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2023年12月20日 (水)

大垣一夜音楽祭、石田市長、♪ダイアナを熱唱 

 

 大垣の冬の行事として、大垣の若手音楽家の育成、大垣の音楽文化の育成を目的に、市会議員(当時)の岡田まさあき氏が音頭を取り、大垣市は23年前から冬の音楽活動を始めた。今年はその第21年目のイベントとして、「21th 大垣ジャストワンナイトコンサート」で、30のコンサートが12月16,17日に大垣市内の11の会場で開催された。そのしんがりとして、The Seniors & Be Youngが演奏した。

 

 私はThe Seniors & Be Youngとご縁があり、その練習風景とコンサートの撮影とビデオ撮影を担当した。当日はSony α7Ⅳ,Sony α9に70~200㎜f2.8レンズ、24~105㎜レンズを装着し、コンパクトデジカメを含め三丁拳銃で撮りまくった。合計の撮影枚数は1000枚弱である。演奏会の撮影は5年ぶりである。

 

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 挨拶をされる岡田まさあき実行委員長

 「大垣音楽祭」という井戸を掘ってくれた大恩人に感謝である。

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バンド紹介

 The Seniorsは松下実さんがリーダ(親分?)で、73歳をトップに60歳代が主力のグループである。The Seniorsは50年から70年代のオールディーズ一筋で6人編成のバンドである。

 Be Youngはそれより10歳くらい若い4人グループである。リーダは同じく松下実さんである。Be Youngは昭和の懐かしい歌謡曲からポップスまでの和洋の音楽を4人で演奏するバンドである。

 

会場準備

 会場は大垣市北地区センターで、用意した196席が満席であった。当日は、中学同級生の私を含め、同じ学年の伊藤秀光県会議員と他同級生が多数来ていて、大盛況であった。

 その会場準備も後片付けも同級生が率先して助けてくれた。ありがたいことだ。

 

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 観客も70歳前後の世代が大半で、嵐の団塊世代が駆け抜けた跡を露払いするのが大変だった。その世代?が元気一杯で会場に溢れていた。嵐の団塊の世代の去ったあとは、ぺんぺん草も生えないようだが、その後を埋めるのが、今の70代前半である。

 

ゲスト出演

 当日は空(そら)市会議員が「ぽんぽこ」を歌った。松下リーダから「そら見たことか!」と言われないように脅迫?されていたので、最大限の熱唱であった。今後、空さんは、「ぽんぽこ」を18番ではなく、16番の歌?にするとのこと。

 コンサートの最後に大物ゲストの石田仁大垣市長が登場し、「ダイアナ」を熱唱した。「ダイアナ」はオールディーズの代表的な歌である。「ダイアナ」は、1957年にポール・アンカが作詞作曲し、自ら歌って有名にした楽曲で、1957年5月にニューヨークのドン・コスタ(英語版)のスタジオで録音された。

 ボーカルの千晴さんから「ハンサムで、歌って踊ってくれる市長さんが来られるのはうれしい」との紹介で、石田市長が登場であった。市長が公的な場でオールディーズの歌を歌うとは、この25年間の大垣市政ではなかった珍事である。バンドと共演して、歌を歌ってくれる市長が登場するとは、嬉しい限りである。以前の堅物の市長たちではありえない事態である。石田市長は、(親分から)とにかく来い、歌わせてやるから来い、と言われて来ました。会場を盛り上げるために来ました」と謙虚に自己紹介?である。リーダの大物ぶりがうかがえる。

 私は、今の大垣市の行政には不満だらけではあるが、今回の市長の情熱と熱演ぶりに少しだけ石田市長を見直した。それで大垣が少しでも活性化すれば嬉しい。前市長の悪政の結果、大垣は芸術の不毛地帯に変貌した。私は、衰退していく大垣市を、どげんきゃせんとあかん、とやきもきしている。

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 空市議会議員の熱唱

 

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 「ダイアナ」を熱唱する石田市長

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 石田市長とBe Young

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  The Seniors

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 Be Young

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 観客は頭が白い昭和の世代が大多数

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歌は力

 歌には讃美歌、お経、念仏、社是と同じ効果がある。それを歌い、唱えれば、みんなと気持ちが一つになる。皆と同じ歌を歌えば、心は一つになれる。反戦の歌を歌って、戦争に反対して世界平和を目指そうとする行動は、大きな力となる。歌は芸術で力を与えてくれる。Be Youngのボーカルの千晴さんが、舞台で反戦の歌の解説をされて、始めて歌の力に気が付いた。言葉は言霊といって、魂が籠っている。

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音楽都市の活性化

 聞けば昔、石田仁市長はバンドをやっていて、それを参考に松下実さんがバンドを結成したという。当時はバンドをやっていると「奴は不良か」と色眼鏡で上の世代からみられた時代である。見方を変えれば、それだけ元気があったのだ。

 当時の私はがり勉一筋で、バンド演奏活動は、私には縁のない世界であった。松下実さんと私の接点は、模型飛行機作りであった。二人とも伊藤模型店に入りびたりであった。今の若い人のゲーム、YouTube時代とは隔別した平和な昭和の時代であった。それが私も老いて、今はその世界にのめり込んでいる。それで今後の音楽都市、文化都市への復活の一助になればと思い活動している。

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2023-12-19  久志能幾研究所通信 2788号  小田泰仙

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2023年2月 9日 (木)

童地蔵とタービンブレードの展示台 山路徹作

 

 写真の展示台は山路徹先生作で、童地蔵とタービンブレード用である。山路徹先生から贈り物であった。

 

 童地蔵は、東京で開催された松本明慶仏像彫刻展で、300体の中からお見合いをして決めた童地蔵である。毎回の松本明慶仏像彫刻展で約300体が売れるという。その300体の童地蔵だが、それぞれ微妙にお顔を違う。その中から選んだ仏さまである。

 

 

 タービンブレードは、2019年にセントレアで購入した。河村義子先生が逝去されて1週間たった2019年1月1日、友人とセントレアの「FLIGHT OF DREAMフライトパーク」に出かけた。そのショップに展示してあったボーイング707のジェットエンジンのタービンブレードカットモデルに、河村先生の面影を発見して、そのカットモデルを購入した。

 そのボーイング707エンジンの誕生年が河村先生の生まれ年が同じで、ジェットエンジンのブレードの役目が、ピアノの鍵盤を叩くことに重なって見えたから、ご縁を感じて購入を決めた。私が飛行機マニアであることも重なった。

 その1週間後、私にがんが見つかり、生死をさ迷うことになった。

 

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縁の下の力持ち

  日本と欧州間の飛行を年間150回するとして、タービンブレード寿命が5年間として計算すると、ジェットエンジンのタービンは約5億回転して、旅客機の推力としての空気を後方に送ることになる。それで多くの海外旅行客を運ぶ仕事を陰で支えている。

 ピアノをモノにするには、一日8時間、10年間続けないと一人前のピアニストになれないという。単純計算で一秒に1回鍵盤を叩くとして計算すると、それを30年間続けると、3億回も鍵盤のキーを叩いてきたことになる。ひたすら鍵盤を叩いて、人びとに安らぎと喜びを与える音楽を世に送り続けているのがピアニストである。

 そのエンジンの製造年が河村先生の生まれ年と同じだと気が付いて、ご縁として購入を決めた。

 

河村義子先生の分身に出会う

http://yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2019/01/post-d0c9.html 

 

賽の河原の石積み

 三途川の河原は「賽の河原」と呼ばれる。賽の河原は、親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために積み石による塔を完成させると供養になると言うが、完成する前に鬼が来て塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその繰り返しになってしまうという俗信がある。このことから「賽の河原」の語は、「報われない努力」「徒労」の意でも使用される。

 しかしその子供たちは、最終的には地蔵菩薩によって救済されるとされる。

この項wikipedia より

 

 賽の河原の石積とは、親の供養のための童子の願行ではない。それは己が成仏させられなかった己の願行である。「禁煙・禁酒をしよう、毎日散歩をしよう、毎日勉強しよう、毎日ピアノの練習しよう」と願をかけ、最初の数日間だけは実行する。しかし、内なる鬼が「そんなしんどいことは止めて、もっと気楽にしなはれ」と天使の声の如く耳元に囁きかける鬼が出てくる。

 

 今まで積み上げてきた禁煙・禁酒、散歩・勉強の継続という名の「石積の供養塔」を壊すのは、鬼ではなく、怠惰な自分である。成就させることのできず、途中で投げ出した供養塔が、人生でどれほどあることか反省したい。

 幼くして死んだ子は、自分が投げ出した三日坊主の象徴である。賽の河原の石積はあの世ではなく、己の「人生という大河」の両岸にある。チャレンジしては、途中でおっ放り出した死屍累々の山に手を合わせたい。

 

 積み上げた石積を壊す鬼を止めるのが、己の内なる地蔵菩薩である。佛像は己の心を現す鏡である。自分の心には鬼も住めば、佛も宿る。場面ごとに鬼と佛が心の鏡の中に交互に現れる。堕落に誘う鬼の時もあれば、己を厳しく裁く裁判官の時も、救いの佛さまのときもある。すべて自分の心が決める。

 自分の心に住むのは「鬼」である。賽の石積みをしながら、それを壊すのは己の「鬼」である。そんな鬼を誰が育てたのか、自省したい。賽の河原の積み石の「地蔵和讃」は、子供に対する寓話ではなく、怠惰な大人への説法である。「三途川の河原の石積」はあの世ではなく、己の怠惰な心が作る現世の己の姿である。地獄に堕ちる前に、自分を救ってくれるのは、地蔵菩薩という名の自分である。菩薩とはひたすら修行道を歩く佛様である。 

 そんな思いを込めて、このブレードと童地蔵を玄関に飾った。

 

2023-02-09  久志能幾研究所通信 2610  小田泰仙

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2022年12月29日 (木)

大垣駅ピアノが奏でる「変異市長調 士農工商吝嗇組曲 寄進強要偏」

 

 2022年12月27日、JR大垣駅の南北自由通路に誰でも演奏できるピアノが設置された。駅や街角に設置され自由に弾ける「ストリートピアノ」は各地で人気があり、街のにぎわい創出になっている。

 その社会情勢から見て、大垣市内に駅ピアノが置かれるのは、なんと世間より5年ほど遅れての設置である。この遅さは、岐阜県第二都市として恥ずかしい有様である。

 世間に遅れた大垣事情を見かねて市民有志が動き、大垣観光協会が後追い協業で、やっと駅ピアノが設置された。世間に遅れる事5年である。大垣市行政の芸術に対する貧困さが露呈した。

 

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  駅ピアノ JR大垣駅の南北自由通路  ‎2022‎年‎12‎月‎29‎日、‏‎10:32

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子育て軽視、文化芸術軽視の大垣市

 故河村義子先生は、大垣市からの音楽行事に資金援助が皆無で、その音楽活動で困っておられた。河村義子先生は、音楽演奏会を企画すると市内の企業を回って資金援助をお願いに回られた。しかし市内企業の横並び情勢があり、一社あたりの援助金は少なかった。情けない。だから私も陰ながら支援をした。

 それでいて、各企業は大垣市から寄付金要請があると多額の寄付金を出している。その寄付金依存率は、県下一で、岐阜市のそれの10倍にも上る。刈谷市の362倍である。

 河村義子先生の演奏会ポスターには、「大垣市教育委員会協賛と書かれる。しかし協賛とは、大垣市は名前を貸すが、カネは一銭も出さないとの宣言である。それだけ大垣市は芸術に無理解で吝嗇だ。子供の情操教育で音楽は大事な要素である。大垣市はその面を軽視している。

 それでいて「大垣市は子育て日本一を目指す」はお笑いである。なにせ大垣市は児童生徒一人当たりの教育費が県下最低なのだ。それは、小川敏前市長の腰巾着である山本譲教育長がこの10年間も大垣教育界を支配していたからだ。だから大垣の文化・教育は枯渇した。数年前、熱中症で豊田市の学童が倒れた事件の折、大垣市小中学校のエアコン普及率は2.1%で県下最低の水準だった。県内の他市はほとんど100%の設備率であったのに、だ。子供を育てる環境を放置していた。これも教育長として無責任であった。

 8年程前、私が山本譲教育長に文化事業の支援をお願いに行ったら「小田さん、大垣市はカネが無いのですよ(文化教育にかけるカネは無い? 役人の贅沢には大いにカネを使う?)。小田さんも稟議をあげるのがどれだけ大変かはわかるでしょう」と言い訳をして山本教育長は支援を拒否した。その稟議を通すのが責任者の仕事なのに、それを士農工商の汚役人は放棄して威張っていた。それ以来、私は二度と大垣教育委員会には足を向けていない。

 芸術に対してカネに渋い大垣は駅ピアノにカネは出さず、松栄楽器(同市旭町)が1979年ヤマハ製の中古ピアノを無償提供した。大垣市は、暗黙的に寄付を強要したと推定される。大垣市の最下級の身分の商人には、寄付の強要が有るのだ。寄付をしないと大垣市内の仕事関係で差支え出ると推定される。だから大垣は封建社会で士農工商の世界である。

 

士農工商の最下層の商人に寄付を強要

 今回設置された駅ピアノの費用は約15万円と推定される。ピアノは中古物件で約10万円、補修・調律費用を含めて約15万円と算定した。その15万円さえ大垣市は出さない。それでいて、県下一の豪華絢爛たる新市庁舎に126億円も散財した。しかし街の活性に貢献し、文化芸術の高揚になる15万円のカネにはケチるのが大垣市の役人(士)である。大垣市は士農工商の世界である。下々の商人(今回は松栄楽器)にカネを出させて、下々の楽しみを賄わせるのが大垣市の汚役人である。

 

大垣は文化の不毛地帯、大垣のルネサンス

 現市長の石田仁大垣市長は体育系なので、児童生徒がスポーツで賞をとると、岐阜新聞、中日新聞の西濃欄に頻繁にツーショットである。しかし石田仁市長は文化芸術には疎いようだ。だから駅ピアノを大垣市に期待しても無駄だったのだ。だから市民の有志が動いたのだ。

 イタリアのルネサンス期、市の有力者が芸術を支援してイタリアは栄えた。大垣は前市長の小川敏も現市長の石田仁市長も現術を軽視するから、大垣は没落した。大垣の衰退を止めるには、大垣市の為政者たちの入れ替えが必要だ。来年の市議会選挙、2年後の市長選挙で市民の意思を反映させるしかない。

 

資料

大垣市の新市庁舎は県下一豪華 

 新市庁舎費用 負担金比較

       人口  新市庁舎費用 負担金    年間税収

                 市民一人当たり  一人当たり

 大垣市   159千人  126億円  79千円   386千円

 岐阜市   406千人  266億円  65千円   398千円

 各務ヶ原市 145千人   83億円  57千円

 多治見市  107千人   52億円  48千円

 刈谷市   140千人   84億円     60千円   434千円

 

大垣市の教育は県下最低レベル(2019年)

         予算総額  一人当り予算  児童生徒数 

             千円   大垣100    人

 多治見市    735    158    8,862  

 岐阜市     529    114    32,074  

 可児市     517    111    8,352   

 大垣市     465    100    14,400  

 各務ヶ原市   445     96    12,525   

 刈谷市(愛知県)918    197    11,120

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大垣市は乞食行政

 石田仁市長も前大垣市長の小川敏も、寄付をする業者との頻繁なツーショットで御用新聞に顔出しである。カネをねだる大垣市の乞食行政である。恥ずかしくないのだろうか。寄付金額が刈谷市の362倍は異常である。業者にも裏の利権があるから寄付をするのだろう。

 

     令和2年度 予算

      一般会計収入   うち寄付金額 比率

大垣市    603億6000万円  7.24億円  1.20%

岐阜市   1790億1000万円  2.10億円  0.12%

多治見市   417億5368万円  0.64億円  0.15%

高山市    422億3779万円  0.06億円  0.014%

刈谷市    607億8000万円    0.02億円     0.003%

高崎市   1655億2000万円  1.30億円  0.078%

 

2022-12-29  久志能幾研究所通信 2577  小田泰仙

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2022年12月15日 (木)

CANON一眼レフからSONYミラーレスに乗換

 

 私は河村義子先生の主催する音楽会で撮影を担当した。当初は一眼レフのキヤノンEOS5Dmark2を利用した。

 しかし一眼レフはシャッターを切る際、ミラー音が出て、静かな環境では使用が許されない。だからリハーサルの時しか使えなかった。そこでミラーレスを検討した。当時、キヤノンEOS5Dのミラーレス版の発売を待っていたが、ちっとも発売されないので、しびれを切らし、ソニーのミラーレスα9に乗り換える決断をした。

 

ミラーレスへの転向

 キヤノンのミラーレスを買うにしても、ミラーレスのボディでは、現在所有のレンズがアダプターをかませると性能が100%発揮できない。だからキヤノンのミラーレスに変えてもレンズも一式変えねばならぬ。それならカメラのブランドが変わると同じである。またキヤノンは大企業病にでもなったのか、ソニーの開発スピードに対してキヤノンのそれを遅く感じることが多かった。

 

顧客創造

 要は、顧客が欲しい時に必要な製品を提供できないと、企業戦争に負けるのだ。企業の最大の仕事は顧客の創造である(ドラッカー)。その競争に負けたら企業は発展できない。

 この場合の顧客とは、機構がシンプルで軽く、画質が良い、シャッター音のしない無音カメラの客である。一眼レフの跳ね上げミラーがあると、その分、レンズを離して設計しなければならないので、設計に無理が出る。ミラーレスの方がレンズとセンサの距離を短くできて画質が良くなる。

 だから事業を維持・拡大するには、ミラーレスを欲しがる顧客の創造が必要なのだ。キヤノンのように一眼レフの顧客を多く抱えていると、その転換時にそれが逆に足かせとなる。強い企業が勝つのではなく、市場の変化に一番早く適応した企業が生き延びる。ダーウィンの法則である。

 

両社の比較

 レンズの品揃えはキヤノンの方に分があるが、画像センサはソニーに分がある。唯一の不満は、ソニーのレンズの品揃えがキアノンに負ける事。しかし一番多く使う書画撮影用のシフトレンズは、アダプターをかませてソニーのミラーレスに装着できることでカバーできる。その際のオートフォーカスの信号の遅れは問題ない。なにせシフトレンズでピント合わせは手動である。その他は、使うレンズがソニーでもそろっている。

 それで一大決心で主力機をキヤノン一眼レフからソニーのミラーレスに乗り換えた。

 幸い、現有のキヤノン製品をカメラのキタムラが下取りをしてくれたので、買い替えの敷居が低くなった。

 

大企業病

 2020年、御手洗富士夫氏が御年85歳で社長業に復帰する「事件」にも違和感を覚えていた。当時の感想で、私は「キヤノンは大企業病にかかった」と感じた。名馬も老いれば駄馬に負ける。いくら御手洗さんが名経営者でも85歳で社長業に復帰では疑問を感じる。要は、キヤノンは社長の後継者が育っていないのだ。つまりカメラの性能は、社長の経営力に影響される。

 

 それに比べてソニーに優れた開発スピードを感じた。キヤノンのように大企業になると、今までの製品との整合性やレンズ資産が多くあるので逆にその資産の縛りがあり、稟議決裁や開発のステップが大変なのだろうと推察した。

 だかこそ早い経営決断が必要なのだ。これは経営者の問題だ。技術革新のスピードが速い時期は、逆に胡坐をかいた先行企業に逆風が吹く。だからどんな優秀な企業も、大企業病にかかるのだ。

 その防止策として、管理職には役職定年がある。役員でも定年がある。しかしキヤノンには社長の定年が無いようだ。人は生老病死である。いくら元気な社長でも、企業の新陳代謝の為、社長も変わらないと老害となる。それでキアノンの経営に疑問をもった。

 

 その後、キヤノンのミラーレス版のEOS5Dが発売されたが、その性能は私には期待外れであった。かつ私には発売日が遅すぎた。キヤノンからソニーに乗り換えて正解であったと自分の判断と決断に自分で褒めてあげた。

 

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 演奏会用で、無音シャッターで撮影

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 ソニーのボディにキヤノンのシフトレンズをアダプターをかまして装着。

 馬場恵峰先生の書画撮影用


2022-12-14  久志能幾研究所通信 2567  小田泰仙

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2022年9月10日 (土)

良き出会いはCDにもある パブロ・カザルス ホワイトハウスコンサート

 

 今日(2022年9月10日)、ヤマハ名古屋店でオーディオ視聴会に参加した。そこで素晴らしいCDに出会い感激した。帰宅後、そのCDをネットで検索して、購入手続きをした。

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 パブロ・カザルス ホワイトハウスコンサートのCD

   前列にケネディ大統領とジャックリーヌ夫人

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 その視聴会で解説者の井上さんが、最初にパブロ・カザルスが「鳥の歌」をホワイトハウスで演奏したコンサート(1961年)の解説をして、その実況録音したCDを最初にかけてくれた。今回、井上さんが選んだCDやレコードは、井上さんのこだわりの作品ばかりであった。

 

 どんな作品でもその背景を知って聴くと、感動が全く違ってくる。平和主義者のパブロ・カザルスは、当時、フランコ独裁政権のスペインを認めていた国では、絶対に演奏をしなかったという。当時、米国はスペインを認めていたが、若い大統領ケネディが今後の世界平和に力を出してくれると確信して、パブロ・カザルスが敢えてホワイトハウスで演奏をした。その会場には、ケネディ大統領とジャックリーヌ夫人も出席していた。その3年後、ケネディ大統領は暗殺された。

 その録音状態は、とても60年前のものとは思えないほど臨場感に溢れていた。当時のホワイトハウスへの録音機材の持ち込みは制限されていたが、それを感じさせない録音状態である。

 当然、それを再生するヤマハの最新鋭オーディオの技術の高さもあってのことだ。今回試聴したスピーカはNS5000,希望小売価格:1,980,000円(税込)[2台1組]である。NS5000は、1974年に発売されたNS1000Mから、性能的にも価格的にも飛躍的に出世?してしまったようだ。

 私の自宅にあるヤマハNS1000Mは、スウェーデン放送局のモニタースピーカーとして採用されたことを聞いて、私もこだわりで40年前に購入した。当時216,000円(2台1組)であった。当時は消費税無し。このスピーカーは、今でも大事にしている。

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  ヤマハ名古屋店のオーディオ視聴室

 

P1150475s  自宅のヤマハNS1000M

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ホワイトハウスツアー

 私も1994年8月、ホワイトハウスのその演奏会場を見学したことがあり、その感激は尚更であった。それは私が1994年、ミシガン大学のテクニカルライティングの夏季セミナーに自費参加して、その後、ワシントンで美術館巡りをしたときのご縁である。ホワイトハウスは、一般人もホワイトハウスツアーで、内部が見学できた。当然、見学者は大統領執務室までには行けないが、その他の応接間は、見学が出来た。その中に、そのその演奏会場があった。

 当時のホワイトハウス見学記は、次回のブログで紹介します。

 

パブロ・カザルス

 Pablo Casals(1876年12月29日 - 1973年10月22日)は、スペインのカタルーニャ地方に生まれたチェロ奏者、指揮者、作曲家。カタルーニャ語によるフルネームはパウ・カルラス・サルバドー・カザルス・イ・ダフィリョー(Pau Carles Salvador Casals i Defilló)。

 彼はチェロの近代的奏法を確立し、深い精神性を感じさせる演奏において20世紀最大のチェリストとされる。有名な功績として、それまで単なる練習曲と考えられていたヨハン・ゼバスティアン・バッハ作『無伴奏チェロ組曲』(全6曲)の価値を再発見し、広く紹介したことが挙げられる。

 早くから世界的名声を築き、ヨーロッパ、南北アメリカ、ロシアなどを演奏旅行して回った。指揮者フルトヴェングラーはチェロ奏者としてのカザルスへ次のような賛辞を残している。「パブロ・カザルスの音楽を聴いたことのない人は、弦楽器をどうやって鳴らすかを知らない人である」。

 カザルスは平和活動家としても有名で、音楽を通じて世界平和のため積極的に行動した。

 

鳥の歌

 カザルスがカタルーニャ民謡『鳥の歌』(El Cant dels Ocells)を演奏し始めたのは、第二次世界大戦が終結した1945年といわれる。この曲には、故郷への思慕と、平和の願いが結びついており、以後カザルスの愛奏曲となった。

 1971年10月24日、カザルス94歳のときにニューヨーク国連本部において「私の生まれ故郷カタルーニャの鳥は、ピース、ピース(英語の平和)と鳴くのです」と語り、『鳥の歌』をチェロ演奏したエピソードは伝説的で、録音が残されている。

 この項、wikipedia [パブロ・カザルス] 2022/9/10 より

 

2022-09-10  久志能幾研究所通信 2487  小田泰仙

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2022年8月16日 (火)

録音とは音入れ → おトイレ問題

 

とにかく具体的に動いてごらん。具体的に動けば具体的な答が出るから。

    相田みつを

 

 ネコサロンを作る計画段階で、専門家からアドレスを貰った。「トイレは単に1つだけ設置すればよいわけではない」と。つまり客席が70くらいのホールでは、車椅子でも使えるトイレも必要で、更に男女別のトイレが必要だとのこと。やはり餅は餅屋の領域があるようだ。人生老いても、知らないことばかり。

 

計画変更

 ネコサロンを建てる計画に変更したので、当初、音楽ホールにする予定だったハウスを会議室・展示室専用にする計画に変更した。それで、トイレを改造する段取り中だ。それで安易にトイレ改造を考えていて、ネコサロンにも適用しようとして、勘違いをした。そのスケッチ図は、山路先生が描いてくれた。感謝である。

 

 夢の実現のためには頭の中だけではダメなのだ。具体的に動けば、具体的な答えを仏様は返してくれる。それで失敗しても、失敗ではない。やってはいけない失敗を早い段階で経験して、知見を増やせたのだ。後年の被害を少なくしてくれたのだ。

 

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  山路徹先生画 

 

2022-08-015   久志能幾研究所通信 2463  小田泰仙

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2022年8月 5日 (金)

福力と芸力を呼ぶ龍に出会う

 

 山路先生から連絡を受け、木彫の龍の撮影に行ってきた。山路先生の仲間の彫刻師後藤大地さんが全長3mの龍を彫り上げたので、撮影をして欲しいとの依頼である。ソニーα7m4と三脚を担いで後藤さんの工房に撮影に出かけた。

 

 その素晴らしい姿に見とれた。後藤さんの話では、この龍を彫り上げるのに3ヶ月を要したという。これから、対の龍を彫る段取りで、8月中に仕上げるとのこと。その時は、正式に再度、撮影をする予定である。今回は彼の工房内の撮影で、少々勝手が悪かった。高性能シフトレンズと三脚の出番はなかった。

 

架空の存在を現実化

 龍は架空の動物である。それを実在の動物のように彫るのは高度な技術だ。明治時代の名彫刻家も、実在の動物の彫刻は素晴らしかった。しかし架空の動物の作品は見れたものではないと松本明慶さんが言っておられた。それは仏様の彫刻でも同じだ。その先生の作品で、仏様の腕や足の配置で、実際に立ったらバランスがおかしい作品が多かった。しかし名声があるとそれを無視されて高値で仏像が取引される。だからこそ、自分の目で見て、納得できる作品を見極めるべきだという。

 

弁財天

 私は、今計画中の猫ホールのロビーに弁財天様を芸の神様として飾り、その上に後藤さんの龍を置くのも夢である。弁財天と龍は合うのだ。弁財天は五穀豊穣や雨ごいを司る神様だ。その弁財天の頭には農耕神・宇賀神(髭を生やした翁で、体は白蛇体)が乗っている。その翁は龍の化身である。

 弁財天の起源は古代インドの聖河サラスパティーを神格化した女神である。水の神、豊穣を司る神として信仰を集めた。後年には、弁舌・音楽・福徳・福財の神としても信仰された。箕面公園の龍安寺には、弁財天の銅像があり、近くの宝塚のタカラジェンヌ達が芸の向上の祈願で、よくお参りに来る。その箕面公園内の研修所で馬場恵峰先生の講義を聞いた日が懐かしい。そのご縁で、弁財天が芸の神様であることを知った。

 

心技体と経営力

 まだ実現していない夢を見る事は、その完成した姿をどれだけ想像して創り上げられるかで、その実現度が変わってくる。夢の実現のためには、夢を見るだけでなく、現実的に肉付けをする技量が必要とされるのだ。それが経験であり知見で、総合的な見識力である。無から有を生じさせるには、心技体の総合力が必要だ。そのための修行が必要だ。それが芸事の基本である。

 経営も芸術である。自分の人生経営で、芸力を発揮して、これからの人生を作り上げていきたい。既製品の人生ではつまらない。

 

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 彫刻師後藤大地さん 後藤さんの工房にて

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 対になる龍の素材、壁にその概略図

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 工具

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 後藤大地さんが「龍の造形大賞2021」で入賞した作品

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 日本最初の弁財天像 タカラジェンヌのお参りが絶えない

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 龍安寺 箕面公園   2010‎年‎11‎月‎27‎日撮影

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 松本明慶大仏師作 弁財天 『大仏師 松本明慶 作品集』(小学館)より

 松本明慶仏像彫刻美術館の掲載許可は得ています。 

 

2022-08-05   久志能幾研究所通信 2453  小田泰仙

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2022年7月24日 (日)

「マジョなるキャットサロン」の実現に向けて

 

高い志を掲げ、日々改善・日々実践に励む

 大野耐一氏は、「ニーズとは、待っていて生まれるものではない。こちらからつかみとりにいかなければならない」という。

 トヨタ生産方式の実践を目指すなら、常に新たな目標を掲げ、新たなニーズを見出す視点が必要だ。

 若松義人・近藤哲夫著『トヨタ式人間力』ダイヤモンド社 p192

 

 大野 耐一(1912年 - 1990年)は、トヨタ自動車工業の元副社長である。かんばん方式など生産管理のあり方の“トヨタ生産方式(Toyota Production System、略称TPS)”を体系化した人物である。

 

 現在、私は音楽ホールを作る夢に向かって取り組んでいる。その実現に必要な第一は、「作る」という志を立てることである。それを実現するために必要な第一歩は、そのイメージを具体的に見える化して、自分の頭に刷り込むことだ。いわば洗脳だ。そのため、そのイメージ図を作り、構想を練っている。

 大きな志を掲げて、その実現に向けて日々地道に改善を積み重ねて励む。それがトヨタ生産方式教のやり方である。

 

 その目玉作戦としてビルの正面に、「猫の顔」と「奥様は魔女」の絵を掲げることにした。どこにでもある普通のホールでは、夢も希望もなくツマラない。せめて皆さんの気を引けるファンタジーな外観にしたい。ユーモアなき夢はいつか破綻する。茨の道だからこそ笑顔を掲げて歩こう。

 目指すは俗称で「猫サロン」、「魔女サロン」である。

 「猫サロン」の名は、立花隆さんの「猫ビル」を参考にした。

 猫はスコティッシュフォールドである。

 ピアノを置くホールの大きさは7m幅×9m長×5m高である。

 収容人員70名のミニサロンである。

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 「マジョなるキャットサロン」のイメージ図

  魔女の絵は「すずはらりんご」さん作  

 

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 内部の配置例(現在、構想中の一例)


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 馬場恵峰書

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2022-07-23  久志能幾研究所通信 2441号  小田泰仙

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2022年5月23日 (月)

セントレア空港ピアノで、母の教えを思い出す

 

 5月8日にセントレア(中部国際空港)に行ってきた。その一つの目的が、セントレアのロビーに置かれた空港ピアノを確認するためだ。

 

 しかしそのピアノを見て少しがっかりした。中部地区の世界の窓口であるセントレアには、そのピアノの顔は相応しくなく、貧相なのだ。私がこのピアノを見た感想は「下品」である。

その辺の地方の駅に置かれたピアノならまだしも、国際空港の誰でも弾ける空港ピアノとして、考えてしまった。中部国際空港は、楽器産業の浜松の近くである。世界からも有名な音楽家も数多く訪れる。

 このピアノはヤマハC1のようだ。聞けば寄付されたピアノという。なにか情けないと思う。

 

母の教え

 私の母からは、「会社から出張で食事をするとき、会社から支給される金額相当の食事をしなさい。1000円の食事代なら、それ以下の食事をしてはならない。出張旅費を浮かそうと安い食事をすると、人が見れば、「あの会社はあの程度の金しか出さない貧乏会社」と見られて、会社の恥となる」と教えられらた。

 会社にも、人にも「格」と言うものがある。それから外れると、社会から変な目で見られて信用を落とす。相応の会社や組織なら、分相応の振る舞いや身なりが求められる。

 

空港ピアノ

 だから中部地区を代表する国際空港のセントレアに置くピアノなら、相応のピアノにして欲しいと思う。小さな街のストリートピアノではないのだ。そうでないと中部地区やトヨタの恥である。かたがピアノ、されどピアノである。だってセントレアに設置された立派な音楽ホールには、ヤマハSクラスのピアノが設置してあるのだ。セントレアはお金持ちのトヨタが作った空港である。空港ピアノを設置するなら、セントレアにふさわしいのピアノであって欲しい。

 私が世界的な音楽家を出迎えたり、見送ったりするとき、自慢できるピアノが空港にあった方が中部地区の人間として誇らしい気がする。

 以前に、チェリストのTIMMやドレスデントリオをお出迎えしたり、お見送りをした時を思い出し、その場で素晴らしいピアノで一緒に演奏できたらと思うと、ワクワクする。

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2022-05-23  久志能幾研究所通信 2389号  小田泰仙

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2022年2月22日 (火)

夢の挑戦 ヤマハCF6からCFXへ目標変更

 

 「夢は大きく」が私の主義である。夢を抱いて行動していれば、いつかは実現する。大きな夢を抱かない限り、自分の成長はない。夢も永遠に実現しない。夢を見るとは、潜在意識が実現可能だからと判断したから、夢を見させてくれるのだ。実現不可能なことは思いも付かない。私だって中国の皇帝になるという夢(悪夢?)などは見ない。

 

一生青春

 一生かけても実現できない夢を持ち、それに挑戦することは、人生を前向きにしてくれる。そのためには、人生経営の業務改革が求められる。一生挑戦の人生だ。それが一生青春である。現状との目標との乖離を埋めるために、智慧を出し続けねばならぬ。

 

業務改革

 ビジネスや人生で求められるのは、従来の延長線上の努力ではなく、発想の転換なのだ。業務改革なのだ。百年前の馬車の改革で必要であったのは、馬を力強くすることではなく、エンジンの発明であった。フォードはそれで業界に革命を起こし、世界最大の自動車メーカになった。

 大きな夢を実現するには、神仏は何かを変えろと言っている。だから夢は大きくすることが、人生を変えるのだ。

 

トヨタ式 夢の実現

 トヨタでは、目標数字を1桁変えろ、半分にしろ、ゼロを1つ取れ、が業務改革のキーワードである。そうやってド田舎の泥くさい会社が、50年かけて世界一の自動車会社に変身した。絶え間ない継続的改善が50年間で革命を起こした。

 50年前は、日産は超エリート集団であった。しかし名門の日産は没落し外国に買われた。当時の御料車は日産製であった。ところが、日産が外国のルノーに吸収されたので、御料車はトヨタ車に変わった。そのご縁で、私がその御料車の開発の一端に携われたのは行慶であった。

 50年間で、日産は没落したが、トヨタは発展した。当時の東大出のエリートは、ド田舎の豊田市などに、都落ちなどしたくもなく、東京の華々しい日産に就職した。しかし日産に就職したエリート達は、派閥争いと労働組合の天皇支配に降り回されて、本来の活躍ができなかった。当時、そもそも日産東京本社の駐車場には、トヨタ車が多く駐車していた。日産社員がトヨタ車を愛用していたのだ。しかし当時、豊田市のトヨタ本社の駐車場には、トヨタ社員は日産車を乗ってくることはなかった。愛社精神の違いである。それが50年後に明暗を分けた。夢の実現には、自分を育ててくれるベース(会社)を、大事にするか、しないかは神様の問題だ。神様はよく見ている。

 

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 天皇皇后両陛下が乗っておられるセンチュリー 

 2012年‎12‎月‎5‎日  大垣スイトピアセンター前にて 

  当時、天皇陛下皇后陛下が大垣に行幸された折、撮影。

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私の夢

 現在の私の夢は、ミニホールの建設である。そこに設置するピアノは、今までヤマハCF6を計画していた。しかしそれをコンサート用ピアノのCFXに変更した。良きものは、良きご縁を招く。よき楽器は、よきご縁を導く。最高のモノでは、付き合う人も変わってくる。最高品を目指せば、最高のご縁が得られる。並みの製品ではワクワクしないのだ。最高を目指してワクワクすれば、魂が踊る。それが命に力を与える。

 

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 トヨタの考えでは、「何でも悪いことに使うお金でなければ、あとからそいつは何んとでもかなる。金のことでトヤカク考えていて、やらねばならぬことの時期を失するなぞ、おおよそ馬鹿げている(児玉一造氏)(石田退三著『トヨタ語録』WAC p175)

 イチロー選手の助言は、「うまくなるためには、よい道具を使う」である。

 一番良いものには、製作者の魂が籠っている。一番良いものを手に入れれば、自分の一部となって人生を助けてくれる。

 

 夢が実現しなくてもよい。背伸びしてでも、高い目標にそれに向かって取り組むことが、生きる力を与えてくれる。棒ほど願って針ほど叶う。それでよいではないか。願わなければ、何も手に入らない。実現しないのは、まだ智慧を出し切っていないのだ。神仏はそう啓示する。

 

 武智先生に受けた薫陶の中で、「一番いいものを見て、一番いいもの中に育っていないと芸が貧しくなる」とよくおしゃっていた。

   中村鴈次郎「私の履歴書⑨」日経新聞2005.1.10

 人生を生きる芸を磨こう。

 

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 馬場恵峰書

 

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2022-02-22 久志能幾研究所通信 2312号  小田泰仙

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