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2021年7月14日 (水)

極楽橋を渡ったら

 

 高野山開創1200年法要(2015年4月2日)の2日前の3月31日、高野山に出かけた。高野山は正月準備の12月30日のような状況で、境内のあちこちで掃除と準備作業等で騒然としていた。50年前の開創1150年法要では、50日間に47万人が訪れたという。今回の法要では30万人が来訪すると推定されていた。

 

金はあっても

 開創1200年法要の事前の参拝で良かったが、それでも平常より参拝者が多く、食堂が少ないため、昼食にありつけなかった。食堂に入り席には着いたが、多くの店員が走り回っていたが、我々の席には、待てど叫べど店員が注文を取りに来ない。待つこと10分、諦めて食堂を出た。

 高野山の極楽橋駅を渡ってしまえば、お金をいくら持っていても使えない。お金を使うのも楽しむのも、今のうち生きているうちが高野山の掟である

 現世の極楽橋駅へは往復切符で行けるが、来世の「極楽橋」行きは片道切符で、二度と帰って来られない。何事も今のうちである。

 

極楽橋を渡る前に

 弘法大師が今も修行をされているという「奥の院」にお参りをするため、約1kmの参道を往復した。その参道の両脇に30万基とも言われる墓標が林立している。その墓標の名前を見るたびに、同行の知人と二人して、「はぁ~」、「へぇー」というため息を何回、何十回と発した。日本の1200年前から続く歴史に名を残した有名人の墓標が林立していた。

 それを見て「人はこの世で集めたものでは評価されない」ことを体得した。その多くの墓標を見るたび頭に浮かぶのは、その人がこの世で何をしたか、何を世に与えたかであった。偉人はその業績に相応の墓標で祭られている。それを見てなるほどと納得させられる。後世に残るのは名前だけである。名前を刻む墓石は背景にすぎない。

 自分の死後、人が自分の墓標を見て、どう思うかを考えると、極楽橋を渡る前にやるべきことは何かを考えさせられる。

Photo

再興された中門  四天王は開眼法要前で、白幕で覆われている 2015年3月31日

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中門の後ろに建つ根本大塔  内部は立体曼荼羅となっている

 

Img_47461s  馬場恵峰書

2021-07-14   久志能幾研究所通信 208高野山9  小田泰仙

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