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2024年10月

2024年10月 4日 (金)

大本営発表・日本がん対協会「がん征圧月間」(2)

 

 医師は上医、中医、下医に分類される。上医はいまだ病まざる状態の病を治し、中医は病まんとするものの病を治し、下医はすでに病みたる病を治す。

 下医は対処療法である。上医こそ本物の医者である。

 

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 某紙の全面広告 (2024年9月)
      企画・製作/岐阜新聞社営業局

  協力/岐阜県健康福祉部保健医療課 

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 この日本対がん協会の広告(岐阜新聞社編集)での内容は、下医以下の言い分である。この広告の真の目的は、がん検診の推進で、ガンにならない方法の推進ではない。がんを正しく治す方法の推進でもない。多くの人が、がん検診を受けて、早くがんを見つけて、治療をしましょう(そうすれば医療機関は儲かる)、という医療関係機関からの宣伝である。

 日本対がん協会は、正しいガン予防策を隠蔽して広報している。誤ったがん対策で、多くの人ががんになってくれれば、またがん検診を受けてくれれば、それでがんを見つけたら、その治療で儲かる。またがんの恐怖を煽り、がん保険に加入してくれれば儲かる、である。がんの原因物質の食品メーカには被害が及ばないように気を使っている。なにせ相手はお得意様の大スポンサーなのだ。

 そういう広報活動を66年間もしてきて、その結果が、日本対がん協会発足当時よりも、がんが4.3倍になった、である。

 

 この広告で表明している「がんを防ぐための新12か条」ではがんは防げない。それは66年間の冷酷な日本人がん死のデータが証明している。

 

 この「がんを防ぐための新12か条」の内容は、1970年代後半にアメリカ上院議員マクガバン氏が連邦政府と議会に提出した一連のマクガバンレポートの提案内容をガン無視している。つまり日本ではがんになる状態を無視・放置している(利権のため)。これが国立がん研究センターのがん予防活動の実態である。だから先進国中、日本だけがガンが激増している。

 

久志能幾研究所通信

がん真因:欧米減少、日本激増、マクガバンレポート

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  日本対がん協会や国立がん研究センターのご推薦内容

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 日本対がん協会や国立がん研究センターは、早期発見には「がん検診」をと力説するが、もっと大事なことは、がんにならない方法(生活習慣、食事習慣)である。日本対がん協会はそれをぼかしてスルーしている。マクガバンレポートでも乳製品が乳がんの原因だと断定しているが、それはスルーである。国内の食品メーカとの利権問題であろう。

 

検査工程は無駄、がん検診も同じ

 トヨタ生産システムは、検査工程は無駄な工程と定義している。製品は工程で作り込み、後工程に不良品を流さない、が原則である。後工程は神様なのだ。後工程に不慮品を流すと手直し(治療)が発生する。トヨタ生産システムでは、検査工程(がん検診)では付加価値を生まないとして、不良品を出さない生産工程を組む(がんにならない生活習慣、食生活)。それが真のがん対策である。

 だから、日本がん対協会が推進するがん検診は無駄な医療である。まずがんにならない生活をする。そこから始めないと、日本のがんは減らない。

  

 

2024-10-04  久志能幾研究所通信 2955号  小田泰仙

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2024年10月 3日 (木)

大本営発表・日本がん対協会「9月はがん征圧月間」(1)

 

 公益財団法人・日本がん対協会は、大本営発表のようながん防止策を広報し続けている。それはまるでB29に竹槍で対抗しようとするようなものだ。

 “9月は「がん征圧月間」”という表現は、「鬼畜米英を征圧」の精神論と同じものである。表面的には、この団体はがんを悪の権現のように敵視し、撲滅を推進している。

 

 しかしその結果は66年間、連戦連敗の全敗である。日本対がん協会が設立された1958年と比較して、現在(2023年)は、がん死が4.3倍となっている。それはがんを征圧しようとして、創業以来、連続66年間も連戦連敗で、無条件降伏となった状態である。それは日米戦争より酷い。そんな協会の大本営発表を信じていれば、殺される。私も殺されかかった。

(2023年のがん死亡者数は、 382,492 人)

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 某紙の全面広告 (2024年9月)
      企画・製作/岐阜新聞社営業局

  協力/岐阜県健康福祉部保健医療課 

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 現在、日本で毎年38万人ものがん死が出るとは、太平洋戦争を2倍に拡大して継続していると同じである。太平洋戦争では、その15年間、毎年平均20.7万人の死者であったが、それでも今のガン死の約半分であった。

 昭和30年代(1955年 - 1964年)以降、日本における交通事故死者数の水準が日清戦争での日本側の戦死者数(2年間で17,282人)を上回る勢いで増加した。年間1万人以上の交通事故死者が出て大騒ぎとなった。

 現在、年間38 万人もガン死が出ていてもマスコミはそれほど騒がない。

 何故?

 それは、マスコミがガン発症の原因食品の広告でカネ儲けして、ガン死の原因の片棒を担いでいるいるから後ろめたいから。

 

太平洋戦争での日本人の死者

 15年にわたる戦争で、日本人の軍人軍属などの戦死230万人、民間人の国外での死亡30万人、国内での空襲等による死者50万人以上、合計310万人以上(1963年の厚生省発表)である。

 

 旧日本軍の大本営は、連戦連敗なのに、戦法を全く変えず、精神論に執着し、万歳突撃を繰り返し、日本兵を玉砕を強い、日本を敗戦に導いた。

 その大本営とそっくり同じ行動が「日本対がん協会」である。先進国中、日本だけがガンが激増している。政府も日本対がん協会は無為無策である。

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 日本対がん協会は1958年(昭和33年)8月、「がん撲滅」を目指して設立された。設立当時、がんによる死者は今の4分の1の年間8万8000人ほどでした。

 がんはわが国の死因第1位となり、2016年まで36年連続で死因のトップになった。2016年のがん死者は37万2986人に達し、3人に1人ががんで亡くなっている。(日本対がん協会のHPより)

 

 西洋医学は、対処療法が主で、なぜがんになったかの原因追及よりも、がんに対する対処慮法を優先する。それは下医の仕事である。

 日本がん対協会はがんをまるでウイルスのような扱いをしている。がんを外から来るウイルスと扱っている。がんは我々の分身なのだ。がんを作り出したのは、己なのだ。彼らには第三者意識で、その自分が作り出したという自覚が欠けている。

 

 この公益財団法人・日本がん対協会は病院、官僚、新聞社、マスコミ、製薬会社、医療機器会社、医療機関の天下り先のようだ。評議員にアグネス・チャンまでいて、利権・腐敗の匂いがプンプンである。ガンが簡単に治っては困り、その関係の金儲けが続けられないと思っている集団でもあるようだ。だから効果のないご神託を垂れ流し、66年間も続けている。まるで宗教団体である。

 

公益社団法人と公益財団法人

 公益社団法人は、一定の目的をもとに集まった人と組織から成り立ち、営利目的ではない活動を行う法人です。

 対して公益財団法人は、一定の目的のもとに拠出された「財産」の集まりで、公益を目的として管理運用される組織です。

 

 がんの真因を見付けないとがんは治らなし、再発する。トヨタ式生産方式の「何故なぜを5回を繰り返そう」。

 

日本対がん協会とは、

 日本対がん協会は1958年(昭和33年)8月、がんの早期発見や早期治療、生活習慣の改善によって、「がん撲滅」を目指そうという趣旨で設立されました。その前年の日本癌学会総会での提唱がきっかけとなり、朝日新聞社が創立80周年記念事業として支援し、設立の運びになったものです。その後もさまざまな団体、企業、個人の草の根の支援が、協会の活動を全面的に支えています。

 設立当時、がんによる死者は今の4分の1の年間8万8000人ほどでした。国立がんセンターができる4年前で、国が本格的ながん対策に乗り出す「夜明け前」の時代でした。

 残念ながら、その後、がんによる死者は増え続け、1981(昭和56)年、わが国の死因第1位となり、2016年まで36年連続で死因のトップになっています。16年のがん死者は37万2986人に達し、3人に1人ががんで亡くなる時代になっています。

 日本対がん協会は、がんを早期発見、早期治療するため、15年までの累計では、全国の日本対がん協会グループの検診団体で延べ3億6000万人以上の方にがん検診を実施し、41万879のがんを見つけ、早期発見・早期治療によるがん死の防止に努めています。

 また、がん予防にはがん検診だけでなく生活習慣の改善がきわめて重要です。タバコは肺がんだけでなく多くのがんの誘因や原因とされています。協会は「禁煙の勧め」など、がん予防の啓発活動にも力を入れ、「がん征圧」に向けて大きな成果を上げています。

https://www.jcancer.jp/about_japan_cancer_society/%E7%B5%84%E7%B9%94%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81

 日本対がん協会のHPより

 

      

2024-10-03  久志能幾研究所通信 2954号  小田泰仙

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2024年10月 1日 (火)

フルコンサートピアノの歴史講座

 

 先日、名古屋ヤマハホールで、フルコンサートピアノの歴史講座があった。戦後間もないころの1950年に開発されて、今まで開発、改良が続けられてきたフルコンの技術開発の歴史のお話しである。技術屋にはたまらないお話しであった。新旧のフルコンサートピアノを並べ、その改良点を目で視て確認し(カタログではそこまで詳しく書かれていない)、納得した。

 私の夢(一生かかっても実現できないような大きな夢)は、フルコンサートピアノのあるホールを作る事。それがあり、今回の講演会のご縁があった。

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  新旧のフルコンサートピアノ CFX  in 名古屋ヤマハホール

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 世界の誇れるヤマハのフルコンサートピアノは、川上源一郎社長の「世界一のピアノを作る」という情熱と理念が無ければ、生れなかった。何事も「志」がないと、何も始まらない。

 「膨大な資本の余力が無ければ、名器は作れない。」(ピアノ技術者・杵淵直知)だからこそ国内で一番財力があるメーカが、世界一のピアノを作る義務がある。

 

 コンピューター音響シミュレーションでの検証、実際の音楽家の声、100台にも及ぶ試作品、何度もの試行錯誤、その過程は私が工作機械の開発そのもの歴史であった。工作機械も大量生産するわけではない。しかしその性能が日本の生産力を左右する。そのため地道な改良が必要だ。そうやった努力が日本の高度成長の礎となった。

 

 ピアノは楽器の王様と言われる。その頂点に立つのがフルコンサートピアノである。それで会社経営的に儲かるわけではない。しかし技術が成熟していないと、世界を制覇するピアノは生産できない。車つくりでも、F1レースで、その技術を誇るのと同じだ。

 

 フルコンサートピアノの寿命は約10年だそうだ。ピアノも生老病死であることを再認識した。特に音響版の振動の耐久性が寿命に影響を及ぼす。木製の共鳴版が振動すれば、何時かはその木製の部分がへたってくる。自然現象で宇宙根源の理である。それが、コンサートホールに2台のフルコンサートピアノが有れば、当然、その寿命は2倍になるそうだ。演奏会でのピアノの負荷は甚大である。アマチュアがピアノを弾くのとは桁が違う負荷である。

 

 また性能が高いピアノは、その環境の影響が大きく、温度管理はもちろん、湿度管理も重要である。日本のピアノは温度変化、湿度変化に強いがあくまで家庭用のピアノの話であって、コンサートピアノの場合とは違う。

 

 正式のオーバホールの場合、共鳴板まで替えることもあると言う。以前、ウィーンのオペラ座で100年使われたベーゼンドルファーのピアノがフルオーバーホールされ、ベーゼンドルファーの東京ショールームでお披露目をされた。歴史を感じる音であったが、どうもその共鳴板まで入れ替えてのオーバーホールであったようだ。オーバーホールで残ったのは、外枠だけ?

 

 以上は、講師の話しに加え、前間孝則、岩野雄一著『日本のピアノ100年』(草思社文庫)を拾い読みした内容を含めて記述した。この講習会で、講師がこの本を紹介してくれた。これを知っただけでも感謝である。

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以下、本書の裏表紙の記載

明治33年(1900)、日本楽器は国産第一号となる簡素なアップライトピアノを完成させた。まだ欧米には及ぶべきもなかった日本のピアノではあったが、大戦後、状況は一変する。高度成長で勢いを得たピアノ・メーカは新たなコンサート・グランド・ピアノの開発に情熱を傾ける。そして、リヒテルやグールドなど世界の名演奏家が愛用するピアノを生み出し、ついに日本を世界頂点のピアノ王国へと押し上げたのである。

誕生から100年間のピアノづくりに情熱を傾けた人々の姿を通して、日本の「ものづくり」の奇跡を見事に描いたノンフィクション作品。

第18回ヨゼフ・ロゲンドルフ賞受賞作

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   文庫サイズで469ページの大作です。1200円(税別)

   

2024-10-01  久志能幾研究所通信 2953号  小田泰仙

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