ご先祖探し・お墓つくり Feed

2021年11月 1日 (月)

人生200年、あの世500年、輪廻転生を信じて家作り

 

無神論者はテロリスト?

 欧米ビジネスマンと話すとき、自分は無神論者だと言っては、軽蔑される。下手をすればテロリストと間違えられる。文明人と野蛮人を分けるのが、宗教の有無だと彼らは信じている。実際に人間とサルを分けるのが、宗教があるかないかである。だからキリスト教徒の彼らから見れば、無神論者は狂人である。人間的にも信じてもらえない。彼らと話すときは、自信をもって自分は仏教徒だと言おう。

 無神論者でテロリストは家など作らない。教養ある知識人として、この世の中に付加価値を創る生産工場としての家を建てよう。家は人生を闘うための要塞である。人生航路を行く空母でもある。

 

人生200年

 此の世の人生は200年である。動に生きて100年、静でお墓の中で過ごして100年である。お骨は微生物が100年かけて分解してくれる。それでお骨は土に還る。人はそれで物理的にこの世から消える。お墓とは、骨を土に還す装置である。だからお墓とは、此の世の最後の家である。

 

 私は土に還るまでの100年間を、安らかに過ごすため、6年前に耐震も考えた構造のお墓にした。またメンテナンスフリーであるお墓にした。墓誌に戒名まで彫って、準備万端である。あとは死ぬだけ(?)だが、なかなか死ねなくて往生(?)している。そう簡単に死んでたまるかと、精進している。

 それゆえ、人生200年を俯瞰して、動の時間を良く生きるために、良い家を建てたい。良い家は、人生を豊かにしてくれる。今、次の家を建てる夢をいだいて計画をしている。

 

24時間換気システム

 現世の最新式の高気密高断熱の家は、24時間換気システムが法律で必須である。それに準じて建設したお墓の納骨室には、通気孔を儲けて、湿気を除く仕組みを取り入れた。これは石屋さんの家のお墓のアイデアを借用した。だからたまには、霊として暗い納骨室の通気口から抜け出し、娑婆に遊びに行けば(?)よいのだ。未練が残れば、化けて出ればよいのだ。

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 納骨室の横の通気口

 

あの世の期間

 あの世の期間は500年である、と私は信じている。仏典では天の寿命は500年と言われている。天女も四天王も寿命は500年である。関ヶ原合戦場では、数十万人が戦いで亡くなったと言われる。その亡霊がこの500年間、さ迷っていて関ヶ原合戦場跡に度々出てきたそうだが、最近、それが全く出なくなったという。それから推察して、あの世の期間は500年と私は推定した。

 

 だから、日本の仏教の教えでは、どんな極道非道で地獄に落ちても、500年の「刑期」を勤めれば、輪廻転生で生まれ変わる。そこに日本の仏教は救いがある。キリスト教では、地獄に落ちると、永遠に地獄暮らしであり、救いがない。

 その後、輪廻転生で、何に生まれ変わるかは、現世の積善次第というのが仏教の教えのようだ。先人は賢い脅迫システムを作った。私も幼少の頃、祖母に連れられてお寺で地獄絵を見せられ、震え上がった。それで悪いことをしないと誓ったものだ。子供には効果抜群の教えである。

 

あの世が有りや無しや

 お釈迦様は、あの世が有るともないとも言われず、「ただ精進せよ」とだけ言い残されて寂滅された。あの世のことは、後世の弟子の作り話(?)である。私はその作り話を信じている。そう信じた方が、心安らかに生きていけると思う。誰もそれを証明できないなら、それを信じた方が、精神的に楽だと思う。それが人生の生き方を左右すると思う。

 神仏を信じない輩が、「死刑になりたい」と無差別殺人を起こす。今日(11月1日)も、狂人が京王線で死傷放火事件を起こし、ハロウィンの日が騒然となった。荒んだ事件の多発は、そういう幼児期の宗教教育が無くなったためだと思う。あの世が有ると信じて、善人として生きた方が、世のためだろう。嘘も方便である。あの世があるかどうかは、誰にも分らない。

 

70年後の世界

 おだ仏教の教えでは、33回忌で閻魔大王から、極楽に行くか、地獄に落ちるかの審判が下されるとしている。その時、私の守り佛の虚空蔵菩薩様が、私の弁護人となって、助けて頂けるそうだ。それが今から70年後(?)の審判である。いろんな説があり、それが17回忌という説もあるようだ。

 

 だから私は松本明慶先生に、虚空蔵菩薩像の製作をお願いした。毎日、虚空蔵菩薩に手を合わせると安らかな気持ちになる。荒んだ気持ちのまま、過ごしたくはない。守ってくれる仏さまを信じることは、精神衛生上で良いことだ。勇気もって生きていける。前向きの考えからは、前向きの人生が送れる。

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 松本明慶大仏師作 虚空蔵菩薩

 

2021-11-01  久志能幾研究所通信 2196   小田泰仙

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2019年10月10日 (木)

痴呆性アオリ運転の老人を一発で仕留める

201910716時ごろ、私の位牌の件で仏壇屋と相談するため、車で出かけた。その途中の交差点で、痴呆性と疑われる老人に無謀運転の強引な割り込みをされた。まるであおり運転手のような運転であった。

私は警告と怒りの意味で、「危ねいじゃねいか」と思いっきりクラクションを鳴らしたら、想定外に、一発で相手を撃破してしまった。私は滅多にクラクションなど鳴らさないので、吾ながらその威力に驚嘆した。

 

事態展開の異常さに驚嘆

私の車が直進走行中に、相手の車は強引に右折をしてきた。私は危険を感じてクラクションを鳴らした。相手は私のクラクションにびっくらこいて、交差点のど真ん中、私の進行方向の通路上に停止した。私が止まらなければ、そのまま衝突であった。私は予想運転をしていたので、余裕をもって停止した。相手は、止まった車内から私の顔を見て、バツの悪そうな顔をして頭を下げてから走りさった。相手車は、初老の男で1500㏄くらいカローラクラスの車であった。

P1130170sjpg  当日、私は追い越し車線を走行中、右手から強引な右折車が回り込んできた。

 

危機管理

まるで列車がトンネル内で火災の事故に会い、そこで急停車をして、無為無策で焼け死ぬような事態である。その場合は、火事の中を突っ切ってトンネルを抜けるのが危機管理運転である。それが出来ないとは、相手は認知症の気が少しあるようである。

クラクションの音に驚いて、何も考えず、交差点のど真ん中で停止をしたのだ。要は、相手は運転中でも何も考えておらず、回りを見ずに無意識に運転していたのだ。

道路は片側2車線、見通しの良い中央に水路があり広幅の道である。私はその先で右折するため、追い越し車線を走っていた。私は通常は追い越し車線を走らない。

 

運転免許証返上の勧め

最近はシルバーのマークを付けた車の無謀運転が目に余る。強引な割り込みや、無謀な右折行為である。時には一方通行路の逆走である。本人はその自覚がない。そうなったら早く運転免許証の返上が望ましい。家族もそれを知ったら、本人に説得しなければだめである。本人はその自覚がないのだ。

 

小川敏市長の無謀運転行政

大垣市の行政も、私が指摘しなければ、やりたい放題である。公金を使った行事遂行で会計報告無視の倫理違反、元気ハツラツでの県の騒音防止条例違反行為為計業務妨害の法律違反の疑いがある。公金を使った水饅頭の共食い記録挑戦は、全国的に恥ずかしい幼稚行為である。まともな神経ではやれない醜態である。元気ハツラツに炎天下で強制的な出演を強いて、園児児童を虐待する行為の横行である。小川敏市政は、小中学校のエアコン設備費用を己の給与にお手盛りして、生徒を夏の暑さに晒した。子供の命の危険が心配された。小川敏市長はそれの危険性を全く認識していない。

それから判断すると、小川敏市長は認知症の気があるのかもしれない。小川敏市長の市長返上が市民の為である。

 

戒名・位牌・墓誌の準備

現在、私の位牌を作るため、戒名を検討中である。今年中に、戒名を決定して、位牌を作り、その名を墓誌に彫る予定である。墓誌への揮毫は馬場恵峰先生にお願いする予定である。ただし小川敏市長の早期な市長退任を見届けないと、私も死ぬに死ねない。

ここでの別の大問題は、この状況がドライブレコーダーに記録されていなかったこと。この件の対応は、後日報告します。

 

2019-10-10   久志能幾研究所通信No.1363  小田泰仙

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2017年7月 5日 (水)

「ご先祖探し・お墓つくり」のカテゴリー追加

カテゴリー「ご先祖探し・お墓つくり」を追加します。

この数年、ご先祖を探して彦根、京都、丹後、大津と戸籍調査で走り回り、150人分の家系図を作り、その結果、1734年没のご先祖にたどり着いた。その流れでお墓を改建した経緯を記録に残した。今年の4月にウィーンに行ったのも、この件が背景にありました。

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年6月20日 (火)

ウィーン楽聖のお墓に参拝

  2017年4月20日午前、ウィーン中央墓地に参拝した。ウィーン中心部から車で15分ほどの場所にある中央墓地墓地に着き、正面の第2門をくぐり、しばらく墓地の中央の道を進むと、白亜の教会の左手前の一角が、ブラームス、モーツアルト、ベートベェン、シューベルト達の楽聖達のお墓がある名誉地区に着く。あいにく小雪混じりの天候で、春服の身には寒かったが、よき参拝であった。各お墓の前にはお花も添えられていている。楽聖の功績を称えて、世界から墓参する人が絶えない。静寂な雰囲気で、格調高いお墓の作りである。

 ヨハンシュトラウスの墓所は、美術館に展示されるべきレベルの彫刻で、さすがオーストリア国歌を作曲した音楽家の墓所である。音楽の都の威信を表しているようだ。

 

 惜しむらくは、ここでもチャイナ人達がうろうろして折角の荘厳な雰囲気が台無しである。チャイナのグループが、ブラームスのお墓の前でスマホの自撮りをしてはしゃいでいたのには幻滅である。墓所は観光地ではない。異教徒であっても、故人の墓所には敬意を払うのが、人間としての最低のマナーだ。それがないから、日頃の生活が殺伐として、血なまぐさい宗教がらみのテロが頻発する。

 

 その後、正門からみて正面奥に建つ白亜のカール・ルェガー教会に参拝した。その内部はユーゲントシュティールの装飾が施され、美しくも華美でない荘厳な雰囲気である。内部に数人の観光客がいたが、しばらくして皆さんが退出されたので、静寂な教会内の祈りのベンチに腰を掛けて、しばし思索にふけった。死んでしまえば、キリスト教も仏教も宗派は関係ない。生あるものは必ず死ぬ。その手続きとしての方便で宗教があるだけで、生前にいかに世のために尽くしたかが、問われるだけだ。静かな教会内でその思いを新たにした。

 

  ウィーン到着日の4月27日、ネット情報で尊敬する渡部昇一師の訃報に接して、虚しい思いに駆られた。師はその著書で95歳まで生きる術を述べられていたので、まさか86歳で亡くなられるとは意外であった。ご冥福をお祈りします。師の訃報に接して人生を急がねばとの思いも湧いてきた。

 

 興味深かいのは、死の場所にある教会と生の現場にある教会の内部の造りの差である。現世の場の教会は荘厳ではあるが、壮大で威圧的である。それに対して死の場所の教会は優しく穏やかな時が流れる雰囲気である。

 

図1 上:ウィーン中央墓地 楽聖の名誉墓地区域   2017年4月24日

  左からベートーヴェン、モーツアルト、ヨハンシュトラウス、ブラームスのお墓 

図2 ブラームス(手前)とヨハンシュトラウス(奥)のお墓

図3 墓所で自撮りをするチャイナ人グループ

   聖なる場所で自撮りしてはしゃがないで欲しい。不敬です。

図4、5 カール・ルェガー教会の礼拝堂

    死の場所にある教会で静かで端正で厳かである

図6 ウィーン市の中央に建つ市最大のカルス教会の礼拝堂

   生の場所にある教会で荘厳で威厳がある。石の文化の象徴の建物。

 

久志能幾研究所 小田泰仙記 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

書の著作権は馬場恵峰師にあります。所有権は久志能幾研究所にあります。

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