l0_命の器で創る夢の道 Feed

2019年9月 1日 (日)

お金で智慧を買う

 お金を使って手に入れるのは智慧である。そのお金を使えるのが幸せである。使えるのは健康であることが前提である。その上で、体力も気力も夢もないと使えない。余命1年と宣告された病身では、お金は使えないし使う気にもなれない。

 お金を使える幸せを大事にしよう。そのうち使えなくなる日がやってくる。

 

自分を買う

 単にモノを買うのでは、お金を使ったことにならない。それは単にお金がモノに変わっただけである。価値あるモノを売れば同じ金額が返ってくる。安いものではそうは行かない。安もの買いの銭失いである。お金でモノを買うとは、自分を買ってくるのだ。その過程で智慧が付く。

 

利用限度

 美味いものを食っても限度がある。立って半畳、寝て1畳、死ぬまで飲んでも1升、食べて丼1杯である。人間の体では知れたもの。それではお金を使い切れない。食べ過ぎ飲みすぎれば、病気になり、早死にである。持てる人生の時間内に、どれだけ有効にお金を使えるかを問われている。

 

経験を買う

 お金を使うとは、体験への出費である。体験で智慧が湧く。それには時間も体力も必要だ。智慧を得うるための出費が、お金を使う行動である。学ぶ費用、師に会うための交通費、受講料、稀少価値の品の購入に智慧を費やす行動、出費が相当する。その過程で智慧を出す訓練が出来る。お金を賢く使うために受け入れる器を大きくすることだ。

 貯めるばかりの人生は、小さな器の人生。入ってきたお金を世間に旅ださせて、そのおこぼれをあずかる気持ちで丁度よい。それを自分の所で止めて、貯めるからお金が腐ってくる。お金は生鮮食品である。気持ちよく旅出させてあげれば、お友達をつれて帰ってくる。目先に囚われて、出し渋りをすれば、相手も嫌気がさして去っていく。損をして得を取れである。

 

夢を買う

 高いものにはワケがある。高いものには創った人の魂がこもっている。お金を使うとは、自分の夢の実現のための投資行動である。20年後を夢見て、今の自分に投資をする。そのためには学びの器を大きくすること。学びに限度はない。学んで成長すれば、器も自然と大きくなる。不健康な器では、何も入らない。

 

失敗の買い物

 良くない買い物はあるが、失敗の買い物はない。良くない品物、ご縁に接したら、それは良くないことが分かっただけ、智慧が付いたと感謝すべきである。私は、二度とその品物、お店、ご縁に近づかない。それだけで十分にお釣りがくる智慧を得たことになる。

 

智慧の披露

 学んで一杯になった器は、世間に披露しないといけない。日々、その舞台で自分の学んだ智慧が試される。会社での各場面が能舞台であり、仲間が観客である。果物屋の店頭が人生舞台で、来客がご祝儀である。そこでどんな演技をするのか、そこに自分の器に入れてある智慧が試される。商売では、その演技に失敗すると客は二度と来てはくれない。

 智慧は出し惜しみしてはダメである。どうせ持ってはあの世に行けない。智慧は出せば出すほど、自分にご褒美として帰ってくる。智慧を出す能力が磨かれる。

 

自分は能役者

 人生では人が仮面を被って人生劇場の役者を演じている。ある人は教師を、ある人は警察官の仮面を被って演じている。その仮面をペルソナという。ペルソナとはラテン語で仮面と言う意味である。この語源でパーソナリティと言う言葉が生まれた。個性とは、人が被る仮面のキャラクターである。人はその仮面を見て、その人の役割を期待する。その仮面を被ったら、その役割を演じなければ人の期待を裏切る「裏切り者」である。

 

人生舞台

 人生の舞台とは、幕が上がっている間だけが舞台ではない。幕が上がるまでの血みどろな練習時間、舞台の段を上がる時の挙動、舞台を下りるときの挙動も全て人生劇場の演技時間である。観客に見せる舞台での演技は一コマに過ぎない。一刻たりとも気を抜けない。観客は見ていなくても、神様仏様そして内なる己という仏が見つめている。

 一局を舞い舞台を下りて初めて「人生織物」での横糸の一本が完成する。人生とはその連綿とした行動の積み重ねである。観客が見ている時だけが、舞台ではない。

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  2005年『修身』

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     馬場恵峰書

 

2019-09-01   久志能幾研究所通信No.1325 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年8月27日 (火)

新入社員に教える「死への準備」

 私が入社したばかりの新入社員に、「修身」の講義で問うたことは、死への準備である。サラリーマンには、定年が人生の一区切りとしての「死」である。その死である定年までの働き方を問うた。

 

死を意識して働こう

 今を必死に生きるために、死を意識しよう。万物には必ず死がある。期限がある。人生の半分を占める会社生活にも、定年と言う「死」がある。入社したら、38年後に訪れる死(定年)を見据えて仕事をしよう。それが時間創造である。そう新入社員に教えた。

 定年があるから、組織の新陳代謝が進み企業が成長する。100年前の先輩がいつまでも居座っていては、部下は閉口である。人間の手も、母親のお腹の中で指と指の間の組織が死ぬことで、指のある手に成長する。死なくして成長はない。過去の自分を殺すことで、自分も成長する。

 組織として成長できない企業が倒産する。会社の寿命は30年である。長寿会社は常に変化成長している。成長しない企業には、競争社会で倒産と言う自然淘汰が待っている。

 個人的に定年と言う死を迎えるには、38年間の仕事のやり方が、定年後の時間の創り方に影響する。定年までの時間の過ごし方で、会社に残す付加価値で差を生み、定年後の時間価値を決める。

 貴方がたは、入社後、勤続38年間(13,870日)もの時間をかけて、どんな資産を創っていくのか。「老いて」何を後進に「置いて」行くのか。定年後の30年をかけて、どんな価値を残して、あの世に逝くのか。考えて仕事をして欲しい。

 技術者として、やってきたことを記録に残さないと、何もやらなかったと同じになってしまう。私は、そう思って記録に残すことを心がけてきた。それでこの講義が成立した。

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      新入社員教育テキスト「修身」2005年

 

管理職としての「死」の意識

 私が先輩から教えてもらった管理職の心得は「その職場の長としての任期は4年間。1年目は職場の観察、2年目は何をやるか決めてその種を撒く、3年目はその成果の回収、4年目は後進を育てて、後を託す」であった。

 

定年後

 定年と言う「死」を迎えて、会社時代の肩書や地位は、退職すれば無価値になる。なまじっかプライドがあると、負の遺産となる。会社時代に、人生の価値を創れなかった元エライさんが、老人ホームで「私の上席はどこですか?」とKY語(空気の読めない語)を発し、周囲の失笑をかうのだ。定年後の家で、妻から粗大ゴミ扱いをされるのだ。そうなっては、人生はお終いです。

 

定年後の粗大ごみ扱い

 先日、名刺を整理していたら、30年前、仕事でお世話になった業者の人の名刺が出てきて、懐かしくなり、その場で相手の自宅に電話をかけた。電話に出た相手の妻は、夫に「オダって人から電話!」と不機嫌そうな、迷惑そうな声で夫に声をかけた。その声は私に丸聴こえである。それで彼の家での妻からの扱いが分かってしまった。だからそれ以降、その家には電話をかける気がしなかった。再会する気にもなれなかった。それは彼が38年間をかけて、積み上げた負の財産である。彼が退職した会社でも、その価値が分かるような気がした。

 

余命宣告

 私も今年、癌で余命宣告を受けて、死を身近に見て、人生の残り時間を意識させられた。死を意識するから、やるべきことが浮かび上ってくる。緊張感をもって生きることが出来る。日暮れて途遠し、を痛感させられた。

 

「人生の短さについて」   

 人生は短いわけではなく、我々は十分な時間を持っているのだ。ただそれを多くの人は空しく浪費しているだけだ。

 彼らに共通するのは、真に自分に属しているものに頼らず、彼らの権内にない外なるものをあてにし、それに依存していることだ。今を生きないで、未来のよい生活を夢みて今を犠牲にしていることだとし、そういう人間は生きているのではない、ただ生存しているだけだと断言する。 p 32

 

時間の浪費

 その原因はどこにあるのか? 君たちはあたかも自分は永久に生きられるかのように今を生きていて、自分のいのちの脆さに思い致すことは決してない。いかに多くの時間がすでに過ぎ去ったかを意識しない。時間なぞ無尽蔵にあるもののように君たちは時間を浪費している。そうやって君たちがどこの誰かに、あるいは何らかの事に与えているその日が、実は君たちの最後の日であるかもしれないのに。死すべき者のように君たちは全てを怖れ、不死の者であるかのようにすべてを得ようとしているのだ。      p 35

  中野孝次著『ローマの哲人 セネカの言葉』岩波書店2003年より

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  馬場恵峰書

 頂いた命をただひたすらに活かして生きる。そこから始めないと仏様のご加護も始まらない。命を粗末にして人生は拓けない。みほとけが求められているのは、命を最大限に活かして生きること。それが世のため人のためになる。そうしないと世の中の迷惑な存在に成り下がる。「一日一生」の心がけで生きる。

 

2019-08-27   久志能幾研究所通信No.1319  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年5月22日 (水)

地蔵菩薩が持つ大きな器を目指して

 お地蔵様は、正式には地蔵菩薩という偉い方である。地蔵菩薩は、釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となるため、その間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を救うお役目の仏とされる。現世では、お地蔵様として子供の守り神として祭られている。地獄に出張したときは、お役目として閻魔大王の役も務めるとされる。

 菩薩とは仏教において成仏を求める(如来を目指す)修行者のことを指す。菩薩は修行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導くことで、庶民の信仰の対象にもなっている。

 

地獄論

 地獄は、天、人、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄の六道で最悪の所である。地獄に堕ちるのは、生前中に善を積まなかった不心得者で、多くの積善を心がけた方は、閤魔大王に呼び出され閤魔帳を覗いて判決を受けることもなく浄土に赴かれる。

 地獄に堕ちてしまえば、救いようがない。地獄の向かう亡者を裟婆と地獄の境界で「地獄の十王」が亡者の生存中の業の履歴が記された閤魔帳と照合して、どの地獄に送るかを評定して判決する。その裁判で被告の弁護をするのが地蔵菩薩である。

 

裁判員裁判制度の愚

 先人が考えた地獄論は、現代の裁判員裁判制度に比べれば、はるかに人間的で救いがある。最近の裁判員裁判制度での死刑判決の多さが異常である。その死刑判決のお役目を一般市民に押し付ける制度はいかがなものか。死刑を判決せざるを得ない一般市民には地獄である。死刑の投票を裁判員制度の裁判官としてしたら、一生トラウマとして残ってしまうだろう。

 

裁判官と弁護人が同一

 十王の中の裁判長が「闇魔大王」であり、闇魔大王は地蔵菩薩の化身であると言われる所以である。それ故、判決を下す裁判長と被告の弁護人が同一人物となるので、無罪が期待され、もう一度裟婆に戻れる可能性があることから地蔵菩薩信仰が生まれたといわれる。この信仰は民衆の地獄に対する恐怖観念が貴賎を問わずあったことも一因とされる。

 

先人の智慧

 こういう仏の組織体系を創造する先人の智慧には驚嘆する。今の新興宗教教祖の浅智慧では、足元にも及ばない。仏教の体系図は、会社組織の概念の創作と同じである。日本の地獄絵は、8世紀ごろに東大寺の線刻画に登場している。地獄は全て人間が作り出したものだが、その恐怖心をうまく活用して道徳心を子供に植えつけたのは智慧者である。私も幼いころ、祖母から地獄絵をお寺で見せられて、恐怖心を味わった思い出がある。

 

新興宗教団体のお笑い

 地獄論ができて1300年も経って、今の新興宗教界で、「脱会すると地獄に堕ちるぞ」と脅す教団があるのが、お笑いである。地獄に堕ちるには、それ相応の罪を犯さないとその資格が無い。原始宗教では、それが詳細に決まっている。原始宗教は、今よりも緻密である。現代新興宗教の教義は、金儲けに迷って、ガサツな体系となっている。それを信じる方は、もっと愚かである。

 

祈りの器

 仏像は、皆さんの祈りを受け止める小さな器である。拝むにしろお願いするにしろ、空気の前では手を合わせづらいもの。その祈る対象を具現化した一つの例がお地蔵様の像である。私は毎朝の散歩道の途中にある地蔵菩薩像の前で、「子供たちを守っていただきありがとうございます。守っていただいた子供たちを私もお守りします」と手を合わせている。

 

器が写す鏡 = 己は地蔵菩薩

 その地蔵菩薩の姿を思いめぐらせば、それは己の心が鏡に投影された姿ではないかとの思いに至った。人は自分の世界観の中でしか物事を考え出せない。先人が考えだした地蔵菩薩とは、人間の姿の反映である。己の心には厳しい裁判官の姿もあれば、相手の罪を弁護してあげる優しい心もある。その内なる心の面が、時に応じて葛藤して百面相のように変化する。すべて己の心の迷いがなす業である。それを如何に仏の心の眼で世の中を観るかで、成仏の程度がわかる。地蔵菩薩はその両方の清濁を併せ持つ。自分もそんな大きな器になりたいと思い精進している。

 子供たちが日本の未来を背負ってくれる。地蔵菩薩はその守り佛である。子供を害する大人へは、己が地蔵菩薩になりきって、厳しい裁判官の眼で、接するのが年長者の義務である。

039a21501s  松本明慶先生作 童地蔵菩薩像  高さ13センチ

 

 この子は、東京の展示会にお友達の200人と一緒に上京した。その中からお見合いをして、この子に決めて大垣の自宅に来てもらった。200体のお地蔵さんは、同じように見えても微妙に一人ひとり違い、この子と決めるのに苦労をした。(2013年10月)

 松本華明さんのお話しでは、年々この童地蔵菩薩像の作りにこだわりが出て、明慶さんも日々レベル向上だそうです。

 

 『命の器で創る夢の道』

2019-05-22   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年5月20日 (月)

あれ食えこれ食え 痴呆CM 癌が増え

知足者富

 食べ足りないで早死する人よりも、食べ過ぎて寿命を早める人が多い

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馬場恵峰書

 

 テレビの番組は、CMで、食い物、食べる行為の氾濫である。どんなものも美味そうに食べているタレントばかりが登場する。

 ジャンクフード、スィーツ、清涼飲料水、お酒、ハンバーガー、マーガリン、油、ソーセージ、ラーメン等、全国各地のグルメ紹介、食べ放題特集、大食い番組等の氾濫で、国民が痴呆的にテレビを見てつけられている。まるで洗脳教育で、何かおかしくないのか。

 癌を予防し、肥満、糖尿病、高血圧等の病気にならないためには、食べてはいけない食材ばかりである。テレビ番組制作者は、スポンサー企業の顔色を見て、金儲けのために、そんなことは無視である。

 日本には食料ばかりの話しで、お心肥の話題がない。もっと心を養わないと、日本は衰退の一途である。

 この痴呆的なCM攻撃には自己防衛するしかない。自己防衛できない子供たちを、親は守る義務がある。しかし、その親が堕落しているのが現代日本社会である。自分が癌に罹患して、世の中に発癌性食材の氾濫を見て、その思いを強くした。

 

飽食の罪

 その昔、学校で悪さをすると、罰として水の入ったバケツ2杯(約10kg)を持たされ廊下に立たされた。それが今は、長年の飽食の罰として、肥満になると脂肪の塊(10kg)が身につけさせられる。天からの罰として、バケツの水と同じ重さを持って働かされていると同じである。肥満になれば、高血圧、糖尿病、脳梗塞、ガン、通風等の病気になるのは自然の理である。飽食が万病の元である。その結果、医療費も高騰の一途をたどり、40年前に総額10兆円であった日本の医療費は、現在、40兆円を超えた。医学が発達しても患者は増えている。これは人の食生活が贅沢になり、本能のまま旨いものばかりを求め、心の修養を怠った結果である。その罪悪の履歴(閻魔帳の記録)が体に付いた脂肪の重さで「情報公開」される。誰でも閲覧可能な情報である。見れば分かる。閻魔帳はあの世に無い。今の己の体が、閻魔帳として存在する。

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飽食の連鎖(food slave chain)

 テレビでは連日、グルメの番組、料理番組、行列のできる飲食店の特集、絶品食品の宣伝、スイーツ・ジャンクフードのCMが目に付く。締めくくりとして胃腸薬の宣伝を大々的に展開する。ここに「飽食の連鎖」で食い物の奴隷に成り下がった現代人を垣間見る。食い物を食い物にして、金儲けに走る企業の戦略が透けて見える。

 その結果が、日本の男性の40代~50代で肥満者が30%を超えている。20年前に比べると3割も増加である。肥満は病気である。この結果が、医療費40年間で、3.7倍への肥満化である。現代社会は病気製造の片棒を金儲け主義の企業が担いでいるといえる。更に製薬会社と医療産業まで金儲けで目の色が変わっている。人の命をネタに金を稼ぐのは、吸血鬼ビジネスである。

 最初は崇高な理念で始めた徳田氏の徳州会病院も、2012年に、その娘の堕落で世にそのスキャンダルを晒した。旨いものばかりを食って太った中年太りの姿は醜態そのものである。

 その誘惑に負けた食い意地の履歴が、己の肥満として閻魔帳に記録される。美味しいものには毒がある。それを防ぐのが克己心。何のために生かされた命かを自問しよう。

 

足るを知らず

 満腹したライオンは、目の前をウサギが通っても襲わない。それが自然の摂理である。ライオンでも本能として「足るを知る」のである。ところが現代人は、満腹でもあるだけ食べてしまう。テレビも食べろ食べろとグルメ番組の氾濫である。これでは、人間様も犬畜生にも劣る存在に落ちぶれる。その罰を糖尿病、高血圧、ガン、認知症として受けている。世の中では最高のことしか起こらない。ガンでさえ、己の細胞の「火事」を最小限に防ぐために命が起こす自衛活動である。病気になるのも、みほとけからのメッセージである。それに聞く耳を持たないのが現代人である。

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 痴呆的グルメ番組がオンパレード。それを視聴続ける人が情けない。

 面倒見のよいマスコミでは、胃腸薬の宣伝も怠り無く?

 己の子孫が、後年これを見たら先祖を軽蔑するだろう。

 これこそ河原こじきの仕事である。昔の芸人とは河原こじきのこと。

 

飽食の奴隷

 「足るを知る」を忘れ、自然との共生を忘れ、己の利益だけを追求するグローバル経済主義の影響で、食品メーカが人の健康は無視して少しでも食べさせて売上を高めることに奔走する。飽食と食品CMの氾濫に踊らされている現代から見ると、中世の貴族の食事を笑えない。人間は恵まれ過ぎると不幸になる。

 金持ちになり、美食を漁り、食べ過ぎ、生活習慣病になる。グルメと飽食を追求した結果は、毎日が辛い・・・とまるで悪魔のサイクルである。それなら最初のところを「足るを知る」に変えると、我慢もいらないし、生活習慣病にもかからない。毎日を楽しく過ごし、認知症にも罹らず長生きすることができる。

 現代の医療費の異常な膨張は、天からの警告である。認知症に罹った身内を見て反省しない人間が、同じように認知症の道を歩む。

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 「お心肥」 紙切り師 林家二楽氏作  「サライ」2013年3月号

 「お心肥」は、欲望のまま旨いものばかり食べず、切磋琢磨して知識や技術を身につけ、心を肥やすべしと説く。

 

 『命の器で創る夢の道』より

 

2019-05-20   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年4月27日 (土)

春風秋雨

 ああいい梅が咲いたな,明日にでも花見に行くか、と思っていたら春風が吹いて一夜で全ての花が散ってしまった。ああ美しい椿の花が咲いたな、明日にでも見にいこうかと思っていたら、夜に秋雨が降り、全て散ってしまった。

 「春風秋雨」とは,「今,ここの精神でやらないと,時間は待ってくれない」との警句である。明日があると思うな。次ぎがあると思うな。一期一会と同じ言葉でもある。

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馬場恵峰書

 

春風

 会社の組織長は、普通3年で交代の不文律がある。それでも普通はその1,2か月前に事前の話があるもの。上司から前の組織変更の話を聞いたのが、2001年4月5日(木)午前11時、実際の組織変更は、4月9日(月)からという(書類上は4月1日付)。その日の午後、私はずっと会議で、実質1日しかない慌ただしい組織変更を通告された。グループのリーダーとして、次ぎにあれもやりたい、これも段取りしようと思っていたが、メンバーとの別れは1年余で突然にやって来た。

 この組織異動の話があって、何故か昔にNHKで「家族の写真」とかのドキュメントを見た記憶が鮮明に甦った。思いついて週末に家族の写真を写真館で撮ってもらった。

 そのNHKドュメントでは、毎年家族そろっての写真を撮りつづけ、その家族の歴史を綴っていた。家族の出生や病没による増減、家族の老いなど、楽しい記録や辛い記憶などが綴られていた。私の家族を振り返ると、各個人では写真を撮っているのだが、いざ家族揃っての写真というと無いのである。カメラは持っているから、たまには撮るのだが、親が年老いてから家族揃ってというと、意外と無いことに気づいて愕然とした。父の入院の前日に、今しか撮る機会はないかもと思い、写真館に行った。今後は毎年か隔年くらいで家族揃っての写真を撮ろうと心に決めた。

 現実問題として、後からやろうとしても出来ないのだ。時間は人を待ってくれない。結局、2001年3月に撮ったこの写真が最初で最後の家族写真となってしまった。そして、この写真が父の霊前を飾った。それでも、縁ある番組との出会いで、父の元気な姿の写真が間に合って良かったとドキュメント番組の出会いに感謝している。

 

 小才は、縁に出会って、縁に気づかず。

 中才は、縁に気づいて、縁を活かさず。

 大才は、袖すり合うた縁をも活かす。   

       柳生家の家訓   柳生石舟斎

 

 今にして、父にシベリア抑留の話をもっと真剣に聞いておけばよかった後悔している。しかし、ご縁があり、丸順の今川順夫最高顧問のお話が聞ける巡り会わせを2014年8月2日に頂いた。これもみほとけからの計らいと感じている。

 

秋雨

 2018年11月17日、河村義子先生からの「退院しました。30分のレッスンを再開しました」のメールを受けた。「体調が戻られたら退院お祝いで一席を」と返信したら、12月16日になって、

「それが、、Uターンです。またお近く通られましたらのぞいてください。

 クリコン、撮影などありがとうございました。病院でもみれるようにポータブルのものを買いました! やはりまだまだブルーレイは広まってないようです。^^大垣のもの、お待ちしてます。私の自宅へおくってくださる?」

とメールがあり、その病院が先生宅の近所で、文面からそんな緊急事態とは夢想だにしていなかった。それが最後のメールとなった。

 義子先生が愛知県がんセンターを退院され、自宅静養に入られたが、華やかな先生もやつれた顔を人に見せたくはないだろうと、もう少し元気になられたらと思っているうちに、12月25日、突然の訃報である。大きな大事な花が散ってしまった。春風秋雨に茫然自失である。

 

人生の花

 自分にとって人生の花見とは何なのか。何時かと思っているうちに、いつしか歳月は過ぎ、歳をとり、病気になりガンになり、花見にも、大事の人の死に目にも会えない日がくる。

 花見より大事なことは、自分の花を咲かせることだ。その花を見ずして死ぬに死ねない。その花も一瞬には咲かない。何年もの時間をかけて、蓄えた精進があって、ある日、花が咲く。そのためには、今からでも遅くないから、思うことは始めることだ。始めないと、何事も進まない。

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 馬場恵峰書

 

『命の器で創る夢の道』 p146

2019-04-27   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年4月 6日 (土)

社会ガン組織が、日本人を皆殺しにする 2/2

第二部:原因と結果

 グローバル経済主義狂の氾濫で、食品メーカが金儲けの為、至福のポイントの開発にしのぎを削り、人の健康など無視して暴走している。そうなったのも、日本人の精神が劣化して、拝金主義、成果主義に染まり、顧客の健康など知ったことではないというレベルの人格に劣化したのだ。

 昭和20年、太平洋戦争終結後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、War Guilt Information Program(WGIP)を、日本占領政策の一環として行った。それは「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」である。日本が二度と米国に立ち向かってこないように日本人に戦争罪悪感を植え付ける洗脳教育である。それで日本人の精神が崩れ、利他から利己的になった。その悪影響が、今になってボディーブローのように効いてきたのだ。世の中は、最高の事しか起こらない。その最高の結果が、日本人のガン患者の急増である。

 

ガン・マフィアの存在

 総額40兆円の医療費の内、20兆円が抗がん剤関係で使用されると推定される。日本人がガンになれば、ガン・マフィアは儲かって仕方がない。ガン・マフィアにとって、日本人のガン患者が増えることは喜ばしいことだ。だからこの40年間、ずっとガン患者は増えてきてホクホクであった。ガン・マフィアとは、医療業界、製薬メーカ、大学関係、医療機器メーカ等である。

 ところが、1977年に米国でマクガバン報告書が出て、肉類の過剰摂取がガンを誘発する、抗がん剤、放射線療法ではガンを治せない、との結論が出て、米国のがん治療の方針が変更された。米国は代替療法と食事の改善に向かい1994年以降にガンは減ってきて、ガンマフィアには死活問題である。ガン・マフィアにとって、日本は残された稼ぎ場所なのだ。だから日本は、ガン・マフィアがガン治療の変更を邪魔しているので、いつまでたってもガン患者は減らない。減らないどころか、急増である。

Photo_3  日米のがん死の推移

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政府の問題

 米国政府は、マクガバン報告で米国人の食生活の改善を提案して、その対策に国を挙げて取り組み、その効果が上がってきて、アメリカではがん患者は減っている。ところが、日本の官僚は、国民の命を軽視して、日本食の欧米化に走り、がん患者が急増中なのだ。悪いことに、厚生労働省が農薬、添加物、公害廃棄物の規制を緩く放任をして、事態を悪化させた。日本では、トランクス脂肪酸の規制なしが典型的な失敗事例である。サリドマイド事件、イタイイタイ病、森永ヒ素ミルク事件、カネミ油事件もその派生事件である。

 要は、役人が国民の命を守らなくなったのだ。国民の知る権利を妨害して、情報を隠蔽する輩に落ちぶれた。日本の精神の崩壊である。

 

お役所仕事

 日本人の木真面目さが、会社の効率化のため、せっせと農薬や添加物の申請を増やした。業界と癒着したお役所が、そのまま認可して、世界一の農薬、添加物使用の天国となった。ドイツ、英国では認可された添加物数は30種前後、アメリカでも130種程度だが、日本では、1500種前後と、桁違いの数である。役人は業界と癒着して、己の天下り先を確保している。官僚は日本社会の最大のガン組織である。厚生省のデータねつ造事件等が続き、日本人の劣化が止らない。

 

抗がん剤メーカの問題

 金を生む抗がん剤を売るために、業界が医療関係者を取り込んで、他の有効な療法を排除している。薬事委員会の理事は、薬品メーカの紐付きばかりである。医師も業界の掟には逆らえない。他の療法では、健康保険が利用できず、ガン患者は路頭に迷っている。製薬メーカだけが、笑いが止まらない。なにせ、抗がん剤市場は20兆円とも言われる巨大産業である。当然、その利権がすさまじい。薬剤メーカの営業マンは、成果主義で、国民の健康など考えず、抗がん剤の売り込みに忙しい。この種の製薬会社も営業マンも国のガン細胞である。

 

テレビ局、マスコミの問題

 テレビ局は、大食い大会、グルメ番組をどんどん流すが、食品メーカが大スポンサーなので、それに逆らう報道はご法度である。2015年にWHОが加工肉に発がん性があると発表したが、その後のCMで、それが制限されたような雰囲気は感じられない。なにせスポンサー様がアメリカファーストよりも「ファースト」なのだ。

 木真面目に視聴者に受けるため、グルメ番組が氾濫するのは、ナチスが生真面目に強制収容所で、人殺しを生真面目に超効率的に遂行したのとよく似ている。その実行者は、どこにでもいる普通のドイツ人であった。現在の日本人とよく似ている。本人は少しも罪悪感が無いのだ。がんは外から来たウイルスではなく、己の組織が異常分裂した結果なのだ。木真面目にグルメ番組を推進するテレビマンも、日本国のガン細胞なのだ。

 

ファーストフードショップ、外食産業

 売るために、ファーストフードには至福のポイントを極めるため、添加剤、人工調味料がふんだんに使われている。それが消費者の健康に影響あるかどうかは、検討対象外なのだ。拝金主義に染まった外食産業も、国のガン細胞である。

 

個人の問題

 家の崩壊、道徳、モラルの崩壊で、食、セックス、娯楽に溺れて日本人は退化した。そのため虚楽的なグルメ、大食いの氾濫で病気になるのも、自然の流れである。昔は、お米は88回の手間をかけて作られるとして、米粒ひとつも粗末にしなかったのに。今は粗末にし過ぎである。これは個人のモラルの問題である。

 

ほとけの警告

 官僚、マスコミ、テレビ、食品メーカ、外食産業、製薬メーカが拝金主義、成果主義に走り、各人の虚楽主義、モラルの欠如の総合作用が、現在の日本の病状を招いていると推定される。個人ではなく、日本の組織全体が、がん細胞に犯されている。

 再度、欧米のガン死のグラフを掲載する。現在の日本では33%がガン死である。現在、日本はガン死が世界一なのである。このままの傾向が続けは、120年後に日本人は全員がガン死となる。本来、文明国の理想的な死は老衰である。その老衰は数%しかいない。一人一人が意識をして、この危機に立ち向かわないと、このままでは、日本は滅びる。敵は中国や北朝鮮ではない。国内の身内に敵が居る。最大の敵は、危機意識無き、美食に目の無い己である。 

一燈を掲げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め。

               言志晩録第13条

Photo  欧米と日本のガン死の推移

4k8a18761  馬場恵峰書

 2019-04-06   久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年4月 5日 (金)

社会のガン組織が、日本人を皆殺しにする 1/2

第一部:飽食という名の臭癌症

 現在、日本人の二人に一人がガンになり、脳梗塞、心筋梗塞が死因の一位、ガンの死因が3人に一人で2位の状況で、この40年間、医療費は増大の傾向が続き、ガンも減るどころか、増加の一途である。実に日本人の99万5千人がガンに罹患する。ガンに罹患すれば、「強制収容所としての」ガン病棟に収容される。その数は日本の新生児とほぼ同じ数である。欧米ではガンは減っているが、先進国で日本だけがガン患者が急増である。このままでは、日本人全員が癌になる。何かおかしいのだ。異常な現象があれば、必ず原因がある。その原因をこのブログで探りたい。

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   欧米と日本のがん死亡者数の比較

 船瀬俊介著『あぶない抗ガン剤』共栄書房 2018年 より

 なぜ、アメリカは1994年以降にガン死亡率が減る傾向になり、日本は、どんどんガン死亡率が増える傾向なのか?

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バケツ2杯の罰

 その昔、学校で悪さをすると、罰として水の入ったバケツ2杯(約10kg)を持たされ廊下に立たされた。それが今は、長年の飽食の罰として、肥満になると脂肪の塊(10kg)が身につけさせられる。天からの罰として、バケツの水と同じ重さを持って働かされていると同じである。

 肥満になれば、高血圧、糖尿病、脳梗塞、ガン、通風等の病気になるのは自然の理である。飽食が万病の元である。その結果、医療費も高騰の一途をたどり、40年前に総額10兆円であった日本の医療費は、現在、40兆円超えまで増えている。医学が発達しても患者は増えている。がん患者は2倍に増え、乳がんは4.7 倍に増えている。

 これは人の食生活が贅沢になり、本能のまま旨いものばかりを求め、心の修養を怠った結果である。それをテレビが煽っている。その罪悪の履歴(閻魔帳の記録)が体に付いた脂肪の重さで「情報公開」される。誰でも閲覧可能な情報である。見れば分かる。閻魔帳はあの世に無い。今の己の体が閻魔帳である。

 現代人は、飽食という病気に罹り、一億総痴呆、一億総玉砕にまっしぐらである。このままでは日本は滅亡である。

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 この宣伝ほど人を馬鹿にしたものはない。この会社は日本人が節操がなく、餓鬼にように食らう人種だと見下している。この製薬会社にとって、日本人はカモなのだ。

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 この種の番組ほど、日本人を愚弄したものはない。我々はこんな痴態を世間様に見せる程、劣化したのだ。

 

飽食の連鎖(food slave chain)

 テレビでは連日、グルメの番組、料理番組、行列のできる飲食店の特集、大食い番組、絶品食品の宣伝、スイーツ・ジャンクフードのCMが目に付く。締めくくりとして胃腸薬の宣伝を大々的に展開する。ここに「飽食の連鎖」で食い物の奴隷に成り下がった現代人を垣間見る。食い物を食い物にして、金儲けに走る企業の戦略が透けて見える。

 

日本人の肥満

 その結果が、日本の男性の40代~50代で肥満者が30%を超えている。20年前に比べると3割も増加である。肥満は病気である。この結果が、医療費40年間で、3.7倍への肥満化である。現代社会は病気製造の片棒を金儲け主義の企業が担いでいるといえる。更に製薬会社と医療産業まで金儲けで目の色が変わっている。人の命をネタに金を稼ぐのは、吸血鬼ビジネスである。

 その誘惑に負けた食い意地の履歴が、己の肥満として閻魔帳に記録される。美味しいものには毒がある。何のために生かされた命かを自問しよう。

 

足るを知らない

 満腹したライオンは、目の前をウサギが通っても襲わない。それが自然の摂理である。ライオンでも本能として「足るを知る」のである。ところが現代人は、満腹でもあるだけ食べてしまう。テレビも「食べろ食べろ」とグルメ番組の氾濫である。これでは、人間様も犬畜生にも劣る存在に落ちぶれる。その罰を糖尿病、高血圧、ガン、認知症として受けている。世の中では最高のことしか起こらない。ガンでさえ、己の細胞の「火事」を最小限に防ぐために命が起こす自衛活動である。病気になるのも、みほとけからのメッセージである。それに聞く耳を持たないのが現代人である。

2019-04-05   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月26日 (火)

命の限度

 今回(2012年)の眼の病気で痛感したことは、命には限りがあるのは同然だが、自分の持つ各器官にも、個別の命の寿命がある事実である。全ての器官が均等に弱っていくわけではない。一番弱い器官に負荷がかかり、寿命を決める。今までもいろんな病気にかかったが、人生も還暦を過ぎると、病気を受け止める気持ちが若いときに比べれば深刻である。そのためには、両親から頂いた大事な命は、自分で管理して大事に使い恩返しをしなくてはならない、という使命感が湧いてきた。

 

病気というお手紙

 医師は診断と治療はするが、病気を直してくれるわけではない。病気を直すのは患者自身である。「病気」と言う仏様からのメッセージをどう受け止め、どのように今後の生活姿勢を正すかは、自分の自己管理責任である。

 その原因が生活習慣にあれば、それを正すのが、まず病院に行くのと併行して進めねばならぬ。人生を有意義に生きるためには、死んでもいいが、健康は自分がしっかり管理維持しなければならない。生死は神仏の管轄であるが、健康管理は自分の責任である。幸福はまず健康からである。

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この楯は、東日本大震災で倒壊した神社の復興時に使った桧の端材で作成されている。

馬場恵峰書、2012年入手

 

   『命の器で創る夢の道』P74

 2019-03-26     久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月24日 (日)

眼の手術の研究

 2012年春に白内障の手術を受け、その直後、網膜剥離を患った。その白内障の手術に不具合があり、その修正手術を三好輝行先生(福山市、三好眼科)にして頂いた。その後、網膜静脈閉塞症を患い、三好先生の紹介で、中部地区ではその第一人者の名古屋市立大学病院の小椋祐一郎教授に治療をして頂いた。

 それで手術に対して目が覚め、自分の目に対する手術の概要を知ろうと、医学専門書を捜して購入した。手術の概要を知ることは、自分の体をよく知ることになり、有益だと感じたからだ。自分の体に施される「工事」内容を知ることは、「施工主」として今後の治療方法の選択時の決断と予防の心構えに貴重な情報源となる。

 

方針決定は自分

 治療は医師が行うが、医師から提示された治療案の選択の決定は、自分がしなくてはならない。その知識を得るのに専門書は、貴重な情報源だ。捜した医学書は、たまたま、小椋祐一郎教授が著述された書籍で、書籍の内容のレベルから見ても、治療をお任せするのに大きな安心情報となった。2冊で43,200円と少々高価なのが難であった。この巻のシリーズの「白内障」の巻(30,000円)を以前に購入していたので、買うのに躊躇はなかった。

 この書籍に目を通して感じたことは、世の中には私以上に難しい状況に置かれた人が多くいるということ。また命の不思議さである。自分のまだ恵まれた状況を認識できた。また目の医学が進化していることを確認できたことは幸いであった。

 

ながい坂

 横田鶴良先生が杉田玄白著「蘭学事始」の写本を殿に勧めると、殿は「おれに医師になれというか」と初めに仰せられました。横田先生はそのとき「病気にかかるのは人間ばかりではない、世の中も病んでいるときがある、人体の病気も世間の病気も似たようなものだ、そうでなくても、書物というものは読んでおいて損はない」というふうに云われました。

             (山本周五郎著『ながい坂』Ⅱ p138)

 

 私はこの『長い坂』の文言に出会って以来、理工系の本ばかりでなく、医学書や自然界の現象の本にも手を出して読んでいる。人間の体は小宇宙の世界である。それを知れば、自分の生き方、経営診断にも応用できる。学ばない手はない。

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   『命の器で創る夢の道』P73より

 2019-03-24   久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年3月23日 (土)

眼の命の代償  命の器

 現代は照明器具や、眼鏡が発達しても、それ以上に情報が氾濫し、活字、テレビ、PC等を使い、ついつい目を酷使する機会が多い。目にも寿命があることを意識して、大事に使わなければと肝に銘じた今回の目の病気(白内障、網膜剥離)のご縁であった。(2014年当時)

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京薩摩焼

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茶碗内面の蝶の絵柄 

京薩摩焼の名品

 この京薩摩焼は細かい蝶の絵柄を金、赤、青、黄の一色ずつ茶碗に色付けをして、焼く工程で仕上げる。色の数ごとに色付けをして、その色ごとに焼くという気の遠くなる職人技であった。色によって融点の温度が違うための必要な工程である。京薩摩焼は富国強兵を急ぐ薩摩藩や明治政府の日本の外貨獲得の貴重な輸出製品の一つであった。当時の職人は電球の無い時代であったため、太陽の下でこの細かい絵付け作業を強いられた。そしてみんな目をやられていった。やらなければ、後ろから刀で見張っている薩摩藩のお役人に殺される。この作品には京薩摩焼職人の眼の命がこもっている。

 

経緯

 ご縁がありこの作品は、2011年に自宅に来たが、その悲惨な製作過程を三好輝行先生に教えてもらって襟を正した。この作品は、明治初期の当時、日本を狙う欧米列強の外圧を撥ね退けるため富国強兵政策として外貨を稼ぐため、職人が命を掛けて作り欧州に輸出された作品である。2010年頃の円高の折、英国の貴族が所有していたこの作品がオークションに出て、日本に里帰りをした。2011年、これに大垣のデパートで出会って、その製作工程の気の遠くなるような凄さに感動して購入を決めた。職人の技の極致である。

 私はいまだかって骨董の陶器など興味がなかったのに、衝動買いである。それ以降も、骨董の陶器は買っていない。それほどの作品である。2019年現在まで、毎年、この展示会を見ているが、これほどの作品にはそれ以降、お目にかかれない。良きものを入手できたご縁を嬉しく思おう。

 この作品にはご縁がある。大老井伊直弼の横浜港での開国の決断のご縁が、これに結びついている。父方のご先祖は、大老井伊直弼の桜田門外の変にご縁があった。

 

   『命の器で創る夢の道』p77より

 2019-03-23  久志能幾研究所 小田泰仙

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