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2019年11月19日 (火)

ミラーレスは風に弱い? 小川敏は共食いに弱い

 2019年11月19日、私のリハビリと新規購入のミラーレスカメラα7RⅣの性能確認のため、セントレアに飛行機を撮影しに出かけた。そこで判明したことは「ミラーレスカメラは風に弱い?」である。

 

台風並みの風に負ける

 当日の天気は快晴であったが、強風が吹き、それはまるで小型台風並みであった。後で天気予報を確認すると、風速10~15m/sの強風であったようだ。セントレアは海上空港のため吹きっ晒しの海の上にある。ターミナルビルの3階の展望台へ吹く風は強烈である。私は望遠レンズを構えるのだが、体が強烈な風に押されて、じっとしていられない。柵に寄りかかって撮影するのだが、それでも対象物の飛行機をファインダー中央に捉えて撮影できない状態である。周りにも飛行機を撮るマニアは数人しかおらず、何時もの大勢のカメラマニアがたむろっている状況と違っていた。

 私の体重が1年前より20キロも軽くなっていて、体力・筋力も低下していて、踏ん張る力が激減しているためもある。それで私が出したジョークの結論が「ミラーレスカメラは風に弱い」である。

 

結論

 真の結論は、風が強いのではない。私の踏ん張る力が足りなかったのだ。私の体重が軽くなりすぎたのだ。体力が足りなかったのだ。他のせいにしてはなるまい。

 しかしこの試行で、広い空港内をかなり歩き回ることになり、人よりも歩く速度は遅いが、そこそこに歩けたので、順調に体力が回復していることが分かり、出かけた収穫はあった。

 

ミラーレスへの風当たり

 ミラーレスカメラではソニーが独走している。キヤノンが慌てて後追いで開発を進めているが、先に開発・販売して一定のシェアを獲得したソニーに追いつくのが大変なようだ。

 キヤノンは、現在の一眼レフ用レンズに膨大な資産がある。今回、キヤノンはミラーレス用の新規格のレンズマウント規格を作ったが、それに合わせたレンズをそろえるとなると大変だ。その品ぞろえが業界一のため、全て新規格に合わせたレンズの開発には膨大な人工とお金がかかる。なおかつ、一眼レフカメラの機構は複雑で、高価であり、それがキヤノンのドル箱になっている。それをミラーレスに切り替えると、収益源が共食いになる。それを経営用語でカニバリズム(共食い)という。

 キヤノンも社内の(主流の)一眼レフ派閥から、猛烈な逆風を受けているはずだ。キヤノンは超一流で大企業である。それの方向転換には、慣性が大きい分の逆風が吹き、簡単にはいかないようだ。技術革新の時代、昨日のメリットが重荷となり、昨日の勝者は今日の敗者となる。その決断をすべき社長の御手洗氏は、長年、社長の座に20年近く居座っているが、老害が噂されている。

 

見切り、決断、転向

 それで私もキヤノンに見切りをつけ、ソニーに切り替えることにした。キヤノンは新規格のレンズマウント規格を作ったが、それは全く新しい会社がカメラ規格を作ったと同じである。それなら先行してミラーレスの新規格を作ったソニーに分がある。CCDの技術ではソニーが世界一であり、キヤノンが高画素数のCCDで追いつくのに、数年はかかるだろう。私が欲しいレベルのミラーレスの高性能機が出てきて、周辺レンズが揃うのに、数年はかかると思う。それなら今からソニーに転向して、しばらく様子を見た方がメリットありと結論付けた。

 今回の結論で、書画撮影用には、カメラボディはソニーα7RⅣに、アダプターをかましてキヤノンのシフトレンズを装着した。これで画素数が前のキヤノン5DⅣの3200万画素からソニーα7RⅣの6100万画素に向上した。馬場恵峰先生の書画を撮影するには、高画質が求められる。

 今日の試写で、飛行機撮影にもミラーレスは合格である。画素数が高いので望遠レンズに1.4倍コンバータを付けたと同じ機能もある。

 

決断

 新しい技術が出てきても、以前の技術に執着していて、会社が左前になった事例はゴマンとある。経営者として、先を見る眼が無かったのだ。切り替えに反対する風圧に負けた経営者が、負け組になって行った。

 風が強かったのではない。それに反対する風に対峙する能力が足りなかったのだ。経営者として選択・決断する能力がなかったのだ。世界を制するのは技術ではなく、先を見る力を持った経営者の選択と決断である。技術を誇るのは戦術である。それは軍曹の仕事である。決断は、経営の仕事で戦略である。

 

戦術と戦略

 日本の経営者は、戦術にたけていたが、戦略に劣っていた。それが今の日本経済の没落である。昔の日本軍も、兵卒は優秀であったが、上層部が無能であった。単に、学校で知識だけを詰め込んで、それが優秀だと言われ、それが将軍、社長として君臨したのが日本敗戦の原因で、この失われた20年の日本経済停滞の原因だ。それを応用する能力のない無能経営者がのさばっていたのが、日本の停滞の原因である。大垣市長の小川敏の例と同じである。

 

小川敏への逆風、共食い

 大垣市長の小川敏は、IT化、ロボット化、AI化をぶち上げて、アドバルーンを上げているが、現状の業務の改革とその比較検討は無視している。費用対効果を無視している。それは口が裂けても言わない。

 地方の都市銀行もAI化を進めているが、その効果に対して投資金額がペイせず、暗礁に乗り上げているのが現状だ。某銀行の業務をAI化したら、その月額利用料が目の玉が飛び出るほど高く、効果がそれに見合わなく、その導入を見合わせたという。その某都市銀行が大垣共立銀行でないとは思うが、それより人手でやった方が、効率が良いとの結論が出たのだ(日経ビジネス 2019.05.20号)。

 業務を単純にAI化しても、それだけでは効果がなく、現状の手作業とAI化が共食い状態になるのだ。それがAI化の逆風となっている。その逆風の実態を全く感知しないノー天気市長が小川敏である。

 小川敏は、日本経済のデフレ化、衰退化の逆風に堪えられず、正しい政策をうち出せず、この18年間で大垣を衰退させた。小川敏は、逆風に負けたのではなく、逆風に打ち勝てる行政能力がなく、無能なのだ。50年前の学校の陳腐化した知識だけで、市制を牛耳るから、大垣は衰退した。小川敏に出来ることは、水饅頭の共食いを痴呆的な顔で自慢することだけである。要は、智慧がないのだ。

 

不易

 世の中の技術の転換を見誤り、世界競争に負けた会社が、世界に死屍累々である。驕れ者久しからずである。

 変えるものと変えてはならないもの区別をする智慧だけは持ちたいと思う。

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  かろうじて撮影できた着陸の風景  2019年11月19日

 

2019-11-19 久志能幾研究所通信 No.1403  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月20日 (金)

「あいち航空ミュージアム」は人生を語らず

 県営名古屋空港にある、昔の名古屋空港のターミナルを改装して作られ航空ミュージアムである。2階のエントランスから入場するとすぐ、レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したヘリコプターが出迎えてくれる。趣向を凝らしたのはよいが、その造りはクラフトマンシップに溢れてはいない。安っぽい感じがするのが残念だ。その後、世界の名機100 機の1/25スケールのソリッドモデルの展示である。1階に8機の実物機の展示がある。

 全体を通して、飛行機マニアの私をワクワクさせてくれる感じがない雰囲気が残念である。

Dsc06743s   あいち航空ミュージアム

Dsc06657s   レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したヘリコプター

Dsc06658s 世界の名機100 機の1/25スケールのソリッドモデル

Dsc06661s   一階の全容

博物館の魅力度

 中部圏に4つある航空博物館の中で、もう一度、行きたいという気にさせてくれない博物館であった。何か魅力が少ない。

 セントレアの「フライト・オブ・ドリームズ」なら、建屋の上階からB787を見下ろしながらコーヒを飲んだり、食事をしたりする楽しみがある。ショップで飛行機のパーツを探す楽しみがあった。シアトルの街を模したレストランで食事の楽しみもある。

 「岐阜かがみがはら航空宇宙博物館」は展示に工夫があり、再度行きたいという気になる。飛燕も敬意が払われて展示されている。

 「MRJ ミュージアム」は金と手間がかかっていた。(見学記は次回に掲載予定)

 ところが「あいち航空ミュージアム」は広さ、展示機、喫茶店、ショップ等が全て中途半端である。

 

展示の工夫の欠如

 2階の通路からYS11を撮影しようとすると、2階通路外に設置された照明装置の部分が機種の頭部にその影が入ってしまい、写真が台無しになる。もう少し飛行機マニアの写真撮影を考慮した機器の配置を考えるべきだと思う。何も考えていないお役所的な展示スペースの配置である。そこで最初に違和感を覚えた。

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 YS11 照明装置の部分が撮影の邪魔

 

博物館での物語

 博物館は、博物館の商品(展示品)を並べればよいものではない。博物館の展示にもストーリが必要とされる。博物館も書籍と同じで、伝達目的と、その伝達手法、ストーリが必要とされる。博物館を見学に来た人に何を伝えるのか、訴えるのかが問われる。この「あいち航空ミュージアム」はそれが希薄で、ただ飛行機を並べただけという印象を受ける。

 その片隅に人目をはばかるようにゼロ戦が置いてある。そのゼロ戦の技術の何がすごいのか、それが博物館として「記述(展示)」されていない。

そのストーリは、

 「こんにちは。ようこそ。これがレオナルド・ダ・ビンチのヘリコプターですそれがどうした? その次の話は? 段落欠如!) これが名機100機の1/25スケールの模型です。一階は実物のヘリです。隅に置かれたのは日陰者のゼロ戦です。後は日本初の旅客機YS11、三菱重工が作ったビジネス機MU2を展示しました。ついでにお土産を買ってヨ。さようなら。というが如くである。

 で、何が言いたいのだ? と疑問を呈したくなる。この博物館を設計した人の思考回路に疑問を感じる。

 

人生ストーリ

 人生で出会う物語にはストーリがある。そこで言いたい結論があるはずだ。そのストーリに論理性、物語性、結論がなければ、その違和感を覚えて、一度、立ち止まるべきなのだ。論理性のないストーリ-は破綻する。そういう意識が人生の危機管理ともなる。私が人生で出逢う事象には、そのストーリー性を常に考えている。

 

展示機

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2019-09-20   久志能幾研究所通信No.1343 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月19日 (木)

ゼロ戦、大垣、小川敏市長、栄華の末路

 2019年9月18日、「あいち航空ミュージアム」でゼロ戦の展示を見て、大垣市の栄枯盛衰に思いを馳せてしまった。

 

「あいち航空ミュージアム」見学

 「MRJ MUSEUM工場見学ツアー」を申し込んで、9月18日に枠が取れたので見学した。少し早めに行って、先に「あいち航空ミュージアム」を集合時間までの30分間で見学した。それは正解であった。その後の「MRJ MUSEUM工場見学ツアー」は、約90分間(待ち時間を含め2時間)で、結構歩く時間が多く、疲れ果ててしまった。その後、再度「あいち航空ミュージアム」に入館して見学する元気が無くなってしまい、そのまま帰宅のバスに飛び乗った。

 帰宅後、一時、爆睡してしまった。夜に起きて少しこの原稿を書いた。それで18日のブログは休載にした。恐縮です。

 「MRJ MUSEUM工場見学ツアー」で、歩く距離が多かったのではなく、私が病み上がりのため体力低下で、更に肝機能低下の影響で、疲れやすくなっているのが原因であった。何事も体力、健康が大事である。それを痛感した。

P10409731s   馬場恵峰書

全体所感

 岐阜県の各務ヶ原航空宇宙博物館と比較して、「あいち航空ミュージアム」の展示内容に少し見劣りがする。それでも目玉展示品のゼロ戦を見学できるのは素晴らしい。しかし飛燕とゼロ戦の展示の雰囲気が違う。多くの学びと気付きがあった。

 

ゼロ戦

 お目当てのゼロ戦は興味深かったが、見学してあまり感激はしなかった。それは展示方法が影響している。もう少し展示方法に工夫が欲しい。周りに説明パネルが多すぎて、飛行機マニアの私には、撮影の邪魔である。また展示場所や展示方法も、なにか日陰者扱いの展示である。以前は、目立たないように塀で囲まれていたという。各務ヶ原航空宇宙博物館の飛燕とゼロ戦の展示の雰囲気が違う。

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  「あいち航空ミュージアム」のゼロ戦

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各務ヶ原航空宇宙博物館 飛燕

 

戦争の影響

 話によると、ゼロ戦の展示は戦争美化になると反対する勢力があり、そのために処置と言う。ここは純粋に技術の展示のはずだ。国を想い、親や子女を守るため、命を掛けて設計した技術の証しが、戦闘機ゼロ戦である。ゼロ戦を通して、当時の技術の粋が展示されている。

 日米戦争は、日本の自衛戦争であった。それはマッカーサーカー元帥が、帰国後に米国議会で証言している。

 日本は、当時、列強の国からABCD包囲網で経済封鎖された状態で、戦争を始めなければ、半年後、資源が枯渇して日本の産業は生産が止まり、日本中が失業者に溢れ、飢えて国が滅んだ。植民地強奪競争で、日本が目障りとして徒党を組んだ欧米列強が、「窮鼠猫を嚙む」という状況に、日本を追い込んだといえる。例えれば今の北朝鮮のように世界から経済封鎖されたのだ。北朝鮮は恐怖政治で民衆を抑えているからなんとかなるが、民主主義の日本ではそうはいかない。

 当時、日本に植民地強奪競争を邪魔された列強諸国は怒り心頭であった。インドでは英国の強欲な植民地政策で2000万人が餓死している。英国は、中国をアヘン戦争で侵略し、香港を強奪した。他国も植民地強奪競争で、同様の有様である。当時、列強諸国は、アジア人を人間として扱っていなかった。それが常識であった。

 

国家の消滅

 第二次世界大戦後、自力で自国を守れなく、世界地図から消えた国が、183ヶ国にも及ぶ。近未来に隣国の2国が、消滅するかもしれない。それほど世界は、国として生存競争は厳しい時代である。

 欧州に難民が溢れ、テロが頻発し、中東では火種が尽きない。北朝鮮はミサイルを飛ばして日本を脅かしている。韓国は日本の領土・竹島を強奪して占領して居直っている。毎日、中国は尖閣諸島に領海侵犯を繰り返している。領空侵犯も日常茶飯事である。いわば刃物を以て家の周りをうろつくヤクザのような行為である。なんでそんな国の元首を国賓扱いで迎えねばならぬのか。国賓扱いする費用は、税金である。領海侵犯の事実を報道しない新聞社もフェイクニュースの元である。毎日領海侵犯されているのに、新聞社は報道しない。

 

チベット滅亡の原因

 戦争の脅威は過去の話しではない。チベットが中国に滅ぼされたのは、平和憲法がなかったためではなく、自国を守る戦力がなかったためである。自国を守るには自衛力が必要である。例えれば、プロレスラーに喧嘩を売るヤクザはいない。社会党は無防備無戦力を謳っていた。その後継の民主党は、日本の危機に無力であった。消えた民主党の残党が、今でも中国韓国に媚びを売っている。

 民主党政権時代、官房長官の仙谷由人が「自衛隊は暴力装置である」と言った。その国賊のDNAが野党に流れているせいではないか。私は、「国をセコムしてますか?」と問いたい。

 

ゼロ戦の技術

 まじかで当時の加工技術に納得した。沈びょう式リベットの技術を、世界で初めて採用したゼロ戦は、技術者の眼からも興味深い。驚いたことに、それは機体全部への適用ではなかった。まだまだ国力がないことが、ゼロ戦の機体製作技術からうかがえる。

 ゼロ戦の全体に贅肉のないデザインが、性能の良いことを示している。美しいものには美学がある。堀越技師のこだわりが隅々に感じられる。自分が元時術者だから、その心境がよくわかる。それは芸術作品と通じるものがある。 ゼロ戦は、1994年にスミソニアン航空宇宙博物館で、天井からぶら下げられた状態の機体を見たが、地上の状態で、まじかで見られたのは、今回が初めてある。それで技術の粋をジックリ観察することができた。

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  沈びょう式リベット 主翼部

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 沈びょう式リベット 尾翼までは適用されていない。

 

ゼロ戦の栄華の末路

 開戦当初、世界最高の性能を誇ったゼロ戦の時代も長くは続かなかった。米国は捕獲したゼロ戦を徹底的に研究して、それの弱点の解明とそれを上回る戦闘機の開発に力を入れた。その結果、ゼロ戦は、米国が新たに投入した新戦闘機(P51ムスタング,F6ヘルキャット)の餌食となった。終戦末期は特攻の機体に落ちぶれてしまった。時の指導者が、ゼロ戦の技術に奢って次世代の戦闘機の開発に投資しなかったためである。

 

大垣市の栄華の末路

  大垣市も一時は西濃の小京都と呼ばれ繁栄したが、小川敏市長が大垣市への投資を無くして、大垣市を没落させた。

 

小川敏市長の栄華の末路

 その小川敏市長も、若い時は秀才として東大を出たが、その後の自身への教育投資を怠り、頭は痴呆化して劣化した。水饅頭を共食いして世界記録だと痴呆的に自慢した。その行為は全国で嗤れている。本人だけ、それを認識していない。

 公金の使用用途はマル秘扱いが常識だと大垣市だけの特別条令を制定した。小川敏市長が東大法学部出とは信じがたい。東大法学部も地に堕ちた。市制100周年記念行事の会計報告はマル秘なのだ。元気ハツラツ市での拡声器騒音は、岐阜県の騒音防止条違反だが、それには気にしない。

 元気ハツラツ市をやるほど大垣市が衰退するのに、それを止めようとしない。大垣駅前商店街を没落させた実行中心人物・小倉利之氏に、「商店街の振興に貢献した」として、市功労章を贈った。

 未来の子供への投資を減らし市役所職員の給与に振り向け、結果として県下一の給与とした。その結果、大垣市の児童生徒一人当たりの教育費は県下最低レベルに落ちぶれた。小中学校のエアコン設備は県下最低の2.1%である。

 小川敏氏の頭脳は、この状況が正常に判断できないほど劣化した状況になっている。

 

自国を守れ

 今でも世界は弱肉強食である。形を変えた戦略戦争の戦いが、グローバル経済主義の正当化である。他国の強者が我々の仕事を奪い、日本を貧乏にさせられた。この20年間で、先進諸国で給与水準が下がっているのは日本だけである。中間層の給与は先進諸国でも下がっていて、米国では国民のその怒りが米国でトランプ大統領を生んだ。

 大垣市でも、他市の露店商人が、元気ハツラツ市で大垣駅前商店街の商売を奪った。小川敏市長が他市の大規模小売店企業を優遇する政策を続けるので、大垣駅前商店街の81%が閉店に追いやられた。大垣駅前商店街の従業員の40%が職を失った。まず自国、自分の住む都市を守らないと、生活が破壊される。大垣市では、小川敏市長は大企業の味方で、大垣市民の敵なのだ。

 

誰が真の戦犯か

 このゼロ戦の技術の展示に反対する勢力は国賊者である。責める相手を間違えている。戦争に追い込んだ真の戦犯を追及すべきなのだ。それの矛先を曲げるためにゼロ戦の展示に反対しているようだ。

 戦争を鼓舞して、戦争を賛美した当時のアサヒを筆頭にした新聞社は、今は戦争反対だと身の代わりが早い。そんな新聞社は信用できまい。何が真実なのか、自分で考えないと、国が亡ぶ。都市が亡ぶ。自身が洗脳され、生活が破壊される。新聞は今でも、為政者の為の洗脳教育の報道に余念がない。

 

地方新聞は洗脳報道に余念がない

 身近に、自分の住んでいる都市で、何が真実かを知らないと、自分の命と財産と子供の未来が危ない。大垣市の小川敏市政の悪例が良い見本である。小川敏市長のせいで、私の所有する不動産財産価値が半分以下になった。大垣が没落した。地方紙の岐阜新聞、中日新聞はその事実を全く報道しない。

 毎日の地方新聞の報道で、小川敏市長の自己宣伝の報道ばかりが目に付く。それはフェイクニュース寸前のレベルである。くだらない小川敏市長の宣伝記事が連日、紙面を占有するので、本来報道すべきニースが報道されない事態となっている。まるで洗脳報道である。

 

2019-09-19   久志能幾研究所通信No.1342 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年6月15日 (土)

初夢 B787-テーマパーク見学

 2019年1月1日、友人とセントレアに新設されたボーイング787のテーマパーク「FLIGHT OF DREAMS」を見学した。私の癌が発見される1週間前で、のんびりと正月休みを楽しんだ。正月にしては、このテーマパークは結構人出が多かった。

 ここは中部国際空港駅の改札口より結構距離があり、前回(6月5日)セントレアに飛行機の離着陸を撮影に行って、その後、行くことを体力的に躊躇してしまって、行くことを諦めた。つくづくと食べられること、歩けることの幸せを感じる。愚かな人間は、失うまで、それに気が付かない。

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787のテーマパーク外観

https://www.ana.co.jp/travelandlife/feature/original/vol235/

ライフスタイルマガジン ANA Travel & Life (トラベル アンド ライフ)より

 

実機を見学

 展示してある787初号機の旅客室内は、試作機の為、胴体部に客席はなく、全て計器類で埋まっているこのこと。だからコクピット部しか見学ができなかった。その計器は、デジタル化された画面が並んでいるだけだが、壮観であった。

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Boeing Factory  ボーイングファクトリー

 ここは、世界最大規模の航空機組立工場であるボーイングのエバレット工場のバーチャル工場の再現である。「そこにいるかのような体験ができる」が謳い文句。大型貨物輸送機ドリームリフターにより世界各地から輸送される部品がどのように組み立てられるのか、デジタル映像で見学できる。

 787の製造ラインは、デジタル映像として、流れ作業の様子が床のスクリーンに、コンベア上の映像として映し出されて、その工程ごとの詳細が、また別に映像で映し出される。旅客機が車と同じようにライン上で生産される様は、壮観である。

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大型貨物輸送機ドリームリフター

 セントレアの旅客機駐機スペースに、このドリームリフターが、いつも胴体を開けて駐機している。三菱重工で製作された787の部品が、ここからシアトルに空輸される。

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2019年6月5日撮影 セントレアで

 

Fly with 787 Dreamliner

フライ ウィズ 787 ドリームライナー

 787実機と館内空間をダイナミックに使用した映像と音のショーである。「4階の観覧エリアから見ると、建物の壁と床の境界がなくなり、現実空間が消え、やがて作品世界に没入し、まるで飛行機と一緒に飛んでいるかのように感じます」が謳い文句であるが、少々表現がオーバである。実際に体験すると「なんだ、こんな程度のもの!」が正直な感想であった。表現がオーバ―すぎる。

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 それよりも4階のコーヒーショップの席に座って、目の前に787の胴体が見える状態でコーヒーを飲むのはおつなモノ。飛行機ファンにはたまらない。

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SEATTLE TERRACE  シアトル街

 ボーイング創業の街、シアトルをテーマとしたエリアである。入場無料で飛行機の間近でシアトル本場の人気メニューやショッピングを楽しめる。我々は、混雑を避けるため、ここでシアトルの有名な寿司屋「シロウ カシバ」で1000円程のランチを早めに取った。1時間後の混雑を見ると、それは正解であった。

 「シロウ カシバ」は、新鮮な魚介類が豊富で日本食が大人気のシアトルで、「シロウ カシバ」は知らない人がいない寿司店だそうだ。シアトルで本格的な江戸前寿司を広める役割を担い、この度日本に凱旋したという。

 

BOEING STORE  オフィシャルグッズショップ

 米国外初出店というボーイングのオフィシャルグッズショップでは、飛行機のパーツ販売されており、私は河村義子先生を思い出し、つい衝動買いで、ボーンイング707のエンジンのタービンブレードを買った。

 その経過は2019年1月 8日 付けのブログ記事「河村義子先生の分身に出会う」を参照ください。

河村義子先生の分身に出会う - 久志能幾研究所通信

yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2019/01/post-d0c9.html

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フライ ウィズ 787 ドリームライナー

 夢とはいい言葉である。我々は夢を抱いて人生飛行を楽しんでいる。その夢の欧米までの飛行は、12時間でおわる。人生飛行の夢も、せいぜい60~80年間で終わる。何時かは着陸、死亡という結末を迎える。人生は80年(私の希望は108年?)、儚いものである。だからこそ夢を抱いて大きく飛びたいと思う。夢を見ない人生は、夢の世界でむなしい。実現できないほどの大きな夢を抱いて人生を歩みたい。夢は見たものが勝ちである。

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2019-06-15   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年6月 7日 (金)

離陸の美しさ

 2019年6月5日、病後のリハビリを兼ねて、セントレアに飛行機の撮影に行ってきた。セントレアのターミナルビルから出て、展望台の先端までの距離がいつもより長く感じて閉口した。今までは苦にならなかった400mを歩いて、つくづくと体力の低下を痛感した。この4か月間で、16キロの体重減である。体が軽くなったから、軽快に動けるかと思ったら、エンジンの馬力も減ったようだ。途中で一度休まないと展望台の先端までの400mが歩けない。結局、疲れて1時間弱ほど飛行機の離着陸を撮影して、いつもよりも早く引き揚げた。

 それでも、リハビリとしてかなりの距離を歩いたので、効果はあった。翌日朝の体温がいつもより0.2℃も高かった。熟睡もできた。健康は運動からである。

 当日は、病院に定期検診に寄り、昼からセントレアに到着したので、風向きがいつもと逆で、離着陸方向も逆になった。そのため着陸場所は遠く、着陸の撮影が上手くいかなかった。その代わり、離陸の姿を多く撮影出来た。

 

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セントレアの展望台 この先400mが撮影地点

 

人生の再離陸

 飛行機の離陸の姿は、元気を与えてくれる。重力に逆らって、遮二無二エンジンパワーを上げて、地面を離れたら機種を急角度に上げて、飛び立っていく姿は感動である。しずしずと上空から降りてくる着陸とはまた、違った趣がある。

 

離陸というスタート

 病を得て人生療養中の身には、離陸の姿は、人生の大空に向けて、再度飛び立とうという気持ちにさせてくれる眺めである。

 離陸する飛行機は1機だけではない。いろんな会社、国の飛行機が、それぞれの目的地に向かって飛び立っていく。自分も、人生で抱えるプロジェックとは一つではない。私も今まで多くのプロジェクトを飛ばしてきた。これからも夢あるプロジェクトを飛ばせたい。それには、まず離陸させないと、何事も始まらない。何事も始めるのに、遅すぎることはない。離陸の姿を見て、死ぬまでにやりたいことを、一つずつ離陸させようという気持ちが湧いてきた。

 セントレアのレストラン街はアジア系の人で賑わっていた。この場所は、私に刺激を与えてくれた。

 

生死

 離陸する飛行機と着陸してくる飛行機の数は同じである。飛び立てば、必ず着陸せねばならぬ。プロジェクトを始めれば、必ずその終結がある。生まれれば、必ず死がある。飛行機の離着陸は、人生を感じさせてくれる風景である。

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2019-06-07   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月 8日 (火)

河村義子先生の分身に出会う

 河村義子先生が逝去されて1週間たった2019年1月1日、友人とセントレアの「FLIGHT OF DREAMフライトパーク」に出かけた。そのショップに展示してあったボーイング707のジェットエンジンのタービンブレードカットモデルに、河村先生の面影を発見して、そのカットモデルを購入した。

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2018年1月のニューイヤーコンサート

 1年前の2018年1月13日に、ドレスデントリオと河村先生の共演の「ニューイヤーコンサート」をクインテッサホテル大垣で開催した。当時、河村先生がこの世の最後の演奏会と覚悟をして開催したとは、私には分かっていなかった。それでも開催にこぎつけるため、資金面、撮影、運営でお手伝いをできて、今にしてそのご縁に有難いと思う。そのドレスデントリオが、2018年1月7日にルフトハンザ航空機で到着するので、私はセントレアに出迎えに行った。

3dsc02821   2018年1月7日  ルフトハンザ航空機 セントレア着陸

4dsc02852   到着したドレスデントリオ

 河村先生が逝去されて1週間たった2019年1月1日、友人が当日、セントレアに行くというので、思いついてルフトハンザ機を含めて飛行機の着陸時の写真撮りを兼ねて、セントレアに出かけた。ところが、ルフトハンザ航空機は、当日のセントレア到着便はないのが分かり、撮影は空振りとなった。しかし、もう一つの来訪目的が、昨年末に開店したボーイング787の展示館「FLIGHT OF DREAMフライトパーク」の見学であったので、友人と見学して過ごして、今回のご縁に出会った。

 そこに併設されたショップで、ボーイング707のジェットエンジンのタービンブレードのカットモデルが売られていて、何か感じるところがあり、購入を決めた。値段は72,360円。残り2つの限定品だという。年初の最初の売上とかで、お店の担当者も喜んでいた。人は誰しも「限定品」「あと2つ」という魔の言葉に弱い。そのボーイング707エンジンの誕生年が河村先生の生まれ年が同じで、ジェットエンジンのブレードの役目が、ピアノの鍵盤を叩くことに重なって見えたから、ご縁を感じて購入を決めた。私が飛行機マニアであることも重なった。

 

陰の仕事

 ジェットエンジンのタービンブレードは、回転速度約10,000rpm、12時間の飛行(日本と欧州間の飛行)を年間150回するとして、その寿命が5年間として計算すると、ジェットエンジンのタービンは約5億回転して、旅客機の推力としての空気を後方に送ることになる。それで多くの海外旅行客を運ぶ仕事を陰で支えている。

 ピアノをモノにするには、一日8時間、10年間続けないと一人前のピアニストになれないという。単純計算で一秒に1回鍵盤を叩くとして計算すると、それを30年間続けると、3億回も鍵盤のキーを叩いてきたことになる。ひたすら鍵盤を叩いて、人びとに安らぎと喜びを与える音楽を世に送り続けているのがピアニストである。

 そのエンジンの製造年が河村先生の生まれ年と同じだと気が付いて、ご縁として購入を決めた。

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 川村義子先生の手 2015年1月23日

 

人知れず働くもの

 展示された目の前のタービンブレードが、人の見えないところで生きて仕事をすることの象徴のように感じた。人の目には触れず、小さな、当たり前の、繰り返しの仕事で、その長年の積み重ねが、社会に貢献していることを象徴していると感じた。飛行機の美しい着陸姿勢も、力強い離陸も、ひたすら巡航速度で飛行するのも、エンジンがひたすら回っているからできるのだ。しかしけっして表には出てこない。

 また30年前に、当日同行した友人が当時の職場で、GEからジェットエンジンのブレードを加工する機械の見積業務を私は横目で見ていた。その受注はできなかったが、私は見積用のエンジンブレードの実物を手に取って見たことをよく覚えている。それのご縁も購入を決めた一因である。

 

一燈を掲げて

 そのブレードを今日1月5日に、玄関に飾った。前衛芸術作品のようで、サマになっている。極限状態で稼働する部品には、贅肉が削がれ、極限の機能美がある。ブレードの曲面も芸術作品である。玄関に飾ってみて、見る角度によっては、十字架のように見えて、不思議さを覚えた。河村先生の家は臨済宗なので、キリスト教は関係ないが、言葉の綾で、十字架を背負い仕事をするという意味で、仕事の象徴として考えた。どんな小さいことも仕事として継続すれば、世の中に何かには貢献できる。仕事とは、ひたすら毎日毎日、同じことの繰り返し。その世の中に燈を灯す活動が集まって、大きな力となる。それが「一燈を掲げて暗夜を行く」(佐藤一斎著『言志四録』)と通じる。

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  馬場恵峰書 お手本として揮毫  2012‎年‎2‎月‎18‎日

 

2019-01-08 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年12月 6日 (木)

さよなら空の妖怪、F4ファントム

 アメリカ空軍の戦闘機名は、不気味な名前が多い。ファントムとは幽霊、亡霊、妖怪という意味である。ブードゥーは呪術師である。ヘルキャットは地獄猫である。そんな中で、ファントムはなじみの高い「妖怪」である。この50年間、自衛隊の主力戦闘機として、日本の空を守ってくれていた。ファントムも1966年から配属され、現在は世代交代でF15に入れ替わりつつある。その次はF35である。F35はずんぐりむっくり過ぎだし、エンジンの力で強引に飛ぶような雰囲気で、私の好きな飛行機ではない。

 

ファントムとは

 ファントムは1958年に初飛行し、1960年から米軍に正式配属され、1992年まで米軍の主力戦闘機として運用された飛行機である。ファントムは傑作機の誉れが高く、西側国家のほとんどで正式採用された戦闘機であった。ファントムは丈夫で長持ち、見方によっては、不格好だが、それでいて高性能の機体であった。西側陣営で5千機以上が生産された戦闘機はファントムだけである。

 

妖怪の定年

 53年前の1966年から日本の航空自衛隊に配属されたファントムは、現在でも日本の空を守っている。そのF4ファントム部隊も、残すは百里基地の301、302師部隊があるだけで、来年には、日本のファントムは全機が引退である。妖怪にも定年があるのだ。寂しい限りである。今回の岐阜航空祭(2018年11月18日)で、百里基地のファントムが展示されていた。これが、岐阜基地での見納めである。操縦するパイロットも、機体が航空自衛隊に配備された後に生まれたという。

 側面の「オジロワシ」の絵がかっこいい。垂直尾翼の部隊マークは、「オジロワシ」は北海道をイメージしている。「三○二」、つまり青い翼が「三」、白い尾羽が「○」、黄色い足が「二」を表している。漢数字であることが日本的でカッコいい。

 オジロワシは「タカ目・タカ科」の絶滅危惧Ⅱ類で、50年も日本の防空を担ったファントムも同様に、絶滅の危機にある。

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     百里基地302部隊

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054k8a1561  岐阜基地 飛行開発室所属

私の人生と共に

 1966年からと言えば、私の高校生時代から定年までの人生の主要な時期を、ファントムは、日本の空を守っていた。多くの人は、それに意識をしないが、防空は大事な仕事である。現在では、年間千回前後の領空侵犯事件がある。その大多数が中国とロシアである。平成29年度は904回の領空侵犯である。前年は1,168回である。そのたびごとに、自衛隊の戦闘機がスクランブル発進をして、日本の空を守っている。「妖怪」は仏様の親戚で、日本を守ってくれている。

 一回スクランブル発進をすると、ガソリン費を含めて約1千万円の費用がかかる。年間で約100億円である。いわば中国、ロシアはその金(国税)を強奪していると同じである。領土強奪の確信犯の最たるものだ。

 家でも戸締りをしなければ、空き巣泥棒の被害にあう。まして、自宅の庭に凶器をもったゴロツキがうろつけば警察に電話をして家を守るのが常識である。国も戸締りをせねば、国土が盗まれる。その国防を否定した野党は、国家の基本概念を理解していない。それでは政権を担う資格がない。実際に民主党が政権を担ったら、とんでもないことになったのは、歴史の証明である。

 

妖怪とのご縁

 ファントムは、私が一番好きな飛行機である。ファントムのソリッドモデル(木製)製作にも凝り、高校生時代に製作した作品は、現在も大事に保管している。キャノピーも手作りです。残念ながら、まだ下塗りの段階で、水平尾翼が未完です。23度の角度を付けて、水平尾翼取り付け用のピート菅は取り付けてある。

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風刺コントのペンネームのご縁

 新聞の風刺コント「かたえくぼ」にも、「大垣・オバケ」の投稿ペンネームで常連として掲載された。「オバケ」のペンネームもファントムを意識して付けた名前である。それでなにかご縁を感じた飛行機である。

 

かたえくぼ

『 九大簡単に 封鎖解除』

 八百長と違うのか 

  ―― 野球ファン (大垣・オバケ) 1969.10.18 朝日新聞

 

 1968年6月2日、九州大学の校舎にRF-4Cファントム偵察機が墜落した。学生部自治会が、その残骸の撤去に反対して、校舎の屋根にファントムの残骸が宙ぶらりんの状態になり、それが1年6ヶ月続いた。当時は学園のバリケード封鎖が当たり前の風景である。この事件で、九州大学では学生運動が活発化し、1969年3月に予定されていた1968年度の卒業式は中止になった。1969年5月20日からは全学的に各学部自治会が無期限スト、建物のバリケード封鎖を行った。突如、10月14日に機動隊約4,400人が導入されて封鎖を解除した。意外とあっけなく封鎖が解除され、皆さん驚いたもの。この同時期に野球の八百長試合が発覚して、それにかけて風刺しました。

 今思うと、当時の学生運動は一体何だったんだ? 妖怪に取りつかれたようだ。幸い、私の通った大学はノンポリばかりで、平和(?)に勉強できた。

 

鬼太郎のリトグラフ

 2018年11月18日、岐阜航空祭で引退まじかのファントムを再発見して、11月28日に境港市で、妖怪たちに会ったのもご縁であろう。そのご縁で、迷っていた鬼太郎のリトグラフを注文する決断ができた。聞けば正真正銘の日本で最後の注文のリトグラフだとか。水木プロは妖怪のリトグラフの注文受付を11月末で打ち切った。その納期は来年である。

 

2018-12-06 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年12月 3日 (月)

ブルーインパルスの闘い

ブルーインパルスとは

 ブルーインパルスは、航空自衛隊に所属する曲技飛行チームである。 1995年に第4航空団飛行群第11飛行隊として発足し、広報活動を主な任務とし、展示飛行を専門に行う部隊として活躍している。世界の曲技飛行隊の中でも、スモークを使用して空中に描画を行うのが得意なチームである。

 ブルーインパルスの隊員は、全員が命を掛けて、観客に感動を与えている。隊員が命を掛けても一銭も儲からない。命がけの飛行をしても手当ては普通のパイロットと同様である。守銭奴とは、価値観が違うのだ。

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 隊員は3年の任期で、21名のチームで構成されている。飛行隊員から整備員、広報員までが、全員が一丸となって、ブルーインパルスの使命を全うする。整備担当に与えられたテーマは、安全に飛ばす整備をすること。広報の隊員は、全力でブルーインパルスの魅力を宣伝する。隊員は日本の誇りを背負って飛ぶ。飛行隊員だけでは、ブルーインパルスは飛べない。全員のチームワークがあって飛ぶ。それが日本の空を守る意思の表示でもある。

 

各務ヶ原岐阜基地航空祭

 2018年11月18日、ブルーインパルスの曲技飛行は、各務ヶ原飛行場のエプロンに集まった14万5千人の観客を感動させ、日本の誇りを感じさせた。現地はブルーインパルスの曲技飛行を見る人で、身動きできない混雑さである。いつ見ても、ブルーインパルスの曲技飛行にはわくわくする。ブルーインパルスは飛行技術の粋を極める。それが自衛隊全体の士気と技術の向上になる。

 当日、私は100~400㎜レンズで撮影したので、全体の空中での描画の全体が撮影出来なかったのが残念であった。曲技飛行の撮影には広角のレンズの2台持ちでないといけない。ハートやスターのマークなどの空中描画が素晴らしい。東京オリンピックでは、五輪のマークを空中に描画する予定である。

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花束贈呈

 曲技飛行が終わって、エプロンに機体と隊員全員が整列し、で一日基地司令のミス各務ヶ原からブルーインパルスの隊長に花束贈呈があった。その横で、小学校生の一日基地司令も同席して微笑ましい。

 その後、飛行隊員は引き揚げたが、整備員が給油、点検と松島基地への帰還準備で忙しい。その風景を撮影して満足である。

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064k8a1428  ミス各務ヶ原の一日基地司令より花束贈呈。横に小学校生の一日司令官

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パイロットのお仕事

 パイロットの選出では、操縦技量が優れているのは当然で、高度なチームワークが要求されるために協調性が必須である。また、広報活動が主な任務で、航空自衛隊の代表として観衆と接するため、社交性も要求される。

 パイロットは、それまで戦闘機部隊では未体験の操縦技術を習得せねばならない。一般の戦闘機部隊で戦闘機を自在に操っていたパイロットでも、訓練内容は高度で厳しい。3年間の高度な訓練の中で編隊飛行の操縦技量等が著しく向上し、3年の任期終了後に一般の戦闘機部隊に戻ると、空中集合の早さに同僚のパイロットから驚かれたり、「どうしてこんなに編隊が上手いの?」と質問されたりするという。高度な操縦技術を3年間みっちり行なえば、一般の部隊に戻った後にフィードバックできることも多いようだ。これは車メーカがF1チームで、最高の技術を展開するのと同じ手法である。

 

リーダの役割

 1番機(編隊長)は編隊の先頭を飛行して、編隊の隊形の基準になるため、正確な操縦が要求されるが、僚機の追従が難しいような操縦は出来ないため、慎重な飛行が求められる。すべてのメンバーを統率し、高度や安全の責任をすべて負う役割で、戦闘機部隊でも飛行班長クラスのベテランが任命される。

 

当日の曲技飛行のバリエーション

コーク・スクリュー

 5番機と6番機が正面右方向からアブレスト隊形で進入して、5番機が背面飛行になった後、6番機が5番機を中心として3回のバレルロールを行い、スモークでコルクの栓抜き (Cork Screw) のような軌跡が描かれる。

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タック・クロス

 会場正面から5番機と6番機が進入、会場から見て右側が5番機、左側が6番機[290]。2機が同時に背面飛行になったあと、5番機が右ロール、6番機が左ロールした後に互いに交差する。5番機が左側へ、6番機が右側へそれぞれ上昇しながら2回転半ロールした後にスプリットSの機動で降下。滑走路上で背面飛行となり、そのまま2機がすれ違う。

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他の曲技飛行のバリエーション

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2018-12-03 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年5月12日 (土)

岐阜かかみがはら航空宇宙博物館~訪問記2/2

零戦「海軍十二試艦上戦闘機」の実物大模型

 零戦の試作機の実物大模型が飛燕の上の空中に吊り下げて展示されている。そのため、至近距離では見られず、少し残念である。この試作機の初飛行は、この各務ヶ原飛行場である。小牧の三菱重工で製作され、牛車でここまで運ばれたと聞いた。当時の物資の無い日本の状況を象徴している。

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UF-XS実験飛行艇

 我が国が誇る救難飛行艇US-1A、哨戒機PS1の基礎技術を開発した機体である。新明和工業が、名機二式大艇のDNAを受け継ぎ、この実験機で多くのデータを集積して、今の飛行艇を開発した。どんな技術でも同じであるが、天才技術者が、名機を作るわけではない。地道な実験を繰り返し、多くの失敗の塗炭の苦しみを経て、素晴らしい技術が獲得できる。それが名機の誕生となる。飛行機はその技術の集大成なのだ。だから惹かれる。

 この博物館では、上から俯瞰できるのが良い。米国スミソニアン航空宇宙博物館でもこうはいかない。上から俯瞰する飛行機はなかなか良い眺めである。

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  UF-XS実験飛行艇の技術が花開いた水陸両用の救難飛行艇US-1A

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 日本独自開発の超音速ジェット機T2 ブルーインパルス(2代目)に採用された

134k8a9615 超音速ジェット機T2高等練習機を改造した研究機

 コンピュータ制御確立に貢献した研究機

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 日本で初めてラセンス生産された超音速ジェット戦闘機F-104

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飛行シミュレータ

 飛行シミュレータも、以前はセスナの機体であったと記憶しているが、現在はジェット旅客機の操縦席になっている。親子で体験している姿が微笑ましい。

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再会

 この博物館で偶然、前職場の研究開発部で一緒に仕事をした元I次長に再会した。20年ぶりの再会である。現在85歳でお元気である。現在は特に仕事は何もやっていないが、リンドバーグ著「翼よ、あれがパリの灯だ」を翻訳されて自家製の本にされたとか。「それは既にあるではないですか」と問うと、その翻訳本の日本語があまりにひどいので自分で訳し直したという。そのデジタルブック版を贈って頂けることになった。縁は異なもの。犬も歩けば棒に当たる。まず出歩かないとご縁には出会えない。

 

2018-05-12

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite  Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

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2018年5月11日 (金)

岐阜かかみがはら航空宇宙博物館~訪問記1/2

 本博物館は、航空と宇宙の展示を兼ねた国内唯一の専門博物館で、実機34機、実物大模型9機の計43機が展示されている。リニューアル後は1.7倍に拡大された敷地に、実機展示数で日本一を誇る飛行機が展示されている。ここ各務ヶ原は、ライト兄弟が動力飛行に成功した1903年から14年後の1917年に、国内二番目の飛行場が作られた由緒ある場所である。

 2018年5月9日、上記博物館を見学した。当初は車で、と思ったが、国道21号線、岐阜~各務原市の道路渋滞状況を考えて、電車で行くことにした。ガイドパンフレットで、名鉄「各務原市役所前駅」下車とあったので、博物館が駅の近くにあると勘違いをした。駅から3.5キロほどの距離があり、歩けないことはないが、バスに乗らねばならない。知らずに途中まで歩いて、客待ちのタクシーにその距離を教えられ、即、タクシーに切り替えた。バスの本数は少ない。

 

トヨタの新型タクシーに乗車

 各務原市役所前駅から博物館まで1,500円である。偶然、乗ったタクシーがトヨタの新型タクシーであった。その利便性、快適性を体得した。背が高いので乗りやすい。前職でホンダのスポーツカーNSXに試乗したことがあったが、実に乗りにくい。サーキットならともかく、一般道を走るには視線が低すぎて視界が狭く乗りにくいし、シートが低いので、乗り降りが大変だ。改めて、恰好は悪いがトヨタの新型タクシーは快適である。車は性能や格好じゃないよ、乗り心地、利便性だよ、と納得した。人との付き合いも、学歴や肩書、利害関係ではないよ、人柄だよ、と実感する事例に最近は度々遭遇してその想いを新たにした。

 

博物館に到着

 入門ゲートを過ぎると、屋外に展示されたヘリコプターV-107A、YS11、救難飛行艇US-1A、対潜哨戒機P-2Jが出迎えてくれる。まず写真撮影で忙しい。観客が飛行機の前から離れるの待っている時間がもどかしい。観客の姿を飛行機の写真に入れたくはないからだ。

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入館

 入場料に60歳以上はシニア割引があり、この時だけ歳をとった有難さを感じた。当日は、春の連休の大混雑も過ぎて、程よい人数の観客であった。私は飛行機を見るとわくわくする。写真を撮りまくって幸せな気分となった。私が若い頃(20代、30代)に話題になった飛行機がズラーっと展示されており、至近距離で眺めて写真を撮れて嬉しくなった。飛行機にはロマンと夢がある。技術者として技術の粋を集めた形を見ているだけで楽しい。この博物館には20年ほど前に来たことがあったが、それ以来ご無沙汰である。今回、戦闘機「飛燕」も復元展示され、この3月24日にリニューアルオープンされ、何時行こうかと思っていた矢先である。

飛燕

 復元された飛燕は、至近距離で見ると威圧感があり、思った以上に重厚で大きい。展示の照明もわざと暗いして、銀色の機体が映えるように配慮されていた。各所に、制限された環境で開発を進めた先人の技術者の苦労が見て取れる。写真で見ていたスマートな戦闘機とはイメージとは、かなり違う。

 飛燕の機体にも零戦で開発された沈鋲式リベットも採用されている。当時に最先端技術である。戦争とは国力の総力戦であることは、最先端の戦闘機を見るとよくわかる。当時はガラス素材の技術が米国に劣り、家の窓のように枠にガラスをはめたような操縦席の窓ある。対抗する当時に米国戦闘機は、全面一体式のガラス窓となっている。そこに技術の底力の差を見る。その差を設計力で補おうとした当時の設計者に頭が下がる。

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2018-05-11

久志能幾研究所 小田泰仙   著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。