m_河村義子先生の歩んだ道 Feed

2023年10月28日 (土)

巡礼 渡辺陽子人形展 魔女の鼻  in Sagan

 

 目は口ほどものを言い、鼻は心の根性を表す。西洋の魔女はひん曲がった長い鼻で、いままでの生きざまを表している。それだけ多くの苦労をしたのだろう。その魔女が新天地アメリカに渡ると、今までの束縛が無くなり、陽気になり、その鼻も可愛くなり、鼻をピクピクさせて魔法をかけるようになった。それが「奥様は魔女」のサマンサである。日本人はサマンサの魔法を愛した。私もそのドラマに魅了された。そこに人種差別のない慈しみの目と鼻があったからだ。サマンサは鼻をピクピクはさせて魔法を駆使するが、魔法を鼻にかけないのだ。

 そんな陽気なアメリカの魔女に出会って、魅了されたことが渡辺陽子さんを魔女の人形創りに駆り出した経緯である。

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お鼻が高い

 鼻柱が立派だと、その根性は強健だ。鼻で象徴した格言も多い。鼻にかける、鼻持ちならぬ、お鼻が高いのね、等である。目と鼻を観相することは、観相学の基本である。

 西洋の魔女の鼻は必ずひん曲がっている。それで魔女の黒歴史を表しているのだろう。まるで旧家の意地悪い姑のようだ。しかしそのイメージは教会が一方的に黒い印象を付けただけである。市民が思う魔女像とは大きく異なる。そのヨーロッパに対して、新しい家(アメリカ大陸)に嫁いだ新妻の魔女は、可愛い。それが新天地のアメリカの魔女サマンサであると解釈できる。

 

「奥様は魔女」のDVDセット

 魔女ファンの私は、「奥様は魔女」のDVDセット(全256話)を揃えた。(98,000円)

 2018年、大垣で開催されたサラ・デイビス演奏会の後の雑談の場で、私が自宅の書庫の写真をサラ・デイビスに見せびらかしたら、彼女はその書棚にある「奥様は魔女」のDVDセットを目ざとく見つけて、「オー、ウィッチー!」と言って、鼻をつまんでぴくぴくさせて、ニコリとした。それから推察すると米国では。テレビドラマ「奥様は魔女」は大人気だったようだ。

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   自宅の書庫

 (2013年当時は蔵書の総重量が4トン、

  2023年現在は本箱が12個増えて、総重量が5トンになっている)

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 2018年9月17日、河村義子先生が大垣でのサラ・デイビスピアノコンサートを企画し、「彼女」(魔女?)を「世界で一流の音楽を楽しむ会」に招聘した。子供達130名を無料招待した。サラ・デイビスは米国の世界的ピアニストである。私はその時、その演奏会運営のお手伝いをした。「彼女」はとても気さくで、子供好きな人であった。彼女は演奏会後、子供たちが大勢いることに気が付いて、急遽、子供達の為にサイン会を設定した。予定外で事務局は大慌てである。子供たちも大喜びでサイン会の行列にならんだ。下の写真はその時の風景である。

 私は、9月22日の京都アルティでのサラ・デイビス演奏会にも出かけ、ツーショトの写真にもちゃっかり納まった。魔女との出会いも一期一会である。私にピアノの魔法をかけた河村義子先生は、その年の12月25日、天国に飛んで行ってしまった。

 

久志能幾研究所通信: サラ・ビュックナー ピアノの調べ (enjoy.jp)

久志能幾研究所通信: あしながチケット募集「サラ ピアノコンサート」 (enjoy.jp)

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 大垣スイトピアセンタにて   2018年9月17日

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京都アルティでの公演会 サラデイビスさんとツーショト

   2018年9月22日の京都アルティで

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2023-10-28  久志能幾研究所通信 2764号  小田泰仙

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2023年2月 9日 (木)

童地蔵とタービンブレードの展示台 山路徹作

 

 写真の展示台は山路徹先生作で、童地蔵とタービンブレード用である。山路徹先生から贈り物であった。

 

 童地蔵は、東京で開催された松本明慶仏像彫刻展で、300体の中からお見合いをして決めた童地蔵である。毎回の松本明慶仏像彫刻展で約300体が売れるという。その300体の童地蔵だが、それぞれ微妙にお顔を違う。その中から選んだ仏さまである。

 

 

 タービンブレードは、2019年にセントレアで購入した。河村義子先生が逝去されて1週間たった2019年1月1日、友人とセントレアの「FLIGHT OF DREAMフライトパーク」に出かけた。そのショップに展示してあったボーイング707のジェットエンジンのタービンブレードカットモデルに、河村先生の面影を発見して、そのカットモデルを購入した。

 そのボーイング707エンジンの誕生年が河村先生の生まれ年が同じで、ジェットエンジンのブレードの役目が、ピアノの鍵盤を叩くことに重なって見えたから、ご縁を感じて購入を決めた。私が飛行機マニアであることも重なった。

 その1週間後、私にがんが見つかり、生死をさ迷うことになった。

 

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縁の下の力持ち

  日本と欧州間の飛行を年間150回するとして、タービンブレード寿命が5年間として計算すると、ジェットエンジンのタービンは約5億回転して、旅客機の推力としての空気を後方に送ることになる。それで多くの海外旅行客を運ぶ仕事を陰で支えている。

 ピアノをモノにするには、一日8時間、10年間続けないと一人前のピアニストになれないという。単純計算で一秒に1回鍵盤を叩くとして計算すると、それを30年間続けると、3億回も鍵盤のキーを叩いてきたことになる。ひたすら鍵盤を叩いて、人びとに安らぎと喜びを与える音楽を世に送り続けているのがピアニストである。

 そのエンジンの製造年が河村先生の生まれ年と同じだと気が付いて、ご縁として購入を決めた。

 

河村義子先生の分身に出会う

http://yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2019/01/post-d0c9.html 

 

賽の河原の石積み

 三途川の河原は「賽の河原」と呼ばれる。賽の河原は、親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために積み石による塔を完成させると供養になると言うが、完成する前に鬼が来て塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその繰り返しになってしまうという俗信がある。このことから「賽の河原」の語は、「報われない努力」「徒労」の意でも使用される。

 しかしその子供たちは、最終的には地蔵菩薩によって救済されるとされる。

この項wikipedia より

 

 賽の河原の石積とは、親の供養のための童子の願行ではない。それは己が成仏させられなかった己の願行である。「禁煙・禁酒をしよう、毎日散歩をしよう、毎日勉強しよう、毎日ピアノの練習しよう」と願をかけ、最初の数日間だけは実行する。しかし、内なる鬼が「そんなしんどいことは止めて、もっと気楽にしなはれ」と天使の声の如く耳元に囁きかける鬼が出てくる。

 

 今まで積み上げてきた禁煙・禁酒、散歩・勉強の継続という名の「石積の供養塔」を壊すのは、鬼ではなく、怠惰な自分である。成就させることのできず、途中で投げ出した供養塔が、人生でどれほどあることか反省したい。

 幼くして死んだ子は、自分が投げ出した三日坊主の象徴である。賽の河原の石積はあの世ではなく、己の「人生という大河」の両岸にある。チャレンジしては、途中でおっ放り出した死屍累々の山に手を合わせたい。

 

 積み上げた石積を壊す鬼を止めるのが、己の内なる地蔵菩薩である。佛像は己の心を現す鏡である。自分の心には鬼も住めば、佛も宿る。場面ごとに鬼と佛が心の鏡の中に交互に現れる。堕落に誘う鬼の時もあれば、己を厳しく裁く裁判官の時も、救いの佛さまのときもある。すべて自分の心が決める。

 自分の心に住むのは「鬼」である。賽の石積みをしながら、それを壊すのは己の「鬼」である。そんな鬼を誰が育てたのか、自省したい。賽の河原の積み石の「地蔵和讃」は、子供に対する寓話ではなく、怠惰な大人への説法である。「三途川の河原の石積」はあの世ではなく、己の怠惰な心が作る現世の己の姿である。地獄に堕ちる前に、自分を救ってくれるのは、地蔵菩薩という名の自分である。菩薩とはひたすら修行道を歩く佛様である。 

 そんな思いを込めて、このブレードと童地蔵を玄関に飾った。

 

2023-02-09  久志能幾研究所通信 2610  小田泰仙

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2023年1月28日 (土)

太上は ニコニコ黙って 腐縁切る

 

 太上とは、ファーストクラスに乗る人である。そういう人の行動を真似すると人生を成功に導ける。また幸せな人生にすることが出来る。昔の中国では、太上になるための教育方法を「孟母三遷」と言った。

 美月あきこ著『ファーストクラスに乗る人のシンプルな習慣』(祥伝社、2009年)によれば、ファーストクラスに乗る人は、CAにはほとんど負荷をかけず、お世話をしていて心地よいという。それがエコノミークラスやビジネスクラスに乗る人達との差だという。エコノミークラスやビジネスクラス乗る人たちは、CAに最大限のサービスを要求するという。ファーストクラスに乗る人はそんな意地汚いことはしないそうだ。

 そこに私は人生の縮図を見た。人生の航空旅行は、ファーストクラスに乗るつもりで生きていきたい。

 私の「死ぬまでにやりたい100項」の一つが、ファーストクラスで飛ぶことだが、まだ実現できていない。お金があるからファーストクラスに乗れるのではない。お金が出来て、なおかつその資格を仏さまが認めてくれたら、そのご褒美で乗れるのだと思う。そのために頑張りたい。

 しかし12時間ほどのフライトで、100万円は高すぎる。そんな考えの貧乏人根性ではファーストクラスに乗るのは無理ある。それよりも架空の人生航路でファーストクラスの人生を送ることを考えるのがよい。それが「太上は ニコニコ黙って 腐縁切る」である。人生は悪縁や腐縁を避けられれば、極楽のファーストクラスの人生を送れる。

 

悪縁・腐縁

 私はこの20年間、経営者向けの研修会に多く参加して、多くの社長と出会いがあった。しかし社長だから、人格者だと思っていたら、実際はピンからキリまでいることを発見した。社長といっても中小零細企業の社長である。大企業の人格ある社長とは違うのだ。社員数だって数人から数百人の会社まである。自分で起業すれば、誰でも社長である。だから全ての社長が人間的に出来ているはずがない。

 中には人格の高い人もいたが、その反面、詐欺同然のことをする社長、車検に出した私の車を営業車代わりに乗り回した自動車整備会社の社長、ドタキャンをして違約金まで踏み倒す非常識人、統一教会まがいの新興宗教を勧誘してくる社長等と様々な社長のくずが多くいた。

 私はそんな輩達とはすぐに縁を切ったので、大きな被害に遭わずにすんだ。

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道徳観念の無い社長に騙された

 G経営者研究会で知り合った自動車整備会社の社長に、自車の車検をお願いした。車検後、入れたはずのガソリンがほとんど無い。おかしいと思い、ドラレコを確認すると、その社長が私の車を営業車代わりに乗り回していることが録画されていた。なおかつ運転中に電話で営業活動をしていた。当時はハンズフリーの携帯がない時代で、法律違反である。

 それでその社長とは距離を置き、二度と車検は依頼していないし、付き合いも断った。10年ほど経つが、従業員が4名のその会社は全く発展していない。当たり前である。それが仏様のお裁きだろう。同じG経営研究会の仲間だからと信用した自分が愚かであった。

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宗狂社長から勧誘された

 新興宗教を勧誘してきたのはG経営研究会の元会長である。大きな会計事務所の会長とグルになって勧誘をしてきた。私は、その経営研究会が社長たちの集まりの元会長であったので、信用してしまった。それが大きな間違いであった。その教団は統一教会と同レベルの怖ろしい教団であった。

 下手をすれば、私は全財産を失い、失明するところであった。その教団では、入団すると太陽を見つめる修行が課される。その会長もその修行の話しはしなかったが、「前に何かのきっかけで失明寸前になった」ことがあると私に告白した。多分、太陽を見つめる修行をして失明寸前になったのだろう。弱視の私がその修行をすれば、失明確実であった。

 また信徒数と建てた教団本部建設費用から計算すると信徒一人当たり1千万以上の金が寄進として吸い上げられている

 その教団から脱会しようとすると、地域の信徒が大勢自宅に押し掛けてきて「無間地獄に堕ちるぞ」と大騒ぎをして脱退を阻止するという。

 数年前、岐阜県のある村長が襲撃される事件が起きた。犯人は捕まっていない。教団の新本部建設の用地問題で、それに関係していると噂になったが、真相は闇の中である。

 その家で葬儀があると、地域の信徒が全てを取り仕切り、香典は全て持ち去ってしまうという。

 私を救ったのはネット情報であった。一時は試しに入会して、ダメなら退団すればよいと安易に思っていたが、緊急事態として、入会儀式直前に、関係を断った。危ないところであった。

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経営者の倫理観無し

 G経営研究会のある経営者は、あるОB会のイベントの幹事を引き受け、ホテル予約のダブルブッキングをやらかした。その経営者は懇意のホテルに新規の予約をしたのだが、先に予約したホテルのキャンセルを忘れた。それでドタキャン扱いとなり、数10万円の違約金を請求された。その幹事は金が無いとホテルに泣きつき、1万円で勘弁してもらったという。かの経営者は金が無いと言いながら、ベンツを乗り回してした。その幹事はG経営研究会の有力幹部である。その経営者は、子供向きに論語の先生もやっていた。論語読みの論語知らずである。

 私はそのイベントの幹事に誘われ、途中まで一緒に活動した。しかしその過程で彼らの不誠実なやり方に呆れ、反吐が出て、私は幹事を降りた。それが正解であった。そのまま付き合っていれば大変なことになる処であった。

 私は、師の名誉の為にその後始末に走り回った。九州の師にも相談し、そのホテルに出向き、お詫びとして書も進呈した。

 その1年後、その幹事のゴ贔屓のホテルは耐震問題で、取り壊された。その思い出の出のホテルは跡形もない。仏様のお裁きだろう。

 先の道徳観念の無い社長とこの経営者は大の仲良しである。類は類を呼ぶのだろう。友を見ればその人の人格が分かる。

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住む世界が違う人との腐れ縁

 私のピアノ先生が、数年前、最期の演奏会を計画した。懇意の演奏家たちをドイツから招いての演奏会である。私は当時、先生の病状もその決意も知らなかった。私がそのチケット購入を先生と縁の深い事務局長にお願いしたら、「休みの日に、わざわざ出かけねばならないほどの演奏会ですか」と言われ購入を断られた。その答えを私から聞いて、先生曰く「あの人は住む世界が違うのよ」であった。それ以来、私はその人と縁を切った。

 その1年後、先生が突然亡くなられた。それは私には突然の訃報であった。その人は、通夜に来たが、義理で来たようで、焼香を済ませると早々に帰って行った。私はその姿を見て、縁を切って正解であったと確信した。

 

他山の石

 人生では悪縁と付き合うと、それに影響されて、自分の人生に悪影響を及ぼす。やんごとなき方のKK問題は、穢れた悪縁との付き合いが原因で、大騒動になった例である。

 それは仏教の縁起である。その悪縁を他山の石として学べばよい。他山とは多くの人の生き方の例を示す言葉である。その縁は玉石混交である。

 

縁切り

 出会った縁が、悪縁と認定出来たら、「いつもニコニコ、太上は黙って悪縁を切る」を実行しよう。悪縁の人に説教やアドバイスをしても無駄である。そんなことをすれば、逆恨みされるのがオチである。その人とは「この世では縁が無い」という縁をいただいたのだ。お釈迦様でも「仏の顔も三度まで」と仰せだ。そう思い、そっとその人から離れるのが、人生の危機管理である。別名「君子危うきに近寄らず」である。

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊

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2023-01-28  久志能幾研究所通信 2599  小田泰仙

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2022年12月29日 (木)

大垣駅ピアノが奏でる「変異市長調 士農工商吝嗇組曲 寄進強要偏」

 

 2022年12月27日、JR大垣駅の南北自由通路に誰でも演奏できるピアノが設置された。駅や街角に設置され自由に弾ける「ストリートピアノ」は各地で人気があり、街のにぎわい創出になっている。

 その社会情勢から見て、大垣市内に駅ピアノが置かれるのは、なんと世間より5年ほど遅れての設置である。この遅さは、岐阜県第二都市として恥ずかしい有様である。

 世間に遅れた大垣事情を見かねて市民有志が動き、大垣観光協会が後追い協業で、やっと駅ピアノが設置された。世間に遅れる事5年である。大垣市行政の芸術に対する貧困さが露呈した。

 

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  駅ピアノ JR大垣駅の南北自由通路  ‎2022‎年‎12‎月‎29‎日、‏‎10:32

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子育て軽視、文化芸術軽視の大垣市

 故河村義子先生は、大垣市からの音楽行事に資金援助が皆無で、その音楽活動で困っておられた。河村義子先生は、音楽演奏会を企画すると市内の企業を回って資金援助をお願いに回られた。しかし市内企業の横並び情勢があり、一社あたりの援助金は少なかった。情けない。だから私も陰ながら支援をした。

 それでいて、各企業は大垣市から寄付金要請があると多額の寄付金を出している。その寄付金依存率は、県下一で、岐阜市のそれの10倍にも上る。刈谷市の362倍である。

 河村義子先生の演奏会ポスターには、「大垣市教育委員会協賛と書かれる。しかし協賛とは、大垣市は名前を貸すが、カネは一銭も出さないとの宣言である。それだけ大垣市は芸術に無理解で吝嗇だ。子供の情操教育で音楽は大事な要素である。大垣市はその面を軽視している。

 それでいて「大垣市は子育て日本一を目指す」はお笑いである。なにせ大垣市は児童生徒一人当たりの教育費が県下最低なのだ。それは、小川敏前市長の腰巾着である山本譲教育長がこの10年間も大垣教育界を支配していたからだ。だから大垣の文化・教育は枯渇した。数年前、熱中症で豊田市の学童が倒れた事件の折、大垣市小中学校のエアコン普及率は2.1%で県下最低の水準だった。県内の他市はほとんど100%の設備率であったのに、だ。子供を育てる環境を放置していた。これも教育長として無責任であった。

 8年程前、私が山本譲教育長に文化事業の支援をお願いに行ったら「小田さん、大垣市はカネが無いのですよ(文化教育にかけるカネは無い? 役人の贅沢には大いにカネを使う?)。小田さんも稟議をあげるのがどれだけ大変かはわかるでしょう」と言い訳をして山本教育長は支援を拒否した。その稟議を通すのが責任者の仕事なのに、それを士農工商の汚役人は放棄して威張っていた。それ以来、私は二度と大垣教育委員会には足を向けていない。

 芸術に対してカネに渋い大垣は駅ピアノにカネは出さず、松栄楽器(同市旭町)が1979年ヤマハ製の中古ピアノを無償提供した。大垣市は、暗黙的に寄付を強要したと推定される。大垣市の最下級の身分の商人には、寄付の強要が有るのだ。寄付をしないと大垣市内の仕事関係で差支え出ると推定される。だから大垣は封建社会で士農工商の世界である。

 

士農工商の最下層の商人に寄付を強要

 今回設置された駅ピアノの費用は約15万円と推定される。ピアノは中古物件で約10万円、補修・調律費用を含めて約15万円と算定した。その15万円さえ大垣市は出さない。それでいて、県下一の豪華絢爛たる新市庁舎に126億円も散財した。しかし街の活性に貢献し、文化芸術の高揚になる15万円のカネにはケチるのが大垣市の役人(士)である。大垣市は士農工商の世界である。下々の商人(今回は松栄楽器)にカネを出させて、下々の楽しみを賄わせるのが大垣市の汚役人である。

 

大垣は文化の不毛地帯、大垣のルネサンス

 現市長の石田仁大垣市長は体育系なので、児童生徒がスポーツで賞をとると、岐阜新聞、中日新聞の西濃欄に頻繁にツーショットである。しかし石田仁市長は文化芸術には疎いようだ。だから駅ピアノを大垣市に期待しても無駄だったのだ。だから市民の有志が動いたのだ。

 イタリアのルネサンス期、市の有力者が芸術を支援してイタリアは栄えた。大垣は前市長の小川敏も現市長の石田仁市長も現術を軽視するから、大垣は没落した。大垣の衰退を止めるには、大垣市の為政者たちの入れ替えが必要だ。来年の市議会選挙、2年後の市長選挙で市民の意思を反映させるしかない。

 

資料

大垣市の新市庁舎は県下一豪華 

 新市庁舎費用 負担金比較

       人口  新市庁舎費用 負担金    年間税収

                 市民一人当たり  一人当たり

 大垣市   159千人  126億円  79千円   386千円

 岐阜市   406千人  266億円  65千円   398千円

 各務ヶ原市 145千人   83億円  57千円

 多治見市  107千人   52億円  48千円

 刈谷市   140千人   84億円     60千円   434千円

 

大垣市の教育は県下最低レベル(2019年)

         予算総額  一人当り予算  児童生徒数 

             千円   大垣100    人

 多治見市    735    158    8,862  

 岐阜市     529    114    32,074  

 可児市     517    111    8,352   

 大垣市     465    100    14,400  

 各務ヶ原市   445     96    12,525   

 刈谷市(愛知県)918    197    11,120

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大垣市は乞食行政

 石田仁市長も前大垣市長の小川敏も、寄付をする業者との頻繁なツーショットで御用新聞に顔出しである。カネをねだる大垣市の乞食行政である。恥ずかしくないのだろうか。寄付金額が刈谷市の362倍は異常である。業者にも裏の利権があるから寄付をするのだろう。

 

     令和2年度 予算

      一般会計収入   うち寄付金額 比率

大垣市    603億6000万円  7.24億円  1.20%

岐阜市   1790億1000万円  2.10億円  0.12%

多治見市   417億5368万円  0.64億円  0.15%

高山市    422億3779万円  0.06億円  0.014%

刈谷市    607億8000万円    0.02億円     0.003%

高崎市   1655億2000万円  1.30億円  0.078%

 

2022-12-29  久志能幾研究所通信 2577  小田泰仙

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2021年8月20日 (金)

お経の暗唱はダメ、読経を。読経より写経を。

 法要では僧侶は必ず読経である。たとえそれを暗唱できても、僧侶は、目の前に経典を置いて、読経として「お経」を「読んで」いる。暗唱ではない。

 お経を読んでいると、一字一字が目に焼き付いてくる。声で心に響いてくる。読経の目的は、自分自身への説法である。自分が仏として、お経に書いてあることを一心同体で実現するための教えとして読む。現世で己が佛となり(成仏)、世の中に利他の心で奉仕をするためである。それが読経の目的である。それが暗唱では、その力が弱いのだ。

 

偲ぶ会で般若心経を暗唱に絶句

 ある人の偲ぶ会で、ある弟子が師の思い出を語ったが、その冒頭で般若心経を暗唱した。その時間が、約3分間も要した。多くの人が時間を無駄にした。私は偲ぶ会にふさわしくないと違和感を覚えた。なにか般若心経の暗唱を自慢しているかのようにも思えた。

 偲ぶ会に参列した人は、僧侶でない素人からの般若心経の暗唱など聞きたくはない。僧侶は修行をして得度をしている。その僧侶の暗唱ならまだしもである。その僧侶でもお墓等の場所以外では、お経の暗唱などはしない。偲ぶ会では、葬式ではないので読経はやらない。ましてや般若心経の暗唱などもってのほか。それよりも、偲ぶ会なのだから、その時間を参加者のために師の想い出話に充てて欲しかった。

 

写経

 読経より良いのは、写経である。一字一字を丁寧に書いていると、その意味や響きが心に響く。それが故人への一番の供養となる。

 

命を頂く

 我々が日常的に仕事や個人的に面会の約束を取り付け、面談する相手とは、仏さまである。一期一会で会う仏さまである。もう二度と会えないかもしれない仏様である。その佛様のような相手と面談するとは、相手から有限の時間(命)を私のために頂くのだ。だからその佛様とは、心して向き合うべきだ。それをスマホの画面に気を取られて会話をするから、ご縁が結ばない。面談中にスマホをいじる人は、面談者のお話し(お経)を読んでいないのだ。それは相手との会話を上の空で、暗唱しているようなものだ。暗唱なら上の空でも唱えることが出来る。相手の言うことを一言一言、読まねば、心は読めない。そういう人では、幸せを掴めまい。私は、面談中に私の目の前でスマホをいじる人とは一線を引いている。

 

芸術と仏道

 演奏会の公式ピアノ演奏では、必ず暗譜である。私は河村義子先生からそう指導を受けた。その書かれた楽譜(お経)を頭に叩き込み、自分の解釈を盛り込んで演奏する。楽譜を見ながら演奏しては、楽譜に振り回された顛末となり、芸術の演奏ではなくなるからだ。だから芸術に教科書はない。

 「芸術」の「芸」の字は、草冠(匂い草)に、「云(立ち上る)」で構成された会意象形文字である。匂いは時代や環境、人によってその評価が変わる。だからこそ芸術である。

 お経を読むとは、宗派を開かれた導師の教えを忠実に従う事である。時代が変わっても真理は変わらず、一つである。その道から外れれば、外道である。しかし芸道は解釈が無限にある。それが仏道と芸道の違いである。

 自分が今、創っているものが、芸術品か規格品(真理)かを考えよう。

 

P10504321s_2 馬場恵峰書

2021-08-20   久志能幾研究所通信 2126  小田泰仙

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2021年7月27日 (火)

猫足ピアノ、天上界を目指して4mジャンプ

 

 懸案であった猫足ピアノの移動が、1年がかりでやっと今日(2021年7月27日)、完了した。コロナ禍の非常事態宣言での延期、台風8号接近といろいろと邪魔が入ったが、今日(大安)無事に別宅に移動できた。

 当初の一階の部屋から別宅に移動して、猫足のピアノが約4mの高さまでジャンプ(クレーンで吊り上げ)して、無事二階の極楽音楽室に納まった。猫ちゃんには極楽浄土のような天上界である。

 ピアノ運送専門業者の手際の良さに感心である。重さ350キロのピアノを2人で荷造り、移動させたのには驚嘆である。さすがプロである。

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移動のための分解

Dsc00400s  梱包してトラックに積み込み

Dsc00414s クレーンで4mも持ちあげる

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移動先の部屋に仮置きになりホッとする

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 今から、3年ぶりにピアノレッスンを思い出して再開しようと思う。防音工事等も考えなければならないが、ボチボチとやって行こうと思う。

 2018年春、河村義子先生が病気で入院されたため、個人レッスンが中断となった。2018年12月25日、突然の訃報に茫然であった。私も胸騒ぎを覚えて検査をしたら、翌年1月に癌が発見された。急遽手術をしたが、2年半経っても体調が完全には戻らず、ここ3年程ピアノに全く触っていない。リハビリをかねて、元気を付けるため、ピアノを再開する計画である。

 この猫足ピアノは、自分が構わなくて勝手に鳴くので(自動演奏付き)、それを聴くのも楽しみである。この猫足ピアノには、華がある。よい買い物をしたと思う。

 

猫足ピアノの鳴き声

 このピアノはヤマハC2がベースである。河村義子先生宅でのレッスンピアノはC6である。サイズが違うだけ、やはり大きなサイズのC6の音は、響きが違う。そのため今までC2に少し物足りなさを感じていた。ある時、河村義子先生が来宅して、この猫足ピアノを弾かれた。「調律もきちんとされているし、いい響きね」と褒めてくれた。何時も私が出している音と違い、その響きの差に驚嘆した。「どうしてそんなすごい音が出るの?」と聞いたら、義子先生はさりげなく「(私は)プロですから」。私はギャフン! 音の良し悪しは、ピアノの差ではなく、腕の差であることを思い知った。腕を上げるには、天上界を目指して地道に練習する以外にはない。

 

2021-07-27   久志能幾研究所通信 2102  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月29日 (火)

ブラームス 老いのピアノ演奏

 

 2016年、私が戸田伯爵夫人のウィーンでの琴の演奏エピソードを調査する過程で、ビデオ「ブラームスのロウ管」(北海道放送)が、私のピアノの師である河村義子先生から送られてきた。

 そのブラームスは戸田伯爵夫人の琴の演奏を聴きながら、六段の演奏をピアノ楽譜にした譜面に朱を入れた。戸田伯爵は、大垣藩最後の殿様である。明治になり、ウィーン公使としてウィーンに赴任した。

 そのビデオから分かったことは、天才のブラームスにでも、老いは襲ってくる冷酷な事実である。その時の対応の如何に人間性が露見する。

 

ブラームスの老い

 ブラームスは音楽の3Bと称せられる存在である(バッハ、ベートベン、ブラームス)。その大作曲家、ヨハネス・ブラームスが自作「ハンガリア舞曲第一番」とJ・シュトラウス「とんぼ」のピアノ演奏をロウ管シリンダーに録音したのは、エジソンの発明から約12年後の1889年12月2日である。

 この歴史的なロウ管は、ボーゼ博士によるSPレコード(1938年 TELEFUNKEN製 78rpm)は、録音・保存状態の悪く、最新のレーザー再生装置でもうまく再生できない。「ハンガリア舞曲」の旋律は、ピアノというよりアタック感の無いヴァイオリンの音に近く、「とんぼ」に関しては凄まじいトレース・ノイズで、最新の技術を使ってもほとんど聞き取れない。

 これはロウ管の保存状態の悪さと、録音時の条件の悪さに起因する。ロウ管に入ったヒビは第二次世界大戦の責任で、マイク・セッティングのミスはブラームス本人の思惑だった。

 ブラームスは、この録音セッションの為に自作「ラプソディ作品79-2」を用意したが、その練習中に自分の技量の衰えに気付き、後世に自分の老いの露見したピアノ演奏を残すこと躊躇を覚えたようだ。ブラームスは完ぺき主義者であった。

 親しい友人であるフェリンガー家でのセッション当日、神経質になっていたブラームスは、録音技術者に対して非協力的だった。突然「フェリンガー夫人がピアノを演奏します!」と自嘲気味に叫びながら、ブラームスは録音技術者のマイク・セッティングが終わらないうちにピアノを弾き始めた。フェリンガー氏は慌てて「ピアノ演奏はブラームス博士です!」(この部分から録音は開始)とアナウンスを録音に被せた。

 ブラームスは録音を嫌がっていた事は、その記録から明白だ。彼の代表曲「ラプソディ」でなく、ハンガリア民謡をベースに作曲(編曲?)した「ハンガリア舞曲第一番」を弾き飛ばした事や、その後にシュトラウスの「とんぼ」という超軽い曲を弾いた事から見ても明らかだ。

 ブラームスの人生は、この録音事件の頃から急速に陰り始める。もともと自分の才能に対して懐疑的だったブラームスは、書き溜めていた楽譜を河に捨てたり、演奏活動から遠ざかったり、ついには遺書の用意まで始める。

 そして1896年、最愛の人クララ・シューマンが急逝し、その埋葬に立ち会う為に40時間もの汽車旅をした事で体調を崩し、1897年にあの世へ召される。

 本稿は、「ブラームスのピアノ自作自演」© 2016 Hisao Natsume. All rights reserved. Designed by Sakuraphon.( http://www.78rpm.net/column/brahms-plays-brahms.html)を参考に加筆編集。

 

 

録音技術とのご縁

 老いてもまだまだ技量もある世界3Bの一人と称せられるブラームスである。老いは神の御心、それに従ってありのままを受け入れて、67歳のピアノ演奏を残し欲しかった。ブラームスの技量の絶頂期とエジソンの録音機の本格的普及の時期が少しずれてしまった。それもご縁である。

 自分にできることは、その時のご縁を大切にしたいである。私は馬場恵峰先生の書の撮影で、最新鋭最高級のカメラ機材を揃えて撮影した。今にしてよくやったと思う。

 

健康管理

 ブラームスは写真等から推察すると、かなりの肥満で、老化の進展が速かったと推定される。天才はその芸に没頭して、自分の体のことは後回しになるのかと残念に思う。天才モーツァルトも、35歳で連鎖球菌性咽頭炎から合併症で亡くなっている。天才だからこそ、宝石のような才能を支える健康を大事にして欲しかった。

Strauss_und_brahms ヨハンシュトラウスとブラームス  ウィキペディアより

 

 馬場恵峰先生は老いを隠さなかった。しかし自分の体の健康には大変気を使われた。だから94歳まで現役で活躍することが出来た。

 馬場恵峰先生に、「先生の90歳の時の書と70歳代の時の書の差は何ですか」と聞いたら、「70歳代の書には勢いがある。90歳の書には艶がある」である。人は老いても相応の作品が出来上がる。老いを隠す必要はない。

 

 ご縁があり、2017年4月、ウィーンを旅した。戸田伯爵夫人のウィーンでの琴の演奏エピソードを発見された楽友協会のビーバー・オット博士と面会し、ブラームスの墓参りをした。

 良きご縁からはよきご縁が生まれる。今は、コロナ禍で、海外には行けない。良き時にウィーンに行けて、その報告を河村義子にできて良かったと思う。その時は河村義子先生も元気であった。

P1000934s1 ブラームス像の前でビーバー・オット博士とツーショット 2017年4月24日

 楽友協会にて

P1000812s  楽友協会 ウィーン   2017年4月24日

 P1000721s ウィーン市立墓地  2017年4月20日

P1000779s 音楽家たちの墓地エリア

P1000848s

P1000849s ブラームスの墓地

P1000776s 音楽家たちの墓地エリア 左がモーツアルト、その左がベートベン、中央がヨハンシュトラウス、右手がブラームスのお墓である。

『佛が振るチェッカーフラグ』 p94

2021-06-29   久志能幾研究所通信 2074  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月19日 (土)

エイリアン(異世人)との遭遇

 

「宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない」

 In space no one can hear your scream.         

        映画「エイリアン」のキャッチコピーより

 現代社会という宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない。周りは価値観の違う異星人ばかり。あなたの魂の悲鳴を、誰も聞いてはくれない。

 私が周りの人間を異星人・異世人だと思うのは、私だけだろうか。私が異星人なのだろうか。違う世界に住んでいる価値観の違う異世人が、回りには多くいる。そのエイリアンが私の人生を脅かし、襲ってくる。

 

金満界に住む異世人

 2017年12月、河村義子先生が主催する演奏会チケットを売るため、義子先生と仕事で関係の深い人を訪問した。その人の回答が、「その演奏会は日曜日で、私の住む街から、休日にわざわざ電車に乗って行くほど価値があるのですか?」であった。チケットは買ってもらえなかった。

 それを河村義子先生に話すと、義子先生は、「あの人は住む世界が違うのよ」と達観して言われた。義子先生は、良く人を見ているなと、感心した。今までその人と一緒に仕事をしていたが、その人は、単なる仕事として付き合っていただけのようだ。その演奏会が、義子先生の最後の演奏会となった。

 私もその人とかなり懇意にしていたが、その後、その人から煮え湯を飲まされる事件もあり、付き合いを疎遠にした。確かに住む世界が違うのだ。

 

葬儀で本性が露見

 その人は、河村義子先生の通夜の時、焼香には来たが、着席もせず、焼香が終わったら逃げるようにすぐ帰っていった。義理で来たとしか思えない雰囲気であった。私はその人と顔を合わせたくなかったので、葬儀会場の2階に「避難」して、そこからその人の行動をずっと観察していた。

 

私がエイリアンを識別する観点

その人はどういう価値観の世界に生きているのだ?

価値観の違うエイリアンが、自分の人生を食い殺す。

人格

 本箱を見れば、その人柄がみえる。本箱がないのは、絶句。

 その人の友を見れば、その人の人格がわかる。

 親をみれば、本人の根性が分かる。

 師を見れば、その人の人格がわかる。

学び

 その人は勉強が好きか?

 その人は自己投資をしているか?

 その人は10年前から進歩しているか。

 行動を見ていれば、利己か利他の人かはすぐわかる。

 頼みごとに対する反応で、本性が露見する。

  期待して行ったのに拒否されると、期待に対して裏切り者である。

 こちらの好意に対して、その礼を見れば根性が露見する。

人間性

 人が病気の時、どう振舞ったのか。人間性が露見する。

 見舞いに行く、行くと言ってこないのは、人間性が疑われる。

 人が死にそうな病状なのに、無視されると、その本性が露見する。

 死に対する考え方を見れば、その人の人生観が分かる。

 法事やお墓や菩提寺に対する考えをみれば、人間性が見える。

ITへの見識 

 スマホの扱いを見れば、人間性が見える。

 運転の仕方を見れば、その人の人生観が分かる。

 ITツールの使い方を見れば、人間性が見える。

 電話代を妻に管理されていて、相手からは決して電話をかけてこない人とは、付き合うのに嫌気がさす。

生活スタイル

 食事を見れば、人間性が見える。

 買うものを見れば、金銭感覚が分かる。

 仁を説法しながら、違約金を踏み倒す論語教師、人間性が分かる。

 

2021-06-19   久志能幾研究所通信 2064  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年12月24日 (木)

人生深山の峠、義子先生の深山の峠

 

 芭蕉の「奥の細道」の旅は、最上川の急流を舟で下り、霊山巡礼登山で旅の峠を迎えた。芭蕉は、山岳信仰の霊山で知られる出羽三山の一つである月山に登った。元禄2年(1689年)6月6日、頭を白木綿の宝冠で包み、浄衣に着替えて、会覚阿闍梨と共に、宿泊地の羽黒山南谷の別院から山頂までの8里(約32km)の山道を登り、弥陀ヶ原を経て頂上に達した。時は既に日は暮れ、月が出ていた。山頂の山小屋で一夜を明かし、湯殿山に詣でた。他言を禁ずとの掟に従い、湯殿山については記述がない。唯一、阿闍梨の求めに応じた句として、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」で秘境の感銘を詠んでいる。現代でも、湯殿山での撮影は禁止されている。

 『奥の細道』の作風は、この峠を境に雰囲気が大きく変わる。芭蕉三百年恩忌(1994年)で『奥の細道全集』(上下巻)を揮毫された馬場恵峰師も、この峠の記述を境に巻を分けて構成された。

 

人生の峠

 小さな人生にもドラマがあり人生の峠がある。しかし、その峠にもたどりつけず鬼門に入った仲間が身近で10名余にも及ぶ。還暦を迎えて、無事に人生の峠に辿り着けた有難さを強く感じる。還暦を迎えてからも仕事仲間の5名の訃報に接した。還暦は人生の峠である。

 還暦後に出会った音楽の師の河村義子先生にもドラマがあった。私が還暦を迎えた直前に義子先生は癌にかかられた。それが治癒した後の5年後に癌が再発され、余命5年と宣告されたようだ。手術をするとピアニストとして生きていけないと分かると、ピアニストとして最期まで生きたいと決断されたため、手術を拒否され、音楽道の深山に進まれた。その当時に、私とご縁ができたのは、仏様の差配だろう。

 

人生の深山

 人には、語れぬ人生の深山がある。人生で、いつかは足を踏み入れねばならぬ深山である。芭蕉は死者としての白木綿の宝冠で包み浄衣に着替えて、山に入った。人は経帷子に身を包み、人には見せられぬ醜い自分を見るために、山を登る。人生で一度は越えねばならぬ峠である。その峠で、過去の自分の臨終を見送る。

 死者として深山を上り、新しく生まれた赤子になって、上ってきた山道を下る。「他言を禁ず」の戒律は、人には語れぬ醜い己の臨終への佛の経なのだ。峠を下れるだけ幸せである。峠を下れずに、山腹で骨を埋める仲間も数多い。自然が唱える不易流行の経の声を聴き、己が神仏に生かされていることに感謝を捧げる。

 義子先生も癌を患ってから、弟子に真の病気状を知らせたのは、限られた人だけであった。義子先生は、黙々と人生の音楽深山の石段を一歩一歩登って深山に分け入り、後進を育て、後世に残る仕事をされた。しかし義子先生はその深山の峠で、越えねばならぬ峠を越えられず、帰らぬ人となった。享年61歳。若すぎる死である。明日の12月25日は命日である。ご冥福をお祈りします。

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 出羽三山の一つ 羽黒山 ニの坂   20191024日撮影

  合計2,446の石段が続く

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  馬場恵峰書 『おくのほそ道』上巻 最終頁  日中文化資料館蔵

 

2020-12-24 久志能幾研究所通信 1872  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年12月23日 (水)

明日死ぬる気配も見せず蝉の声(芭蕉)  磨墨知123

 

 今を精一杯生きているからこそ、鳴く声に生命力を感ずる。明日の命は分からない。今やるべきことをなせ。やりたいことではなく、やるべきことを成せ。交通事故、天災、新型コロナウイルス禍で、明日がどうなるかも分からない世の中だ。

 蝉は土中で成長し、成虫となって地上でたった1週間の命を輝かせる。その間に子孫を残すために全力を尽くす。人ならば、死を前にして世に残すものに全力をかけて臨みたい。それが出来なければ、蝉にも劣る存在になってしまう。

 

明日は死

 日本では、お風呂で年間2万人が死ぬ。自殺で2万人、一時は自殺者が3万人を超えていた。交通事故死で3千人だが、一時は1万人を超えていた。新型コロナやインフルエンザに罹り突然に3千人が死ぬ。心疾患で20万4,387人(2017年)が死ぬ。そのうち3万7,222人(2015年)が急性心筋梗塞の即死同然で死ぬ。それがこの20年間で2倍に急増している。死は他人ごとではない。

 人は遅くても50年後には死ぬのだ。10年20年は誤差範囲である。

 

余命宣告

 私も河村義子先生の葬儀後に、胸騒ぎを覚えて検診を受けたら癌が発見された。その癌の5年後生存率が51%だと医師から言われた。5年後に半分が死ぬ。余命2.5年の宣告と同じである。だから私は残された時間を大事にしている。時間は命なのだ。

 河村義子先生は余命5年と宣告され、手術をするとピアニストとして生きられないと分かると手術を拒否して、ピアニストとして音楽道を全力で生きる道を選択された。私には死ぬ気配も見せなかった。だから義子先生の突然の訃報に茫然自失である。

 人生で余命20年も5年も、人生の長さから言えば、誤差範囲である。余命1ヶ月なら、金を使いまくり毎日楽しく過ごせばよい。しかし1年以上も余命があるなら、人生で一仕事が出来る。虚楽的な生き方では、娯楽が逆に苦痛になる。だから余命宣告された人は、命をかけて世に残す仕事に全力をかける。

 

不死の者

 多くの人は時間などいくらでもあると思って時間を無駄して生きているが、今日が人生最期の日かもしれないのだ。余命を意識して一日一日を大事に生きている者から見ると、他人は不死の者であるかのように振舞っている。しかし、いくら頑張っても後50年は生きられないのだ。だからこそ無為に生き永らえるよりも、限りある命を輝かせて、今を全力で生きたいと思う。

 

時間の伝教師

 私は見送られるよりも、知人を見送ってあげたい。だから私は時間の大切さを皆さんに伝教している。

 

 12月25日が河村義子先生の命日である。河村義子先生の追悼写真集(全134頁)が完成し、明日、印刷会社から自宅に届く。河村義子先生を覚えている人がいる限り、この記録がこの世に残る限り、義子先生は皆さんの心の中で生きている。明日、義子先生のご霊前にこの追悼写真集を届けます。

Dsc09866s 『追悼写真集-河村義子先生に音楽道を學ぶ』

 2020年12月24日、10時半に自宅に届いた

2020-12-23 久志能幾研究所通信 1871  小田泰仙

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