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2024年2月17日 (土)

孟母参戦の教え(9)サイコパス岸田、狂人からは逃げるが勝ち

 人の不幸をなんとも感じない異常人をサイコパスという。それが岸田文雄に当てはまる病状である。

 

 コロナ対策で300兆円。それでも日本でコロナは大流行。やることが世界の常識から見てトンチンカン。利権で医療関係者は大もうけ。最近、その件で不正をしていた輩の一部が検挙された。

 

 政府が新型コロナウイルス対応へ用意した「コロナ予備費」と呼ばれる予算の使い方の不透明感がぬぐえない。国会に使い道を報告した12兆円余りを日本経済新聞が分析すると、最終的な用途を正確に特定できたのは6.5%の8千億円強にとどまった。9割以上は具体的にどう使われたか追いきれない。国会審議を経ず、巨費をずさんに扱う実態が見えてきた。(日経2022年4月22日)

 

 彼は国内の批判をさけるため(閑だから)無理に外遊して、カッコつけるため議会承認なしに1兆円単位のカネをバラまいている。能登半島地震の対策で金がいるのに、そんなことは知ったことではないようだ。

 能登半島地震での対策として増税。国民が増税で苦しんでいるのに、無視。財務省の言いなりポチとなっている。一国の長の器ではない。

 能登半島地震で石川県は、7700億円の予算でも、岸田は5000億円だけの吝嗇ぶり。

 無駄な大阪万博をごり押し。能登半島地震が起きたばかりなので、延期すればよいのに。サイコパスは人の痛みが分からない。

 支持率が過去最低の16.9%になっても、岸田はサイコパスだから気にしない。長期政権の名前だけが目的である。サイコパスは国内で一番偉くなって、人事権を握り、やりたい放題をする。国民のためにやりたいことはない。それが首相になった目的だと公言している。その陰で国民の死屍累々。それには目を向けない。それこそがサイコパスである。

 民主主義の大原則の三権分立を脅かす恐れのある木原官房長官の司法介入疑惑に関して、全く無視である。日本の国体が危機に瀕しても知らん顔、サイコパスである。自分の任期の長さだけをきにしている。

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中野信子著の『サイコパス』によると

 サイコパスの人は100人に1人の割合で存在する。サイコパスは、経営者、弁護士、外科医等で社会的地位が高いひとに多い。

 

 サイコパスは、単に他人のことはどうでもいいだけである。サイコパスの人は恐怖心を感じにくい脳になっており、脳の偏桃体の活動が低い。偏桃体は人間の快・不快や恐怖といった基本的な情動を決める場所である。

 つまり、サイコパスは恐怖心や不安など、動物が本来持っている基本的な情動の動きが弱い。サイコパスの脳では情動よりも理性・知性が働きやすい。一般人が異様と感じるほど、サイコパスは合理的な結論を選ぶ。つまり、サイコパスの前頭前皮質は灰白質が少なく、白質が多い。これがサイコパスの振舞い原因の一つとして作用している可能性がある。

 

 だから米陸軍士官学校の指導教授によると、「戦場でためらいなく敵兵を撃てるのは100人に一人か二人」しかいないそうだ。戦場でためらいなく敵兵を撃てるのは、自分の身を守るため、合理的な決断である。

 

 ある意味で、サイコパスは、ほかの人にはできないような仕事を引き受けることで、人類の発展に役立った面もある。

 アップルコンピューターのジョブズもサイコパスであった。トランプもサイコパスではないかと言われている。それはサイコパスが人類に良い面をもたらす例である。確かにジョブズもトランプも他人からの評価が極端に違いすぎる。サイコパスでも勝ち組のサイコパスと負け組のサイコパスがある。岸田は間違いなく日本に害悪を流している。今や、史上最悪と思われた鳩山内閣よりも、もっと甚大な災害級の影響を日本に及ぼしている。

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2024-02-17  久志能幾研究所通信 2830号  小田泰仙

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2024年2月15日 (木)

死刑判決(執行猶予5年)から牛歩逃走

 

 中共では、巨額の汚職を犯して、裁判で執行猶予2年の死刑判決がよく報道される。つまり2年間別の罪を犯さねば、死刑は免れ、無期懲役になるという判決である。しかし現実に被告は刑務所内に拘束されているのだから、犯罪などはできない。つまり無期懲役という判決である。これは見せしめの脅し判決である。

 

私が受けた死刑判決

 私は5年前にガンの手術をしたが、病状は、進行がんでステージⅢBと進んでいた。その結果、主治医は、「5年後の生存率51.6%」と宣告した。つまり5年後には、同じ病状の人の2人に一人は死ぬという死刑判決である。その前提条件は、がんセンター推奨の標準治療を受けるという条件である。標準治療を受けなければ、命の保証はしないと脅された。言い換えれば、中共の刑務所内でおとなしくしていると同じで、助かりたくば、ガンセンターの言うことを素直にきけばよい、ということだ。

 

生還

 この2月で、手術後5年が経ち、昨日(2月14日)、がんセンターに行って、先日受けたCT検査結果を聞いてきた。結果は、癌の再発の気配はない、である。死刑判決(執行猶予5年)から生還できた。歩みは遅かったが、少しずつ食生活と生活習慣を変えたことで、死刑判決後の死刑執行からは逃走できたようだ。ガンと言う相手はドラゴンのような存在である。脱兎のごとくの逃走はできない。いわば匍匐逃走である。

 進行がんなので、まだ油断はできないとして、半年後、CT検査は受けることにはなった。主治医は、私が予想外に元気なのが不思議そうであった。確かに統計の確率論から言っても、そろそろくたばる頃?なのに、である。

 私が主治医の立場なら、「手術後、5年経って、再発は有りません。おめでとう」と言うが、担当医師からは、その言葉はなかった。残念そうに見えたのは、私の思い過ごしだろうか。

 私の後の診察順番の患者は帽子を被っていた。つまり抗がん剤治療で毛が抜けている。見るからに辛そうだ。抗がん剤治療で正常な細胞まで痛めつけられている証しである。抗がん剤治療は、免疫力が低下した高齢の私では耐えきれなかっただろう。抗がん剤治療を拒否したのは正解だった。

 医者はがんを治せないが、死期だけは正確に予告する。父もガンになり、手術はうまくいったが、半年後、がんが再発した。肝臓に転移したので手の施しようがなく、余命1年と宣告された。正確に1年後に他界した。そういう苦い経験があり、私が医師から受けた余命予想を覆し、癌の再発が防止できたのでうれしい。

 どんな判決を受けても、どんな選択をしても人間は100%、何時かは死ぬ。人生の最終目的は、どう幸せに生きたか、それだけだ。

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生生流転

 がんセンターの建屋から出る時、山本眞輔作「生生流転」の女神が優しく見送ってくれた。正面玄関の出口から、「生生流転」の女神に見送られて出られることが感謝である。霊安室の裏口から出て行かなくて済んだのだ。今まで多くの人から受けたご恩とご縁に感謝である。

 

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「治療」と「病気を治す」の違い 

 がんセンターの大病院では治療はするが、病気を治してはくれない。病気は自分で治すのだ。それを病院任せにするから治らない。

 身体に出来たガンは死ね。治せるものなら、治して見ろなどとは一言も言っていない。だた「変えろ」とだけ言っている。今までの生活の中で、がんになった因縁がある。それを変えろと言いているだけだ。しかし大病院は、真因を探さず、ただ対処療法をするだけである。その方が、病院経営にはメリットがあるからだ。対処療法は儲かるのだ。

 

改心・更生生活

 私はこの5年間、何故なぜを何回も繰り返し、がんになった要因を探した。改心?して、心を入れ替え、生活習慣、食事習慣を変え、がんと向き合った。がんになった因を無くすことに注力した。癌そのモノに対する治療はしなかった。それで5年後の今、がんが再発せず、生きているので、方法が間違ってはいなかったと思う。どうせ後、最長でも40年経ったら、私は死ぬのだ。

 全てこの世は佛法に従って動いている。生物は生老病死である。全ての事象は縁起である。ガンになった因がある。だから再発を防ぐには、その因を取り除けばよいだけ。あとは仏さまに全てを委ねて「生生流転」である。

 

けんか別れ

 手術後、大病院の標準治療である抗がん剤治療を強要されたが、薬剤医師とけんか別れをして、その治療を拒否した。その代替治療を日本全国に足を延ばし、探して、受けた。自由診療になるので、高額であった。そんなことは言っていられなかった。お金は残りました、しかし死にました、では洒落にもならない。

 

私が実践したがん再発防止対策は、次の記事に記載

私のがん再発防止策  死刑を逃れるために

 

内祝い

 死刑執行から逃れられた嬉しさを感じるために、中島晃法さんの飛龍の絵を玄関に飾った。龍が蓮の花の咲く泥沼の中から天に飛躍する姿を現した絵である。この絵に出会った時、何かピンときて、本年が辰年でもあり、入手する決断をした。この絵の泥沼は、今までの汚泥に満ちた食生活習慣、悪い生活習慣、ドロドロした過去の黒職業からの離脱を表しているように思えた。病魔から逃れられ、今の飛躍に感謝である。今までの出合いが全てよき糧となった。私に龍になれとの啓示である。

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2024-02-15  久志能幾研究所通信 2827号  小田泰仙

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2024年2月10日 (土)

龍は強し、されどゴキブリには弱し。大事な娘を守る in Sagan

 

 Saganで購入した中島法晃さんの龍の絵は、キャンパスに画かれた裸の状態であった。そのままではゴキブリに喰われる恐れがあった。ゴキブリは日本画の素材が大好物である。油断すると、画材が喰われてしまう。龍の画の一部が喰われれば、その芸術的価値が台無しとなる。

 山路徹先生の助言で絵を特製のガラスケースに入れた。特製のガラスケースの製作は山路徹先生にお願いした。娘のような大事な「龍」の命を守りたいという親心からの対処である。

 

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    ガラスケース内「 箱入り龍?」に変身 

  大事なお宝の娘です。虫に食われてはなりません

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 「箱入り龍」になる前の「自由奔放な龍」

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脚下照顧

 理想に燃えて驀進して、天に駆け上がるのが昇龍である。しかしゴキブリみたいな雑事に足を取られて、天に昇る前に、墜落してしまう場合もある。それは雑事を疎かにしたためだ。危機管理が出来ていなかったためだ。まず足元を固めてから飛び立とう。脚下照顧でいこう。

 

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基礎大事

 家を建てるのも同じだ。大邸宅を建てても基礎、土台に手抜きがあると、地震で倒れてしまう。

 自分自身も人間性という基礎部がしっかりしていないと、少しの事件で鬱になってしまう。病気になってしまう。エリートと呼ばれる人たちは挫折を知らないから、少しの躓きで、全てを失ってしまう。雑草の逞しさが必要だ。命は基礎体力がベースだ。

 

命大事

 自分の免疫力が不十分だと、コロナや癌になってしまう。日頃ゴキブリのような雑菌に慣れていないと、免疫機能が育たない。今の社会は抗菌をやり過ぎて、免疫機能を弱くしている。

 万全の準備で受験勉強をしたのに、健康管理が不十分で、試験当日に風邪を引いて、実力が出せなかったのは、風邪への危機管理がなかったのだ。命の保全が不完全なのだ。

 

天才薄命

 天才と噂の高かった芸術家が、若くして夭逝したり、自殺をする事例が多い。その天才が健康に気を配らなかったのが最大の原因だ。健康とは体と心の健やかさをいう。芸術の才能よりも命が大事なのだ。天才こそ心の健やかさを大切にせねばならぬ。

 

無敵のゼロ戦

 第二次世界大戦の初期、世界最強の戦闘機ゼロ戦は、無敵で昇龍のような勢いがあった。しかし、ゼロ戦の防備の弱さを米軍に知られ、昇龍のような強さが、失墜した。日本軍がパイロットの命を軽視した防御構造の弱さをゴキブリは見逃さなかった。戦いでは、パイロットの命の保護を最優先にすべきなのだ。

 戦う為、万全を期したつもりでも、たった一つの不備が、身内に巣くうゴキブリとなり命を奪う。まず命を守る、それが最優先だ。そのために死んでもいいから、健康管理である。

 

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 スミソニアン航空宇宙博物館 で展示されているゼロ戦

         1997年8月  著者撮影

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2024-02-10  久志能幾研究所通信 2824号  小田泰仙

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2024年2月 5日 (月)

縮命 クレジットカードで飽食、一杯食わされる

 

マイクロプラスチックは人体に危険である。解説と防御策を記する。

 

 平均的な人間は、一週間でクレジットカード1枚分のマイクロプラスチックを摂取しているというオーストラリア・ニューカッスル大学の研究結果が発表された。それから計算すると、成人の50年後の古希には、食べた量がクレジットカード2600枚と一杯である。

 

人間が日常生活で飲み込むプラスチック、週にカード1枚分 豪研究 - CNN.co.jp

https://www.cnn.co.jp/fringe/35138381.html

 

 今まで(2021年現在)、63億トンのプラスチックが廃棄され、リサイクルされたのは9%だけ。海洋に投棄されたプラスチックは太陽光の紫外線等で劣化して、微細なマイクロプラスチックに分解し、海の中を漂う。それを魚介類が食べて、それを人間が食べる。それで食物濃縮が行われる。

 マイクロプラスチックの成分は、PETが半分、ポリスチレンが1/3、ポリエチレン1/4の比率である。PETはペットボトルの材料になる。ポリスチレンはカップ麺等の容器に使われている。ポリエチレンは、スーパーやコンビニで買い物で使うレジ袋や食材を保存する際に使うラップフィルムの素材である。

 

 マイクロプラスチックは人工物であるので、体内では異物として免疫細胞が排除するため闘う。しかし無機質物体のため、免疫細胞には無為の戦いで、排除できない。そのため免疫細胞は疲弊する。その分、免疫機能が低下する。

 プラスチックにはホルモン攪乱剤(環境ホルモン)を放出する種類もある。それが不妊や癌、アレルギー、早期成熟、発達障害等を発症する。

 免疫機能が低下すると万病の元になる。コロナ感染、がん、認知症、糖尿病、血管障害、不妊症、鬱病、発達障害等である。

 

 今までの研究で、実験用マウスにマイクロプラスチックを5週間食べさせたら、腸内の炎症が起き、腸内細菌が異常になることが分かっている。更に心臓血管のトラブルも発生した。心臓の筋肉が炎症を起こして、筋肉が死んでしまった。要は内臓が機能不全を起こした。これと同じことが人間の腸内でも起きていると推定される。

(YouTube 「血液中にプラスチック 腸に悪影響」Dr.ishiguroより)

 

マイクロプラスチックの流出量

 ペットボトル500mlの水から    240,000個  

 ホットコーヒーを紙コップから    25,000個

 プラスチックまな板から(1年間で) 7,000万個

 プラスチックティーパック1杯から    100億個

 

水のペットボトル1本に24万個のプラスチック片が含まれていた…ナノプラスチックへの暴露を低減する3つの方法 | Business Insider Japan

https://www.businessinsider.jp/post-280971

 

紙コップでコーヒーを1杯飲むと2万5000個のマイクロプラスチックを摂取することになる - GIGAZINE

https://gigazine.net/news/20201220-coffee-tea-paper-cups-microplastic/

 

プラスチックのまな板を使うと「年間7000万個以上のマイクロプラスチック」にさらされる可能性があるとの研究結果 - GIGAZINE

https://gigazine.net/news/20230702-boards-microparticles/

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プラスチック製ティーバッグが100億個以上のプラスチック粒子をカップに放出していると判明 - GIGAZINE

https://gigazine.net/news/20190927-plastic-teabags-release-billions-microparticles/

 

 

自己防衛

 マイクロプラスチックの恐ろしさを知って、自己防衛として、下記の対策を取った。マイクロプラスチックは一度、体に入れると排出が難しいので、少しでも体内に入れないような予防的な取り組みが必要だ。現代社会では完全な排除はできないが、少しでも被害を少なくと、取り組んでいる。

 

 テレビを見ない

  テレビのCMでは、プラスチックで包装された食品ばかりである。

  テレビでは、あれ食え、これ食え、と洗脳教育である。

  毒物ばかりのCMで、それがガンになる原因である。

  美味しいものには毒がある。美しいバラにはトゲがある。

 ペットボトルの飲料水は飲まない。

   唯一対象外としたのは、非常用長期保存水。

   非常時だから仕方ない。まず生き延びることが大事だ。

   幸い大災害が来ず、賞味期限が来たら未開封でも捨てる。

   2ℓで100円の安いペットボトル水を、2年保管する。

   それで1年に一本を廃棄するなら防災用として許せる費用である。

 

   ペットボトル製造過程でアンチモンが使われる。そのペットボトルを、防災用として夏の暑い状態の保管庫に保管する場合や、炎天下の車の中に放置するとアンチモンが発癌性物質に変わり出てくるようだ。ご用心。

 

 紙コップでのホット飲料は飲まない

   自販機のホットコーヒー、スターバックスの紙コップコーヒー、

   新幹線内販売のホットコーヒー

 プラスチックまな板を木製に変更

 プラ容器入りの醤油をビン詰めの醤油に変更

 プラスチックのタッパーを全廃

 プラスチックの容器を全廃

   ガラス製、陶器製に変更

 プラスチックのおしゃもじを木製に変更

 プラスチックのスプーンを全廃

   金属製のスプーンに変更

 サランラップを全廃

   直接食品と接せると、マイクロプラスチックが移る。

 大型の魚の摂取を控える 

   魚の体内に多量に入っているようだが、私は肉はあまり食べないので、せめて大型の魚は止めて、小さな魚を選んで食べている。大型の魚には、生物濃縮の法則で、汚染物質が大型魚に濃縮されている。

 

 

以下 Wikipediaより                                                        

マイクロプラスチック - Wikipedia

マイクロプラスチック 

 マイクロプラスチックは、(生物物理学的)環境中に存在する微小なプラスチック粒子であり、特に海洋環境において極めて大きな懸念材料となっている[1]。一般には、直径 5 mm 以下のプラスチック粒子または、プラスチック断片と定義されている[2][3][4]。海洋研究者の一部は1 mmよりも小さい顕微鏡サイズの全てのプラスチック粒子[5]と定義している。この定義は、現場での採取に一般に使用されるニューストンネットのメッシュサイズが333 μm (0.333 mm) であることから適切でないとの議論もあり[6]、5 mmよりも小さい粒子と定義している研究者もいる[7][8]。

 

 マイクロプラスチックは、 もともとは、レジ袋、コンビニの弁当箱、ペットボトルの蓋などの[要検証 – ノート] プラスチックゴミ(一般的にプラゴミと呼ばれる)である。プラスチック製品の大半は石油を使われているが、そのまま固めるのではなく、石油にさらにエネルギーを加えて化学合成して作られる。全世界で年間[いつ?]に製造されるプラスチック製品は約4億トンであり、その用途は、約半分が容器、包装などに使われている。これらの製品は一度使用すると捨てられる「使い捨て製品」が多く、代表的なものはレジ袋である。現在[いつ?]日本では全国で年間約300億枚のレジ袋が消費されている。その他のプラスチック製品としてペットボトル、食品パッケージ、コンビニの弁当箱などがあり、これらを合計すると、日本では1世帯1日あたり約数百グラムのプラスチックゴミが発生する。プラスチックゴミは人間が的確に処理していれば海に影響を及ぼすことはない。ポイ捨てされたもの、ゴミ箱からあふれて処理されず放置されたものなどが河川や下水に侵入したり、風に飛ばされたりして最終的に海へ流れ着いている。海洋を汚染するマイクロプラスチックの大半は人間が日々の生活で排出されたものに由来している。[9]

 マイクロプラスチックは、マイクロサイズで製造された一次的マイクロプラスチックとより大きな二次的マイクロプラスチックに区別できる[10][11]。一次的マイクロプラスチックの例として、化粧品があげられる。二次的マイクロプラスチックは大きなサイズで製造されたものが、自然環境中で5㎜以下に破砕・細分化したものである主に、ペットボトルやビニール袋が紫外線などに晒されて劣化することで発生すると考えられている。どちらも人体・環境に甚大な悪影響を与える。

 

 

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 メーカの炊飯器に付属してたプラ製おしゃもじ

 

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 プラ容器を廃棄

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2024-02-05  久志能幾研究所通信 2819号  小田泰仙

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2024年2月 1日 (木)

自分生産工場、加熱で人生作り、昇華

トヨタ生産システム:人作り、モノ作り

 

トヨタ生産システムの基本

 前工程は神様、後工程はお客様(生産はカンバンで)

 不良品を後工程に流さない(後工程はお客様)

 異常があればすぐラインを止める(アンドン)

 問題は何故なぜを5回繰り返して真因を探す(対処療法は禁止)

 神仏を尊崇、報恩感謝の生活(豊田綱領)

 

自分人生生産工場

 自分人生生産工場では大釜が据えられている。その釜とは自分自身の体である。その中に何を入れて料理するか、それが人生の仕事である。釜の下から、業火(試練、天災、イジメ、事故)等で加熱され、窯に入れた中身が料理される。土で出来た人間の体は、何時かは土に戻る。死んだ後に残るのは、料理され、昇華した物だけである。自分は何をこの世に残して旅立つのか、それが人生の使命である。

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前工程は神様、後工程はお客様

 与えられた材料・環境・条件で生産する。えり好みはできない。自分がパレスチナの紛争地区、中国、ロシア、ウクライナで生まれなかったことを喜ぼう。日本のこの時期に生れたことを喜ぼう。私のご先祖は生れた時期が悪く生まれ、戦争に駆り出され、極寒の地や灼熱の地で土となった。それを思うと自分の境遇に感謝して、置かれた場所で、最大最良の生産をして、後工程に花を流そう。

 

不良品を後工程に流さない

 自分人生工場の生産品は「信用」である。

 後工程はお客様である。人生工場の生産工程では、世の中に迷惑をかけないものを後工程に流す、である。世界の価値観は大きく異なる。人や国を観るなら、長年の歴史的事実、過去の言動を観て付き合い方を考えよう。付き合う人により、人生が変わる。付き合わない方が、良き人生を送れる場合が多い。

 日本の価値観は、人様に迷惑をかけるな、約束を守れ、お天道様が見ている、である。

 

 

カンバン式で、納期を基準に着工手順を決める

 人生では、期末試験、卒業、就職、天災遭遇、定年、旅立ちと、明確に来るべきイベントが決まっている。決められた時期に人生カンバンがその都度、一枚発行される。それを心して昇華して、次工程に流すのが、人間としての義務である。。

 カンバンが来ることは分かっているのだから、その準備と手順をあらかじめ決めておく。その意識がないから、慌てるのだ。

 日本列島に住む以上、一生のうち、一回は巨大地震のカンバンが発行される。南海トラフ巨大地震はこの2000年間で、100年毎に起きている。日本列島の定期行事である。それを人生の生産計画に入れて、その準備をすることが、人生の危機管理である。それがトヨタ生産システムである。災害に備えて、必要なものを備蓄しよう。災害大国日本で災害に合うのは、当たり前。それは、神様の前工程である。それに文句を言っても、すこしも解決の手助けにならない。相手は神様なのだ。

 

病気は自分と言う設備の保全不備

 その原因を「何故なぜを5回繰り返し」て真因を探すべし。対処療法ですませるから、病気が再発する。自分と言う設備が健康で稼働しないと、良い製品が生産できない。健康で生産活動をすることは、人生の義務である。

 自分生産工場はこの世に何を生み出すのか、自問しよう。それこそが使命である。

 

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 馬場恵峰書、文責は著者

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神仏を尊崇して、報恩感謝の生活(豊田綱領)

 トゲが一本が指に刺さっただけで、生活が乱れてしまう。何もなく平穏無事に暮らせることが如何に素晴らしいかを考えよう。人生の生産が平穏に出来ることを神仏に感謝しよう。まずそこから生産を始める。

 

 

「死」というカンバン

 人として生まれた以上、何時かは来るのが「旅立ち」である。その準備を予めするのが、トヨタ生産システムである。死のカンバンには、納期が明記されている。概ね80年後である。人生の定年延長、人生じまいの納期の延期は、自分で健康管理に精進すればできる。

 

 モノの仕掛けの最終工程は出荷である。人生生産ラインで、人として生まれれば、最終工程は出棺である。心して準備をしよう。

 看取り士の資格を取って、知識を得て、その準備をするのがよい。

 

 戒名を葬式の時受けるのは、臨時応急処置である。戒名は生前に、準備して頂くのが正式の工程である。葬式は、戒名を頂く授戒会とお別れの告別式から成る。生前に授戒会を受けるのが正式である。

 私は戒名は既に頂いたので、今年、授戒会の儀を受ける予定である。

 

2024-02-01  久志能幾研究所通信 2814号  小田泰仙

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2024年1月29日 (月)

死ぬ前に 会っておこう あの人に

 

 人は還暦を過ぎると、いつ死んでも不思議ではない。

 10年ほど前に、一緒に卒業研究をした学友から年賀状をいただいた。「そろそろゆっくりしたいね、一度会いたいね」とのコメントがあったので、4月ごろ、家に電話をしたら、1か月前に亡くなったと…. 死因は、急性の癌であった。享年62歳

 2年前に年賀状を頂いた高校の学友に連絡を取ろうとしたが、この2年間、全く連絡が取れなかった。今年の1月に、5年ぶりに開催された高校同窓会で、彼の死去を知った。享年71歳

 5年前に私のピアノの先生が亡くなられた。享年61歳。

 3年前に、馬場恵峰先生が亡くなられた。享年94歳。

 一昨年、音信がなかった叔母が亡くなった。享年86歳。

 一昨年末、従弟がコロナで急死した。享年77歳。

 

 そう、人は還暦を過ぎると死亡率が急増する。だから死ぬ前に、会いたい人には会っておこう。自分も明日が分からない。

 

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 馬場恵峰書

  良き桜が咲いた、明日花見に行こうと思ったら、春一番がきて、散ってしまった。

  いい花が咲いた、明日見に行こうと思ったら、夜に雨が降り、散ってしまった。

  今やるべきことを今やろう。会いたい人に会っておこう。

  人生は長いようであっという間でもあり、時間だけは無常に流れ続ける。

  自分も何時散るか分からない。

  人は生老病死。

  出会いは一期一会

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厚生労働省:平成20年人口動態統計月報年計(概数)の概況 によれば

 40歳代前半の人の死亡率は  121.6      

 70歳代前半の人の死亡率は 1 671.5

      平成20年で、10万人当たりで

 

厚生労働省:平成20年人口動態統計月報年計(概数)の概況 (mhlw.go.jp)

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai08/kekka3.html

 

 つまり70歳代前半の死亡率は、40歳代前半の死亡率に対して、13.5倍である。70歳代前半の10万人に対して死亡者は1 671.5人、つまり同年代の人の1.6%の人がその年に亡くなる。

 つまり高校の同窓生400人中で、毎年6.4人が亡くなる。5年毎に同窓会を開けば、その時に32人の訃報に接することになる。それは自分の訃報かもしれない。人の訃報を聞いただけ、幸せかもしれない。明日は我が身なのだ。だからこそ、会いたい人には、早めにあっておこう。

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自問自答

 ただし、その人が本当に会いたい人ですか? 会うのに値する人ですか? 1時間相手と会うとは、その人の人生時間を1時間奪うこと、自分の残り少ない人生時間を1時間消費する事。その人がそれに値するか、自分にその価値が有るか自問しよう。その価値が出るように今かからで遅くないから人間的魅力を上げよう。

 

 仏法の掟は、生あるものは全て生老病死である。「法」と言う漢字は、水(さんずい)が上から下に「去る」と書いて、「法」である。重力のある地球上での宇宙根源の理である。

 

 

 

Photo

 馬場恵峰書

 

 

 

下記の記事を更新しました。

 備蓄品リスト、トイレットペーパーを追記しました。

 

2024-01-29  久志能幾研究所通信 2812号  小田泰仙

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2024年1月27日 (土)

法華経の教えで人生を哲学する

 

 この一年弱、私は石原慎太郎著 現代語訳『法華経』(全509頁)(玄冬舎)を一日2頁のぺースで音読してきた。その読破が先日に終わった。現在、二順目の読誦に入っている。また並行して音読していた漢文の真訓対照『法華三部経』三木随法編著(全461頁)(東方出版)も、やっと337頁まできた。

 現代語訳『法華経』を読破して、石原慎太郎の解説でお釈迦様の教えに納得させられた。

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  石原慎太郎著 現代語訳『法華経』(全509頁)(玄冬舎)

  『法華三部経』三木随法編著(全461頁)(東方出版)

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 三木随法編著『法華三部経』

   漢文の読み下し文でおおよその意味はわかる。

   般若心経の全漢文のお経に比べれば理解は容易である。

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 下記は石原慎太郎著 現代語訳『法華経』の解説部で、それを加筆編集して要約することで、法華経がよく理解できた。

 また三木随法編著の漢文真訓対照『法華三部経』の漢文の読み下し文と、石原慎太郎著現代語訳『法華経』と併行して読んだことで、内容の理解が深まった。

  法華経は、正式名を妙法蓮華経という。お経の中でも早い時期に作成されたといわれており、主に天台宗と日蓮宗で読み上げられる。曹洞宗でも、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」がお勤めのお経として読まれている。

 法華経では、「今を生きることが最も大切である」「人は皆平等であり、どのような人も隔たりなく成仏して極楽浄土に行ける」という、仏教の原点の教えが説かれてる。

 それがキリスト教やイスラム教の一神教と違うところである。一神教は、厳密な教えで、それに背くと、地獄にしか行くしかない。まるで洋服を着るようで、礼服に合わせて生活するような感じである。ところが仏教では、まるで和服を着るように、人間にあわせて、その体を包み込んでくれるようだ。なにせどんな悪人でも、何妙法蓮華経と唱えれば、極楽浄土へ行ける。今の社会のように多様性を認めた宗教である。

 聞けば天台宗と日蓮宗の宗徒でも法華経の全てを通して読んだ人は少ないという。それを石原慎太郎著の現代訳『法華経』で全て読破できて、嬉しい。それでその本質がよく理解できた。

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石原慎太郎著現代語訳『法華経』の解説部を要約

 法華経はお釈迦様が、長年その布教活動をされてきて、亡くなる直前に説かれた最終形の法話である。法華経は、人生を生きていくうえで存在と時間の意味を教えてくれる哲学書である。なぜ自分が存在するか。その存在が時間とともに変化することを寓話で説いた説法である。

 法華経の教えでは、死者は不滅である。悟りを得てこの世を去った者は不滅であり、永遠性を保った私たちの先祖だと説いている。確かにご先祖は自分の中に生きている。それが他の宗教と違うところである。だから仏教では、ご先祖を大事に敬う。

 

 お釈迦様の臨終の席で弟子たちが「これからお釈迦様の教えを守り抜く」誓いを立てるが、お釈迦様は、「お前たち弟子に頼ることはない」と否定をされる。そうすると、地面が割れ、無数の菩薩たちが現れ出る様が描写をされている。それこそ単なる死者ではなく、ご先祖、仏の教えを受け継いだご先祖が、地面の下から湧き出て、復活したことを示している。つまりこれは、私たちをご先祖と力強く結びつけている教えを示している。

 我々は長い時間をかけて、自分とは何か、佛はどこにいるのかと探し回っている。しかしその佛といお宝は、自分の中の存在している。まるで青い鳥を探して旅をしていたチルチルとミチルの兄妹。 青い鳥を探し求めるも、結局捕まえられず家に戻ってくる。その青い鳥は家に居たのだ。その童話と同じである。そのことを、多くに寓話を用いて衆生に説いているのが法華経である。

 

 ホーキンズ博士が日本で講演をされた際、石原慎太郎氏が博士に「貴方がいう宇宙時間で、瞬間的というのは、何年ですか?」と問うと、博士は即座に「百年」と答えられた。これは非常に暗示的な回答である。我々人間は、この宇宙空間での100年の人生など瞬間的にしか生かされていないことを示している。

 お釈迦様は宇宙という概念を把握して、その存在の危険性も予言されている。『法華経』で説かれている宇宙の無限の広がりの中、時間という観念は、日常の春夏秋冬という変化にそって考えられている。我々が考えている時間は、位相の違うものとしてお釈迦様は説かれている。これはアインシュタインが思いつき、証明した時間に関する真実と同じである。

 哲学とは、存在と時間を考えることであるとアリストテレスは言う。その存在を変えてしまうのが時間である。それをめぐる存在として第16「如来寿量品」で説かれている。

 

 『法華経』は、無限の宇宙にも教えが及んでいるし、アインシュタインが気づいて説いた位相の違う時間についても解き明かしている。

 

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 馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集  『報恩道書写行集』

     (久志能幾研究所刊)より

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キリスト教

 聖書は、キリストが愛を説いた一代記である。キリスト教の教義は後年、神学を基に付け足されて生まれた教義である。

 

イスラム教

 イスラム教はマホメットの高圧的な教えで、いわばマホメット家の家訓である。厳しい自然環境で生まれた家訓としてのイスラム教は、「目には目を、歯には歯を」と厳しい掟がある。温暖な地域で生まれた仏教には大きな寛容さがあるのとは大きな差である。

 

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 馬場恵峰先生宅で撮影   ‎2015‎年‎1‎月‎12‎日
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2024-01-27  久志能幾研究所通信 2810号  小田泰仙

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2024年1月26日 (金)

気を付けよう 雪道歩行 あの世逝き

銀世界 色気のお誘い 逝き景色 

黄金色 政治屋パー券 命取り

 

 先日来、この冬最大の寒波と大雪の来襲で往生している。10年程前、菩提寺の檀家のU医師から、「人は転倒すると100回に一回は骨折する」と聞いた。

 国会議員は100回不正をしても、1回しか逮捕されないようだ。

 忍法「ドリル小渕」術を使えば、証拠は隠滅できるからだ。

 ドリル小渕として勇名をはせた小渕優子が落選せず、塀の上を歩き、塀の中に堕ちず、国会議員を続けていられるのは、選挙民の意識が低いからだ。それでは日本は少しも良くならない。こんな国会議員が跋扈しているから、パーティー券の裏金問題が隠蔽され、国民が地獄に逝きそうだ。

 2012年頃、自宅内の居間で、畳に滑って手で支えたおり、小指を骨折したことがある。小指は小さな力で簡単に折れる。

 私は2013年、朝の散歩中に転倒して手をついたら、骨折したことがある。その日は寒い日で、大垣「四季の路」の川沿の歩道が凍結していた。確かに、人は転ぶと簡単に骨折することを実感した。

 特に雪が路面に積もり、歩きにくい時は、要注意である。私は雪が降ったら外出しない。車での外出も控える。特に高齢になると、バランス感覚と筋力が低下して、転倒しやすくなる。

 私の人生哲学は、

 人は生老病死、何時までも若いつもりで無理をしてはいけない。

 無理とは、宇宙根源の理に反すること。

 老いては古に従え。

 「古」とは、いにしえからの教えである。

 

 

転倒は死の気配

 65歳以上の人で、要介護になった原因の第二位が骨折である。第一位は認知症である。要介護者の16.5%が骨折の原因で要介護になった。要介護になったらお迎えが近い。

 65歳以上の人の骨折の原因は、82%が転倒である。

 65歳以上の人の転倒、転落、墜落で、86.4%の人が死亡している。8851人が死亡である。(厚生省人口実態調査会 2020年)

 骨折して1年後、以前と同じように動ける人は半分だけ、つまり半分の人は、動けない。

 大腿部の付け根の骨折では、5年後生存率は、一般の人の66%未満である。

 

65歳以上の日常生活での事故による救急搬送、8割が転倒 骨折は寿命を左右します (asahi.com)

 

雪景色の大垣「四季の路

 2011年1月16日、大垣は大雪だった。大雪の日は、出歩いてはいけません。当時、私は大垣に帰郷したばかりで、まだ若気の至りの勢いで、美しい雪景色を撮影しながら「四季の路」を歩き回った。今から思うと無謀であった。

 2011年1月16日 撮影

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 四季の路 向うは旧・大垣市役所

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 住吉燈台

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 大垣城 

 

転倒防対策

 大雪の日は、あの世に行かないために、外出を控えよう。

 雪道での車の運転も控えた方が、身のためだ。

 私はスタッドレスタイヤを持っていない。雪が降れば、運転しないから必要がない。道路の雪が溶ける1日間を待てないような短気になっては、お迎えは近い。

 老いたら自然現象と仲良くし、気は長く、命を長らえるべし。

 雪景色 油断をすれば 逝き景色

 

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  馬場恵峰先生宅で撮影

 

2024-01-26  久志能幾研究所通信 2809号  小田泰仙

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2024年1月21日 (日)

真エネルギー政策、脱利権、脱中国、脱民族虐殺

 

 我が家のエネルギー政策は、脱自動車、脱病気である。冷暖房はエアコンが基本で、再生エネルギー使わず、太陽光発電やらず、電気自動車も買わない。なるべく電車、バス利用である。基本は歩くである。

 

 脱炭素として、自動車をなるべく使わず、公共機関、自分の足を使って移動である。脱炭素に一番反することは、事故を起こすこと。事故を起こせば、その対応で多大のエネルギーを使う。

 交通事故は、走行距離に比例して、一定の比率で必ず発生する。要は、運転しなければ、事故は起こらない。

 

 人生道を走る上での最大の反「脱炭素」行動は、病気になること。病気になると、多大の石油を使うことになる。健康こそ、最大の脱炭素行動である。

 

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冷暖房

 私の家での冷暖房は、エアコンが基本である。電気コストは高いが、まず健康上と安全上でエアコン一択である。エアコンは空気を汚さない、安全な暖房と言える。暖房の補完として石油ストーブを使っている。昼間はエアコンだけだと少し寒いので、補助的に灯油ストーブを使う。温まるまでの1時間の限定で使っている。

 

 電気もエコキュートを使い、深夜電力を活用している。以前は都市ガスを使っていたが、ガスを止めてオール電化である。確かに都市ガスの火力は強く、速く温まるが、その分、お金がかかる。空気も汚れる。

 また私が高齢になり、火の扱いに不安を覚え、オール電化にした。歳を取ると、ついうっかりで火の消し忘れも危惧される。また大震災時のことを考え、ガスよりも電気が総合的にベターであると判断した。

 災害時の復旧するための日数は、ガスの復旧は時間が極端に長い。

 また大垣ガスの経営陣が信用できないので、ガスをやめた。

 復旧するための日数  電気 6日

           上水道 30日

           ガス  55日

 都市ガスでの暖房は、部屋の中の酸欠を招き、健康上で芳しくなく、就寝中の危険性を考えるとガス暖房と言うわけにはいかない。

 室温が18度以下だと、高齢者の寿命が短くなるという医学データがある。冬はもちろん、夏も熱中症対策で、私の家は就寝中も室温維持のため、エアコンをかけっぱなしである。お金の問題でなく、生死の問題である。 

 

最大の省エネ暖房器具

 自家の最大の省エネ暖房器具は、重ね着である。着ぶくれでもいいから服を着こんで過ごしている。それが一番の省エネである。かのエリザベス女王も、英王室の経費節約で、余分に一枚羽織って暖房費を節約したという。

 

太陽光発電

 私は太陽光発電を使わないし、その使用に反対である。太陽光発電は中国のパネルが8割を占め、媚中議員の利権となっている。そのパネルの生産には、ウイグル族の強制収容収監、臓器摘出のおぞましい背景がある。それは国連が正式に認めている事実である。日本は媚中派の公明党が反対したので、国連決議に加われなかった。

 結晶シリコンの世界の45%はウイグル地区で生産されっている。残りの30%がウイグル以外の中国である。中国の生産は75%になっている。日本の太陽光パネルの8割が中国からの輸入品である。

 太陽光パネルを推進するということは、中国にカネを流すということだ。それを推進している輩は、中国からのリターンが多いということだ。それが誰かは日頃のニュースを見ていれば、すぐわかる。

 太陽光発電は天候が不安定な日本には合わない。天候が悪い日や夜間には発電できない。梅雨や冬期などは長期間発電できない。その場合は電力会社から買電しなくてはならない。少しも脱炭素社会にならない。

 また狭い国の日本で、太陽光発電は従来の発電所の300倍の面積が必要である。日本の国情に合っていない。

 また火災時の危険性もあり、太陽光発電には私は大反対である。

 

電気自動車

 私は電気自動車(EV)を買わない。またガソリン車よりも、まず電車、バスを使って、自家用車に乗る機会を減らした。それが一番の脱炭素である。

 自家用車では移動にキロ130円の経費が掛かる。バス、電車ならその費用はその5分の一以下である。

 例えば、自家用車で大垣の自宅から岐阜市の中心部に行くと片道距離約20キロで、2600円かかる。電車バスなら470円である。それでいて所用時間は同じである。電車バスなら移動中にお仕事が出来る。

 

 EVもその電池の生産で、中国の希少金属で生産が制限されている。EV推進は、日本の自動車技術に追いつけない欧米と中国がしかけたトヨタ潰しの陰謀である。世界の全ガソリン車をEVに置き換えたくても、必要な電池生産に必要な希少金属が地球上に存在しない。

 実際、EVの生産から、運転、廃棄までの全エネルギーを計算するとEVはガソリン車よりも多くの石油を使い、少しも脱炭素になっていない。それが最近暴露され、欧米でEVへのシフトが止っている。

 

SDGsは旧統一教会もどき

 SDGsはまるで旧統一教会もどきの活動である。その趣旨は素晴らしいが、その裏では新興宗教まがいの騙し合いが跋扈している。太陽光発電も風力発電も、電気自動車も実際は、利権まみれである。そのパネル生産では、ウイグル族のジェノサイド、有害重金属の垂れ流しが蔓延している。太陽光発電も風力発電も日本の自然風土に合わず、自然環境を破壊し、山の蓄水機能を破壊し、大災害を誘発している。熱海の土砂崩れが良い例である。

 令和3年7月3日10時30分頃に静岡県熱海市伊豆山の逢初川で土石流が発生し、下流で甚大な被害が発生した。28人が犠牲となった。

 太陽光発電のパネルを並べるために、山が削られ、樹木が伐採されて、自然が破壊されている。

 

再生エネルギー政策の闇

 太陽光、風力発電等の再生エネルギー政策で、政府は再生エネルギーの推進のためと称して、電気代に再生エネルギー税が上乗せされている。多くの人はそれに気が付かず、支払っている。一般的な3人家族の家で毎月約1,300円の再生エネルギー税が有無を言わさず、徴収されている。電気明細を穴のあくほど見てみよう。

 自家では、毎月1600円ほどの再生エネルギー税が強制集金されている。

 敵もさる者、電気使用明細は、多くの人が見えないように電子化されて、郵送されなくなっている。特別に申請して月100円の郵便代を払わないと、容易には閲覧できない。敵は狡猾である。

 

 その再生エネルギー税の金の一部が、太陽光発電の家が売電する金が回されている。当然、今までにないカネが動けば、裏でその金の一部をチューチューする公金詐取人がいる。だからやめられない、止らない。

 

エネルギー別単価比較

 全国平均(2023年12月) エネルギー別単価比較<1kWh当りのエネルギー単価(税込み)>

灯油のエネルギー単価を1とすると

  灯油       1.00

  LPガス     1.99

  都市ガス     1.24

  電気(夜間)   1.58

  電気(昼間)   2.67

  電気(従量電灯) 2.21

 

 2023年12月度のエネルギー別単価比較を見てみると、灯油に比べて、電気(昼間)は約2.7倍、深夜料金に比べて1.58倍である。基本的に灯油は他のエネルギーより経済的だ。それは直接、手元で燃やしてエネルギーに変換するからである

 

 

2024-01-21  久志能幾研究所通信 2806号  小田泰仙

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2024年1月15日 (月)

聖徳太子でなく、少得大志を目指す

 

 今の私は、一日一件、一日一か所の「きょうよう」「きょういく」を標語としている。人の脳はマルチタスクにはなっていない。それは2000年前から人間は少しも進化していない事実からも言える。

 聖徳太子は10人の人の訴えを同時に聴いたそうだが、凡人の私には無理である。

 以前は、出かけると、ついでにあちこち寄った。今はその気力も体力もない。現役中は同時進行で2つことをやったこともあった。今は、やることは一つ、出かけても、行く場所は一か所と決めている。

 「きょうよう」とは「今日の用」で、「きょういく」は「今日行くところ」である。

 「志」とは「十」ある思いのうち「一」つだけを「心」で支えると書く。

 

 マルチタスクとは、ながら運転である。それは両方の仕事がいい加減になることだ。「一事一心一念道」で、日々の仕事を丁寧に確実にこなそうと、仕事のやり方を変えた。

 コンピュータでのマルチタスクも、実際は、CPUのクロックごとに、仕事(タスク)を切り替えながら処理しているだけで、同時に処理していない。あまりの早い速度で処理するので、人間様にはマルチタスクでやっているように見えるだけである。

 車の運転でも、私は運転中にラジオ・音楽をかけない。ラジオを聞きながらの運転は、試験車評価者(テストドライバー)には禁止されている。だから私は車外からの音に全神経を集中させて、運転をしている。安全運転第一である。

 

 食事でもテレビを見ながらはやらない。きちんと咀嚼をして正しく、感謝して食べる。それが健康と幸せを維持する秘訣である。ジャンクフードを仕事しながら食べるなど言語道断である。

 パソコン業務も、モニターが4Kの43インチだから4画面を表示しても十分に見える。しかし私は1画面だけしか表示せず、一つの仕事しかしない。

 

 生きることも真剣である。ひたすら一本道。

 脇目をしたり、死んだふりでは、良い仕事はできない。

 

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2024-01-15  久志能幾研究所通信 2803号  小田泰仙

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