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2022年2月11日 (金)

自分を治める者

 

 虚空蔵菩薩とは、広大な宇宙の無限の智慧と慈悲を持った菩薩という意味である。そのため智慧や知識、記憶といった面でのご利益をもたらす菩薩として信仰されている。

 「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるという修行を修した行者は、あらゆる経典を記憶し理解して忘れることが無くなるという。もともとは地蔵菩薩と虚空蔵菩薩が対になっていたと思われる。

 空海が室戸岬の洞窟御厨人窟に籠もって虚空蔵求聞持法を修したという伝説はよく知られており、日蓮もまた12歳の時、仏道を志すにあたって虚空蔵菩薩に21日間の祈願を行ったという。また、京都嵐山の法輪寺では13歳になった少年少女が虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く十三詣りという行事が行われている。(この項、Wikipedia 2014/9/22)

 

求聞持聡明法

 忘れることは人間の徳性である。忘れない人とは、神であり、人でなし。1979年頃、私も仕事で悩みを持ち、人生に迷っていた。ある新興宗教の教祖著の『密教入門(求聞持聡明法)』(角川選書)を読み、それに嵌りかけたことがある。しかし物理的に凡人が、真言を百日間かけて百万回唱えるという修行が出来るわけがない。冷静に考えると、記憶を絶対に忘れないとは、人間でなくなることである。過去の嫌な失敗談を何時までも覚えていては、地獄である。今まで何回、嫌なことで死にたいと思ったことか。それが人間の特性として、忘れるから良いのであって、何時までも覚えていることは決して善ではない。

 当時は天中殺も流行した時代である。この新興宗教の手法を盗用して、オウム真理教が勢力を拡大して、地下鉄サリン事件を起こした。有名大学出の若者が堕ちていった。頭が良い人は、楽をして成功を手に入れたがる。人とは愚かな存在で、歳を取らないと己の愚かさに気がつかない。人は愚かな事をしてみて、初めて愚かな事をしてはダメと気づく。

 

 還暦後の数年間、国家試験の受験勉強で100万遍の繰り返し(ウソ?)をしても少しも記憶力が高まらず、嘆いていたら、夢の中に来宅された虚空蔵菩薩様からのお告げがあった。

 「親愛なるブルータスよ、頭が良くならないのは、修行不足でも、悪い星の下に生まれたせいでもない。長年の悪食の因果なのだ。」

 

真因

 10数年に及ぶ悪食(揚げ物、大食、スイーツ、間食等)で、脳の毛細血管の内壁にコレステロールのカスが付着して、脳の血の巡りが悪くなっていた。その表面的な現象が高血圧、記憶力低下である。このままでいくと、脳梗塞や心筋梗塞、認知症になる寸前であった。原因が分かれば、対処療法ではない真の治療ができる。食欲を制する者が、自分を治める。

 

  

捨てる菩薩行

 慈悲とは、仏教において慈悲とは、他の生命に対して楽を与え、苦を取り除くこと(抜苦与楽)を望む心の働きである。他の生命に楽を与えるとは、持てるものを分け与えること。浄土に旅立つときは、何も持っていけない。人は裸で生まれて、裸で死んでいく。持てる自身の宝を捨てる修行が菩薩行である。

 ものを持つから執着心が生れ、汚れ、腐り、腐臭を出す。金もおなじである。人が生活すれば生ごみが出ると同じである。お金だって膨大にあり過ぎると腐ってくる。そうなればウジみたいな輩がまとわりつくてくる。

 お金はお足だから、金を足止めすると、金が腐ってくる。世の中に感謝の気持ちを込めて還元してあげれば、お金を稼ぐ仏様を連れて帰ってくる。

 人生80年、どんな人間も何時かは浄土に行く身である。色即是空、空即是色、人生は一瞬の色仕掛けの映画である。一瞬の後(僅か80年後)、は空になる。だからこそ、有意義な色を出すべきだ。

 

宇宙旅行

 お金を使うのにも体力と労力がいる。金があり過ぎると正常な判断ができなくなり、金の使い道がないからと、宇宙旅行などの愚行をする輩まで出てくる。そのお値段は1050万円〜22億円とか。それで社会にどういう貢献ができるのか。もっと有意義な使い道がなかったのか。なんと虚しい色であることか。色即是空、を実例で学ばされた。

 

慈悲とは

 仏教において慈悲とは、他の生命に対して楽を与え、苦を取り除くこと(抜苦与楽)を望む心の働きをいう。一般的な日本語では、目下の相手に対する「あわれみ、憐憫、慈しみ」 の気持ちを表現する。

 

 慈悲は元来、4つある四無量心(四梵住)の徳目「慈・悲・喜・捨」の内、最初の2つをひとまとめにした用語・概念であり、本来は慈(いつくしみ)、悲(あわれみ)と、別々の用語・概念である。

 

 慈はサンスクリット語の「maitrī」に由来し、「mitra」から造られた抽象名詞で、本来は「衆生に楽を与えたいという心」の意味である。

 悲はサンスクリット語の「カルナー」に由来し、「人々の苦を抜きたいと願う心」の意味である。大乗仏教においては、この他者の苦しみを救いたいと願う「悲」の心を特に重視し、「大悲」と称する。

 これはキリスト教などのいう、優しさや憐憫の想いではない。仏教においては一切の生命は平等である。楽も苦も含め、すべての現象は縁起の法則で生じる中立的なものであるというのが、仏教の中核概念であるからである。

 

 漢訳大乗経典を用いる仏教では、慈と悲を含む四無量心を三種に説く。「衆生縁」「法縁」「無縁」の三縁である。いわば慈悲心の生起する理由とその在り方をいう。

 衆生縁とは、衆生を対象とする慈悲心である。有情縁とも言う。

 法縁とは、すべてのものごと(法)は実体がなく空であると知って、執著を断じてから起こす慈悲心。

 無縁とは、何者をも対象とせずに起こす慈悲心。それは仏にしかない心である。

 この三縁の慈悲とは、第一は一般衆生の慈悲、あわれみの心、第二は聖人(阿羅漢や菩薩の位にある仏)の起こす心、第三は仏の哀愍の心である。

   この項、wikipedia(2022/2/11)より編集加筆

 

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 松本明慶大仏師作 虚空蔵菩薩 

2022-02-11  久志能幾研究所通信 2301号  小田泰仙

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2021年8月16日 (月)

大垣に原爆投下 ジェノサイドへの前哨戦(2/3)

碑の前の誓

 私は毎朝、散歩の帰路にある大垣の被爆地の慰霊碑に手を合わす。この被爆の碑は遺族のかたがお守りをされている。私はここに来ると日本の歴史と現代の状況を感じる。犠牲の方のご冥福を祈り「二度と日本がこんな目に遇わせられないように、我が国力を上げるべく貧者の一灯として精進します」と祈っている。

 この被爆の慰霊碑は、水門川沿いにひっそりと建てられている。その南側に、大垣藩の藩校敬教堂跡に孔子像が建っている。孔子様も戦乱が続く古代中国では、無力であった。だから徳を説いたのだ。2000年経っても、孔子が生み出した価値(論語)が生きているのは素晴らしい。人は2000年経っても、その本質は変わらない。

 

人種差別

 原爆は、日本人が白人なら絶対に落とされなかったはずである。70年経った今でも、白人の有色人種への偏見は消えない。2021年4月には、ミネソタ州白人警官による無防備黒人の過剰防衛殺人に対して、第二級殺人事件で起訴されたばかりである。

 アメリカに移民した英国の祖先たちは、アメリカ原住民インディアンの950万人を殺害した。西部劇で、インディアンは悪者であった。それは白人の洗脳教育のお話しである。白人は後からアメリカ大陸に移民してきて、先住民の土地を奪い、インディアンを追放し、殺害した。白人社会では、だれも問題にしない。どちらが正しいのか。だから現在、インディアンは50万人しか生きのこっていない。だから私は西部劇を絶対に見ない。白人のそのDNAは変わらないことを歴史から感じる。我々は現代社会を生き抜くために、もっと歴史を学ぶべきだ。

 日本の外は、今でも魑魅魍魎の世界である。価値観が違うのだ。昨日(8月15日)、タリバンが内乱状態のすえ、アフガン首都を占領して戦争勝利を宣言した。世界はまだ戦争の時代である。日本人は余りに国際情勢を軽視して、歴史を忘れすぎる。

 

ジェノサイド

 国際法上でも原爆投下はジェノサイド(皆殺し)であり、その後ろめたさ故、米国の戦後の支援がある。ジェノサイドを認めたくないがため、米国内ではこの問題を掘り起こすと旧軍人会からヒステリーじみた感情で袋叩きにされる。

 1997年、エノラゲイ展を企画したスミソニアン博物館長は、この理由で袋叩きにあい、辞任に追い込まれた。私は、1997年夏、スミソニアン博物館を訪問して、その経緯をエノラ・ゲイ展で目の当たりにした。

 原爆開発は、巨額の政府予算に目が眩んだ拝金主義の鬼子であった。それが戦後、日本の原子力発電事業に食らいつき、2011年に福島原発事故を起こした。もう少しで、東日本が消えるところであった。

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 スミソニアン航空宇宙博物館のエノラゲイ展で 1997年 撮影 著者

Photo リトルボーイ(広島投下の原爆)

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 FAT MAN(長崎投下の原爆)

 スミソニアン航空宇宙博物館のエノラゲイ展で 1997年 撮影 著者

2021-08-16   久志能幾研究所通信 2121  小田泰仙

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2021年7月14日 (水)

極楽橋を渡ったら

 

 高野山開創1200年法要(2015年4月2日)の2日前の3月31日、高野山に出かけた。高野山は正月準備の12月30日のような状況で、境内のあちこちで掃除と準備作業等で騒然としていた。50年前の開創1150年法要では、50日間に47万人が訪れたという。今回の法要では30万人が来訪すると推定されていた。

 

金はあっても

 開創1200年法要の事前の参拝で良かったが、それでも平常より参拝者が多く、食堂が少ないため、昼食にありつけなかった。食堂に入り席には着いたが、多くの店員が走り回っていたが、我々の席には、待てど叫べど店員が注文を取りに来ない。待つこと10分、諦めて食堂を出た。

 高野山の極楽橋駅を渡ってしまえば、お金をいくら持っていても使えない。お金を使うのも楽しむのも、今のうち生きているうちが高野山の掟である

 現世の極楽橋駅へは往復切符で行けるが、来世の「極楽橋」行きは片道切符で、二度と帰って来られない。何事も今のうちである。

 

極楽橋を渡る前に

 弘法大師が今も修行をされているという「奥の院」にお参りをするため、約1kmの参道を往復した。その参道の両脇に30万基とも言われる墓標が林立している。その墓標の名前を見るたびに、同行の知人と二人して、「はぁ~」、「へぇー」というため息を何回、何十回と発した。日本の1200年前から続く歴史に名を残した有名人の墓標が林立していた。

 それを見て「人はこの世で集めたものでは評価されない」ことを体得した。その多くの墓標を見るたび頭に浮かぶのは、その人がこの世で何をしたか、何を世に与えたかであった。偉人はその業績に相応の墓標で祭られている。それを見てなるほどと納得させられる。後世に残るのは名前だけである。名前を刻む墓石は背景にすぎない。

 自分の死後、人が自分の墓標を見て、どう思うかを考えると、極楽橋を渡る前にやるべきことは何かを考えさせられる。

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再興された中門  四天王は開眼法要前で、白幕で覆われている 2015年3月31日

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中門の後ろに建つ根本大塔  内部は立体曼荼羅となっている

 

Img_47461s  馬場恵峰書

2021-07-14   久志能幾研究所通信 208高野山9  小田泰仙

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2021年2月 1日 (月)

写経とは人生を考える修行  苦集滅道

 

 次頁2つの軸は、60軸中でも圧巻の軸である。下地は絹のため、ゆっくり書いては墨が滲んでしまう。速く書けば墨が掠れてしまう。一定の速度で心を整えて書かなければならない。梵字もヘラのような筆で書く。

 写経は一日に1行で良いから、その意味を考えながら、書くと良い。写経とは人生を考えること。そう恵峰師は説かれる。師は今までに15,000字の経を書かれた(2015年当時で)。

 般若心経とは、玄奘三蔵が万巻の経を276文字に集大成した経である。人が生きていくための真理の言葉である。万巻のお経の核言を集めたと言える。玄奘三蔵が629年に国禁を犯して、陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行った。玄奘三蔵は16年後の645年に経典657部や仏像などを持って帰還した。その苦難苦行で獲得した真理が般若心経に詰まっている。

 

苦集滅道

 般若心経の中央にかかれた真髄の言葉が「苦集滅道」である。この世に「苦」があるが、それは苦しい思いをして、母のお腹の中からこの世に生まれてきたからである。何事も楽をして物事は生まれない。生を受けて、楽を求めて生きている間に、いつしか「苦」の因を「集」めてしまう。

 それを「滅」しようと、神社のお札を貼り、お布施をし、祈願しても「苦」は「滅」しはしない。それではショートカットである。ショートカットでは、人生でやるべき修行を放棄することだ。

 今までの狂った生活で、その「苦」の原因を「集」めてしまったのだあ。それを無くすには、正しい道(正八道)の修行で、人が人になる訓練が必要である。道を外れた人に教えを与えるには、「時間」を選び、「時(季節)」を選び、「国(場所))を選び、「順序」を選ばなければなるまい。

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2  馬場恵峰書

 

2021-02-01 久志能幾研究所通信 1907  小田泰仙

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2021年1月29日 (金)

写経書とのご縁  CANON TS-E50mmF2.8L

 

 2012年夏の明徳塾で、恵峰先生が写経書を紹介された。先生のお弟子さんが仏壇のご先祖に供えるため依頼された写経書の写しである。私も自宅仏壇に供えるには良いなと思って手を出そうとしたら、それを手にして見ていたT代表がその書を抱えたまま手放さなかった。明徳塾運営上の職権乱用ではないかと思った。

後から恵峰先生に話したら、別に書いて上げるとの事で、後日、手に入れることができた。佛が餓鬼になる事例を見ることもよき勉強ではある。ああしてはいけないと教えてくれている。欲しいと決断しても、入手が出来ないときもある。それが人生である。それでも、願望が強く、ずっと思っていれば、何時かは何とかなるものと最近は達観できるようになった。これも歳の功かなと思う。

 

写経書の撮影のご縁

 その後、恵峰先生より中国で先生の書を出版するので、軸の写真を撮って欲しいとのお話があり喜んでお受けした。丸順の今川順夫最高顧問からの写真集作成のご依頼のご縁も重なり、構えてカメラを新調した。CCDがフルサイズの一眼レフCANON5D-Ⅳの最高級品(当時)である。それを買えるのもご縁である。そうでないとこのカメラは買う気にもならなかった。なにせデカイし重たいし高価だし、持ち歩くには構えてしまう代物である。

 2014年12月10日に、恵峰先生宅で約60本のお経の軸を撮影した。福田琢磨氏に手伝って頂き、約6時間をかけて撮影した。今回は構えて行ったので、不思議と失敗の写真は一枚の無かったのに我ながら驚いたもの。やはり高いものにはワケがある。

Photo  馬場恵峰書

 

レンズの変遷

 最初は書画撮影として、マクロレンズ CANON EF100mmF2.8L(580g)を使用した。書画を撮影するには、歪が少なくよいレンズであった。その後、検討を重ねて、あおり機能付きのレンズ CANON TS-E50mmF2.8L(945g)を購入して、愛用することになった。重量も当初のEF100mmの1.5倍、価格も2倍以上となったが、書画を高精度に撮影するには、高性能のレンズである。

 その後、カメラ本体をCANON5DⅣからSONYα7RⅣに変更したが、レンズはアダプターをかませて、このCANON TS-E50mmF2.8Lを使用している。このレンズは、オートフォーカスもズームもなく、手動でピント合わせである。SONYにはこれに相当するレンズがないために、敢えてCANONレンズを使用している。CCDではSONYに分があるが、レンズはCANONに優位性がある。カメラのボディもレンズも最高のものとなると、現在では叶うメーカがないのがマニアの悩みである。

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 恵峰先生宅での撮影状況 2014年12月10日

 マクロレンズ100mmを使った撮影

 

2021-01-29 久志能幾研究所通信 1904  小田泰仙

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2021年1月27日 (水)

弘法大師とのご縁 写経ツアー

 

 馬場恵峰師は、2014年6月26日に空海大師が修行をした西安(長安)の清龍寺で写経納経をする写経ツアーを実行された。私もこの写経ツアーに誘われたが、目の手術の関係で断念した。

 弘法大師が修行をされた長安の清龍寺で、馬場恵峰先生と一緒に写経納経をされたのは素晴らしいご縁である。弘法大師のご縁は、その深遠なる教えを具現化した高野山中門につながる。私は松本明慶大仏師作の四天王像と対面できたのはよきご縁であった。

 日本に現存する曼荼羅は、空海大師が清龍寺で修行をして、中国から日本に持ち帰った元禄本がオリジナルとなっている。

 

清龍寺で写経会

 この写経ツアーでは20名の参加者が、2時間音一つ立てず無言で写経に集中した。それは見事な姿であったと同行された馬場三根子先生は回想する。

 その間に恵峰先生は2枚の写経をされた。さすが凡人とは書く速度が格段に違う。恵峰先生は別に15枚の写経・軸を持参され納経された。両親や親戚、知人のために書かれた写経であるという。

 馬場恵峰師は、「写経が一番のご先祖供養になる」と言われる。恵峰先生は軸に書かれた般若心経を清龍寺に奉納された。先生でも般若心経を書くのには2時間を要する。それも表装された軸に直接書かれる。佛技である。

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2  西安 青龍寺 金剛堂(写経をした場所)

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 写経を奉納する恵峰先生と受け取る管主寛旭和尚

 寛旭和尚は将来の中国仏教界のトップに立つ方である。

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左端 恵峰先生、齋藤明彦氏  西安(長安)にて   撮影:福田琢磨氏

 

2021-01-27 久志能幾研究所通信 1902  小田泰仙

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2021年1月25日 (月)

両界曼荼羅で自分探し

 

 曼荼羅は、サンスクリット語のnandalaの音写した言葉で、本来の意味は“本質、中心、真髄などのもつもの“を表し、仏教では仏の悟りとその世界を意味する。特に密教においては、聖域、仏の悟りの境地、世界観などを仏像、シンボル、文字、神々などを用いて視覚的・象徴的に表した図をいう。

 

人生の俯瞰図

 曼荼羅は日本密教の教えの中心ともなる大日如来を中央に配して、更に数々の「佛」を一定の秩序にしたがって配置した人生の俯瞰図である。「胎蔵曼荼羅」(胎蔵界曼荼羅とも)、「金剛界曼荼羅」の2つの曼荼羅を合わせて「両界曼荼羅」または「両部曼荼羅」と称する。

 胎蔵曼荼羅が真理を実践的な側面である現象世界として捉えるのに対し、金剛界曼荼羅では真理を論理的な側面である精神世界として捉えている。こういう概念を1300年も前に曼荼羅の図に表した創造者の知恵には、畏敬の念が起こる。

 

生きている意味

 胎蔵曼荼羅には様々な姿の佛の御姿が表されている。一人ひとりの佛にも意味がある。各々の佛が曼荼羅の世界でその場所のお役目を果たしている。自分が歩む人生で、与えられた時代とその与えられた場所で、佛としてのお役目を果たすのが、自分の使命である。己は何のために生れたか、自分探しが人生の曼荼羅である。人は生きているだけでも、佛の価値がある。

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上図:胎蔵曼荼羅(岩田明彩師作)   松本明慶仏像彫刻展(仙台・藤崎)

松本明観師、岩田明彩師、(2014年11月20日)

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2021-01-25 久志能幾研究所通信 1900  小田泰仙

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人生の曼荼羅  死肉を喰らう

 

 人生を俯瞰的に見ると、人生はピラミッドや高山の頂点を目指して歩む姿に例えられる。それは人生の宇宙観であり、緻密に築かれた城の石垣にも例えられる。

 

人生のピラミッド

 人生の目標とする所が山の頂点なら、俗世間的に言えば会社の社長である。佛の世界ではそのトップは大日如来である。そこに達するには、地獄界、畜生界、邪鬼界、人間界、天界、菩薩の世界を経ないと到達できない。人は生まれながらに頂点で生まれるのではなく、試練・修行を経て悟りの境地に達する。お釈迦様も釈迦王国の滅亡、修行、試練、弟子の離散の地獄を見て、悟りの境地を得られた。お釈迦様は万能の存在ではなく、悩みある我々凡人と同じ人間である。また大日如来も単独では存在できない。その回りの菩薩、天、鬼がいてこそ存在できる地位である。

 

人生街道で出会う仏様

 人生では、あるときは地獄の鬼と対面するときもある。不渡り倒産の危機に直面して七転八倒の苦しみを得ながら進む地獄界のときもある。時には鬼となって相手に借金の返済を迫るときもある。天として(部下や会社の)守り佛として会社を自衛する四天王となるときもある。人間とは人を殺めるような鬼畜の性もあれば、童を愛する天女のような心の両面を持つ。その心は流転して無常である。すべて己の観念が作り出している世界である。

 

受戒位

 人間とは「人」と「人」の間にある「門」を毎「日」渡り歩き、悟りの世界を求めて歩く修行僧といえる。どれだけ富財宝を手に入れても、死ぬときは全て手放して裸であの世に旅たつ。それ故、人生では、貯めた財宝ではなく、人に与えた価値で評価される。

 それを悟るにどれだけの失敗・恥・経験を積むかが、人生の修行である。人は痛い目を経験しないと目が覚めない愚かな存在である。かの釈尊でさえその過程を踏襲された。そういう目に会わないと、人の痛みが分からない。自分が仏になるための戒を授けられたのだ。

 

死肉を食らう佛

 足る知るを知らない輩が餓鬼道に堕ちる。その心はガリガリに痩せ、外見の腹だけが異様に膨らみ、目に付く人のもの手当たり次第に死肉を食らうが如き食い様である。食べても食べても、集めても集めても満足しない飢餓地獄の世界である。毘舎遮は、死肉を喰い、血をすすって飢えをしのぐ。死肉を喰っても血をすすっても満腹せず、ひたすら喰いまくる。死肉を喰う同じ仲間であっても、目も合わせず、会話さえしない。

 

曼陀羅の餓鬼

 餓鬼は東寺の曼荼羅図にも描かれている。餓鬼は劫波杯(血を盛った杯)や人の手足を持ち、これを食らう死鬼衆として描かれている。餓鬼とは人間の性である。曼荼羅図に描かれている姿は、衆生が餓鬼道に堕ちないようにとの戒めである。

 現代は拝金主義者、グローバル経済主義者という餓鬼が、社会で大手を振って君臨している。金を集めるだけの強欲に支配され、冨を独り占めする。下水が詰った状態の様で腐臭が凄まじい。四天王としての六根を麻痺された現代人が死鬼衆に食われている。

 その姿を弘法大師は、1300年間に予言した。貧富の差が拡大して、格差社会が酷くなっても、富者がひらすら死肉を喰う様は、現代資本主義社会と同じである。カルロス・ゴーンは日産社員を必要以上にリストラし、浮いた金で贅沢三昧をした。まるで死鬼衆の様である。

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 東寺 曼荼羅図 外金剛部院(部分)死鬼衆

 

自然の摂理

 死肉を喰う族も必要だ。それも必要悪だ。森林の枯れ葉が、次世代の芽の肥やしになるのは、自然界の摂理である。そういう人間がいて、佛もいて社会が成り立っている。自分の死後に、死肉(財産)を喰われても、いいではないか。どうせ来世には持って行けない。それがこの世で役立てば本望だ。そういう仕組みのなかで、己はどうするのかが佛から問われている。

 

死肉を喰らう佛に遭遇

 私もこの2年間だけでも、人から煮え湯を飲まされた事件が数度あった。その輩たちは超富裕層で、病気持ちの老人たちであった。それは全ての事例で共通していた。死期も近い老人たちが、まるで死肉を喰うような仕打ちを私にした。それは曼荼羅で、死肉を喰う佛として描かれて様と同じだ。死肉を喰っているのは、佛である。それが人生だと弘法大師は曼荼羅で教えている。

 

古希での受戒位

 私は古希も近い歳で情けない目に会った。「そういう縁を避けよ」、「人の本性を見極めよ」との佛の教えである。縁なき衆生度し難し。修証義に曰く「善悪を弁えざる邪険の輩には群すべからず」と。

 第二の人生で悟りに到達したい。悟れなかった人が、現世で餓鬼道・幽霊道に迷いこむ。帰らぬ過去の後ろ髪を引かれ、まだ来ぬ未来に目を向け、虚ろな目を向けて迷う生き様である。すべて人のせいにする被害者意識の人生である。

 

人皆佛

 人生の曼荼羅に、自分の歩いた履歴が表れている。その曼荼羅の中に現れている佛に自分の宇宙観が現れる。出会うご縁は全て自分を良くしようと現れる佛である。だから人生に無駄な縁は無く、自分以外は全て我が師である。死肉を喰う輩も仏様である。貧乏神のコスプレで現れる逆縁の菩薩にも尊い教えがある。

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 馬場恵峰書、文は小田泰仙作 

 

2021-01-24 久志能幾研究所通信 1899  小田泰仙

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2021年1月23日 (土)

中門とは曼荼羅への入口(改)

 

 弘法大師が高野山の立体曼荼羅が広がる根本大塔の前に中門を設置して、門の四隅に四天王を配した意味は深い。その先に人間の歩く道がある。まずその門を通らないと始まらない。人生の目的地までは千里の道のりである。

 『新約聖書』マタイ伝第七章に「狭き門より入れ。滅びに至る門は大きくその路は広く、これより入る者多し。いのちに至る門は狭く、その路は細く、これを見出す者なし」という。「狭き門」は、キリスト教で天国に至ることが困難であることを例えた言葉である。転じて、入学試験や就職試験など、競争相手が多くて突破するのが難しいことの例えである。

 仏教でも同じことを教えている。人は狭い門の母の経道を通り、母親を苦しめて人間界に生まれてきた。決して大門を楽に通ってきたわけではない。大門は人も動物も生き物が通ってくる。その中で魂を持った人間だけが、その次の中門に入れることができる。

 

中門を通れる資格

 人間は自分の使命に向って進む。動物は欲望のまま生きる。中門に入界審査官の四天王が立ち、通る人の心に問うている。仏道界では中門を通れるのは、魂を持った人間だけである。欲にまみれた餓鬼は、その門を通れない。中門の四隅に立つ四天王が己の魂を誰何する。

 世の中は、グローバル経済主義の強欲に取りつかれた餓鬼が跋扈している。餓鬼の世界は、金を集めても集めてもその欲が満ちることはない。多くの餓鬼は、金欲にまみれ、食欲にまみれ、性欲にまみれ、虚楽に酔って、此の世を過ごしている。利他少欲とはかけ離れた世界である。己はその四天王の目を直視できるのか。肥満した体、醜く出っ張った腹、たるんだ頬、下品な顔立ち、すべてが過去の強欲さの蓄積の証しである。

 その中門の先には大宇宙を表す立体曼荼羅が広がっている。己の目的地はどこか。何のために人間稼業をしているのか、自問しよう。

039a0676s   高野山中門 2015年4月25日撮影

039a0680s  広目天 松本明慶大仏師作  高野山中門  2015年4月25日撮影

039a1203s  増長天  松本明慶大仏師作  高野山中門  2015年10月8日撮影

 

人の狭き門

 人として生まれたのなら、構えた門の下に何を置くかである。門の下に「人」を置けば「閃き」である。門の中に人がチラッといるのを見るという意味である。閃きは生きている人間にだけに与えられている。閃きは仕事、修行において求めるものを探求し艱難辛苦の果てに天与されるもの。贅沢三昧の極楽温泉に浸かり心が緩んだ人には授からない。

 

 「間」とは門を閉じても日光、月光がもれるさまから、隙間を意味する。月の光は日に照らされて放つ光である。だから「閒」とも書く。言動から佛性の光が漏れ出るのが人間である。己は縁ある人に何を照らし与えているのか。功徳ある照らしでありたい。光を吸い込むブラックホールの存在では哀しい。

 

 「開く」は「門」+「幵」で、「幵」は、両手の象形である。門に両手をかけて開くの意味を表す。己の人生の新しい門は、己の両手で渾身の力で押さないと開けられない。開けられないのは門が重いからではなく、力の出し方が足りないのだ。

 

 「才」を置けば「閉じる」である。「閂」も同じである。門を木のかんぬきでとじた様を表す。己という人生の門にかんぬきをしては、人生は始まらない。かんぬきだけは置くのを避けたい。見ざる聞かざる言わざる、ではサルの畜生である。

 

 門の下に「口」を置けば「問う」、「耳」を置けば「聞く」。人生を生きていくために、己の門の下に何を置くかが問われている。

 

 門の下に「木」を置けば、(ひま)である。閑だから考えることが出来る。夢を抱くことが出来る。ラテン語でスカラーとはラテン語で「閑」である。ギリシャ社会では、労働は奴隷に任せて、特権階級が閑だから思想を練ることができた。それがスカラー(哲学者)である。

 

 門の下に心を置けば、「悶える(もだえる)」。口には出さずに、心を門の下に置いて公衆に晒す状態である。金に悶え、名誉欲に悶え、性欲に悶え、食欲に悶えて、恥を天下に晒している。それは智者の行為ではない。悶えた人間は、中門をくぐれない。

P11202771s  馬場恵峰書

2021-01-23   久志能幾研究所通信 1898  小田泰仙

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2020年12月29日 (火)

兵どもが夢の跡 人間関係の葛藤は戦争だ

 

 毎日、大垣の「ミニ奥の細道」を歩いていると、会社勤め時代に仕事の上でビジネス戦争を交わした仲間のことが思い出される。

 定年後の10年間の人生を振り返ると、会社時代とは違う仲間、師との付き合いの中、多くの人間関係での葛藤を思い出す。そんな思い出が、東北の地で詠んだ芭蕉の句と重なりあう。

 

「夏草や 兵どもが 夢の跡」   (岩手県平泉町)、

「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」 (山形県・立石寺)

 

 そんな仕事上でのチャンバラも今は昔である。この10年間の人間関係の葛藤が夢のようである。蝉が地上に出て、騒々しい鳴き声を響かせるのもせいぜい1週間である。長い人生を思えば人間の絶頂期の数年は、蝉が鳴く期間と同じであろう。どんなに騒々しく働き栄達を極めても、10年もたてば会社から消える。一緒に一時期を戦い、ゴマすり戦争に敗れ飛ばされ、過労死や病魔に襲われ亡くなったビジネス戦士を思うと、哀愁を感じる。芭蕉も戦国時代に思いをはせ、上記の俳句を詠ったのであろう。自分はよくぞ無事に還暦を迎えられたと神仏に感謝したい。それから10年が経ち、癌に侵されたが何とか生き延びさせてもらっている。感謝である。

 

諸行無常

 その帰属した会社さえグローバル競争時代を迎え、同じグループ会社と合併を余儀なくされ消滅した。グローバル競争時代にあっては、年商5千億円の自動車部品メーカは、中小零細企業なのだ。それでは生き延びられないと親会社からの指示で戦略的合併をさせられた。うたい文句は対等合併であったが、実質的に吸収合併で、吸収された方は、悲哀を味わうことになった。

 会社の寿命も60年である。いくら花形産業としてもてはやされても、それは10年も続かない。いつかは衰退産業となり消えるのが運命だ。諸行無常である。会社生活の38年間、私は何と闘っていたのか、歩きながら考えている。

 

 人生は旅であると芭蕉は詠う「旅に病んで 夢は枯野を駆け巡る」それが実感として伝わってくる。

 

無意識の罪ある人生

 私も昨年は癌を患い、余命宣告され、芭蕉の読んだ句が、頭をかすめたことが度々であった。人は必ず死ぬ。それを前提に考えると、目の前の葛藤など些細なことだ。死んだ後、「後は野となれ山となれ」では投げやりの人生だ。そうでなく、人としてこの世に何を残すかを考えて生きたい。やりたいことではなく、やるべきことをやって、浄土に行くべきだ。人には使命、天命がある。それを実行する道具の体を大事にしないのは、天に対する反逆である。

 

人皆わが師

 人生を振り返ると、「他人の言動や病は自分の師」なのだ。周りには、悪の師が多いが、そういう事をしてはならないとの反面教師でもあった。家族をタバコで癌にさせ結果として殺しても、その自覚もないまま、その夫も息子もまだ煙草を吸っている。家族がタバコを吸えば、乳がんの発生率が1.6倍になる。煙草は認知症のリスクも上げる。

 新型コロナウイルスに罹るのも、発病する原因が自分にあったのだ。それをはねのける自己免疫力が低下していたのだ。

 そういう人間の無意識の行動が、反面教師として「人皆わが師」である。

 

地獄への下り坂

 私自身も、長年の狂った生活、狂った食生活で、自分を自分で癌に追い込んだ。その真因を悟らず、対処療法で済ませるから、多くの人は地獄に落ちていく。多くの人はその自覚さえない。自分がそういう罪を犯さないように、自分が反面教師の役目をしていた。自分が病の床に着かないと、そういう夢は見ない。

 人は知らず知らずに「がんセンターへの長い坂」を登り、「地獄への下り坂」を辿っている。すべて自分が原因なのだ。

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馬場恵峰書『奥の細道』全集 日中文化資料館蔵

2020-12-29 久志能幾研究所通信 1877  小田泰仙

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