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2019年9月15日 (日)

人生の墓標を建てる

履歴本の作成

 人生の再就職を目指して、履歴書ではなく、履歴本を作った(2015年)。今までやってきたことを少しの解説と写真をつけてまとめたら、履歴書ではなく20頁の小冊子の履歴本になってしまった。これはこの数年、自分史として書き溜めた文書(約300頁)の集約版である。

 履歴書としてまとめてみて、当時、半年も2年もかけて取り組んだプロジェクトが、たった1行に集約されてしまう。その一行に命をかけてきた懐かしい思い出がある。履歴書とは、自分が一瞬一瞬を生きてきた証の墓標である。どんなに栄華を極めても、最期に生きてきた証として残るのは墓標だけである。自分の名前が人の心の中にどれだけ長く残せるかが問われる。墓石や墓誌に書かれた名前のみが、現世と来世をつなぐ絆である。

 

叔父の履歴書

 私の叔父が、76歳になって履歴書を作成して、それを父の所に送ってきた。父の遺品を整理していたら、それを発見した。叔父は「父は43歳で、大津で死亡したことはご承知のとおりですが、その履歴書がないため、経歴がよく分かりません。そこで私は自分の履歴を子供達に分かるように履歴書を書きました。これをみれば私の歩んできた人生が大体わかると思います。」(平成元年7月12日に私の父が受領) 自分の両親の履歴は意外と知らないものだ。

 その履歴書を見て、叔父が原田観峰師から指導を受けて、免許を授かっていたことを知った。原田観峰師は馬場恵峰先生の師である。そこに不思議なご縁を感じた。私は今、馬場恵峰師に付いて指導を受けている。

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  原田観峰師の書 

  馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集   「報恩道書写行集」(2016年)

  久志能幾研究所刊 p104

運命のからくり

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と私は馬場恵峰師に指導された。

 人間の持つ生活模様の多様性が限度を超え、人生・生命観の実相、人間と動物を分ける生命の実相が、時代の喧騒の中で忘れられようとしている。恵峰師は、テレビ・スマホに代表される虚構上に舞う華やかな虚像に惑わされて、人間として大切なことを忘れているのではと危惧される。「時代の風潮に惑わされず、人間としての歩みを、一歩一歩しっかりと踏みしめて欲しい」と恵峰師は訴える。

 

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  馬場恵峰書

 

ご先祖とのつながり

 現世と来世は繫がっている。今の世が単独で急に発生したわけではない。原始生物から始まり、40億年の年月をかけて今の人間の姿になった。今の自分が急に単独で生まれたわけではない。多くのご先祖のご縁があって今の自分が存在する。多くの人のご縁があって今の自分に成長させていただいた。漆の表面を何回も上塗りするがごとくに、先人の技術や人徳の蓄積の上に、自分のささやかな貢献を塗り重ねることができる。その自分の存在も名前だけが後世に受け継がれて残る。

 

お墓つくり

 人生とは、はかないが故、今の生きている時間を大事に、という想いが新たになった。ご縁があり、その年の秋(2015年)に自家のお墓を再建することが出来た。お墓は作ろうとして出来るものではない。当初は、お墓を作る気は全くなかったが、出来てしまった! 正に「天之機緘不測」であった。目に見えない不思議なご縁のつながりで物事が進んでいることを実感した。

 お墓の字も馬場恵峰先生に書いて頂き、お墓の開眼法要に馬場恵峰先生ご夫妻が九州から来ていただけるご縁まで頂いた。感謝。

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2019-09-15   久志能幾研究所通信No.1338 小田泰仙

『志天王が観る世界』より

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月11日 (水)

人間性分析 1/2  総論

 人間性とは、人生と組織の運命を左右する。その理論をもとに、田中角栄、菅直人、大村智博士、小川敏現大垣市長を実例で検証する。

 

自分とは何か(組織論)

 「我」とは稲(禾)を刃先がぎざぎざしたほこ(戈)で刈って、自分のものにしている様を表わす。「私」とは稲(禾)を腕(ム)で自分のものとして抱える姿を表している。「自分」とは、何者かによって生かされている全体の中で、「自ら」の「分」である。己は世の中の一部として考える姿である。その反対が「利己」である。己のことだけしか考えないから、囚われの闇の世界に落ちていく。自分の一族の中での位置づけを考えよう。

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自分とは何か(人間として)

 人間を人間たらしめる要素として、本質的要素付属的要素がある。本質的要素とは、徳性である。徳性とは、明るさ、清さ、人を愛す、人に尽くす、恩に報いる、誠実、正直、勤勉である。付属的要素とは、徳性の発露を助ける要素で、知識、知能、技能である。(安岡正篤著『人物を修める』より)

 人は知識でその人間の偉さを選別してきたのが、今までの偏差値教育である。それで人に順位付けをして、組織の構成をしてきた。人間の属性的要素(知識、学歴)だけを尊重した人間評価で組織を動かすから、往々に組織が壊死してしまう。その悪例が、東電、三菱自動車、日産、タカタ、三菱重工、大垣市の行政である。

 人は不完全な存在であるからといって、完全なる神を目指してはなるまい。それでは人でない存在を目指すこと、人でなし、になってしまう。あくまでも人間として欠点もありながら、それを人間味として、徳性を育成して角熟した人間に昇華した人生を目指したいと思う。本質的要素と付属的要素をバランスよく成長させる。その過程で自分の発見がある。

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新人教育資料「修身」 2004年  小田

 

自分とは何か(神仏鬼神として)

 自分とは何かを追及すると、己の心には佛も住めば鬼も住む。神を住めば魔モノも住む。それを超越して自然と佛と一体になること、それが仏教である。それを目指すのが人間であることに行き着いたのが、弘法大師である。

 東洋の思想では、人は全て佛性を持つとされる。悪人でも閻魔大王の前で、地蔵菩薩が弁護人として救済してくれるとの思想が生まれ、地蔵菩薩信仰が生まれたという。それゆえ東洋の宗教には救いがある。悪があるから善が映える。人間である以上、一度も罪を犯さなかった人はいまい。それに目覚めさせてくれるのが懺悔する心であり、ご先祖に手を合わせる環境である。

 

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 松本明慶先生作「童地蔵菩薩」

 

 

吾は権現様・佛様である

 「吾」とは、神のお告げと神具で使う器具の象形からなる文字で、「われ」を意味する。吾の「口」とは神のおつげの意味。音符の「五」は、棒を交差させて組み立てる器具の象形である。神のおつげを汚れから守るための器具のさまから、「ふせぐ」の意を表す。そのさまを借りて、「われ」の意味を表す。漢字を創った古代人は、人間には佛性があることを知っていた。

 修証義に曰く「佛祖の往昔は吾等なり、吾等が当来は佛祖ならん(釈尊および歴代の祖師のその昔は我々であった。我々の将来は祖師である)」。佛はどこにもいない。己の内に存在すると道元禅師は言う。己の内なる佛の声は聞こえるが、それに耳を塞ぎ、欲に負けて、やってはいけないことを犯し、食べすぎ、飲みすぎ、集めすぎ、貯めすぎの強欲に走る人間の弱さから来る業を、罪という。「足る知る」を理解しながら、それが自制出来ない弱さの鬼性と、神の御告げに耳を傾ける佛性の両方を持つのが人間である。

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ご先祖

 自分の運命は、己に流れるご先祖の血が左右している。己の無意識の行為に、ご先祖様の姿がある。家系図でご先祖の後姿を見れば、己の血が分かる。善も悪もご先祖様の教えである。ご先祖はやってはいけないことの結末を、30年後に孫に見せている。その行動の全ては、すべて遺伝子に書き込まれる。それは「天網恢恢疎にして漏らさず」の結果となる。

 ご先祖様は家系図内で人生劇場を演じている。そこには平家物語もあれば方丈記、リア王の物語もある。東西の宗教の差や宗派の違いは、単なる派閥争いの類で、手を合わせ自省することは、宗派を超越した行為である。

 

人生の螺旋階段

 西洋では神が完全無欠の絶対的存在であるので、不完全な人間は悪でしかない。最期の審判で、人は天国と地獄に行き先を振り分けられる。敗者復活戦はありえない。その最期の審判を凝視する姿がロダン作「考える人」である。

 地獄の前で最期の審判を見なくても、家系図を見ればその人が分かる。自分の考え方を見れば、人生の結末が観える。両親の教育を見れば、人の行く末が観える。

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 「考える人」 大垣市興文地区センター前

 

運命を決める遺伝子

 最近の凄惨な無差別殺人の多発がそれを象徴している。自分の考え方、親の教育次第を見れば、人生の螺旋階段を昇るのか、地獄へ下るかは、おおよそ見える。親が子供へ与えるメッセージが子供の遺伝子に影響を与える。自分のこどもの将来は、親が握っている。

 人は組織として疎外感に苛まれて、起こす事件である。「利己」ではなく、「自分」という考えを持てば、そんな凄惨な事件は起すまい。全て利己が起こす事件である。人間として知識だけで評価されて、社会の底辺の突き落とされて起こす事件である。人間として、ご先祖を敬う躾を受けなかった咎で起きる事件である。

 

2019-09-11   久志能幾研究所通信No.1335  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月 5日 (木)

いろはにほへと

 吾が家系図上で、華々しい人生模様を形作るツワモノどもも、いつしか香も色も消え、全て墓石に記録を留めるさまは、勝者必滅を示すごときである。

 歴史上でも、現代社会でも、栄華を極めたツラ厚きものどもも、いつしか化けの皮がはがれ、姿を消していく様は、天地が春夏秋冬、盛者必衰の経を唱えるごときである。

 自分の人生を振り返り、青春を謳歌し体力に任せて無理を重ねたときもある。若いときには夢多き青春を謳歌したのに、何時しか時も過ぎ、体のあちこちに不具合を感じる頃になって、平家物語の祇園精舎の鐘の声や弘法大師の作と言われる「いろは歌」が自分に迫ってくる。

 

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、紗羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。(『平家物語』)

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   馬場恵峰書 「100m巻物」 日中文化資料館蔵  2014年4月17日撮影

 

諸行無常

 自分の肉体と心を持つ自分自身は、自分のものではない。沸様の預かり物と思うこのごろである。いつかは沸様のいる彼岸に返さねばならない。自分を含めてすべての一族は沸心一体として家系図を彩る様こそが、沸のなせる技である。自分は小さな存在であるが、この世で出来ることを夢見て過ごすことが、夢見ず無為に過ごす人よりも、人らしい生き方であると思う。その夢が破れて涅槃に逝っても、夢見た証があれば、その後を追う子孫が生まれてくる。ご先祖が何時かは歩いた道を、生まれ変わった自分が歩いている。

 三法印の「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静」とは仏教のあるべき姿を現した標語である。「いろは歌」はそれを踏まえた歌として詠まれている。佛と自分が一体となってこそ人の人生である。

 

 色は匂へど散りぬるを わが世誰ぞ常ならむ

 有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔いもせず

 無常なこの世の中を今まで歩いてきた。誰一人永遠の繁栄を遂げた人はいない。「今」まさに越えにくい深山に入ろうとしている(有為とは佛語で、直接間接の諸条件、即ち因と縁の和合によって作られている恒常でないもの)。軽薄な夢などは見ず、正気になって涅槃に逝く覚悟である。浮世の幸不幸や貧富の差は夢の如し。有為ではなく無為(因縁によって作られたものではなく、常住絶対の真実である悟り)の世界に向って歩くことが修行である。それが身沸一体の境地となる。今の世を夢と思わずに大きな夢を見つつ、その実現に向けて、一歩一歩絶えまず人生の旅を精進したい。

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  馬場恵峰書  2012年

  

今川順夫氏、中村公隆師、河村義子先生のご縁

 私が「いろは歌」の意味を知ったのは、高野山伝燈大阿闍梨中村公隆著『いのち耀いて生きる』(春秋社)を読んだ2015年7月の時である。これも今川順夫氏が中村公隆師の米寿のお祝い会に招かれ、その時の中村公隆師贈呈の御本を今川氏が頂いた。私が河村義子の演奏会の案内を今川氏にしたら、中村公隆師の米寿の祝賀会があるので、出られないという。その中村公隆師の著書を今川氏から頂いた。

 その本を読み、感銘を受け、他の著書も手に入れて得た知識である。今川順夫氏に河村義子先生の演奏会の話しをしなければ、ご縁がなかった本である。

 その今川順夫氏もこの2019年6月に他界された。河村義子先生も昨年の2018年末に他界である。「いろはにほへと」をしみじみと感じる。

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2019-09-05   久志能幾研究所通信No.1329  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月 3日 (火)

志天王とは ― 魂の叫び

 佛の世界にも仏界の中枢の四方を護る四天王がおわします。四天王とは、持国天、増長天、広目天、多聞天である。その仏の世界を凝縮した自分と言うご本尊を護る佛が守り佛である。

039a0676s   高野山 中門 ‎2015‎年‎4‎月‎25‎日撮影

039a0694s  高野山の中門を護る広目天  松本明慶大仏師作

039a0695s   高野山の中門を護る持国天  松本明慶大仏師作

私の守り佛

 私の人生の四方を文殊菩薩、普賢菩薩、観音菩薩、虚空蔵菩薩が守っている。そのうち、虚空蔵菩薩が私の守り佛である。

 この仏像は、松本明慶先生が高野山の四天王像の納佛が終わってから、製作をしていただいた。私の家の宝である。

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4k8a04251s  虚空蔵菩薩座像  松本明慶大仏師作

 

生ある万物は欲を持つ

 「欲」とは、生あるものが「谷」に蹴落とされても「欠」けないものである。最大なる欲が生存欲である。宇宙にも沸様にも欲がある。宇宙にも理にそった順法という欲がある。人間の理念が作り出した佛様にも、人を救いたいという欲がある。欲のなくなったとき、それは無機質なものに変わり、死を迎える。

 人として欲がある以上は、できるだけ大きな欲を持ちたいものだ。金儲け、性欲、食欲、権力欲、名誉欲などの小さな欲ではなく、人類に貢献するような大きな欲を持ちたいもの。その大きな欲こそが「志」である。志なき人は、単に生存欲のみの畜生の存在でしかない。

 

大きな欲

 「欲箭清浄句」と般若理趣経にある「宇宙を生かし、宇宙を生み出してきたほどの大きな欲を持って生きよ」と説かれる。薄汚れた小さな欲ではなく、世の中を良くしていこう、充実して生きようという大欲を持てという。そうすれば自ずと清浄になっていくはずだと。

 

経済とは

 「経済」はもともと仏教用語であり、「経世済民」のことである。「経」とは全ての人が助かる真理を束ねた紐のことである。「済」とは「救う」ことである。つまり「経済」とは世の中の人を救うために沸が行う活動である。要は「みんなが仲良くご飯を食べられる仕組み」の意味である。経済観念の無き企業経営は戯れである。理念なき金儲け活動は、畜生の餌漁りである。

 

経済無視の小川敏市政

 小川敏市政のように己の名誉欲だけで、18年間の無為無策で、大垣経済を衰退させ、大垣の地価を半分に暴落させ、大垣駅前商店街を消滅寸前にさせ、百貨店ヤナゲンをこの8月31日に閉店に追い込み、大垣の商業人口の8,800人の職を奪ったのは、「経世済民」に反しており、大垣市長として落第である。

 

志天王

 志天王とは、人が誰でも持っている沸性である。それの存在に気がつけば生き方が変わる。佛はどこにもいない、己の内におわします。自分の「魂(オニ)」が志天王である。「鬼」が「云う」と書いて魂である。自分の魂の叫びに耳を傾けよう。お陀仏教は、志天王が事業広報部長である。

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 「魂(オニ)」 松本明慶大仏師作

 

志天王シリーズ

 自分が、その志天王になった気で、我が半生記を綴ったエッセイを、本ブログのカテゴリー「志天王」シリーズに掲載している。ご参照ください。

 l1_吾が人生の師天王

 l2_志天王が観る世界

 l3_書天王が描く世界

 l4_詞天王が詠う老計・死計

 

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  我が家の仏壇に納めるため馬場恵峰先生に書いて頂いた般若心経

 

2019-09-03   久志能幾研究所通信No.1327  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2018年2月 4日 (日)

夏原家墓参から音楽活動支援基金の設立へ

 2015年8月11日、松居石材商店さんの案内で、平和堂の創業者夏原平次郎氏のお墓にお参りをした。自家のお墓造りの参考のためである。その夏原家のお墓は、昭和14年建立で平成の直前に改建されている。お墓は、町の自治会管理の墓地内にあり、お墓の周りは広々とした開放的な雰囲気である。そのお墓は華美ではないが、目に見えないところにお金をかけた品格のある立派なお墓であった。

  平和堂の創業者夏原平次郎氏は、昭和19年に生まれた長男に「平和」と名づけた。当時の風潮では勇ましい、「雄一」や「義一」等が一般的である。それを否定して、「平和」と名づけた先見性が光っている。太平洋戦争真っ最中に、その名前を役所に届けたら、当初、拒否され受け付けてもらえなかった(伝聞)。それを敢えて意思を通した平次郎氏の偉さがある。

 その2年半後の2018年1月13日のドレスデントリオの大垣公演で、その資金集めで、平和堂さんとご縁が出来ることになった。

 

彦根商店街の惨状

 現在、彦根市内の商店街の多くがシャッター通りになっている。滋賀県内だけでも平和堂が17箇所の出店をして、そのあおりで閉店を余儀なくされた商店主や小売業者は、平和堂に恨みつらみが多々あるようである。それは逆恨みである。それは自己改革をサボり、現状維持の安逸を貪った罰である。商店として置かれた環境や条件は同じはずである。平和堂が出店しなくても、関西や関東の企業が進出してきたはずである。

 まるで井伊直弼公の断行した開国とよく似ている。開国しなければ、英米が進出してきて日本は欧米の植民地にされたかもしれない。鎖国を続けて、近代国家への脱皮が50年遅れた国が隣国である。その後遺症として、現在の愚かで醜い政争や民度の未成熟さに起因して起きた人災を世界に晒し嗤われている。平和堂を恨むのは、まるで井伊直弼公を呪うようなもの。そういう輩に限って己の自助努力はせず消えていった。ダーウインの言葉「生き残るのは、環境の変化に最も早く適応した種族である。最も強い種族が生き延びるのではない」は、本人の言葉ではないようだが、真理を言い当てている。

 

彦根商店街衰退の原因

 彦根市の駅前も悲惨である。日中は人がほとんど歩いていない。それに対して、南彦根にある大きなショッピングセンターは、大混雑である。市内の道路は右折だまりのない道ばかりで、市内はいつも大渋滞である。彦根行政は、彦根市民の事は考えず、仲間の足の引っ張りあい、利権、既得権利にまとわれて、彦根市の発展を妨げている。つい最近、彦根副市長が庁舎工事契約で法廷違反があり辞職したというニュースが流れた(2018年1月25日)。駅周辺の再開発の陰に黒い噂も聞こえる。行政がやるべきことを放棄した結果である。

 墓建立率が大都会ではドンドン下がっているようだ。まだ滋賀県内や彦根市はましであるという。それだけ、若い人の意識が変わっているようだ。先祖を敬わない心がけだから、経済が停滞するのも致し方あるまい。個人や商店街が利己的に振舞うほど、市の全体が縮小していく。意識改革が必要である。

 利己的に振舞って、結果として貧乏になるのは市ばかりでなく、個人や企業にも当てはまる。お墓を見て廻り、企業の事例を見ると、その例が各所で目にはいる。例えばビデオ規格のベータに意地のような囲い込みをして、結果として没落したソニーの例もある。才能(性能)や頭の良さだけで、世の中で成功するわけではない。それがお墓つくりに現れている。

 

大垣商店街の惨状

 大垣駅前商店街が現在はシャッター通りになりかけている。その原因は半世紀前の駅前の商店主達の先を見ない利己主義的な行動にある。当時、駅前通りと駅の裏側が東海道線で分断されていたのを、南北に連なる道路を作ろうと市が計画した。それでは駅前南側の商店街の集客が北側に流れるから、現在の商店街の売上が減ると当時の商店街店主達が大反対をして取りやめになった。もし南北の貫通道路が出来ていれば、大垣市はもっと発達したはずである。商店主達の想定外に、郊外のショッピングセンターが発達して、駐車場のない駅前商店街は寂れていった。大垣に車社会という「黒船」がやってきたのである。現在の大垣駅前のシャッター通り化は、半世紀前に商店主達が利己的に動いた佛罰である。自分達のことばかりでなく、もっと大きな利他的で将来を展望した視野に立てば、駅前商店街と大垣市はもっと発展したのにと思う。

 

ドレスデントリオ大垣公演の資金集め

 2018年1月13日、ドレスデントリオの大垣公演で、私はその資金集めで走り回ることになった。ヤナゲンさんに協賛金をお願いに行って快諾を頂いたが、その親会社の平和堂が大垣に居を構えているのに思い至った。それで彦根の本社まで協賛金のお願いに行こうと思い立った。その過程で、夏原平次郎氏が、個人資産40億円(伝聞で)を拠出して設立した平和堂基金の存在を知った。企業としての社会貢献活動である。その基金が、音楽活動等のイベントに50万円の協賛金が出ることが分かった。再度、詳細に調べたらその基金交付の対象は、滋賀県内の芸術活動に限定されていた。それも年度の前年に申請して、審査を通す必要があった。

 

大垣文化基金創立を目指して

 それで平和堂基金からの協賛金は諦めたが、その基金のシステムを大垣で作りたいと思いついた。そういう発想を与えて頂いたのが、最大の収穫であった。近い将来、大垣の企業が集ってそういう財団を作りたいと思う。音楽活動には企業の協賛がないと、運営が辛いのだ。

 大垣市は文化都市を謳っているが、現大垣市長は文化・芸術には疎く、その面には金を渋って出さない。今回のドレスデントリオ演奏会も先年9月のチェリストTIMM演奏会でも、大垣市は一銭もださない。我々有志が走り回って、各企業を回って協賛金を集め、この演奏会を実現させた。文化都市として情けない思いである。文化活動の無い都市は、心が荒廃する。

 

2018-02-04

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年12月30日 (土)

トヨタのDNA

 長野県茅野市の蓼科山聖光寺は、トヨタ自動車が交通安全祈願と事故で亡くなられた人の供養、負傷者の早期回復祈願のために建てられたお寺である。毎年恒例の七月の夏季大祭が執り行われ、2017年は7月17日に交通事故者慰霊萬燈供養、18日に交通安全夏季大法要が執り行われ、トヨタ自動車の豊田章一郎名誉会長、内山田会長、豊田章男社長をはじめ関係役員とトヨタ自動車販売店協会などから多数の方々が出席された。協豊会からは信元会長と各地区の代表副会長が出席し、会員の皆様の交通安全を祈願した。詳細は下記、協豊会HPを参照ください。

http://www.kyohokai.gr.jp/whats_new/%E4%BA%A4%E9%80%9A%E5%AE%89%E5%85%A8%E3%82%92%E7%A5%88%E9%A1%98-3/2017/

 

 この大祭の行事は、他の自動車メーカではあまり聞いたことの無い。これは豊田佐吉翁が、トヨタ自動車の創業者の豊田喜一郎氏に、「俺は織機で御国に尽くした。お前は自動車で御国に尽くせ」との遺言と豊田綱領に「神仏に尊崇報恩感謝」と記したように神仏への敬いの心の現われである。豊田佐吉翁の頭には金儲けではなく、報国の精神があり、結果として事業が成功したのであって、金儲けがうまかったから、成功したのではないと思う。

 トヨタ中興の祖と言われる石田退三氏は、交通事故死者が1万人を超えていた交通戦争と言われた時代、会社の執務室に観音様(お地蔵様かも)の像を置き、毎日、犠牲者を悼み交通安全を祈念していたという伝聞がある。

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  聖光寺  2014718日  協豊会ホームページより

豊田綱領 (豊田の5つの精神)

 1.上下一致、至誠業務に服し産業報国の実を挙ぐべし

 1.研究と創造に心を致し常に時流に先んずべし

 1.華美を戒め質実剛健たるべし

 1.温情友愛の精神を発揮し家庭的美風を作興すべし

 1.神仏を尊崇報恩感謝の生活を為すべし

 昭和10年10月30日、豊田佐吉の6周忌にあたって、全従業員が整列した佐吉翁の胸像まえで、佐吉翁の信任が厚かった取締役支配人・岡本藤次郎が朗読・発表(試作車を完成させ、国産自動車生産の目処がたった時)

 

 社是に「神仏を尊崇報恩感謝の生活を為すべし」とはなかなか書けない言葉である。その精神がトヨタのDNA中に流れているようだ。目には見えないご先祖や神仏を大事に精神が今のトヨタを創ったと思う。

 

欧米企業の会社理念

 欧米の企業の会社理念(社是)には、神仏への感謝、ご先祖、お国へのご恩返しの思想はないようだ。あくまで個人主義の延長で、会社として会社主義の極まりが多い。それの行き着く先が成果主義、グローバル経済主義で、結果として富の偏在、格差の拡大ではないか。

 

日本の自動車メーカの社是

 日本の主要な自動車メーカの社是を比べてみると、日産とマツダの社是にはミッションという言葉がある。日本企業の社是とは違和感がある。共に欧米の企業に乗っ取られた会社である。それが故、欧米の価値観が社是に表れている。

 ミッション(mission)とは、ラテン語のmittere(ミッテレ。送る、つかわす)から派生した語であり、人や人のグループに与えられた、特に遠方の地へ行き果たすべき役割、使命、任務である。イエス・キリストが弟子たちに与えた、遠方へ行き福音を広く人々に伝えるという使命には、強い目的意識、強い使命感等の意味がある(自分を超えた何かによって宣告されるように感じられる)。だからミッションと聞くと殉教者的な犠牲を強いられるイメージがあり、日本の風土に合わないと思う。リストラ後の日産を辞めた社員の言動を見ていて、つくづくとそれを感じる。それで会社として成果が上がるとは思えない。けっかとして創業90年後にルノーに乗っ取られた。その挙句、2017年に拝金主義に起因すると思われる検査員の不正事件を起こしている。その記者会見の場に、ゴーン会長は姿を見せない。誰がそんな拝金主義、成果主義オンリーの風土を作ったのか。

 

社是の位置づけ

 社是とは社員の目指すべき行動規範で、自分達に夢に実現のため会社としてやるべき規範である。「是」とは正しいこと、つまり会社として正しい道を示した行動規範である。神仏を敬いご先祖を祭り、自主的に仕事に仕えて社会に奉仕をする。結果として会社の業績が向上し自分達にも返ってくる行動と、神からの強制で社会に奉仕をする行動とを比較すると、その差がお墓つくりに重ね合わせて見ると興味深い。

 トヨタ以外の3つの会社の社是では感謝というメッセージが感じられない。「私達が偉いから車という最高の製造物を君たちに作ってやってあげるのだ」との上から視線が伝わってくる。

 日産のビジョン&ミッションは、提供、寄与、プログラム開発とか何か他人事である。過去の遺産を食い潰して、結果としてトヨタより儲かっていない日産の社長が10億円という報酬を得ているのは日本人として違和感がある。強欲の極みで格差社会の象徴のように感じる。

 

日産のビジョン&ミッション

 ミッション

  「未来への投資」

 未来を志向する人々が、“どのような社会に生きたいか”を実験し、体験し、思索する機会を提供する

 目標

  ミッションを実行することにより、社会的価値の創造に寄与する

 活動方針

  ・多様性を促進するプログラムを開発する

  ・社員の社会参加を促進するプログラムを開発する

 

マツダの社是

 Vision(企業目標)

  新しい価値を創造し、最高のクルマとサービスにより、お客様に喜びと感動を与え続けます。

 Mission(役割と責任)

  私たちは情熱と誇りとスピードを持ち、積極的にお客様の声を聞き、期待を上回る創意に富んだ商品とサービスを提供します。

 Value(マツダが生み出す価値)

  私たちは誠実さ、顧客志向、創造力、効率的で迅速な行動を大切にし、意欲的な社員とチームワークを尊重します。環境と安全と社会に対して積極的に取り組みます。そして、マツダにつながる人々に大きな喜びを提供します。

 

ホンダの社是

 基本理念

  人間尊重   自立、平等、信頼

  三つの喜び   買う喜び、売る喜び、創る喜び

 社是

  わたしたちは、地球的視野に立ち、世界中の顧客の満足のために、質の高い商品を適正な価格で供給することに全力を尽くす。

 運営方針

 ・常に夢と若さを保つこと。

 ・理論とアイディアと時間を尊重すること。

 ・仕事を愛しコミュニケーションを大切にすること。

 ・調和のとれた仕事の流れを つくり上げること。

 ・不断の研究と努力を忘れないこと。

 

日本国憲法が、日本国民、日本政府の行動を縛るように、会社社是は、会社の行動を決める。社是を見れば、その会社が分かる。

 

2017-12-30

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年12月29日 (金)

豊田佐吉翁のご縁

 江戸時代の鎖国から開国への転換は、井伊直弼公の決断に起因する。それがもとで桜田門外の変(1960)が起きて、井伊直弼公は暗殺される。私のご祖先は桜田門外の変のとき、武士ではないが、その大名行列の中にいた。

 時代は幕末の騒動を経て、明治維新(1868)を迎える。開国して西洋の文化が入ってきて心をときめかせた若者が、三河の片田舎の豊田佐吉である。スマイルズ著『自助論』に啓発され、母が内職で夜遅くまで手織りの織機に苦労をしている姿に発奮し、母を助けようと自動で機織機の矢を動かす発明に没頭した。それが豊田式自動織機の始まりである。彼は1890年(明治23年)11月11日、豊田式木製人力織機を発明して、特許申請をした。彼は、その後、豊田式織機株式会社を設立して、成功者となった。後年、その特許を英国に売却したお金で、トヨタ自動車が生まれる。

 『自助論』は、300人以上の欧米人の成功談を集めた成功哲学書である。本書は、佐吉の歴史も知らず、訳者竹内均氏の生き方に感銘を受けて、竹内氏の訳本だからと読んだ本である。本書は「桜田門外の変」の前年1859年に刊行された。そして明治になり開国で豊田佐吉が手にする縁が生じた。その100年後、自分もその本を手にした。

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産業技術記念館の見学

 2001年から8年間、私は会社で技術者教育に携わり、新人・中堅技術者の教育の一環として、産業技術記念館の見学を引率した。トヨタグループの産業技術記念館は、豊田佐吉が明治44年に自動織機の研究開発のために創設した試験工場の場所と建物を利用して建設された。ここは展示機械の全てが動く状態で展示されている世界最大の動態博物館である。

 最初に、豊田佐吉翁の伝記ビデオを鑑賞してから、豊田式自動織機の実演や、自動車の部品を製造する工程や自動車を組み立てる工程を見学した。実際に鍛造のプレスマシンで、素材から製品が出来上がるのを目の前で見せられて、若手技術者は興味深々であった。

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 豊田式自動織機の実演に見入る中堅技術者

3img_2584  鍛造工程の実演

拝金主義、成果主義の弊害

 下図は新会社の新入社員を引率して、産業技術記念館を見学した時の写真。これが若手の成長を祈念した最後の引率研修となった「余分な事は教えるな。技術だけを教えればよい」という成果主義に染まった上司と教育方針が合わず、ある理不尽な事件を機に、私は閑職に飛ばされた。教育の成果は10年後であるが、拝金主義者の目は、そこまで見ていない。

 私の後任の担当者は教育には全く熱意がなく、この見学教育講座は立ち消えとなってしまった。なにせこの講座を実施しても、自分の業務成果として貢献しないので、成果主義に染まった会社では、誰もやる人がいなくなってしまった。この見学研修は、バスを仕立てて遠方からの見学出張となるので、教育担当者には手間がかかるので嫌がるのである。同じトヨタグループがこの種の教育を若手技術者にしているのにと、歯がゆい思いで私は会社を去った。金儲けオンリーの成果主義者には、10年後の若人の成長など、知ったことではないのだ。自分の時代に成果が上がればよいのだ。

 2009年から2010年にかけてトヨタが、米国で言いがかりのクレーム(「トヨタ・バッシング」)に苦しめられている時、豊田章男社長が、米国通商省の長官と娘さんをこの産業技術記念館に案内して面目を取り戻したというエピソードもある。

(この一連の騒動は、2011年2月8日、急加速問題の原因調査をしていた米運輸省・米運輸省高速道路交通安全局による最終報告で、トヨタ車に器械的な不具合はあったものの、電子制御装置に欠陥はなく、急発進事故のほとんどが運転手のミスとして発表された)。

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2017-12-29

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トヨタ自動車とのご縁

 そのトヨタ自動車が今あるのは、明治時代初期に豊田佐吉翁が自動織機の発明に没頭し、豊田式自動織機の特許をイギリスに売却した資金で、新事業への展開したことにある。豊田佐吉翁は、トヨタ自動車創業者の豊田喜一郎氏に、「俺は織機で御国に尽くした。お前は自動車で御国に尽くせ」と言い残した。企業・産業を起こすものは、志が必要である。単なる金儲けが目的では、目指す次元に差がでる。御国(公共)に尽くすためには、材料、設計、工作機械、生産技術の全てを自前で国産化しないと、当初の理念が達成できないとの考えから、車作り、人作り、会社のしくみ作りを始めている。そこに今のトヨタの礎がある。

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   トヨタ初の純国産乗用車トヨダAA型(1936年)のモックアップ

   産業技術記念館にて

モノづくりの原点

 国の産業の発展を目的に全て自分達の手で開発したことから、トヨタ生産方式、カンバン方式、現地現物といった日本のモノづくりの原点、手法が生まれてきた。実際に手を汚し、苦労をしないとモノつくりの技は手に入らない。設計図から生産設備まで買ってきて、金儲けのために日本で生産を始めた日産からは、そんな開発の苦労話から生まれたノウハウの伝承は聞こえてこない。

 豊田喜一郎氏は米国のフォード工場に視察に行った時、切削油タンク中の切りくずを確認するため、ピカピカのスーツ姿のまま、ワイシャツやスーツが汚れるのも厭わず、その汚れた廃油の中に手を突っ込み、切りくずを取り出しハンカチに包んで持ち帰ったという。欧米の経営者なら絶対にしないことだ。

 

企業DNAの影響

 企業DNAの影響の恐ろしさは、50年後、100年後に影響する。トヨタ初の純国産乗用車トヨダAA型(1936年)と日産初の乗用車ダットサン12型(1933年)の外観をトヨタと日産の二つの初代乗用車を並べてみると、技術は未熟ながら純日本文化の繊細な造りこみをしたトヨタ車と、欧米式のがさつな日産の車つくりの差が一目瞭然である。(著作権の関係でその写真が掲載できないので、両車の車の形は、画像検索でネットにて確認ください。)

 日産からは検査員の不祥事とか、成果主義での葛藤の生臭い話が多いが、不思議とトヨタからはそんな話がない。持っている企業DNAの差のような気がする。

 

VOLVOのDNA

 下図は私が1985年のVOLVO出張時に、VOLVO担当者から贈られたVOLVO車模型。右はVOLVO初代の車。角ばった1927年のデザインは、その後のVOLVO車を象徴する。会社のDNAは遺伝する証だ。左の車は、私が開発した研削盤で研削するクランクシャフトを搭載したVOLVO740。100年経ってもその企業DNAは脈々と受け継がれている。だだボルボがチャイナの資本に吸収されたのは悲しい現実である。理念だけあっても算盤勘定がないと生きていけない。

Volov

 自分はどんなDNAを子孫に残すのか。それが日々の生きざまで問われている。子孫は己の後ろ姿を見ている。

 

2017-12-29

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2017年12月28日 (木)

児玉家墓所にお参り

 松居石材商店の店主さんの案内で、彦根市の長久寺にある児玉一造氏(東洋綿花株式会社(トーメンを経て豊田通商と合併)の創設者)のお墓にお参りをした(2015年7月2日)。そこには豊田佐吉翁の長女、愛子さんも分骨されて眠られておられる。児玉一造氏の弟の利三郎氏は、愛子さんの娘婿である。豊田利三郎氏は豊田自動織機製作所の社長(初代)とトヨタ自動車工業の社長(初代)を務めた。

 児玉一造氏のお墓は先祖代々のお墓として建立されている。墓石は六甲の御影町の本御影石(現在採掘禁止)で、立派な造りの墓所である。

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 豊田家家系図

 

豊田家とのご縁

 約42年前に、5代目社長の豊田英二氏(当時社長か会長)が、センチュリーではなく、カリーナEDで自ら運転してここにお参りに来られた。その後、多賀町の石田退三氏のお墓にお参りに行かれた。当時、私も入社後の10年目にして始めて車を購入し、それがカリーナであったことを思い出した。私は、豊田英二氏(当時会長)とは直接の会話はできる立場ではなかったが、仕事の関係で至近距離にてお目にかかったことがある。

 今回のお墓造りの過程で、北尾家の叔母の父の木下重兵衛氏(豊田紡織専務)が、石田退三氏からたいへん可愛がられたとの話を聞いた。また叔母の夫の父の和田善次郎氏が豊田英二氏を教えた間柄であり、豊田英二氏がお通夜に弔問に和田家を訪問したとのこと。それを見て、お寺さんが急遽、お経代を2倍に値上げしたとかで、ぼやかれていた。叔母は石田退三氏の自宅(刈谷市)のに連れて行かれたこともあり、豊田章男氏(現トヨタの社長)の幼少の頃の姿を見たことがあるとのこと。

 

二宮尊徳翁のご縁

 もう一つの話しが、二宮尊徳翁とのご縁である。北尾家の叔母の夫君の母の在所が、下館で油問屋を営んでおり、その家の離れに二宮尊徳翁が半年間暮らしたとの話を今回聞いた。世間のご縁は不思議な繋がりを持つことを知った。

エピソード

  松居石材商店の店主の案内で、彦根長久寺にお参りをしたら、ここは皿屋敷のお菊さんのお墓があるお寺だと言う。驚いてネットで調べたら、下記の情報が得られた。

 

長久寺・お菊の墓   (滋賀県彦根市後三条)

 あのお菊さんの幽霊が出るという「皿屋敷」伝説は、全国で約50箇所ほどあるらしい。その中の1つが彦根に残されている。しかも、問題の“お皿”まで保存されているというから、驚きである。

 彦根藩の譜代藩士である孕石(ハラミイシ)家の嫡男・政之進と、そこへ奉公する足軽の娘・お菊は相思相愛の仲であった。ところが、政之進には亡くなった親が取り決めた許嫁がいた。しかもお菊と政之進とでは身分が違いすぎる。そこで思い余ったお菊は、孕石家の家宝である、藩主拝領の10枚組の皿の1枚を割ってしまう。家宝の皿を割ることで、家か自分かどちらが大事なのかを確かめたかったのである。政之進は最初、お菊の過ちであると思い、その罪を許した。だが、割ったのが 自分の本心を知るための手段であるとわかった政之進は、残り9枚の皿を刀の柄で叩き割り、お菊を手討ちにした。そして自らも仏門に入り、お菊の冥福を祈ったという。

 上の伝説を読んで、違和感を覚えた人もいるかもしれない。“お菊”という名前の女性と“皿を割る”という行動、そして“奉公していた女性を手討ちにする”ことだけが共通点で、後は全く通説とは違う話なのである。

 この話であるが、実にディテールが詳細であり、却って本物の「皿屋敷」伝説の方が陳腐なものに感じるほどである。実際に彦根藩には孕石家が存在し(しかもかなり上級の家柄)、政之進の代で本家は断絶し、跡を継いだ分家が今も続いているらしい。また長久寺の 無縁墓の中にはお菊さんの墓が存在している(本来は長久寺の末寺にあったのだが、明治の廃仏毀釈で廃寺となり、現在この地に安置されている)。そして何と言っても、この悲劇の元になった皿が存在するのである。

 現存する皿は全部で6枚。話によると、残っているはずの3枚は展示会などで貸し出している最中になくなってしまったとのこと。由来としては、関ヶ原の合戦の時に藩主井伊直政が徳川家康から拝領し、大阪の陣で孕石家の当主が褒美で頂いたことになっている。時代的なものを考えると、相当立派な作りの皿であるこ とがわかる。

 さらにこの寺には、お菊さんの供養のために、藩主正室以下、江戸屋敷にいた女性292名の名を連ねた寄進帳が存在する。かなり身分の低い者のために、これだけの人数の者が供養のための記帳をするのは、きわめて珍しい。言い換えれば、それだけの手厚い供養が必要な“事態”があった証拠ではないかと推測できる物件なのである。

お菊の皿は、 長久寺に保管されているが、通常は非公開。予約をすれば拝観可とのこと。

http://www.japanmystery.com/siga/chokyuji.html

 

 この世は、どこまでいっても男女のドラマがある。ご先祖を思えば、どこかで踏みとどまれるのにと思う。何か為す時に、ご先祖様に手を合わせれば、間違った道へ進むのを止めていただける。

 

2017-12-28

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2017年12月27日 (水)

墓標から見える指導者の人徳(改題)

石田退三氏の墓所参拝

 作成した自家の家系図を眺めるほどに、ご先祖に不幸が多いことが気になり、2015年7月7日、ご先祖供養として総諷経を長松院で上げていただいた。その日の午後、松居店主の案内で多賀町(彦根市の隣町)の石田家の墓所を参拝した。石田家の墓は1尺2寸の竿石の大きさで立派な佇まいである。華美ではなく品のある厳かなお墓であった。三河の牛岩石を使い、威風堂々としたお墓であった。この時、松居店主が気づいたのが、石田退三氏の法名であった「豊光院釈精進」とあり、「豊田を光らせた釈迦のような精進をした者」と表現された法名である。お釈迦様の最期の言葉が「精進せよ」であった。法名はその人の生前の威徳を偲ぶ名前である。トヨタの大番頭と呼ばれた石田退三氏に相応しい法名である。

 

石田退三氏の人柄

 「石田退三氏はきわめて腰が低く、私どものような人間にも対等にお話をして頂いた」と先代の松居店主が回顧されている。6代目の現松居店主は、直接に石田退三氏と話したことはないが、奥様やその子孫の皆さんとお話をする機会が多くあり、その人たちも偉ぶらず誰とでも対等のお話をされるという。やはり石田退三氏の後姿が、家風として奥様や子孫に伝わっているようだ。

 腰が低くても、トヨタの大番頭として、やるべきことをやるべきときに決断をして、トヨタを大きく成長させた。その前提として徹底した節約で金を貯め、トヨタの戦後の危機を乗り切り、貯めた金を設備投資に回した。児玉一造氏から薫陶を受けたDNAがあったからだ。

 「自分の城は自分で守れ」が信条であった。私の前職の会社も一時期、左前になって親会社のトヨタに援助を仰いだら、「自分の城は自分で守れ」とのありがたいお言葉だけの援助を頂いた。確かに自助努力をしないのでは、企業は生き残れない。単なる金の援助だけでは、一時しのぎの援助となり逆効果である。

 松下幸之助翁は、石田退三氏を師と仰ぎ、松下電器の役員はたびたび石田氏のところに行って話を聞くのが通例となっていた。

 

エピソード

 以下、先代の松居店主が石田退三氏から直接聞いた話である。石田退三氏がまだ児玉商店に奉公をされていた頃、児玉一造氏の家に豊田喜一郎氏が訪ねてきた。その時、児玉氏は外出しており、いつ帰るか不明であった。石田退三氏が喜一郎氏に「上に上がってお待ち下さい」と何度言っても、豊田喜一郎氏はじっと土間でかなりの時間、待っていたという。豊田喜一郎氏は児玉一造氏に、自動車造りのために資金の援助をお願いに来たのだ。帰ってきた児玉一造氏は、豊田喜一郎氏から話を聞き、細かい取り決め無しで資金を用立てたという。それを見て石田退三氏は、児玉さんが豊田さんに対して全幅の信頼を持っておられる姿に感動されたという。その後、石田退三氏は児玉一造氏の薫陶を受けて、経営手腕が磨かれた。それがトヨタが倒産の危機に瀕した時、そのトヨタを再興するために、それが役立ったようだ。後年、石田退三氏は児玉氏から言い含められてトヨタに経営を助けるために派遣された。本人はトヨタなどには行きたくなかった(?)とかいう噂もある。それでも石田退三氏は、児玉氏が全幅の信頼を寄せていた豊田喜一郎氏に誠心誠意、尽くしてトヨタを大きくした。それで今のトヨタがある。

 児玉一造氏を師と崇めていた石田退三氏は、お墓も児玉家墓所のデザインを踏襲して、少し小さいサイズのお墓を建てた。それが、私が参拝したお墓である。

 

近江絹糸の因縁

 それと対照的なのが彦根で繊維会社を創業した夏川嘉久治社長である。近江絹糸(後のオーミケンシ)は1917年に滋賀県彦根市で創業された。私の父が勤めた会社である。その夏川嘉久治社長は、いかにも大企業の社長であるような態度で業者に対応したという伝聞がある。謙虚さが無く、驕りで頭が高ったのだ。その会社は3代続かなかった。子孫は彦根を離れ、近畿に住まいを移して、そのお墓もお参りがされてないようで、荒れていた。いくら立派なお墓でも、手入れがされていないとお墓も荒れる。住まいを遠方に移すとは、そのご先祖のお墓も置いて去るということである。墓参りも疎かになりがちである。諸行無常を夏川さんのお墓を見て感じた。

 同じ時代に生きた石田退三氏と夏川嘉久治社長の因果が興味深い対照を見せる。トヨタは世界的な企業に成長し株価8,116円であるのに、その近江絹糸の株価が74円の会社に没落した現状は、鮮やかな対比である(株価は2015年7月7日現在)。それがお墓の現状の姿に冷酷に投影されている。我が家の家系図での歴史に照らして、考えさせられる因果応報である。

 繊維業界の環境が激変したのは事実であるが、東レや帝人のように炭素繊維や医療品分野等の最先端技術で、現在でも世界に羽ばたいている会社も存在する。すべてトップの人徳と先見性と指導力次第である。 

 私の家族の生活を支え、育ててくれたオーミケンシにはご恩を感じるが故に、その夏川社長の会社経営としての顛末に忸怩たる思いがある。

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 壊される直前のオーミケンシ大垣工場 2010年

3img_2918   家族と父の定年まで過ごした社宅・大井壮 2010年

  壊される直前の姿

墓石の品質の差

 石田家のお墓は昭和37年に建立されている。傷みも無く立派な佇まいのままである。それに比較して昭和38年に建立した我が家のお墓の石(並松(なんまつ))に、綻びが目立つことに思い至った。石田家の墓石は三河の牛岩石で、今は稀少石材になってしまい、1尺2寸もの大きな竿石の石材は枯渇して入手不能という。あっても小さい材料しか手に入らない。高いものにはワケがある。それを石田家のお墓が53年の年月で実証した。高価で高品質と安価で低品質の石の差は、年月が明らかにする。

 

ダーウィンの法則

 強いもの(企業)が生き延びるのではない。いかに素早く環境に適応したものだけが生き延びる(ダーウィン)。それには組織を指導するリーダが、謙虚に素直にものごとや時代の流れを見極めて経営判断をしないと、没落・滅亡である。一人の指導者の如何で組織は繁栄もするし、滅亡もする。組織のリーダの配下には、多くの部下、従業員、家族がぶら下がっている。それに責任があるリーダの頭が高くては、判断に誤りが出る。

 

大垣市の墓標

 今の小川敏大垣市長には、頭が高く人の話を聞かないという噂がある。それが遠因で小川敏市長の行政17年で、大垣市は衰退し、大垣駅前商店街の61%がシャッターを下ろしたという現実がある。下した商店のシャッターとは、大垣商店主達の墓標である。大垣市商店街の墓標である。シャッターには、商店に伝わる歴史がある。シャッターを下ろすとは、その商店の死である。

 大垣市を久しぶりに訪れる人が「大垣はずいぶん寂れたね」という声をよく聞く。すべて小川敏大垣市長の愚政が原因である。なにせ最高学府を出たという意識があるようで、人の話を聞かない。大垣の活性化には逆の効果となる政策ばかりに17年間も執着して、経営の基本のPDCAを市の経営で回さず、滅亡に向かって盲進している。先を見る眼が無く、100年先の計画も無く、目先のカンフル剤のようなイベントばかりに力を注ぐ。その挙句が、ドローン墜落人身事故である。頭は良くても経済音痴である。大垣が衰退するのも故あること。

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  大垣駅前商店街のシャッター通り

  お昼時の商店街で誰も歩いていない。2017‎年‎9‎月‎8‎日(木)‏‎14:03 

1201709221  大垣駅前商店街 赤はシャッターを下ろしたお店  2017年9月現在  

2017-12-27

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