m_大垣からウィーンへ架ける六段 Feed

2017年7月23日 (日)

カテゴリー「大垣からウィーンへ架ける六段」を追加

2017年7月 5日 (水)

ピアノ工場見学 in ベーゼンドルファー

 2017年4月26日、ウィーン滞在最後の日、1828年創業のベーゼンドルファー本社のピアノ工場を見学した。朝、ホテルに駐在員の田村氏が迎えに来られて、氏の車で現地に赴いた。ウィーンから車で45分の静かな村にある伝統の工場である。

 

ヤマハの経営指導

 現在はヤマハが資本を入れている。ヤマハは伝統的製造法を守る方針でこの会社を買収した。日本人はヤマハから出向の田村氏(営業本部長)が一人だけ。当初は、他のピアノメーカからあらぬ疑いと噂を立てられたが、最近その真意が分かってもらえたという。当初は赤字続きであったが、ヤマハの経営指導で、黒字転換をして経営的に安定している。当初、かなりのリストラをしたが、キーマンはやめなかったので、技術が温存され現在に至っている。

 

工場見学

 最初、ピアノ製造の設計以外の全工程を見学した。今までの自分が製造メーカで体験した経験が生きて、内容が良くわかった。高校生のとき木製のソリッドモデル制作やUコンの飛行機製作に熱を上げたせいで、木工の加工技術も理解できた。また前職で工作機械の開発、自動車部品の開発、鍛造工場、熱処理工場や生技開発も担当した経験もある。新人教育講座で、前職の関連メーカの工場見学の引率を8年間もしたので、ものづくりの工程は熟知しているが、大量生産工場とは違い、ピアノの製造工程は興味深いものがあった。職人の工房といったイメージで、皆さんが真剣にピアノ造りに取り組んでいる熱意が伝わってきた。何か仏像彫刻の工房に似た雰囲気である。以前、松本明慶先生の仏像彫刻の工房を見学したが、そこの材料に対するこだわりと、同じこだわりをこの工場は持っていた。以前、ヤマハ掛川工場のピアノ工場を見学しているので、その差も分かり興味深かった。このメーカはお客の要望はほとんど受け入れてピアノを作るという。ここのピアノは手造りの製品で、工芸製品であり、芸術作品である。

 

CAD室見学

 当初、見学コースに入っていなかった設計室を、厚かましくリクエストをして設計室に乗り込みCAD室を見学した。「未だかって、設計室を見たいと言ったお客様はいない」と田村氏が呆れていた。総勢120名の会社で、製造関係が90名、設計者が数名の規模である。興味を持ったのはCADで、ドイツ製の普通のCADを使っていた。「ピアノの設計は規模的にCATIAなど使うレベルの設計ではないよ」と設計者は言っていた。

 

ピアノ品評会

 ピアノは工業製品であるが、その1台1台の工業製品の出来栄えで微妙な差があり、その差が分かる音楽家がいる。ピアノショールームを見学したとき、スロバキアの音楽院の教授達が、購入を決定したピアノ280VCで、提供された候補3台のうちから、1台を選定するという品評会の真っ最中であった。さすがプロのピアノ演奏で、表現力や豊かな迫力ある演奏でその音量に圧倒された。凡人の私の耳では、3台の差は判別不能である。

 品評会後に、そのピアノを弾かせてもらった。私が試弾すると教授たちの出した音と隔絶した貧弱な音しか響かなかった。ピアノの音は、いくら名器のピアノでもその優劣ではなく、弾き手の技量に依存することを思い知らされた。いくら普通免許を持っていても、運転技量がないとポルシェやF1フォーミュラカーの性能を100%発揮できないと同じである。楽器も名器であるほど、弾き手の技量が問われる。

 坂本竜馬が勝海舟から聞かされた西郷隆盛の人物評価で「西郷は太鼓のようで、大きく叩けば大きく鳴り、小さく叩くと小さく鳴る。すべて対応する人次第なのだ」と。それと同じことがピアノにもいえそうである。

 

鳴らないピアノ線が醸し出す音の魅力

 このピアノには熱烈なファンも多い。私の好きなピアニスト木住野佳子さんもその一人である。ジャズのオスカー・ピータソンはその代表者の一人である。私はジャズファンで、オスカー・ピータソンのCDも多く持っているが、そのことを今回のウィーン訪問で初めて知った。他のメーカのピアノと違い、ピアノ全体が共鳴板となっている構造が醸し出す音色は魅力的である。また普通のピアノの鍵盤キー数が88であるのに対して、ベーゼンドルファーのそれは92である。その鳴らない4本のピアノ線が共鳴して醸し出す音色が、耳に聞こえず感性で聴こえる音が、一つの魅力になっている。

 普通のピアノよりベーゼンドルファーの鍵盤が4鍵多いため、この鍵盤に不慣れな、並みのピアニストはこのピアノを敬遠しがちである。大垣市の音楽堂にあるベーゼンドルファーも、この理由で少し出番が少ない。少し練習すれば、すぐ慣れる話ではある。その差は、マニュアル車とオートマチック車の運転での戸惑いよりも少ない。私は、前職で、テストドライバー検定試験受験と社内のテスト車のモニターのため、自分のオートマチック車と会社のマニュアルのモニター車を並行して乗っていた時期がある。乗り始めた10分間程は違和感があるが、すぐに慣れた。それと同じだと思う。

 2017年6月19日、この音楽堂で開催されたピアノ勉強会(河村義子先生主催)で、ベーゼンドルファーを弾かれたピアノ教師の中に、タッチに戸惑った教師もみえた。ピアノの横幅が普通のピアノより4鍵分広いのだが、錯覚で同じ大きさと勘違いをしそうだという。しかし92鍵には、その差を上回る大きな魅力を秘めている。現在は、92鍵のモデルは225の1機種のみで、その他、97鍵の290インペリアルがあるが、他は全て88鍵である。新らしく開発された280VCも88鍵である。ある意味、少し寂しい。

 

経験という財産

 この項を記載していて気づいたことは、私の他社工場見学件数が、前職の従業員の中では断トツではないかということ。特に、新人教育講座の引率責任者として関連メーカの工場見学で、事前調査見学と本番見学の2回が10工場を回るとすると8年間、計160回程、通産省超先端加工システム開発プロジェクトの部会、全豊田情報システム部会、全豊田鍛造部会、自動車技術会事務局としての他社工場見学会主催が毎月開催、他の部会等の見学会で、総計で半端な数ではないようだ。このことは自分の財産として大事にしたい。

 

図1 ベーゼンドルファー本社事業所 

図2 隣接のショールーム

図3 ショールーム内部。スロバキア音楽院の教授がピアノを選定中 

図4 米国某富豪の別荘に納入予定のピアノ。右隣のピアノは「ポルシェ」

図5 ウィーン市内のベーゼンフォルファーの店。楽友協会ビルの裏側に店を構える。その通りの名が、「ベーゼンドルファー通り」

図6 工場見学後にウィーンのお店に戻り田村氏と記念撮影。ピアノはクリムトの絵がプリントされた素敵な一品 

                    

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年6月17日 (土)

ブラームスホールで故人を偲ぶ(改定3)

 楽友協会資料室室長ビーバー・オットー博士との面会日前日の4月23日(日)19:30、ビーバー・オットー博士の解説で、六重奏の古楽器演奏会がブラームスホールで開催されることを公演日程表で見つけ、早々にチケットを入手して、楽友協会に出かけた。楽友協会では、年間300回程の演奏会が公演される。

 ちなみに、この時のブラームスホールのチケットは日本円で約3,000円。平日夜のウィーンフィル演奏会で、黄金ホールの特等席(前から7列目)のお値段は82ユーロ(約1万円)であった。それがウィーンフィルのニューイヤー・コンサートになるとプレミアがついて10万円。それでも手に入らないとか。今回、良き席で適正な価格で音楽が鑑賞できて幸せである。

  古楽器演奏会は総勢300人くらいの聴衆で、日本人は地元の3名と私だけ。演奏会の種類によるせいか、年配の方が大多数であった。その中、場違い服装のチャイナの若い女性3名連れがいたが、休息時間後には姿が消えた。

 

ブラームスと大垣のご縁

 ブラームスホール中央のブラームスの胸像が見守り、壁や天井から黄金の蓮の花模様がホールを厳かに照らす中、古楽器の演奏会が開演された。その演奏を聴きながら、127年ほど前の戸田極子伯爵夫人とブラームスとのご縁に思いを馳せた。

 戸田氏共伯爵(大垣藩の最後の城主)は明治天皇の命を受け、明治政府が諸外国と結ばされた不平等条約改正のため、ウィーンに日本公使として赴任して尽力をされた。その美貌と知性で鹿鳴館の華と称された戸田極子伯爵夫人は、身に着けたプロ級腕前の山田流の琴の演奏は、日本の屏風や岐阜提灯を配した異国情緒あふれる日本公使館のパーティ会場で常に主役であった。極子伯爵夫人はパーティで「六段」や「みだれ」等の琴の演奏を披露して、音楽を通して日本文化を当時のウィーン社交界に紹介した。極子夫人は、戸田氏共伯爵の不平等条約改正の活動を陰で支えた。

 戸田家のピアノ教師であったボクレット教授が「六段」等を、ピアノの譜面に採譜した。1888年、ボクレット教授はそれを『日本民謡集』として出版した。パーティに招待されたウィーン音楽界の頂点に立つブラームスが、その譜面に朱を入れたという歴史事実を、お茶の水女子大学の大宮教授が論文に発表された。その資料発見にビーバー・オットー博士も貢献されたようだ。その縁で、ビーバー・オットー博士が1987年に大垣を訪問されることになった。

 ブラームスが戸田伯爵夫人の弾く「六段」を聴き入っている姿を、守屋多々志画伯(大垣出身、文化勲章画家)が屏風絵(畳4枚分)に描き、それが大垣市守屋多々志美術館で展示されている(作品保護のため年に1~2回の展示)。

 

 戸田極子夫人は、貧乏公家岩倉具視の側室槇子(まきの方)の長女に生まれた。極子夫人の美貌は母譲りであったという。14歳で戸田氏共と結婚し、戸田氏共が米国留学中に、殿様の奥方として、また外交官婦人としての教養を、実家の岩倉邸に帰って習得した。極子夫人は琴や華道、茶道などの諸芸に励み、また英語やダンスを学んだ。それが鹿鳴館時代とウィーンで花咲くことになる。

 

 極子夫人は鹿鳴館の華と呼ばれた。鹿鳴館の華と呼ばれれるための条件は、①洋装が似合う、②英語ができる、③ダンスが上手い、④外人と物おじせずに交際できる、である。流石に公家の出で、お殿様の奥様である。129年前の極子夫人の写真を今見ても、今でも立派に通用する現代的美人である。

 なにせ当時の伊藤博文首相が、官邸主催の仮装舞踏会で、極子夫人に庭で関係を迫ったとのスキャンダルが、新聞紙面に躍ったほど。それを各新聞が面白おかしく三面記事に取り上げた事で大スキャンダルとなり、伊藤は辞任に追い込まれる。女遊びが激しい伊藤は、明治天皇からお叱りを受けて、天皇に言い訳するほど女好きだった。それだけ極子夫人は魅力的であったのだろう。それにしても伊藤博文首相は女性を見る目が高い。モニカ・ルインスキー事件で実習生に手を出し弾劾寸前まで追い詰められた元クリントン大統領より、女性を見る目が上である?

 

大垣市守屋多々志美術館 HP lwww.city.ogaki.lg.jp/0000002019.htm

 (リンクが何かの事情で貼れません。「大垣市守屋多々志美術館」で検索ください)

 

 私のピアノの先生である河村義子先生は、この物語をコンサート「ウィーンに六段の調」として過去8回開催して大垣の歴史の広報に尽力されている。このご縁もあり、私は2017年4月にウィーンに飛んだ。

このコンサートの模様はyoutubeにアップされている。

https://www.youtube.com/watch?v=FaSqfewdp-U

 

オットー博士による古楽器演奏の解説

 博士の解説はドイツ語であったので、全く理解が出来なかったが、声に張りがあり名調子である。公演日程表で見ると、かなりの頻度で解説をされている。

 博士は舞台の最前列1番目に座って、舞台と観客を見守っていた。その隣に奥様(後で知った)が座っていて、それから4人おいて私の席であった。自由席であったのでよき席を確保出来た。

 休息時間に日本人の婦人の方と会話を交わしたら、博士と知り合いとのことで、博士の奥様に紹介してもらい、挨拶をして30年前の博士の写真をお見せした。昔の博士の写真に驚いてみえた。良きご縁でした。演奏会後、博士と名刺交換をしたが、演奏会での取り込み中で、詳細のお話は週明けの月曜日でということになった。

 

チェンバロの位置付け

 古楽器演奏会と現代ピアノ演奏会とで、チェンバロの役割がかなり違う。チェンバロがピアノに進化を遂げて、演奏会の主役に出世した。古楽器演奏会の場でのチェンバロは繊細な音ではあるが、迫力が無い印象である。古き良き時代の宮廷音楽会の雰囲気を味わったようである。

 その繊細な音は、当時の宮廷のサロンの雰囲気にはマッチしていたようだ。チェンバロ用に書かれた楽譜を演奏するとき、チェンバロに限界を感じてストレスを感じるピアニストも多い。その一方で、チェンバロは根強い人気もあり、現代でも名工によって製作が続けられている。

 古楽器の弦楽器も同じく、現代のバイオリンとは隔世の感がある。今のバイオリンは大きなホールや広い場所での演奏でも、迫力ある演奏を聴かせる。チェンバロ・古楽器の弦楽器とバイオリン・ピアノとの協演では、迫力が全く違う。

 古楽器は中世ののどかな時代の産物である。それに合った環境で書かれた楽譜通りに演奏するのが良いか、現代の楽器の実力に見合ったように演奏するのが良いか、演奏家の間でも意見が分かれる。面白い見解の相違である。

 私は環境とその楽器が変われば、それに相応した演奏方法に変えたほうが良いと思う。本来の成長した楽器の能力・個性が発揮される演奏方法のほうが、楽器もホールも喜ぶはず。建築家が心血注いで設計したホールにも魂が籠っており、ホールの神様も喜ぶはずだ。

 古楽器の本体材質や弦等の材質は、昔から比べると大幅に進歩している。昔の小さいサロンで演奏する場合はよいが、今の大ホールで演奏すると力不足が露見する。私はブラームスホールの最前列で聴いたから感動したが、遠くの席でならどうだったのだろうか。

 

楽器の器格と人格 

 チェンバロはないと寂しいが、大きな音を立てるとうるさがられる楽器で、演奏の立場が難しい。まるで人が人格者に成長しないと、大きな声でわめくと下品と思われると同じようだ。それ相応の人格(楽器の格)がないと、声量を上げても人の心に響かない。チェンバロがピアノに脱皮して、現在のピアノになるのには長い年月を要した。まるで人の成長のようである。

 

 経営とは、持てる資源(人、モノ、金、情報、時間)を最大限に活かして、付加価値を創造して、社会に貢献する仕事である。経営の中で、最大の資源である人財を育てるのも大きな仕事である。音楽演奏も経営である。演奏家、楽器、ホール、楽譜の能力を最大限発揮して、聴衆に喜びと感動を与え、人生に生きる喜びという付加価値を与える創造の仕事なのだ。

 

 2017年6月5日、大垣市民病院の広い玄関ホールで、「院内ふれあいコンサート」が開催された。河村義子先生の電子ピアノと天野千恵さんバイオリンの協奏であったが、ピアノだけが電気的に拡声されていた。バイオリンは生の音で、その音色はどんどんホールに広がって出ていき、聴いてもらうのがうれしくて音が舞っているようようだ。バイオリンの音色が広い玄関ホールによく響き渡っていった。電気楽器や古楽器の弦楽器ではそうはいかないようだ。

 

図1 コンサート「ウィーンに六段の調」で使われた琴(2014年10月25日)

   ブラームスが奥の椅子に座っているとして、椅子が置かれている。

   椅子の上は、ブラームスが朱をいれた楽譜が掲載された本の表紙

図2 戸田極子伯爵夫人(影山智洋氏蔵)(明治20年、30歳) 

図2 1987年に大垣を訪問したビーバー・オットー博士を歓迎する交歓会

   『ウィーンと大垣を結ぶ音楽の架け橋』1987年大垣市刊より

   挨拶は当時の小倉満大垣市長(2001年 現役で逝去)

   前列が楽友協会音楽資料館館長ビーバー・オットー博士(当時40歳)と

ブラームスと戸田伯爵夫人の歴史を発掘した故大宮真琴教授(1924-1995年)

その隣が孫の戸田香代子様

   故小倉満市長が、日本百選である市の音楽堂に、ベーゼンフォルファーのピアノ導入で尽力された。

図3 ブラームスホール  古楽器演奏会の合間 2017年4月23日

図4、5 チェンバロ(岐阜サマランカホール所蔵) 素敵な彩色、芸術作品です。

図6 ピアニスト河村義子さんの演奏(2017年6月5日)

図7 バイオリンニスト天野千恵さんの演奏(2017年6月5日)

図8 大垣市民病院ふれあいコンサート 2017年6月5日)

 

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2017年6月 7日 (水)

「静寂の文化」と「喧騒の文化」の精神構造(改定2)

日昇る国の静かな西遊、日沈む国の喧騒なる漫遊

 2017年4月18日の夜、ウィーン・ヒルトンのレストランで夕食をとっていたら、続々とチャイナ人客達が入ってきた。気になってウエイターに聞いてみたら、現在の客の25~30%はチャイナ人で、特に今日は多いとか。日本人は5%くらい。今朝、通ったウィーン市立公園内の黄金のヨハン・シュトラウス像の前で、チャイナ人集団が大騒ぎをしながら写真撮影に興じていた。そのため、人影が入っていないヨハン・シュトラウス像を撮影するため、しばしの時間を待たされた。

 それに輪をかけて各観光地で雰囲気を台無しにしているのが、チャイナ人観光客の洪水である。シェーンブルン宮殿の王宮内部でも目に付くのはチャイナ人観光客の集団だけである。

 

 その昔、エコノミックアニマルと蔑まれた日本人は今いずこ。今は話題にも上らない。当時は日本も勢いがあった。実質以上に日本人の影が海外で薄く、チャイナにお株を奪われている現実を目にして、考えてしまった。日本もチャイナ以上に経済大国なのだから、もっとお金を使って見聞を広げる為出歩くことが勧められる。用があるから、旅行するのでなく、用を作りに出歩くもの、成熟した人間の行動だと思う。行けばそれに見合った収穫はある。

 

欧州事情の激変で、「ホールドアップ!」命令

 日本人からの旅行客が少なくなったため、ウィーンと成田間の直行便が、昨年9月に廃止された。しかし上海とウィーン間の直行便が新設された。現実は正直だが、情けない。そのため今回は、関西国際空港発、オランダ・キスポール空港経由のKLMで、15時間かけてウィーンに向かった。乗り継ぎのため4時間の時間ロスである。

 

 キスポール国愛空港は、出張で30年ほど前に利用して、良い印象を持っていたので、今回の渡欧でのKLM選定は、その理由の一つであった。しかし「紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹝跡なし」(修証義)で、キスポール国際空港は、この30年間の拡張に次ぐ拡張で、巨大化して激変しており、乗り継ぎが大変になっていた。なおかつ時差ボケで、キスポール空港で降りての通路分岐点で「乗り継ぎ」と「入国」の標識を見落として、降りた乗客達について行って入国ゲートに行ってしまった。一方通行なので、戻れないので大騒ぎである。結局、係官に連行(?)されて、元のルートに戻ったが、かなりの時間ロスである。オランダの空港職員2名が親切に元のルートに案内をしてくれた。感謝です。当然、そんな旅行者が多いようだが、日本からキスポール国際空港経由でウィーンに行く日本人乗客は、私ひとりであった。これでは直行便が廃止になるのも致し方ない。

 

 また現在の欧州の移民問題で、入国審査が厳格を極めて困惑であった。入国審査場では、足印のある所に脚を開いて、「ホールドアップしろ!」で、股の下まで手で触られてのボディチェックであった。その担当官は、生粋のオランダ人ではなくアフリカ系の人であったのが皮肉である。最初から違法移民の犯人に扱いの入国審査であった。入国審査場は、多民族、多人種のデパートの様な様相で混乱を極めていた。結局、到着ゲートから出発ゲートまで3キロほどを歩いたことになり、心身とも疲労困憊である。直行便の便利さに憧れた。

 入国審査は「シェンゲン協定」では、EU内の最初に降りた国で厳格に行うので、ウィーン国際空港の入国審査は全くなかった。オランダの入国審査で懲りたので、構えていったのに肩透かしであった。

 

文化レベルの評価指数

 文化レベルの差は音楽や言葉の周波数からも示唆される。宗教的な場所や高級レストラン等の場所では静かで低い声で会話がされる。決してきんきらきんの甲高い音や声ではない。邦楽や琴の音やキリスト教の教会で弾かれるパイプオルガンの荘厳な響きは、低い周波数の音である。静を重んじる茶道の文化も日本が世界に誇る精神文化の極致である。

 その言語の持つ周波数を見ればその人種の文化レベルがわかる。公共の場所で甲高い声を上げ、傍若無人に振る舞う隣国人が、文化レベルで高いわけではあるまい。ウィーン市立公園内のヨハン・シュトラウス像の前で奇声を上げながら集団で写真撮影に興ずるチャイナ人を観察すると文化水準が分かる。

 

 関西国際空港行き「はるか」の静かなグリーン車内で、英国の若者たちがスマホ画面を見ながらネットゲームに興じて、時折甲高い奇声を車内に響かせていた。今は金を出せばグリーン車に乗れるが、本来相応のマナーが要求されるはず。英国の若者集団には礼節がなかった。紳士の国である大英帝国も落ちぶれた。昔、世界を制覇した大英帝国がチャイナに媚を売る時代となった。その没落の一端を、「はるか」車内の英国若者達が発する奇声の周波数から垣間見た。

 

英語の周波数帯域   2,000〜12,000 Hz

仏語                  1,000〜2,000

独語                     100〜3,000

日本語                   125〜1,500

  福田修 (著)、豊田倫子 (著)『仕事が早くなる文章作法』より

 

 甲高い声でキンキンした喋りが、文化レベルが高いとは言えまい。耳触りのよいトーンでお話をしてこそ文明国である。その国の言語の周波数帯は、文化のレベルを表している。渡欧して感じる西洋の文化と日本の文化の差は、音へのこだわりの差である。西洋の文明は自己主張の強い身勝手なマナーにある。西洋では自分が出す声の騒音に無頓着である。高級レストランや特別ラウンジ、また公共交通の車内でも携帯電話で喋り捲っている人がいても、誰も注意をしない。その禁止の放送や掲示もない。食事のマナーでスープのすする音を立てるのはマナーに反すると教えられてきた身には、納得しかねる事象である。日本の携帯電話での公共の場所での携帯電話使用の抑制をアナウンスする行為は、世界的に文化的にはるかに進んでいる。

 

 色にも音があり、メッセージがある。原色の色は、直接的、激情的などぎつい音色や乱れた周波数を連想させる。その服装の色使いを見れば、文化レベルがわかる。ウィーンの静かな雰囲気で、チャイナ人集団の原色の服装の氾濫は、雑音、騒音である。まるで街頭宣伝カーのスピーカーの騒音である。せっかくの雰囲気が台無しである。日本人は自然の恵みの風景の色彩の移ろいから、自然を支配する天の声を聴いて見て育ってきた。かの国は、日本とは感性の面で隔絶の差がある。

 図3 色彩によるコミュニケーション 

 

音への配慮における東西差

   西洋では言葉は武器である。自己主張をするのは正当な行為で、喋らなければ、自己主張しなければ負けである。攻撃だけで察しや他人への配慮は考えない文化が、高度とは思えない。野蛮である。2010年に定年退職記念でイタリア旅行をした時、フィレンツェ行きにイタリア新幹線ユーロスターの一等車(JRグリーン車の半額程度)を利用したが、その静かな車内で、ビジネスエリート風の女性が携帯電話で長時間大きな声で喋り捲っていたのが印象的であった。金儲けのためなら、周りの迷惑など知ったことか、のようだ。その思想が染み込んでいたのがご先祖である。彼女は世界中に植民地強奪競争に出かけていったご先祖の末裔である。ウィーンでもヒルトンホテルの静かなレストラン内や市内電車内で携帯電話のオンパレードである。だれも気にしている風には思えない。当方は不愉快千万であったが、そんなことは気にも留めない風潮であったのが、日本と海外の文化の高低差を感じた。

 図4 ユーロスターの一等車内  

 

  それに輪をかけて下品なのが、チャイナ人の集団での傍若な大きな喋り声のオンパレードがある。特に中国では大きな声で自己主張しないと、生存競争に負けるので、大声の文化は歴史的に身についた文化のようである。不況の欧州は、チャイナが落とす金に平伏している。もっとも日本も同様である。日本はもっと毅然としたいもの。

 

 最近の風潮で我慢できないのが、老人が身に着けた鈴の音である。静かな場所で、チリンチリンとうるさくてかなわない。コンサートホール内でも、席のあちこちでチリンチリンと聞こえると幻滅である。本人はお守りとして無頓着に身に付けたが、年老いているせいで耳が遠く、周りへの迷惑に気が付かない。若い女性は、イヤホン装着で、自分の立てる鈴の騒音が気にならないようだ。周りに気を使わなくなるのは精神の老化である。それはオバタリアン化

 

「戦いの文化」から「雅の文化」への進化

   西洋と日本では左脳、右脳の文化の差があるのかもしれない。秋の虫の音でも、西洋人には騒音としか聴けないが、日本人の耳には心地良いさえずりとして聞いている。それが文化レベルの差かもしれない。

 西洋は戦いの文化で、日本は雅の文化である。戦いや過当競争の文化の下では、情緒やわび、さびなどあったものではない。それより自己主張、金儲け、現世の快楽である。西洋の音楽が極めて人為的な構成があるが、日本の音楽は自然体で、宗教的な安らぎさえ感じられる。ブラームスが戸田伯爵夫人の弾く六段の調べに興味を持ったのは、その西洋とは異質な宗教的な響きへとの出逢いだったかもしれない。

 

図1 B-787  関西国際関空~キスポール国際空港(キスポール到着ゲートで)

図2 B-737 キスポール空港~ウィーン国際空港(キスポール出発ゲートで)

図3 色彩によるコミュニケーション 

図4 ユーロスターの一等車内 (写真のビジネスマンは紳士でした)

    2010年11月17日  

写真 ヨハン・シュトラウス像の前で大騒ぎをする原色服装のチャイナ人集団

(2017年4月18日 ウィーン市立公園)

 

久志能幾研究所  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

  2017年6月6日 HPを更新  当研究所の書庫を公開

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「強奪の文化」が「共栄の文化」を張り倒す

 欧州の王宮は壮大さの豪華な文化を誇示している。日本の御所は緻密さの文化を謙虚に披露する。日本は1300年前の平安時代に、源氏物語の宮廷文化を育てている。西洋ではその種の小説が出てきたのはその1000年後のルネッサンスの時代である。2017年4月20日、ウィーンが誇るのシェーンブルン宮殿(世界遺産)を見学したが、内部の意外な下品さに目がいった。

 

 この宮殿は17世紀初頭に完成して、1743年の大改築を経て現在の姿になっている。確かに荘厳で大きな作りであるが、近寄ってみるとその細工がガサツな作りなのだ。金やけばけばしい装飾で人目を驚かすのだが、近寄って観察すると、造りががさつで、日本人の繊細な神経では耐えられないレベルである。ドアや壁に付けられた金の装飾品は荒い細工である。ドアの塗装もペンキを塗っただけのような安っぽい仕上げである。当時としては素晴らしい出来かもしれないが、京都御所の造りと比較して美の価値観の相違もあり、私の目で見ると耐えられない。ただ大量で広い宮殿として作り上げたという価値はある。人を驚かす、見せびらかす方針としては良いが、文化的に高度であるとはとは思えない。内部は撮影禁止なので写真が撮れなかった。撮影されると粗が出て恥ずかしいのだろうと推察した。京都御所の一般公開日は、撮影が自由である。

 

シェーンブルン宮殿を生んだ文化

 シェーンブルン宮殿は、ハスクブルグ王朝の繁栄の謳歌を誇示する宮殿である。ハスクブルグ王朝は1580年から1640年までポルトガル王を兼ね、海外植民地を含めて「日の沈まぬ帝国」を実現した。その植民地からのアガリと国土の農奴からの搾取で、王侯貴族は贅沢三昧の生活で、豪勢な見せびらかしの宮殿として建てられた。

 

 植民地政策とは、平和な無抵抗の異国に、武力で押し入り、言いがかりをつけて領土を強奪して現地人から搾取するシステムである。つまりやくざ、強盗である。国を守る武力を持たなかったアフリカ、アジア、中南米の国々が植民地にされた。日本がその毒牙を逃れられたのは、武士集団が存在したからである。

 英国に至っては、人を廃人にするアヘンをチャイナで大量に売りさばいて金儲けをして、それが摘発されたので国の軍隊で殴り込みをかけて(アヘン戦争)、チャイナの領土を強奪した。アヘン戦争は、ヤクザ組織が麻薬販売で摘発されたので、弱い警察署に殴り込みをかけたようなものだ。それも闇の犯罪組織でなく、英国政府が堂々と実行するのだから、呆れてしまう。それでも英国は紳士の国と称されているのだから、何かおかしい。

 

 アヘン戦争でチャイナが毒牙に襲われる情報を知った日本の知識層が危機感を抱き、国を思うが故、鎖国政策方針の攘夷派と開国派のあいだで激しい幕末の騒乱が巻き起こる。まず開国して欧米の技術・文化を取り入れ国力を上げてから、対応すべきであるとして大老井伊直弼公は、天皇の勅許を得ないまま、独断で開国の決意をする。それが1860年の桜田門外の変につながり、井伊直弼公は暗殺される。天皇を取り巻く人材に、世界情勢に疎く視野の狭い人間が多かったのも一因である。井伊直弼公が命を犠牲にして開国したお蔭で、今の日本の繁栄がある。その世界の時流に愚鈍であった隣国は、内政問題のあけくれ、国を亡ぼすことになる。歴史の流れは残酷である。自分の国が守れない国は、自然淘汰される。過去70年間に180以上の国が消滅している。それは会社組織も同じ。会社の30年後の存続率は0.021%である。自分の城は自分で守れ、である。

 

 今の欧州の繁栄は、世界の植民地からの血税で生まれた。現在の欧州での移民問題、テロ問題の真因は、数世紀前のご先祖が犯した罪の落とし前なのだ。だからそう簡単には解決しない。なにせ当事者の欧州人が、過去の犯罪の意識がないから。有色人種は、当時は人間とは認められていなかった。今でも欧米社会には、有色人種への見えざる壁が存在する。当時のローマ法王がそう認めている記録も存在する。当時西洋で存在する生き物は、支配階級の貴族と平民、奴隷と非人間の異教徒の有色人種である。当時は、異教徒は人間でないから、どれだけ搾取しても、殺しても神様は咎めないと教えられていた。

 

日本の文化の背景

 それと比較すると天皇家の皇居は質素である。天皇は最高の権威者であったが、富の最高君臨者ではなかった。権威はあったが、それを実行する力は持たなかった。狭い日本国土で、天皇は常に民衆と共にあったし、そうでないと世界最古の歴史を維持できなかっただろう。天皇は武力で世界の土地を強奪するために海外派兵をすることもない。日本では農奴の搾取も、植民地からのアガリもなく、歴代幕府は天皇家の貧しさに呆れることもあったという。歴代幕府は天皇家を権威として祭り上げ、幕府は実質的な政治を担当した。昭和の時代も政府が勝手に軍国主義を進めた。天皇には実質的な権力がなかった。それが日本の歴史である。天皇家はいつも民衆と共にあった。日本の天皇は、日々国民の幸せと護国豊穣をただ祈るだけが最大の仕事である。そんな王族は欧州にはない。

 

 それと対照的なフランス王朝は、贅沢を極めて、民の苦しみが理解できなかった。ハスクブルグ家から嫁いだ王女マリー・アントワネットに至っては、民衆の嘆願デモを見て「パンがないなら、ケーキを食べればよいのに」と。圧政に苦しんだ民衆は、決起して国王を断頭台に送り、王朝は絶えた。欧州の王族は民衆とは隔絶した人種であった。西洋の王族は飽食と狩りと女あさりに暮れていた。当時の貴族の絵を見ると、おしなべて醜い肥満体である。それを念頭に宮殿を見ると、その見せびらかしで、豪華に見えるが文化的、実質的にみすぼらしい背景が分かる。それに比べて京都御所はキンキラキンの豪華さはないが、品格があり厳かな造りである。

 

国の成長・文化の成長

人の成長でも、若い時は脂ぎったステーキを食べ歩き、酒池肉林をあこがれるが、成熟して知性が完成すると健康的な食生活と落ち着いた生活を目指すように、国にも同じような成長過程があり、それが文化に現れる。中世の欧州文化は日本に比べて幼いと思う。教養の高い人や国は、見えないところに金と心配りをする。それが高度な文化の証である。とかく成金は見せびらかしたくなるもの。当時の民衆の識字率は極めて低いが、日本の民衆の識字率は世界から隔絶した高い値であった。日本の幕末には70~90%の識字率であったが、英国の大工業都会でも20~25%である。それだけ文化レベルの層が厚かった。欧米から来た当時の西洋人が、この事実に驚いて記録を残している。

 

写真1 シェーンブルン宮殿(18世紀)

写真2 シェーンブルン宮殿(18世紀)

 上から下々を眺めていたら民衆の痛みは分かるまい

写真3 京都御所の清涼殿の王座(平安時代 8世紀)2012年11月10日撮影) 

シェーンブルン宮殿の豪華絢爛たる王座に憧れる成金が見れば、貧弱と見るだろう。

写真4 京都御所の御三間(2012年11月10日撮影) 

「安政6年(1859)3月、有栖川宮幟仁親王は孝明天皇から祐宮(明治天皇)の御手習師範となることの命をうけました。その後、幟仁親王が御三間にて裕宮におめにかかっている場面の再現です。」(パネル説明文)

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2017年6月 2日 (金)

黄金のホールを照らす蓮の花

 今回のウィーン訪問の目的の一つは、楽友協会のホールにある蓮の花模様の確認であった。楽友協会館内ツアーと演奏会に出て、ブラームスホールと黄金のホールの現地確認を行った。

    館内ツアーで管内の概要を見て回ったが、せわしなく詳細な確認ができなかった。4月23の日ブラームスホールでの演奏会で、ジックリと蓮の花(Lotus)模様がある壁や彫刻を確認した。3日後の4月26日、黄金のホールでも蓮の花模様を確認した。日本では佛様は蓮の花の台座に座ってみえるが、西洋の女神は冠に蓮の花模様を付ける。東西文化の差があって興味深い。その差は、その気になって観ないと見えない。自家のお墓に付けた蓮の花模様を現地現物で確認できて、このウィーン訪問が、2015年改建のお墓の仕上げ工程となった。

 

   西洋でもLotusは特別の花である。ギリシャ神話では、Lotusの実は、それを食べると浮世の苦しみを忘れ楽しい夢を結ぶと考えられた想像上の植物とされる。英国の自動車メーカのLotusも、表計算ソフト会社のLotusも、その意味合いから会社の名前にしたという。

   私の家のお墓を建立した松居石材商店さんが、2016年ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートのTV放送を見て、蓮の花模様が黄金のホールにあることを見つけ、私に連絡してくれた。これが楽友協会とのご縁の始まりである。

 

   蓮の花は仏教でも特別の花である。泥の中に根をはり、水面に綺麗で清浄な花を咲かせる蓮の花の姿から、現世が汚泥の様な五濁悪世の中であっても、佛様の教えに導かれて、悟りの世界が開けられると言う意味が込められている。また、水を弾き、水面一面に大きく緑の葉を広げる様も、俗にまみれず、強く生きる事への象徴とされている。一貫して凛とした姿のある蓮を精神の清浄さと重ねて、佛教の最高の教えとして伝えられている。

   ワサビの花はその対極にある。ワサビは山奥の清流でしか育たない。ブラック企業とは対極の清廉なはずのお役所、聖職の場、有名大企業で、汚職や不祥事が絶えないのが不思議である。「現状がブラックだから」は言い訳である。どんな組織にもブラック的要素は存在する。リーダーはブラック的な状況にあっても、それをホワイトに変えるのが仕事だ。リーダーとは管理職ではなく、気づいて行動する人だ。よき環境ならボンクラ経営者でも、そこそこの花は咲かせられる。一流の経営者だけが、泥沼で美しい蓮の花を咲かす。ワサビの花の如く、人のアラは誰でも指摘ができる。

一流の経営者なら、不況の泥沼でも,蓮の花を社員の心に美しく咲かせる。

それが蓮の花言葉。

下図1はブラームスホールでの蓮の花模様。

下図2は黄金ホールの女神の冠に蓮の花模様。

下図3は黄金のホールでウィーンフィル演奏会の休息時間2017年4月26日

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2017年6月 1日 (木)

ウィーン楽友協会を表敬訪問   亡き人に出会う初体験

   2017年4月24日11時から1時間、楽友協会記録室長のビーバー・オットー博士を表敬訪問した。彼の室長室は楽友協会の奥の院のような場所にあり、迷路のような館内で辿りつくのに、セキュリティの厳しさもあり苦労をした。

 博士にお会いして、守屋多々志美術館の図録(ブラームが戸田伯爵夫人の琴の「六段」を聴き入る屏風絵を含む)と中井館長の挨拶状、私からの挨拶状、自著「魂が観るウィーン六段の調」(英訳併記)(初版)を贈呈した。1981年、守屋画伯がローマ法皇ヨハネパウロ2世に表敬訪問・拝謁して、バチカン美術館に寄贈した「ローマ法皇のもとに伺候する天草四郎の凛々しい馬上姿」の絵が、贈呈した絵画目録の図書の中にあることを話すと博士は大変喜ばれた。

   前日、ウィーン中央墓地のブラームスのお墓に参拝したこと、前日の古楽器演奏会を開催したブラームスホールにある模様は、蓮の花であることを話すと、博士もこのことを初めて知ったと驚いておられた。

   私の家のお墓の改建の話と黄鶴楼の故事の件をお話すると大変興味深い話と聞き耳を立てて頂いた。私の280年前のご先祖が、能の謡曲の歌い手で名人であったと推定され、そのお墓の揮毫を馬場恵峰先生にお願いしたことをお話した。そのおり「馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集」をお見せすると興味を持たれて、正式出版したら贈呈することになった。これもご縁です。用があるから行くのではなく、行けば用ができる。それがご縁の始まり。

   私のピアノの先生である河村義子先生が「六段」のコンサートを8回も企画・演奏を開催されていること、アップされているyoutubeのこと、河村先生が共演したティム、バルトロメイ、親交のある原教授のことにも話しが及んだ。

   最後に一階廊下のブラームス胸像の前で博士と記念撮影をして約1時間の楽しい友好的な会合が終わった。大垣市を始め関係者の皆様へよろしくとのこと。

   彼の名刺の裏を見たら、そこに日本名があり「音 美波」とあった。素晴らしい名前だ。博士が来日したおり、サントリーホールの社長が漢字の名前を付けてくれたとか。

 

   ベーゼンドルファーの営業マンは、「楽友協会はめちゃめちゃ敷居が高く、日本以上にお役所的であるので、返事は2、3週間後」と言っていた。それで半ば諦めていたら、面会依頼のメールを発信して僅か2日で返信が来たのは驚きである。その依頼メールも楽友協会の責任者に宛てたのであって、ビーバー・オットー博士宛てではない。その博士から返信が来たので驚嘆した。私は、彼は亡くなっていると聞いていた。私の心の中では、博士は既に亡き人であった。亡き人にこの世でお会いするのは初体験である。この縁は稀有な仏縁である。

 

 その経緯を「これは極秘情報ですが」と声のトーンを落として重々しく「日本では、ビーバー・オットー博士は亡くなられていると伝聞されている」と話したら、博士は急に胸を張って、「I am fine」とポーズをとり大笑いとなった。

 

下図はウィーン楽友協会 1812年建設。楽友協会ビルの裏側にベーゼンドルファーのお店がある。楽友協会がある場所が「ベーゼンドルファー通り」

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