愛し、孤立を避ける

   孤独でないと、精神的成長ができない

    集団に群れれば、人格を育てられない。

13 ユーモアを忘れない。

    余裕なき人生は、地獄行き。

14 人生劇場の舞台では笑顔の仮面で

   舞台だからペルソナ(仮面)(ラテン語)を被って演技をしよう。

    そのうち、それが自分の性格となる。

   しかめっ面は、玄関に髑髏をぶらさげるようなもの。

   パーソナリティとは、ペルソナから派生した言葉

15 常に第三者の目を持て、冷静に

  どんな悲劇も一歩下がって眺めれば、喜劇である。

 

2024-11-16  久志能幾研究所通信 2970号  小田泰仙

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2024年11月16日 (土)

第4回みとりし講演会(2)、事実は小説よりも喜なり

 10月27日に第3回、11月7日に第4回「みとりし講演会」を開催した。平日でもあったので、参加者は各5名、4名と少なかった。しかし今回、奇跡のような出会いがあり、「事実は小説よりも奇(喜)なり」を経験した。奇ではなく、私には大きな喜びであった。

 

 第3回「みとりし講演会」の前日で、参加予定者は3名と少なかった。私が夕刻、帰宅した折、自宅前の広場で、近所の高齢の婦人が2名立ち話をしていた。それで藁にもすがる思いで、二人に翌日の「みとり講演会」の開催を再告知した。

 一人は参加する意思はなかったようだが、もう一人の方が「小田さんが一生懸命にやっているので、可哀そう(?)だから、一緒に出てあげよう」ともう一人をその日の夜、電話で誘い、講演会に参加してくれた。誘われたその一人が、この25年間、私が探していた北尾家の末裔の家であった。

 当日、私がプレゼン資料のパワーポイントで家系図を使い、命の継続の大事さを説明した。そうしたら、その一人が家系図のその人(北尾春圃)が自分の家系のご先祖だと言う。私はそんなつもりで我家の家系図を示したわけではなかった。結果として、それでその人が北尾家の末裔(私の祖母系の血筋)と結婚した家の人だと判明した。

 それもその家は、私の家から100mほど離れた場所で、同じ町内である。この50年間、それを知らずに、我が家族は住んでいた。

 その人の紹介で、第4回「みとりし講演会」で北尾家の本家の末裔が参加してもらうことになった。まさに奇跡のようなご縁である。

 

 一生懸命にやっていると仏様が、佛縁を授けて頂けるものと納得した。300年前のご先祖である北尾道仙を探し始めて、15年目に没年と生誕地(大垣)が分かり、お寺の過去帳でそれの確認が出来た。それで、2015年、北尾道仙のお墓を再建した。それから9年が経ち、道仙の父が北尾春圃であることが分かり、その末裔が見つかった。

 北尾道仙がどういう人物なのかを調べ始めて、25年目での発見である。奇跡は起こるものなのだ。私が「みとりし講演会」を始めなければ、起きなかった奇跡である。前日に、立ち話をしていた人に声をかけなければ起きなかったご縁である。

きちんとご先祖のお墓を再建し、ご先祖の法要を続けていたことに対する佛様からのご褒美でもあるだろう。

 

2024-11-16  久志能幾研究所通信 2969号  小田泰仙

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2024年11月14日 (木)

カレーライスは加齢な不健康食、私は非国民、個々零番屋

 

 coco壱番屋のカレーが大人気である。販売数でギネス記録になったとか。私も、カレーは大好きで週一で食べていた。日本人が大好きなカレーライスである。

 しかしカレーには、小麦と植物油(パーム油)が含まれていることを知ったので、食べるのを少し控えるようにしていた。この成分は日本人の加齢を促進させる。日本人には、民族的に小麦と植物油の耐性がない。日本人は、この1万5千年ほど、小麦も植物油も摂ってこなかった。だからこの食材の耐性がない。

 もともとカレーはインド等の亜熱帯地方の食事である。日本人の体質に合っていない。体質に合ってないものを食べれば、病気になる。

 先日(11月12日)、ホテルオークラの朝食バイキングを食べた際、カレー鍋の前の表示に、そのアレルギー注意表示があることを発見した。それでその認識を新たにして、今後カレーは食べないとの決意をした。

(ネット上では、グルテンフリー、ノンオイルカレーの製品や作り方も紹介されているから、それを食するのならOKでしょう)

 これは浜松国際ピアノコンペティション(浜松コン)の会場であるアクトシティに出かけて得た賜物である。ホテルオークラは、浜コンの会場であるアクトシティにあるホテルである。

 

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カレーを食べない理由

 カレーライスは国民食であるが、自分だけでも非国民として、カレーを食べるのを止めた。カレーには、小麦と植物油が含まれているので、禁止である。このホテルオークラのカレーには、牛乳まで含まれていた。

 それでカレーを私の好物食品の一番でなく、零番の優先順位とした。創業者の宗次德二氏は、私の尊敬する経営者の一人だが、自分の健康には代えられられない。

 

 小麦にはグルテンが含まれ、日本人の8割はその耐性がない。欧米人でも数パーセントの人に耐性がないと言われる。グルテンは白血球内の免疫酵素(TNFα、細胞壊死因子)を攪乱させる毒素がある。それで免疫酵素が間違って、神経や腺の免疫を攻撃して、アレルギーを引き起こし、花粉症、乳がん等を引き起こす。

 植物油は腺や血管内に蓄積して、癌の遠因となる。

 小麦も植物油も、脳の快楽報酬系に浸入し、麻薬と同じ作用がある。

 戦前、日本人は小麦も植物油もほとんど摂ってこなかった。戦後、それらの摂取量が激増して、結果として、がん、アトピー、糖尿病が激増した。どんな事象にも原因がある。

 

2024-11-14  久志能幾研究所通信 2968号  小田泰仙

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2024年11月11日 (月)

「みんな違って みんないい」、一神教は戦争を招く

詩『私と小鳥と鈴と』(金子みすゞ作)が、争いを無くす

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

 

一神教の戦い

 西洋の十字軍兵士を描いた絵画で、その姿は右手に経典、左手に剣のスタイルである。つまり「我々の神を信じるか、さもなくば死を選べ」の意味である。一神教は、妥協はなくどちらかを選択せねばならぬ。

 それに対して多神教は万物に神が宿るとして、全てを受け入れる寛容さをもっている。

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キリスト教の布教

 イエズス会の宣教師だったザビエルが、日本に初めて来日したのは1549年のこと。彼は日本でキリスト教の布教につとめたが、諦めて1552年には中国へ移った。

 一時は隠れキリシタンが激増したが、その後、江戸幕府により鎮圧された。それから約500年が経つが、日本でのキリスト教徒は人口の1%ほどしか広まっていない。希しくも共産党支持者の比率と同じである。現実が正しいのだろう。

 キリスト教のような一神教は、日本の風土と合わないようだ。キリスト教は中東の厳しい環境下で育った。仏教は穏やかな気候の豊かな食糧事情のアジアで育った。キリスト教・ユダヤ教の教えの激しさ故、今でも中東の争いは2000年間も続いていて収まる気配もない。その宗教が生まれた背景を知るとその末路に納得される。

 

多神教の日本

 また日本では豊かな実りと同じように自然災害が多く、一神教の絶対的な存在がかすんでいる。台風、土砂崩れ、津波、火山噴火、大地震等の自然の猛威の前に、人為的に考えた神では太刀打ちできない環境である。だから日本では自然崇拝思想が起きた。

 

 そのため日本は多神教で、万物に神が宿るとされた。仏教は寛容の精神で、おおらかな信仰環境である。神仏一体である。

 それを宣教師から、「先祖は、キリスト教徒でないので、地獄に落ちている」と断言されれば、ご先祖を大切にする日本人は引いてしまう。

 日本人の一農民が「今までキリスト教の宣教師が布教にきていないのに、今さらご先祖はキリスト教徒でないので、地獄に堕ちたままというのでは、納得できない。キリスト教では救いはないのか。絶対的な創造主というなら、なぜこの世に悪人を作ったのか」とザビエルに質問して、ザビエルは言葉に詰まったという。

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一神教の猛威

 秀吉がキリスト教を禁止したのは、宣教師が日本人を騙して奴隷として海外に売り飛ばしていた悪事が露見してのことだ。

 キリスト教の宣教師が未開の地に行って、キリスト教を普及するのは、まず宗教で住民を手なずけて、後から植民地にする狙いがあったからだ。それは宣教師も知らないことだ。スペイン、ポルトガル等の欧米の国がやってきたことだ。

 ハワイ島も同じで、米国がハワイに進出して、最後は、王様を殺して、植民地にして、米国に併合した。そして太平洋を渡って、フィリピンを植民地にした。

 

 キリスト教では人間と動物を峻別する教えを説く。そうしないと小麦しか取れない痩せた土地では生きていけない環境である。だから家畜を殺して食べねばならぬ。飼育している家畜に情が移れば、殺して食べることに弊害が出る。だからキリスト教徒以外は、人間でないとの原則を作ったのだ。キリスト教徒以外は、動物と同じ扱いをして(殺しても)も問題がないとローマ法王のお墨付きである。

 上記の説は鯖田豊之 著『肉食の思想』で解説されている。私はこの本を高校生時代に読んだ。57年前である。現在でもこの本は中公新書として売られてる。欧米人の考え方を理解するうえで、お勧めの図書である。

 欧米人はアフリカからアフリカ人を奴隷として狩り、彼らを欧米に家畜扱いで奴隷船で運び、その過程で1240万人が死んだという。アメリカ大陸発見のコロンブスは奴隷商人であった。

 キリスト教では、信徒とそうでない人間を峻別するので、ナチスのユダヤ人虐殺で数百万人を殺し、アメリカ大陸で西部開拓の美名の元、原住民のインデアン950万人が殺された。オーストラリアでは現地人のアポリ族がほとんど殺された。

 コロンブスがアメリカ大陸を発見してから、200年間で、キリスト教徒は約9000万人(サバイバル・インターナショナルによる統計)の先住民を殺したとされる。

 そのキリスト教の人間の峻別思想で、欧米なら落とさなかった原爆を日本に落して非戦闘員20万人を虐殺した。その前に東京大空襲で、焼夷弾を落とし、東京を火の海にして非戦闘員の10万人を焼き殺した。それでいて、米国人の半分以上はその件で罪を感じていないし、それが今でも正しかったと洗脳されている。

 現在、欧州で移民の混乱が頻発しているが、これも彼らの先祖がした悪行の因果応報の末路なのだ。

 同じ様に共産主義も一神教と同じく、思想が違うとして、全世界で少なくとも約1億人の人を殺したとされる。ロシア革命以降で下記の人数が殺されている。

  • ソ連:2000万人
  • 中国:6500万人
  • ベトナム:100万人
  • 北朝鮮:200万人
  • カンボジア:200万人
  • 東欧:100万人 
共産主義黒書〈ソ連篇〉 (ちくま学芸文庫) ニコラ ヴェルト著  筑摩書房刊

 それを支持する政党が日本にも存在することは怖ろしいことだ。

 日本の政治屋の親中派も、その類の思想がある。ご用心である。

 

ある町内の宗教戦争

 ある町内でも宗教戦争があった。ある家では、地蔵尊祭りで、ある班長さんがそのお下がりをその家に持って行ったら、「うちはキリスト教だ」とそのお下がりを投げつけて返された、と泣いていた。当然、班長としてお地蔵さんのお花当番も拒否である。当時の自治会長がその件である知人に頼みに行ったので、その人が代行した。本来なら、本人が代行をお願いしにくるのが筋だが、そんな常識が通用する相手ではない。

その家は近所付き合いが全くない。その家は、班長の当番が回ってきても、草取り行事にも参加していなかった。

 東京のキリスト教徒なら、常識として町内の行事には参加する。きちんと他宗教にも敬意を払う。だからそれ以前の人間性の問題である。キリスト教を盾に、めんどうな町内の付き合いを拒否していただけだと思う。

 

 私だって欧米に行って、教会を見学する時は、敬意を払ってお参りする。バチカンの協会でも、ピエタ像、バチカン美術館の宗教画には感激した。

 

宇宙根源の理

 宇宙飛行士の多くが、一神教に疑問を抱いて地球に帰還するという。宇宙船から真っ黒な宇宙を見て、そのなかに青く光る地球がぽっかりと浮かぶ。その姿に宇宙船士は感動する。ガガーリンは「地球は青かった」と言った。宇宙船で地球を周回すると、紛争地や平和な土地の上空を宇宙船は数十秒で通過する。それを見ていると、地表の紛争がバカらしく見えるそうだ。

 我々は大自然の前では、小さな存在であることを意識しないと、社会や地球が亡ぶ。宗教の違いなど、大自然の前では些細なことだ。下劣な政治の争う前に、自然界が猛威を振るう現実を見据え、目を覚ましたい。

 カネ儲け主義で、豊かな大地を丸裸にして、太陽光パネルを敷きしめる愚かさに反対の声を上げたい。そんなことをすれば、必ず自然からのしっぺ返しを食らう。私は宇宙根源の理教の信徒になりたい。我々 は土から生まれて土に還る。我々は自然界から生まれた子供なのだ。我々は大自然の前では無力なのだ。

 

2024-11-11  久志能幾研究所通信 2967号  小田泰仙

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2024年11月10日 (日)

第4回みとりし講演会(1)、84にして83の非を知る

 

 11月7日、第4回目の「みとりし講演会」を開催した。平日でもあったので、参加者は4名のみで少々寂しくはあった。しかしこの種の講演会が大入り満員はおかしいので、参加者が少人数でも、啓蒙活動を根気よく継続することが大切だと思い、開催を継続している。

 

84にして83の非を知る

 講演会後の感想を述べる場で、84歳のご婦人が「私は73歳まで、この看取りの作法を知らなかった。この話は84歳で初めて聞いた。今まで、この作法で看取れなったのが残念に思う。だがこの講演で、今まで83年間を生きてきて、良い人生だったと思うことが出来た」と。

 私だって、この看取りの作法は72歳で、初めて聞いた。多くの人は皆同じレベルだと思う。だから一人でも多くの人に、この件を知って欲しいと、この上映会・講演会を開催している。(春と秋に、年に4回開催予定)

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  11月7日、第4回目の「みとりし講演会」  木戸町多目的ホールで

  場面は、乳がんで亡くなった妻を抱く夫の姿
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看取りの作法

 安らかに逝かせてあげる。抱きしめて感謝で見送ってあげる。

 映画の中での実例では、乳がんで死亡宣告された妻を、夫は7時間も抱き続けた。夫は子供達に「お母さんに触ってごらん、まだ温かいよ」と。

 

 枯れるように倒れれば、苦しまずに逝ける。

 無為な延命処置をしない。延命処置は、本人を苦しめるだけ。

 

    よく働いた一日は安らかな眠りを誘う

    よく働いた一生は安らかな死を賜う   (ゲーテ)

 

 死後24時間はドライアイスを入れない  

  医師が死亡を宣告しても、生物的にまだ半分は生きている。

  医師は法医学的に心肺停止と瞳の拡大だけで死を判定する。

  死亡時刻を確定しないと、遺産相続等で争いとなるからだ。

  死亡宣告後、24時間以内ならまだ体は温かいし、耳も聞こえている。

  日本国内なら24時間以内に駆けつけて、看取りの作法が出来る。

 

 小川みさ子さんの尊父は99歳で亡くなられた。

 みさ子さんが正式の看取りをされ、死亡宣告後、9時間後に孫が親に連れられて来た。まだ体は温かかった。みさ子さんは孫に尊父の背中に手を入れさせ、その温かさを確認させて、最後のお別れをさせた。

   

国の寶

 自分が生まれた10世代前に1024人の親がいる。13世代前なら4096人の親がいる。その一人でも欠ければ、自分はこの世に存在しない。

 生きているだけで、自分の家系のかけ外のない存在である。

 「毎日、真っ黒になって働き、時が来れば静かにこの世を去っていく。それこそが国の寶である。財宝や珍宝が国の寶ではない。

 「国宝とは何か。道心(悟りを求める心)を持つ人を名付けて国宝という。ゆえに古来の哲人は「径1寸の珠10枚は国宝ではない。世の一隅を照らす人が国宝である」と言う。— 最澄、『天台法華宗年分学生式』

 真っ黒になって働き、税金を納めて国を支える。それが日本人の勤勉な魂である。才能が無くても、業績もなくてもよい。生きて働いて、家族と国を支える。それだけで国の寶である。

 

 

2024-11-10  久志能幾研究所通信 2966号  小田泰仙

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