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2025年2月17日 (月)

顔は歴史書、人物鑑定法、観相学で命を守る

 

 自分の性格は、深く付き合う人の5人の性格の平均値であるという。両親、師、友人の中で、5人の影響を一番多く受ける。だから付き合う人の性格を見極め、悪い影響人との付き合いを薄くすれば、運がよくなる。

 人は食物からできている。心は師の教えでできている。顔を見れば、その人の食歴、指導を受けた歴史が見える。

 人間稼業を70年もやっていれば、相手の観相を観れば、おおよその人物像はわかる。

 世間を騒がす事件が起きると、私はネットでその顔写真をファイルして研究している。それが自分の命を守る技をもたらす。

 

書斎と書棚を見る

 大学時代の友人が豪邸を建てたので(嫁の親が金持ちで、全額援助してもらったようだ)、見せてもらったが、肝心の主人の書斎がない。書棚もない。お風呂とか豪華な応接間は見せびらかしてくれた。これはあかんと思い、その後の付き合いを薄くした。書斎のない人は、人格が「薄い」というイメージである。

 漫画しか書棚に並んでいない人とは一線を引いたほうが身への災いがすくなくなる。以前、彼から頼まれて仕事をしたが、その代金を踏み倒された。やはりと思い、言っても仕方がないので、その代金は手切れ金として諦め、彼とは縁を切った。

 

 書斎がないとか書棚がないとは、大学卒業後、まったく学んでいないという証である。

 「学ばないと宿命的存在、つまり動物的、機械的存在に成り下がる。学ぶことで運命的存在、つまり人間的存在になる。」(安岡正篤)

 つまり学んでいない人は、人間として教育を受けても、卒業後、勉強をしなければ、次第に動物的存在になり下がりつつあるのだ。そんな人と付き合うと、自分まで影響を受け、人間の価値が損なわれる。

 

観相を見る

 まず唇の形を見る。意地汚い性格だと、唇がゆがんでいる。

 N自動車会社の社長の顔相でよい実例である。噂では「英語ができるバカ」と社内では言われている。納得である。経営能力もないのに、H自動車会社の社長の2倍の給与をお手盛りで強奪し、意地汚く食べ散らかしていたのだろう。それが唇に顕われる。醜く肉のだぶついた下顎の肉が人生をあらわしている。付き合いたくない人種である。

 ゴーンの観相も最悪である。野獣の相である。眉毛がまずい。皺がよくない。唇の形がよくない。それにへいこらすればN自動車会社の社長の顔相となる

 

上唇と下唇

 上唇と下唇の厚みの差をみる。私の昔の上司は、上唇が薄かった。それは強情な性格を表している。下手にその上司に逆らうと、飛ばされる。上唇の薄さは、その冷酷さを示している。私は面従腹背でその上司に仕えた。自分の意見より、自分の命が大切であるからだ。私の1年後輩は、素直に逆らったので、その逆鱗に触れ、欧州の赤字営業事業所に飛ばされて命を落とした。

 彼は劣悪環境の職場で、ストレスで病気になり、帰国して54歳で他界した。私に言わせれば、技術畑の人間を見せしめで営業に飛ばしたその上司は推定殺人である。

 観相学は自分の命を守る。

 

顔のしみ

  顔にシミがあるかないか。顔のシミは悪食の結果である。悪食は性格を悪くする。信仰心で食べるべき食事を阿修羅の食欲で食べているので、性格も悪くなる。

 

顔の皺

 顔の中の皺を見る。性格で顔の筋肉を動かすので、その影響で顔の皺ができる。皺を観れば、その人の性格がわかる。

 

声を観る

 声を観ればその人に生命力の盛衰がわかる。生命力を感じる声の人と付き合おう。死んだ声の人と付き合うと、自分の命の生気を吸われて、運が悪くなる。

 明るい声を訓練で出すようにしよう。そうすれば運がよくなる。その逆は….

 

言動を観察する

 否定的なことや批判的なことしか言わない人と付きあうと、なぜか陰鬱になる。だからそんな人とは付き合わない。

 公的なことを批判するのはよい。利己主義的な感想を言う人に注意である。

 

 

2025-02-17  久志能幾研究所通信 2997号  小田泰仙

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2025年2月16日 (日)

孤独死、遺品整理、生と死からの学び

 

孤独死

 昨年、借家の店子さんが孤独死をされた。その遺品整理で人間の生と死を学んだ。

 その店子さんはがんになり、介護士が定期的に訪問して面倒を見ていた。彼が入院しなかったのは、お金が無かったためのようだ。店子さんは亡くなって翌日訪問してきた介護士に発見されたので、事故扱いにはならず、行政が事務的に死後処理をすませた。それが大家の私に事後報告されたのは2週間ほど後である。処理費用(葬儀、火葬、埋葬)は行政の税金からである。

 その後、私が彼の遺品の書類を調べていたら、彼は一度破産しており、生活保護を受けていたことが判明した。大家の私はそれを知らなかった。これは個人情報なので、大家が知らなくても致し方ない。しかしこれで人生の闇の世界を垣間見た。

 また私の世界とは異次元の世界を垣間見た。遺品整理で、その家の中を見たら、ゴミ屋敷状態で、その中、書籍が一冊もなかったことだ。ここは私の住む世界とは違うと感じた。生活保護を受けているから、ある程度は想像できるが、本のある生活とは隔絶した世界に生きていたのだと、改めてその生活姿勢に、疑問を感じた。

 

後始末

 店子さんは身寄りがなかった。行政が彼の親戚縁者を探したが、見つからなかった。行政が探してわからないので、大家としては手の打ちようがない。店子がなくなったので、その保証人に事故費用を請求するにも、破産した人の保証人では対応が難しい。弁護士に頼んでも、相談するだけで、一回10万円が必要である。それで費用を回収できるのはまれである。そういう案件で、相手が素直に払うのはまれである。法律的に対処しても、成果が上がらず、手間ばかり増える。だから私はその処理を諦めた。

 

 不幸な事件が襲ってきたら、自分がその不幸をかぶればよい。それが功徳、陰徳である。それを無理に避けよとすると却って害が大きくなる。それは良寛さんから学んだ私の人生観である。

 私が故人の法要をお寺さんにお願いしたが、お寺さんからそれは功徳だとほめられた。

 

 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。 良寛

 

廃業

 昨年は体調不良で動けなかったので、後始末が今年にずれ込んだ。

 いろいろと検討の結果、後片付けの費用負担で、弁護士に相談するのをやめ、遺骨の納骨、読経、4つの位牌、ご両親の遺影のかたずけ、お祓いをお寺さんに頼み、先日、無事に済ませた。その費用は相応にかかった。また他の遺品の整理を専門業者に頼むので、また相応のお金がかかる。借家業をやっていれば、いつかは起こる事故である。

 今の借家も築60年であり、耐用年数も限界であり、それで借家業は廃業することにした。借家業も生老病死である。空き家が増加の一途の現代日本では、借家業は時代に合わないと判断した。

 

吸血鬼商売

 遺品を調べていたら、S会社の健康食品の注文伝票、ダイレクトメールの山が出てきた。店子さんはがんになり、医者のかかる費用を削減しようと、民間治療食品で治そうと、健康食品を定期的に買ったようだ。

 第三者の目から、またがんを患ってその研究をした人間の目から見ると、人の弱みに付け込んで金儲けをしている悪徳商法、ハイエナ商売、吸血鬼商売に騙されていたと判定した。そんな健康食品では、がんは治らないし、健康なんかにはなれない。それは、私ががんになり、自分の体と向き合って学んだ結論である。

 そのSメーカは世間では一流の会社で通っているが、人の弱みにつくこむ悪徳会社であることが露見した。君子危うきに近づかず、で今後は注意して対応する予定である。

 

生活保護

 現在、生活保護受給世帯数は約164 万世帯。 高齢者世帯の増加により、 世帯全体は増加しているが、高齢者世帯以外の世帯については減少傾向が続いている。 生活保護受給者数は平成28 年11 月現在で214 万5930 人となっている。 世界金融危機以降急増したが、 季節要因による増減はあるものの、 近年、 ほぼ横ばいで推移している(厚生省)。生活保護世帯への補助費用は約4兆円。税金である。

 

 令和5年度の国の税収72兆761億円 で、生活保護世帯への予算の全体に占める割合は約5%である。生活保護者が214 万人とは日本の人口の1.7%である。それが税収の5%もお金を使っている。なにか違和感を覚える。

 教育に投資するなら納得できるが、返ってこない方面に金をばらまいても、日本の将来のためにはならない。現在の予算が適正なのか、検討の余地がある。

 

 

自業自得

 生活保護を受けるのは、言い方は酷だが、自己責任の部分がかなり大きい。やはり人生のやり方、取り組みが甘かったのだろう。勉強をあまりせず、経営の勉強もせず、個人事主として、自転車操業でやっていたようだ。それは彼の家にテレビはあっても、新聞、雑誌はおろか、書籍が一冊もなかったことで推察される。

 生きている限り、他人様に迷惑をかけず、人生を全うしたいもの。生活保護を受けるとは、他人様に迷惑をかけること。

 それで破産するとは、人生設計、人生経営、会社経営が甘かったのだろう。

 病気になるとは、自分の体の経営に失敗したのだ。狂った生活、狂った食生活をすれば、病気になるのは宇宙根源の法則。それで健康な人の健康保険金を使い、健康な人から税金で金を奪うことになる。最後まで、他人に迷惑をかけず生きる。それを最低の基準として生きたい。

 日本人の基本生き方は、ひと様に迷惑をかけず、生きる、である。お天道様に顔向けできない生活をしない、である。

 今回、大きな損害を受けたが、この事例を他山の石として、自分の人生の反面教師としたい。

 

 

2025-02-16  久志能幾研究所通信 2997号  小田泰仙

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2025年2月15日 (土)

食は信仰心で、 典座赴食修行、人生山三万日回峰行

 

料理する、食べるとは信仰心

 食べること、食事を作ることは人生の一番大事な修行である。それが人生という山を回峰する修行である。比叡山、大峰山で行われる千日回峰行では、その修行期間は千日だが、食の人生回峰行は3万日の一生の修行である。一生では約10万回の神仏に対する神事仏事である。それが満足にできなければ、まともな人生を歩めない。

 食べるとは、ご先祖から授かった命を維持、成長、命の継続をさせるための仏事、神事である。その食を餓鬼の食欲で貪るから堕落した性格になり、病気になる。結果として道を外れた人生となり、人生の敗残者となる。食は信仰・感謝で行うべき修行である。

 

食の目的

 食の目的を考えて、食べる意味を知れば、人生の道が新たになる。自分の命は、1億円の宝くじが連続で百万回当たる確率で生まれてきた。その命を育て成長させてくれるのが食である。その食の多くは、他の命を頂いている。その命のご恩に報いるように生きると思えば、食は信仰であることは明白だ。

 それなのに、現代のテレビ界の食に対する扱いは、生命への冒涜である。そこに日本の没落、衰退の原因がある。それを正せば、病気から遠ざかり、豊かになり、長生きできる。

 

食材の価値

 金を払って食を得たのだから、どう食べようと自由だというのは、大いなる勘違いである。そういう人に限って、出された食材を汚く食べ散らし、食い残す。

 食は天地自然の恵みがないと食は人間の手に入らない。また、その食を食べる形にするために、どれだけの多くの人の手がかかっているかを考えたい。金を出しても食材が手に入らない時代もあったのだ。それを思うと、食への感謝が起きる。

食べられる有難さ

 私はがんを患い、術後、今まで通りに食べられなくなった。多く食べると吐いてしまう。それが原因で、体重は30キロも減った。体力がなくなり、体がガタガタになってきた。普通の食べて消化できる有難さを、「食べる能力」を失って初めておもい知らされた。

 だから食は神事仏事として、命を提供してくれた他の生き物に感謝して食するべきなのだ、と術後にやっと悟れた。頭でわかっていても、痛い目の実経験をしないと知ったことにはならない。それを格物致知という。

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食材の作法

 禅宗では、「五観の偈」で食事への心構えを説く

「五観の偈」

 一、功の多少を計り彼の来処を量る。

 二、己が徳行の全欠を忖って供に応ず。

 三、心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす。

 四、正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり。

 五、成道の為の故に今この食を受く。

 

『典座教訓』、『赴粥飯法』の教え

 道元禅師は、食に関する多くの教えを示され、調理係の心得と意義を説き示した『典座教訓』、食事をいただく作法と意義を示した『赴粥飯法』は、「作る修行」と「食べる修行」の尊さを教えている。

  

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2025-02-15  久志能幾研究所通信 2996号  小田泰仙

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2025年2月 7日 (金)

先祖供養、墓石に毛布をかける?

 

 先日、姪の夫婦が小田家の墓参りをしてくれて、お花を手向けてくれた。大変ありがたいことで、感謝である。私は最近、お墓にお花を手向けていなかった。

 しかし、それはまるで墓石に毛布を掛けるようなものだと感じた。私はお盆、彼岸や年末に墓参りに行っても、お花は手向けない。お花を手向けるのは、33回忌等の法事の時だけである。

 ご先祖供養でお花を供えても、ご先祖は喜ばない。ご先祖が希望するのは、子孫が幸せに暮らしていることである。お花のお金で子孫が美味しいものを食べていた方が、ご先祖は喜ぶ。

 

 私は、お花を手向けると、周りに迷惑をかけるから、控えている。お花を供えると、後片付けをしないと、まわりに迷惑をかける。枯れて腐ったお花を放置は無責任である。後かたづけをお寺さんがやってくれる墓地なら良いが、残念だが、私の菩提寺はそれをやってくれない。菩提寺が遠方になると、後片付けに出向くわけにもいかず、放置となる。それは大変見苦しい。

 法事の際は、私はお寺さんにお花の手配と供えをお寺さんにお願いするので、後始末もお寺さんがやってくれる。

 お花を手向けることで、ご先祖は喜んでいるのだろうか。否である。ご先祖の本当の喜びは、子孫が幸せに暮らしていること。それなのに、お花代に大金(私の家の墓の花立は本数が多いので1万円では済まない)がかかる。それに大金を使うことをご先祖は望んでいるだろうか。私がご先祖の立場なら、そのカネで、子孫が美味しいものを食べてもらった方が、私は嬉しい。

 

叔母の言葉

 叔母は、「お墓の花は見栄の産物」であると、墓にはお花を手向けなかった。真言だと思う。私はそれに納得して、お花を手向けるの止めた。

 しかし私はご先祖供養を軽視するのではなく、法事は50回忌まで欠かさずやっている。5年前は祖父の100回忌も執り行った。9年後にはご先祖の300回忌を計画している。その時は盛大にお花を手向ける法要である。

 

私の墓参り

 私が墓参りをする時は、お線香と蝋燭、そしてお水の供養である。お花は無しである。お水はペットボトルで用意をして、お墓の水の受け台を綺麗にして、お水を灌ぐ。墓地の井戸水ではない。そして手を合わせ、ご先祖に感謝である。元気な姿で墓参り、それが一番の供養で、ご先祖が喜んでくれると思う。

 彦根の井戸水には鉄分が多く含まれ、それが墓石を汚す。だから私は井戸水は使わない。

 

 

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 お墓の受け皿を綺麗にして、清潔な水を供え手を合わせる。

 それがお金もかからず、ご先祖様が喜ぶ供養である。

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2025-02-07  久志能幾研究所通信 2990号  小田泰仙

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2025年1月 7日 (火)

大晦日、神社かがり火のご奉仕、火の道を学ぶ

 

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 年末年始は、諸般の都合でブログの更新が疎かになりまして、恐縮です。これから従来通りのペースで更新いたします。

 

神社で大晦日・新年のご奉仕

 大晦日に常葉神社の氏子総代に誘われて常葉神社の大晦日・新年のお手伝いに行った。まあ2時間ほど付き合えばよいかと安易に考えて参上した。ところが大晦日の21時から元旦の4時まで、立ちつめで付き合う羽目になり、流石に疲労困憊となった。しかし今回の体験で、氏子さんたちのご苦労が分かり、良い経験をしたと思う。氏子さん達に感謝である。

 

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 新年の準備が整った常葉神社  21:07

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 かがり火にやっと火が付いた  21:17

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 助っ人も来て、2つのかがり火に火が付いた。  22:38

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 早々に参拝に見えた人達  本殿からかがり火を見



 かがり火のお守りの途中で、新年0時から常葉神社の新年の儀にも参列出来た。厳かな気になり、よき年の門出を迎えられた。0時前後から神社に初詣の参拝しに来た人々を迎えて、清々しい気持ちになった。

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 新年の儀   2025/1/1 00:00

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 初詣の人々

 

 体力の限界を感じて、かがり火のお守りを朝4時に切り上げた。その後、大垣大神宮、八幡神社に参拝して、徒歩で帰路についた。帰宅したのは朝4時20分である。例年、元旦の八幡神社は大混雑で本殿までたどり着くのに、数十分を要する。しかし、今回の元旦の朝では、さすが朝4時だと、人が殆どいなくて、入り口の鳥居から。そのまま素通り状態で本殿まで行けて、拍子抜けである。

 

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  常盤神社の隣の大垣城      01:40

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 2時になるとさすがに参拝者は途絶えた

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 常葉神社の横の大垣大神宮  朝4時

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 八幡神社 04:02


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  八幡神社 04:03

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 帰宅したら招き猫ちゃんがお出迎え



かがり火のお守り

 薪をくべて燃やす行為は、なぜか童心に帰って熱中させるものがある。そのため延々7時間も、立ち通しで、かがり火にお守りをすることになった。その過程で多くの学びがあった。

 

火の道

 かがり火を盛大に燃やすには、火の道を知らねばならぬ。今回、かがり火の担当をして、先輩から学んだ要点である。

 火の道を見極めないと、かがり火は正しく燃えない。かがり火の鉄枠の下から上への火の道を確保して、火が下から上に走るように薪を鉄枠の中に置く。それに合わせて、薪を立てて入れる。そうすれば火の道に沿って、薪が下から上にうまく燃える。

 

 寝ているコップにいくら水を注いでも、コップに水はたまらない。それと同じだ。まず志(コップ)を立てないと、いくら精力を注いでも無駄である。そこに人生の道を発見した。かがり火も同じで、薪は立てて入れねばダメだ。かがり火は、人生を教えてくれた。

 

 また寝ている大きな薪でも、下かのネタ火の勢いが強くなると、燃える。だから燃える環境が必要だ。一人では燃えにくいが、全員がその気になれば大きなプロジェクトを達成できる。それと同じだ。

 

2025-01-07  久志能幾研究所通信 2985号  小田泰仙

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2024年12月12日 (木)

冥土行き人生列車、蒸気機関車に引っ張られて夢の旅

 

 人生は運命の列車に乗って旅するようなもの寝ていても、人生劇場の寝台車両で目的地(死)に運ばれていく。起きている間は、舞台車両に異動して、人生演劇を続ける。

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 青山俊董著『もう一人の私への旅』(彌生書房刊)より

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 その目的地が極楽か地獄かは、着いてみないと分からない。まだ見ぬ世界を考えるより、今の舞台車両で最高の演技をすることを考えよう。

 

 そんな舞台では、うまく立ち回って演技をしようと思わないことだ。今の実力で、良い舞台に、良い道具で、良い環境で、真剣に全力で演技をする。そうすれば、歴史に残る仕事が出来る。

 

 良い舞台とは、よい社会(会社、組織、街、家族)である。そうでなければ、良い社会になるように、改善をしよう。演技する前に改革が必要だ。よい舞台は自分で作り上げる。

 良い道具とは、自分の培ってきた知識、智慧、芸、能力(論理力、読み書きパソコン、外国語能力、交渉力等)である。道具を磨かないと、良い演技はできない。

 良い環境とは、自分を支えてくれる組織、人脈である。ご縁を大事にして、その環境を整えよう。

 経営者にも求められる最大の資質が、「真摯さ」である。それは特別の能力ではない。ドラッカーでもそれを力説している。

 

 人生列車に乗っていると、窓に風景が列車の速度にあわせて流れていく。窓の直ぐそばの景色は凄い速度で流れていく。どんな悲惨な事件でも、当事者には悲劇であるが、遠くから眺めれば、喜劇の風景となる。遠くの山々の景色はゆったりと流れていく。目先で起きる事件や事象とは、窓の直ぐそばの景色の変化である。そんなことに一喜一憂するより、遠くのゆっくり流れる景色を眺めて、どこに列車は向かっているかを考えたい。

 

 一時的な病気、事故、損害、左遷は、近くの窓際の風景である。そんなことに左右されず、遠くの景色を見て人生を送りたい。

 

 その列車に乗ったのは、一期一会である。二度とない時刻表で運行されている。自分だけの専用特別列車である。その専用列車を大事にしよう。それも日本初、平和な時代発の豪華列車である。ご先祖の中には、食堂車もなく、極寒のシベリア地獄行きの列車に乗せられた方もおられる。それも片道切符であった。今の自分の幸せを確認しよう。合掌。

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 60年前の蒸気機関車に試乗

 先日、大井川鉄道で、60年前の機関車に試乗した。試乗した蒸気機関車の列車は昭和10年~20年ごろ製造された車両である。

  この車両は、私が10歳ころ、乗った記憶がある国鉄の車両である。懐かしさで一杯であった。たしかに、この60年間いつの間にか、古希駅まで運ばれてきてしまった・・・・もうじき終着駅である。どんな旅もいつかは終わる。

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  昭和10年~20年ごろ製造された車両

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 蒸気機関車は正しい燃料をくべないと、故障して一時停止である。

 人間様も間違った食生活で、病気になり、戦線離脱である。

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 目の前を流れていく風景よりも、遠くの風景(世の中の流れ)を眺めよう。

 窓をあければ蒸気機関車の煙が入ってくる。窓が閉めっきりの現代列車とは趣が異なる。

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 どんな席でも天からの指定席である。拒否はできない。

 (この大井川鉄道では、全席指定席である。)

 
 

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 人生で棚上げした荷物はないだろうか、忘れているとそのまま終着駅に行ってしまう。

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2024-12-12  久志能幾研究所通信 2982号  小田泰仙

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2024年12月 6日 (金)

いかなる組織にも関わる「最も重要な5つの質問」

 

 ドラッカーは次の5つの質問を経営者にぶつける。私はそれを見て、どう答えるかを考えた。私は、自分人生有限会社の社長である。

 

1 我々のミッションとは何か

2 我々の顧客は誰か

3 顧客にとっての価値とは何か

4 我々にとって成果とは何か

5 我々の計画は何か

 

 自分の中には、性格の異なる自分が心の中に存在する。ある時は「やれやれ」後ろから背中を押し、ある時は、「そんなことは止めておけ」と後ろに引っ張る自分がいる。まるで自転車でブレーキを目いっぱいかけながら、ペダルを踏むようなものだ。そういう愚かな人生を多くの人は送っている。場面によって、風見鶏のように、正義を振り回す自分、姑息な主張する自分がいる。まるで蝙蝠(コウモリ)だ。自分の性格は一つではない。自分は八面相を持った複雑系人間なのだ。そういう多くの性格を持った自分という組織が、世間体を気にして我儘な自分を抑えて、自分人生有限会社を経営している。

 

第一の質問、ミッションとは天命、使命だから、いつも考えてきたこ

とだから、回答は明確だ。

 

第2の質問、「自分の人生での顧客は誰か」という質問への返答は難しい。私はその返答に窮してしまった。数日考えて、出した答えが下記である。

 

宮仕え時代

 「顧客」とは基本的に商業店舗や商業施設を利用する“消費者”のことを指す。つまりお客様で、我々の会社を贔屓にしてくれて、お金(我々が生きる術)を落としてくれる存在である。会社勤めの頃は、顧客とは自社の販売先である。

 

 しかし宮仕えの時の真の顧客とは、自分の勤めている会社である。そのため、自分の能力を高く売りたいため、自己宣伝をしたり、ライバルを蹴落としたり、上司に媚びを売りまくったりしてサラリーマン生活を送っている。

 

自立前

 就職前の期間は、親が全面的に保護してくれていた。特に母親は、自分の命を削ってまでして我が子を育てる。親は、自分を贔屓にしてくれて、生活の全てを面倒見てくれる最高のお客様である。世界にこれ以上のお客様はいない。だから子供は親の関心を引こうと、大抵は親に逆らわない。

 親は子に対価を求めない。親という顧客を大事にしてこなかったツケが老いた身を襲う。親が最大の顧客であったと気付くのは、親が死去した後である。

 それを昔の人は「親孝行 したいときに 親はなし」である。

 

老年期

 老年期の顧客とは、ご先祖である。自分が生まれるのに、13代前にさかのぼれば、4096人の親がいる。一人でも欠ければ、自分は生れていない。

 自分はその家系の最終ランナーとして、この世で代表として戦っている。

 一つの命が生まれる確率は、1億円の宝くじが連続で100万回当たるのと同じ確率である(村上和雄筑波大学名誉教授)。

 その命をご先祖は、自分を贔屓にして生んでくれた。その価値は数百億円である。ご先祖こそ最大の顧客である。ご先祖に恥ずかしくない生き方をする。それが自分人生有限会社の使命である。

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2024-12-06  久志能幾研究所通信 2978号  小田泰仙

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2024年12月 1日 (日)

炎・煙・縁なき衆生、度し難し マスコミ不信

 

 お釈迦様でも、「縁なき衆生 度し難し」とサジを投げている。今の日本のマスコミはそれ以上(以下?)の邪悪な存在である。

 マスコミは日本人の徳性である「仁義礼智信」を破壊した。だから日本社会に下劣な事件がおきるようになった。

 

 本来、炎上するよう事件でも、報道のさじ加減で、それが煙さえ出ないようなスルー報道が頻繁である。ある事象がマスコミに都合が悪い場合、それを目立たなくするような小さな事件を前面に出して、本来の問題点の影を薄くする報道をする。これは国民を間違った選択をさせる陰謀である。

 

 我々は運命の国家列車に乗っている。その行き先を間違って教えられれば、大阪に行くつもりが、東京行きの列車に乗ることになる。それほどに、怪しい報道機関に依存するの危険である。一度間違えて乗ってしまったら、寝ていても間違った目的地に運ばれてしまう。

 

 寝ていても 運ばれてゆく 夜汽車かな   青山俊董

 

 大手新聞だから、大手テレビ局だからと盲信することは危険である。情報は疑って接しないと、身の破滅である。情報には、必ず相手の意図がある。情報は自分で取りに行かないと、洗脳されてしまう。既に失われた30年が過ぎた。日本が落ちぶれたのはマスコミに洗脳されてきたのが真因である。目を覚さないと日本の没落は確定する。

 

三菱UFJ銀行の貸金庫の窃盗事件

 10億円以上が貸金庫から盗まれたのに、それが全く報道されない。

 犯人も分かっているが報道されず、顔写真も報道されない。

 銀行はマスコミの大手スポンサーだから、報道しない。

 銀行も信用上でヤバい話なので、警察に訴えない。だから警察も動けない。

 貸金庫は、担当者と支店長の持つ2つの鍵がないと開けられないと言われてきた。しかし支店長はマスターキーをもっているのだ。

 支店長は、その貸金庫に誰が何時利用したかの記録を知っている。高齢の金持ちで、本人しか利用していないと、家族の誰もその中身を知らない。現在、日本の高齢者が250兆円も所有している。高齢者の多くが認知症である。その状況を支店長は良く把握している。その気になれば、貸金庫内を盗むのは容易である。

 マスコミは利権に縛られて、闇は決して報道しない。

 

マスコミはスポンサーファースト

 マスコミはスポンサーに都合の悪いことは絶対に報道しない。

 マスコミに都合の悪いことは、読者、視聴者の命に危害を及ぼす。

 

現閣僚の岩屋外相の中国からの賄賂事件

 米国で起訴されたのに、日本では報道がない。

 

米大統領選の偏向報道

 あれだけ露骨なハリス偏向報道はない。

 トランプを貶める報道の極みであった。

 

兵庫県知事問題も、当初は偏向報道の極み

 当選後は手のひら返しの報道である。もっと大事な事件があるのに、この問題にかこつけてスルー報道である。

 

ジャニーズ問題

小西政務官問題

自己免疫疾患がこの50年で70倍になっている。

その原因には触れない。大スポンサーの薬品メーカーが絡んでいるから。

医学界の闇は決して報道しない。

なにせ薬剤メーカは大スポンサーなのだ。

ワクチン問題

 決して報道しない。

マスコミは政府に睨まれたくない。認可権を政府がにぎっているから。

 

川口市のクルド人問題

 マスコミは出自が韓国、中国である人が多いから

 

学会問題

 マスコミのタブーとして、決して報道されない。

 

議員の出自問題の隠蔽

 マスコミは出自が韓国、中国である人が多いから

 

北朝鮮の拉致問題

 

中国へ渡航時の危険性(スパイ扱い)を報道しない。

政府もそれを警告しない。外務省が中国に汚染されている。

 

C国が欧州の海底ケーブル切断事件で、日本だけスルー報道

 日本近辺でも同じような事件が起きているのに、…

 

ジャニーズ問題

 

消費税を反対せず

 自分達だけ優遇税制を受けたいから、政府の忖度

 

地球温暖化対策で、間違った方向に誘導

 

円高で危機感、円安で危機感を煽る。どうしたいんだ!

 

中国の領空侵犯、領海侵犯の報道をあまりしない

決して中国の非難はしない

中国進出の推奨(戦前の満州移住推奨と同じ)

 

 

 

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2024-12-01  久志能幾研究所通信 2976号  小田泰仙

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2024年11月29日 (金)

魂は永遠なり、馬場家『太平記』写本 三代記

 

 先日、波佐見町にある馬場恵峰先生(第12代当主)の実家を訪問し、馬場清治氏(第13代当主)から、最近完成した「馬場家古陶磁資料室」を案内してもらった。

 この「馬場家古陶磁資料室」では、馬場家の第3代当主からの陶磁器の作陶歴史が整理され展示されている。後日その紹介する予定である。今回一番感動した所蔵品を紹介する。

 一番目を引いたのは、馬場家の当主が3代にわたり、『太平記』の写本50冊展示されている。第9代の弥三郎が20巻、第10代の亦一が20巻、第11代の亨(恵峰先生の父)が10巻を書写した。馬場家の当主が三代にわたり(約100年間)書写をした事実に感銘を受けた。その内容が圧巻である。その字が美しい。

 人は生老病死で精々100年の命だが、例えば、魂はこの馬場家でいえば永遠の命を保っている。もし血筋が繋がっていなくても、その精神を受け継いでいれば、その馬場家魂は継続する。

 同じことが日本魂にも言える。約300年前で(13代前)にさかのぼれば、4096人の親がいる。2000年を遡って見れば、日本人は全て家族である。日本人はご先祖が培ってきた尊い精神を受け継ぐ責任がある。

 

 

『太平記』とは

『太平記』は、日本の古典文学作品の1つである。歴史文学に分類される。「日本の歴史文学の中では最長の作品」とする説もある。ジャンルは軍記物語。成立は室町時代。

 

概要

 全40巻で、南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇の即位から、鎌倉幕府の滅亡、建武の新政とその崩壊後の南北朝分裂、観応の擾乱、2代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任まで(1318年  - 1368年)の約50年間)を書く軍記物語。

 表題の「太平」は、平和を祈願する意味で付けられていると考えられており、怨霊鎮魂的な意義も指摘されている。

 第二次世界大戦後、「太平記」を称する小説やテレビドラマが多く作られたため、混同を避けるために『古典太平記』と呼ばれることもある。

    以上、Wikipedia「太平記」を編集

 

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 多くの古陶器が展示されている。

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   『太平記』の写本50冊




 
2024-11-29  久志能幾研究所通信 2975号  小田泰仙

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良く生きるための人生戦略計画

 

1 人生戦略計画とは、人生とは何かを考えること

  その思考がなくては、人生を歩めない。

  その思考がないとは、地図なしにジャングルを迷走する事。

  思考には知識が必要だ。人生工場で作るものに道具が必要だ。

  人生工場で、知識はそれを作るためのフォークリフトである。

  人生工場で、効率的な作業をするにはフォークリフトが必要だ。

  手作業で作るのと、フォークリフトを使うのでは雲泥の差がある。

 

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  馬場恵峰書、文責 著者

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2 人生は予測できない

  未来は予測できない。しかしその未来を創ることはできる。

  それが縁起である。良き縁を作れば、良い未来が作れる。

  ただし、それは絶対ではなく、リスクがある。

  予測とは可能性を見付ける事。リスクの可能性は予測できない。

  戦略とは、不測の事態を少なくする作業。

  「戦略」とは、人生で無駄な戦いを「略する」こと。

  人生は生老病死。

  人生時間は、実質7000日、無駄なことに構っている時間はない。

  人生工場の生産で、「智慧」は、カンとコツである。

  それを使い一味違う製品が生み出せる。それが人生製品の付加価値である。

 

3 明日のために今日何をするかを考える

  明日行うことを夢見て楽しむことは無益である。

  今日、何をやるかを考えて、それを実行することが人生の全て。

  明日は永遠にやってこない。

  明日は死かもしれない。それが人生だ。

 

4 戦略計画でリスクをゼロと見なさない

  人生では、全てのことにリスクがある。

  何が起きても不思議でない。一寸先は闇。

  その全てを受け入れることから人生は始る。

  全てのリスクを受け入れる能力を作る。

  達観、諦観、史観、死生観。そこから人間家業を始めること。

 

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2024-11-28  久志能幾研究所通信 2974号  小田泰仙

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