太上とは、ファーストクラスに乗る人である。そういう人の行動を真似すると人生を成功に導ける。また幸せな人生にすることが出来る。昔の中国では、太上になるための教育方法を「孟母三遷」と言った。
美月あきこ著『ファーストクラスに乗る人のシンプルな習慣』(祥伝社、2009年)によれば、ファーストクラスに乗る人は、CAにはほとんど負荷をかけず、お世話をしていて心地よいという。それがエコノミークラスやビジネスクラスに乗る人達との差だという。エコノミークラスやビジネスクラス乗る人たちは、CAに最大限のサービスを要求するという。ファーストクラスに乗る人はそんな意地汚いことはしないそうだ。
そこに私は人生の縮図を見た。人生の航空旅行は、ファーストクラスに乗るつもりで生きていきたい。
私の「死ぬまでにやりたい100項」の一つが、ファーストクラスで飛ぶことだが、まだ実現できていない。お金があるからファーストクラスに乗れるのではない。お金が出来て、なおかつその資格を仏さまが認めてくれたら、そのご褒美で乗れるのだと思う。そのために頑張りたい。
しかし12時間ほどのフライトで、100万円は高すぎる。そんな考えの貧乏人根性ではファーストクラスに乗るのは無理ある。それよりも架空の人生航路でファーストクラスの人生を送ることを考えるのがよい。それが「太上は ニコニコ黙って 腐縁切る」である。人生は悪縁や腐縁を避けられれば、極楽のファーストクラスの人生を送れる。
悪縁・腐縁
私はこの20年間、経営者向けの研修会に多く参加して、多くの社長と出会いがあった。しかし社長だから、人格者だと思っていたら、実際はピンからキリまでいることを発見した。社長といっても中小零細企業の社長である。大企業の人格ある社長とは違うのだ。社員数だって数人から数百人の会社まである。自分で起業すれば、誰でも社長である。だから全ての社長が人間的に出来ているはずがない。
中には人格の高い人もいたが、その反面、詐欺同然のことをする社長、車検に出した私の車を営業車代わりに乗り回した自動車整備会社の社長、ドタキャンをして違約金まで踏み倒す非常識人、統一教会まがいの新興宗教を勧誘してくる社長等と様々な社長のくずが多くいた。
私はそんな輩達とはすぐに縁を切ったので、大きな被害に遭わずにすんだ。
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道徳観念の無い社長に騙された
G経営者研究会で知り合った自動車整備会社の社長に、自車の車検をお願いした。車検後、入れたはずのガソリンがほとんど無い。おかしいと思い、ドラレコを確認すると、その社長が私の車を営業車代わりに乗り回していることが録画されていた。なおかつ運転中に電話で営業活動をしていた。当時はハンズフリーの携帯がない時代で、法律違反である。
それでその社長とは距離を置き、二度と車検は依頼していないし、付き合いも断った。10年ほど経つが、従業員が4名のその会社は全く発展していない。当たり前である。それが仏様のお裁きだろう。同じG経営研究会の仲間だからと信用した自分が愚かであった。
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宗狂社長から勧誘された
新興宗教を勧誘してきたのはG経営研究会の元会長である。大きな会計事務所の会長とグルになって勧誘をしてきた。私は、その経営研究会が社長たちの集まりの元会長であったので、信用してしまった。それが大きな間違いであった。その教団は統一教会と同レベルの怖ろしい教団であった。
下手をすれば、私は全財産を失い、失明するところであった。その教団では、入団すると太陽を見つめる修行が課される。その会長もその修行の話しはしなかったが、「前に何かのきっかけで失明寸前になった」ことがあると私に告白した。多分、太陽を見つめる修行をして失明寸前になったのだろう。弱視の私がその修行をすれば、失明確実であった。
また信徒数と建てた教団本部建設費用から計算すると、信徒一人当たり1千万以上の金が寄進として吸い上げられている。
その教団から脱会しようとすると、地域の信徒が大勢自宅に押し掛けてきて「無間地獄に堕ちるぞ」と大騒ぎをして脱退を阻止するという。
数年前、岐阜県のある村長が襲撃される事件が起きた。犯人は捕まっていない。教団の新本部建設の用地問題で、それに関係していると噂になったが、真相は闇の中である。
その家で葬儀があると、地域の信徒が全てを取り仕切り、香典は全て持ち去ってしまうという。
私を救ったのはネット情報であった。一時は試しに入会して、ダメなら退団すればよいと安易に思っていたが、緊急事態として、入会儀式直前に、関係を断った。危ないところであった。
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経営者の倫理観無し
G経営研究会のある経営者は、あるОB会のイベントの幹事を引き受け、ホテル予約のダブルブッキングをやらかした。その経営者は懇意のホテルに新規の予約をしたのだが、先に予約したホテルのキャンセルを忘れた。それでドタキャン扱いとなり、数10万円の違約金を請求された。その幹事は金が無いとホテルに泣きつき、1万円で勘弁してもらったという。かの経営者は金が無いと言いながら、ベンツを乗り回してした。その幹事はG経営研究会の有力幹部である。その経営者は、子供向きに論語の先生もやっていた。論語読みの論語知らずである。
私はそのイベントの幹事に誘われ、途中まで一緒に活動した。しかしその過程で彼らの不誠実なやり方に呆れ、反吐が出て、私は幹事を降りた。それが正解であった。そのまま付き合っていれば大変なことになる処であった。
私は、師の名誉の為にその後始末に走り回った。九州の師にも相談し、そのホテルに出向き、お詫びとして書も進呈した。
その1年後、その幹事のゴ贔屓のホテルは耐震問題で、取り壊された。その思い出の出のホテルは跡形もない。仏様のお裁きだろう。
先の道徳観念の無い社長とこの経営者は大の仲良しである。類は類を呼ぶのだろう。友を見ればその人の人格が分かる。
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住む世界が違う人との腐れ縁
私のピアノ先生が、数年前、最期の演奏会を計画した。懇意の演奏家たちをドイツから招いての演奏会である。私は当時、先生の病状もその決意も知らなかった。私がそのチケット購入を先生と縁の深い事務局長にお願いしたら、「休みの日に、わざわざ出かけねばならないほどの演奏会ですか」と言われ購入を断られた。その答えを私から聞いて、先生曰く「あの人は住む世界が違うのよ」であった。それ以来、私はその人と縁を切った。
その1年後、先生が突然亡くなられた。それは私には突然の訃報であった。その人は、通夜に来たが、義理で来たようで、焼香を済ませると早々に帰って行った。私はその姿を見て、縁を切って正解であったと確信した。
他山の石
人生では悪縁と付き合うと、それに影響されて、自分の人生に悪影響を及ぼす。やんごとなき方のKK問題は、穢れた悪縁との付き合いが原因で、大騒動になった例である。
それは仏教の縁起である。その悪縁を他山の石として学べばよい。他山とは多くの人の生き方の例を示す言葉である。その縁は玉石混交である。
縁切り
出会った縁が、悪縁と認定出来たら、「いつもニコニコ、太上は黙って悪縁を切る」を実行しよう。悪縁の人に説教やアドバイスをしても無駄である。そんなことをすれば、逆恨みされるのがオチである。その人とは「この世では縁が無い」という縁をいただいたのだ。お釈迦様でも「仏の顔も三度まで」と仰せだ。そう思い、そっとその人から離れるのが、人生の危機管理である。別名「君子危うきに近寄らず」である。
馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊
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2023-01-28 久志能幾研究所通信 2599 小田泰仙
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