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2020年9月21日 (月)

心の垢を落とそう

 人が活動すれば汗をかく。人は毎日、お風呂でその汚れを落とす。動かなくても生きていれば、体に垢も溜まる。お風呂で、たわしで、タオルで、石鹸で、その垢を落とす。それが清潔な人間としての身だしなみの生活である。しかし心に溜まった垢を落とす人は少ない。

 人として生きていれば、欲があり、他人と衝突して、怒りが起きる。その怒りが心を垢で汚す。心に邪念が起きると、素直な心に垢がつく。

 素直な心で、感謝して生きれば、心に垢は溜まらない。それが幸せの基である。その呪文が「ありがとう」である。

人は使命を持って生まれてくる。最大の使命が、この世で、最低一人の人間を幸せにする責務がある。その最初の一人が己である。それを期待してご先祖は、己をこの世に遣わした。

 

3大排泄

 人は動物として、皮膚からの排泄(汗、垢)、腸からの排泄(便)がある。それに対して、人間は霊長類として、心があるから、3つ目の排泄として、心の浄化が必用である。その排泄をやらないから、畜生の欲望だけの、堕落した存在から脱却できない。

 動物ではない人間は、一生かけて魂を浄化するのが、人間が人間たる責務である。

 

心を汚す「欲」

 人は成長するごとに、色んな欲が増えてくる。生存欲、食欲は勿論、青年になり色気づくと女が欲しくなり、金が出来ると更に二号さんまで欲しくなる。それは限度がない。

 欲とは、「谷」底に突き落とされても、「欠」けないと書いて、「欲」である。生きている限り欲は無くならない。生存欲が無くなれば、死んでしまう。だから人間として、生きていくために良い欲を持つべきだ。認知症になれば、それがなくなるから、それは脳死である。

 金も集めれば集めるほど、限度が無くなり、守銭奴・餓鬼道への道をまっしぐらである。幸いに、多くの人はそれほど能力がないので、自然と世間からその限度を思い知らされて、諦める。まともに働けば、大金は手にできない。過剰な金には強欲の汚れが付いて回る。

 権利欲・名誉欲も一度手に入れた利権、権力の座は、決して手放さない強欲に包まれる。その欲からはどす黒い垢が生まれる。

 

人は死ぬ

 多くの汚濁にまみれた金満家、色欲魔、権力欲魔の人間に、忘れていることがある。人を何時かは死ぬのだ。金も地位も女もあの世には持って行けない。人は裸で生まれて、裸で死んでいく。無垢な赤ん坊で生まれて、汚濁に満ちた人生を歩み、痴呆の老人になって、垢まみれで死んでいく。痴呆になったとき、その垢も消える。

 

旅立ち

 私は痴呆症になって、人に笑われて心の垢が火葬場で焼かれるよりも、最期まで正常な意識で、心の垢を落として、旅たちたいと思う。

 長く生きると、ものも増え、しがらみも増え、心のわだかまりも増える。それは、人生の山を下山する時は、全て不要なモノだ。死ぬ前に少しずつ、それを捨てていくのが、人間としての心の浄化である。

 たまには心を空にし、広い場所で、高い場所で、清楚な神社で、静かなお寺で、自分を見直すのも良き心の掃除である。私は飛行場で飛行機の離着陸を眺めていると、俗世間の憂さを忘れて心が清らかになる。それも俗世間からの旅立ちである。

 

心の富者の家

 金持ちの家は、不要なモノがなく、すっきりしている。貧乏人の家はモノだらけで混沌としている。それでは幸せとは言えない。心の豊かな人は、心のしがらみもこだわりも少なく、幸せである。心の金持ちを目指そう。

 それが出来ないのは、比較3原則(非核三原則?)で、他人と比較し、過去の自分と比較し、親と比較して、欲を出して人モノかねを集めるからだ。それは自分の心の惨めさの表れである。心に綺麗な人は、ものに拘らない。

 

非欠惨原則

 仏教の3つの教えの一つは、他人との比較を禁じている。他と比較すれば、必ず優越感や劣等感を抱き、それが心の汚れの原因となる。それが自分を苦しめ、自分で自分を無くしてしまう。所詮、死ぬ時には意味のない比較3原則である。何時か、必ず死ぬ身には、その比較は大したことではない。人は裸で生まれて、裸で死んでいく。

 

そうは言っても

 そうは言っても、私はまだ成仏も悟りもしていないので、人間として欲望のオンパレードである。私は聖人君主ではない。その欲が無くなれば生きている意味がない。私はまだ金も女もモノも名誉も欲しい。美味いものも食べたい。修行中の身として、今はその整理途中ではある。

 人に説法するのと、現実の自分の行動とは別である。私も人間だもの、理想に燃え、理想を語っても、その実行は難しい。それが出来ていれば、今頃は仙人である。だから、私は死ぬまでが修行として、夜間飛行を続けている。夜間飛行でも、北極星の方向が分かれば、目的地を見失う心配はない。そうやって心の垢の汚れを落とすこと心がけている。

 

角熟

 私は円熟でなく、角熟、欠く熟、書く熟を目指している。人間として欠点を持ったまま、人格を熟するのだ。そうすれば、欠点が人間味となる。人は神、如来の完璧さを求めては、人でなくなる。「人でなし」である。菩薩とは、仏道を修行する仏様の姿である。

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  馬場恵峰書

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2020-09-20 久志能幾研究所通信 1756  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月15日 (火)

磨墨知401. 尖った「絵の具」を増やそう

 人生のキャンパスに絵を描くため、自分が使える「絵の具」の種類を増せば、時間効率とその出来栄えの深みが増す。絵の具とは、自分の才能、努力、資源である。それプラスが、好きこそモノの上手なれである。それに対するコダワリの深さである。私はそれをオダワリと称している。

 私は今まで多くの趣味に手を出して楽しんできた。それも深追いである。それこそが自分の「絵の具」を増やすことだ。人並みの「絵の具」では、人並みの成果しか出ない。私は仕事と趣味にこだわりを持ち、本業に精進できて幸せである。人生で、会社と家の往復だけで、金儲けだけに過ごした日々だけは、つまらない。

 

労働基準法に反旗

 私はもっと働きたいのに、2000年ごろから社会問題となって過労死防止、労働基準法順守とかで、会社は働きたくても働かせてくれなかった。休む権利があるなら、働く権利もあるはずだ。おカネの問題ではないのだ。日本中で定時になったら「早く帰れ」と大合唱である。労働と仕事を区別できない労使が私の邪魔をした。労働とは頭を真っ白にして肉体を酷使して成果を作ること。だから現場の労働は、厳密に労働時間管理が必要である。

 しかし研究等の仕事は、労働基準法とは別なのだ。頭を使って創造物を造るのは、奴隷労働とは違うのだ。だから創造性ある仕事はすればするほど、面白い。時間の経つのを忘れさせる。それを制限するのはおかしい。

 その仕事の疲れをいやすため別分野の没頭が、本業を更に輝かせてくれる。私にはそれが飛行機の写真撮影や模型製作、音楽演奏、演奏撮影、美術館巡り、読書、エッセイ作成であった。ODAのオダワリのこだわりは半端ではないと自負している。

 

宝物の言葉のお返し

 ミシガ大学でのテクニカルライティングセミナーの体験記をまとめた『ミシガ大学セミナー体験記』(1994年)を関係者に回覧したら、K君からの感想文で(1999年頃)、宝物の言葉をお返しにもらった。下記はその返信文。

 

 私が子供のころに先生から教わって、いまだに頭に残っているという教えが、「絵の具をけちけち使っていては、良い絵は描けない」です。それを「社会人として実践するには、絵の具(時間と労力は知力)を出来る限り注ぎ込むことと解釈し、これまで頑張ってきました。しかし、この様なやり方はただ自分をすり減らすだけで、“良い絵”を描くことにはなっていなかったと今は感じています。

 “絵の具”をたくさん出せるように、自分をキープする大切さ(=自己啓発)を思い出させてくれる大きなきっかけを『ミシガン大学体験記』から感じることができ、大変ありがたく思っています。」

 

「絵の具」

 「絵の具」の話は、初めて聞いた「いい言葉」である。絵の具はふんだんに使ってこそいい絵が描けるはずだ。今は「なにもそこまでしなくても」と言われるくらいやらないと、「お客様」に感動してもらえない。お客様が「そこまでしてくれるか」のと涙を流さんばかりに喜んでくれるまでやるのがプロだ。そのためには絵の具を使うのに躊躇してはならぬ。絵の具は多量に、かつ多種を使うべきだ。仕事をやっていく上で、我々の後工程、回りの人は全てお客様と認識すれば、自ずとやるべきことは明白になる。

 

誰にも負けない「絵の具」

 さらに大事なことは、だれも持っていない絵の具を手に入れること。それも尖った絵の具である。それを使って誰にも描けなかった人生絵を描くこと。既製品の絵の具では、並みの人生絵しか描けない。

 

固まった絵の具

 既製品の絵の具でもいいから、頭を使った絵の具の使い方をしなくてはならない。いくら体の汗をかいて頑張っても、頭を使わなかったため、定年後、終わった人になる悲劇がある。その後が認知症である。絵の具を使わないから、持てる絵の具が固まって、チューブから出てこないのだ。その悲劇が頻繁に新聞紙上を賑わすようになった。

 

固まらない絵の具

 私の絵の具の特徴は、長期間かたまらないこと。50年たっても私のその趣味に対する情熱は変わらず、固まらない。私には他に自慢する能力は無いが、この継続性だけは人に自慢できる。

 

教育に金の糸目を付けない

 何処にもない尖った「絵の具」を入手するためには、私は「教育投資には金の糸目をつけない」である。私は昔、本屋、新聞等で目についた本やテープ等を見境なく買いまくっていた。結果として、月に本代を4~5万円使っていた。その20年後の結果が4トンの蔵書である。そのままでは床が抜けるので、床を補強して書庫を造る羽目になった。この蔵書が、私の「絵の具」の一つである。

 K君は、「絵の具」を「時間と労力と知力」と定義したが、これを私は、人生キャッシュフローと定義する。いかに自分の成長のために、お金を使うかだ。

 お金で幸福は買えないが、不幸を避ける段取りと知恵はお金で入手できる。その知恵の集大成が「本」である。なぜなら、本には著者の「時間と労力と知力」が主役されている。その本の内容を自ら手に入れようとすると膨大な時間と人工がかかる。それがたった千円前後で入手可能なのだ。だから、その点で自著『ミシガ大学セミナー体験記』にも、付加価値が高いと自負している。それをT君の感想文で再確認できた。

 

 人生を豊かにする道具は、尖った絵の具である。

 

2020-09-15 久志能幾研究所 1751 小田泰仙 

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月14日 (月)

磨墨知590-3. 何を置いて逝くのか(改定)

老いて、追いて、負うて、於いて、擱いて、

 人間は一生をかけて(80年×365日=29,200日)、何を現世に置いてあの世に旅たつのか。自分は何をおいていくか、自問しよう。

 土から生まれた肉体は、いつかは土に帰る。土でできた肉体は大きな器である。最初は小さな器も、学びで大きくなる。その器に何を入れて昇華させるのか。それが人間の生き様であり、成果である。それが時間の創造である。

 かけた時間に相応して、人生が決まり、昇華する価値が決まる。人は何にお金を使い、何に時間を使い、誰に出会い、何を志したか、何時の時代に、何処で生きたかで、人生が決まる。人生は決して夢幻ではないのだ。

 

何を追うのか?

 己が生きた証を後進が継いでくれる。そのために、生前に何を追うのか?

何を追うて死ぬのか?

 河村義子先生は、大垣に音楽の文化を根付かせようと音楽に命を捧げた。その精霊の魂を後進が受け継いでいる。

 

何を負うていくのか?

 人は重荷を背負って長い坂を登っている。人生で何を背負っていく決意があるのか? それは途中で逝っても悔いのない重荷なのか? その覚悟が曖昧だから、人生が曖昧になる。

 私の枕もとの壁に、徳川家康公の家康遺訓の軸を掲げている。目覚めと就寝時に、嫌でも目に入り読んでいる。

 

 人の一生は重き荷を背負って遠き道を行くが如し。(家康遺訓)

 

何を擱いていくのか?(おいて  例:箸を擱く)

 自分にとって、人生で一番大事なことは何か? 死とは、それを擱いて逝くのだ。それは何かを認識して、死の直前まで、それを擱かずに全力投球しよう。私は死んだらペンを擱く。

 

何に於いてなら死ねるのか?

 人は金のためには死ねないが、義のためなら死ねる。何の義に於いて、この世を生きるのか。

 

 やることをやり切れば、後は野となれ山となれ、でよい。それが言えれば、良き人生であったと、安らかに永眠できるだろう。

 昨年、癌を患い、この項が頭にこびりついて離れない。それで以前(2018年10月26日)に公開した内容を改定した。

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人生ホテルのチェックアウト

 人は人生ホテルに、裸でチェックインして、裸でチェックアウトする。どんな立派なホテルに泊まっても、いつかはチェックアウトしなければならぬ。それも自分の意思ではなく、ある日突然に追い出される。その時、身につけるのは経帷子のみ。その時、己は此の世に何を置いて逝くのか。それを意識して生きよう。

S   馬場恵峰書

2018-10-26   初稿

2020-09-13 改定 久志能幾研究所 1750  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月13日 (日)

キャッシュフローで人生が決まる

 人生経営の基本原則は、キャッシュベースの経営にある。

 「私の会計学の基本原則は『キャッシュベースの経営』にあります。会計の原則である『キャッシュ』に着目して経営判断を行う。」(稲盛和夫氏談 週刊ダイヤモンド 2018/03/03号)

 

企業の場合

フリーキャッシュフロー=【営業キャッシュフロー】+【投資キャッシュフロー】

FCF=営業CF+投資CF

 

フリーキャッシュフローとは、借入金返済、株主への配当、蓄えに回すなど企業の意思で使い道を決められる。これが企業価値を決定する。

営業キャッシュフローとは、本業で稼いだおカネ

投資キャッシュフローとは、工場建設や株式の購入、貸付などが該当する。

 

 企業に当てはめると、トヨタ自動車は高収益企業なので、営業CFは常時トップに位置する。投資CFがゼロなら、高キャシュフローの超優良企業である。

 しかしトヨタ自動車は、多額の設備投資をしているため、FCFが大幅なマイナスになってしまう。しかし10年後の今は、トヨタ自動車は、世界の自動車メーカの中で勝ち組になっている。

 

 いくら調子に乗って稼いで豪遊しても、自社や自分の将来への投資をしなければ、ジリ貧である。

 なるべく楽をして稼いで、楽しく過ごそうが、グローバル経済主義者の本音である。だからグローバル経済主義経営者は、投資をせず(投資CFを最小に)、いかにも儲かっているかのように決算書を粉飾する。

 カルロス・ゴーンはリバイバルプランで、資産を切り売りし、将来の投資を削り、人を削り、系列を削り、如何にも日産が儲かったかのように見せていた。そのツケが今回の日産の経営危機である。

 

人生の場合

【人生フリーキャッシュフロー】=

           【可処分所得】+【投資キャッシュフローの絶対額】

人生FCF=営業CF+投資CF

 

人生フリーキャッシュフローとは、借入金返済、投資、蓄えに回すなど個人の意思で使い道を決められる。これが人生の価値を決定する。

可処分所得とは、生活費を除いて稼いだおカネ。

投資キャッシュフローとは、自己投資、教育投資、ご縁投資に該当する。

 

 どれだけ自分へ投資しているかで、人生が決まる。それを表す指標が、「人生FCF」である。これは多いほど良い。人生キャッシュフローでは、企業系と違い、投資キャッシュフローは絶対値換算で、営業キャッシュフローとの和である。

 それは教育だけではなく、食事にかけるお金も、自分の体への投資となって、健康に長く働く資本となる。食事をケチッて体を傷めれば本末転倒である。体こそが、お金を稼ぐ資本なのだ。

 ご縁にかけるお金も将来への運命投資である。金を貯めるだけの人生では、ジリ貧である。大金が貯まって、ふと回りを見渡すと人は遠ざかっていては、悲劇である。人こそが、自分の人生に幸せを運んでくれる。

 

2020-09-13 久志能幾研究所通信 1749  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月12日 (土)

余命宣告で終活。断捨離なし。モノを買いまくる

 私は2019年初の癌手術後、医師から余命宣告を受けた。だから死後の後始末の段取りだけはしたが、断捨離は止めた。それどころか、欲しいものを買いまくり始めた。

 とどめが第二の家であった。2019年初の癌手術後に余命宣告をされて、年末に、今の自宅より大きな家を買った。それも朝に物件を見つけて、夜に買うことを不動産屋に連絡した。我ながら呆れたが、後悔はしていない。友人は呆れ果てているが、よくぞ決断したと、自分で自分を褒めてあげたい。 

 家の購入を決めるまでの単位時間当たりの購入金額は、過去最大であった。時間がないのだ。残された時間は、後38年間しか(?)ないのだ。私は医師の言う余命時間などを信じてはいない。オダエモンの教祖として、生き延びる手段を万全にして生きている。それでも買うなら死ぬまでに買わねばならぬ。死の直前では、買いたくても体力も時間も無くなるのだ。モノを買うにも体力がいる。認知症になればオシャカである。

 

子孫に美田を残さず

 金を残しても、使い切れなかった悔いだけが残る。子孫に残すと、子孫が逆に不幸になる。下手に残しても、国のお役人の贅沢に消えるだけだ。それなら自分で使ってしまえ。

 

断捨離に思う

 もう年だからと、身辺整理で断捨離をする人の気がしれない。断捨離をするとは、大事な想い出を捨てること。想い出こそが人生なのだ。記憶こそが人生である。認知症になれば、記憶がなくなり、それが脳死であり、人の死である。自分の人生でやったことだけが記憶であり、人生なのだ。

 領収書一枚にも、大事な想い出がある。その品物を買うために、どれだけ苦労をしたかが自分の歴史である。それを見ると、当時の四苦八苦が思い出される。その足跡が、自分の歩いた道なのだ。だから私は主な領収書は50年前のものでもほとんど残している。

 最近、保管資料を見直したら、大学生当時、両親に買ってもらった武藤のドラフターの領収書を発見した。当時、T定規で製図をしていたが、それがトラック式のドラフターになって、嬉しかったことが思い出された。両親は、学業にためなら、金を惜しまず買ってくれた。当時の父の給与明細書を見ると、無理して買ってくれたことが分かる。今更ながら、仏壇の前で親に手を合わす。

 

人生の走馬灯

 ましてや、当時の写真こそが人生の走馬灯の映像である。つい最近、1966年代から2000年までのフィルム約100本をカメラ屋でデジタル化した。その費用が約10万円である。自宅にフィルムスキャナーはあるが、時間がもったいないのでカメラ屋に頼んだ。その費用が高いとは思わない。お宝が生まれたのだ。

 2000年以降は、デジタルカメラに変わったので、写真データはHDにアーカイブとして保管してある。しかしそれ以前の写真は、フィルムと印画紙しかない。それを断捨離で捨てるなどトンデモない。その記録をデジタル化して、整理編集して、それを見直して検索できるようにした。それを人生の反省記録としてまとめた。それからエッセイを書き、このブログで紹介している。

 

航跡が消える時

 想い出を捨てることは、死ぬことだ。想い出が空になれば後は死ぬしかない。人生航路で、自分のやった足跡が航跡である。船が進んでその後に残る波の乱れが、生きた証である。その波もいつかは消える。せめて生きている間は、その航跡を保管したいと思う。

 

定年の挨拶を念頭において仕事をした

 「何事もなく大過なく無事にすごせた」と定年の挨拶で済ませるのは、サラリーマン生活を生きたのではなく、生き永らえたのだ。仕事をすれば、あちこち衝突して波乱万丈の結果となるのだ。私は若い頃から、この挨拶だけはせず、定年を迎えようと思っていた。私が定年になり、それの思いは成し遂げられたと自負している。だから、その記録は捨てるわけにはいかない。

 私はその想い出を糧に、これからの生きる命にしている。今までの経験を使って、もっと波風を立て、多くの深い経験を死ぬまでやり続けたいと思う。それを後世に記録に残したいと思う。

 

断捨離は後の人任せ

 断捨離は、私の死後、後の人がやればよい。捨てるだけなら、子孫か業者が簡単にやってくれる。人生の残り時間が少ないのに、そんなことに時間をかけるのは、愚かである。死ぬ直前まで、自分の歴史を刻むべきだ。死ぬ直前まで現役なのだ。断捨離は死後のことでよい。後は野となれ山となれでよい。

 

両親の記録

 私の両親は断捨離などせず、旅立った。私は、後の残った遺品の整理で、両親の歩んだ道をたどった。そこに両親の私に対する愛情を感じて、遺品を整理していると手が止る。

 父は記録魔で、何かあるとメモで記録が残してあった。父の手紙類は全てクリアファイルに時系列で収納した。

 母は昔かたぎで、捨てるのが嫌い、勿体ないで全て残して旅立った。それを捨てるのが子ども役目である。その遺品整理で母の歴史と苦労が分かった。それが断捨離で何も残っていないなどでは、子供には残酷だと思う。

 私は断捨離に反対である。断捨離とは、終わった人の生前火葬である。

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 馬場恵峰書

 

2020-09-12 久志能幾研究所通信 1747  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月11日 (金)

あなたの目的は何?

 「人間はモチベーションで方向が決まる。お金が目的なら、それが達成できればそこで止まる。名声も同じだ。私の目的はゴルフなんだよ。」

  プロゴルファー 中嶋常幸  (PRESIDENT 2003.3.17 P17)

 

 「首位打者を目標にしていたら、どっかで挫折していたでしょう。

 “あれをやっておけばよかった”ということがないようにすることです」

     イチロー選手  2007年

 

 大垣市長の小川敏の目的は、大垣市長になる事だけであったようだ。現在の状況から判断すると、彼には大垣市民のため、何かを成し遂げようという志はなかった。だからそこで成長が止まった。そんな男が19年間も大垣市に君臨したので、大垣市民に不幸をもたらした。

 

感動と理動

 小川敏は頭だけを動かして大垣市を経営したから、市民の心を動かす政治が出来なかった。心が動けば、頭も動くのだ。そうすれば市民が喜ぶ政治ができたはずである。

 人は「感動」しても、「理動」はしない。今まで日本では、記憶力だけが優れていた人が評価される時代が続いた。50年前の記憶力だけの試験成績が良かっただけの輩が評価され、政治経済の舵を取った。俗に頭がいいいわれる人は、先例を重視して、新しいことは避ける傾向にある。だから日本の成長が止まり、大垣は没落した。「理」だけで考えるから、理性以上の考えに及ばないのだ。創造性が欠如しているのだ。理性とは理性でしか物事を考えられない偏った能力である。

 だから一流企業でトップの不祥事が続く。超一流大学出の人がオウム真理教に騙されて、絞首台に上った。金だけで物事を考えたから、日産でカルロス・ゴーンの事件が起きた。東大出ではない前市長・小倉満時代は、大垣は輝いていた。その後、東大出だけで評価された小川敏が大垣市を支配したから、大垣が没落した。理性だけでは、発想に限界があるのだ。それが現代日本の成長を阻害する病巣である。

 

私の夢

 だからこそ、自分は小川敏を反面教師として、一生かけても実現できないような夢を見ている。理屈で考えれば、アホかいなという大きな夢を見ている。

 夢を見るなら10倍大きくして、夢を見るようにしている。トヨタ自動車の大野耐一氏の教えである。簡単に実現できないから、自分は一生自己挑戦して成長できる。それが自分の成長戦略である。

 夢を見るなら利己ではなく、利他の夢を見よう。夢が実現したら、多くの人が喜ぶ夢を見よう。きっと神仏が助けてくれる。

 私の夢は、自宅にミニコンサートができる音楽ホールを造る事。そこで海外の音楽家達が、リハーサル、練習できる場所を提供することだ。現在、そういう場所がなく、音楽家が困っている。いくら練習と言っても大きなホールを借りれば、一日30万円の賃料が必用となる。

 

ブログの目的

 私のブログは、読んで少しでも生き方、人生を考える糧となり、何度でも読み返したくなる内容を書くように心がけている。自分の生き方の自省として書いている。私には書くことは生きることなのだ。そうしないと毎日欠かさず3年間も続けられない。 Img_5727s

 初めて馬場恵峰先生宅を訪問した時、お土産で頂いた書。

 2011年4月2日入手。東日本大震災直後で、その日にちを忘れない。

 

2020-09-11 久志能幾研究所通信 1745  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月10日 (木)

私の成長戦略、小川敏の大垣没落作戦が鏡

敵を知り己を知れば百戦危うからず(孫子)

 

私は自分人生会社の成長戦略を立てて経営してきた。

大垣市長は、大垣の成長戦略の物語を作らねばならぬ。

 

大垣市没落の主原因の5つは、小川敏が

 19年間の長期独裁政治、無為無策無能政治を行使、

 トップとして人格を向上させず、破廉恥言動ばかり、

 ダイバーシティ無視を行使、

 教育を軽視、

 士農工商の封建社会体制で支配、である。

 

トップの人格

 組織はトップの人格以上には成長しない。魚は頭から腐る。

 自分の成長は自分の人格の成長次第である。自分は人格を成長させる学びを人以上にしているだろうか。自問したい。

 自分が中小企業の社長として、反省すべきことはないか。

 

大垣市長の長期政権

 長期政権で、腐敗をしなかった歴史の事例はない。長期政権は必ず腐敗する。その政治の元では、都市は衰退する。大垣が衰退したので、小川敏市政は腐敗していると推定される。

 

目的の欠如

 自分は何の目的で、自分という人生を経営しているのか?

 いま取り組んでいることは、目的が明確か?

 手段と目的を混同していないか?

 何のために酒を飲むのか。

 何のために魚を釣るのか。

 何のために女を漁るのか。

 何のために金を儲けるのか。

 

小川敏は何の目的で市長になったのか。

 大垣市長が市を経営する目的が明確でないから、迷走する。だから19年間、ずっと没落を続けた。小川敏はどういう大垣にしたいのだ? 大垣憲章も寝とぼけた文章で、憲章の体をなしていない。

 何のために市長の座にしがみ付くのか。

 手段と目的を間違えているから、人生を迷走する。大垣市が没落する。

 

ダイバーシティ(多様性)の欠如

 歳をとると考え方が頑固になる。もっと自由な柔軟な発想ができないか、自省しよう。「フリー」とは拘束からの離脱である。だから「フリーセックス」とは、性の拘束からの自由で、淫乱の事ではない。成長するために「フリー固定観念」を目指して、自分を閉じ込めている殻から脱却しよう。もう歳だからと、自分を制限するのを止めよう。私は70直前に、第二の家を大人のおもちゃとして買った。そこを現在、サテライトオフィスにしたが、将来は音楽堂にする計画である。

 

 大垣市は役所の画一的な考え、体制が癌細胞的である。大垣市役所には、旧態依然たる思想の蔓延している。新しいことは排除して、前例に固守しているのがお役所である。

 

教育の軽視

 私は自身と部下の教育には金も時間も惜しまなかった。会社でも教育に投資をすれば、5年後に15%の成長が出来る。愚か者はすぐに成果を求める。教育の成果は、5年後、10年後、20年後である。成果主義で、すぐ成果を求める欧米式成果主義に染まったから、大垣は没落し、日本は停滞した。

 自分が成長していないのは、勉強していないからだ。人こそが、ものを2倍にも10倍にも創造できるのだ(ドラッカー)。その燃料は、教育である。

 組織のトップは、全員、教育は大事だと言うが、不況になると真っ先に削減するのが、教育費である。

 日本の政府がかける教育費は、経済協力開発機構(OECD)38カ国中で、37位の最下位であった(2017年度)。だから日本経済が停滞している。それに輪をかけて金を出さないのは小川敏市政である。

 

大垣の教育環境

 小川敏は、大垣市の児童生徒一人当たりの教育費を県下最低にした。大垣市は、教職員の給与を一般職より、200万円も低く抑えている。それは教職員給与法に違反している。田中角栄が偉いのは、日本の未来のために、教師の待遇改善で教職員の給与を一般職よりも25%高くする法律を作った。小川敏はそれに違反している。教育軽視の小川敏の元では良い人材教育はできない。10年後は更に、大垣市が没落必然である。

 教育だけが、未来を救う手段である。今それが大垣市と日本で蔑ろにされている。

 

大垣は封建社会、士農工商が支配(役人の横暴)

 身分、年の差、性差、生まれの差別を無くそう。その偏見が、自分の成長を阻害している。

 

 大垣市では士(役人)が一番偉い。役人にとって商売人は一番下で人間扱いされない。大垣市は、役人が威張り、市政を牛耳っている。彦根市のそれと大違いである。だから自由がなく成長できない。

 例えば、小川敏を交えた高校の忘年会(2017年12月)でも、市長小川敏、教育長、弁護士、土建屋社長が上座に座る。他の下々は、下民として下座に座らされた。下座に座った民は、天ぷら屋の駅前天近の店員からも軽んじて、注文を後回しにされた。下座の民は、店員にウーロン茶を5回も頼んでも、やっと5回目で注文を受け付けてもらえた。

 私の前職の会社も宴会は、いつも上座を設けての配置で、古い体質の会社を象徴していた。前職の会社を吸収合併した相手先会社の宴会は、役員も部長も平もくじ引きで、席を決めた。仕事を離れれば、上下の壁がなかった。それを見て、私の前職の会社が吸収合併されても致し方ないと思った。

 平等な同期の会の宴席なのに、小川敏が上座に座ってふんぞり返っている姿から見て、大垣市が没落して当然である。

 

女性の社会進出の遅れ

 大垣市も日本も男社会。女性の活躍の場が少ない。

 

PDCAを回さず、既得権・利権を回す

 自分に起こる事象には、PDCAを回して再発防止をしよう。それが人生経営である。自分は、日頃の取り組みでPDCAを回しているだろうか。自省しよう。

 

大垣市の猪突猛進経営

 大垣の元気ハツラツ市行事でも、10年一日のように改善をせず運営をしている。改善しようとすると、利権が変わるので、それに絡む輩が反対する。そのため、元気ハツラツ市行事は街の活性化が目的なのに、逆に衰退を加速させている。その反省も見直しもしないから、衰退して当然。世の中は、最高のことしか起こらない。衰退するようなやり方だから、衰退は必然であった。それが分からないようだから、政治的認知症が疑われる。

 他の政策も同然のやり方。それでは成長するはずがない。要は、経営の基本ができていない。

 

それの遅れ(IT化の遅れ)

 自分は最新鋭のIT投資をしているだろうか。反省したい。

 

 大垣市は、パソコンを使えないおじんが市政を牛耳っている。小川敏はIT化新市庁舎とほざいても、ハンコがないと書類一つ通らない。それでは大垣が成長できるはずがない。大垣市役所は無駄のゴミ屋敷である。

 大垣市は、無駄な頻繁に故障する案内ロボットを置いて、自己満足だ。

 6歳児の知能にも劣る既製品のロボットを並べて、「ロボット化でございます。」と小川敏は天狗になっている。

 

無駄な投資:豪華な新市庁舎

 自分は何に人生の投資をしているか。見直したい。衝動で買ったレクサスLSは、私には少々贅沢すぎた。別の大人のおもちゃを買う為、手放さざるを得なかった。分不相応であったことが、反省された。愚かな人間は、愚かなことをやってみて、愚かだと分かるのだ。失敗しないとそれに気が付かない。

 

大垣愚劣物語

 大垣市の殿様は豪華なお城を建て、大垣駅前商店街の庶民は築50年のボロ屋敷である。大垣新市庁舎は、市民一人当たりの費用では、岐阜県下一の豪華さである。錆びた商店街では、都市の商売人は投資に来ようとは思わない。それを小川敏が「新市庁舎が街の活性化の核」というから狂っている。正気でないと、仕事もまともにできない。

 

投資の軽視

 投資とは自分の成長のためである。それこそ成長戦略の要である。私はそのためには、躊躇しない。

 

 小川敏はケチなので、投資を毛嫌いしている。投資のない街など成長するはずがない。

 

5Sの欠如

 大垣のトイレは日本一汚い。小川敏が清掃費を勿体ないと予算カットするから。

 大垣が没落したのは5Sの欠如。トヨタが成長したのは5Sの順守。

 整理整頓清潔清掃で賞味期限の切れたものは捨てよう。小川敏は5期も務めたので、賞味期限切れである。

 

認知症の蔓延

 大垣市では、役人の定年後の天下り先として、外部団体が幅を利かせている。他市では見られない70、80歳の高齢者がその天下り先の役員をやっている。それが既得権益なのだ。超高齢者の認知まがいの役人に改革はできない。大垣市民は、見えない税金を取られて、その費用がこれらの外部団体に回っている。

 小川敏自身が、現状の問題を把握できていないとしか思えない。政治的認知症ではないか。大垣市がこの19年間で、これだけ寂れた現実を見ても認識も責任も感じないようだ。認知症でなければ、6選に出ようとは思わないだろう。

 

危機管理意識の欠乏

 私は、自分自身を危機管理室の担当役員の意識で人生を経営している。問題が起これば、その対応と再発防止が最優先である。

 

 大垣市の危機管理室は、火葬場の下の位置付けである。小川敏には危機管理意識がない。だからドローン墜落人身事故を起こしても、説明責任を果たさず、市の責任者は全員、ドローンして逃げた。

 2年前の大型台風が中部地区を襲うまで、大垣市には危機管理室がなかった。それで慌てて、他市に30年遅れで危機管理室を作ったが、現状の組織に名前を付け替えただけであった。

 

経営能力の欠如

 自分が取り組む人生行事は、その付加価値を計算して、実行の可否を決めている「それをやってどれだけもうかるのや!」である。儲けとは、自分の付加価値を向上できるかどうかである。

 

小川敏は付加価値を認識せず

 小川敏の推進する行事は、付加価値を生まない政治・行事ばかりである。例えば、大垣市制100周年記念行事の多くは業者の利権行事である。ギネス記録水饅頭とも食い大会が良い事例である。だから3億5千万円を投資しても、翌年の大垣市の公示地価は、19年間、連続で下落である。3億5千万円がドブに消えた。投資をして、価値が上がらなければ、無駄の投資であった証明である。

 

無価値へのこだわり

 私は虚礼を廃止した。それで相手が喜ぶか、それで価値があるかで判断して、対処している。例えば年賀状、お中元、お歳暮、お土産等である。

 

小川敏は偽礼重視

 大垣市は、小川敏の寄付贈呈式、表敬訪問での驕りが蔓延している。

 福岡市は日本一の成長をしている。その高島市長は、表敬訪問を受け付けない政治方針を表明している。表敬訪問は何も価値を生まない。寄付贈呈式も価値を生まない。小川敏の事前選挙運動での顔売りしかない。だから大垣市は没落した。

 

神仏を敬わない市長の横着

 私は朝晩の神仏への祈りは欠かせない。

 

 ご先祖を祀る常盤神社の行事で、市長として参列した小川敏が居眠りするようでは、大垣市の発展はない。大垣の開祖の戸田公が怒っている。罰が当たりますぞ。

 大垣市行政は、ギネス記録水饅頭共食い大会のために、濃飛護国神社前を封鎖して、共食いの狂宴を行った。国に命を捧げた18,914柱の英霊からの罰があたりますぞ。

 

成果主義の導入

 驚いたことに、大垣市役所の人事に、成果主義が導入されている。私が大垣市役所に出向いた時、乗り合わせた市役所の職員2人が、提出すべき年度自己目標管理シートの話しをしていた。これがとどめの衰退原因である。流行に弱い小川敏が導入したのだろう。形いれて魂入れず、である。

 

 天外氏曰く「1964年に入社以来、僕たちエンジニアは目を輝かせて無我夢中で仕事に取り組む職場しか知りませんでした。でも、ソニー・ショック(2003年4月にソニーの業績が急落し、それにつられて、日本中の株が暴落)の2年ほど前から、うつ病の社員が激増しました。次から次へと新アイデアが飛び出していたソニーがなぜ凋落したのか。私なりに研究したところ、原因は90年代のトップが導入したアメリカ流の合理主義経営だとわかったのです」(PRESIDENT 2013.11.4号より)

 

小川敏のエゴチスム

 エゴチスムとは「自分は周囲の誰よりも賢く、あらゆる物事に対する答えが分かるよう天から定められていて、自分こそ支配者であり、他の者は全て自分に奉仕するために存在すると信じている」ことである。それは経営者の悪魔である。

 小川敏を観察すると、そういう風に見える。小川敏に直接会った人に聞いても、同じ感想である。

 

2020-09-10 久志能幾研究所通信 1743  小田泰仙

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2020年9月 9日 (水)

大垣共立銀行 露骨忖度 おめでたい

 大垣共立銀行は、毎年誕生月になると、嫌味で貧相な「お祝い」の品を贈ってくる。ありがた迷惑どころか不愉快である。還暦を過ぎた人間で、だれが誕生日を喜ぶのか。還暦を過ぎると、一年一年、残り人生考える日々である。

 その状況で、金持ちが道楽で描いた色紙など貰っても嬉しくない。それもチャチな複製の印刷物である。誕生日はマル秘の個人情報である。

 おめでたい銀行員が、頭取に忖度して、この仕組みを運営しているようだ。顧客の本音を知らぬは頭取ばかり。

 今年は例年にない豪華な冊子が追加されて送られてきた。今年は発刊38年記念とかで、今までの色紙をまとめた立派な冊子である。私は即、ゴミ箱行きとした。不要なモノがこれば、捨てねばならぬ。時間の無駄である。こんな自己満足の贈り物に金をかけ、無駄をするから日本経済が活性化しない。

 その冊子の冒頭で土屋会長曰く、『お客様から「ありがとう。毎年飾っています」「毎年楽しみにしています」というお手紙を頂戴する度、また来年もお贈りしようと決意するところでした。』

 この文章は秘書か事務局の代筆であろう。白々しく、読めたものではない。客の誰がそんな礼状を書くことやら。傲慢さの表れである。

 

金の無駄遣い

 この冊子は、一冊で1000円以上をかけている。そんな金をかけるなら、商品券を貰ったほうがましである。そんな金があるなら、自社の経営基盤の強化に使って欲しい。大垣経済の活性化に金を使ってほしい。それより金利ゼロを改善して欲しい。

 

芸術は匂い草

 「芸」とは、クサかんむりに「云」を書く。「云」とは匂いの事で、匂い草が語源である。

 匂いの好みは、時代や環境や人によって異なる。人によってその好みは激変する。それが芸術である。それを一方的に、皆が好きなはずと、その色紙を送りつけるのは、上から視線で、傲慢さの表れである。そんな姿勢の経営で儲かるはずがない。

 お客様のためにと上から視線の営業をするから儲からない。顧客の立場でモノを考えなければ、客が寄り付くはずがない。現在、銀行は淘汰の時代である。大垣共立銀行が生き延びるかどうかは、その営業のやり方を見ていればよい。見ものである。

 

相手の立場でモノを考える

 これは自分の交友関係にも当てはまる。相手のためと思ってやったことが、相手には有難迷惑であるかもしれない。それより相手の立場でモノを考える習慣をつけたい。

 人は往々に上から視線で、ものを考え、発言やメール発信をする。特にメール発信は、安易にやりがちだ。私は友からのご都合メールにカチンときて、40年来の友と別れる決心をした。メールは友情を壊す凶器になる。ご注意あそばせ。

 

忖度の ミエミエ祝い 反吐が出る

メール一発 訣別の 幕を引き

 

2020-09-09 久志能幾研究所通信 1741  小田泰仙

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2020年9月 6日 (日)

大垣市長の使命

 大垣市長として、現在5期目の小川敏は、市長としての命は0.6年を切っている。本来、市長の使命に目覚めて残りの時間を市民のために捧げるのが、人の道である。

 しかし小川敏はそんな気はないようだ。19年間の無為無策無能政治で、当初、20%であった大垣駅前商店街のシャッターを下ろした店の割合は、現在80%を超えた。

 この19年間、大垣市の公示地価は下がり続けている。この19年間で半分以下に暴落した。地価の評価は、市場からのその都市に対する行政の通信簿である。市場の評価は神のような評価である(松下幸之助翁)。しかしその現実が見えない小川敏である。小川敏は、大垣駅前商店街の店主を苦しめている。私も親から譲り受けた土地の評価額が暴落して泣いている。それは大垣市民の全てである。

 行政としてやったことが、市民のためにならなければ、やらない方がよい。それは税金泥棒である。仕事とは、付加価値を生むことだ。

 市長の最大の使命は、市民を幸せにすることだ。市民の命を守ることだ。市民の未来を創ることだ。小川敏は、その全てに反している。

 

エアコン問題

 昨年度、大垣市は、国に泣きついて国から全額、補助金を貰って、大垣市の小中学校のエアコン設備率を100%にした。しかし、市議会でも大問題になった事項なのに、それが解決しても、その結果を大垣市民に報告していない。岐阜新聞や中日新聞紙上でも大きな話題となった。市民にそれさえ知らない無関心な愚か者が多くいる。

 「広報おおがき」にもそのエアコン設備が完了した報告がない。国から金を出してもらったので恥ずかしくて報告できないのだろう。

 国が児童生徒の命に危機感を抱いて動いた。その前の2年前は、大垣市の小中学校のエアコン設備率は2.4%であった。岐阜県の他市はほとんど100%の状態であったが、大垣市だけが異常な酷暑の中、悲惨な状況であった。

 小川敏が、その設備費用を他に流用してしまったためである。その資金が大垣市の職員の給与に転用されて、大垣市職員の給与は県下一の高さになった。それでいて大垣市の教職員の給与は、岐阜市のそれよりも年収で200万円も低い。それで大垣市の児童生徒一人当たりの教育費は県下最低なのだ。刈谷市のそれの半分である。それでは大垣市の子供の未来は悲惨である。

 小川敏は、何のために市長になったのだ。小川敏は、児童生徒を苦しめるために市長になったようだ。その尻ぬぐいを国がした。我々の税金である。

 大垣の子孫のために、小川敏の6選は阻止せねばならぬ。

 

2020-09-06 久志能幾研究所通信 1735  小田泰仙

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余命宣告 余生は死語 

 余命1ヶ月と宣告されたら、楽しいことをやって過ごせばよい。享楽的に過ごせばよい。誰も文句を言わない。

 しかし余命2年なら、その過ごし方を考えねばならぬ。享楽的に過ごせるのはせいぜい1ヶ月である。それより長いと、時間を過ごすのが苦痛になる。いくら楽しいことでも、1週間もそれに没頭すると、地獄のような辛さがでてくる。いくらテニスが好きでも、釣りが好きでも、将棋が好きでも、そればかりやっていると辛くなる。好きな趣味は、たまに、また仕事の息抜きでやるから楽しい。

 金があって、毎日毎晩飲みに歩いても、心の満足は得られない。何のために飲んでいるのか。それで自分の魂はどれだけ成長するのか。どれだけ人が喜ぶのか。酒が、体を痛めつけている。体が悲鳴を上げているが、肝臓は我慢の臓器で耐えて声を上げない。肝臓が声を上げた時は、手遅れの状態である。

 私は何度も酒で意識を失って救急車を呼ばれたことがある。私の体が、アルコールを受け付けない体質であることが分かったのは、還暦後である。それ以来、完全禁酒とした。

 

旅立ち

 金を持って三途の川は渡れない。人は裸で生まれて、裸で死んでいく。全て置いていく。飲む打つ買うだけの人生では、死ぬ間際に後悔するだろう。誰からも感謝されず、世を去るのは辛かろう。何をするため生まれていたのかと。ご先祖はそんなために己をこの世に遣わしたのではないだろう。そのためには、やるべきことをやってから、旅立ちたい。

 余命宣告をされてから、決断に躊躇することが少なくなった。やって見て、ダメなら引き返せばよいのだ。大した話ではない。やるだけやって、後は野となれ山となれ、という心境に達した。

 

仕事は菩薩行

 人は、死後、集めたモノでは評価されない。生前に、与えたモノだけが評価される。仕事とは、やればやるほど奥が深く、やっていて楽しくなる人の修行である。仕事とは、人に与える布施行で、菩薩行である。佛になるための修行である。楽しくないのは、命を賭けていないのだ。人が喜んでいないのだ。人が喜ぶかどうかで、それが仕事であるか無いかが判別できる。

 舟を置き、橋を渡すも布施の檀度なり。治世産業固より布施にあらざることなし。(修証義)(檀度:布施の事)

 

余生はない

 頂いた命の意味を考えて、その命を全うするために、第三の人生を生きたいと思う。人生で余った時間などないのだ。私は「余生」を、死語として最後まで現役として生きたい。

 私も昨年初にがんの手術をして、医師から余命2.5年を宣告された。だからこの命を、子孫のため、世のために使いたいと思う。残された時間を有効に使いたいと、走り回っている。時間は命なのだ。

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 馬場恵峰書

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 馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集「報恩道書写行集」

  久志能幾研究所刊  

2020-09-06 久志能幾研究所通信 1734  小田泰仙

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