c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2024年7月24日 (水)

親に対する最大の供養は、自分が幸せである報告

 

 親に対する最大の供養とは自分が幸せになること。幸せになれれば、親への感謝として、自然と位牌やお墓に手を合わせて法事をするだろう。

 幸せとは、健康で暮らすこと。健康とは心と体の健やかさをいう。

 

 供養や法要をしなくても、親やご先祖が化けて出ることはない。親やご先祖は子や子孫の幸せを熱望している。その願いが届かないから、相手を病気にしたり、怪我をさせたりする。霊は物理的力が出せないので、そうやって早く気が付いて欲しいと、細工をする。

 

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 2019年10月10日 馬場恵峰先生の書道教室にて 

 私は、2019年2月にガンの手術をした。容態が落ち着いたこの年の10月10日、上記色紙をお見舞いして頂いた方がたにお礼の色紙として配るため、馬場恵峰先生に20枚揮毫をしてもらった。

 馬場恵峰先生も、94歳まで、現役で頑張って生きられた。これを揮毫された1年2か月後、恵峰先生は2021年1月1日、安らかに永眠された。

 私の師への恩返しは、健康で長生きすることだ。

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親の願い

 親は生きている時は、自分の欲を抑え、我慢して、子供のために働いてくれた。子供の幸せを願っての行為だ。

 日本人として恥ずかしくない人間になることが、親への最大の供養である。いくら幸せでも、他人を不幸にしてのし上がった地位で幸せでは、親は喜ぶまい。特攻で銃後の老いた親、新妻、我が子を思って戦死された親もいるだろう。戦地で飢えのため戦死された親もいるだろう。戦死された人であっても、子孫が幸せで、恥ずかしくない人間として、病気をせず幸せに成長してくれるのが最大の望みであったはず。自分がそうなるのが、最大の供養である。

 

最悪の親不孝

 それを食欲に負けて、飽食を繰り返し、病気になって、医療費として税金をたんまりと使い、挙句にベッドに点滴の管や胃瘻の管で繋がれ、死にたくても死ねない状態で、無為な延命治療で生き永らえるのでは、親不孝の極みである。

 御先祖もそんな人間のために、命を捧げたのではない。私の家系でも、2名がビルマ、シベリアで戦死をしている。もうすぐ、8月15日の終戦記念日で、お盆である。

 

 病院で治療を受けると、健康保険は医療費の3割負担だから、7割は健康な人の税金分のカネを(勝手に)使っていることになる。国土を強化すべきカネや福祉予算を医療費に無駄に使えば、国がその分、貧しくなる。50年前の医療費総額は7兆円ほどであった。現在は37兆円を超えている。

 

 病気の主原因である食を正すのも、ご先祖供養である。

 自分の体を大事にする。まずそこからご先祖供養を考えたい。

 

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2024-07-25  久志能幾研究所通信 2888号  小田泰仙

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2024年7月21日 (日)

長良川賛歌 愛の動態風景画 青木年広個展 in Sagan

 

 青木年広氏の個展が岐阜川原町Gallery Saganで開催されている

 期間 7月6日~7月29日(水、木:定休日)

 

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  「長良川の川風」と青木さん 

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 青木さんの絵は、動態風景画と言える。現場で、実際の風景を見ながら描くことを、ライフワークとして取り組んでいる。その絵から川風の息遣い、清流の緩急の変化、作者の自然への思い、自然への愛が伝わってくる。

 

 水の流れは刻一刻と変わっており、青木さんの絵には、その変化まで描きこむ趣がある。それは青木さんが、100号ちかい大きなキャンパスを川岸に持ち込み、そこで直接描くからだ。時には川辺の足場の悪い場所もあり、命がけで絵を描く時もある。

 多くの画家は、現場でラフのスケッチをするか、写真を撮って、それを自宅のアトリエで詳細に描いている。

 しかし青木さんは、現場主義で、そこにキャンパスを持ち込んで描いていく。だから躍動感あふれる絵ができる。私はそれを聞いて、「動態風景画」と表現した。

 

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 この100号近いキャンパスを現場に持ち込み、描いたと言う

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   青木さんの製作風景   『青木年広作品集+プラス』より

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「長良川の川風」

 この絵には、作者の物語と願いと愛が籠っている。雑然と雑草や小ぶりの木が生えた川辺の草原は、多くの生物を養っている。その樹木が小さなウグイスの姿を隠し、草木がウグイスをトンビ等の天敵から守っている。近年、川辺が開発され、その防御機能がはく奪されつつある。自然を壊すとは、人間の生存域も少しずつ破壊している。

 作者は、絵の三角形の部分に物語を創作した。奥の赤い棒は、国土交通省が設置した測量基準の棒である。右手前の棒は、その測量用の補助の木である。左側の黄色い棒は、架空の棒である。それで、それより先は、人間の進入禁止の願いを表現した。それが「架空の世界」である。青木さんが、長良川の自然を守りたいという思いを物語にして、それが絵になった。

 その先に愛すべき長良川が流れている。その先は金華山の山肌である。

 川原に茂るススキの穂先は、まるでそよ風が吹いて、その息遣いが感じられるかのような描写で、まさに「動態風景画」である。

 

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  「長良川の川風」部分

 3つの杭が三角形の世界を創っている。黄色の杭は仮想の存在である。

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「流れ込む・花の頃」

 この絵は、関市洞戸の板取り川の水の流れを表現した。水の流れは刻一刻と変化して、一定ではない。それをじっと観察して、川底の岩にぶつかる水の流れを、透明感、川底の色変化、そういった全ての変化を画面に表現する。写真だけでは表現できない世界である。現場でそれの変化を見ながらでしか表現できない。現地現物の世界である。私はこの絵を見て、『方丈記』を思い浮かべた。

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 そこに人生を感じた。透明感ある流れは、浅瀬の流れである。濃い色の流れは、深い場所の水の流れである。透明な風景は浅い人生だ。深い人生は、濃い色合いの人生の水が深い位置で静かに流れている。

 

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」鴨長明『方丈記』

 

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馬場恵峰書『百尺巻頭書作選集』より  久志能幾研究所刊

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 私の住む大垣は、水の都として水都と呼ばれている。市民は揖斐川、水門川と水を愛し、水と共に生きて来た町である。同じように岐阜市民も長良川を愛し、長良川と共に生きて来た町である。中部地方は、木曽川、長良川、揖斐川が流れ、その恩恵で生きて来た。そして繁栄をしてきた。ここの住民は街を流れる川を愛してきた。その心境には相通じるものがある。

 氏は、岐阜加納高校で山路徹先生から学んだという。岐阜加納高校は、県下で唯一、音楽と部美術の専門学科があり、日常的に芸術を肌で感じられるという。

 私と山路徹先生とは、12年前からのご縁であり、不思議な思いである。

 

2024-07-21  久志能幾研究所通信 2885号  小田泰仙

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2024年7月17日 (水)

政府の政策を信じるな(2) 預金封鎖、絞首台への道、地獄への道

 

新円切り替え

 母の父(私の祖父)は、日本政府を信じて虎の子の退職金を銀行に預けていた。しかし1946年2月16日、突如の新円切り替え発表で、預金封鎖がされた。その後、一月に預金を下せる額が制限された。現在の価値で月に数万円しか下ろせなくなった。その間に狂乱インフレが続き、その制限が解除されたとき、退職金の価値が実質的にゼロになっていた。その当時、終戦時1945年からたった6年間で約100倍も物価が上昇する狂乱インフレであった。

 

 人間とは、しないでおこうと思っていても、条件が整えば、どんな残虐なことでもしてしまうものだ。ましてや、権力を握った人間は下々の痛みなど考えもしないで、とんでもない決定をするのだ。そして国民を地獄に落す。

 それは遠い昔ではなく、私が生まれる4年間に起きたことだ。その1年前は、「一億総玉砕、日本中火の海になるまで、戦え」と政府が言っていたのだ。

 だから預金封鎖などの決定など、お茶の子さいさいである。

 

母の教え

 母は祖父のこの惨状を目のあたりにして、私は母から「政府を信じるな」と繰り返し教えられた。だから私は日本政府を信じなくなった。

 

 だから私は日本政府を信用せず、コロナワクチンを接種しなかった。SDGsに踊らされず、太陽光パネルも電気自動車も選択せず、である。いくら省エネで補助金が出ても、ハイブリッド車も選択肢外である。正解であった

 だから私は政府に騙されず、自分で考えて選択して生きてきたので、今を安心して生きている。それは自分で選択したから、自己責任として安心である。

 

選択

 人生では努力よりも、選択が重要である。間違った道で努力をすれば、オウム真理教のように、末路が絞首刑かもしれない。統一教会に入信を選択して、元首相を暗殺する羽目になるやも知れぬ。

 国民がいい加減な投票や投票に行かないという安易な選択をするから、日本を滅亡の瀬戸際の危機(福島原発危機)に陥れた民主党政権の成立を許すことになる。

 いい加減が投票で、史上最低の岸田文雄を首相に選ぶ羽目になり、日本衰退に拍車をかけた。

 いいかげんな投票をするから、犯罪行為で告発されている小池百合子の三選を許した。これで東京都の政治と都民の生活は下落の一途である。 

 「原子力発電は安全」と政府は言っていたが、それが大嘘であった。原子力発電は、利権の塊で、それが東日本大震災で露見した。

 危険を警告されても、大丈夫だろうと安易な道を選ぶから、大災害の地獄の道につながるのだ。

 「太陽光発電は環境によい」と政府は推進しているが、大嘘である。日本の自然環境の破壊、人的災害の増加となる。2021年7月3日の熱海の土石流事故でその嘘が露見した。太陽光発電も利権の塊である。

 太陽光パネルは危険物で、火災時には消火が難しい。そんな危険物を屋根に付けることを選択するのは、売電に目が眩み、安易で愚かな選択である。それを推奨するハウスメーカーは信用できない。

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狭き門より入れ

 政府の示す「広き道」には落とし穴がある。注意深く選択しよう。

 広い門には危険が一杯。

 知識と知恵と宇宙根源の理で人生の道を選択すべし。

 

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊

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2024-07-15  久志能幾研究所通信 2881号  小田泰仙

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2024年7月14日 (日)

太陽光パネル狂賛教団が来襲

 

  7月8日、ハウスメーカーの担当者が、町内に建てる新築物件の建築申請書に同意のサインを求めてきたが、私は拒否して追い返した。そうしたら、7月11日にその上司の課長2人が牙をむいて来襲してきた。

 

洗脳集団の攻撃

 ハウスメーカーの課長2人は、「本建築物は設計も終り、資材の手配は既に終わっており、今からの変更は契約違反となり、違約金が発生する。お客様にも迷惑をかける。だから変更は出来ない」で、サインしろとの一点張りである。その論法でまるで宗教団体への入会活動のようであった。長時間の洗脳説得で、強引に私にサインを強要してきた。私はその長時間の圧力に負けてサインをしてしまった。

 本来、建築内容を事前に提示してそれで問題の有無をお互い協議・確認してから、承諾確認のサインをするのが正当な手順である。それをすっ飛ばしてのサインの強要である。ハウスメーカーはお天道様に顔向けできない商売をしている。

 きっとS学会、統一協会等の宗教団体も、複数の教徒が狙った相手を追い詰めて、逃げられないようにしてサインをさせる。そういう手口なのだろうと推察した。サインしないと帰らないようで、「太陽光発電の推進教祖様が絶対正しい」と洗脳されている姿に、背すじが寒くなった。それで恐怖を感じてサインをした。人は洗脳されると、ここまで思考が停止して、狂気な行動を取る。その姿に恐怖である。

 

多くの新興宗教団の来襲を経験

 過去に私の家には、N佛宗の勧誘(2011年、2024年)、統一教会の勧誘(遠戚の親類夫婦でやってきた、2019年)、ネズミ講リーウエイの勧誘(2024年)、阿含教の勧誘(阿含経はオウム真理教がその手法を真似たといわれる、1980年頃)、と多くの新興宗教の狂徒がやってきている。その多くの姿を見て、なにか共通の空気を感じた。

 私が御しやすいとみられているのか、小金持ちのカモと思われるのか、心外である。私に信仰心があるのが、彼らの付け目かもしれない。

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久志能幾研究所通信: 「みとりし」上映後、死神が来たりて笛を吹く (enjoy.jp)

久志能幾研究所通信: 「統一教会」入会案内書を分析 どんなに暑くても、やっぱり秋(餓鬼)は来る (enjoy.jp)

久志能幾研究所通信: 詐欺実験の雛形、リーウェイ「鹿と鼠の儲け話」、尻尾から腐臭

久志能幾研究所通信: 私はこれ(小指)で、※※をやめました (enjoy.jp)

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急展開

 二人が帰った後、サインしたことで後悔の念で一杯になった。これでは、町内の皆さんの命、安全安心が守れない。

 「社会でやった失敗は、社会で解決できる。」それは50年前の職場で、私の配属先の指導員であった太田主任から教えてもらった知恵である。それを思い出し、それからあちこちの知人の社長に電話をかけて対応を相談した。青森の社長(お札の顔にもなった偉人のひ孫)にも電話をかけた。打開策を思案することになった。

 

後日談は続編で。

 

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  思案の書  馬場恵峰書

 

2024-07-13  久志能幾研究所通信 2878号  小田泰仙

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2024年7月13日 (土)

カネ儲けは未病管理で、それにつけても金の欲しさよ

 

 人生の最大の金儲けは、医者にカネを使わない事。医者通いほど無駄な出費はない。時間も取られるし、精神的にダメージが大きい。

 健康維持が最大の課題である。病気を防ぐには未病状態のうちに発病しないように対策をすることである。それが最高の金儲けである。病気になれば、カネを使いたくてもその気力も出ない。

 

 人生を最高に生きる最大の手段が、未病管理である。未病とは、「発病には至らないものの健康な状態から離れつつある状態」である。

 カネが欲しければ、自分の体を大事にすることだ。健康でないと、仕事も出来ないし、稼げない。金儲けもできなければ、使うこともできない。だから死んでもいいから?健康管理である。そのことを古希を超えて痛感する。

 

未病管理

 自覚症状はなくても、日頃の状態から異常と感じたら対策に動くことである。それがトヨタ生産方式の「予防保全」である。

 そのため、私は毎日、下記のデータを記録して、そのデータの数か月の変化を眺めては、体の異常を早期に発見するようにしている。要するに「視える化」である。

 下記項目の体温管理は、がんの再発予防のための大事な項目である。ガンは低体温体質だと罹患しやすい。女性のがんが激増したのは、狂った食生活、生活習慣で、低体温になって、免疫力が低下しているからだ。

 血圧管理は、血管内のプラークの体積量に変化を知るために、重要な項目である。血管内にプラークが溜まると、血液が流れにくくなり、自律神経が血圧を上げるように働く。その高血圧を降圧剤で抑えると、正常に血液が流れなくなり、結果として、がんになるし、認知症にもなりやすい。降圧剤は対処療法である。毛細血管が詰まると、組織の末端まで、血液が流れず、免疫酵素(白血球等)が届かなくなる。だからがんが発生しやすくなる。

 運動不足での筋肉量の低下も、がんにかかりやすくなる。筋肉には、抗がん作用がある。

  

 起床時間、就寝時間、睡眠時間

 体重(50g単位)、体脂肪率 (毎朝)

 最高血圧、最低血圧、脈拍数、体温(朝晩)、

 歩いた歩数、スクワット回数

 

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 上記は、私の体データ記入シート

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日本人の病気

 日本の年間の医療費総額が37兆円である。日本では単純計算で、年間100万人が生れ、100万人が死んでいくことを考えると、一人当たり、一年で医療費を37,000円使っている。

 平均寿命80年とすると、一生で296万円を医療費に使っている。健康保険の3割負担があるので、少ないと感じるだけだ。実際は、その3倍のカネが使われている。それは税金で賄われる。別費用で、税金で召し上げられているから、気が付きにくいだけだ。

 またそれはあくまで医療費の平均値で、付帯の費用は入っていない。がんになり、保険外治療を受ければ、医療費以外に付帯費用として数百万円が飛んでいく。私ががんになって体験したことである。私はがんになって500万円以上を使った。それには、保険外治療費、差額ベッド代、電動ベッド、愛知県がんセンターの研究機関への寄付金の費用も含まれる。

 その医療費は、50年前では、5分の一の59万円であった。

 当時、ガンになる人は、親戚やまわりにもほとんどいなかった。それが今では2人に一人ががんである。私もガンになった。何かおかしい!

 

 なぜこの50年で、医療費を5倍に増やしたのに、病気が5倍になり、医療費が5倍になったのか。なぜがんが5倍に増え、糖尿病が50倍になったのか。

 

原因

 その原因を吉野敏明医師は、小麦、植物油、砂糖、乳製品の摂り過ぎが原因だと断言している。私はその件を今までその情報をいろんな図書から得ていたので、なるべく摂取しないようにはしていた。

 そして食べ過ぎが病気の原因である。いままではつい食べ過ぎる傾向であった。今は意識して少食にしている。食べ足りなくて死んだ人はいないが、食べ過ぎで病気になる人が大半である。

 

 私はこの対策を打つ時期が遅れ、がんにはなった。しかし「改心」してなんとか今を生かされている。神仏に感謝である。

 

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2024-07-13  久志能幾研究所通信 2877号  小田泰仙

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2024年7月10日 (水)

人生を健全に生きる 「清く正しく美しく自然体」

 

 人生で一番大事なことは、人生を健全に生きること。

 健全とは、「清く正しく美しく自然体」である。これはオダ仏教の念仏でもある。

 

 「清く正しく美しく」とはトヨタ生産システムでいう5Sで、整理整頓清潔清掃である。健全とは、健康で自然体であること。健康とは、体と心が健やかである事。「全」とは頂いた命を全うすること。自然体とは、生老病死、春夏秋冬であり、宇宙根源の理に従うことである。

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人生のモットー

 宝塚歌劇団のタカラジェンヌのモットーは、「清く正しく美しく」である。

 自分は人生劇場の主人公である。お宝のような自分は、「宝ジェニー」(takara genuinee、私の造語)として、「清く正しく美しく、自然体」で人生劇を演じていきたい。

 

 人が生まれる確率は、1億円の宝くじが100万回連続で当たると同じほどの確率である(村上和雄筑波大学名誉教授談)。そんな自分の存在はお宝である。それも今の時代の日本に生れたのは奇跡である。中国でなく、ロシアでもなく、アフリカでもなく、戦争をしていない今の日本の時代に生れた幸せである。少し間違えば、昭和初期に生れ、特攻兵にされたやも知れぬ。私のご先祖のお二人は、一人はシベリアの土になり、一人はビルマの土になった。昭和20年のことである。

 

「宝ジェニー」(takara genuinee、造語)

 「genuine」という単語は、本物の、真正の、真の、純粋な、心からの、という意味の形容詞である。物事が本来の姿や性質を持っていることを現す。人が心からの感情や態度を示すことを表す。

 「genuine」の語源は、ラテン語の「genuinus」で、「自然に生じた」や「本来の」を意味する。また、「genuinus」は「gen」(生まれる、生成する)という語根に由来する。この語源からも、genuineが本物や真正なものを指す。(「実用日本語表現辞典」を編集)

 

不健全な人生 

 そんな大事な体を、不自然な生活(悪食、贅沢、我儘、怠惰な生活)を送るから、病気になり、人生を健全に過ごせない。誤った生活習慣、食生活を送るから、病気になり、その結果、終末に多額の医療費を使うことなる。病人は、病気でない人が払っている税金(健康保険)を浪費する罪びとである。

 病気になって、3割負担で医療費を払っても、「俺は病気になっても人様に迷惑をかけていない」という輩は無知である。その医療費の7割は、病気でない人の税(健康保険料)から払われている。日本人が健康におうちゃくになったから、現在は医療費が50年前の5倍の37兆円に激増している。

 過剰医療で、死の直前の体が受け付けないのに、無為な点滴や胃瘻をされ、苦しみながらこの世を去る羽目になる。それは美しくなく、宇宙根源の理に反している。

 

現在の惨状

 この50年間で、医療費は4倍に増えたが、糖尿病は50倍になり、がんは5倍になり、認知症やアトピー性皮膚炎は激増した。その原因は、1945年の敗戦後、占領軍の陰謀で、旧来の良き生活習慣、食生活が破壊させられたことにある。今まで食べなかった小麦、植物油、砂糖、乳製品が大量に消費することが強要された。

 そう考えないと、50年前、10兆円もなかった医療費が37兆円まで膨張したのに、病人が5倍に増えたことが説明できない。医療費が5倍に増えれば、患者は5分の1になるべきだ。現実は5倍に激増である。喫煙率が5分の一になったのだから、肺がんは5分の一になったはず。それが5倍に増えている。(よしりんチャンネルの情報)

 

 日本の医療体制と生活習慣と政治環境が「健全」ではなくなった。病気に対して、西洋医学の対処療法に終始した結果が、現在の悲惨な状況である。

 

人の一生

 人生を健全に自然体で過ごすとは、生老病死の人生を歩む事だ。人生は春夏秋冬で、世の中で黙々と真っ黒になって働き、時期が来れば静かに去っていく。それが正しい人間の生き様である。

 小池百合子東京都知事の様に、8年間も成果のないまま、任期(寿命)が来ても椅子にしがみ付き、経歴詐称、選挙違反、倫理違反、汚職疑惑でまみれて、延命治療のように、政権の終末期を送るのは、反「清く正しく美しく、自然体」である。その都政が健全ではない、との神仏の声である。

 

健全な姿

 国も東京都も会社も家庭も自分も、健全にあるべき姿で経営すべきだ。時期がくれば、指導者も老い、世代交代をする。それが健全な組織である。

 日本政界も徳川家康や吉田茂が今の総理大臣で居座っていては困るだろう。自分も後100 年も生きたら家族、孫、ひ孫が困るだろう。

 

生老病死、春夏秋冬

 国政、都政、市政等、どんなものでも、生老病死、春夏秋冬である。夏の盛りが済めば、静かにその座を去る。それが出来ない小池百合子、岸田文雄は、醜態の極みである。

 死にたくない(辞めたくない)と、延命治療(権力の座にしがみ付く)に多額の金(税金)を使うのは、自然ではなく、健全ではない。素直な目で見れば、異常さがよくわかる。

 

 人は生れた当時は、純粋で、素直で、自然体で生きていた。それが人間界の中で過ごしているうち、自分を守るため、エゴになり、病気になり(病気になるのも自己防衛機能)、凶暴になり、嘘をつき、欲にまみれ、堕落にまみれ、素直な人間界から逸脱していった。それでは人生を健全に全うできない。

 

病気の真因

 病気になったのも、内なる自分が自分を守るために起こした現象である。昆虫等の生き物では、危機に遭遇した場合、体が硬直して仮死状態になって、敵を騙す手段がある。同じ現象が人間でも起きる。ショックで気絶するのも、同じ原因である。ストレスでうつ病になるのも、本来持っている自己防衛機能である。だから鬱病を薬で治すのは間違いだ。その真因を見付けないと病気は治らない。

 15年程前、私もうつ状態になった。医者に行けば、確実にうつ病と診断され、薬漬けにされることが分かっていた。それで、自分で治療法を調べて、自分で治した。

 無知は人生を闇にする。情報と智慧こそ、人生を生き抜く「人生の灯台」である。

 

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  チェルファーの燈台(シシリア島)  2011年 著者撮影

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 ガンや糖尿病は、食生活やストレス過多で、生活習慣が異常だとの神仏からの啓示なのだ。手術でがん患部を除去しても、真因を除去しないとがんが再発する。

 

自然界の原則

 真の自分を振り返り、その病気になっら、なぜなぜと5回繰り返して、その真因を見付け、対処しないと病気は治らない。西洋医学は、対処療法が主体である。それよりも心療的に内観をして、あるべき姿の「清く正しく美しく、自然体で」と人生を見直したい。

 

 いくら難病を完治しても、何時かは死ぬのが人間(生物)なのだ。それが自然界の掟である。それを無理やり延命治療するから、本人には拷問になる。

 

 「死ぬ時は、死ぬのがよい」と一休さんも言っている。それが自然であり、社会のためである。

 

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2024-07-10  久志能幾研究所通信 2876号  小田泰仙

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2024年6月26日 (水)

観魂学で「みとりし」上映会とLINEを観望する

 

 2024年6月19日、23日に大垣市木戸町の木戸ホールで、「みとりし」映写会と講演会を開催した。参加者は両日とも15名である。新聞に開催記事が掲載されたので、多くの人から問い合わせがあり、参加してもらえてうれしかった

 本来の対象者は私の町内からであったが、その参加者は予想外に少なかったのが残念であった。この会の趣旨は、町内で、昨年夏の孤独死で腐乱状態での発見事件をきっかけとした、再発防止の啓蒙活動の映画会・講演会であった。

 

 岐阜新聞社、中日新聞社、大垣ケーブルテレビが取材にきてくれたので啓蒙活動の第一歩としては成功だろう。今後、地道に活動をしていくので、最初から大々的に進行しても続かないだろう。それを思えば良きスタートであった。内容が重たいので、ボチボチやって行けばよいと達観している。

 

抵抗感

 「看取り士」というと、やはりまだまだ色眼鏡で見られる。死を連想して拒否反応をする人が多かった。お嫁さんに親の参加をお願いしても、親の死を早く望んでいるのかと思われるのが嫌で映画会への参加を勧めがたいと言う。本人に私が直接案内に行ったが、死を連想して縁起でもないと門前払いであった。看取り士の小川さんも同じ体験をしているという。まだまだ認識がないようだ。私だって、72歳になるまで知らなかったのだから。知ってからまだ1年である。

 

成果  

 今回の映写会を開催しての最大の収穫は、古川秀昭氏(元岐阜県美術館館長、OKB美術館館長、「生と死を考える会」会長)にも参加いただき、

 「新築する際、死ぬ時は自宅でとデザインしたりもしたが、いざ臨終間際になると、家族も戸惑うだけだろう。看取りについて互いに学び合えるこういった機会は、切実に大切だと思った。活動を応援していきたい」と感想を述べて頂いたこと。感謝である。

 近い将来、「生と死を考える会」でも講演をする予定となった。良いご縁であった。

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 映画「みとりし」上映

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  講演者の小川みさ子さん


 

 

魂の交流以前

 数か月前、ある行事で縁が出来た人たちがいた。その人たちにも参加してもらおうと、友人に仲間の2人の電話番号を聞いたら、「個人情報だ。何で電話番号を知りたか?」と逆質問にあった。また「なんでラインをやっていないのだ」とも言う。そうか、彼は私を信用していないのかと愕然とした。

 私は彼らに名刺を渡して、携帯も住所もブログも全てオープンである。しかし彼らは誰一人私に名刺をくれない....

 ラインでは中国と韓国に個人情報が筒抜けである。そのサーバーは韓国にある。ラインは今まで何度も情報漏洩で、政府から行政指導を受けている信用できないシステムである。そのLINEは信用して、今まで真摯に付き合ってきた仲間が信用できないとして、電話番号も教えてくれない。彼にはがっかりさせられた。この件で、今後の付き合い方を神仏は示唆してくれた。

 後から、彼はしぶしぶ2人中の一人だけ電話番号を連絡してきた。しかしそこに電話をかけても応答がない。常識ある人なら、スマホに着信履歴が残るから応答があるのが普通だ。私は、「これは神仏からの啓示である」と受け止め電話をするのを止めた。これは「縁がないという縁」だ。今後、付き合うべきではないと判断した。住む世界が違うのだ。

 私は情報漏洩が怖いので、ラインはやらない。やる人の気が知れない。ラインをすれば、下手をすると銀行情報まで抜かれる。

 

久志能幾研究所通信:「LINEにあらずんば人にあらず、LINEで廃人に!」  

http://yukioodaii.blog.enjoy.jp/.s/blog/2021/04/lineline-7fe6.html

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毒にも薬にもならぬ

 ある会の会長に案内をしたら、いつまでたっても返事がない。電話で問い合わせたら、「参加人数が少ないなら、出てもよい」という。なにさまなのだ。やはり、彼は噂通り、毒にも薬にもならぬ御仁であったことが再確認できた。今後、この種の案内はこの御仁には出さないと決断した。そんな御仁と付き合うのは時間の無駄である。そんな御仁が出席すれば、会の雰囲気が悪くなる。

 

魂のふれあい

 知人の紹介で来たという老人が、映画を観て涙を流してくれた。ご縁があって良かったと安堵した。

 多くの方が参加して良かったと言ってくれて、嬉しかった。

 一人一人の死を考える良き機会となった、いままで無知だったので、良い機会であったとの感想が寄せられた。

 誘ったある人は、直ぐ「参加する」と返事があり、知人まで連れて参加してくれた。私への信用問題であり、魂のふれあいの問題である。

 

 ある人は、直前に急用があり、欠席との連絡があった。常識ある対応である。それに対比して、無断欠席の人がいた。その人にはある役目をお願いしてあった。しかし開催後でも欠席の理由連絡がない。それで人間性が分かる。よきリトマス試験紙の映画会であった。

 

霊界通信

 思いついて、恩師の子安一徳先生にも参加してもらおうと電話番号をかけたら、奥様から、「2か月前に道路で転倒して亡くなった」と告げられて絶句である。つい最近、先生が活躍されている姿を新聞紙上で見たばかりなのに。

 亡くなられたことを教えてもらって感謝である。ご冥福をお祈り申し上げます。人は生老病死である。春夏秋冬、年功序列である。

 恩返し 返したいときには 恩師はなし

 

 魂は百面百相である。魂の会話ができる人と付き合おう。人生で一番大事な友は、自分の中のもう一人の魂である。

  飛行機で海外に行くときは、入念な準備をして旅立つ。人は必ず此岸から彼岸に旅立たねばならないから、相応の準備が必要だ。看取りはその一つの準備である。

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 馬場恵峰書

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資料

 総務省は2024年3月5日、LINEヤフーに対し行政指導を行った。同社が提供する「LINE」サービス利用者の通信情報や従業員情報が流出するなど度重なる情報漏洩事案に対し、再発防止など必要な措置を講じることを求めた。

 

 2023年10月、LINEヤフーはZホールディングスとLINE、ヤフーが合併し発足。

 2023年11月、LINEヤフーは、サーバーがサイバー攻撃を受け約44万件の個人情報が流出した可能性があると公表した。

 2023年12月、11月に不正アクセスの時期が約1カ月続いていた。

 2024年2月にも旧LINEの従業員情報約5万7000件が流出した可能性がある。

 2023年11月時点で不正情報流出件数は約51万件に増えた。

 

 総務省は、同社の業務委託先である韓国ネット大手NAVERとの間にシステムやネットワーク構成に「相当に強い依存関係」が存在していたと断定した。総務省は、ネイバーや業務委託先会社の情報セキュリティーに関わる安全管理措置に不備があり情報漏洩につながったと認定した。

 

2024-06-22  久志能幾研究所通信 2869号  小田泰仙

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2024年6月 6日 (木)

二人への祝辞  経営、創造、啓示

 

 2024年6月2日、姪が結婚式を挙げた。自分の娘が結婚したように嬉しく思い、乾杯の音頭で祝辞を述べた。

 二人は4年前に籍を入れたのだが、コロナ禍で結婚式が出来ず、今回の結婚披露宴となった。

 私にも結婚式参列は四半世紀ぶりである。世の風潮で結婚式への参列が減ってしまった。寂しい限りである。

 

 乾杯の祝辞で新郎新婦にお願いしたことは以下3点。

  家庭を経営して欲しい、

  二人で創造して欲しい、

  神仏の啓示を真摯に受け入れて欲しい。

 

経営

 経営とは、持てる資源を最大限に使って新しい利益(りやく)を出すことである。「利益(りやく)」」とは仏教用語で、仏の教えに従って得られた恵みや幸せのことを指す。それから経済用語「利益(りえき)」という言葉が生まれた。

 会社でも合併(merger)をして新しい会社として新しい道を歩むことがあるが、往々に持てる資源を活用できず、成長できないケースが多々ある。私の前職の会社がそうであった。結婚(marriage)も同じで、2つの人生有限会社が、合併して新しい家庭を作り、利益を生み出すことだ。会社の合併と同じである。

 経営が上手くいかないと、二人の持てる資源を有効に活用できず、逆に相殺される場合も多い。それは経営破綻である。

 自分を経営するとは、仏の教えに従い、自分の持てる資源を最大限に活かして、人生を生きる事。美味く生きれないのは、自分の人生を経営していないのだ。

 資源とはお金の財産のことだけではない。自分が使える資源の全てである。親、師、友人の支援、ご縁も全て資源である。今まで学んで来た知識、経験も資源である。お金はそのうちの一部に過ぎない。二人の持つ資源を統合して最大限の成果を出す。それが経営である。

 

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創造

 創造は発明とは違い、誰でも出来る。発明は、全く新しいことを見つける事。創造とは、今までの事象を分解、再統合して新しいことを作り出すこと。例えば、エジソンの電球は発明だが、ソニーのウォークマンは創造である。ウォークマンの技術には、新しい技術はない。今まで開発されて来た旧来の技術の分解、再統合である。それで新らしい概念の音楽を聴く機器を創造した。

 創造の「創」の偏は傷である。それも刀の受けた切り傷である。つくりのりっとう偏「リ」は刀と砥石の象形文字である。刀で切り傷を受け、血が噴き出す傷口に焼酎を吹きかけ、さらしを巻いて止血をする。そこから新しい細胞が生まれてくる。その細胞は、今までの細胞よりも強固な組織である。それが創造である。

 価値観の違う二人が一緒になれば、衝突もあるだろう。そこから新しい価値観を作り出す。それが創造だ。

 二人の前には大きな白いキャンパスが置かれている。二人の違う絵の具で人生というキャンパスに新しい絵を描き、人生を創造して欲しい。

 

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神仏の啓示

 私は5年前にガンになり、余命宣告を受けた。もし今までのままの生活、医師の言う通りにやっていれば、この乾杯の音頭の席にはいないであろう。

 もしあの時私がガンにならなくても、あのままの生活なら、別の病気で倒れていただろう。今はがんに感謝である。

 ガンは「死ね」と言っているわけではない。「今のままの生活ではダメ。変えろ」と言っているだけである。それが病気(神仏)からのメッセージである。

 

 価値観の違う二人が一緒になるのだから、一緒に生活すれば、問題が起きて当たりまえ。長い結婚生活では、病気や事故が起きて当たりまえ。問題や病気が起きたら、何故なぜを5回繰り返し、真因を見付けて欲しい。対処療法で解決しては、また同じような問題が再発する。真因を見付けて、それを無くす考え方をして欲しい。それが神仏からの啓示である。

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 ご縁があったのも神仏からの啓示である。病気になるのも、事故に遭うのもご縁である。それを神仏からの啓示として前向きに解釈して、生き方を改善して欲しい。二人で幸せを創造してほしい。

 お二人の幸せと皆様のご多幸と健康をお祈り申し上げます。

 

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2024-06-06  久志能幾研究所通信 2863号  小田泰仙

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2024年5月26日 (日)

人は佛の子、オダ仏教の五教義

 

 オダ仏教の本殿は泰観院で、曹洞宗の末端の最末端寺である。住職は私、信徒1名(私)の個人経営の小さなお寺である。泰観院とは、近い将来、私のために建ててもらう来世のお寺の名前である(戒名の院号)。その寺院名は菩提寺の住職様が決めた。だから私はオダ仏教の教祖である。

 

教義

 その教義は「春夏秋冬、生老病死、万有引力、F=mα、E=mc²」の5つである。人類は自然界の法則や宇宙根源の法則を、神、佛といっているだけである。地域によって風土が違うので、その名前が神となったり、佛となったり、キリスト教になったり、それを運命とも言う。人間は有史以来、その神仏を崇めている。それが土着の宗教である。それがユダヤ教、自然物崇拝の神道等である。それに比べれば、キリスト教やイスラム教は土着の宗教から派生した新興宗教である。

 仏教で、それらの教えを集約したお経で説いたのが般若心経である。その結論は色即是空、空即是色である。そこでは春夏秋冬も生老病死も超越している。しかしその色(現世の現象)は、前述の5つの原則で動いている。しかしその実態は空である。

 

 「法」とは、サンズイ(水)が「去る」と書いて「法」である。水は上から下に去る。それは何時でも何処でも誰にでも通用する法則である。「春夏秋冬、生老病死、万有引力、F=mα、E=mc²」が、すべてを支配している。人はそれを神仏という。

 

日本の美しい私

 その原則を道元禅師は下記の和歌で表現した。

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり」

 それを川端康成はノーベル賞授賞記念講演の冒頭でこの歌を引用して『美しい日本の私―その序説』として「本来の面目」の中でこの和歌を詠じた。これは大自然(神仏)のあり様を和歌の形で表現しただけである。

 

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 馬場恵峰書「百尺巻頭書作選集」より  久志能幾研究所刊

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自然は春夏秋冬、それこそ神である。

 生物も自然界も春夏秋冬で生老病死である。どんな教祖もこの原則から逃れていない。

 

万有引力

 どんな人も物体も万有引力でお互いに引かれてきた。そこから人間の歴史が生まれた。そこに縁が生じ、花が咲き、実が結ぶ。縁を活かすには、正しい道を歩む事。それが「縁あって花開き 恩有って実を結ぶ」である。

 

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F=mα

 自然界の物質、人間は、ニュートンの第一法則に従い、止っているものは永遠に止まっている。動いているものは永遠に動いている。人間の行動も同じである。人の運命を変えるには、F=mαで、少し力が必要だ。加速度のある生き方が世界を変える。

 加速度とは、意思を込めて動く時に発生する現象である。それが「天は自ら助くる者を助く」である。

 

E=mc²  

 E=mc²は,アインシュタインが特殊相対性理論から導いた式である。アインシュタインが発見したのではなく、昔から存在していて、アインシュタインが理論で証明しただけである。ニュートンの第一法則もニュートンが作ったのではなく、昔から存在していたのを発見しただけだ。これは「微量な物質にも,膨大なエネルギーが秘められている」ことを意味する。どんな微力な人でも、(心の)速度が大きければ、大きなエネルギーを出せることを意味する。

 

以上の5つの法則に則って、各宗派の経典が書かれている。

 仏教の教義は、「万物は移り変わる、ただ精進せよ、結論は死」である。時間と存在を哲学的に定義した法典である。温暖な地で生まれた宗教だから温和な教えである。

 キリスト教の教義は、「知ること、愛すること、そうすれが神の子になれる」である。愛がテーマである。

 イスラム教の教義は、「(人は弱い存在だから)コーランの教えを守れ、そうすれば天国に行ける」である。それは厳しい自然環境(砂漠地帯)の中で生き抜くための先人の知恵でもあった。いわば頑固おやじの教えである。厳しい環境下で生まれた宗教だから、一番厳しい戒律である。厳しくしないと生きていけない。だから目には目を、歯には歯を、である。

 

 その教義は、キリスト教、イスラム教、仏教、どの宗教も共通である。神仏の切り口が違うだけで、その本質は同じである。いわば神仏とは茶筒で、その切り方次第で、見え方が違うだけである。茶筒を横に切れば円、縦に切れば長方形、斜めに切れば楕円である。その違いを理解せず、口から泡を出して言い合い、殺し合いをしているのが今までの宗教戦争である。それが人間の愚かさである。

 宇宙飛行士が地球を周回する宇宙船からその地域を眺めれば、数十秒で通過する地帯に、多くの宗教がいがみ合っている。それを見て、人間の愚かさを悟って人生観が激変した宇宙飛行士も多い。 

 もともと一つの教えであったのに、細かく分派して、その違いで言い争いをしている。仏教では13宗56派がある。キリスト教でも128の分派がある。それを神の名のもとに殺し合いをするのは、愚かすぎる。どの宗派も、前述の5つの原則を元にしているだけである。

 

 私は与えられた生を全うするため活きている。合掌

 

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 馬場恵峰書「百尺巻頭書作選集」より  久志能幾研究所刊

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2024-05-26  久志能幾研究所通信 2862号  小田泰仙

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2024年5月22日 (水)

ご縁の交差点、ご縁は「場」に舞っている

 

 良き縁(運)を手に入れるためには、多くの縁が行きかう交差点に行けばよい。そこへ行くと、良きご縁に出会える確率が高い。家に閉じこもっていては、ご縁には出会えない。多くの縁の出会いの中からご縁が生まれる。

 人の共用の場が、人生を開く。人生には教養と教育と供用が必要だ。今日の用と今日行くところである。今日行くところが供用の場である。その場所の縁は玉石混交だから縁の真偽を見分ける力も必要だ。中には詐欺の縁もある。

 

101個目

 よいアイデアを出す場合でも、数多くの案を出して、その玉石混合の中からダイヤモンドが発見される。真のアイデアは101個目に出てくる。

 人とのご縁も出会う人の101人目にやっと出会える。出会える数が少ないと、縁を見分ける眼力も付かず、出会う前に諦めてしまうから、よきご縁に出会えない。出会えるまで、出会いの機会を作るのだ。出会いは足で稼ぐ。脚縁である。私はそうしている。 来るご縁は拒まず、去るご縁は追わず、である。

  高齢者よ、ボケ防止でスクランブル交差点の雑踏を目指せ

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地方の名人は井の中の蛙

 江戸時代、地方で名人といわれる剣術家は、江戸の一介の町の道場主には勝てないという。それは江戸の道場には道場破りが頻繁のおとずれ、他流試合を強いられるからだ。それで腕を磨かされている。地方の名人は井の中の蛙である。地方ではその機会が少ない。だからこそ出会いは足で稼げ、脚縁を作れ、である。それこそがご縁の出会い創出である。

 

ニュートンの第一法則

 良きご縁に出会うには、動き回り、喋りまくり、ご縁の出会いを多くするしかない。止っていては永遠に止まっている。動いているものは何時までも動いている。ニュートンの第一法則である。停滞を打破するために、加速度を付けて動き回る。それが人生を切り開く秘訣だ。

 

ご縁の交差点は画廊

 最近発見したご縁の交差点は画廊である。特定の会では、特定の人としか交流がない。それに対して画廊はご縁のスクランブル交差点となっている。そこで作家に出会える。その作家には、多くの弟子やファンがいる。その人たちが展示会場の画廊に訪れる。私もそこで多くの人に出会って、良きご縁をいただいた。岐阜川原町 Gallery Saganというご縁の交差点を発見できて良かったと思う。

 例えば、そこで出会った作家渡辺さんに出会って、スウェーデン協会とのご縁が出来た。渡辺さんは魔女の人形を作るの作家である。

 

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 馬場恵峰書   素材は桧の鉋屑を色紙に貼って作成

  いずくかの来たり去り行く 人の道

    縁の恵みは 人生の寶なり               2015年頃の書

 

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 Gallery Saganで入手  渡辺さんの作品

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2024-05-19  久志能幾研究所通信 2860号  小田泰仙

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