病魔との戦い(2) 智慧なき人が殺される(抗がん剤)
この世は闇世界である。人生の闇路を照らし、間違いない方向を指示してくれるのが、佛の智慧である。その智慧を人は生まれながらに身に着けている。それなのに、自分で考えず、似非知識に頼ると、命のあるべき道を迷う。
渡り鳥の智慧
ある実験で、渡り鳥をプラネタリウムに連れて行き、空に写す星座を南半球の状態にすると、渡り鳥は怯えてしまい、その場で動かなくなるそうだ。自分の居る位置が分からなくなり、恐怖心を抱くようだ。
それで写す星座を北半球の状態の変えると、渡り鳥はすくっと立ち上がて、今にも飛び立とうとするという。それが本能(命が持っている智慧)である。何な異常だと感じる力が佛から頂く智慧である。
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西洋医学の限界
素直に考えると、抗がん剤は何か本能的に寒気がする。もともと、抗がん剤は毒ガスから製造された薬品である。
大事な体を無思考で、医師に預ける危険性を認識したい。私は、23年前、父のがんの手術を医師に全面委任して、取り返しのつかない失敗をした。医師は「切れば治る」と断言した。当時の私は医師を信じるしかなかった。手術をしななければ、高齢でガンの進行は遅く、父はあと5年は生きたはずだ。今思うのは、85歳の高齢の父に手術は非常識であった。今なら手術はしないのが常識だろう。
しかし医師は切りたがるのだ。そして「癌部は摘出して治りました。しかし患者は死にました」である。智慧がない人が受ける残酷な末路であった。
西洋医学は分類して分類して解明し、その細部だけを治療する。しかし人間の組織は全体が繋がっている。一部だけ直せば、それで全体が良くなるわけではない。
父は死をもって「医師を全面信用してはならない」と教えてくれた。
智慧
「『えらび分ける』とは、是非善悪を選び分けるのである。何が真であり何が偽であるか、なすべきは何で、なしてならぬものは何か、それを選び分けるのが「慧」である。そしてそれが深まって『ああかもしれぬ』というためらいが、きっぱりと捨てられる、その決断が「智」である。」
「えらび分けのない決断は独断にすぎぬであろうし、決断のないえらび分けは、彷徨以上の何物でもあるまい」(太田久紀『「唯識」の読み方』大法輪閣)
抗がん剤
癌患者はガンでは死なない。ガンの影響で、免疫力が低下した状態で、外からウイルスが入ってきて、肺炎等を併発させて死に至る。その免疫力を下げる元凶が抗がん剤である。抗がん剤はがん細胞だけでなく、正常な組織も破壊する。それで免疫力が低下する。若い免疫力がある人なら良いが、老いたがん患者に抗がん剤を打つことは、死を早めるだけである。
抗がん剤を打っても癌が治るわけではない。ガンになった原因を除去していないから、治らない。元を断っていないので、再発する。
私は抗がん剤の弊害を知っていたので、ガンの摘出手術後の標準治療である抗がん剤治療を拒否した。
薬剤医師からは「抗がん剤治療を受けないと命の保証はしない」と脅されたが、断固拒否をした。薬剤医師とけんか別れである。その結果、5年後の今も生きている。
大きな病院では、「私は検査する人、私は手術をする人、私は薬を入れる人」と各治療で、役割分担が決まっている。しかし患者の全体を見ていないようだ。全体の標準治療方法は、病院の方針で決まっており、末端の医師はそれから逸脱することが許されない。自分は智慧を持った自分専用の医師である。そう自覚して、自分への治療方針を監査しよう。
抗がん剤を打つと、髪の毛が抜ける。人間の体は、命に係わる毒物が入ってきたので、非常事態と認識して、命に関係ない組織を捨て始める。その第一が髪の毛である。いわば嵐に遭遇した船が、難破を避けるため、余分な積み荷をできるだけ海に捨てるのと同じ危機状態である。だから抗がん剤使用が、正しい治療ではないと私は考えた。私は智慧で、抗がん剤治療を拒否の決断をした。
2024-12-11 久志能幾研究所通信 2981号 小田泰仙
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