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2021年6月25日 (金)

縁は厳慈の恩にあり

 

 「旅のチカラ(ミケランジェロの街で仏を刻む---松本明慶)」(NHK BSプレミアム 2013年5月収録)のビデオを見て感動した。ミケランジェロ作のピエタ像と、ホテルで明慶先生が阿弥陀如来のお顔を彫っている時、眼の上の台の上に置かれた「魂(オニ)」の座像が目を引いた。特に「しっかり彫れよ」と先生を叱咤激励するがごとく睨んでいる「魂」の姿が目に焼きついた。

 

 このピエタ像には、私が定年退職記念にローマに旅行した時(2010年11月10日)に出会い、衝撃を受けた彫刻であった。それも、松本明慶先生に初めて大垣市の仏像彫刻展覧会でお会いして(2010年11月1日)、その9日後の御縁である。今回のビデオ映像でその聖母マリアのお顔と、その心を取り入れて明慶先生が彫られた阿弥陀如来のお顔がダブって見える。

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    ピエタ像(サン・ピエトロ大聖堂)   2010年11月10日撮影 

2     明慶先生との出会い    ヤナゲン大垣本店で  2010年11月1日

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ローマでピエタ像に出会う

 ローマ旅行時に初めてピエタ像を見たとき、私も衝撃を受けた。次元の違う彫刻に遭遇したような思いである。10日間のローマ滞在中、3回もこのピエタ像を見るためバチカンを訪れることになった。それほど引きつけられるものがあった。本物は10m先の防弾ガラス越しでしか鑑賞できない。しかし宗派を超越してキリスト教徒も仏教徒もイスラム教徒も世界各地から訪れた老若男女が長時間、ピエタ像を見つめていた。後で隣接したバチカン美術館にこの精巧なレプリカが展示してあるのを発見した。そこで至近距離1mから長時間、お顔を拝ませて頂いたのは幸いであった。こちらは見学者が少なく、落ち着いて接することができたのも有難いこと。

 ピエタ像が防弾ガラスで覆われているのは、過去に精神異常者がマリア像のお鼻を傷付けたためで、それの対策である。

 

「ピエタ」とは「慈愛」

 「ピエタ」とは「慈愛」の意味である。「ピエタ」はミケランジェロが終生、追い求めたテーマである。「慈」とは「心」「茲」から成る。「茲」は、「増える(子を増やして育てる)」=「愛」と「心」で「母」の意味を持つ。「慈」の反対語は「厳」である。旧字体は「嚴」で、冠の「□□」と「嚴」の下部(音)から構成される。「□□」は、「厳しく辻褄を合わせる」の意味である。つまり「父」の意味を持つ。自然界は陰陽で出来ている。優しい母がいて、その背後に厳しい父がいて子供は育つ。片方だけではダメなのである。

 今回の明慶先生の阿弥陀如来のお顔を彫る製作過程を、厳しい顔の鬼(魂)が見つめていることの深い意味合いを感じた。厳しさがあるから、慈しみに溢れた優しさのあるお顔が生まれるのだと。優しさだけでは本当の慈は出てこない。厳しさの奥には深い愛情が隠れている。

 

Dsc04477s 松本明慶大仏師作 「魂」、 書は馬場恵峰先生書
 

2 ピエタ像(サン・ピエトロ大聖堂) 2010年11月10日撮影 

 見学者の柵から10m先に防弾ガラスで覆われて安置

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ピエタ像(サン・ピエトロ大聖堂) 2010年11月10日撮影 

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 ピエタ像(バチカン美術館に展示のレプリカ)  2010年11月13日撮影

P1080515s ピエタ像(岐阜県美術館に展示のレプリカ)  2016年11月13日撮影

 このピエタ像の複製が岐阜県美術館のホールに展示されているが、環境的に明るすぎ、場所的に高い位置に展示されていて、その厳かな雰囲気と合わないのが残念である。岐阜県美術館のピエタ像からは、ローマで本物を見た時の衝撃が全く感じられない。やはり展示環境が大きく影響するようだ。

 

2021-06-25   久志能幾研究所通信 2070  小田泰仙

命の器で創る夢の道

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