「静寂の文化」と「喧騒の文化」の精神構造(改定2)
日昇る国の静かな西遊、日沈む国の喧騒なる漫遊
2017年4月18日の夜、ウィーン・ヒルトンのレストランで夕食をとっていたら、続々とチャイナ人客達が入ってきた。気になってウエイターに聞いてみたら、現在の客の25~30%はチャイナ人で、特に今日は多いとか。日本人は5%くらい。今朝、通ったウィーン市立公園内の黄金のヨハン・シュトラウス像の前で、チャイナ人集団が大騒ぎをしながら写真撮影に興じていた。そのため、人影が入っていないヨハン・シュトラウス像を撮影するため、しばしの時間を待たされた。
それに輪をかけて各観光地で雰囲気を台無しにしているのが、チャイナ人観光客の洪水である。シェーンブルン宮殿の王宮内部でも目に付くのはチャイナ人観光客の集団だけである。
その昔、エコノミックアニマルと蔑まれた日本人は今いずこ。今は話題にも上らない。当時は日本も勢いがあった。実質以上に日本人の影が海外で薄く、チャイナにお株を奪われている現実を目にして、考えてしまった。日本もチャイナ以上に経済大国なのだから、もっとお金を使って見聞を広げる為出歩くことが勧められる。用があるから、旅行するのでなく、用を作りに出歩くもの、成熟した人間の行動だと思う。行けばそれに見合った収穫はある。
欧州事情の激変で、「ホールドアップ!」命令
日本人からの旅行客が少なくなったため、ウィーンと成田間の直行便が、昨年9月に廃止された。しかし上海とウィーン間の直行便が新設された。現実は正直だが、情けない。そのため今回は、関西国際空港発、オランダ・キスポール空港経由のKLMで、15時間かけてウィーンに向かった。乗り継ぎのため4時間の時間ロスである。
キスポール国愛空港は、出張で30年ほど前に利用して、良い印象を持っていたので、今回の渡欧でのKLM選定は、その理由の一つであった。しかし「紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹝跡なし」(修証義)で、キスポール国際空港は、この30年間の拡張に次ぐ拡張で、巨大化して激変しており、乗り継ぎが大変になっていた。なおかつ時差ボケで、キスポール空港で降りての通路分岐点で「乗り継ぎ」と「入国」の標識を見落として、降りた乗客達について行って入国ゲートに行ってしまった。一方通行なので、戻れないので大騒ぎである。結局、係官に連行(?)されて、元のルートに戻ったが、かなりの時間ロスである。オランダの空港職員2名が親切に元のルートに案内をしてくれた。感謝です。当然、そんな旅行者が多いようだが、日本からキスポール国際空港経由でウィーンに行く日本人乗客は、私ひとりであった。これでは直行便が廃止になるのも致し方ない。
また現在の欧州の移民問題で、入国審査が厳格を極めて困惑であった。入国審査場では、足印のある所に脚を開いて、「ホールドアップしろ!」で、股の下まで手で触られてのボディチェックであった。その担当官は、生粋のオランダ人ではなくアフリカ系の人であったのが皮肉である。最初から違法移民の犯人に扱いの入国審査であった。入国審査場は、多民族、多人種のデパートの様な様相で混乱を極めていた。結局、到着ゲートから出発ゲートまで3キロほどを歩いたことになり、心身とも疲労困憊である。直行便の便利さに憧れた。
入国審査は「シェンゲン協定」では、EU内の最初に降りた国で厳格に行うので、ウィーン国際空港の入国審査は全くなかった。オランダの入国審査で懲りたので、構えていったのに肩透かしであった。
文化レベルの評価指数
文化レベルの差は音楽や言葉の周波数からも示唆される。宗教的な場所や高級レストラン等の場所では静かで低い声で会話がされる。決してきんきらきんの甲高い音や声ではない。邦楽や琴の音やキリスト教の教会で弾かれるパイプオルガンの荘厳な響きは、低い周波数の音である。静を重んじる茶道の文化も日本が世界に誇る精神文化の極致である。
その言語の持つ周波数を見ればその人種の文化レベルがわかる。公共の場所で甲高い声を上げ、傍若無人に振る舞う隣国人が、文化レベルで高いわけではあるまい。ウィーン市立公園内のヨハン・シュトラウス像の前で奇声を上げながら集団で写真撮影に興ずるチャイナ人を観察すると文化水準が分かる。
関西国際空港行き「はるか」の静かなグリーン車内で、英国の若者たちがスマホ画面を見ながらネットゲームに興じて、時折甲高い奇声を車内に響かせていた。今は金を出せばグリーン車に乗れるが、本来相応のマナーが要求されるはず。英国の若者集団には礼節がなかった。紳士の国である大英帝国も落ちぶれた。昔、世界を制覇した大英帝国がチャイナに媚を売る時代となった。その没落の一端を、「はるか」車内の英国若者達が発する奇声の周波数から垣間見た。
英語の周波数帯域 2,000〜12,000 Hz
仏語 1,000〜2,000
独語 100〜3,000
日本語 125〜1,500
福田修 (著)、豊田倫子 (著)『仕事が早くなる文章作法』より
甲高い声でキンキンした喋りが、文化レベルが高いとは言えまい。耳触りのよいトーンでお話をしてこそ文明国である。その国の言語の周波数帯は、文化のレベルを表している。渡欧して感じる西洋の文化と日本の文化の差は、音へのこだわりの差である。西洋の文明は自己主張の強い身勝手なマナーにある。西洋では自分が出す声の騒音に無頓着である。高級レストランや特別ラウンジ、また公共交通の車内でも携帯電話で喋り捲っている人がいても、誰も注意をしない。その禁止の放送や掲示もない。食事のマナーでスープのすする音を立てるのはマナーに反すると教えられてきた身には、納得しかねる事象である。日本の携帯電話での公共の場所での携帯電話使用の抑制をアナウンスする行為は、世界的に文化的にはるかに進んでいる。
色にも音があり、メッセージがある。原色の色は、直接的、激情的などぎつい音色や乱れた周波数を連想させる。その服装の色使いを見れば、文化レベルがわかる。ウィーンの静かな雰囲気で、チャイナ人集団の原色の服装の氾濫は、雑音、騒音である。まるで街頭宣伝カーのスピーカーの騒音である。せっかくの雰囲気が台無しである。日本人は自然の恵みの風景の色彩の移ろいから、自然を支配する天の声を聴いて見て育ってきた。かの国は、日本とは感性の面で隔絶の差がある。
図3 色彩によるコミュニケーション
音への配慮における東西差
西洋では言葉は武器である。自己主張をするのは正当な行為で、喋らなければ、自己主張しなければ負けである。攻撃だけで察しや他人への配慮は考えない文化が、高度とは思えない。野蛮である。2010年に定年退職記念でイタリア旅行をした時、フィレンツェ行きにイタリア新幹線ユーロスターの一等車(JRグリーン車の半額程度)を利用したが、その静かな車内で、ビジネスエリート風の女性が携帯電話で長時間大きな声で喋り捲っていたのが印象的であった。金儲けのためなら、周りの迷惑など知ったことか、のようだ。その思想が染み込んでいたのがご先祖である。彼女は世界中に植民地強奪競争に出かけていったご先祖の末裔である。ウィーンでもヒルトンホテルの静かなレストラン内や市内電車内で携帯電話のオンパレードである。だれも気にしている風には思えない。当方は不愉快千万であったが、そんなことは気にも留めない風潮であったのが、日本と海外の文化の高低差を感じた。
図4 ユーロスターの一等車内
それに輪をかけて下品なのが、チャイナ人の集団での傍若な大きな喋り声のオンパレードがある。特に中国では大きな声で自己主張しないと、生存競争に負けるので、大声の文化は歴史的に身についた文化のようである。不況の欧州は、チャイナが落とす金に平伏している。もっとも日本も同様である。日本はもっと毅然としたいもの。
最近の風潮で我慢できないのが、老人が身に着けた鈴の音である。静かな場所で、チリンチリンとうるさくてかなわない。コンサートホール内でも、席のあちこちでチリンチリンと聞こえると幻滅である。本人はお守りとして無頓着に身に付けたが、年老いているせいで耳が遠く、周りへの迷惑に気が付かない。若い女性は、イヤホン装着で、自分の立てる鈴の騒音が気にならないようだ。周りに気を使わなくなるのは精神の老化である。それはオバタリアン化。
「戦いの文化」から「雅の文化」への進化
西洋と日本では左脳、右脳の文化の差があるのかもしれない。秋の虫の音でも、西洋人には騒音としか聴けないが、日本人の耳には心地良いさえずりとして聞いている。それが文化レベルの差かもしれない。
西洋は戦いの文化で、日本は雅の文化である。戦いや過当競争の文化の下では、情緒やわび、さびなどあったものではない。それより自己主張、金儲け、現世の快楽である。西洋の音楽が極めて人為的な構成があるが、日本の音楽は自然体で、宗教的な安らぎさえ感じられる。ブラームスが戸田伯爵夫人の弾く六段の調べに興味を持ったのは、その西洋とは異質な宗教的な響きへとの出逢いだったかもしれない。
図1 B-787 関西国際関空~キスポール国際空港(キスポール到着ゲートで)
図2 B-737 キスポール空港~ウィーン国際空港(キスポール出発ゲートで)
図3 色彩によるコミュニケーション
図4 ユーロスターの一等車内 (写真のビジネスマンは紳士でした)
2010年11月17日
写真 ヨハン・シュトラウス像の前で大騒ぎをする原色服装のチャイナ人集団
(2017年4月18日 ウィーン市立公園)
久志能幾研究所 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
2017年6月6日 HPを更新 当研究所の書庫を公開
コメント