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2021年8月15日 (日)

大垣に原爆投下 ジェノサイドへの前哨戦(1/3)

人はなぜ死鬼衆になれるのか 

 

 戦争末期の昭和20年夏、大垣に原子爆弾の模擬爆弾が、訓練爆撃として投下され、10名が爆死した。米軍はこの種の練習を全国各地で約50回繰り返した。広島と長崎への原爆投下を失敗しないための爆撃練習である。実際の原爆投下では、ピンポント爆撃の低空からの投下なので、原爆の爆風で投下したB29自体が破壊されてしまわないように、爆弾投下後に急速に回避行動を取る必要がある。そのための約50回の練習であった。あくまで原爆投下のB29の搭乗員を守るためである。

 結果として原爆を投下したB29の搭乗員7名の命は守られたが、爆心地では10万人の地獄が生まれた。残酷な皮肉である。米国は単に、原爆が完成したからと、急いで原爆を落としたのではない。用意周到なるジェノサイドの計画があったのだ。

 米軍は、それも2種類の原爆の完成を待って、それぞれ種類の原爆の「実験結果」を確かめるために、広島と長崎に投下された。米エネルギー省の出版物中では、広島と長崎への原爆投下は「爆発実験」の項に分類されている。おぞましい仕業である。人はなぞそこまで死鬼衆になれるのだろうか。

 

大垣の原爆投下練習

 昭和20年7月24日、米軍が広島に原爆を落とす前、原爆投下の訓練のため、大垣市の県農業会大安支所に模擬原子爆弾を投下した。建屋は一瞬に吹っ飛び、職員は肉飛び骨散して10名が悲惨な最期を遂げた。

 その慰霊碑の真横に、私の母校の発祥地の碑が建っている。因縁である。模擬原子爆弾は、広島と長崎への原爆投下訓練のため、米軍が作った重量4.5トンの爆弾で、長崎に投下されたプルトニウム原爆と同形で“パンプキン爆弾”である。

 昭和20年7月20日~8月14日の間、全国各地に約50発が投下され、400人以上が犠牲になった。平成3年、愛知県の市民グループが、機密解除された米軍資料からこの事実を発見した。

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 水門川を挟んで敬教堂跡に孔子像が建つ

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 母校発祥の地跡に建つ被爆地の跡の碑

2021-08-15   久志能幾研究所通信 2120  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年7月11日 (日)

囚われの器 毎日がエイリアンとの戦争だ

 

 毎日がテレビという怪物との戦争である。敵はコスプレの達人である。敵は、金儲けしか頭にない醜い心を美しい顔の仮面で隠し、美味しい餌をぶら下げて毎日、テレビに出現して日本人の脳に肥満と痴呆の毒を植えつける。植えつけられた本人は、その害の意識が全くないのが、余計に恐ろしい。その毒が回るのは20年後なのだ。現在、20年前に比べて肥満が30%増、65歳以上の認知症が15%、肥満が原因で糖尿病、高血圧、ガンが増加の一途を辿っている。

 この40年間で、がんが4倍、医療費も4倍の43兆円に急増している。実に国家財政の4割を占める。税収は60兆円しかないに、である。エイリアンの繁殖である。

 

エイリアンの跋扈

 テレビを見始めたら惰性で、ワイドショーを見て、痴呆的なタレントの政治放談、事件の解説、芸能界スキャンルを嬉しそうに放映する風景(人の不幸を喜ぶ風潮)、グルメ情報の氾濫等にドブ付けである。これに付き合えば知性は確実に劣化する。

 

 その片棒を担いだのが「みのもんた」を筆頭とするワイドショーの司会者達である。「みのもんた」が『週刊現代 2014年9月6日号』で謹慎中に考えたことを告白している。あれだけ毒舌を駆使して視聴者を引きつけた本人にしても、己が操られて日本人を劣化させたかの罪の意識はかけらもない。彼は、客寄せパンダとしてテレビ界に操られただけである。「私なら現代の事件をこう切る」と偉そうに言うのだが、たかが口先だけのバラエティ司会者に、日本を良くする力はない。親の後ろ姿を見て息子は育ち、窃盗罪を犯すケモノに脱皮した。

 

 毒舌で客を引き寄せて視聴率が上がり、CMで視聴者の脳に毒を注入でき、脳を麻痺させて肥満の原因となる餌(スナック菓子、清涼飲料水、加工食品等)が売れれば、「みのもんた」に払う数億円の出演料など安いもの。数億円の出演料にはワケがある。それ以上に食品メーカ、薬品メーカが儲かっているからだ。メーカのほうが知恵者である。「私は寝食を惜しんで働いて稼いだのだから、とやかく言われる筋合いではない」と言うが、勤労者平均年収400万円の時代に、テレビ上の口先だけで年収数億円には、ワケがある。彼が稼いだ分だけ、日本が貧しくなる。医療費が高騰する元凶である。

 

 現在は、テレビというバケモノは、新型コロナ禍の恐怖のあおりに余念がない。拝金好金類のワクチン製薬会社の片棒を担いでいる。新型コロナワクチンの目的は全員接種の金儲けで、新型コロナの終息は二の次であるようだ。

 

『エイリアン2』(1986年)シガニー・ウィーパ主演 FOX

 エイリアンが人間の体内に卵を産みつけ、麻酔毒で動けないようにして人間の体を餌として成長する。エイリアンと戦う母としての彼女がカッコいい。

 テレビを介してスナック菓子や薬で囚われて人間は肥満になり、メーカが金太りするさまは、現代社会の寓話である。

             「命の器で創る夢の道」 p217

 

2021-07-11   久志能幾研究所通信 2086  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年7月 2日 (金)

脳という器の発達

 

 子供の脳は3歳までに65%、6歳までに80%が完成する。その間に親の教育(躾)ができていないと、動物同然の生き物に育つ。その昔、インドで狼に育てられた狼少女が発見されたが、程度問題の差で、同じである。躾がないと自制心も自立心もない。食べたいものは食べ放題、躾や清掃清潔等の価値観が形成されない。親は子供を人間に躾をする義務を持つ。躾をしない親は、子供の将来を抹殺していると同じで、殺人者である。Photo

 技術教育テキスト 2005年

 

エピソード

 2013年8月12日、大垣市文化センター内のレストランで食事をしていたら、真後ろの大きな体格の子供がイスをバタンと倒した。こちらに被害はないが、謝りもしないので、躾として注意をしたら、泣きながら、お祖母さんと思われる女性に抱きつきに行った。普通の口調で注意しただけだが、お祖母が子供をあやしながら「この子はこれでも小学2年生なのです。親が甘やかして叱らないから、いつもこんな風なんです」と申し訳なさそうに謝る。子供に謝るように諭すのだが、子供は泣いて祖母に抱きついているだけ。

 その子は小学6年生並みの体格で、肥満体である。外見から判断すると、甘いもの、清涼飲料水、ポテトチップス等のファーストフードを食べたいだけ食べているようである。頭は正直に小学2年生である。これではこの子の将来は終っている。これが現代の子供の姿なのだと愕然とした。この子達が成長して私の年金の基礎となる税金を納めるはず。それが危ない!

 

そんな子が成長すると

 最近もアピタ大垣店の生鮮食品売り場で、マスクをしているが、展示食品に顔を近づけ息を吹きかけるが如く、スマホで家族と相談しながら品定めをしている若い女性がいた。このコロナ禍の非常事態宣言下に非常識である。マスクをしても息の20%は漏れるのだ。思い余って注意をしたら、ぷいと横を向いて行ってしまった。それでも決してスマホの会話は止めなかった。この女は先の小学校2年生とオツムのレベルは変わらないと感じた。この女は、我が子にどんな躾をしていることやら。情けない日本になったものだ。すべて親の躾が悪いのが元凶だ。

 

日本の衰退の元凶

 日本は今、失われた30年でかっての経済大国が失意のどん底である。その不景気に中、うまい汁を吸って人生を謳歌している国賊者がいる。利己主義、拝金主義にまみれて野獣のような汚職、職権乱用、脱税、人権蹂躙、情報漏洩、危機管理無視で金を稼いでいる輩たちである。幼少の頃から利他の躾を受けなかったのだろう。弱肉強食の世界を親に躾けられたのだろう。それが今の日本の衰退の元凶である。

 

   『命の器で創る夢の道』 p172

 2021-07-02   久志能幾研究所通信 2077  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年7月 1日 (木)

頭脳という宝の器

 

人生の知識の貸借対照表(バランスシート)として、自分の頭の中をコンピュータのCPUと比較して整理すると、

 自己資産とは、持って生まれた才能である。

  ROM(BIOS)に相当。食べる能力、歩く能力

 流動負債とは、師から教えてもらった知識である。

  RAM(キャッシュメモリ)に相当

 流動資産とは、覚えて自分が使える知識である。

  RAMに相当し一時記憶。経験、技能、失敗経験、人脈

 固定資産とは、身についた基礎能力である。

  EPROMに相当し簡単には消えない知識。

  読み書きそろばん、対人関係能力、学んだ知識、学歴、資格、

 

石川理紀之助曰く「知りたることを人に教えざるは、借りた金を返さざるがごとし」。

 師より教えて頂いたことは人生の借金である。師に借金の返済は不要だが、後進や世の中に利子を付けて伝授することが、義務づけられる。その利子が自分の付加価値である。それが人間としての勤めである。それができない人間は人でなしである。

 だから、この知識は投資をしてでも借金を増やすべきである。投資とは、師に会うための交通費や手間である。師は3年かけて捜すべし。それをケチると師には会えない。借金を足した(自己資産+借金)の合計が自分の知識の財産価値である。

 流動負債を増やさなかった人が、認知症となる。借金も財産のうちであるが、知識という借金は、返さなくても不義理にならない価値ある財産である。

 親から頂いた頭は、投資(学習)をして鍛えないと、朽ちていく。

 

認知症の発病リスク

 認知症の予防として18歳未満の認知症リスクとして、教育履歴が挙げられる。15歳未満で教育歴が途絶えてしまうと、認知機能の予備能力が低下して、65歳以上での認知症は発病リスクが上昇するようだ。つまり若い時に勉強をしていないと、将来の認知症になりやすいのだ。(2017年、世界四大医学誌のひとつ「ランセット」に発表された認知症の発症リスクより)

 若い時、必死に勉強しなくても、そこそこできてしまう才能のある人も多い。天の差配は恐ろしい。天網恢恢疎にして漏らさずである。若い時、勉強をしなかったツケは、65歳以上で認知症というツケを払う羽目になることもある。最近、そういう事例によくであう。認知症とは脳死である。生き永らえて、痴態を晒す生きざまはしたくない。今からでも遅くないので、学び続けよう。

 

自分有限会社のバランスシート

 流動資産と流動負債を増やす経営をしよう。要は、勉強に投資をすべし。酒を飲みグダをまく時間や、魚釣りに行く時間や、安い店を探し回る時間や、痴呆的テレビを見る時間があれば、その時間を勉強しよう。

Photo   自分有限会社のバランスシート

Dsc045961s 馬場恵峰書

Img_43851s 馬場恵峰書

   『命の器で創る夢の道』

2021-07-01   久志能幾研究所通信 2076  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月30日 (水)

自分の命の値段(改)

 

 ある日、隣国を旅行中に突然逮捕され、身に覚えのないスパイ罪で起訴され、死刑を宣告されたとする。死刑は免れないが、金を出せば1カ月間の時間余裕を与えると言われた時、自分は1カ月間の余命に、いくらの金を出すのか。かの国では多くの日本人が冤罪のスパイ容疑で拘束されている。

 自分が重い心臓病になり、臓器移植すれば命が延命できるという。隣国に行けば、オーダメイドで自分に最適のドナーが3日で見つかるという。活きのよい心臓の相場は1億円から2億円だという。闇市場では腎臓一つが場合によって、約540万円で売買されているという。生きた体から手術直前に摘出するので、新鮮である。それで現在、(日本の国会以外の)G7の諸国がナチス以上のおぞましい虐殺行為だとして人権非難決議を議会で出している。しかし日本では、媚中派幹事長の二階がその決議を妨害している。

 かの国は死刑囚から臓器を摘出しているというが、死刑囚の数は年間6千人で、臓器移植の例は年間3万3千件以上である。計算が合わない。かの国は世界第二位の臓器移植数である。

 

余命宣告

 延命時間にかける己が出す意思の金額が自分の時間価値となる。己の健康管理の怠慢で病に冒され、余命半年と宣告されてから「金はいくらでも出すから助けてくれ」と医者に泣きつく御仁が娑婆には多くいる。無法国家に拉致されるのと状況は変わらない。医者は治療をするが、病気は治せない。しかし、死期の予想は正確に当てる。私も父の病気の時に医者から余命1年と聞かされ、それが余りにも正確だったので驚いた覚えがある。

 私もがんの手術をして、医師から5年後の生存率51%を告げられた。5年経ったら半分の人は死ぬ確率である。実質余命2.5年である。だからこそ、命(時間)の大事さが身に染みる。

 東日本大震災のように、突然津波に呑まれて命を落とされた方に比べれば、余命2.5年があるだけ、どれだけ幸せなことか。亡くなられた方々の無念がしのばれる。

 

 余命の時間価値=(支払う意思のある金額)÷(残り時間)

   =一億円÷(8H×365日×60分)=570円/分

 一年延命で、一億円なら一分570円。意外と安い?

 

人の価値はその死に様に現れる

 「魂(オニ)」の納佛された日(2014年7月16日)から1週間も経過しない日(7月22日)、韓国フェリー事故の船会社のオーナーが変死体で発見されたと言うニュースが入ってきた。6月には、100億円出すから中国に密出国させて欲しいと闇ブローカに交渉中とのニュースが流れていた。その最期はこの夏のなか、冬の高級コートを着て、周りに酒の空き瓶を置いての畑の中でさびしい服毒死か病死である。贅沢な生活に身を置いたが故、病身で余命は長くなかったようだ。それでも100億円の金を出して生き延びようとする。このオーナーは数百億円とも言われる財産を築きながらも、この有様である。フェリー事故で犠牲となった高校生達がかわいそうである。このオーナーは信徒9万人の新興宗教「救援派」(オカルト宗教と言われる)の教祖とも言われるのが、新興宗教では人が救えないことを教祖自身が証明したといえる。人の偉さ(醜さ)はその死に様に現れる。

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 松本明慶大仏師作 魂(おに)

 

最期の後悔

 余命1ヶ月の時になって後悔することが、その昔に付加価値を生まない悪縁との付き合いで、貴重な時間を無駄遣いしたことであろう。そのために、やりたいこと、やるべきことが一つできずに、先送りになったという後悔である。やれる歳になると、体がいうことをきかなくなる。そんな後悔を避けるために、悪縁の元を絶つことは、人生の価値を上げはできないが、下げる危惧を無くしてくれる。

 またその後悔を少なくするために、やりたいことはやれるうちにやっておくことだ。そのうちやりたくても出来ない体になる。老化と死は必然である。

 

 ご先祖から頂いた命は、能力を最大限に使って人生を全うしたい。安岡正篤師は、「人は学ばなくなったら、人間ではなくなる」とまで言う。吉田松陰は、「一日でも生きている限り、どんな状況においても学問か仕事に励むのだ」という。学ばないから、仕事をしないから、頭を使わないから、世の中に貢献しないから、認知症になる。「使わない器官は退化する」という自然界の摂理がそこにある。社会に貢献をしない人は、社会のお荷物である。仕事をすれば、多少なりとも税金を納め、社会に貢献することになる。脳トレをすれば認知症が防げるのではない。それは遊びと同じで、長くやると苦痛になり続かない。それは社会にとって時間とお金の無駄使いである。

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 馬場恵峰書

 

          命の器で創る夢の道  p75

2021-06-28  久志能幾研究所 2073  小田泰仙

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2021年6月25日 (金)

縁は厳慈の恩にあり

 

 「旅のチカラ(ミケランジェロの街で仏を刻む---松本明慶)」(NHK BSプレミアム 2013年5月収録)のビデオを見て感動した。ミケランジェロ作のピエタ像と、ホテルで明慶先生が阿弥陀如来のお顔を彫っている時、眼の上の台の上に置かれた「魂(オニ)」の座像が目を引いた。特に「しっかり彫れよ」と先生を叱咤激励するがごとく睨んでいる「魂」の姿が目に焼きついた。

 

 このピエタ像には、私が定年退職記念にローマに旅行した時(2010年11月10日)に出会い、衝撃を受けた彫刻であった。それも、松本明慶先生に初めて大垣市の仏像彫刻展覧会でお会いして(2010年11月1日)、その9日後の御縁である。今回のビデオ映像でその聖母マリアのお顔と、その心を取り入れて明慶先生が彫られた阿弥陀如来のお顔がダブって見える。

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    ピエタ像(サン・ピエトロ大聖堂)   2010年11月10日撮影 

2     明慶先生との出会い    ヤナゲン大垣本店で  2010年11月1日

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ローマでピエタ像に出会う

 ローマ旅行時に初めてピエタ像を見たとき、私も衝撃を受けた。次元の違う彫刻に遭遇したような思いである。10日間のローマ滞在中、3回もこのピエタ像を見るためバチカンを訪れることになった。それほど引きつけられるものがあった。本物は10m先の防弾ガラス越しでしか鑑賞できない。しかし宗派を超越してキリスト教徒も仏教徒もイスラム教徒も世界各地から訪れた老若男女が長時間、ピエタ像を見つめていた。後で隣接したバチカン美術館にこの精巧なレプリカが展示してあるのを発見した。そこで至近距離1mから長時間、お顔を拝ませて頂いたのは幸いであった。こちらは見学者が少なく、落ち着いて接することができたのも有難いこと。

 ピエタ像が防弾ガラスで覆われているのは、過去に精神異常者がマリア像のお鼻を傷付けたためで、それの対策である。

 

「ピエタ」とは「慈愛」

 「ピエタ」とは「慈愛」の意味である。「ピエタ」はミケランジェロが終生、追い求めたテーマである。「慈」とは「心」「茲」から成る。「茲」は、「増える(子を増やして育てる)」=「愛」と「心」で「母」の意味を持つ。「慈」の反対語は「厳」である。旧字体は「嚴」で、冠の「□□」と「嚴」の下部(音)から構成される。「□□」は、「厳しく辻褄を合わせる」の意味である。つまり「父」の意味を持つ。自然界は陰陽で出来ている。優しい母がいて、その背後に厳しい父がいて子供は育つ。片方だけではダメなのである。

 今回の明慶先生の阿弥陀如来のお顔を彫る製作過程を、厳しい顔の鬼(魂)が見つめていることの深い意味合いを感じた。厳しさがあるから、慈しみに溢れた優しさのあるお顔が生まれるのだと。優しさだけでは本当の慈は出てこない。厳しさの奥には深い愛情が隠れている。

 

Dsc04477s 松本明慶大仏師作 「魂」、 書は馬場恵峰先生書
 

2 ピエタ像(サン・ピエトロ大聖堂) 2010年11月10日撮影 

 見学者の柵から10m先に防弾ガラスで覆われて安置

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ピエタ像(サン・ピエトロ大聖堂) 2010年11月10日撮影 

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 ピエタ像(バチカン美術館に展示のレプリカ)  2010年11月13日撮影

P1080515s ピエタ像(岐阜県美術館に展示のレプリカ)  2016年11月13日撮影

 このピエタ像の複製が岐阜県美術館のホールに展示されているが、環境的に明るすぎ、場所的に高い位置に展示されていて、その厳かな雰囲気と合わないのが残念である。岐阜県美術館のピエタ像からは、ローマで本物を見た時の衝撃が全く感じられない。やはり展示環境が大きく影響するようだ。

 

2021-06-25   久志能幾研究所通信 2070  小田泰仙

命の器で創る夢の道

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2021年5月23日 (日)

一流を夢みて

 

百不当の一老

 効果のないと思われる小さな積み重ねが、臨界点に達すると劇的な時間創出となる。臨界点に達するまでに止めてしまうから、それまでに費やした時間が無駄になる。

 どんな道でも、1万時間をかければその道のプロになれる。

 1万時間とは、一日8時間を3年半かければ達成する。

 

 下図は佛像彫刻に深夜まで取り組む松本明慶工房の若い仏師たち。1万時間という彫刻修行が、名人を作る。毎日の修行の積み重ね以外に名人は生まれない。

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夢とは

 人生は夢のように流れ去る。だからこそ現実を一所懸命に生きるために夢を持つことは真剣に生きることをいう。夢が人生を作る。

 

「一生実現できない夢、志をもつこと」

 高原慶一朗ユニチャーム社長の座右の銘。

 利己的な夢を抱いて生きると、小さい利己的な未来が待っている。

 

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 馬場恵峰先生書

 日中文化資料館にて撮影   2010年10月8日

2021-05-23   久志能幾研究所通信 2030 小田泰仙

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2021年4月 4日 (日)

テレビに洗脳されると認知症へ

テレビ洗脳支配の手口

 

 TVのバラエティ番組、グルメ探索番組、お笑いバラエティ等を集中して見続けることは、市庁舎を痴呆症にする洗脳教育と同じである。テレビの痴呆的番組と距離をおき、自分と家族を理知的、理性的な世界に置きたかったら、テレビ番組は見ないことだ。テレビ局は、痴呆的番組で国民を洗脳し、CMで嗜好品の中毒状態にして、視聴者を食い物にしている。

 

視聴者をバカにするためのマニュアル

 下記のマニュアルは玉木正之氏出演したテレビトーク番組の台本である。『時事英語研究』1994年1月号で紹介された。

 これを見ると、テレビ局はテレビを見ている人間に考えさせないようにしているようだ。その手管に嵌れば、無意識にCMの製品に手が出て、その結果益々テレビ局の売上が増大する。 

 自然界には「使わない器官は退化する」という大原則がある。現在のテレビ番組は視聴者から思考能力を抹殺するようにしている。テレビのばかばかしい番組を見ることはとは、ばかになる練習をすることだ。

 

某トーク番組の台本 

 『○△(番組名)をより面白くするために』

 ・正論  より 本音

 ・抽象的 より 具体的   ←抽象的に考えるのが成長。その逆

 ・理論的 より 体験的   ←論理が人生を正しく導く。その逆

  ・考える より 遊び感覚  ←これではバカになる

 ・重い  より 軽い

 ・泣き  より 笑い

 ・悲観的 より 楽観的

 ・隠す  より 顕す(露顕)

 ・流れ  より 飛躍    ←論理の破綻である

 ・じっくり より ざっくり ←バカになる練習だ。

  *意見、反論は指名がなくてもドシドシご発言ください

  

酒を飲んで放送

 1970頃の私がまだ大学生のころ、東海テレビの「ナイトショー」で風刺コントの特集番組があり、私に「かたえくぼ」の常連として出演依頼が来た。そのリハーサル後、本番前の小1時間ほどの間にスタジオ内のバーカウンターで、酒を飲まされた。ディレクター曰く「皆さんにリラックスして喋ってもらうためです。多少顔が赤くなっても、ライティグで目立ちません」。なんといいかげんなことかと感じた。上記の台本を見てテレビの本質を悟った。

 

2021-04-04   久志能幾研究所通信 1972 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年3月13日 (土)

馬場恵峰師の慰霊旅、浄土ヶ浜へ

生きた仕事とは、社会の為の価値創造

 

 この1月1日に逝去された馬場恵峰師の遺徳を偲び、10年前の東日本大震災での馬場恵峰師がされた支援の記録を公開する。

 

 命に値段があるのは、そこから付加価値を生むからである。それができなくなったら、死と同じである。体と頭の健康管理をして、生涯現役を目指すため生涯自己挑戦を続けたい。

 馬場恵峰師は、2012年当時、85歳で現役である。80歳の奥様も書家として現役である。恵峰先生は書家としての活動以外に、東奔西走で講演会、指導、震災地慰霊訪問、中国での写経指導の引率と大忙しで、認知症になる暇がない。こういう人生でありたいと私もお手本にさせていただいている。

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箕面 加古川山荘にて(2011年4月16日 撮影)

 

同席のご縁

 齋藤社長が長崎の先生宅を訪問したとき、私もたまたま同席をした。私は先生の松尾芭蕉300年御忌で書かれた『奥の細道全集』を撮影するため訪問していた。齋藤社長とは机を並べて馬場先生の書を習う仲間である。齋藤社長とは長崎空港で別れたが、かなりお疲れのようであった。

 こういう無償の奉仕こそ生きた仕事である。考えるまもなく津波に押し流された方の無念が偲ばれる。明日はわが身と思い、時間(命)の有限性を再認識した。

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 恵峰先生の図書館にて(2011年4月2日)

 左端が齋藤社長、右端が恵峰先生、中央は福田琢磨社長

 手前が「奥の細道全集」

 

慰霊の旅、東北へ

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 第3回目東北地方講演会訪問 岩手県知事室にて   2012年10月2日

 東日本大震災時の浄土ケ浜の海水で揮毫した「鎮魂の書」を各町に贈呈するためと復興記念講演会をするため東北を訪問した。その折、知事を表敬訪問。   

  左から齋藤社長、奥様、馬場恵峰先生、達増拓也岩手県知事

  吉田県議、福田社長、齋藤社長のご子息

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 岩手県知事に名入り和歌を贈呈

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 大槌町の佐々木副町長に贈呈 2012年10月1日

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 宮古市の山本正徳市長に贈呈 2012年10月1日

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 山田町の佐藤副町長に贈呈  2012年10月1日

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 大船渡市の角田副市長に贈呈 2012年10月3日

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 上図は、東日本大震災への復興支援活動の日程表

 高齢の先生にはハードスケジュールである。さすがに疲れたと仰っていた。道路網の交通が寸断されており、全て車の移動で、4時間5時間の車の移動が多かったという。

浄土ヶ浜へ

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 岩手県 浄土ヶ浜   岩手での写真は福田琢磨氏の撮影

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 上の書は、2011年4月2日、長崎の先生宅を初めて訪問した時にお土産として頂いた。

 

2021-03-13久志能幾研究所通信 1948 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年11月17日 (火)

老いの器

 

 老いとは、仏様ご先祖様から歳を頂くこと。還暦という歳を頂けずに、鬼門に入る人も数多い。老いとは、経験を積むことを意味する。その経験という智慧を己の器に入れるのである。痛い思いをして得た経験を智慧のレベルに昇華しないと、同じ過ちを死ぬまで繰り返す。それは歳の取りがいのない醜態である。

 

 老いとは、練れる道を歩くこと。流行に惑わされない思想を深めること。中国・ローマの歴史を紐解くと、2000年前の先人と現代人の行動に差などはない。人は人間的に少しも進歩していない現実に愕然とする。人は生まれれば、オールリセットされる。それ故、ゼロから学んで自己鍛錬をして成長するしかない。その学びを放棄して、年よりがいのない人が多い。TVや流行に流され、練れない日々を送り、認知症への道に迷い込む人が多い。

 

 老いの智慧とは、敏鈍の使い分けができること。我儘も言え、都合が悪くなったら惚けの振りをすること。息子が「グレてやる」とほざいたら、「それなら俺は惚けてやる」と逆に脅す智慧を身につけること。これは青二才では言えない台詞。

 

 正しい老いとは、考え方が充実していく過程である。自己の人生を振り返り、これでいいのかと自他に刃を向けて問う生き方である。それが「心」「刃」を向ける「忍」という文字である。そこから「認」という文字ができた。己の愚かさをしみじみと認められる歳になるのが老いである。

 現代社会は、人にばかり刃を向けて、己には刃を向けない人があまりに多すぎる。年よりがいがない。それを「年寄り害」という。今の野党がそれに値する。

 

 醜態な老いとは、自分に刃を向けず、非難ばかりの言動をすること。理想論で実際に政治を動かしたら、選挙公約が青二才の言動であったことが露呈したのは民主党政権であった。自民党を非難すると、すぐブラーメンで自分の身に降りかかるばかりである。

 反対ばかりで、日本を貶めることしかしなかった社会党は、行き詰まって、名前を社民党に変えたが、結局先の総会で、議員一人となって消滅した。おたかさんは北朝鮮の拉致問題を知っていても、知らんふりをした。その罰があったたのだ。

自衛隊反対と言っていた富市氏は、首相になったら、方針を豹変させた。

 

 けじめの老いとは、引き際を知ることである。人望もなく、行政手腕もなく、ただ市長の座に居座るだけの大垣市長では、大垣が没落して当然である。今だかって老いなかった人はいない。生老病死を悟り、後進に託して身を引いてこそ、美学である。大垣を没落させた小川敏は醜態である。

 

 老いとは、若き人を叱る人徳の力の獲得である。己が若造で同じ言葉で、若い人を叱っても反感を持たれるだけ。しかしそれ相応の歳を頂くと、若い人を叱っても反感を買われることが少なくなったことを実感する。若き人を叱るのは年長者の務めである。それは己の経験を若い人に伝えること。

 

 人は必ず老いる。老いて人生を振り返ったとき、素晴らしい人生ではなかったが、素晴らしく楽しむ活き方であったと思えるようにしたい。

4k8a02491s  馬場恵峰書

2020-11-17 久志能幾研究所通信 1827  小田泰仙

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