b-佛像彫刻・大佛師松本明慶 Feed

2024年7月 2日 (火)

「みとりし」上映後、死神が来たりて笛を吹く

 

 「みとりし」上映会で奇遇な縁が舞い込んだ。「みとりし」の上映会後、1週間が経ったころ、知人が「訪問したい」と電話をしてきた。用は何かと聞いてもハッキリ言わず口を濁すだけ。

 6月29日(仏滅)、木戸ホールの改造の打ち合わせを音響の専門家M氏とした後、16時頃、知人は二人連れで訪問してきた。連れの人とは面識が無い。名刺を見たら中小企業の社長であった。結論として二人とも死神だった。訪問目的はN宗への入信勧誘であった。

 

11年前の入会勧誘事件

 N宗の幹部信徒は、11年前にも自宅に押し掛けてきた。(ブログ参照)

 

久志能幾研究所通信 : 私はこれ(小指)で、※※をやめました (enjoy.jp)

 

 その信徒は自身で営業活動もしていた社長だったし、G経営研究会の元会長でもあったので、説明も弁舌サワヤカで、説得力があった。その信徒は、私への説得が難しいと悟り、後日、岐阜地区の親分の所(Y会計事務所所長)に私を連れていった。そこでその親分は仏教関係の資料を見せながら高圧的に入会を説得してきた。思わず入会の意思を示したが、後でネットを調べたら、とんでもない新興宗教団体であることが判明した。それで脱兎のごとく逃げた。

 

今回の入信勧誘事件

 その信徒が、先日の「みとりし」映写会の新聞記事で、私をカモと思い、押しかけてきたようだ。あな怖ろしや。ある美術館の館長さんの言葉では、「おださんはそのイベントで、有名人、金持ちと認定されたので喜ばしいく名誉なこと」だと。しかし名誉には危険が伴うのだ。

 11年前に比べると、今回はド素人のような入会勧誘内容であった。その社長も営業出身ではないようだ。私は懇々とその死神を諭して、お帰り頂いた。

 

 二人は勧誘に対して熱意もないし、説得の技術、勧誘のテクニックもなく、単にノルマで勧誘に来たようだ。それも過去の営業記録もなく過去の勧誘されていたことも知らないというお粗末な勧誘方法であった。

 

相手を占う

 相手は従業員数80名弱の中小企業の社長で、50~60歳代である。2代目のようで、一見全く苦労をしていないしまりのないの顔である。ボンボンのように見えた。少し異様な風貌で、決して付き合いたいとは思わない顔相である。

 そうか、知人はこんなレベルの人と付き合っているのか、と愕然とした。人は、付き合っている人でもその人格が評価される。ご用心、ご用心。

 私は観相学の知識があり、それで観相をするし、説得の占い(テクニカルライティングに則った評価)もする。資料占い、名刺占いもする。それからみると全ての項目で落第である。それでよく社長が勤まるかと呆れた。二代目だから社長に居座っているのだろう。だから新興宗教に引きずり込まれて、ノルマでいやいや勧誘をしているようだ。その営業?説明のレベルは、11年前よりかなり落ちていた。その宗教団体も化けの皮が剥がれてきて、会員の質も劣化してきたのだろう。

 

N宗教団体の実態

 それでも入会金38万円は変わらず、入会秘密儀式も京都で2日間と同じである。入会すると、なんだかんだと年間数十万円~数百万円をむしり取られる。その教団の本殿の建設費を信徒数で割ると、一人当たり1千万円以上となる。

 ご奉仕の名目で、遠方の教団御殿の早朝の時間指定の掃除に駆り出される。現地に行くまでの遠距離運転と掃除の労働の疲労で、帰宅時に交通事故を起こし、死亡している会員も多いとか。

 いわば統一教会やオウム真理教のごとく、搾取され殺される。まさに死神である。脱退しようとすると、信徒が大勢で押しかけてきて、「脱会すれば無間地獄に堕ちるぞ」と家の回りで大騒ぎをするという。

 一緒に大騒ぎをする信徒も、真面目に大騒ぎをしないと脱会を考えていると疑われる。そのため、疑いを避けるために必死に大騒ぎをせねばならぬ。この大騒ぎは、脱会しようとする信徒に、そんな気を起こさせないための見せしめの儀式でもある。

 オウム真理教の教団内でのリンチ殺人事件でも、一緒にリンチをしないと自分が殺されるので、必死にリンチに加わる。狂った宗教集団は、そんな怖ろしさがある。

 「無間地獄に堕ちる」には、正式には親殺し等の極悪非道の罪を犯さなければ、その地獄に行く資格がない。それを持ち出して脅迫するのはお笑いであり、無知の極みである。宗教の脱会の自由は日本国憲法で保障された権利である。

 なお正式の仏教では、勧誘行為は戒律で禁止である。入信希望者を拒みはしないが、寺院側からの勧誘は禁止である。自分の菩提寺が新規に檀家を募集しているなど聞いたことがない。勧誘禁止はキリスト教でも同じで、128派あるキリスト教でも、ごく少数派が勧誘をしているだけである。

 

撃破

 私の仏教知識と5トンの書籍の現物を見せつければ、仏教知識に素人のような二人を諭すのは、赤子の手をひねるようなものであった。二人は尻尾をまいて帰っていった。

 二人とも、仏教の本質とは何か、原始仏教と現代の仏教の差は何か、生きるとは何か、宗教とは何か、仏教の歴史、現地現物のあり方はと問うても、答えられない。彼らにはそんな知識も意識もなく、それを考えるという発想もなく、教団からの洗脳された教えをそのまま顧客?(カモ?)に伝えているだけだ。それでは相手を説得できない。

 

平安時代の貴族並み

 彼らがこの宗教団体に入ったのは、自身の病気や経営問題があり、解決のため安易な道を選んだのだろう。それは自身に災難が降りかかると、平安時代の貴族の様に、ご先祖様の祟り、悪霊が取りついたと思い、それを加持祈祷で解決しようとするのと同じである。新興宗教団体の教えは、その加持祈祷の類と同じである。

 我々は平安時代から1300年も経った現代に生きており、科学技術の恩恵を受け、その知識を持っている。なぜ病気になったか、なぜ経営が上手くいかないか、何故なぜを5回繰り返し、真因を探る手段を講じればよいだけだ。

 病気になったのは、生活習慣、食事習慣が間違っていただけだ。会社の業績が上がらないのは、経営が原理原則に則っていなかっただけだけだ。そう考えて自分で問題を解決しないと、新興宗教団体のカモとなる。

 

怖ろしさ 

 この宗教団体を、N宗と表現したのは、相手は強力なIT部隊を持っており、ネット上で都合の悪い情報があると、改ざんや削除をしてしまう。そんな怖ろしい団体であるから自衛せねばならぬ。Wikipediaや2チャンネルの情報でも改ざんしてしまう。だからネット上の情報は疑ってみないと騙される。私は目を付けられてネット攻撃を受けないため、N宗と表現した。この宗派の問題は『週刊新潮』が頻繁に取り上げている。

 

極楽ポイントで死の勧誘

 前回のリーウェイ勧誘もN宗も両方とも初期費用が38万円、39万円と絶妙な価格設定である。その価格帯が極楽ポイントのようだ。リーウェイ勧誘やN教勧誘が世に蔓延るのは、政治が悪い。政治が悪くなると、世が乱れ、人は安易な金儲けや宗教にその解を求めがちだ。怖ろしいことだ。

 オウム真理教事件が起きたのは、30年前だ。新興宗教団体の恐ろしさが解明されたのに、いまでも統一教会事件のような事件が起きる。統一教会のような団体に人生を狂わされると、安倍元首相暗殺という事件さえ起きる。安倍元首相の存在の有無が、日本国家の安全に影響する。そんな恐ろしさである。

 宗教狂団は貴方の財布を狙っている。ご用心、ご用心。看取られる前に「殺されて」は、安らかに死ねない。その宗派は、葬式となると、葬儀を取り仕切り、全ての香典を持ちさってしまうという。それはS学会と同じである。

 

救いと感謝

 11年前は、もりわじんの「招き猫」が死神の勧誘の危機から救ってくれた。今回は我家の三尊が見守って私を救ってくれた。三尊とは、松本明慶師に彫って頂いた虚空蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩である。文殊菩薩の知恵と普賢菩薩の賢さで、物事を判断しよう。宇宙根源の理に従って生きよう。それを教えてくれる仏様達である。

 今回の事件で、知識と知恵で対処することが出来た。宇宙根源の法則に則って、人生とは何かを問い、邪悪な輩を追い返すことが出来た。感謝です。

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松本明慶大仏師作 普賢菩薩像、虚空蔵菩薩像、文殊菩薩像

 

2024-07-02  久志能幾研究所通信 2872号  小田泰仙

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2024年5月 9日 (木)

大垣市役所案内ロボット、受付嬢の笑顔に勝てずクビ

 

  2020年、大垣市前市長が鳴り物入りで大垣市新市庁舎に導入した案内ロボット君はいつの間にか、お払い箱になっていた。今でも大垣市庁舎内の案内をしてくれるのは、気配りがある受付嬢である。出向くと笑顔で迎えてくれる。

 そもそも新市庁舎の顔である受付嬢を案内ロボットに代行させようと考えることが浅はかである。IT音痴で、現場に無知なエリート、世間知らずが考えることである。今の技術レベルでは、案内ロボットの仕事は使い物にならない。それは、常識ある人なら導入前に分かること。これは前市長が無駄なIT化を盲信して、税金を無駄遣いした愚行であった。

 

 人間様の受付嬢は、市庁舎の入り口から入ってくる人を、その姿から一瞬で素性を見抜く。これは今のAI技術レベルではとても太刀打ちできない。その能力で、行動を一番よく判別できる人種は自治会長だという。自治会長は真剣な面持ちで受付窓口に真っ直ぐに突進してくるという(笑)。

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   岐阜新聞  2019年4月26日   岐阜新聞のヨイショ記事

 後方の議員たちは、忖度で拍手喝さいのヤラセ演技をしている。お笑いである。記事は恥ずかくて読む気もならないレベル。岐阜新聞は御用新聞だ。読者はこんな洗脳記事にも金を払っているのだ。これを踏まえて、しっかりと大垣の未来を考えよう。

 これは読者(大垣市民)への「洗脳報道」である。「お殿様は偉いのだ」と大本営発表と同じである。そうやって市長と岐阜新聞は市民を油断させて大垣市を没落させ続けた。大垣没落には、岐阜新聞の責任も大きい。太平洋戦争でも、新聞が戦争を美化し煽った黒歴史がある。新聞が大本営発表をそのまま報道する。批判記事は全く書かない。その末路として、先の大戦で国土が灰に帰した。

 マスゴミはその反省もせず、今も過ちを繰り返し続けている。だからこの20年間、岐阜新聞は大垣市長の忖度記事ばかりで、それが一因で市民が気が付かないうちに大垣が没落した。それは大垣だけでなく、日本全体でも同じで、失われた30年が生まれた。国民が日本の政治の腐敗ぶりとマスゴミの偏向報道に目を覚ます必要がある。このままでは日本は地獄に堕ちる。

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参考 久志能幾研究所通信;

大垣市役所の案内ロボットは上から視線・平成猿芝居、無能で左遷、不貞腐れ、IT音痴

創造とは、生存を賭けた血みどろの闘い

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何時もこの場所に鎮座するだけの案内ロボット 大垣市庁舎南玄関

仕事がないのです......😿

  ‎2022‎年‎2‎月‎14‎日、‏‎14:49:

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 案内ロボットが左遷されて姿が消えた後 大垣市庁舎南玄関  2022年4月14日

 受付の主人公は受付嬢です。

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    案内ロボットが異動 大垣市庁舎 北口  2022年4月15日、11:18

   窓際に左遷されました。

   2024年現在は、外部団体のある施設に出向させられたとか......

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会社の守衛

 私の父は紡績工場の守衛であった。たかが守衛、されど守衛である。それは会社の顔でもある。その工場を代表して、最初に工場に訪れる客に接するのが守衛(警備員)である。また工場内の社員の出入りの全て顔や身なりを見て、それに対応している。不審者を工場に入れるわけにはいかない。またどの課長や部長が何時入り、何時出て行ったかを覚えている。それが仕事だからだ。守衛は単に門で座っているだけの存在ではない。

 事件があると、工場のエライさんから真っ先に守衛室に問い合わせがくる。また工場内の女子寮には数百人の若い女工さんが住んでいる。不審者が女目当てで塀を乗り越え、侵入する事件の多くあった(60年前の話)。だから守衛として門を守るだけでなく、預かっている娘さん(女工さん)を外からの侵入者から守るのも大きなお役目である。まるで四天王のお役目である。工場の自衛隊としての警察、警備員である。だから、たかが守衛ではなく、怖い存在である。

 私は守衛の本質を母から父の仕事内容を教わっていたので、自分が前職の会社に勤めていた時は、守衛室(今は保安室に名前が変わった)の人にはいつも一目を置いて、接していた。

 

母の教え

 その母からの教えの一つは、会社員の自分が出張で外に出たら、会社の代表として振舞えという教えである。「男は外に出れば7人の敵がいる」である。今振り返ると、凄いことを教えてくれた女傑の母であった。

 自分の服装、食事、態度でその会社のレベルが知られてしまうという。「勤める会社のレベルに見合った行動を取れ」と言われた。出張先の会社や講演会場で、自分の姿と行動が観察されている。出先の食事でも、出張で食費が支給されているから、それに見合った値段の食事を取れと教えられた。ケチって安い食事をとると、世間から「あの会社は、あの程度しか食費を出さない貧乏な会社」と思われてしまい、自分の会社の評価を下げるのだ。

 だから私は出張時には少し奮発して良い食事をした。それが肥満の原因? お金は人生劇場の入場料だ。それをケチッるのは、キセル人生と同じだ。

 

大垣市役所の受付嬢

 大垣市役所の受付嬢も上記との同じ役割である。市役所には血相を変えて突撃してくる市民も多いとか。その御仁が、行く部署が分からず、迷う時に親切に案内をしてくれるのが、受付嬢である。

 その優しい案内嬢が怒り心頭になるのが、たらい回しである。来訪者の用件を聞き、電話でその部署に問い合わせても、別の部署を紹介され、またそこからもたらい回しをされることが頻繁にあると言う。役所でたらい回しをされるのは、市民だけでなく、一番の被害者は受付嬢である。それをにこやかな笑顔で、怒りの市民と冷静に受け答えするのは大変な仕事だ。頭が下がる。

 

ロボット君の末路

 そんな気を配る必要がある激務を4歳の頭脳レベルの案内ロボット君がこなせるわけがない。だから案内ロボット君は、前市長のコネで入庁?したが、わずか2年で左遷され、クビになった。この2年、ロボット君の出番は1日に1度あるかないかであった。私は案内ロボットが動いている姿を一度も見ていない。

 私だって、そんな無機質な案内ロボットに聞くより、親切な受付嬢に行き先を案内してもらう。人として当たり前の話だ。最高学府卒の前市長はそれを理解できなかった。エリートは現場に無知である。そんな人が市長となれば、大垣が没落するのは必然であった。

 高学歴に目がくらみ、それで市長を選んだ市民にも責任がある。日本人は学歴偏重主義から目を覚ますべきだ。その末路が、現在の国会議員の裏金問題で、日本政治の崩壊である。

 

Pepper君の末路

 そういえばソフトバンクのPepper君も、リストラ対象となり、リース更新をしてもらえず、姿を消しつつある。孫さんも頭は切れるが、どこか抜けている。合理的に考える人は合理的にしか物事を考えられない性である。世の中は合理的だけではうまくいかない。

 

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観音菩薩様の悩み

 受付嬢は一瞬にして市庁舎に来た衆生の悩み(音)を観る。そして親切に笑顔で案内してくれる。まるで観音菩薩様のようだ。観音菩薩様は、来庁舎を訪れる善良なる衆生を救う。それでいて市庁舎を襲う外敵を見分ける四天王の役目も負う。その観音菩薩様や四天王でも、ヒラメ主義が染み込んだたらい回し役人には手を焼いている。敵は外からくるのではなく、「敵は本能寺」である。ヒラメ習性のある衆生、度し難しである。

 身内の敵が「忍法たらい回しの術」を仕掛けてこれば、手も足も知恵もない案内ロボット君はなす術がない。移動車輪が空回りするだけだ。

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 馬場恵峰書

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 松本明慶大仏師作  聖観音菩薩像

 

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 高野山 中門の広目天 開眼法要後 2015年4月25日

   松本明慶大仏師作 

 足元の邪鬼の姿は前面の柵のため良く見えない。

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  高野山 中門の持国天 開眼法要後 2015年4月25日

   松本明慶大仏師作 

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2024-05-09  久志能幾研究所通信 2857号  小田泰仙

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2024年4月 7日 (日)

地獄から見える信用できない人、地獄で佛に出会う

 

 私は5年前にガンを患い、余命宣告され、地獄に堕ちた境地になった。生死をさ迷い、棺桶に片足を入れて、娑婆の世界を達観できる心境になると、人の機微やその人の本質が良く見えるようになる。

 山を出なければ、山の全体が見えない。それと同じで、自分を死んだものとして人生を客観的に突き放すと、自分の回りに蠢く人間の本質が良く見える。

 

例1 口先だけ

 人ががんになり、手術後の後遺症で長年苦しんでいるのに、「今度、見舞いに行くね」と言って、全く見舞いに来ない人が数名いた。その中でも「見舞に行かなくてごめんね」と何度も繰り返して、それでいてその都度、別の用事を電話で頼んでくる輩がいた。

 その人が久しぶりに電話をしてきたと思ったら、その目的は、いつもと同じでチケットを売るためであった。その人は金儲けだけが目的で、人の病気など知ったことではないのだ。見舞いに来る気はさらさらない。芸術に関係の仕事をしているのに、人の心の機微も分からず、人として常識がない。そんな人と付き合ったら、良心が殺される。

 血は争えないもので、その人の息子は音楽家であるが、同じく常識がない。私の師もその行動に呆れていた。人間観察の勉強になった。

 子供を観れば親が分かる。それはテレビ上では良妻賢母の役を演じていて、家庭内教育は最悪であった女優三田圭子の例である。その息子は薬物事件を何度も繰り返した。また皇室A家の娘が、国民に後ろ足で泥をかけるが如くのNYとんずらした事件例もある。そういう事例を観れば本件がよくわかる。子供は親の背中を見て育つ。

 

例2 心と体が連携していない

 人ががんで入院して苦しんでいる時、電話がかかってきて、その人は「ガンななられたと聞いて驚いています」と言う。その御仁は、私が彼の住まいから直ぐ近くの病院に入院しているのに、足を動かさず、電話だけですませた。その芸術家は、感動や人の悲しみに心を動かしても、行動に移せない人であることが判明した。芸術家として心が動き、体が動いて、行動に移せない人には真の感性がない。頭で理解して理動ということはない。心で感じて感動すれば、行動が伴う。行動に出なければ、いくら口先で美辞麗句を並べても虚しい。今まで応援していた音楽家ではあったが、大成しない冷たい芸術家だと判断して、縁を切った。

 

例3 世間知らず

 その御仁は、「俺が君を後任に選んだのだ」と偉そうに私に言う。現実は皆に断られて、万策尽きて最後に私の処に来ただけだ。私ががんになり、後遺症でいまだに苦しんでいるのに、この5年、一度も訪問もなし、見舞いにも来ない。口先だけで、自分では動かない。世間知らずであった。やはり元校長や元警察署長や天下り人間は世間知らずである。

  その御仁が5年も経って、「君のやろうとしていることは間違っている」と自宅に怒鳴り込んできた。それも手下を引き連れてやって来た。それがどれだけ世間的に非常識であるかに、本人は気が付いていない。世間知らずとはそういうことだ。

 私は彼を出禁にした。付き合うだけ人生で損をする存在である。

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例4 命知らず

 人と面談しているのに、断りもなく勝手に携帯にでて、会話に盛り上がる御仁。人の時間(命)を殺しているのに、気が付かない。

 私がある会合で隣席の人と話し合っているのに、何の断りもなく勝手にその人の話を遮断してきて、無神経に会話をする人。その御仁は自己顕示欲の塊である。

 面談とは、その人のもつ時間(命)を頂いているのだ。1時間の面談ならその人の持つ人生時間を1時間いただいているのだ。命には限りがある。特にがんを患い、余命宣告までされると、残り時間を意識するようになった。その貴重な時間を殺す人とは付き合い方を考えるべきだ。

 

例5 無神経

 直前まで一緒に仕事をしていて、私が手術で1か月休むと伝えても、見舞いも気遣いもしてくれない人もいた。

 

例6 金儲け一筋

 人がガンで入院して1か月も留守をしていたのに、私の自宅を挨拶で訪問をして、「近くまで来たので、寄りました」という名刺を玄関ドア挟んでいった営業マンがいた。彼とは懇意でよく付き合っていた。私が入院中で、数週間、その名刺がそのままになっていた。折角、留守が分からないように、新聞や郵便を止めているのに、その偽装工作が台無しである。

 退院後、それを発見し、電話で長期入院したことを伝えて苦情を言ったが、それっきりである。彼は営業マンとして、人間として終わっている。

 彼とは同じ経営研究会で知り合った仲間である。彼は経営者になろうと勉強をしているのに、経営が何たるかを全く理解していない。経営者である前に、血の通った人間であるべきだ。

 経営とは、今持てる資源を最大限に生かし、成果を上げることだ。資源の中で、一番大事な資源とは、仲間の命である。それを大事に出来なかったら、経営者として失格である。

 私がその営業マンの立場なら、飛んできて謝罪とお見舞いをする。

 

例7 出不精

 以前、かなりの頻度で一緒に食事をして、雑談を楽しんでいた知人がいた。入院中、かなり回復してきたので、電話で会いたいと伝えたら、「少し遠いので、退院後に見舞いに行く」という。私の入院の病院は名古屋のど真ん中で、彼の家から電車と地下鉄で2時間の距離の人である。

 わざわざ電話で、病気を伝えて、来てくれることをお願いしているのに、退院後と言う神経が分からない。退院後ももちろん、見舞いには来ない。その人の人間性が分かり、その人とは縁を切った。

 

例8 守銭奴

 ある親戚に手術の保証人を頼みに行ったら、断わられた。曰く、「娘から、保証人を引き受け、もし何かあったら、後始末と遺産処理でどうするのだ」と怒鳴られ、娘と喧嘩中だという。この会話で親娘ともに人間性に疑問を抱き、縁を切った。

 その娘は地方銀行の支店長を務めている。銀行員の本性は、「晴れに日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げる」である。

 血のつながりのないY先生から、保証人になってあげると言われ涙が出た。結果は、別の親戚に保証人をお願いして、事なきを得た。

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例9 対処療法だけの医師

 病気になっても、対処療法しかしてくれない医師は信用できない。例えば、高血圧症になっても、降圧剤しか処方しない医師である。降圧剤では永遠に高血圧は治らない。高血圧になった真因を探して、それを無くさないと病気は治らない。私は降圧剤を20年間飲まされ、それで記憶力低下とガンになったと信じている。体が必要としているのに、それを薬で血圧を下げれば、別の病気になる。

 対処療法だけしかしない医師から、降圧剤を長年処方されて、私も父もガンになった。

 なぜ対処療法の降圧剤だけの治療になるか。儲かるからだ。大事な金づるとして、病院に縛り付けることが出来るからだ。医術ではなく、算術の重きを置いている輩である。

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地獄で佛に出会う

 地獄で見る人間裏心理劇は面白い。死の間際まで行かないと見られない活劇である。

 そんな折、九州の馬場恵峰先生から巻物の病気見舞い手紙をもらった時は涙が出た。九州にいて、高齢の先生は名古屋まで来れるはずもない。まさに地獄で佛に出会う、である。

 人はたった一言、小さな心遣いで救われる。

 観音菩薩様は、衆生の苦しみの声(音)を観ると、裾を上げ、一歩足を前に出す姿勢で、駆け付けて下さる。ありがいことだ。

 手に持つ蓮のつぼみは、少し開いている。悟りを開いている姿の象徴である。

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 松本明慶大仏師作  聖観音菩薩像

 

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 馬場恵峰書『佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集』より

    久志能幾研究所刊

 

2024-04-06  久志能幾研究所通信 2850号  小田泰仙

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2024年3月 4日 (月)

毛が抜ける理由、抗がん剤治療を拒否した理由

 

 船が大嵐に会い、沈没の危機に際した時、船長は沈没を避けるために、船で不要なものを捨てる。それが船乗りの危機管理である。

 

 抗がん剤を打つと癌患者の毛が抜ける。それは上記の理由で、命の危機に際して、体は生命維持に不要なもの(毛)を最初に捨てているのだ。抗がん剤が投与されると、体は命に危機が迫ったと判断する。

 

毛が抜ける医学的原因

 抗がん剤(化学療法)は分裂が活発な細胞に強く影響する。そのため、細胞分裂がとても盛んな毛母細胞(毛を作るもとになる細胞)は、抗がん剤(化学療法)の影響を受けやすく、毛根がダメージを受けることから脱毛が引き起こされると考えられている。

 とりわけ、毛母細胞の働きがさかんな髪の毛は、抗がん剤(化学療法)の影響が大きく、脱毛を生じやすい部分といえる。

 

 猛毒の物質や、エボラ出血熱等の患者と接する場合、看護婦は完全なる防御服を着てその作業をする。看護婦の身を守るための処置である。

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    AXELで販売されていた防御服

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 看護婦はその防御服を着て、ガン患者に猛毒の抗がん剤を打つ。抗がん剤は猛毒で、その原料はナチスが使っていた毒ガスが主成分である。

 そんな猛毒の抗がん剤を体に入れて、ガンが完治するとは思えない。抗がん剤は正常な細胞も同時に攻撃する。抗がん剤に、正常な細胞と癌細胞の区別はつかない。無差別爆撃とおなじである。ガン細胞はやっつけました。がんは治りましたが、患者は死にました、が末路である。抗がん剤治療に耐えられる体力のある若い人は良いが、高齢者の私には無理である。

 だから私は抗がん剤治療を拒否して、薬剤医師とけんか別れをした。

 抗がん剤治療を受けている人を見ると、ガス室に連れていかれるユダヤ人を連想してしまう。

 

抗がん剤ばく露防止に関する国の動き

 2014年5月29日厚生労働省労働基準局は、「発がん性等を有する化学物質を含有する抗がん剤等に対するばく露防止対策について」(基案化発0529第1号)を各関係団体会長宛てに発出しました。この通達は、看護師や薬剤師等が抗がん剤を取り扱う際に、意図せずばく露した場合に健康障害を発症する恐れがあるため、必要な防止対策への取り組みを求めています。

   日本看護協会のHPより

 

 抗がん剤投与には、コロナ菌対策のような完全な防御服を着て行う必要がある。それほどに抗がん剤の投与には危険があるようだ。それを癌患者には投与しても良いのか

 

抗がん剤は儲かる

 米医薬コンサルティング大手のIQVIAによると、2022年の世界のがん治療薬市場は前年比11・1%増の約1974億ドル(約28兆円)で、全疾患領域で最大の市場規模だった。 日本市場だけ見ても22年度は前年度比6・2%増の約1兆7839億円で、拡大傾向にある。2023/06/23

 

 IQVIAは2月26日、2023年の国内医療用医薬品市場が前年比3.1%増の11兆2806億円(薬価ベース)となり、初めて11兆円台に乗ったと発表した。最大市場の抗腫瘍剤市場が前年比10.5%増と2ケタ成長したことや、ラゲブリオが前年から2.5倍の1280億円を売り上げたことなどが国内市場の拡大につながった。7製品で売上1000億円を超えた。ただ、23年第4四半期にはラゲブリオを含む新型コロナ治療薬の売上が急減したほか、24年度薬価改定(改定率▲0.97%、医療費ベース)なども控えており、国内市場が24年も11兆円台となるかは不透明な状況だ。公開日時 2024/02/27 04:52

23年国内医療用薬市場 初の11兆円台 抗腫瘍剤市場が2桁成長、勢い回復 1000億円超に7製品 | ニュース | ミクスOnline (mixonline.jp)

 

 なぜ病院は抗がん剤治療を継続するか、利益率が高く、それは儲かるからだ。止められない、止らない、で病院は抗がん剤投与の中毒になっている。

 

 日本の抗がん剤は全体の16%を占める。日本の抗がん剤市場は、世界の中で6.4%を占める。日本人の人口は全世界の1%しかいないのに、その6倍の抗がん剤が使われている。異常である。

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死亡原因

 人はガンで死なない。人は体力が弱り、抗がん剤で免疫力が下がり、肺炎等を起こして死ぬ。人の体はウイルス、他の病原菌の攻撃を免疫力で防いでいる。それの防波堤を抗がん剤で破壊するから、肺炎等の炎症(延焼?)を起こして自滅する。

 ガンになったのも、がん細胞を免疫酵素が殺せなかったためだ。ガンは毎日、5000個も生まれている。それを免疫酵素が殺している。

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ガンへの姿勢

 がんを治すより、ガンにならない生活を目指そう。自分の免疫力を上げる生活をしよう。私はそうやってがんを克服しつつある。

 がんは進行する病気で、治療を行わないと、がん細胞は増え続け、健康な細胞や組織を侵害し、進行していく。そう医学書には書かれている。ある意味では真実だろう。

 確かに、何もしないと上記の状況だが、ガンになった原因を探し、それを無くす生活をすることで、ガンは再発しない。それを医師は明確に言わない。

 普通の医師は、ガンの手術後、今まで通りの生活で良いという。父の場合も私の場合もそうであった。それでいて再発防止として抗がん剤治療を標準治療として強要する。おかしい。がんになったのには原因がある。それを取り除かねば、ガンが再発するのは自然の理である。

 

 体に入れるものには、最大の注意を払おう。ガンの専門医は、自分がガンになったら、絶対に抗がん剤を使わないそうだ。

 

知識と知恵

 知識は力である。多くの知識を総合して、どれが正しいか、判断するのが知恵を使った賢さである。医師は偏差値が高い頭脳を持っている。医学大学に進学するには、膨大の知識を記憶せねばならぬから、頭脳明晰でないと務まらない。日本の大学は知識量の記憶量で評価する。しかし頭の記憶能力と賢さは別である。この抗がん剤治療を俯瞰して、その金儲けに汚染された医師の知識の頭に、私は呆れている。

 

 抗がん剤治療はお天道さまの道に反していると思う。あくまで私の意見である。私は医師ではないので、それしか言えない。私は医師のお世話にならないように自然の摂理に反しない生活を送っている。

 

 

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 松本明慶大仏師作 文殊菩薩

  衆知を集め、文殊の知恵を出せと教える佛様。

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 松本明慶大仏師作 普賢菩薩

  多くの選択肢から正しく選択し、賢く決断せよと教える佛様。

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2024-03-04  久志能幾研究所通信 2839号  小田泰仙

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2024年2月 3日 (土)

知識と智慧は阿吽の関係、癌の発症で格物致知

 

 知識の佛様は文殊菩薩、智慧の佛様は普賢菩薩である。人生は知識だけでは乗り切れない。実践を経た智慧がないと成功しない。古希を迎えて知る現実である。

知識偏重の害

 若いころは、ご先祖から頂いた才能の恩恵で、有名大学を出て、ちやほやされ社会で出世するエリートが多い。若い時はちやほやされたため、過保護で過ごして大した失敗も経験せず、エリート意識で頭だけが高いいまま歳を取る。そんな輩が要職に就いたり、下野して都市の要職に就くと、末路は悲惨である。本人は悲惨でなくても、都市や周りが悲惨になる。東日本大震災のとき、原発事故の対応で、愚劣な対応をして、原子炉爆発の一歩手前まで追い込んだ民主党の管直人首相がいた。そんなレベルの御仁が地方都市の長になれば都市が衰退没落する、また実際衰退した。

 

ご本尊様

 オダブツ教の泰観院本殿?には、守り佛として虚空蔵菩薩、両脇に文殊菩薩、普賢菩薩を納めらられている。私は毎日、ご本尊として手を合わせている。ガンの手術後の5年の療養生活で、やっとその深い意味に思い至った。知識と知恵は、阿吽の呼吸であることだ。それを文殊菩薩像、普賢菩薩像は表現している。

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佛は己の内にあり

 天の理で発症したガンに、人間様の考えた泥縄式の対処療法では完全には太刀打ちできない。持って生まれた免疫力を高めてガンに対するのが内なる仏の力である。それががんの再発を防ぐ。それが知識と智慧の合わせ技である。人間の体には佛が住む。それを誤った生活習慣、食生活で痛めつけてていた。それでがんが発症した。現代医学の力技だけでは、がんは治らない。

 

文殊菩薩、普賢菩薩

 お寺の大門に配置された仁王さんは阿形と吽形で門の両脇を守っている。阿形は口を開き、吽形は口を閉じて、門に入る人々を睨んでいる。

 文殊菩薩は両手を開き、知識を広く受け入れている。右手に宝刀を、左手に寶玉を持ち、座っている獅子の目はかっと見開いている。宝刀と宝玉は、道具を使ってでも知識を得ようという姿勢である。今風に言えば、ITツールを駆使して情報取集である。

 普賢菩薩は何も持たず、手を合わせて、今まで得た知識を熟成させ、それが賢さ、智慧として表している。座っている像は目を閉じている。まさに阿吽である。

 

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 松本明慶大仏師作 文殊菩薩

  衆知を集め、文殊の知恵を出せと教える佛様。

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 松本明慶大仏師作 普賢菩薩

  多くの選択肢から正しく選択し、賢く決断せよと教える佛様。

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格物致知

 知識だけではダメなのだ。いくら知識を溜め込んでも、それを実戦で使わないと、絵に描いた餅になる。その知識を智慧のレベルに上げて、賢さを使わないと、この世ではものにならない。

 格物致知とは、ものに出会って、血みどろの体験をして、初めて知に至るとの言葉である。私はガンに出会い、血みどろの治療体験をして、初めて知に至った。それまでガンは知識としては知っていたが、表面的な理解であった。実際に自分がガンになり、その治療を受けて、初めてガンの真実に達した。

 

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 馬場恵峰書

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お知らせ

 下記の記事を一部更新しました。

 

 

2024-02-03  久志能幾研究所通信 2817号  小田泰仙

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2023年12月30日 (土)

虎視昇龍 継続という名の神通力  in Sagan

 

 龍は架空の動物である。青春が実際の年齢を表すのではなく、心の状態を言うのと同じように(『青春という詩』)、龍も己の心の状態を表した現象である。

 

70年、昇龍の如し

 EV化は、ガソリン車ではトヨタに勝てない欧州勢や中国が仕組んだトヨタ潰しの陰謀である。EVは少しも省エネでもないし、脱炭素化でもない。世界の全車がEV化すれば、地球規模でエネルギーが足りなくなり、現代科学技術社会が崩壊する。そもそも全ガソリン車を電気自動車に置き換えようとしても、その電池を作る素材の絶対量が地球上には存在しない。 

 トヨタはEV化が遅れていると非難されていたが、トヨタはそんな批判を聞き流して、虎の眼で世間の愚かさを睨みながら、黙々と次世代の車の開発を進めていた。トヨタは全方位戦略で、ハイブリッド、プラグイン、水素、電気、等と開発を進めてきた。それの努力が実り、自動車メーカ間では、トヨタは昇龍のような状態となった。それはトヨタマンが創業者の社是の精神を守り、愚直に開発を継続した結果である。

 

 10年、偉大なり。

 20年、畏るべし。

 30年、歴史になり。

 50年、神の如し。(中国の格言)

 70年、昇龍の如し

 

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  昇龍  樋口ナオミ 画

  

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豊田綱領

一、上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を挙ぐべし

一、研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし

一、華美を戒め、質実剛健たるべし

一、温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし

一、神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし

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 「豊田綱領」とは、豊田佐吉の考え方を、豊田利三郎、豊田喜一郎が中心となって整理し、成文化したもの。佐吉の5回目の命日にあたる1935年(昭和10年)10月30日に発表された。

 トヨタグループ各社に受け継がれ、全従業員の行動指針としての役割を果たしている。(トヨタ自動車のHPより)

 

 トヨタはド田舎の名古屋の辺地の車メーカとして、長年、軽視されていた。トヨタは黙々と技術開発に勤しみ、会社創業90年で、世界の頂点に達した。トヨタは3年連続で、世界一の生産台数である。70年前の倒産寸前の状態から見れば、トヨタは昇龍の如くの発展である。

 

トヨタの再生

 トヨタ自動車は、ドッジ不況に苦しみ、労使紛争で1950年(昭和25年)、倒産寸前まで行った。社長の豊田喜一郎が退陣して、再興に向けて豊田自動織機の社長、石田退三が陣頭指揮をとることになった。石田退三は豊田自動織機の社長のまま、すぐに社内を飛び回り徹底的なコストカットを断行した。

 鉛筆は持てなくなるまで捨てずに使い、紙は裏紙まで使う。とにかくお金を1円でも無駄にしない働き方を自らも実践した。絞った雑巾をさらに絞る、とまで揶揄された徹底ぶりである。そんな石田退三を規範として、多くの社員が無駄を極限までそぎ落とし難局を乗り切ろうとした。そんなトヨタに朝鮮動乱の特需が舞い込み、倒産寸前のトヨタ自工を救った。

 会社存亡の危機が去ったトヨタは、その後、愚直にその創業の精神を継続して、70年かけてトヨタ自動車を世界一の自動車会社にした。つまり昇龍した。

 その根底には、質実剛健、神仏を敬い、感謝、報恩の精神があり、全社一丸となって邁進したことだ。

 50年前、私が就職活動をした当時は、「技術の日産、販売のトヨタ」と呼ばれていた。今は、日産は見る影もない。当時の百獣の王は没落して、ゴーンというドラゴンにかじり尽くされた。

 

烏合の衆からの非難

 一時は、日本政府でさえ、地球温暖化の虚言を信じて、トヨタはEV化が遅れていると非難していた。拝金主義に染まった日経新聞では、それを報じる嵐であった。それは日本を貶める売国奴の所業である。それが株価にも表れていた。

 テスラの2022年度の生産量は136万9611台、それに対してトヨタは1072万9298台である。生産規模で10倍の差があるのに、極小メーカのテスラの時価総額がトヨタより大きくなるのが異常である。

 市場は狂っていた。そしてEV化の嘘をバレて、テスラ株の暴落である。そんなことは常識で考えればわかる話だ。その陰でテスラ株を売り抜けて大儲けしたドラゴン(悪の権化)がいる。欲にかられた愚かな民が、地球温暖化の陰謀論者に騙されてテラス株を買わされた。完全なる偏向報道、偏向非難で、世界はドラゴン(悪の象徴)に洗脳された状態である。

 

出来の悪い息子

 最近、トヨタに絡む不祥事が起きている。ダイハツ、デンソー、日野自動車等の事件である。人間の人生も会社人生も同じで、90年も会社業をやっていると、息子の独立、養子縁組等の会社再編成が起きる。

 不祥事の原因は、その息子たちが、親のトヨタの愚直さについていけなかっただけのことだ。

 ダイハツは大阪の名門としてのプライドが高い。その割に実力が無く、トヨタが要求する開発スピードについていけず、不正で国の審査を胡麻化しただけの事件である。それは私が部品メーカの開発部隊として、顧客のダイハツと打ち合わせの場で感じた印象である。ダイハツはトヨタの門に下ったのに、ダイハツの技術陣は、妙にプライドが高く、親会社のトヨタを見下していた。

 デンソーと言う息子は超優秀で、出来は非常に良かった。しかしそのプライドの高さと独立性の意地で、トヨタが辟易していた。当時の技術の天皇と言われたトヨタの役員がデンソーには行けず、アイシンに天下った事件があったほどだ。

 

 ライバルの海外メーカは、トヨタの技術に追いつけず、フォルクスワーゲンに至っては、排ガス検査で不正をしていた。それが露見して、その穴埋めで、EV化に走ったという顛末である。それで更に地獄への道に入っていった。

 技術に劣るルノーは、内部紛争に明け暮れている日産に目を付け、ゴーンを送り込んできた。フランス人は狡猾である。フランスは今でもアフリカ諸国を植民地扱いして搾取している。

 アメリカの三大自動車メーカも今は見る影もない。トヨタの先生であったGМは倒産し、政府の金でやっと息を吹き返した。フォード、クライスラーも影が薄い。

昇龍した龍は孤高孤独なのだ。

 

「虎視昇龍」は竜驤虎視を元に創作した熟語である。

竜驤虎視(りゅうじょうこし):意味:威勢が強く、世間を睨みつける。龍が天に昇るように勢いがあり、虎のように世間を睨みつける様を表す。

 

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  干支の虎  松本明慶工房作

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2023-12-30  久志能幾研究所通信 2791号  小田泰仙

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2023年11月21日 (火)

巡礼 福田公美 仏教美術の日本画 in Sagan

 

 西洋画の展覧会では、殉死、磔、煉獄、最後の審判等のキリスト教に関する絵画が多い。

 人は幼少の頃、家庭でどういう教育環境で育てられたかで、その人の性格が決まる。特に画家や芸術家の性格は、その影響度が大きいようだ。日本画家の祖父祖母の後姿を見て育った福田公美さんは、その影響が画風に出ているようだ。

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国別の子どもの教育方針は、

 中国人は、人に騙されるな。

 韓国人は、人に負けるな。

 欧米人は、権利を主張せよ。原罪を意識して愛に生きよ。

      神の前での最後の審判を考えよ。

 日本人は、人に迷惑をかけるな、お天道さまが見ている、である。

 その背景に神仏は一体、輪廻転生、一木総神仏という考えがある。

 

国別で人間は、行動規範を

 ユダヤ人は宗教に求める。

 ギリシャ人は哲学に求める。

 ローマ人は法律に求める。

 中国人は騙されないために、自分が法律主となり、人治に走った。

 日本人はお天道様に行動規範を求めた。それは自然との融合である。

 

福田公美さんの「転生」を見ていて、上記の事を思い出した。

 

宗教観と絵画

 日本では神仏一体の考えがあり、自然との融合の宗教観がある。自然の全てに神が宿り、動物や植物はヒトの生まれ変わり、という輪廻転生の仏教思想がしみ込んでいる。一木総神仏とか、自然界の生き物には全て神仏が宿る。

 だから狐の嫁入りやキツネに騙された話とかがあり、温かい物語として、親から子供へ昔話として聞かされる。また伏見稲荷のように、キツネ様への信仰等がある。

 古代の人々は、人間や動物などの生物だけではなく、植物、天体、無機物のものまで、すべてのものに霊魂が宿っていると考えていた。

 このような自然信仰(アミニズム)があり、人々は自然を神様として崇敬し、その崇敬の心から祭る(祀る)ようになっていった。日本は仏教が伝来する前から、自然信仰があり、農作物を荒らす小動物を退治するキツネを大事にする信仰が仏教と融合して育ってきた。

 そういうことを大事にする家庭に育つと、輪廻転生のような思想で自然界の風景を描くことが自然となる。

 西洋の絵が、多くはキリスト教の原罪、最後の審判に影響を受けた絵が多いのは、その思想の背景があるからだ。

 2023年11月、愛知県美術館で開催された「第86回 新制作展」で出展された絵画でも、そういう原罪、最後の審判をイメージする絵画が多くあり、日本画の花鳥風月、仏教画風の画調とハッキリと隔てられている。

     

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     第86回 新制作展    「罪をさし出す」木滑美恵 画

  賞をもらうだけあって、描写力は素晴らしい。

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  第86回 新制作展    「colourⅠ」「colourⅡ」 藤川妃都美 画

   日本画として、自然との一体感が良く描かれている。

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 仏教の輪廻転生では、時間の経過で世界は回っている。仏教は因縁と時間の経過を啓示した哲学の宗教である。それが西洋の宗教とは違った位置付けである。キリスト教はキリストの愛の物語である。後世に神学の哲学が結びつけられた宗教である。(石原慎太郎氏の分析)

 日本の仏教は古代のアニミズムと融合して、輪廻転生、お天道様崇拝、神仏一体、自然界に神仏は宿る、を受け継いでいる。

 

転生

 福田広美さんの描いた「転生」には、その思想が色濃く出ている。これは仏教美術である。

 二匹のキツネの一匹は口を開き、もう一匹は口を閉ざす。陰陽の世界である。東大寺の仁王様像も阿形は口を開き、吽形は口を閉じる。高野山中門の持国天は口を開き、広目天は口を閉じている。陰陽の現れである。

 二匹のキツネは円を描くように金色の世界を回って走っている姿が描かれている。輪廻を象徴した形である。

  2匹のキツネはSの字のようにも見える。私は卍の形を連想した。

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 福田公美画 「転生」

  第3回ぎふ美術展(2021年)  奨励賞

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福田公美画 「転生」 部分

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福田公美画 「転生」 部分

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 持国天 松本明慶大仏師作 高野山中門 著者撮影

 口を開いた持国天。胸のトンボは、決して後ろ向きには飛ばないという決意を表している。

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 広目天 松本明慶大仏師作 高野山中門 著者撮影

 口を閉じた広目天。胸のセミは、その鳴き声(仏法の教え)が、お寺の鐘の音のように、遠くまでが届くようにとの願いである。



エピソード

 私はこの絵が気に入って、売って欲しい言ったが、非売品ですと福田公美さんに断られた。それで良かったと思う(笑)? 「売ります」と言われたら大炎上である。今のままでは、こんな大きな絵を飾る場所が無い。もし入手できれば、5千万円の家を新たに買わないといけない。お金を作るため、銀行強盗でもしなくてはならない? それではお縄頂戴である。絵と家と人格はセットである。絵も適材適所、分相応なのだ。ウサギ小屋に50号の大きな絵は似合わない。それが名画の悩みである?

  欲しい絵が手に入らないのは、自分の人格、財力が足りないよ、との仏様の啓示であろう。絵が持てることは、宇宙根源の理のバランスである。それは陰陽のせかいである。絵の価値に見合った人格を作れとの神仏からの啓示である。

 

盲亀流木のご縁

 人が生まれる確率は、一億円の宝くじが連続で100万回当たると同じである(村上和雄筑波大学名誉教授)。福田公美さんの「転生」は第3回ぎふ絵画展で奨励賞を獲得している。それを考えると、福田公美さんの「転生」に出会えたのは、盲亀流木のご縁と同じである。そういうご縁に出会ったことに感謝である。

 

 

2023-11-08  久志能幾研究所通信 2775号  小田泰仙

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2023年11月20日 (月)

人生の譜面 振り返り

 

 私は大学時代には囲碁クラブに入っていた。そこで一局を打つと、対局後、その囲碁試合の振り返りとして、上段者が、いま対局した手を全て盤上で再現して、その一手、一手を講評してくれる。そうやって自分の碁の力は強くなった。

 新聞社等の公式試合では、その一手一手が譜面として記録される。

 

人生譜面の記録 

 私は、「人生は一局の囲碁と同じである」と思うようになった。以前に打った一手、碁盤に置いた石が後日、対局中の後半に大きな役割を示すことがある。人生でも同じである。何気ない出会いや行動した縁が、後年に大きな幸運になることがある。

 その自分が歩いた記録が、手元に資料として残っている。それを整理している。

 その人生囲碁の過去の打ち手の振り返り、そのご縁の始まりを検証することが重要だと思う。

 今後の自分の人生開拓力を強くするために、人間力、徳力を上げるため、死生観を磨くためにこそ、いままでの人生の差し手を振り返っている。

 

スクラップファイルの整理

 私は、今までの人生記事のスクラップファイルを見直している。各所に散らばった資料を一か所に集めて、84個のボックスファイルにまとめた。一時は整理して60個までに削減したが、再度見直して、まとめ直したら84個になった。それを日々見直している。そういう過去の資料を断捨離せず残しておいてよかったと思う。

 PDF化してパソコンで見る方法もあるが、パソコンの画面では、これだけの資料を見る気になれない。やはり紙の資料でないと見直せないし、当時のことが目に浮かばない。

 1974年の入院・手術の記録もある。40年前、思い余って書いた辞表もある。幸い、提出せずにお蔵入りした辞表である。左遷の記録もある。恋文もある。良き記録の山である。

 過去の資料を84個のボックスファイルに資料を入れて、日々、読み直している。1個のボックスファイルが約10kgなので、総重量が約840 kgである。人生の途中で気になった新聞・雑誌の切り抜き、講演会の資料、メール等が大部分である。多くは失敗の記録でもある。思い出は重いで~、である。私の大事なお宝である。

 

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 これで84個のボックスファイル。総重量は約840㎏。

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情報とは

 情報とは自分が気になって引っかかってきた情報が本当の情報である。そうでない情報は雑音である。その情報を見分ける能力が、人生を歩む力となっていると感じた。過去にどんな情報に反応したかで、自分の成長具合が分かる。人生囲碁、人生将棋の振り返りである。

 

過去の頑張り 

 今振り返ると、あの時に頑張りは、合理的でなかった。やっているふりの頑張りであったと反省もある。当時はまだ弱い人間で、保身での行動であった。しかしあの時の無理な頑張りと保身があったから、今の自分がいる。過去の資料を見直していると、そういう感情が沸いてくる。前に一歩出て、失敗しないと見えない世界がある。今振り返ると、頑張り過ぎたきらいがあるが、一歩前に出て良かったと、20年後に感じる人生経験である。

 今後の人生でも、過去の同じようなご縁がやってくる。ご縁も生老病死である。その新しいご縁と出会った時、過去のご縁との出会いの反省が生きてくる。だからこそ、人生の振り返りが必要だ。

 

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人生の結論

 70年間の人生を振り返り、私が得た結論は、「ご縁に良いも悪いもない」。それを運が悪かった言うのは、人間性が未熟である。出会った縁を良いものにするかの意思があるか、どうかだけである。縁は玉石混交である。縁は無機質でもある。それを血の通ったご縁に育てるのが人の徳力である。

 そのご縁は「盲亀流木」のめぐり合わせで、今生で只一度のご縁である。自分にだけ訪れたご縁である。人生で最後のご縁である。

 人生では、自分で選んだ未舗装の道を、舗装道路(正しい道)に変えればよい。人から不正解の道だと言われても、それを正解の道にすればよいだけ。だれにも、それが正しいかどうかは分からない。そのために過去の行動を振りかえり、失敗から知見を得て、PDCAを回す。人生の成功は、努力の量ではなく、選択が全てである。そのためには多くのご縁に出会い、その中から良いご縁を識別し、選択する。それが賢さである。いくらオウム真理教や旧統一教会のような道を選んで努力しても、絞首刑が待っているだけ。

 私は毎日、虚空蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩に手を合わせている。知識は必要だが、それだけで人生は渡れない。文殊の知恵が必要だ。その智慧を使って、多くのご縁からの選択が必要だ。人生道中で現れるご縁を普く賢く選択せよ、が私の信条である。

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松本明慶大仏師作 普賢菩薩像
 

 

2023-11-20  久志能幾研究所通信 2773号  小田泰仙

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2023年10月28日 (土)

巡礼 渡辺陽子人形展 目は語る  in Sagan

人は目で語り、魔女は鼻で根性を見せる

 

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 渡辺陽子さんの人形の眼は、遠くを見つめて、何かを訴えている。そこに何か惹かれるものがある。その一人の少女に魅せられて、我家にきてもらうことになった。ご縁である。魔女?の渡辺さんが生み出す少女の人形は魅力的だ。

 私が人物像の絵画や人形等を見る時は、必ずその目を見る。それがその作品の命だからだ。

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仏師が創る眼 

 仏師の彩色師が佛様の目を描くときは、彫られた目の頂点を探し、佛師が意図して彫った目の位置を探し出して目の位置決めをする。「どんぴしゃに目の位置が決まると、佛様がニコッとするのが分かる」と岩田明彩師はいう。それが目のスイートスポットである。目の位置が決まればあとは佛様と対話をしながら、佛様の表情にあう最適な目に仕上げていく。それが彩色師の仕事である。仏像の眼は、仏師と彩色師の共同の作品である。

 

目にもスイートスポットがある - 久志能幾研究所通信

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決めどころ

 テニスのラケットでボールを打つときも、ボールがテニスラケットのスウィートスポットに当たると、極めて気持ちがよい打撃感が手に伝わる。どんな仕事でも決め所がある。それがうまく決まると、仕事の醍醐味を味わえる。仕事が楽しくなる。仕事の魂と己の魂の邂逅である。そんな出逢いを得るには魂の修行が必要だ。真摯な仕事への取り組みがないと出逢えないご縁である。そんなときは、自分が仕事の鬼となっている。己が鬼にならなければ、仕事の新しい目は探せない。鬼とは己の魂の叫びである。

 

黒目のない眼

 私が高塚省吾画伯の裸婦画に魅了されるのは、その目の清々しさである。きりっとした目は、裸体を晒す羞恥心を微塵とも見せない。

 私が高塚省吾画伯に「清涼」を画いてもらった時、出来た絵に目が無かった。いつものきりっとした黒目が画いてなかった。それで高名な画伯に不躾なお願いで、目を修正してもらった。それで高塚省吾流の眼となり、納得した。

 しかし画廊の店主から、白目の意味を教えてもらった。黒目は外を、白目は自分の内面を見つめているころ表しているという。モジリアーニの描く長く引き伸ばされた顔の目は白目である。自分自身の内面を見つめている目である。そうなると別次元の絵に変貌する。

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    高塚省吾画「清涼」

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 私は、高塚省吾画伯の裸婦画のこういうキリッとした目に惹かれる。

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慈愛の眼

 ミケランジェロのピエタは、マリアをキリスト抱いている姿が真髄である。そのキリストを見つめる眼が慈愛の眼である。「ピエタ」は「慈愛」の意味である。

 不動明王が衆生を見る眼は、怒りと慈しみが籠っている。その眼で迷える衆生を救う。その眼を表現するのが彩色仏師である。

 観音菩薩の見る目も慈愛の目である。衆生の悲しみの声を観て、やさしく慈しみの目で見守る。

 

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 ミケランジェロ ピエタ(レプリカ) バチカン博物館にて

   2010年11月13日   著者撮影

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 大仏師松本明慶作 不動明王

 見る角度によって、怒りの目ともなり、慈愛の目ともなる。

 遠くから見ると、怒りの目と見える。近寄って見上げると慈しみの目となる。それを計算して創られた眼である。

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大仏師松本明慶作 聖観音菩薩像

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2023-10-27  久志能幾研究所通信 2765号  小田泰仙

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2023年10月15日 (日)

私の蓄財術、7つの財産

 

 お金は財産ではない。お金は銀行のコンピューター上に記録された数字の羅列でしかない。お金は人生劇場への入場料として必要である。そのためにお金を使わなければ、良い舞台に立てず、よい経験が得られず、良い人生を送れない。お金はチャンスを掴むための経費である。場末の安い劇場では、そこから得られる「利」は少ない。だから高くても良質な舞台を選ぼう。「利」とは仏様が与える恩恵である。

 現金だけ集めても、それを使わなければ、心の貧乏人である。お金は使ってなんぼである。必要な入場料を払わず、現金を掴んで離さなければ、良い舞台に立てない。真の財産は、新たな舞台に挑戦する勇気、それに躊躇しない逞しさと心の豊かさである。それを徳という。

 

1 人生経験という財産

 財産とは成功体験だけでなく、失敗経験もより大きな財産である。多くの失敗を犯し、流した涙と汗の分だけ、多くの智慧と徳が付き、結果として後年の成功を得られる。エリート呼ばれる上級国民が、人生後半でドジをやるのは、若い時に大事に保護されて、その失敗を経験していないからだ。自転車の訓練でも、最初に沢山転ぶと乗る技術が上手くなると同じだ。だから上級国民の末路は悲惨である。人生三大不幸の一つが、「若くして高台に登る」である。

 

 約40年まえ、私が前職で主任として働いていた職場に、エリート扱いを受けた若手2人が異動してきた。二人ともエリート意識丸出しの鼻持ちならないやつであった。そして古参の非エリートの私を追い抜き、超厚遇をされるようになった。二人は会社から大学院に派遣され、博士号まで取らせてもらい、海外出張さえ最優先であった。同じ職場で、私は貧乏くじを引かされた。その10年後、贔屓していた上司はいなくなり、任されたプロジェクトが中止となり、その一人は会社を後ろ足で泥を掛けるように退社し、もう一人は会社に残ったが、後年、閑職で定年を迎えた。それが自分はエリートと自認もし、周りからもそう呼ばれた若者の末路であった。天網恢恢疎にして漏らさず、を実感した。

 

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2 師の教え、思い出

 人生の道を歩くうえで、師の教えがお宝であることに思い至る。それは人生道を歩く上の地図であり、コンパスである。それが無ければ人生道で迷う。16年間、人生道を教えて頂いた馬場恵峰先生には感謝しかない。

 それで私は約1000万円の金を使ったが、相応の学習財産ができた。約1000万円は16年間での九州までの交通費、宿泊費、師の書画購入代等である。馬場恵峰先生は中国に240回以上も行き、その旅費で約8,000万円が消えたという(一回の旅行で約30万円余である)。恵峰先生は「それで手元に何も残っていないが、経験・信用・人脈と言う財産が残った」という。私は師の後ろ姿から多くを学んだ。

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3 健康力

 健康でなければ、美味しいものも食べられないし、旅行もできない。毎日が憂鬱である。健康でないと、お金も使えない。お金を使うには、体力がいる。

 私ががんを罹患して、体力がなくなった。それを失って初めて、健康の重要さを痛感した。体力が無ければ、お金も使えない。健康でなければ、決して幸福になれない。死んでもいいから健康最優先である。

 

 

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 上図は病気見舞いのお礼として皆さんに配った色紙。

 馬場恵峰先生に、約20枚を揮毫していただいた。

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4 少しの友

 社長業をやっている知人から、年賀状が500通だ、知り合いが数百人いるとかの自慢話をよく聞く。そんな「友人」が500人いても、その「友人」と1時間話しあっても、合計で500時間が必要だ。その友好関係を維持するには膨大な時間とお金がかかる。そんな中途半端な名目だけの「友人」と付き合うことに時間を使っていたら、人生が終わってしまう。心を許した徳のある友人は数人で十分である。

 

5 少しのお金

 日本でお金と言われる代物は、日本銀行券である。それはあくまで、日本銀行が保証した、兌換券でしかない。日本銀行が保証しなければ、紙くずである。

 1947年、日本政府は新円を発行し、今まで持っていた円を使用不能にした。ほんの76年前のことだ。それで母の父(私の祖父)の退職金が紙くずとなった。だから母は、私に「政府を信用するな」と口を酸っぱくして教えた。

 国体が変われば、お金は紙くずとなる。その時に必要な財産とは、どんな時代、どんな社会でも生きていける才覚を養うことである。その時に、稼ぐことができる能力が、真の財産力だ。両親は、戦後の激動の時代を裸一貫からがむしゃらに働き、一財産を作り、私に残してくれた。

 お金は、当面の生活が出来る少々を持っていればよい。チャップリンは「人生で必要なものは、勇気と想像力と少しのお金」と言った。あの世にはお金を持って行けない。稼いだ「お金」は、自分の人生体験と能力向上に振り向ける。今は、明日を知れぬ激動の時代である。隣国からの日本侵攻、南海トラフ大地震が起きるやも知れぬ。その時にその持てる生きる力がものを言う。

 

 

6 社会貢献という財産

 社会に貢献したということは、天に貯金をしたことだ。それで将来、自分だけでなく、子孫にも利子(社会からの恩恵)が支払われる。

 先の大戦では、私の家系で叔父が2名、お国に命を捧げた。一人は極寒のシベリア、もう一人は灼熱のインパール作戦の地で亡くなった。父はシベリア抑留に人生の一時期を捧げた。それで今の日本がある。父がシベリアで死んでいたら、私の生はない。私はその恩恵を私は受けて生きている。毎日、感謝で仏壇に手を合わせている。

 馬場恵峰先生は、60歳の時、社会貢献として、家屋敷を担保に入れ、生命保険に入り、1億円の借金をして、日中文化資料館を建てた。その借金は24年かけて84歳の時、完済した。だから天は師を94歳まで現役で活躍させる恩恵を与えた。

 

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 350坪の敷地に建つ日中文化資料館  大村市

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5 賢さという財産

 いくら知識・智慧・財産があっても賢くないと、それを使いこなせない。賢くないと、頭の良さは悪知恵となり、周りに害毒をまき散らす。木原誠二、ジャニーズ喜多川のように。

 日本のエリートと呼ばれる類は、知識はあっても智慧と徳が無い。ましてや賢さもない。更に公僕と言う意識は皆無である。記憶テストで高得点だけを取った東大出のエリートが日本滅亡の政策をごり押ししている。今の日本の停滞の原因は、トップの堕落が原因である。己の蓄財に熱心で、日本を泥船化して、一緒に沈んでいくことに気が付かない。その結果、増税邁進、中韓迎合、保身の無為無策、世論無視である。木原誠二問題、統一教会問題、ジャニーズ性加害事件、谷町の闇、宝塚歌劇団問題、等はエリート政治家の利権が関係している。

 

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  松本明慶大仏師作 普賢菩薩像

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6 素直さという財産

 いくら幸運に恵まれても、驕ってしまえば、衰退である。素直に置かれた状況を受け入れる素直さ、回りの人の意見を聞ける素直な能力も大事な財産である。どんな状況でも、生きていることに感謝である。

 

7 宗教力

 宗教の「宗」とは家の「ウ冠」と神への捧げものを表す「示」からなる象形文字である。つまり宗教とはその家の教えである。仏教やキリスト教は、大量生産に相当する大手企業と同じである。家の家訓は家庭料理と同じである。それはご先祖が何代にも亘って作り上げてきた教えである。2000年前は、それらの大規模宗教団体が成立していないので、各家の教えが宗教であった。要は家庭料理である。毒のある外食(新興宗教団体)よりも、家庭料理(家の家訓)を大事にしよう。それは財産である。母や父の教えを守る。それも宗教力である。

 

 

2023-10-15  久志能幾研究所通信 2759号  小田泰仙

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