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2019年5月15日 (水)

神楽軕は神話の世界(改定)

 2018年5月12,13日の大垣まつりは、試楽の12日が16万人、本楽の13日が6万人の総計22万人の人出で賑わった。13日は雨になって人出が少なかったが、雨でなければ、総計30万人の人出となったと言われて、残念であった。

 2019年5月11、12日の大垣まつりは、両日とも快晴に恵まれ、史上最高の総計37万人の人出を記録した。

 いつもは閑散としている大垣市内で、その人出の多さに私は驚嘆した。大垣の人口が16万人であるので、どこにそんな人がいたんだと云うくらいの人が集まった。こういう伝統行事を活用して、大垣の活性化につなげて欲しい。

 

三輌軕の歴史

 大垣まつりの13軕の巡航で、神楽軕は先頭を行く大事な軕である。神楽軕は、先頭を行くので別名「いち軕」、「お祓い軕」とも呼ばれる。大垣まつりでは、この神楽軕と大黒軕、恵比寿軕を三輌軕という。

 神楽軕は神明造りの祠に天照大神をお祀りし、進行方法の右側に猿田彦命、左に雨のうずめ女命の天鈿女命をお祀りしている。

 延宝7年(1679)に3代藩主戸田氏西公が、この3輌を八幡神宮に奉納したのが起源である。本町、中町、新町が1年交代で担当する。当番に当たると、その町は2つの軕を受け持つので大変である。昭和20年7月29日の米軍の空襲でこの軕は焼失したが、昭和24年に再建された。

 

町内渡し・組合町渡し・前触れ

 三輌軕は試楽の2日前から出して、氏神様への奉芸と町内渡しを行う。町内渡しは、自町の町内を曳いて廻ること。その後、組合町渡し・前触れを行う。前触れは市内を曳き廻すこと。これが大垣に初夏の訪れを知らせる風物詩となっている。この時、奏でられる曲「帰り軕」は名曲中の名曲である。

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 2018年5月10日 前触れ  大垣市御殿町付近

神楽軕の構成

 三輌軕は棚車で、飾り軕という素朴な造りで、屋形や、からくりを持たない軕である。神楽軕は、車輪が内輪で、前輪は後方にあり、手古棒は八の字にとりつけられている大垣独自の形式の軕である。水引は戸田家の九曜の紋、横幕も軸には本軕とは異なり、赤、黄、青の縦縞模様となっている。

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飾り人形

 神楽軕は神明造りの祠に天照大神をお祀りし、進行方法の右側に猿田彦命、左に天鈿女命をお祀りしている。

 猿田彦命は、瓊瓊杵尊が天孫降臨をする時に先導を務めた国神様である。天鈿女命は、天孫降臨にお供した神様である。高天原の天岩戸の前で神懸かりに躍ったと伝えられている神様である。瓊瓊杵尊は天照大神の孫である。天孫降臨は『日本書紀』の神話である。

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神楽軕の掛け芸

 神楽軕上で舞をする人形は巫女と山伏の2体あり、人形の芯となる長さ1.5m、直径7㎝ほどの竹に、竹で編んだ人形を取り付け、先端に人形の首を取り付ける。左右の肩から50㎝ほどの細い付けを垂らし、それを腕として先端に手を付けてある。

 腕には、腕を操るための1.3mほどの細い竹が取り付けてある。これに衣装を着けたのが神楽の人形である。操作者は、人形の芯となる竹の下端を腹の帯にのせて、腕につながる竹を操って人形を舞わせる。これは「直扱い」と呼ばれ、全国でも珍しい。巫女の重量は9.8キロ、山伏は7.6キロと重量があり、巫女を優雅に舞わせて、山伏は激しく動かしてと、操作者は大変である。それが操作者の誇りでもある。

 青装束の巫女は「市」と呼ばれている。巫女は右手に鈴、左手に扇を持って神神楽を舞う。昔、八幡神社の近くに「いち」という名の美しい娘がいて、祭りで神楽を舞って評判になった。神楽軕で舞う巫女は、その名をとって「市」と呼ぶようになった。

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08dsc05958   2019年5月12日の大垣まつり本楽で  一昨年と少しお顔と服装が違う。

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 2011年5月11日の大垣まつりで   109l4a0011

 2017年5月14日の大垣まつり本楽で 

 

山伏の神楽 

 次に、白装束の山伏が鳥居下の桶を湯桶に見立て、両手に笹を持って激しく神楽を舞う。その舞いに合わせて、山伏が湯ノ花の代わりに紙吹雪を舞わせる。

 湯立て神楽は、煮えたぎる釜の湯を青笹で祓い、その飛沫を氏子に降りかけて穢れを清めるという神事を舞楽とした。

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 太鼓を叩くのも大変    

16dsc05977   奉芸が終わって退場

夜宮

 夜宮では、神楽軕に飾られた提灯に明りが灯り、幻想的である。山伏が散らす紙吹雪が明りに照らされて、夜宮の祭りに華を添える。

17dsc08550 夜宮に出発前で待機中 

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 夜宮の奉芸前に八幡神社に後ろを持ち上げ礼をする神楽軕

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 紙吹雪が提燈の灯に映える

 

裏話

 本来、軕を曳くのは当番の町衆であるが、今は街中に若い衆も少なく、サラリーマンが多いので、仕事を休んでも運営がままならぬ。体力のない今の中年男性が重い山を曳いて一日中歩くと、疲れ果てて次の日は仕事にならないという。軕は起物物だから、遠い町からも来て欲しいとの要請もあり、3キロ以上も離れた町まで軕を曳いて出かけるという。年寄りは、付いて歩くだけでへばってしまう。だから大学の運動部の学生達にお願いして、お祭り前の1週間ほどを専任して、お祭りで軕を曳いてもらう。大垣まつりは大垣市、地元有志の寄付、地元企業・商店からの寄付で成り立っている。町内の涙ぐましい努力で、大垣まつりの伝統を守っている。感謝である。

 他の都市でも、お祭りの運営は同じようだと聞いた。これも少子高齢化の影響である。

 

後日談

 今回は、手術後で体力も衰えているので、私のリハビリを兼ねて撮影した。昨年までは、1日中撮影していたが、今年は2時間ほどで撮影を切り上げた。そのために軽量のSony α6400を購入して構えた。これはα9に較べて、軽量で、それでいてα9と性能は同じである。瞳センサーのお陰で、人形のお顔が鮮明に撮影できた。夜宮の夜景にも強いカメラであることを確認できた。

 

参考文献:浅野準一郎著『大垣まつり』(風媒社)

 

2018-05-22 初稿

2019-05-15 改定

久志能幾研究所通信 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月 7日 (火)

貴船神社(大垣)の例祭に参列

 2018年8月5日、元気ハツラツで本町通りをぶらついていたら、町内の放送で、「本日11時から貴船神社で例祭を行いますので、町内の皆様はご参列ください」とアナウンスがあった。ご縁を感じて参列することにした。

 見れば高校の仲間が、この町内のお役目として、この神事で走り回っていた。当日の例祭で忙しいので、当日の同窓会も欠席とか。大垣に還って8年間で、この神社には数百回もお参りしているが、例祭に参加したのは、初めてである。よきご縁をいただき感謝である。

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貴船神社の宮司の挨拶

 一通り例祭の儀式が終わり、最後に、京都の貴船神社禰宜の三木金房様より、挨拶があった。テレビにも頻繁に顔を出される有名なお方とか。それをまとめると(一部、三木様の解説に私論を補足)下記のようであった。

 

日本人にとって神様

 日本では、水の神様、風の神様、太陽の神様、海の神様、山の神様、と昔から日本人は自然に神が宿るとしてあがめてきた。日本人は自然と一体となって生活をしてきた。

 世界には800の活火山があるが、そのうち1割が日本にある。日本の国土面積は全世界の国土面積中で0.25%の占有率なのに、驚異的な割合である。それだけ日本の土地は生きているといえる。

 日本は、世界の国から見れば、温暖な気候で自然との融和が大事にされてきた。砂漠の極暑の気候や、シベリアのような極寒の地域ではないことに感謝である。日本では太陽は恵みの源と表現されるが、インドでは太陽は灼熱の光を与える悪魔と忌み嫌われる。同じ自然でも地域によって全く感性が異なる。日本人は豊かな自然の恵みを素直に受け止められる、自然と一体となって暮らすことができる幸せな民族なのだ。西洋では、登山に成功したら、自然を征服したなどと、傲慢な表現が多い。日本人はそんな表現はしない。

 

神仏一体

 しかし、自然の神様と人間とは尺度が多少は違うので、程よい自然環境とはなかなかなりがたく、神様の基準とは折り合いが悪かった。それが時として自然災害として人を襲う。しかし自然災害で人が亡くなっても、日本人は自然を恨むでもなく、人生の定めとして、亡くなった人を丁重に弔ってきた。そこに仏教が入ってきて、弔いの仏教儀式を日本人はすんなりと受け入れられた。日本人の神と仏の両方を崇める自然な姿勢が培われた。

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 京都の貴船神社禰宜の三木金房様の挨拶

貴船神社(京都)

 現在は神社本庁の別表神社。全国に約450社ある貴船神社の総本社。例祭は6月1日。

概要

 絵馬発祥の杜を表す。貴船神社は、水神である高龗神を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされ、古くから祈雨の神として信仰された。水の神様として、全国の料理・調理業や水を取扱う商売の人々から信仰を集めている。

 古来より、晴れを願うときには白馬が、雨を願うときには黒馬が奉納されたが、実際の馬に代わって木の板に描いた馬が奉納されたこともあることから絵馬が発祥したとも言われる。

 また、縁結びの神としての信仰もあり、小説や漫画の陰陽師による人気もあり、若いカップルで賑わっている。その一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。

 

大垣貴船神社

 京都・貴船神社の分社である。大垣は水の都といわれるので、一番ご縁の深い神様でもある。主祭神は、高龗大神、家津御子命大神。例祭は8月5日。

由緒

 戸田氏鉄が摂津国尼崎藩藩主の時、京都の貴船神社から分社して祀ったのが始まり。戸田氏鉄が尼崎藩藩主の期間は元和2年(1616年)~寛永12年(1635年)であるので、分社はこの時期と推測される。

 戸田氏が寛永12年(1635年)に美濃国大垣藩に移封された際、当神社も大垣城内に移転した。

 明治4年(1871年)4月頃、大垣城下の本町の住民が旧藩主の戸田氏共に願い出、大垣城内の貴船神社と熊野神社を本町の鎮守として祀る。

              この項、wikipediaより編集

 

2018-08-07  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年6月 2日 (土)

恵比須御頭の祀り神事

 201861日午前8時から、今年の恵比須御頭の当番である宮町の集会場で、大垣まつり御頭渡し神事の後、最初の恵比須御頭を祀る神事が執り行われた。私は記録に残すためにカメラを担いで出かけた。67年間生きてきて、初めて拝める機会を頂いた。この伝統は、370年間、大垣市の4つの町(明治以前は3つの町)で、4年毎の持ち回りで続けられてきた神事である。

 

神事

 最初に世話係の人が、保管金庫から恵比須様の御頭を出して、そのお頭に冠を被せて神台に鎮座させる。その時には御頭に世話係の人の息がかからないように、半紙を口にくわえての御頭のお世話である。準備が終わったら会長さんがその御頭の前にお供えを整え賽銭箱を準備する。賽銭箱がティッシュペーパー箱を利用した手作りというのが飾らずに素朴でニクイ。それが商売繁盛の秘訣。

1dsc08938   冠の取り付け。半紙を口にくわえて息がかからないように配慮。

24k8a0367  お供えを整える

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 段取りが終わり、神事が始まり、お役の三人が横笛と太鼓で御囃子を奏でる。その後、全員で参拝作法「再拝二拍手一拝」して拝む。町内の方も、至近距離で恵比須様の御頭を拝めて有難がっておられた。参加の町内の皆さんも今年中は順番に当番を決めて参加される。

神事が終わったあと、担当の方が、御頭から冠を外し、御頭を専用の保管箱に収納して、その箱を耐火金庫に納めて神事は終了である。

44k8a0375  横笛と太鼓で御囃子演奏

54k8a0386  神事が終わって収納の段取り

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74k8a0382  収納箱と耐火金庫

 以前は、御頭を町内の役員の方の自宅で保管して、毎日、お水、榊、御神酒をお供えしてお守りしていたという。そのためにまるまる一室を用意しなければならない。お参りに見える客も多い。現在は、それを行える家も財政的にも物理的に少なく、多くの町は耐火金庫で保管して、毎月1日と15日に、以上のような神事を務めておられる。

 

大垣大空襲

 昭和20年7月29日(1945年)の米軍B29による大垣大空襲で13両の軕のうち7両が焼失した。この恵比須軕は中川町の和田千代吉宅に疎開していて、焼失を免れた。神恩である。

 大垣大空襲は、飛来機数90機、投下焼夷弾約20,000発、死者50人、負傷者約100人、全半壊家屋約4,900戸、罹災者約30,000人(※当時の大垣市人口約56,000人)という大垣市中心部が焼け野原になる大被害を与えた。民間人を巻き込む無差別爆撃は、国際法上で戦争犯罪である。米国は戦勝国であったので、その犯罪を裁かれることはなかった。その事実は記憶にとどめたい。

 

政治の使命

 戦争になれば、商売繁盛どころではないのだ。戦争にならないような政治をするのが政治家の使命である。平和、平和と手を合わせていれば、平和が守れるわけではない。世界には価値観が全く違う人種が蠢いている。人の命をなんとも思っていない人種も近隣諸国にも存在する。現時点で日本の頭越しにミサイルを発射する国や領空侵犯・領海侵犯を繰り返す国が近隣に存在する。日本の安全を脅かす状態は、現在も続いている。だから自分の国は自分で守らねばならない。その国を守る法案成立を妨害して、日本を貶めることに汲々としている今の野党は国賊ものである。

 当時、13両のうち7両の軕が焼失した中で、商売繁盛の神様である恵比寿様の御頭が焼失を免れたことは奇跡で、その存在自体が有難い。さらに恵比寿様の総本山のような兵庫県西宮市の西宮神社から拝領した大垣蛭子神社の御分身も大垣大空襲の災禍を奇跡的に免れた。恵比須様のご加護であろう。

 日本の神話の世界では、イザナギ、イザナミの神様が国を護っていた。イザナギ、イザナミの子の蛭子命は恵比須の化身である。現代は政治家が国を守る責任がある。恵比須様は平和の大切さを教えてくれる。

 

至近距離で拝顔

 今回、至近距離で恵比須様の御頭をまじまじと拝顔でき、我が人生の商売繁盛のお礼を申し上げれて幸せであった。そして多くの発見があった。そのお顔はよくできている。また目が玉眼でできていた。鎌倉時代の大仏師・運慶が開発した玉眼と同じ方式である。またその眼の色付けが素晴らしい。眼のすみの血管の表現が緻密である。重要文化財鑑定の権威である仏師田中文弥氏に相談して、昭和37年(1962)に田中文弥氏が修理されて、現在の美しいお顔に復元された。

 私はこの眼をみて、NHKビデオ「仏心大器」で松本明慶大仏師が、不動明王に眼入れをするノミ入れを思い出した。何気なく作られた眼の形状であるが、緻密に計算された眼の形状である。また眉毛、髭の描写が素晴らしい。眼の保養をさせて頂いた。今までは大垣祭りで、遠くからしか見られなかったので、ここまでの緻密な色付け状態は分からなかった。この神事に出かけてきた甲斐があった。

 皆さんも忙しく仕事もあるので、神事は10分ほどで終わり、後かたずけの後、皆さんは各自の仕事に出かけられた。この神事が毎月2回、1年間続く。ご苦労様です。この神事が370年間も町衆の力で続いているのが大垣の誇りである。

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2018-06-02

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite  Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年5月22日 (火)

神楽軕は神話の世界

 2018年5月12,13日の大垣まつりは、試楽の12日が16万人、本楽の13日が6万人の総計22万人の人出で賑わった。13日は雨になって人出が少なかったが、雨でなければ、総計30万人の人出となったと言われて、残念であった。雨にも関わらず6万人もの人出で、いつもは閑散としている大垣市内で、その人出の多さに私は驚嘆した。大垣の人口が16万人であるので、どこにそんな人がいたんだと云うくらいの人が集まった。去年より5割増しの人出である。こういう伝統行事を活用して大垣の活性化につなげて欲しい。

 

三輌軕の歴史

 神楽軕は大垣まつりの13軕の行進で、先頭を行くので別名「いち軕」、「お祓い軕」とも呼ばれる。大垣まつりでは、この神楽軕と大黒山、恵比寿山車を三輌軕という。延宝7年(1679)に3代藩主戸田氏西公が、この3輌を八幡神宮に奉納したのが起源である。本町、中町、新町が1年交代で担当する。当番に当たるとその町は2つの軕を受け持つので大変である。

 

町内渡し・組合町渡し・前触れ

 三輌軕は試楽の2日前から出して、氏神様への奉芸と町内渡しを行う。町内渡しは、自町の町内を曳いて廻ること。その後、組合町渡し・前触れを行う。前触れは市内を曳き廻すこと。これが大垣に初夏の訪れを知らせる風物詩となっている。この時、奏でられる曲「帰り軕」は名曲中の名曲である。

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 2018510日 前触れ  大垣市御殿町付近

神楽軕の構成

 三輌軕は棚車で、飾り軕という素朴な造りで、屋形や、からくりを持たない軕である。神楽軕は、車輪が内輪で、前輪は後方にあり、手古棒は八の字にとりつけられている大垣独自の形式の軕である。水引は戸田家の九曜の紋、横幕も軸には本軕とは異なり、赤、黄、青の縦縞模様となっている。

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飾り人形

 神楽軕は神明造りの祠に天照大神をお祀りし、進行方法の右側に猿田彦命、左に天鈿女命をお祀りしている。

 猿田彦命は、瓊瓊杵尊が天孫降臨をする時に先導を務めた国神様である。天鈿女命は、天孫降臨にお供した神様である。高天原の天岩戸の前で神懸かりに躍ったと伝えられている神様である。瓊瓊杵尊は天照大神の孫である。天孫降臨は『日本書紀』の神話である。

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神楽軕の掛け芸

 神楽軕上で舞をする人形は2体あり、人形の芯となる長さ1.5m、直径7㎝ほどの竹に、竹で編んだ人形を取り付け、先端に人形の首を取り付ける。左右の肩から50㎝ほどの細い付けを垂らし、それを腕として先端に手を付けてある。

 腕には、腕を操るための1.3mほどの細い竹が取り付けてある。これに衣装を着けたのが神楽の人形である。操作者は、人形の芯となる竹の下端を腹の帯にのせて、腕につながる竹を操って人形を舞わせる。これは「直扱い」と呼ばれ、全国でも珍しい。巫女の重量は9.8キロ、山伏は7.6キロと重量があり、巫女を優雅に舞わせて、山伏は激しく動かしてと、操作者は大変である。それが操作者の誇りでもある。

 青装束の巫女は「市」と呼ばれている。巫女は右手に鈴、左手に扇を持って神楽を舞う。昔、八幡神社の近くに「いち」という名の美しい娘がいて、祭りで神楽を舞って評判になった。神楽軕で舞う巫女は、その名をとって「市」と呼ぶようになったという。

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 2018512日の大垣まつり試楽で  昨年と少しお顔と服装が違う。

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 2011年5月11日の大垣まつりで 099l4a0011

   2017514日の大垣まつり本楽で 

 次に、白装束の山伏が鳥居下の桶を湯桶に見立て、両手に笹を持って激しく神楽を舞う。その舞いに合わせて、山伏が湯ノ花の代わりに紙吹雪を舞わせる。

 湯立て神楽は、煮えたぎる釜の湯を青笹で祓い、その飛沫を氏子に降りかけて穢れを清めるという神事を舞楽とした。

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 2018年5月12日の大垣まつり試楽で 

 

  夜宮では、神楽軕に飾られた提灯に明りが灯り、山伏が散らす紙吹雪が明りに照らされて幻想的である。

14dsc08550  夜宮に出発前で待機中   2018年5月12日17:39

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 夜宮の奉芸前に八幡神社に後ろを持ち上げ礼をする神楽軕

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 紙吹雪が提燈の灯に映える

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裏話

 本来、軕を曳くのは当番の町衆であるが、今は街中に若い衆も少なく、サラリーマンが多いので、仕事を休んでもおられず運営がままならぬ。体力のない今の中年男性が重い軕を曳いて一日中歩くと、疲れ果てて次の日は仕事にならないという。軕は縁起物だから、遠い町からも来て欲しいとの要請もあり、3キロ以上も離れた町まで軕を曳いて出かけるという。年寄りは、付いて歩くだけでへばってしまう。だから大学の運動部の学生達にお願いして、お祭り前の1週間ほどを専任して、お祭りで軕を曳いてもらうという。大垣まつりは大垣市、地元有志の寄付、地元企業・商店からの寄付で成り立っている。町内の涙ぐましい努力で、大垣まつりの伝統を守っている。感謝である。

  他の都市でも、お祭りの運営は同じようだと聞いた。これも少子高齢化の影響である。

参考文献:浅野準一郎著『大垣まつり』(風媒社)

 

2018-05-22

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年5月17日 (木)

恵比須軕の歴史と伝説(4/4)

「えびす」とは

 えびすは日本の神で、現在では七福神の一員として、日本古来の唯一(その他はインドや中国由来)の福の神である。古くから漁業の神でもあり、後に留守神、さらには商いの神ともされた。夷、戎、胡、蛭子、蝦夷、恵比須、恵比寿、恵美須などとも表記し、えびっさんとも呼称される。

 「えびす」という神は複数あり、イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)か、もしくは大国主命(大黒さん)の子である事代主神(ことしろぬしかみ)とされることが多い。

 

文献上の初出と本地仏

 「えびす」の最初の記録は平安時代末期の『伊呂波字類抄』(三巻本)である。そこには広田神社の末社として10社が列記される中に「夷 毘沙門」「三郎殿 不動明王」の2社があり、夷と三郎はまったく別の神であった。少し時代が下がって鎌倉時代初頭の『諸社禁忌』には「衣毘須 不動」「三郎殿 毘沙門」とあり、両者の本地仏が入れ替わっているが、これはどちらかが単なる誤りなのか、新説として後から修正されたということなのか、もとから両説が併存していたのかはわからない。が、次第に両者が混同されて「夷三郎」という神格ができていく過程が窺われる。この広田神社の末社という2社が統合されたのが現在の西宮神社の前身と考えられている。

 

漁業神

 恵比寿自体が大漁旗の図版として使われるほどポピュラーな漁業神であるが、日本各地の漁村ではイルカやクジラやジンベエザメなどを「えびす」とも呼んで、現在でも漁業神として祀る地域が多数ある。

 

福神

 平安時代末期にはえびすを市場の神(市神)として祀った記録が残っており、鎌倉時代にも鶴岡八幡宮境内で市神としてえびすを祀ったという。このため、中世に商業が発展するにつれ商売繁盛の神としての性格も現れたとされる。同時に福神としても信仰されるようになり、やがて七福神の1柱とされる。福神としてのえびすは、ふくよかな笑顔(えびす顔)で描写されている。

 

他の神との習合

 えびすは記紀に出てこない神であるため、古くから記紀の中に該当する神を探しだす説がいろいろ出てきた。蛭子、事代主神、少名比古那神、火々出見命(山幸彦)等の諸説があるが、えびすを祀る全国の神社では蛭子説と事代主神説が圧倒的に多い。

 

蛭子命

 記紀神話において、蛭子命は3歳になっても足が立たなかったために流し捨てられたとされる。その神話を受け、流された蛭子命はどこかの地に漂着したという信仰が生まれ、蛭子命が海からやってくる姿が海の神であるえびすの姿と一致したため、2神は同一視されるようになった。このえびすを蛭子命と見る説は、室町時代のころに現われたものであり、えびすを夷三郎と呼ぶのは『日本書紀』において3番目に生まれたことによるとされるが、本来は夷と三郎は別々の神だったのが混同されたものである。

 蛭子命の漂着の伝承は各地にあるが、その代表が兵庫県西宮市の西宮神社とされている。西宮神社はえびすという名の神を祀った神社としては現存する記録上で最古であるため、全国のえびす神社の総本宮とされる。

 以上、wikipediaより編集

 

大垣の蛭子神社

 大垣八幡神社の近くにある蛭子神社の「蛭子」とは変な名前だなと思っていたが、今回の恵比寿の歴史を調べていて、記紀神話においての蛭子命であることを知った。大垣の蛭子神社の歴史と由緒を記載した立て看板をみたら、下記の如くその旨が記載されていた。今までこの看板を真剣に見ていなかったので、蛭子と恵比寿の関係には思いつかなかった。あれども見えず、である。今回、恵比寿軕の歴史を調べて出会ったご縁である。大垣まつりも、神話に基づいた恵比寿神を祀って370年の歴史を持つ。身近には歴史が埋まっている。昨年には、この経緯も知らず、この蛭子神社にのぼりを寄進したばかりである。商売繁盛の良きご縁であった。

以下、大垣の蛭子神社の歴史の看板

 

蛭子神社の歴史と由緒の概要

 一. 天正八年(約450年前)人皇第百録第正親町天皇の御宇無二オと云う人西宮神社の御分身(恵比寿大神の御分身)をお迎えして奉斎す。御神徳高く商売繁盛の福の神として参拝者多く社頭殷舞を極めしも何時しか衰退し其の名も世上より忘れられしが昭和二十年七月二十八日の空襲時に罹災御本堂及び諸建造物焼失せり。然るに御神体は奇しくも已に御出ましありて何の異常もなかりしかば氏子総代其の奇端に恐懼し崇拝者相寄り新本殿を造営奉斎し愈々御神徳の御発揚を祈念申し上げ崇敬の誠を致さんとす。

 二. 故に今日に伝わる一部の歴史を今回兵庫県西宮市西宮大社へ持参吉位宮司殿に提出せし処先方も文献と対照の上明らかに県下に唯一の御分身たる事を証明され・御神符・御守・御みくじ等一切を下付されました。

  蛭子神社

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神話と大垣まつり

 私の学校時代は、GHQの指令のせいか、学校で神話のお話は全く聞かなかった。GHQが禁止した。禁止したことさえ私は知らなかった。だから私は「蛭子命」も知らなかった。神話は史実ではないが、その国の建国に関する文化である。神様とは我が国を守ってくれる存在だ。その後継者が天皇である。日本と国民の平和を祈るのが主な仕事である元首は、世界でも天皇陛下以外にいない。世界一長い歴史と平和を愛するすばらしい伝統のあるこの国に誇りを持つように、子供たちを教育すべきだと思う。子供たちがお祭りに参加して、その文化の一端に接することは良いことだと思う。

 日本は、ヨーロッパから勝手に移住して800万人の原住民インディアンを虐殺して建国した自由の国、米国とは違うのだ。自国民の数千万人を虐殺して建国した共産国家とは違うとの誇りを持ちたい。大垣まつりは、日本の歴史を誇りに思わせてくれる。

 

恵比寿様は笑顔の神様

 幸せな笑い顔は、えびす顔といわれる。笑顔が人を幸せにしてくれる。一部の富裕層だけが儲けて笑いが止まらず、世の富の99%も独占するグローバル経済主義では、世界は幸せになれない。

 福沢諭吉は、その著書『学問のすすめ』で「孔子の格言を信じて、ことさら渋い顔つきを示すのは、入口にガイコツをぶら下げ、門前に棺桶を置いているようなものである。これでは誰も近づかなくなる。」と明言を述べている。恵比寿様は、それを諭す笑顔の神様である。

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2018-05-17

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年5月16日 (水)

恵比須軕の歴史と伝説(3/4)

恵比須軕の保管

 宮町の軕収納庫には、猩々軕が保管されている。この保管庫は2軕の収納が可能な造りである。船町、伝馬町、岐阜町、宮町の4つの町は、4年ごとに当番が回ってくるので、それを想定した大きさの収納庫となっている。各町は、担当の軕の収納庫を持っている。今日の2018年5月13日の本楽は、雨であったので、宮町では、猩々軕の奉芸の披露をこの軕収納庫内で行った。

 昨年2017年5月15日の朝、何気なく伝馬町を車で走っていたら、お頭の無い恵比須軕が目に飛び込んできた。慌てて車を降りて撮影した。大垣に住んで、初めて見た光景である。聞けば、恵比寿様の御頭は地区の役員の家で大事に保管されているという。

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 昨年2017年5月15日朝 前夜の御頭渡しが終わった後、伝馬町の収納庫前に置かれた恵比寿軕。御頭は地区の役員の家で大事に保管されている。

42p1100475  宮町の収納庫

43p1050103 雨のためテントを張って展示 5月13日

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 2018年5月13日11:27  ちょうど奉芸の披露が終わった後

伝統を守る価値

 今年は、大垣まつりの本楽は雨で中止であったが、恵比須軕を含めて3軕だけは、ビニールを被って、市内を練り歩いたという。370年間、この「大垣祭の軕行事」を継続して守っている各町内の皆さんに頭が下がる。伝説は、地道に愚直に自分達の街の伝統を守ることで、生まれる。奇をてらったことをするわけではない。継続が難しいのだ。大垣の子供たちには良き誇るべき大垣の財産である。

 

後世の記録として

 私は大垣まつりの写真をこの8年間、毎年撮っているが、「お頭渡しの儀」の写真撮影が上手く撮れたのは、今回が初めてである。それでも写真の出来には、反省点が多い。私は公式のカメラマンではないので、制約が多く撮りたい写真が全ては撮れない。それでも市民の眼で伝統を記録に残したいと思う。何事も一朝一夕では成就しない。これから順次、他の12両の軕の詳細報告をします。私はこの行事の記録を文書と写真で後世に残していきたい。

 

2018-05-16

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2018年5月15日 (火)

恵比須軕の歴史と伝説(2/4)

「御頭渡し」の儀

 恵比須軕の恵比須大神の人形の御頭を渡す儀式「御頭渡し」は、大垣まつりの締めくくりの儀式である。本楽の夜、各町の軕が曳き分かれた後、その年の担当町から次の年の担当町へと、御頭を渡す儀式「御頭渡し」が古来と同じ手順で、今も伝統行事として執り行われる。御頭は担当地区の代表の家で保管される。最近では、担当役員の家の事情もあり、その御頭は耐火金庫に納められて大切に保管される例もある。毎月、1日と15日は、保管地区の神社か集会場に御頭を飾って神事が行われる。

 御頭の保管は船町、伝馬町、岐阜町、宮町の4町内が一年交代で担当している。今年2018年は、宮町が「御頭」保管の担当である。そのため、宮町は2つの山車の受け持ち、大変である。宮町ではこの6月1日から毎月神事が集会場で行われる。

 

今年の「御頭渡しの儀」

 2018年5月13日、午後6時から伝統の儀式「御頭渡し」が、大垣八幡宮神殿で古来と同じ手順で行われた。本来、午後9時半からであるが、雨で本楽が中止になったので、その時間が早くなった。

 あいにくの雨の中を、横笛のお囃子が流れる中、伝馬町の方がびしょ濡れになりながら、ビニールに覆われた御頭を恵比須軕から外した。伝馬町役員が外した御頭を捧げながら、八幡宮神殿前に置く。神主様がお祓い授け、伝馬町の全員で大祓詞を謳い、伝馬町の役員が「確かにお渡ししました」、宮町の役員が「確かにお受け取りしまいた」と述べて受け渡しの儀式は終わる。宮町の役員が、神前に置かれたお頭を捧げて、再度、恵比須軕に御頭を取り付けて完了である。

 その後、恵比須軕の前で、横笛のお囃子を奏でてから、大垣市内を通って宮町の軕収納庫に曳いていく。あいにくの雨の中、軕を曳くのは大変である。それでも、昨年は境内が真っ暗で、カメラも高感度対応の機材でなかったので写真撮影が大変だった。今年は雨のため早い時間の明るいうちに儀式が執り行われたので、写真が鮮明に撮れた。何が幸いするやら。

 

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 昨年2017年5月14日21:15 御頭渡しの儀 

 夜宮の後の八幡宮神殿前で、真っ暗の中での儀式

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23dsc08735  今年2017年5月13日17:42  八幡宮神殿前 明るいうちでの儀式

244k8a0126_8  お頭を外す前にお囃子を演奏

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 お頭の取り外し

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 伝馬町の役員が八幡宮神殿にお頭を捧げて運ぶ

284k8a0126_12  お頭を慎重に神殿前に設置 

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 神主のお祓い

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 お頭を伝馬町から宮町に引継ぎ

324k8a0126_14  お頭の取り付け 

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 御囃子を奏でる

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 雨の中を市内の巡行と収納庫へ向けて出発

お祭りを支える人達

 伝馬町の世話役全員で大祓詞を謳っていたとき、私の横にいた老人が、それに合わせて大祓詞を口ずさんでいた。以前に恵比須の御頭をお世話された町内の方だろうと推察した。恵比寿様を商売繁盛、大垣繁盛の神様として心から崇めておられるようだ。そういう人達が大垣まつりを支えている。感謝。

昨年と今年の撮影状況

 昨年2017年は、地元ケーブルテレビが神殿の中を右往左往して、「お頭渡しの儀」を神殿の外から撮影するには最悪の状況だった。今回は、雨で観客が少なくケーブルテレビも不在だったのが幸いした。私も昨年は、当日この行事を初めて知って行動したので、撮影位置が神殿に集まった観客群衆の後ろになり、上手く撮影が出来なかった。今回は、構えて早めに来て一番前に場所取りをしたので、上手く撮影できた。この撮影も2年越しである。

2018-05-14    久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年5月14日 (月)

恵比須軕の歴史と伝説(1/4)

 大垣まつりは、1648年(正保5年)、ウィーン公使であった戸田共氏伯爵のご先祖にあたる初代の大垣藩主戸田氏鉄が城下の八幡神社を再建した折、城下十八郷が神輿三社を寄進して喜びを表し、大垣十ヶ町(本町、中町、新町、魚屋町、竹島町、俵町、船町、伝馬町、岐阜町、宮町)が10両の軕(山車)を造って曳き出してその喜びを体現したことが起源という。

 1679年(延宝7年)、第四代の大垣藩主戸田氏西が、神楽軕、大黒軕、恵比須軕の三輌を下賜。この3輌を「三輌軕」とよぶ。

 2018年5月12日8時45分から、大垣まつり「試楽」が開催された。大垣まつりは、370年の伝統ある祭りである。5月12日は快晴に恵まれ、「大垣祭の軕行事」として2016年12月にユネスコ無形文化遺産に登録されたこともあり、今までにない人出であった。早朝の試楽はまだ人出が少なかったが、夜宮はいまだかってない混雑で、写真撮影の場所取りも撮影も困難を極めた。私は撮影中に群衆に押されて、2回も望遠レンズフードを落としてしまった。暗闇で足元のフードを探すのに大変だった。

 残念なことに5月13日の本楽は、雨で中止になったが、雨の中を、恵比寿軕を含む3軕はビニールの覆いを被って市内を練り歩いた。雨のため、各軕の収納倉庫では、奉納芸の披露もあった。奥の細道むすびの地記念館では、玉ノ井軕の女の子達の日本舞踊の披露があったようだ。

 

恵比寿軕の歴史

 1679年(延宝7年)、第4代藩主戸田氏西公が恵比須神を祀るにあたり、先代の出身地である摂津の広田神社に祀られている西宮の恵比須神に、人を派遣し祈願したといわれる。現存の恵比須大神の人形は左甚五郎の作と伝えられる。

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左甚五郎は江戸時代初期に活躍した伝説的な彫刻職人である。16歳の時に多武峯十三塔その他を建立し、その時の天下人に「見事である。昔より右に出る者はいない。それでは甚五郎は左である。左を号すべし。」と言わしめた。そのお達しにより、位(号)として“左”を名乗ったといわれている。

 日光東照宮の眠り猫をはじめ、甚五郎作といわれる彫り物は全国各地に100ヶ所近くある。その製作年間は安土桃山時代から江戸時代後期まで300年にも及び、出身地も様々なので、左甚五郎とは、一人ではなく各地で腕をふるった工匠たちの代名詞としても使われたようである。(この項、wikipediaより)

 伝説によると、恵比須大神の人形の顔面の塗料が剥げていたので、塗り師が塗り変えようと顔面に手を触れた途端、口から火を吹いたといわれる。

 また祭礼の日に雨が降ると、恵比寿様が鼻を垂らすという伝説も残っている。

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174k8a0126_5 この日の晴れ舞台の為に伝馬町の子供達も猛練習。PTAも全面支援。良き教育の場である。2018512日試楽にて

2018-05-14     久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年5月10日 (木)

大垣まつり 準備中

 今日201851016時頃、郵便局にピアニスト玉田裕人さん宛ての封書を出しに行ったら、その道の途中でお囃子が聞こえてきた。大垣市内にお囃子が聞こえると、それはお祭り当日の山車練り歩きの練習を告げる「大垣の春の風物詩」の奏である。それ行け、とその方向に歩いたが、何時しかお囃子の音は消えて、大垣八幡神宮の前に来てしまった。八幡神宮の鳥居の前にのぼりが立ち、神前には新しいしめ縄も張られ、512日、13日の大垣まつり案内看板がかかっていた。神社境内では恒例のお化け屋敷の設営が真っ盛りであった。八幡様も大垣まつりの準備中である。

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恵比寿さん山車と大黒さん山車

 八幡様への参拝の後で、水門側沿いに大黒さんの山車を見つけて、その後に続いて街の中心部まで追いかけをして写真撮影した。行きつけのお店に人に聞くと、店前に大黒さんの山車、恵比寿さんの山車がやって来ると、ご祝儀を出すのだそうだ。若い衆が休日を返上して山車を引いている。そのお礼でもある。山車がやって来もしないお店では、どうしようもなかろう。大黒さんと恵比寿さんの山車は福の神である。

 今日は、大垣市内の大通りで大黒さんと恵比寿さんの山車を拝顔できて、私も目出度い気分である。聞けば、明日11日の午後から、大垣八幡神宮周辺が通行規制されるので、ガソリンスタンドもお休みにするという。慌てて自車にガソリンを入れた。

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2018-05-10

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2018年5月 4日 (金)

「猩々軕」の予行練習に出会う

 春の大垣の街並みに流れるお囃子は、大垣まつりが近いことを知らせてくれる。2018年5月3日、憲法記念日の大垣市駅前通りの観光客の状況を調査に行った帰り道、宮町でお囃子が聞こえ、その先を見たら「猩々軕」が練り歩いていた。5月12、13日の大垣まつり出演のための練習だという。近くの蛭子神社で、舞の奉納をしてきた帰りで、若い衆がひと休みをしているところである。5月7,8,9日には、夜の練習があるという。街の若い衆が大垣の伝統を守っている。感謝。

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 大垣市宮町で 2018年5月3日14:20

 

「猩々軕」とは

 この軕は謡曲「猩々」を主題にした「能からくり軕」である。大垣まつりに出演する13輌ある軕の一つである。謡曲「猩々」は五番目物で、能の演目では最後の出し物である。「猩々」は想像上の動物で、オラウータンに似て赤い髪は長く垂れ、顔と足は人に似ていて大酒を飲むと言われる。

 この軕は昭和20年7月29日の大垣空襲で焼失したが、平成13年に56年ぶりに再建され、平成22年に漆、金具、彫刻などを施して完全に復元された。

 

「猩々軕」の掛芸

 この軕の芸目では、軽快な「酒を飲む猩々」の曲が始まると、猩々は舞いながら壺に近づき、汲めども尽きない酒樽に顔を突っ込んで鯨飲する。猩々が壺から顔を上げると、猩々は酒に酔っぱらった赤面となっている。曲が「獅子頭を付けた猩々」に変わると、酔った猩々は興の赴くままに舞い、屋形に入り、出てきた時は獅子に変身している。この時、壺が4つに割れ、中から牡丹の株が浮び上がる。獅子はその牡丹に戯れ、興にまかせて狂ったように舞う。この時、若い衆たちが軕をこの舞に合わせて激しく回転させて、八幡様の門前から走り去る。芝居の幕引きのようなエンディングである。

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059l4a8632  赤い顔になった猩々

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 牡丹の前で獅子に変身

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 若い衆たちが軕を舞に合わせて激しく回転させる。大垣まつりで 2015‎年‎5‎月‎9‎日‏‎9:43

見送り

 見送りには、日展画家和田能玉氏が描いた「白沢怪」と揖斐川町の書家窪田華堂氏の筆になる賛が、豪華に手刺繍で縫い上げられている。賛の漢詩は、白沢怪が中国古代の聖君黄帝に語った言葉である。白沢怪とは、古代インド波羅奈国の剛勇の王である。この言葉は意味深長である。組織の興亡は全て組織のリーダーにかかっている。それは今も昔も変わらない。今の大垣市長に聞かせたい。

 

 黄帝東巡国  黄帝が東国を巡行した

 白澤克玄論  白沢怪は意味深い言葉を述べた

 賢君明俊徳  帝が賢く徳のある政治を行えば

 天祥降子孫  子々孫々に至るまで目出度く栄える

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千匹猿

 上勾欄の下に千匹猿の彫刻があり、全て異なる猿として彫られている。

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11p1060310  収納の建屋

「お頭」保管

 大垣まつりのエンディング「恵比須軕のお頭渡しの儀」の「お頭」保管は、船町、伝馬町、岐阜町、宮町の4町内が一年交代で担当している。宮町の役員の方から、今年は、宮町が「お頭」保管の担当であるという話を聞いた。 

12p1010353_2  「恵比須軕のお頭渡しの儀」大垣八幡神社にて 2017年5月14日21:20

「猩々軕」の詳細は浅野準一郎著『大垣まつり』風媒社(2013年)を参考にしました。

2018-05-04

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