b-佛像彫刻・大佛師松本明慶 Feed

2021年9月15日 (水)

白衣観音、オニの明慶師を笑顔に変える

 

 大仏師松本明慶先生は、仕事のオニ(魂)である。オニとは「鬼」が「云う」と書いて「オニ(魂)」である。私はこの10年間、全国のデパートで開催される松本明慶仏像彫刻展に、追っかけで走り回っている。その折、いつも松本明慶先生とツーショットの写真を撮らせてもらっていた。

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 オニ(魂)  松本明慶大仏師作

 

明慶先生の変身

 松本明慶先生は、当世の仏師の第一人者として、いつも威厳ある趣の顔でツーショットであった。しかし今回、名古屋・名鉄百貨店で開催された松本明慶仏像彫刻展(9月8日~13日)では、すこし勝手が違った。

 私とツーショットを撮る前、先生は婦人たちとの記念写真で、明慶先生はご婦人たちに「もっと笑って、笑って」と言って一緒に笑顔で写真に納まっていた。

 次に私とのツーショット時も、「小田さん、もっと笑って、笑って」である。この10年間で、こんなことは初めてである。私もいつもの真面目くさった顔を、今回は少し緩めて笑顔で写真に納まった。周りのお弟子さんたちも、明慶先生と私の笑顔をみて、素敵な顔ですねと世辞?を言う。

 

白衣観音のご指導

 聞けば、先生の白衣観音様(奥様・華明さん)から、「人生の後半になったのだから、もっと笑顔を見せて過ごすように」と、お叱りと言うか、お小言をされたようだ。今まで松本工房の統領として、40人の弟子の前では厳しい指導をするため、笑顔が少なく、顔つきも厳しくなっていたようだ。しかし、いま仏師として日本一の名声も得たし、後継者も成長したし、全国各地に大仏も数多く建立したし、高野山中門に四天王の納佛という大仕事もできた。それで華明さんが、明慶さんの行動を見かねて笑顔に関する助言されたようだ。

 

笑顔の力

 笑顔でいれば自然と仏様から愛される存在となる。笑顔で顔の筋肉を鍛えれば、幸運をつかむ力なる。笑顔は「顔施」といって、七布施の一つである。それで運命がよくなる。

 人は幸せだから笑うのではない。笑うから幸せになれるのだ。

 明慶さんの仏像の素晴らしさを見て、笑顔になれば幸せである。仏像を見て笑顔にならなければ、その出来が悪いというようなものだ。

 人は、人に恵むことで初めて救われる。幸せは、人から奪うことでは達成できない。お釈迦様は、托鉢でまわるなら、貧しい人の所に行きなさいと言われる。貧しいからこそ、ほんの少しでも人に恵むことで幸せになれる。それが顔施である。それが出来ないようでは、人生の成功はあり得ない。

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  馬場恵峰書

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私の顔😐  2011年9月13日 名鉄百貨店で

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私の顔😐  ‎2017‎年‎1‎月‎11‎日  富山の名鉄百貨店で

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私の顔😊 2021年9月13日 名鉄百貨店で

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 馬場恵峰書

2021-09-15   久志能幾研究所通信 2150  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月13日 (月)

癌は佛様の化身。 佛様と出会い、生まれ変わる(2/2)

がんは佛さまの化身

 私はがんになって、船戸先生の指導でリボーン(生まれ変わり)ができた。がんに感謝である。リボーンせずそのままの狂った生活を続けていれば、別の病気で早死にしていただろう。

 がんは仏さまの化身である。仏様はがんに正しく向き合えと言っている。がんを患い、治療と再発防止を真剣に考えるとは、真剣に自分の生き方に向き合うことだ。自分に祈ることだ。病気を治すために自分に課した戒律を自分に百万遍誓うことだ。その誓いを守れないようでは、仏さまも味方になってくれまい。

 自分の戒律として、良眠生活、良食生活、加温生活、運動生活、微笑生活を誓っている。健康でなければ、何もできない。

 

戒律ある生活

 文殊菩薩は、宝刀で俗世間の煩悩を断ち切り、宝玉に詰まった知恵を授ける。多くの医師の知恵を借り(文殊の知恵)、その智慧を賢く選択して治療にあたる(普賢菩薩)。世の中の智慧は玉石混交である。自分の見識で一番正しい道を選ぶ事が、自分のまつりごと(御政道)である。

 真の宝物とは智慧である。我々が正しく生きるためには、「苦」が必要なのだ。人は必ず生老病死苦である。与えられた「苦」を昇華するためは、変わらなければならぬ。仏様は変えろと言われる。この世の全ては無常である。全てが無常であることは、「全ては変わる」、「全ては変えられる」。だから必然の変化(生老病死苦)に合わせて自分を変えればよい。それが仏様の教えである。

 自分を変えられない人は、時間が止まった状態である。それは死の世界。そういう人は、世を恨んで死んでいく。そんな人生を送ってはならない。

 

寂滅

 生は偶然で、死は必然である。ご縁も同じで出合いは偶然で、別れは必然である。我々は必ず死ぬ体を抱えて生きている。生とご縁を大事に労わりたい。生かされている以上は、人として志を高く掲げて、少しでも長生きして、少しでも多くの貢献を世に残したい。生かされた命を無為に生きてはならない。お釈迦様は死ぬ時に、あの世が有るとも無いとも言われなかった。だだ「精進せよ」とだけ言われて寂滅された。

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 虚空蔵菩薩 松本明慶大仏師作

Dsc065732s 文殊菩薩 松本明慶大仏師作

Dsc065662s 普賢菩薩 松本明慶大仏師作

Sjpg 馬場恵峰書

2021-09-13  久志能幾研究所通信 2149  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月12日 (日)

癌は佛様の化身。 佛様と出会い、生まれ変わる(1/2)

 

 私は3年前にがんをわずらい、手術、その後の治療で生死をさ迷った。その経過を今にして振り返ると、がんは佛様の化身であったと悟った。

 私はがんの手術後、がんセンターでの標準治療(手術後の抗がん剤治療)を拒否した。今までの知識で、抗がん剤治療だけは避けたかった。それでそれに代わる再発防止策を求めて、幾つかのクリニックを探し歩いた。ネットで高濃度ビタミンC療法にたどり着き、横浜のクリニックを訪ねて診療を受けた。その治療医院は地元にもあることが分かり、船戸クリニックにたどり着いた。

 そこでの治療は、高濃度ビタミンC点滴療法、加温療法であった。ただしこれは保険がきかないので、治療費が高額であった。そんなことは言っていられず、治療を受けた。

 私がかかった医師の中で、がんを自身で経験している医師はこの船戸崇史先生だけであった。それゆえに患者の身になって診察をしてくれた。

 

 その船戸崇史先生が『がんが消えていく生き方』(株式会社ユサブル刊 2020年 1400円)を出版された。その本を読んで、今まで私が各種の本を読んで納得し、実行している解答が集約してあった。これは良い本だ。その内容を下記に記す。

 

『がんが消えていく生き方』の要点

 外科医ががん発症から13年たって初めて書ける克服法

 死と向き合って私が学んだ大事なこと

 

 がんにならないためには、良眠生活、良食生活、加温生活、運動生活、微笑生活を送る、である。がんになる、治らないのは、その人の生き方(生活習慣)が邪魔しているだけ。それは南雲吉則先生の指導の「狂った食生活、狂った生活習慣をやめる」とほぼ同じ対策であった。

 

 がんになるとは、「今までの生き方が間違っていた」とがんが教えてくれた。現代の日本のがん医療機関では、がんの医療処置はするが、治してはくれない。治すの自分自身である。一般のがん医療では、がん部を切除して、再発防止として抗がん剤か放射線治療を施す。抗がん剤も放射線もがん細胞を攻撃するが、同時に正常な細胞も攻撃する。それは対処療法でもある。医師は真因を見つけてその対策をしてくれるわけではない。

 本当のがん対策は、がんにならない生き方に立ち返る事だ。生まれ変わって、がんにかからない正常な人間生活を送る人間になることだ。

 がんは貴方に「死ね」とは言っていない。がんは貴方に「命には限りがある」と教えてくれた。がんは「今のままの生活では、近いうちに死ぬよ」と教えてくれた。

 がんだって親元(?)が死ねば、がんも共に死なねばならぬ。がんは自分の正常な細胞が、必要に応じて異常に変化しただけである。その「必要」とは、狂った生活を元に戻すための警告である。

 それを「ガン部は手術で取り除いたので、後は今まで通りの生活でよい」と指導するのは間違いである。生まれ変わった気で、生き方を変えなければ、がんは再発する。がんになった原因をそのままにすれば、がんが再発して当然である。

 

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2021-09-12   久志能幾研究所通信 2148  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月 3日 (金)

がん治療で迷走鬼になる: 担当医との闘い

 

 私が2年半前にがんの手術を受けた。その治療で6人の対戦医師がいた。その闘いでは、彼らのがんへの戦法が総て違っていた。私は誰を信じて癌に向き合えばよいか、それが最大の問題であった。

 

がんと共生

 がんの治療で、最大の間違いは「がんと闘う」ことである。闘うというから病気が治らない。今までの生活スタイルが、がんを発生させた原因である。原因と対策を考えないと、病気は治らない。がんは一過性のデキモノではない。「一つの生き物として生き方が間違っていた」と自身の細胞ががんと言う形で教えてくれている。それを直さない限り、ガンを切除しても、別の場所に再発するだけだ。闘うべきは、自分の間違った食生活、生活習慣である。

 それを教えてくれた恩人と「闘う」というのが間違っている。闘病生活とは、間違った言い方である。「がんと共生」が正しい付き合い方なのだ。それを指摘しない医師は味方ではない。だから薬もサプリメントも抗がん剤も、全て不要である。

 

入院の意味

 なぜ一般の病気が入院すれば治るか? それは入院で規則正しい生活を強いられて、暴飲暴食をなくして、内臓が休息できて、自己修復力で不調が治るのだ。医師は治療などしない。治すのは自分である。

 

父のがん死からの学び

 2001年、父に癌が見つかり、父の主治医が「切れば治ります」というので、それを信じて父の手術を託した。確かに胃癌は全適して治ったが、半年後、肝臓に転移をして、その半年後に逝ってしまった。結果的に高齢の父を手術で苦しめただけになってしまい、後悔している。手術をしなければ、数年は生きていたはずだ。

 父の手術の半年後、担当医師より、父のレントゲン写真を見せられた。その肝臓には。多くのがんの斑点が多くできていて、手術では手の施しようがない現状を思い知らされた。私は父への肝臓手術を拒否した。抗がん剤治療も拒否をした。そうしたら医師は「やることがないので、大垣市民病院を出ていけ」である。

 病院として、治療をしない患者を法律的に入院させたままにできないという。現代医療制度の矛盾を感じた出来事である。「切れば治る」と言ったから手術を承認したではないかと言っても後の祭りである。85歳の高齢の父に、胃の全摘手術を許したのは間違いであったと思う。大慌てで父を別の終末病院に入れた。

 

医師の言葉

 父の癌の手術をしてから、担当医師は「何も生活スタイルを変えなくてもよい」と言った。私は愚かにもそれを信じた。それと同じ言葉を、私も20年後に自分の手術後に聞かされた。外科医は切るだけが仕事、再発防止は外科医の仕事ではないと割り切っているのだ。それを信じた私が愚かであった。

 がんが出来たのだから、発生原因を特定して、それに対して対策を打たなければ、再発は必然なのだ。それを父が死をもって教えてくれたのだ。それが頭にあり、自分が癌になってから、癌関係の本を読み漁り、医者を探しまくった。横浜市、名古屋市、養老町、久留米市と計6人の医師と向きあった。

 私は抗がん剤治療を拒否したので、抗がん剤処方の薬物医師とはけんか別れである。

 担当医師からは、標準治療(手術後の抗がん剤治療を含む)を受けないと、命の保証はしないと脅された。

 A医師とB医師のサプリメントの考えが違い、一方は飲め、もう一人は飲んではダメと処方が違う。

 ある医師の指導で高額の血液検査を受け、その結果に基づきあるサプリメントを飲んだら、肝臓がやられてしまった。別の医師の指示で、直ぐそのサプリメントの服用を止めた。それで肝臓は復調した。医師だって、どのサプリメントがその患者に効くかは、処方しないと分からない。それを思い知った。

 再発防止の治療でビタミンC療法を受けたが、別の医師からは、ビタミンC療法は古いので今はビタミンDだと否定された。

 私のがん手術の大前提として、地元の大垣市民病院の選択は、拒否した。ある人から「大垣市民病院は野戦病院だから」と愛知県がんセンターを勧められた。20年前の父のがん手術の苦い経験もあり、大垣市民病院は避けた。

 

選択の決定は自分

 私は何を信じればよいか、自分の経験智を使い、それを選択するしかない。情報がいくら多くあっても(文殊の知恵)、それを賢く選択する能力が求められる。ネット情報は、玉石混交である。調べると逆に迷いが多くなる。文殊の知恵でも、6人も知恵者が言うなら、どれを選択すればよいのか。

 頼るべきは、巨人、大鵬、文殊菩薩様、普賢菩薩様、である。

 癌専門医が癌になる確率は、一般市民のそれと同じである。癌専門医だって癌がわからないのだ。だから自分が、癌専門医に負けない癌知識を持つことだ。自分の主治医は、自分である。

 

 下図は、私の病気回復祈願として納佛された文殊菩薩像、普賢菩薩像(松本明慶大仏師作作)

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2021-09-03   久志能幾研究所通信 2140  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年8月31日 (火)

人生道で背負う袋は、生活袋? 堪忍袋?

 

 松下幸之助翁は「人生は90%までが、いわゆる人知を超えた運命の力によって既に決まっている。人間の知恵才覚で左右できるのは、残りの10%に過ぎない。そう考えれば、人生、得意のときも、淡々と素直に謙虚に、わが道を歩んでいくことができよう。」と運命を断じた。しかし今回のお墓作りとご先祖探しの旅で、私は人知を超えた運命の力は90%どころか、99%にも及ぶことを感じた。人間の人生とは、運命を運ぶ大黒天に背負われた大黒袋ではないかと思うようになった。

 

授けられた生活袋

 人は生まれたときに、天より人間という形の生活袋が授けられる。その袋は運命を運ぶ大黒天によって担がれて、ひたすら死という終着地に向かって運ばれてゆく。人間にその行き先を拒否はできない。人生旅の終着地に着いたとき、大黒様はその袋を火葬場にお役目として放り込む。お釈迦様を含めて一人の例外もない。袋としての人間に、死後で残るのは僅かな灰でしかない。人間として生きた証として、運んでもらっている間に、その袋の中に何を入れ、それをどう昇華するかが問われる。袋に入れて集めた多寡が問われるのではなく、集めたものをどう活用したかが問われる。

 還暦を過ぎ、人生の終わりが見えてこれば、生活袋の中のものを少しずつ下ろしていくことが求められる。それを怠ると、遺族が大迷惑をする。多すぎる遺産なら、遺族を不幸にさえする。使いきれない財産が残れば、遺族が財産争いをするだけだ。隣国では、総帥の死後、兄弟間で財産争いの裁判沙汰、長男は刑務所行きである。何のために必要以上の汗を流して稼いだのかと、死ぬに死ねまい。

 人生の下り坂を降りるときになれば、少しずつ荷物を下ろしていく。天はそのために体を少しずつ弱らせて、負荷を減らせと教えている。80歳になり20歳の若者と同じ元気さでは、無念で死ぬに死ねないだろう。

 

生活袋と堪忍袋

 人間の多くは、欲望が多く詰まった生活袋を担ぐ。生活袋の中には、人生を送るのに必要な道具一式とそれにまつわる欲望が入っている。

 それに対して弥勒菩薩の化身と言われる布袋様は、堪忍袋を担ぐ。堪忍袋には「無価珍」という計り知れないお宝が入っている。それが飛び出さないように、布袋様は堪忍袋の口をしっかりと握りしめている。それが人間様と違うところ。少しは布袋様を目指して精進しよう。

 

袋は伸縮自在

 幸いなことに、その生活袋は人間の成長に合わせて伸縮自在に変貌する。その変貌の程度は自己鍛錬に依存する。その袋の中に何を入れて、何を入れないか、入ってきた縁の整理整頓清潔清掃(4S)ができるかである。入ったものをどう昇華するかが問われる。その如何によってその袋が宝袋にも劇薬袋にもなる。

 

袋の強度

 その袋の布は、血も肉も通う生身の生命体である。その袋に過度な美食美酒を入れすぎて、袋がアルコール侵蝕されて穴があくこともあろう。その袋は天からのリース物件である。大事に使わないと、契約途中で天から解約通知が舞い込む。大事に使っても、最長100年後には、天に返さねばならぬ。自分の体はご先祖が手配してくれたリース物件である。それを忘れて、酒池肉林、甘味飽食に溺れるから、契約違反としてリース途中で解約となる。

 

 その袋に分不相応に財を入れすぎて、袋の底が破れ、破綻することもあろう。己の器の大きさを自覚せずに、棚ボタの財宝を入れすぎたためだ。集めることだけを考えて、利他で分けることを忘れた天罰である。

 その袋を目掛けて飛んでくる試練という矢で傷つき、破損することもあろう。どれだけ袋の表皮の強度を上げる鍛錬をしたかである。試練という鍛錬をしない限り、か弱い袋のままでは、価値あるものを袋に入れられない。天は心という器だけは、傷つきやすい裸のままに創られた。それを自覚して人生を歩まねば、言葉と言う凶器で心が傷つけられる。その自覚なき人生では道半ばで沈没する。

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  人生の生活袋

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布袋 松本明慶大仏師作(「仏心」小学館より)

 松本明慶仏像彫刻美術館の掲載許可を得ています。

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 布袋 馬場恵峰書

 

2021-08-31   久志能幾研究所通信 2137  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年8月29日 (日)

「罵倒観音」と「褒め殺し観音」のせめぎ合い

 

 心の「食事(栄養素)」は、プラスの言葉である。エリック・バーン博士の唱えた「対人交流(心理学)」では、プラスの言葉をストロークと言い、マイナスの言葉をディスカウントと言う。心の容器に入る量は一定である。マイナス分が入ってくると、プラス分が出ていく。だから心の中をプラスの状態にしておくには、決してマイナスの言葉を発してはならない。どんな逆境にあっても、自分を励まし、勇気づける言葉を自分にかけ続けることだ。春の来ない冬はないのだ。

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  ご縁の総量一定の法則

    悪い縁が一つ入ると、良き縁が一つて行く

    心の中も同じ原理である

 

 

褒め殺し

 「私は出来る」、「よくやった」と、自分を勇気づけ、褒めることが成功の鍵である。いくら自分で自分を褒めても、誰も文句を言わない。お金もかからない。褒め得である。それで成果が上がるなら、褒めないと損である。褒めてほめて、出来ないと思っている「ダメな自分」を殺してしまえ。殺すのに刃物は要らぬ。それが「褒め殺し観音」。それは福の神。

 

聖観音菩薩さま

 どんな事象でも、動けば音が出る。心の動きも観音菩薩はその「音」を観る。常に観音菩薩様は己を見守ってくれている。だから観音菩薩さまは、衆生の助けを求める声を聞けば、衣を右手で少し持ち上げ、手を差し伸べて、右足を少し前にだして、いつでも踏み出せる姿勢を取っている。

 

ディスカウント

 「どうせ自分なんて」、「どうせ俺は犬猫と同じ野垂れ死にだ」、と自分を罵倒しては、言葉が潜在意識に働きかけ、その通りになってしまう。自分で自分を傷つけてはならない。当然、他者に対しても同様である。「罵倒観音」は恐ろしい。人は思ったようになる。だから悪いように願いを叶えてくれる。それは貧乏神。

 ディスカウントショップは、正当な価格以下で販売して(値引き、安売り)、商売世界の秩序を破壊する。どこかで誰かが大損をする工程を踏まないと、価格破壊はできない。

 現代社会では、その多くが中共のウイグル族に対する人権侵害の奴隷労働等があって、価格破壊の商品が作られている。それで日本の雇用が失われている。賃金レベルが下がり、ますます皆が貧乏になっていく。儲かるのは、中共の幹部だけである。

 

オオカミ少女

 人間として心に魂の言葉を吹き込まねば、人間の感情のないオオカミ少女になってしまう。1920年にインドで発見されて保護された二人の孤児の少女は、オオカに育てられて、人間の心を持っていなかった。面倒をみた神父が親身に育てても、二人は人間社会になじめず、二人とも若くして死んでしまった。彼女はオオカミに育てられたので、心の育成が出来なかった。誉める、けなすにしても言葉が無ければならぬ。オオカミ少女にはそれがなかった。パワハラ上司は、オオカミ人間と変わらない。

 

心が体を支配し、言葉は運命を変える

 思考に気をつけなさい、それは、いつか言葉になるから。

 言葉に気をつけなさい、それは、いつか行動になるから。

 行動に気をつけなさい、それは、いつか習慣になるから。

 習慣に気をつけなさい、それは、いつか性格になるから。

 性格に気をつけなさい、それは、いつか運命になるから。

   -マザーテレサ-

 

 マラソン選手の有森裕子は、アトランタ五輪のマラソン大会で、3位でゴールして、「自分で自分を誉めてあげたい」と名言を吐いた。それは彼女の練習中には、常に心の中に次の歌があったからだ。

 「自分で自分を誉めるのはとても自然なこと。頑張ったのは君だから」

   「自分をほめてやろう」作詞 高石ともや

 

褒めることがテストステロンの分泌を促す

 テストステロンは、男性的な活力を与えるホルモンである。それは自分を認め、励ますことで、自信につながり、それで背筋が伸びて闘えるようになる。態度が公明正大に堂々となると、テストステロンの分泌が更に上昇する。これは同時に非常に社会性を与える重要なホルモンでもある。これはリーダーシップにもかかせないホルモンで、不正やインチキを憎み、世の為、人の為に生きることになる。これが男性ホルモンの高い人間の行動である。これが有森裕子さんの活力を上げ、オリンピック入賞に導いた。

 自分をもっと褒めてあげよう。自分は褒めてあげるだけの努力をしているはずだ。そうでなくても褒めていれば頑張るようになる。その逆の未来は悲惨である。

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 松本明慶大仏師作 聖観音菩薩像

 

2021-08-29   久志能幾研究所通信 2135  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月30日 (水)

自分の命の値段(改)

 

 ある日、隣国を旅行中に突然逮捕され、身に覚えのないスパイ罪で起訴され、死刑を宣告されたとする。死刑は免れないが、金を出せば1カ月間の時間余裕を与えると言われた時、自分は1カ月間の余命に、いくらの金を出すのか。かの国では多くの日本人が冤罪のスパイ容疑で拘束されている。

 自分が重い心臓病になり、臓器移植すれば命が延命できるという。隣国に行けば、オーダメイドで自分に最適のドナーが3日で見つかるという。活きのよい心臓の相場は1億円から2億円だという。闇市場では腎臓一つが場合によって、約540万円で売買されているという。生きた体から手術直前に摘出するので、新鮮である。それで現在、(日本の国会以外の)G7の諸国がナチス以上のおぞましい虐殺行為だとして人権非難決議を議会で出している。しかし日本では、媚中派幹事長の二階がその決議を妨害している。

 かの国は死刑囚から臓器を摘出しているというが、死刑囚の数は年間6千人で、臓器移植の例は年間3万3千件以上である。計算が合わない。かの国は世界第二位の臓器移植数である。

 

余命宣告

 延命時間にかける己が出す意思の金額が自分の時間価値となる。己の健康管理の怠慢で病に冒され、余命半年と宣告されてから「金はいくらでも出すから助けてくれ」と医者に泣きつく御仁が娑婆には多くいる。無法国家に拉致されるのと状況は変わらない。医者は治療をするが、病気は治せない。しかし、死期の予想は正確に当てる。私も父の病気の時に医者から余命1年と聞かされ、それが余りにも正確だったので驚いた覚えがある。

 私もがんの手術をして、医師から5年後の生存率51%を告げられた。5年経ったら半分の人は死ぬ確率である。実質余命2.5年である。だからこそ、命(時間)の大事さが身に染みる。

 東日本大震災のように、突然津波に呑まれて命を落とされた方に比べれば、余命2.5年があるだけ、どれだけ幸せなことか。亡くなられた方々の無念がしのばれる。

 

 余命の時間価値=(支払う意思のある金額)÷(残り時間)

   =一億円÷(8H×365日×60分)=570円/分

 一年延命で、一億円なら一分570円。意外と安い?

 

人の価値はその死に様に現れる

 「魂(オニ)」の納佛された日(2014年7月16日)から1週間も経過しない日(7月22日)、韓国フェリー事故の船会社のオーナーが変死体で発見されたと言うニュースが入ってきた。6月には、100億円出すから中国に密出国させて欲しいと闇ブローカに交渉中とのニュースが流れていた。その最期はこの夏のなか、冬の高級コートを着て、周りに酒の空き瓶を置いての畑の中でさびしい服毒死か病死である。贅沢な生活に身を置いたが故、病身で余命は長くなかったようだ。それでも100億円の金を出して生き延びようとする。このオーナーは数百億円とも言われる財産を築きながらも、この有様である。フェリー事故で犠牲となった高校生達がかわいそうである。このオーナーは信徒9万人の新興宗教「救援派」(オカルト宗教と言われる)の教祖とも言われるのが、新興宗教では人が救えないことを教祖自身が証明したといえる。人の偉さ(醜さ)はその死に様に現れる。

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 松本明慶大仏師作 魂(おに)

 

最期の後悔

 余命1ヶ月の時になって後悔することが、その昔に付加価値を生まない悪縁との付き合いで、貴重な時間を無駄遣いしたことであろう。そのために、やりたいこと、やるべきことが一つできずに、先送りになったという後悔である。やれる歳になると、体がいうことをきかなくなる。そんな後悔を避けるために、悪縁の元を絶つことは、人生の価値を上げはできないが、下げる危惧を無くしてくれる。

 またその後悔を少なくするために、やりたいことはやれるうちにやっておくことだ。そのうちやりたくても出来ない体になる。老化と死は必然である。

 

 ご先祖から頂いた命は、能力を最大限に使って人生を全うしたい。安岡正篤師は、「人は学ばなくなったら、人間ではなくなる」とまで言う。吉田松陰は、「一日でも生きている限り、どんな状況においても学問か仕事に励むのだ」という。学ばないから、仕事をしないから、頭を使わないから、世の中に貢献しないから、認知症になる。「使わない器官は退化する」という自然界の摂理がそこにある。社会に貢献をしない人は、社会のお荷物である。仕事をすれば、多少なりとも税金を納め、社会に貢献することになる。脳トレをすれば認知症が防げるのではない。それは遊びと同じで、長くやると苦痛になり続かない。それは社会にとって時間とお金の無駄使いである。

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 馬場恵峰書

 

          命の器で創る夢の道  p75

2021-06-28  久志能幾研究所 2073  小田泰仙

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2021年6月26日 (土)

新型コロナワクチン、命の選択と決断

 

 新型コロナワクチン、打つか打たないか、人生の選択である。

 それが今までの人生の岐路での選択を象徴している。

 

結論

 私は新型コロナワクチンを打たないと決断した。人と接触する機会の多い職業なら、ワクチン接種が正解である場合もあるだろう。どちらが正しいかどうかは、問題ではない。その決断プロセスが問題である。人によって選択肢の正解が違う。自分が正しいと思ったら、非難されてもその選択を進める勇気が必要だ。

  

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人生の決断と過去の惨劇

 人生は選択の連続である。多くの選択肢の中からその一つを選んだら、決断して実行しないと、何も始まらない。決断しないと他人の選択に流されて、自分の時間と命を失う。

 選択には、多くのデータと自分の経験知から自分の結論をだすことだ。

 自分の頭で考えないから、ヒトラーの宣伝に乗せられドイツ国民はユダヤ人を迫害した。

 戦前の朝日新聞社等の戦争賛美の記事に乗せられて日本国民は戦争に追いやられた。 

 オイルショックの時、マスコミの過剰報道に踊らされてトイレットペーパーの買い出しに走ったのだ。

 狂った社会党を選ぶから、阪神淡路大震災で危機対応ができない政府に煮え湯を飲まされることになるのだ。狂った民主党を選択するから、福島原発事故で右往左往するのだ。

 狂った朝日新聞を購読するという選択をするから、慰安婦報道に騙されるのだ。

 正しい議員に投票せず、選挙投票で棄権をするから、日本の道を誤まらせる国賊議員が跋扈するのだ。その議員を選んだのは国民である。だから日本は基礎研究に金を出さない政治体制が続き、失われた時間30年間が生まれ、衰退した日本を生んだのだ。それが今の国産ワクチン開発での敗戦になった。

 今回が新型コロナワクチン接種問題である。

 その選択が、誰かの利益のために躍らせれていないか確認すべきだ。

 自分で考えて結論を出さないと、痛い目に会う。それは歴史が証明している。

 

決断を下した根拠

事実1

 日本のコロナ感染者、死者数は欧米の100分の一程度。

 欧米の生活習慣(ファクターX)が、日本の生活習慣と違うので、欧米で感染者が激増していると考えられる。(西村秀一氏説・国立病院機構仙台医療センター ウイルスセンター長)

 日本のコロナ死亡者は4千人、例年インフルエンザで1万人が死んでいる。 私はマスコミが騒ぎ過ぎると断定した。なぜ? 扇情的に報道すれば、視聴率が上がり、儲かるから。

 

事実2

 新型コロナウイルスでの死亡者数と他が原因の死亡者数を冷静に比較観察しよう。(下記概算値)

 なぜ、マスコミが酒やタバコでの害を追求せず、新型コロナばかり報道で攻めるのか。酒やタバコや清涼飲料水の後ろには、宣伝の大スポンサーがいる。口が裂けてもそのスポンサーを非難はできない。私はそんな記事を見たことがない。

 

 新型コロナの年間死亡者数   5千人

 交通事故死亡者数       3千人

  交通戦争時代は死者が1万人を超えていた。

 例年のインフルエンザ死亡者数 1万人

 糖尿病の死亡者数      1.4万人

 お風呂での死亡者       2万人

 自殺者数           3万人

 酒での死亡者数        3.5万人

   (全世界で300万人が酒の原因で死亡 WHО発表)

 誤嚥の死亡者数        4万人 

 タバコでの死亡者数     12万人

 癌での死亡者数       30万人

 日本の死亡者数、生誕者数  100万人

 

事実3

 大村智博士が開発したイベルメクチンは、インドでは劇的な効果があった。WHОは欧米のワクチンを強制して効果のなかったため、インド政府はWHОを訴訟で訴えている。

 イベルメクチンの値段は600円だが、欧米のワクチンは数万円である。製薬会社は実績があっても儲からないイベルメクチンを売りたくない。新ワクチン開発にかけた金を回収せねばならぬからだ。製薬会社は慈善事業ではなく、拝金事業なのだ。

 政府の役人も既に欧米のワクチンを手配すみなので、今更変更はできない。自分の保身に影響するからだ。減点主義の役所では、変えたくても変えられない。どうせ無知な国民は気が付かないと高級官僚は思っている。

 

事実4

 新型コロナ用のワクチンで、9,759,770人の内、5月30日時点で139人が死亡。(2021年6月26日現在) 

   新型コロナ用のワクチンで7万人に一人が死亡する確率である。

  15万人の中堅都市の全員が接種で、1~2名が死亡と同じ。

 インフルエンザ用のワクチンの死亡率は1千万人に一人。

  (52,511,510人が接種して3名死亡。平成30年度)

  1千万人の人口の東京都で全員接種で、一人が死亡と同じ。

 

 新型コロナ用のワクチンは、まだ安全性が確認されていないようだ。自動車部品開発に携わった技術者として言えることは、新開発部品の安全性が従来品よりも100倍も悪化すれば、人の命に影響する車には搭載できない、ということだ。

 

事実5

 マスコミが発表するグラフは接種数の変化で、接種率と感染状況の変化と連動したグラフは決して出さない。コロナ感染の恐怖を煽り、接種数の増加を過度に報道して、摂取させようとしているとしか思えない

 

事実6

 ワクチン接種の目的は、ワクチンの販売であって、新型コロナウイルスの収束ではない。ワクチン接種拡大に成功すれば(製薬会社にとって)、来年以降も変種ウイルス対策として、継続してワクチンが売れる。

 独ビオンテック、今年のワクチン売上高1.6兆円の見通しである。ファイザー製薬は3.8兆円である。 (日本経済新聞2021年5月11日)

 

事実7

 新型コロナをエボラ熱相当の疫病と指定した厚生省が間違い。だから大騒ぎとなった。前提が間違っている。

 新型コロナの死亡率は2%。エボラ熱の死亡率は50%。それなのに同じ扱いにするから、異常事態となる。病床がひっ迫する。その指定を変えて問題が出れば、役人の出世に影響がでるから、保身主義のエゴ役人は、指定を決して変えようとはしない。ここに現代日本の閉塞状態の真因がある。

 

事実8

 ワクチン接種をしても新型コロナ感染のリスクが下がり、重症化するリスクが下がるだけである。ワクチン接種で、コロナ感染が無くなるわけはない。ワクチン接種をしても再度、感染した人も多い。それは単に、ワクチン接種をしたからと、油断して感染予防を怠っただけのことである。

 

事実9

 私は自営業で、日頃、多くの人と会うわけではない。ほとんど自宅で仕事をして過ごしている。外出も控えている。外出時はマスクをして、3密を避けるようにしている。人に迷惑をかける頻度は少ないのでワクチン接種は、そのメリットデメリットを考えるべきだと判断した。

 

事実10

 ワクチン接種にはコロナに負けない体力がないとダメである。疾患持ちで、血栓ができやすい人が接種して196人が死亡している。7万人に一人の割合である。

 私は高齢で、体力も弱っていて、癌の後遺症に苦しんでいるので、私にはワクチン接種の耐力がないと判断した。利害を総合的に考えて、私はワクチン接種をしない決断をした。

Dsc09255s 馬場恵峰書

 私は書斎で、このコップを筆立てとして使用して、毎日眺めている。

 馬場恵峰先生に感謝である。

 命に係わる事項の決断は、智慧を出し、賢く判断したい。そう思って私は、いつも文殊菩薩と普賢菩薩に手を合わせ祈っている。そうすると不思議と冷静になれる。

 命はこの世に役だつものを遺すため、何時も輝いている。輝かせねば、ご先祖に申しわけない。己の愚かな判断でそれを無に帰せてはなるまい。

Dsc06572s 松本明慶大仏師作 文殊菩薩

Dsc065661s  松本明慶大仏師作 普賢菩薩

2021-06-26   久志能幾研究所通信 2071  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月25日 (金)

縁は厳慈の恩にあり

 

 「旅のチカラ(ミケランジェロの街で仏を刻む---松本明慶)」(NHK BSプレミアム 2013年5月収録)のビデオを見て感動した。ミケランジェロ作のピエタ像と、ホテルで明慶先生が阿弥陀如来のお顔を彫っている時、眼の上の台の上に置かれた「魂(オニ)」の座像が目を引いた。特に「しっかり彫れよ」と先生を叱咤激励するがごとく睨んでいる「魂」の姿が目に焼きついた。

 

 このピエタ像には、私が定年退職記念にローマに旅行した時(2010年11月10日)に出会い、衝撃を受けた彫刻であった。それも、松本明慶先生に初めて大垣市の仏像彫刻展覧会でお会いして(2010年11月1日)、その9日後の御縁である。今回のビデオ映像でその聖母マリアのお顔と、その心を取り入れて明慶先生が彫られた阿弥陀如来のお顔がダブって見える。

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    ピエタ像(サン・ピエトロ大聖堂)   2010年11月10日撮影 

2     明慶先生との出会い    ヤナゲン大垣本店で  2010年11月1日

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ローマでピエタ像に出会う

 ローマ旅行時に初めてピエタ像を見たとき、私も衝撃を受けた。次元の違う彫刻に遭遇したような思いである。10日間のローマ滞在中、3回もこのピエタ像を見るためバチカンを訪れることになった。それほど引きつけられるものがあった。本物は10m先の防弾ガラス越しでしか鑑賞できない。しかし宗派を超越してキリスト教徒も仏教徒もイスラム教徒も世界各地から訪れた老若男女が長時間、ピエタ像を見つめていた。後で隣接したバチカン美術館にこの精巧なレプリカが展示してあるのを発見した。そこで至近距離1mから長時間、お顔を拝ませて頂いたのは幸いであった。こちらは見学者が少なく、落ち着いて接することができたのも有難いこと。

 ピエタ像が防弾ガラスで覆われているのは、過去に精神異常者がマリア像のお鼻を傷付けたためで、それの対策である。

 

「ピエタ」とは「慈愛」

 「ピエタ」とは「慈愛」の意味である。「ピエタ」はミケランジェロが終生、追い求めたテーマである。「慈」とは「心」「茲」から成る。「茲」は、「増える(子を増やして育てる)」=「愛」と「心」で「母」の意味を持つ。「慈」の反対語は「厳」である。旧字体は「嚴」で、冠の「□□」と「嚴」の下部(音)から構成される。「□□」は、「厳しく辻褄を合わせる」の意味である。つまり「父」の意味を持つ。自然界は陰陽で出来ている。優しい母がいて、その背後に厳しい父がいて子供は育つ。片方だけではダメなのである。

 今回の明慶先生の阿弥陀如来のお顔を彫る製作過程を、厳しい顔の鬼(魂)が見つめていることの深い意味合いを感じた。厳しさがあるから、慈しみに溢れた優しさのあるお顔が生まれるのだと。優しさだけでは本当の慈は出てこない。厳しさの奥には深い愛情が隠れている。

 

Dsc04477s 松本明慶大仏師作 「魂」、 書は馬場恵峰先生書
 

2 ピエタ像(サン・ピエトロ大聖堂) 2010年11月10日撮影 

 見学者の柵から10m先に防弾ガラスで覆われて安置

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ピエタ像(サン・ピエトロ大聖堂) 2010年11月10日撮影 

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 ピエタ像(バチカン美術館に展示のレプリカ)  2010年11月13日撮影

P1080515s ピエタ像(岐阜県美術館に展示のレプリカ)  2016年11月13日撮影

 このピエタ像の複製が岐阜県美術館のホールに展示されているが、環境的に明るすぎ、場所的に高い位置に展示されていて、その厳かな雰囲気と合わないのが残念である。岐阜県美術館のピエタ像からは、ローマで本物を見た時の衝撃が全く感じられない。やはり展示環境が大きく影響するようだ。

 

2021-06-25   久志能幾研究所通信 2070  小田泰仙

命の器で創る夢の道

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年5月25日 (火)

我家の御本尊様

 

虚空蔵菩薩

 2014年9月21日、1年弱待った虚空蔵菩薩座像(桧、5寸)が自宅に納佛された。明慶先生に製作をお願いした時、「いま大事な仕事にかかっているので、彼岸過ぎまで待って欲しい」と言われた。

 虚空蔵菩薩は寅年生まれの守り佛である。今まで無事に生きてこられたのを感謝するのと、今後の守り佛として見守ってもらうため、製作をお願いした。明慶先生の大事な仕事とは、高野山に納める四天王の製作であった。

 虚空蔵菩薩とは、広大な宇宙の無限の智慧と慈悲を持った菩薩という意味である。そのため智慧や知識、記憶といった面でのご利益をもたらす菩薩として信仰されている。

 「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるという修行を修した行者は、あらゆる経典を記憶し理解して忘れることが無くなるという。しかし、忘れることは人間の徳性である。忘れない人とは、神であり、人でなし。

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 松本明慶大仏師作 虚空蔵菩薩像 

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人の愚かさ

 1979年頃、私も仕事で悩み、人生に迷っていた。ある新興宗教の教祖著の『密教入門(求聞持聡明法)』を読み、それに嵌りかけた。しかし物理的に凡人が、真言を百日間かけて百万回唱えるという修行が出来るわけがない。冷静に考えると、記憶を絶対に忘れないとは、人間でなくなることである。過去の嫌な失敗談を何時までも覚えていては、地獄である。今まで何回、嫌なことで死にたいと思ったことか。それが人間の特性として、忘れるから良いのであって、何時までも覚えていることは決して善ではない。

 当時は天中殺も流行した時代である。この新興宗教の手法を盗用して、オウム真理教が勢力を拡大して、地下鉄サリン事件を起こした。有名大学出の若者が堕ちていった。頭が良い人は、楽をして成功を手に入れたがる。人とは愚かな存在で、歳を取らないと己の愚かさに気がつかない。人は愚かな事をしてみて、初めて愚かな事をしてはダメと気づく。

 

文殊菩薩

  文殊菩薩は、衆知を集めて知恵を出せと教えている。三人寄れば文殊の知恵である。自分だけの考えでは駄目なのだ。文殊菩薩は、迷いや煩悩を断ち切る宝刀を右手に掲げ、左手に経典(佛の教え)を持ち、迷える衆生を導いている。

 しかし三人寄っても、それが正しいとは限らない。個人ではなく集団になると、集団浅慮で、かえって短絡的に意思決定をしてしまう時もある。そこには賢さが無くなっている。

 

Dsc06572s_2 松本明慶大仏師作 文殊菩薩像 

知識と知恵 

 知識とは議論において相手をねじ伏せるための武器である。時としてその知識が己の行動を縛る。智慧とは議論をしなくても問題を解決する佛智見である。知識で論理的に戦うことは、理でしか戦えない偏った戦いである。理だけでは感情を理解できない。だから「感動」はあっても「理動」はない。智慧とは理知をもって俯瞰的に物事を導く佛力である。お釈迦様はこの佛智見を衆生に教示するため現れた。

 

知識過剰

 しかし、どんなモノでも過剰にあると毒になる。モノが過剰にあると探す時間と保管の時間を取られ、人生の時間(命)が蝕まれる。人生経営指標の無形資産回転率が低下する。モノには精霊が籠もっていて、使われない悲しみの表われである。知識もありすぎると、どれが有用なのかが分からなくなる。1テラの知識量よりも一つの智慧が勝る。

 

智慧の経営

 浄土とは智慧で悟る世界である。穢土とは知識に振り回される煩悩が溢れる世界である。普賢菩薩と文殊菩薩は浄土から穢土に、理知を運ばれる。

 知識は時代と共に正誤が変わるが、智慧は不変である。知識を武器に相手を論破する競争よりも、黙々と下に根を伸ばす精進で智慧を育むことが大事である。不毛な議論は時間の無駄で、議論の正誤は歴史が正してくれる。多くの人が嫌がることは正しいことではない。人に喜ばれてこそ功徳である。不毛の議論は犬も食わぬ。

 

Dsc012821s    馬場恵峰書『人生訓80恵峰選』(2005年)より

賢くあれ

 Appleのジョブズは新しいことを創造した人間として、母校のスタンフォード大学の講演で「愚かであれ」と唱えた。目的を達成するために、愚かもののように邁進するのは必要だが、知恵は必要だ。

 凡人の私は、ホモサピエンスとして「賢くあれ」と唱えたい。ジョブズは世界一の金持ちになったが、間違った健康知識で癌を悪化させた。彼は癌に勝てず56歳で世を去った。世界一の財力でも、金と知識だけでは病気には勝てない。

 人生を生きていくために貯めなければならないのは、金でなく智慧である。賢さである。病気になって金の力や知識の力で治すのではなく、智慧と賢さ病気にならないことだ。知識があっても、意思が強くないと、実行できず、免疫力を強くできず病気に負ける。

 

普賢菩薩

 今の混迷の時代、我々に必要なことは、賢くなることだ。政府は当にならない。自分の身は自分で守る。知識がいくらあっても、意味がない。あまねく賢く振舞わないと、現世では負ける。政府もマスコミも賢くなく、烏合の衆である。

 私は、毎日、普賢菩薩様に手を合わせている。賢く物事に対処したいと、誓っている。普賢菩薩は合掌して私に向き合っている。合掌して祈るとは、心を無にして、謙虚に反省して今後の自分の行動を誓うことだ。それがサムライの心得である。普賢菩薩は釈迦如来を守る脇侍である。

 私が2019年に大病を患い、その病気の快癒を願って、文殊菩薩と普賢菩薩は、2019年7月に納佛された。

 

Dsc06566s_3   松本明慶大仏師作 普賢菩薩像

我家の御本尊

 御本尊とは、信仰の大切な対象である。2015年、我が家のお墓を改建したご縁で、仏壇にはご先祖の為に釈迦如来を祀った。如来とはかくの如く来たりしものという意味である。佛として理想の姿である。

 私は現世の自分の守り佛として、虚空蔵菩薩と文殊菩薩と普賢菩薩を居間に祀った。自分の守り本尊として、釈迦如来様では畏れ多いと思ったからである。

 

4k8a02641s_2 松本明慶大仏師作 釈迦如来像 

集団指導体制?

 一般的には、釈迦如来とその脇侍として文殊菩薩と普賢菩薩が祀られる。釈迦如来像は一般的に文殊菩薩と普賢菩薩の倍の大きさで作られるが、我が家は集団指導体制(?)として、大きさがほぼ同じである。例えれば一般の会社組織と同じで、社長も役員も同じ立場という体制とした。

 菩薩とは如来を目指し仏道を修行している仏様である。みんな同じ菩薩様なのだ。その身分に差はない。まとめ役として虚空蔵菩薩を中心に祀った。

 文殊菩薩は、衆知を集めて知恵を出せ、宝剣で煩悩を断ち切れと教えている。普賢菩薩は合掌して、佛を信じる衆生を、あまねく賢くあれと導いている。その二佛の菩薩を統括するのが、虚空蔵菩薩である。私は毎日、智慧があり、普く賢くありたいと虚空蔵菩薩と文殊菩薩と普賢菩薩に手を合わせている。

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2021-05-25   久志能幾研究所通信 2034 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。