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2023年11月21日 (火)

巡礼 福田公美 仏教美術の日本画 in Sagan

 

 西洋画の展覧会では、殉死、磔、煉獄、最後の審判等のキリスト教に関する絵画が多い。

 人は幼少の頃、家庭でどういう教育環境で育てられたかで、その人の性格が決まる。特に画家や芸術家の性格は、その影響度が大きいようだ。日本画家の祖父祖母の後姿を見て育った福田公美さんは、その影響が画風に出ているようだ。

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国別の子どもの教育方針は、

 中国人は、人に騙されるな。

 韓国人は、人に負けるな。

 欧米人は、権利を主張せよ。原罪を意識して愛に生きよ。

      神の前での最後の審判を考えよ。

 日本人は、人に迷惑をかけるな、お天道さまが見ている、である。

 その背景に神仏は一体、輪廻転生、一木総神仏という考えがある。

 

国別で人間は、行動規範を

 ユダヤ人は宗教に求める。

 ギリシャ人は哲学に求める。

 ローマ人は法律に求める。

 中国人は騙されないために、自分が法律主となり、人治に走った。

 日本人はお天道様に行動規範を求めた。それは自然との融合である。

 

福田公美さんの「転生」を見ていて、上記の事を思い出した。

 

宗教観と絵画

 日本では神仏一体の考えがあり、自然との融合の宗教観がある。自然の全てに神が宿り、動物や植物はヒトの生まれ変わり、という輪廻転生の仏教思想がしみ込んでいる。一木総神仏とか、自然界の生き物には全て神仏が宿る。

 だから狐の嫁入りやキツネに騙された話とかがあり、温かい物語として、親から子供へ昔話として聞かされる。また伏見稲荷のように、キツネ様への信仰等がある。

 古代の人々は、人間や動物などの生物だけではなく、植物、天体、無機物のものまで、すべてのものに霊魂が宿っていると考えていた。

 このような自然信仰(アミニズム)があり、人々は自然を神様として崇敬し、その崇敬の心から祭る(祀る)ようになっていった。日本は仏教が伝来する前から、自然信仰があり、農作物を荒らす小動物を退治するキツネを大事にする信仰が仏教と融合して育ってきた。

 そういうことを大事にする家庭に育つと、輪廻転生のような思想で自然界の風景を描くことが自然となる。

 西洋の絵が、多くはキリスト教の原罪、最後の審判に影響を受けた絵が多いのは、その思想の背景があるからだ。

 2023年11月、愛知県美術館で開催された「第86回 新制作展」で出展された絵画でも、そういう原罪、最後の審判をイメージする絵画が多くあり、日本画の花鳥風月、仏教画風の画調とハッキリと隔てられている。

     

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     第86回 新制作展    「罪をさし出す」木滑美恵 画

  賞をもらうだけあって、描写力は素晴らしい。

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  第86回 新制作展    「colourⅠ」「colourⅡ」 藤川妃都美 画

   日本画として、自然との一体感が良く描かれている。

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 仏教の輪廻転生では、時間の経過で世界は回っている。仏教は因縁と時間の経過を啓示した哲学の宗教である。それが西洋の宗教とは違った位置付けである。キリスト教はキリストの愛の物語である。後世に神学の哲学が結びつけられた宗教である。(石原慎太郎氏の分析)

 日本の仏教は古代のアニミズムと融合して、輪廻転生、お天道様崇拝、神仏一体、自然界に神仏は宿る、を受け継いでいる。

 

転生

 福田広美さんの描いた「転生」には、その思想が色濃く出ている。これは仏教美術である。

 二匹のキツネの一匹は口を開き、もう一匹は口を閉ざす。陰陽の世界である。東大寺の仁王様像も阿形は口を開き、吽形は口を閉じる。高野山中門の持国天は口を開き、広目天は口を閉じている。陰陽の現れである。

 二匹のキツネは円を描くように金色の世界を回って走っている姿が描かれている。輪廻を象徴した形である。

  2匹のキツネはSの字のようにも見える。私は卍の形を連想した。

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 福田公美画 「転生」

  第3回ぎふ美術展(2021年)  奨励賞

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福田公美画 「転生」 部分

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福田公美画 「転生」 部分

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 持国天 松本明慶大仏師作 高野山中門 著者撮影

 口を開いた持国天。胸のトンボは、決して後ろ向きには飛ばないという決意を表している。

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 広目天 松本明慶大仏師作 高野山中門 著者撮影

 口を閉じた広目天。胸のセミは、その鳴き声(仏法の教え)が、お寺の鐘の音のように、遠くまでが届くようにとの願いである。



エピソード

 私はこの絵が気に入って、売って欲しい言ったが、非売品ですと福田公美さんに断られた。それで良かったと思う(笑)? 「売ります」と言われたら大炎上である。今のままでは、こんな大きな絵を飾る場所が無い。もし入手できれば、5千万円の家を新たに買わないといけない。お金を作るため、銀行強盗でもしなくてはならない? それではお縄頂戴である。絵と家と人格はセットである。絵も適材適所、分相応なのだ。ウサギ小屋に50号の大きな絵は似合わない。それが名画の悩みである?

  欲しい絵が手に入らないのは、自分の人格、財力が足りないよ、との仏様の啓示であろう。絵が持てることは、宇宙根源の理のバランスである。それは陰陽のせかいである。絵の価値に見合った人格を作れとの神仏からの啓示である。

 

盲亀流木のご縁

 人が生まれる確率は、一億円の宝くじが連続で100万回当たると同じである(村上和雄筑波大学名誉教授)。福田公美さんの「転生」は第3回ぎふ絵画展で奨励賞を獲得している。それを考えると、福田公美さんの「転生」に出会えたのは、盲亀流木のご縁と同じである。そういうご縁に出会ったことに感謝である。

 

 

2023-11-08  久志能幾研究所通信 2775号  小田泰仙

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2023年11月20日 (月)

人生の譜面 振り返り

 

 私は大学時代には囲碁クラブに入っていた。そこで一局を打つと、対局後、その囲碁試合の振り返りとして、上段者が、いま対局した手を全て盤上で再現して、その一手、一手を講評してくれる。そうやって自分の碁の力は強くなった。

 新聞社等の公式試合では、その一手一手が譜面として記録される。

 

人生譜面の記録 

 私は、「人生は一局の囲碁と同じである」と思うようになった。以前に打った一手、碁盤に置いた石が後日、対局中の後半に大きな役割を示すことがある。人生でも同じである。何気ない出会いや行動した縁が、後年に大きな幸運になることがある。

 その自分が歩いた記録が、手元に資料として残っている。それを整理している。

 その人生囲碁の過去の打ち手の振り返り、そのご縁の始まりを検証することが重要だと思う。

 今後の自分の人生開拓力を強くするために、人間力、徳力を上げるため、死生観を磨くためにこそ、いままでの人生の差し手を振り返っている。

 

スクラップファイルの整理

 私は、今までの人生記事のスクラップファイルを見直している。各所に散らばった資料を一か所に集めて、84個のボックスファイルにまとめた。一時は整理して60個までに削減したが、再度見直して、まとめ直したら84個になった。それを日々見直している。そういう過去の資料を断捨離せず残しておいてよかったと思う。

 PDF化してパソコンで見る方法もあるが、パソコンの画面では、これだけの資料を見る気になれない。やはり紙の資料でないと見直せないし、当時のことが目に浮かばない。

 1974年の入院・手術の記録もある。40年前、思い余って書いた辞表もある。幸い、提出せずにお蔵入りした辞表である。左遷の記録もある。恋文もある。良き記録の山である。

 過去の資料を84個のボックスファイルに資料を入れて、日々、読み直している。1個のボックスファイルが約10kgなので、総重量が約840 kgである。人生の途中で気になった新聞・雑誌の切り抜き、講演会の資料、メール等が大部分である。多くは失敗の記録でもある。思い出は重いで~、である。私の大事なお宝である。

 

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 これで84個のボックスファイル。総重量は約840㎏。

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情報とは

 情報とは自分が気になって引っかかってきた情報が本当の情報である。そうでない情報は雑音である。その情報を見分ける能力が、人生を歩む力となっていると感じた。過去にどんな情報に反応したかで、自分の成長具合が分かる。人生囲碁、人生将棋の振り返りである。

 

過去の頑張り 

 今振り返ると、あの時に頑張りは、合理的でなかった。やっているふりの頑張りであったと反省もある。当時はまだ弱い人間で、保身での行動であった。しかしあの時の無理な頑張りと保身があったから、今の自分がいる。過去の資料を見直していると、そういう感情が沸いてくる。前に一歩出て、失敗しないと見えない世界がある。今振り返ると、頑張り過ぎたきらいがあるが、一歩前に出て良かったと、20年後に感じる人生経験である。

 今後の人生でも、過去の同じようなご縁がやってくる。ご縁も生老病死である。その新しいご縁と出会った時、過去のご縁との出会いの反省が生きてくる。だからこそ、人生の振り返りが必要だ。

 

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人生の結論

 70年間の人生を振り返り、私が得た結論は、「ご縁に良いも悪いもない」。それを運が悪かった言うのは、人間性が未熟である。出会った縁を良いものにするかの意思があるか、どうかだけである。縁は玉石混交である。縁は無機質でもある。それを血の通ったご縁に育てるのが人の徳力である。

 そのご縁は「盲亀流木」のめぐり合わせで、今生で只一度のご縁である。自分にだけ訪れたご縁である。人生で最後のご縁である。

 人生では、自分で選んだ未舗装の道を、舗装道路(正しい道)に変えればよい。人から不正解の道だと言われても、それを正解の道にすればよいだけ。だれにも、それが正しいかどうかは分からない。そのために過去の行動を振りかえり、失敗から知見を得て、PDCAを回す。人生の成功は、努力の量ではなく、選択が全てである。そのためには多くのご縁に出会い、その中から良いご縁を識別し、選択する。それが賢さである。いくらオウム真理教や旧統一教会のような道を選んで努力しても、絞首刑が待っているだけ。

 私は毎日、虚空蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩に手を合わせている。知識は必要だが、それだけで人生は渡れない。文殊の知恵が必要だ。その智慧を使って、多くのご縁からの選択が必要だ。人生道中で現れるご縁を普く賢く選択せよ、が私の信条である。

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松本明慶大仏師作 普賢菩薩像
 

 

2023-11-20  久志能幾研究所通信 2773号  小田泰仙

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2023年10月28日 (土)

巡礼 渡辺陽子人形展 目は語る  in Sagan

人は目で語り、魔女は鼻で根性を見せる

 

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 渡辺陽子さんの人形の眼は、遠くを見つめて、何かを訴えている。そこに何か惹かれるものがある。その一人の少女に魅せられて、我家にきてもらうことになった。ご縁である。魔女?の渡辺さんが生み出す少女の人形は魅力的だ。

 私が人物像の絵画や人形等を見る時は、必ずその目を見る。それがその作品の命だからだ。

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仏師が創る眼 

 仏師の彩色師が佛様の目を描くときは、彫られた目の頂点を探し、佛師が意図して彫った目の位置を探し出して目の位置決めをする。「どんぴしゃに目の位置が決まると、佛様がニコッとするのが分かる」と岩田明彩師はいう。それが目のスイートスポットである。目の位置が決まればあとは佛様と対話をしながら、佛様の表情にあう最適な目に仕上げていく。それが彩色師の仕事である。仏像の眼は、仏師と彩色師の共同の作品である。

 

目にもスイートスポットがある - 久志能幾研究所通信

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決めどころ

 テニスのラケットでボールを打つときも、ボールがテニスラケットのスウィートスポットに当たると、極めて気持ちがよい打撃感が手に伝わる。どんな仕事でも決め所がある。それがうまく決まると、仕事の醍醐味を味わえる。仕事が楽しくなる。仕事の魂と己の魂の邂逅である。そんな出逢いを得るには魂の修行が必要だ。真摯な仕事への取り組みがないと出逢えないご縁である。そんなときは、自分が仕事の鬼となっている。己が鬼にならなければ、仕事の新しい目は探せない。鬼とは己の魂の叫びである。

 

黒目のない眼

 私が高塚省吾画伯の裸婦画に魅了されるのは、その目の清々しさである。きりっとした目は、裸体を晒す羞恥心を微塵とも見せない。

 私が高塚省吾画伯に「清涼」を画いてもらった時、出来た絵に目が無かった。いつものきりっとした黒目が画いてなかった。それで高名な画伯に不躾なお願いで、目を修正してもらった。それで高塚省吾流の眼となり、納得した。

 しかし画廊の店主から、白目の意味を教えてもらった。黒目は外を、白目は自分の内面を見つめているころ表しているという。モジリアーニの描く長く引き伸ばされた顔の目は白目である。自分自身の内面を見つめている目である。そうなると別次元の絵に変貌する。

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    高塚省吾画「清涼」

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 私は、高塚省吾画伯の裸婦画のこういうキリッとした目に惹かれる。

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慈愛の眼

 ミケランジェロのピエタは、マリアをキリスト抱いている姿が真髄である。そのキリストを見つめる眼が慈愛の眼である。「ピエタ」は「慈愛」の意味である。

 不動明王が衆生を見る眼は、怒りと慈しみが籠っている。その眼で迷える衆生を救う。その眼を表現するのが彩色仏師である。

 観音菩薩の見る目も慈愛の目である。衆生の悲しみの声を観て、やさしく慈しみの目で見守る。

 

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 ミケランジェロ ピエタ(レプリカ) バチカン博物館にて

   2010年11月13日   著者撮影

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 大仏師松本明慶作 不動明王

 見る角度によって、怒りの目ともなり、慈愛の目ともなる。

 遠くから見ると、怒りの目と見える。近寄って見上げると慈しみの目となる。それを計算して創られた眼である。

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大仏師松本明慶作 聖観音菩薩像

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2023-10-27  久志能幾研究所通信 2765号  小田泰仙

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2023年10月15日 (日)

私の蓄財術、7つの財産

 

 お金は財産ではない。お金は銀行のコンピューター上に記録された数字の羅列でしかない。お金は人生劇場への入場料として必要である。そのためにお金を使わなければ、良い舞台に立てず、よい経験が得られず、良い人生を送れない。お金はチャンスを掴むための経費である。場末の安い劇場では、そこから得られる「利」は少ない。だから高くても良質な舞台を選ぼう。「利」とは仏様が与える恩恵である。

 現金だけ集めても、それを使わなければ、心の貧乏人である。お金は使ってなんぼである。必要な入場料を払わず、現金を掴んで離さなければ、良い舞台に立てない。真の財産は、新たな舞台に挑戦する勇気、それに躊躇しない逞しさと心の豊かさである。それを徳という。

 

1 人生経験という財産

 財産とは成功体験だけでなく、失敗経験もより大きな財産である。多くの失敗を犯し、流した涙と汗の分だけ、多くの智慧と徳が付き、結果として後年の成功を得られる。エリート呼ばれる上級国民が、人生後半でドジをやるのは、若い時に大事に保護されて、その失敗を経験していないからだ。自転車の訓練でも、最初に沢山転ぶと乗る技術が上手くなると同じだ。だから上級国民の末路は悲惨である。人生三大不幸の一つが、「若くして高台に登る」である。

 

 約40年まえ、私が前職で主任として働いていた職場に、エリート扱いを受けた若手2人が異動してきた。二人ともエリート意識丸出しの鼻持ちならないやつであった。そして古参の非エリートの私を追い抜き、超厚遇をされるようになった。二人は会社から大学院に派遣され、博士号まで取らせてもらい、海外出張さえ最優先であった。同じ職場で、私は貧乏くじを引かされた。その10年後、贔屓していた上司はいなくなり、任されたプロジェクトが中止となり、その一人は会社を後ろ足で泥を掛けるように退社し、もう一人は会社に残ったが、後年、閑職で定年を迎えた。それが自分はエリートと自認もし、周りからもそう呼ばれた若者の末路であった。天網恢恢疎にして漏らさず、を実感した。

 

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2 師の教え、思い出

 人生の道を歩くうえで、師の教えがお宝であることに思い至る。それは人生道を歩く上の地図であり、コンパスである。それが無ければ人生道で迷う。16年間、人生道を教えて頂いた馬場恵峰先生には感謝しかない。

 それで私は約1000万円の金を使ったが、相応の学習財産ができた。約1000万円は16年間での九州までの交通費、宿泊費、師の書画購入代等である。馬場恵峰先生は中国に240回以上も行き、その旅費で約8,000万円が消えたという(一回の旅行で約30万円余である)。恵峰先生は「それで手元に何も残っていないが、経験・信用・人脈と言う財産が残った」という。私は師の後ろ姿から多くを学んだ。

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3 健康力

 健康でなければ、美味しいものも食べられないし、旅行もできない。毎日が憂鬱である。健康でないと、お金も使えない。お金を使うには、体力がいる。

 私ががんを罹患して、体力がなくなった。それを失って初めて、健康の重要さを痛感した。体力が無ければ、お金も使えない。健康でなければ、決して幸福になれない。死んでもいいから健康最優先である。

 

 

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 上図は病気見舞いのお礼として皆さんに配った色紙。

 馬場恵峰先生に、約20枚を揮毫していただいた。

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4 少しの友

 社長業をやっている知人から、年賀状が500通だ、知り合いが数百人いるとかの自慢話をよく聞く。そんな「友人」が500人いても、その「友人」と1時間話しあっても、合計で500時間が必要だ。その友好関係を維持するには膨大な時間とお金がかかる。そんな中途半端な名目だけの「友人」と付き合うことに時間を使っていたら、人生が終わってしまう。心を許した徳のある友人は数人で十分である。

 

5 少しのお金

 日本でお金と言われる代物は、日本銀行券である。それはあくまで、日本銀行が保証した、兌換券でしかない。日本銀行が保証しなければ、紙くずである。

 1947年、日本政府は新円を発行し、今まで持っていた円を使用不能にした。ほんの76年前のことだ。それで母の父(私の祖父)の退職金が紙くずとなった。だから母は、私に「政府を信用するな」と口を酸っぱくして教えた。

 国体が変われば、お金は紙くずとなる。その時に必要な財産とは、どんな時代、どんな社会でも生きていける才覚を養うことである。その時に、稼ぐことができる能力が、真の財産力だ。両親は、戦後の激動の時代を裸一貫からがむしゃらに働き、一財産を作り、私に残してくれた。

 お金は、当面の生活が出来る少々を持っていればよい。チャップリンは「人生で必要なものは、勇気と想像力と少しのお金」と言った。あの世にはお金を持って行けない。稼いだ「お金」は、自分の人生体験と能力向上に振り向ける。今は、明日を知れぬ激動の時代である。隣国からの日本侵攻、南海トラフ大地震が起きるやも知れぬ。その時にその持てる生きる力がものを言う。

 

 

6 社会貢献という財産

 社会に貢献したということは、天に貯金をしたことだ。それで将来、自分だけでなく、子孫にも利子(社会からの恩恵)が支払われる。

 先の大戦では、私の家系で叔父が2名、お国に命を捧げた。一人は極寒のシベリア、もう一人は灼熱のインパール作戦の地で亡くなった。父はシベリア抑留に人生の一時期を捧げた。それで今の日本がある。父がシベリアで死んでいたら、私の生はない。私はその恩恵を私は受けて生きている。毎日、感謝で仏壇に手を合わせている。

 馬場恵峰先生は、60歳の時、社会貢献として、家屋敷を担保に入れ、生命保険に入り、1億円の借金をして、日中文化資料館を建てた。その借金は24年かけて84歳の時、完済した。だから天は師を94歳まで現役で活躍させる恩恵を与えた。

 

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 350坪の敷地に建つ日中文化資料館  大村市

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5 賢さという財産

 いくら知識・智慧・財産があっても賢くないと、それを使いこなせない。賢くないと、頭の良さは悪知恵となり、周りに害毒をまき散らす。木原誠二、ジャニーズ喜多川のように。

 日本のエリートと呼ばれる類は、知識はあっても智慧と徳が無い。ましてや賢さもない。更に公僕と言う意識は皆無である。記憶テストで高得点だけを取った東大出のエリートが日本滅亡の政策をごり押ししている。今の日本の停滞の原因は、トップの堕落が原因である。己の蓄財に熱心で、日本を泥船化して、一緒に沈んでいくことに気が付かない。その結果、増税邁進、中韓迎合、保身の無為無策、世論無視である。木原誠二問題、統一教会問題、ジャニーズ性加害事件、谷町の闇、宝塚歌劇団問題、等はエリート政治家の利権が関係している。

 

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  松本明慶大仏師作 普賢菩薩像

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6 素直さという財産

 いくら幸運に恵まれても、驕ってしまえば、衰退である。素直に置かれた状況を受け入れる素直さ、回りの人の意見を聞ける素直な能力も大事な財産である。どんな状況でも、生きていることに感謝である。

 

7 宗教力

 宗教の「宗」とは家の「ウ冠」と神への捧げものを表す「示」からなる象形文字である。つまり宗教とはその家の教えである。仏教やキリスト教は、大量生産に相当する大手企業と同じである。家の家訓は家庭料理と同じである。それはご先祖が何代にも亘って作り上げてきた教えである。2000年前は、それらの大規模宗教団体が成立していないので、各家の教えが宗教であった。要は家庭料理である。毒のある外食(新興宗教団体)よりも、家庭料理(家の家訓)を大事にしよう。それは財産である。母や父の教えを守る。それも宗教力である。

 

 

2023-10-15  久志能幾研究所通信 2759号  小田泰仙

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2023年9月27日 (水)

六つ墓村の墓じまい、タタリで癌に? (2/2) 改訂版

墓じまいの「たたり」?

 墓じまいの4年後の2019年1月、私にがんが発見され、摘出手術を受けた。自覚症状がなかったので、ステージⅢaとガンが進行して手遅れ寸前であった。転移はなかったが、主治医から「5年後生存率は51.6%」と宣告された。つまり5年後までに、同じ病気の人の半分は死ぬ計算である。それは過去の統計上の確率である。

 そして手術後の標準治療として抗がん剤治療を計画された。それを受けないと命の保証はしないと脅された。私はその抗がん剤治療を拒否して、医師と喧嘩別れをした。

 それから抗がん剤治療に代わる治療を求めて、ネットや本で情報を集め全国を放浪した。横浜のHクリニックにも足を延ばした。そして船戸クリニック(養老町)に行きつき、半年ほど治療を受けた。船戸院長先生は、自身もガンを経験されており、親身になって診察をしてくれた。しかし保険がきかない自由診療で、少々お金がかかった。命にかかわることなどで、敢えてそれを進めた。

 抗がん剤はガン細胞を攻撃するが、それ以上に正常な細胞も攻撃する。免疫力の下がった高齢者には地獄である。私はその知識があったので、抗がん剤治療を拒否した。医者は大病院という組織の一員なので、病院が決めた方針に従わざるを得ない。治療をするのと、病気を治し、再発させない仁術の医とは違うのだ。現代の医学は算術である。そこに医療業界と医薬品業界との癒着の問題を垣間見た。

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 船戸クリニック   船戸クリニックのHPより

愛ある医療を目指します | 岐阜養老の船戸クリニック (funacli.jp)

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 ガン再発防止としての点滴

  週に2回、約1時間の点滴と1時間の温熱療法である。それが約半年間続いた。ガンを治すのではなく、癌が再発しないようにする予防治療である。私はずっと点滴液の落ちるのを凝視する。点滴液の落ちる様を見ながら、人生を考えた。それは座禅に似ていた。

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癌はたたり

 がんはご先祖の「たたり(多々利)の声」であった。それを私は謙虚に受け止め、がんになった真因を探り、生活習慣を見直した。なんとか今、手術後、4年生きている。

 ご先祖の使者である癌は、一言も「死ね」とは言っていない。癌はただ「間違った生活を変えなさい。そのままでは早く死ぬ」と告げているだけだ。

 ご先祖の霊はたたり(祟り)をしない。そもそも子孫を可愛いと思っているご先祖がたたり(祟り)など、するわけがない。この世では形ある力を出せない霊が、子孫のことを思って、病気や事故という形で危険を教えてくれているだけだ。そのメッセージを謙虚に受け止めよう。

 

利益

 「多々利(たたり)」「利」とは、仏様からの恩恵である。利益(りやく)とは、仏語で、仏菩薩などが衆生など他に対して恵みを与えること。恵みを与える種々の行為。また、その恵み・幸せ。利生(りしょう)の事である。

 それから派生して、利益りえき)という経済用語が出来た。

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 因果応報

 がんになったのには原因がある。どんな事象も因果応報である。良いことをすれば良き結果が生まれ、悪いことをすれば、悪い事象が起きる。癌の部分を摘出するのは対処療法である。だから癌になった真因を追及して、再発防止をしないとガンが再発する。なぜ何故を5回繰り返し、ガンになった真因を突き止めないと、再発する。元を断たなきゃダメなのよ。

 がんとは人体で日々再生される細胞の不良品である。人体は一日に1兆個の細胞を創り出している。そのうちの5千個ほどががん細胞という不良品である。正常な健康状態なら、免疫酵素がそれを排除してくれる。しかし生活が乱れていると、それがうまく機能せず、癌細胞が生き残る。それが長い間に増殖して癌となる。目に見える大きさになるまでに10年はかかる。

 人体の生産品でである不良品の削減は、トヨタ生産方式に品質管理で行う。不良品が作られてから対処するのではなく、生産工程で不良品を出さないような作り込みをするのがトヨタ生産方式である。がんの摘出手術は応急処置の対処療法である。真因を見つけてそれを無くさない、再発する。

 ある意味、ガンはご先祖様からのメッセージであった。その不幸が心筋梗塞、脳梗塞、交通事故、新型コロナ感染でないのは幸いである。それでは即死状態で死の対応ができない。また自分が認知症になれば、その対策も打てない。がんならば死ぬまで時間があるので、改心?して対策と心の準備が出来る。その警告が「たたり(多々利)の声」である。

 

使者

 がんはご先祖様が派遣した使者である。その名は観音菩薩である。観音菩薩は、衆生の悲しみの声を観て、駆けつける菩薩様である。観音菩薩様は私の生活の不協和音を観て、私に危機を伝えた。観音菩薩様はこの世では、物理的な力がないので、ガンにメッセージを託した。それは眼施(がんせ、癌施)である。私は愚で、検査するまで気が付かなかった。このガンは自覚症状が皆無であった。音なし?の構えである。

 私のピアノの師である河村義子先生が、その直前の2018年12月25日、がんで亡くなられた。それで胸騒ぎを覚え、翌年早々にがん検診を受けた。それが私のガンの発見のきっかけ(ご縁)であった。河村義子先生とのご縁がなければ、私の癌の発見は遅れただろう。それが癌の末期になる寸前で発見できて、転移もなかったのが助かった最大の要因である。

 その河村義子先生の戒名が「聖観院教音義愛大姉」である。なにか因縁のある素晴らし戒名である。

 

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 松本明慶大仏師作 聖観音菩薩像

 この姿は、衆生の悲しみの声を観て、裾を上げ、一歩前に足を踏み出す姿を現している。

 この仏様は2011年にご縁があり来宅された。

 私が前職を定年延長せず、大垣に帰郷したので出会えた仏様である。

 大垣に帰郷しなければ、出会えなかったご縁である。

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がんのメッセージ

 ガンは自分の生き方を訂正しなさい、とのメッセンジである。

 生活習慣を見直して、休め。

 食生活と生活習慣を見直せ。

 自分を大切にせよ。

 毎日を大切にして、常に夢を持て。

 人の温かさに感謝せよ。

 小欲少食で。

 義務感、正義感を捨てて、気楽に生きよ。

 今一度、人生を考え直せ。

 一日一日を大事にしなさい、

 自分を受け入れ、他人を受け入れよ。

 全ての事象に感謝せよ。

 全ての事象はメッセージを発している。

 その事象は声なき経を唱えている。 

 自分の最期を考えよ。

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引用文献:

  この内容は、船戸クリニックの『フナクリ通信 第123号』を参考にした。私は船戸クリニック(養老町)の船戸祟史院長先生から、がん手術後のがん再発防止の治療を受けた。愛知県がんセンターでは、手術後の標準治療は抗がん剤治療である。私はその治療を拒否して、薬剤医師と喧嘩別れをした。それでネットで別の治療法を探して、それで見つけた病院であった。

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2023-09-18  久志能幾研究所通信 2750号  小田泰仙

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六つ墓村の墓じまい、タタリで癌に? (1/2) 改訂版

ご先祖のお墓を墓じまい

 祖母の親戚の叔母が2008年に亡くなり家が絶えた。叔母は京都の尼寺の住職であった。人間国宝の日本舞踊四世家元 四代目井上八千代の葬儀(2004年3月)では、この安寿様が導師を勤められた。舞妓さんたちがお参りする尼寺である。安寿様は愛知専門尼僧堂の青山俊董堂長に師事された。祖母は北尾家の最後の人であり、逝去された事でご先祖の4つあるお墓をどうするかの問題が表面化した。北尾家は井伊直弼公にご縁のある人であった。

 2015年、私が両親の23回忌、13回忌の法要をした時にそれが判明した。叔母はいつも何も言わない方であったが、意図があって親戚に連絡をしなかったのかもしれない。自分の代で家が途絶えることで、お墓の件で、菩提寺の住職にしかるべき対応をお願いしていたようだ。しかしその住職も認知症で2014年、施設に入院してしまったので、安寿様がどういうお願いをされたか不明である。安寿様も想定外である。その住職は私と同年である。人ごとではないが、前住職の認知症はなるべくして発病した業である。天網怪怪疎にして漏らさず。それも20年のタイマー付きである。

 叔母は、曹洞宗の住職として、永平寺に納骨をされていた。2015年4月27日、私は、福井の大本山の永平寺に出かけて回向のお経を上げていただいた。親族控え室で小一時間ほど待ち、本堂に入った。その日は3家の納経の儀があり、8名の僧侶により読経を上げていただき焼香と拝礼をした。なにかほっとした。

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旅立ち

  自分も何時かは旅立たねばならない。その時、後の人に自分の意思が正確に伝えられるかは分からない。死人に口なしで意思が捏造されることもある。明日、不慮の事故や脳梗塞、心筋梗塞で倒れるかもしれない。この3つの死因の比率は約30%である。死後の準備の間もないまま来世に旅立つ人が数多いのが現実である。今回の事象でそれの現実を教えてもらった。これが家系図の作成、遺言状の作成をする決断のご縁となった。

 

お墓の再建

 今回の件はご先祖からの啓示であった。私が叔母の先祖代々のお墓をお守りし、この機会に50年余を経過した小田家の墓を再建し、祖母方の先祖代々のお墓を統合・合祀する決断をした。同時に彦根藩に関係した北尾道仙の墓を再建する。

 50年余を経過すると、墓石の品質が明かになる。質の良い石は50年くらいでは劣化しないが、品質の悪い石は10年程でも劣化が目立つようになる。墓石のほころびが、魂を込めた仕事の大切さを教えてくれた。松居石材商店(文政12(1828)年創業)の松居保行店主が、本件で墓参りに行った時、たまたま仕事で墓地に来ていて、現物の墓石でその石の質の差を説明してくれた。

 

明徳

 今の自分の仕事の品質(徳)が10年、100年、1,000年後に明らかにされる。それが明徳の現れである。今の仕事にどれだけの徳を込めるかである。松本明慶先生が高野山中門の四天王に、今後の1,000年間の守り佛としての思いを込めて造立した志が伝わってきた。この教えこそが師天王の教えである。

 その経緯もあり、私はそのお墓を引き継ぐことを決意した。そして六基あった古いお墓を墓じまいして、三基のお墓を新たに建てた。それでご先祖のために、父方と母方のご先祖の墓を統合した供養塔として五輪塔を建てた。

 今振り返ると、お墓を建てた年は、高野山開山1200年の2015年で、再興された中門に松本明慶大仏師が四天王を納佛し、開眼法要をした年であった。よき因縁であった。

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 ご先祖のお墓

  京都の安寿様が守っておられた。その叔母が亡くなり、正式に墓じまいの法要をして、新たに五輪塔を建てた。

 

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 墓の字は馬場恵峰師に揮毫していただいた。

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 父方と母方のご先祖の墓を統合した供養塔としての五輪塔

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 松本明慶大仏師作 広目天

  高野山中門に納佛直前の姿 松本工房にて  ‎2014‎年‎11‎月‎23‎日

  高野山中門に設置されると、邪鬼の姿を含めての姿は、柵のためあまり見えない。この全身の姿を拝めたのは稀有なご縁であった。

 邪鬼は四天王に踏みつけられているのではない。四天王を支えているのだ。自分の生がご先祖に支えられていると同じである。ご先祖の姿はお墓でしか見えない。それは邪鬼の様と似ている。邪鬼とは現世で生きる我々を支える仏様の全てである。

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松本明慶大仏師作 持国天

  高野山中門に納佛直前の姿 松本工房にて  ‎2014‎年‎11‎月‎23‎日

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 高野山中門の広目天 開眼法要後 2015年4月25日

 足元の邪鬼の姿は前面の柵のため良く見えない。

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  高野山中門の持国天 開眼法要後 2015年4月25日

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2023-09-25  久志能幾研究所通信 2749号  小田泰仙

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2023年9月25日 (月)

巡礼 小貫善二作陶展 レッドオーシャンからブルーオーシャンへ

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マーケティング

 小貫さんは右手に陶芸の夢を持ち、左手に算盤を持ち、背中に我慢を背負って、人里離れた山奥(に相当する地)で陶芸に没頭している。

 小貫さん作品は、持てる情熱と賢さで世界の扉を開けて道を進んできた。師はゴッホのような破天荒な生き方の芸術家ではない。師は天才肌の芸術家ではないが、その攻め方は孫子の兵法とエジソンの愚直さを兼ね備えた賢さと緻密さがある。

 

 小貫さんは陶芸の学歴もなく、芸術界の後押しもなく、その世界の師匠の後押しもなく、自力で世界の扉を開いて道を歩んできた。非力な戦士に出来ることは、兵法を正しく使うことだ。

 かの織田信長だって、尾張の兵が極端に弱かったから、鉄砲や奇策でそれを補って戦ったのだ。無名時代の信長は苦労している。それに比べて当時の今川氏は大国大軍であるので、正攻法で攻めればよかったのだ。織田信長はそれに対して、桶狭間で奇襲作戦を取った。そして勝った。長篠の戦では、日本最強の武田軍に対して鉄砲を使って勝った。織田信長は尾張の兵が弱かったから、智慧を出して戦わざるを得なかったのだ。

 (不思議なご縁があり、私はこの9月21日、桶狭間の地の画廊に行ってきた。すぐ近くで40年間ほども住んでいて、今回が初めての訪問であった。)

 

 小貫さんは、日本内の過当競争の世界を避け、欧州にその活路を求めた。過当競争の世界は血みどろの戦いがあり、それは経営学的に「レッドオーシャン」と呼ばれる。経営戦略的にそれは避けるべきである。過当競争は、無意味な労力を強いられる。無駄な血が流れる。師はそれを避けて海外に目を向けた。そこは競争相手のいないブルーオーシャンである。

  

海外進出

 師は日本ではなく、海外で評価してもらおうと、数十点の作品を作る。海外に行くために、まず海外に行く費用と作品の輸送費用の合計50万円を貯めてから、その計画を実行した。1立法メータのコンテナに60点ほどの作品を詰めて欧州に送ると35万円ほどかかる。15万円は渡航費とホテル代である。それを年に一度実行して、それを3年続けた。1995年ごろの話しである。先に欧州に飛んで、作品を売って資金を作ったのではない。順序を経て、石橋を叩くように計画を進めた。それは身近の陶芸家が自己破産をしたのを見ていて、破綻のない手法を選んで進んだ。師はきちんと算盤をはじいてプロジェクトを進めた。

 

エジソン式絨毯爆撃?

 そして欧州の陶芸雑誌の広告ページに載っている陶芸専門の画廊を訪問し、送った作品を展示してもらう方法を取った。高級品しか扱わない画廊もあり、門前払いをされたこともある。しかし行ってみなければ、それも分からない。トヨタ生産方式でいう「現地現物」である。それでも3年間、それを続けた。海外でも陶芸専門の画廊は少ない。それでそういう手法を取らざるを得なかったいう。

 エジソンも電球を開発する時、9999回のエレメントの実験を経て、やっとタングステンのフィラメントを発見できた。愚直に目的地に進まないと、プロジェクトは成功しない。小貫さんは、欧州の焼き物を扱う画廊を全て訪れて、自作の陶器を見てもらった。エジソンと同じ情熱である。

 

国立美術館にお買い上げ

 そういうふうに作品を画廊に置いてもらうようになると、彼の作品を認めてくれる画廊主が出てきて、そのつてでドイツのライプツィッヒ美術館、ベルリン陶磁器美術館、ダーレム美術館(ドイツ)等にお買い上げとなる偉業が出来た。彼の芸術作品が本物であった証しである。海外で有名になり、深せんの中国陶磁器展からも招聘され、その深せん美術館にも蔵品となっている。

 日本でくすぶっていれば、決してそんな展開にはならない。同業者がその件を不思議がっているが、彼は人がやらない行動を選択したから、そういう結果となっただけだ。人生は努力よりも選択が重要である。要は、「レッドオーシャン」を避け、ブルーオーシャンで勝負をする。それが賢さである。

 

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  ライプツィッヒ美術館の蔵品目録より

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陶芸の激戦区

 美濃地方は陶芸のメッカである。美濃焼、多治見焼、瀬戸焼、織部焼と競合が群雄割拠である。その中に戦いを持ち込むのは芸がないので、小貫さんは独自の陶器のランプや独自の陶芸作品で、勝負している。私には初めての陶器の世界で、なかなかに見ごたえがある。

 

普賢菩薩

 私の理想の仏様は普賢菩薩である。この世で自分を花咲かせるには、知識や智慧だけでは駄目で、それに加えて賢さが必要だ。菩薩とは、真の仏を目指して歩く修行僧である。私は、その陰を小貫さんの活動に見た。陰とは、佛光に照らされて、黒夜に浮かび上がる真の姿である。非力な私は、強敵と正面激突しては勝ち目がないと自覚している。理不尽な敵や天才肌の敵のいない海でなら、努力を続ければ自分の力が100%発揮できる。それがブルーオーシャンである。それを再認識させてくれた展示会である。

 

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  松本明慶大仏師作 普賢菩薩像

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2023-09-25  久志能幾研究所通信 2746号  小田泰仙

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2023年9月19日 (火)

六つ墓村の墓じまい、タタリで癌に? トヨタ生産方式で真因追及

 

ご先祖のお墓を墓じまい

 祖母の親戚の叔母が2008年に亡くなり家が絶えた。叔母は京都の尼寺の住職であった。人間国宝の日本舞踊四世家元 四代目井上八千代の葬儀(2004年3月)では、この安寿様が導師を勤められた。舞妓さんたちがお参りする尼寺である。安寿様は愛知専門尼僧堂の青山俊董堂長に師事された。祖母は北尾家の最後の人であり、逝去された事でご先祖の4つあるお墓をどうするかの問題が表面化した。北尾家は井伊直弼公にご縁のある人であった。

 2015年、私が両親の23回忌、13回忌の法要をした時にそれが判明した。叔母はいつも何も言わない方であったが、意図があって親戚に連絡をしなかったのかもしれない。自分の代で家が途絶えることで、お墓の件で、菩提寺の住職にしかるべき対応をお願いしていたようだ。しかしその住職も認知症で2014年、施設に入院してしまったので、安寿様がどういうお願いをされたか不明である。安寿様も想定外である。その住職は私と同年である。人ごとではないが、前住職の認知症はなるべくして発病した業である。天網怪怪疎にして漏らさず。それも20年のタイマー付きである。

 2015年4月27日、大本山の永平寺に出かけて回向のお経を上げていただいた。親族控え室で小一時間ほど待ち、本堂に入った。その日は3家の納経の儀があり、8名の僧侶により読経を上げていただき焼香と拝礼をした。

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旅立ち

  自分も何時かは旅立たねばならない。その時、後の人に自分の意思が正確に伝えられるかは分からない。死人に口なしで意思が捏造されることもある。明日、不慮の事故や脳梗塞、心筋梗塞で倒れるかもしれない。この3つの死因の比率は約30%である。死後の準備の間もないまま来世に旅立つ人が数多いのが現実である。今回の事象でそれの現実を教えてもらった。これが家系図の作成、遺言状の作成をする決断のご縁となった。

 

 今回の件はご先祖からの啓示であった。私が叔母の先祖代々のお墓をお守りし、この機会に50年余を経過した小田家の墓を再建し、祖母方の先祖代々のお墓を統合・合祀する決断をした。同時に彦根藩に関係した北尾道仙の墓を再建する。

 50年余を経過すると、墓石の品質が明かになる。質の良い石は50年くらいでは劣化しないが、品質の悪い石は10年程でも劣化が目立つようになる。墓石のほころびが、魂を込めた仕事の大切さを教えてくれた。松居石材商店(文政12(1828)年創業)の松居保行店主が、本件で墓参りに行った時、たまたま仕事で墓地に来ていて、現物の墓石でその石の質の差を説明してくれた。

 

 今の自分の仕事の品質(徳)が10年、100年、1,000年後に明らかにされる。それが明徳の現れである。今の仕事にどれだけの徳を込めるかである。松本明慶先生が高野山中門の四天王に、今後の1,000年間の守り佛としての思いを込めて造立した志が伝わってきた。この教えこそが師天王の教えである。

 その経緯もあり、私はそのお墓を引き継ぐことを決意した。そして六基あった古いお墓を墓じまいして、三基のお墓を新たに建てた。それでご先祖のために、父方と母方のご先祖の墓を統合した供養塔として五輪塔を建てた。

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 ご先祖のお墓

  京都の安寿様が守っておられた。その叔母が亡くなり、正式に墓じまいの法要をして、新たに五輪塔を建てた。

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墓じまいの結果

 その4年後の2019年に私にがんが発見され、摘出手術を受けた。自覚症状がなかったので、ステージⅢaとガンが進行して手遅れ寸前であった。転移はしていなかったが、主治医から「5年後生存率は51.6%」と宣告された。つまり5年後までに、同じ病気の人の半分は死ぬ計算である。それは過去の統計上の確率である。

 そして手術後の標準治療として抗がん剤治療を計画された。それをしないと命の保証はしないと脅された。私はその抗がん剤治療を拒否して、医師と喧嘩別れをした。それから抗がん剤治療に代わる治療を求めて、ネットや本で情報を集め全国を放浪した。横浜のHクリニックにも足を延ばした。そして船戸クリニック(養老町)に行きつき、半年ほど治療を受けた。船戸院長先生は、自身もガンを経験されており、親身に診察をしてくれた。しかし保険がきかない自由診療で、少々お金がかかった。命にかかわることなどで、敢えてそれを進めた。

 がんはご先祖の「たたり(多々利)の声」であった。それを私は謙虚に受け止め、がんになった真因を探り、生活習慣を見直して、なんとか今、手術後、4年生きている。

 ご先祖の使者である癌は、一言も「死ね」とは言っていない。癌はただ「間違った生活を変えなさい。そのままでは早く死ぬ」と告げているだけだ。

 ご先祖の霊はたたり(祟り)をしない。そもそも子孫を可愛いと思っているご先祖がたたり(祟り)など、するわけがない。この世では形ある力を出せない霊が、子孫のことを思って、病気や事故という形で危険を教えてくれているだけだ。そのメッセージを謙虚に受け止めよう。

 

利益

 「多々利(たたり)」「利」とは、仏様からの恩恵である。利益(りやく)とは、仏語で、仏菩薩などが衆生など他に対して恵みを与えること。恵みを与える種々の行為。また、その恵み・幸せ。利生(りしょう)の事である。

 それから派生して、利益りえき)という経済用語が出来た。

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 因果応報

 がんになったのには原因がある。どんな事象も因果応報である。良いことをすれば良き結果が生まれ、悪いことをすれば、悪い事象が起きる。癌の部分を摘出するのは対処療法である。だから癌になった真因を追及して、再発防止をしないとガンが再発する。なぜ何故を5回繰り返し、ガンになった真因を突き止めないと、再発する。元を断たなきゃダメなのよ。

 がんとは人体で日々再生される細胞の不良品である。人体は一日に1兆個の細胞を創り出している。そのうちの5千個ほどががん細胞という不良品である。正常な健康状態なら、免疫酵素がそれを排除してくれる。しかし生活が乱れていると、それがうまく機能せず、癌細胞が生き残る。それが長い間に増殖して癌となる。目に見える大きさになるまでに10年はかかる。

 人体の生産品でである不良品の削減は、トヨタ生産方式に品質管理で行う。不良品が作られてから対処するのではなく、生産工程で不良品を出さないような作り込みをするのがトヨタ生産方式である。がんの摘出手術は応急処置の対処療法である。真因を見つけてそれを無くさない、再発する。

 ある意味、ガンはご先祖様からのメッセージであった。その不幸が心筋梗塞、脳梗塞、交通事故、新型コロナ感染でないのは幸いである。それでは即死状態で死の対応ができない。また自分が認知症になれば、その対策も打てない。がんならば死ぬまで時間があるので、改心?して対策と心の準備が出来る。その警告が「たたり(多々利)の声」である。

 

使者

 がんはご先祖様が派遣した使者である。その名は観音菩薩である。観音菩薩は、衆生の悲しみの声を観て、駆けつける菩薩様である。観音菩薩様は私の生活の不協和音を観て、私に危機を伝えた。観音菩薩様はこの世では、物理的な力がないので、ガンにメッセージを託した。それは眼施(がんせ、癌施)である。私は愚で、検査するまで気が付かなかった。このガンは自覚症状が皆無であった。音なし?の構えである。

 私のピアノの師である河村義子先生が、その直前の2018年12月25日、がんで亡くなられた。それで胸騒ぎを覚え、翌年早々にがん検診を受けた。それが私のガンの発見のきっかけ(ご縁)であった。河村義子先生とのご縁がなければ、私の癌の発見は遅れただろう。それが癌の末期になる寸前で発見できて、転移もなかったのが助かった最大の要因である。

 その河村義子先生の戒名が「聖観院教音義愛大姉」である。なにか因縁のある素晴らし戒名である。

 

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 松本明慶大仏師作 聖観音菩薩像

 この姿は、衆生の悲しみの声を観て、裾を上げ、一歩前に足を踏み出す姿を現している。

 この仏様は2011年にご縁があり来宅された。

 私が前職を定年延長せず、大垣に帰郷したので出会えた仏様である。

 大垣に帰郷しなければ、出会えなかったご縁である。

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がんのメッセージ

 ガンは自分の生き方を訂正しなさい、とのメッセンジである。

 生活習慣を見直して、休め。

 食生活と生活習慣を見直せ。

 自分を大切にせよ。

 毎日を大切にして、常に夢を持て。

 人の温かさに感謝せよ。

 小欲少食で。

 義務感、正義感を捨てて、気楽に生きよ。

 今一度、人生を考え直せ。

 一日一日を大事にしなさい、

 自分を受け入れ、他人を受け入れよ。

 全ての事象に感謝せよ。

 全ての事象はメッセージを発している。

 その事象は声なき経を唱えている。 

 自分の最期を考えよ。

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引用文献:

  この内容は、船戸クリニックの『フナクリ通信 第123号』を参考にした。私は船戸クリニック(養老町)の船戸祟史院長先生から、がん手術後のがん再発防止の治療を受けた。愛知県がんセンターでは、手術後の標準治療は抗がん剤治療である。私はその治療を拒否して、薬剤医師と喧嘩別れをした。それでネットで別の治療法を探して、それで見つけた病院であった。

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2023-09-18  久志能幾研究所通信 2743号  小田泰仙

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2023年9月 2日 (土)

72歳は健康人生の終焉、「死路」の未知を学ぶ

 

 日本人男性の平均寿命は81歳だが、平均健康寿命は72歳である。多くの場合、72歳以降の9年間は病院通いか寝たきりかの人生となる。72歳とは健康人生の終焉である。最近、体の不調でそれを痛感する。

 

 60歳の筋肉量は、若い頃の半分になっている。筋肉は成人以降、年1%ずつ減っていく。これは自然界の原則である。

 同じように40歳を超えると脳の容積は、年0.5%ずつ減っていく。これは平均値で、意識しないとその速度は増える。平均値からの単純計算でも、70歳ともなれば、40歳時に比べて15%も脳の容積が減っている。記憶力が衰えて当たり前である。要は物忘れが良くなったのだ。都合の悪いこともすぐ忘れる。喜ばしい?

 

 それに伴い免疫力は若い頃の半分になっている。だから60歳を過ぎるとがんの罹患率が急速に上がってくる。自然界の法則である。私も69歳でガンになった。

 がん研究振興財団の統計(2015年)によると、一生涯のうちに何らかのがんになる割合は、男性で60.0%、女性で44.9%とされる。

 劣化した日本社会ががんを量産している。意識しないと、拝金主義者たちの金儲けのために癌にされ、その餌食にされる。がん治療でさえ利権産業である。

 

 65歳を過ぎると15%の人は認知症になる。75歳ともなると25%が認知症である。

 人生は生老病死である。それを痛感する期間が、72歳から死までの9年間である。

 

 健康寿命の72歳となれば、健康人生は終わりを迎える。その後は、自分は病人であると割り切って過ごせば気が楽である。無理をするから老年が辛くなる。老人は、無理をする必要はない。

 

 散歩はリハビリテーションと割り切って治療として歩けばよい。そうすれば自分の体を治そうと頑張れる。若い頃の様に、運動して体力をつけねばとの義務感も不要だ。散歩をすることが義務ではなく、気分転換も兼ねた必要な治療として前向きに取り組めばよい。

 

 食事も病身の自分の体の治療のための病院食と思って、体に良いものを食べればよい。いままで散々美味しいものを食べてきたので、その治療が必要である。美味しいものには毒がある。美しいバラには、トゲあると同じだ。そのため病院食として制限があるのは当たり前。そう思えば気が楽だ。

 加齢により免疫力が低下しているから、添加物等の毒物は避けたい。弱った体をいたわろう。若い時に比べて、毒物に対して抵抗力が半分に減っているのだ。

 

「死」という名のプロジェクト

 死は人生最後の最大のイベントである。「死」の路は、未知の路である。その路で失敗するわけにはいかない。今までの人生の生き方が問わる路でもある。準備には9年もあるはずなので、ゆっくり緻密に進めればよい。

 元気いっぱいの時に死ぬのは生木を裂かれるように辛いが、少しずつ全身の細胞が衰えて行き、老衰で死ぬのは自然である。そうなれば枯れるように倒れるので、苦しみも少ないという。

 

人間の完成

 ヒトは動物して生まれて、最終目標の人間となるべく、学び続けて生きる。動物として生まれて、学ばずに生き、動物のままで死んでは、犬畜生と同じである。それは避けたい。自分の人間としての未完成部分を見付けて、死ぬまでそれを修正すべく学び続けたい。

 

着陸、死のアプローチ

 私は人生を飛行プロジェクトとみなしている。人は朝の離陸時、希望を持ち大空に飛び立つ。昼は精一杯の努力で頑張り目的地を目指してひたすらに飛ぶ。目的地の空港上空に到達すれば、着陸の準備をする。死のアプローチである。

 着陸準備では、今までの飛行の安全に感謝して、飛行最後の仕事をする。着地前に不要な燃料(資産やしがらみ)を捨て、身軽になって着地である。そうでないと機体が重すぎて地面に激突である。着陸前に、チェックリストに従い、人間として最後の仕上げの確認をする。それが人生最後の9年間の仕事である。自分は人生飛行機の機長なのだ。

 

着陸時の逆噴射、人は飛行の最期で間違える

 1982年2月9日、日本航空の DC-8機350便が羽田空港沖に墜落した。350便は福岡空港発・東京国際空港行の定期便で、乗員乗客174人中24人が死亡し149人が負傷した。

 この墜落は、機長が着陸進入時、錯乱してエンジンを逆噴射したのが原因であった。機長は精神を病んでいた。

 

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 着陸は美しく決めたい   セントレアにて

 機長の精神が正常であれば、美しい着陸となるが、機長が錯乱すれば、大惨事である。

 人ごとではない。誰でも人生飛行の最期は着陸である。

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人は最期に間違える-1

 人も往々に死の直前に錯乱して、死の準備を間違える。知人の叔母(約80歳)は、乗り合わせたタクシーの運ちゃんの困窮ぶりに同情して、彼を家に引き入れて自分の面倒を見させるようになった。その男はアパートの家賃が払えないほど困窮しており、老女の家に転がり込んだのだ。それでその男の身上が分かる。死の半年前に、老女はそのどこの馬の骨ともわからない男を正式の養子にしてしまった。

 知人はその錯乱状態の老女から、養子の手続きの手助けを泣いて懇願されたと言う。知人は異常さを感じて身を引いたと言う。

 その結果、その老女の愚行のため、ご先祖が汗水たらして蓄えた財産の3分の一が、この男に遺産分与として行ってしまった。その額、約1億円である。つまり惚けた金持ち老女を誘惑するのは簡単だ。老女を1年程介護して、遺産の1億円をゲットである。詐欺に近い。法律的に正式に養子縁組をしているので、2人の実子は為す術がなかったという。

 生前の生活の如何と育てられ方如何で、愚かな人は死の直前に大きな間違えをするのだ。彼女は金持ちの家で蝶よ花よと育てられ、世間の厳しさを学ばなかったようだ。それで、人生の着陸時の逆噴射である。そしてご先祖の顔に泥を塗った。その遠因はその老女と実子の嫁との確執もあったようだ。結果として、実子を悲しませた昨年の事例である。なぜ老女がそんな行動に出たか、なぜそう追い詰められたか、相応の理由があるはずだ。遺族はその真因を考えて反省すべきであろう。遺族の今の考えが、今後の人生に影響するだろう。この件は、他山の石としたい。

 

人は最期に間違える-2

 1980年代のバブル末期には、「自分が死んだら、買い集めた絵(数億円の価値)を自分の棺に入れて、一緒に火葬して欲しい」という成金まで現れた。世も末である。完全に死の準備を間違えている。芸術作品は社会の財産である。いくら金を出しても、あの世に持って行く権利はない。守銭奴の醜態である。そのバブルも1991年にはじけた。経済活動で生まれたバルブも生老病死の一過程である。

 

死の床での感謝

 お釈迦様は80歳で入滅された。日本人男性の平均寿命が81歳なので、2000年かけて、日本人も寿命だけの面だけで見れば、やっとお釈迦様レベルにまで成長したのだろう。自分もその歳までは生きるべく精進をしている。

 一緒に仕事をした仲間の20余人が、天寿を全うせず60歳までに世を去った。自分は過酷な労働環境下でも、古希まで生かされたことに感謝したい。あと少しの間、少しでもお釈迦様の精神面レベルに近づくべく、死まで精進をしたい。死後、佛を目指して仏道を励む方を菩薩と言う。死ぬまで佛を目指して精進する人を、生き菩薩という。別名、生涯現役の人である。

 私は死の直前まで普く賢く生きたいと願っている。

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 普賢菩薩像 大仏師松本明慶作

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  馬場恵峰書

 

2023-09-02  久志能幾研究所通信 2735号  小田泰仙

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2023年7月25日 (火)

看取り士は観音菩薩、死をプロデュースする

 

 看取り士が自分の死をプロデュースする。看取り士は、自分の最期までぬくもりのある眼で観音菩薩のように見守ってくれる。観音菩薩様は、衆生の苦悩の声を聴けば馳せ参じ、慈しみの目で、衆生を見守って下さる聖者である。菩薩は仏様ではない。菩薩とは、阿耨多羅三藐三菩提を目指して仏道を修行している行者である。つまり観音菩薩とは我々の化身である。阿耨多羅三藐三菩提とは、この上なくすぐれ正しく平等である悟りの境地である。

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  聖観音菩薩像 大仏師松本明慶作

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『みとりし』鑑賞

 7月23日、私は大垣イオンタウンで開催された自主上映会で映画『みとりし』を鑑賞した。主催者は「看取りステーション大垣ぬくもり」である。それは映画『おくり人』に相通じる内容であった。ストーリは、心に傷を負った若い女性が、看取り士として成長していく過程の姿である。特に40歳くらいの母親が、乳がんになり、夫と3人の子供を残して旅だった話では、臨終までの看取り士の貢献の様子には目頭が熱くなった。

 そこで私はそこで描かれた数例の臨終の姿から、多くの示唆を受け、自分の死を深く考えることになった。

 本映画は、2020年ロサンゼルス日本映画祭で三冠賞を受賞した。

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看取りとは

 看取り士の仕事とは、死をプロデュースすることだ。「プロデュース」とは、日本においては、様々な方法を用いて目的物の価値をあげることを指す。

 プロデュースとは、映像作品、広告作品、音楽作品、ゲーム、アニメーションなど、制作活動の予算調達や管理をする行為、スタッフの人事などをつかさどり、制作全体を統括する職務である。その作品に関してのみの責任が求められる業務である。

 病院の医師は、死は敗北と言う。病院は生のために闘う場所であるからだ。しかし人は必ず死ぬ。死は生物の命の終わりであって、決して敗北ではない。どんな生物も生老病死である。死こそ、自分の人生劇場で最大のクライマックスである。一度限りの厳かなセレモニーである。しかしその死の床では、気力も体力も衰え、自分には全てを取り仕切る体力はなくなっている。それのプロデュースとお手伝いをしてくれるのが、看取り士である。

 

一日一生

 人は必ず死ぬ。生老病死は生物の宿命である。一日の過ごし方は一生を象徴している。毎日、朝起きて、一日を活動し、疲れはてて、夜寝る時、その日の憤怒の出来事に感情を高ぶらせて眠るより、一日の良き想い出に浸って、安らかに眠りについた方が、良いに決まっている。

 よく働いた一日は、安らかな眠りを誘う。

 よく働いた一生は、安らかな死を賜う。(ゲーテ)。

 同じように家族の為、社会の為によく働いた人生の最終場面で、共に暮らした家族からの感謝の念に包まれて、自分も家族に感謝して安らかに逝く。それをプロデュースしてくれるのが、看取り士である。

 

尊厳死

 最近、厚生労働省でも尊厳死の指針を出すことを検討するようになってきた。意識なくチューブにつなげられて、苦しんで死ぬより、人間として自宅で尊厳ある死を迎えたいという患者の意思を尊重する考えだ。また日本でも植物人間として生き永らえることの是非が論じられるようになった。

 単なる延命治療だけなら、その治療を止めて、自宅で死にたいという人も多い。だから自分の最期のシナリオは自分で決めておきたい。その際に、看取り士にあらかじめ相談しておけばよい。死は自分にとって初体験なのだから、先達の指導を受ければよい。

 

 

看取り士の仕事

 相談を受ける

 臨終の立ち合い

 看取りの作法の伝授

 

 看取り士の資格を取るには11時間の講習、費用は11万円程。その資格を取って、その職業に就くためではない。その知識があると、自分の死、家族の死に正しく向き合えるようになる。知人の某県会議員もその資格を取ったという。彼とは中学の同期である。私もその資格の取得を真剣に考えている。

 

看取り士とのご縁 

 私は4年前にガンになり入院手術をした。手術後、5年後の生存率は51%と担当医師より宣告された。退院した後、覚悟を決めて遺言書を書いた。戒名も授かった。戒名を墓誌に彫った。葬儀の段取りも決めた。死後50年間の法要の段取りもした。お墓は8年前に建立すみである。

 準備万端で後は死ぬだけ?だが、今回ご縁があり、死のプロデュースの必要性を知り合った看取り士の小川さんから教えてもらった。よく考えれば、死ぬ際の段取りがまだ出来ていなかった。人生劇場の最終場面でのプロデューサを手配漏れしていた。これも大垣市会議員選挙活動に首を突っ込んで得られたミス発見である。それもご縁である。ご縁はどこに転がっているやも知れぬ。ご縁に感謝である。

 

人生劇場

 看取り士は、臨終の際だけのプロデューサーである。自分の人生劇場の統括責任者は、自分である。より良き人生劇場で演じるために、最期まで出演して生涯現役で活躍したい。朝起きてまだ息をしていれば、まだやることがあるとの神仏のお告げである。その意を新たにした。

 

 ご案内

 上記と同じ自主上映会が岐阜市で7月30日に行われます。 

 詳細は下記パンフレットをご参照。

Photo

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2023-07-24  久志能幾研究所通信 2722号  小田泰仙

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