恐ろしい大垣都市伝説(4/7)シベリア抑留2
シベリア抑留戦没者70回忌追悼法要
2015年11月3日10時から、大垣公園内の「恒久平和の碑」前でシベリア抑留戦没者70回忌追悼法要が、今川順夫会長の主催で執り行われた。会員や丸順の関係者など60名が出席した。今川会長とは講演会でご縁が出来たので、私にこの法要への参列の招待状が来た。私は初めての参加である。
この法要に参加が決まってから、京都府の従兄弟の訃報が入り、その葬儀が、同日13時からと急に決まった。それで、シベリア抑留戦没者70回忌追悼法要には、出発間際の10時55分まで参列してから、後ろ髪をひかれる想いで、予め呼んであったタクシーに飛び乗り、名古屋経由の新幹線で京都に向った。京都府の現地には、13時15分に到着できた。京都の告別式が午前中ならこの追悼法要には参加できなかった。両方の法要に参加できたのは、沸様のご配慮と思う。
地獄のシベリアから生還できた理由
法要に先立ち、今川会長が感涙の挨拶をされた。その中で、今川氏が地獄のシベリアから生還できた理由を3つ述べられた。一つが気力、二つ目が体力、そして運で、その3つがあって生きて帰れたという。そしてもう一つが、軍人勅諭の「一つ、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし」をもじった「一つ、軍人は要領を本分とすべし」という冗談の句が生還の要点であったという。
やはり要領の悪い人は生きて帰れなかったようだ。「要領」とは悪い意味もあるが、良い意味では、物事の本質である。生きる本質を理解できなかった人がシベリアの土になった。若く体力があるから生きて帰れたわけではない。神仏のご加護無しに生還できたわけではないという。人は地獄を見ると、神仏の存在を感じるようだ。
「運」は、今までの自分の生き様、ご先祖の積善功徳、それらの総合した力ではないかと最近しみじみと思う。自分の運だけでは生還出来なかったのだと思う。父が生還できたのもご先祖の功徳と巡り遇わせの運と思う。
小川市長の「追悼の辞」
今川会長の挨拶の後、小川敏大垣市長が神妙に追悼の辞を読み上げた。それは秘書室が書いた追悼の辞を読み上げただけのように聴こえた。いつもは、秘書室が用意した原稿などは無視して、自分の思ったままの演説をして、とりとめのない話で時間超過する小川敏市長であるが、この日は、原稿を見ながらのぎこちない追悼の辞であった。今川会長の話とかなり違った趣であった。
25年前の「恒久平和の碑」除幕式で、当時の小倉満市長が、涙ぐんで真に哀悼の籠った追悼の辞と比較すると、何か違和感のあるお役所的な追悼の辞であった。小川敏市長は、目に見えないものに対する考えが、普通の人とは違うようだ。小川市長は、ものに対する眼の付け所が、現世的なようだ。
目に見えないものへの畏敬
当時は、そんなことには思いが及ばなかったが、この原稿を書くとき、当時のビデオ映像で小川敏市長の追悼の辞を再確認して、その思いを新たにした。だから、この神聖な場所で、英霊に対して無礼な「水まんじゅうギネス挑戦」を決行する愚行ができたのだと思う。3年前に、この場所での追悼の辞が頭の隅にあれば、決してこの場をギネス挑戦の会場にはしなかったであろう。神仏、英霊、ご先祖に敬意を払わない現市長を頂く大垣市民は不幸である。
目に見えないものに対する姿勢が、動物と人間を分ける印籠なのだ。爬虫類の脳で生きていると、食うだけ、金儲けだけ、目先の餌(食いもの世界記録)だけという生きる姿勢となる。そういう生き方をするから詐欺まがいに騙される。無価値のギネス記録に騙されるのだ。天罰で、僅か2週間で血税900万円が消えたのだ。
天皇陛下のお仕事
日本国民の父母というべき天皇皇后陛下は、ひたすら国と国民の幸せを祈るのが最大のお仕事として奉仕されている。目に見えない神、ご先祖、サムシンググレートと言われる存在に対して、ひたすら国と国民の為に毎日、お祈りを捧げておられる。こんな元首は世界のどこにもいない。
市長も市民の親として、実務では当然として、大垣市と市民の幸せに祈りを捧げる義務があると思う。それが今の小川市長の言動を見ると、疑問を考えざるを得ないのだ。
今回の法要で、小川市長が小倉市長に比較して、神仏への祈りが深いとは思えないと感じた。「水まんじゅうギネス挑戦」で小川敏市政に幻滅を感じた。
ご縁の賜物
私は、市田靖さんと遺族代表席で隣りあわせとなった。市田靖さんも今回の法要で、シベリア生還者中での参加者2名の一人である。聞けば父のことも知っているという。年齢を考えると稀有のご縁を頂いた。この法要に参加するのだ、との強い意志がなければ出会えなかったご縁である。
2018-07-11 久志能幾研究所 小田泰仙
著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。
コメント