b-佛像彫刻・大佛師松本明慶 Feed

2024年3月 4日 (月)

毛が抜ける理由、抗がん剤治療を拒否した理由

 

 船が大嵐に会い、沈没の危機に際した時、船長は沈没を避けるために、船で不要なものを捨てる。それが船乗りの危機管理である。

 

 抗がん剤を打つと癌患者の毛が抜ける。それは上記の理由で、命の危機に際して、体は生命維持に不要なもの(毛)を最初に捨てているのだ。抗がん剤が投与されると、体は命に危機が迫ったと判断する。

 

毛が抜ける医学的原因

 抗がん剤(化学療法)は分裂が活発な細胞に強く影響する。そのため、細胞分裂がとても盛んな毛母細胞(毛を作るもとになる細胞)は、抗がん剤(化学療法)の影響を受けやすく、毛根がダメージを受けることから脱毛が引き起こされると考えられている。

 とりわけ、毛母細胞の働きがさかんな髪の毛は、抗がん剤(化学療法)の影響が大きく、脱毛を生じやすい部分といえる。

 

 猛毒の物質や、エボラ出血熱等の患者と接する場合、看護婦は完全なる防御服を着てその作業をする。看護婦の身を守るための処置である。

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    AXELで販売されていた防御服

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 看護婦はその防御服を着て、ガン患者に猛毒の抗がん剤を打つ。抗がん剤は猛毒で、その原料はナチスが使っていた毒ガスが主成分である。

 そんな猛毒の抗がん剤を体に入れて、ガンが完治するとは思えない。抗がん剤は正常な細胞も同時に攻撃する。抗がん剤に、正常な細胞と癌細胞の区別はつかない。無差別爆撃とおなじである。ガン細胞はやっつけました。がんは治りましたが、患者は死にました、が末路である。抗がん剤治療に耐えられる体力のある若い人は良いが、高齢者の私には無理である。

 だから私は抗がん剤治療を拒否して、薬剤医師とけんか別れをした。

 抗がん剤治療を受けている人を見ると、ガス室に連れていかれるユダヤ人を連想してしまう。

 

抗がん剤ばく露防止に関する国の動き

 2014年5月29日厚生労働省労働基準局は、「発がん性等を有する化学物質を含有する抗がん剤等に対するばく露防止対策について」(基案化発0529第1号)を各関係団体会長宛てに発出しました。この通達は、看護師や薬剤師等が抗がん剤を取り扱う際に、意図せずばく露した場合に健康障害を発症する恐れがあるため、必要な防止対策への取り組みを求めています。

   日本看護協会のHPより

 

 抗がん剤投与には、コロナ菌対策のような完全な防御服を着て行う必要がある。それほどに抗がん剤の投与には危険があるようだ。それを癌患者には投与しても良いのか

 

抗がん剤は儲かる

 米医薬コンサルティング大手のIQVIAによると、2022年の世界のがん治療薬市場は前年比11・1%増の約1974億ドル(約28兆円)で、全疾患領域で最大の市場規模だった。 日本市場だけ見ても22年度は前年度比6・2%増の約1兆7839億円で、拡大傾向にある。2023/06/23

 

 IQVIAは2月26日、2023年の国内医療用医薬品市場が前年比3.1%増の11兆2806億円(薬価ベース)となり、初めて11兆円台に乗ったと発表した。最大市場の抗腫瘍剤市場が前年比10.5%増と2ケタ成長したことや、ラゲブリオが前年から2.5倍の1280億円を売り上げたことなどが国内市場の拡大につながった。7製品で売上1000億円を超えた。ただ、23年第4四半期にはラゲブリオを含む新型コロナ治療薬の売上が急減したほか、24年度薬価改定(改定率▲0.97%、医療費ベース)なども控えており、国内市場が24年も11兆円台となるかは不透明な状況だ。公開日時 2024/02/27 04:52

23年国内医療用薬市場 初の11兆円台 抗腫瘍剤市場が2桁成長、勢い回復 1000億円超に7製品 | ニュース | ミクスOnline (mixonline.jp)

 

 なぜ病院は抗がん剤治療を継続するか、利益率が高く、それは儲かるからだ。止められない、止らない、で病院は抗がん剤投与の中毒になっている。

 

 日本の抗がん剤は全体の16%を占める。日本の抗がん剤市場は、世界の中で6.4%を占める。日本人の人口は全世界の1%しかいないのに、その6倍の抗がん剤が使われている。異常である。

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死亡原因

 人はガンで死なない。人は体力が弱り、抗がん剤で免疫力が下がり、肺炎等を起こして死ぬ。人の体はウイルス、他の病原菌の攻撃を免疫力で防いでいる。それの防波堤を抗がん剤で破壊するから、肺炎等の炎症(延焼?)を起こして自滅する。

 ガンになったのも、がん細胞を免疫酵素が殺せなかったためだ。ガンは毎日、5000個も生まれている。それを免疫酵素が殺している。

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ガンへの姿勢

 がんを治すより、ガンにならない生活を目指そう。自分の免疫力を上げる生活をしよう。私はそうやってがんを克服しつつある。

 がんは進行する病気で、治療を行わないと、がん細胞は増え続け、健康な細胞や組織を侵害し、進行していく。そう医学書には書かれている。ある意味では真実だろう。

 確かに、何もしないと上記の状況だが、ガンになった原因を探し、それを無くす生活をすることで、ガンは再発しない。それを医師は明確に言わない。

 普通の医師は、ガンの手術後、今まで通りの生活で良いという。父の場合も私の場合もそうであった。それでいて再発防止として抗がん剤治療を標準治療として強要する。おかしい。がんになったのには原因がある。それを取り除かねば、ガンが再発するのは自然の理である。

 

 体に入れるものには、最大の注意を払おう。ガンの専門医は、自分がガンになったら、絶対に抗がん剤を使わないそうだ。

 

知識と知恵

 知識は力である。多くの知識を総合して、どれが正しいか、判断するのが知恵を使った賢さである。医師は偏差値が高い頭脳を持っている。医学大学に進学するには、膨大の知識を記憶せねばならぬから、頭脳明晰でないと務まらない。日本の大学は知識量の記憶量で評価する。しかし頭の記憶能力と賢さは別である。この抗がん剤治療を俯瞰して、その金儲けに汚染された医師の知識の頭に、私は呆れている。

 

 抗がん剤治療はお天道さまの道に反していると思う。あくまで私の意見である。私は医師ではないので、それしか言えない。私は医師のお世話にならないように自然の摂理に反しない生活を送っている。

 

 

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 松本明慶大仏師作 文殊菩薩

  衆知を集め、文殊の知恵を出せと教える佛様。

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 松本明慶大仏師作 普賢菩薩

  多くの選択肢から正しく選択し、賢く決断せよと教える佛様。

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2024-03-04  久志能幾研究所通信 2839号  小田泰仙

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2024年2月 3日 (土)

知識と智慧は阿吽の関係、癌の発症で格物致知

 

 知識の佛様は文殊菩薩、智慧の佛様は普賢菩薩である。人生は知識だけでは乗り切れない。実践を経た智慧がないと成功しない。古希を迎えて知る現実である。

知識偏重の害

 若いころは、ご先祖から頂いた才能の恩恵で、有名大学を出て、ちやほやされ社会で出世するエリートが多い。若い時はちやほやされたため、過保護で過ごして大した失敗も経験せず、エリート意識で頭だけが高いいまま歳を取る。そんな輩が要職に就いたり、下野して都市の要職に就くと、末路は悲惨である。本人は悲惨でなくても、都市や周りが悲惨になる。東日本大震災のとき、原発事故の対応で、愚劣な対応をして、原子炉爆発の一歩手前まで追い込んだ民主党の管直人首相がいた。そんなレベルの御仁が地方都市の長になれば都市が衰退没落する、また実際衰退した。

 

ご本尊様

 オダブツ教の泰観院本殿?には、守り佛として虚空蔵菩薩、両脇に文殊菩薩、普賢菩薩を納めらられている。私は毎日、ご本尊として手を合わせている。ガンの手術後の5年の療養生活で、やっとその深い意味に思い至った。知識と知恵は、阿吽の呼吸であることだ。それを文殊菩薩像、普賢菩薩像は表現している。

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佛は己の内にあり

 天の理で発症したガンに、人間様の考えた泥縄式の対処療法では完全には太刀打ちできない。持って生まれた免疫力を高めてガンに対するのが内なる仏の力である。それががんの再発を防ぐ。それが知識と智慧の合わせ技である。人間の体には佛が住む。それを誤った生活習慣、食生活で痛めつけてていた。それでがんが発症した。現代医学の力技だけでは、がんは治らない。

 

文殊菩薩、普賢菩薩

 お寺の大門に配置された仁王さんは阿形と吽形で門の両脇を守っている。阿形は口を開き、吽形は口を閉じて、門に入る人々を睨んでいる。

 文殊菩薩は両手を開き、知識を広く受け入れている。右手に宝刀を、左手に寶玉を持ち、座っている獅子の目はかっと見開いている。宝刀と宝玉は、道具を使ってでも知識を得ようという姿勢である。今風に言えば、ITツールを駆使して情報取集である。

 普賢菩薩は何も持たず、手を合わせて、今まで得た知識を熟成させ、それが賢さ、智慧として表している。座っている像は目を閉じている。まさに阿吽である。

 

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 松本明慶大仏師作 文殊菩薩

  衆知を集め、文殊の知恵を出せと教える佛様。

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 松本明慶大仏師作 普賢菩薩

  多くの選択肢から正しく選択し、賢く決断せよと教える佛様。

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格物致知

 知識だけではダメなのだ。いくら知識を溜め込んでも、それを実戦で使わないと、絵に描いた餅になる。その知識を智慧のレベルに上げて、賢さを使わないと、この世ではものにならない。

 格物致知とは、ものに出会って、血みどろの体験をして、初めて知に至るとの言葉である。私はガンに出会い、血みどろの治療体験をして、初めて知に至った。それまでガンは知識としては知っていたが、表面的な理解であった。実際に自分がガンになり、その治療を受けて、初めてガンの真実に達した。

 

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 馬場恵峰書

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お知らせ

 下記の記事を一部更新しました。

 

 

2024-02-03  久志能幾研究所通信 2817号  小田泰仙

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2023年12月30日 (土)

虎視昇龍 継続という名の神通力  in Sagan

 

 龍は架空の動物である。青春が実際の年齢を表すのではなく、心の状態を言うのと同じように(『青春という詩』)、龍も己の心の状態を表した現象である。

 

70年、昇龍の如し

 EV化は、ガソリン車ではトヨタに勝てない欧州勢や中国が仕組んだトヨタ潰しの陰謀である。EVは少しも省エネでもないし、脱炭素化でもない。世界の全車がEV化すれば、地球規模でエネルギーが足りなくなり、現代科学技術社会が崩壊する。そもそも全ガソリン車を電気自動車に置き換えようとしても、その電池を作る素材の絶対量が地球上には存在しない。 

 トヨタはEV化が遅れていると非難されていたが、トヨタはそんな批判を聞き流して、虎の眼で世間の愚かさを睨みながら、黙々と次世代の車の開発を進めていた。トヨタは全方位戦略で、ハイブリッド、プラグイン、水素、電気、等と開発を進めてきた。それの努力が実り、自動車メーカ間では、トヨタは昇龍のような状態となった。それはトヨタマンが創業者の社是の精神を守り、愚直に開発を継続した結果である。

 

 10年、偉大なり。

 20年、畏るべし。

 30年、歴史になり。

 50年、神の如し。(中国の格言)

 70年、昇龍の如し

 

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  昇龍  樋口ナオミ 画

  

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豊田綱領

一、上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を挙ぐべし

一、研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし

一、華美を戒め、質実剛健たるべし

一、温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし

一、神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし

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 「豊田綱領」とは、豊田佐吉の考え方を、豊田利三郎、豊田喜一郎が中心となって整理し、成文化したもの。佐吉の5回目の命日にあたる1935年(昭和10年)10月30日に発表された。

 トヨタグループ各社に受け継がれ、全従業員の行動指針としての役割を果たしている。(トヨタ自動車のHPより)

 

 トヨタはド田舎の名古屋の辺地の車メーカとして、長年、軽視されていた。トヨタは黙々と技術開発に勤しみ、会社創業90年で、世界の頂点に達した。トヨタは3年連続で、世界一の生産台数である。70年前の倒産寸前の状態から見れば、トヨタは昇龍の如くの発展である。

 

トヨタの再生

 トヨタ自動車は、ドッジ不況に苦しみ、労使紛争で1950年(昭和25年)、倒産寸前まで行った。社長の豊田喜一郎が退陣して、再興に向けて豊田自動織機の社長、石田退三が陣頭指揮をとることになった。石田退三は豊田自動織機の社長のまま、すぐに社内を飛び回り徹底的なコストカットを断行した。

 鉛筆は持てなくなるまで捨てずに使い、紙は裏紙まで使う。とにかくお金を1円でも無駄にしない働き方を自らも実践した。絞った雑巾をさらに絞る、とまで揶揄された徹底ぶりである。そんな石田退三を規範として、多くの社員が無駄を極限までそぎ落とし難局を乗り切ろうとした。そんなトヨタに朝鮮動乱の特需が舞い込み、倒産寸前のトヨタ自工を救った。

 会社存亡の危機が去ったトヨタは、その後、愚直にその創業の精神を継続して、70年かけてトヨタ自動車を世界一の自動車会社にした。つまり昇龍した。

 その根底には、質実剛健、神仏を敬い、感謝、報恩の精神があり、全社一丸となって邁進したことだ。

 50年前、私が就職活動をした当時は、「技術の日産、販売のトヨタ」と呼ばれていた。今は、日産は見る影もない。当時の百獣の王は没落して、ゴーンというドラゴンにかじり尽くされた。

 

烏合の衆からの非難

 一時は、日本政府でさえ、地球温暖化の虚言を信じて、トヨタはEV化が遅れていると非難していた。拝金主義に染まった日経新聞では、それを報じる嵐であった。それは日本を貶める売国奴の所業である。それが株価にも表れていた。

 テスラの2022年度の生産量は136万9611台、それに対してトヨタは1072万9298台である。生産規模で10倍の差があるのに、極小メーカのテスラの時価総額がトヨタより大きくなるのが異常である。

 市場は狂っていた。そしてEV化の嘘をバレて、テスラ株の暴落である。そんなことは常識で考えればわかる話だ。その陰でテスラ株を売り抜けて大儲けしたドラゴン(悪の権化)がいる。欲にかられた愚かな民が、地球温暖化の陰謀論者に騙されてテラス株を買わされた。完全なる偏向報道、偏向非難で、世界はドラゴン(悪の象徴)に洗脳された状態である。

 

出来の悪い息子

 最近、トヨタに絡む不祥事が起きている。ダイハツ、デンソー、日野自動車等の事件である。人間の人生も会社人生も同じで、90年も会社業をやっていると、息子の独立、養子縁組等の会社再編成が起きる。

 不祥事の原因は、その息子たちが、親のトヨタの愚直さについていけなかっただけのことだ。

 ダイハツは大阪の名門としてのプライドが高い。その割に実力が無く、トヨタが要求する開発スピードについていけず、不正で国の審査を胡麻化しただけの事件である。それは私が部品メーカの開発部隊として、顧客のダイハツと打ち合わせの場で感じた印象である。ダイハツはトヨタの門に下ったのに、ダイハツの技術陣は、妙にプライドが高く、親会社のトヨタを見下していた。

 デンソーと言う息子は超優秀で、出来は非常に良かった。しかしそのプライドの高さと独立性の意地で、トヨタが辟易していた。当時の技術の天皇と言われたトヨタの役員がデンソーには行けず、アイシンに天下った事件があったほどだ。

 

 ライバルの海外メーカは、トヨタの技術に追いつけず、フォルクスワーゲンに至っては、排ガス検査で不正をしていた。それが露見して、その穴埋めで、EV化に走ったという顛末である。それで更に地獄への道に入っていった。

 技術に劣るルノーは、内部紛争に明け暮れている日産に目を付け、ゴーンを送り込んできた。フランス人は狡猾である。フランスは今でもアフリカ諸国を植民地扱いして搾取している。

 アメリカの三大自動車メーカも今は見る影もない。トヨタの先生であったGМは倒産し、政府の金でやっと息を吹き返した。フォード、クライスラーも影が薄い。

昇龍した龍は孤高孤独なのだ。

 

「虎視昇龍」は竜驤虎視を元に創作した熟語である。

竜驤虎視(りゅうじょうこし):意味:威勢が強く、世間を睨みつける。龍が天に昇るように勢いがあり、虎のように世間を睨みつける様を表す。

 

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  干支の虎  松本明慶工房作

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2023-12-30  久志能幾研究所通信 2791号  小田泰仙

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2023年11月21日 (火)

巡礼 福田公美 仏教美術の日本画 in Sagan

 

 西洋画の展覧会では、殉死、磔、煉獄、最後の審判等のキリスト教に関する絵画が多い。

 人は幼少の頃、家庭でどういう教育環境で育てられたかで、その人の性格が決まる。特に画家や芸術家の性格は、その影響度が大きいようだ。日本画家の祖父祖母の後姿を見て育った福田公美さんは、その影響が画風に出ているようだ。

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国別の子どもの教育方針は、

 中国人は、人に騙されるな。

 韓国人は、人に負けるな。

 欧米人は、権利を主張せよ。原罪を意識して愛に生きよ。

      神の前での最後の審判を考えよ。

 日本人は、人に迷惑をかけるな、お天道さまが見ている、である。

 その背景に神仏は一体、輪廻転生、一木総神仏という考えがある。

 

国別で人間は、行動規範を

 ユダヤ人は宗教に求める。

 ギリシャ人は哲学に求める。

 ローマ人は法律に求める。

 中国人は騙されないために、自分が法律主となり、人治に走った。

 日本人はお天道様に行動規範を求めた。それは自然との融合である。

 

福田公美さんの「転生」を見ていて、上記の事を思い出した。

 

宗教観と絵画

 日本では神仏一体の考えがあり、自然との融合の宗教観がある。自然の全てに神が宿り、動物や植物はヒトの生まれ変わり、という輪廻転生の仏教思想がしみ込んでいる。一木総神仏とか、自然界の生き物には全て神仏が宿る。

 だから狐の嫁入りやキツネに騙された話とかがあり、温かい物語として、親から子供へ昔話として聞かされる。また伏見稲荷のように、キツネ様への信仰等がある。

 古代の人々は、人間や動物などの生物だけではなく、植物、天体、無機物のものまで、すべてのものに霊魂が宿っていると考えていた。

 このような自然信仰(アミニズム)があり、人々は自然を神様として崇敬し、その崇敬の心から祭る(祀る)ようになっていった。日本は仏教が伝来する前から、自然信仰があり、農作物を荒らす小動物を退治するキツネを大事にする信仰が仏教と融合して育ってきた。

 そういうことを大事にする家庭に育つと、輪廻転生のような思想で自然界の風景を描くことが自然となる。

 西洋の絵が、多くはキリスト教の原罪、最後の審判に影響を受けた絵が多いのは、その思想の背景があるからだ。

 2023年11月、愛知県美術館で開催された「第86回 新制作展」で出展された絵画でも、そういう原罪、最後の審判をイメージする絵画が多くあり、日本画の花鳥風月、仏教画風の画調とハッキリと隔てられている。

     

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     第86回 新制作展    「罪をさし出す」木滑美恵 画

  賞をもらうだけあって、描写力は素晴らしい。

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  第86回 新制作展    「colourⅠ」「colourⅡ」 藤川妃都美 画

   日本画として、自然との一体感が良く描かれている。

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 仏教の輪廻転生では、時間の経過で世界は回っている。仏教は因縁と時間の経過を啓示した哲学の宗教である。それが西洋の宗教とは違った位置付けである。キリスト教はキリストの愛の物語である。後世に神学の哲学が結びつけられた宗教である。(石原慎太郎氏の分析)

 日本の仏教は古代のアニミズムと融合して、輪廻転生、お天道様崇拝、神仏一体、自然界に神仏は宿る、を受け継いでいる。

 

転生

 福田広美さんの描いた「転生」には、その思想が色濃く出ている。これは仏教美術である。

 二匹のキツネの一匹は口を開き、もう一匹は口を閉ざす。陰陽の世界である。東大寺の仁王様像も阿形は口を開き、吽形は口を閉じる。高野山中門の持国天は口を開き、広目天は口を閉じている。陰陽の現れである。

 二匹のキツネは円を描くように金色の世界を回って走っている姿が描かれている。輪廻を象徴した形である。

  2匹のキツネはSの字のようにも見える。私は卍の形を連想した。

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 福田公美画 「転生」

  第3回ぎふ美術展(2021年)  奨励賞

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福田公美画 「転生」 部分

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福田公美画 「転生」 部分

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 持国天 松本明慶大仏師作 高野山中門 著者撮影

 口を開いた持国天。胸のトンボは、決して後ろ向きには飛ばないという決意を表している。

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 広目天 松本明慶大仏師作 高野山中門 著者撮影

 口を閉じた広目天。胸のセミは、その鳴き声(仏法の教え)が、お寺の鐘の音のように、遠くまでが届くようにとの願いである。



エピソード

 私はこの絵が気に入って、売って欲しい言ったが、非売品ですと福田公美さんに断られた。それで良かったと思う(笑)? 「売ります」と言われたら大炎上である。今のままでは、こんな大きな絵を飾る場所が無い。もし入手できれば、5千万円の家を新たに買わないといけない。お金を作るため、銀行強盗でもしなくてはならない? それではお縄頂戴である。絵と家と人格はセットである。絵も適材適所、分相応なのだ。ウサギ小屋に50号の大きな絵は似合わない。それが名画の悩みである?

  欲しい絵が手に入らないのは、自分の人格、財力が足りないよ、との仏様の啓示であろう。絵が持てることは、宇宙根源の理のバランスである。それは陰陽のせかいである。絵の価値に見合った人格を作れとの神仏からの啓示である。

 

盲亀流木のご縁

 人が生まれる確率は、一億円の宝くじが連続で100万回当たると同じである(村上和雄筑波大学名誉教授)。福田公美さんの「転生」は第3回ぎふ絵画展で奨励賞を獲得している。それを考えると、福田公美さんの「転生」に出会えたのは、盲亀流木のご縁と同じである。そういうご縁に出会ったことに感謝である。

 

 

2023-11-08  久志能幾研究所通信 2775号  小田泰仙

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2023年11月20日 (月)

人生の譜面 振り返り

 

 私は大学時代には囲碁クラブに入っていた。そこで一局を打つと、対局後、その囲碁試合の振り返りとして、上段者が、いま対局した手を全て盤上で再現して、その一手、一手を講評してくれる。そうやって自分の碁の力は強くなった。

 新聞社等の公式試合では、その一手一手が譜面として記録される。

 

人生譜面の記録 

 私は、「人生は一局の囲碁と同じである」と思うようになった。以前に打った一手、碁盤に置いた石が後日、対局中の後半に大きな役割を示すことがある。人生でも同じである。何気ない出会いや行動した縁が、後年に大きな幸運になることがある。

 その自分が歩いた記録が、手元に資料として残っている。それを整理している。

 その人生囲碁の過去の打ち手の振り返り、そのご縁の始まりを検証することが重要だと思う。

 今後の自分の人生開拓力を強くするために、人間力、徳力を上げるため、死生観を磨くためにこそ、いままでの人生の差し手を振り返っている。

 

スクラップファイルの整理

 私は、今までの人生記事のスクラップファイルを見直している。各所に散らばった資料を一か所に集めて、84個のボックスファイルにまとめた。一時は整理して60個までに削減したが、再度見直して、まとめ直したら84個になった。それを日々見直している。そういう過去の資料を断捨離せず残しておいてよかったと思う。

 PDF化してパソコンで見る方法もあるが、パソコンの画面では、これだけの資料を見る気になれない。やはり紙の資料でないと見直せないし、当時のことが目に浮かばない。

 1974年の入院・手術の記録もある。40年前、思い余って書いた辞表もある。幸い、提出せずにお蔵入りした辞表である。左遷の記録もある。恋文もある。良き記録の山である。

 過去の資料を84個のボックスファイルに資料を入れて、日々、読み直している。1個のボックスファイルが約10kgなので、総重量が約840 kgである。人生の途中で気になった新聞・雑誌の切り抜き、講演会の資料、メール等が大部分である。多くは失敗の記録でもある。思い出は重いで~、である。私の大事なお宝である。

 

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 これで84個のボックスファイル。総重量は約840㎏。

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情報とは

 情報とは自分が気になって引っかかってきた情報が本当の情報である。そうでない情報は雑音である。その情報を見分ける能力が、人生を歩む力となっていると感じた。過去にどんな情報に反応したかで、自分の成長具合が分かる。人生囲碁、人生将棋の振り返りである。

 

過去の頑張り 

 今振り返ると、あの時に頑張りは、合理的でなかった。やっているふりの頑張りであったと反省もある。当時はまだ弱い人間で、保身での行動であった。しかしあの時の無理な頑張りと保身があったから、今の自分がいる。過去の資料を見直していると、そういう感情が沸いてくる。前に一歩出て、失敗しないと見えない世界がある。今振り返ると、頑張り過ぎたきらいがあるが、一歩前に出て良かったと、20年後に感じる人生経験である。

 今後の人生でも、過去の同じようなご縁がやってくる。ご縁も生老病死である。その新しいご縁と出会った時、過去のご縁との出会いの反省が生きてくる。だからこそ、人生の振り返りが必要だ。

 

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人生の結論

 70年間の人生を振り返り、私が得た結論は、「ご縁に良いも悪いもない」。それを運が悪かった言うのは、人間性が未熟である。出会った縁を良いものにするかの意思があるか、どうかだけである。縁は玉石混交である。縁は無機質でもある。それを血の通ったご縁に育てるのが人の徳力である。

 そのご縁は「盲亀流木」のめぐり合わせで、今生で只一度のご縁である。自分にだけ訪れたご縁である。人生で最後のご縁である。

 人生では、自分で選んだ未舗装の道を、舗装道路(正しい道)に変えればよい。人から不正解の道だと言われても、それを正解の道にすればよいだけ。だれにも、それが正しいかどうかは分からない。そのために過去の行動を振りかえり、失敗から知見を得て、PDCAを回す。人生の成功は、努力の量ではなく、選択が全てである。そのためには多くのご縁に出会い、その中から良いご縁を識別し、選択する。それが賢さである。いくらオウム真理教や旧統一教会のような道を選んで努力しても、絞首刑が待っているだけ。

 私は毎日、虚空蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩に手を合わせている。知識は必要だが、それだけで人生は渡れない。文殊の知恵が必要だ。その智慧を使って、多くのご縁からの選択が必要だ。人生道中で現れるご縁を普く賢く選択せよ、が私の信条である。

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松本明慶大仏師作 普賢菩薩像
 

 

2023-11-20  久志能幾研究所通信 2773号  小田泰仙

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2023年10月28日 (土)

巡礼 渡辺陽子人形展 目は語る  in Sagan

人は目で語り、魔女は鼻で根性を見せる

 

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 渡辺陽子さんの人形の眼は、遠くを見つめて、何かを訴えている。そこに何か惹かれるものがある。その一人の少女に魅せられて、我家にきてもらうことになった。ご縁である。魔女?の渡辺さんが生み出す少女の人形は魅力的だ。

 私が人物像の絵画や人形等を見る時は、必ずその目を見る。それがその作品の命だからだ。

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仏師が創る眼 

 仏師の彩色師が佛様の目を描くときは、彫られた目の頂点を探し、佛師が意図して彫った目の位置を探し出して目の位置決めをする。「どんぴしゃに目の位置が決まると、佛様がニコッとするのが分かる」と岩田明彩師はいう。それが目のスイートスポットである。目の位置が決まればあとは佛様と対話をしながら、佛様の表情にあう最適な目に仕上げていく。それが彩色師の仕事である。仏像の眼は、仏師と彩色師の共同の作品である。

 

目にもスイートスポットがある - 久志能幾研究所通信

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決めどころ

 テニスのラケットでボールを打つときも、ボールがテニスラケットのスウィートスポットに当たると、極めて気持ちがよい打撃感が手に伝わる。どんな仕事でも決め所がある。それがうまく決まると、仕事の醍醐味を味わえる。仕事が楽しくなる。仕事の魂と己の魂の邂逅である。そんな出逢いを得るには魂の修行が必要だ。真摯な仕事への取り組みがないと出逢えないご縁である。そんなときは、自分が仕事の鬼となっている。己が鬼にならなければ、仕事の新しい目は探せない。鬼とは己の魂の叫びである。

 

黒目のない眼

 私が高塚省吾画伯の裸婦画に魅了されるのは、その目の清々しさである。きりっとした目は、裸体を晒す羞恥心を微塵とも見せない。

 私が高塚省吾画伯に「清涼」を画いてもらった時、出来た絵に目が無かった。いつものきりっとした黒目が画いてなかった。それで高名な画伯に不躾なお願いで、目を修正してもらった。それで高塚省吾流の眼となり、納得した。

 しかし画廊の店主から、白目の意味を教えてもらった。黒目は外を、白目は自分の内面を見つめているころ表しているという。モジリアーニの描く長く引き伸ばされた顔の目は白目である。自分自身の内面を見つめている目である。そうなると別次元の絵に変貌する。

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    高塚省吾画「清涼」

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 私は、高塚省吾画伯の裸婦画のこういうキリッとした目に惹かれる。

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慈愛の眼

 ミケランジェロのピエタは、マリアをキリスト抱いている姿が真髄である。そのキリストを見つめる眼が慈愛の眼である。「ピエタ」は「慈愛」の意味である。

 不動明王が衆生を見る眼は、怒りと慈しみが籠っている。その眼で迷える衆生を救う。その眼を表現するのが彩色仏師である。

 観音菩薩の見る目も慈愛の目である。衆生の悲しみの声を観て、やさしく慈しみの目で見守る。

 

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 ミケランジェロ ピエタ(レプリカ) バチカン博物館にて

   2010年11月13日   著者撮影

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 大仏師松本明慶作 不動明王

 見る角度によって、怒りの目ともなり、慈愛の目ともなる。

 遠くから見ると、怒りの目と見える。近寄って見上げると慈しみの目となる。それを計算して創られた眼である。

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大仏師松本明慶作 聖観音菩薩像

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2023-10-27  久志能幾研究所通信 2765号  小田泰仙

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2023年10月15日 (日)

私の蓄財術、7つの財産

 

 お金は財産ではない。お金は銀行のコンピューター上に記録された数字の羅列でしかない。お金は人生劇場への入場料として必要である。そのためにお金を使わなければ、良い舞台に立てず、よい経験が得られず、良い人生を送れない。お金はチャンスを掴むための経費である。場末の安い劇場では、そこから得られる「利」は少ない。だから高くても良質な舞台を選ぼう。「利」とは仏様が与える恩恵である。

 現金だけ集めても、それを使わなければ、心の貧乏人である。お金は使ってなんぼである。必要な入場料を払わず、現金を掴んで離さなければ、良い舞台に立てない。真の財産は、新たな舞台に挑戦する勇気、それに躊躇しない逞しさと心の豊かさである。それを徳という。

 

1 人生経験という財産

 財産とは成功体験だけでなく、失敗経験もより大きな財産である。多くの失敗を犯し、流した涙と汗の分だけ、多くの智慧と徳が付き、結果として後年の成功を得られる。エリート呼ばれる上級国民が、人生後半でドジをやるのは、若い時に大事に保護されて、その失敗を経験していないからだ。自転車の訓練でも、最初に沢山転ぶと乗る技術が上手くなると同じだ。だから上級国民の末路は悲惨である。人生三大不幸の一つが、「若くして高台に登る」である。

 

 約40年まえ、私が前職で主任として働いていた職場に、エリート扱いを受けた若手2人が異動してきた。二人ともエリート意識丸出しの鼻持ちならないやつであった。そして古参の非エリートの私を追い抜き、超厚遇をされるようになった。二人は会社から大学院に派遣され、博士号まで取らせてもらい、海外出張さえ最優先であった。同じ職場で、私は貧乏くじを引かされた。その10年後、贔屓していた上司はいなくなり、任されたプロジェクトが中止となり、その一人は会社を後ろ足で泥を掛けるように退社し、もう一人は会社に残ったが、後年、閑職で定年を迎えた。それが自分はエリートと自認もし、周りからもそう呼ばれた若者の末路であった。天網恢恢疎にして漏らさず、を実感した。

 

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2 師の教え、思い出

 人生の道を歩くうえで、師の教えがお宝であることに思い至る。それは人生道を歩く上の地図であり、コンパスである。それが無ければ人生道で迷う。16年間、人生道を教えて頂いた馬場恵峰先生には感謝しかない。

 それで私は約1000万円の金を使ったが、相応の学習財産ができた。約1000万円は16年間での九州までの交通費、宿泊費、師の書画購入代等である。馬場恵峰先生は中国に240回以上も行き、その旅費で約8,000万円が消えたという(一回の旅行で約30万円余である)。恵峰先生は「それで手元に何も残っていないが、経験・信用・人脈と言う財産が残った」という。私は師の後ろ姿から多くを学んだ。

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3 健康力

 健康でなければ、美味しいものも食べられないし、旅行もできない。毎日が憂鬱である。健康でないと、お金も使えない。お金を使うには、体力がいる。

 私ががんを罹患して、体力がなくなった。それを失って初めて、健康の重要さを痛感した。体力が無ければ、お金も使えない。健康でなければ、決して幸福になれない。死んでもいいから健康最優先である。

 

 

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 上図は病気見舞いのお礼として皆さんに配った色紙。

 馬場恵峰先生に、約20枚を揮毫していただいた。

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4 少しの友

 社長業をやっている知人から、年賀状が500通だ、知り合いが数百人いるとかの自慢話をよく聞く。そんな「友人」が500人いても、その「友人」と1時間話しあっても、合計で500時間が必要だ。その友好関係を維持するには膨大な時間とお金がかかる。そんな中途半端な名目だけの「友人」と付き合うことに時間を使っていたら、人生が終わってしまう。心を許した徳のある友人は数人で十分である。

 

5 少しのお金

 日本でお金と言われる代物は、日本銀行券である。それはあくまで、日本銀行が保証した、兌換券でしかない。日本銀行が保証しなければ、紙くずである。

 1947年、日本政府は新円を発行し、今まで持っていた円を使用不能にした。ほんの76年前のことだ。それで母の父(私の祖父)の退職金が紙くずとなった。だから母は、私に「政府を信用するな」と口を酸っぱくして教えた。

 国体が変われば、お金は紙くずとなる。その時に必要な財産とは、どんな時代、どんな社会でも生きていける才覚を養うことである。その時に、稼ぐことができる能力が、真の財産力だ。両親は、戦後の激動の時代を裸一貫からがむしゃらに働き、一財産を作り、私に残してくれた。

 お金は、当面の生活が出来る少々を持っていればよい。チャップリンは「人生で必要なものは、勇気と想像力と少しのお金」と言った。あの世にはお金を持って行けない。稼いだ「お金」は、自分の人生体験と能力向上に振り向ける。今は、明日を知れぬ激動の時代である。隣国からの日本侵攻、南海トラフ大地震が起きるやも知れぬ。その時にその持てる生きる力がものを言う。

 

 

6 社会貢献という財産

 社会に貢献したということは、天に貯金をしたことだ。それで将来、自分だけでなく、子孫にも利子(社会からの恩恵)が支払われる。

 先の大戦では、私の家系で叔父が2名、お国に命を捧げた。一人は極寒のシベリア、もう一人は灼熱のインパール作戦の地で亡くなった。父はシベリア抑留に人生の一時期を捧げた。それで今の日本がある。父がシベリアで死んでいたら、私の生はない。私はその恩恵を私は受けて生きている。毎日、感謝で仏壇に手を合わせている。

 馬場恵峰先生は、60歳の時、社会貢献として、家屋敷を担保に入れ、生命保険に入り、1億円の借金をして、日中文化資料館を建てた。その借金は24年かけて84歳の時、完済した。だから天は師を94歳まで現役で活躍させる恩恵を与えた。

 

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 350坪の敷地に建つ日中文化資料館  大村市

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5 賢さという財産

 いくら知識・智慧・財産があっても賢くないと、それを使いこなせない。賢くないと、頭の良さは悪知恵となり、周りに害毒をまき散らす。木原誠二、ジャニーズ喜多川のように。

 日本のエリートと呼ばれる類は、知識はあっても智慧と徳が無い。ましてや賢さもない。更に公僕と言う意識は皆無である。記憶テストで高得点だけを取った東大出のエリートが日本滅亡の政策をごり押ししている。今の日本の停滞の原因は、トップの堕落が原因である。己の蓄財に熱心で、日本を泥船化して、一緒に沈んでいくことに気が付かない。その結果、増税邁進、中韓迎合、保身の無為無策、世論無視である。木原誠二問題、統一教会問題、ジャニーズ性加害事件、谷町の闇、宝塚歌劇団問題、等はエリート政治家の利権が関係している。

 

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  松本明慶大仏師作 普賢菩薩像

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6 素直さという財産

 いくら幸運に恵まれても、驕ってしまえば、衰退である。素直に置かれた状況を受け入れる素直さ、回りの人の意見を聞ける素直な能力も大事な財産である。どんな状況でも、生きていることに感謝である。

 

7 宗教力

 宗教の「宗」とは家の「ウ冠」と神への捧げものを表す「示」からなる象形文字である。つまり宗教とはその家の教えである。仏教やキリスト教は、大量生産に相当する大手企業と同じである。家の家訓は家庭料理と同じである。それはご先祖が何代にも亘って作り上げてきた教えである。2000年前は、それらの大規模宗教団体が成立していないので、各家の教えが宗教であった。要は家庭料理である。毒のある外食(新興宗教団体)よりも、家庭料理(家の家訓)を大事にしよう。それは財産である。母や父の教えを守る。それも宗教力である。

 

 

2023-10-15  久志能幾研究所通信 2759号  小田泰仙

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2023年9月27日 (水)

六つ墓村の墓じまい、タタリで癌に? (2/2) 改訂版

墓じまいの「たたり」?

 墓じまいの4年後の2019年1月、私にがんが発見され、摘出手術を受けた。自覚症状がなかったので、ステージⅢaとガンが進行して手遅れ寸前であった。転移はなかったが、主治医から「5年後生存率は51.6%」と宣告された。つまり5年後までに、同じ病気の人の半分は死ぬ計算である。それは過去の統計上の確率である。

 そして手術後の標準治療として抗がん剤治療を計画された。それを受けないと命の保証はしないと脅された。私はその抗がん剤治療を拒否して、医師と喧嘩別れをした。

 それから抗がん剤治療に代わる治療を求めて、ネットや本で情報を集め全国を放浪した。横浜のHクリニックにも足を延ばした。そして船戸クリニック(養老町)に行きつき、半年ほど治療を受けた。船戸院長先生は、自身もガンを経験されており、親身になって診察をしてくれた。しかし保険がきかない自由診療で、少々お金がかかった。命にかかわることなどで、敢えてそれを進めた。

 抗がん剤はガン細胞を攻撃するが、それ以上に正常な細胞も攻撃する。免疫力の下がった高齢者には地獄である。私はその知識があったので、抗がん剤治療を拒否した。医者は大病院という組織の一員なので、病院が決めた方針に従わざるを得ない。治療をするのと、病気を治し、再発させない仁術の医とは違うのだ。現代の医学は算術である。そこに医療業界と医薬品業界との癒着の問題を垣間見た。

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 船戸クリニック   船戸クリニックのHPより

愛ある医療を目指します | 岐阜養老の船戸クリニック (funacli.jp)

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 ガン再発防止としての点滴

  週に2回、約1時間の点滴と1時間の温熱療法である。それが約半年間続いた。ガンを治すのではなく、癌が再発しないようにする予防治療である。私はずっと点滴液の落ちるのを凝視する。点滴液の落ちる様を見ながら、人生を考えた。それは座禅に似ていた。

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癌はたたり

 がんはご先祖の「たたり(多々利)の声」であった。それを私は謙虚に受け止め、がんになった真因を探り、生活習慣を見直した。なんとか今、手術後、4年生きている。

 ご先祖の使者である癌は、一言も「死ね」とは言っていない。癌はただ「間違った生活を変えなさい。そのままでは早く死ぬ」と告げているだけだ。

 ご先祖の霊はたたり(祟り)をしない。そもそも子孫を可愛いと思っているご先祖がたたり(祟り)など、するわけがない。この世では形ある力を出せない霊が、子孫のことを思って、病気や事故という形で危険を教えてくれているだけだ。そのメッセージを謙虚に受け止めよう。

 

利益

 「多々利(たたり)」「利」とは、仏様からの恩恵である。利益(りやく)とは、仏語で、仏菩薩などが衆生など他に対して恵みを与えること。恵みを与える種々の行為。また、その恵み・幸せ。利生(りしょう)の事である。

 それから派生して、利益りえき)という経済用語が出来た。

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 因果応報

 がんになったのには原因がある。どんな事象も因果応報である。良いことをすれば良き結果が生まれ、悪いことをすれば、悪い事象が起きる。癌の部分を摘出するのは対処療法である。だから癌になった真因を追及して、再発防止をしないとガンが再発する。なぜ何故を5回繰り返し、ガンになった真因を突き止めないと、再発する。元を断たなきゃダメなのよ。

 がんとは人体で日々再生される細胞の不良品である。人体は一日に1兆個の細胞を創り出している。そのうちの5千個ほどががん細胞という不良品である。正常な健康状態なら、免疫酵素がそれを排除してくれる。しかし生活が乱れていると、それがうまく機能せず、癌細胞が生き残る。それが長い間に増殖して癌となる。目に見える大きさになるまでに10年はかかる。

 人体の生産品でである不良品の削減は、トヨタ生産方式に品質管理で行う。不良品が作られてから対処するのではなく、生産工程で不良品を出さないような作り込みをするのがトヨタ生産方式である。がんの摘出手術は応急処置の対処療法である。真因を見つけてそれを無くさない、再発する。

 ある意味、ガンはご先祖様からのメッセージであった。その不幸が心筋梗塞、脳梗塞、交通事故、新型コロナ感染でないのは幸いである。それでは即死状態で死の対応ができない。また自分が認知症になれば、その対策も打てない。がんならば死ぬまで時間があるので、改心?して対策と心の準備が出来る。その警告が「たたり(多々利)の声」である。

 

使者

 がんはご先祖様が派遣した使者である。その名は観音菩薩である。観音菩薩は、衆生の悲しみの声を観て、駆けつける菩薩様である。観音菩薩様は私の生活の不協和音を観て、私に危機を伝えた。観音菩薩様はこの世では、物理的な力がないので、ガンにメッセージを託した。それは眼施(がんせ、癌施)である。私は愚で、検査するまで気が付かなかった。このガンは自覚症状が皆無であった。音なし?の構えである。

 私のピアノの師である河村義子先生が、その直前の2018年12月25日、がんで亡くなられた。それで胸騒ぎを覚え、翌年早々にがん検診を受けた。それが私のガンの発見のきっかけ(ご縁)であった。河村義子先生とのご縁がなければ、私の癌の発見は遅れただろう。それが癌の末期になる寸前で発見できて、転移もなかったのが助かった最大の要因である。

 その河村義子先生の戒名が「聖観院教音義愛大姉」である。なにか因縁のある素晴らし戒名である。

 

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 松本明慶大仏師作 聖観音菩薩像

 この姿は、衆生の悲しみの声を観て、裾を上げ、一歩前に足を踏み出す姿を現している。

 この仏様は2011年にご縁があり来宅された。

 私が前職を定年延長せず、大垣に帰郷したので出会えた仏様である。

 大垣に帰郷しなければ、出会えなかったご縁である。

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がんのメッセージ

 ガンは自分の生き方を訂正しなさい、とのメッセンジである。

 生活習慣を見直して、休め。

 食生活と生活習慣を見直せ。

 自分を大切にせよ。

 毎日を大切にして、常に夢を持て。

 人の温かさに感謝せよ。

 小欲少食で。

 義務感、正義感を捨てて、気楽に生きよ。

 今一度、人生を考え直せ。

 一日一日を大事にしなさい、

 自分を受け入れ、他人を受け入れよ。

 全ての事象に感謝せよ。

 全ての事象はメッセージを発している。

 その事象は声なき経を唱えている。 

 自分の最期を考えよ。

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引用文献:

  この内容は、船戸クリニックの『フナクリ通信 第123号』を参考にした。私は船戸クリニック(養老町)の船戸祟史院長先生から、がん手術後のがん再発防止の治療を受けた。愛知県がんセンターでは、手術後の標準治療は抗がん剤治療である。私はその治療を拒否して、薬剤医師と喧嘩別れをした。それでネットで別の治療法を探して、それで見つけた病院であった。

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2023-09-18  久志能幾研究所通信 2750号  小田泰仙

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六つ墓村の墓じまい、タタリで癌に? (1/2) 改訂版

ご先祖のお墓を墓じまい

 祖母の親戚の叔母が2008年に亡くなり家が絶えた。叔母は京都の尼寺の住職であった。人間国宝の日本舞踊四世家元 四代目井上八千代の葬儀(2004年3月)では、この安寿様が導師を勤められた。舞妓さんたちがお参りする尼寺である。安寿様は愛知専門尼僧堂の青山俊董堂長に師事された。祖母は北尾家の最後の人であり、逝去された事でご先祖の4つあるお墓をどうするかの問題が表面化した。北尾家は井伊直弼公にご縁のある人であった。

 2015年、私が両親の23回忌、13回忌の法要をした時にそれが判明した。叔母はいつも何も言わない方であったが、意図があって親戚に連絡をしなかったのかもしれない。自分の代で家が途絶えることで、お墓の件で、菩提寺の住職にしかるべき対応をお願いしていたようだ。しかしその住職も認知症で2014年、施設に入院してしまったので、安寿様がどういうお願いをされたか不明である。安寿様も想定外である。その住職は私と同年である。人ごとではないが、前住職の認知症はなるべくして発病した業である。天網怪怪疎にして漏らさず。それも20年のタイマー付きである。

 叔母は、曹洞宗の住職として、永平寺に納骨をされていた。2015年4月27日、私は、福井の大本山の永平寺に出かけて回向のお経を上げていただいた。親族控え室で小一時間ほど待ち、本堂に入った。その日は3家の納経の儀があり、8名の僧侶により読経を上げていただき焼香と拝礼をした。なにかほっとした。

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旅立ち

  自分も何時かは旅立たねばならない。その時、後の人に自分の意思が正確に伝えられるかは分からない。死人に口なしで意思が捏造されることもある。明日、不慮の事故や脳梗塞、心筋梗塞で倒れるかもしれない。この3つの死因の比率は約30%である。死後の準備の間もないまま来世に旅立つ人が数多いのが現実である。今回の事象でそれの現実を教えてもらった。これが家系図の作成、遺言状の作成をする決断のご縁となった。

 

お墓の再建

 今回の件はご先祖からの啓示であった。私が叔母の先祖代々のお墓をお守りし、この機会に50年余を経過した小田家の墓を再建し、祖母方の先祖代々のお墓を統合・合祀する決断をした。同時に彦根藩に関係した北尾道仙の墓を再建する。

 50年余を経過すると、墓石の品質が明かになる。質の良い石は50年くらいでは劣化しないが、品質の悪い石は10年程でも劣化が目立つようになる。墓石のほころびが、魂を込めた仕事の大切さを教えてくれた。松居石材商店(文政12(1828)年創業)の松居保行店主が、本件で墓参りに行った時、たまたま仕事で墓地に来ていて、現物の墓石でその石の質の差を説明してくれた。

 

明徳

 今の自分の仕事の品質(徳)が10年、100年、1,000年後に明らかにされる。それが明徳の現れである。今の仕事にどれだけの徳を込めるかである。松本明慶先生が高野山中門の四天王に、今後の1,000年間の守り佛としての思いを込めて造立した志が伝わってきた。この教えこそが師天王の教えである。

 その経緯もあり、私はそのお墓を引き継ぐことを決意した。そして六基あった古いお墓を墓じまいして、三基のお墓を新たに建てた。それでご先祖のために、父方と母方のご先祖の墓を統合した供養塔として五輪塔を建てた。

 今振り返ると、お墓を建てた年は、高野山開山1200年の2015年で、再興された中門に松本明慶大仏師が四天王を納佛し、開眼法要をした年であった。よき因縁であった。

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 ご先祖のお墓

  京都の安寿様が守っておられた。その叔母が亡くなり、正式に墓じまいの法要をして、新たに五輪塔を建てた。

 

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 墓の字は馬場恵峰師に揮毫していただいた。

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 父方と母方のご先祖の墓を統合した供養塔としての五輪塔

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 松本明慶大仏師作 広目天

  高野山中門に納佛直前の姿 松本工房にて  ‎2014‎年‎11‎月‎23‎日

  高野山中門に設置されると、邪鬼の姿を含めての姿は、柵のためあまり見えない。この全身の姿を拝めたのは稀有なご縁であった。

 邪鬼は四天王に踏みつけられているのではない。四天王を支えているのだ。自分の生がご先祖に支えられていると同じである。ご先祖の姿はお墓でしか見えない。それは邪鬼の様と似ている。邪鬼とは現世で生きる我々を支える仏様の全てである。

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松本明慶大仏師作 持国天

  高野山中門に納佛直前の姿 松本工房にて  ‎2014‎年‎11‎月‎23‎日

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 高野山中門の広目天 開眼法要後 2015年4月25日

 足元の邪鬼の姿は前面の柵のため良く見えない。

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  高野山中門の持国天 開眼法要後 2015年4月25日

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2023-09-25  久志能幾研究所通信 2749号  小田泰仙

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2023年9月25日 (月)

巡礼 小貫善二作陶展 レッドオーシャンからブルーオーシャンへ

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マーケティング

 小貫さんは右手に陶芸の夢を持ち、左手に算盤を持ち、背中に我慢を背負って、人里離れた山奥(に相当する地)で陶芸に没頭している。

 小貫さん作品は、持てる情熱と賢さで世界の扉を開けて道を進んできた。師はゴッホのような破天荒な生き方の芸術家ではない。師は天才肌の芸術家ではないが、その攻め方は孫子の兵法とエジソンの愚直さを兼ね備えた賢さと緻密さがある。

 

 小貫さんは陶芸の学歴もなく、芸術界の後押しもなく、その世界の師匠の後押しもなく、自力で世界の扉を開いて道を歩んできた。非力な戦士に出来ることは、兵法を正しく使うことだ。

 かの織田信長だって、尾張の兵が極端に弱かったから、鉄砲や奇策でそれを補って戦ったのだ。無名時代の信長は苦労している。それに比べて当時の今川氏は大国大軍であるので、正攻法で攻めればよかったのだ。織田信長はそれに対して、桶狭間で奇襲作戦を取った。そして勝った。長篠の戦では、日本最強の武田軍に対して鉄砲を使って勝った。織田信長は尾張の兵が弱かったから、智慧を出して戦わざるを得なかったのだ。

 (不思議なご縁があり、私はこの9月21日、桶狭間の地の画廊に行ってきた。すぐ近くで40年間ほども住んでいて、今回が初めての訪問であった。)

 

 小貫さんは、日本内の過当競争の世界を避け、欧州にその活路を求めた。過当競争の世界は血みどろの戦いがあり、それは経営学的に「レッドオーシャン」と呼ばれる。経営戦略的にそれは避けるべきである。過当競争は、無意味な労力を強いられる。無駄な血が流れる。師はそれを避けて海外に目を向けた。そこは競争相手のいないブルーオーシャンである。

  

海外進出

 師は日本ではなく、海外で評価してもらおうと、数十点の作品を作る。海外に行くために、まず海外に行く費用と作品の輸送費用の合計50万円を貯めてから、その計画を実行した。1立法メータのコンテナに60点ほどの作品を詰めて欧州に送ると35万円ほどかかる。15万円は渡航費とホテル代である。それを年に一度実行して、それを3年続けた。1995年ごろの話しである。先に欧州に飛んで、作品を売って資金を作ったのではない。順序を経て、石橋を叩くように計画を進めた。それは身近の陶芸家が自己破産をしたのを見ていて、破綻のない手法を選んで進んだ。師はきちんと算盤をはじいてプロジェクトを進めた。

 

エジソン式絨毯爆撃?

 そして欧州の陶芸雑誌の広告ページに載っている陶芸専門の画廊を訪問し、送った作品を展示してもらう方法を取った。高級品しか扱わない画廊もあり、門前払いをされたこともある。しかし行ってみなければ、それも分からない。トヨタ生産方式でいう「現地現物」である。それでも3年間、それを続けた。海外でも陶芸専門の画廊は少ない。それでそういう手法を取らざるを得なかったいう。

 エジソンも電球を開発する時、9999回のエレメントの実験を経て、やっとタングステンのフィラメントを発見できた。愚直に目的地に進まないと、プロジェクトは成功しない。小貫さんは、欧州の焼き物を扱う画廊を全て訪れて、自作の陶器を見てもらった。エジソンと同じ情熱である。

 

国立美術館にお買い上げ

 そういうふうに作品を画廊に置いてもらうようになると、彼の作品を認めてくれる画廊主が出てきて、そのつてでドイツのライプツィッヒ美術館、ベルリン陶磁器美術館、ダーレム美術館(ドイツ)等にお買い上げとなる偉業が出来た。彼の芸術作品が本物であった証しである。海外で有名になり、深せんの中国陶磁器展からも招聘され、その深せん美術館にも蔵品となっている。

 日本でくすぶっていれば、決してそんな展開にはならない。同業者がその件を不思議がっているが、彼は人がやらない行動を選択したから、そういう結果となっただけだ。人生は努力よりも選択が重要である。要は、「レッドオーシャン」を避け、ブルーオーシャンで勝負をする。それが賢さである。

 

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  ライプツィッヒ美術館の蔵品目録より

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陶芸の激戦区

 美濃地方は陶芸のメッカである。美濃焼、多治見焼、瀬戸焼、織部焼と競合が群雄割拠である。その中に戦いを持ち込むのは芸がないので、小貫さんは独自の陶器のランプや独自の陶芸作品で、勝負している。私には初めての陶器の世界で、なかなかに見ごたえがある。

 

普賢菩薩

 私の理想の仏様は普賢菩薩である。この世で自分を花咲かせるには、知識や智慧だけでは駄目で、それに加えて賢さが必要だ。菩薩とは、真の仏を目指して歩く修行僧である。私は、その陰を小貫さんの活動に見た。陰とは、佛光に照らされて、黒夜に浮かび上がる真の姿である。非力な私は、強敵と正面激突しては勝ち目がないと自覚している。理不尽な敵や天才肌の敵のいない海でなら、努力を続ければ自分の力が100%発揮できる。それがブルーオーシャンである。それを再認識させてくれた展示会である。

 

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  松本明慶大仏師作 普賢菩薩像

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2023-09-25  久志能幾研究所通信 2746号  小田泰仙

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