m_河村義子先生の歩んだ道 Feed

2020年12月13日 (日)

河村義子先生の志を継ぐ

私の夢 ミニ音楽堂の建設 

 私の夢は自宅にミニスタジオ(音楽堂)を作り、そこで世界や国内の一流の音楽家に、リハーサル会場の提供やミニコンサートを開催することだ。

 現在、コンサートホールで演奏する音楽家は、そのリハーサル会場に困っている。正規のホール会場を1日借りると、賃料で30万円は取られる。大垣に来る音楽家は、宿泊先のホテルで、「近くにリハーサル会場はないか」と必ず質問する。

 

ドレスデントリオの想い出

 2018年1月13日、河村義子先生がドイツからドレスデントリオを呼んでコンサートを開催した。そのリハーサルは、金山駅近くのマンションの一室で行った。その部屋で、河村義子先生も一緒にリハーサルをされた。

 その部屋は、ピアノの先生が個人のピアノレッスン用に借りている。その部屋は完全な防音設備がないので、気兼ねして練習をするようだ。

 私は、そのその場に同席して、リハーサル風景を撮影させてもらった。休憩時、一緒にお菓子を食べながら楽しくお喋りをした。それが良き想い出である。それを自宅で出来れば幸せと、自宅にミニ音楽堂の建設を夢見ていた。

大人のおもちゃ

 私はそれの実現のため、2020年2月に「大人の玩具」(家)を買った。それはこの8年ほど探し回っていた要件にピッタリであったので即決した。それも朝、物件を見付けて夜に買うことを不動産屋に報せた。我ながら狂気である。

 それで、まず第一歩として、ミニ音楽堂の入れ物は準備が出来た。今すぐには改造工事費が工面できないので、手が付けられないが、近い将来、そこにミニ音楽堂を完成させる計画である。ミニ音楽堂の建設と言っても、防音工事費がかかるし、コンサートピアノも家庭用のピアノの数倍と高価である。これからの資金繰りが大変だ。でもそれも生き甲斐の糧になる。

 この歳で、新しい家を買ったので、友からは狂気の沙汰だと呆れられている。人は狂気の時こそ、大きな仕事できる。まともな神経では、プロジェクトは進められない。だから医師からの余命宣告通りには、死ぬわけにはいかない。医師を信じれば、余命宣告通りに死ぬことになってしまう。

 

 「人間は本質的に狂の部分を持っている。

  狂っているときが一番正常で健全だ」

      ギリシャの哲学者セネカ

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 ドレスデントリオの練習風景  2018‎年‎1‎月‎8‎日、

 河村義子先生との共演の為、来日したドレスデントリオもマンションの一室で、隣りに気兼ねをして練習だ。この練習が終わった翌日、下の住民から嫌味を言われたとか。

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  ミニ音楽堂のイメージ図

 

2020-12-13 久志能幾研究所通信 1860  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年12月12日 (土)

国破れて山河在り 義子師去りて音楽在り

 

 義子先生の死を思うと、なぜか李白の「国破れて山河在り」の詩が頭をよぎる。義子先生が活躍していた「音楽の国」が破れてしまった。義子先生が亡くなっても音楽を愛する人たち、友人、門下生が変わりなく生きている。大垣の山河も変わりなく四季の移り変わりを演奏している。自然は声なき音楽を奏でている。

 

 私も老いて髪も白く薄くなったが、音楽を愛する気持ちは変わらない。義子先生の志を継いで、大垣の「音楽の国」の再建に向かって、一助として精進したい。朝起きて、まだ息をしていれば、「この世でまだまだやるべきことがある」との仏様からの啓示である。「起きたけど 寝るまでやることなし」ではない境遇に感謝である。

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2020-12-12 久志能幾研究所通信 1859 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年12月11日 (金)

「追悼写真集 河村義子先生に音楽道を學ぶ」最終校正中

 

 標記の写真集がほぼ完成して、最終校正をしている。表紙は東山魁夷が「道」を描いた場所の写真を選定した。

表紙説明

 東山魁夷画伯は近くの牧場に泊めてもらい、日の出前の朝もやの煙る時刻(朝4時前?)にこの構図をスケッチした。この土地は本土で最東端に位置するので日の出時刻が本土では一番早い。昭和24年(1949年)ごろの終戦直後でモノも食料も交通機関も貧困であった当時に、この東京から遠いこの場所に4度目にこの地を訪れて、この絵を描いた。画伯が1941年にこの地を最初に訪れたとき、頭の隅にこの構想が生まれていたようだ。10年の歳月の間、その温めた構想を具現化した。その間に徴兵があり、両親の死があり、敗戦があった。その背景でこの絵は生まれた。画伯の魂の遍歴が透けて見える。

 この「道」は昭和25年の日展で特選に選ばれ、戦後まだ混乱していた日本社会で、日本の明日を不安視していた人々に希望を与えた。

 この「道」を河村義子先生が歩んだ音楽道と自分の歩いた人生道に重ねて、義子先生の足跡を振り返る。

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はじめに

 河村義子先生が亡くなられてこの202012月で2年が経つ。この書は、河村義子先生の追悼写真集である。当初、もっと早く世に出す予定であったが、私が癌を患い、その後の経過が良くなく、また新型コロナ禍の影響もあり、完成が遅れた。

 

 河村義子先生とのご縁は、不思議なめぐり合わせであった。「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。

 先生の御父君の内藤信吾先生は私の中学時代の英語の先生であった。

 大学卒業後、私は三河地区に就職した。その定年後、大垣に帰郷しなければ、先生とのご縁はなかった。前職の会社の合併がなければ、定年後、三河で骨のうずめることになったであろう。それでは先生とご縁がなかったはずだ。

 また1974年に起きたピアノ騒音殺人事件がなければ、定年後、猫足のピアノを買うこともなく、河村義子先生を紹介して頂くご縁もなかった。

私がカメラの趣味(プロです)がなければ、演奏会用の撮影機材をそろえることもなく、馬場恵峰師の書の出版をしていなければ、この追悼写真集もできなかったであろう。

 先生の突然の病死がなければ、私の癌の発見も遅れて、今頃、私は世を去っていたと思う。

 

 この連綿としたご縁の不思議なめぐり合わせに、ご先祖に手を合わせる日々である。今、私は大病を経て、生かされた命を大事にして生きている。河村義子先生が癌を明らめ、最後の5年間を精一杯に生きた生きざまを最後の教えとして大事にしている。その最後の5年間にご縁があったことに感謝である。

「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」の馬場恵峰師の言葉を噛みしめている。感謝。

 

           2020129日  小田泰仙

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東山魁夷画伯作「道」 ed:587/1000

 

2020-12-11 久志能幾研究所通信 1858  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年11月12日 (木)

河村義子先生の本気と覚悟

 

 私は2019年2月に、癌の手術をして余命宣告を受けた。それから生きる姿勢が少し変わった。

 2018年12月に亡くなられた河村義子先生は、死の5年前にその余命を悟られたようだ。義子先生は、死を明らかにして、諦めて本気で人生最後の5年間を生きた。私はその最後の5年間にご縁があったことに、感謝である。義子先生から、人生のフィナーレの生き方を学んだ。

 

死の示唆

 私が先生にピアノレッスンで師事して暫らくして、先生はドイツへ1か月間の演奏旅行に出かけられた。ドイツから帰国されて言われた言葉が、「人生でやりたいことはやり切ったので、いつ死んでもいい」である。私は何と大げさな、と思ったものだ。

 義子先生は、1か月間も音信不通で(先生は、LINEかFacebookをやって連絡をしていたようだが、私はやらないので情報がなかった)、私はやきもきしていた。帰国日時も分からない状態であった。後日、シュッツガトゾリスデンとの演奏風景や、皆と城の見学時の楽しそうな写真を見て、それを納得した。

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13131104_828857910553235_3649426451  シュッツガトゾリスデンのHPより

 いつものレッスン中の会話で、河村義子先生は演奏会パンフレットに載せる写真にもさりげなく言及して、「この写真は気に入っているので、お葬式にも使うの」というので呆れた思い出がある。その写真は名古屋の写真館で撮ったようだ。当時から覚悟をして、葬儀用の写真を準備されていたようだ。実際にその写真が遺影となった。当時の私は、そこまで気が回らない。

 先生の葬儀後、私は胸騒ぎがして検診を受けたら、癌が見つかり、ステージがかなり進んでいたこともあり、終活の準備を始めた。手術前に、葬儀用の写真を写真館で撮って準備をして、それを仏壇の前の置いておいて、愛知県がんセンターに入院した。それも私の病室は、河村義子先生が入院した病室と、東棟と西棟と病棟は違うが同じフロアーがつながる9階である。これも河村先生の見えざる教えであろう。

 

つなげたい

 音楽活動で奔走する先生に「なぜそんなに頑張るの?」と聞くと、「つなげたいから」がその答えであった。河村先生は頑張られたが、その逝去後、それを受け継ぐ弟子達に、河村義子先生の本気を受け継ぐ人は、見当たらないようだ。河村先生が生み育てた「カスミの会」が衰退していくのを目の当たりにするのは悲しい。

 

今、すなわち臨終

 人の明日は分からない。今日元気であっても、明日地震で死ぬかもしれない。東日本大震災、阪神淡路大震災のように。明日、テロに遭遇するかも知れない。ニューヨーク貿易センタービルの同時多発テロのように。いつ何時、レバノン大爆発の巻き添えにあうかもしれない。いつ何時、ガンで余命宣告をされるかもしれぬ。癌ならまだ時間余裕があり幸せである。心筋梗塞、脳梗塞、交通事故に遭えば、即死状態である。その数は年間20万人余である。

 

 「今、すなわち臨終」との一遍上人の言葉が、心に重くのしかかる。今を必死に生きない人に明日は無い。それは生きているのではなく、生き長らえていることで、ただ息をしているだけの人生ではないのか。

 

本気

 私の好きな詩に「本気」がある。本気で物事に取り組んでいれば、道半ばで斃れても、本望である。それは名誉の戦死である。本気でないから、死に臨んで悔いが出る。

 

 本気ですれば大抵のことはできる。

 本気でしていると何事も面白い。

 本気でやっていると誰かが助けてくれる。

 人を幸福にするために、本気で働いている者は、みな幸せである。

                       作者不明

 

 

死に方の選択

 死とは、人生の中で最初で最後の最大のプロジェクトである。自分の死を悔いのないプロジェクトとして完成させたい。

 私は、自分の臨終を考えて、理想の死にかたを追求している。それが美味しいモノに誘惑されて飽食し、病気になり、心筋梗塞やガンで死ぬことは避けたい。美味しいモノには毒がある。その毒物がこれほど溢れている時代は人類史上、初めてである。毒と分かっていても、つい手を出してしまう。その誘惑を排除して、心と体の健やかさ(健康)を保って、天寿を全うしたい。

 病気や不慮の事故等で死ぬのは、危機管理がされてないのだ。天命・天寿を全うするため、死というプロジェクトに本気で取り組みたい。それこそ本当の終活である。財産や品物の整理や身辺整理は、些細なこと。そんなことは、後の人がやってくれる。後は野となれ山となれでよい。

 それより何のために生きて、何のためなら死ねるのかを、明らかにすれば死は諦められる。諦めるとは、死を明らかにすること。

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 馬場恵峰書

 

2020-11-12 久志能幾研究所通信 1822  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年11月 8日 (日)

死刑の証明は1つで十分  磨墨知28 

 

 無為な事に時間をかけすぎない。自己満足の証明のため、決断の時を無為に延期するのですか? その「裁判」の目的はなんですか? 死体に鞭打つのですか? 後の始末は仏様がやってくれる。目的を忘れると余分な事に時間を使うもの。それは死んだ子の歳を数えると同じ。

 

死刑判決

 過去の人を「死刑判決」で鞭打たない。その人に自分は「死刑判決(絶交、絶縁)」をしたのだ。その魔の世界から遠ざかれば、幸せが手に入る。時間が手に入る。腐れ縁で苦しむのは、縁を切れない優柔不断な己である。その人は住む世界が違うのだ。価値観が違うのだ。「人種が違うのだ。」

 

人種が違う

 「人種が違う」とは故河村義子先生が言った言葉。私は河村先生主催のコンサートの勧誘で、チケットを売るため走り回っていた。その中で当然来るべき人、義理でも来なければならない人と思って勧めたら、その人に「休日に来なければならないほど魅力あるコンサートですか」と拒否されて愕然とした。その報告を河村先生にしたら、河村先生が私を慰めてくれた言葉が上記である。

 そのコンサートが河村先生の生前の公式最後の公演となった。私が主のスポンサーとなって開催したコンサートだ。ドレスデントリオを招いての2018年1月13日の新年コンサートであった。

 河村先生の葬儀当日、2018年12月、その人は葬儀には来たが、焼香だけを済ませると早々に消えた。義理で来たことが見え見えであった。私には何か割り切れない気持ちが残った。私はその人に「死刑判決(絶交、絶縁)」をして正解であったと悟った。

 

病気というご縁

 自分を癌にした原因には鞭打たない。そういう苦い経験が今の自分を作った。当時はそれで極楽だったのだ。やってはいけない事、付き合ってはいけない人を、身を挺して体験したのだ。人生の修行時は、清濁併せのまねば成長できない。自分はそれから知見を得たのだ。後は、その魔の世界から遠ざかればよい。

 酒、煙草、分かっちゃいるけどやめられねぇ、では犬猫以下である。

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   馬場恵峰書

 

2020-11-07 久志能幾研究所通信 1817  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年10月29日 (木)

私の夢 ミニ音楽堂の建設

 

 私の夢は自宅にミニスタジオ(音楽堂)を作り、そこで世界の一流の音楽家に、リハーサル会場の提供やミニコンサートを開催することだ。

 現在、コンサートホールで演奏する音楽家は、そのリハーサル会場に困っている。正規のホール会場を1日借りると、賃料で30万円は取られる。大垣に来る音楽家は、宿泊先のホテルで、「近くにリハーサル会場はないか」と必ず質問する。

 

ドレスデントリオの想い出

 2018年1月13日、河村義子先生がドイツからドレスデントリオを呼んでコンサートを開催した。そのリハーサルは、金山駅近くのマンションの一室で行った。その部屋で、河村義子先生も一緒にリハーサルをされた。

 その部屋は、ピアノの先生が個人のピアノレッスン用に借りている。その部屋は完全な防音設備がないので、気兼ねして練習をするようだ。

 私は、そのその場に同席して、リハーサル風景を撮影させてもらった。休憩時、一緒にお菓子を食べながら楽しくお喋りをした。それが良き想い出である。それを自宅で出来れば幸せと、自宅にミニ音楽堂の建設を夢見ていた。

 

大人のおもちゃ

 私はそれの実現のため、今年の初めに「大人のオモチャ」(家)を買った。それはこの8年ほど探し回っていた要件にピッタリであったので即決した。それも朝、物件を見付けて夜に買うことを不動産屋に報せた。我ながら狂気である。

 それで、まず第一歩として、ミニ音楽堂の入れ物は準備が出来た。今すぐには改造工事費が工面できないので、手が付けられないが、近い将来、そこにミニ音楽堂を完成させるのが夢である。ミニ音楽堂の建設と言っても、防音工事費がかかるし、コンサートピアノも家庭用のピアノの数倍と高価である。これからの資金繰りが大変だ。でもそれも生き甲斐の糧になる。

 この歳で、新しい家を買ったので、友からは狂気の沙汰だと呆れられている。人は狂気の時こそ、大きな仕事できる。まともな神経では、プロジェクトは進められない。だから医師からの余命宣告通りには、死ぬわけにはいかない。医師を信じれば、余命宣告通りに死ぬことになってしまう。

 

 「人間は本質的に狂の部分を持っている。

  狂っているときが一番正常で健全だ」

      ギリシャの哲学者セネカ

P1040203s

 ドレスデントリオの練習風景  2018‎年‎1‎月‎8‎日、

 

2020-10-29 久志能幾研究所通信 1806  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年10月19日 (月)

「7人の敵」より手強い「108人の敵」と闘う

 

スランプ、挫折の意味

 人は逆境にならないと、自分を直そうとはしない。スランプや逆境こそ、自分を見つめ直し、自分を成長させる機会なのだ。

 私も左遷、降格、裏切り、試験に落ちる、師との別れ、大病で手術、鬱病症状、交通事故等の挫折があり、それをバネに頑張って、今がある。

 

108人の主人公

 古風な母からは「男は外に出れば7人の敵がいる」と教えられた。しかしもっと恐ろしい敵が、己の内に108人も存在する。その敵が己を殺し、家族を殺す。

 人間は、好調な時は己の内の潜む108人に唆されて、やりたい放題に過ごす。そのお調子者の誘惑者とは、108の煩悩を背負い、己の内に居候する108人の主人公である。その居候は、欲にまみれた餓鬼である。「欲」とは谷底に突き落とされても、欠けないと書く。しかし人間は、欲が無くなれば、命がない。生きたいという欲こそが生命体の核である。

 金も欲しい、女も欲しい、酒も飲みたい、働かず遊びたいでは、まるで飢えた動物だ。畜生は満腹になれば、それ以上の餌は求めない。それなのに強欲な人間は、食べても食べても、金を集めても集めても、満足ということを知らない。飢えた餓鬼タリアンである。

 

タイムリミット

 幸いなことに、何時までも狂宴は続かない。いくら続いても20年である。栄華を極めた豊臣秀吉の狂乱も20年は続かなかった。自分で薬まで調合する健康管理オタクの徳川家康でさえ、73歳で死んでいる。

 いくら健康優良児で病気知らずでも、老いと死は避けれない。いくら体が頑強でも、歳を取れば認知症の罹患率が急増する。認知症になれば、脳死も同然である。そこまでして生きたいのか、自問しよう。

 東京都福祉保健局の調査によれば、70代前半では4.3%に過ぎないないが、70代後半になると10.1%に跳ね上がる。80代前半が23.1%、80代後半が43.6%で、90歳を超えると69.2%が認知症になってしまう。(『週刊新潮』 2016.9.9)

 

確実に来る未来  老いと死

 己もいつしか歳を取り、目も悪くなり、頭の回転も鈍くなり、口も早く回らず、アレソレばかりしか言えず、腹も出て醜い肥満体になり、病院通い、薬漬けの日々となる。人並み以上の悪食、過食、過飲という狂った生活が、脳や体を犯し、認知症、癌、心筋梗塞、脳梗塞、脳出血になり、その狂宴が止る。そのため集めた金を使う機会もなく、仏様に呼ばれてしまう。「いくらでも金を出すから助けてくれ」と言っても、仏様は聞く耳を持たぬ。

 だからこそ、足るを知り、利他を知らねばならぬ。生老病死に対して覚悟をしなければならぬ。やるべきことを、やれるうちに済ませねばならぬ。今のうち、生きているうちである。

 別に偉くならなくてもよい。金持ちにならなくてもよい。生まれて、やるべき使命を全うするため、真っ黒になって働いて、世のためになる事をして、人知れず死んでいく。それが人間の生き方だ。

「一隅を照らす、これ則ち国宝なり」(天台宗の開祖・最澄)

 

河村義子先生の死

 河村義子先生は、死を悟って最後の5年間を全力で生きられた。やりたいことを全てやって悔いを残さず旅立たれた。早すぎる死ではあったが、素晴らしい生き方である。

 最後の5年間、1か月間のドイツ演奏旅行から帰られた義子先生が、「やりたいことをやり切ったので、いつ死んでもいい」と言うので、なんと大げさなと呆れた思い出がある。当時、私は先生の病を知らないので呆れたが、今になって先生の心境が理解できる。

 

「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」親鸞聖人

 

死の準備

 河村義子先生も、大垣の音楽界に尽力して、いつか私の目の前からフェードアウトして、ある日、訃報が飛び込んできた。それで私も自分の死に目覚めた。その直後、私に癌が見つかり生への葛藤が始った。

 私は、自身の葬儀・戒名・遺産相続の段取りをしてから手術に臨んだ。お墓は3年前に再建した。手術後、墓誌に戒名を刻んだ。まだ生きているので、彫った字に朱を入れた。人は生まれ、生き、裸で死んでいく。それに納得して従った。手術での死を怖いとは思わなかった。生死は仏様の管轄だ。

 

108人との闘い

 人生では、優柔不断で強欲な己という主人公が、自分の中に潜む108人の狂気の敵と戦わなければ、人生ゲームに負ける。身を正さねばならぬ。手ごわい敵は、倒しても倒しても入れ替わり立ち代わり襲ってくる。ある時は天女の仮面を被って「そんなに頑張らんでよろしがな。楽しみましょうよ、食べましょうよ、飲みましょうよ」と意志薄弱な己を誘惑する。

 人生ゲームは、最初から自分の思い通りにならないように設定されている。人生ゴールを邪魔する煩悩という敵とは、108の仮面を被った己である。それをどう克服するかが問わる。克服する過程が、自分の成長であり、佛になる(成仏)道なのだ。

 

最強の敵

 しかしその108人の敵を倒しても、もって手ごわい敵が残っている。それが己である。その相手は佛にもなれば鬼にもなる己である。己の感情をコントロールできて初めて、成仏である。

 

物理(佛理)の法則

 その精進を放棄すれば、人間ではない畜生道を歩む。それで認知症になれば、大当たりである。此の世では、本人は天国、家族は地獄である。あの世でどうなるかは、逝ってみないと分からない。

 物理(佛理)の法則では、プラスがあればマイナスが必用だ。此の世でプラスなら、あの世はマイナスである。来世の答えは自明である。

P10600161s  馬場恵峰書

2020-10-19 久志能幾研究所通信 1792  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年8月20日 (木)

仕事とは祈り

 祈るとは、頭を冷静にして自分と対峙し、謙虚になり、反省すること。そこから時間創出の智慧が出てくる。喧騒たる働きだけでは智慧は生み出せない。傲慢な生き方からは、智慧は生まれない。

 

祈りの長い人

 お祈り時間の長い人は不幸な人が多い。幸福な人はお祈り時間が短い。それはお祈りではなく、神仏への感謝の報告である。不幸な人が、自分のやるべきことを放棄して神仏へのお願いに時間をかける。そんな時間があれば、公園草取りでも、家前の道掃除でも、人様のお役に立つことをやればよい。

 お祈り時間の長い人は全て他力本願である。それで幸福になれない。仏様の教えは「まず自分のやるべきことをやりなさい。そうすれば10年後に利子をつけて返してあげる」である。それを「お賽銭を入れた。人様以上に長くお祈りをしたので、直ぐに配当をくれ」では神も仏もあったものではない。神社仏閣は、お願いをしてお賽銭を入れればご利益がでてくる自動販売機設置場所ではない。そう信じている人は、お祈り時間が長い。

 

仕事とは祈りである

 幸福な人は、仕事をすることで、社会に貢献している。そして儲かれば税金を納めて、社会のお役にたっている。幸せな人は奪う人ではなく、与える人である。

 祈りの長い人は、棚ぼたを信じて口を空け、待つだけの人である。

 

祈りの長い人

 某老女のお祈り時間は約20分間余と長い。ご丁寧にお寺の入り口に自転車を置き、入口を封鎖してのお祈りである。お参りにくる人に迷惑になるので、私は注意したが、「片方が空いているので問題ない」と意地になって反論した。人様へのご迷惑は、お願いの祈りに没頭して眼中にはなかった。こうなっては仏様もお手上げだ。その後、隣の八幡神社でも同じように長時間のお祈りであった。そこでも東口鳥居のど真ん中に自転車を置いてのお祈りであった。

 南園堂の不空羂索観音様や大日入来様、延命地蔵菩薩様だけでは心もとないので、八幡神宮の天照大神様にも二股をかけている。二股をかけられては、観音様も気を悪くするでしょうに。

 

 祈りとは何かを考えよう。祈りとは自分を謙虚にする修行である。謙虚でなければ、周りが見えない。大義名分に囚われて、我々も同じようなことをしてないだろうか。

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信心深い利己の人

 私が、年に数十万円の商品を買っていた馴染みお店があった。そのお店のご主人は、非常に信心深いので、格別の親交があった。お供えのお花の保全の件でも教えてもらった。

 2017年頃、河村義子先生主催の演奏会の資金的支援を、この人にお願いに行った。子供たちを120名招待して「世界で一流の音楽を聞く会」プロジェクトである。趣旨をご主人に話したが、支援はけんもほろろに断られた。それで彼が佛に信心深いのは、自分の幸せのためだけであって、利他の心は全くないことが判明した。それ以来、そのお店で商品を買うのを止めた。

 

資金集めの苦労

 当時、私は「世界で一流の音楽を聞く会」プロジェクトのため、寄付を募って多くのお店を訪問したが、殆ど成果がなかった。それそれ以来、各所に寄付をお願いに回るのに虚無感を覚えて、その寄付集めの運動を止めた。それで私は持ち出しの支援をすることにした。毎回20万円の寄付である。

 勿論、大垣市はこの種の芸術活動への金銭的支援を全くしない。毎回支援をしてくれる市内の都市銀行でも、横並びで一口2万円の支援だけである。それも河村義子先生が直々頭取にお願いしてのこと。百貨店の事業部長に、何度も足を運んで支援をお願いしてが、結果は1万円だけの寄付であった。もう一軒はなじみの文房具店からであった。結局、私は2件しか寄付を集められなかった。子ども達の為に資金集めで奔走された河村義子先生の苦労がしのばれた。

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 TIMMコンサートで招待した子供たちにベーゼンドルファーの説明をする河村義子先生

 

 他力本願の祈りとは: 全能の神仏を超越し、ニュートン法則や相対性理論の宇宙法則を捻じ曲げて、己のためだけの欲望を願う行為。

                       ビアス

 

2020-08-20 久志能幾研究所通信 1714  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月14日 (金)

河村義子先生のご霊前での出会い

 人は人との出会い以外に、言葉との出会いがある。今日(2020年8月14日)は河村義子先生のご霊前にお参りして、素敵な言葉に出会った。

 「人に心を預けるな。佛に心を預けよ」である。

 他人の心は成長もすれば、堕落もする。己もまたしかりである。その成長速度は、人によって異なる。その変化した心で、他人と相対比較するから腹が立つ。相手の行動を批判・比較して、喜んだり、悲しんだり、怒っても益のない話である。他人の行動をこうあるべきと思うから、腹が立つ。それよりも己の心を絶対的存在の佛に預け、空の状態で世間を見れば、正しい姿が見える。事件に接して、己が佛ならどう思うか、で考えればよい。それで心が落ち着き、心がふらつくことはない。その佛とは、先人達が考えた理想の人間像である。その佛になる修行をしておられるのが菩薩である。

 

人生完全燃焼

 自分の仕事での決断は、自分が信じたことを、佛に問いかけながら邁進すればよい。結果は佛様が一番良いようにしてくれる。だから全力投球した後は、野となれ山となれ、である。その時の結果が意に添わなくても、10年後にはそれでよかったとなる事が多い。私もそんな逆縁の菩薩様に多くで出会ってきた。

 河村義子先生の戒名は、「聖観院教音義愛大姉」である。その名の通り、佛の眼で弟子を見つめ、音楽を愛し、子供を愛し、音楽を教えることで世に尽くして、使命を全うして旅立たれた。新型コロナ騒動の前に旅立たれたのが、せめてもの幸いである。

 今なら音楽家は、音楽活動が制限され、その収入も断たれ、生活が大変である。河村義子先生は、良き時代を全力で駆け抜けた。私もそんな仏様のような先生とご縁ができて感謝である。

 

犬も歩けば

 私の今までの音楽人生は、一歩前進、一歩後退であった。しかし、その一歩を動いて、多くのご縁を頂いただけ、人間的に成長できた。一歩後退しても、決してマイナスではない。人は動かなければ、ご縁に出会えない。それを賢人は「犬も歩けば、棒に当たる」という。止っていてはダメなのだ。止って、家に閉じこもっていれば、認知症への道をまっしぐらである「歩く」とは「止まる」が「少ない」と書く。

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   松本明慶大仏師作 聖観音菩薩像 

 

2020-08-14 久志能幾研究所通信 1705  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月 8日 (土)

危機管理30  あなたの臨終

 死とは、人生で最初で最後の最大のプロジェクトである。その経験を伝えた人はいない。だから希望として、自分の死は悔いのないプロジェクトとして完成させたい。

 私は、自分の臨終を考えて、理想の死にかたを追求している。それが美味しいモノに誘惑されて病気になり、心筋梗塞やガンで死ぬことは避けたい。美味しいモノには毒がある。その毒物がこれほど溢れている時代は人類史上、初めてである。毒と分かっていても、つい手を出してしまう。その誘惑を排除して、心と体の健やかさ(健康)を保って、天寿を全うしたい。理想は老衰死である。それが危機管理である。

 不慮の事故等で死ぬのは、危機管理ができていなかった証である。その事故に遭う確率を少しでも減らして生きたい。身の回りは危険が一杯である。

 天命を全うするため、死というプロジェクトに本気で取り組みたい。それこそ本当の終活である。財産や品物の整理や身辺整理は、些細なこと。そんなことは、後の人がやってくれる。後は野となれ山となれでよい。

 それより何のために生きて、何のためなら死ねるのかを、明らかにすれば死は諦められる。諦めるとは、死を明らかにすること。

 

「詩人の颯声を聴く」

  本気になると

  世界が変わってくる

  自分が変わってくる

  変わってこなかったら

  まだ本気になってない証拠だ

  本気な恋

  本気な仕事

  ああ

  人間一度

  こいつを

  つかまえんことには

 

 これが但馬銀行に掛かっている。谷山さんが掛けられた。その詩でずいぶん救われた人がいる。何故かというと、銀行ですから、破産した人、しそうな人,いろいろ来る。お金借りたいと思って来て、そして、「わしは、まだ本気でなかった」と。「本気でやらなかったからこうなったんや」と。それで、「だから、銀行からお金借りません」って。そして帰ってやり直す。たくさんの人が「本気」で救われました。

 

息をしている瞬間が臨終

 一遍上人は「ただいまの念仏の外に臨終の念仏なし。臨終即平生なり」という。つまり、あなたも私もいま、息をしていますが、その息をしている瞬間が臨終だ。毎時毎秒、 1分 1分が臨終なんだ。今、そういう気持ちで生きている人間がいますか。そこまで徹底して追及した人はいません。一日一生などといいますが,一瞬に比べたら、一日はとても長い。

 一遍さんは息をしているときがすなわち臨終だという。そう考えたら、なんでもできる。人間、いま死ぬんですよと言われて、すると、慌てふためく人もいれば、そうかと考えて、なすべきことを全部しようという人もいます。死ぬ気でやれ、なんていったりしますが、本当に死ぬ気でやったら、できないことはないんじゃないですか。

 

創造する人間

 「老人は早起きだというが、そんなことはない。私が普通の人と同じように遅くまで寝ていたい。しかし、私が普通の人と同じように遅くまで寝ていて、どうして人々の心に光を灯す詩が書けますか。創造する人間は絶えず、危機の中に身をおいてないといけない」

 

著者プロフィール

 四国松山に住まい、

 ひたすら詩作に一道精進を続ける。94歳(2003年1月現在)

 随筆集「念ずれば花ひらく」の著者。

 1980年 正力松太郎賞受賞

 1989年 愛媛県教育文化賞受賞

 1991年 仏教伝道文化賞受賞、愛媛県功労賞受賞

 2006年12月11日 逝去

 坂村真民(聞き手藤尾秀昭)著「詩人の颯声を聴く」より。一部編集。

 致知出版社(2000年) 1300円

 

本気

 「本気」の詩を見てご臨終になる人、生き返る人。自分はどちらであろうか? 今日元気であっても、明日地震で死ぬかもしれない。東日本大震災、阪神淡路大震災のように。明日、テロに遭遇するかも知れない。ニューヨーク貿易センタービルの同時多発テロのように。いつ何時、レバノン大爆発の巻き添えにあうかもしれない。いつ何時、ガンで余命宣告をされるかもしれぬ。癌ならまだ時間余裕があり幸せである。心筋梗塞、脳梗塞に襲われれば、即死状態である。その数は年間20万人余である。

 「今、すなわち臨終」との一遍上人の言葉が、心に重くのしかかる。今を必死に生きない人に明日は無い。それは生きているのではなく、生き長らえていることで、ただ息をしているだけの人生ではないのか。

 私の好きな詩に「本気」がある。本気で物事に取り組んでいれば、道半ばで斃れても、本望である。それは名誉の戦死である。本気でないから、死に臨んで悔いが出る。

 

河村義子先生の本気

 私も1年半前に、余命2年半の余命宣告を受けた(5年後の生存率51%)。計算上は後1年の命である。

 義子先生は、死の5年前にその余命を悟られたようだ。義子先生は、死を明らかにして、諦めて本気で人生最後の5年間を生きた。私はその最後の5年間にご縁があったことに、感謝である。義子先生から、人生のフィナーレの生き方を教えて頂いた。

 

 本気ですれば大抵のことはできる。

 本気でしていると何事も面白い。

 本気でやっていると誰かが助けてくれる。

 人を幸福にするために、本気で働いている者は、みな幸せである。

                       作者不明

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 馬場恵峰書

 

2020-08-08 久志能幾研究所通信 1696  小田泰仙

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