敵陣交流(宮仕え)の戦い、対人交流で命を守る
母からは「男は外に出れば、七人の敵がいる」と教えられた。実家に居れば、家族に守られているが、外に出れば(ある企業に就職すれば)、その敵と対面することになる。
敵陣の中で考えるべきことは、自分が正しいと思う行動を取ることではなく、自分の言動が、上司(敵)の眼にどう映っているかを考える、である。評価する権利は相手側にある。自分が正しいと思うなら、それは自己中だ。村社会では、正義の論理は通用しない。ウサギがライオンに歯向かっても、喰い殺されるだけだ。相手は権力を持っているのだ。
当時はそんなことは考えなかったが、今思うと、臆病で自信の無かった私は、本能的に敵から自分を守る行動をしていたのだと思う。そのお陰で命拾いができていた。
私は、従業員5千人、売上高5千億円の企業で、38年間の勤務をした。その途中で、合併があり、従業員1万人、売上高1兆円の企業になった。その間、私が一緒に仕事をした仲間が20名余、定年までに命を落とした。まさにビジネス戦争での戦死である。自分がそのうちに入らず、定年まで生き延びられたのは、ご先祖、親、師、上司、仲間のご恩である。
久志能幾研究所通信: 西部戦線異状なし (enjoy.jp)
http://yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2017/11/post-d9b4.html
.
村社会の対人交流
閉ざされた村社会には暗黙痴(暗黒恥?)がある。村に入れば、村の掟に従わざるを得ない。現代社会の建前上は、人権が保障され、自由であるが、実際はそうではない村社会が存在する。現実の企業内での生死は上司に握られている。
それは私が若かりし40年前の話である。雇用が買い手市場の現代でも、それは変わらないようだ。正規雇用の社員が激減し、派遣社員が過半となった企業もある現在は、その傾向がより強くなった。大手銀行の合併でも、吸収合併され側の銀行員の悲惨な話がネット上で舞っている。古い体質の村の風習がより顕著になったようだ。
そういう社会では、自分の信じる道を人目をはばからず、歩いてはならない。それでは見えない敵に殺される。
対人交流という心理学では、相手がどう思うかをの理論を教えてくれる。人間社会での生き方を教えてくれる。自分の道を歩きたかったら、自分で会社を立ち上げて、自分の世界を創ることだ。そういう能力がないなら、村の掟に従うことだ。殺されないために。
だから私は定年までは奴隷になって働いた。還暦まで働けば、社会に対する責任は果たしたことになる。因習に満ちた村社会を離れて、今は自由な生活を満喫している。
対人交流
対人交流とはエリック・バーン博士が開発した心理学の理論である。人はその性格により、多様な反応を示す。親の影響が子供に移り、子供の性格を決定する。
例えば、交通事故現場を見ても、その反応は性格により千差万別である。子供の性格の天真爛漫な性格(FC)なら、面白い事件だと興奮する。母親(NP)の性格なら、「可哀そうに、被害者はだいじょうぶかしら」である。厳格な父親(CP)の性格なら、「安全運転をしないから事故を起こすのだ、自業自得だ」と。大人(A)の性格なら、「どうして事故になったか、その再発防止は何か」と考える。
例えば下図の交通事故現場で、スキップしている子供が天真爛漫な子供の反応である。
同じ事象でも、その反応は人によって全く異なる。だから閉ざされた村社会では、上司が自分の言動をどう見ているかが最大の論点である。
大垣市内で 2014年6月6日
事件をどう受け止めるかで、解釈が変わる。この事故は、子供にとっては楽しい出来事だ。彼が子供新聞の記者なら、楽しい記事にするだろう。事故被害者は地獄であっても、だ。
同じことが、世間の事件で記事になり、全く違う報道がされる。
.
上司次第
上司には逆鱗がある。それに触れると半年後に爆発する怖しい地雷である。それを踏むと爆風で半年後に地方に飛ばされる。そうでなくとも、上司に嫌われると飛ばされる。それが宮仕えの鉄則である。。
事例 推定殺人
私の所属した課で、私の1年後輩が上司に些細なことで逆らって、それが積み重なり、彼は欧州の営業所に飛ばされた。そこは政府の利権のために作られた組織で、万年赤字経営であった。そこの収益は利権をもつ闇勢力に吸い取られていたようだ。本社には、切るに切れず長年のお荷物であった。飛ばされた彼は純粋な技術者で、その営業職には、まったく合わないことが誰の眼にも明白であった。人事は上司の好き嫌い以外の何物でもない。彼は村の掟をやぶったので飛ばされた。
彼はその土地で病み、帰国後2年で亡くなった。私は彼を飛ばした上司を推定殺人だと思う。
正しい選択肢は、自分の命を大事にするなら、その会社を去ることであった。何も会社にしがみ付くこともない。命より大事なものはない。
幸い、私は素直な良い子?であったので、腹の底では舌を出しても表面的には従順であった。親も下済みで苦労をしてきたので、私の上司への盆暮れの付け届けは欠かさなかった。両親に感謝である。お陰で40歳までは無事にサラリーマン生活を送れた。
事例 推定殺人未遂
これが合併となった企業同士だと、更に凄惨になる。合併相手側の上司は、好き嫌い以外に権力を行使して、殺し合いとなる。
私の場合、親会社から出向してきた上司が人格者で優秀だったので、上司が親会社に帰る際、安全な部署に異動をさせてもらえた。残った仲間の基幹職の殆ど(10名余)は、合併後、C国や僻地の外国の駐在員に飛ばされた。合併相手側の部署の基幹職は、そのまま、国内勤務である。
もし私がC国に飛ばされていれば、好奇心溢れる行動で、スパイ扱いで捕まって死刑になっていたかもしれない。そもそもC国の食料事情とストレスで、病死となった恐れが高い。
ご先祖、親、師、上司、仲間のご恩に感謝である。
2024-09-26 久志能幾研究所通信 2949号 小田泰仙
「久志能」↖ で検索
著作権の関係で、無断引用を禁止します。