御本尊様の納佛
2014年末に家のリフォームも完成した。その折、仏壇に納めるご本尊の釈迦如来像(白檀)を明慶先生に特別に製作をお願いし、2015年2月23日に納佛して頂いた。明慶先生は高野山からの依頼の中門の四天王像を製作が終わったところである。明慶先生がそのことを回想して、仏師として一番油の乗り切った時に、高野山からその依頼が来たことは佛縁であったという。私にとっても、その時期に明慶先生にご本尊の製作をお願いできたのは有難い佛縁であった。
その過程で、昨年(2014年)が母23回忌、父13回忌であることに気づき、大慌てで法事の準備を始めた。昨年は諸般の事情が多く、法事の件を欠念していた。3月3日、菩提寺の職様に開眼法要をして頂いた後、両親の法要を執り行った。菩提寺が井伊直政公の菩提寺というのが何かのご縁である。
日暮れて道遠し
法事には当初7名の方が参列予定であったが、直前に確認すると入院、病気、車椅子生活のため2名のみと激減の法事となった。思えば母が亡くなって23年、父が亡くなって13年が経ち、両親の同世代の親戚が床に伏すか鬼門に入るのも必然である。今回参列いただけるのは、私と同世代である従兄弟の2名である。その従兄弟と話をしていて、今回が最後の法事になるようだという。彼も昨年に法事を計画したが、姉が入院したため法事を中止したという。歳月は人を待たず無常である。次は己の番である。それまでには、やるべきことをやり遂げたい。両親の法事が命の有限さを教えてくれた。日暮れて道遠し、道を急ごう。
お釈迦様の入滅
お釈迦様は悲しむ弟子達、鳥、動物達に囲まれ、眠るが如く涅槃されたという。お釈迦様はあの世があるともないとも仰らなかった。ただ精進せよとだけ言い残された。
お釈迦様は死ぬまで托鉢をされ(乞食)、必要な時、必要なものを、必要なだけ托鉢で頂いてくる修行を続けておられた。まるでトヨタ生産方式である。教祖様として最期まで精進を続けて、その結果としての穏やかな死は、仏教と言う教えの背景となっている。争わず、比べず、足るを知り、己の魂と対話をして、自然と民衆と共生する生きかたである。立って半畳、寝て1畳、食べて1合である。それ以上にあれば病気になる。人は裸で生まれて裸で死んでいく。
他山の異士
2014年末、隣国の大財閥サムスンのドンが急性心筋梗塞で倒れ、相続争いで長男と長女が裁判で争うという醜態を見せている。ドンは意識もなく会話もままならぬ病状で7年間も過ぎ、2020年10月に死亡した。遺産が4兆円とも言われる。いくら財産があっても、倒れてからは使えず、昏睡状態を7年間も続けた。何のために汗水たらして稼いだのか。その相続税の支払いで財閥が危なくなるとも噂された。その後継者は汚職の罪で収監された。巨大財閥が国の財を独り占めにして、庶民は貧富の格差に喘ぎ、その結果として世界第三位の自殺大国に陥っている。この佛様は良き反面狂師役として、やってはいけないことを演じている。ありがたい曼荼羅の教えである。
お釈迦様とサムスンのドンの事例を比較すると、自分の「人生という本」の最期の頁をどう記述するかを考える上で、良き師の教えとなる。反面狂師は、自分の心を照らす「他山の異士」である。
松本明慶大仏師作 釈迦如来坐像
2021-07-15 久志能幾研究所通信 2090 小田泰仙
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