c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2019年12月 2日 (月)

キャピタル・ゲインを求めない生き方

 私は、人モノ金情報の獲得で、下記の生き方を目指している。キャピタル・ゲインを下げ、キャピタル・フローを上げることを意識している。

 

人脈

 情報・交流・行動のフローを上げよ。それが人徳を上げ、人生を豊かにする。人脈をため込んでもダメ。人脈も流れないと腐るだけ。日々のメンテが必要だ。それがフロー(流れ)である。

 

モノ

 モノをため込んでは駄目。土地だってため込んでは、値下がりする。両親が苦労して入手した自宅土地も、土地の値段が半分になった。家の価値は、売るならゼロである。それより快適な住まいにするフローを作った方がよい。豊かな家はモノがなく、すっきりしている。

 美術品にキャピタル・ゲインを求めると火傷をする。日展で特選2回の画家だとの触れ込みで、買う時は50万円の絵が、売る時は3万円である。絵はフローとして楽しむもので、金儲けするモノではない。金儲けは画廊やデパートがする。

 

お金

 キャピタル・ゲインを求める生き方をしてはいけない。キャピタル・フローを上げる取り組みをすること。お金は使えば使うほど、知恵がついてきて、10年後に豊かになれる。お金は経験を得るための費用なのだ。それをケチり貯め込むから、考えが貧しくなり、不潔なご縁が付いてくる。

 

時間

 時間は貯められない。キャピタル・ゲインがない最たるもの。流れゆく時間を大切にすれば、キャピタル・フローが最大になり、人生が豊かになる。

 

健康

 体のキャピタル・フローを上げる生活をせよ。キャピタル・ゲインとして脂肪を貯め込む生活をするから肥満になり、病気になる。小欲、少食、よく歩く。当たりまえの生活をしないから、病気になる。ドカ食い、大食いはキャピタル・ゲインを上げる事。それは死を意味する。

 

ご縁

 ご縁にキャピタル・ゲインはない。日々、陰徳を積み、運気のフローを良くすることに心がける。運気のキャピタル・ゲインを貯めることは考えてはいけない。運気のキャピタル・ゲインを上げるとは、施した徳を恩着せがましくすること。それをいつまでも覚えていること。それが顔に出て、結果として運気を下げる。

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注:キャピタル・ゲイン(capital gain)とは債券や株式、不動産など資産価値の上昇による利益。購入価格と売却価格の差による収益である。価格が下がって損をする場合はキャピタル・ロス(capital loss)と呼ぶ。

 

2019-12-02 久志能幾研究所通信 1414  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月28日 (木)

一日の命は三千界の財にもすぎて候なり

 今日(2109年11月27日)、九州の馬場恵峰先生宅に、日帰りで仕事の打合せに行ってきた。毎回、早朝から深夜までの往復14時間の鉄路の旅で疲れたが、それをこなせるまでに体力が回復して幸せである。少し前までは、歩くのが辛い状態であった。今日一日の歩行数は、6048歩で、鉄路の旅にしては、駅構内を歩いて、結構な歩数である。最悪の状態は脱したようだ。

 この旅で、お宝の言葉(表題)に出会った。犬も歩けば棒に当る。家に閉じこもっていては、ご縁には出会えない。

 

掃除が命

 恵峰先生宅に到着したら、先生は庭の掃除中であった。先生は毎日、朝晩、各30分ずつ庭の掃除をする。だから庭には落ち葉一つ落ちていない。350坪の敷地に日中文化資料館と付属図書館が建ち、その広い庭の掃除である。先生が一日中座って書を書いているわけではない。掃除、整理、整頓をしてお仕事である。そのリズムがあるから、健康で93歳の今でも現役である。

 自然は生きている。だから庭には落ち葉もあれば新しい芽生えもある。死の世界では、落ち葉もあるまい。庭も生きている。だから先生は庭の掃除を欠かせない。掃除をしないと、心に雑草が生える。

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 庭を掃除中の恵峰先生  2019年11月27日

 

毎日が命がけ

 93歳の恵峰先生は、毎日が命がけである。一日一日、生きているのが不思議なのだ。命は一日、一日、尽きていく。

 私も年初に癌の手術をして死線を垣間見た身である。生きているとは何事にも代えがたい僥倖なのだ。この「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」は日蓮大聖人の言葉である。これは宗派には関係ない命の言葉である。どの宗教も究極の真理の言葉は皆同じである。

 この日蓮大聖人の言葉を揮毫した恵峰先生の書を、年初に撮影する計画であったが、私が病気で倒れたので、延期となっていた。やっと私も病状から回復したので、来月、この書を撮影して出版する予定である。書の撮影も命がけである。

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 日蓮大聖人の言葉の書    2019年11月27日

 

お別れの挨拶の旅

 恵峰先生は、来月、中国に最後の旅行に行かれる。中国の知人たちに、この世の最後のお別れの挨拶をするために旅行をされるという。先生も体力的に、中国に行けるのも、今回が最後だという。なんでも今の内、生きているうちである。思いたった日にやっておかないと、できなくなる日がやってくる。今日、恵峰先生宅を訪問して、多くのお話をして、多くに収穫があった。感謝である。

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 「迎客の松」と恵峰先生、後は日中文化資料館    2019年11月27日

 

2019-11-27 久志能幾研究所通信 No.1409  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年11月25日 (月)

冥途用パスポートの手配失敗

 終活の一環として、私の戒名を決め、墓誌に戒名を彫る段取りをした。ところが、その製作がやんごとなき理由で失敗である。それも連続2回も失敗である。どうも仏様から、「そんなに早く来世に来なくてもよい」とのメッセージのようだ。そのご縁を前向きに受け止めた。確かに、何もそんなに死に急ぐことはない。生死は仏様の管轄なのだ。己は己の体の健康管理だけをして、今すべきことに全力を注げばよい。

 

戒名とは

 戒名は、いわば冥途に行くためのパスポートである。引導を渡す導師が、故人に付ける名前である。来世で、その名前を背負い、仏道を修行するための名前である。

 私も年初のガンの手術前に、覚悟を決め、菩提寺の住職に戒名の選定をお願いしておいた。それで最近、正式に戒名が決まり、その名を墓誌に刻んだ。

 ところがそれが製作上でトラブルが起きた。それで、私は佛様の意向を汲み、もう少しゆっくりと死ぬことにして(?)、墓誌の制作も遅らせることにした。予定は38年後(?)である。私は、まだまだこの世で、やり残したことがあるのだ。それを佛様も理解してくれたようだ。

 

院号とは

 院号とは、導師が故人のために建ててくれる来世の寺院である。その寺院の住職として、佛道を修行せよとの引導である。現世では正しい道を歩まなかったかもしれないが、来世では正しい道を歩めと、導師が慈悲で建てる来世の寺院の名前である。

 私は、雅号の「泰仙」から一字をとり、「泰観院」という院号を頂いた。

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  書は馬場恵峰先生  石の墓誌にゴムシートを被せ印字した状態

 

生前戒名

 生前に戒名を頂くとは、来世に向けて、今から戒名に恥じない行動をする練習となる。戒名とは、「戒め」の「名」である。葬儀の時、戒名を付けるのは応急処置である。本来、生前に戒名を住職と相談して決めるのが正式である。それが決まっていないと、住職は家族から生前の個人の行動を聞き込み、戒名を付けざるを得ない。それでは良い名前が付けれない。皆さんも、是非、生前に戒名を頂くことをお勧めする。

 現世の名前は、親がこういう人間になって欲しいと願いを込めて付ける。しかし、その名に反した人生を歩む人は多い。だからこそ来世では、戒めの名を背負って仏道を修行するのだ。戒名を頂くとは、今世と来世での生き方(死に方?)の覚悟をするのだ。

 

菩薩行とは

 菩薩とは、如来になるために修行をしている仏様である。仏様でも修行を続けてきてから見えてくるものがある。愚かな人間なら、その数倍の修行をせねば成仏できない。

 その菩薩様でも、迷える衆生を救えず悩まれている。菩薩様が手を差し伸べ、身を一歩前に進もうとするのに、それに背を向けるのが縁なき衆生である。その菩薩様の悩みに比べれば、己の悩みなど可愛いものである。私がどれだけ、苦言・批判・改善提案をしても、馬の耳に念仏の大垣市長輩もいる。

 だから会社勤めの身でも、係長の時代になら課長の意識で、課長の時代ならば、部長・役員・社長の意識で一段上の観音菩薩の眼で観て仕事をするのが、己の成長・成仏のためである。私はそれを意識して行動してきたつもりだ。

 来世でも、現世で観音菩薩になったつもりで、世の中を観て、己の戒めの名に恥じない行動を取ると良い。それが戒名を授かった決意である。だから終活も楽ではない。終活を真面目にすると、おちおち死んでなんかおられなくなる(?)。

 

2019-11-25 久志能幾研究所通信 No.1408  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月17日 (日)

おとなの玩具を衝動買い

 2019年11月2日の朝、前から欲しかったものが見つかり、内容を確認して夕刻に買うことを決めた。これは「おとなの玩具」である。それも衝動買いである。我ながら呆れた。

 11月14日に大村市の恵峰先生宅を写真撮影のため訪問した折、雑談でその件を恵峰先生に話をしたら、呆れられるかと思ったら、逆に褒められて拍子抜けをした。

 

恵峰先生の意見

 恵峰先生曰く「老人は”おとなの玩具”を買って、人生を楽しむべきだ。それが寿命を延長させてくれる」という。恵峰先生も中国に行くと、数十万円分の書画用の軸や白冊子を買ってきて、おとなの玩具として楽しんでいるという。先生が中国に行くと、いつも40kg分ほどの書の材料・道具を買い込んでみえる。先生はそれを体力的に運べないので、それを同行の人に持たせて飛行機に乗るという。それに、何を書くかを考えるのが老人の楽しみだという。

 

お金の価値

 お金とは経験を得る為の費用なのだ。貯めるものではない。だからお金は使えば使うほど、経験が豊かになり、智慧が付き、ご縁とお金を稼ぐ力が付く。それが運命学の考え方である。これは、おだ仏教の予算方針である。だからお金は溜めなくてもよい、そのお金を稼ぐ能力とご縁を獲得することが人生の目的なのだ。そうすれば、どんな時代も生きていける能力が身に付く。心が豊かになれる。

 今日本経済が停滞しているのは、老人が貯めたお金を使わないためである。お金は使えば使うほど、お友達を連れて帰ってきてくれる。帰ってこないのは、利己的な使い方で、世のためになっていないからだ。お金の使い方が間違っているためだ。「お金さん」に嫌われる使い方をしたためだ。お金さんを銀行に幽閉しては、お金さんが腐ってしまう。

 

一万円札はお金ではない

 その昔、母方の祖父が、虎の子の退職金を銀行に預けていて、ある日突然、新円切り替えで預金封鎖となった。預金封鎖が解除された後は、退職金は紙くずとなっていた。1946年(昭和21年)2月16日のことである。まだほんの73年前のことである。母はその話を何度もしてくれた。だから母も私も日本政府を信用せず、生きてきた。なにせ一万円札は、日本銀行が発行した「日本銀行」で、お金ではないのだ。日本銀行が発行した単なる信用手形である。政府の気が変われば、一万円札の価値はゼロになる。ご用心、ご用心。だから本物のお金とは「純金」のこと。

 硬貨は、補助通貨で、お金ではない。支払いに一定以上の硬貨では、相手は受け取りを拒否することが出来る。

 

お金とは「お足」

 私にとって、お金とは「お足」のこと。動き回れる資源の事、動ける体力のことである。意思を持って、行きたい所に足を運ぶから、ご縁と智慧が付く。稼げる能力が付く。じっとしていては、運は掴めない。私の人生哲学である。

 恵峰先生は、中国に240回以上も旅行をして、総額で7千万円ほど使った。今そのお金は残っていないが、智慧とご縁が溜まったという。だから93歳の現在も、現役で元気である。私より元気である。

 恵峰先生は60歳の時、1億円の借金を背負い、社会貢献として「日中文化資料館」を建てた。24年かけてその借金を完済した。時に84歳である。

 お金は悪いことに使うのでなければ、何とかなるものだ(トヨタの中興の祖・大野耐一の言葉)。

 

Dsc07168s     馬場恵峰先生 2019年10月11日

Dsc08346s  日中文化資料館(左)とその付属図書館(右)  敷地350坪

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撮影の仕事

 今年末に、「老のともしび」という軸60本分の先生のエッセイ集を写真集として出版することになり、今回はその撮影の仕事であった。書友の方2名に手伝ってもらって、60本の軸の撮影をした。今回、私の病気の為、9か月ぶりの撮影となった。そのためカメラも新しくして、構えて撮影した。裏技で、ソニーの6100万画素のミラーレスα7RⅣに、キヤノンのレンズを装着しての撮影である。その軸の中に「おとなの玩具」のエッセイもあり、思わず見とれてしまった。 

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      撮影風景

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「老のともしび」の出版計画

 「老のともしび」は恵峰先生の人生訓を軸に書き綴った作品である。長さ1.5mほどの軸が60本である。約100mの巻物分の分量である。先生は、この人生訓を下書きなしに、直接表装された軸に揮毫された。神業である。明治大正昭和平成で、軸に人生訓を毛筆で60本も系統立てて書いた書家はいない。今回、これを日めくりカレンダーの形式(サイズ20×60cm)で出版する予定で、編集を進めている。

 

エピソード 

 私の「おとなの玩具」を買うにあたり、資金繰りに困り、家屋敷を抵当に入れようと思ったが、今住んでいる家屋は価値ゼロで、土地の値段だけしか評価されないことが判明した。いくらリフォーム工事で金をかけても、売る場合は資産価値ゼロである。両親が50年前に坪40万円で買った土地が、現在は坪20万円の評価にしかならない。大垣の不動産価格が暴落したためである。これが、刈谷に住んでいれば、土地の値段が買った時より高騰していたのにと残念である。大垣市長が無能のせいで、大損害である。

 

不動産は財産ではない

 今回、土地家屋は人生の消耗品であることが判明したのが、今度の最大の学びである。土地家屋は財産ではないのだ。自分の代で、人生を全うするために使う消費材である。子孫に土地家屋を残しても、遺産相続争いの種になるだけで、不幸の基である。少子高齢化で、土地の値段は下がる一方である。不動産に財産価値はない。持っていれば、税金がかかり、年々価値も下がる。更地にすれば税金3倍である。家は資産価値ゼロである。

 だから人生での最大の投資すべき先は、自分自身である。人こそが、ゼロから無限の価値を創造することが出来る「お宝」である。

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 馬場恵峰書

 

2019-11-17 久志能幾研究所通信 No.1401  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月16日 (土)

小川敏、最期の日の後悔

 今まで、己が過ごしてきた世界が、利己の世界か、利他の世界であったかを考えたい。今までの日々、一刻、一刻の時間を何に使ってきたかを考えたい。せめて第二の人生を送る際に、考えたいことである。第二の人生には、老後だけでなく、ひとっ跳びに来世に逝くことも含まれる。

 時間なぞ、幾らでもあると思って安易に過ごしてきた人生が、ある時、残り時間数分になる時が、必ず来る。医師から余命宣告をされ、頭がまっ白になるときもあるだろう。人間で、死ななかった人はいない。死を前提に、人生を考えないから、愚かな人生を送るのだ。お釈迦様は亡くなられるとき、あの世が有るともないとも言わず、「ただ精進せよ」と言い残されて旅立たれた。それが人の勤めなのだ。

 

余命宣告

 余命1週間と宣告されれば、好きなことして過ごせばよい。しかし余命2年なら、享楽的な時間の過ごし方ではなく、自分の命の使命を考えるはずだ。虚楽的な生活は1か月がせいぜいで、2年も時間があると、命を世のために使うことを考えるのが、良識ある人間である。

 定年は会社人生の死である。それを前提に38年間の会社人生を考えないから、定年後が惨めになるのだ。

 毎日が人生の駆け込み乗車のような生活で、人生最期の瞬間に後悔をしないのか、考えたい。最期の時は10年後かもしれないが、明日かもしれないのだ。心筋梗塞、交通事故、テロ事件、天災地変等で人生の一寸先は闇である。私の仕事仲間も、私の定年前後の時期に、24名が亡くなっている。多くは還暦前での死である。今、自分が癌になり、手術をして生還できた奇跡を神仏に感謝している。

 

人生の走馬灯

 人間の最期の瞬間は、今までの人生の出来事が、何万枚もの映像となって走馬灯のように目の前を横切ると言われる。人生の最後ではなかったが、南雲クリニックの南雲吉則医師は、今まで張り合っていたご尊父が急逝されて、御尊父との最後のお別れ時に、父との出来事が走馬灯のように目の前を横切ったという。それで医師として、世のためにやっていく覚悟が出来たという。それからの人生を、世の中から癌を半減させるために命を捧げているという。私は、その南雲吉則先生に診察して頂けるご縁を頂いて感謝である。

 

小川敏の後悔

 大垣市長の小川敏は、今まで市長としてやってきたことは、すべて自己満足、利己の世界の悪行であった。その結果が大垣市の没落である。大垣市民の不動産財産を半分に減らしたのだ。私の不動産財産も激減した。

 小川敏が自慢する「ギネス水饅頭の共食い記録挑戦」での恥行、「死政100執念忌念行事」は、利他の行事ではなく、小川敏の自己満足の市民税大浪費行事であった。大垣市民を泣かした利己の行事であった。小川敏がそんな愚劣な行事に時間をかけたことの後悔は、最期の瞬間になって、如何に愚劣であったかを悟るのだ。でもその時では遅いのだ。

 歴代の大垣市長は全員、現役死を遂げている。大垣市長は激務である。小川敏が現役死する確率はかなりの高い確率である。これは統計学での仮説である。神仏からの推定である。その激務の職を5期20年も務めるのは、自殺行為なのだ。小川敏は、無為無策の無能政治に固執して大垣を没落させた。狂っているとしか思えない。

 

多選禁止の条令を

 そういう異常事態を想定して、大垣市の市長選挙の多選禁止の条令を作るべきだ。

 神仏は、天網恢恢疎にして漏らさずの世界である。我々は、小川敏の愚行を他山の石として、観るしかない。小川敏のような大垣史上最低の市長がいるから、他の立派な市長が映える。その愚行を、反面教師として自分と大垣市の糧にすればよいのだ。

 

人は何のために生きるのか、死ぬのか

 どんな生物でも、自分の種族の防御と種の保存がDNAに刻まれた本能である。人生の残り時間が明確になると、利己のためよりも種族のために生きるのが霊長類である。金を残すよりも、子孫、種族のために何が出来るかを模索して生きるのだ。大垣市長として、大垣のために、大垣に子供たちのために命を捧げるのがリーダである。小川敏にその覚悟があるとは、過去の言動から見て、とても思えない。

 ギネス水饅頭を食い漁る小川敏は、爬虫類の脳に支配されているとしか思えない。大垣市民として悲しいことだ。小川敏は、知識偏重の日本の教育システムが生んだ怪物の象徴である。50年前のペーパーテストの結果だけで、大垣と日本の未来が左右されるのだ。これが現代日本が閉塞状態になっている根本原因である。大垣市の不幸、日本の悲惨である。

Photo     3つの脳

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 馬場恵峰書

 

2019-11-15 久志能幾研究所通信 No.1399  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月12日 (火)

吾は権現様・佛様である

 「吾」とは神のお告げの意味と神具で使う器具の象形からなる文字で、「われ」を意味する。吾の「口」とは神のおつげの意味。音符の「五」は、棒を交差させて組み立てる器具の象形である。神のおつげを汚れから守るための器具のさまから、「ふせぐ」の意を表す。そのさまを借りて、「われ」の意味を表す。漢字を創った古代人は、人間には佛性があることを知っていた。

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図1 「吾」の象形文字

 

佛様は己の内に存在

 修証義に曰く「佛祖の往昔は吾等なり、吾等が当来は佛祖ならん(釈尊および歴代の祖師のその昔は我々であった。我々の将来は祖師である)」。佛はどこにもいない。己の内に存在すると道元禅師は言う。己の内なる佛の声は聞こえるが、それに耳を塞ぎ、欲に負けて、やってはいけないことを犯し、食べすぎ、飲みすぎ、集めすぎ、貯めすぎの強欲に走る人間の弱さから来る業を、罪という。「足る知る」を理解しながら、それが自制出来ない弱さの鬼性と、神の御告げに耳を傾ける佛性の両方を持つのが人間である。

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権現様とは

 己が市長なら、その身は大垣市の「権現」でもある。権現とは、佛菩薩が衆生を救うために仮の姿をとって現れるさまを言う佛語である。市長が佛の代理の権現様として、市民のために口でいくら立派な訓語を垂れても、その後姿に綻びがあると、化けの皮が剝がれる。市民は小川敏の後姿にきつねの尻尾を見る。知らぬは市長ばかりなり。小川敏が、佛様より預かった大事な大垣市を市長権限でめちゃめちゃにした結果、大垣市は衰退した。全ては小川敏の強欲の結果である。市民は騙せても、100歳になった大垣市の氏神様は、その履歴を知っていて、限度を超えると反乱を起こす。それが衰退という現象である。

 

非常事態から目を背ける市長

 己の佛性に目覚めない限り、いくら高いカネを払ってIT化、ロボット化を、行政改革、新市庁舎建設に金を継ぎこんでも、猫に小判である。

 小川敏が、日本の最高学府を出たと誇っても、目の前の事態に対処できなければ、無能なのだ。それは40年前に単なる知識を得ただけなのだ。それは陳腐化した。志があり、大垣を良くしたいなら、然るべき行動がとれるはず。市長の小川敏は、目の前の衰退という異常事態になす術が取れず、ギネス水饅頭の共食いの宴に酔い痴れた。大垣市制100執念忌念行事に執着して市民税3億5千万円金を浪費した。日頃の節約の大号令と相反する言動だが、本人は痴呆症なのか、それに気が付かない。

 

市長の小川敏の後姿から尻尾が見える

 2001年、前市長の小倉満氏が現役で亡くなられた。その後を小川敏が市長を引き継いだ。しかしいくら高学歴を誇っても、志がなければ、大垣市の経営はできない。

 それから18年が経って、大垣市は没落した。大垣市の経済状態と小川敏の経営能力を的確に表す地価は、18年間連続で下落の一途である。結果として市長就任当時から50.2%も地価が暴落した。大垣市の顔である大垣駅前商店街の81%が閉店した。小川敏があらぬ力を投入したので、大垣市役所の給与は県下一の高さになり、その働きぶりは県下最低となった。その財源を児童生徒の教育費から強奪し、大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低となった。そのあおりで、昨年の猛暑の時、大垣市の小中学校のエアコン設備率は2.1%で、県下最低レベルの現状が露見した。岐阜県の他市は、ほとんど100%のエアコン設備率である。この有様は市民として恥ずかしい。

 市長の小川敏は、いくら高尚な行政方針やIT化、ロボット化を唱えても、それは線香花火のような泡沫事業ばかりである。大威張りで始めた「大垣中心市街地活性化計画」は大失敗であった。活性化計画を実施したら、大垣駅前商店街の20%の店がシャッターを下ろした。小川敏はそれに口をつぐむ。

 

紺屋の白袴

 小川敏は、東大法学部を出たのに法律の基礎を知らない。知らないのならまだしも、守らない。行政の長なのに、経営のケの字も知らない。市の経営に経済知識が必用なのに、経済音痴である。知識はあっても、智慧がない。恥を知らない。ギネス水饅頭の共食いで、どれだけ大垣が笑いものになったかを認識できない。組織の長なのに、人の心が読めない。

 小川敏が大垣市理念を唱えても、現実の行政政策が愚劣だから、大垣市の経営が出来るはずがない。市民が市長の後姿を見て、「あんたの放漫行政経営のため大垣駅前商店街が崩壊した。それの総責任者のあんたに、そんなことは言われたくない」が本音である。

 誰のお陰で大垣市の今日があると思うのか。その小川敏の感謝の念の希薄さが、大垣市衰退の最大原因である。

 

基礎工事の杜撰さ

 小川敏のイケイケドンドンの大垣行政から市長の尻尾が透けて見える。己を支える基盤(体、市職員、市民、社会)への感謝の念が薄く、生かされていることへの認識が薄い。前のめりで高尚な言葉を列挙するが、足元が固まっていないと、土台から崩れてしまうのではと危惧している。事件が起こると基礎工事の手抜きや白蟻に侵されたような惨状が露見する。2017年11月4日のドローン墜落人身事故はその基礎がないため、起きた必然の事故である。

 

蟻塚

 人は山には躓かないが、小さな蟻塚に躓く。佛様は全てを閻魔帳に記載して、大垣市の病気を通して閻魔帳の中間報告をされる。多くの人が佛の御心も知らず、地獄への近道へ足を向ける。人生曼荼羅には全てが描かれている。人生経営での学びである。ご縁の貸借対照表に人生の歩みが表われる。縁の残高が少ない政治屋が人生で躓く。

2p1030050s   図2 白蟻に食われた柱

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   図3 脚下照顧  馬場恵峰書

 

2019-11-12   久志能幾研究所 No.1396 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

 

2019年11月 9日 (土)

53年後の浦島太郎物語と閻魔様物語

善男善女の仏様の集会 中学の同窓会

 2019年11月9日の今日、53年ぶりの中学校の卒業同窓会をあり、参加した。どの顔を見てもその面影がなく、「貴方はどなたでしたっけ?」ばかりである。3年前にも同窓会があり、皆と会っているのだが、私に認知症の気があるのか、全く3年前の記憶がない。情けない思いである。

 これは浦島太郎と竜宮城お姫様の53年後の出会いである。善男善女の出会いである。中学卒業後、53年後に玉手箱を空けたら、皆同時に歳をとり、よきジジババになって再会したのだ。

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4無し同窓会

 今回の同窓会は、K幹事が、「カラオケなし、出し物なし、恩師出席なし、二次会なし」を強固に主張してくれて、拘った4無しの同窓会にしてくれた。恩師を呼ばなかったのは、恩師が出ると、どうしても気を使わないといけないので、会話がぎこちなくなるとの判断であった。ただただ皆でお喋りを3時間するという方針で、実に気持ちのよい同窓会であった。いままで参加した同窓会、ОB会とは格段に差のある同窓会になった。

企画の大切さ

 何ごとも計画、志、目的でそのプロジェクトの全てが決まる。今までは、幹事が皆さんに喜んでもらおうと、色んな企画をするのだが、それは自己満足で終わっている。実際に顧客の立場で考えたら、その反対のことをしている場合が多い。

 学校の丸暗記の試験だけはできた市長の小川敏の都市行政で、大垣は没落した。自己満足の計画であった。知識はあっても、智慧がないための結果である。計画、企画には知恵が必要なのだ。

 自分は何のためにそのプロジェクトの企画をしているか、顧客の立場で考えているのかを自省すべきである。

 同窓会なら、数十年ぶりに会った仲間なのだから、じっくりとお喋りをしたい。それを下手な聞きたくもない他人のカラオケの大声で、仲間との会話が邪魔されるのは本末転倒なのだ。カラオケを歌って自己満足している輩のレベルが低いのだ。イベントの出し物に引き込まれるのは、昔の仲間との会話に身が入っていないのだ。

幼馴染の記憶 

 I君は、私といつも模型屋に行ったというが、私の記憶が全くない。後で思い出したことは、中学校ではなく、小学校での幼馴染であった。当時、父の会社の廃止されたプールのコンクリート壁で、一緒に戦争ごっこをしたことを思い出した。

 今、写真をやっている女性と写真づくりの話題で意気投合して、楽しい時間を過ごせた。

 

生涯現役の教え

ほどんどの人が現役引退で、仕事を継続している仲間は少なかった。その中でも、子供、病気、盆栽、姑の悪口、等の話しがなかったのは良かった。

 私の所属したクラス仲間は、11名が参加して10クラス中で最大の参加者数であったが、亡くなられた仲間が9名もいて、それも最大の数となった。実に2割が亡くなっている。仏様に生かされている幸せを感じた。

 私は93歳の馬場恵峰先生の後姿を追い続けて、生涯現役を目指してきた甲斐があった。色々と皆と話し合って比較してみると、私の行動力が飛びぬけていた。良き師を目標に持つことは、長生きの秘訣である。長生きしても体が動き、現役でないと、意味がない。

 

市長の批判

 余談で、小川敏市長の批判がでると、大盛り上がりである。小川敏市長の政策が間違っている証明である。同級生のみんなが同じ感想を持っていることが確認できたのは、収穫であった。これは今回の同窓会のおまけの話しである。

 

閻魔様の代理

 72人の仏様が、今まで生きてきた己の生きざまが正しかったかどうかを教えてくれた。正しくはなかったかもしれないが、間違った生き方ではなかったことだけは分かった。それだけでも大収穫である。

 今年、私は癌が発見されて手術をしたが、死なずに生還できた。皆と会えた。こんな僥倖はない。感謝である。人生の折り返しで、同窓生の仲間が閻魔様の代理で、その審判をしてくれた。

 同学年の450名中、参加者は72名。生きていて、参加したくとも参加できない人もいる。病気で参加できない人もいる。諸般の事情で参加できない人もいる。閻魔様が、参加を許してくれなかったのだ。それを参加できた幸せを感じるべきだろう。同窓会のご縁がきても、参加の意思と閻魔様の許可がないと参加はできないのだ。ここでの再確認は、健康でご縁がなければ、同窓会に参加もできないこと。人生の基本的なルールである。

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 馬場恵峰書

 

2019-11-09 久志能幾研究所通信 No.1393  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月 8日 (金)

終活 御本尊の佛事異動

 2019年11月6日、大切に保管していた前の御本尊の仏像を、松本工房に預けた。来年2月にお炊き上げして頂く。2015年、仏壇に納めていた仏像の御本尊様を、今の明慶先生作の御本尊の仏像に変えた時、そのままお炊きあげもどうか思ったが、2015年まで当家を20年間守っていただいた仏様なので、押し入れの奥にしまっておいた。

 今回、私が大病を患い、今後のことを考え、前の御本尊様をお炊き上げにしていただくことにした。何時までも、そのままというわけにもいかない。生あるもの何時かは滅する。それがこの世の掟である。私の死後、御本尊様が不敬に取り扱われるのも本意ではない。これは、その前にやるべき終活の一つである。明慶先生作の御本尊は菩提寺に納佛するように遺言書を作成した。

 

新旧比較

 今回、松本工房に預けるため、しまってあった前の御本尊と明慶先生作の新しい仏像(釈迦如来像)を再度比較する機会を得た。前の仏像は、母が亡くなり、父が仏壇を買ったときに同時に購入した。父はかなりお金を出したと言うが、今回、2つの比較をすると、明慶先生作の仏像と格段の差があることを(当たり前を)再確認した。値段が1桁違うはずなので、やはり安いモノにはワケがある。高いモノにもワケがある。

 仏壇に納める御本尊の仏像は、通常は2mくらいの距離から、また暗い仏壇の中に鎮座する御本尊様だから、その詳細をじっくりとは眺めていないものだ。今回、写真に撮りじっくりと眺めてその詳細が判明した。

 

旧の仏像は

 お顔に締まりがない。

 目の彩色も緻密さがない。

 材質は不明である。金の塗装であるので生地の部分が分からない。

 本体の下にホゾがなく、台座に接着されている。

 光背の作りが貧弱

 台座の模様細工も貧弱

 光背の取り付けも簡単なはめ込み構造。

 華盤の化粧なし。

 台座の彫刻が荒い。黒塗装で胡麻化している。

 

明慶先生の仏像は

 お顔も威厳がある。

 岩田明彩師による目入れは、前とは比較できないくらい緻密。 

 材質は白檀製で塗装なし。

 本体の下にはホゾで固定されている。 

 光背の細工が緻密。透かし彫りである。

 光背は台座に凹部を彫り、そこに差し込まれる構造。

 光背も白檀製。だから緻密な細工が出来る。

 華盤の化粧つき

 台座の彫刻が緻密。台座も白檀製である。

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 松本明慶大仏師作 釈迦如来像 白檀 2015年

 御精魂の入魂儀式前のお姿

 

内なる御本尊

 自分の中には御本尊様なる主人公が存在する。その主人公が我儘な己と相談しながら、表の行動を支配している。その主人公とは、別名で潜在意識といい、人の行動の9割を支配している。人の行動に現れるのは、氷山の一角なのだ。そのご本尊様の品格が、己の行動に出る。そのもう一人の御本尊様の人格を上げないと、人格が高まらない。内なる御本尊の「人格」を磨くのは人である。最高の人格は最高の人格でしか磨けない。低い人格の人で磨かれた人は、それ相応の低いレベルである。だからこそ己を磨いてくれる師は、選ばなければならない。

 その師が身近にいなければ、他山の石から学べばよい。人は人から学ぶ。「俺には関係ない」と縁を取りに行かないから、人格が磨かれない。興味があれば、東京でも九州でも、ローマでもウィーンにでも飛ぶべきだ。私はそうしている。己は内なる御本尊様を左遷という人事異動(佛事異動)させていないか、反省したい。

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 馬場恵峰書

 

追記

 昨日、2019年11月7日は、東京で正倉院展を見学、その後、プレジデント社の経営塾に参加した。その後、懇親会もあり、病み上がりの身にはハードスケジュールで、結果として体調も崩し深夜に帰宅したので、ブログをお休みしました。恐縮です。

2019-11-07 久志能幾研究所通信 No.1392  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月 6日 (水)

狂った小川敏市政、癌を育成

 南雲吉則先生の講座「命の食事」で、癌の原因として「狂った食事、狂った生活」が解説された。人間の組織も行政・企業の組織も病気になる原因は同じである。そこから小川敏市政に照らすと、その異常さに考えが及んだ。

 

狂った小川敏行政

 口先だけのIT化

  費用対効果を絶対に口にしない。

  どれだけ費用がかかるかを公開しない。

  岐阜新聞、中日新聞を「利用」して過剰な広報。

  それは事前選挙活動もどき。

 口先だけの教育重視

  児童生徒一人当たりの教育費が県下最低

 騙しの都市再開発

 失敗が明白な「大垣中心市街地活性化計画」のごり押し

  活性化計画を実施したら、逆に20%のお店が閉店した。

 売名行為優先の行政行事

 電灯一つ交換できないのにIT化なんて、愚劣

  大垣市の顔の駅前商店街周りがゴミだらけ。何が新市庁舎なのだ

 庶民の街は衰退しても、市長舎の御殿は建つ。

 基本的な行政業務が旧態依然たるやり方でIT化、ロボット化などお笑い

 

行政業務を知らない素人がソフト開発

 市長の小川敏は業務のIT化、ロボット化を謳うが、元のやり方が出鱈目なので、そのままIT化しても逆効果である。まず現状のやり方を見直さないと効果は出ない。

 まるで会計を知らないド素人のソフト屋が、会計ソフトを作って、使い物にならないものが出来上がったが、その販売は止めない如き。それで赤字がどんどん増えていく如き。それで大垣は没落した。

 今、進行中の大垣市行政のIT化は、行政業務を知らないド素人のソフト屋が作るので、使ものにならないものが出来上がる。業者だけが儲かり、裏金が動くだけである。

 減気ハツラツ市のやり方を見ていると、小川市政は一度始めたやり方は、決して見直さない、変えない。こんな姿勢なら、企業は倒産である。

 

「狂った食事」(南雲吉則先生の表現)

 癌になるのは、癌が喜ぶ「狂った食事」と「狂った生活」をしてきたからだ。それを小川敏悪政に重ねると、真実が分かる。

 

狂った食事とは、

  精製した糖質の食事

  悪い油を使った食事

  塩分過多の食材

  化学調味料を使った食事

 

  →大垣行政は、狂った政治のやりすぎ

   偏向した計画で、大垣市商業を衰退させた。

   大垣を没落させた。

   業者に「美味しい利権餌」は、止められない、止まらない

 

狂った生活とは、

  タバコ、酒、ストレス過大の生活

  不規則な生活、運動不足

 

  → 業者が喜ぶ利権ばかりの行事を嗜好する。

    気まぐれの行事の氾濫

    会計報告のマル秘扱い

 

ガンの遠因は太り過ぎ

 

→ 大垣行政は無駄な金をばらまき、利権を貪る金満体質。

  行政の過剰な栄養素(利権)が汚職の元

  人間の癌が甘い糖分が好きなように、行政の癌組織も甘い汁が好きなのだ。

 

 癌の長期の治療費は膨大になる。私も場合でも直接医療費だけでも既に数百万円である。その分、癌マフィが儲かる。現代医学は、医療処置はしても、治療はしない。癌にならない指導もしない。それでは病院が儲からないからだ。

 小川敏が18年間も無能政治をしても、5期も市長をやると退職金は2億5千万円(一期で退職金3千万円+付随手当2千万円)になる。乞食と政治家は、一期やるとやめられない、止まらない。美味しいのだ。大垣を没落させた張本人だけが極楽の思いをしている。小川敏は市民税を人の金だと思って、やりたい放題である。天はそんな理不尽を許さないだろう。天網恢恢疎にして漏らさず。

264k8a11051s  馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

 

2019-11-06 久志能幾研究所通信 No.1391  小田泰仙

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2019年11月 4日 (月)

手術後、18kgの激やせ、脱皮

 今年の2月に手術をしてから8か月間で、約18kgの激やせである。腹囲は17cm減である。いわば今まで18kgの石油缶か18キロのセメント袋を担いで生きてきたのだ。それが無くなって身軽にはなった。ただ今は体力も同時に無くなったので、歩くのも辛く、まだ体はだるい。体力が付けば、身軽になって良いことだろう。

 

脱皮

 スーツやズボンが着用できなくなる肥満を「脱皮」という。2019年10月31日、伊勢神宮に参拝するため8か月ぶりにスーツを着たら、ズボンがだぶだぶで、愕然とした。これでスーツが総て駄目になった。これは逆の「脱皮」である。しかし正の脱皮よりも、健康にははるかによい。今までが、不健康であったのだ。

 肥満はガンの最大原因である。ご用心、ご用心。要は、今まで食品企業が、手を変え品を変え、食品、菓子を売っていた誘惑に負けていたのだ。テレビのコマーシャルは食品ばかりである。つまり美味しいものに目がくらみ、自制心を無くして食べ過ぎたのだ。

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  腹囲は17cm減

 

 人は他の命を食べていかないと生きていけない。しかし食べ過ぎると肥満になる。つまり他の命を余計に殺して生きてきたのだ。病気になったのは、他の命を粗末にし過ぎた罰なのだ。そして天罰が当たって、病気になったのだ。

 食べ足りなくて病気になった人は少ないが、食べ過ぎて病気になる人は多い。

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  馬場恵峰書

 

共生(きょうせい)

 小賢しい人間は、天災が起きると、自然との「共生(きょうせい)」が大事というが、大きな存在の自然現象は、小さな人間のことなど構っていない。自然は、時として人間を無視して猛威を振う。最近頻繁に起きる堤防の決壊、漏水事故を100年に一度だという。人間社会で2000年の歴史の中、地球の40億年の歴史の中の100年など小さな時間である。それを「100年に一度の大災害、自然と共生」と己の対策の不手際を言い訳にするのは、役人の傲慢さである。

 

共生(ともいき)

 「共生(きょうせい)」というのは、人間が一方的に思う驕りである。仏教用語で「共生」とは「ともいき」という。自然も人間も宇宙の一部として、共に生きている。人間は小さな存在だ。自然の片隅で小さく生かされている存在である。その現実を忘れ、自然を征服したとか、他の命を豊漁だ、大食い競争だ、グルメ大会だ、と食欲に任せて貪るから、天罰が当る。病気は、自分の生き方を見直せとの仏様からのメッセージである。天災は、人間の無力さを思い知る機会である。

 愚かな人間は、自分が18キロ缶を腹に抱えていることに気が付かない。現在、日本では30%の男性、20%の女性が肥満である。それが癌の要因である。

 

2019-11-04 久志能幾研究所通信 No.1389  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。