w_今川順夫氏の歩んだ道 Feed

2020年3月26日 (木)

磨墨知33-1 タイマツを掲げよう(2)

 タイマツとは、志・夢・憲法・方針である。それが自分の行き先、組織の目指す先を示す。暗夜の中、タイマツが行き先を照らす。ニューヨークの入り江に建つ「自由の女神像」の掲げる燈火が、アメリカに移民してきた人々に勇気を与え、心を鼓舞させて、自由の国を造った。

河村義子先生の夢が、大垣の音楽芸術活動のタイマツとなった。大垣の未来を背負う子供たちに夢を与えた。 4k8a3399s  チェリストTIMMを招いてのコンサートに、120名の子供たちを「あしながチケット」で招待して、子供たちに一流の音楽に接しさせた。演奏会の前に挨拶をされ、子供たちのためにベーゼンドルファーのピアノをやさしく解説された河村義子先生。子供たちをこよなく愛した先生であった。(2017年9月29日 大垣音楽堂で)

今川順夫氏のシベリア抑留で生まれた負けじ魂の炎が、大垣の恒久平和の願いとなった。氏は子供達の為に多くの寄付をされた。Dsc04619s  地獄のシベリア抑留の講演会で、支給されていた一食分のパンの量を説明する今川順夫最高顧問。これで極寒の中の重労働に耐えて生還した。「この地獄を生きのびて日本に帰り、会社を創るのだ。こんなところで死んでたまるか」と、その負けじ魂で、シベリアから帰国後に会社を創立して、5000人の会社を作り上げた。(2014年8月14日 大垣興文地区センターにて)

安岡正篤師や渡部昇一師の著書や多くの偉人の書が、私の心に灯をともした。 

憲法の威力

 日本国憲法が戦後の日本の行動を決めてきた。日本憲法は、アメリカが二度と日本が立ち直れないようにした自己縛りの憲法である。70年前の敗戦の混乱のさなかに作られた憲法で、アメリカから押し付けられた憲法である。賞味期限が切れている。北朝鮮、韓国、中国からの侵略行為に対して、国を守るには無力の憲法である。ドイツでも戦後、数回の憲法改正を行っている。改憲しない方がおかしいのだ。

 大垣市民憲法が、大垣の行く末を決めてきた。大垣市民憲法も、小川敏が2009年に大垣市民憲法を改悪してから、大垣の没落が始った。必然の流れである。

 

行き先明示

 後に続く人が先頭を走る人が斃れても、先人が掲げたタイマツの方向が分かっていれば、後進がその方向に進路を向ければ、何時かは目的地に到達する。行き先が分かっていれば、部下は安心してリーダについていく。

 自分の行先の目的地をタイマツで明確にしよう。そうすれば寄り道をしなくても済む。寄り道が最大の時間ロスである。タイマツを掲げれば、周りからの援助もある。仏様からの援助もある。何処へ行くか分からない放浪人を、誰も援助はしない。

 己の人生の行き先は、天命、使命に示されている。

Dsc004751s

 馬場恵峰書

 

2020-03-26 久志能幾研究所通信 1514 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月18日 (火)

貧すれば癌ス 「貧忙癌」

 私は長年の友を「貧忙癌」で失った。最近、友人が会社を早期退職して貧乏になり、それにつれて友の心までが貧しくなってきた。「忙」とは心の癌になり、心を亡くしたのだ。一度、「貧忙」という悪魔のサイクルに陥ると、どんどん貧乏くさくなってゆく。つまり生活が貧乏になると、心までが「貧忙癌」に侵されて増殖して、豊かな心が消滅するのだ。

 

今生のお別れ

 今の出会いが今生のお別れなのだ。何時までもあると思うな、親とカネ。親の死は、何時かは己も死ぬことを親が教えてくれている。人と出会ったら、それが今生のお別れなのだ。明日にでも大震災が起きるやもしれぬ。第二の911テロに巻き込まれるやもしれぬ。

 だから自分の病気ばかりに気にするのではなく、たまには相手の幸せを考えて布施(顔施、心施)をすべきなのだ。相手の立場になって考えることも布施である。明日の命は分からない。命は日々尽きていくのだ。

 

貧忙癌の原因

 鬱病を原因とする貧忙癌は、利他の精神に立ち返れば治る。自分よりまず相手の立場を考えよう。鬱とは、鬱蒼と茂った葉で、自分を守るために自分自身を隠してしまい、その葉の重みで自分自身が倒れそうになった状態である。木の全栄養が葉っぱに行ってしまい、他の事は考えられず、肝心な自分の幹に栄養が行かなくなった状態である。だから、その防御用の葉っぱを落とせば、病気は治る。

 何時までもあると思うな、己の命。どうせ何時か消える命なら、世のために捧げた方が、生き甲斐がある。そうすれば鬱はどこかに行ってしまう。自分のことばかり考えるから、周りが見えなくなる。

 

喫茶店事例

 竹馬の友が一緒にマクドナルドに行こうと言いだしたので、出かけた。友人が、驕りだと言うので、コーヒーとハンバーガーを注文した。ところが友人は(金がないから)水だけでいいという。当方は奢ってもらって、相手が水だけ飲んでいては、コーヒーなんか気持ち良く飲めない。一緒に同じものを食べてお喋りしてこそ楽しいのだ。その気持ちを友人は察することが出来ないまでに、友人の心は「貧忙癌」に侵されていた。それでは、今後とても対等に付き合えないと思った。だんだんと疎遠になるのも致し方ない。そんな友人と付き合うと自分まで惨めになる。

 

温泉旅行

 大学時代から付き合っている40年来の友人と、定年退職の記念にと一緒にかけ流しで有名な温泉に出かけた。そこで夕食の料理を頼む段になって、私は一生に一回の記念だからと一番いい料理を頼もうと思ったら、友人が予算の関係で少し安い料理にしようと抵抗されてしまった。その差は数千円である。一生で一度の事なのに、何かわだかまりが残った。その後、別の価値観の差でトラブルがあり、40年来の友人と別れることになった。

 お互い仕事をしている間は、遠方地であったので、年に1回か数年に1度くらいしか会わなかったので、その価値観の差が露見することがなかった。お互い、定年退職を迎え、会う頻度が増えて露見した事件であった。

 

シベリア抑留の生と死

 私の父は地獄のシベリア抑留を経験して命からがら生還した。だから今の私の命がある。父の弟はシベリアの土になった。だから従弟は父の顔を知らない。シベリア抑留では極寒の強制労働で7万人の日本人が殺された。一説には10万人とも言われる。死亡率12%だが、抑留当初の死亡率は80%であった。アウシュビッツ強制収容所並みである。我々が語り継がねばならぬ歴史である。

 大学時代の友人の父も同じ境遇であった。父はその体験談をほとんど話さなかった。友人の父も同じであったようだ。それはソ連から洗脳教育で、捕虜全員が口止めされていたようだ。

 その生々しい体験談を2014年8月2日、丸順の今川順夫最高顧問が講演会「負けて堪るかーーシベリア抑留を生き抜いた男の人生」でされたので、それをビデオ撮影してディスクに焼いた。友人が、それに興味があると言うので、気を利かせてそれを業者に頼んでダビングして送ってあげた。

 しかしその実費の支払いをお願いしたら、「押し売りみたい」との返信があった。彼はビデオディスクを受け取ったが、その代金は払わなかった。それで、これは価値観が違う人だと分かり、40年来の友であるが、別れることにした。

 送ったのは、今川順夫氏のシベリア抑留体験の講演ビデオには、私の父も友人の父も、この講演にある同じ体験が語られている。彼の行為は、シベリア抑留で亡くなられた方を侮辱したようで、ある種の怒りも覚えた。彼も心の貧忙癌に罹っていた。

Dsc04619s

 今川順夫氏の講演  これで一食分のパン。これで重労働に耐えた。

 2014年8月16日 興文地区センター

 今川順夫氏は2019年6月21日、逝去された。95歳。ご冥福をお祈りいたします。

 

人は成長しないと友を失う

 渡部昇一師は、同じような経験談をエッセイに残している。長年の友でも、自分と同じように成長しないと、価値観、蓄えの差が出来てくきて、付き合うのに障害が出てくるという。行くレストラン、食べる料理の金額に関してお互い違和感を覚えない人だから、長く付き合える。それに差が生じると、お互い違和感を覚えて交際に支障が発生する。人は歳と共に、心の豊かさ、財産の豊かさが成長しないと、友も失うという。それをこの事例で体感した。

 

福禄寿

 人は経験を積んで、人格に磨きをかけて、福を持たねばならぬ。人は働いて裕福(禄)にならねばならぬ。長生きせねば(寿)、交際も保てない。また生んでくださったご先祖、ご両親に申し訳ない。

Dsc00557s   馬場恵峰書

2020-02-18 久志能幾研究所通信 1484 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月 5日 (木)

いろはにほへと

 吾が家系図上で、華々しい人生模様を形作るツワモノどもも、いつしか香も色も消え、全て墓石に記録を留めるさまは、勝者必滅を示すごときである。

 歴史上でも、現代社会でも、栄華を極めたツラ厚きものどもも、いつしか化けの皮がはがれ、姿を消していく様は、天地が春夏秋冬、盛者必衰の経を唱えるごときである。

 自分の人生を振り返り、青春を謳歌し体力に任せて無理を重ねたときもある。若いときには夢多き青春を謳歌したのに、何時しか時も過ぎ、体のあちこちに不具合を感じる頃になって、平家物語の祇園精舎の鐘の声や弘法大師の作と言われる「いろは歌」が自分に迫ってくる。

 

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、紗羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。(『平家物語』)

Photo

   馬場恵峰書 「100m巻物」 日中文化資料館蔵  2014年4月17日撮影

 

諸行無常

 自分の肉体と心を持つ自分自身は、自分のものではない。沸様の預かり物と思うこのごろである。いつかは沸様のいる彼岸に返さねばならない。自分を含めてすべての一族は沸心一体として家系図を彩る様こそが、沸のなせる技である。自分は小さな存在であるが、この世で出来ることを夢見て過ごすことが、夢見ず無為に過ごす人よりも、人らしい生き方であると思う。その夢が破れて涅槃に逝っても、夢見た証があれば、その後を追う子孫が生まれてくる。ご先祖が何時かは歩いた道を、生まれ変わった自分が歩いている。

 三法印の「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静」とは仏教のあるべき姿を現した標語である。「いろは歌」はそれを踏まえた歌として詠まれている。佛と自分が一体となってこそ人の人生である。

 

 色は匂へど散りぬるを わが世誰ぞ常ならむ

 有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔いもせず

 無常なこの世の中を今まで歩いてきた。誰一人永遠の繁栄を遂げた人はいない。「今」まさに越えにくい深山に入ろうとしている(有為とは佛語で、直接間接の諸条件、即ち因と縁の和合によって作られている恒常でないもの)。軽薄な夢などは見ず、正気になって涅槃に逝く覚悟である。浮世の幸不幸や貧富の差は夢の如し。有為ではなく無為(因縁によって作られたものではなく、常住絶対の真実である悟り)の世界に向って歩くことが修行である。それが身沸一体の境地となる。今の世を夢と思わずに大きな夢を見つつ、その実現に向けて、一歩一歩絶えまず人生の旅を精進したい。

1

2

  馬場恵峰書  2012年

  

今川順夫氏、中村公隆師、河村義子先生のご縁

 私が「いろは歌」の意味を知ったのは、高野山伝燈大阿闍梨中村公隆著『いのち耀いて生きる』(春秋社)を読んだ2015年7月の時である。これも今川順夫氏が中村公隆師の米寿のお祝い会に招かれ、その時の中村公隆師贈呈の御本を今川氏が頂いた。私が河村義子の演奏会の案内を今川氏にしたら、中村公隆師の米寿の祝賀会があるので、出られないという。その中村公隆師の著書を今川氏から頂いた。

 その本を読み、感銘を受け、他の著書も手に入れて得た知識である。今川順夫氏に河村義子先生の演奏会の話しをしなければ、ご縁がなかった本である。

 その今川順夫氏もこの2019年6月に他界された。河村義子先生も昨年の2018年末に他界である。「いろはにほへと」をしみじみと感じる。

Photo_2

2019-09-05   久志能幾研究所通信No.1329  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年8月25日 (日)

今川順夫氏に関する記事の集約が完了

 丸順の今川最高顧問に関する記事をカテゴリー「w_今川順夫氏の歩んだ道」に集約する作業が完了しました。ご参照ください。

 

2019-08-25   久志能幾研究所通信No.1316  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年8月24日 (土)

故今川順夫氏 お別れの会

 2019年6月21日、今川順夫氏がご逝去された。享年95歳。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 葬儀は親族だけで行われたが、8月19日、お別れ会が大垣フォーラムホテルで800余名の方が参列して、しめやかに開催された。

P1120993s

 お別れの会 祭壇 2019年8月19日、大垣フォーラムホテル

P1120999s

別室の懇親会場で生前のインタビュービデオを放映

 

 氏とは父がシベリア抑留の関係で、大垣ダモイ会に入っていたご縁で知り合いになった。色々とお話を聞き、お世話になったご縁である。

 生前、今川最高顧問からは、会社の写真集を作って欲しいとの依頼があったが、側近に調査を邪魔され、氏に会えなくなり、それもかなわなくなった。ご縁がなかったとして身を引いた。生前に今川順夫最高顧問と親しくお話をできたのが、ご縁として幸せであった。写真集が出版できなかったのは、悔いがあるが、それも縁であると思う。

 当時、今川最高顧問から、今の会社の利益が薄いとして経営分析を依頼された。最高顧問は部下にその営業データを私に渡せと指示されたが、渡してもらえなかった。担当役員に面会時間を約束して会いに行っても、面会をすっぽかされた。後でそのお詫びも無かったから、確信的に面会を拒否をしたようだ。部外者がそのデータを見ると都合が悪い部分があったのだろう。今川最高顧問は、その件でその部下を叱責されたが、その部下は平然として、蛙の面に水のようであった。それで聞き込み等で調査をしたが、側近に邪魔をされ、挙句に脅迫までされたので、身を引いた。知人の元銀行マンから命の危険があるから身を引けと助言を受けたためである。

 その後、丸順は人員整理があり、倒産の噂もあった。その後、丸順は東プレの資本が入り、実質的に人手に渡った。こんな部下たちがいれば会社もおかしくなると思った。それで、この件は縁がなかったと悟った。

 

 今川最高顧問に関する私のブロブ記事は、

新設のカテゴリー「w_今川順夫氏の歩んだ道」に集約して整理中です。ご参照ください。

 

2019-08-24   久志能幾研究所通信No.1315 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年2月28日 (木)

磨墨智6. アウシュビッツから生還しよう

 生きる目的を持った者だけが、アウシュビッツやシベリアで生き延びた。生き延びるとは消滅寸前の時間の炎を復活すること。どんな状況下でも、希望を捨てず、生き延びるべき。

 

父のシベリア抑留

 私の父も地獄のシベリア抑留から生き延びて帰国した。それで今の私の生がある。零下30度の極寒労働地、極貧の食事、劣悪な極酷の労働条件。朝,目を覚ますと若い戦友が隣のベッドで冷たくなっている。半分の戦友がシベリアの土に消えた。アウシュビッツでは、死亡率95%。1945年のシベリア抑留開始の初期にはロシア側の準備不足で、死亡率は80%。10万人の邦人がシベリアの土になった。しかしその極限条件下でも生き延びた人達がいる。

 

ヴィクトル・E・フランクルの行動

 下記はナチス強制収容所から生還し、その体験を記した『夜と霧』の著者(心理学者)、ヴィクトル・E・フランクルがとった行動。

 

◇ 働ける体であるように見せる

    働ける状態でなければ、自動的にガス室行きである。だから常に若く見えるように、立ったり歩いたりする時は背筋をピッと延ばしていた。若く見えるように髭を毎日剃った。最後のパン一切れを人に与えても、ガラスの破片で髭を剃ってもらった。病気にならない。病人になれば、自動的にガス室行き。

◇ 常に未来を信じる

   近い将来、講演会で自分が演説している姿を思い浮かべた。

◇ 収容所での苦しみは意味があると認識

    無意味だとすると生きることの価値が無くなる

◇ 愛する人との魂での会話

◇ 感動を失わない

     沈みゆく太陽の夕焼けの風景に感動

◇ ユーモアを失わない

     自分を見失わない魂の武器

.

会社が経営危機の時、リストラ対象になるのはどんな人?

リストラされると今の経済状態では再就職は至難の技。年間3万人の自殺者

 

生きるとはつまり、(生きる義務を引き受ける行為)

 ・生きることへの問いに正しく答える義務

  ・生きることが各人に課す課題を果たす義務

  ・時々刻々の要請を充たす義務

苦しむとは何かをなしとげること

「夜と霧」ヴィクトル・E・フランクルより

 

私とシベリア

 父もシベリア抑留から生還できたから、今の私の命がある。父の弟はシベリアの土になった。その子は父の顔をしらない。

Photo_3 父の遺品の慰労状

Photo_4

Photo_5

恒久平和乃碑(大垣公園内)

1991年建立、父もダモイ会に入会していた

Photo_6

濃尾護国神社前の碑(大垣公園内)

 国を護るために命を捧げた英霊を忘れてはならない。

 そして今の我々の命がある。

 

 

2019-02-28  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年7月30日 (月)

大垣の子供たちの未来は悲惨(2/5)不動明王

不動明王の教え

 現在、松本明慶先生は、最大規模の不動明王坐像を造仏中である。その完成時期が東京オリンピックの影響で、遅延しそうである。造仏を依頼されたお寺さんが不動明王坐像を納めるお堂を新築しようとしたら、東京オリンピック関連建設の影響で、設資材が高騰して、予定の建設費よりも5割増しの金額になるからだ。それが数億円規模の増加なので、とても檀家さんに寄進をお願いできず、その延期を検討されている。

 

岐建の疑惑

 大垣市は、東京オリンピックで資材が高騰することが分かっていて、125億円の大垣新市庁舎の建設を強引に進めている。その建設時期を少し延期するだけで、小学校のエアコン設置費の数十億円は軽く浮くはずだ。それは松本明慶大仏師の不動明王の造仏が教えてくれた。

 大垣市長は、「新市庁舎の建設費は、東京オリンピックの影響なしに建設できる」と言っているが、経済学の常識として、資材価格が上がるのだから建設原価が上がるのは必然である。どこかで手を抜かないと、建設会社が左前になってしてしまう。大垣市長の常識は、世間の非常識である。

 だから同時期に岐建が請け負った彦根市役所の耐震補強工事は、2018年1月に手抜き不正が露見して、彦根副市長が辞任に追い込まれた。その疑惑に満ちた岐建が大垣新市庁舎を建設している。会社の利益確保の経営上で、手抜きをしないほうが、おかしいと思うのが常識である。

 

お祭りで無駄遣い

 小川市政は、財政健全化と謳いながら、大垣市制100周年記念行事では痴呆的な行事に3億円余も散財している。その使途不明金の疑惑が山積である。なにせ、自分達で「使用用途は非公開」との条令を作って大威張りである。だから、子供達の命に影響するエアコン設置には、頭が回らない、回す気もない。行政の使命を忘れた役人の存在は罪悪である。子供の未来を考えない官吏は、この世に不要である。それが天の定めである。

 

トヨタの考え方

 トヨタ生産方式を作ったトヨタ自動車元副社長の大野耐一氏は「悪いことに使うのは別だが、良いことへの投資なら、お金は何とでもなる」として、トヨタ自動車の省人化の設備投資には金をつぎ込んで、三河のトヨタを世界のトヨタにした「人で生産性を上げてはならぬ。機械で生産性を上げよ」の思想である。

 大垣市長は、旧日本軍の精神論で「エアコンなしで学習の効果を上げよ」とぶち上げている。大垣の恥である。敵(他市の子供達)は、快適な環境で勉学に励んでいる。今日でも遅いのに、それが6年後にエアコン設置の工事が開始なんて、正気の沙汰ではない。小川市長は狂っている。「命の危険がある」と気象庁が警告した極暑の環境下で、子供達の命を危険に晒して、何が「子育て日本一」なのか。

 

大垣債

 金がないなら、「小学校エアコン設備の大垣債」を発行して金を作ればよい。後から返済すればよいだけだ。予算があるないの話しではなく、大垣市長の決断があるかないかだけの問題である。これは子供達の命に影響する緊急事態である。

 

不動明王への祈願

 不動明王とは、拝む人の煩悩を右手に持った剣で断ち切り、迷える衆生を左手の羂索で救い上げてくれる佛様である。その顔は怒りに満ちた形相だが、目は慈しみのまなざしで拝む人を包んでいる。怒りで自分を叱ってくれる佛様である。だから世にはお不動さん信仰が絶えない。

 不動明王は、大日如来の化身である。大日如来を社長とすると、不動明王は、その社長代行とも言える存在である。その身体は醜い青黒い色で表現される像容が多い。これはどぶ泥の色ともいわれ、煩悩の泥の中において衆生を済度される。頭には蓮の華の座をいただき、髪は中国の様式で辮髪である。背に迦楼羅焔を背負い、貪・瞋・癡を許さんとする憤怒の相で、岩を組み合わせた瑟瑟座に座して「一切の人々を救うまではここを動かじ」と決意する姿が一般的である。

 

今川順夫会長と不動明王のご縁

 丸順の今川順夫会長は、大垣市南頬町で工場を建設していた昭和32年の冬のある夜、枕もとの立った仏様の導きで、谷汲山華厳寺の滝のそばに立っておられたお不動さんとご縁ができた。今川氏は、そのお不動さんのためにお社を建てるという功徳をされた。その時、和尚さんの話で、お不動さんがお礼として願い事をかなえてあげるという。それで今川氏は、創業間もない頃で、「会社の発展と社員の幸せを」を祈願されたという。その後、丸順は関連会社を含めて4000人の会社に成長した。これは今川順夫著『私の手がつづる 事業独立 創操の記録』(岐阜新聞社刊)に述べられた記録である。

Photo 岐阜新聞社刊 2012年

祈るとは、人生の品質管理活動

 今川氏は創業以来、毎日、欠かさず神棚・仏壇に手を合わせておられる。手を合わせて祈るとは、毎日、自分の日々の行いを反省し、冷静に自分と対峙して、目標を神仏に誓い、その進捗状況を報告するということだ。自分で決めた目標に、自分で自分に鞭打って励む、である。つまり神仏を社長として、自分株式会社でPDCAを回しているといえる。これは人生の品質管理活動である。だから、神仏にお祈りする人は成功する。

 

佛様が治してくれる

 三好眼科の三好輝行先生は、松本明慶仏像彫刻美術館福山分室に、大きな不動明王を鎮座させている。不動明王は、迷える衆生を救う仏様である。現在、三好先生は、世界歴代2位の白内障手術数の実績を積み上げておられる。三好先生が手術後に患者にかける言葉が「手術は大成功です。後は佛様が治してくれます」である。私は手術室で先生の手術を見学したおりに、この言葉を聞いて感激した。これも佛様からの恩恵であろう。私が三好先生とご縁ができたことによるご縁である。

2p1020368 不動明王座像 松本明慶大仏師作 三好輝行先生蔵(福山市 三好眼科)

 

小川市長の煩悩

 無力な大垣市民は、小川敏市長の迷える煩悩が、不動明王の宝剣で断ち切られることを願うしかない。何を血迷って、小川市長は、大垣市長の激務の座に20年間もしがみつくつもりなのか。第三者から見れば、小川市長は、貪・瞋・癡で狂って命を削っているとしか思えない。小川市長が信仰心に厚いとは思えない。小川市長に神仏に手を合わせるという心があれば、護国神社前での水まんじゅうギネス狂宴などはできまい。

 その弊害で、大垣市役所が「怠」や「平目」の舞う瘤隅場(りゅうぐうじょう)として、利権の渦が巻いている。だから大垣は、衰退した。その恥が大垣駅前商店街のシャッター通り化として顕在化している。天網恢恢疎にして漏らさず、である。いくら小川敏大垣市長が長期政権の権勢を誇っても、大日如来の遣わす不動明王が、宝剣で玉手箱を叩き壊せば、煙となって消える運命である。せめて子供たちを巻き添えにしないで欲しい。

 

2018-07-30  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月11日 (水)

恐ろしい大垣都市伝説(4/7)シベリア抑留2

シベリア抑留戦没者70回忌追悼法要

 2015年11月3日10時から、大垣公園内の「恒久平和の碑」前でシベリア抑留戦没者70回忌追悼法要が、今川順夫会長の主催で執り行われた。会員や丸順の関係者など60名が出席した。今川会長とは講演会でご縁が出来たので、私にこの法要への参列の招待状が来た。私は初めての参加である。

 この法要に参加が決まってから、京都府の従兄弟の訃報が入り、その葬儀が、同日13時からと急に決まった。それで、シベリア抑留戦没者70回忌追悼法要には、出発間際の10時55分まで参列してから、後ろ髪をひかれる想いで、予め呼んであったタクシーに飛び乗り、名古屋経由の新幹線で京都に向った。京都府の現地には、13時15分に到着できた。京都の告別式が午前中ならこの追悼法要には参加できなかった。両方の法要に参加できたのは、沸様のご配慮と思う。

41p1070459  参列者と歓談する今川順夫会長

42p1070479  ケーブルTVのインタビューを受ける今川会長

地獄のシベリアから生還できた理由

 法要に先立ち、今川会長が感涙の挨拶をされた。その中で、今川氏が地獄のシベリアから生還できた理由を3つ述べられた。一つが気力、二つ目が体力、そしてで、その3つがあって生きて帰れたという。そしてもう一つが、軍人勅諭の「一つ、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし」をもじった「一つ、軍人は要領を本分とすべし」という冗談の句が生還の要点であったという。

 やはり要領の悪い人は生きて帰れなかったようだ。「要領」とは悪い意味もあるが、良い意味では、物事の本質である。生きる本質を理解できなかった人がシベリアの土になった。若く体力があるから生きて帰れたわけではない。神仏のご加護無しに生還できたわけではないという。人は地獄を見ると、神仏の存在を感じるようだ。

 「運」は、今までの自分の生き様、ご先祖の積善功徳、それらの総合した力ではないかと最近しみじみと思う。自分の運だけでは生還出来なかったのだと思う。父が生還できたのもご先祖の功徳と巡り遇わせの運と思う。

 

小川市長の「追悼の辞」

 今川会長の挨拶の後、小川敏大垣市長が神妙に追悼の辞を読み上げた。それは秘書室が書いた追悼の辞を読み上げただけのように聴こえた。いつもは、秘書室が用意した原稿などは無視して、自分の思ったままの演説をして、とりとめのない話で時間超過する小川敏市長であるが、この日は、原稿を見ながらのぎこちない追悼の辞であった。今川会長の話とかなり違った趣であった。

 25年前の「恒久平和の碑」除幕式で、当時の小倉満市長が、涙ぐんで真に哀悼の籠った追悼の辞と比較すると、何か違和感のあるお役所的な追悼の辞であった。小川敏市長は、目に見えないものに対する考えが、普通の人とは違うようだ。小川市長は、ものに対する眼の付け所が、現世的なようだ。

 

目に見えないものへの畏敬

 当時は、そんなことには思いが及ばなかったが、この原稿を書くとき、当時のビデオ映像で小川敏市長の追悼の辞を再確認して、その思いを新たにした。だから、この神聖な場所で、英霊に対して無礼な「水まんじゅうギネス挑戦」を決行する愚行ができたのだと思う。3年前に、この場所での追悼の辞が頭の隅にあれば、決してこの場をギネス挑戦の会場にはしなかったであろう。神仏、英霊、ご先祖に敬意を払わない現市長を頂く大垣市民は不幸である。

 目に見えないものに対する姿勢が、動物と人間を分ける印籠なのだ。爬虫類の脳で生きていると、食うだけ、金儲けだけ、目先の餌(食いもの世界記録)だけという生きる姿勢となる。そういう生き方をするから詐欺まがいに騙される。無価値のギネス記録に騙されるのだ。天罰で、僅か2週間で血税900万円が消えたのだ。

 

天皇陛下のお仕事

 日本国民の父母というべき天皇皇后陛下は、ひたすら国と国民の幸せを祈るのが最大のお仕事として奉仕されている。目に見えない神、ご先祖、サムシンググレートと言われる存在に対して、ひたすら国と国民の為に毎日、お祈りを捧げておられる。こんな元首は世界のどこにもいない。

 市長も市民の親として、実務では当然として、大垣市と市民の幸せに祈りを捧げる義務があると思う。それが今の小川市長の言動を見ると、疑問を考えざるを得ないのだ。

 今回の法要で、小川市長が小倉市長に比較して、神仏への祈りが深いとは思えないと感じた。「水まんじゅうギネス挑戦」で小川敏市政に幻滅を感じた。

43  小川敏市長の追悼の辞(ビデオより)

44p1070520   読経 今川会長と小川敏大垣市長

ご縁の賜物

 私は、市田靖さんと遺族代表席で隣りあわせとなった。市田靖さんも今回の法要で、シベリア生還者中での参加者2名の一人である。聞けば父のことも知っているという。年齢を考えると稀有のご縁を頂いた。この法要に参加するのだ、との強い意志がなければ出会えなかったご縁である。

45p1070519  法要の参列者の皆さん 最前列席より撮影

46p1070509 慰霊碑に献花をされた市田様、今川会長(左から)

 

2018-07-11  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

 

2018年7月10日 (火)

恐ろしい大垣都市伝説(3/7)シベリア抑留1

「恒久平和の碑」のご縁

 丸順の今川順夫氏の尽力で1991年8月、シベリア抑留慰霊「恒久平和の碑」が建立された。小倉満市長は、「恒久平和の碑」除幕式で、丸順の今川順夫会長のシベリア抑留時の地獄の体験話を聞いて涙ぐんだという。小倉市長は人情に厚い方であった。

 この除幕式には、会長の今川順夫会長、小倉満大垣市長、外村次郎大垣共立銀行頭取、田口利夫西濃運輸会長、堀一雄副会長、河合達夫大垣商工会議所会頭の大垣市の重鎮(当時)が参列された。

 その「恒久平和の碑」開幕式記念写真で、小倉満市長、今川順夫氏と並んで私の父も写っていることを発見した。この碑は私には他人事ではない。だから「恒久平和の碑」に不敬を働く輩を見ると人一倍、腹が立つ。

31

       今川順夫著『夢への挑戦の礎』より

 

碑の意味

 碑とは、ある意味でお墓と同じであると思う。碑とは、ある事象を祈念して後世のために残す人々の想いの顕われである。1991年、大垣公園内に、建立されたこの「恒久平和の碑」はシベリア抑留から生還したダモイ会の皆さんが二度とこういうことが起きないようにと、恒久平和を祈って建てられた碑である。その碑の陰には、6万人とも10万人とも言われるシベリアの土に帰した邦人がいる。この碑はロシアという死鬼衆により殺された日本人の魂を鎮魂するためでもある。そんな悲劇を二度と起こさないための決意表明なのだ。

 

恒久平和祈念の碑とのご縁

 1991年8月、この碑は建立された。この石は四国より運ばれた。私が2010年秋に大垣に帰郷して、2014年までの毎朝、この碑の前を散歩のために通るが、父の名が刻まれていることを知ることはなかった。「魂(オニ)」が納仏された日、今川氏のシベリア抑留講演会の案内を見たご縁で、恒久平和祈念の碑の裏に父の名を発見できた。それ以降、毎日ここを訪れ、日本の平和と極寒のシベリアで斃れられた方の冥福を祈念している。そして日本の未来を背負う子供達のために、自分は何が出来るかを考え続けている。

 自分が2015年にお墓つくりを経験して、今川氏の気持ちが少し分かった気がする。この碑の建立に多大な貢献された今川順夫氏に感謝している。今川氏とご縁ができたゆえに、恒久平和祈念の碑の建立式に立つ父の姿を写真で初めて見ることができた。これは沸様のお導きとしか思えない。

31dsc04484

松本明慶大仏師作 魂  軸は馬場恵峰書

32

平和記念碑建立の志

昭和20年8月15日に、第二次世界大戦は漸く終戦を迎える事が出来た。しかしその当時旧満州地区に居た約60万人の日本軍将兵及び民間人は、直ちにソ連軍の支配下に入り、極寒のシベリア地区抑留の身となった。

ラーゲル(収容所)生活は、粗末な服装と僅かな食料が与えられただけで、冬は零下60度の寒さに耐え、夏はブヨとダニの猛襲に悩まされ、シベリアの雪の中での大木の伐採や、バウ鉄道(第二シベリア鉄道)の路盤工事、炭坑での石炭堀等の重労働を強いられ、明日の命が誰一人として保障されなかった中で、男泣きに泣きながら歯を食いしばり唯ひたすら「何時かはダモイ」(日本へ帰る)皆でダモイ・ダモイを合言葉に、それを一つの盾とし、又大きな励みとして、一日も早いダモイに望みをかけ、厳しい労働に耐え忍び、漸く生き伸びて帰還することが出来たのである。

しかし中には飢餓と極寒と重労働など、あまりにも生き地獄のような過酷な条件に耐え切れず、幾多の戦友がシベリアの地に散って行った。その数は10万人ともいわれて居る。

今思いを致せば当時のシベリアの悲惨さが、脳裏に深く焼き付き。改めて平和の尊さが偲ばれるのである。

私達シベリア抑留者西濃地区ダモイ会会員一同は、これらの悲惨な戦争は二度としてはならないと心に誓い合い、永遠の人類平和のために此処に平和の碑を建立し、後世に残すものである。

1991年8月9日 大垣市・西濃地区ダモイ会 会長 今川順夫

(「恒久平和の碑」の説明パネル)

  

34  除幕式

35  除幕式での記念写真

 2列目中央が小倉市長、その隣が今川順夫会長、2列目左端白い半袖カッター姿が父

36

鬼死衆の跋扈

 父が生きて帰還できたが故、今の自分の命がある。なぜ人は死鬼衆になるのか。なぜ共産主義は人の命を粗末にするのか。なぜアーリア人は民族皆殺しの死鬼業を平気で犯すのか。自分は恒久平和のために何が出来るのか。口先だけで平和を叫んで滅んだ国が、過去70年間だけでも180カ国にも上る。

 口先だけで非武装中立を謳い、北朝鮮の日本人拉致問題を知りながら無視したオタカ社会党は消滅した。その残党が、現代の日本政治をかき乱している。非武装中立では日本は消滅する。それは最近の中共による領空、領海侵犯の激増で証明された。

 我々は後世に何を伝えるべきか。何をなすべきか。この碑を見るたびに考えている。

 

チベットの惨劇

 中共がチベットに侵略を開始したのはほぼ1950年であり、その後、チベット人の独立運動を力で押さえつけ、犠牲となったチベット人は120万人と言われている。その内訳は、43万人が戦闘や暴動で、9万人が拷問で、17万人が強制収容所で、16万人が処刑で、残りが餓死、自殺などとされている。チベット地域に居住していた人は600万人ほどと言われているが、そのうちの5分の1が中共によって殺害されたことになる。チベットが独立できなかったのは、「平和憲法」がなかったということではなく、中共に対抗できる軍隊がいなかったということだけだ。(武田邦彦氏のHPより)

碑への不敬

 2018年6月3日の愚劣な水まんじゅうギネス記録挑戦では、この歴史を知らないオバタリアンが、この碑に腰かけて休んでいた。この碑の啓蒙活動や説明看板の整備に大垣市が怠慢なのだ。この碑の説明看板がいたずらをされて傷だらけになっているが、大垣市は放置したままである。小川敏市長は、今川順夫会長に大垣市としてこの碑のお守りを約束したのに、全く履行していない。英霊への裏切り行為である。罰が当たりますぞ。祟りにあいますぞ。

37dsc01715  こんな不敬がはびこるのも啓蒙活動がないから。

 2018年6月3日の愚劣な水まんじゅうギネス記録挑戦で

38 いたずらをされた「恒久平和の碑」悦明パネル

 

2018-07-10  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年6月 9日 (土)

飽食・餓鬼道を驀進中の日本(4/4)

現代の飽食の罠

 今川順夫氏が、この講演会でシベリア抑留時の一食に支給のパン350gを実物で示された。それを見ると現代の「飽食の罠」に思いを馳せざるを得ない。病気になるのも、全て、食べすぎ飲みすぎ、薬漬けが原因である。テレビではグルメ番組の氾濫、食い物のCM、行列のできる飲食店の紹介番組の氾濫である。

 愚かなことに2018年には、大垣市は市政100年にかこつけて、尊い食い物を餌にして「水饅頭食べさせ合い ギネス挑戦」に市民を躍らせている有様だ。税金の無駄遣いである。大垣市長に迎合して喜んでいる大垣市議会議長が情けない。大垣市議会議長ともあろう立場で、大垣市長の暴走・愚行を止める役目を放棄している。これでは国民が健康管理にうかつになり、結果として肥満になり、病気になるも故あること。

 そして異常な事件が起こるのも、昼間から刑事ドラマで殺人事件を頻発させ、人殺しが日常茶飯事のように映像で流れる。テレビゲームでは殺し合いがゲームとなり、死んでもリセットすればゲーム再開。これでは実社会で殺人事件が起きても不思議ではない。

 最近は、良識ある人はテレビを見なくなった。下劣な番組ばかりでテレビ離れが続く。テレビ業界の自業自得である。

41dsc04616  講演会場風景(大垣市興文地区センター) 2014年8月16日

42 今川順夫氏   手にしているのが350グラムのパンの量

 これで一食一人分の配給 

今川氏の2回目の講演会

 2014年8月2日、ソフトピアジャパン情報工房ホール情報工房で社会福祉大会の記念講演会(聴衆550人)で今川氏が講演された。その後、同じ内容の講演会「シベリア抑留を生き抜いた男の人生」が8月16日、大垣市興文地区センターで開催された。興文地区の約80名の聴衆が熱心に聴講した。その中に今川氏と同じように生きて帰国されたダモイの会の伊藤さんも聴講されていた。まだまだお元気で、シベリア抑留を生き延びられた方の人徳を感じた。

 今川順夫氏の講演後、岐阜新聞社の記者の質問「今の社会状況をどう思われますか」に対して、今川氏が述べた「刑事ドラマ等で、殺人事件を頻発させるテレビ番組はおかしい」の苦言が印象的であった。

 それから4年が経った2018年現在、少しも状況が改善されていない。

43dsc04613

44dsc04618

 地獄のシベリア抑留から生還された伊藤さん

 

大垣市長の約束不履行

 こういうシベリア抑留の実話はもっと若い人にも聞いてもらいたいと思う。若い参加者が少なかったのが残念である。幸い、大垣市長もこの講演会に参加をされて、この話しに感動して大垣市のアーカイブにして若い人に聞いてもらう段取りをするという。

45dsc04556

46dsc04560 大垣市長の社会福祉大会での挨拶 2014年8月2日

 

 2018年現在、この講演から4年が経過したが、小川敏大垣市長がその約束を実行した噂は聞かない。2018年6月7日、今川順夫氏の秘書に確認しても、大垣市の歴史の権威に聞いても、アーカイブに登録された話は聞いていないという。

 大垣市長は、大垣の子供たちの精神に毒を盛る「水饅頭食べさせ合い ギネス挑戦」等の税金無駄遣いの愚行行事には熱心である。要は売名行為には熱心だが、シベリア抑留のような大衆受けしないが、後世の子供たちに大事な話には熱意がないのだ。教育の街・大垣の文化・歴史を破壊しているのは、大垣市長自身である。

 

2018-06-09

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。