l4_詞天王が詠う老計・死計 Feed

2019年2月25日 (月)

死望校を死計する

 大学という世界に行くときに志望校の選定があるように、あの世という世界に行くときは、死因となる病の学ぶ校舎を選ぶ行為があってしかるべきである。志望校に受かるには、それ相応の努力が必要であった。一生で一回だけのあの世の門をくぐる入試に、希望する「死病」になるには、然るべき努力は必要である。その準備をしないから、悲惨な死を迎える。己の死に方は、仏様が試す入死試験なのだ。

 

死とは生きること

 死に方(死計)を決めるとは、人生を最大に生きること。就活も婚活も終活も、必死にやらねば成果は得られない。まして一生で一回限りの死なのだ。構えなければ、野垂れ死にである。あらかじめ死計があれば、死に接しても逍遥として、死を迎えることが出来る。死計が明確であれば、余命宣告を受けても、慌てることはない。

 

万物すべて活き物(佐藤一斎著『言志録』242

(万物には活きた道理が存在しているから)万物は初めから活きた物である。だから世事も総て活物である。(その道理からすると)生は勿論のこと死も活物と言える。(久須本文雄訳)

 

理想の死は老衰

 理想の死に方は、老衰である。しかし老衰で死ねる人は1%しかいない狭き門なのだ。せめて死の1週間前までは現役で活動して、1週間ほど体調を崩して寝込み、死ぬのが理想である。

 スイスの法学者ヒルティは、朝、いつものように散歩をして、帰宅後、少し疲れたといってベッドに寝て、妹が温かいミルクを持ってきたら、亡くなっていた。心臓麻痺で77歳の死である。彼は前日の夜まで執筆活動をして、現役での死で、理想的な死である。彼が亡くなったのは1909年で、現在に換算すれば90歳近い年齢であった。

私は、認知症、心筋梗塞・脳梗塞、糖尿病では、絶対に死にたくない。そのために、私は死にもの狂い(?)の取り組みをしている。

 

認知症

 現在、日本の65歳以上の人の15%は認知症である。認知症は脳死である。自分が自分で無くなるという悲惨な死に方である。認知症になると、本人は何もわからないから良いが、その家族は悲惨である。

 警察署長や校長先生は、認知症になりやすいという。気ばかり使って、頭を使わず過ごしてきたからだ。一日中、痴呆的なテレビ番組を見て過ごせば、認知症になりやすいだろう。

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脳梗塞、心筋梗塞

 この病魔に襲われると、ほぼ即死状態である。死後の準備が何もできない。それだけは避けたい病気である。私はその防止で、4か月に一度、大垣市から久留米市の真島消化器クリニックに通院している。その真島院長の指導のお陰で、高血圧が改善し、この病気で倒れる危険性は減った。

 

糖尿病

 糖尿病にかかり失明でもすれば、私にはもう生きていく望みがない。目が見えない世界など想像できない。私は本を読み、書くことに生きがいを感じている。失明は致命傷である。

 糖尿病で人工透析に身になれば、1週間のうち3日の半日が、ベッドで透析を受けることになる。白い天井を見ながら半日を過ごす。命の時間が無為に過ぎていく。その費用も年間500万円という。保険がるので自己負担額はそんなに多くないが、多くの人の健康保険金を使うことになる。それが10年間も続く。国の財政を圧迫する罪である。

 

緩慢なる自殺という死計

 煙草を吸えば肺がんのリスクが上がるのは常識である。酒を飲めば、アルコールは肝臓でアセトアルデヒドに分解される。これは発癌性がある物質である。酒を飲み過ぎれば、肝臓がんや他のガンになる確率が増える。暴飲暴食をすれば、体の臓器に負担をかける。それが長年続けば、病気になるのは自然の摂理。

 世には人の健康は知ったことではない食品業界が跋扈している。止められない止まらないと、人の食欲を煽る嗜好品が氾濫している。人工甘味料、添加物、合成調味料を食べ続ければ、病気にならないのが不自然である。その嗜好品の誘惑に負けると、自分の死計が狂ってしまう。

 例えば、格安牛乳なら、狭い牛舎で密集して育てられ、病気予防で抗生物質、成長ホルモン入りの餌で、強制妊娠として女性ホルモンが多量に出た牛から、搾乳された牛乳が出回っている。その牛乳には抗生物質、成長ホルモン、女性ホルモンが含まれている。それがガンを誘発する原因となる。だから日本人にガンが増加している。他の食品も、人の健康は度外視して、効率化、金儲けのためだけに生産される。それが体にいいわけがない。

 

危機管理

人間の体は自転車操業である。歩くの止めれば倒れてしまう。適度な運動が病気を防いでくれる。

定期検診をさぼれば、病気が進行し、手遅れとなる恐れがある。どれだけ注意をしても、病気は避けられない。せめて早期発見、早期治療が緩慢なる自殺を防ぐ手段である。

 病気に対する知識を学ぶことが、緩慢なる自殺を防ぐことになる。それは危機管理としての死計である。自分の城は自分で守れ。トヨタの鉄則である。

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馬場恵峰書『佐藤一斎著「言志四録」51選訓集』(久志能幾研究所刊)より

 

2019-02-25  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年2月22日 (金)

「自分ノーベル賞 久志部門賞」を創設

私の夢はノーベル賞を受賞すること。しかしそれは叶わぬ夢の夢だ。しかし、自分で「自分ノーベル賞財団」を創設して、世に貢献している団体に基金を贈呈することは簡単だ。毎年なら大変だが、それも一生で一回、一団体だけに贈呈なら簡単である。私が死んだときに遺産を贈ればよいのだ。そうすれば今のノーベル賞の賞金額ぐらいは贈れるだろう。これは誰でもできること。現在、日本で家・土地・貯金と預金の遺産相続の平均金額は約4,700万円という。その額は、優にノーベル賞の金額に相当する。

 

子孫に美田を残さず

子孫に美田を残さず、功あるある団体に遺すべし。私の親戚でも、親の遺産があり過ぎて身を滅ぼした輩がいる。他山の石としたい。子供は汗水たらさず、棚ぼたで手にした金で堕落する。

 

遺産処理の条件

終活の一環の作業として、遺産処理をどうするかに悩んでいた。国に遺産を取られるの避けたい。それでは役人の無駄遣いされるのがオチ。両親と私が苦労して貯めた資産が、クズ役人に貪り食われるは、両親に申し訳がない。私も我慢が出来ない。公式の役所の団体に贈っても、そのトップが変われば、どうなるか分かったものではない。

 

創造的な活用

 援助として遺産を贈るとして、それが未来のためになる組織を対象にすべきである。日本赤十字社に義援金を贈ってもその総額の2割が経費としてピンハネされる。寄付金全体の会計報告の詳細は公表されない。大災害が起きると日本赤十字社本社のある飲み屋街が賑わるという巷の噂であう。大垣市では寄付金の一部は、寄付集めに駆り出された団体に、その額の7%がキャッシュバックされるという。本来、寄付した人の趣旨を踏みにじる行為が横行している。

今困っている人を助けるため寄付しても、一時的な対処療法である。助けても助けてもきりがない。助けなければならない状況にならないような施策の未来投資が必要だ。アフリカの病気に罹った子共達のためにカネを使うのは未来に対して創造的でない。火事になったら火を消すのは対処療法である。真の対策は、火事の起きない体制を作ることなのだ。病気で悲惨な状況にならない社会体制を構築するために金を使うのが根本対策なのだ。そういう方面に私の遺産を使って欲しい。

 

「久志」部門賞

 自分は、世に貢献できる分野で、志を久しく継続して貢献している団体に、この賞を贈りたい。今後の自分の生き方で、より多く稼いで多く残せば、より多く「自分ノーベル賞財団」の資金に充てられる。それはこれからの生きる励みとなる。そのためには、皆さんのために長生きせねばならぬ。これこそ終活の極意である。これも河村義子先生が亡くなられて、気が付いたご縁である。合掌。

 

2019-02-22  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年2月 4日 (月)

人生飛行の失速・着陸失敗

 現代、定年後にやることが無く、一日中、テレビを見て無為に過ごしたり、パチンコに興じたり、ショッピングモールを一日ぶらついて、時間を潰す人達が多い日本社会の現実である。過去は、学問の名声があった大垣藩の状況と比較すると歯がゆくなる。ここに日本の閉塞状況の一因がある。子供はやかましく言った通りには育たない。親がしているように育つ。親の後姿を見て育つ。高度成長期、経済価値だけを重視して、家庭教育を放棄して、教育を学校任せに経済成長を盲進した咎が今現れている。現代日本を覆っている鬱積した気は、大人が正気にならないと良くはならない。

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 大規模小売店内のソファーで、朝から長時間を過ごす老人達。大規模小売店内で、買い物をするわけでもなく、雨風が防げ、空調の効いた店内で、同席した人と無為におしゃべりに興じて時間を過ごしている。もっとやるべきことがあるだろうと、私は思うのだが。

 大規模小売店に行くと、必ずこういう老人達がたむろっている。日本の退廃の象徴である。

 

日本の価値観崩壊

 日本がこんな情けない状況になった本当の原因は、日本占領時代に米国が日本の古来の価値観を破壊する教育システムを構築して、日本弱体化の施策を仕掛けたことにある。残念なことにその害毒は現代になって効き始めている。我々は、日本の後世のために、この欠陥ある教育システムを改革すべきである。

 

痴呆行事がオンパレード

 小川敏市長が、市制100周年記念行事で、痴呆な行事ばかりをする後ろ姿を子供達に見せているので、大垣の未来は暗い。人は一番多く見たものに影響を受けるのだ。なにが「アーんして、水饅頭」なのか。それでギネスで900万円も使うなら、子供たちの教育環境の整備に金を使って欲しい。文化事業に金を使って欲しい。恥さらしなことに、半年以上も経った2019年1月になっても、その記録達成の垂れ幕が市庁舎に掲示されている。その記録は2週間しか保てなかったのだ。大垣市長の浅知恵が、三島高校生徒会のそれに負けたのだ。浅ましくも見っともない饅頭の共食いがそんなに自慢なのか。それで世界記録と自慢する神経が分からない。それがどんなに子供たちに悪い影響を与えたか、分かっていないようだ。

201901232019‎‎1‎‎23‎日  恥さらしな大垣市庁舎ロビー

 

行政の責任

 大垣の未来を背負う子供達の教育環境整備に、大垣市行政は責任がある。大垣市は、子供たちに対する害毒を防ぐ責任がある。ところが小川敏市長はそんな気はさらさらない。赤字の大垣競輪を放置して、子供達に悪い環境を放置している。大垣駅前にパチンコ店の存在を許し、通学の子供達に、大人の恥さらしな姿を見せつけている。人は一番多く見たものに影響を受けるのだ。だから非行が増えるのだ。「大垣市は文化都市を目指す」と宣言したのだから、条例で、大垣の表看板である駅前にはパチンコ店等のギャンブル関係は営業禁止にすべきなのだ。

 なにせ自分達の都合のよいように、会計報告を非公開にする恥さらしな条例を施行する小川敏大垣市長なのだから、その気になれば、ギャンブル関係の禁止は簡単に出来る。それが今までの罪滅ぼしになるはずだ。

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 平日の早朝、大垣駅前のパチンコ店前で開店を待つ人達。こんな姿は子供達には見せられない。大垣駅前での大垣市の恥さらしである。これでなんで文化都市といえるのか。 201147() 0858

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 私は上記の書を毎日眺めて、生涯現役を目指している。恵峰先生も現在92歳で現役である。良き師に巡り合ったと感謝である。

 

2019-02-04 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年2月 3日 (日)

人生飛行の着陸

 飛行機の着陸の姿は、優美で美しい。速度を落とし、フラップを開き、ギアを降ろし、しずしずと空から降りてくる姿には、いつも引かれる。しかしその着陸は、離陸に比較してはるかに難しい。飛行機事故の大半が着陸時に起きている。離陸は、エンジンを全開して空に向って上昇すればよい。それに対して着陸は、広大な大地の中の決められた一点に着陸しなければならぬ。

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人生の如来ポイント

 己は何処を目指して飛行をしてきたのか。計画なき飛行では、着陸もままならぬ。燃料が乏しくなってから着陸態勢を取っては遅い。人生飛行では、誰しも初めての着陸である。着陸はソフトランディングでありたい。ハードランディングでは辛い。最期には、如来ポイントに着地できるようにしたい。如来とは、「かくの如くに来れしもの」という意味で、人のあるべき姿の理想像として創造された。宇宙の真理を象徴しての存在が大日如来である。如来になる理想を求めて歩き続けてこそ人間の一生である。

 宇宙の真理は、単純明快である。何のためもなく、天地自然界はただひたすら与えられた命を全うする。太陽は照らし、風は吹き、雨は大地を潤し、植物は上にただひたすらに伸びていく。その中で人は自然界の一つの存在でしかない。しかし動植物とは違い、人間は魂を持った存在であるから、世と調和を図り世に付加価値を与えて生きるべきだ。金品を過剰に集め強欲を出すようでは、全体の調和を乱し周りを不幸にする。

 

人生の着陸

 人生の着陸時とは、前の界を去り新しい界に突入する時期である。人生の総決算期で、収支決算が求められる。人生の真価が定まるときである。年老いて会社を去り、新しい世界で余命を過ごすとき、容色は衰え、嬌飾は廃れ、頭は惚け、その人間の真実が覆うところなく現れてくる。『菜根譚』にも「人を看るには只後半截を看よ」という。年老いて醜態を晒す人もいれば、益々意気盛んな人もいる。年老いて、人が寄ってくるのか、避けていくのか。仕事があるのか、ないのか。自ずと人生の収支決算書が出来上がる。人生貸借対照表で、恩を借りっ放しの赤字決算では人間恥ずかしい。「起きたけど寝るまで特に用もなし(詠み人恵峰)」という晩年では哀しい。

 

2019-02-03 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年1月20日 (日)

聖観音菩薩が観る声

 聖観音菩薩とは「音」を「観る」佛様である。人はご縁(人・事件)にぶつかったり、すれ違ったりすると衝突音や摩擦音を発する。その音は自分の人格のレベルによって発する音が違う。衆生の助けを呼ぶ声を聞き分けて、助けに駆けつける佛様が聖観音菩薩様である。心を澄ませて聴けば、声なき声が聞こえてくる。万物は声なき経を唱えている。

 その声が聴こえないのは、目が曇っているからだ。心が汚れているからだ。心がねじれているからだ。強欲を持った目で見るからだ。世の中で一番佛に近い存在が赤子である。赤子の純真な心は素直である。松下幸之助翁は、経営者に必要な要素を「素直な心」と断言している。素直な目で観れば、物事の本質が見えてくる。その事象が発している声が聴こえてくる。それが聴こえる聖観音菩薩様のような存在を目指して、日々精進をしていきたいと思う。

 

ご縁の音

 ご縁に出逢って、どんな音が観えたのか、自分はどんな反応を示したのか、その出会いの音を、もう一人の素直な自分の目で観ることが人としての成長である。人は皆佛性を持っている。事件の遭遇したときその佛性が明らかになる。そこに裸に自分の姿が明らかになる。いくら小手先の労をこねくり回しても、自分の人格のレベルを上げない限り、自分の作品に艶は出てこない。格を上げない限り、社会と不協和音を響かせる結果となる。心の中に佛心も鬼心も備えて人間である。佛と鬼の境界をさ迷う心を澄ませて事象を観れば、世間の音が観える。素直な心を持たない限り、人格を上げない限り、声なき音を観られない。無私の心と高い見識から徳や悟りが生まれる。やるべきことを済ませて、あの世には無心で逝きたいものだ。

 

衆生の声

 この5年間も師事した河村義子先生の言葉の節々に、死を示唆する声があったが、私にはその声を観る力がなかった。今回の河村先生の訃報で、つくづくと己の未熟さを思い知った。それを知っても、病気に対しては無力な己である。今まで一期一会の姿勢で、先生の活動の姿を記録に残せたのが慰めである。そういうご縁を頂いただいたことに感謝である。

 

人の一生

 人はん坊で生まれ、春を謳歌し、金の壮年を過ごし、髪の老人となり、子のようになって暗黒の死を迎える。加齢により色が変貌していく様は、生き物の無常を表す。無常の声が聴こえるようになると人間として完成が近い。

 

人は皆、菩薩

 菩薩とは、仏道を極めるために修行途上の佛様をいう。聖観音菩薩様も人格(佛格?)の完成を求めて修行を積む。人間界の我々は修行を積んで、よき終末を迎えたい。この世で地獄の業火に焼かれて身を焦がすよりも、人生最後のプロセスで、背負った心身の業を少しでも落として逝きたいと思う。

 人生飛行の着陸には、余分なものを捨てて身を軽くしないと、重すぎて着陸に失敗する。人生の最期を有終の美で飾るため、美しい姿勢で着陸したい。

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   大仏師松本明慶先生作  聖観音菩薩像 楠 1尺

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2019-01-18 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月 6日 (木)

人生のキャンパスを照らす灯台

 人生は絵に例えられる。白いキャンパスに、どんな絵を描いても自由である。どんなサイズのキャンパスに、どんな絵の具を使い、どんな色を使い、どんな筆で、どういう画風で描くのか、それが人生で問われる。持てる絵の具のチューブのキャップも開けずして、人生を去りたくはない。そのキャンパスに書いた絵は、世にどんな意味を問うのか自問しよう。

 同じ風景を見て、同時に描いても、百人百色の人生が描かれる。解釈の違いである。その描いたキャンパスに、その人の人生観が現れる。その人生観を育てるのが親である。その人生を正しく導くのが師(灯台)である。師は人とは限らない。2000年前の書や経典や、時には自然が師となるときもある。自然はいつも声なき経を唱えている。

 人生を白いキャンパスに描く行為は芸術と同じである。奥村画伯は100歳を超える長寿で、生涯現役で富士山を描き続けた。100歳のときの「100歳の富士」は有名である。

「芸術に完成はあり得ない。

 要は、どこまで大きく、未完成で終わるかである。

 1日を大切に精進したい。」(奥村土牛画伯)

Photoシシリア島スケッチ旅行で、イタリア中世の都市を写生中

  SICILIA島 PIAZZA ARMERINA   20111111

2018-12-06 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月 5日 (水)

人生航海の灯台

 人生を航海に例えると、航海の目印になるのが灯台である。夜明け前の一番暗いときも、人生の目印として灯台は明かりを照らす。それが己の戒めであり、師の後ろ姿である。実際の灯台の灯が簡単であるように、師の一言はさり気ない。その一言が人生の灯火になる。師の一言には魂が籠もっている。

 生きていれば、五里夢中や真っ暗闇の時もある。進むべき道が見えなくとも、どの方向に灯台があるかが分かればよい。明けない夜はない。方向さえ間違わなければ、紆余曲折してでも目的地にたどり着ける。人間だもの、右往左往して当たり前。天才ではない我々は、長生きして目的地にたどり着けばよい。健康管理を怠るから途中で沈没する。エリートでないので、一番になる必要もない。

 私は灯台を見ると、なぜか引きつけられる。シシリア島へのスケッチ旅行をしたとき、チェルファの寂れた漁村で下記の灯台を見て人生を感じた。滞在中の3日間に、ここに3回も訪れ、夜明け時の風景を眺めて少し長い時間を過ごした。

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シシリア島チェルファの灯台

地中海を航行する船のガイド役である 20111110日)

2018-12-05 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年9月 1日 (土)

地蔵菩薩尊の慈愛

 地蔵菩薩尊は男性の仏様だと思われがちだが、本来「仏さま」に性別はない。お釈迦様の入滅後、弟子達が表した教典の教え(仏性)を、概念として表現したものが「仏」であり、それを具体的に形に表したものが「仏像」である。

 「菩薩」とは、悟りを開くべく修行の道を歩いている仏の姿で、お釈迦様の若い頃の修行の姿を現している。「菩薩」とは、母性の悲愛、慈愛、母の優しさを現している。観世音菩薩や地蔵菩薩は、「母性」を現す佛様なので女性として扱われる。子安観音菩薩や子安地蔵菩薩のように幼子を抱いた仏像として表現される例が多い。

 それに対して「如来」はお釈迦様が悟りを開いた後の姿で、慈愛、父親の厳しさを表している。奈良の大仏は毘盧遮那仏=大日如来、鎌倉の大仏は阿弥陀如来で、共に性別はないが、上記のように如来は「父性」を表しているため、男性的な表現が一般的である。

 インド仏教から組み込まれた「天」には性別があり、帝釈天、梵天、四天王、十二神将、金剛力士などは男神。吉祥天、弁財天、技芸天、鬼子母神などは女神。

 

慈愛

 慈愛とはラテン語でpietaである。ピエタはミケランジェロが終生、追い求めたテーマでもある。世界で一番有名なピエタ像が、バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂に飾られている。宗教上での慈愛は、宗教派を問わず、普遍的な人間性のテーマでもある。理不尽な理由で我が子キリストを殺されたマリアができることは、黙って慈愛の目を差し向けることだけである。

 それは昭和20年7月29日夜、目の前で米軍B29の90機の大編隊での無差別爆撃から逃げまどい、焼死する庶民を見つめた室村町4丁目地蔵菩薩尊(先代)と同じである。この慈愛は無償の無限の愛である。先代の地蔵菩薩尊は105年に及ぶ室村4丁目の町内への慈愛の見守りのお役目を終え、2016年に新しい地蔵菩薩尊にお役目を渡された。

 

「慈」の象形文字

 「慈」とは「心」と「茲」から成る。「茲」は、「増える(子を増やして育てる)」=「愛」と「心」で「母」の意味を持つ。「慈」の反対語は「厳」である。旧字体は「嚴」で、冠の「□□」と「嚴」の下部(音)から構成される。「□□」は、「厳しく辻褄を合わせる」の意味で、「父」の意味を持つ。自然界は陰陽で出来ている。優しい母がいて、その背後に厳しい父がいて子供は育つ。

 

ミケランジェロのピエタ像

 サン・ピエトロ大聖堂のミケランジェロ作のピエタ像には、私が定年退職記念でローマ旅行した時(2010年11月10日)に出会い、衝撃を受けた彫刻であった。次元の違う彫刻に遭遇したような思いである。10日間のローマ滞在中、3回もこのピエタ像を見るためバチカンを訪れるほど引きつけられるものがあった。1972年、トルコ人の精神病者がピエタ像をハンマーで打ち付ける事件が起き、それ以来防弾ガラスが据えられ、本物は10m先の防弾ガラス越しでしか鑑賞できない。しかし、宗派を超越して、キリスト教徒も仏教徒もイスラム教徒も世界各地から訪れた老若男女が長時間、ピエタ像を見つめていた。宗派を超越した慈愛の姿であった。

 運慶の流れをくむ松本明慶大仏師は、この像を見るのを自分の技量がそれに見合ったものになるまで、50年間も待ったという。2013年、念願が叶い、ピエタ像の前で30分間も凝視をされた。その経過はBSプレミアム・旅のチカラ「ミケランジェロの街で仏を刻む~松本明慶・イタリア~」に詳しい。これはオンデマンドでも視聴ができます。

 

レプリカ

 後で隣接したバチカン美術館に、この精巧なレプリカが展示してあるのを発見して、至近距離1mから長時間、お顔を拝ませて頂いたのは幸いであった。

 最近、岐阜県美術館のロビーに、これと同じ精巧なレプリカが展示されているのを発見して、拝ませて頂いた。しかし、設置場所が明るすぎで、なにか荘厳さが伝わらず拍子抜けをした。

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 ピエタ像(サン・ピエトロ大聖堂) 20101110日撮影 

 見学者用柵から10m先に防弾ガラスで覆われて安置

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 岐阜県美術館で

 

2018-09-01  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。             

2018年7月15日 (日)

人体は神仏の集合体

人体という宇宙

 宇宙としての我が人体は、37兆個の細胞がひたすら己の命を生き永らせるため、自分が寝ている間も呼吸をし、心臓を動かし血液を体内の全長10万km(地球2周半)にも及ぶ毛細血管網に血を送り続けている。肺が休みなく空気を吸い酸素を血液に取り込んでくれている。

 

己こそが神仏

 己が世をはかなんで首を吊って、紐が首に食い込み意識が朦朧としてゆくときでも、「一秒でも長く生きてくれよ」と体の全細胞37兆個が一丸となって生命維持のために働いている。その働きは80年の長きにわたり1日も途切れることは無い。その働きを神佛と言わずして何が神佛であるか。

 産業革命以降のたかだか200年ほどの科学技術の発達に人類は驕っている。科学技術は未だに細胞一つをも創りだす事ができない。その神ごとき細胞が37兆個も集まった己の体に神仏の小宇宙がある。そこに神秘性の有り難さを感じないのではバチが当たる。

 

人間教

 己の体に佛や神が宿る。神佛に手を合わせる前に、その神聖なる己の体に手を合わて、それを授けていただいた「なにもの」かに感謝すべきである。日々に頂く食事は神佛へのお供えである。自分の仕事や掃除とは、神仏へのご奉仕である。自宅は神殿である。モノには精霊が籠もっている。己の体や身の回りの道具、時間を大事に使うことが人間教の修行である。周りの人にも神仏が宿る。人は家々で独自の宗派を構えている。豊田さんはトヨタ教、本多さんならホンダ教、私はお陀仏教である。

 

病気の原因

 病気とは、その37兆の細胞を過労、過食、毒物(酒、煙草、過剰糖質、添加物、防腐剤)、不合理な生活で、苛め抜いた結果である。堕落した生活は己の細胞への殺傷行為である。病気とは自然の摂理に反した生活を送ったが故の「理」にあった結果である。

 それなのに、医師から余命宣告をされて「なんで私だけが!」では己の体を司る神仏への冒涜である。己の生活の過ちを、病気というメッセージで教えて頂いたのだから、自然の摂理に合うように修正するのが信仰生活である。突然死にならないだけ、神佛は親切なのである。突然死になるまでには、数多くのメッセージを体は発している。体の異状は神仏の声である。

 

組織は細胞の集合体

 企業も数多くの従業員の集合体である。一人ひとりが神佛のごとき様で会社を動かしている。理に合った経営をすれば、繫栄する組織体となり、その反対は経営不振・倒産・死である。自然の摂理が見事に表われている。

 一人だけ過労死するが如くに働いても、組織全体としては、異常をきたす。それは、まるで暴走するガン細胞のようである。異常な状態の陰では、異常な利益を貪る細胞も生まれる。

 

縁という人生の細胞

 縁も神佛のメッセージがある。縁という一つの宇宙細胞が集って、その人の人生を創る。自然の摂理にあった生きかたをすれば、理にあったご縁が舞いこむ。それが縁起である。その逆も真である。それを仏教では因果応報という。一つのご縁に神佛の啓示がある。そのご縁に接することができたことにも合掌したい。

 

我が宇宙

「宇はこれ対待の役にして宙はこれ流行の易なり。宇宙は我が心にほかならず」 佐藤一斎 言志四録 後録20

 現代訳:宇宙は限りなく大きい。宙は限りなく長い時の流れ。共にとても見極められない。心にも宇も宙も感じられる。つまり宇宙とは、我が心である。

 

感謝

 私は、2015年のご先祖探しとお墓造りを通じて、「人の体は神佛の集合体」であると悟った。過去帳から分かっているだけだが、1734年に没したご先祖からの延々とした血の繋がりがあって、今の私がある。65年間に親類縁者・ご先祖・縁のあった多くの仲間の生死を俯瞰して見えてきた真理である。そんな摩訶不思議な神のような体を、この世に「一時貸出品」として貸与してくれた両親やご先祖に感謝をして生きていきたい。

 

神仏の警告

 大垣市長が12代も連続して現職のまま死亡するのは、死亡する原因がある。それを解明するのが、現職の市長の最大の役目である。それを祟りなどとしているから、問題がなくならない。問題究明なくして、大垣の未来はない。今まで通りに、体をいじめて市長職を務めるから、大垣市長の現役死が続き、大垣市が衰退する。神仏が、あるものを変えよと言っている。

Photo   馬場恵峰書  2015年

2018-07-15  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2017年11月28日 (火)

西部戦線異状なし 

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 上記の資料は、私の定年退職4~6年前に、新入社員の教育用に作成したプレゼン資料である。「自分の体は自分で守れ」というメッセージを込めて作成した。組織にとって、一人の死は、「西部戦線異状なし」の相当する些細な事象なのだ。当時、勤続30年間で事故や病気で亡くなった仲間が多くいたので、新入社員に教訓として資料を作ったが、還暦を迎えてその数が増え、65を迎えて更にその数が急増するとは想像外であった。合併でのストレスやグローバル競争社会に侵蝕されたのが影響しているようだ。合併でグローバル経済教に侵された状況を見せつけられ、ますますその感を強くした。前職の会社の合併は、対等合併との話ではあったが、実質的には吸収合併であり、私も含めて多くの社員がストレスを感じたようだ。

 新会社になって、この教育講義は、近視的視野で、短期の己の成果しか見ない拝金主義者のD役員とM部長に禁止をされた「技術以外の余分なことは教えるな」である。合併前の会社では、5年も継続してきた新人向けの修身の講座であった。新会社の役員は、修身などくそ喰らえで、金儲け一本道である。最近は、ブラック企業の不正事件、捏造事件がマスコミでオンパレードである。物質文明に取りつかれた日本の人心が病んでいる。

 

無事の有難さ

 「無事」であることは、いかに「有難い」ことかは、事故や死に直面しないと悟れない。「今日無事」の意味を、65年間の経験を積んで初めて体得した自分の愚かさを今感じる。今日無事でも明日は分からない。

 私の定年退職までに一緒に仕事をした仲間や縁あった仲間が数多くの鬼門に入った。列挙するとその多さに愕然とする。自分も自殺を考えなかったことがないわけではない。自分が無事に65歳を越えたことに、仏様ご先祖・両親のご加護を感じる。以下は自分にご縁があったビジネス戦士の墓碑銘。合掌。

 

仕事をするとは、生きる意味とは

 下記の墓標を見ると私の勤めた会社はブラック企業であったのかもしれない。しかし、私にとって多くの職場と世界の舞台で、私を育ててくれた会社でもあった。多くの仕事仲間と上司が私を育ててくれた。当時、徹夜も厭わず深夜まで働いていたが、それが苦痛とは思わなかった。

 友人によると、私の勤務した会社は採用時に、次男や親兄弟のない青年を多く採用していたそうで、入社した人間は嫌でも働かざるを得ない状況にしていたとも聞く。どんな環境でも人によって、受け止め方は異なる。極楽浄土みたいな職場では、人は育たないのかもしれない。『夜と霧』を執筆したヴィクトル・E・フランクルは、アウシュビッツで己の生きる意味を見つけて、死の収容所から生還した。若く元気な青年が生き延びたわけではない。何の為に生きているのか、生かされているのかを分かったものだけが地獄から生還した。1945年のシベリア抑留でも同じである。父が生きて生還したから、今の私の命がある。

 「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」(ニーチェ)。「生きる目的を見いだせず、生きる内実を失い、生きていてもなんにもならないと考え、自分の存在価値をなくし、がんばり抜く意味を失った人は、(いくら若く頑強な体でも)、あっけなく死んでいった。」(「夜と霧」ヴィクトル・E・フランクル)

 

戦友の墓標

1973年 4月1日の入社当日の夜 大学の学友・Sが自殺。(別の会社に入社)電気コードを体に巻いてタイマーをかけて自殺。自殺理由は不明。同じ機械科で物静かで優しい性格で、成績はクラスで2番の優秀な子であった。

1987年 K係長(享年40歳前後・生産技術部)米某自動車工場に機械納入中の現場で、心臓発作で死去。私の担当した機械の開発試験で直々に厳しい指摘でお世話になった方。私も開発に携わった機械の納入時の事故である。

1997年頃 T主任(享年40歳前・知財部)が寮の一室で朝、死去。バブル崩壊後の不況で、特許室から現場応援に出され、三河の寮に単身で勤務していた矢先のこと。子供もまだ幼い。葬儀場で奥さんの顔を直視できなかった。たぶん無理な現場での心労が重なったのか。1994年にミシガン大学に研修にいった時、現地で大変お世話になったのに。

1998年頃 K主任(享年40歳前後)宴会後、サウナで寝込んで死亡。技術部の設計仲間。この事故後、保養所の宴会後のサウナは禁止された。

1998年頃 N主査(享年55歳前後・ソフト開発)白血病で死亡。私の開発に携わった機械のソフト開発で大変お世話になった次長さん。

1998年頃 S元部長(享年60歳余) 糖尿病の併発病で死去. 研究開発部で私の直属の上司。定年退職後の早すぎる死。デミング賞を取るために無理な生活を強いられて病気になられた。奥様が夫のためにと作った栄養過多な食事を、夜遅く取り続けた結果が、糖尿病である。

2003年 D主担当員(享年54歳・営業) 病没. 私の1年後に同じ設計課に入ってきた仲間である。机を並べて、仕事をして、一年先輩として色々と情報を教えた仲である。欧州に赴任して苦労をしたようで、その影響で病気になったようだ。私がパリに出張したとき(1991年)に会ったが、元気がなかった。現地法人で心労ある激務であったようである。彼は技術屋で営業には向かないタイプである。上司Uに逆らったので、海外に飛ばされたと聞いた。

 長年、当社は仏の現地法人に食い物にされ、赤字を垂れ流していた。後に清算してやっと出血が止まったが、遅すぎた経営判断であった。経営者の決断が遅れると、社員の命に影響する事例である。営業に向かない性格を知りながら、また現地の厳しさも知りながら、異動させたのは推定殺人だと思う。そういう冷酷な人が上司であると、部下は不幸である。経営者は、資源(人モノ金)の最適配分を考える責任がある。それを人の好き嫌いで差配するのは、経営者失格である。一流大学大学院を出ただけでのエリートが、優れた経営者ではないことの実例である。

 この事例では、上司に嫌われた場合の悲哀を見せ付けられた。サラリーマンが嫌なら独立することだ。それができないなら、嫌われないように保身するのがサラリーマンの智慧である。私の両親は、上司への盆暮の心づけを欠かさなかったので、私はその危機を避けられた。今にして思うのは、これは危機管理上の保険であった。両親のご恩に改めて感謝している。この写真で彼を見ると、明らかに、疲れていることが見て取れる。またこの中にもう一人、私の仲間がいて、メンタルで倒れている。海外勤務は、精神面でタフでないと勤まらない。

 2003年頃 I社長死去  50歳過ぎ 突然死. 機械の外注設計の社長。20年来のお付き合いで、腕のいい設計社長であった。お宅にも泊めて頂いたことがある。突然の訃報を聞いて、驚いた。

2004年 Y社長 出張先ホテルのシャワー室で突然死。 壮絶な戦死である。合併の段取りで心身ともご苦労をされたようだ。Y社長からはIT戦略会議の場で何回も厳しい指導を頂いた。葬儀では駐車場の交通整理でお手伝いをさせて頂いた。葬儀は身内のみとのことであった。身内とはグループ会社の社長を意味し、葬儀場のお寺に黒塗りのセンチュリー、レクサスの高級車が60台も集結して壮観であった。グループ会社の社長にとって、戦友を亡くしたが、明日はわが身との思いがあったろう。グループ会社は、グローバル競争の嵐に巻き込まれ、Y社長の死は5000人規模の会社の統廃合が始まる前兆であった。優良会社A社は上場直前であったが、分割吸収され消滅した。氏は親会社の役員から当社に社長として来られたので、生きて合併を推進すれば、悲惨な身内の死はもっと減ったと思う。この死で合併は相手のペースで進んだ。社長の死は、合併への仏さまからの警告だったと今にして思う。

2006年 新会社発足。建前は対等合併だが実質は吸収合併。

 5000人規模の会社の死である。会社にも70年の寿命があった。

2007年 S主査(享年55歳前後・営業) 突然の死去. 朝、体調が悪いといって、病院に行きそのまま帰らぬ人となった。大阪に単身赴任。合併での犠牲者である。家族は会社と断絶状態である。奥様は会社からの葬儀参列も霊前花も一切拒否。峻烈な意思表示をされた。彼には教育部主催の篠田教授のテクニカルライティング講座、秘書室での対応、営業部での仕事等で、色々とお世話になり親しかった。

2008年 S室長(享年50歳前後・設計)  過労死。 技術部の仲間。合併での犠牲者だと私は思う。賢明な奥様は、夫の過酷な勤務状況・勤務時間を克明に記録していて、会社に突きつけた。自分の身を守るのは記録である。しかし、記録では夫の命を守れなかったのは哀しい。

2009年 Y主担当員(享年59歳 技術部) 癌で死亡。進行性の癌。合併での心労による犠牲者。新会社になり仕事がしんどいと話していた。私の開発した機械の見積もりを担当。優しい性格の仲間。

2012年4月 学友・F(享年63歳)  癌発病後4ヶ月で死去

 同じ卒研仲間で某自動車に入社。定年後の再雇用で、そろそろ自分の時間が欲しいとの元気な姿の写真の入った年賀状を頂いた矢先のこと。「食事でもどう?」と家に電話をしたら先日亡くなったと……

2012年 総務部のO元課長死去(享年62歳くらい)

 工場のフェステバルで一緒に会場運営準備をした仲間である。

2013年 元部下のO君死去(享年40歳前後)

2014年 元部下のY君死去(享年55歳)

 

 私の同期24名中、退職時に在籍していたのは8名のみ。後は退職、転籍。その他、部下でうつ病になったのが3名。精神異常が1名。周りの職場を見るとうつ病者は数知れず。私も退職前の一時期、陰湿ないじめでうつ病寸前になった。病院に行けばうつ病と診断されるのが明白であったので、関係の本を読み漁り自力で直した。

 グローバル経済で拝金主義が横行し、社員が不幸に陥る現実を直視しないといけない。それが責任者の勤めである。役員・部長は成果主義に染まり10年後のことは眼中に無い。会社がおかしくなれば、日本国もおかしくなる。現代の日本の姿である。私の勤務した会社が吸収合併されて消滅したのは、亡くなった戦友達の怨念かもしれない。

 

母の遺言

 1991年、母は脳溢血で倒れ、一度は手術が成功して回復したが、その後、脳梗塞が進行して、1992年7月に市民病院に再入院した。そして、だんだんと意識が薄れていき4ヶ月ほど植物人間状態になり、12月に息を引き取った。お盆過ぎの日、自宅に帰る前に病院に寄ったが、意識が大分錯乱状態であったようで、私に「○○(私の元上司)は、ひどいやつだ。気をつけろ」と何度も何度も私につぶやいた。そんなことはないよと、なだめるのに大変だった。当時は、脳梗塞の進行がそんな言葉を発していると考えていた。

 今にして当時を振り返ると、何か鬼気迫る雰囲気であった。20年経って仲間の墓碑銘を見つめると、その言葉が迫ってくる。母の潜在意識が、この世に残していく最愛の息子へ発した叫びであったようだ。母は苦労をしたが故、人の本質を見抜く力を持ち、それが薄れていく意識の中で口に出たようだ。母は地元の中小企業社長(入社時の私の保証人)が、一目も二目も置いていた女傑であった。この社長と対等にやりあえる人はざらにはいない。旧家の10人兄弟の長女として采配を振った賢明な母であった。しっかり者過ぎて、私は煙たかった。母は○○の高卒の妻の存在を、夫が役員になったのでそれを鼻にかけていると見抜き、私に注意を喚起していた。結果はその通りとなり、妻の言動で夫が影響を受ける会社人事の事例を冷静に観察できた。妻に影響されるような役員は、経営者失格である。

 私はその上司から離れてから(飛ばされて)運勢が向上した。1991年、会社創立50周年記念論文で最優秀賞(賞金100万円)を獲得した。その報告が母への最後の親孝行となった。1993年、課長に昇格はしたが、上司夫妻に嫌われていたため昇格が遅れたため、喜んでもらうはずの母は、この世を去っていた。

 ご縁があったその会社も、2010年4月(定年5ヶ月前)、大手に吸収合併されて消えた。前の会社の消滅4年後のことである。

Photo

2007年、馬場先生から頂いた板書。「今日無事」の言葉は重い。今日無事でも明日は分からない。

2017-11-28

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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