死天王の教え 叔母の墓を守り、明徳を遺す
叔母の死
親や近親者の死は、人生の儚さと人生の後始末についての最期の教えである。京都の格地の尼寺で住職をされていた叔母が2008年に亡くなった。私がそれを知ったのは2015年である。人間国宝であった日本舞踊四世家元 四代目井上八千代の葬儀(2004年3月)では、この安寿様が導師を勤められた。舞妓さんたちがお参りする尼寺である。叔母は、祖母の出の北尾家の最後の人であり、叔母が逝去された事でご先祖のお墓をどうするかの問題が表面化した。北尾家は井伊直弼公にご縁のある人であった。
東景寺 京都八坂神社の南側
見えざる手
私は何かに背中を押される気がして、その墓のお守りを受け継ぐことを決意した。叔母の墓を受け継いでも、出費ばかりかさみ、何も得のない。受け継ぎをしなくても、私にはなんら道義的責任はない。私が受け継がなければ、お墓は撤去され、お骨は無縁塚に埋葬される。本来なら、父の兄の家族が受け継ぐのが正統である。しかし敢えて私が引き受けたが、それに後悔はなかった。
菩提寺の檀家の中には、墓を受け継いで30年間、一度も墓参りに来ない家もあるとか。そういうお墓が菩提寺の墓地には50基ほどあり、お寺さんも困っていた。私はそんな不義理人にはなりたくなかった。
北尾家
北尾家は私の父の母方の祖先で、北尾道仙は1860年3月3日の「桜田門外の変」の時、井伊直弼大老の行列の一人として歴史に関与したと推察されていた(本件は後日に真実が明らかになる)。この北尾道仙の墓を、粟野自孝様が守ってみえた。その御先代の粟野自照様(2003年1月90歳でご逝去)は、永平寺73世管長熊沢禅師(祖学泰禅禅師)に師事された。自孝様は私の父の従姉妹にあたる人である。自孝様は愛知専門尼僧堂の青山俊董堂長に師事された。2003年、私は青山堂長の講話集のCD「天地いっぱいに生かされて」等を数多く聴いていた縁があり、そのつながりに驚いた。
私は自孝様より青山俊董堂長のサイン入り著書を数多く頂戴して、愛読書の一つとなっていた。
北尾道仙の件は、自孝様も父の兄も調査をしたが、真実にはたどり着けなかった。
叔母がこのように立派に整備し直した。
2015年に私が小田家のお墓を改建して、既存のお墓の統合整理したため、現在(2022年)は更地になっている。
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叔母の死
2015年3月に母と父の23回忌、13回忌を執り行った折、叔母が平成20年(2008年)に逝去していることが判明した。慌てて京都に走って確認したところ昨年(2014年)に7回忌が終っていた。叔母は財産やお墓のことも何も言わずそのまま、永平寺に東景寺大和尚として納骨されていた。戒名は「東景七世 大透自孝尼大和尚」という立派な戒名である。
叔母はいつも何も言わない方であったが、意図があって親戚に連絡をしなかったのかもしれない。自分の代で家が途絶えることで、お墓の件で、菩提寺の住職にしかるべき対応をお願いしていたようだ。
しかしその住職も昨年(2014年)、アル中・認知症で施設に入院してしまった。それで安寿様がどういうお願いをされたか不明である。安寿様もこれには想定外であったろう。その住職は私と同じ歳である。人ごとではないが、前住職の認知症はなるべくして発病した業である。天網怪怪疎にして漏らさず。それも20年のタイマー付きである。
回向のお経をあげる
2015年4月27日、私は大本山の永平寺に出かけて、回向のお経を上げていただいた。親族控え室で小一時間ほど待ち、本堂に入った。その日は3家の納経の儀があり、8名の僧侶により読経を上げていただき焼香と拝礼をした。
叔母は曹洞宗のお寺の住職であったので、永平寺の住職専用のお墓に納骨されていた。
永平寺 2015年4月27日
旅立ち
自分も何時かは旅立たねばならない。その時、後の人に自分の意思が正確に伝えられるかは分からない。死人に口なしで意思が捏造されることもある。明日、不慮の事故や脳梗塞、心筋梗塞で倒れるかもしれない。この3つの死因の比率は約30%である。死後の準備の間もないまま、来世に旅立つ人が数多いのが現実である。今回の事象でそれの現実を教えてもらった。
これらの事件が家系図の作成、遺言状の作成をする決断のご縁となった。
つい最近も、ご近所(5軒先の家)で、孤独死され、死後10日ほど後に腐敗した状態で発見された事件が起きた。まだ60歳前の独居者であった。突然死はひと事ではないのだ(2022年10月30日追記)。
啓示からの決意
今回の件はご先祖からの啓示である思った。私が叔母の先祖代々のお墓をお守りし、この機会に50年余を経過した小田家の墓を再建し、祖母方の先祖代々のお墓を統合・合祀する決断をした。同時に彦根藩に関係した北尾道仙の墓を再建する。
50年余を経過すると、墓石の品質が明かになる。質の良い石は50年くらいでは劣化しないが、品質の悪い石は10年程でも劣化が目立つようになる。墓石のほころびが、魂を込めた仕事の大切さを教えてくれた。松居石材商店(文政12(1828)年創業)の松居保行店主が、本件で墓参りに行った時、たまたま仕事で墓地に来ていて、現物の墓石でその石の質の差を説明してくれた。
師天王の教え
今の自分の仕事の品質(徳)が10年、100年、1,000年後に明らかにされる。それが明徳の現れである。今の仕事にどれだけの徳を込めるかである。松本明慶先生が高野山中門の四天王を納佛された。松本明慶先生が今後の1,000年間の高野山中門の守り佛に思いを込めて造立した志が伝わってきた。この明徳の教えこそが師天王の教えである。
自分は明徳として、死んだ後、何を後世に残すのか、それが問われる。凡才の私は日々、その問いに苦闘している。
松本明慶大仏師作 増長天 高野山中門 2015年4月25日撮影
松本明慶大仏師作 広目天 高野山中門 2015年4月25日撮影
2022-10-30 久志能幾研究所通信 2528 小田泰仙
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