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2022年11月 2日 (水)

お墓に蓮華の模様  泥沼の蓮華の教え

 

 お墓つくりで最後まで悩んだ案件が、蓮華の模様の有無である。「簡素に華美に走らず」の基本方針で、お墓つくりを進めたが、蓮華の模様をつけるかどうかで最後まで悩んでしまった。最初は蓮華の模様無しで進めたが、親戚の助言や蓮華の意味を考えて、伏せ蓮華の模様を付ける事に変更した。受け蓮華だと結構目立つのだが、伏せ蓮華ならそんなにも華美とは見えないことを確認して決断した。ご先祖供養としての気持ちとして伏せ蓮華の模様も許されると判断した。

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 泥中之蓮 六根清浄

 蓮華とは蓮の花のことで、蓮は仏教の世界で最高の花である。蓮の花は泥の沼の中に美しく咲く。それに対してワサビは清純な山の中の清流の中に咲く。人間社会の中で正義を貫きすぎると自身はワサビの存在となってしまう。正義とは狭義な存在である。神仏の身でない人間は、清濁併せ呑む大きな度量が必要である。清らかな環境で育って清純な心を持っても、人としてワサビの存在になっては佛になれまい。それを仏教は蓮華の花で教えている。

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六根清浄

 六根清浄とは、人間に具わった六根を清らかにする修行である。六根とは、五感(眼根(視覚)、耳根(聴覚)、鼻根(嗅覚)、舌根(味覚)、身根(触覚)、意根(意識))と、それに加え第六感とも言える意識の根幹である。

 六根は人間の認識の根幹である。それが我欲などの執着にまみれていては、正しい道(八正道)を往けない。そのため執着を断ち、心を清らかな状態にする修行が六根清浄である。そのため不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないために俗世との接触を絶つ修行が行なわれた(山ごもりなど)。

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 馬場恵峰書『百m巻物』  日中文化資料館蔵 

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自然に学ぶ

 四季の自然のつるといの中様々に学び気付く事多し、ふと見ればはきだめに南瓜の芽がいくつも出て、せい髙あわだち草が菜の花畑のおうに泥沼から蓮の花咲き可憐さ華麗言葉を失う。それらの自然存在に気付く時、自然はこの事以外においても野采果実等々物を造り育てる名人でその物を最大限に活かすのが人間である。

 人間皆それぞれすばらしい種子であり、明日、否、今どんな何とした花が咲くのか貴重な宝を人間持っている。何事も縁を活かし勇気出して新しい自分の道を進もう。

 「そのうちって‥‥」「いや今のうち、今でしょう」そのうちのいいわけはいいわけに結ばらぬ。 人生チャンス二度なしの受けとめ、今そこからです。耳で見て、目で聴く心眼を開いて行きましょう。 智学び仁もって人の道守り勇気出して大切なあなたの人生、私の生涯明日を念じ今大切にと。

        文:馬場恵峰

 

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 馬場恵峰書『百m巻物』  日中文化資料館蔵 

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 人は泥沼の人間社会の中で、いかに美しい人生の華を咲かせるかが問われる。人は汚れた世界で生きていく。しかし汚れたままではいけない。自分を美しくする環境や人との出会いを求めなさい、が仏教の教えである。

     

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 蓮の花  Wikipedia 「ハス」より引用 
                                                                                                       

 蓮(LOTUS)は、古代エジプト、インド、ギリシア、ローマの神殿にもさりげなく彫刻されている。西洋でも高貴な花として認められている。ギリシア神話では、その実を食べると現世の苦悩を忘れるとされた。ギリシア神話の世界では、神の世界にも現世のギリシアとされ、生々しい神の恋愛話や武勇伝が神話を彩っている。

 私も2010年、2011年とローマやシシリア島に20日間の旅行をしたが、当時はそんな意識が無いので、目に入らなかったが、写真で神殿等を見ると確かにLOTUSの模様がある建築物が多くある。

 その後、2017年に戸田極子公爵夫人の足跡をたどるためウィーンへの旅した。そこの楽友協会の「黄金の間」でそのロータスの飾りを発見した。

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2022-11-02  久志能幾研究所通信 2531  小田泰仙

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2022年10月31日 (月)

人生は食べ放題の旅 バイキング店で体重を減らす

 

 この宇宙は全てバイキング料理店で構成されている。何をどれだけ食べようが、やろうが、集めようが自分のやりたい放題である。対価は全て自分の行動と言う貨幣で支払えばよい。

 そこで注意すべきは、己の「分」の問題である。人は往々にして自分の器(分)以上に集め、食べ、やりすぎるので、人生の破綻(地獄)を見る。人には肉体的制限と、時間的制限の限界がある。人には、最大で100年と言う時間制限がある。時間は貧富には関係のない佛様からの貸与品である。お金はいくら集めても、死ぬときに手放さねばならない。徳がないのに、不相応な財産を残すと子孫の財産争いで家が不幸になる。金にあかして美食に溺れる天国を味わっても、肥満からくる高血圧、心筋梗塞、脳梗塞、ガンに襲われて地獄を見る。病気とは、自制心に負けた己の食べ放題への対価である。

 

ダイエットは食べ放題のお店で

 私はダイエットのために、食べ放題のお店に通ったことある。昨年10月(2014年)から始めて、ほぼ毎日行って、2015年7月現在、半年間で約5kgの体重減となり、その結果として高血圧であった状態がかなり正常化した。

 毎日食べ放題に行くのは地獄である。それは、お代わり自由で食べられるのに、それを0.8食分で抑える自制心との戦いが地獄である。食欲があり、時間もあり、目の前に美味しいものが並んでいる。体力的に3食分でも楽に食べられるが、それを我慢する試練である。そのご褒美が体重減である。目の前に食べ物があっても、必要以上には食べないようになった。間食も減った。

 バイキング料理店のよい点は、自分の意思が強固なら、スイーツを控え、良質のたんぱく質、炭水化物、野菜等をバランスよく摂取できる。お代わりさえしなければ、食べ過ぎの危険性は少ない。

 この修行ができていない5年ほど前は、バイキング料理店でつい3食分を食べ、喜んでいた自分がいた。肥満が原因の病気と言う天罰を受け、目が覚めた。天罰を受けても目の覚めない人が多いのが哀しい。

 

棚ぼたの罠

 家系図に登場する家の親戚で、己の器以上に親からの財産贈与を得て、家が傾いた事例が多々ある。その人の器(分)以上の量を入れたがための咎である。人は立って半畳、寝て1畳、食べて飲んで1升である。それ以上に体に入れるから不幸の原因になる。「棚からぼた餅という遺産」の罠に嵌ったのある。最期になって、「金はいくらでも出すから助けてくれ」と医師に言っても手遅れである。その前に、沸様が体の不調でその前兆を知らしていたはず。その類の愚か者が家系図に死屍累々である。器が小さいのに、それ以上に入れれば溢れるのは自然の理である。お金は貯めるのは簡単だが、使い方が難しい。

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 馬場恵峰先生書『人生訓八十恵峰』より

 

2022-10-31  久志能幾研究所通信 2529  小田泰仙

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2022年10月26日 (水)

本物の金銀、空手来空手去

 

金銀は、慈悲と情け、義理と礼、身の一代に使うためなり

        馬場恵峰師 知己塾 2013年5月9日

 

 カネはあの世には持って行けない。カネとは、人生劇場で与えられた役を演じるための準備費用である。その費用は自分で払う。より多く払えば、より良い役が与えられ、良い演技ができる。カネは、運命の方向を左右する「お足」である。その使い方で、方向が変わる。カネを貯めるものと勘違いして、それをケチるから、悪縁の事件で足止めされ、幸福になれない。

 グローバル経済主義者のカネの亡者は1%しかいないのに、使い切れないほどの金を取り込み、99%の人を貧困に陥れ、貧富の差を拡大させた。カネが何のために有るか、理解していないのだ。だからカネの亡者が戦争を招くマネーゲームに「狂じて」いる。それが原因で戦争が起きる。それがウクライナ戦争である。

 

空手来、空手去 

 意味:人は裸でこの世に来て、裸であの世に去る

  李秉喆(リヘイテツ)の座右銘

  李秉喆はサムスングループを創業した企業家。

 

 李秉喆は、稼いだカネを社会と国家の繁栄のために役立てたいとの思いでサムソンを育てた。

 その子息の李健熙(イ・ゴンヒ)が、その志を継いでサムスンを世界的企業に発展させた。しかし後継者の教育には失敗したようだ。李秉喆の孫たちが財産争いで裁判まで起して醜態を晒している。総帥となった孫の李在鎔は収賄で逮捕され収監された。恩赦で出所したが、その後は振るわない。子供や孫たちは李秉喆の座右銘を理解していないようだ。先代の苦労を忘れた後継者がかじ取りを始めて、サムソンは没落を始めた。

 サムスンの前身は、1938年、日本統治時代の朝鮮大邱市で、李秉喆が株式会社三星商会として設立された。蘇洞(現在の允恭洞)において40人の従業員を抱える小さな貿易会社としてスタートした。そのサムソンも世界的企業に成長したが、創立84年を迎え、100年を前に挫折しそうである。サムソンからは悪い噂しか流れてこない。

 

 トヨタ自動車は1933年に創業された。その後の展開でサムソンと比較すると、両社の行動に、仁義礼智信で差を感じてしまう。サムソンからは仁義礼智信が感じられない。サムソンはグローバル経済主義に徹した会社である。隙があれば他国から技術を盗んでも平気のようだ。人は使い捨ての社風のようだ。

 それが今後起こると予想される経済危機で、その差が明確になるだろう。

 

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  仁義礼智信 馬場恵峰書

 

Dsc01221s 馬場恵峰師 知己塾  2013年10月10日

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2022-10-25  久志能幾研究所通信 2524  小田泰仙

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2022年10月23日 (日)

高貴な後悔 オランダ皇太子(現国王)とのご縁

 

 私の今までの人生で一番高貴なお方に近づけたご縁は、オランダ皇太子ご夫妻(現国王)が臨席されたレセプション参加である。秋篠宮殿下ご夫妻も臨席されたレセプションである。

 2005年4月19日、「愛・地球博2005」のオランダ・ナショナルデーで、オランダ大使館主催のレセプションがヒルトン名古屋ホテル「扇の間」で開催された。私の部長が在日オランダ商工会議所会員の日本オセ(株)の重要なお客様として招待された。私は当時、技術部のIT関係で日本オセと商談を進めていた。日本オセは大型プリンターのメーカである。

 私が偉くて招待されたわけではなく、部長が招待されたが、「忙しいからお前が行け」と私に代理出席を任せられた。これもご縁である。とても美味しいご縁であった。

  

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 「愛・地球博2005」会場  2005年4月19日

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 壇上はオランダ皇太子ご夫妻 

 

 この招待参加者は「愛・地球博2005」会場でのイベント終了後、専用バスでヒルトン名古屋ホテルへ移動した。

 レセプション会場前で厳密なセキュリティチェックを受け、レセプションホール「扇の間」に入場した。そこにオランダ皇太子ご夫妻と秋篠宮殿下ご夫妻が参列され、至近距離10mの距離で拝謁できた。

 いい歳こいたオジサンたちがカメラを持ち、ミーハーになって、紀子さまに群がって行った。すぐガードマンに阻止された(笑)。最初に飛び出して行ったオジサンは紀子さまのいい写真が取れたとご満悦であった。トヨタ系会社の私のIT仲間の偉いさんである。当時、紀子さまは大人気である。私は遠くからこれを眺めて幸せな気分となった。

 

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 オランダ皇太子ご夫妻と秋篠宮殿下ご夫妻

  ヒルトン名古屋ホテル「扇の間」

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 紀子様

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  将来のオランダ国王は気さくに皆さんと歓談

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 その気になれば、オランダ皇太子の元に行って歓談できたが、流石に畏れ多くそれはできなかった。オランダ皇太子は気さくに会場のあちこちで歓談をされていた。

 その後、オランダ皇太子の妃が我々のOCEのテーブルに回ってこられた。感無量である。今にして、皇太妃とお話をすればよかったと、17年後の後悔をしている。高貴な後悔である。

 

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オランダ皇太子妃 歓談相手はOCE社長

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 私の目の前にオランダ皇太子妃   OCEのテーブル 

 その8年後の2013年4月30日、ウイレム・アレクサンダー皇太子は第7代オランダ国王として即位された。

 ウイレム国王は、2014年(平成26年)10月28日から10月31日まで日本を国賓訪問した。即位後、欧州域外の国家を公式訪問するのはこれが初めてであった。王太子時代の1988年(昭和63年)以降、通算で15回以上も来日されている。

 

ノブレス・オブリージュ

 欧州の王族が尊敬されるのは、ノブレス・オブリージュ(仏:noblesse oblige フランス語)として務めを果たしているからだ。ノブレス・オブリージュとは、直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、一般的に財産、権力、社会的地位の保持には義務が伴うことを指す。だから王族や貴族は、戦争になると真っ先に戦場の最前線で戦っている。貴族の戦死率は一番高い。だから尊敬されるのだ。

 

 A宮家、KK問題、KM問題で、国民が納得できないのは、果たすべき役目を果たさず、権利ばかり主張して贅沢三昧をしているためである。行動を観察して、それが尊敬できないレベルなら、ノブレス・オブリージュに反した行動であるのだ。高貴な人どころか下人のような振る舞いでは、国民に寄り添った皇族ではない。

 

 一国の首相にもノブレス・オブリージュが求められる。岸田首相は果たすべき決定もせず、最前線で弾に当たって死ぬのではなく、検討だけで死んでは(検討死)、恥さらしである。リーダの務めは決断をすることなのだ。決断のできないリーダは、首相失格である。

 

 市長や議員が、その地位でやるべきことを放棄して、利権ばかり追い求めれば、市民と遊離した存在となる。市長という立場にも、ノブレス・オブリージュが求められる。コロナ禍で市民が物価上昇で苦しんでいるのに、またゴミが16年前に比べて30%も減っているのに、ごみが増えていると大嘘をついて、ゴミ袋有料化を推進する大垣市長・石田仁、推進委員長の近沢正議員は、市民の敵である。

 

 自分が平民で高貴な身分でなくても、精神が高貴なら心の貴族である。そういう精神で、世のために過ごしたい。そうすれば下劣な番組や下劣なマスコミを避けることになるだろう。日本の精神レベルが上がるはずだ。

 精神が高貴でない皇族や岸田首相や大垣市長は、他山の石と思えばよいのだ。

 

  2022-10-23  久志能幾研究所通信 2522  小田泰仙

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2022年10月21日 (金)

108歳を目標(1/12) 総括

 

 先日、中学校卒業後46年目の「最後の同窓会案内」をもらった。「最後の同窓会」の言葉に反発を覚えた私は、108歳まで現役を目指すとのと決意を新たにした。いくら長生きしても寝たきり状態では意味がない。現役で社会に貢献してこそ長生きだ。

 生物学の理論的には、人間の寿命は120歳が限界のようだ。だから少し控えて108歳を目標とした。

 

 松下幸之助翁は120歳まで生きるのだと公言し、結果94歳で亡くなられた。松下幸之助翁は、若い頃は病弱で24歳まで生きられないだろうと医師から言われていた。それが94歳まで活躍されたのは、長く生きようと決意されたからだ。何事も決意をしないと実現しない。

 馬場恵峰先生は94歳直前まで、現役を続けられた。書家の藤田桃紅氏は107歳直前まで現役であった。

 私が108歳まで現役を続けられるかは、神仏やご先祖のご加護にもかかっている。何事も願わないと実現しない。棒ほど願って針ほどかなう。それでよい。強く願い、限りなくそれに近づくように精進を続ける。

 人は108の煩悩を持つ。その煩悩を年に一つずつ無くしていき、108歳で大往生したい。

 しかし人間社会は年功序列、先入れ先出しがトヨタ生産方式の原則で、長すぎる寿命は、社会に迷惑をかける。動けなくなったら静かにこの世を去ればよい。

その私の現在の取り組みを記す。

 

科学的な裏付けのある健康管理をする。

食事に最大限の注意を払う。

 良食生活(ジャンクフードを食べない)

 禁酒禁煙禁油禁揚禁糖禁リン禁粗禁座禁慢、ノーパン生活

運動を欠かさない。筋力を維持する。

睡眠を十分に。

健康とは体と心の健やかさ。心の栄養にも最大限の配慮する。

 ストレスを過度に受けない。

温かい部屋で過ごす。

体を冷やさない。

孤独は精神活動に良いが、孤立は精神的に危険

病気は神仏からの啓示。病気の真因を探してそれを潰す。

それより大事なことは、病気にならない生活をする。

対処療法の治療を受けない。

危機管理を重視。体の異変を早く検知。早めに手を打つ。

医師を盲信しない。医師以上の知識を持つ。

 現代の医者は部分最適、対処療法の治療しかしない。

 全体最適の治療、真因を無くす治療のを選択するのは自分の責任。

いつ死んでもいいように準備をしておく。

 何時か、その準備ができなくなる時が来る。だから早く準備をする。

 私は墓も作り、戒名も決め、墓誌に刻んだ。

一生かかっても叶わぬ大きな夢を持ち続ける。

断捨離をしない。

好奇心を無くさない。

体が動く限り現役を続ける。

社会に貢献できる活動をする。

アウトプットを継続する。

見送られるより、最後まで踏ん張って皆を見送ろう。この気概を持つ。

神仏ご先祖を崇拝し感謝する。

 

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 馬場恵峰書

2022-10-20  久志能幾研究所通信 2520  小田泰仙

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2022年10月19日 (水)

死亡予告通知、赤紙(招集令状)?

 

 先日、中学校を卒業後56年が経過したと、中学校同窓会の案内ハガキが届いた。そこに「同窓会は今回で最後の予定で……」とあり、愕然とした。要はこれから卒業生の皆さんも後期高齢者となり、死亡者が増加するので、今回が最後だという意味のようだ。

 今回の通知には、何か己の死亡を予告されたようで、嫌な気分となった。当然、私も相応の歳になったし、4年前にがんを患ったので、当然死は意識をしている。しかし、文書でそれを明言されるとイヤなものだ。

 何も今回が最後の同窓会だと言わなければよい。仲間が沢山生きていれば、同窓会を継続してやればよい。同窓会の案内なら、もっと長生きして、またやろうというメッセージを発信して欲しいものだ。

 

 5年前の同窓会では、私のクラスの仲間の2割が亡くなっていた。その五年後の同窓会では、どうなっているか、気がかりである。仲間の誰かに起こる「死」は、人ごとではない。

 

「誰かに起こることは、誰にでも起こるのだ」

       (セネカ著『マルキアへの慰め』)

 仲間の2割が既に亡くなったことは、明日は自分の番なのだ。

 

「若さによらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり」(徒然草)

 だからこそ、今ここ、日々を充実して、日々全力で生きていくしかない。後期高齢者になれば、いやどんな歳でも、人間である以上、いつ死んでもおかしくない。毎日がそれで人生が完結した日になる覚悟で生きていきたい。

 

天才でない凡人は長生きすることだ。 坂村真民

 自分は37兆個の細胞を経営する社長なのだ。各細胞、各組織の持てる能力を最大限に発揮させて、使命を全うして、来世に旅立ちたい。己の命の長さは、全ては己の経営手腕かかっている。 

 

よく働いた一日が安らかな眠りを誘うように、よく働いた人生には安らかな死が訪れる。   ゲーテ

 不節制(体の経営の失敗)をして早死にするから、生木を裂かれるような苦しみを味わう。使命を全うし、老いて枯れるように倒れれば、苦しまずに逝ける。それが理想である。私はその理想を思い描きながら仕事をして生きている。

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 馬場恵峰書

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2022-10-19  久志能幾研究所通信 2519  小田泰仙

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2022年10月 5日 (水)

よき色は 死にゆく匂い 明日は散る

いろはにほへとちりぬるを

 

 この世の色(体、時間、命、ご縁、地位)は、神仏からの一時的な預かりもの。この世のものは、何時かは死が訪れる。

 人生は夢のような儚いもの。その夢も何時かは終わる。だからこそ一生懸命に夢を現実のものにするため動いて、この世を去ろう。現実にならなくてもよい。その過程が人生なのだ。

 その夢を後進が受け継いでくれたら、最高の人生だ。

 

 どんなに華やかに咲き誇っても、どんなに独裁政治を続けて謳歌しても、それは20年も続かない。どんな独裁者も人である限り、何時かは老い、病み、死ぬ。人は生老病死である。毛沢東もスターリンも独裁者として君臨できたのは精々25年間である。非力な民衆は、嵐が来たら、じっと耐え忍ぶしかない。

 国がどんなに栄えても、それが100年続けば、衰退がはじまる。スペイン、オランダ、大英帝国の繁栄がそうだった。1000年続いたローマも何時かは衰退し、滅んだ。

 米国も繁栄が100年になり、これから衰退が始るだろう。

 1921年に生誕した中国共産党も2022年に100年を迎えた。独裁恐怖政治を続けた組織にもいつかは終りが来る。あのソ連も崩壊した。

 あんなに人気絶頂であった三遊亭円楽さんも先日、亡くなられた。

 この世の出来事(色)は空なのだ。その色がどんなに華やかでも、何時かは空になる。

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夏草や 強ものどもが 夢の跡  (芭蕉)

  夏くさや 強わものどもが ゆ免の阿杼  (万葉かな)

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 奥の細道 全集  馬場恵峰書

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 私も会社時代に、飛ぶ鳥を落とす勢いの上司に説教をされたことがある。その上司の時代も長くは続かなかった。私は当時、達観してその上司を見ていたが、保身のため外見は素直に聞いている振りはした。その上司が原因で多くの部下が辞めた。宮仕えとは忍耐することが智慧なのだ。

 一年上の先輩も私と同じ考えであったが、その上司に叱られている間、達観して平然としていたため、「君はオレがこんなに怒っているのに、どうしてそんな平気な顔をするのだ!」とまた怒られていた。当時は大変であったが、今思うとお笑いである。その上司も、後年、会社で女に手を出し、失脚した。

 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 (般若心経)

Form is nothing more than emptiness.Emptiness is nothing more than form.Form is exactly emptiness.And emptiness is exactly form.

この世における物質は、実態のないもの(空)であり、空ということは、物質(色)以外にはあり得ない。すなわち物質は実態のないものであり、実体のないものが物質である。

 

 空の中に生れた色を有効に使うのも、無為に使うのも全て己の人格レベルがなせること。国にも、組織にも人格がある。そのレベルで色のレベルが変わる。

 

神の目

 自分の後姿を神仏に変わり、子供、部下、市民、国民が見つめる。その家、組織、国、自治体の運命が変わる。私も「世間は、神の如くの評価をする」(松下幸之助翁)との言葉を実感する歳となった。

 

経済での己の役目

 自分の役割は、連綿と続くご先祖からのお宝を後世のつなぐ駅伝走者である。その走る区間が現代という時代である。全力でその区間を走り抜けよう。

 経済の「経」とは、連綿と続く縦糸と横に走る横糸を表した言葉である。縦糸はご先祖からの流れ、横糸は現代社会での己の経済活躍である。

 

頼まれ事というご縁

 色(ご縁)が付いたら、自分のため、家族の為、国の為、そのご縁を生かせ。そこに自分の人格が表れる。他人から何か頼まれるとは、神仏からの贈り物である。それは運勢が良くなってきた兆しなので、私は頼まれれば、笑顔で引き受けることにしている。

 頼んでもやってくれそうにない人には、誰も頼まない。信頼できない人にも頼まない。相手は己を信じてやってきた。それを断ったら、期待を「裏切る」ことになり、裏切り者になってしまう。裏切り者に幸運はやって来ない。人は誰でも一度でも断られれば、二度と頼みに行かない。

 そこには色もなく、匂いもなく、散った死の世界がある。

 

船の墓場

 運勢とは、気の流れである。その気の流れを遮れば、運勢は勢いをなくす。つまり風が無くなれば、運命の船は風を受けれず立ち往生である。風を受けられない帆船は、バルミューダ海域の船の墓場に海流で追いやられる。それは人生航路での孤独死の世界だ。

 運勢の実態は空であるが、その中を気の風が舞っている。

 

4k8a93811s 馬場恵峰書

 

2022-10-05  久志能幾研究所通信 2508  小田泰仙

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2022年9月30日 (金)

四住期を生きて、仙人期に生きる

 

時間の付加価値を上げる

 以下のことをやる時間は無駄な時間だ。人生は春夏秋冬、その季節にその時にあった時間を送ろう。そうでない時間は付加価値を生んでいない。無駄な作業を捨てることで、人生の付加価値を上げられる。

 人生の各時期で、有益な時間を過ごそう。人間は動物ではないのだ。成り行きで生きてはならない。

 

 インドの哲学では「四住期」という道標がある。「四住期」とは、人生を4つの舞台に分けて生きるという考え方である。第一期は「学生期」で、禁欲の学びの時期である。

 第二期は「家住期」で家庭を持ってバリバリと仕事をする時期である。

 第三期は「林住期」で、定年退職で仕事を離れて、今までやりたくてもできなかったことを自由にする時期である。多くの人はこれをやって人生を終わる。

 第4期は「遊行期」で、一切の欲望を捨てて、人の魂を救う聖人の道に入っていく人の時期である。それが仏陀であり、芭蕉や良寛さんであった。現代で言えばマザー・テレサである。

 

学生期

 学んでいない時間

 志を立てるために使っていない時間 

 知識が増えていない時間

 私は学ぶことを稼ぐことと割り切って、真面目に勉強して、特待生を獲得して、授業料を只にした。それがその後の人生を変えたと思う。多くの人を見ていると、やはり何事も最初が大事だと痛感する。

 

家住期 

 お金を直接稼いでいない時間

 組織(家庭が最小単位織)のために、意思決定に使ってない時間

 経験という財産が増えていない時間

 

 私はこの時期、仕事人間、ワークホリックで過ごした。

 しかしこの時期から日本の労働組合は、遊ぶ権利、休む権利を強要するようになった。しかし休む権利があるなら、働く権利もある。遊びたい人は遊べばよい、働きた人は働けばよい。それがある時期、強制的に休まされ、残業を制限された。働くのは、悪い考えだと非難された。別にカネのために働いているのではない。やりがいで仕事をしているのだ。おかしな時代になったと思っていたら、高度成長期から、大失速である。日本に人が働かないのだから、宇宙根源の理に照らして当然だ。反日勢力の陰謀である。

 

林住期 

 自分が楽しめない時間

  なんの為に今まで必死に働いてきたのか。

  今まで稼いだお金を使って、世に還元する。

  お金が回れば、社会が潤う。

  多くの老人が、大金を抱え込んだままなので、景気が回復しない。

  老人があと5%余分に消費をすれば、景気は回復する。

  それは世のために恩返しをしていない時間である。

  人生の借金は社会に返して来世に逝こう。

  死んだ後に床下から数千万円の札束が出てくるのは恥である。

  その人は金を稼ぐ能力はあっても、使う能力がなかったのだ。

  カネを稼ぐより、使うのが難しいのだ。

  大金を残せば、子孫が堕落する。それは道徳を破壊する犯罪だ。

 

遊行期(仙人期)

 それは全てのしがらみから抜け出し、仙人のような生活を送る時期 

 魂の向上のために費やしていない時間

  動物の境界を人間界に、そして佛さまの境地に高めよう。

 今まで培った智慧を世のために使っていない時間

  知識レベルを智慧レベルに上げないと記憶の機械と同じ

 お荷物を整理整頓せず、抱え込む時間

  断捨離は、やってはならない。それは自分の歴史を捨てる事。

  捨てるべきはシガラミである。

  しがらみはお荷物で、それを整理整頓すべき。

  この世に残せば遺族が迷惑する。

  人生の半分は整理整頓の時間に費やすべき。

  日頃から整理整頓清潔清掃である。

  それはどの期でも必須の仕事である。

  整理整頓清潔は仕事ではないが、義務である。

  遊行期こそ、人生最期の整理整頓をする時間。

 

  私は持てる108の煩悩を整理整頓してから逝こうと思う。だから今1年に1煩悩の整理廃却をしているため、108歳まで生きねばならぬ(笑)。健康に気を使っていない時間こそ、最大の無駄時間である。人生の元手は自分の体である。体がダメになれば、全てが終わる。

 

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 馬場恵峰書

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2022-09-29  久志能幾研究所通信 2504  小田泰仙

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2022年9月29日 (木)

善は急げ 2年ぶりの墓参り

 

 今日(2022年9月28日)、2年ぶりに墓参りに彦根に行ってきた。昨年は、コロナ禍でとても出かけられなかった。また昨年は私の体力的にも厳しい状況であった。がんの手術後2年目で、体調が不安定であった。

 少し涼しくなり、状況も少し好転したので、お墓参りに出かけた。

 

写経奉納

 その時、今まで書き溜めた写経を約30枚持参した。それを菩提寺に奉納した。これは今まで一日2行ずつ写経してきた分である。1枚の写経をすると約1時間かかり、とても毎日は続かない。馬場恵峰先生は、一日2行で良いから写経を続けると良いと言われたので、それを実行している。それが今まで約30枚溜まっていた。馬場恵峰先生は、写経こそが御先祖への一番の供養だと言われた。

 

お墓の経緯

 このお墓は7年前の2015年に建てた。たまたま、親戚である京都の尼寺で住職であった叔母が亡くなり、その家が絶家になってしまった。それでその家のお墓の面倒は誰が見るかで問題となり、私がそのお守りをする事を申し出て、私が自家のお墓を改建する過程で、3家のお墓を統合する話となった。それで、6基のお墓を統合して3基のお墓に改建した。

 

 7年経った今では、このお墓を建てることは、物理的、金銭的、精神的、体力的にも、とてもじゃないが出来ない状態だ。良い時に決断をして、立派なお墓を建てて良かったと、今回墓参りをして、しみじみと思った。

 

 当時、馬場恵峰先生も健在でお墓の字を揮毫して頂けた。お墓開眼法要にも、馬場恵峰先生ご夫妻に、九州からわざわざ参列して頂けた。しかしその先生も、奥さまの三根子先生もその4年後には亡くなられた。

 

 当時、たまたま金銭的にも余裕があり、レクサス以上の価格になった墓費用を都合できた。今は癌闘病生活での出費と別宅事務所を購入したため、すっからかんで、今ならこのお墓は作れない。

 

 当時は精神的にも体力的にも元気で走り回っていた。お墓の字の揮毫で九州まで飛んで、先生にお願いできた。その後、がんを患い、すっかり体力がなくなり、とてもそんな大プロジェクトを実行できない状態だ。

 

 またこの原石を中国で加工して、輸入したが、現在はそれも経済、政治的に叶わない。そのお墓の石自体が中国から入手できない。またそれを加工する職人もいないそうだ。中国でも、職場環境が厳しい石職人には成手がないそうだ。日本と同じである。豊かになった中国の若者も、3K職場の石職人は避けるそうだ。

 

善は急げ

 お墓などは、作ろうと思っても作れるものではない。作れる時と作れるご縁が無いと作れない。これは自分の力だけではない。見えざる力が働いたとしか思えない。何ごとも、やれるときにやらないと永遠にできない。それを先人は、「善は急げ」と言ったのだろう。今日、住職様と雑談をしていて、本件を住職様は「善は急げ」で良かったと表現された。

 当時、私はトヨタの石田退三氏が言う「悪いことに使うのでなければ、カネは何とかなる」という言葉を信じて、お墓を建てた、それが「善は急げ」なのだ。

 

 このお墓を建てられたのは、人知を超えた働きがあったと感じている。お墓に向かい手を合わせ、その見えないものに畏敬を感謝の気持ちで手を合わせた。

今私が此の世に存在するのも、ご先祖様があってのこと。晩年の松下幸之助翁は「感謝と畏れを忘れるな」とよく言ったという。お墓を前にそれを思い出した。

 

墓地の惨状

 お墓参りをして、回りのお墓を見ても、墓参りに来ている人は皆無であった。いつもなら数人は必ず姿をみかけたのだが。またお墓の前に、お花も供えられていない。皆さんはコロナ禍で墓参りにも来ていないようだ。

 帰りにお土産を買うため、近くの「たねや」に寄ったが、店内は閑散としていた。以前のお店は、お客が溢れているのと様変わりである。2階の食事場所も閉鎖である。以前は10名ほどの店員が忙しくしていたのに、今日は3名しかおらず、コロナ禍に襲われた菓子店の惨状を目のあたりにした。

 政府ののろまな対策に怒り心頭である。またこの国民の災難の時、それにかこつけて強欲な金儲けに走る輩にも怒り心頭である。

 

2022-09-28  久志能幾研究所通信 2503  小田泰仙

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2022年9月24日 (土)

豊田章一郎の座有銘 天地人知仁勇

 

天地人知仁勇

企業にとって 天の時、

地の利、人の和を働かせ、

知恵を働かせ、

社会に対する人徳を持ち、

挑戦する勇気を忘れないことが重要である。

   豊田章一郎

 

 喜一郎はよく「天地人知仁」といっていた。企業にとって大切な要素がそれらだということです。タイミングがよくないといけない、場所もよくないといけない、それから人の和ですね。知は「知恵」、仁は「思いやり」。私流の解釈ですが、私はそれに「勇気」の勇をつけて「天地人知仁勇」を座右の銘にしております。

   豊田章一郎

 

豊田章一郞(1925年生まれ):彼は1981年にトヨタ自動車販売株式会社代表取締役社長(第4代)兼トヨタ自動車工業株式会社取締役に就任した。翌1982年、トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の合併に誕生したトヨタ自動車株式会社の初代代表取締役社長に就任した。

 豊田章一郞は、娘婿の藤本進が大蔵省の駐在員として出向していたことから、マニラで奥田碩と知り合う。以後、交流を深め、奥田改革の後ろ盾となり、豊田本家としてグループ全体の求心力の役割も果たした。

この項、Wikipeda[豊田章一郎]より

 

 2000年頃、その奥田改革が昔の動かざるド田舎のトヨタを、世界のトヨタに変えた。その改革の影響が私の前職の会社にも及び、私も業務改革に取り組むことになった。それで自分の人生も変わった。

 

言葉とのご縁

 いい言葉との出会いが、行動に勇気を与え、人生を変える。

 私は、自分人生有限会社の社長として、何か決断する時、この言葉を思い出す。

 何か小さなご縁があり、小さな決断をせねばならない時、それは天の時か、地の利があるか、人の和を期待できるかを考え、知恵を出せば解決できると見通しがあれば、GOの決断をしている。その決断が社会に対する人徳の行動で、自分を成長させる機会であれば、勇気を持って決断をしてきた。

 

事務所購入の決断

 2年前に別宅を事務所として買った時も、朝、物件をたまたま見つけて、夕方には買う意思を不動産会社に連絡した。これは我が人生で時間当たりの価格が、数百万円になり、私の人生最大の買い物であった。

 時間当たり価格=[価格]÷[買う決断までの時間]

 

 その時も、この10年間、土地と家屋をさがしていた時に出会った不動産だ。それも前職の定年延長を拒否して大垣に帰郷しなければ出会えなかったご縁である。この10年間、不動産を探し続けなければ出会えなかったご縁だ。今の自宅からも近く、買う決断にあたり、知人からの情報も得られた。

 カネは知恵を絞ってかき集めた。年金暮らしの古希では、ローンを組めないので、現金を用意しなければならぬ。泣く泣く「金遣いの荒い?2号さん(LS)」とも別れた。この物件は事務所として使えるので、社会に対する御恩返しもできる。まさか古希を超えて家を買うとは想定外であった。この歳で家を買うには勇気がいるのだ。

 それも今まで少し大きな決断を何回もしてきた「訓練」の成果なのだ。人生経営とは、決断と失敗を繰り返さないと向上しない。だれでも最初から名経営者ではない。多くの失敗をして、人生の名経営者になるのだ。

 

2022-09-24  久志能幾研究所通信 2500  小田泰仙

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