b-佛像彫刻・大佛師松本明慶 Feed

2023年3月 5日 (日)

「虚空心経」で人生を料理する

 

 ずっとその昔、自分有限会社教の教祖様が人生教学を修行していた時、「人は空であり、空は人である」と悟られ、人間関係の苦しみから抜け出されました。

  人不異空 空不異人 人即是空 空即是人

 この世の人は、実体のないもの(空)であり、空ということは、人(空)以外にはあり得ない。すなわち人は実体のないものであり、実体のないものが人なのである。だから、いくら憎悪愛情に満ちた人間関係であっても、50年も経つと夢幻の世界になる。80年も経つと、人はこの世から消える。死後、形あるお骨として残っていても、80年も経てばお骨は土に還り、見える世界から消滅する。

 

虚空:仏語。何も妨げるものがなく、全てのものの存在する空間を意味する。

 

 

 人の存在は空だから、性善説も性悪説も当てはまらない。性悪説だからといって、悪人が永遠に悪人であるはずがない。人の性悪さが変わらねば、人を教育する意味がない。人ものカネは無常である。

 性善説として、人を躾・教育もせずに放置すれば、インドで発見されたオオカミ少女のようになってしまう。有名女優が息子にお小遣いを月に50万円を与えても、その教育を放棄すれば、子供は覚せい剤常用の犯罪者になってしまう。口でいくら立派なことを言っても、親の後姿を子供が見て育つ。子供はその親の言うことは聞かず、親の行動を真似する。そして国民に後ろ足で泥を掛ける始末となる。だから性善説も性悪説も正しくない。人は空なのだ。

 

 人は状況によっては人殺しもする邪鬼の存在にもなる。性善説や性悪説だけでは戦争と平和の時代を生き延びられない。

 戦争の時、敵を殺さねば、己が殺される。銃後の家族を守るため、敵を殺さねばならぬ。戦争で10万人を殺せば英雄である。勲章がもらえる。

 民間人10万人が焼死した東京大空襲を指揮した米国の将軍カーチス・ルメイは、戦後、日本国から勲章をもらった。昭和天皇はその直接の授与を拒否された。それは戦争で勝った側の論理である。狂気であるが、それが世の定めである。それこそ空である。平和の時、3人を殺せば殺人罪で死刑である。何が正しいかなどの正義論は存在しない。法律も正義も時代と人の都合により変わる。だから人も空であり、人が作った法律も空である。

 

 そして愛憎感情、創作活動、政治活動といった行動もまた同じである。共産独裁主義C国で、民衆主義を唱えれば、死刑である。アメリカで共産主義万歳と言えば、レッドパージで国外追放である。だから思想も空である。

 会社の人事も所詮は人の好き嫌いだけのこと。人が変われば、評価が変わる。その人は会社で10年経てば、その部署からいなくなる。人は空である。だから人事も空である。

 トヨタを変えた第8代社長の奥田碩氏は、上司の受けが悪く、フィリピンに飛ばされていた。それを豊田章一郎氏が見出した。奥田碩社長がトヨタを変えて、田舎のトヨタを世界のトヨタにした。だから人事など空である。人も空、人事も空である。

 ゴッホが描いた絵は、その当時、ごみ扱いであったが、100年後、数百億円で取引された。だから芸術家の創作活動も空なのだ。「芸」とは匂い草の象形文字である。芸術ほど、時代と人に影響される分野はない。それこそ人の好み次第の存在で「空」である。その人が80年後には、この世に存在しないのだ。

 

 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減

 

 あらゆる存在は空を特質としているから、生じることも滅することもない。汚れることも清まこともない。お金が増えたと言って、コンピューター上の数値だけの話である。政府が変われば、お金は紙くずにもなる。いくら金持ちでも砂上の楼閣である。勝者必滅の法則である。永遠のお金持ちなどいない。お金はあの世は持って行けない。お金も有効期限があり、生きている間の80年間だけである。だからそれは空である。

 私の曽祖父は、虎の子の退職金を銀行に預けていたら、1947年の預金封鎖によってひきだせなくなり、預金封鎖が解除された時は、紙屑になっていた。の曽祖父は40年間勤めて得た退職金を奪われたのだ。だから私は政府を信用しない。政府も空なのだ。

 

平家物語 敦盛の最期

「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もついには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。」

 

 だから宗教の教えも空である。宗教とはその家の教えである。いわば家訓である。生きるとは、自分の人生を料理する尊い修行なのだ。仏教もキリスト教もイスラム教もその教えは、全国チェーン版のファミリーレストランの料理と同じである。それは宇宙根源の法則を、縦に切り、横に切り、斜めに切って見えた教えをその宗教の教義にしているだけだ。切り方が違うだけで、その本質は同じである。だから宗教も空である。時代と地域と民族により、それに併せて教えが変わるだけだ。世界はその本質も知らずに醜い宗教戦争を繰り返している。それが空である人の歴史である。

 

 人生は夢のように儚いからこそ、知恵を出し、賢く選択して生きねばならぬ。それが虚空の人生道を歩む方法である。

 

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 松本明慶大仏師作 虚空蔵菩薩像

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 馬場恵峰書 

2023-03-04  久志能幾研究所通信 2631   小田泰仙

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2023年2月24日 (金)

新興宗教に洗脳された家族

 

 先日、私がファミリーレストランで食事をとっていたら、隣の席で4人家族が食を取っていた。両親、娘と息子である。3人は会話をしていたが、その息子が家族間の会話に入らず、ひたすらスマホを触っていた。今時、何処にでもある風景である。私は、隣でその情景を見ていて寒々とした気分になった。

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家庭破壊ミサイル

 これが現代の家族の姿なのだ。スマホは家庭に入りこんだエイリアン、つまり新興宗教が打ち込んだ家庭破壊ミサイルだ。統一教会に家族の一人が入会すると、こんな風景なのだろう。その姿を見ても誰も違和感を覚えない。これは他山の石とすべき大問題である。

 これは「蟻の穴から堤も崩れる」(『韓非子』)の事例である。それは、わずかな油断や違いで重大な物事がだめになることのたとえである。スマホの侵入で家庭が崩壊するのだ。統一教会にたった一人が入信するだけで、家庭が崩壊し、日本国家が危機状態に陥り、そして安倍さんが殺される事態に発展した。

 スマホは自分の生活習慣さえ破壊してしまう。勤勉な人間を、暇があればスマホを一日中触っている怠惰な人間に変えてしまう。いわばスマホは現代の麻薬だろう。麻薬が人間性を破壊するように、過剰なスマホ依存は、人間性を破壊する。

 スマホは便利だが、自制心なく育てられた若者には麻薬と同じだ。無知な若者は、その害毒を知らずにのめり込む。

 スマホの使い過ぎに対する事項は、親が注意をするべき躾の問題である。しかし、そんな声を出す勇気ある親は、今の日本には居ない。現代の家族の問題は、親のだらしなさが真因なのだ。KK問題も同じである。親の後ろ姿を見て子供は育つ。狂った対応をするから、さるお方の家庭のように家庭崩壊を起こしてしまう。国際信用まで無くしてしまう。それが皇統の危機なのだ。

 私はスマホと縁を切った。

 

2023-02-24  久志能幾研究所通信 2624  小田泰仙

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2023年2月 9日 (木)

童地蔵とタービンブレードの展示台 山路徹作

 

 写真の展示台は山路徹先生作で、童地蔵とタービンブレード用である。山路徹先生から贈り物であった。

 

 童地蔵は、東京で開催された松本明慶仏像彫刻展で、300体の中からお見合いをして決めた童地蔵である。毎回の松本明慶仏像彫刻展で約300体が売れるという。その300体の童地蔵だが、それぞれ微妙にお顔を違う。その中から選んだ仏さまである。

 

 

 タービンブレードは、2019年にセントレアで購入した。河村義子先生が逝去されて1週間たった2019年1月1日、友人とセントレアの「FLIGHT OF DREAMフライトパーク」に出かけた。そのショップに展示してあったボーイング707のジェットエンジンのタービンブレードカットモデルに、河村先生の面影を発見して、そのカットモデルを購入した。

 そのボーイング707エンジンの誕生年が河村先生の生まれ年が同じで、ジェットエンジンのブレードの役目が、ピアノの鍵盤を叩くことに重なって見えたから、ご縁を感じて購入を決めた。私が飛行機マニアであることも重なった。

 その1週間後、私にがんが見つかり、生死をさ迷うことになった。

 

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縁の下の力持ち

  日本と欧州間の飛行を年間150回するとして、タービンブレード寿命が5年間として計算すると、ジェットエンジンのタービンは約5億回転して、旅客機の推力としての空気を後方に送ることになる。それで多くの海外旅行客を運ぶ仕事を陰で支えている。

 ピアノをモノにするには、一日8時間、10年間続けないと一人前のピアニストになれないという。単純計算で一秒に1回鍵盤を叩くとして計算すると、それを30年間続けると、3億回も鍵盤のキーを叩いてきたことになる。ひたすら鍵盤を叩いて、人びとに安らぎと喜びを与える音楽を世に送り続けているのがピアニストである。

 そのエンジンの製造年が河村先生の生まれ年と同じだと気が付いて、ご縁として購入を決めた。

 

河村義子先生の分身に出会う

http://yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2019/01/post-d0c9.html 

 

賽の河原の石積み

 三途川の河原は「賽の河原」と呼ばれる。賽の河原は、親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために積み石による塔を完成させると供養になると言うが、完成する前に鬼が来て塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその繰り返しになってしまうという俗信がある。このことから「賽の河原」の語は、「報われない努力」「徒労」の意でも使用される。

 しかしその子供たちは、最終的には地蔵菩薩によって救済されるとされる。

この項wikipedia より

 

 賽の河原の石積とは、親の供養のための童子の願行ではない。それは己が成仏させられなかった己の願行である。「禁煙・禁酒をしよう、毎日散歩をしよう、毎日勉強しよう、毎日ピアノの練習しよう」と願をかけ、最初の数日間だけは実行する。しかし、内なる鬼が「そんなしんどいことは止めて、もっと気楽にしなはれ」と天使の声の如く耳元に囁きかける鬼が出てくる。

 

 今まで積み上げてきた禁煙・禁酒、散歩・勉強の継続という名の「石積の供養塔」を壊すのは、鬼ではなく、怠惰な自分である。成就させることのできず、途中で投げ出した供養塔が、人生でどれほどあることか反省したい。

 幼くして死んだ子は、自分が投げ出した三日坊主の象徴である。賽の河原の石積はあの世ではなく、己の「人生という大河」の両岸にある。チャレンジしては、途中でおっ放り出した死屍累々の山に手を合わせたい。

 

 積み上げた石積を壊す鬼を止めるのが、己の内なる地蔵菩薩である。佛像は己の心を現す鏡である。自分の心には鬼も住めば、佛も宿る。場面ごとに鬼と佛が心の鏡の中に交互に現れる。堕落に誘う鬼の時もあれば、己を厳しく裁く裁判官の時も、救いの佛さまのときもある。すべて自分の心が決める。

 自分の心に住むのは「鬼」である。賽の石積みをしながら、それを壊すのは己の「鬼」である。そんな鬼を誰が育てたのか、自省したい。賽の河原の積み石の「地蔵和讃」は、子供に対する寓話ではなく、怠惰な大人への説法である。「三途川の河原の石積」はあの世ではなく、己の怠惰な心が作る現世の己の姿である。地獄に堕ちる前に、自分を救ってくれるのは、地蔵菩薩という名の自分である。菩薩とはひたすら修行道を歩く佛様である。 

 そんな思いを込めて、このブレードと童地蔵を玄関に飾った。

 

2023-02-09  久志能幾研究所通信 2610  小田泰仙

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2023年1月27日 (金)

観音菩薩が見る、観る、視る

 

 彩色佛師が最大の注意を払うのが、仏師が目として彫り上げた部分に、目を画くことだ。仏師が意図して彫り上げた点から一分もずれてはならない。目は口以上に心を表している。

 観音菩薩様の目は、慈しみの目で拝む人を観ておられる。しかし横から見た観音菩薩様の目は、拝む人を厳しい目で視ておられた。真正面から見る観音菩薩様の目と、横から見る観音菩薩様の目は違っていた。菩薩とは、如来になるため仏道を修行中の佛様である。そのため人を観る眼を養い、修行しておられる。優しいだけでは佛の座に就けないのだ。

 その目を表現した「瑠璃観音菩薩像」を松本明観さんに解説してもらった。その目を描くのは、仏像彩色師・岩田明彩さんである。

 瑠璃観音菩薩とは、東の瑠璃浄土を守る薬師如来に仕える観音菩薩である。薬師如来は瑠璃壺を携えている。瑠璃壺は薬を入れる壺である。つまり薬壺である。西の浄土を守るのが、大日如来様である。東は生れてくる世界、西は死んでいく世界。その東を守っているのが薬師如来、西の浄土を守っているのが大日如来である。

 場所は2023年1月22日、福井市西武百貨店で開催されていた「松本明慶仏像彫刻展」会場である。

 

 

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 慈しみの目で拝む人を観ておられる

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  衆生を厳しい目で見つめる観音菩薩様
 

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  瑠璃観音菩薩像 松本明慶大仏師作

 

 

現地現物、選択と決断

 現地現物とは、問題が起きた時、自分で現地に行き、自分の目で、良く見て、観て、視て、素直な心で状況を完全に把握することである。そして多くの選択肢から一つを選択して、実行を決断する。それに対して罵詈雑言を浴びても、それに忍耐することである。何時かは真実が明らかになる。忍耐の「忍」とは、自分の心に刃を向け、「それでよいか、よいか」と自分に問うことである。

 現地現物はトヨタ生産方式の基本である。

 

 馬場恵峰先生は過去に5回も保証人になる依頼を断ったという。保証人を頼みに来た人たちは、後日全て破産した。

 彼らは、仏の恵峰先生なら無条件で保証人になってくれるはずと思っていた。依頼人に「なぜ私に保証人を頼むのだ」と聞いたら「もう馬場恵峰先生しか頼むところが無い」であった。

 恵峰先生は、相手を良く見て、観て、視て、素直な心で決断し、保証人になることを断った。その後、その5人の依頼人は、全員破産した。もし馬場恵峰先生が保証人を引き受けていれば、先生も破産していた。先生のその後の人生は無かっただろう。日中文化資料館も消えていただろう。

 人生の荒波を航海するには、人を見る眼が大事である。お人好しだけでは難破する。お釈迦様でも全ての人を説法はしなかった。

 

 赤い羽根共同募金活動でも、善意の裏で蠢くどす黒い邪心を良く観ないと、自分の人生も社会も破綻する。観音菩薩様の目で、良く見て、観て、視て、素直な心で状況を完全に把握することである。

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P10506591s 馬場恵峰書

 

見る、観る、視る

 「見る」は、無意識で、受動的である。

 「観る」には、前提として動植物や自然、試合や芸能などの対象を見きわめようという意識や行動がある。能動的である。

 「視る」は「調査をする時など気を付けてよく見る時」に用いる。「視点」や「視線」と使われることからも分かるように、「どこかに行って、目的物をみる」、「目の前にある物に視線を集中させてみる」、「一点に集中して見る、一ヵ所を注意深く見る」と、能動的な意味を表している。

 

四苦八苦

 娑婆から聞こえてくる「音」は、心して観なければ、真実には到達できない。だから耳は二つあるのだ。

 「目」の字の四方八方に枝が伸びて「耳」である。

 「目」を横にすれば「四」である。四苦八苦の「四」である。

 

 四苦八苦とは、仏教における苦(ドゥッカ)の分類である。根本的なドゥッカを生・老・病・死の四苦とする。

 生苦とは、衆生の生まれることに起因する苦しみである。

 老苦とは、 衆生の老いていくことに起因する苦しみで、体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる苦しみである。

 病苦とは、 様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる仏教問題である。

 死苦とは、 死への恐怖、その先の不安などの自覚である。衆生が免れることのできない死という苦しみ。また、死ぬときの苦しみ、あるいは死によって生ずるさまざまな苦しみなどである。

 

 根本的な上記の四つの苦に加え、下記の4つを含めて四苦八苦という。

 愛別離苦とは、親・兄弟・妻子など愛する者と生別・死別する苦しみ。愛する者と別離する苦しみである。

 怨憎会苦とは、怨み憎んでいる者に会う苦しみである。

 求不得苦とは、求める物が思うように得られない苦しみである。

 五蘊盛苦とは、五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならない苦しみである。

 

 

2023-01-27  久志能幾研究所通信 2598  小田泰仙

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観音菩薩像の撮影許可は、松本工房より頂いています。

 

2023年1月24日 (火)

蟹一杯で36,000円 口は一つ、耳二つ 😿で諦め

 

 2023年1月22日、福井市西武百貨店で開催されている松本明慶仏像彫刻展に出かけた。帰りに蟹を食べようと思ったが、あまりの値段の高さに恐れをなし、蟹を食べずに、駅弁で済ませて帰ってきた。

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皇室献上

 5年程前、福井市で蟹を食べたが、その時は2万円ほどであった。確かに美味かったが、今、冷静に考えると一回の食事代で2万円は考えてしまう。それから私も大病をした。またウクライナ戦争も発生した。それで今は蟹の値段も爆上げとなっていた。福井駅の蟹販売店では、一杯3万6千円で売られていた。その上段に置かれた極上品の蟹には、「皇室献上」と書かれ、5万6千円の値札が付いていた。

 

 商売として、「皇室献上」と書かれた看板をそれみよがしに掲げるのは、何か下品と感じた。特に最近は、穢れた話題ばかりが流れる皇室関係である。お店も常識ある商売をして欲しいと思った。それを見て、その店でおみやげ品まで買う気が無くなった。仏様が耳元で「止めとけ、やめとけ」と囁いたようだ。食品関係の商売は、味だけでなく、感性や佛性が大いに影響する。なにせ他の命を頂いているのだ。

 

喰いの悟り

 蟹に一杯3万6千円の金を出すなら、地元大垣で5千円のメシを7回食べた方が良いと判断して、蟹は諦め、昼食は駅弁で済ませた。その駅弁は釜めしであったが、容器がプラスチックであった。駅弁の冷めた釜めしを食べるくらいなら、温かい蕎麦の方がよかったと後悔した。

 どんな極楽品でも一度試すと、ああこんなもんか、と悟りが得られる。その同じ極楽を何度も試すのは愚か者である。人間の感覚はすぐ麻痺をするものだ。

 

さるおん方のゲテモノ食い

 さる高貴なA御方は、税金を使っての飽食に飽きて、国際条約で保護された動物カピバラをゲテモノ食いされていた。ゲテモノ食いをすると、誇りも羞恥心も遵法精神も消えるようだ。それが世間に明るみになり、国民の批判の嵐に晒されている。人が驕りで贅沢三昧をした場合の末路である。反面教師として国民の模範になるはお笑いである。KK問題は起こるべくして起きたようだ。それを因果応報という。

 

智慧と賢さ

 人は食べて1合、飲んで一升、寝て1畳、立って半畳である。それ以上を望むと、地獄の落し穴が待っている。お天道様の下で、人間として健康に、謙虚に暮らすのが最高の生き方である。

 私は今までは美味いものを大食いしていた。その結果、私は大病を患い死線をさまよった。私は何度も愚かな試行錯誤を経て、やっと悟りに境地に達した。やはり人間は痛い目を経験しないと知恵がつかない。

 

誘惑の多い娑婆で生きていくために必要なのは、知識と賢さである。

知識泥棒では人は大成しない。実体験で得た智慧しか役に立たない。

口から多すぎる食料を入れるから、病気になる。

 だから仏様が口は一つで十分と制限した。

頭に入れる栄養が、長生きをさせてくれる。

 だから仏様が両耳で法話をしっかりと聞けと二つにされた。

 

大事を恐れることなかれ、小事を侮るなかれ。

 大事とは大病である。小事とは日々の食事である。

 大事とは使命である。小事とは日々の生活姿勢である。

 

 

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 松本明慶大仏師作 文殊菩薩

  衆知を集め、文殊の知恵を出せと教える佛様。

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 松本明慶大仏師作 普賢菩薩

  多くの選択肢から正しく選択し、賢く決断せよと教える佛様。

 

 

2023-01-23  久志能幾研究所通信 2595  小田泰仙

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2023年1月 1日 (日)

生涯目標 魂と人格の成長

 明けましておめでとうございます。

 私の年度目標・生涯目標は、自分の魂の成長と人格の向上です。それが人としての最大の課題である。課題とは、目標と現実の乖離をいう。その乖離を少なくする取り組みが修行である。

 いくら知識を持っても、有名大学を出ていても、カネが沢山あっても、地位が高くても、大きな屋敷に住んでいても、人格の低い人間は、何をやってもダメである。人格が低くては、出せる成果に限界がある。その人格は魂の支配下にある。

 

子供は動物

 どんな高貴な人でも、子供は人間ではなく、動物である。人は、躾、教育、経験を経て人間になる。人は艱難辛苦を経て魂が成長した人間になる。人間とは、人と人の間の社会でまともな生活が出来る人である。親が子供に教えるべきは、魂の成長と人格の向上である。

 今、日本で頻発している悲惨な事件は、その躾が軽視されているために起こる。「息子には、お小遣いを月50万円あげているから、息子が不良になるわけがない」と警察に怒鳴りこんだ有名女優が存在する。その息子は覚せい剤で何度も捕まっている。彼女は良妻賢母役の女優業が忙しく、実の息子には何の躾もしなかった。

 日本の現代社会で「誰でもよかった」と無差別殺人が頻発している。全て親の教育の失敗である。親が命の大切さ、子孫の永続を教えなかったのが原因だ。

 「日本は嫌いだ」と言いながら日本国民の税金で外国で豪遊している元皇族がいる。親の後姿を見て育った結果である。子供は親の言うことは聞かない。親がやっているようにする。反面教師の実例である。

 動物から人間になっても、人格が低いと、全てが下品な振る舞いの人生となる。その親の子供も成長して下品になる。

 

積める人生

 「人生はつまらい」と嘆く人は人格が低い。つまらないことをつめるのには、高い人格が必要だ。つめないから、つまらない人格になる。

 

見えない世界

 高い人格に成長すると、見えないものも目えてくる。山の5合目から見える景色と、山頂から見える景色がまるで違うのと同じである。

 仏様の世界でも52段階の位がある。最高階の第52位にはお釈迦さが居られる。その次に即位されるという現在51位の弥勒菩薩様は、56億7千万年後に現れるとされる。つまり弥勒菩薩様は、あと56億7千万年間の修行を積まないと、お釈迦様の段位の悟りに到達できないのだ。位を一段でも上げる修行は厳しく長い年月が必要である。

 

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人間としての修行

 修行を積み、長所を伸ばし、人格が高くなると、持てる欠点も人間味となって、味のある人間になる。人間の欠点はなくしてはならない。欠点のない完璧な人間になれば、人ではなくなってしまう。それは神である。それでは人でないので、「人でなし」である。欠点を持ったまま、熟してこそ、欠点が人間味となり、人格が上がる。それが角熟である。人として技を磨き、精神を高揚させることが修行である。

 人には108の煩悩がある。その煩悩を消すのが修行である。煩悩を一つ消せば、位が一つ上がる。私は年に一つずつ煩悩を消していきたい。そのため、108歳まで修行が必要だと私は判断した。

 煮ても焼いても食えぬ喰えん人間が下品なのだ。味のある人間は喰える人だ。人間社会で美味しく食べてもらってこそ、社会への貢献である。カマキリは、交尾が終わると、雄は雌に頭から喰われてしまう。生体系の摂理で、麻酔が分泌されて、食われても雄には苦しみはない。その雄の体が子供の栄養となるからだ。それが種の保存の摂理である。

 

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 自著の「修身」のテキストより

 

魂の成長

  人には魂がある。その魂の本質は「鬼」である。その「鬼」が「云う」と書いて、「魂」である。本来、人は鬼なのだ。その鬼を「人に非ず」と書いて、「佛」である。人と超越した存在の「佛」になるために修行がある。

 己の中は佛も住めば、鬼も住む。此の世は全てプラスマイナスの世界である。己の中には、「向上しよう」とする己と、「そんな辛気臭いことは止めとけ」と足を引っ張る鬼のようなもう一人の己がいる。その鬼が自分のいやらしい面をよく知っていて誘惑してくる。それを克服するのが修行である。鬼に見つめられれば、襟を正さなければならぬ。私は国家試験の受験勉強中に、机の前に松本明慶大仏師作の「魂(おに)」を置いて、睨んでもらって勉強をした。

 しかし受験には失敗した。そのお陰で、致命的な病気が発見できて、治療を始めることができた。そのため、突然死のなる手前で、間に合い、手遅れにならなかった。その時、治療を始めなければ、今頃、心筋梗塞、脳梗塞になってこの世を去っていただろう。認知症にもなっていただろう。ただ癌にはなってしまったが、死は免れた。受験失敗も仏様からの啓示である。それで良き経験を積むことが出来た

 

 

Dsc04554sjpg 松本明慶大仏師作 「魂(オニ)」

Dsc09818s 松本明慶大仏師作  

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 馬場恵峰書

 

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 聖人の要素だけでできた人間はいない。その鬼を抑え込んでこそ、人間である。それを抑え込む過程が修行である。内なる鬼を抑えられなければ、本能のままに生きる犬畜生と同じである。

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2023-01-01  久志能幾研究所通信 2580  小田泰仙

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2022年12月31日 (土)

カルト教団の手口 地獄ツアーへのお誘い

カルト政党 

 統一教会の被害者救済法案では、公明党からの骨ぬ抜き工作が酷く、政府の法案が有名無力になっている(週刊誌報道)。なぜ自民党はそんな危ない宗教団体の党と連立を組むのか。自民党が情けない。創価学会は、フランスでカルト教団として認定されている。統一教会、創価学会の信徒は、脱会しようとすると、「地獄に落ちるぞ」と脅迫されるそうだ。

 

カルト教団からの勧誘

 2011年頃、私は定年退職後、経営の勉強をしようとG経営研究会(会員100名ほど)に入会した。私が総会後にクロークでコートを取り間違えた縁がきっかけで、元会長氏からN新興宗教団体に誘われることになり、入会寸前まで行った。なにせ紹介してきた相手がG経営研究会の元会長さんで会社の社長ある。信用しないわけがない。その教団は日本13大宗教の一つという。試しに入ってダメならすぐ脱会すればよいと安易に考えて決断した。

 入会金は38万円と微妙な金額である。京都で3日間の秘密の入会儀式があるという。安すぎると安っぽい教団と思われるし、50万円以上なら、躊躇してしまう。それで試しの入団を決めた。

 

暗転

 その後、その元会長に某会計事務所に連れていかれ、そこでその教団の詳細説明を受け、入会を勧められた。その所長は、その地区のボスのようだ。その後、その会計事務所の所長から「ネット情報は嘘ばかりだから、見ないように」と注意をうけた。

 しかしネット記事を見るなと言われると、逆に怪しく感じネット上で情報を確認した。そしてその教団の酷さを発見して、慌てて入会を思いとどまった。くわばらくわばらであった。

 

ほめ殺し

 元会長は「小田さん、貴方は選ばれたのです。選ばれる人は稀有なのです」と私の自尊心をコチョコチョとくすぐり、言葉巧みに入会を勧めてきた。「貴方の家は未来永劫救われるのです」と。この手法は商売でも応用できそうだ。

 そう、信徒には新会員獲得のノルマがあり、必死なのだ。それだけ必死になれば、どんな商売でも成功する。彼は選ぶ道を誤ったようだ。人生では努力よりも、選択が大事である。間違った道を選択し、そこでどれだけ頑張っても絞首台が待っているだけだ。

 

入会儀式

 その秘密の入会儀式のため京都に行く道中、紹介者が監視役のように付き添い、他人とは接触しないようにするという。気が変わり途中で逃げられることを防いでいるようだ。

 その紹介者も新信徒獲得のノルマがあるようだ。正式の仏教、キリスト教では、信徒の獲得は戒律で禁止されている。だから新興宗教は怪しい。

 秘密の儀式内容は、心理学を悪用した洗脳教育のようだ。真っ暗な部屋の中でガンガンと音楽を流し、思考を停止させて洗脳させる方法である。その方法は、米軍がベトナム戦争で精神を病んだ軍人を社会復帰させる為に開発された心理学応用の治療手法の悪用である。

 私も1999年頃、ある自己啓発セミナーで同じような手法で「洗脳」された経験がある。それは考え方を前向きにする正当な方法であったので、私には良い影響を与えた。たぶんオウム真理教も同じ手口を悪用したと推定される。

 

脱会すれば地獄行き?

 その教団では、脱会を申し出ると、地域の信徒が大勢で自宅に押しかけてきて「脱会すれば無間地獄に落ちるぞ」と家の回りで大騒ぎをして脱会を阻止するという。信徒も真面目に脅迫しないと、教団から睨まれ、過度な寄進を強要されそうになるので、真剣に脅迫してくるという。そうやって相互監視、相互脅迫の自縛システムで教団を守っている。オウム真理教も、麻原が大勢の信徒の前で脱会しようとした人を集団リンチ死させている。同じ手口である。一緒にリンチに手を貸さないと、今後は自分が集団リンチの憂き目にあう。その場は世間から隔絶した教団内部である。だれも助けてくれない。だから脱会は難しい。

 無間地獄に落ちるのは、大変なのだ。親殺しをしないと無間地獄には行く資格がない。それを脅しで使うのはブラックジョークである。

 

真の地獄

 地獄はあの世にはない。狂った新興宗教団体に入会した状況が地獄なのだ。思考停止で、教団のロボットになることが地獄である。その地獄の中で、サリンを撒いて、絞首刑台に上った高学歴の若者が多数いた。バタフライ効果で、安陪さん暗殺のような事件が起きる。自民党とカルト教団の公明党が組んで、日本を間違った道に進ませることが地獄への道なのだ。ウイグル族を強制労働で強制収容所に隔離し、生きたまま臓器を取り出すことをしているのが中国共産党である。その中国共産党を擁護する公明党と組む自民党では、日本は地獄に落ちる。

 

入会費用

 入会後も、色んな名目でカネをむしり取られる。入会前の説明では、年間で数万円程度のはずが、結果はとんでもない金額になる。そんなことは事前には何も教えてもらえない。教団本部の建設費用、信徒数から計算すると一人1千万円を超える金額がむしり取られている。

有名企業の会長とかも信徒に名を連ねているが、宣伝塔である。彼らは教団から優遇され、嫌な思いはさせられていない。真剣に入団を進めている。有名人には天国で、一般信徒は地獄である。宣伝塔の桜田淳子は天国組なのだ。それはK国の将軍様用の歌姫扱いとよく似ているようだ。

 オウム真理教では、全財産を教団に貢いで入団である。それが出家である。だから脱会しても帰る場所もない状態である。残るも地獄、去るも地獄である。

 またご奉仕の名目で教団本部の掃除に駆り出される。それも本部の本殿の一般見学者達に目に触れられないように、とんでもない時間指定で遠方より駆り出される。その肉体的疲労で、その帰路に交通事故で亡くなられた方もいるという。奉仕地獄である。

 その後の情報で、新本殿建設の為、富士山麓に土地を入手したとの週刊新潮の記事にあった。

 以前、岐阜県で町長が襲われる事件があった。どうも新本殿を建てるための土地の入手を巡っての因果のようだ。あくまで噂であるが、そんな噂が出るだけ、怖ろしい。火のない所に煙は立たぬ。

敵もITを駆使

 ネット上のヤバい情報では、教団のIT部隊がその書き込みを削除するという。また教団のIT部隊によりWikipedia情報も書き換えが頻繁にされている。私もその情報の書き換えを目のあたりにした。教団に都合の悪い情報は直ぐ消されるのだ。

 お葬式があると、教団がそれを取り仕切り、香典は全て持って行ってしまう。それでは死んでも浮かばれまい。

 信徒獲得のため、一般向けに教団の本殿の見学会が開催されている。その見学会では、一般見学客が信徒の掃除する場面とかち合わないように、調整がされている。また信徒は一般見学客と口をきいてはならない戒律があるようだ。ご奉仕の名目の強制労働がバレては困るからだ。その見学ツアーも、各所で頻繁に点呼が行われ、見学者が勝手に境内を見て回れないように監視されている。何も知らない見学者は極楽のような本部本殿を見学して感激だけすることになる。地獄で知らぬが佛である。

地獄

 自分が考えることを止めた時、地獄が出現する。自分が破産しても、1億円を統一教会のような団体に寄進するのだ。自分を信じず、安易に他に頼り、自惚れもせず、自分の思考技を磨く精進をしなかった罰である。それが「佛様のお裁き」である。因果応報である。自分の頭で考える訓練をしていれば、どこかで踏みとどまれる。

 

普賢菩薩

 人生で必要なのは知識ではなく、智慧なのだ。賢さなのだ。私は毎日、普賢菩薩様に手を合わせている。頭が悪くても、賢さがあれば地獄は避けられる。私はオダ仏教の教祖だと自惚れている。オダ仏教は曹洞宗トヨタ教の末寺である。法典はトヨタ生産システムである。神仏を敬えど頼らず、自分で解決する。自工程完結で、何故なぜを5回繰り返し、答えを出す。

 

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 松本明慶大仏師作 普賢菩薩

  多くの選択肢から正しく選択し、賢く決断せよと教える佛様。

 

2022-12-31  久志能幾研究所通信 2579  小田泰仙

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2022年12月 3日 (土)

大地震対策 懐中電灯に羂索、不動明王の守り

ひも(羂索)付き

 現在、私の枕元の脇机には、非常時用の懐中電灯を置いている。しかし、その脇机上の備品が私の寝相の悪さで、よくテーブル下に転落する。それでもし地震が起きた際、その懐中電灯が脇机上から転げ落ち、手の届かない場所に転がってしまう恐れがあることに気が付いた。それで懐中電灯に紐をつけて、ベッド頭部の板に結ぶことにした。これで深夜に大地震が来ても、懸念事項が一つ減った。

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 不動明王は迷える衆生の迷いを右手の宝刀で断ち切り、左手の羂索で救い上げる。衆生が佛に救われるためには、羂索が必要なのだ。

羂索:仏語。仏菩薩の衆生を救い取る働きを象徴するもの。色糸を撚り合わせた索の一端に鐶、他の一端に独鈷の半形をつけたもので、密教で用いる。不動明王、不空羂索観音、千手観音などがこれを持つ。

 

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 松本明慶大仏師作 不動明王像

 顔は怒りの様相だが、目は慈しみの目である。

大地震対応

 車の非常用ハンマーも車が転倒した場合、何処に飛んでいくか分からないので、運転席下部に固定である。それと同じで、震度7の地震に襲われれば、ベッド横の脇机上の懐中電灯も同じである。最悪の時に、起こってはならない最悪の状態になるのが、世の常である。だからその最悪の場合を想定して備えるのが危機管理である。想定外は何時でも起きる。だれが東日本大震災を予想したのか。2035年±5年に起きると想定される南海トラフ大地震は、日本政府も認めている。だからこそ、自分で自分の身をまもることはすぐやろう。

 

数で勝負

 自家では非常時の停電対策で、懐中電灯をあちこちに配置している。それは私が頻繁にブレーカを飛ばしていた苦い経験からでた智慧である。停電で家中真っ暗になり、懐中電灯を探すのに往生していた経験からの智慧である。それで家のあちこちに懐中電灯が設置してあれば、明りに辿り着きやすいと考えた。

 

蛍光シールで対応                        

 最近は、更にその懐中電灯の胴体に蛍光シールを貼って、真っ暗でも探しやすいようにした。

 

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停電時の自動点灯ライト

 コンセント部には、停電になると自動で点灯する非常用ライトを設置している。取り外せば、懐中電灯としても使える優れモノだ。2,400円ほどで手に入る。

 

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 LEDナイトライト 懐中電灯 2WAY 自動点灯 明暗センサー フットライト 足元灯 防災 充電式     TDH-300 朝日電器株式会社製

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2022-12-03  久志能幾研究所通信 2558  小田泰仙

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2022年11月28日 (月)

108歳を目標(10/14) ヒトの存在は空

人不異空 空不異人 人即是空 空即是人

 人の実態は空であり、何もないものである。何もないものが人である。人は何もない所から卵子と精子が結合して人が生れ育って人間になる。しかし100年も経つと死んで煙となり、この世から消滅する。遺骨も墓の土に埋められて、80年で土に還りこの世から物理的に消える。

 だから人の実態は、空である。それが分かれば、この世の悩みから解脱できる。人の葛藤の苦しみや病魔など、実体のない「空」なのだ。それを般若心経が256文字で説いている。人間世界の艱難辛苦の雑事は、「深般若波羅蜜多」を修行することである。観音様が到達された「空」の境地になることが、天寿を全うすることだ。

 

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佛の世界が象徴するもの

 古代より聖人は人の何たるかを佛の姿で象徴してきたようだ。佛の最高位は釈迦如来(社長)である。その下には、次の佛たちが担うべき職務を全うしている。各専門部門を統括する菩薩様(役員)、部門別の実行統括者の明王(執行役員)、実行部隊の天(部長)、佛の道を開いた開祖様(次長)、人が佛となった権現様(課長)である。カッコ内は、企業に当てはめた職位である。

 

人間さま

 それを人間に当てはめると、人(霊止)とはご先祖から受け継いだ霊魂が止まった存在である。人間とは、その霊に一時的な肉体が付与されただけの存在で、100年も経てば、煙となって消える。

 その霊こそが、全てを司る釈迦如来である。此の世で生きていくために、知恵を蓄える機能として文殊菩薩、考えるために普賢菩薩、慈悲と智慧を与える虚空蔵菩薩、世間を慈悲をもってい観る観音菩薩の能力を与えられた。

 己の怠惰で傲慢な感情を不動明王が叱咤激励して自制させている。

 外からの敵から身を護るため、四天王の防御の能力を身に着けた。

 多聞天のように、人の話、佛の話を聴いて徳を上げて実行に移している。

 どんな凡人も一芸に通じれば、開祖となれる。

 どんな凡人でも精進をして徳を高めれば、その道の権現様になれる。

 

人間はお体様に支配されている

 自分の体の如来様とは、自律神経様である。如来とはかくの如く来たりしものである。いくら頭で考えても、自律神経が体の運営を統括して、体を経営している。その理想の経営を己の邪鬼が邪魔するから、体が経営不振(病気)になる。人間がいくら頑張っても、自律神経の経営力には勝てない。

 体は四天王である免疫細胞が、外からの細菌の侵入を防いでいる。病気になるのは、その細胞の働きを阻害する邪鬼である。邪鬼とは己の傲慢、我儘、欲望である。その邪鬼の欲するままに狂った生活習慣、狂った食生活をするから、病気になる。四天王が十分に働けないから病気になる。

 美味に惑わされて毒のある食品を食べるから、高血圧、認知症、がん、腎臓障害を患うのだ。全ての原因は、自分内に存在する如来様を蔑ろにしたこと。

 それを考えれば、自ずと己の体の寿命を全うする術が見えてくる。経営とは、持てる資産を最大限に活用して成果を出すことだ。持てる資源には支障がある資源もある。それを他の資源で補うのが経営である。

 此の世で完璧な資産を持った人間はいない。目の不自由な人は、それを補う天附の音楽能力を使えばよいのだ。会社でも、人事異動で人を適材適所で配置して、その能力を発揮させ、会社を支えている。

 人の体もそれと同じである。単に人間を構成する部品に弱いところがあるだけである。残った機能を最大限に発揮すれば、なんの問題もない。それが社長の経営の見せどころである。

 その人間の構成としての象徴を、私は釈迦如来、虚空蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩に見る。私は毎日この佛様に手を合わせている。佛に身を任せれば天寿を全うできる。

 

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 松本明慶大仏師作 釈迦如来像 

 

2022-11-28  久志能幾研究所通信 2553  小田泰仙

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2022年11月10日 (木)

佛様のはからい

 

 2015年3月3日(火)、両親の13回忌、23回忌の法事を決めたのは、私の仕事の都合と、参列してくれる親戚の3家の都合であった。また火曜日は大垣市立図書館が休館日であるのが、一番の決定要因であった。

 

 当日、法事の前に、明慶先生に作っていただいた釈迦如来座像の開眼法要を菩提寺の住職様にして頂き、仏壇に納めた。

 その釈迦如来座像の台座が華板付であった。これは想定外で、嬉しくなった。なんでも「小田さんだから特別仕様」だとか。当然、価格も相応である。また材質が白檀であるので、価格が跳ね上がる。この釈迦如来座像は毎日、手を合わせるご本尊様だ。これでご先祖様も喜んでいただけると思う。

 

3月3日とは

 その約1ヶ月後、お墓の件で松居石材商店と打ち合わせをしていたとき、松居店主から、その日は井伊直弼公の桜田門の変での法要の日だと言われて、驚いた。私はそれに気がつかず、偶然に法事の日を設定したことになる。彦根では3月3日は特別の日として多くの人が知っていて、各お寺では法要が執り行われているとか。大垣住まいの私は、そのことは全く知るところではなかった。

 その後の、この書に記載した不思議なご縁の連続に、佛様のはからいを感じるばかりである。昨年に納佛された虚空蔵菩薩坐像と今回の御本蔵様のお陰と毎日手を合わせている。

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   松本明慶先生作 釈迦如来座像  白檀  

 

2022-11-10  久志能幾研究所通信 2537  小田泰仙

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