b-佛像彫刻・大佛師松本明慶 Feed

2019年11月17日 (日)

ムダという佛様(阿無陀佛)

 人生で一見ムダと思われる修行が、自分を佛に成長させてくれる。人生に無駄はない。無理・無駄・無用のものに成長の糧がある。その糧を消化する道が佛道である。佛道をならうというは、己をならうなり(道元禅師『正法眼蔵』)

  注)「阿無陀佛」の「阿」は親しみを込めて呼ぶ時にその名につける接頭語

 

無理の道

 無理をして佛様に頭を叩かれるから、理にあわないことをしてはダメと気がつく。無理をしない限り出会えない佛様である。無理をせず無為に人生を過ごすと、どの佛様にも出会えない。最期に、地獄道に立つ認知症と言う鬼に取り付かれる。

 無理をして、その時は無理が通っても、10年後に佛様がその咎に利子を付けて請求書を突きつける。それが病気であり不運であり事故である。無理をせず、正道を道理に従い精進してこそ人の道である。急がば回れである。

 

食の無駄の効用

 食生活においても、無駄のない高カロリーの練り物にした宇宙食やビタミン剤だけを食べていれば、偏った体に成長する。低栄養の野菜やノーカロリーのこんにゃく等の繊維質を含む食物を摂取しないと排便が滞り便秘となる。これが長年続くと大腸がんになる。

 精製して雑物が混じっていない砂糖や白米等を食べれば、病気やガンになりやすい。それには穀物にとって必要なもので、人間にとって無駄と思うものが排除されている。生命体に無駄なものはない。その無駄と思われる成分が、人間の健康には不可欠なのだ。

 無駄と思われる果物の皮の部分に抗菌作用、抗がん作用の要素が含まれる。それを剥いて捨て、果実の部分だけを食べるから、病気になる。

 

エリートという選別品

 仕事の世界でもエリートのように、下積みを経験せず、選別された仕事だけを与えられて、超特急の出世コースに乗った人は、偏った労働感が身につき、後年にその咎を受ける。仕事の基本を学べない為である。そんな姫がナッツリーターン事件(韓国、2014年)のような不祥事を起こす。エリート教育を受け苦労をしないで成人した輩が、うつ病になり、新興宗教に嵌り、地下鉄サリン事件を起こす。

 世の中の掟を知らずに過ごした元エリートが、老人ホームで「私の上席はどこですか」と妄言を吐く。それが原因で時には刃傷沙汰となる。

 

「エリートおぼちゃま」から被害を受けた

 私の前職の職場でも、T大学、H大学の大学院を出たばかりの若造が「エリート」と呼ばれて、ちやほやされた。そのため上司である私(当時は主任)は冷や飯を食わされた。学歴重視の役員が、その二人の若造をちやほやし、会社の金で、大学に出向させ、博士号までとらせた。しかし、その数年後、その一人は、処遇が気に入らないと、退社して大学に戻ってしまった。もう一人は、目をかけた役員が力を無くすと冷遇され、そのあげく鬱病になってしまった。その10年後、学閥重視の役員が跋扈していた会社は、同業他社に吸収合併されて、市場から名前が消えた。

 

小川敏の場合

 小川敏は、下済みのサラリーマン生活に堪えられず(推定)、僅か6年で伊藤忠商事を退社して、大垣で家業を継いだ。何を悲しくて、東大を出て超一流企業の伊藤忠に入社したのに、それを僅か6年で退社して、超零細企業の家業を継がねばならなかったのか。今でもその家業の経営は別の人がやっているので、伊藤忠商事を辞める必要がなかったはずだ。当時、超零細企業の家業は、今も超零細である。小川敏はなぜ、家業を発展させられなかったのか。小川敏は、地方都市では東大出というブランドが希少価値なので、担がれて大垣市長になった。

 それで市長になっても、やることなすこと、大垣市民の意識と経済の正道とは乖離した政策を摂った。その18年後の結果が、大垣の没落である。小川敏は、学校のペーパーテストだけの知識偏重の社会では、優秀だが、実社会では無能なのだ。それを市長になるから、大垣が没落した。政治家は結果が総てである。

 この失われた20年間といわれた平成時代、欧米諸国や近隣諸国が発達している中、日本だけが、経済停滞であるのと同じ現象である。今までの知識偏重・学歴偏重のリーダがのさばっているのが、その背景である。小川敏が本物の優秀で智慧ある人間なら、大垣を発展させていたはずだ。家業を発展させたはずだ。衰退した大垣の目の前の現実が総てである。

 

泣いている大垣市民

 大垣の没落で、多くの大垣の商店主が泣いて店を畳んだ。大垣経済が衰退して、多くの人が泣いている。両親が汗水垂らして手に入れた不動産の価値が暴落した。子供のための思い、汗水たらした親が草葉の陰で泣いている。子供たちは、県下最低のエアコン設備率(2.1%)で泣いている。児童生徒は一人当たりの予算費用で、県下最低レベルの環境に置かれて泣いている。こんな環境では、将来の出世競争に負けて、将来は大泣きするのだ。大垣の子供は、小川敏のせいで格差社会の底辺に追いやられて泣くのだ。子供にかける教育費と、将来の年収は比例する。それでいて、大垣市役所職員の給与は県下一の高さなのだ。市職員は市民の貧乏を笑っている。

 

四天王の教え

 人生曼荼羅入り口の中門に立つ四天王は「もっと広い視野、高い見地でものを見よ、もっと法を聞け、黙って国・地域を支えよ。もっと智慧を出せ」と諭している。衆生の愚かさは1200年前から変わっていない。

039a1175s

  松本明慶先生作 広目天 高野山中門

  2015年10月8日 撮影

 

2019-11-16 久志能幾研究所通信 No.1400  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年11月 8日 (金)

終活 御本尊の佛事異動

 2019年11月6日、大切に保管していた前の御本尊の仏像を、松本工房に預けた。来年2月にお炊き上げして頂く。2015年、仏壇に納めていた仏像の御本尊様を、今の明慶先生作の御本尊の仏像に変えた時、そのままお炊きあげもどうか思ったが、2015年まで当家を20年間守っていただいた仏様なので、押し入れの奥にしまっておいた。

 今回、私が大病を患い、今後のことを考え、前の御本尊様をお炊き上げにしていただくことにした。何時までも、そのままというわけにもいかない。生あるもの何時かは滅する。それがこの世の掟である。私の死後、御本尊様が不敬に取り扱われるのも本意ではない。これは、その前にやるべき終活の一つである。明慶先生作の御本尊は菩提寺に納佛するように遺言書を作成した。

 

新旧比較

 今回、松本工房に預けるため、しまってあった前の御本尊と明慶先生作の新しい仏像(釈迦如来像)を再度比較する機会を得た。前の仏像は、母が亡くなり、父が仏壇を買ったときに同時に購入した。父はかなりお金を出したと言うが、今回、2つの比較をすると、明慶先生作の仏像と格段の差があることを(当たり前を)再確認した。値段が1桁違うはずなので、やはり安いモノにはワケがある。高いモノにもワケがある。

 仏壇に納める御本尊の仏像は、通常は2mくらいの距離から、また暗い仏壇の中に鎮座する御本尊様だから、その詳細をじっくりとは眺めていないものだ。今回、写真に撮りじっくりと眺めてその詳細が判明した。

 

旧の仏像は

 お顔に締まりがない。

 目の彩色も緻密さがない。

 材質は不明である。金の塗装であるので生地の部分が分からない。

 本体の下にホゾがなく、台座に接着されている。

 光背の作りが貧弱

 台座の模様細工も貧弱

 光背の取り付けも簡単なはめ込み構造。

 華盤の化粧なし。

 台座の彫刻が荒い。黒塗装で胡麻化している。

 

明慶先生の仏像は

 お顔も威厳がある。

 岩田明彩師による目入れは、前とは比較できないくらい緻密。 

 材質は白檀製で塗装なし。

 本体の下にはホゾで固定されている。 

 光背の細工が緻密。透かし彫りである。

 光背は台座に凹部を彫り、そこに差し込まれる構造。

 光背も白檀製。だから緻密な細工が出来る。

 華盤の化粧つき

 台座の彫刻が緻密。台座も白檀製である。

4k8a02641s

 松本明慶大仏師作 釈迦如来像 白檀 2015年

 御精魂の入魂儀式前のお姿

 

内なる御本尊

 自分の中には御本尊様なる主人公が存在する。その主人公が我儘な己と相談しながら、表の行動を支配している。その主人公とは、別名で潜在意識といい、人の行動の9割を支配している。人の行動に現れるのは、氷山の一角なのだ。そのご本尊様の品格が、己の行動に出る。そのもう一人の御本尊様の人格を上げないと、人格が高まらない。内なる御本尊の「人格」を磨くのは人である。最高の人格は最高の人格でしか磨けない。低い人格の人で磨かれた人は、それ相応の低いレベルである。だからこそ己を磨いてくれる師は、選ばなければならない。

 その師が身近にいなければ、他山の石から学べばよい。人は人から学ぶ。「俺には関係ない」と縁を取りに行かないから、人格が磨かれない。興味があれば、東京でも九州でも、ローマでもウィーンにでも飛ぶべきだ。私はそうしている。己は内なる御本尊様を左遷という人事異動(佛事異動)させていないか、反省したい。

Img_63961s

 馬場恵峰書

 

追記

 昨日、2019年11月7日は、東京で正倉院展を見学、その後、プレジデント社の経営塾に参加した。その後、懇親会もあり、病み上がりの身にはハードスケジュールで、結果として体調も崩し深夜に帰宅したので、ブログをお休みしました。恐縮です。

2019-11-07 久志能幾研究所通信 No.1392  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月 1日 (火)

「力神」は吾なり、魂なり

 松本明慶大仏師は慶派の伝承者として、「人の心には、佛も住めば鬼も住む」という口伝を踏まえて仏像を作っている。日本では、鬼は身近な存在として共に暮らしを支えていた。家の鬼瓦を守り神として掲げるように、毛嫌いされる存在ではない。鬼嫁とか鬼婆との表現で負の表現もあるが、仕事の鬼、道を守る鬼とか、正の表現もある。鬼は身近な存在である。その鬼が云うと書いて「魂」である。己を見つめ叱ってくれる存在を明慶先生は「魂(オニ)」として仏像彫刻で表現した。下記の「魂(オニ)」は長く私の机の上から、私の勉強ぶりを監視してもらった。厳しい表情で睨んでもらった。大事な私の仏様である。

Dsc03472s_2

 「魂(オニ)」 松本明慶大仏師作 

 

自分を支える存在

 自分を見えないところで支えているもう一人の存在こそ主人公である。自分は、顕在化された意識と潜在意識に支配されたもう一人の己が、行動を支配している。頭では考えていても、実際に行動に現れるのは潜在意識での行動が大部分である。何故あんなことをしたのかと後悔する時も、主人公の潜在意識がそれをさせている。その主人公が「魂(オニ)」である。

 そういう生活を過ごすのは、何十年と頭と体に沁み込んだ潜在意識の問題である。ご先祖や親から、何千回も教えられた習慣や考え方が潜在意識である。その意識の1割が顕在化して行動に表われるが、その9割の大部分は潜在意識として表には表れない。まるで海に浮かぶ氷山の一角のような存在である。

Photo

 

鬼の役目

 自分の体とはご本尊である。鬼にはその行動の監視役の役目と、自分の体を守ってくれる2つの役目がある。自分の体を黙って支えて守ってくれる存在が力神である。それが体の免疫力であり、潜在意識で育てられた強靭な精神である。それがなければ、外部のばい菌で人間はすぐに死んでしまうし、精神がヤワでは社会の荒波にもまれて沈没してまう。

 鬼(力神)は何があっても自分を守ってくれるが、己が体を酷使する悪い生活をしてそれが限界を超えた時、病気の発病となる。誰のせいでもない。己の生活習慣の悪さが病気の原因である。精神がそれに負ければ鬱病になってしまう。運が悪いわけではない。人が悪いわけではない。己を守る仏様の「限界だよ」とのメッセージが病気なのだ。鬼が云うと書いて「魂」である。病気は己の魂が助けを求める叫びである。

 

佛の力

 自分が世を儚んで首を吊る時も、最後の最期まで、生きてくれよと血液を全身に送り、肺を動かしている働きが佛である。体を支える37兆個の細胞の働きを佛の力と言わずして、なんという。それも鬼の役目である。

 

佛の具現化

 仏師の松本明慶先生は「俺は夢の中でも仕事をしている。そこで浮かんだアイデアを起きてから、彫って形にする」と、先日、静岡伊勢丹の松本明慶仏像彫刻展の会場で私に言われた。そのアイデアを形にしたのが「力神」である。

 本来は、佛である力神は、岩の中に埋没して見えない。その岩を取り除くと、下図のように力神が己と言う御本尊(下図はお不動さん)を支えている。

P10701911s

 「力神」松本明慶大仏師作

 「力神」と持ち上げている岩は一木彫り。上の不動明王は白檀製。

 写真は松本工房の許可を得て掲載しています。

024k8a10811s

 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

 

2019-10-01   久志能幾研究所通信No.1354  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年9月29日 (日)

敬老会、後何回、出席できるやら?

 2019年9月28日、地区の敬老会があり、お手伝いで参加した。対象は77歳以上の高齢者である。約1000人の対象者中で約140人が参加した。参加最高齢者は90歳である。

 第一部の式典は、厳かに進められた。今年は、前年に私がブログで指摘した不都合事項もかなり改善された。やはり問題点は提示すべきである。言わなければ、改善されない。その後の式次第で第二部の合唱、演芸に進めれた。

 合唱の部では、小学校児童と中学校の生徒の合唱で、児童生徒の真摯なお祝いの歌に高齢者たちは喜んで耳を傾けて聴いていた。

 問題点は、第二部の演芸の演歌ショーであった。ここで出席者の約3割の人が席を立って帰ってしまった事実である。もともと1割ちょっとの人しか参加しない敬老会である。何か問題があるのではないか。

Dsc06812s   小学校2年生児童の熱唱 

Dsc06844s

 演歌ショー

 

敬老会での演歌ショー

 今時、誰が演歌ショーを見て喜ぶのかである。このレベルの演芸はテレビ上で氾濫している。今の時代、敬老会として演歌ショーでお茶を濁すのは10年前の発想である。主催者側の安易な考えが現われている。

 演歌ショーでは、敬老会参加者のごく一部の人間しか喜ばない。これは趣味の世界である。趣味は千差万別でごく一部の人だけに当てはまる。対象者の1割しか関心のない出し物では、敬老の意味がない。

 

人生あと3回の敬老会

 敬老会参加者の平均年齢は81歳である(77歳~90歳の参加者で計算)。参加者を見ていると、杖をつき、車いすで参加して、かなり体が不自由な老人が大半である。日本人の平均寿命が83.98歳(2016年)だから、あと3回しか敬老会に参加できない。限られた人生の残り時間で、好きでもない演歌ショーに付き合わされ、残り時間が奪われるのは残酷である。だから良識ある人は、敬老会に参加しないし、演歌ショーの時間になると席を立つ。

 私の知人に聞いても、そんな敬老会なら参加しないという仲間が全員であった。数年後、私も敬老会の対象者になるが、この敬老会内容なら、絶対に参加しない。

 

時間という残酷さ

 主催者側は、時間など永遠にあると思っているようだが、高齢者には、時間は待ってくれない。時間は残酷に過ぎて行き、死は明日かもしれない。そんな状況で、敬老会で1年ぶりに仲間と再会できたのは、限りない喜びであり、手を取って話し合いたい気持ちであろう。それが椅子に拘束されて、黙って歌を聴くだけでは辛かろう。それはテレビで見れば済む話である。

 

残された時間

 私は今年、癌が発見されて、手術をした。自覚症状がなく発見が遅くなり、ステージ3であった。手術後、医師からは余命2年を宣告された。だから残された命の時間の重要性を痛いほど感じる。

 今回の敬老会参加者の平均余命3年とあまり変わらない。高齢の敬老者は、いつも人生の残り時間を考えているはずだ。だから演歌ショーになり、参加者の3割が席を立つのも故ある事。主催者側が、それに無頓着である。

 

時間の浪費   p 35

 その原因はどこにあるのか? 君たちはあたかも自分は永久に生きられるかのように今を生きていて、自分のいのちの脆さに思い致すことは決してない。いかに多くの時間がすでに過ぎ去ったかを意識しない。時間なぞ無尽蔵にあるもののように君たちは時間を浪費している。そうやって君たちがどこの誰かに、あるいは何らかの事に 与えているその日が、実は君たちの最後の日であるかもしれないのに。死すべき者のように君たちは全てを怖れ、不死の者であるかのようにすべてを得ようとしているのだ。

  「人生の短さについて」3-4

 中野孝次著『ローマの哲人 セネカの言葉』 岩波書店 2003 年

 

仕事の価値

 仏師の松本明慶先生は「俺は夢の中でも仕事をしている。そこで浮かんだアイデアを起きてから、彫って形にする」と、先日、静岡伊勢丹の松本明慶仏像彫刻展の会場で私に言われた。敬老会主催者は、敬老会の企画を仕事としてこなしたのだろうか。利権に縛られて演歌ショーをずるずると続けているのではないだろうか。

 仕事とは、「事」に「仕える」と書く。寝ても覚めても仕事を考えていると、素晴らしいアイデアが生まれてくるようだ。いい加減に「事」に仕えるから、アイデアが生まれない。それでは、やっつけ仕事では、感動は生まれない。却って高齢者の迷惑になっているのではないか。高齢者の大事な残り時間を強奪していなのか。

 

仕事とは

 仕事とは付加価値を生む営みである。敬老会の余興の演歌ショーが、殆どの高齢者に拒否されている現状では、主催者だけの自己満足の「作業」になっている。仕事は相手に喜んでもらって、なんぼである。私は、後世の人が価値を認めてくれるような「仕事」を目指している。仕事は己の自己満足の為ではないのだ。

 

改善案

 高齢者は、仲間と残った人生時間を語りあう場を提供すべきと思う。式次第が終わったら、お弁当を皆で食べて団らんをする場を提供する。昔の人生の戦友と語り合う場を提供するのが良いと思う。主催者側には、手間はかかるが、費用は発生しない。その昔は、敬老会で、そういう設営がされていたと聞く。それが面倒なので、主催者側の都合で止めになってしまったようだ。

 だから現状は、敬老会対象者の1割強しか、参加しないのだ。改善が望まれる。

 

2019-09-29   久志能幾研究所通信No.1352  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月28日 (土)

夢の中でも仕事をする

 静岡市の伊勢丹で開催されている松本明慶仏像彫刻展(2019年9月25日~30日)で、松本明慶作の新製品(?)の「力神」を鑑賞した。

 「魂(オニ)」の変形である「力神」は、ユーモラスな顔つきで、今までの「魂」とは違う新しいスタイルの作品であった。松本明慶先生から、この新しいアイデアの仏像(力神)の説明をして頂いて、思わず明慶先生に質問をしてしまった。「どこからそんなアイデアが出てくるのですか?」

 明慶先生曰く「俺は夢の中でも仕事をしている。そこで浮かんだアイデアを起きてから、彫って形にする」と言われて感銘を受けた。

 そういう環境から生まれた「魂(おに)」も、この数年間で10体近く作ってきて、今回の「力神」のアイデアが生まれたという。

 仕事とは、「事」に「仕える」と書く。寝ても覚めても仕事を考えていると、素晴らしいアイデアが生まれてくるようだ。いい加減に「事」に仕えるから、アイデアが生まれない。芸術の創造者は、24時間365日、仕事の事しか考えない。芸術家はサラリーマンではないのだ。仕事師もサラリーマンではないのだ。労働基準監督署ことは知ったことではないのだ。

 

走る青鬼

 その昔、華明(先生の奥様)さんが、雑誌のインタビューで、明慶先生のことを尋ねられて「明慶さんは寝ていても、うわごとで、仕事のことを口走っている。明慶さんは「寝ていても走り回る青鬼」のような人です」と答えたとか。明慶さんが笑いながら、その説明をしてくれた。

 

仕事とは

 作業や労働は生活の糧の為にやること。仕事は命をかけてやることである。作業や労働は、やり過ぎると疲れてしまうが、仕事はやればやるほど面白くなる。給与など考えては、やってられない。そうでなければ、それは仕事ではない。

 仕事では、お金は後から追いかけてくるのだ。作業や労働は、金を追いかけ、お金に釣られてさせられるのだ。その違いを認識して、仕事に取り組むべきだ。

 仕事をしながら寝ているのは言語道断? 反省

P10701911s

 「力神」松本明慶大仏師作

 「力神」と持ち上げている岩は一木彫り。上の不動明王は白檀製。

 写真は松本工房の許可を得て掲載しています。

 

2019-09-28   久志能幾研究所通信No.1351  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月11日 (水)

人間性分析 1/2  総論

 人間性とは、人生と組織の運命を左右する。その理論をもとに、田中角栄、菅直人、大村智博士、小川敏現大垣市長を実例で検証する。

 

自分とは何か(組織論)

 「我」とは稲(禾)を刃先がぎざぎざしたほこ(戈)で刈って、自分のものにしている様を表わす。「私」とは稲(禾)を腕(ム)で自分のものとして抱える姿を表している。「自分」とは、何者かによって生かされている全体の中で、「自ら」の「分」である。己は世の中の一部として考える姿である。その反対が「利己」である。己のことだけしか考えないから、囚われの闇の世界に落ちていく。自分の一族の中での位置づけを考えよう。

Photo

自分とは何か(人間として)

 人間を人間たらしめる要素として、本質的要素付属的要素がある。本質的要素とは、徳性である。徳性とは、明るさ、清さ、人を愛す、人に尽くす、恩に報いる、誠実、正直、勤勉である。付属的要素とは、徳性の発露を助ける要素で、知識、知能、技能である。(安岡正篤著『人物を修める』より)

 人は知識でその人間の偉さを選別してきたのが、今までの偏差値教育である。それで人に順位付けをして、組織の構成をしてきた。人間の属性的要素(知識、学歴)だけを尊重した人間評価で組織を動かすから、往々に組織が壊死してしまう。その悪例が、東電、三菱自動車、日産、タカタ、三菱重工、大垣市の行政である。

 人は不完全な存在であるからといって、完全なる神を目指してはなるまい。それでは人でない存在を目指すこと、人でなし、になってしまう。あくまでも人間として欠点もありながら、それを人間味として、徳性を育成して角熟した人間に昇華した人生を目指したいと思う。本質的要素と付属的要素をバランスよく成長させる。その過程で自分の発見がある。

1

新人教育資料「修身」 2004年  小田

 

自分とは何か(神仏鬼神として)

 自分とは何かを追及すると、己の心には佛も住めば鬼も住む。神を住めば魔モノも住む。それを超越して自然と佛と一体になること、それが仏教である。それを目指すのが人間であることに行き着いたのが、弘法大師である。

 東洋の思想では、人は全て佛性を持つとされる。悪人でも閻魔大王の前で、地蔵菩薩が弁護人として救済してくれるとの思想が生まれ、地蔵菩薩信仰が生まれたという。それゆえ東洋の宗教には救いがある。悪があるから善が映える。人間である以上、一度も罪を犯さなかった人はいまい。それに目覚めさせてくれるのが懺悔する心であり、ご先祖に手を合わせる環境である。

 

Photo_2

 松本明慶先生作「童地蔵菩薩」

 

 

吾は権現様・佛様である

 「吾」とは、神のお告げと神具で使う器具の象形からなる文字で、「われ」を意味する。吾の「口」とは神のおつげの意味。音符の「五」は、棒を交差させて組み立てる器具の象形である。神のおつげを汚れから守るための器具のさまから、「ふせぐ」の意を表す。そのさまを借りて、「われ」の意味を表す。漢字を創った古代人は、人間には佛性があることを知っていた。

 修証義に曰く「佛祖の往昔は吾等なり、吾等が当来は佛祖ならん(釈尊および歴代の祖師のその昔は我々であった。我々の将来は祖師である)」。佛はどこにもいない。己の内に存在すると道元禅師は言う。己の内なる佛の声は聞こえるが、それに耳を塞ぎ、欲に負けて、やってはいけないことを犯し、食べすぎ、飲みすぎ、集めすぎ、貯めすぎの強欲に走る人間の弱さから来る業を、罪という。「足る知る」を理解しながら、それが自制出来ない弱さの鬼性と、神の御告げに耳を傾ける佛性の両方を持つのが人間である。

Photo_3

ご先祖

 自分の運命は、己に流れるご先祖の血が左右している。己の無意識の行為に、ご先祖様の姿がある。家系図でご先祖の後姿を見れば、己の血が分かる。善も悪もご先祖様の教えである。ご先祖はやってはいけないことの結末を、30年後に孫に見せている。その行動の全ては、すべて遺伝子に書き込まれる。それは「天網恢恢疎にして漏らさず」の結果となる。

 ご先祖様は家系図内で人生劇場を演じている。そこには平家物語もあれば方丈記、リア王の物語もある。東西の宗教の差や宗派の違いは、単なる派閥争いの類で、手を合わせ自省することは、宗派を超越した行為である。

 

人生の螺旋階段

 西洋では神が完全無欠の絶対的存在であるので、不完全な人間は悪でしかない。最期の審判で、人は天国と地獄に行き先を振り分けられる。敗者復活戦はありえない。その最期の審判を凝視する姿がロダン作「考える人」である。

 地獄の前で最期の審判を見なくても、家系図を見ればその人が分かる。自分の考え方を見れば、人生の結末が観える。両親の教育を見れば、人の行く末が観える。

Photo_4

 「考える人」 大垣市興文地区センター前

 

運命を決める遺伝子

 最近の凄惨な無差別殺人の多発がそれを象徴している。自分の考え方、親の教育次第を見れば、人生の螺旋階段を昇るのか、地獄へ下るかは、おおよそ見える。親が子供へ与えるメッセージが子供の遺伝子に影響を与える。自分のこどもの将来は、親が握っている。

 人は組織として疎外感に苛まれて、起こす事件である。「利己」ではなく、「自分」という考えを持てば、そんな凄惨な事件は起すまい。全て利己が起こす事件である。人間として知識だけで評価されて、社会の底辺の突き落とされて起こす事件である。人間として、ご先祖を敬う躾を受けなかった咎で起きる事件である。

 

2019-09-11   久志能幾研究所通信No.1335  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月 7日 (土)

未来計画-11 大垣シンクタンクを創設(1/2)

大垣改造論

 私は今、大垣改造論をぶち上げたい。この20年にわたるデフレ経済と東京一極集中化で日本各地がおかしくなった。大垣は小川敏市長の無為無策、無能な緊縮財政と頓珍漢な方面への投資で、大垣経済は、衰退スパイラルに突き落とされた。

 私は大垣改造論で、大垣を再生して、日本各地の地方都市が悩む問題を解決するモデルケースとしたい。そのためにシンクタンクの創設が必要だ。大垣を引っ張る頭、つまり経済の頭、政治の頭、教育の頭、文化の頭の智慧が必用だ。その頭が集まって智慧を出せば、大垣は再生する。多くの智慧を結集すれば文殊の智慧となる。

 先代の小倉満市長の時代は、ブレーンが優秀であった。小川敏市長の時代になり、自分より優秀なブレーンは全て追放してしまった。だから小川敏市長に意見を言える優秀なブレーンがいなくなってしまった。だから大垣市は没落した。

 市長に東大卒はいらない。知識は金で買える。知識は知識を持っている人を雇えばよいのだ。智慧は金で買えない。小倉前市長は、東大出ではないが、優秀なブレーンを活用して大垣を栄えさせた。

 知識だけあって智慧のない悪い頭では、大垣の再生など無理である。それには外部の血が必用だ。自惚れの頭では、井の中の蛙大海を知らず、となりがちだ。今までのような内部だけの人の計画では、「大垣市中心街地活性化計画」のように大失敗するだけである。

Dsc06572s

 文殊菩薩 松本明慶大仏師作 2019年

 

現状のやり方は衰退の道

 小川敏市長が大垣の行政を18年間やってきて、大垣が衰退したのだから、現状のやり方に問題がある。このままで、いくら頑張っても無理である。それは間違った考えに凝り固まった悪路である。

 大垣を良くしようとするなら、まず良くしたいと思わないと何ごとも進展しない。棒ほど願って、針ほど叶うである。千里の道も一歩から。まず正しい一歩を踏み出そう。間違った道にいくら進んでも、目的地には到達しない。

 自分の人生も間違ったままの道では先は知れたもの。今からでも遅くない。新たしい視線で、新しい道を探りたい。

Dsc00234s

  「道」 馬場恵峰書

 

2019-09-07   久志能幾研究所通信No.1331  小田泰仙

新しい大垣を育てる階  連絡先 080-3102-1284(SNSで連絡ください)

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月 3日 (火)

志天王とは ― 魂の叫び

 佛の世界にも仏界の中枢の四方を護る四天王がおわします。四天王とは、持国天、増長天、広目天、多聞天である。その仏の世界を凝縮した自分と言うご本尊を護る佛が守り佛である。

039a0676s   高野山 中門 ‎2015‎年‎4‎月‎25‎日撮影

039a0694s  高野山の中門を護る広目天  松本明慶大仏師作

039a0695s   高野山の中門を護る持国天  松本明慶大仏師作

私の守り佛

 私の人生の四方を文殊菩薩、普賢菩薩、観音菩薩、虚空蔵菩薩が守っている。そのうち、虚空蔵菩薩が私の守り佛である。

 この仏像は、松本明慶先生が高野山の四天王像の納佛が終わってから、製作をしていただいた。私の家の宝である。

039a01112s

4k8a04251s  虚空蔵菩薩座像  松本明慶大仏師作

 

生ある万物は欲を持つ

 「欲」とは、生あるものが「谷」に蹴落とされても「欠」けないものである。最大なる欲が生存欲である。宇宙にも沸様にも欲がある。宇宙にも理にそった順法という欲がある。人間の理念が作り出した佛様にも、人を救いたいという欲がある。欲のなくなったとき、それは無機質なものに変わり、死を迎える。

 人として欲がある以上は、できるだけ大きな欲を持ちたいものだ。金儲け、性欲、食欲、権力欲、名誉欲などの小さな欲ではなく、人類に貢献するような大きな欲を持ちたいもの。その大きな欲こそが「志」である。志なき人は、単に生存欲のみの畜生の存在でしかない。

 

大きな欲

 「欲箭清浄句」と般若理趣経にある「宇宙を生かし、宇宙を生み出してきたほどの大きな欲を持って生きよ」と説かれる。薄汚れた小さな欲ではなく、世の中を良くしていこう、充実して生きようという大欲を持てという。そうすれば自ずと清浄になっていくはずだと。

 

経済とは

 「経済」はもともと仏教用語であり、「経世済民」のことである。「経」とは全ての人が助かる真理を束ねた紐のことである。「済」とは「救う」ことである。つまり「経済」とは世の中の人を救うために沸が行う活動である。要は「みんなが仲良くご飯を食べられる仕組み」の意味である。経済観念の無き企業経営は戯れである。理念なき金儲け活動は、畜生の餌漁りである。

 

経済無視の小川敏市政

 小川敏市政のように己の名誉欲だけで、18年間の無為無策で、大垣経済を衰退させ、大垣の地価を半分に暴落させ、大垣駅前商店街を消滅寸前にさせ、百貨店ヤナゲンをこの8月31日に閉店に追い込み、大垣の商業人口の8,800人の職を奪ったのは、「経世済民」に反しており、大垣市長として落第である。

 

志天王

 志天王とは、人が誰でも持っている沸性である。それの存在に気がつけば生き方が変わる。佛はどこにもいない、己の内におわします。自分の「魂(オニ)」が志天王である。「鬼」が「云う」と書いて魂である。自分の魂の叫びに耳を傾けよう。お陀仏教は、志天王が事業広報部長である。

Dsc04552s

 「魂(オニ)」 松本明慶大仏師作

 

志天王シリーズ

 自分が、その志天王になった気で、我が半生記を綴ったエッセイを、本ブログのカテゴリー「志天王」シリーズに掲載している。ご参照ください。

 l1_吾が人生の師天王

 l2_志天王が観る世界

 l3_書天王が描く世界

 l4_詞天王が詠う老計・死計

 

Dsc006701s

  我が家の仏壇に納めるため馬場恵峰先生に書いて頂いた般若心経

 

2019-09-03   久志能幾研究所通信No.1327  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年8月24日 (土)

「自己チェックリスト」という仏様(5/5)

---時間---

人生というものは、チェス・ゲームのようなもの。

  その対戦相手は時間である。

  もし貴方がためらっていたら、相手はどんどん先に進んでしまう。

  あなたの対戦相手は決して優柔不断でないのだ。

即断即決   決断が遅くないか、優柔不断でないか?

春風秋雨  

  前倒しの取り組み 

  → 今できること,できる状況になったことは即実行

  見切り発車する先見性を。競争社会ではスピードが最優先。

  今日では遅い。敵は昨日済ませている。

  今日でも遅いのに明日では・・・

  判断ミスと思ったら、直ぐ修正すれば良い。

   決断を出さなければ、修正も出来ない。

  決断した内容の70%程が当たっていれば、皆は付いてきてくれる。

  その決断は、スピードが必要か? 傲慢でないか? 待つか?

  我慢も一つの決断。

 

徐害省事*4

  一利を興すは一害を除くに如ず、一事を生むは一事を省くに如ず

  全部自分で背負込まなかったか?

  物事の絶対量には限界あり。部下に任せられないか?

  仕事時間中に、余分なこと、考えで惑わされなかったか?

  (上司に雑談へのスキを見せなかったか?)

死金、死時間を使わなかったか?

今日、新しい「時間を稼ぐアイデア」を出したか? 

莫妄想  

  考えても仕方のないことを考えかはしなかったか? 時間の無駄

  約束の時間と、時間のけじめを大切にしたか?

時間とは一分いくらで売れる貴重な商品。

  仕事、時間の見切り基準を持っているか?

  無駄時間を作っていないか?

  だらだらした居残りは、労働ではない。

自分の価値観を。起床時間の変動はなかったか?

相談事は解決策をもって、行ったか?

疑問点があればすぐ聞き返したか? あとで聞くのは時間の無駄。

部下の注意はその場でしたか?

  後からでは意味がない。見逃しが組織をだらけさせる

重要な仕事でなく、安易な仕事から手を着けていないか?

  問題を先送り、嫌なこと、抵抗ある状況から逃げなかったか?

  この状況が鍛練の元。

  飛び込みの仕事の重要度を冷静に判断できか?

  自分の今やっている仕事が最優先 

    部下の指導もする。この件が分からない人が多過ぎる。

  机の上の資料は即日決裁したか?

  一時に一事をやり通したか?  次の日に残さない

  午前中の貴重な時間を資料、本を読むような安易な事で使わなかったか?

文書は従来の2倍、人の2倍の時間かけてチェックする。

 (急ぎなら尚更チェックを)

  自分の書類は人より2倍間違いが多いと認識せよ。

人より早く歩いたか?

  追い抜かれたら抜き返す(時間節約、ダイエット,老化防止のため)

メモはこまめに。電話をかける時もメモしてから

整理整頓  乱雑は凶を呼ぶ

再発防止  同じミスを繰り返すほど時間の無駄はない。

P1060934s

  馬場恵峰書

 

2019-08-24   久志能幾研究所通信No.1314  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

「自己チェックリスト」という仏様(4/5)

---謙虚---

謙虚さと笑いがあったか?

 謙虚しすぎると萎縮する。人生に勢いは必要だが行き過ぎは傲慢だ。 

現場主義

  五感の経験が直感力を高める。

  1日に一度は現場に。意識して何を観るかを考える。

上司,部下の陰口・厭味・愚痴・ぼやきを言ってないか?

  厭味を言う人間は2流

負け戦は誰でも反省する。勝ち戦の時にこそ反省を。

 なにか至らなかったことがあるはず。

 1日に1通の反省書を。記録に残すこと。

自慢話をしたり、褒めることを暗に強制しなかったか?

  自慢が謙虚を駆逐する。

何故か? 何故か? 何故か? 本当にそうか?

 思い込みは無いか?  再確認を

公私の区別が下へのシメシとなっているか?

 鬼神に対してやましいことをするなかれ

誰かに批判されたか?

  批判されて初めてプロの仕事。褒められるのはヒヨコ。*2

読書したら同じ時間だけ考えたか?

  思考なき読書は「洗脳」と同じ。

自分の立場と自尊心を混同するな。

人生とは、障害と困難の克服なのだ。

自分の弱さを知るには、失敗は正確な物差しとなる。

失敗は自分の弱さを正す機会だ。

本気でやっていると誰かが助けてくれる。

 

---その他---

叱るべきときに,叱っているか?

  好き嫌いで人を区別していないか?

  感情を込めなくては叱れない

自分自身の体の管理が出来ているか?

  特に酒に対して自制心は(酒は頭に悪い)

発表

 準備が自信をつけ、練習が自信を大きくし、場数が自信を持たせる。

  継続が自信を作り上げる。

成果は仲間と分かちあえ。

 

注記)*1:米長邦雄著『人間における勝負の研究』参照  *3:添付資料10-4 参照

   *2:添付資料10-3 参照    *4:耶律楚材   *5:川上哲治

Img_32292s

   松本明慶大仏師作 聖観音菩薩

     観音様の眼で観る事

P1010406s_2    馬場恵峰書 

2019-08-24   久志能幾研究所通信No.1313  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。