m-木魂 - 作品展示室 Feed

2023年4月 6日 (木)

巡礼 芸術家の心を拝む ― 若月陽子

 

 2023年4月5日、愛知県美術館ギャラリー8Fで開催されている「中部女流美術 春艸会展(4月4日~4月9日)」に行ってきた。そこで木口木版の作品に感銘を受けた。私は木口木版の作品に初めて触れた。その詳細を、実物を前に山路徹先生に解説をしてもらった。

 この作品はシルク印刷、型による押しけ版画等の複合の手法を使っているようだ。

 私はこの種の作品を初めて、本気で観たので、興味深かった。今までどこかで見ているはずだが、解説をしてくれる人が一緒にいると、それが初めて分かる。

 この若月陽子さんの作品は、岐阜市川原町のギャラリー Saganでの個展で展示される予定である。

 

木口木版

 木口木版は、木を輪切りに切り出した表面が硬質な木口板を版木として使用し、ビュランを用いて彫ることで、精密で繊細な表現ができる木版画です。

 

 木口木版は西洋木版とも呼ばれ、18世紀末にイギリスのビウイックが発明し、平圧プレス機で活字と同時に印刷できることからヨーロッパでは書籍の挿絵として発展することになりました。

 版木として使用される木材は、板目の版木よりも硬質で、目が詰っていて密度のある黄楊(ツゲ)や椿、梨、楓などの硬い木材が用いられます。しかし、これらの木材は生産量が少ないことや、木の太さのサイズまでしかとれないことなどから、四角く裁断した木口を接着した寄木の版木も作られています。

 

木口木版 - こぐちもくはん | 武蔵野美術大学 造形ファイル (musabi.ac.jp)

http://zokeifile.musabi.ac.jp/%E6%9C%A8%E5%8F%A3%E6%9C%A8%E7%89%88/

 

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  愛知県美術館ギャラリー8F

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   若月陽子作 

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  若月陽子作   部分

 

 

2023-04-06  久志能幾研究所通信 2660  小田泰仙

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2023年4月 1日 (土)

見学記 虎渓山永保寺

 2023年3月22日、多治見市の柴田節郎工房へ行く途中、山路徹先生の案内で虎渓山永保寺に寄り、境内を見学をした。大垣からこんな近い場所に国宝の禅寺があるとは知らなかった。見学して目の保養をさせてもらった。静かな境内を散策するだけで、心が洗われる。京都の禅寺より立派である。俗世間のお寺と違い、観光客も皆無に近い状態で、静かな佇まいである。

 

 この禅寺は鎌倉時代の1313年(正和2年)、土岐氏の招きを受けた夢窓疎石が長瀬山の幽境に庵居し開創された。

 

 観音堂前の庭園は、臥竜池と称する池に反り橋の無際橋が架かり、浄土教的庭園の様式を感じさせる名庭である。この庭園は、国の名勝に指定されている。この禅寺は建築・庭園・墨跡など禅の美術で注目されている。

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国宝 観音堂

 この本殿は下記の理由で国宝に指定された。

  1. この建物が、鎌倉末期の唐様建築のすぐれた代表的遺作
  2. 唐様建築の手法に、平安朝からひき続いた和様建築の手法を折衷させた建築
  3. 建築の主要部に比較的改修後補が少なく、当時の面影を完全に保っている

 

 桧皮茸の伸び伸びした軒ぞりを持った豊かな屋根、上屋と裳階の巧みな均斉に、どっしりとした安定感を与える荘重な姿は、代表的な禅宗特有の建築スタイルである。すなわち、

  1. 軒に垂木を用いず四隅に隅木が見えるだけで板張
  2. 枓栱が詰組でなく亜麻組
  3. 円柱の上部には粽をつけ台輪をおくが、下部には粽も礎盤もない
  4. 床は坐式礼拝ができる拭板敷、裳階前面一間通りは吹き放し

 

 正面観音開きの桟唐戸には上半に精巧な美しい花狭間の組子がはめこまれている。須弥壇の上の岩窟式厨子には、聖観世音菩薩の坐像が本尊として納められている。

(虎渓山 永保寺について|虎渓山永保寺(公式サイト)より引用編集)

 

虎渓山 永保寺について|虎渓山永保寺(公式サイト) (kokeizan.or.jp)

https://kokeizan.or.jp/pages/19/

 この禅寺で目についたのが、焼き物の灯篭である。流石、多治見市は陶磁器の里である。灯篭まで焼き物である。

 

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永保寺のイチョウ

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2023-04-01  久志能幾研究所通信 2658  小田泰仙

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2023年3月28日 (火)

柴田節郎陶展 青磁の季節 決断の季節

 

 柴田節郎陶展で見つけた素敵な青磁を購入した。この茶碗で白湯を飲むつもりだ。今でも私は毎朝、起きた時に白湯を一杯飲んでいる。体には白湯が一番よい。よい器でよい飲み物を飲む。それが心身ともよい効果を得られる。百金の器では、魂の成長がないだろう。

 私が朝一番に飲むのはコーヒではなく、白湯である。白湯は50℃から60℃くらいが最適である。今は白湯でも、わざわざ沸騰させてから温度を下げなくても、温度設定できる電気ケルトでそれが可能となった。

 白湯として一度、水を沸騰させるのは、昔は浄水器がなかったからだ。水道水のカルキ等を除去するのには、沸騰させる必要があったから。

 

 

白湯の効果

 白湯を飲むと、胃腸全体が温まり活性化する。胃腸が活性化すると消化が促進され、老廃物の排泄も促進される。それで便秘防止となる。

 白湯を飲むと内臓が温まる。その結果、基礎代謝が上がる。基礎代謝が約1割上がる。その結果、血液のめぐりが良くなり、冷え性の改善や脂肪燃焼による肥満防止にもなる。身体が温まるとリンパの流れや血流が良くなり、体調がよくなる。

 

後日談

 10日ほど前、私はこの青磁の茶碗を買う予約した。先日、知人が柴田節郎陶展に来て、それを気に入って注文を入れた。しかし既に私がツバを付けていたので叶わなかった。

 芸術品との出会いは、一瞬である。一期一会である。その時、買う決断をしないと永遠にお別れである。先に買うと決断して予約を入れておいてよかった。

 決断もその決断をする回数で決断力が養われる。要は経験数で勝負である。失敗をしてもいいから、多くの決断をすることだ。小さな決断を多くすると、大きな決断はさりげなく出来る。

 

 

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 柴田節郎作 青磁茶碗    右側の茶碗を購入 (Saganにて)

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   自宅で撮影

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 波佐見焼  字は馬場恵峰書

 

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 波佐見焼  字は馬場恵峰書

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2023-03-28  久志能幾研究所通信 2655号  小田泰仙

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2023年3月27日 (月)

柴田節郎作陶工房を見学

 

 2023年3月22日、柴田節郎作陶工房を見学した。その写真を掲載する。

 

やきもの教室 杜の土

 下図が柴田節郎作陶工房である。「在型作陶施設HO-CA・やきもの教室 杜の土」として運営されている。

 平成28年度多治見市まちづくり活動補助金を受けて第二ゲストハウスにギャリーHO-CAを併設した。滞在期間は1か月程である。2018年までで、外国からの作陶家が100名に達した。設立以来、海外を中心に140名程(2020年6月現在)のゲストが滞在した。滞在した方からのご紹介や口コミで訪れるゲストやリピーターも多数いる。現在、海外から2名の若い女性が作陶家として学んでいる。

 

  ABOUT – 滞在型作陶施設 HO-CA

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 この2階が滞在型作陶施設HO-CAのゲストハウス。2部屋ある。

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主作業場

 下図が柴田節郎作陶工房の主作業場である。 

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秋葉神社

 下図は柴田節郎工房の裏山にある秋葉さんの社である。秋葉さんの石は柴田節郎工房の裏山に捨ててあった。それでは良くないと祭壇を作ってお祀りをした。その横に祠を焼き物で作った。狛犬さんも陶器で作った。秋葉さんは火の神様、台所の神様として祀られる。柴田さんの工房は、窯で火を焚くので最適の神様だと思いお祀りしたという。

 この風景を『地獄の季節』に掲載した時は、山に木がたくさんあったが、その後、地主が木を切ってしまって、殺風景な山になってしまった。残念である。

 

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主窯

 下図が主窯である。 21dsc00211s

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 薪置場(上図)
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第二ゲストハウス 

 下図は第二ゲストハウスのギャリーHO-CA

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新たな工房
 
 下図は将来の拡張工房である。柴田節郎工房の隣の窯元が廃業した。それを柴田さんが借りることにした。まだどう使うか決めていないそうだ。

 廃業の窯元の名は「小田陶器」。私の工場ではない(笑)。柴田さんが受け継いだ窯は、素焼き用に使うとのこと。将来が楽しみである。

 

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2023-03-27  久志能幾研究所通信 2654号  小田泰仙

         ブログ開始後 2132日目 (1日に平均1.24通を発信)

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2023年3月26日 (日)

柴田節郎陶展 鳴舞耳得(オブジェ)、ご縁の結晶

 3月5日~3月28日、岐阜市川原町 Gallery Saganで「柴田節郎陶展」が開催されている。

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オブジェとは(新解釈)

 私はオブジェの意味が分からず、調べて考察した。「オブジェ」とは前衛芸術作品である。「鳴舞耳得」は、私がつけた「オブジェ」の当て字である。

 全てのモノには命があり、精霊が籠っている。モノは何かを伝えるため、き、っている。だからモノは「耳」で見なければ、真の姿は見えない。見えればをする。そのを受けるには、人として感性が高くなければならぬ。その感性が高い人が、精神性が高い人なのだ。

 「耳」とは「目」の四方八方に角が伸びた形である。つまり全身を使って「観る」である。

 「得」とは佛語で、体験から得る利益・功徳のことである。仏教用語の「利益(りやく)」とは、「ためになること、益を受けること、功徳、利徳」をいう。 特に「仏の力によって授かる恵み」を意味する。

 

二つの出会い

 オブジェとは、出会いというご縁の結晶なのだ。オブジェとは芸術家がもてる技術で感じたことを形に表した前衛芸術作品である。その感じかたは、そのモノと芸術家の出合いは5W2Hによって全て変わる。その出合いは一生に一度である。その出合いが成就して、形に昇華したのが「鳴舞耳得」(オブジェ)である。

 5W2Hとは、いつ  when、どこで  where、なにを what、どのように  how、誰が  who、なぜ  why、どれだけ how much である。

 

オブジェとは(辞書で)

 「オブジェ」は「前方に投げ出された物」を意味するラテン語のobjectrumを語源とする。現代芸術の用語では、日常的に認められている物の通念をはぎとり、物体に別の存在意味を付加させる。芸術家がそのモノから受ける波動を具現化した芸術作品である。

 オブジェ (仏:Objet)は、事物、物体、対象などの意味を持つ。英語ではobject(オブジェクト)にあたる。

 Object(英)は、現実の物、物体、対象、目的、目標、おかしなもの、目的語、客観、客体を意味する。

    以上、各辞書より編集、加筆

 

 

柴田節郎氏のオブジェ

 柴田節郎氏のオブジェを見て、陶器でここまでの作品が出来るとは驚きである。

 黒い木のオブジェは、柴田節郎氏と山火事との出会いで出来た結晶である。近くの山で山火事が有り、燃えた木の後から芽が出ていた。それを柴田節郎氏が見て、その生命力のたくましさを作品として形にした。

 この燃え尽きた木の陶芸作品を日本で展示した時は、みんな「ふーん」といって特に興味を示さなかった。

 それらの作品をニューヨークの美術館で展示したら、ニューヨークでは、大絶賛であった。デヴィッド・ボウイも柴田節郎陶芸家にサインを求めた。要は、当時のニューヨークの人の精神性は日本の人のそれより高かったのだ。野蛮人にはオブジェは創れない。オブジェを理解できるかどうかで、教養がわかる。

 一本の木のオブジェをそのまま陶器で焼くわけにいかず、2体に分けて焼く。それでも焼くと1割ほど体積が縮んでしまう。それを見込んで製作するが、どうしても歩留まりが悪い。その発送の船便も大変であった。

 

 白い家のオブジェも、当時の柴田節郎氏の記憶を形に具現化した作品だ。戦後日本の当時は、ウサギ小屋と揶揄された小さな家が立ち並ぶ。当時の柴田節郎氏が持つ印象は、黒いボルトという鉄が氾濫していた時代であった。

 

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 湿気防止で釜の下に敷いていた鉄板。その跡が面白いと作品にした。

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 ウサギ小屋と黒い鉄のボルトのイメージ

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 作品展示の準備中の山路徹先生

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柴田節郎氏の作品は公共の施設にも多く展示されている。

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2023-03-26  久志能幾研究所通信 2652号   小田泰仙

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2023年3月16日 (木)

大垣は地獄の季節、 柴田節郎作「地獄で見る顔」

 

 2023年3月5日~3月28日、岐阜市川原町 Gallery Saganで「柴田節郎陶展」が開催されている。以前の展示会での、柴田節郎氏作の「顔」を紹介する。今回の作品展で、以前の作品展の顔を思い出した。

 

 それは2022年7月9日~18日、池田町土川商店内で開催された「木育 ものつくり展」での作品群ある。そこに柴田節郎氏作の「地獄で見る顔」(著者の勝手な命名)が展示されていた。今回、Gallery Saganでの作品群を見て、過去のアルバムから、柴田節郎氏作の「顔」を見直した。その内容は下記のリンクから参照ください。

「木育 ものつくり展」 見学記

 

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  出版 / HO・CA

 

地獄の季節

 顔にその人の人格の全てが表れる。顔はその人の歴史も表す。顔がその人の頭の中をも表している。

 

 エリートと呼ばれる人の言動の多くは、左脳しか働いていないのでは、と思うことが多かった。左脳の人は合理的な考えである。しかしそれは物事を合理的にしか考えられない頭の人である。それは偏った考えの人である。残念だが、このグローバル経済主義社会では羽振りに良い人である、しかしその正常でない人が、社会を牛耳っている場合は、その他の多くの正常の人を不幸にしている元凶である。

 

 また世には右脳の感覚だけで生きている人が、多く存在する。彼らは新興宗教団体や左寄りの政党に騙されていることが多い。それで日本の国体と防衛が危機に瀕している。彼らは外国のスパイとして働いていても、その自覚がない。

 

 右脳も左脳もない人(考えない人)がスマホに縛り付けられ、GAFAの洗脳状態となっている。これも言わば新興宗教である。

 

 グローバル経済主義社会では1%の富裕層が、99%の人を搾取して貧困に落としている。それがこの世の地獄である。今のグローバル経済主義社会が跋扈する時は、地獄の季節なのだ。しかしこの世は無常である。何時までもそれが続くはずがない。その地獄の季節を変えるのは我々の責任だ。

 

大垣の地獄

 大垣も左脳最優先の市長が20年間も市政を牛耳ったので、すっかり没落してしまった。都市の富裕度を表す公示地価は、この20年間で半値以下に暴落した。市場が大垣市は商売の価値が無いと判断したのだ。市場の評価は神の如くである。自分の街がどんどん寂れていき、持っている不動産価格がどんどん下がっていく。市民平均で一軒当たり1000万円の損害である。地獄である。

 

 その前市長の後任市長も左脳優先の趣があり、「前市長の政策を継承する」と言う。しかもそのオツムはお花畑のようだ。「家庭ゴミが増えた」と大嘘を言い、ごみ袋有料化をごり押しである。もう少しまともな嘘を言って欲しいと思う。

 

 ゴミは10年前から35%も減っている。その分、市民はゴミ削減の取り組みを真面目にしているのだ。ゴミ削減をやっていないのは、無駄の紙を大量生産し、各家庭にばらまく大垣のお役所である。自分達の仕事を無理に作り、無駄な資料を作りまくっている。だから大垣市の税金は高いのだ。

 

 大垣の不幸は、そんな拝金主義者、利権主義者たちに政界を牛耳られて、政策を利権まみれにしたことだ。それでも市民は手が出せない。今やれることは、市民が目を覚まし、次回の選挙で拝金主義者たち、利権亡者たちに投票しないことだ。

 

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 右脳の無い頭、左脳の無い頭(柴田節郎氏作)

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 右上の絵は山路徹作「分離崩壊」

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    「木育 ものつくり展」にて  (土川商店内で開催)

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2023-03-15  久志能幾研究所通信 2642  小田泰仙

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2023年3月10日 (金)

柴田節郎陶展  作品紹介 人生の壺

 3月5日~3月28日、岐阜市川原町 Gallery Saganで「柴田節郎陶展」が開催されている。そのうちの「壺」の作品を紹介する。

 

 モノを買うとは、自分を買うことだ。買うとは、持っていたお金が、等価のモノに変わる。だから安いものを買う人は、自分を安くする行動をしている。安く買ったものは、往々に大事にしないのだ。

 バーゲンセールで安いものしか買わない人は、価値観の基準が値段だけになっている。そんな人には貧乏神しか寄ってこない。安いものにはワケがある。

 

 ものを買う場合は、お金を感謝の念を込めて旅立たせよう。そうすれば、お友達の「お金」を連れて帰ってきてくれる。だから値切るなどとんでもない。値切るとはディスカウントである。自分と相手を否定しているのだ。

 

 ディスカウントとは心理学用語で、自己否定、他人否定、状況無視である。対人交流でいうA(アダルト)が働いていない状況である。それでは幸せになれない。

 

 ものを買う場合は、自分の人生の壺とは何かを問うべきだ。そのものが自分の一部となって、「地獄の季節」に助けてくれるかを考えよう。郵便ポストが赤いのも、自分の責任である。

 自分の価値観の壺にヒビが入ると、大事なものが洩れていく。その壺には、自分を守る宝刀が入っている。人生の壺を、大事にしよう。

 

 

「壱/壹」という漢字

 会意兼形声文字である(壺+吉)。「ふた付きのツボ」の象形と「刃物の象形と口の象形」から、ツボを密閉して酒を発酵させるさまを表す。刃物をおまじないとして置いて、めでたい事を祈るさまから、「めでたい」の意味である。

 そこから、事が成功するように力を入れ続ける、すなわち「もっぱら(1つの事に集中する)」を意味する「壱」という漢字が成り立った。

※「壱」は「壹」の略字で、「壹」は「壱」の旧字である。

https://www.okjiten.jp/kanji1254.html

 

 

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   ¥200,000

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     川原町 Gallery Saganで

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 川原町 Gallery Saganで

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2023-03-10  久志能幾研究所通信 2637  小田泰仙

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2023年3月 8日 (水)

柴田節郎陶展 作品紹介 地獄で見つけた顔

 

 3月5日~3月28日、岐阜市川原町 Gallery Saganで「柴田節郎陶展」が開催されている。そのうちの「顔」の作品を紹介する。

 

地獄の季節

 顔にその人の人格の全てが表れる。顔はその人の歴史も表す。だからリンカーンは、「男は40過ぎたら、顔に責任を持て」と言った。

 私の趣味は人間ウォッチングである。観相学を駆使して人の顔を観ている。口ではいくらでも胡麻化せるが、顔の造形は胡麻化せない。

 己の心には佛も住めば、鬼も住む。己の心は百面相である。柴田節郎氏の「顔」はそれを表現した作品だと思う。

 写真集「地獄の季節」は、作陶家・柴田節郎の80年に及ぶ創作の記録である。その写真集には氏の遍歴がつづられている。氏が地獄を見たわけではないが、潜在意識に地獄があり、それが作品の投影されているようだ。

 

顔が表す心

 ある人の顔を見れば、性格も人格もわかる。その人の品性や知性、考え方が顔に表れる。その人の人生の歴史で、日々の場面、場面で何を考え、どう行動してきたか、その積み重ねで人の内面が育まれて、それが「顔」に滲み出てくる。

 そこには狂気さえうかがえる場合がある。その狂気の気配を知ることが、人生で地雷を踏まずに過ごす知恵となる。KKの顔も凶相である。

 

 だから私は凶悪犯の写真がネットに出ると、それをデータベースとして保存して何度も観察をしている。何度も観ていると、それとなくその人が持つ狂気が顔から透けて見えてくる。それが認識できることも人生の危機管理である。君子危うきに近寄らず、である。

 

 芸術家はその顔をディフルメして、その人間の内面をあからさまにしてくれる。芸術家の感性は、常人とは違うのだ。芸術家には損得感情も好悪感情もなしに人を観察できる。すばらしい観察眼である。それがあれば、人生で騙されることはないだろう。

 

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地 水 火 風 の根源的な要素を

時には苦悩し、時には自在に操りばがら

”土”という手段を通して彼が表現しようとしているのが、人類の

普遍の共感を誘うなにものかである。

土に刻まれた記憶が節郎氏の手技によって

今、ここに呼び起され、形になる。

   メモワール /2007

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 ファンの美女に囲まれ極楽の柴田節郎氏 Saganで 2023年3月5日

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 写真集「地獄の季節」より

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2023-03-08  久志能幾研究所通信 2635  小田泰仙

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2023年3月 7日 (火)

柴田節郎陶展 作品紹介 器 

 3月5日~3月28日、岐阜市川原町 Gallery Saganで「柴田節郎陶展」が開催されている。そのうちの器関係を紹介する。

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 「器」とは、会意文字である。「祭器の並べられた」象形と「いけにえの犬」の象形から、祭りに用いられる「うつわ」を意味する「器」という漢字が作られた。「口」部は、生贄の犬を置く台(祭器)の象形である。

※「器」は「器」の旧字で、「器」は「器」の略字である。中央の「大」は「犬」の簡略形である。

 「器/器」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習 (okjiten.jp)

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 その器は、自分教の教祖様(自分)に捧げる食事の容器である。毎日の食事とは、教祖様へ食物を捧げるお祭りなのだ。その器が祭事に適切か、考えよう。貧相な器では、貧相な食物しか似合わない。神様に捧げるのに、尾頭付きに鯛ではなく、カップ麺では粗末な器しか似合わない。食事が自分の体を作り、活動エネルギーとなる。それが自分の人生を全うする術なのだ。

 よい器で食事をすれば、よいエネルギーをもらえる。良い家に住めば、よい暮らしが出来ると同じである。器は食物の着物である。野獣の生活ではないのだから、芸術の香りある芸術品で食事をしたいもの。そうすれば、食べる質も向上する。それが心を養ってくれる。

 貧相な器では、地獄で与えられる餌の器である。それでは心は豊かにならない。

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 岐阜市 川原町 Gallery  Sagan

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    ¥100,000

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  ¥80,000

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  茶碗を解説する柴田節郎氏

 この茶碗は、普通の茶碗と違い、口に当たる部分になだらかな凹凸がある。その作り方を説明された。

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  銘 キンキラキン

   この茶碗で緑の液体を飲み干すと、底から黄金の色が現れる。

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  小皿5枚セットで¥10,000

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2023-03-07  久志能幾研究所通信 2634  小田泰仙

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2023年3月 6日 (月)

展示会案内 Sagan 柴田節郎陶展

 3月5日~3月28日、岐阜市川原町 Gallery Saganで柴田節郎陶展が開催されている。陶芸作家の柴田節郎氏は、山路徹先生と同年の生まれで、60年来の友人である。その関係で私もその展示のお手伝いに駆り出された。

 

 開催日の前夜(3月4日)、唐突に私が展示会のチラシを作る羽目になり、大慌てで深夜までかかり紹介チラシを仕上げた。なんとか納期に間に合ってほっとした。チラシを作ることは何ら契約でも義理でもないが、作る羽目になった。それもご縁である。

 

 柴田節郎氏は、2000年の国際トリエンナーレカップ展で入選以来、海外で有名になっている。その作品は、多くの海外の美術館に所蔵もされている。

 今回の展示会は、氏が戦後に体験してきてことを仕上げた作品と現代の作品のコラボレーションである。氏が過去に思いを込めて形にした作品群である。

 案内ハガキの陶器のオブジェは、戦後のウサギ小屋の象徴である。小さなウサギ小屋が黒いボルトで結合されている。氏の戦後の思い出は、黒いボルトで象徴された。

 会場の入り口に置かれた黒いオブジェは、山林火災で残った木の象徴で、その黒い木から新し芽が噴き出している姿を表している。

 

 

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柴田節郎 作家略歴

1940   岐阜県多治見市生まれ

1956   西寺鉄舟氏に油絵を師事

1957   県立多治見工業高等学校図案科卒

    土岐市立陶磁器試験場入所 日根野作三氏に15年間陶芸を学ぶ

1962   全国陶磁器デザインコンペティション通産局長賞

   日本陶磁器意匠センター賞

1965   2人展[前衛オブジェ](多治見’73)

   「美濃陶芸界で初めてのオブジェ展を開催」

    第1回美濃陶芸協会記者クラブ賞

    その後美濃陶芸協会脱会「親分子分の世界はいらない」

1966   陶磁器試験場退職、河島工房(京都)にて研修

1969   多治見市に陶房を開窯

1970   丸栄個展(名古屋’71)

1973   2人展[前衛オブジェ](名古屋・安里SIX)

1974   フイエンツア国際陶芸交流展出品(イタリア’82)

1980   MINOバトルロイヤル野外展(多治見)

1981   MINO展(多治見・土岐・金沢・福岡・粛都・名古屋)

1982   中日展立体部門出品(’83・’84)

1988   MINO女性陶芸家交流展(多治見)

1989   MINO五人展[陶・鉄・石](’92・’95・’98)

1990   土と炎と俊太郎と(多治見)

    個展(イケダヤ画廊東京’91)

1992   国際陶磁器フェスティバル美濃出展(多治見)

1993   絵・陶 二人展(多治見・稲沢・刈谷’94・’95)

    胸の中を覗いて見たい人たち展[炎舞](名古屋)

1995  個展(CAST IRON GALLERY ニューヨーク)

    個展(ギャラリーうつわ多治見’96)

1996   現代アート“ニューヨーグ’国際カケジク展INタジミ

    「前の年の米国個展の遺産」ロンドン展(イギリス)

1997   現代アート“ざノこんりゅう”展(土岐’97・多治見’99)

   ユーモア陶彫展[招待コンペ優秀貰](土岐)



 

2023-03-06  久志能幾研究所通信 2632  小田泰仙

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