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2020年12月26日 (土)

一人では成佛できない  「學」とは

 

 2011年4月6日に第50回京都佛像彫刻展に出かけたら、偶然、松本明慶先生にお会いできた。展示されている佛像を説明していだいた。そこには若い佛師の作品が展示されていて、中には松本工房から独立して、佛像を作っている佛師の作品も展示されていた。素人目から見て、松本工房の佛師の作品に比べて、出来が落ちるのがわかる。明慶先生によると、独立したくらいだから腕はいいのだが、独立当時から作品のレベルが変わっていないという。つまり時間が止まっている。

 これは、独立した仏師が、自分の世界に閉じこもってしまい、松本工房で大勢の仲間との切磋琢磨が無くなり、成長が出来ないとのことである。自分の世界と比較して、身につまされるお話である。人は、批判、指導により人間として成長し、その作品の出来に影響するのだと。作品がその人自身を冷酷に表す。

 菩薩とは如来になるべく修行中の佛様をいう。菩薩様は修行をしながら衆生を救う佛様として拝まれている。一人では成仏できない。回りの仲間がいてこそ、自分が成仏への修行ができるのだ。仲間は自分の鏡なのだ。仲間に手を合わせて感謝しよう。

 その学びは、仏像彫刻に限らず、全ての芸術、学問にも当てはまる。

 

「學」

 「學ぶ」の「ワかんむり」は「学びの館」を表し、下の「子」は、学びの館で過ごす生徒を表している。その学生たち、教師との対話をしている様を冠の上の象形文字で示している。一人では学べないのだ。一人で学べるのは超人である。凡人の我々は師に従って、仲間と議論をしながらその道を進むのだ。それを表した文字が「學」である。

 師との出逢いこそ、最大の学びである。だからこそ、「3年かけて師を探せ」である。

 また一緒に学ぶ仲間のレベルも影響する。良き仲間を探そう。朱に交われば赤くなるのだ。

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Img_43861s  馬場恵峰書

 

2020-12-26 久志能幾研究所通信 1874  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年12月25日 (金)

賽の河原のピアノ弾き(改2)

 

 賽の河原の石積とは、親の供養のための童子の願行ではない。それは己が成仏させられなかった己の願行である。「禁煙・禁酒、毎日6時間勉強」と願をかけ、最初の数日間だけは実行するのだが、内なる鬼が「そんなしんどいことは止めて、もっと気楽にしなはれ」と天使の声の如く耳元に囁きかける。

 今まで積み上げてきた禁煙・禁酒、勉強の継続という名の「石積の供養塔」を壊すのは鬼ではなく、怠惰な自分である。成就させることのできず、途中で投げ出した供養塔が、人生でどれほどあることか。幼くして死んだ子は、自分が投げ出した三日坊主の象徴である。賽の河原の石積はあの世ではなく、己の「人生という大河」の両岸にある。チャレンジしては、途中でおっ放り出した死屍累々の山に手を合わせたい。

 

内なる地蔵菩薩

 積み上げた石積を壊す鬼を止めるのが、己の内なる地蔵菩薩である。佛像は己の心を現す鏡である。自分の心には鬼も住めば、佛も宿る。場面ごとに鬼と佛が心の鏡の中に交互に現れる。堕落に誘う鬼の時もあれば、己を厳しく裁く裁判官の時も、救いの佛さまのときもある。すべて自分の心が決める。

 

地蔵和讃

 賽の河原の積み石の「地蔵和讃」は、子供に対する寓話ではなく、怠惰な大人への説法である。「三途川の河原の石積」はあの世ではなく、己の心に存在する。地獄に堕ちる前に、自分を救ってくれるのは、地蔵菩薩という名の自分である。菩薩とはひたすら修行道を歩く佛様である。

  『失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる(松下幸之助翁)』。

 諦めるから、失敗になる。三日坊主を殺すのは自分の内なる劣等感という鬼である。邪気を振り払い、ひたすら目標に向かって、壊されても崩されて賽の河原の石を積み上げ続ける。そうすれば内なる地蔵菩薩が助けの手を差し伸べる。自分を救うのは自分である。

 Photo

 松本明慶先生作 白檀 地蔵菩薩  松本明慶佛像彫刻美術館蔵

  写真掲載には、松本明慶佛像彫刻美術館の許可を頂いています。

 

馬鹿じゃなかろうか

 賽の河原の石を積み上げ続けられるのは、純真な心を持ち続けた童だけである。中途半端に大人になり、純真さが薄れ、雑草が心に芽生えると、石を積み上げる気力も失せる。人から見て「馬鹿じゃなかろうか」としか思われないことをしなくなる。それは成長ではなく退化である。バカではないかと思われることを平然とやり続けられる人間になりたいもの。

 

 ピアノには誰しも憧れるが、習得は難しい楽器である。必死に練習をして、やっと弾けるようになったバイエルンの練習曲でも、翌日になると指が絡んで上手く引けないことが多々あり、自分の才能の無さに忸怩たる思いをさせられる。ピアノを習熟するには毎日8時間の練習を10年間すればよいというが、それだけの情熱をほかの面に向ければどんな道でも成功者になれる。プロ相当の腕になるには、賽の河原の石積の試練を乗り越える情熱が必要である。才能よりも弾きたいという情熱をいかに継続させるか。それを持続した人だけが、三日坊主の鬼の手から逃れられる。

250

岩崎洵奈さん  ベーゼンドルファーModel 250

 ベーゼンドルファー東京 2016年3月13日

 

 前写真のピアノはベーゼンドルファーModel 250で、ウィーンのオペラ座で100年間弾かれ続けた歴史を背負う。このピアノを弾ける舞台に辿りつく前に、賽の河原に消えたピアノ弾きは無数にいる。

 100年間も現役で活躍したピアノが存在することは稀有である。その修復が完了してベーゼンドルファー東京ショールームに展示された。2016年3月13日、ピアニスト岩崎洵奈さんの演奏で、このベーゼンドルファーModel 250と現フラグシップのModel 290 Imperialとの弾き比べのミニコンサートが開催された。招待を受け現地に出向いた。ミニコンサートの後、Model 271 を少し弾かせてもらって幸せでした。

 

三途の河で地蔵菩薩

 人生で情熱を傾けられる道を見つけて、人からは馬鹿じゃなかろうかと呆れられても、それを意に介さず、我が道を歩き続けられる人は素晴らしい。そういう人は、迷わず胸張って浄土へ向って歩き続ける。思いを心に刻んだ三日坊主が生きながらえると、三途の河で地蔵菩薩に逢える。

 宮仕えの時は、60歳までという期限があった。定年後はその制限が無くなる。レッスンの遅々たる進捗にめげず、悠々とレッスンを続けよう。こちらは死ぬまでにマスターをすればよい。死ぬまでにゆっくりと賽の河原の石積をすればよい。智慧と使える時間の量は、孫よりも多いと認識しよう。

 

2020-12-25 久志能幾研究所通信 1873  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年12月12日 (土)

国破れて山河在り 義子師去りて音楽在り

 

 義子先生の死を思うと、なぜか李白の「国破れて山河在り」の詩が頭をよぎる。義子先生が活躍していた「音楽の国」が破れてしまった。義子先生が亡くなっても音楽を愛する人たち、友人、門下生が変わりなく生きている。大垣の山河も変わりなく四季の移り変わりを演奏している。自然は声なき音楽を奏でている。

 

 私も老いて髪も白く薄くなったが、音楽を愛する気持ちは変わらない。義子先生の志を継いで、大垣の「音楽の国」の再建に向かって、一助として精進したい。朝起きて、まだ息をしていれば、「この世でまだまだやるべきことがある」との仏様からの啓示である。「起きたけど 寝るまでやることなし」ではない境遇に感謝である。

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2020-12-12 久志能幾研究所通信 1859 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年11月 8日 (日)

死刑の証明は1つで十分  磨墨知28 

 

 無為な事に時間をかけすぎない。自己満足の証明のため、決断の時を無為に延期するのですか? その「裁判」の目的はなんですか? 死体に鞭打つのですか? 後の始末は仏様がやってくれる。目的を忘れると余分な事に時間を使うもの。それは死んだ子の歳を数えると同じ。

 

死刑判決

 過去の人を「死刑判決」で鞭打たない。その人に自分は「死刑判決(絶交、絶縁)」をしたのだ。その魔の世界から遠ざかれば、幸せが手に入る。時間が手に入る。腐れ縁で苦しむのは、縁を切れない優柔不断な己である。その人は住む世界が違うのだ。価値観が違うのだ。「人種が違うのだ。」

 

人種が違う

 「人種が違う」とは故河村義子先生が言った言葉。私は河村先生主催のコンサートの勧誘で、チケットを売るため走り回っていた。その中で当然来るべき人、義理でも来なければならない人と思って勧めたら、その人に「休日に来なければならないほど魅力あるコンサートですか」と拒否されて愕然とした。その報告を河村先生にしたら、河村先生が私を慰めてくれた言葉が上記である。

 そのコンサートが河村先生の生前の公式最後の公演となった。私が主のスポンサーとなって開催したコンサートだ。ドレスデントリオを招いての2018年1月13日の新年コンサートであった。

 河村先生の葬儀当日、2018年12月、その人は葬儀には来たが、焼香だけを済ませると早々に消えた。義理で来たことが見え見えであった。私には何か割り切れない気持ちが残った。私はその人に「死刑判決(絶交、絶縁)」をして正解であったと悟った。

 

病気というご縁

 自分を癌にした原因には鞭打たない。そういう苦い経験が今の自分を作った。当時はそれで極楽だったのだ。やってはいけない事、付き合ってはいけない人を、身を挺して体験したのだ。人生の修行時は、清濁併せのまねば成長できない。自分はそれから知見を得たのだ。後は、その魔の世界から遠ざかればよい。

 酒、煙草、分かっちゃいるけどやめられねぇ、では犬猫以下である。

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   馬場恵峰書

 

2020-11-07 久志能幾研究所通信 1817  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年10月29日 (木)

私の夢 ミニ音楽堂の建設

 

 私の夢は自宅にミニスタジオ(音楽堂)を作り、そこで世界の一流の音楽家に、リハーサル会場の提供やミニコンサートを開催することだ。

 現在、コンサートホールで演奏する音楽家は、そのリハーサル会場に困っている。正規のホール会場を1日借りると、賃料で30万円は取られる。大垣に来る音楽家は、宿泊先のホテルで、「近くにリハーサル会場はないか」と必ず質問する。

 

ドレスデントリオの想い出

 2018年1月13日、河村義子先生がドイツからドレスデントリオを呼んでコンサートを開催した。そのリハーサルは、金山駅近くのマンションの一室で行った。その部屋で、河村義子先生も一緒にリハーサルをされた。

 その部屋は、ピアノの先生が個人のピアノレッスン用に借りている。その部屋は完全な防音設備がないので、気兼ねして練習をするようだ。

 私は、そのその場に同席して、リハーサル風景を撮影させてもらった。休憩時、一緒にお菓子を食べながら楽しくお喋りをした。それが良き想い出である。それを自宅で出来れば幸せと、自宅にミニ音楽堂の建設を夢見ていた。

 

大人のおもちゃ

 私はそれの実現のため、今年の初めに「大人のオモチャ」(家)を買った。それはこの8年ほど探し回っていた要件にピッタリであったので即決した。それも朝、物件を見付けて夜に買うことを不動産屋に報せた。我ながら狂気である。

 それで、まず第一歩として、ミニ音楽堂の入れ物は準備が出来た。今すぐには改造工事費が工面できないので、手が付けられないが、近い将来、そこにミニ音楽堂を完成させるのが夢である。ミニ音楽堂の建設と言っても、防音工事費がかかるし、コンサートピアノも家庭用のピアノの数倍と高価である。これからの資金繰りが大変だ。でもそれも生き甲斐の糧になる。

 この歳で、新しい家を買ったので、友からは狂気の沙汰だと呆れられている。人は狂気の時こそ、大きな仕事できる。まともな神経では、プロジェクトは進められない。だから医師からの余命宣告通りには、死ぬわけにはいかない。医師を信じれば、余命宣告通りに死ぬことになってしまう。

 

 「人間は本質的に狂の部分を持っている。

  狂っているときが一番正常で健全だ」

      ギリシャの哲学者セネカ

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 ドレスデントリオの練習風景  2018‎年‎1‎月‎8‎日、

 

2020-10-29 久志能幾研究所通信 1806  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年10月 6日 (火)

狂った習慣・喫煙が女性を殺す

 

 生涯のうちに乳がんになる女性の割合は、50年前は50人に1人であったが、現在は14人に1人 と言われる。年間6万人以上が乳がんと診断されている。 また、乳がん死亡する女性の割合も年々増加の傾向にある。年間約1万3,000人が亡くなっている。これは乳がんを発症した人の30%程度に当たる。

 「乳房再建ナビ」より http://nyubo-saikenn.com

 

 乳がんは、この40年間で、乳がんは3倍に増えた。その最大の原因は、狂った食生活、狂った生活習慣である。それ以外に、夫と子息の喫煙の影響が大きい。

 乳がんに罹り、それが完治しても、一度癌になった体は癌に罹りやすく、別の部位に転移する危険性が大きい。

 癌の治療をしても、癌になった真因を除去しないから、数年後に癌が転移して再発する。いくら有名病院で名医にかかって治療をしても、癌になった真の原因を見付け、その元を絶たなきゃ再発する。私のピアノの先生の場合もそうだった。

 

「日本人女性の乳がん発症」

 2105年1月、日本の集団免疫学研究である「高山スタディ」から、乳がんと喫煙に関する報告が出された。本人ではなく、家族の喫煙である。

 高山スタディでは、生活習慣と免疫との関連を解析するために1992年にスタートした。

 年齢、BMI(体格指数)、飲酒、初潮年齢、出産・授乳経験など他に乳がん発症との関連が疑われる要因の影響を排除して解析した結果、「本人」と喫煙と乳がん発症との関連は認められなかった。

 「夫」の喫煙との関連を解析したところ、妻本人がたばこを1本も吸わなくても、夫が一日に21本以上たばこを吸っている夫婦では、夫も非喫煙者である夫婦に比べて、妻の乳がん発症リスクが1.98倍に上昇することが判明した。

 受動喫煙と乳がんについては国立がん研究センターの報告もある。閉経前の女性の場合、自分自身が非喫煙者でも「たばこを吸う人と10年以上、一緒に住んでいた」「家庭以外で、毎日1時間以上、たばこの煙を吸う機会がある」などの女性は、乳がん発症リスクが1.5~2.6倍に上昇するという。

 この項、井手ゆきえ著「日本人女性の乳がん発症」(「週刊ダイヤモンド 2015/03/14号」)より

 

 家族で夫以外に、子息も煙草を吸えば相乗作用で、妻・母である女性が乳がんになる確率は急増するであろうことは、容易に推察できる。タバコを吸うことは、自分の肺がんリスクも増えるし、近親の女性に対して癌を誘発させる狂った習慣である。妻殺し、母殺し、娘殺しになってはならない。

 

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 日経ビジネス 2016.02.08

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 日本経済新聞 2019年10月18日

2020-10-06 久志能幾研究所通信 1774  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月11日 (金)

あなたの目的は何?

 「人間はモチベーションで方向が決まる。お金が目的なら、それが達成できればそこで止まる。名声も同じだ。私の目的はゴルフなんだよ。」

  プロゴルファー 中嶋常幸  (PRESIDENT 2003.3.17 P17)

 

 「首位打者を目標にしていたら、どっかで挫折していたでしょう。

 “あれをやっておけばよかった”ということがないようにすることです」

     イチロー選手  2007年

 

 大垣市長の小川敏の目的は、大垣市長になる事だけであったようだ。現在の状況から判断すると、彼には大垣市民のため、何かを成し遂げようという志はなかった。だからそこで成長が止まった。そんな男が19年間も大垣市に君臨したので、大垣市民に不幸をもたらした。

 

感動と理動

 小川敏は頭だけを動かして大垣市を経営したから、市民の心を動かす政治が出来なかった。心が動けば、頭も動くのだ。そうすれば市民が喜ぶ政治ができたはずである。

 人は「感動」しても、「理動」はしない。今まで日本では、記憶力だけが優れていた人が評価される時代が続いた。50年前の記憶力だけの試験成績が良かっただけの輩が評価され、政治経済の舵を取った。俗に頭がいいいわれる人は、先例を重視して、新しいことは避ける傾向にある。だから日本の成長が止まり、大垣は没落した。「理」だけで考えるから、理性以上の考えに及ばないのだ。創造性が欠如しているのだ。理性とは理性でしか物事を考えられない偏った能力である。

 だから一流企業でトップの不祥事が続く。超一流大学出の人がオウム真理教に騙されて、絞首台に上った。金だけで物事を考えたから、日産でカルロス・ゴーンの事件が起きた。東大出ではない前市長・小倉満時代は、大垣は輝いていた。その後、東大出だけで評価された小川敏が大垣市を支配したから、大垣が没落した。理性だけでは、発想に限界があるのだ。それが現代日本の成長を阻害する病巣である。

 

私の夢

 だからこそ、自分は小川敏を反面教師として、一生かけても実現できないような夢を見ている。理屈で考えれば、アホかいなという大きな夢を見ている。

 夢を見るなら10倍大きくして、夢を見るようにしている。トヨタ自動車の大野耐一氏の教えである。簡単に実現できないから、自分は一生自己挑戦して成長できる。それが自分の成長戦略である。

 夢を見るなら利己ではなく、利他の夢を見よう。夢が実現したら、多くの人が喜ぶ夢を見よう。きっと神仏が助けてくれる。

 私の夢は、自宅にミニコンサートができる音楽ホールを造る事。そこで海外の音楽家達が、リハーサル、練習できる場所を提供することだ。現在、そういう場所がなく、音楽家が困っている。いくら練習と言っても大きなホールを借りれば、一日30万円の賃料が必用となる。

 

ブログの目的

 私のブログは、読んで少しでも生き方、人生を考える糧となり、何度でも読み返したくなる内容を書くように心がけている。自分の生き方の自省として書いている。私には書くことは生きることなのだ。そうしないと毎日欠かさず3年間も続けられない。 Img_5727s

 初めて馬場恵峰先生宅を訪問した時、お土産で頂いた書。

 2011年4月2日入手。東日本大震災直後で、その日にちを忘れない。

 

2020-09-11 久志能幾研究所通信 1745  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年5月 8日 (金)

私の公約3 大垣駅に駅ピアノを設置

仮定として、私が大垣市長になったら、で公約を宣言する。

誰か次回の市長選で立候補して、この公約を実現して欲しい。

公約

 大垣駅に駅ピアノ(ストリートピアノ)を設置する。

 

駅ピアノとは

 誰でも弾ける「ストリートピアノ」を公共施設や商業施設に設置する動きが東海地方にも広がってきた。「音楽で街の活性化をしたい」との欧州の取り組みで、それが全世界に広がってきた。

 駅ピアノと言っても200万円もだせば、アップライトの立派なピアノが買える。グランドピアノなら300万円である。中古なら50万円も出せばよい。年間、12回の調律をするとして25万円もあればよい。元気ハツラツ市で毎年1,000万円を無駄遣いして、会計報告もなく、闇に消える金より、はるかに大垣を元気にする効果が高い。

 私は園児が強制的に踊らされる幼児の音楽より、演歌三昧、フォークの絶叫音楽のような下品な催し物より、文化の香りが高い環境を大垣に導入したい。それで大垣の活性化の一助としたい。企業から寄付を募ってでも実現したい。その寄付こそ、企業の宣伝として使えばよい。

 

大垣市の現状

 現在は、小川敏の大垣市政が、文化芸術関係には金を出すのを渋るので、大垣駅に駅ピアノは実現しそうにもない。岐阜駅に駅ピアノがあって、何故、大垣駅に駅ピアノがないのか。岐阜市新市役所より立派な大垣新市庁舎ができて、なぜ費用がそれほど高くない駅ピアノが実現できないのか。それは小川敏が文化芸術活動に理解がないからだ。

 

東海地方のストリートピアノ

岐阜県  岐阜市 岐阜駅

愛知県  星が丘テラス

     半田市 クラシティ

     豊橋市 こども未来館ここにこ

     南知多町 島の駅

 (読売新聞 2019年11月20日より)

 

2020-05-08   久志能幾研究所通信 1574 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年5月 5日 (火)

写ッシー君は魂(オニ)を睨む

芸術とは

 音楽とは音を素材に使った心(魂)の会話なのだ。芸術とは心の表現とそれに接せる人との会話である。絵画、彫刻、写真等は、全てその会話の媒介物(仏)でしかない。介在仏の芸術作品には魂が籠っている。私はそれにこだわって美術作品、芸術作品に接している。私の撮る写真には魂を込めている。だから名画と呼ばれる作品は、人の命と同じ価値がある。

 「魂(オニ)」とは己のうちにある「鬼」が「云う」と書いて魂である。

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 松本明慶大仏師作 「魂(オニ)」、背景は馬場恵峰書

 

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裏切り行為

 私はこの5年間、多くの演奏中の写真を撮ってきた。しかし、その写真を撮ってプリントやCDを進呈しても、相手は当然と思い、感謝の言葉を言ってくれる人など皆無に近かった。カメラマンとは黒子の存在で、人扱いをされていないようだ。

 河村先生からはその都度、お礼が来ているので、気にならなかったが、それ以外の人は、礼状もお礼の言葉さえ全くない。たまに忘れたころに年賀状が届き、ついでのようにお礼が書いてある。お礼を期待して写真を撮っているのではないので、今まで気にも留めなかった。しかし河村先生が亡くなられて、その問題点に疑問を感じるようになった。

 

 

人間性の問題

 ある音楽関係者は、写真を送っても礼一つ言わず、その写真の出来映えに文句さえいう有様である。私に写真を撮ることを要求して、撮らせて当然と思っているようだ。私もカメラマンのプロとしてプライドがある。

 ある人は先生の名声を利用して事前の演奏会宣伝で売名行為に走っている。それに地方紙が悪乗りして記事を掲載しても、肝心の本番の演奏会の記事は掲載がない。売名行為が明白である。その人からも、以前にある演奏会の写真送付の依頼があり、その写真を送っても、礼の言葉の一つさえない。

 地方紙に私の撮影した写真が著作権違反で引用されたこともあった。それも勝手にトリミングされての掲載であった。私が魂を込めた作品を踏んづけたのだ。

 それに対照的なのが馬場恵峰先生の書友達である。写真を送ると書友の方だと、必ず手紙、それも毛筆かペンでも直筆の礼状が来る。その差は顕著である。

 

芸術家とは

 芸術家は、自分の才能に惚れて、往々に我儘な性格になるようだ。小さい頃からちやほやされ、プレゼントされても当然の世界に浸るのかもしれない。芸術家は華やかな世界だが、離婚者も多い。自分の稀有な才能に自惚れて、我慢が出来ない性格になるのかも知れない。

 芸術家である前に、一人の人間としてありたい。河村義子先生はピアニストである前に、人間味のある主婦であり、母であり、教育者であった。しかし、そこまで弟子達を指導できなかった先生が不憫である。河村先生に群がった人の中には、そうでない人が多くいたようだ。

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 チェリストTIMMとの共演 音楽堂 2017年9月29日 

 

2020-05-05   久志能幾研究所通信 1569 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月29日 (日)

河村義子先生を偲んで

 河村義子先生が逝去されたのは2018年12月25日であった。先日、一周忌法要があり、私はその命日の数日前に先生宅を訪問してご霊前にお参りさせていただいた。

 そこでご主人といろいろお話をして、お参りされる皆さんが私と同じ感想を持たれていることを知った。皆さんが、義子先生と知り合いになり、普通では叶わぬ世界一流の音楽家達と交流が出来たと感謝である。それは皆さんが異口同音に感謝されていた。大垣の片田舎で、世界を相手に活躍された義子先生の偉大さが実感できる。ご逝去後一年経っても、先生宅にお参りにこられる人が絶えないのも、先生の人徳であろう。葬儀では約1000人の方が参列された。

 

先生との出会いのご縁

 思えば河村義子先生とのご縁も稀有なご縁である。もし私が定年延長をして大垣に帰郷していなければ、このご縁はない。前職の、上からと下からのいじめの軋轢で、かつ実質吸収合併された会社の中間管理職の立場で、宮仕えの延長は嫌だと辞める決断したのがご縁の始まりである。

 大垣に帰郷後、酔狂にも長年の夢であったピアノを入手して、防音室まで作って始めたピアノである。公式の言いわけは、「ボケ防止でピアノを習う」である。若いころ(1970年)、平塚市でピアノ殺人事件が起こり、その影響でサラリーマン生活・借家住まいではピアノは無理と諦め、ピアノを始めるなら防音室が必用と覚悟をしていた。ピアノもグランドピアノと、決めていた。それは定年後でしか、実現しなかった。

 定年後、購入したピアノもこだわってチッペンデール形式の猫足のピアノを選定した。ヤマハの販売課長が、この30年間で中部地方では、このピアノを含めて2台しか見たことがないという代物であった。

 そのこだわりがあったから、その販売課長さんの紹介で、個人レッスンの講師として、河村義子先生を紹介して頂いた。ド素人の還暦後のおじさんの個人レッスン引き受けを快諾された義子先生も偉いと思う。このこだわりのピアノでなければ、河村義子先生とのご縁はなかったかもしれない。そういう点で、この猫足のピアノは、ご縁の招き猫ピアノである。この猫ちゃんを粗末に扱うと化けて出そうである。

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 猫足のピアノ

 

音楽家とのご縁

 義子先生とご縁ができて、世界の一流の音楽家や関係者と親しくなった。それはドイツ、米国、ウィーンの音楽家とのご縁である。義子先生とのご縁で、ウィーンの楽友協会の資料館館長のビーバー・オット博士にも表敬問する機会を頂いた。これも義子先生がライフワークで戸田極子伯爵夫人の研究をされていたご縁に起因する。私も義子先生とご縁がなければ、ウィーンになどに飛ばなかっただろう。

 

演奏中の撮影

 先生のご縁があったから、音楽活動の写真を5年間にわたり撮影する機会に恵まれた。いくら写真が好きでも腕があっても、演奏中の写真を自由に撮れるわけではない。河村義子先生からの依頼がないと、音楽家の写真は勝手には撮影できない。そのご縁で、無音シャッターのミラーレスsony α9を設備投資して臨むことができた。それで私の新しい分野への挑戦が出来た。たまたま写真歴50年の経験を活かすことが出来たのは幸いであった。

 

義子先生の覚悟

 義子先生は5年前に癌が見つかり、手術をするとピアニストとして生きていけなくなる恐れがあると言われ、癌の手術を断念されて、最期までピアニストとして生きる覚悟をされた。丁度、私が先生と知り合ったころである。

 私が先生とお会いしたころ、いつも部屋に掲示されているご自身の写真は「気に入っていて私のお葬式にも使うの」というので、何の冗談かと呆れた思い出がある。

 また4年前に先生がドイツへ1か月ほど演奏旅行に行かれて、帰国後、「やりたいことは全てやったので、いつ死んでもいい。幸せ」というので更に呆れた思いである。鈍感な私は義子先生の決意に気が付かなかた。

 先生は人生の賞味期限の意味を知っておられたのだ。義子先生は、人生を最期まで、全力で駆け抜けていかれた。

 

ドレスデントリオの最後の演奏会

 2018年1月13日に、ドレスデントリオを招いて先生最後の公式演奏会をクインテサホテル大垣でされた。私や周りは病気の事情は知らないので、何を焦って年に2回も大きな演奏会を企画するのかと、半ば呆れていた。先生が資金的に困っておられたのを援助できたのが、今にしてよいことをしたと思う。

 この少し前に、チェリストTIMMの演奏会を開催したばかりで、市内の大手企業に協賛金のお願いに回れない事情があった。それを陰で支援できたのは功徳であった。私の支援があり、先生がこの講演会をする決断をされた。

 このお陰で、私はドレスデントリオに密着して音楽家チームのご縁ができた。飛行場へのお出迎え、数日間のリハーサル会場での撮影、支援、大垣でのサポートをできてよき経験を得られた。普通の人ではこんな経験はできまい。義子先生に感謝である。お陰で、ドレスデントリオと義子先生の新春演奏会は大成功であった。これが義子先生の公式演奏会の最後となった。 

Dsc04341s  ドレスデントリオとの共演 クインテッサホテル大垣 2018年1月13日

花が咲いた

 義子先生が長年、大垣の音楽の普及活動で尽力をされていて、それが花開いた結果である。準備万端、実践万端すれば、後は花が開くしかないのだ。それを佐藤一斎は、「已むを得ざるにせまりて、しかる後のこれを外に発する者は、花なり」と表現している。まさに「縁ありて 花ひらき、恩有りて 実を結ぶ」である。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)よ

 

命の恩人

 河村義子先生が亡くなられて、私が葬祭場でその病名を知り、少し胸騒ぎを覚えて、その翌年の年初に精密検査をしたら、癌が見つかった。あと半年発見が遅れていれば手遅れであったろう。義子先生のご家族から、地元の病院は野戦病院のようで、それより義子先生が入院された病院(愛知県がんセンター)がよいと推奨された。それで即、入院・手術を受けた。有りがたいご縁であった。義子先生のお陰で命拾いができたようだ。

 すべてご縁の連鎖であった。これは仏様のご配慮としか思えない。どこか一つでもご縁が切れていれば、こんな状況にはならなかっただろう。人智を超えた何か大きな力だと思う。

 

夕焼け小焼けで日が暮れて♪

 最近、義子先生のことを思い出すと、童謡「夕焼け小焼け」の歌詞が聴こえる。義子先生は、自分の夢を大きく燃やして、大きな夕焼けを作り出して、人生を全うされた。その夕焼けが多くの弟子を照らしている。自分も相応した小さな夢を燃やして、人生の小焼けを作り出して、人生を全うしたいと思う。先に逝かれた義子先生だが、先生の遺志を継いでそれを全うし、「皆で仲良く帰りましょう♪」で、先生の後を追い浄土に還るのだ。人は必ず死ぬ。早いか遅いかは、大した問題ではない。人の偉さは、死ぬ時に、後進にどんな「大きな金の夢♪」を残せるかである。それが人の課題である。

 

戒名

 義子先生の戒名は「聖観院教音義愛大師」である。童謡の中の「まるい大きなお月さま♪」とは、「皆さんを優しく見守り、衆生の助けの叫び声を観れば助けに駆けつける『聖観音菩薩』」であると私は解釈している。私が大垣に帰郷して、最初に大仏師松本明慶先生の作品に触れたのは、聖観音菩薩像である。私には、ご縁の仏様である。

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 大仏師松本明慶作 聖観音菩薩像

 

2019-12-29 久志能幾研究所通信 1438  小田泰仙

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