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2020年10月19日 (月)

「7人の敵」より手強い「108人の敵」と闘う

 

スランプ、挫折の意味

 人は逆境にならないと、自分を直そうとはしない。スランプや逆境こそ、自分を見つめ直し、自分を成長させる機会なのだ。

 私も左遷、降格、裏切り、試験に落ちる、師との別れ、大病で手術、鬱病症状、交通事故等の挫折があり、それをバネに頑張って、今がある。

 

108人の主人公

 古風な母からは「男は外に出れば7人の敵がいる」と教えられた。しかしもっと恐ろしい敵が、己の内に108人も存在する。その敵が己を殺し、家族を殺す。

 人間は、好調な時は己の内の潜む108人に唆されて、やりたい放題に過ごす。そのお調子者の誘惑者とは、108の煩悩を背負い、己の内に居候する108人の主人公である。その居候は、欲にまみれた餓鬼である。「欲」とは谷底に突き落とされても、欠けないと書く。しかし人間は、欲が無くなれば、命がない。生きたいという欲こそが生命体の核である。

 金も欲しい、女も欲しい、酒も飲みたい、働かず遊びたいでは、まるで飢えた動物だ。畜生は満腹になれば、それ以上の餌は求めない。それなのに強欲な人間は、食べても食べても、金を集めても集めても、満足ということを知らない。飢えた餓鬼タリアンである。

 

タイムリミット

 幸いなことに、何時までも狂宴は続かない。いくら続いても20年である。栄華を極めた豊臣秀吉の狂乱も20年は続かなかった。自分で薬まで調合する健康管理オタクの徳川家康でさえ、73歳で死んでいる。

 いくら健康優良児で病気知らずでも、老いと死は避けれない。いくら体が頑強でも、歳を取れば認知症の罹患率が急増する。認知症になれば、脳死も同然である。そこまでして生きたいのか、自問しよう。

 東京都福祉保健局の調査によれば、70代前半では4.3%に過ぎないないが、70代後半になると10.1%に跳ね上がる。80代前半が23.1%、80代後半が43.6%で、90歳を超えると69.2%が認知症になってしまう。(『週刊新潮』 2016.9.9)

 

確実に来る未来  老いと死

 己もいつしか歳を取り、目も悪くなり、頭の回転も鈍くなり、口も早く回らず、アレソレばかりしか言えず、腹も出て醜い肥満体になり、病院通い、薬漬けの日々となる。人並み以上の悪食、過食、過飲という狂った生活が、脳や体を犯し、認知症、癌、心筋梗塞、脳梗塞、脳出血になり、その狂宴が止る。そのため集めた金を使う機会もなく、仏様に呼ばれてしまう。「いくらでも金を出すから助けてくれ」と言っても、仏様は聞く耳を持たぬ。

 だからこそ、足るを知り、利他を知らねばならぬ。生老病死に対して覚悟をしなければならぬ。やるべきことを、やれるうちに済ませねばならぬ。今のうち、生きているうちである。

 別に偉くならなくてもよい。金持ちにならなくてもよい。生まれて、やるべき使命を全うするため、真っ黒になって働いて、世のためになる事をして、人知れず死んでいく。それが人間の生き方だ。

「一隅を照らす、これ則ち国宝なり」(天台宗の開祖・最澄)

 

河村義子先生の死

 河村義子先生は、死を悟って最後の5年間を全力で生きられた。やりたいことを全てやって悔いを残さず旅立たれた。早すぎる死ではあったが、素晴らしい生き方である。

 最後の5年間、1か月間のドイツ演奏旅行から帰られた義子先生が、「やりたいことをやり切ったので、いつ死んでもいい」と言うので、なんと大げさなと呆れた思い出がある。当時、私は先生の病を知らないので呆れたが、今になって先生の心境が理解できる。

 

「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」親鸞聖人

 

死の準備

 河村義子先生も、大垣の音楽界に尽力して、いつか私の目の前からフェードアウトして、ある日、訃報が飛び込んできた。それで私も自分の死に目覚めた。その直後、私に癌が見つかり生への葛藤が始った。

 私は、自身の葬儀・戒名・遺産相続の段取りをしてから手術に臨んだ。お墓は3年前に再建した。手術後、墓誌に戒名を刻んだ。まだ生きているので、彫った字に朱を入れた。人は生まれ、生き、裸で死んでいく。それに納得して従った。手術での死を怖いとは思わなかった。生死は仏様の管轄だ。

 

108人との闘い

 人生では、優柔不断で強欲な己という主人公が、自分の中に潜む108人の狂気の敵と戦わなければ、人生ゲームに負ける。身を正さねばならぬ。手ごわい敵は、倒しても倒しても入れ替わり立ち代わり襲ってくる。ある時は天女の仮面を被って「そんなに頑張らんでよろしがな。楽しみましょうよ、食べましょうよ、飲みましょうよ」と意志薄弱な己を誘惑する。

 人生ゲームは、最初から自分の思い通りにならないように設定されている。人生ゴールを邪魔する煩悩という敵とは、108の仮面を被った己である。それをどう克服するかが問わる。克服する過程が、自分の成長であり、佛になる(成仏)道なのだ。

 

最強の敵

 しかしその108人の敵を倒しても、もって手ごわい敵が残っている。それが己である。その相手は佛にもなれば鬼にもなる己である。己の感情をコントロールできて初めて、成仏である。

 

物理(佛理)の法則

 その精進を放棄すれば、人間ではない畜生道を歩む。それで認知症になれば、大当たりである。此の世では、本人は天国、家族は地獄である。あの世でどうなるかは、逝ってみないと分からない。

 物理(佛理)の法則では、プラスがあればマイナスが必用だ。此の世でプラスなら、あの世はマイナスである。来世の答えは自明である。

P10600161s  馬場恵峰書

2020-10-19 久志能幾研究所通信 1792  小田泰仙

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