l0_命の器で創る夢の道 Feed

2020年8月21日 (金)

般若心経の「苦集滅道」とはPDCA

 般若心経で一番大事な言葉が、本文の中央に書かれた「苦集滅道」である。般若心経は、玄奘(600~664)が万巻の経典を278文字に集約したお経である。その「苦集滅道」の意味はPDCAである。現代の品質管理工学と同じことが、1400年前に既に般若心経で教えられている。つまり人間はこの2000年間、少しも進歩していない。

 

人の進化とは

 エジプトやギリシャの遺跡で、「最近の若い者は・・・」等の老人のぼやきが書かれた文書がよく発見される。私が後世の残す戯言なら、「最近の年寄りは、昔の老人より退化している」である。老人とは、経験を積んだ賢人であるべきなのだ。それが拝金主義の現代社会では、医学発達の成果で老いても体は元気だが、肝心の智慧がなく、利権に溺れて強欲な老害を振りまいている輩が多い。問題が起きても対処療法で済ませている。若者の模範となる智慧のある老人は少ない。

 

対処療法が氾濫

 人は苦しみに出会い、それから逃れようと様々な取り組みをするが、多くはその場しのぎの対処療養で済ませるから、少しも改善されない。それも科学技術の偽善で、間違った方向の改善が多い。一番の典型事例が、高血圧治療の降圧剤使用である。真因を探らず、対処療法の降圧剤の乱用である。

 また安易な逃避の典型が、お祈りとお布施の他力本願である。いくら時間をかけてお祈りをしても、そのトラブルの真因を追求せず、単に他力本願のお祈りだけをするから、少しも改善されない。苦から逃れるためのショートカットで、苦を無くそうなど、横着である。

 それに邪悪な新興宗教が付け込んで、金儲けをしている。苦しみの中、いくら祈っても、お札を貼っても、お布施を出しても、教祖や狂祖にすがっても、真因を除かないので、解決しない。

 

苦集滅道

 無苦集滅の「苦」とはトラブルの事である。その原因を探るため、現状把握として、データを「集」める。それを分析して、どうするかを計画(PLAN)する。その対策を実行(DO)して、苦を取り除く。それで本当に苦が「滅」したかをチェックして、再行動(ACTION)して、初めて「苦」が無くなる

 因果応報とし、人として正しい「道」から外れた行いをするから、苦を生じるのだ。お天道様に恥ずかしくない道を歩め、である。

 それが1400年前に作られた般若心経の神髄である。

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 10行目の中央に「苦集滅道」が書かれている。

  上図は自宅仏壇に供えるため、馬場恵峰先生に書いて頂いた般若心経 

 

2020-08-21 久志能幾研究所通信 1715  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月20日 (木)

仕事とは祈り

 祈るとは、頭を冷静にして自分と対峙し、謙虚になり、反省すること。そこから時間創出の智慧が出てくる。喧騒たる働きだけでは智慧は生み出せない。傲慢な生き方からは、智慧は生まれない。

 

祈りの長い人

 お祈り時間の長い人は不幸な人が多い。幸福な人はお祈り時間が短い。それはお祈りではなく、神仏への感謝の報告である。不幸な人が、自分のやるべきことを放棄して神仏へのお願いに時間をかける。そんな時間があれば、公園草取りでも、家前の道掃除でも、人様のお役に立つことをやればよい。

 お祈り時間の長い人は全て他力本願である。それで幸福になれない。仏様の教えは「まず自分のやるべきことをやりなさい。そうすれば10年後に利子をつけて返してあげる」である。それを「お賽銭を入れた。人様以上に長くお祈りをしたので、直ぐに配当をくれ」では神も仏もあったものではない。神社仏閣は、お願いをしてお賽銭を入れればご利益がでてくる自動販売機設置場所ではない。そう信じている人は、お祈り時間が長い。

 

仕事とは祈りである

 幸福な人は、仕事をすることで、社会に貢献している。そして儲かれば税金を納めて、社会のお役にたっている。幸せな人は奪う人ではなく、与える人である。

 祈りの長い人は、棚ぼたを信じて口を空け、待つだけの人である。

 

祈りの長い人

 某老女のお祈り時間は約20分間余と長い。ご丁寧にお寺の入り口に自転車を置き、入口を封鎖してのお祈りである。お参りにくる人に迷惑になるので、私は注意したが、「片方が空いているので問題ない」と意地になって反論した。人様へのご迷惑は、お願いの祈りに没頭して眼中にはなかった。こうなっては仏様もお手上げだ。その後、隣の八幡神社でも同じように長時間のお祈りであった。そこでも東口鳥居のど真ん中に自転車を置いてのお祈りであった。

 南園堂の不空羂索観音様や大日入来様、延命地蔵菩薩様だけでは心もとないので、八幡神宮の天照大神様にも二股をかけている。二股をかけられては、観音様も気を悪くするでしょうに。

 

 祈りとは何かを考えよう。祈りとは自分を謙虚にする修行である。謙虚でなければ、周りが見えない。大義名分に囚われて、我々も同じようなことをしてないだろうか。

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信心深い利己の人

 私が、年に数十万円の商品を買っていた馴染みお店があった。そのお店のご主人は、非常に信心深いので、格別の親交があった。お供えのお花の保全の件でも教えてもらった。

 2017年頃、河村義子先生主催の演奏会の資金的支援を、この人にお願いに行った。子供たちを120名招待して「世界で一流の音楽を聞く会」プロジェクトである。趣旨をご主人に話したが、支援はけんもほろろに断られた。それで彼が佛に信心深いのは、自分の幸せのためだけであって、利他の心は全くないことが判明した。それ以来、そのお店で商品を買うのを止めた。

 

資金集めの苦労

 当時、私は「世界で一流の音楽を聞く会」プロジェクトのため、寄付を募って多くのお店を訪問したが、殆ど成果がなかった。それそれ以来、各所に寄付をお願いに回るのに虚無感を覚えて、その寄付集めの運動を止めた。それで私は持ち出しの支援をすることにした。毎回20万円の寄付である。

 勿論、大垣市はこの種の芸術活動への金銭的支援を全くしない。毎回支援をしてくれる市内の都市銀行でも、横並びで一口2万円の支援だけである。それも河村義子先生が直々頭取にお願いしてのこと。百貨店の事業部長に、何度も足を運んで支援をお願いしてが、結果は1万円だけの寄付であった。もう一軒はなじみの文房具店からであった。結局、私は2件しか寄付を集められなかった。子ども達の為に資金集めで奔走された河村義子先生の苦労がしのばれた。

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 TIMMコンサートで招待した子供たちにベーゼンドルファーの説明をする河村義子先生

 

 他力本願の祈りとは: 全能の神仏を超越し、ニュートン法則や相対性理論の宇宙法則を捻じ曲げて、己のためだけの欲望を願う行為。

                       ビアス

 

2020-08-20 久志能幾研究所通信 1714  小田泰仙

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2020年7月19日 (日)

地蔵菩薩が持つ大きな器を目指して(改定)

地蔵菩薩のお役目

 お地蔵様は正式には「地蔵菩薩」という偉い方である。地蔵菩薩は、釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となるため、その間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を救うお役目の仏とされる。現世ではお地蔵様として子供の守り神として祭られている。地獄に出張したときは、お役目として閻魔大王の役も務めるとされる。

 菩薩とは、仏教において成仏を求める(如来を目指す)修行者を指す。菩薩は修行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導くことで、庶民の信仰の対象にもなっている。

 

裁判官 兼 弁護人

 六道(天、人、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄)で、地獄に堕ちるのは生前中に善を積まなかった不心得者である。多くの積善を心がけた方は、閤魔大王に呼び出され閤魔帳を覗いて判決を受けることもなく浄土に赴かれる。

 地獄に堕ちてしまえば救いようがない。地獄の向かう亡者を裟婆と地獄の境界で、「地獄の十王」が亡者の生存中の業の履歴が記された閤魔帳により、どの地獄に送るかを評定して判決する。その裁判で被告の弁護をするのが地蔵菩薩である。現代の裁判員裁判制度に比べればはるかに人間的で救いがある。

 最近の裁判員裁判制度での死刑判決の多さが何か異常であるし、その死刑判決のお役目を一般市民に押し付ける制度はいかがなものか。この地獄論を調べて疑問を感じた。

 十王の中の裁判長が「闇魔大王」であり、闇魔大王は地蔵菩薩の化身であると言われる所以である。それ故、判決を下す裁判長と被告の弁護人が同一人物となるので無罪が期待され、もう一度裟婆に戻れる可能性があることから地蔵菩薩信仰が生まれたと思われる。この信仰は民衆の地獄に対する恐怖観念が貴賎を問わずあったことも一因とされる。

 

仏教の組織図

 こういう仏の組織体系を創造する先人の智慧には驚嘆する。今の新興宗教の教祖は足元にも及ばない。会社組織の概念の創作と同じである。日本の地獄絵は、8世紀ごろに東大寺の線刻画に登場している。地獄は全て人間が作り出したものだが、その恐怖心をうまく活用して道徳心を子供に植えつけたのは智慧者である。私も幼いころ、祖母から地獄絵をお寺で見せられて恐怖心を味わった思い出がある。

 1300年も経って、今の新興宗教界で「脱会すると無間地獄に堕ちるぞ」と脅す教団があるのが、お笑いである。地獄に堕ちるには、それ相応の罪を犯さないとその資格が無い。まして無間地獄に堕ちるには、親殺しをせねばならぬ。原始宗教では、それが詳細に決まっている。それを新興宗教へお布施の大金だけで罪消しになるわけがない。

 

エピローグ

 2011年頃、私は某経営研究会に入会した。その年度の総会後、コートの取り違えのご縁で、その経営研究会の元会長と親しくなり、彼より某新興宗教を勧められた。相手が経営研究会の元会長だから信用して、試しに入会してダメならすぐ退会すればよいと安易な気持ちで入会を承諾した。

 ところがその教団をネットで調べたら、トンデモない教団であることが判明した。入会金は38万円だが、後日、なんだかんだで1千万円ほどせびられることが、年間行事や教団総本山の建設費から逆算された。入会儀式も秘密の儀式で怪しいのだ。

 また退会しようとしたら、信者が大挙して自宅に押し掛けてきて、「退団すると無間地獄に堕ちるぞ」と自宅まわりで大騒ぎをするという。押しかけてくる信者も、そうしないと信仰の真剣さを疑われるので、必死である。相互監視が厳しい掟がある。

 また会員の葬儀があると、教団が葬式を全て取り仕切って、香典は全てもって帰ってしまうという。

 後日、その経営研究会のメンバーに聞いたら、役員の多くがその教団に入会していて、役員からメンバーに勧誘するので、断りづらいとの声が多くあった。手口が巧妙である。

 入会寸前で、仏様の啓示(自宅内で小指の骨折)があり、それからいろいろと調べて、結論としてオウム真理教のような教団だと断定した。入会を断わり、事なきを得た。

 

清濁併せ吞む

 正しいことが総てではない。正義だけを追及すると、人は阿修羅にならざるを得ない。終生戦わねばなるまい。人は、殺生を止めれば、生物として生きていけない。採食主義者でも、穀物の命を奪わねばならぬ。植物にも命がある。人は、他の命を奪って生きていかねばならぬ。戦争になれば、敵を殺さねば、銃後の妻子が殺される。

 お釈迦様は、他部族が攻めてきたとき、素手で立向かわれたが、お釈迦様の部族は目の前で殺された。その無力感から、お釈迦様は王子の座を捨てて、出家されたという。

 人間界で生きていくためには、清濁併せ吞まねば、生きていけない。その姿の象徴が、地蔵菩薩である。地蔵菩薩は全てを受け入れて頂ける。

 その地蔵菩薩でも、その衆生の全てを助けられるわけではない。その衆生と縁がなければ助けるに助けられない。その縁とは、地蔵菩薩に手を合わせたかどうかだけである。地蔵菩薩に手を合わる人とは、自分を無にして来世・現世を考えられる人間のことだ。ご先祖、親の恩を考えられる人間である。強欲に目が眩んで、回りが見えなくなった衆生を地蔵菩薩は救うわけにはいかない。

 

祈る対象を具現化

 仏像は祈りの小さな器である。拝むにしろお願いするにしろ、空気の前では手を合わせづらいもの。その祈る対象を具現化したのがお地蔵さんの姿である。祈るとは、自分を無にすることだ。冷静に自分と対峙することだ。日に一度は、手を合わせて自分に向き合うと良い。

 

子供の守り佛

 私は毎朝の散歩道の途中にある地蔵菩薩像の前で「子供たちを守っていただきありがとうございます。守っていただいた子供たちを私もお守りします」と手を合わせている。それもあり、子供たちの未来を奪う輩と喧嘩も辞さない。子供たちが日本の未来を背負ってくれる。私の年金を支えてくれる(?)。子供たち教育予算をつまみ食いする輩(小川敏を筆頭とした大垣行政)を摘発するのが年長者の義務である。

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 松本明慶先生作 童地蔵菩薩像 楠  高さ13センチ

 

 この子は、東京の展示会(大佛師松本明慶佛像彫刻展)にお友達の200人と一緒に上京した。私はその中からお見合いをして、この子に決めて大垣の自宅に来てもらった。200体のお地蔵さんは、同じように見えても微妙に一人ひとり違い、この子と決めるのに苦労をした。(2013年10月)

 松本華明さんのお話しでは、年々この童地蔵菩薩像の出来栄えに対して、明慶さんの要求レベルが上っていて、なかなか検査が通らないとか。松本工房の童地蔵菩薩像は日々レベル向上だそうです。

 

2020-07-19 久志能幾研究所通信 1671 小田泰仙

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2020年7月11日 (土)

7. 学心立器

 自ら学ばない者は、30年後に認知症の運命が襲いかかる。その前にリストラの嵐に巻き込まれる。

 学ぶ気のない者を、無理に学ばせることは出来ない。立っていない器は、価値の無い器である。水を飲みたくない馬を川辺に連れて行っても水を飲まない。学ばない者は、宿命的な存在(動物)に成り下がる。

 何のために学ぶのか。自分の成長のためである。何のために成長するのか。人生航路を行く船体(自分)の性能向上である。性能を高めて、人生を闘うためである。学んで知識、能力を高めれば、より遠くに速く行くことができる。それで智慧が付けば、荒波でも難破せずに航海できる。

 

サラリーマンの偏差値

 今のデフレの時代、自分のみを自分で守らないと、明日が危ない。会社も明日が分からない。学ぶ意思のない社員は、格好のリストラ対象である。そうしないと会社自体が危ない。世界の学生は、そのために必死に学んでいる。遊んでいるのは日本の学生だけだ。その延長で、サラリーマンが自己啓発をしていない。だから日本のホワイトカラーの生産性が先進国で最低なのだ。

 

学生の質の低下

 今の学生の学力は、40年前、20年前の学生の学力と比較すると各段に落ちている。私は管理課で新入社員教育に携わったので、その現実は身をもって感じた。

 私が就職し時は、大学院卒は1割であった。ところが私が新入社員教育に携わったころは6割が大学院卒である。その大学院卒のレベルが昔の大卒レベルなのだ。

 当時学力で偏差値60くらいの能力の子が、現代では偏差値69くらいになっている。偏差値とは平均からの乖離値なので、学力が上がったのではなく、平均がそれだけ下がっている。つまり学力が低下したのだ。特に証明問題等の能力ではガタ落ちである。つまりネット等で答えだけを覚えて、途中経過の学びをしなくなったので、学生の質が落ちたのだ。だからそういう学生を受け入れた産業界で、生産性が上がるわけがない。結論は、学ばない学生が増加したのだ。

 その原因は政府の教育方針が間違っているからだ。大垣市でも小川敏が教育費をケチり、自分達の給与にお手盛りをしてしまった。これでは日本も大垣市も没落である。

 人間として、佛からの利益(りやく)として直面する現世の現実である。それは仏が人間に示す施し(利益)である。自業自得である。

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人の成長

 人間が成長をして目指す先は万能の神ではない。人間が神を目指してしまっては、「人ではない」状態になり「人でなし」になってしまう。あくまで人間として欠点を抱えたまま、成長するのを角熟という。欠点があっても得意分野があれば、欠点が人間味となる。

 みほとけは、人間が完全無欠の存在になるのを求めてはいない。持てる才能を最大限に活かす生き方を求めておられるだけである。

 単に知識の量を増やすのが人間の成長ではない。覚えていることならコンピュータに負ける。人間が成長するとは、智慧をつけること。

 正しいことだけを受け入れる器になることが人間の成長ではない。清濁併せ受け入れる度量の大きな器になることが求められる。

 修証義に曰く「侘をして自をして侘に同せしむる道理あるべし、自侘は時に随うて無窮なり、海の水を辞せざるは同事なり、是故に能く水聚りて海となるなり」

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2020-07-11 久志能幾研究所通信 1662 小田泰仙

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2019年9月 1日 (日)

お金で智慧を買う

 お金を使って手に入れるのは智慧である。そのお金を使えるのが幸せである。使えるのは健康であることが前提である。その上で、体力も気力も夢もないと使えない。余命1年と宣告された病身では、お金は使えないし使う気にもなれない。

 お金を使える幸せを大事にしよう。そのうち使えなくなる日がやってくる。

 

自分を買う

 単にモノを買うのでは、お金を使ったことにならない。それは単にお金がモノに変わっただけである。価値あるモノを売れば同じ金額が返ってくる。安いものではそうは行かない。安もの買いの銭失いである。お金でモノを買うとは、自分を買ってくるのだ。その過程で智慧が付く。

 

利用限度

 美味いものを食っても限度がある。立って半畳、寝て1畳、死ぬまで飲んでも1升、食べて丼1杯である。人間の体では知れたもの。それではお金を使い切れない。食べ過ぎ飲みすぎれば、病気になり、早死にである。持てる人生の時間内に、どれだけ有効にお金を使えるかを問われている。

 

経験を買う

 お金を使うとは、体験への出費である。体験で智慧が湧く。それには時間も体力も必要だ。智慧を得うるための出費が、お金を使う行動である。学ぶ費用、師に会うための交通費、受講料、稀少価値の品の購入に智慧を費やす行動、出費が相当する。その過程で智慧を出す訓練が出来る。お金を賢く使うために受け入れる器を大きくすることだ。

 貯めるばかりの人生は、小さな器の人生。入ってきたお金を世間に旅ださせて、そのおこぼれをあずかる気持ちで丁度よい。それを自分の所で止めて、貯めるからお金が腐ってくる。お金は生鮮食品である。気持ちよく旅出させてあげれば、お友達をつれて帰ってくる。目先に囚われて、出し渋りをすれば、相手も嫌気がさして去っていく。損をして得を取れである。

 

夢を買う

 高いものにはワケがある。高いものには創った人の魂がこもっている。お金を使うとは、自分の夢の実現のための投資行動である。20年後を夢見て、今の自分に投資をする。そのためには学びの器を大きくすること。学びに限度はない。学んで成長すれば、器も自然と大きくなる。不健康な器では、何も入らない。

 

失敗の買い物

 良くない買い物はあるが、失敗の買い物はない。良くない品物、ご縁に接したら、それは良くないことが分かっただけ、智慧が付いたと感謝すべきである。私は、二度とその品物、お店、ご縁に近づかない。それだけで十分にお釣りがくる智慧を得たことになる。

 

智慧の披露

 学んで一杯になった器は、世間に披露しないといけない。日々、その舞台で自分の学んだ智慧が試される。会社での各場面が能舞台であり、仲間が観客である。果物屋の店頭が人生舞台で、来客がご祝儀である。そこでどんな演技をするのか、そこに自分の器に入れてある智慧が試される。商売では、その演技に失敗すると客は二度と来てはくれない。

 智慧は出し惜しみしてはダメである。どうせ持ってはあの世に行けない。智慧は出せば出すほど、自分にご褒美として帰ってくる。智慧を出す能力が磨かれる。

 

自分は能役者

 人生では人が仮面を被って人生劇場の役者を演じている。ある人は教師を、ある人は警察官の仮面を被って演じている。その仮面をペルソナという。ペルソナとはラテン語で仮面と言う意味である。この語源でパーソナリティと言う言葉が生まれた。個性とは、人が被る仮面のキャラクターである。人はその仮面を見て、その人の役割を期待する。その仮面を被ったら、その役割を演じなければ人の期待を裏切る「裏切り者」である。

 

人生舞台

 人生の舞台とは、幕が上がっている間だけが舞台ではない。幕が上がるまでの血みどろな練習時間、舞台の段を上がる時の挙動、舞台を下りるときの挙動も全て人生劇場の演技時間である。観客に見せる舞台での演技は一コマに過ぎない。一刻たりとも気を抜けない。観客は見ていなくても、神様仏様そして内なる己という仏が見つめている。

 一局を舞い舞台を下りて初めて「人生織物」での横糸の一本が完成する。人生とはその連綿とした行動の積み重ねである。観客が見ている時だけが、舞台ではない。

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  2005年『修身』

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     馬場恵峰書

 

2019-09-01   久志能幾研究所通信No.1325 小田泰仙

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2019年8月27日 (火)

新入社員に教える「死への準備」

 私が入社したばかりの新入社員に、「修身」の講義で問うたことは、死への準備である。サラリーマンには、定年が人生の一区切りとしての「死」である。その死である定年までの働き方を問うた。

 

死を意識して働こう

 今を必死に生きるために、死を意識しよう。万物には必ず死がある。期限がある。人生の半分を占める会社生活にも、定年と言う「死」がある。入社したら、38年後に訪れる死(定年)を見据えて仕事をしよう。それが時間創造である。そう新入社員に教えた。

 定年があるから、組織の新陳代謝が進み企業が成長する。100年前の先輩がいつまでも居座っていては、部下は閉口である。人間の手も、母親のお腹の中で指と指の間の組織が死ぬことで、指のある手に成長する。死なくして成長はない。過去の自分を殺すことで、自分も成長する。

 組織として成長できない企業が倒産する。会社の寿命は30年である。長寿会社は常に変化成長している。成長しない企業には、競争社会で倒産と言う自然淘汰が待っている。

 個人的に定年と言う死を迎えるには、38年間の仕事のやり方が、定年後の時間の創り方に影響する。定年までの時間の過ごし方で、会社に残す付加価値で差を生み、定年後の時間価値を決める。

 貴方がたは、入社後、勤続38年間(13,870日)もの時間をかけて、どんな資産を創っていくのか。「老いて」何を後進に「置いて」行くのか。定年後の30年をかけて、どんな価値を残して、あの世に逝くのか。考えて仕事をして欲しい。

 技術者として、やってきたことを記録に残さないと、何もやらなかったと同じになってしまう。私は、そう思って記録に残すことを心がけてきた。それでこの講義が成立した。

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      新入社員教育テキスト「修身」2005年

 

管理職としての「死」の意識

 私が先輩から教えてもらった管理職の心得は「その職場の長としての任期は4年間。1年目は職場の観察、2年目は何をやるか決めてその種を撒く、3年目はその成果の回収、4年目は後進を育てて、後を託す」であった。

 

定年後

 定年と言う「死」を迎えて、会社時代の肩書や地位は、退職すれば無価値になる。なまじっかプライドがあると、負の遺産となる。会社時代に、人生の価値を創れなかった元エライさんが、老人ホームで「私の上席はどこですか?」とKY語(空気の読めない語)を発し、周囲の失笑をかうのだ。定年後の家で、妻から粗大ゴミ扱いをされるのだ。そうなっては、人生はお終いです。

 

定年後の粗大ごみ扱い

 先日、名刺を整理していたら、30年前、仕事でお世話になった業者の人の名刺が出てきて、懐かしくなり、その場で相手の自宅に電話をかけた。電話に出た相手の妻は、夫に「オダって人から電話!」と不機嫌そうな、迷惑そうな声で夫に声をかけた。その声は私に丸聴こえである。それで彼の家での妻からの扱いが分かってしまった。だからそれ以降、その家には電話をかける気がしなかった。再会する気にもなれなかった。それは彼が38年間をかけて、積み上げた負の財産である。彼が退職した会社でも、その価値が分かるような気がした。

 

余命宣告

 私も今年、癌で余命宣告を受けて、死を身近に見て、人生の残り時間を意識させられた。死を意識するから、やるべきことが浮かび上ってくる。緊張感をもって生きることが出来る。日暮れて途遠し、を痛感させられた。

 

「人生の短さについて」   

 人生は短いわけではなく、我々は十分な時間を持っているのだ。ただそれを多くの人は空しく浪費しているだけだ。

 彼らに共通するのは、真に自分に属しているものに頼らず、彼らの権内にない外なるものをあてにし、それに依存していることだ。今を生きないで、未来のよい生活を夢みて今を犠牲にしていることだとし、そういう人間は生きているのではない、ただ生存しているだけだと断言する。 p 32

 

時間の浪費

 その原因はどこにあるのか? 君たちはあたかも自分は永久に生きられるかのように今を生きていて、自分のいのちの脆さに思い致すことは決してない。いかに多くの時間がすでに過ぎ去ったかを意識しない。時間なぞ無尽蔵にあるもののように君たちは時間を浪費している。そうやって君たちがどこの誰かに、あるいは何らかの事に与えているその日が、実は君たちの最後の日であるかもしれないのに。死すべき者のように君たちは全てを怖れ、不死の者であるかのようにすべてを得ようとしているのだ。      p 35

  中野孝次著『ローマの哲人 セネカの言葉』岩波書店2003年より

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  馬場恵峰書

 頂いた命をただひたすらに活かして生きる。そこから始めないと仏様のご加護も始まらない。命を粗末にして人生は拓けない。みほとけが求められているのは、命を最大限に活かして生きること。それが世のため人のためになる。そうしないと世の中の迷惑な存在に成り下がる。「一日一生」の心がけで生きる。

 

2019-08-27   久志能幾研究所通信No.1319  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年5月22日 (水)

地蔵菩薩が持つ大きな器を目指して

 お地蔵様は、正式には地蔵菩薩という偉い方である。地蔵菩薩は、釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となるため、その間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を救うお役目の仏とされる。現世では、お地蔵様として子供の守り神として祭られている。地獄に出張したときは、お役目として閻魔大王の役も務めるとされる。

 菩薩とは仏教において成仏を求める(如来を目指す)修行者のことを指す。菩薩は修行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導くことで、庶民の信仰の対象にもなっている。

 

地獄論

 地獄は、天、人、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄の六道で最悪の所である。地獄に堕ちるのは、生前中に善を積まなかった不心得者で、多くの積善を心がけた方は、閤魔大王に呼び出され閤魔帳を覗いて判決を受けることもなく浄土に赴かれる。

 地獄に堕ちてしまえば、救いようがない。地獄の向かう亡者を裟婆と地獄の境界で「地獄の十王」が亡者の生存中の業の履歴が記された閤魔帳と照合して、どの地獄に送るかを評定して判決する。その裁判で被告の弁護をするのが地蔵菩薩である。

 

裁判員裁判制度の愚

 先人が考えた地獄論は、現代の裁判員裁判制度に比べれば、はるかに人間的で救いがある。最近の裁判員裁判制度での死刑判決の多さが異常である。その死刑判決のお役目を一般市民に押し付ける制度はいかがなものか。死刑を判決せざるを得ない一般市民には地獄である。死刑の投票を裁判員制度の裁判官としてしたら、一生トラウマとして残ってしまうだろう。

 

裁判官と弁護人が同一

 十王の中の裁判長が「闇魔大王」であり、闇魔大王は地蔵菩薩の化身であると言われる所以である。それ故、判決を下す裁判長と被告の弁護人が同一人物となるので、無罪が期待され、もう一度裟婆に戻れる可能性があることから地蔵菩薩信仰が生まれたといわれる。この信仰は民衆の地獄に対する恐怖観念が貴賎を問わずあったことも一因とされる。

 

先人の智慧

 こういう仏の組織体系を創造する先人の智慧には驚嘆する。今の新興宗教教祖の浅智慧では、足元にも及ばない。仏教の体系図は、会社組織の概念の創作と同じである。日本の地獄絵は、8世紀ごろに東大寺の線刻画に登場している。地獄は全て人間が作り出したものだが、その恐怖心をうまく活用して道徳心を子供に植えつけたのは智慧者である。私も幼いころ、祖母から地獄絵をお寺で見せられて、恐怖心を味わった思い出がある。

 

新興宗教団体のお笑い

 地獄論ができて1300年も経って、今の新興宗教界で、「脱会すると地獄に堕ちるぞ」と脅す教団があるのが、お笑いである。地獄に堕ちるには、それ相応の罪を犯さないとその資格が無い。原始宗教では、それが詳細に決まっている。原始宗教は、今よりも緻密である。現代新興宗教の教義は、金儲けに迷って、ガサツな体系となっている。それを信じる方は、もっと愚かである。

 

祈りの器

 仏像は、皆さんの祈りを受け止める小さな器である。拝むにしろお願いするにしろ、空気の前では手を合わせづらいもの。その祈る対象を具現化した一つの例がお地蔵様の像である。私は毎朝の散歩道の途中にある地蔵菩薩像の前で、「子供たちを守っていただきありがとうございます。守っていただいた子供たちを私もお守りします」と手を合わせている。

 

器が写す鏡 = 己は地蔵菩薩

 その地蔵菩薩の姿を思いめぐらせば、それは己の心が鏡に投影された姿ではないかとの思いに至った。人は自分の世界観の中でしか物事を考え出せない。先人が考えだした地蔵菩薩とは、人間の姿の反映である。己の心には厳しい裁判官の姿もあれば、相手の罪を弁護してあげる優しい心もある。その内なる心の面が、時に応じて葛藤して百面相のように変化する。すべて己の心の迷いがなす業である。それを如何に仏の心の眼で世の中を観るかで、成仏の程度がわかる。地蔵菩薩はその両方の清濁を併せ持つ。自分もそんな大きな器になりたいと思い精進している。

 子供たちが日本の未来を背負ってくれる。地蔵菩薩はその守り佛である。子供を害する大人へは、己が地蔵菩薩になりきって、厳しい裁判官の眼で、接するのが年長者の義務である。

039a21501s  松本明慶先生作 童地蔵菩薩像  高さ13センチ

 

 この子は、東京の展示会にお友達の200人と一緒に上京した。その中からお見合いをして、この子に決めて大垣の自宅に来てもらった。200体のお地蔵さんは、同じように見えても微妙に一人ひとり違い、この子と決めるのに苦労をした。(2013年10月)

 松本華明さんのお話しでは、年々この童地蔵菩薩像の作りにこだわりが出て、明慶さんも日々レベル向上だそうです。

 

 『命の器で創る夢の道』

2019-05-22   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年5月20日 (月)

あれ食えこれ食え 痴呆CM 癌が増え

知足者富

 食べ足りないで早死する人よりも、食べ過ぎて寿命を早める人が多い

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馬場恵峰書

 

 テレビの番組は、CMで、食い物、食べる行為の氾濫である。どんなものも美味そうに食べているタレントばかりが登場する。

 ジャンクフード、スィーツ、清涼飲料水、お酒、ハンバーガー、マーガリン、油、ソーセージ、ラーメン等、全国各地のグルメ紹介、食べ放題特集、大食い番組等の氾濫で、国民が痴呆的にテレビを見てつけられている。まるで洗脳教育で、何かおかしくないのか。

 癌を予防し、肥満、糖尿病、高血圧等の病気にならないためには、食べてはいけない食材ばかりである。テレビ番組制作者は、スポンサー企業の顔色を見て、金儲けのために、そんなことは無視である。

 日本には食料ばかりの話しで、お心肥の話題がない。もっと心を養わないと、日本は衰退の一途である。

 この痴呆的なCM攻撃には自己防衛するしかない。自己防衛できない子供たちを、親は守る義務がある。しかし、その親が堕落しているのが現代日本社会である。自分が癌に罹患して、世の中に発癌性食材の氾濫を見て、その思いを強くした。

 

飽食の罪

 その昔、学校で悪さをすると、罰として水の入ったバケツ2杯(約10kg)を持たされ廊下に立たされた。それが今は、長年の飽食の罰として、肥満になると脂肪の塊(10kg)が身につけさせられる。天からの罰として、バケツの水と同じ重さを持って働かされていると同じである。肥満になれば、高血圧、糖尿病、脳梗塞、ガン、通風等の病気になるのは自然の理である。飽食が万病の元である。その結果、医療費も高騰の一途をたどり、40年前に総額10兆円であった日本の医療費は、現在、40兆円を超えた。医学が発達しても患者は増えている。これは人の食生活が贅沢になり、本能のまま旨いものばかりを求め、心の修養を怠った結果である。その罪悪の履歴(閻魔帳の記録)が体に付いた脂肪の重さで「情報公開」される。誰でも閲覧可能な情報である。見れば分かる。閻魔帳はあの世に無い。今の己の体が、閻魔帳として存在する。

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飽食の連鎖(food slave chain)

 テレビでは連日、グルメの番組、料理番組、行列のできる飲食店の特集、絶品食品の宣伝、スイーツ・ジャンクフードのCMが目に付く。締めくくりとして胃腸薬の宣伝を大々的に展開する。ここに「飽食の連鎖」で食い物の奴隷に成り下がった現代人を垣間見る。食い物を食い物にして、金儲けに走る企業の戦略が透けて見える。

 その結果が、日本の男性の40代~50代で肥満者が30%を超えている。20年前に比べると3割も増加である。肥満は病気である。この結果が、医療費40年間で、3.7倍への肥満化である。現代社会は病気製造の片棒を金儲け主義の企業が担いでいるといえる。更に製薬会社と医療産業まで金儲けで目の色が変わっている。人の命をネタに金を稼ぐのは、吸血鬼ビジネスである。

 最初は崇高な理念で始めた徳田氏の徳州会病院も、2012年に、その娘の堕落で世にそのスキャンダルを晒した。旨いものばかりを食って太った中年太りの姿は醜態そのものである。

 その誘惑に負けた食い意地の履歴が、己の肥満として閻魔帳に記録される。美味しいものには毒がある。それを防ぐのが克己心。何のために生かされた命かを自問しよう。

 

足るを知らず

 満腹したライオンは、目の前をウサギが通っても襲わない。それが自然の摂理である。ライオンでも本能として「足るを知る」のである。ところが現代人は、満腹でもあるだけ食べてしまう。テレビも食べろ食べろとグルメ番組の氾濫である。これでは、人間様も犬畜生にも劣る存在に落ちぶれる。その罰を糖尿病、高血圧、ガン、認知症として受けている。世の中では最高のことしか起こらない。ガンでさえ、己の細胞の「火事」を最小限に防ぐために命が起こす自衛活動である。病気になるのも、みほとけからのメッセージである。それに聞く耳を持たないのが現代人である。

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 痴呆的グルメ番組がオンパレード。それを視聴続ける人が情けない。

 面倒見のよいマスコミでは、胃腸薬の宣伝も怠り無く?

 己の子孫が、後年これを見たら先祖を軽蔑するだろう。

 これこそ河原こじきの仕事である。昔の芸人とは河原こじきのこと。

 

飽食の奴隷

 「足るを知る」を忘れ、自然との共生を忘れ、己の利益だけを追求するグローバル経済主義の影響で、食品メーカが人の健康は無視して少しでも食べさせて売上を高めることに奔走する。飽食と食品CMの氾濫に踊らされている現代から見ると、中世の貴族の食事を笑えない。人間は恵まれ過ぎると不幸になる。

 金持ちになり、美食を漁り、食べ過ぎ、生活習慣病になる。グルメと飽食を追求した結果は、毎日が辛い・・・とまるで悪魔のサイクルである。それなら最初のところを「足るを知る」に変えると、我慢もいらないし、生活習慣病にもかからない。毎日を楽しく過ごし、認知症にも罹らず長生きすることができる。

 現代の医療費の異常な膨張は、天からの警告である。認知症に罹った身内を見て反省しない人間が、同じように認知症の道を歩む。

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 「お心肥」 紙切り師 林家二楽氏作  「サライ」2013年3月号

 「お心肥」は、欲望のまま旨いものばかり食べず、切磋琢磨して知識や技術を身につけ、心を肥やすべしと説く。

 

 『命の器で創る夢の道』より

 

2019-05-20   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年4月27日 (土)

春風秋雨

 ああいい梅が咲いたな,明日にでも花見に行くか、と思っていたら春風が吹いて一夜で全ての花が散ってしまった。ああ美しい椿の花が咲いたな、明日にでも見にいこうかと思っていたら、夜に秋雨が降り、全て散ってしまった。

 「春風秋雨」とは,「今,ここの精神でやらないと,時間は待ってくれない」との警句である。明日があると思うな。次ぎがあると思うな。一期一会と同じ言葉でもある。

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馬場恵峰書

 

春風

 会社の組織長は、普通3年で交代の不文律がある。それでも普通はその1,2か月前に事前の話があるもの。上司から前の組織変更の話を聞いたのが、2001年4月5日(木)午前11時、実際の組織変更は、4月9日(月)からという(書類上は4月1日付)。その日の午後、私はずっと会議で、実質1日しかない慌ただしい組織変更を通告された。グループのリーダーとして、次ぎにあれもやりたい、これも段取りしようと思っていたが、メンバーとの別れは1年余で突然にやって来た。

 この組織異動の話があって、何故か昔にNHKで「家族の写真」とかのドキュメントを見た記憶が鮮明に甦った。思いついて週末に家族の写真を写真館で撮ってもらった。

 そのNHKドュメントでは、毎年家族そろっての写真を撮りつづけ、その家族の歴史を綴っていた。家族の出生や病没による増減、家族の老いなど、楽しい記録や辛い記憶などが綴られていた。私の家族を振り返ると、各個人では写真を撮っているのだが、いざ家族揃っての写真というと無いのである。カメラは持っているから、たまには撮るのだが、親が年老いてから家族揃ってというと、意外と無いことに気づいて愕然とした。父の入院の前日に、今しか撮る機会はないかもと思い、写真館に行った。今後は毎年か隔年くらいで家族揃っての写真を撮ろうと心に決めた。

 現実問題として、後からやろうとしても出来ないのだ。時間は人を待ってくれない。結局、2001年3月に撮ったこの写真が最初で最後の家族写真となってしまった。そして、この写真が父の霊前を飾った。それでも、縁ある番組との出会いで、父の元気な姿の写真が間に合って良かったとドキュメント番組の出会いに感謝している。

 

 小才は、縁に出会って、縁に気づかず。

 中才は、縁に気づいて、縁を活かさず。

 大才は、袖すり合うた縁をも活かす。   

       柳生家の家訓   柳生石舟斎

 

 今にして、父にシベリア抑留の話をもっと真剣に聞いておけばよかった後悔している。しかし、ご縁があり、丸順の今川順夫最高顧問のお話が聞ける巡り会わせを2014年8月2日に頂いた。これもみほとけからの計らいと感じている。

 

秋雨

 2018年11月17日、河村義子先生からの「退院しました。30分のレッスンを再開しました」のメールを受けた。「体調が戻られたら退院お祝いで一席を」と返信したら、12月16日になって、

「それが、、Uターンです。またお近く通られましたらのぞいてください。

 クリコン、撮影などありがとうございました。病院でもみれるようにポータブルのものを買いました! やはりまだまだブルーレイは広まってないようです。^^大垣のもの、お待ちしてます。私の自宅へおくってくださる?」

とメールがあり、その病院が先生宅の近所で、文面からそんな緊急事態とは夢想だにしていなかった。それが最後のメールとなった。

 義子先生が愛知県がんセンターを退院され、自宅静養に入られたが、華やかな先生もやつれた顔を人に見せたくはないだろうと、もう少し元気になられたらと思っているうちに、12月25日、突然の訃報である。大きな大事な花が散ってしまった。春風秋雨に茫然自失である。

 

人生の花

 自分にとって人生の花見とは何なのか。何時かと思っているうちに、いつしか歳月は過ぎ、歳をとり、病気になりガンになり、花見にも、大事の人の死に目にも会えない日がくる。

 花見より大事なことは、自分の花を咲かせることだ。その花を見ずして死ぬに死ねない。その花も一瞬には咲かない。何年もの時間をかけて、蓄えた精進があって、ある日、花が咲く。そのためには、今からでも遅くないから、思うことは始めることだ。始めないと、何事も進まない。

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 馬場恵峰書

 

『命の器で創る夢の道』 p146

2019-04-27   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年4月 6日 (土)

社会ガン組織が、日本人を皆殺しにする 2/2

第二部:原因と結果

 グローバル経済主義狂の氾濫で、食品メーカが金儲けの為、至福のポイントの開発にしのぎを削り、人の健康など無視して暴走している。そうなったのも、日本人の精神が劣化して、拝金主義、成果主義に染まり、顧客の健康など知ったことではないというレベルの人格に劣化したのだ。

 昭和20年、太平洋戦争終結後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、War Guilt Information Program(WGIP)を、日本占領政策の一環として行った。それは「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」である。日本が二度と米国に立ち向かってこないように日本人に戦争罪悪感を植え付ける洗脳教育である。それで日本人の精神が崩れ、利他から利己的になった。その悪影響が、今になってボディーブローのように効いてきたのだ。世の中は、最高の事しか起こらない。その最高の結果が、日本人のガン患者の急増である。

 

ガン・マフィアの存在

 総額40兆円の医療費の内、20兆円が抗がん剤関係で使用されると推定される。日本人がガンになれば、ガン・マフィアは儲かって仕方がない。ガン・マフィアにとって、日本人のガン患者が増えることは喜ばしいことだ。だからこの40年間、ずっとガン患者は増えてきてホクホクであった。ガン・マフィアとは、医療業界、製薬メーカ、大学関係、医療機器メーカ等である。

 ところが、1977年に米国でマクガバン報告書が出て、肉類の過剰摂取がガンを誘発する、抗がん剤、放射線療法ではガンを治せない、との結論が出て、米国のがん治療の方針が変更された。米国は代替療法と食事の改善に向かい1994年以降にガンは減ってきて、ガンマフィアには死活問題である。ガン・マフィアにとって、日本は残された稼ぎ場所なのだ。だから日本は、ガン・マフィアがガン治療の変更を邪魔しているので、いつまでたってもガン患者は減らない。減らないどころか、急増である。

Photo_3  日米のがん死の推移

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政府の問題

 米国政府は、マクガバン報告で米国人の食生活の改善を提案して、その対策に国を挙げて取り組み、その効果が上がってきて、アメリカではがん患者は減っている。ところが、日本の官僚は、国民の命を軽視して、日本食の欧米化に走り、がん患者が急増中なのだ。悪いことに、厚生労働省が農薬、添加物、公害廃棄物の規制を緩く放任をして、事態を悪化させた。日本では、トランクス脂肪酸の規制なしが典型的な失敗事例である。サリドマイド事件、イタイイタイ病、森永ヒ素ミルク事件、カネミ油事件もその派生事件である。

 要は、役人が国民の命を守らなくなったのだ。国民の知る権利を妨害して、情報を隠蔽する輩に落ちぶれた。日本の精神の崩壊である。

 

お役所仕事

 日本人の木真面目さが、会社の効率化のため、せっせと農薬や添加物の申請を増やした。業界と癒着したお役所が、そのまま認可して、世界一の農薬、添加物使用の天国となった。ドイツ、英国では認可された添加物数は30種前後、アメリカでも130種程度だが、日本では、1500種前後と、桁違いの数である。役人は業界と癒着して、己の天下り先を確保している。官僚は日本社会の最大のガン組織である。厚生省のデータねつ造事件等が続き、日本人の劣化が止らない。

 

抗がん剤メーカの問題

 金を生む抗がん剤を売るために、業界が医療関係者を取り込んで、他の有効な療法を排除している。薬事委員会の理事は、薬品メーカの紐付きばかりである。医師も業界の掟には逆らえない。他の療法では、健康保険が利用できず、ガン患者は路頭に迷っている。製薬メーカだけが、笑いが止まらない。なにせ、抗がん剤市場は20兆円とも言われる巨大産業である。当然、その利権がすさまじい。薬剤メーカの営業マンは、成果主義で、国民の健康など考えず、抗がん剤の売り込みに忙しい。この種の製薬会社も営業マンも国のガン細胞である。

 

テレビ局、マスコミの問題

 テレビ局は、大食い大会、グルメ番組をどんどん流すが、食品メーカが大スポンサーなので、それに逆らう報道はご法度である。2015年にWHОが加工肉に発がん性があると発表したが、その後のCMで、それが制限されたような雰囲気は感じられない。なにせスポンサー様がアメリカファーストよりも「ファースト」なのだ。

 木真面目に視聴者に受けるため、グルメ番組が氾濫するのは、ナチスが生真面目に強制収容所で、人殺しを生真面目に超効率的に遂行したのとよく似ている。その実行者は、どこにでもいる普通のドイツ人であった。現在の日本人とよく似ている。本人は少しも罪悪感が無いのだ。がんは外から来たウイルスではなく、己の組織が異常分裂した結果なのだ。木真面目にグルメ番組を推進するテレビマンも、日本国のガン細胞なのだ。

 

ファーストフードショップ、外食産業

 売るために、ファーストフードには至福のポイントを極めるため、添加剤、人工調味料がふんだんに使われている。それが消費者の健康に影響あるかどうかは、検討対象外なのだ。拝金主義に染まった外食産業も、国のガン細胞である。

 

個人の問題

 家の崩壊、道徳、モラルの崩壊で、食、セックス、娯楽に溺れて日本人は退化した。そのため虚楽的なグルメ、大食いの氾濫で病気になるのも、自然の流れである。昔は、お米は88回の手間をかけて作られるとして、米粒ひとつも粗末にしなかったのに。今は粗末にし過ぎである。これは個人のモラルの問題である。

 

ほとけの警告

 官僚、マスコミ、テレビ、食品メーカ、外食産業、製薬メーカが拝金主義、成果主義に走り、各人の虚楽主義、モラルの欠如の総合作用が、現在の日本の病状を招いていると推定される。個人ではなく、日本の組織全体が、がん細胞に犯されている。

 再度、欧米のガン死のグラフを掲載する。現在の日本では33%がガン死である。現在、日本はガン死が世界一なのである。このままの傾向が続けは、120年後に日本人は全員がガン死となる。本来、文明国の理想的な死は老衰である。その老衰は数%しかいない。一人一人が意識をして、この危機に立ち向かわないと、このままでは、日本は滅びる。敵は中国や北朝鮮ではない。国内の身内に敵が居る。最大の敵は、危機意識無き、美食に目の無い己である。 

一燈を掲げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め。

               言志晩録第13条

Photo  欧米と日本のガン死の推移

4k8a18761  馬場恵峰書

 2019-04-06   久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。