c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2024年1月21日 (日)

真エネルギー政策、脱利権、脱中国、脱民族虐殺

 

 我が家のエネルギー政策は、脱自動車、脱病気である。冷暖房はエアコンが基本で、再生エネルギー使わず、太陽光発電やらず、電気自動車も買わない。なるべく電車、バス利用である。基本は歩くである。

 

 脱炭素として、自動車をなるべく使わず、公共機関、自分の足を使って移動である。脱炭素に一番反することは、事故を起こすこと。事故を起こせば、その対応で多大のエネルギーを使う。

 交通事故は、走行距離に比例して、一定の比率で必ず発生する。要は、運転しなければ、事故は起こらない。

 

 人生道を走る上での最大の反「脱炭素」行動は、病気になること。病気になると、多大の石油を使うことになる。健康こそ、最大の脱炭素行動である。

 

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冷暖房

 私の家での冷暖房は、エアコンが基本である。電気コストは高いが、まず健康上と安全上でエアコン一択である。エアコンは空気を汚さない、安全な暖房と言える。暖房の補完として石油ストーブを使っている。昼間はエアコンだけだと少し寒いので、補助的に灯油ストーブを使う。温まるまでの1時間の限定で使っている。

 

 電気もエコキュートを使い、深夜電力を活用している。以前は都市ガスを使っていたが、ガスを止めてオール電化である。確かに都市ガスの火力は強く、速く温まるが、その分、お金がかかる。空気も汚れる。

 また私が高齢になり、火の扱いに不安を覚え、オール電化にした。歳を取ると、ついうっかりで火の消し忘れも危惧される。また大震災時のことを考え、ガスよりも電気が総合的にベターであると判断した。

 災害時の復旧するための日数は、ガスの復旧は時間が極端に長い。

 また大垣ガスの経営陣が信用できないので、ガスをやめた。

 復旧するための日数  電気 6日

           上水道 30日

           ガス  55日

 都市ガスでの暖房は、部屋の中の酸欠を招き、健康上で芳しくなく、就寝中の危険性を考えるとガス暖房と言うわけにはいかない。

 室温が18度以下だと、高齢者の寿命が短くなるという医学データがある。冬はもちろん、夏も熱中症対策で、私の家は就寝中も室温維持のため、エアコンをかけっぱなしである。お金の問題でなく、生死の問題である。 

 

最大の省エネ暖房器具

 自家の最大の省エネ暖房器具は、重ね着である。着ぶくれでもいいから服を着こんで過ごしている。それが一番の省エネである。かのエリザベス女王も、英王室の経費節約で、余分に一枚羽織って暖房費を節約したという。

 

太陽光発電

 私は太陽光発電を使わないし、その使用に反対である。太陽光発電は中国のパネルが8割を占め、媚中議員の利権となっている。そのパネルの生産には、ウイグル族の強制収容収監、臓器摘出のおぞましい背景がある。それは国連が正式に認めている事実である。日本は媚中派の公明党が反対したので、国連決議に加われなかった。

 結晶シリコンの世界の45%はウイグル地区で生産されっている。残りの30%がウイグル以外の中国である。中国の生産は75%になっている。日本の太陽光パネルの8割が中国からの輸入品である。

 太陽光パネルを推進するということは、中国にカネを流すということだ。それを推進している輩は、中国からのリターンが多いということだ。それが誰かは日頃のニュースを見ていれば、すぐわかる。

 太陽光発電は天候が不安定な日本には合わない。天候が悪い日や夜間には発電できない。梅雨や冬期などは長期間発電できない。その場合は電力会社から買電しなくてはならない。少しも脱炭素社会にならない。

 また狭い国の日本で、太陽光発電は従来の発電所の300倍の面積が必要である。日本の国情に合っていない。

 また火災時の危険性もあり、太陽光発電には私は大反対である。

 

電気自動車

 私は電気自動車(EV)を買わない。またガソリン車よりも、まず電車、バスを使って、自家用車に乗る機会を減らした。それが一番の脱炭素である。

 自家用車では移動にキロ130円の経費が掛かる。バス、電車ならその費用はその5分の一以下である。

 例えば、自家用車で大垣の自宅から岐阜市の中心部に行くと片道距離約20キロで、2600円かかる。電車バスなら470円である。それでいて所用時間は同じである。電車バスなら移動中にお仕事が出来る。

 

 EVもその電池の生産で、中国の希少金属で生産が制限されている。EV推進は、日本の自動車技術に追いつけない欧米と中国がしかけたトヨタ潰しの陰謀である。世界の全ガソリン車をEVに置き換えたくても、必要な電池生産に必要な希少金属が地球上に存在しない。

 実際、EVの生産から、運転、廃棄までの全エネルギーを計算するとEVはガソリン車よりも多くの石油を使い、少しも脱炭素になっていない。それが最近暴露され、欧米でEVへのシフトが止っている。

 

SDGsは旧統一教会もどき

 SDGsはまるで旧統一教会もどきの活動である。その趣旨は素晴らしいが、その裏では新興宗教まがいの騙し合いが跋扈している。太陽光発電も風力発電も、電気自動車も実際は、利権まみれである。そのパネル生産では、ウイグル族のジェノサイド、有害重金属の垂れ流しが蔓延している。太陽光発電も風力発電も日本の自然風土に合わず、自然環境を破壊し、山の蓄水機能を破壊し、大災害を誘発している。熱海の土砂崩れが良い例である。

 令和3年7月3日10時30分頃に静岡県熱海市伊豆山の逢初川で土石流が発生し、下流で甚大な被害が発生した。28人が犠牲となった。

 太陽光発電のパネルを並べるために、山が削られ、樹木が伐採されて、自然が破壊されている。

 

再生エネルギー政策の闇

 太陽光、風力発電等の再生エネルギー政策で、政府は再生エネルギーの推進のためと称して、電気代に再生エネルギー税が上乗せされている。多くの人はそれに気が付かず、支払っている。一般的な3人家族の家で毎月約1,300円の再生エネルギー税が有無を言わさず、徴収されている。電気明細を穴のあくほど見てみよう。

 自家では、毎月1600円ほどの再生エネルギー税が強制集金されている。

 敵もさる者、電気使用明細は、多くの人が見えないように電子化されて、郵送されなくなっている。特別に申請して月100円の郵便代を払わないと、容易には閲覧できない。敵は狡猾である。

 

 その再生エネルギー税の金の一部が、太陽光発電の家が売電する金が回されている。当然、今までにないカネが動けば、裏でその金の一部をチューチューする公金詐取人がいる。だからやめられない、止らない。

 

エネルギー別単価比較

 全国平均(2023年12月) エネルギー別単価比較<1kWh当りのエネルギー単価(税込み)>

灯油のエネルギー単価を1とすると

  灯油       1.00

  LPガス     1.99

  都市ガス     1.24

  電気(夜間)   1.58

  電気(昼間)   2.67

  電気(従量電灯) 2.21

 

 2023年12月度のエネルギー別単価比較を見てみると、灯油に比べて、電気(昼間)は約2.7倍、深夜料金に比べて1.58倍である。基本的に灯油は他のエネルギーより経済的だ。それは直接、手元で燃やしてエネルギーに変換するからである

 

 

2024-01-21  久志能幾研究所通信 2806号  小田泰仙

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2024年1月15日 (月)

聖徳太子でなく、少得大志を目指す

 

 今の私は、一日一件、一日一か所の「きょうよう」「きょういく」を標語としている。人の脳はマルチタスクにはなっていない。それは2000年前から人間は少しも進化していない事実からも言える。

 聖徳太子は10人の人の訴えを同時に聴いたそうだが、凡人の私には無理である。

 以前は、出かけると、ついでにあちこち寄った。今はその気力も体力もない。現役中は同時進行で2つことをやったこともあった。今は、やることは一つ、出かけても、行く場所は一か所と決めている。

 「きょうよう」とは「今日の用」で、「きょういく」は「今日行くところ」である。

 「志」とは「十」ある思いのうち「一」つだけを「心」で支えると書く。

 

 マルチタスクとは、ながら運転である。それは両方の仕事がいい加減になることだ。「一事一心一念道」で、日々の仕事を丁寧に確実にこなそうと、仕事のやり方を変えた。

 コンピュータでのマルチタスクも、実際は、CPUのクロックごとに、仕事(タスク)を切り替えながら処理しているだけで、同時に処理していない。あまりの早い速度で処理するので、人間様にはマルチタスクでやっているように見えるだけである。

 車の運転でも、私は運転中にラジオ・音楽をかけない。ラジオを聞きながらの運転は、試験車評価者(テストドライバー)には禁止されている。だから私は車外からの音に全神経を集中させて、運転をしている。安全運転第一である。

 

 食事でもテレビを見ながらはやらない。きちんと咀嚼をして正しく、感謝して食べる。それが健康と幸せを維持する秘訣である。ジャンクフードを仕事しながら食べるなど言語道断である。

 パソコン業務も、モニターが4Kの43インチだから4画面を表示しても十分に見える。しかし私は1画面だけしか表示せず、一つの仕事しかしない。

 

 生きることも真剣である。ひたすら一本道。

 脇目をしたり、死んだふりでは、良い仕事はできない。

 

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2024-01-15  久志能幾研究所通信 2803号  小田泰仙

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2024年1月 8日 (月)

死季の風 高校同窓会の出会い

 

 人生は生老病死である。2024年1月7日、6年ぶりに開催された高校の同窓会に出て、つくづくそれを感じた。55年前に400名が母校を卒業した。今日の同窓会で43名の物故者があることが発表された。73歳の今、約1割の仲間が亡くなっている。その数の多さに驚いた。

 一昨年、F君から年賀状を頂いて、連絡を取ろうとしたが、電話が全く通じなかった。今日の物故者の掲示で、彼が亡くなっていたことに愕然とした。8年ほど前に、彼と再会して楽しく歓談した。今度は訃報である。改めて自分が生かされていることに感謝である。70を過ぎたら、何時死んでもおかしくない。古希とは、古く希なる存在なのだ。私も5年間にがんを患い、一時は死を覚悟した身である。

 いつ死んでもおかしく無い自分である。精一杯生きていくために、世の中に役立つ身でありたいと思う。単に生き永らえたくはない。此の世で役立たなくなったら、お迎えが来ると覚悟している。

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  同級生の物故者を掲示

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 久志能幾研究所通信   春風秋雨

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 多くの動物は、生殖が終わると、そのまま死んでしまう。サケは、産卵が終わるとそのまま死である。カマキリは、生殖が終わると、雄は雌に頭から喰われてしまう。それが子供の栄養となる。雄は従容として雌に喰われる。それを思えば、人間は幸せだ。せめて社会に役立つような老いの生活をしたい。

 

同窓会で発見した多様性

 断捨離をすすめている仲間とお話しをした。その人は正規の職は退いたが、第二の職場でまだ現役である。現在、実家の整理中で、親や自分の写真等を全てシュレダーにかけて処分をしたという。思い出の品も全て捨てたという。親の写真の友人が写っていれば、それもその友人の個人情報なので、処分したという。位牌や遺骨もお寺に納め、墓じまいもしたという。断捨離をするか、しないかの、どちらが正しいというわけではない。

 そういう生き方もあるかと感心した。それは私と真逆であった。私はアルバム類を全て残している。お墓も新たに建立した

 お釈迦様はあの世が有るともないともおっしゃらず、ただ精進せよとだけ言い残され、旅立たれた。現世や来世をどう解釈するかは自分次第である。ただ精進さえすればよいのだ。お釈迦様は生前、ご自身の教えを強要はされなかったし、異教徒と戦われなかった。釈迦国に攻め入ってきた敵国にさえも、無抵抗であった。そして釈迦国は亡んだ。

 仏教は他の宗教に比べて寛容である。他の宗教では、その存在さえ許さない宗派がある。それが日本で他の宗教が普及しなかった理油であろう。

 人さまざまな価値観があるので、「皆違ってみんな良い」。これは金子みすゞの詩の一節である。これは仏教思想が入っている。他人の価値観を大事にするのは、お釈迦様の思想である。

 同窓会で多くも学びがあった。私はこれからの多くの想い出を作り、記録に残していきたい。全ての出会いに感謝である。

 

老いの季節に春の風

 今回の同窓会で一番の収穫は、テニスに誘われこと。70代の仲間の会である。最近の体力の衰えを痛感しているので、その回復の為テニスを再開しようと決意した。その前に体力復活の準備運動が必要ではある。遅くとも春までには参加しようと思う。これもご縁である。

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2024-01-07  久志能幾研究所通信 2798号  小田泰仙

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2024年1月 1日 (月)

謹賀新年 虎視昇龍 in Sagan

 

 明けましておめでとうございます。

 世の中を虎の眼で俯瞰し、龍が天に昇る勢いにあやかる。

 今年は、「虎視昇龍」を標語に精進します。

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  昇龍  樋口ナオミ 画

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 今年でガン手術後、やっと5年が経った。手術後に担当医より5年後生存率51.6%と宣告された。それから抗がん剤治療の薬物医師とけんか別れをして、真のがん再発防止策を模索して、東奔西走してきた。

 病状を虎の眼で視て、その真因を探し求め、やっと少し体力も回復し、天に昇る準備も出来てきた(昇龍?昇天?)。戒名も授かり、墓誌の刻印もし、看取り士の資格も取った。今はその前の平穏な日々を過している。

 樋口ナオミさんの画かれた「昇龍」を書斎に飾り、それを眺めて英気を養っている。

 

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学び

 今回、がんになって学んだことは、病気を治すには、「病(やまい)」を西洋医学で取り除き、やまいの「気」を東洋医学で治す必要があることだ。一般の人は「病」(病巣)を手術で取り除くだけで、がんになった真因を取り除かないから、またがんが再発する。

 そのためにやまいの「気」を治さねばならぬ。がんと喧嘩腰で闘っては、治る病気も治らない。「がんと闘う」とは間違った考えだ。がんが自分の生き方の間違いを教えてくれた。その間違いを正すのが正しい対処のしかたである。

 また病気を治そうという「気」を持たねば、病気も治らない。死亡率50%の医師の宣告を信じて、医師まかせでは、本当に死んでしまう。それは洗脳だ。医師だってがんがわからない。自分でがんを治す「気」を持つ、死んでたまるかという「気」を持つことだ。

 

 ガンになった真の原因を探し、宇宙根源の理にならい、がんと共生するのが、ホリスティック医学である。私はがんになり多くの学びを得た。それで生活習慣、食事習慣、自然観、人生観を見直すことが出来た。がんになり、多くの出会いがあった。

 人生は出会いの集積であり、縁起である。病気と言う縁にあった。それを毛嫌いするのも、その原因を探求するのも、ご縁との接し方次第である。私はがんに出会い、人生観をかえることが出来た。がんに感謝である。

 

 皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

 

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2024-01-01  久志能幾研究所通信 2793号  小田泰仙

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2023年12月29日 (金)

空気読んで子を殺し 空気読めず殺される とかくこの世は住みにくい

 

空気は読まない

 先日、あるサロンで談笑をしていた時、そのオーナが子供に100%生ジュースを出した。私はジュースが健康に良くないと思い、注意をしたら、「貴方は空気の読めない方」と叱られてしまった。

 そんな空気など知ったことか!である。私は子供の将来の命を慮って助言をしただけなのに……..。100 %生ジュースを常飲すれば、その子は将来、糖尿病やガン等の病気になって早死にしてまう。

 でも黙っていないと「KY」と呼ばれてしまう 😿 

 喋っても地獄、喋らなくとも地獄、とかくこの世は住みにくい。

 

悪魔の洗脳、100%生ジュースが我が子を殺す

 

空気を読む

 宮仕えの場合、上司が「カラスは白」だと言ったら、「カラスは黒ですよ」ですと言い返したら、サラリーマン生活はそれで終りとなる。

 1978年、私は技術部から研究開発部門に異動となった。その後、強烈な個性を持つ上司が次長としてが異動して来た。私はどうもその人に気に入られ、今回の異動となったようだ。

 そんなある日、その次長が我が仕事部屋にやってきて、隣の課の若い社員の髪の毛を見て注意をした。彼は少しパーマをかけていた。そこで次長と若い社員とで少し言い合いとなった。その時、その次長は私に意見を求めてきて、「君はどう思うか?」と。私は「今の時代、そういう風潮も少しくらいよいのでは」と答えた。

 その次長は私の直属の上司であるU課長に「君はどういう教育を部下(私)にしているかのか」と叱る騒動になった。私が空気を読まずに答えての騒動である。

 その若い社員は、翌日、自分から丸坊主にしてきた。その1か月後、彼は会社を辞めた。当時の空気は恐ろしい。

 当時は、会社内の空気を読まないと、会社を辞める羽目になる。当時のトヨタグループ内では、良い子は全員、金太郎飴である。金太郎飴はどこを切っても、金太郎が出てくる。トヨタマンは金太郎飴と揶揄される謂れである。それは当時のサラリーマンは皆同じであった。初心な私はそれ以来、宮仕えの世界で空気を読むのに必死になった。私はその後、会社では外見上は「良い子」で過ごした(笑)。おかげで何処かに飛ばされることなく、無事にサラリーマン生活を過ごせた。

 その次長は、その後、破竹の勢いで出世していった。その後、彼は世間の空気を読まず、会社の女性に手を出し、役員の座を追われた。

 以上は50年前のエピソードで、「空気」に関する私の黒歴史である。それは私の強烈な記憶遺産である。今、私は定年後で無職なので、安心して黒を黒と言った。

 定年だ 今日から黒を黒と言う

そうしたら「貴方は空気の読めない方」と言われてしまった。日本社会は空気の世界なのである。70にして69の非を知るである。

 

 いま世間を騒がしているパーティ券裏金問題は、空気の問題である。パーティ券で裏金を作るという空気を読まないと自民党内で殺される。空気を読んで裏金を作ると、国民から殺される。議員という世間は住みづらい?

 

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      馬場恵峰書

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2023-12-29  久志能幾研究所通信 2790号  小田泰仙

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2023年12月 8日 (金)

伊勢神宮参拝、国の安泰を祈願、無 china

 

 2023年12月7日、伊勢神宮へ参拝に行ってきた。私はいつも12月の大安に参拝をしている。私は、年末年始の大混雑時には参拝しない。

 神様だって年末年始は忙しい。神様の事を思い、混雑を避けてのお参りである。たまには、神様の忙しさに配慮してあげよう。

 神様の下には、神宮の運営を支える人たちが多くいる。その人達のためである。

 言い換えれば、仕事の平準化である。トヨタ生産方式である。

 

中国人団体が消えた

 今回は、初めての仏滅の日で参拝であった。今回、例年と違うと気が付いたことは、いつもは目障りで、大声で騒ぐ中国の団体客がいなかったこと。そのため気持ちよく静かに参拝ができた。中国の経済状態停滞している影響のようで、中国人が来日してこないようだ。

 以前に北陸の永平寺に参拝した時も、境内の立ち入り入り禁止区域まで、中国人が傍若無人に立ち入っていた様を目撃して苦々しく思った。

 

 今回は中国人団体の代わり韓国人の家族連れや仲間とのグループが、大きな声で話していたこと。神聖で静寂な場所であることをわきまえて欲しいと、苦々しく思った。まあ中国人の団体客よりは、人数が少なく目立たないので、何とか許容範囲である。

 

仏滅と神事は関係なし

 またお日柄が仏滅のためか、いつもの参拝者よりも人出が少ないようだが、それでもそこそこの人出である。お陰で、内宮の垂れ幕内への参拝も、待ち人は私一人でゆったりと行えた。

 70にして、やっと「伊勢神宮参拝は大安の日」という呪縛から解脱できた。70にして69の非を知る、である。

 伊勢神宮の境内で見た現実を、日本人としてその伝統を守れと言う神の声として聴いた。 

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 宇治橋を渡って、大通りへ    ‎2023‎年‎12‎月‎7‎日、‏‎11:17

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 私は大通りに並行する庭園内小道を歩く

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 五十鈴川の手洗い場   これだけ少ない人出は初めて見た

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 内宮の階段下   これより上は撮影禁止


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    馬場恵峰書  小田の蔵軸

 これと同じ書を、2018年10月20日、馬場恵峰師は伊勢神宮に奉納された。

 私にも贈って頂いた。

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赤福の値上がり

 少し驚いたのは赤福のお店で、いつものように赤福ぜんざいを食べたら700円であったこと。以前は確か500円前後であったのに、700円への値上がりである。物価高騰の影響がここにも出ていた。700円ならランチが食べれるのにと思ってしまった。たかが、ぜんざい、されどぜんざい、である。庶民のささやかな楽しみである。値上げは痛い。

 

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神の啓示

 この件でも増税クソメガネを連想してしまった。腐敗した政党には、国民がノーを突き付けないと、目が覚めないようだ。唯々諾々と学会のいうまま投票する洗脳された人々に対抗するには、我々がしっかりと目を覚まさないと、日本は滅びる。

 

郷に入れば郷に従わず

 移民に私は大反対である。日本に来る移民の問題は、日本文化になれ従わず、彼ら独自の村を形成し、日本社会と断絶した社会を作ってしまうこと。川口市のクルド人問題でもその弊害が明らかだ。まるで治外法権の社会が日本国内に出来てしまうようだ。

 移民推進で、大混乱やテロを招いている欧州の二の舞を招いてはならない。欧州の混乱は他山の石である。

 そういう外国の輩は、神聖な伊勢神宮でも大騒ぎをする。日本古来の伝統など知ったことではないのだろう。本来、郷に入っては郷に従う、が人間として基本の行動である。日本人はそうしてきて、周りとの軋轢を避けてきた。海外からの移民にはそんな感覚はないだろう。同じ日本人でも、土地や育ちが違うと軋轢が生じるのは、周知のことだ。ましてや人種が違えば、その軋轢は巨大だ。

 

日本企業の強欲

 日本企業もその戦犯である。企業は、移民を安い賃金でこきつかうのを目的に、移民政策を賛成している。結果として日本人の平均賃金が下がってしまい、いつまでも日本経済がデフレ経済から脱却できず、日本人が貧しくなってしまう。

 日本企業は自分で自分の首を絞めている。日本には失業者が175万人もいる。それなのに、(実質)移民の外人労働者が10月現在182万人も働いている

失われた30年

 要は、政府の経済政策が失敗であったことが判明したのに、今いる失業者を無視して、その穴埋めの外人労働者を入れるという愚策に走った。それは派遣業者の利権の為である。国内企業は、安い労働者を使いたいだけ、目先のことしか考えていない。30年前に、外国の安い労働力を求めて海外に工場を移したと同じ行動である。それが自分自身の首を絞めてきた。だから失われた30年が生まれた。

 政府は国民の生活を無視して、利権に走り、国を滅亡に導いてきた。政府は狂っている。

 

 だからその対策は、移民に賛成する議員、増税を推進する政党には投票しないことだ。竹中平蔵の様にその利権を狙って移民産業を推進している。海外で有名経済学者は国の発展には移民が必要と言っているが(日経新聞はその記事を掲載して暗に移民政策を後押ししている)、いまだかって移民で栄えた国は歴史上に存在しない。国民として移民に反対しよう。

 1000年続いたローマ帝国も、国民が国を守る気概がなくなり、政治家は堕落して、軍事には外国の傭兵を使い、国民は飽食に明け暮れ、その結果としてローマ帝国は滅んだ。

 自民党政治家のパーティ券疑惑の堕落を見ると、人ごととは思えない。

 

2023-12-08  久志能幾研究所通信 2784号  小田泰仙

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2023年12月 4日 (月)

看取り士の資格を取得、死の定義

 

 2023年12月3日、私は看取り学講座の上級講座を修了し、看取り士の資格を取得した。それで職業として働くためではない。死という生の現場知識を得るためである。自分自身のためにも、家族の為にも良かったと思う。

看取り士は観音菩薩、死をプロデュースする

http://yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2023/07/post-bbed.html

 

紹介「看取り士養成講座」 - 久志能幾研究所通信

http://yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2023/07/post-3fff.html

 

人生の最重要で最期のセレモニー

 今回、看取り士の資格を受講して、必ず訪れる「死」への準備として、看取り士の知識を得られた。それは人にも薦められる講座である。

 何事もリハーサルが必要である。死は人生で最大で最後のセレモニーである。いわば人生の卒業式である。それを自分の目で確認し、模擬体験として行い、その内容を体で完全に理解する。それこそが現地現物である(トヨタ生産システム)。

 

ご縁の賜物

 今回はたまたまご縁があり、私の飛行機好きを知る看取り士の方から、岐阜自衛隊飛行場祭の前日リハーサルへのご招待があった。その「餌」?に釣られての受講であった(笑)。ご縁として結果オーライで、良かったと思う。

 そのきっかけは私の大垣市政への不満であり、そのご縁で市会議員選挙のお手伝いをすることになり、そこで看取り士さんと巡り合ったというご縁である。私は「来たご縁は拒まず」「気になることはやってみよう」という人生哲学である。

 

医学的な死 

 今回の最大の収穫は、死の定義である。我々が知らされる「死」は医学的な死であって、本当の死ではない。

 生物としての死の定義は、時代、地域により異なる。看取り学講座の知識からではなく、今までの通俗的、経験的な事例から明らかになっている。

 

 医学的、社会的に人間の死を何処かで線引きしないと、社会の運営が成立しない。今の死の定義は、あくまで人間の勝手な取り決めである。それは臓器移植、終末医療の停止の線引き、金儲けに関係している。あくまで心肺停止、瞳の反応ゼロで死と判定しているだけである。

 しかし組織の50.01%が死んで、医師が死を判定しても、まだ組織の49.99%は生きている。体が生体反応をしないだけで、半分近くの組織はまだ生きている。それを死としてよいのか。聴覚は医学的な死後、数時間はまだ聞こえているという。

 

生物としての死

 終末医療を調べて分かったことは、人の死の直前の1年程は、段々と食が細くなり、痩せていくということだ(東京有明医療大学の川上嘉明教授の研究で)。そしてBMIが12を切ると急激に衰弱して死に向かう。

 その時は、いくら食べさせても、栄養素も水も受け付けなくなる。食欲もなくなる。その時に無理やり栄養剤を注入し、水を補給しても、体が受け付けない。老化して機能が低下した腎臓は、処理能力以上に体内に入ってきたの水を処理できなくなり、肺や血管等の臓器に水があふれ肺水腫等になる。

 このように無理やり水分を入れると、体重増加による、むくみ・呼吸困難・血圧上昇などの症状が現れ、心不全や肺水腫などの原因になる。その医療行為は死にゆく人には拷問のようになる。

 だから自然に任せて、枯れ木が自然に倒れるようにすることが宇宙根源の理にかなっている。枯れるように死ぬときは、神経も老化して鈍くなっているから苦しくない。それがあるべき穏やかな死である。それが生命を終える時の理想のソフトランディングである。その時に寄り添って、魂に安心を与え、安らか逝けるようお手伝いするのが、看取り士である。

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注) BMI=[体重]÷(身長)^2         身長はメートル単位

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  晩年の栄養量と体格指数(BMI)の関係

          (C)日刊ゲンダイ より引用

「老衰死」は数年前に予測できる?|日刊ゲンダイヘルスケア (nikkan-gendai.com)

https://hc.nikkan-gendai.com/articles/201981

 

日本古来の死の定義

 医学的な死は、我々が先祖代々で感じている死とは別である。我々日本人が先祖代々、伝えてきた伝統では、死後7日間はまだ生きているとして、自宅に寝かせて生前と同じように接する。どうもそれが正しいようだ。

 

人間としてのお別れ

 死後24時間は、まだ体は温かい。聴覚はまだ生きているようだ。故人の体に触れて、その温もりを感じ、故人との最後のお別れをするのが看取り学の作法である。だから看取り学では、死後24時間は、ドライアイスを入れないように葬儀屋に依頼する。遠方でも日本国内なら、24時間以内ならどこからでも、現地にたどり着けて、故人の温かい体に触れてお別れが出来る。

 

 ところが病院で死の場合、医師が死亡判定すると、家族との最後のお別れが慌ただしくさせられ、すぐ霊安室に運ばれドライアイスが入れられる。それで体が急速に冷たくなる。それで不可逆的な状態になり、本当の死となる。それでは臨終の場に間に合わない人は、遺体に触れてのお別れが出来ない。

 

大事な人とのお別れ

 大事な人とのお別れが、正しく、悔い無く、感謝して出来るような知識を得られた。もっと早く知っていれば、両親や多くの師の臨終に、正しく立ち会えたと思うとすこし悔いがある。しかしそれもご縁である。人間的な成長で、やっとこの歳でそれが分かるご縁を頂いたのだ、と思う。70にして69の非を知る、である。

 

馬場恵峰先生の事例

 馬場恵峰先生が2021年1月1日に亡くなられた。新潟の水谷社長は、その知らせを受けて、新潟から長崎まで(鉄路で1,600㎞)、高速道路を車で飛ばして、弔問に行かれた。所要時間約16時間以上と推定。当日は近来まれにみる大雪で、日本海側の高速道路を走れず、東京経由の高速道路を走ったという。

 水谷社長氏は、死後の先生の顔を見て、体に触り、声をかけて最後のお別れをされたようだ。そしてそのまま新潟にトンボ帰りをした。氏によれば「医師が死亡宣告をしても、まだ24時間は生きていると同じ」と言っておられた。それを思い出した。改めてM氏に畏敬の念を抱いた。

 それなら私も岐阜から長崎に飛んでいけばよかったと今にして思う。それもご縁である。そういう「縁が無かったと言う縁」である。まだまだ当時の私は人間的に未熟だったのだろう。

 

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 春風のようないい人に出会えたな、よい風が吹いたなと思ったら、もう秋がきて、別れの雨が降り、美しい花が散っていく。人生は春夏秋冬、春風秋雨である。


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 馬場恵峰書

  馬場恵峰先生は、最期まで現役であった。生前も全てを受け入れ、命を全うし、穏やかな死であった。94歳の天寿を全うされた。

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2023-12-04  久志能幾研究所通信 2782号  小田泰仙

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2023年11月29日 (水)

死の気配 死活の演出 死後の法要

 

 私は最近、生と死を真剣に考えるようになり、自分の死後の段取りを見直すことにした。「終活」ではなく、その後の「死活」である。

 死後の段取りを再検討すると、死後50年間の法要が明確に決まっていなかった。それで11月28日に、菩提寺に行って、住職さんと打ち合わせをした。

 私が5年前にがんになり、手術後、死後の各種段取りをしたが、約5年が経ったので、その見直しである。幸い、まだ死の気配がない?

 

何回忌まで、法事をするのか

 誰の葬儀でも、何回まで法事をするのか、決めておいたほうが、当人も遺族にも良いだろう。生前にその意思を確認しておいた方が良い。

 最近は7回忌で終りという家も増えている。通常は33回忌までが一般的である。50回忌まで勤める家は少ないようだ。当家では50回忌まできちんと執り行っているので、自分も50回忌までの手配をした。

 2年前に祖父の100回忌が回ってきたので、ご縁と思い執り行った。今年は祖母の50回忌を執り行った。

 

法事のレベル決め

 法事と言っても、親戚に集まってもらうわけではなく、お寺さんが私のためにお経を読んでくれるだけである。だからお花も特別な飾りもいらない。そう思って法要を簡素にしてもらうようにした。それで50年間で、約50万円の節約である。

 その法事の目的は、自分に対してお経を上げてもらうだけではない。その時の法事と同時に、当家のご先祖代々の諸精霊にもお経をあげてもらうことになる。それが主目的である。

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置いて逝く遺産

 この法事も自分がこの世に置いてゆく遺産である。それで安心して逝けるなら、幸せである。手を合わす対象があるということは、幸せである。カネと女と欲望だけの人生では空しい。それは畜生の人生だ。自分が此の世に生を受け、生きてこられたことに感謝することが人間としての務めである。病に倒れ、戦争で命を奪われたご先祖を思えば、自分は幸せである。手を合わす対象があると意識することが霊長類の資格だと思う。動物は、先祖に手を合わせない。

 知人に私の33回忌に参列してくれませんかと(冗談で)お願いしたら、拒否された? そこまでは生きていないとか?(笑)

 死後では自分では何もできない。しかし生前で、かつ元気であれば、そのプロジュースをすることが出来る。

 今回の打ち合わせで、自分の存在が死後50年間の法要に値するか、今後の生き方を考えるよい機会となった。今から後世に何を遺すのか、課題が見つかった。

 

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葬儀

 葬儀やり方も戒名も事前に決めた。墓誌に戒名も彫った。葬儀と戒名のお金も払った。看取りをされる段取りもした。看取り士の資格を取得中である。死亡の病名も決めた。老衰である(希望?)。

 

死に場所

 死に場所も決めた。自宅である(希望?)。数多くのチューブに繋がれて、身動きできず、苦しみながら病院で死にたくはない。病院にとって死は敗北であるようだ。だから患者が苦しもうが、拒否しようが、家族の希望が有れば、延命治療を強行する。それは患者を苦しめるだけだ。どうせ死ぬのだから、安らかに逝かせて欲しい。

 

位牌を手配

 来年、自分の位牌を手配することにした。そうすれば自分が納得出来る位牌になる。位牌の戒名で「○○院○○◎◎居士」と記された◎部を朱で書けばよい。没後、朱の部分を金箔で覆えばよい。それを仏壇の中ではなく、仏壇の横に置いておけばよい。

 お墓は8年前に改建すみである。改建当時、自分も入ることは全く頭になかった。人は必ず死ぬのだ。それに思い足らず、自分でも愚かであったと思う。

 戒名は既に頂いていて、墓誌にも刻字すみである。私はまだ生きているので、墓誌の戒名には朱を入れている。

 

遺影を準備

 5年前の手術前に、覚悟して写真館で遺影の写真は撮った。CDに記録はしたが、それを正式の写真として印画することを忘れていた。うかうかすると、何処にしまったのか忘れてしまう。だから、印画を実施することにした。

 

家系図

 お寺さんと打ち合わせをして、良かったことは、ご本尊様の扱いを決めたこと。位牌堂に入れる品を再確認できたこと。その中に家系図を入れることを住職さんから提案され、決めたこと。

 その家系図は、お墓を改建する時、ふとしたご縁から1734年前の最古参のご先祖の記録が菩提寺の奥の蔵から出てきた。それから後の家系図を完成させたことができた。それで約150名のご先祖の家系図を作成した。その調査のため東奔西走で大変であった。今の体力ではとてもできない。お墓造りも同じである。今では中国の経済状態が激変して、今では当時のお墓を作れない。お墓の石の加工は中国でおこなった。まさにめぐり合わせを感じるこの頃である。

 何ごとも、出来る時にやっておかないと、出来ない。だから死の準備は早い方がよい。だれにでも死は必然である。それもある日突然である。

 

死の気配

 住職さんの話で興味深かったのは、最近の檀家さんの動向のお話しである。最近、立て続けにお別れに来られた檀家が数名いたという。自分で死期を悟り、お別れに菩提寺を訪れたという。実際、その後しばらくして、亡くなられたという。住職さんも、その気配をその人から感じたという。

 ちなみに住職さんは私の顔色を見て、そんな気配はないという。それは今回、菩提寺を訪問して得た最大のご褒美である。

 しかし油断大敵である。人の明日は分からない。なにせどんな人でも、70歳になれば、30歳台に比べ、筋力量、免疫力は半分に減っている。脳の体積も40歳台に比べれば、15%も減っている。脳の体積は40歳以降、年に0.5%ずつ減っていく。

 80歳にもなれば、全員ががんを体内に持っている(老人医療の専門家・和田秀樹医師の話)。

どんな生物でも生老病死である。

何時までもあると思うな親と金、そして自分の命。

人生の日暮れは近い。人生の大事を急ごう。

死を意識することは、今を全力で悔いなく生きる事。

 

 

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 馬場恵峰書

 

2023-11-29  久志能幾研究所通信 2779号  小田泰仙

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2023年11月26日 (日)

魔女からの贈物 夢見るバイオリン弾き少女

 

 Gallery Saganで開催されていた「渡辺陽子人形展」で、渡辺さんが作る人形に何か惹かれ、「バイオリンを持つ少女」を入手した。

 美術品は講釈抜きに、自分が気に入れば楽しめばよいと思う。蓼食う虫も好き好きである。芸術の「芸」は「草冠」と「云」からなり、「云」は匂いのことである。つまり匂い草の象形文字である。匂いは、特定の時代、特定に環境、特定の人の場合のみに通用するものである。それが芸術である。だからゴッホの作品は、時代が変わらないと評価されなかった。

 きっと私は魔女の渡辺陽子さんに魔法をかけられたのだろう。渡辺さんは魔女の様に神出鬼没で(魔出魔没?)、人と話し込んでいると思ったら、いつの間にか、ほうきに乗ってどっかに飛んで行ってしまっている? 私は敬意をもって、渡辺さんを「魔女」と呼んでいる。

 

 当初、この娘をピアノの上に飾ろうと思って入手した。「彼女」は何故かこの人事異動?を拒否して、今も居間のテーブルの上に鎮座している。彼女は夢見るような目つきで遠くを見つめている。

 

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夢を見続ける

 私も叶わぬ夢を見続けている。夢があるだけ幸せなのだ。夢なき人生は虚しい。その夢を実現するために、前に向かって歩くのが人生なのだ。それも一生かかっても実現できない大きな夢を抱いて人生を歩くべきだ。夢の実現のため、道なき道を歩いてきた後ろに道が出来る。

 漢字の「道」の語源は、魑魅魍魎が住むと言われた古代中国の城壁の外を「生贄の生首」を魔除けとしてぶら下げ、恐る恐る歩いて出来た跡を「道」と称した象形文字である。シンニュウは、十字路の象形文字である。

 直ぐに実現できてしまう夢は、真の夢とは言わない。それは単なるルーチンワークである。

 人は全く可能性のない事を夢見ない。少しでも可能性があるから、夢として思い浮かぶのだ。誰も自分にアメリカ大統領になる夢を持てとは言わないし、自分もなりたいという夢は抱かない。

 どうせ夢を抱くなら「倍の大きさではなく、一桁大きい夢を抱け」が、トヨタ式の考えである。大法螺と言われてもよい。実現すれば、法螺ではなくなる。

 

 永眠してしまえば、夢を見ることが出来ない。夢を見ることは生きている証。生きているのに、夢を見ないのは、病院のベッドの上で生き永らえていると同じ。それは死んだ人生だ。夢を見るのに、齢は関係ない。老人だからこそ、今までの経験を元に大きな夢を持とう。実現できなくても、後継者がそれを叶えてくれる。

 

 夢の世に 夢みし夢は 夢ならで 

 夢見ぬ夢こそ 夢と知れ

 

 

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 馬場恵峰書

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2023-11-26  久志能幾研究所通信 2778号  小田泰仙

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2023年11月20日 (月)

人生の譜面 振り返り

 

 私は大学時代には囲碁クラブに入っていた。そこで一局を打つと、対局後、その囲碁試合の振り返りとして、上段者が、いま対局した手を全て盤上で再現して、その一手、一手を講評してくれる。そうやって自分の碁の力は強くなった。

 新聞社等の公式試合では、その一手一手が譜面として記録される。

 

人生譜面の記録 

 私は、「人生は一局の囲碁と同じである」と思うようになった。以前に打った一手、碁盤に置いた石が後日、対局中の後半に大きな役割を示すことがある。人生でも同じである。何気ない出会いや行動した縁が、後年に大きな幸運になることがある。

 その自分が歩いた記録が、手元に資料として残っている。それを整理している。

 その人生囲碁の過去の打ち手の振り返り、そのご縁の始まりを検証することが重要だと思う。

 今後の自分の人生開拓力を強くするために、人間力、徳力を上げるため、死生観を磨くためにこそ、いままでの人生の差し手を振り返っている。

 

スクラップファイルの整理

 私は、今までの人生記事のスクラップファイルを見直している。各所に散らばった資料を一か所に集めて、84個のボックスファイルにまとめた。一時は整理して60個までに削減したが、再度見直して、まとめ直したら84個になった。それを日々見直している。そういう過去の資料を断捨離せず残しておいてよかったと思う。

 PDF化してパソコンで見る方法もあるが、パソコンの画面では、これだけの資料を見る気になれない。やはり紙の資料でないと見直せないし、当時のことが目に浮かばない。

 1974年の入院・手術の記録もある。40年前、思い余って書いた辞表もある。幸い、提出せずにお蔵入りした辞表である。左遷の記録もある。恋文もある。良き記録の山である。

 過去の資料を84個のボックスファイルに資料を入れて、日々、読み直している。1個のボックスファイルが約10kgなので、総重量が約840 kgである。人生の途中で気になった新聞・雑誌の切り抜き、講演会の資料、メール等が大部分である。多くは失敗の記録でもある。思い出は重いで~、である。私の大事なお宝である。

 

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 これで84個のボックスファイル。総重量は約840㎏。

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情報とは

 情報とは自分が気になって引っかかってきた情報が本当の情報である。そうでない情報は雑音である。その情報を見分ける能力が、人生を歩む力となっていると感じた。過去にどんな情報に反応したかで、自分の成長具合が分かる。人生囲碁、人生将棋の振り返りである。

 

過去の頑張り 

 今振り返ると、あの時に頑張りは、合理的でなかった。やっているふりの頑張りであったと反省もある。当時はまだ弱い人間で、保身での行動であった。しかしあの時の無理な頑張りと保身があったから、今の自分がいる。過去の資料を見直していると、そういう感情が沸いてくる。前に一歩出て、失敗しないと見えない世界がある。今振り返ると、頑張り過ぎたきらいがあるが、一歩前に出て良かったと、20年後に感じる人生経験である。

 今後の人生でも、過去の同じようなご縁がやってくる。ご縁も生老病死である。その新しいご縁と出会った時、過去のご縁との出会いの反省が生きてくる。だからこそ、人生の振り返りが必要だ。

 

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人生の結論

 70年間の人生を振り返り、私が得た結論は、「ご縁に良いも悪いもない」。それを運が悪かった言うのは、人間性が未熟である。出会った縁を良いものにするかの意思があるか、どうかだけである。縁は玉石混交である。縁は無機質でもある。それを血の通ったご縁に育てるのが人の徳力である。

 そのご縁は「盲亀流木」のめぐり合わせで、今生で只一度のご縁である。自分にだけ訪れたご縁である。人生で最後のご縁である。

 人生では、自分で選んだ未舗装の道を、舗装道路(正しい道)に変えればよい。人から不正解の道だと言われても、それを正解の道にすればよいだけ。だれにも、それが正しいかどうかは分からない。そのために過去の行動を振りかえり、失敗から知見を得て、PDCAを回す。人生の成功は、努力の量ではなく、選択が全てである。そのためには多くのご縁に出会い、その中から良いご縁を識別し、選択する。それが賢さである。いくらオウム真理教や旧統一教会のような道を選んで努力しても、絞首刑が待っているだけ。

 私は毎日、虚空蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩に手を合わせている。知識は必要だが、それだけで人生は渡れない。文殊の知恵が必要だ。その智慧を使って、多くのご縁からの選択が必要だ。人生道中で現れるご縁を普く賢く選択せよ、が私の信条である。

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松本明慶大仏師作 普賢菩薩像
 

 

2023-11-20  久志能幾研究所通信 2773号  小田泰仙

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