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2022年4月18日 (月)

創造とは、生存を賭けた血みどろの闘い

創造とは

 創という文字の偏である「倉」には、傷という意味がある。つくりの「リ」(りっとう)は、文字通り刀のことである。つまり「創」という字は、刀傷を表している。刀傷というのは、戦闘状態のときに敵方に切られてできる。刀傷だから、深く切られれば死ぬことになるが、浅く切られた傷ならば、時代劇の一場面のように、焼酎を吹き掛け、晒をまいて「死んでたまるか!」と気合を入れれば傷跡に肉が噴き、直っていく。そしてその新しい肉と皮膚は、以前に増して強固なものになってくる。これこそが人間の生命力であり、創造の「創」につながる。

 

真正面から切られる勇気

 平穏無事なことからは、創造は生れない。ビジネスで言えば、傷を受けるとは失敗することを意味する。おおむね人は失敗を恐れて刀を避けようとする。うまく避けられることもあろうが、大抵の場合は刀を避けようとして妙なところに傷を受けるものである。正面から対峙せず、逃げてしまったために脇腹を突かれたりもする。また自分が避けたがために、他の人間が傷を受けることにもなる。 真正面から切られる勇気を持つことである。傷を恐れてはならない。傷を負ったとしても、それは必ず再生できる。そして再生されたものは、今までよりもきっと強固なものになる。「創造」とはゼロからのスタートとは限らない。今あるものを進化させ、新たらしいものに生れ変わらせることが創造である。現状維持に創造はない。

 

 傷つかなければ進歩もない   No pain, no gain.

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無為無策の末路

 大垣市の行政は20年間、無為無策であったから、それの失敗はないだろう。しかし責任者はやったことだけでなく、やらなかったことにも責任を取らねばならぬ。

 前市長は、やるべきことをやらなかったから、公示地価が半額以下に暴落し、大垣駅前商店街を壊滅させた。市民の不動産財産の半分を吹き飛ばした。

 

役所と企業の違い

 お役所のお仕事と民間の仕事の違いで、一番大きな差は、命のかけ方と付加価値の有無である。佛像に付加価値を生み出すために佛師は命をかける。松本明慶大仏師はそう断言する。それに対して、お役所のお仕事は、予算を消化するだけの作業にすぎない。その付加価値でも、今までにないものを創り出すのは、命をかけた真剣勝負と同じである。

  

お役人の創造

 それをお役人は業者に丸投げする。例えば、大垣市の行政はIT化を「創造」と称するが、それは笑止である。

 新しい水都の時代を作るには、斧で木を切り倒すように辛い仕事だ。汗をかいてなさねばならぬ。簡単にできない。それを業者に丸投げでやることなど、内容が幼稚である。

 

 ある事業を「創造」するなら、その具体的目標値を、一桁も高い値にする具体的目標値とその期限を定めなくては、意味がない。そんなことをやった役人など聞いたことがない。「水都新時代を創造」とは、具体的にどんな創造的な実現数値があるのか、明確にして欲しい。所詮は、当時の6選目当ての大垣市の前市長の言葉の遊びである。

 大垣市は目的と手段を混同した振りをしている。税金を無駄遣いしてピンハネするためのようだ。「電子化市役所」も曖昧な表現である。まるで電子化が目的のようだ。電子化は単なる手段である。それで費用が増え、経費も増えるのら、やらない方がよい。その無意味なことをやるから、経費が増え、ゴミ袋有料化で増税しなければならない羽目になるのだ。無能政治の典型である。

 

企業の創造

 企業は血みどろな闘いをして、グローバル経済主義世界で戦っている。負ければ倒産の憂き目に遭うのだ。それが身分を保証されたお役人の天国のような世界との違いだ。

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 お笑いの新「創造」記事  岐阜新聞 2019年4月26日

 

2022-04-18  久志能幾研究所通信 2363号  小田泰仙

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