c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2021年9月20日 (月)

堪忍袋の緒を切り、「うるせい、この糞ばばあ」と怒鳴りつけ

 

 先日の日曜日、町内の公園の草取り行事があった。それに私が参加中に、83歳の老婆が寄ってきて、「おい、電灯保全係! あそこの街灯が切れている」とその老婆が私に命令調に指示したので、それを無視した。そうしたら、「あんた耳が遠いのかね」と言う。それで表題にように怒鳴り返した。

 堪忍袋の緒が切れたのではない。意志を持って切ったのだ。堪忍袋には無価珍という計り知れないお宝の知恵が入っている。それを放出するため、私は堪忍袋の緒を切り、「うるせい、この糞ばばあ」と怒鳴り付けた。

  何故か、その後が爽快な気分なのだ。何故、もっと早くこの叱りつけをしなかったのかと、反省までした。言うべきことを言わないと、相手は何時まで経っても愚人のままである。それは世のために良くない。その間、その洟垂れ婆が、害毒を社会に流しているのだ。住民の皆が迷惑をするのだ。上司としてド叱るのは義務である。

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老婆がボスとして君臨

 モノには言い方がある。頼み方がある。古希を超えた長に言うべき話し方ではない。それで、言い返した。そのくらいしないと人品卑しい老婆は目が覚めない。多分、それでも目が覚めないだろう。今まで町内老人会のボスとして君臨しているので、逆らう町内住民は誰もいないのだ。

 

 うちの町内には人品卑しい老婆が権勢を奮っている。私がこの町内に移住して、1年程、私が毎朝、出会って挨拶をしても、その老婆から全く無視をされ、挨拶の返しなどなかった。1年程、我慢したが、それ以来、私もその老婆を無視した。

 この老婆は、町内のボスとして老人会を取り仕切っている。私から見て、どうしようもない人間である。

 

自治会の公金

 町内自治会の公金さえ、自分達の町内老人会で使い放題である。会計報告もデタラメである。コロナ禍で行事が無くなり、金が余ったからと、「厚生費」という名目にして、めだたないようにして、老人会の全員に品物を配った。姑息なやり方である。予算内で金を使うのだから非難はされないが、守るべき道義からは外れている。その行動が常識という範囲から外れるから、異様に見える。

 町内の他の子供会、運動部会等は、コロナ禍で行事や会合が出来ず、お金が余ったからと自治会に返金している。それに比較すると、町内老人会の下劣さが目立つ。それでは子供会等に示しが付かないだろう。その指示をしたのがそのボス老婆である。その件もあり、私は腹に一物を持っていた。

 

老害

 このボス老婆は83にもなり、体が不自由になったのに、ボスの座を手放ささない。醜態である。やはりボスとは利権があるようだ。政治の政界でも同じだし、老人会の世界も娑婆の縮図のようだ。65歳以上は15%が認知症である。75以上は25%が認知症である。行動を見ると認知症まがいである。そんなボスに町内の老人たちは唯唯諾諾である。情けない。

 

老人が尊敬されるワケ

 昔は、老人は尊敬された。それは人数も少なく、仁徳あふれた人が多かったのだ。昔は、人品卑しい老人は、健康管理ができず、早死にしていた。ところが現在は、医療が進んで、どうしようもない下劣老人までもが生き永らえて、その数が溢れている。社会問題である。観察していると、その家の子供もその悪影響を受けているようだ。社会の大問題である。

 

敬老の日

 長く生きたからと言って、それが尊敬に値するわけではない。長く航海した船長は尊敬されるが、出航した後、嵐に襲われて湾の中で長く波に翻弄されても、長い航海をしたとはいえまい。狭い世界で権限を振るっても経験豊かとはいえないと同じである。

 9月20日は敬老の日であるが、現在の日本で敬老に値する人は少ない。新聞紙上では、老人の犯罪、痴行が連日報道されている。

 先日は勲章までもらっていた90歳の飯塚被告が、池袋でアクセルとブレーキを踏み間違えて暴走死傷事故を起こした。その非をトヨタ車の故障だと言って、自分の罪と認めない醜態を演じたばかりである。

 昔はそんなことはなかった。どんな社会でも2・6・2の比率で人が存在する。敬老に値する人格者は2割だけである。下の2割に相当する下劣な老婆が長寿会でボスになると、その会は悲惨である。他の老人たちは人格者だから、何も言わない。ボスのやりたい放題である。

 

対処

 老いたら、愚かな老人を他山の石として、自分の行動を省みたい。

 狂った老人は、社会の常識が認知できないのだから、幼児と同じである。怒鳴りつけて教えるしかない。情けない時代になったものだ。

 老人の認知症問題は、世界一の老人大国・日本の大きな課題である。

 

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  馬場恵峰書

2021-09-20   久志能幾研究所通信 2155  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月18日 (土)

福禄寿の法(7)人生の勝利は長生きにあり

 

 人生の成功は福禄寿である。幸福になり、財を作り、長生きして、世の中に多く貢献するのが、人生の勝利である。人に喜ばれて、ありがとうと言われる布施の積善こそが人生の勝利である。それが福であり、人徳の蓄積である。積善の家には必ず余慶あり。

 

守銭奴

 それが人から恨まれて集めた金では、ありがたみがない。だから、金を沢山集めたのが人生の勝利ではない。隣国の総帥のように4兆円の財産を作っても、使う段になってから6年間も植物人間のままで人生を終わるのでは、福禄寿ではない。そのうえ死後に遺族の兄弟間で裁判沙汰の財産争いを作るようでは、醜態である。

 

過当競争社会

 また総帥は己の企業を成長させるため、苛烈なる格差社会と競争社会を造り出した。多くの技術を日本人技術者から秘守義務違反で強欲に吸い取り、その技術者を使い捨てにした。そんな負の手段で得た禄では、ロクでもない。

 

経世済民

 そもそも金を稼ぐ体制の「経済」とは仏語で、「経世済民」の略である。「経」とは、全ての人を助ける真理を束ねた紐のことである。「済」とは「救う」「助ける」という意味である。広く高くその真理を広めて、充実して民を助けていくとやり方を「経済」と言う。その点で、隣国の財閥企業がグローバル経済主義を極めて業界の頂点として君臨し繁栄したが、福禄寿からは程遠い境遇である。

 

命を削る

 福禄寿のためには長生きせねばならぬ。しかし苛烈なグローバル経済競争で命を削って金儲けに成功しても、短命になってしまう。隣国の自殺率は、OECD加盟国中で1位ある。自国の企業が世界一の企業になったことを誇っても、なにかおかしい。本末転倒の異常さである。

 親から頂いた寿命を全うできないのでは、「寿」と言えない。親から頂いた命を粗末にしては、寿は全うできない。死んでもいいから健康管理である。寿が無ければ、福も禄も成立しない。

 

石垣島旅行の挫折

 このコロナ禍のおり、友人の石垣島旅行の話題を思い出し、気分転換で石垣島に旅行する計画を思いついた。しかし、いざ予約をしようとして、自分の体力の低下が著しいことに気が付いた。それでこの計画を諦めた。現地について、体力不足で歩き回れなくては、行く意味がない。体力が無ければ、何もできないことを思い知らされた。

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 馬場恵峰書

2021-09-18   久志能幾研究所通信 2153  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月15日 (水)

白衣観音、オニの明慶師を笑顔に変える

 

 大仏師松本明慶先生は、仕事のオニ(魂)である。オニとは「鬼」が「云う」と書いて「オニ(魂)」である。私はこの10年間、全国のデパートで開催される松本明慶仏像彫刻展に、追っかけで走り回っている。その折、いつも松本明慶先生とツーショットの写真を撮らせてもらっていた。

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 オニ(魂)  松本明慶大仏師作

 

明慶先生の変身

 松本明慶先生は、当世の仏師の第一人者として、いつも威厳ある趣の顔でツーショットであった。しかし今回、名古屋・名鉄百貨店で開催された松本明慶仏像彫刻展(9月8日~13日)では、すこし勝手が違った。

 私とツーショットを撮る前、先生は婦人たちとの記念写真で、明慶先生はご婦人たちに「もっと笑って、笑って」と言って一緒に笑顔で写真に納まっていた。

 次に私とのツーショット時も、「小田さん、もっと笑って、笑って」である。この10年間で、こんなことは初めてである。私もいつもの真面目くさった顔を、今回は少し緩めて笑顔で写真に納まった。周りのお弟子さんたちも、明慶先生と私の笑顔をみて、素敵な顔ですねと世辞?を言う。

 

白衣観音のご指導

 聞けば、先生の白衣観音様(奥様・華明さん)から、「人生の後半になったのだから、もっと笑顔を見せて過ごすように」と、お叱りと言うか、お小言をされたようだ。今まで松本工房の統領として、40人の弟子の前では厳しい指導をするため、笑顔が少なく、顔つきも厳しくなっていたようだ。しかし、いま仏師として日本一の名声も得たし、後継者も成長したし、全国各地に大仏も数多く建立したし、高野山中門に四天王の納佛という大仕事もできた。それで華明さんが、明慶さんの行動を見かねて笑顔に関する助言されたようだ。

 

笑顔の力

 笑顔でいれば自然と仏様から愛される存在となる。笑顔で顔の筋肉を鍛えれば、幸運をつかむ力なる。笑顔は「顔施」といって、七布施の一つである。それで運命がよくなる。

 人は幸せだから笑うのではない。笑うから幸せになれるのだ。

 明慶さんの仏像の素晴らしさを見て、笑顔になれば幸せである。仏像を見て笑顔にならなければ、その出来が悪いというようなものだ。

 人は、人に恵むことで初めて救われる。幸せは、人から奪うことでは達成できない。お釈迦様は、托鉢でまわるなら、貧しい人の所に行きなさいと言われる。貧しいからこそ、ほんの少しでも人に恵むことで幸せになれる。それが顔施である。それが出来ないようでは、人生の成功はあり得ない。

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  馬場恵峰書

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私の顔😐  2011年9月13日 名鉄百貨店で

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私の顔😐  ‎2017‎年‎1‎月‎11‎日  富山の名鉄百貨店で

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私の顔😊 2021年9月13日 名鉄百貨店で

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 馬場恵峰書

2021-09-15   久志能幾研究所通信 2150  小田泰仙

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2021年9月13日 (月)

癌は佛様の化身。 佛様と出会い、生まれ変わる(2/2)

がんは佛さまの化身

 私はがんになって、船戸先生の指導でリボーン(生まれ変わり)ができた。がんに感謝である。リボーンせずそのままの狂った生活を続けていれば、別の病気で早死にしていただろう。

 がんは仏さまの化身である。仏様はがんに正しく向き合えと言っている。がんを患い、治療と再発防止を真剣に考えるとは、真剣に自分の生き方に向き合うことだ。自分に祈ることだ。病気を治すために自分に課した戒律を自分に百万遍誓うことだ。その誓いを守れないようでは、仏さまも味方になってくれまい。

 自分の戒律として、良眠生活、良食生活、加温生活、運動生活、微笑生活を誓っている。健康でなければ、何もできない。

 

戒律ある生活

 文殊菩薩は、宝刀で俗世間の煩悩を断ち切り、宝玉に詰まった知恵を授ける。多くの医師の知恵を借り(文殊の知恵)、その智慧を賢く選択して治療にあたる(普賢菩薩)。世の中の智慧は玉石混交である。自分の見識で一番正しい道を選ぶ事が、自分のまつりごと(御政道)である。

 真の宝物とは智慧である。我々が正しく生きるためには、「苦」が必要なのだ。人は必ず生老病死苦である。与えられた「苦」を昇華するためは、変わらなければならぬ。仏様は変えろと言われる。この世の全ては無常である。全てが無常であることは、「全ては変わる」、「全ては変えられる」。だから必然の変化(生老病死苦)に合わせて自分を変えればよい。それが仏様の教えである。

 自分を変えられない人は、時間が止まった状態である。それは死の世界。そういう人は、世を恨んで死んでいく。そんな人生を送ってはならない。

 

寂滅

 生は偶然で、死は必然である。ご縁も同じで出合いは偶然で、別れは必然である。我々は必ず死ぬ体を抱えて生きている。生とご縁を大事に労わりたい。生かされている以上は、人として志を高く掲げて、少しでも長生きして、少しでも多くの貢献を世に残したい。生かされた命を無為に生きてはならない。お釈迦様は死ぬ時に、あの世が有るとも無いとも言われなかった。だだ「精進せよ」とだけ言われて寂滅された。

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 虚空蔵菩薩 松本明慶大仏師作

Dsc065732s 文殊菩薩 松本明慶大仏師作

Dsc065662s 普賢菩薩 松本明慶大仏師作

Sjpg 馬場恵峰書

2021-09-13  久志能幾研究所通信 2149  小田泰仙

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2021年9月12日 (日)

癌は佛様の化身。 佛様と出会い、生まれ変わる(1/2)

 

 私は3年前にがんをわずらい、手術、その後の治療で生死をさ迷った。その経過を今にして振り返ると、がんは佛様の化身であったと悟った。

 私はがんの手術後、がんセンターでの標準治療(手術後の抗がん剤治療)を拒否した。今までの知識で、抗がん剤治療だけは避けたかった。それでそれに代わる再発防止策を求めて、幾つかのクリニックを探し歩いた。ネットで高濃度ビタミンC療法にたどり着き、横浜のクリニックを訪ねて診療を受けた。その治療医院は地元にもあることが分かり、船戸クリニックにたどり着いた。

 そこでの治療は、高濃度ビタミンC点滴療法、加温療法であった。ただしこれは保険がきかないので、治療費が高額であった。そんなことは言っていられず、治療を受けた。

 私がかかった医師の中で、がんを自身で経験している医師はこの船戸崇史先生だけであった。それゆえに患者の身になって診察をしてくれた。

 

 その船戸崇史先生が『がんが消えていく生き方』(株式会社ユサブル刊 2020年 1400円)を出版された。その本を読んで、今まで私が各種の本を読んで納得し、実行している解答が集約してあった。これは良い本だ。その内容を下記に記す。

 

『がんが消えていく生き方』の要点

 外科医ががん発症から13年たって初めて書ける克服法

 死と向き合って私が学んだ大事なこと

 

 がんにならないためには、良眠生活、良食生活、加温生活、運動生活、微笑生活を送る、である。がんになる、治らないのは、その人の生き方(生活習慣)が邪魔しているだけ。それは南雲吉則先生の指導の「狂った食生活、狂った生活習慣をやめる」とほぼ同じ対策であった。

 

 がんになるとは、「今までの生き方が間違っていた」とがんが教えてくれた。現代の日本のがん医療機関では、がんの医療処置はするが、治してはくれない。治すの自分自身である。一般のがん医療では、がん部を切除して、再発防止として抗がん剤か放射線治療を施す。抗がん剤も放射線もがん細胞を攻撃するが、同時に正常な細胞も攻撃する。それは対処療法でもある。医師は真因を見つけてその対策をしてくれるわけではない。

 本当のがん対策は、がんにならない生き方に立ち返る事だ。生まれ変わって、がんにかからない正常な人間生活を送る人間になることだ。

 がんは貴方に「死ね」とは言っていない。がんは貴方に「命には限りがある」と教えてくれた。がんは「今のままの生活では、近いうちに死ぬよ」と教えてくれた。

 がんだって親元(?)が死ねば、がんも共に死なねばならぬ。がんは自分の正常な細胞が、必要に応じて異常に変化しただけである。その「必要」とは、狂った生活を元に戻すための警告である。

 それを「ガン部は手術で取り除いたので、後は今まで通りの生活でよい」と指導するのは間違いである。生まれ変わった気で、生き方を変えなければ、がんは再発する。がんになった原因をそのままにすれば、がんが再発して当然である。

 

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2021-09-12   久志能幾研究所通信 2148  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月10日 (金)

感染方程式とコロナ対策 お頭付き魚を多く食べる

 

 私はがんを患い、その原因を調査して、再発防止として下記の再発防止策を実行している。基本は免疫力の向上である。免疫力とは体力である。それこそが新型コロナ対策である。 

 

感染のメカニズム(私の推測)

〔新型コロナ感染攻撃力〕=〔単位空間中の新型コロナ菌の総数〕×〔接触時間〕÷(〔感染者との距離〕×〔感染者との距離〕

  A=V×T÷(r×r)

 これは熱量や放射線等の伝達式と同じである。コロナ感染も自然界の現象である。だから私は物理の式で表現できると考えた。

 新型コロナは、基本的に空気感染である。感染者と接触しても、この新型コロナ感染攻撃力に対して、自己の免疫力が閾値以上であれば感染しない。体内の免疫力がこの感染力攻撃以上であればよい。

 〔新型コロナ感染攻撃力〕は、漂う菌の総数に比例し、感染者との接触時間に比例する。そして感染者からの距離に反比例する。

 いくら〔新型コロナ感染攻撃力〕が弱くても、自分の免疫力がその閾値を超えれば、感染する。

 

新型コロナ菌の目的

 新型コロナ菌の活動も、感染者を殺すのが目的ではない。寄生して繁殖することが目的である。寄生先を殺しては、元も子もない。しかしそのコロナ菌が一時に大量に体内に入ってくると、自己免疫機能が働きすぎて、免疫細胞が暴走して、その戦った免疫細胞の死骸で血管が詰まり、死に至る。原子炉内の核の暴走と同じである。静かに燃えれば、原子力発電所として正常に機能する。

 だからその暴走が起きないように、静かに免疫機能が働くようにすればよい。制御された状態で、免疫が働くように体力をつくる。それが新型コロナ菌との共存である。

 此の世の自然界で、コロナ菌がゼロになることはあり得ない。日本中をクリーンルームに出来るわけがない。それを日本政府は、(血迷って)感染者ゼロにすると対策を取るから、収拾がつかない。自然界はウイルスとの共存を求めている。宇宙根源の理に従おう。

 

感染防止 

 この〔新型コロナ菌感染攻撃力〕を弱めるには、マスク、手洗い、3密を避けるの基本を実行すればよい。それに合わせて自分の免疫力(体力)を上げる取り組みをすればよい。

 外国からミサイルが飛んできても、それを打ち落とす防衛力(免疫力)があれば、国は守られる。防衛力が弱いと、たった1発のミサイルで都市が滅亡する。新型コロナも、それと同じである。

 私はこの30年間、風邪を引いたことがない。バカは風邪をひかない。インフルエンザワクチンも打ったことがない。風邪をひく間もなく、ひたすら仕事に励んだ? それで今の私がある。

 

私の対策

朝目が覚めたら、体温を必ず計り、記録する。長年続けている習慣だ。

 体温が一度下がると、免疫力が20%下がるという。

 体温を上げる食事、生活習慣に励んでいる。

 がんは低体温を好む。結核患者は体温が高いので、がんにはならない。

 

朝晩、お風呂に10分間浸かる。

 体温を上げるためである。がんは体が低体温になると発症しやすい。

 お風呂に入った後、冷たい水を浴びる。

 皮膚に刺激を与えることで、自律神経が活発になり、自己免疫力を向上する。長年、欠かさず実行している。今はやらないと気持ちが悪い。

 

朝起きたら、白湯を一杯。コーヒではない。白湯が体に優しいのだ。

 

お頭付きサカナ(ジャコ)を毎日10グラム食べる。

 ミネラル、ビタミンD等を摂取するためである。

 食品を食べるなら頭から尻尾まで食べるとよい。

 果物も皮ごと、ミカンも皮ごとである。ビタミンDががん予防となる。

 

 人を喰うにも、頭から尻尾まで皮ごとである。表面的な付き合いしかしないから、己の人を観る目が向上しない。尻尾まで食べれば、その人間の本性が分かる。尻尾を出させるのは、餌を目の前にぶら下げればすぐわかる。

 人を喰うのが一番健康に良い。だから喰えん人間にならないために、人間観察が必要だ。そのために目鼻舌がある。良く観て、よく嗅いで、よく味わってである。

 人に喰われるから、ストレスを被る。それががんの原因。人を喰うことで、認知症も予防できる。認知症になれば、コロナ対策なんてできなくなる。それは死に直結する。

 

キウイにヨーグルトを付けて食べる。それかトマトを食べる。

 ビタミンC、ビタミンD、繊維質の摂取である。ビタミン類は錠剤ではなく、自然に摂るべきだ。

 キウイは皮ごと食べる。皮にビタミンが多く存在する。

 ジュースは飲まないこと。果実をジュースにすると、果実の細胞が破壊されて、吸収が良くなりすぎる。そのため腸内ですぐ吸収されて血糖値が急激に上がる。それが血管内部を傷つける。だから果実は生でそのまま食べる。

 過剰な糖分は血管内部を傷つける。それが認知症にもつながる。

 

具だくさんの味噌汁を赤味噌で食する。

 徳川家康は赤味噌パワーで天下を盗った。私は八丁味噌を選択している。

 ニンジン、玉ねぎ、豆腐等を沢山摂る。

 

ご飯は一食で120グラム

 食べ過ぎが病気の元

 

毎日15時間のミニ断食

 午後6時に夕食を取り、翌朝9時まで一切食べない。内臓に悠久休暇を与えよう。内臓だって疲れている。

 

1万歩を目標

 これは目標で、このコロナ禍のおり、実現がなかなか難しい。

 

死ンデレラ・ボーイとして、0時には寝る

 カボチャの馬車が来る前に寝ることを心がけている。

 これも目標。なかなかに難しいが、目指している。成長ホルモンは22時から2時の間で沢山分泌される。それが傷んだ細胞を修復させる。それで免疫酵素も修復されるはず。

 

お風呂で全身のリンパマッサージ

 皮膚は0番目の脳である。それを刺激して、自律神経の活動を修復する。

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2021-09-10   久志能幾研究所通信 2147  小田泰仙

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2021年9月 7日 (火)

福禄寿の法(4) 安物買いをせず

 

 豊かで福のある人生を送るためには、安物を買うのはご法度である。安物にはワケがある。安物には製作者の魂が籠っていない。激安品は奴隷労働で雑な作りである。激安製品は、買った本人も安いからとつい粗雑に使う。だから早く壊れて、また買わねばならぬ。安物に囲まれて生活すると、薫習として心までが貧しくなる。安物買いの銭失いである。

 

モノつくりの現場

 私は技術者として、企画、研究開発、設計、生技開発、製造、教育部門で38年間働いたから、モノづくりでの安物の意味がよくわかる。品質保証をして、安全安心な製品を造るには、相応の人モノ金が必要で、相応の価格となる。

 特に車の部品開発・製造では、そのプロセス如何で人の命に影響を及ぼすので、その品質保証は必須である。そのためにその確認試験をするテストコースも必要となる。最低100億円程の投資が必要である。それを投資しても、一銭の儲けもでない。それどころかその維持管理費で莫大な金がいる。しかしそれがないと世界の自動車部品業界で戦えない。前職の会社も規模5千人の「中小零細企業」の時は、その投資が出来なかった。自動車部品業界では、規模5千人の会社は「中小零細企業」である。私も企画部門で、テストコース建設を計画したが実現しなかった。ない袖は振れない。いわば年収400万円の生活で1000万円の金食い虫の別宅試験場を作るような状況だ。それが実現したのは、二つの会社が合併してからであった。売上高1兆円規模の会社でないと、テストコースも造れないのが自動車業界の現実である。

 

命と向き合う

 部品のコストダウンの取り組みにしても、その変更に関する設計審査、コストダウン会議を何度も行い、その度ごとに4時間も5時間も激論を戦わせることも度々である。たった一つも部品のシールの締め代を決めるにも、上下限品を作り、その耐久試験をしてからでないと採用されない。そういう泥臭い取り組みをして自動車部品2万点の部品が作られている。

 その体験から見て自動車価格は安いと思う。それぞれの正規工程を怠るとリコール問題が出て、役員の首が飛ぶ。下手をすれば業務上過失致死罪にも問われる。だから自動車部品の開発は剣なのだ。

 エアバッグの死亡事故を起こし、その原因追及を蔑ろにしたタカタが、倒産したのは当然の結果である。リコール問題で対応を誤った三菱自動車が経営を迷走させているのは、経営の基軸があやふやであるからだ。りにって、カルロス・ゴーンの傘下になるなど、狂気の沙汰であった。その後の顛末は予想されていた。

 

「真」とは

 真は、人間の体から首を刎ねた形の象形文字である。その昔、戦いの後、討ち取った敵の数を数える時、正確に数えるため、首を刎ねた体の数で確認した。それが「真」である。

Dsc00976s   馬場恵峰書

激安製品

 激安製品は、そのご正道の開発プロセスでどこかが欠落している。ハイテク製品の開発には、膨大な技術開発費が必要で、それが製品の価格に大きな比重を占めるのに、安く販売できるのは、技術を不法に盗んだとしか言えない。それを知っていて購入するのは、自分達で自分の国を壊すことになる。

 今の安い輸入製品は、ウイグル族の人権を壊して生産された産物である。工業製品しかり、臓器移植しかりである。中国での臓器移植にかかる費用は、日本や欧米の費用に比べて劇安という。しかし安いものにはワケがある。

 高いモノを大事に長く使うこと。モノにも魂が宿っている。モノを大事にしよう。それが自分の運勢をよくする。

 安いものを買っていると、その労働賃金に日本の給与水準が追従してしまい、日本が貧乏になっていく。日本の現実は、この30年間、日本人給与の減少傾向が止まらない。日本はどこかでボタンをかけ間違い、日本経済が負のスパイラル降下に陥ったのだ。

 

福禄寿

 人生で一番大事なものは、自分の体である。それを支えるのは食事で、食費を削るために安い食材を食べていては、人生を削る事になる。食事はエネルギー補給だけが目的ではない。自分の体を作っているのだ。

 人生で大事なことは、自分の人生生活を支えるモノを大事にすること。それをケチっては、人生が崩壊する。それでは福禄寿にならない。

 人生を豊かにするために少し余分にお金を払おう。

 

2021-09-07   久志能幾研究所通信 2144  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月 6日 (月)

福禄寿の法(3) 私の顔相占い、動く墓石を観察

 

動くお墓

 墓標のような風体で世間を歩くべからず。

  顔を見れば、どれだけ苦労、学問をしたかが、顔の刻みでわかる。

 体を見れば、怠慢、飽食で過ごしてきた過去が、刻まれている。

 話し方を聞けば、どれだけ脳を鍛えてきたか、露見する。

 話しの内容を見れば、教養が滲みている。

 何を育ててきたかが、脳の溝に刻まれている。

 それが話に出てくるから、隠しようがない。

 態度を見れば、どれだけ教養を養ってきたかが分かる。

 顔に家の書棚が透けてみる。

 

玄関に骸骨(がいこつ)

 顔は人生の客を迎える玄関である。それなのに、偉そうに見せるため苦味走った顔を晒していては、まるで骸骨を玄関先にぶら下げるようなものだ。まるで動く墓石である。福沢諭吉翁は「学問のすすめ」で、その件を警告する。それでは人は寄ってこないし、人生を拓けない。笑顔のない顔はゾンビの人生である。福は笑顔からである。

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 私は馬場恵峰先生の「笑い」の字にほれ込んだ。象形文字として笑いをそのまま素直に表現した形である。

 

私の顔相占い

 顔にはその人の思想、歴史が刻まれている。それを見て、付き合い方を考えることは、自分の福禄寿を向上させてくれる。自分の人生の危機管理にもなる。

 人の顔を見て鑑定するうえで、ほうれい線は一つの判断基準である。ほうれい線とは、鼻から両側の口先に伸びた皮膚の線を言う。この線のハッキリ具合で、その人の歴史が分かる。

 ほうれい線は、多くの場合、40歳代になるとハッキリとしてくる。ほうれい線が明瞭にくっきり出ている人は、仕事が正確緻密にできる。仕事運がよく、天職に就き、やりがいのある仕事に携わる。反面、厳しいところもあるため、付き合いづらい面もある。

 それに対して、 40代になってもほうれい線がぼやっとハッキリしない人は、地に足が付かない生き方で、責任感もあまりないようだ。ある意味自由奔放に生きているようだ。

 ほうれい線が出来るかどうかは、人に会って笑顔を見せるとか、顔の表情を変化させる筋肉訓練をして来なかったためだと私は推察する。要は使わない器官は退化するである。ほうれい線の薄い人は笑顔を作る筋肉を使わなかったのだ。人に対して冷たかったのだ。

 

顔の責任を持て

 リンカーン大統領が、推薦されたある人の採用を断った。その理由は、顔が気に食わなかったという。リンカーンは「40過ぎたら顔に責任を持て」といったのは意味深長である。顔に人格と生きざまの全てが出る。

 

趣味は人間ウォッチング

 私の趣味は人間ウォッチングである。事件がありマスコミを賑わすと、その顔写真をファイルしてデータベース化している。それで顔をじっくりと眺めて、事件と顔を記憶にとどめる。長年、それを続けてきた。それから得られる感性が、私の人を見る目を養ってきた。それで得はないが、損をさせる人物や危険人物の感知はできた。君子危うきに近寄らず、である。

 

2021-09-06   久志能幾研究所通信 2143  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年9月 5日 (日)

福禄寿の法(2) 印鑑は0番目のご神体

 

 印鑑には上下の目印を付けないこと。自分の名を刻んだ印鑑は自分自身の象徴である。それに目印を付けるとは、自分の身に傷をつけるのと同じである。目印がないため印鑑の上下をしっかり確認して、慎重に押す習慣となるからよいのだ。

 そんな焦って印を押してどうするの? 押印は慎重にしよう。ハンコ一つで人さえも殺せる。法務大臣の押印で、死刑執行がされるのだ。印に上下に目印がないのは、安易な押印を避けるための先人の知恵である。

 印鑑は自分の城を守るご神体である。幸せを守るため、「禄(財産)」を脅かすものに最大の注意が必要だ。

 

保証人

 昨年、偶然のめぐり合わせで別宅の事務所が手に入った。それは仏様の導きとしか思えない。神様仏様ご先祖様に感謝である。その事件は前所有者が、保証人として印を押したために起きた。その相手の会社が倒産して、前持ち主はその家を手放さざるを得なくなった。その家の建設費、リフォーム工事費を計算すると、二束三文で手放したようだ。家に限らず、どんな物件でも売る時は二束三文である。

 だからモノを買うなら、それと心中する覚悟で買うべきだ。その物件が自分の一部となって、己の人生を助けてくれるのかを考えて買うべきだ。保証人になるなら、「相手を見極め、自分の身のほどを考えた上、相手と心中してもよい」と考えないと印を押してはダメである。

 

借金の保証人を頼まれたら

 先人の知恵で、借金や保証人を請われたら、相応のお金を進呈して断った方がよい。その金は返ってこないものとして贈呈すればよい。相手の債務を全て被るよりもましである。

 私は借金が嫌いで、ローンも組んだことがない(ボーナス払い、クレジットは別)。いつもニコニコ現金払いである。今までの高額商品購入は、全て現金一括払いである。今回の別宅も現金一括払いである。本当はローンにしたかったが、無職の高齢者に金を貸してくれる銀行はない。だから資金繰りが大変であった。それが現実だ。だから自分の城は自分で守る。

 

保証人なしの決断

 トヨタの中興の祖であった石田退三氏は親戚の児玉一造氏から、「悪いことに使うのでなければ、金は何とかなる。金を惜しんで、時期を失することほど愚かなことはない」と教えられた。氏はその教えを守って、ケチに徹して経営を進めたが、貧乏な(当時)トヨタに不相応な大きな設備投資をしてトヨタを大きくした。トヨタの経営は、小さな無駄を地道に省くことを継続して(カイゼン)、金を溜め、大きな投資をする、である。

 私は今回の別宅を買うにあたって、その教えを信じて決断した。要は「無駄を省いて贅沢を」である。だから後悔はしていない。

 

恵峰先生の借金

 馬場恵峰先生も保証人を頼まれたことが数多った。しかし、それをほとんど断ったようだ。断ったのが正しい道であった。恵峰先生に保証人を頼みに来た人の殆どが破産しているという。金のない馬場恵峰先生に保証人を頼みに来るのがおかしい。

 馬場恵峰先生は日中文化資料館を建てるため、60歳の時、1億円の借金をされた。実家の家屋敷を担保にいれ、生命保険をかけて銀行から金を借りた。それを24年かけて返済をされた。完済時は84歳である。今では銀行はこんな融資はしないという。それだけ馬場恵峰先生には徳があった。仏様が応援した。またその返済の苦労を知っているから、敢えて保証人の印を押さなかったのだろう。

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2021-09-05   久志能幾研究所通信 2142  小田泰仙

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2021年9月 4日 (土)

福禄寿の法(1) 表札は0番目の墓標

 

 表札とは、人生の本陣で掲げる錦の御旗である。錦の御旗として、正しい表札を掲げよう。自分の名前とは、両親がこういう人間になって欲しいと願って付けた名前であり、出世して欲しいと願って付けた名前だ。だから表札に字を彫ってはいけない。それは墓石と同じである。墓の字は、本人が死んだからもう変わることがない。だから名前を石に彫る。碑文も過去のことで変わらないから、永遠に変わらないことを石に字で刻む。

 

出世

 人が生きていれば、名前も変わる。名前が変わるとは出世である。だから表札に名前を墨で書くのがよい。彫らなければ、印刷でも構わない。歴史を見ても、出世して名前を変えた有名人は多い。名前を変えたから出世したともいえる。斎藤道三も名前を何回も変えた。それで京都の一介の油売りが美濃の国の主に上り詰めた。要は国を盗んだ。それは司馬遼太郎著『国盗り物語』に詳しい。お魚だって、名前が変わるのは、出世魚である。ブリは出世魚の代表である。

 「出世」とは仏語で、仏が衆生を救うためこの世に現れること。

 

ブリの出世

 ブリの呼び名は成長に合わせて、次のように変わる。

 モジャコ、ワカシ、ワカナゴ、ツバス、イナダ、ハマチ、フクラギ、ワラサ、メジロ、ブリ

 

出世としての雅号、芸名、戒名

 人生で名前を変えるのが、出世である。それが戒名しかないのは情けない。せめて会社を辞めて第二の人生を歩むとき、雅号を持って新しい道を歩もう。

 雅号や第二の名で世の為に尽くすことは、仏が衆生を救うためこの世に現れることと同じである。私は馬場恵峰先生に出会い、雅号を頂いたのは幸せであった。

 

街の表札

 街中を見て回って、石の表札に刻印してある玄関を見ると、墓を玄関に据えているように見えて気の毒になる。

 当家も昔は、石塀に埋め込まれた石の表札に、字が刻印してあった。リフォームした折、塀を取り除き、馬場恵峰先生に揮毫をして頂いた木の表札に変えた。何か人生が変わった。

 その表札の字は、伊勢神宮の御神水で磨墨した墨で書いて頂いた。そのお水は、伊勢神宮の雅楽殿の水場で手に入れた。還暦後に、この歳まで生かせてもらったお礼の奉納をしたときに手に入れた。

 

2021-09-03   久志能幾研究所通信 2141  小田泰仙

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