c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2024年8月27日 (火)

コロナ対策、ワクチンよりもフルチンで

体温よりも4.5度高いお風呂にゆっくり浸かれば、自然と体内の免疫力を活性化することが出来るので、薬に頼るよりずっと健康になれます。

  安保徹・船井幸雄著『医者いらず老い知らずの生き方』p120 徳間文庫

 

 私はガン手術後の療養中で、体力低下、免疫力低下があったので、コロナワクチンを一度も打たなかった。その代わり、朝晩、お風呂に肩までしっかりと浸かって、免疫力をあげる取り組みをした。その入浴後、水シャワーを浴びていた。それは自律神経を活性化させ、免疫力向上に効果がある。お陰でコロナには感染しなかった。

 

 今になって、ワクチン接種での死亡事故の隠蔽工作が露見している。最近になってワクチン接種で被害者が700名を超えるとのNHKの報道があった。小林製薬の紅麹サプリメントで数人の死亡事故(後日、計81名の死亡)があった時、あれだけ報道が過熱したのに、3月末で、コロナワクチンでの死亡認定数が523人になっても問題としなかったのはなぜか。

 当時、紅麹サプリメント問題の報道一色で、ワクチン死亡事故を隠したとしか思えない。現在までに700人を超えるワクチン死亡事故は、いままで報道はほどんどなし(報道規制?)である。まさに医療業界とマスコミに利権ワクチンが注射され、マスコミが機能不全となったようだ。だから日本のマスコミは信用できない。

 政府とマスコミを信用したら、殺される。

 

ワクチンの過多

 日本は7回のワクチン接種、アメリカは2回である。それでいて、感染数は世界一である。厚生省の2020、21両年度の支出総額が4兆2026億円に上る。ワクチン購入でアメリカの製薬会社に2兆円以上を貢いだことになる。街角で、無料のPCR検査を受ければ、商品券がもらえる顛末である。それが利権での検査商売である証拠である。カネが動けば、途中でチュウ―チュウ―する鼠が発生する。宇宙根源の理である。

 

NHKに巣くう鼠

 今回の総裁選挙でも、候補の一人の青山繁晴議員をNHKは完全無視である。報道機関としてあり得ない。それがNHKの本性である。なにせ「尖閣諸島は中国のものだ」とNHK国際ラジオ放送で暴言を許す低落である。NHKは税金を使って売国奴行為である。

 嘘の情報を信じれば、殺される。ウソつきのマスコミの付き合いを止めれば、月に数千円、年間で5万円以上の節約となる。10年間で50万円の節約である。

 緊急の情報はネットで見ればよい。国民は、そのニュースの周知で一秒一刻を争うわけではない。大きなニュースなら、偏向していない週刊誌から情報を後からゆっくり得ればよい。月に2回、良質な週刊誌を買っても1000円である。NHK受信料や新聞購読料に比べれば安い。

 今のテレビは「食え、喰え」との加工食品のCM洗脳放送ばかりである。それで洗脳されて、そんな加工食品を食べれば、病気になり、死亡する。ガンで年間37万人が死亡している。その食品が原因で、この50年でガンは5倍、糖尿病は50倍、乳がんも5倍に増えた。認知症やアトピー、骨粗しょう症が激増である。原因は明らかである。テレビの洗脳工作で殺されているのだ。それを支配しているのは、拝金至上主義の食品メーカである。

 

人生の使命

 人生最大の金儲けは、病気にならない生活である。生きていれば、人生を謳歌できるし、社会に御恩返しする機会もある。ご先祖から頂いた命を全うする。ご先祖も子孫の長命を望んでいる。それがご先祖の願いである。それを叶えるのが子孫の義務である。

 

7人の敵

 母の口癖は、「男は外に出れば、7人の敵がいる」であった。現代はグローバル経済主義者が力を持ち、周りは拝金至上主義者の敵ばかりである。

 自分の城(体)は自分で守れ。(石田退三氏の座右銘)

 

 

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2024-08-27  久志能幾研究所通信 2921号  小田泰仙

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2024年8月25日 (日)

先祖の、親の、師の恩

 

 自分の親は父母で2人だが、2世代前なら、4人の父母がいる。10世代前の御先祖なら、1024人がいる。その一人でも欠ければ、自分はこの世にいない。一番近い親でも、父がシベリア抑留で死亡していたら、私はこの世に存在しない。現実に父の弟は、戦時中に結婚式を挙げてから入隊・出陣した。その叔父は敗戦後の1952年ごろシベリア抑留中に死亡している。だから従弟は父の顔を知らない。それを思うと、生の有難さと、運命の不思議さを感じる。

 

 今回、発見できた11世代前のご先祖(北尾春圃)の血は、自分には2048分の一に薄まって伝わっている。そのご先祖の中に偉いご先祖がいる分かると、自分にも、その血流れていると思い、何故か嬉しくなる。自分も頑張らねばという気持ちにさせてくれる。

 それがご先祖を祀ることのご利益である。今回、自分の10世代前の御先祖・北尾道仙が、名医・北尾春圃の三男であることが分かって嬉しい。ここまでたどり着くのに、25年もかかってしまった。

 25年間、その探すという情報アンテナを張っていたので、今回のご先祖の発見となった。そのアンテナにスイッチが入っていないと、流れてきた情報には絶対に目がいかない。

 それはどんな情報でも同じである。自分のアンテナに引っかかったのが価値ある情報である。

 

氏より育ち

 更に考察すると、血のつながりよりも、ご先祖の後姿で示された生き様が、その家系のありようを象徴しているようだ。昔は、子供が成人まで生きていることも少なく、養子、養女をもらって家をつないだ例が多い。自家の12代の家系図を見ると、養子をもらって家をつないだ例が多い。側室まで存在した。血はつながっていないが、家のDNAはつながっている。それこそ、ご先祖の家訓、伝統、後姿でその家を保ったのだと思う。氏より育ちである。

 

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2024-08-25  久志能幾研究所通信 2917号  小田泰仙

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2024年8月23日 (金)

100年先、1000年先を考える

 

 今、自分が行動しようとしていることが、100年後、1000年後に子孫に役立つかを考えて、行動したい。

 今年の地蔵盆祭りのお下がりを、子供の将来を考えて、お菓子から文房具に変えた。その時は、100年後、1000年後を考えたわけではないが、子供の将来には良いと信じて変えた。子供がその文房具を使って、創造性や勤勉性、学びの習慣を少しでも付加できれば、将来、日本を背負って立つ青年の教育に役立つはずだ。

 今読んでいる本で、「100年先、1000年先を考えよ」という言葉に出会った。言葉との出会いもご縁である。その言葉に勇気づけられ、お下がりの文房具への変更を「独断で」実行した。町内には事後報告である。

 

 自治会長として何も変えず、今まで通りにするなら、一番楽である。批判もされない。変えれば軋轢が出てくる恐れもある。しかし変えなければ、何も進歩はない。自分の利害を捨てて、今の自分の行動が日本の100年後、1000年後に役立つかを考えたい。利己的な行動では、日本は良くならない。やることは小さなことで、今の行動で効果が出なくても、100年後に少しでも効果があると信じられるなら、やるべきだと信ずる。

 

英霊

 今から80年前、太平洋戦争末期、特攻、兵役、外地進攻で、多くの日本人が命を捧げた。特に特攻隊員は銃後の老いた親、新妻、子供を考えて、命を捧げた。それがあり、戦後、米国は自らの命を犠牲にした精神性に恐怖を感じて、恐る恐る占領政策を行った。それが無ければ、もっと悲惨な占領政策が行われただろう。

 欧米が植民地にしたアジア諸国は、そういう抵抗が無かったので、植民地支配は凄惨を極めた。その残酷な植民地支配を破壊した日本はアジア諸国からは感謝されている。だから英霊の死は、決して無駄ではない。中共が日本を非難しているのは、中共が、欧米と同じ支配階級で、人民を抑圧する立場であったからだ。

 戦争中に命を捧げた英霊は、結果として100年先、1000年先の日本を考えて戦ったことになる。

 

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 馬場恵峰書

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英霊に院号

 私の家系も2名が戦死している。それがあるから今の私がいる。それがあり、2015年、自家のお墓を改建する際、戦死した叔父の位牌をつくり直した。その叔父の法要は既に50回忌も終わっているのに、である。その際、住職様が院号として「護國院」を授けられた。住職様も英霊に院号を付けるのは名誉だと言われ、そのお金は請求されなかった。子孫がそれを見て、なんらかの誇りを得るはずだ。それが100年先、1000年先の日本のためになるだろう。

 

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現状の憂い

 今の堕落した政治家たちは、自分の利害しか考えていない。今の利権政治家や売り上げ至上主義の経営者、社員は、もう日本人ではない。グローバル経済主義狂というウイルスに侵されてゾンビと化した。拝金至上主義に洗脳された人の仮面を被ったゾンビが跋扈している。だから失われた30年が生まれた。

 この現象の責任は、国民が政治に無関心になり、異常な政治家に投票した選挙民にある。もっと目を見開き、正しく議員を選ぶべきだ。

 

2024-08-23  久志能幾研究所通信 2912号  小田泰仙

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2024年8月18日 (日)

人生最大の金儲け、病気を避ける縁技

 

命の値段

 人生最大の金儲けとは、自身の健康管理である。未病管理である。

 もし自分がガンになり、医師より余命を宣告されたとき、

 「カネはいくらでも出す。命を助けてくれ」と泣き崩れて言ったとする。何処にでもある話である。

 その時、自分が出そうとする金を余命年数で割り、それに寿命年数をかけた値が、自分の命の値段である。

 その大金を稼ぐ手段が、健康管理である。そういう病気にならなければ、その大金は使わなくて済む。それだけ儲かる。

 

ジョブズの例

 世界一の金持ちのスティーブ・ジョブズは膵臓がんで56歳の若さで亡くなった。治療費に10億円を使ったとも言われる。そのカネを使っても病気は治せなかった。彼は2兆2000億円の遺産をのこした。要は彼は2兆2000億円ぶんのただ働きをした。

 歴史にIFはないが、彼がもっと健康に気を付けていれば、もっと長生きして、大きな創造をしたのに、と惜しまれる。

お金は人生劇場への入場料

 お金は使ってなんぼで、カネを多く残して死んでは、遺産を残された人を不幸にする。お金は人生舞台で出演し、縁技するための必要経費である。多く使えば、より大きな舞台で縁技に使える。そうすればより多くのご縁に出会える。

 お金を感謝の気持ちを込めて世間に送ると、お金がお友達を連れて、帰ってきてくれる。だからお足は止めてはダメである。お金を引き留めると、腐ってきて腐臭を発する。

 

 

いのち

 人生は、命あってこそ、なんぼの世界である。人が生まれる確率は、1億円の宝くじが100万回連続で当たると同じである(村上和雄筑波大名誉教授)。

 その確率で、人間として生まれただけでも、大儲けである。その命を大事にしたい。

 

金儲け

 だから私は健康オタクで、健康維持という金儲けに邁進している。死んでもいいから健康管理である。健康管理は人間の仕事だが、生死は神仏の仕事である。神仏に帰依すれば、神仏が助けてくれると信じられるので、心穏やかに過ごせる。それが精神の健康につながる。健康とは、体と心の健やかである。

 お天道様が観ていると思うと、規律ある生活になる。そうすると足るを知る生活になる。それで暴飲暴食などしなくなる。命の価値を理解すれば、ジャンクフードなど食べたいと思わなくなる。そうすれば、自然と病気は遠のく。その結果、無駄な医療費、交通費、時間が節約できる。

 それが最大の金儲け。

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追記

 2024年8月21日、愛知県がんセンターで定期の胃カメラ検査を受けた。そのため、前日は絶食、当日、前回よりなぜかキツイ麻酔薬を使われ、フラフラになってしまい、酷い目にあった。まるまる2日、貴重な人生の時間が潰れた。これもガンという病気になったのが縁起である。まず病気にならないのように縁技をする。そこから始めるのが、金儲けの第一歩である。

 

 

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2024-08-18  久志能幾研究所通信 2909号  小田泰仙

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2024年8月14日 (水)

縁がないという縁 vs 縁ありて花開く縁

 

 2015年、私は自家のお墓を改建した。その時、遠くの親戚から改建を反対された。ご先祖のお墓を改建することが、縁遠い親戚と軋轢を生むことになるとは想定外であった。良いことをしているはずなのにとの想いがある。それでその親戚とは断縁状態になって、私だけでお墓を改建した。結果オーライであった。

 

 現代は、煩わしい縁を切りたいと、墓じまいが流行?である。2022年度、墓じまいは全国で15万1076件(前年度比3万2101件増)に上り、過去最多となった。

 それなのに、お墓を改建するとは異端児であるようだ。正しいことをしているから、後ろめたさはなかった。

 

縁がないという

 住職様からは、「その親戚とは縁がないという縁」があった。無理にその縁と争わないほうが良い」と助言された。だからそっとその縁を遠ざけた。

 お釈迦様でも「縁なき衆生は度し難し」と言われる。お釈迦様でも縁なき衆生には、お手上げである。一般の人には、「その人とは縁がないという縁」を変えることはできない。縁とは縁起であり、そういう縁となった原因があり、その結果を凡人が変えることはできない。縁は自然現象と同じで、何処からか訪れて、何れかに去っていく。人はそれをただ受け入れるだけである。人智の及ぶところではない。

 お釈迦様も、「全ては縁起による。その人の肯定的な存在性はなく、あくまで縁起である」といわる。(妙法蓮華経 方便品第2)

 来るものは拒まず、去るものを追わず、である。

 

 今回のお墓の改建で、馬場恵峰先生から下記の軸をお祝いとして頂いた。縁があれば、その人とそのご縁を大事に育てて、花を咲かせればよい。良き学びであった。

 

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2024-08-14  久志能幾研究所通信 2905号  小田泰仙

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2024年8月 8日 (木)

人生のお宝と幸福

幸と福

幸せは自分で創るもの

 創るものだから血みどろの闘いが必要だ。

 小さな幸せを多く積み重ねていく生き方こそ、賢者の生き方だ。

 効率ばかり、金儲けばかり考えている生き方は、餓鬼の生き方だ。

 

福は神仏からの授かりもの

 それはご先祖が血みどろの闘いで勝ち得たお宝で、それの恩恵はご先祖が創ったお宝の利子である。

 裕福だった家が2代目で潰れるのは、幸を作らず、福だけを浪費して喰い潰すからだ。

 漢字の「福」とは、神への捧げものを置く台を象形文字で現した「ネ」、捧げものを表した旁からなる象形文字である。

 神さまが分け与えてくれるものは酒である。福という漢字は酒さかだるをそれぞれ意味し、二ふたつを合あわせて作つくられている。神さまに捧ささげた酒を自分の酒だるにいただく(神福)ことを福とした。

  だから「福」という漢字には「神さまから授さずかる助け」という意味もある。

 

 

幸福とは

 幸福とはご先祖と自分が作り出すお宝の五重塔である。第一階は世のなかの無数の佛たち、第二階はご先祖、第三階は自分、第四階は子孫である。第五階は来世の佛の世界である。

 

人生のお宝とは

 人生でのお宝とは、ヒルティによれば普通の思慮ある人が手に入れることができるもので、下記の項目だという。

 

  道徳の高い人格、高い精神的な教養、愛の精神、誠実ある性格、仕事の能力、仕事の楽しみ、健康な肉体、幸せな家庭、少数の友人、少々の財産、である。

 

私の考えるお宝

 私が考えるお宝とは、上記に追加して、「今日の用」、「今日行く所」、「天命としての仕事」と死生観である。

 

「きょうよう」と「きょういく」がお宝

 「起きたけど、寝るまで特に用もなし」では認知症へまっしぐらである。お陰さまで、私は自治会長としての仕事があるから、ボケている暇がない。

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天命

 天命としての仕事は、お金儲けではない。生計をたてるために稼ぐための労働は、金をもらわねばならぬ。しかし仕事はお金のためではない。仕事とは、経験を得るため、思い出を作るため、自分の成長のため、世間への報恩感謝の行為である。

 

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死生観 

 死生観とは、何時死んでもよいと、今を精一杯生きようとする覚悟である。それこそが生きることを意味化させるお宝である。それが有れば、いつ死んでも悔いのない。どんなことが起きても、無敵の護身の宝刀である。

 

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2024-08-08  久志能幾研究所通信 2899号  小田泰仙

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2024年8月 4日 (日)

人生づくりはトヨタ生産システムで

 

「トヨタのもの作り」の基本はトヨタ生産システムである。それは「もの(者・仕事・事象)作り」の基本である。その極意は人生でも同じである。人生づくりはもの作りと同じである。

 

豊田綱領

 一、上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を挙ぐべし

 一、研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし

 一、華美を戒め、質実剛健たるべし

 一、温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし

 一、神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし

 

 人生で大事なことは、信じるもの(宗教)をもつこと。動物と人間の違いは、宗教の有無である。宗教の漢字の意味は「家」の「教え」である。ご先祖の教えである。トヨタ家の家訓は、豊田綱領である。日本国家の家訓は、日本憲法である。会社というお家の家訓は、社是である。社是のない会社はろくでもない会社である。

 いくら人事を尽くしても、それを超越した存在がある。それを人は神、佛、自然、運命、天ともいう。豊田綱領では神仏とご先祖を敬い、報恩感謝を忘れるなと言う。

 

整理整頓清潔清掃(5S)

 5Sはトヨタ生産システムおける人生の極意である。

 それを古来の日本では、仁義礼智信という。人脈の整理整頓(5S)をしよう。縁なき衆生は度し難し。悪縁を整理整頓しよう。腐れ縁が自分を不幸にする。

 戦略を練る場所(家)を5Sしよう。戦術より戦略が大事。そのため5S。

 人生計画を5Sしよう。自分に残された時間はそんなに多くない。人は生まれた時から死が約束されている。人生は3万日しかない。多くの人が残り時間を意識するのは、残りが5千日を切った頃だ。

  72歳が男性の健康寿命で、その後の9年間は医者通いか寝たきりである。最悪は認知症である。

  還暦を迎えると、筋肉量は、若い頃の半分である。一般的に30歳代くらいから少しずつ脳の萎縮が始まり、65歳くらいになると、CT画像で肉眼的に「明らかな萎縮がある」ことが分かるようになる。

 人は生老病死である。

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前工程は神様、後工程はお客様

 モノ作りで、前工程で決まったことに後工程の自分は何も言えない。前工程の製品規格は、製品設計段階で決められている。自分の担当工程で文句は言えない。

 人生のご縁は、人を育てる工程の前工程である。どんな環境でもご縁でも、自分の意志ではなんともならない。全て受け入れることから人生は始る。

 人が生まれる確率は、1億円の宝くじが百万回連続で当たると同じ確率である。(村上和雄筑波大学名誉教授談)

 そんな稀有の存在で、今の生まれた時代と場所は神仏が決めたと思うしかない。だから置かれた場所で花を咲かせるしかない。戦争中の日本、極貧の国に生れなかったことを喜ぼう。

 

先入れ先出し

 先入れ先出しとは、先に仕入れた材料から順番に使う。それが品質管理の原則である。 

 年功序列とは、先入れ先出しである。人を育てるには、抜擢人事や飛び級はご法度である。人を育てるには、地道に多くの経験をさせて育成するしかない。

 

日々改善

 どんな工程でも無駄を見つけて、一歩一歩改善していく。最初から完全なものはない。そういう鈍くさいことを繰り返して、トヨタはド田舎のトヨタから世界のトヨタになった。

 人生でも同じで、日々、同じことを繰り返しである。その中で露見した自分の欠点、問題点を少しずつ治していくしかない。

 ローマは一日にして成らず。大木も一日では大きくならない。

 

カンバン方式

 時期が来たら、黙々とそのカンバンを処理する。

 受験期が来たら、受験勉強をする。若い時に勉強しないと、頭が追い付かなくなる。

 定年のカンバンが来たら、潔く退く。そうやって組織の若さが保たれる。

 定年延長で会社にしがみ付くと、自分の元部下の上司から派遣社員扱いをされ、「生前火葬」の儀で、誇り高いプライドが燃やされる。定年後1年も経つと、精神はボロボロになり、5年間の定年延長を待たず辞めていく。

 死のカンバンが来たら、黙って受け入れ、この世を去っていく。お釈迦さまでもそうされた。家族が世間体を気にして、延命措置で生にしがみ付くから、死にゆく人を拷問の苦しみに追いやる。

 

現地現物

 どんな問題でも、自分の足で現地に行き、自分の目で状況を完全に把握する。これは人生のどんな状況でも同じ。それしか問題は解決しない。

 問題が起これば、飛行機を使ってでも、飛んでいけ。

 

5回の何故

 問題が起きて、対処療法で処置するから、問題が再発する。

 何故、なぜを5回繰り返して、真因を見付け、対処すること。

 私は自分のがんをそうやって治した。

 

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一桁、ゼロを一つとる、10倍の大きさで考える

 最初に小さく目標を立てると、大脳生理学的にそこまでしか人間の頭は努力しない。

 棒ほど願って針ほど叶う、それが人生だ。

 棒を願わねば、針ほども叶わない。

 

 

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2024-08-03  久志能幾研究所通信 2895号  小田泰仙

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2024年7月31日 (水)

古希を迎えて見る夢は、走馬灯の陽炎絵

 還暦を迎えた時に見る夢は、悪夢であった。

 古希を迎えてみる夢は、自分が作り上げた夢の道だった。

 

久志能幾研究所通信: 兵どもが夢の跡 人間関係の葛藤は戦争だ (enjoy.jp)

 

 古希を迎える前に大病を患った。余命宣告まで賜った。しかし、心を入れ替えて、なんとか命を長らえて、古希まで生かされて来た。その人生を振り返り、それが走馬灯のように頭を駆け巡る。不運な人は、その機会もなく、そのまま旅立つのである。それに比べれば、何と幸せなことか。

 

 大病をして、余命宣告をされたから、命の大事さを痛感する。大病をせず、そのまま狂った生活習慣、狂った食生活を送り、結果として突然、脳梗塞、心筋梗塞で死ぬよりも、はるかに良い結果である。突然死では、その死の準備が出来ぬ。

 ガンはその準備の時間を与えてくれる。ガンになって突然に死ぬわけではない。がんは身内の細胞が分裂して出来た事象だ。外からのウイルスでなったわけではない。がんは自分に死ね、と言っているわけではない。がんは「狂った生活習慣を変えろ、狂った食生活を変える」と言っているだけだ。がんはまだ出直すチャンスを与えてくれている。医師は、「ガン部を摘出したから、あとは今まで通り生活で良い」というが、大嘘である。ガンになった真因を、「5回の何故なぜを繰り返し」て見つけないといけない。そうしないと再発する。

 

記憶こそ人生

 人生を振り返り、人生とは記憶であると悟った。その記憶も歳を取るとどんどん薄れていく。そのため記録の保存が必要だ。多くの経験、失敗、成功を体験して、人生を謳歌できてよかったと思う。エリートと呼ばれる人は、大過なく昇進のエスカレータに乗って、人生を波風の嵐を受けず全うするから、末期に認知症になりやすい。

 やりたいこともせず、閉じこもって人生を送っても、それは、生き永らえるだけの「屍の人生」である。ベッドの上で、単に生命維持装置で生かされるのは地獄である。人生は動いてなんぼの世界である。動いて記憶・記録を作ってこそ人生である。その記憶・記録を少しでも多くして、この世を去りたい。そのためには健康でなければならない。

 

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 書庫に納まった私の50年間の活動記録

  学校・会社のノートは高校生時代から保存

  雑誌『航空情報』は55年間のバックナンバー

  家族の写真アルバムは100年前から

  家系の記録は1734年から

 別の新館には、この書庫に入りきらなかった資料が山とある。

 新館には、80×180cmの本箱が12個である。

2024-07-31  久志能幾研究所通信 2892号  小田泰仙

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2024年7月27日 (土)

日本の危機、「優しさ」とは「差しさわりの実行」、「愛」の反対は「無視」

 

 子どもに、差しさわりのある言動で干渉することは正しい教育である。

 現代日本では、学校で教師が子供に「差しさわりのあること」を言動すると、クレーマーのような親が学校に怒鳴り込んでくる時代だ。教師が正しい教育をできなくなっている。

 現代は、問題が起きないように、問題を起こさないように、教師がびくびくしている。校長や教頭は教師たちへの指導で、差しさわりのあることをさせないようにしている。公的教育界が、官僚の世界と同じ、減点主義になっている。

 会社でも部下のことを思って叱っても、それがパワハラとされてしまう。世の中、ポリコレが暴走して、社会が崩壊してきている。

 この現象での最大の被害者は、日本の未来を背負う子供達だ。これでは日本の未来が失われる。

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愛の反対は無視

 教育とは、子供への愛である。愛の反対は「憎悪」ではなく、「無視」である。愛があるから心配して過干渉もするし喧嘩もする。厳しいこともさせる。間違っていれば叱る。愛が無ければ、相手がどうなっても知ったことではないから、「無視」である。無視が子供には一番残酷な仕打ちである。

 同じように、相手に対して愛があるから「優しく」なり、相手の将来を考えて、敢えて厳しいこと(差しさわりのあること)をする。それがが「優しさ」なのだ。

 

教育とは

 ラテン語の教育は「殴る」が語源となっている。「教える」という「教」の偏は大人と子供の象形文字で、つくりは「攵」は鞭の象形文字である。つまり大人が子供を鞭打って育てている姿である。

 つまり西洋も東洋も、成人になる前の子供は動物扱いで、教育という訓練で、大人にさせる。

 それを世間に憚って、叱るべきことを見逃がすと、その子供が正常に成長しない。却ってその子供の将来に害をなす。甘やかされて育った子供の未来は暗い。だから子どもが間違ったことをすれば、殴ってでも修正させるのが正しい教育である。

 

「生と死を考える会」8月例会

 「あぶらみの里」代表の大郷博先生は、あぶらみの里で子供達にキャンプ体験をさせる際、子供達をお客様扱いせず、準備の一部を手伝わせるという。親から見れば「差しさわりのあること」である。大郷博先生は、そうやって子供達に社会の掟を現場で体験させて、大人に成長させるという。

 2024年7月27日に、あぶらみの里で開かれた「生と死を考える会」7月例会で、大郷博氏は、この件を話された。

 

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 講演をされる「あぶらみの里」代表の大郷博先生   「諸魂庵」で

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 「あぶらみの里」内の「諸魂庵」(会場)


2024-07-27  久志能幾研究所通信 2890号  小田泰仙

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2024年7月24日 (水)

親に対する最大の供養は、自分が幸せである報告

 

 親に対する最大の供養とは自分が幸せになること。幸せになれれば、親への感謝として、自然と位牌やお墓に手を合わせて法事をするだろう。

 幸せとは、健康で暮らすこと。健康とは心と体の健やかさをいう。

 

 供養や法要をしなくても、親やご先祖が化けて出ることはない。親やご先祖は子や子孫の幸せを熱望している。その願いが届かないから、相手を病気にしたり、怪我をさせたりする。霊は物理的力が出せないので、そうやって早く気が付いて欲しいと、細工をする。

 

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 2019年10月10日 馬場恵峰先生の書道教室にて 

 私は、2019年2月にガンの手術をした。容態が落ち着いたこの年の10月10日、上記色紙をお見舞いして頂いた方がたにお礼の色紙として配るため、馬場恵峰先生に20枚揮毫をしてもらった。

 馬場恵峰先生も、94歳まで、現役で頑張って生きられた。これを揮毫された1年2か月後、恵峰先生は2021年1月1日、安らかに永眠された。

 私の師への恩返しは、健康で長生きすることだ。

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親の願い

 親は生きている時は、自分の欲を抑え、我慢して、子供のために働いてくれた。子供の幸せを願っての行為だ。

 日本人として恥ずかしくない人間になることが、親への最大の供養である。いくら幸せでも、他人を不幸にしてのし上がった地位で幸せでは、親は喜ぶまい。特攻で銃後の老いた親、新妻、我が子を思って戦死された親もいるだろう。戦地で飢えのため戦死された親もいるだろう。戦死された人であっても、子孫が幸せで、恥ずかしくない人間として、病気をせず幸せに成長してくれるのが最大の望みであったはず。自分がそうなるのが、最大の供養である。

 

最悪の親不孝

 それを食欲に負けて、飽食を繰り返し、病気になって、医療費として税金をたんまりと使い、挙句にベッドに点滴の管や胃瘻の管で繋がれ、死にたくても死ねない状態で、無為な延命治療で生き永らえるのでは、親不孝の極みである。

 御先祖もそんな人間のために、命を捧げたのではない。私の家系でも、2名がビルマ、シベリアで戦死をしている。もうすぐ、8月15日の終戦記念日で、お盆である。

 

 病院で治療を受けると、健康保険は医療費の3割負担だから、7割は健康な人の税金分のカネを(勝手に)使っていることになる。国土を強化すべきカネや福祉予算を医療費に無駄に使えば、国がその分、貧しくなる。50年前の医療費総額は7兆円ほどであった。現在は37兆円を超えている。

 

 病気の主原因である食を正すのも、ご先祖供養である。

 自分の体を大事にする。まずそこからご先祖供養を考えたい。

 

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2024-07-25  久志能幾研究所通信 2888号  小田泰仙

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