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2020年7月 5日 (日)

ブルーエンジェルスは使命で飛ぶ。愚人は保身で地べたを這う

天使からのメッセージ

 終活として昔のフィルムを整理していて、1971年のブルーエンジェルスのカラースライドを見付けた。当時、まだカラーフィルムが高価であったので、白黒とカラーフィルムの使い分けをしていて、このカラーフィルムの存在をすっかり忘れていた。

 

医療関係者への感謝と敬意の編隊飛行

 日本のブルーインパルスは、5月29日、新型コロナウイルス患者に治療をする医療関係者への感謝と敬意を表すため、東京都心の上空を展示飛行して話題となった。ただ残念ながら、この展示飛行はアメリカの真似である。真似でも皆さんが喜んでくれたので、良いことだ。

4k8a1284s  ブルーインパルスの飛行 2018年11月18日 岐阜航空祭にて

 日本のブルーインパルスの展示飛行の1か月前、4月28日~5月15日、米国の2大曲技飛行チームのサンダーバーズとブルーエンジェルスは、全米各地(21か所)で、新型コロナウイルス患者に治療をする医療関係者を表敬するため展示飛行をした。日本とは規模が桁違いである。

  日米の曲技チームは、命をかけてコロナと闘った医療関係者に、自分達の命をかけて敬意を表したのだ。

 

半世紀前のブルーエンジェルス来日

 1971年10月、国際航空宇宙ショー(会期1週間)に米海軍のブルーエンジェルスが曲技飛行を披露するため、名古屋空港(小牧)に来日した。ブルーエンジェルスは、国際航空宇宙ショーでの展示飛行を行うため、前日、その練習飛行をした。私は当時、大学生で、学校をさぼりカメラを担いで出かけ、撮影に没頭した。

 

汚名を着せられる

 しかしF-4はジェットエンジンが双発で、出力が大きく、それが4機で編隊を組み、超低空を舞い、エンジン出力を最大にしてアクロバット飛行すると、轟音と振動で近隣住民から「窓ガラスが割れた」「屋根瓦がずれた」などの苦情が同基地に殺到した。そのため、翌日の曲技飛行は中止となり、大人しい展示飛行が1回のみとなった。

 「国際航空宇宙ショー」事務局の当初計画では、ブルーエンジェルスの展示飛行が最大の見せ場であった。それが肝心の曲技飛行が中止となり、単なる編隊飛行の披露だけになった。少し演技飛行をしたが、騒音防止で高度を取り、エンジン出力を上げない大人しい飛行であった。前日に迫力ある練習飛行を見た私には、拍子抜けする演技飛行であった。まるで仕事の鬼が、単なる作業をイヤイヤしているようなものであった。

 

抗議表示

 その飛行も着陸ギアを出しての飛行である。戦闘機が着陸ギアを出すとは、相手に対して降伏の意思表示を意味する。半世紀を経って初めてこのことに気がついた。ブルーエンジェルスは、この行動で自分達の抗議を表示していたのだと。

 

仕事と作業

 仕事とは事に仕えることだ。それに命を賭けることだ。それを使命感という。

 作業とは、活きるための生活費を稼ぐためのルーチンワークである。お役所の「おしごと」である。「仕事」と「おしごと」とは、似て非なるものだ。

 

青い天使の仕事、愚人の作業

 ブルーエンジェルスのクルーたちは、ファントムの狭いコクピット内で拘束されて(酒も飲めず、寝られず)、長時間かけて太平洋を横断して日本に来た。日本の観客のため、命を賭けて、持てる技量を最大に発揮して、事前演技練習をした。ところが、それが小牧の地では問題になった。ブルーエンジェルスには、全く落ち度がない。

 ブルーエンジェルスは、航空宇宙ショーの華々しい主役の座を拒絶された。世界最高の技術を持つと自負する彼らには、最大の屈辱である。日本事務局は彼らに恥をかかせた。日本事務局の役人は、仕事でなく作業をしていた。騒音が出ることは当たり前のことで、それを苦情が来たからと中止にするのは、己の保身に徹した行動である。なぜ命を賭けて、「ブルーエンジェルスを呼んだという仕事」に命を賭けられなかったのか。

 

作業しかしない会社は淘汰される

 まるで最近の会社の不祥事を見るようだ。単なる作業をして、自分の保身に窮境としているから、会社が問題を起こす。そして市場から淘汰されていく。

 ブルーエンジェルスのメンバーは「日本になんかもう二度と来ねぇよ!」と言い残して、日本を去った。その心情がよく理解できる。

 世界最高の技量を持つ彼らでも、そういう非合理を受けることが日本社会の現実である。この事件は49年前であるが、半世紀たっても、その状況は変わっていない。

 

愚人の「おしごと」

 会社での仕事とは、経営理念に沿って、会社の命を賭けて業務を全うする。それができず、金儲けややっている振りだけで邁進した会社や組織が世間を騒がせている。

 日産、東芝、東電、三菱自動車、JR西日本、パナソニック、ソニー、大垣市政等の会社・組織で、東大出の社長が使命感を忘れ、その座に居座って日本社会に跋扈している。ある日、不祥事が露見して栄光の座から消える。

 日米の曲技チームが、命をかけて新型コロナと闘った医療関係者に、自分達の命をかけて敬意を表している。それに対比して、小川敏は、新型コロナ騒動に便乗して、業者から寄付の贈呈式で岐阜新聞に頻繁に記事を掲載させて、6選へ向けた事前選挙活動をしていた。これでは大垣が没落して当然である。

 

天網恢恢疎にして漏らさず

天之機緘不測  (菜根譚)、

 天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知れない。

 

以下は、ブルーエンジェルスが正式の演技飛行を撮影した写真である。前日の練習飛行に比べて、編隊飛行が主体の大人しい飛行であった。

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04img0150s  脚を出して飛ぶブルーエンジェルス

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11img0141s  超低空をフライパス

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19img0174s  一番機が背面

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2020-07-05 久志能幾研究所通信 1655 小田泰仙

累計閲覧総数 185,805

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

2020年6月13日 (土)

ブルーエンジェルズ、窓際族にされ悔し涙

 1971年10月、国際航空宇宙ショー(会期1週間)に米海軍のブルーエンジェルズが曲技飛行を披露するため、名古屋空港(小牧)にやってきた。

 ブルーエンジェルズは、国際航空宇宙ショーでの展示飛行を行うため、前日、その練習飛行をした。しかしF-4はジェットエンジンが双発で、出力が大きく、それが4機で編隊を組み、超低空を舞い、エンジン出力を最大にしてアクロバット飛行すると、轟音と振動で近隣住民から「窓ガラスが割れた」「屋根瓦がずれた」などの苦情が同基地に殺到した。そのため、翌日の曲技飛行は中止となり、大人しい展示飛行が1回のみとなった。

 

左遷

 「国際航空宇宙ショー」事務局の当初の計画では、ブルーエンジェルズの展示飛行が最大の見せ場になるはずであった。それが肝心の曲技飛行が中止となり、単なる編隊飛行の披露だけになった。少し演技飛行をしたが、騒音防止で高度を取り、エンジン出力を上げない大人しい飛行であった。前日に迫力ある練習飛行を見た私には、拍子抜けする演技飛行であった。まるで仕事の鬼が窓際族になったようなものであった。

 

抗議表示

 その飛行も着陸ギアを出しての飛行である。戦闘機が着陸ギアを出すとは、相手に対して降伏の意思表示を意味する。この一連の飛行写真を整理していて、50年経って初めてこのことに気がついた。ブルーエンジェルズは、この行動で、自分達の抗議を精いっぱいの抗議をしていたのだと。

 

天の人事、左遷人事

 ブルーエンジェルズのクルーたちは、ファントムの狭いコクピット内で拘束されて(酒も飲めず、寝られず)、長時間かけて太平洋を横断して日本に来た。日本の観客のため、命を賭けて、持てる技量を最大に発揮して、事前演技練習をしたら、それが小牧の地では問題になった。ブルーエンジェルズには、全く落ち度がない。

 ブルーエンジェルズは、航空宇宙ショーの華々しい主役の座から窓際族に追いやられた。世界最高の技術を持つと自負する彼らには、最大の屈辱である。日本の事務局は彼らに恥をかかせたのだ。

 

地の人事

 まるで自分の会社生活での人事を鏡でみているようだ。会社のため、全力で仕事に取り組んだら、それが一部の人間のご機嫌を損じ、告げ口をされて閑職に飛ばされた。自分としては、正しいことをした。役員会で承認されプジェクトを別に対象に適用したら、私の行動に不満を持つ輩がそれを告げ口した。それと同じである。

 ブルーエンジェルズの隊員達は「日本になんかもう二度と来ねぇよ!」と言い残して、日本を去った。その心情がよく理解できる。

 世界最高の技量を持つ彼らでも、全く落ち度がなくても、そういう不遇を受けることが人間社会の葛藤だと分かると、自分が受けた理不尽な人事など、長い人生では不思議でない事件だ。最近、そう達観できるようになった。

 

三流会社の人事

 会社での人事は、所詮、好き嫌いだけのことである。役員は、自分の大学の後輩が可愛いのだ。どうしてもその後輩を依怙贔屓する。そういう人事が横行すると、会社は傾いていく。それで前職の会社は市場から消えた。

 日産、東芝、東電、三菱自動車、JR西日本、松下電器、ソニー等そういう会社が、東大出の社長を筆頭に日本社会に跋扈していたが、ある日、不祥事が露見して栄光の座から消えた。

 当時、私の職場でエリートとして依怙贔屓を受けた輩は、ひいきしてくれた役員がいなくなり、閑職に飛ばされた。彼も近いうちにその職場で定年を迎えるようだ。もう一人は、大学に逃げて帰った。

 会社の人事という些少な事には気を止めず、自分は自分の信じた道を歩めばよいのだ。

 天網恢恢疎にして漏らさず

 天之機緘不測  (菜根譚)、

  天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知れない。

 

 以下は、ブルーエンジェルズが正式の演技飛行を撮影した写真である。編隊飛行のみの大人しい飛行であった。

 その翌日は雨であった。ブルーエンジェルズが流した悔し涙のような雨であった。

 

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00060007s  1971年11月1日撮影  Canon PEPLLIX  FL200mmF3.5

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雨の中のブルーエンジェルズ

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00060036s   1971年11月2日撮影  Canon PEPLLIX  FL200mmF3.5

  

2020-06-13 久志能幾研究所通信 1630 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月11日 (木)

ブルーエンジェルズの初来日、天使の激怒

 1971年10月、国際航空宇宙ショー(会期1週間)に、米海軍のブルーエンジェルズが曲技飛行を披露するため、名古屋空港(小牧)にやってきた。私は当時大学生で、大学の授業を1週間まるまる欠席して、カメラを担いで名古屋空港に毎日通った。

 1971年10月28日、国際航空宇宙ショーの前日、ブルーエンジェルズが練習飛行を小牧の空で繰り広げた。私は一眼レフに200mm望遠レンズを装着して構えて、写真を撮りまくった。私は、その曲技飛行を目の前で見られて幸せであった。

 

終活

 添付の写真は、当時のフィルムネガからデジタル化をしたばかりである。終活として家中を整理整頓していたら、当時のフィルムが100本ほど出てきて、それを、デジタル化した。それにブルーエンジェルズが写っていた。50年前のことですっかり忘れていた。

 

苦情殺到

 ブルーエンジェルズは「国際航空宇宙ショー」での展示飛行を行うため、前日、その練習飛行をした。しかしF-4はジェットエンジンが双発で、出力が大きく、それが4機で編隊を組み、超低空を舞い、エンジン出力を最大にしてアクロバット飛行すると、轟音と振動で近隣住民から「窓ガラスが割れた」「屋根瓦がずれた」などの苦情が同基地に殺到した。そのため、翌日の曲技飛行は中止となり、大人しい展示飛行が1回のみとなった。

 

鬼の怒り

 「日本になんかもう二度と来ねぇよ!」とブルーエンジェルズのクルーらはこう言い残して、日本を去ったと伝えられている。

 私も当時のB747ジャンボ機のビジネスクラスで、酒を飲み、寝ながら太平洋を横断した(仕事で、1985年)が、それでも、12時間の太平洋横断飛行では疲労困憊になる。それをブルーエンジェルズのクルーらは、狭いファントムのコックピット内で過ごし、太平洋を横断してきた。それが日本の観客のため喜んでもらおうとした演技飛行が、前日に拒否された。「国際航空宇宙ショー」事務局に、そんな対応をされたクルー達の怒りと失望の心境が、よく理解できる。

 

仕事の鬼

 ブルーエンジェルズのクルーらは、曲技飛行を「仕事の鬼」として、「天命」として命を賭けて演技をしている。それも米国の威信と名誉をかけての曲技飛行である。日米の友好の絆としての曲技飛行である。事実としては、この一件以来49年間二度と来日していない。

 時の「国際航空宇宙ショー」事務局が、飛行中止とさせた対応は、最悪であった。役人の事務員は、住民の声に恐れを抱き、曲技飛行を中止とした。もっと大きな観点での判断ができなかったのか。役人どもは、保身に汲々として、ドタバタの対応をした。彼らは、世界の冷酷な現実が何もわかっちゃいない。50年前は、まだまだ自衛隊も日陰者扱いである。駐留する米軍の存在も、当時活動が盛んな学園紛争の攻撃材料であった。今にして振り返ると、あの学園紛争は何だったんだ。

 もし、米軍が日本に駐留していなかったら、中国の侵略を受けていて、今頃、沖縄は中国領となっていたかもしれない。今でも竹島は韓国に占領されたままである。北方四島は帰ってこない。国連憲章では、いまだ日本とドイツは敵国扱いである。

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  1971年10月28日撮影、Canon PELLIX   FL200mmF3.5

2020-06-08 久志能幾研究所通信 1629 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月 4日 (木)

観察記:スミソニアン航空宇宙博物館と大垣市狂走(1/2)

冷酷な技術展示

 1984年8月13日、スミソニアン航空宇宙博物館を見学した。ここは大人も子供も興奮の大人のビックリ箱(大人のオモチャと言うと語弊がある?)。26のテーマブースに分かれた部屋は、飛行機、宇宙船の夢の世界である。飛行機マニアの私は、どこから見ていいのか目ウチュウりして、困るほど。

 各ブースでは各テーマのビデオ画面が10~20程あり、エンドレスに上映されている。この建物の全ビデオ数は200~400はあると推定される。まともに見入ったいたら日本に帰れなくなるほど。ここは1回来ただけではとても、スミソーニぁないほど量・質が高い。(初稿 1994年8月)

 

B29エノラゲイ号  RESTORATION OF THE ENORA GAY

 26の部屋に分かれたテーマブースの一つが、第2次世界大戦の戦闘機、爆撃機である。ここの入口のビデオコーナが、広島に原爆を投下したB29エノラゲイ号の記録であるのはこの大戦の象徴である。

 その内容は、原爆投下までの記録、被災者の治療中の映像、広島市街、被爆後の広島ドーム、階段に写った死者の影等の映像が淡々と映し出して、単に記録の映像に徹しているので不気味である。特に原爆投下直後の機上からの映像で、画面が爆発の衝撃で大きく揺れるのは無言で不気味な迫力がある。

 あと後半に現在、8000時間をかけて、展示の準備復元中の映像があった。この入り口の展示に多少のアメリカの特別なる配慮を感じた。結構多くの人が足を止めて見入っていた。

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    図⒌10   B29エノラゲイ号のビデオ 

 

後日談

 帰国後に見た1994年9月2日付、日本経済新聞紙面で、このエノラゲイ号の展示をめぐってもめている話が掲載されていた。来年にこの博物館での特別展示「最終章 原爆と第2次世界大戦の終わり」のテーマブースにこの機を展示する計画だが、その内容が日本側の戦災にだけ焦点をあて、バランスを欠くとの抗議が米退役軍人や議会からのクレームが来て一騒動を起こしていた。歴史としての冷静な観点で展示したい博物館側と自分の不利益に直結するのを嫌がる軍政界人との衝突である。米国内でもこの話は統一がされていない。

 非戦闘員を対象にした原爆投下が犯罪なのは説明するのもけがわらしい。当時日本国内で終戦工作のためソ連に働きかけている動向が米国に筒抜けで、敗戦必至の日本に原爆を投下したのはソ連への牽制であったのは現代史に係わる人には常識の話である。50年経っても真理の分からない軍人は世界のお荷物である。人間の生死に係わる歴史にたずさわる以上は軍人・政治家は後世の批判を仰がねばならないし、自己弁護は許されないと思う。後世に伝えうるのは事実だけだ。その厳しさを、米国のボンクラ共はちっともワカッチャーいない。米国が世界の指導者の立場で、今一番求められるのは謙虚さである。ちなみに、この機は1984年から35,000時間と百万ドルの費用をかけて修復されているそうだ。

 

零戦

 第2次世界大戦の戦闘機、爆撃機のブースに入ってすぐの頭上に零戦52型が宙に浮かぶ形で展示してある。中二階に上がると目の前に零戦が「飛んで」いる。ここにあるメーサーシュミットM109、ムスタングP51 、スピットファイア、B26等に比べて破格の展示処遇である。これを零戦の技術の高さへの敬意と、私は理解して嬉しくなった。展示の機体はかなり程度の良いものである。

 しかし、防備の貧弱な零戦は、終戦近くには米軍機の恰好の餌食にされた。脚を上げて展示してあるこの零戦は、その点で足をすくわれたことを象徴していると見るのは、皮肉好きな私の考え過ぎかしら?

 技術者の目で零戦を見ると、いつも極限設計の意味を考えさせられる。零戦は極限までの限界設計をして、当時としては最高の性能を誇った機体であるが、その限界設計がその後の発展に大きな制約になったことは考えさせられる。零戦出現後に米国で開発された機体は全て「おおらかな」設計(余裕のある設計)をしている。逆にこの事がエンジン乗せ替え等の性能向上の改造設計にどれだけ貢献したかわからない。極限設計した零戦はあまり後の設計変更が効かなかった。極限設計には「余裕」がない。

 そのことは機械設計だけでなく、人生すべてに言える事だと思う。なにごとも余裕がないとその後の進歩は知れたもの。無駄のない張り詰めた設計には美しさがあるが、日々の技術革新が求められる世界では、その緊張は永くは続かない。人生の真理だろう。

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    図⒌11   零戦52型

  二階に上がると目前に飛ぶように浮かんでいる

 

アポロ11号の母船

 この宇宙船が1Fのメインブースに展示されている。この宇宙船の外側や脚は熱反射用の銀紙、金紙で覆われているので、まるでオモチャのように見える。これを見ると、アボロ11号の偉業も、米国のどこかの砂漠で模擬演習したのを、あたかも月に行ってきたように見せた嘘のショーだと言う説が、もっともらしく見えるからおかしい。

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    図⒌12 アポロ11号の母船

  

飛行機用コンピュータ

 航空機用の1958年開発のIBMのコンピュータのメモリーは、たった4Kバイトで、2,400 ㎏の図体である。知識として知っていても、実物を見ると感慨にふけさせられる。ENIACの例もあるが、あれは大きすぎて実感として分かりづらい。航空機の発達はコンピュータの発達と歩調を合わせて進んできた。それの進歩の激しさを各コンピュータボードの展示で見せるので興味深い。ジェミニの小さな宇宙船の中で、大きなスペースを占めるコンピュータボードを小さくするのが如何に重要なテーマだったかが理解できる。

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    図⒌13  4Kバイトのメモリー

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    図⒌14  ジェミニとアポロのコンピュータボードの比較

 

2020-06-04 久志能幾研究所通信 1618  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年5月29日 (金)

英国戦争博物館 ゼロ戦の落日 

 1991年6月に英国戦争博物館を見学した。この英国戦争博物館には、日本の零戦のコクピット部のカット展示がされていた。昔からこの博物館の零戦はその筋では有名で、飛行機キチガイの私は見学することが長年の夢であった。しかし実物に接して本来嬉しい筈が、何故か悲しいとか、虚しいとか、なんとも言い難い心境になってしまい、予定外の心境に陥ってしまった。先の英国科学博物館での技術の歴史への感激とは全く異質の心境である。

 この展示を見て感じたのは、当時世界最高の戦闘機と呼ばれた零戦の、航空雑誌の写真では分からなかった工作技術の意外な低さであった。まるで出来の悪いブリキ細工のオモチャみたいに見えて、私は悲しい思いにさせられた。こんなものに命を託して、お国のために戦わなければならなかった当時の人々の哀愁が漂ってきて、先に見た大英博物館でのエジプトのミイラ棺を連想してしまった。

 

技術の並列展示

 この零戦を単独で見ればそう感じなかったかもしれないが、並列して展示してある同時代のランカスター爆撃機(英)、スピットファイア(英)、フォッケウルフ(独)、ムスタング(米)と比較すると当時の日本と欧米の製造技術の格差が認識でき、戦争に負けた一端の理由が技術者として理解できる。

 例えば、操縦席のガラス(キャノピー)を比較すると、ゼロ戦は金属枠で囲われたガラス構成である。それに対してムスタングやフォケフルフ、スピットファイアのキャノピーは一体型で金属枠が無いか少ない。これは日本に高性能のガラスを製造する技術がなかったから、金属枠で補強をせざるを得なかったためである。小さな技術の積み重ねで航空機はできている。それが航空機の部品の隅々に現れる。それが国力の差である。

 

工作機械はマザーマシン

 零戦を見たのはこれが最初ではなく、日本でも航空ショーで見ているのだが、こういう製造技術のレベルで比較観察したのは初めてであった。工作機械はマザーマシンと呼ばれてその国の技術の基盤をなすものだが、それがこういった兵器の形の最先端の工業製品にその底力が現れるものだと、歴史の証拠として示してくれた。ゼロ戦だけ地上に晒しの者のように展示してある。そういった事をさり気なく、この差が分かる者には明白に示す英国人の意外と冷酷な性格もヒンヤリと感じた。

 この零戦は当時としは世界最高水準の設計であったが、その設計技術に製造技術が追いつけ無かった例としては良い実例であると私は思う。しかし歴史は皮肉なもので、今欧米がこのギャップの手痛いしっぺ返しを日本から受けていると言うと言い過ぎだろうか。今や日本の工作機械、電子技術なしには米国の最先端兵器が生産出来ないのはアメリカ政府のジレンマであろう。

 

東芝機械ココム違反事件

 その苛立ちの象徴がココム違反事件である。東芝機械ココム違反事件とは、1987年に日本で発生した外国為替及び外国貿易法違反事件である。東芝機械がソ連に輸出した工作機械は、潜水艦のスキュー加工の精度が上がり、海中での騒音の低減になった。そのためソ連の潜水艦技術が進歩して、アメリカ軍に潜在的な危険を与えるようになった。それが日米間の政治問題に発展した。

 工作機械業界は有る面では3Kの一面を持っているが、基礎製造技術として技術国家にとってかけがいの無いもので、今後この面の軽視は許されないと感じた。この事を示唆してくれたこの博物館の意義は大きい。

 

戦争博物館の本領

 なおこの博物館は兵器ばかりでなく戦争の悲惨さを描いた絵画、写真、映画、青年を徴兵に誘う当時のポスター、ヒットラーの歴史上の記録も2階、地階に同時に展示してある。日本の防衛庁等が設営している飛行機博物館とは一寸趣を異にしている。

                        初稿1991年6月

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 零戦

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 フォッケウルフ(ドイツ)

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 ムスタング(米国)

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 スピットファイア(英国)

 

2020-05-29 久志能幾研究所通信 1611  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年5月20日 (水)

53年前のブルーインパルスが「非断捨離」飛行

 

 保存してあった写真・フィルムを整理して、53年前の白黒フィルムをデジタル化した。そこに53年前のブルーインパルスの曲技飛行が写っていた。そこに53年前の岐阜基地航空祭に出かけた高校生の私が写っていた。

 今流行りの「断捨離」をしなくてよかったと思う。人生とは記憶の積み重ねである。記憶、記録とは人生なのだ。その記録まで廃棄しては、人生を歩んだ意味がなくなる。それは人生の認知症である。そうまでして想い出のアルバムまでを「断捨離」するのは異常である。記憶は日々薄れていくが、写真が残っていれば、それを思い出して、人生の歩みを確認することができる。

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 カメラ:CANON PERIX 、レンズ CANON FL200mm

 写真はトリミングなし

 1967年5月28日 岐阜基地 航空祭にて

 

2020-05-20 久志能幾研究所通信 1598  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年4月10日 (金)

癌の再発を恐れて、ヒコウに走る

 ヒコウと言っても非行ではなく、若い頃に熱中した模型飛行機への邂逅である。

 2020年3月19日、仕事の関係で美濃市に立ち寄った折、そこの街の商店街で創業90年の模型飛行機店ヨシダを見付けて、その展示してある模型飛行機に見入ってしまった。昔の飛行機マニアの血が、ふつふつと噴き出してきた。まるで焼け木杭には火が付いたようだ。そのお店の二代目店主は、私と同年代で、つい昔話になり話が弾んだ。

 私は童心に帰って、2つのゴム動力の飛行機キットを買った。一つはスゥーデン製のゴム動力ヘリコプターである。もう一つは室内飛行機である。これは韓国製だが、日本製では良いものがないそうで、韓国製が一番よいとか。少し残念である。しかし、それを作るのが惜して、外箱を見て、飾って楽しんでいる。

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    模型飛行機店ヨシダ

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   模型飛行機店ヨシダの店内

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  購入した模型キット

50年前の想い出

 家に帰って二階の押し入れの隅を見たら、未組み立ての模型グラインダーのキットを見付けた。買ったことをすっかり忘れていた。50年ほど前の中学生か高校生の時に買った商品である。これを作って居間に飾ろうと思う。わが青春の再現である。青春という辞書には、癌という言葉はない。

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  未組み立ての模型グラインダーのキット

 

ガン予防

 癌の予防には、童心に帰って、好きなことに没頭するのがよいという。ストレスから解放されて、癌や病気になる確率が下がる。童心に帰って遊ぶと免疫細胞であるナチュラル・キラー細胞が増える。ナチュラル・キラー細胞は、癌細胞をやっつける細胞である。

 私はそれを言い訳に、若いころの飛行機マニア少年に原点復帰して、趣味に没頭することにした。おちおち惚けてなどいられない。癌なんかに負けていられない。

 

天与の時間

 今は時間があるのだ。今は、宮仕えの身ではない。残り人生を楽しまなくては、古希の歳近くまで生きてきた甲斐がない。私は、前職を定年まで勤めて、社会への義務としてのお勤めが終わった。今はご褒美で与えられた第二の人生の時間である。仕事の疲れは、仕事で取るのが、私の方針だが、たまには童心に帰って趣味を楽しむのも良いものだ。

 会社時代、一緒に仕事をした仲間が24名も死んでいる。古希とは、古来希なる歳である。ご先祖のお陰で、生かされていることを感じる。

 

何のために人生か

 大垣市長の小川敏ちゃんは、何の楽しみに生きているのだろうか。政治屋は、汚れ仕事の政治の汚川の中を姑息に泳いでいる。その小川敏が不敏にみえる。市長は激務である。土日もなく、自分の時間などはない。そうまでして、市長の椅子にしがみ付いて、なんの喜びがあるのだろうか。彼には、人生哲学は皆無のようだ。高学歴の官僚には、そんな人が多いようだ。金が出来ても、市長退任後、それを使う時間があるのだろうか。人生はお金ではないのだ。歴代大垣市長は短命である。全員、現役で死んでいる。他人の人生ながら、気の毒になる。それも自分で選んだ人生である。

 

2020-04-10 久志能幾研究所通信 1530 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月19日 (火)

ミラーレスは風に弱い? 小川敏は共食いに弱い

 2019年11月19日、私のリハビリと新規購入のミラーレスカメラα7RⅣの性能確認のため、セントレアに飛行機を撮影しに出かけた。そこで判明したことは「ミラーレスカメラは風に弱い?」である。

 

台風並みの風に負ける

 当日の天気は快晴であったが、強風が吹き、それはまるで小型台風並みであった。後で天気予報を確認すると、風速10~15m/sの強風であったようだ。セントレアは海上空港のため吹きっ晒しの海の上にある。ターミナルビルの3階の展望台へ吹く風は強烈である。私は望遠レンズを構えるのだが、体が強烈な風に押されて、じっとしていられない。柵に寄りかかって撮影するのだが、それでも対象物の飛行機をファインダー中央に捉えて撮影できない状態である。周りにも飛行機を撮るマニアは数人しかおらず、何時もの大勢のカメラマニアがたむろっている状況と違っていた。

 私の体重が1年前より20キロも軽くなっていて、体力・筋力も低下していて、踏ん張る力が激減しているためもある。それで私が出したジョークの結論が「ミラーレスカメラは風に弱い」である。

 

結論

 真の結論は、風が強いのではない。私の踏ん張る力が足りなかったのだ。私の体重が軽くなりすぎたのだ。体力が足りなかったのだ。他のせいにしてはなるまい。

 しかしこの試行で、広い空港内をかなり歩き回ることになり、人よりも歩く速度は遅いが、そこそこに歩けたので、順調に体力が回復していることが分かり、出かけた収穫はあった。

 

ミラーレスへの風当たり

 ミラーレスカメラではソニーが独走している。キヤノンが慌てて後追いで開発を進めているが、先に開発・販売して一定のシェアを獲得したソニーに追いつくのが大変なようだ。

 キヤノンは、現在の一眼レフ用レンズに膨大な資産がある。今回、キヤノンはミラーレス用の新規格のレンズマウント規格を作ったが、それに合わせたレンズをそろえるとなると大変だ。その品ぞろえが業界一のため、全て新規格に合わせたレンズの開発には膨大な人工とお金がかかる。なおかつ、一眼レフカメラの機構は複雑で、高価であり、それがキヤノンのドル箱になっている。それをミラーレスに切り替えると、収益源が共食いになる。それを経営用語でカニバリズム(共食い)という。

 キヤノンも社内の(主流の)一眼レフ派閥から、猛烈な逆風を受けているはずだ。キヤノンは超一流で大企業である。それの方向転換には、慣性が大きい分の逆風が吹き、簡単にはいかないようだ。技術革新の時代、昨日のメリットが重荷となり、昨日の勝者は今日の敗者となる。その決断をすべき社長の御手洗氏は、長年、社長の座に20年近く居座っているが、老害が噂されている。

 

見切り、決断、転向

 それで私もキヤノンに見切りをつけ、ソニーに切り替えることにした。キヤノンは新規格のレンズマウント規格を作ったが、それは全く新しい会社がカメラ規格を作ったと同じである。それなら先行してミラーレスの新規格を作ったソニーに分がある。CCDの技術ではソニーが世界一であり、キヤノンが高画素数のCCDで追いつくのに、数年はかかるだろう。私が欲しいレベルのミラーレスの高性能機が出てきて、周辺レンズが揃うのに、数年はかかると思う。それなら今からソニーに転向して、しばらく様子を見た方がメリットありと結論付けた。

 今回の結論で、書画撮影用には、カメラボディはソニーα7RⅣに、アダプターをかましてキヤノンのシフトレンズを装着した。これで画素数が前のキヤノン5DⅣの3200万画素からソニーα7RⅣの6100万画素に向上した。馬場恵峰先生の書画を撮影するには、高画質が求められる。

 今日の試写で、飛行機撮影にもミラーレスは合格である。画素数が高いので望遠レンズに1.4倍コンバータを付けたと同じ機能もある。

 

決断

 新しい技術が出てきても、以前の技術に執着していて、会社が左前になった事例はゴマンとある。経営者として、先を見る眼が無かったのだ。切り替えに反対する風圧に負けた経営者が、負け組になって行った。

 風が強かったのではない。それに反対する風に対峙する能力が足りなかったのだ。経営者として選択・決断する能力がなかったのだ。世界を制するのは技術ではなく、先を見る力を持った経営者の選択と決断である。技術を誇るのは戦術である。それは軍曹の仕事である。決断は、経営の仕事で戦略である。

 

戦術と戦略

 日本の経営者は、戦術にたけていたが、戦略に劣っていた。それが今の日本経済の没落である。昔の日本軍も、兵卒は優秀であったが、上層部が無能であった。単に、学校で知識だけを詰め込んで、それが優秀だと言われ、それが将軍、社長として君臨したのが日本敗戦の原因で、この失われた20年の日本経済停滞の原因だ。それを応用する能力のない無能経営者がのさばっていたのが、日本の停滞の原因である。大垣市長の小川敏の例と同じである。

 

小川敏への逆風、共食い

 大垣市長の小川敏は、IT化、ロボット化、AI化をぶち上げて、アドバルーンを上げているが、現状の業務の改革とその比較検討は無視している。費用対効果を無視している。それは口が裂けても言わない。

 地方の都市銀行もAI化を進めているが、その効果に対して投資金額がペイせず、暗礁に乗り上げているのが現状だ。某銀行の業務をAI化したら、その月額利用料が目の玉が飛び出るほど高く、効果がそれに見合わなく、その導入を見合わせたという。その某都市銀行が大垣共立銀行でないとは思うが、それより人手でやった方が、効率が良いとの結論が出たのだ(日経ビジネス 2019.05.20号)。

 業務を単純にAI化しても、それだけでは効果がなく、現状の手作業とAI化が共食い状態になるのだ。それがAI化の逆風となっている。その逆風の実態を全く感知しないノー天気市長が小川敏である。

 小川敏は、日本経済のデフレ化、衰退化の逆風に堪えられず、正しい政策をうち出せず、この18年間で大垣を衰退させた。小川敏は、逆風に負けたのではなく、逆風に打ち勝てる行政能力がなく、無能なのだ。50年前の学校の陳腐化した知識だけで、市制を牛耳るから、大垣は衰退した。小川敏に出来ることは、水饅頭の共食いを痴呆的な顔で自慢することだけである。要は、智慧がないのだ。

 

不易

 世の中の技術の転換を見誤り、世界競争に負けた会社が、世界に死屍累々である。驕れ者久しからずである。

 変えるものと変えてはならないもの区別をする智慧だけは持ちたいと思う。

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  かろうじて撮影できた着陸の風景  2019年11月19日

 

2019-11-19 久志能幾研究所通信 No.1403  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月20日 (金)

「あいち航空ミュージアム」は人生を語らず

 県営名古屋空港にある、昔の名古屋空港のターミナルを改装して作られ航空ミュージアムである。2階のエントランスから入場するとすぐ、レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したヘリコプターが出迎えてくれる。趣向を凝らしたのはよいが、その造りはクラフトマンシップに溢れてはいない。安っぽい感じがするのが残念だ。その後、世界の名機100 機の1/25スケールのソリッドモデルの展示である。1階に8機の実物機の展示がある。

 全体を通して、飛行機マニアの私をワクワクさせてくれる感じがない雰囲気が残念である。

Dsc06743s   あいち航空ミュージアム

Dsc06657s   レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したヘリコプター

Dsc06658s 世界の名機100 機の1/25スケールのソリッドモデル

Dsc06661s   一階の全容

博物館の魅力度

 中部圏に4つある航空博物館の中で、もう一度、行きたいという気にさせてくれない博物館であった。何か魅力が少ない。

 セントレアの「フライト・オブ・ドリームズ」なら、建屋の上階からB787を見下ろしながらコーヒを飲んだり、食事をしたりする楽しみがある。ショップで飛行機のパーツを探す楽しみがあった。シアトルの街を模したレストランで食事の楽しみもある。

 「岐阜かがみがはら航空宇宙博物館」は展示に工夫があり、再度行きたいという気になる。飛燕も敬意が払われて展示されている。

 「MRJ ミュージアム」は金と手間がかかっていた。(見学記は次回に掲載予定)

 ところが「あいち航空ミュージアム」は広さ、展示機、喫茶店、ショップ等が全て中途半端である。

 

展示の工夫の欠如

 2階の通路からYS11を撮影しようとすると、2階通路外に設置された照明装置の部分が機種の頭部にその影が入ってしまい、写真が台無しになる。もう少し飛行機マニアの写真撮影を考慮した機器の配置を考えるべきだと思う。何も考えていないお役所的な展示スペースの配置である。そこで最初に違和感を覚えた。

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 YS11 照明装置の部分が撮影の邪魔

 

博物館での物語

 博物館は、博物館の商品(展示品)を並べればよいものではない。博物館の展示にもストーリが必要とされる。博物館も書籍と同じで、伝達目的と、その伝達手法、ストーリが必要とされる。博物館を見学に来た人に何を伝えるのか、訴えるのかが問われる。この「あいち航空ミュージアム」はそれが希薄で、ただ飛行機を並べただけという印象を受ける。

 その片隅に人目をはばかるようにゼロ戦が置いてある。そのゼロ戦の技術の何がすごいのか、それが博物館として「記述(展示)」されていない。

そのストーリは、

 「こんにちは。ようこそ。これがレオナルド・ダ・ビンチのヘリコプターですそれがどうした? その次の話は? 段落欠如!) これが名機100機の1/25スケールの模型です。一階は実物のヘリです。隅に置かれたのは日陰者のゼロ戦です。後は日本初の旅客機YS11、三菱重工が作ったビジネス機MU2を展示しました。ついでにお土産を買ってヨ。さようなら。というが如くである。

 で、何が言いたいのだ? と疑問を呈したくなる。この博物館を設計した人の思考回路に疑問を感じる。

 

人生ストーリ

 人生で出会う物語にはストーリがある。そこで言いたい結論があるはずだ。そのストーリに論理性、物語性、結論がなければ、その違和感を覚えて、一度、立ち止まるべきなのだ。論理性のないストーリ-は破綻する。そういう意識が人生の危機管理ともなる。私が人生で出逢う事象には、そのストーリー性を常に考えている。

 

展示機

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2019-09-20   久志能幾研究所通信No.1343 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月19日 (木)

ゼロ戦、大垣、小川敏市長、栄華の末路

 2019年9月18日、「あいち航空ミュージアム」でゼロ戦の展示を見て、大垣市の栄枯盛衰に思いを馳せてしまった。

 

「あいち航空ミュージアム」見学

 「MRJ MUSEUM工場見学ツアー」を申し込んで、9月18日に枠が取れたので見学した。少し早めに行って、先に「あいち航空ミュージアム」を集合時間までの30分間で見学した。それは正解であった。その後の「MRJ MUSEUM工場見学ツアー」は、約90分間(待ち時間を含め2時間)で、結構歩く時間が多く、疲れ果ててしまった。その後、再度「あいち航空ミュージアム」に入館して見学する元気が無くなってしまい、そのまま帰宅のバスに飛び乗った。

 帰宅後、一時、爆睡してしまった。夜に起きて少しこの原稿を書いた。それで18日のブログは休載にした。恐縮です。

 「MRJ MUSEUM工場見学ツアー」で、歩く距離が多かったのではなく、私が病み上がりのため体力低下で、更に肝機能低下の影響で、疲れやすくなっているのが原因であった。何事も体力、健康が大事である。それを痛感した。

P10409731s   馬場恵峰書

全体所感

 岐阜県の各務ヶ原航空宇宙博物館と比較して、「あいち航空ミュージアム」の展示内容に少し見劣りがする。それでも目玉展示品のゼロ戦を見学できるのは素晴らしい。しかし飛燕とゼロ戦の展示の雰囲気が違う。多くの学びと気付きがあった。

 

ゼロ戦

 お目当てのゼロ戦は興味深かったが、見学してあまり感激はしなかった。それは展示方法が影響している。もう少し展示方法に工夫が欲しい。周りに説明パネルが多すぎて、飛行機マニアの私には、撮影の邪魔である。また展示場所や展示方法も、なにか日陰者扱いの展示である。以前は、目立たないように塀で囲まれていたという。各務ヶ原航空宇宙博物館の飛燕とゼロ戦の展示の雰囲気が違う。

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  「あいち航空ミュージアム」のゼロ戦

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各務ヶ原航空宇宙博物館 飛燕

 

戦争の影響

 話によると、ゼロ戦の展示は戦争美化になると反対する勢力があり、そのために処置と言う。ここは純粋に技術の展示のはずだ。国を想い、親や子女を守るため、命を掛けて設計した技術の証しが、戦闘機ゼロ戦である。ゼロ戦を通して、当時の技術の粋が展示されている。

 日米戦争は、日本の自衛戦争であった。それはマッカーサーカー元帥が、帰国後に米国議会で証言している。

 日本は、当時、列強の国からABCD包囲網で経済封鎖された状態で、戦争を始めなければ、半年後、資源が枯渇して日本の産業は生産が止まり、日本中が失業者に溢れ、飢えて国が滅んだ。植民地強奪競争で、日本が目障りとして徒党を組んだ欧米列強が、「窮鼠猫を嚙む」という状況に、日本を追い込んだといえる。例えれば今の北朝鮮のように世界から経済封鎖されたのだ。北朝鮮は恐怖政治で民衆を抑えているからなんとかなるが、民主主義の日本ではそうはいかない。

 当時、日本に植民地強奪競争を邪魔された列強諸国は怒り心頭であった。インドでは英国の強欲な植民地政策で2000万人が餓死している。英国は、中国をアヘン戦争で侵略し、香港を強奪した。他国も植民地強奪競争で、同様の有様である。当時、列強諸国は、アジア人を人間として扱っていなかった。それが常識であった。

 

国家の消滅

 第二次世界大戦後、自力で自国を守れなく、世界地図から消えた国が、183ヶ国にも及ぶ。近未来に隣国の2国が、消滅するかもしれない。それほど世界は、国として生存競争は厳しい時代である。

 欧州に難民が溢れ、テロが頻発し、中東では火種が尽きない。北朝鮮はミサイルを飛ばして日本を脅かしている。韓国は日本の領土・竹島を強奪して占領して居直っている。毎日、中国は尖閣諸島に領海侵犯を繰り返している。領空侵犯も日常茶飯事である。いわば刃物を以て家の周りをうろつくヤクザのような行為である。なんでそんな国の元首を国賓扱いで迎えねばならぬのか。国賓扱いする費用は、税金である。領海侵犯の事実を報道しない新聞社もフェイクニュースの元である。毎日領海侵犯されているのに、新聞社は報道しない。

 

チベット滅亡の原因

 戦争の脅威は過去の話しではない。チベットが中国に滅ぼされたのは、平和憲法がなかったためではなく、自国を守る戦力がなかったためである。自国を守るには自衛力が必要である。例えれば、プロレスラーに喧嘩を売るヤクザはいない。社会党は無防備無戦力を謳っていた。その後継の民主党は、日本の危機に無力であった。消えた民主党の残党が、今でも中国韓国に媚びを売っている。

 民主党政権時代、官房長官の仙谷由人が「自衛隊は暴力装置である」と言った。その国賊のDNAが野党に流れているせいではないか。私は、「国をセコムしてますか?」と問いたい。

 

ゼロ戦の技術

 まじかで当時の加工技術に納得した。沈びょう式リベットの技術を、世界で初めて採用したゼロ戦は、技術者の眼からも興味深い。驚いたことに、それは機体全部への適用ではなかった。まだまだ国力がないことが、ゼロ戦の機体製作技術からうかがえる。

 ゼロ戦の全体に贅肉のないデザインが、性能の良いことを示している。美しいものには美学がある。堀越技師のこだわりが隅々に感じられる。自分が元時術者だから、その心境がよくわかる。それは芸術作品と通じるものがある。 ゼロ戦は、1994年にスミソニアン航空宇宙博物館で、天井からぶら下げられた状態の機体を見たが、地上の状態で、まじかで見られたのは、今回が初めてある。それで技術の粋をジックリ観察することができた。

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  沈びょう式リベット 主翼部

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 沈びょう式リベット 尾翼までは適用されていない。

 

ゼロ戦の栄華の末路

 開戦当初、世界最高の性能を誇ったゼロ戦の時代も長くは続かなかった。米国は捕獲したゼロ戦を徹底的に研究して、それの弱点の解明とそれを上回る戦闘機の開発に力を入れた。その結果、ゼロ戦は、米国が新たに投入した新戦闘機(P51ムスタング,F6ヘルキャット)の餌食となった。終戦末期は特攻の機体に落ちぶれてしまった。時の指導者が、ゼロ戦の技術に奢って次世代の戦闘機の開発に投資しなかったためである。

 

大垣市の栄華の末路

  大垣市も一時は西濃の小京都と呼ばれ繁栄したが、小川敏市長が大垣市への投資を無くして、大垣市を没落させた。

 

小川敏市長の栄華の末路

 その小川敏市長も、若い時は秀才として東大を出たが、その後の自身への教育投資を怠り、頭は痴呆化して劣化した。水饅頭を共食いして世界記録だと痴呆的に自慢した。その行為は全国で嗤れている。本人だけ、それを認識していない。

 公金の使用用途はマル秘扱いが常識だと大垣市だけの特別条令を制定した。小川敏市長が東大法学部出とは信じがたい。東大法学部も地に堕ちた。市制100周年記念行事の会計報告はマル秘なのだ。元気ハツラツ市での拡声器騒音は、岐阜県の騒音防止条違反だが、それには気にしない。

 元気ハツラツ市をやるほど大垣市が衰退するのに、それを止めようとしない。大垣駅前商店街を没落させた実行中心人物・小倉利之氏に、「商店街の振興に貢献した」として、市功労章を贈った。

 未来の子供への投資を減らし市役所職員の給与に振り向け、結果として県下一の給与とした。その結果、大垣市の児童生徒一人当たりの教育費は県下最低レベルに落ちぶれた。小中学校のエアコン設備は県下最低の2.1%である。

 小川敏氏の頭脳は、この状況が正常に判断できないほど劣化した状況になっている。

 

自国を守れ

 今でも世界は弱肉強食である。形を変えた戦略戦争の戦いが、グローバル経済主義の正当化である。他国の強者が我々の仕事を奪い、日本を貧乏にさせられた。この20年間で、先進諸国で給与水準が下がっているのは日本だけである。中間層の給与は先進諸国でも下がっていて、米国では国民のその怒りが米国でトランプ大統領を生んだ。

 大垣市でも、他市の露店商人が、元気ハツラツ市で大垣駅前商店街の商売を奪った。小川敏市長が他市の大規模小売店企業を優遇する政策を続けるので、大垣駅前商店街の81%が閉店に追いやられた。大垣駅前商店街の従業員の40%が職を失った。まず自国、自分の住む都市を守らないと、生活が破壊される。大垣市では、小川敏市長は大企業の味方で、大垣市民の敵なのだ。

 

誰が真の戦犯か

 このゼロ戦の技術の展示に反対する勢力は国賊者である。責める相手を間違えている。戦争に追い込んだ真の戦犯を追及すべきなのだ。それの矛先を曲げるためにゼロ戦の展示に反対しているようだ。

 戦争を鼓舞して、戦争を賛美した当時のアサヒを筆頭にした新聞社は、今は戦争反対だと身の代わりが早い。そんな新聞社は信用できまい。何が真実なのか、自分で考えないと、国が亡ぶ。都市が亡ぶ。自身が洗脳され、生活が破壊される。新聞は今でも、為政者の為の洗脳教育の報道に余念がない。

 

地方新聞は洗脳報道に余念がない

 身近に、自分の住んでいる都市で、何が真実かを知らないと、自分の命と財産と子供の未来が危ない。大垣市の小川敏市政の悪例が良い見本である。小川敏市長のせいで、私の所有する不動産財産価値が半分以下になった。大垣が没落した。地方紙の岐阜新聞、中日新聞はその事実を全く報道しない。

 毎日の地方新聞の報道で、小川敏市長の自己宣伝の報道ばかりが目に付く。それはフェイクニュース寸前のレベルである。くだらない小川敏市長の宣伝記事が連日、紙面を占有するので、本来報道すべきニースが報道されない事態となっている。まるで洗脳報道である。

 

2019-09-19   久志能幾研究所通信No.1342 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。