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2019年8月31日 (土)

未来計画10 音學堂「久志能サロン」開設

 大垣駅に近い場所で、20畳くらいの店舗を借り、コンサートピアノを置いて音學堂「久志能サロン」(仮称)を作る計画を温めている。大垣の地価が下がっているので、安く借りられそうだ。その目的は、自分もピアノを楽しみ、人生を學ぶためである。芸事を習うとは、人生を習うこと。それ以外に、大垣の若い人や、海外の演奏家にコンサートの事前リハーサルや練習の場を提供することにある。大垣の音楽活動の底上げの一助になればと計画している。

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  ヤマハCF6  ヤマハカタログより

 

 2018年初にドレスデントリオが来日した時、彼らは、本番の演奏前に、金山駅の近くのマンションの一室で、事前の音合わせの練習をした。ピアノの先生が所有しているマンションの一室を提供された。

 河村義子先生も、ここで2018年1月13日のクイッテサホテル大垣での新春コンサートの事前音合わせをした。その時に何故か、河村義子先生は、私の同席をさせてくれず、練習演奏の写真を撮らせてくれなかった。今にして思うと、河村義子先生は自身の死を予感して、ドレスデントリオと内密に病気の話しをしてから練習をされたと推定される。鈍感な私は、それに思いが行かなかった。

Dsc03379s ドレスデントリオ&藤本真実 2018年‎1‎月‎11‎日

 

私の夢

 私の長年の夢は、コンサートピアノを入手して音楽ホールを作ることだ。そのために、2017年4月にオーストラリアのベーゼンドルファー工場も視察した。

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P1010035s    ベーゼンドルファー本社工場  2017年4月26日

 しかし今から、土地を買い、建屋を造り、ピアノを買うには道が遠すぎる。でも部屋を10年間限定で借りて、小さな音楽サロンを作るなら、できないことはない。10年経ったら、部屋を返せばよいのだ。私もそんなに長くは生きられない。せいぜい39年(?)である。その期間が、できるだけ長くが、生きがいと生きる糧となるはず。

 今から10年も経てば、私も80近い。それから後の29年(?)は、別の取り組みをしたい。その頃はオダ仏教の教祖(?)として、忙しいかもしれにない(?)。

精子1トン

 夢は人を騙して(他人を動機付けして)実現するものだ。最初に騙すのは、自分自身である。自分ならできると暗示をかけて、猪突邁進迷走する。精子一トン何事かならざらん(精神一統何事かならざらん)。精子を一トン放出するくらいの精力をかければ(?)、何でも実現可能である。迷走してあちこちに頭をぶつけ、多くの失敗をして、知識を智慧に昇華させて、身魂を磨く。それで皆さんが幸せになればよい。自分も幸せになれる。悪いことをするわけではない。悪いことに使うのでなければ、お金は何とかなるものだ。結果オーライである。あとは得意技の踏み倒し(?)である。

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 馬場恵峰書 智慧

 

2019-08-31   久志能幾研究所通信No.1323 小田泰仙

新しい大垣を育てる階  連絡先 080-3102-1284(SNSで連絡ください)

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年8月20日 (火)

未来計画-8「久志能文化財団(仮称)」設立

概要

 大垣市の文化芸術活動を支援する「久志能文化財団(仮称)」を設立することが私の未来計画(夢)である。その財団を通して大垣の未来を創るため、若者を育てる文化芸術活動に、資金援助をする。

 

現状の問題点

 現在の大垣市には、芸術音楽活動を支援するシステムがない。特にこの20年弱は、小川敏市政の芸術への無知無理解で、大垣市は芸術活動の支援がなく活動が衰退した。このままでは大垣は文化芸術の不毛地帯になってしまう。小川敏市長のように、芸術が分からない人間が増えたら、日本は下品な文化の国に没落である。金勘定しか興味のない人間が増えるから、人心が荒廃し、街が寂れ、凄惨な事件が頻発する。だから大垣市は没落した。芸術活動を教養として、世界の人たちと交流をする人材を育成するのが、我々年長者の責務である。

 

大垣の歴史

 昔から大垣は文化芸術の都として栄えた。江戸末期に、藩医であった江馬蘭斎が江戸で西洋医学を学び、彼によって蘭学医術が大垣にもたらされた。それは、京都に西洋医学がもたらされるよりも早かった。それだけ当時の大垣は進歩していた。江馬蘭斎の娘・江馬細香は教養のある芸術家であった。だから幕末の思想家・頼山陽が惚れたのだ。芸術は世の中を変える。今の若者が日本と大垣の未来を背負ってくれる。年長者はせめてその支援をしたい。

 

江馬蘭斎、江馬細香に関しては、下記の記事をご参考

当ブログのカテゴリー「桜田門外ノ変の検証」

記事  「桜田門外ノ変」の検証 (20)冬夜(改定)

 

滋賀県の例

 滋賀県では、平和堂の夏原氏が創設した平和堂財団がある。その財団では、音楽芸術関係の若手を育てるプロジェクトに支援をするシステムである。それで「カナデノワコンクール」にその支援をしてもらおうと、応募方法の調査をしたら、対象は滋賀県の芸術活動に限定されていて、応募資格なしであった。それなら大垣にもその種の財団を私が作ろうと思いついた。

 故河村義子先生も、音楽活動の資金集めで苦労をされた。その苦労を若い芸術家に背負わせてはならない。

 

設立する支援財団案

 本来、大垣市が文化芸術関係の支援をしてくれれば、問題がないのだが、現在は小川敏市政の芸術への無理解の影響で、それが困難な状況である。それが18年間も続いている。前の故小倉満市長とは大違いである。芸術文化は、パトロンの支援がないとやっていけない。それはヨーロッパのルネッサンス期の状況を見ても明らかである。

 大垣でも一人の財産だけで平和堂財団相当の文化活動の支援は難しいが、多くの企業や有志が共同で資金を出し合って、同類の支援組織を作ることはできる思う。

 その財団で、毎年、芸術活動に関する活動に関する資金援助を募集する。その提案案件を、委員会で審査して、合格した活動案に50万円(仮)なり、然るべき支援金を提供する支援システムを作りたい。

 これから、私はこのプロジェクトに賛同して頂ける企業を探しに、各企業を回る計画をしている。皆さんも協賛いただける方は、金額を問わず協賛金をお願いしたい。

 

実情

 若手の育成事業のカナデノワのコンクールを開催するにも、大垣市の音楽堂を1日借りると、平日で15万円、休日なら30万円の使用料が必用となる。せめて、大垣文化事業団は、その支援だけでもしてくれるとありがたいのだが。今は、その支援がない。その他に審査員、司会者、スタッフへのお礼、賞金、パンフレット費用等でお金がかかる。入賞した子供たちに副賞のお菓子を配るにもお金がかかる。現在は、その多くがボランティア活動として無償で協力を頂いているのが実情である。

 

2019-08-20   久志能幾研究所通信No.1303  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年8月11日 (日)

第5回ナデノワのコンクール 夢と課題

 2019年8月8日、故河村義子先生が創立された第5回カナデノワのコンクールが大垣市スイトピアセンタの音楽堂で開催された。このコンクールは、若手の人材育成の場である。私は、河村義子先生を偲んで10時から17時までコンクールを視聴した。

 カナデノワのコンクールは、故河村義子先生が5年前に思いを込めて立ち上げたコンクールである。その時には、ご自身に癌が見つかり、余命5年程であることを知っておられたようだ。そのため、死後のことを考え、このプロジェクトの後継者も育成しての取り組みであった。

 カナデノワコンクールでは、河村義子先生の弟子たちが優遇されると勘違いされるのを恐れて、義子先生はこのコンクールには一度も顔を出さなれなかった。

 本来なら河村義子先生が昨年に亡くなられて、その中止が懸念されたが、審査員長で名古屋音楽大学学長の佐藤先生から助言があり、「今まで4回まで開催してきて、ここで止めるのは残念」との温かい励ましの声で継続が決まった。河村義子先生の意思を、後継者が受け継ぎ、今年の5回目の開催にこぎつかれた。

 昨年までは私はスタッフとして写真撮影を担当したが、今年は体調の都合もあり写真撮影は遠慮した。

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 2019年8月8日 大垣市音楽堂 カナデノワコンクール

 

カナデノワとは

 「奏での輪【輪・和・羽】を意味し、アンサンブルを通して、心の・和、響の・和を大切にしながら豊かな心で大きく羽ばたいて欲しい、という願いがこめられています。

 ピアノは一人で演奏することの多い楽器ですが、連弾や歌とピアノなど、誰かと一緒に演奏することで、2倍も3倍も楽しむことができます。家族やお友達同士など音楽を愛する仲間が、ともに感じること、ともに表現することの新たな喜びを分かちあい、さらに絆を深めるきっかけとなりますように。

 HP: http://www.kanadenowa.jp

 E-mail: info@kanadenowa.jp

  カナデノワのホームページより

 

カナデノワでの協奏

 カナデノワの演奏コンクールでは、ペアで音楽を協奏する技が問われる。小さい子供から、高校生、大学生まで協演の技を競う。歌の部門では、二人で踊りながら歌ったり、先生の伴奏に合わせて歌うなど、そのハーモニーの表現はさまざまである。

 2019年の第5回のコンクールでは65人が協奏を披露した。

 

子供とのデュエットを眼で奏でる

 ピアノの先生がリードをして、小さい子とデュエットをする姿は微笑ましい。子供と先生のデュエット演奏では、やさしく子供を見守りながら演奏する先生の姿に安心して、二人の演奏を観ていられる。先生は、子供の音量、ペースに合わせて弾かないと破綻する。子供の弾く音量・音質に合わせて叩く鍵盤も加減をして音も出さねば、デュエットの意味がなくなる。主役は子供なのだ。先生が子供を見つめる目が美しい。

 同世代の仲間とピアノを弾くよりも難しかろう。子供も先生を全面的に信頼しての演奏であるが、そんなことを考えている余裕はないかもしれない。それが人生だ。師は黙って見守ってくれている。

 

掛け合いの協奏

 今回の課題曲で「とうりゃんせ」が心に響いた。小さな子供が先生と「とうりゃんせ」を歌うが如くピアノで弾き合う様は微笑ましい。聴いていて楽しくなる。

 

人生のデュエット

 世の物事は陰陽、プラスマイナス、白黒である。デュエットの演奏でも、一人が高音部をもう一人が低音部の鍵盤を担当する。当然、弾き方も違う。それが横から見ていて、二人の姿のハーモニーが美しい。それから演奏の実力がわかる。

 

ピアノの相性

 ピアノデュエットでは、一台のピアノの低音部、高音部を二人で担当して弾く場合と、2台のピアノで協奏する方式がある。今回、最後の二組が2台のピアノで協奏をした。それで驚いたのが、スタインウェイとベーゼンドルファーのピアノの協奏となったこと。設備的にスタインウェイのピアノを2台も持っているホールは皆無に近い。必然的に今あるピアノで協奏しようとすると、音楽堂のようにスタインウェイとベーゼンドルファーのメーカの異なる2台となる。しかし音色の違うピアノであるが、違和感なくその協奏が聞けて拍子抜けをした。

 後で演奏者に聞いても、二つのピアノの音色まで気を使う余裕はないとのことで、また拍子抜けした。

 

ベーゼンドルファーの選択

 今回も2台あるピアノで、ベーゼンドルファーのピアノを選択した参加者はゼロであった。昨年と同様に全員、スタインウェイのピアノを選択した。ベーゼンドルファーのピアノは、鍵盤が97鍵あるモデル290インぺリアで、横幅が普通の88鍵のピアノとは微妙に違うため、コンクールではミスタッチが怖ろしいらしく、選択が敬遠される。また音の出方が微妙に遅れるので、弾き方に習熟が求められるようだ。

 

カナデノワコンクールの

 このコンクールの視聴者が、参加者とその親御さんだけのようで、本来、もっと一般の人の参加が望まれる。浜松国際ピアノコンクールのように一般の人たちが盛り上げて、大垣のカナデノワコンクールを全国レベルのコンクールにしたいと願う。

 

カナデノワコンクールの課題

事前のPR活動不足

 今回は河村義子先生のご逝去もあり、開催できるかどうかの問題もあり、その準備が大変であった。そのため開催の案内も不十分で、その内容をもっと一般に広報すべきであったと思う。

 

協賛金の不足の課題

 こういう音楽活動には資金が必用だが、協賛金を出してくれる企業が数少ないのが大問題である。私もこのコンクールを含めて、河村義子先生主催の音楽会の協賛金を集めに走り回ったことがあるが、結局、2件で計15,000円の協賛金が集まっただけで、挫折した。資金集めに奔走された河村義子先生の苦労がしのばれる。最後は私も協賛金を提供した。

 今後、この活動をもっとPRして協賛金を集めたいと思う。

 

運営スタッフの不足

 この運営スタッフもボランティアであるが、その数も少なく、大垣市の協力があると良いと思う。

 大垣市民病院で定期的に開催されている「院内ふれあいコンサート」も当初は河村義子先生の持ち出しで孤軍奮闘して運営していたが、途中から大垣市が援助を始め、電子ピアノも購入してくれて、市役所から応援のスタッフも出してくれるようになった。感謝。

 現在は、カナデノワコンクールに大垣市からの支援が全くないに等しい。大垣の子供たちの情操教育の場であるので、市の協力が必要である。今の大垣市の文化軽視の体制では無理なのだ。それが残念だ。

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 大垣市民病院 院内ふれあいコンサート ‎2017‎年‎6‎月‎5‎日

 バイオリンの天野千恵さんと河村義子先生

 

記念撮影の必要

 昨年は私が撮影担当であったが、今年は事情があり、撮影なしである。やはり表彰の記念撮影だけでも記録に残すべきだろう。お母さんのスマホの撮影では、後年、後悔することになるだろう。スマホのカメラと一眼レフフルサイズの比較では、画質が全然違うのだ。

 

支援と広報の課題

 こういう二人で演奏する形式のコンクールは全国でも数少ないので、これを育てていきたい。私はその支援をする予定である。

 現在は、参加者の関係者しか聴講者がいないが、もっと一般の人の参加者を増やしたい。それには広報活動と市の協力が必要だ。現在の大垣市の体制ではそれが難しいので、悩みの種である。せめて大垣財閥も資金面で協力をお願いしたい。

 

大垣の未来のために

 なぜか大垣市はこういう音楽活動の文化行事にお金を出さない。大垣市長が芸術に無理解であるためである。ノーベル賞受賞者の大村智先生は、昨年8月7日の大垣市の講演会で、哲史と山本周五郎の言葉を引用された。

「芸術を楽しむことによって、情緒が高められたり、品性が陶治される(哲史)」

「すべて芸術は人の心をたのしませ、清くし、高めるために役立つべきもの(山本周五郎)」

 大村智先生は、北里研究所病院で芸術作品を教育に活用されている事例を紹介された。この講演会の場に大垣市長も同席して、挨拶で大村先生の講演に感銘を受けたと吹聴していたが、実際の行動が大村智先生とは逆で呆れる。

 カナデノワコンクールは、ボランティア活動で、子供達の未来のための投資である。こういう文化教育の行事に、大垣市は金を出さないのは、不合理である。大垣市制100年記念事業の愚劣な行事には3億4千万円余も浪費である。そのお金には腐臭が感じられる。その使用用途と会計報告は条令でマル秘なのだ。哲史が言うように、それから見ると確かに大垣市長の品性は高くない。

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 北里研究所病院内の芸術作品に囲まれての教育 

 2018年8月7日 大村智先生の講演スライド

 

大垣の未来演奏

 大垣市の未来のために、行政と市民が奏でる活動が、大垣の未来を創る。悲しいことだが、行政の指揮者の大垣市長が大垣市民とは遊離して、行政だけが勝手に自己満足の演奏を凶行して、暴走している。その影響で、大垣市は衰退していて消滅寸前である。小川敏市長の演奏は、あぶく銭の金切り音がやかましい行政毒奏である。新しい市長に期待をしたい。

 

2019-08-11   久志能幾研究所通信No.1292 小田泰仙

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私が毎日ブログを書く理由

大垣を良くしたいため

  故郷は自分を育てた母なる大地。母に恩返しをしたい。

  ブログ閲覧が10万人になれば大垣が変わる。

  大垣の問題は、日本の地方都市が抱える問題と同じ。

  大垣の問題を解決すれば、日本の地方都市が良くなる。

  現在の惨状を見ると、書いて置かねば死ぬに死ねない思いである。

日本を良くしたいため

  まず足元の故郷を良くし、世界に誇れる状況に変えたい。

自分の人生を良くしたいため

  大垣と日本が良くなれば、自分の人生が良くなる。

  大垣の課題に取り組むことが健康管理

  考えなければ認知症になる。65歳以上は17.5%が認知症(2020年)

  書くことで、自分の生き方の再確認ができる。

あの世に逝って、後悔しないため

  此岸の旅記録を遺すため。浄土に還りご先祖に土産話をしたい。

心の健康管理のため

  心に鬱積する悪いものを溜めない。

  澱む水は腐る。流せば清流のままで腐らない。

頭の整理整頓のため

  書くことで、カオス状態の頭が整理される。

  書く文章は、人格の身だしなみ。人格のお洒落をしよう。

自分のモチベーションの向上のため

  人に公開することで、モチベーションが上がる。

情報の共有化のため

  「情けの報せ」を恵むのは布施で、金がなくてもできる功徳。

  私の情報から、皆さんの生き方に変化が出れば幸いです。

死ぬまでにやりたい108の夢の実現のため

  書くことでやりたいことが明確になる。

前向きで倒れるため

  建設的な公式批判の銃撃なら、正しい戦いである。

  前向きに戦いながら死にたい。陰口は後ろ向き、負け戦である

  批判は世間への叱責。叱ってくれる師が、真の師である

後は野となれ山となれ、のため

  やるべきことをやれば、後は仏様が後始末してくれる。

  悪いことでなければ、なんとかなる。

 

2019-08-11   久志能幾研究所通信No.1291 小田泰仙

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2019年6月 8日 (土)

改善要望案「仙台国際音楽コンクール」

 今回、浜松、高松、仙台と日本の三大国際ピアノコンクールの第一次予選を全て聴いて、その比較から、仙台国際ピアノコンクールで、下記の点の改善を要望する。

 

1.課題曲時間の変更

 一次予選の課題曲の演奏時間が、40分では長すぎる。20分にすべきである。

 浜松国際ピアノコンクールも高松国際ピアノコンクールも、課題曲の演奏時間は20分である。多く候補者から優劣を選ぶのに、40分の演奏を聴き分けるのは、困難がある。一次予選の課題曲は独奏曲で、協奏曲ではないので、20分がベストである。

 それがプロの審査員でも辛いので、今回のアリーナ席の封鎖という愚行になったようだ。一次予選を聞く楽しみの素人の音楽愛好家にとっては、長時間(予選だけで3人連続2時間、連続で30時間)は辛く、なおさらである。人間の集中力は20分程度しか続かない。

 私のような素人でも安心して聴けるように、最初の一次予選では20分で審査すべきである。なにせ36人も演奏する長期戦なのだ。それが3人続いて演奏すると、2時間の長さとなる。浜松国際ピアノコンクールでは、88名が演奏する。だから一人20分の演奏なのだ。それで演奏の差、ピアノの差が分かって、コンクールを聞く楽しみが出る。仙台国際音楽コンクールでは、それが阻害されている。

 

2.運営の変更

 審査員の権限が大きすぎるようだ。見直すべきである。第三者の立場で、そのチェック機能を持たせないと、今回のアリーナ席の封鎖という醜態を再発させる。

 現場責任者も観客の声を無視する態度では、国際ピアノコンクールの名が泣く。今のままでは、ド田舎レベルのコンクールである。危機管理上でもコンプライアンス上の規定でも問題である。

 

3.特色を生かす

 仙台国際ピアノコンクールの他の2つの国際ピアノコンクール(浜松、高松)との差はなにか。それがよくわからない。その特色を打ち出し、アピールすべきである。協奏曲が特徴というが、一次予選ではそれは制限されていない。ファイナルでは、どのコンクールも楽団との協奏曲で審査が行われる。

 協奏曲中心という独自のコンセプトを打ち出した解説をしたHPにあるが、それはセミファイナルとファイナルの課題曲で、公式HPで一次予選には、そんな制限は記載されていない。他の2つの国際ピアノコンクールでもファイナルは、同じく協奏曲の課題である。

 

国内三大国際ピアノコンクールの比較

一次予選の課題曲

◆浜松国際ピアノコンクール応募規定

 5日間にわたり出場者全員の審査が行われる。(第10回は88人が出場)

練習曲1曲以上を含む自由な選択により20分以内で演奏する。最終日に第2次予選に進む24名を発表します。

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   2018‎年‎11‎月‎9‎日 浜松国際ピアノコンクール

◆高松国際ピアノコンクール応募規定

 (A)バッハ 平均律Ⅰ、Ⅱ巻より1曲※予備審査曲と重複してもよい※予備審査曲と重複してはいけない

 (C)1900年以降に作曲された作品

 (B)ショパン 練習曲作品10または作品25より1曲 

 下記の(A)、(B)、(C)の順に演奏する。演奏時間は合計20分以上25分以とし、繰り返しは自由とする。

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4p1100114s   2018‎年‎3‎月‎14‎日 高松国際ピアノコンクール

◆仙台国際ピアノコンクール応募規定

 任意の独奏曲で、35分以上かつ40分を超えない演奏時間のリサイタルプログラムを構成し、演奏する。

 ただし、下記の作曲家の作品から1曲以上、かつ、10分以上の演奏を含めなければならない。

 J.S.バッハ,ハイドン,モーツァルト,ベートーヴェン,シューベルト,メンデルスゾーン,ショパン,シューマン,ブラームス

 ・曲数、各曲の長さについては特に指定しない。ただし、ピアノ・ソナタを選んだ場合には全楽章を演奏すること。

 ・特殊奏法(内部奏法、プリペアドピアノ、トーンクラスターなど)を含む作品は選択の対象外とする。

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  ‎2019‎年‎5‎月‎27‎日 仙台国際ピアノコンクール

2019-06-08   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年6月 5日 (水)

人生の譜面をめくる佛様(改定)

 譜めくりは、黒子である。多くの譜めくりは、黒い服装をしている。舞台では決して目立たない。しかし譜めくりは、人生の陰の立役者である。それなくして、自分の人生はない。

 

譜面のめくり方

 今まで、多くの演奏家の写真撮影をしてきて、譜面めくりのやり方に、多くのやり方があったことを発見した。一番美しい姿は、そのぺージの演奏が終わる少し前に構えて、少し次のページをめくり、そのページの演奏が終わったら一気にめくる、である。

 卒業発表演奏会では、ピアニストと目で合図をしあって、お互いに、うなずいて譜面をめくっていた例もあった。そんな暇があったら、演奏に集中せよ、である。

 

小林朱音さんの場合

 大垣での音楽堂でのチェリストTIMMと河村先生の協奏(2017)、クインテッサホテルでのドレスデントリオと河村先生の協奏(2018)では、小林朱音さんが譜めくりを担当した。二人には師弟関係で、深い信頼関係があるために、そんなお互いの合図もなく、小林さんは、しかるべき時に、スーッと横に立って構え、次のページを少しめくり、そのページの演奏が終わったら一気に音もたてずめくる。河村先生は、譜面を小林さんに任せっきりで演奏に集中である。

 学生の卒業演奏会の譜めくりでは、直前に急ぎ譜面に近づき手を伸ばし、観客席にまで頁をめくる音が聞こえるようなめくり方をする人もいた。頁をめくる甲高い紙音が、美しいピアノの演奏を興ざめにした。

譜めくりが舞台から去る時

 演奏が終わると、ほとんどの譜めくりは、演奏者が観客に礼をしている間に舞台から、黒子のように静かに去っていく。これが正式のマナーのようではある。小林さんは、二人が観客の拍手に礼をしている時、小さく拍手をして、譜面を片付けて静かに舞台を去っていった。まるで黒子の佛様のような姿であった。

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3p1020351   TIMM & 河村義子先生 

4dsc04336  ドレスデントリオ & 河村義子先生

 

人生の譜面をめくる佛様

 人の人生では、時が来ると人生の頁が自ずとめくれていき、その頁の内容に合わせて、両親や祖父祖母がランドセルの準備や学校への入学の手続きをしてくれた。当時は、それに対して感謝の念もお礼も十分ではない。今振り返ると、情けない思いである。それでも時が流れて、学校卒業までは、両親や恩師が人生の頁を黙ってめくってくれた。まるで佛様が我が人生の本の頁を捲ってくれたようだ。その佛様も、いつの間にか私の前から去っていった。「私の亡きあと、一人で人生を頑張れ」と拍手をしながら逝ってしまったのだ。

 会社生活では、必死に人生の頁を自分でめくってきたと思うが、振り返るとその歩みの頁は、佛様が事前に書いた曲を、なぞって弾いてきたように思う。自分の力ではない。周りの仲間が己の曲を演奏させてくれた。感謝。

 会社生活38年間終えたら、定年後の人生で、自分の意思で新しい第二の人生の頁をめくる時なのだ。そのぺージを自分でめくれずに、一日中、テレビの前に座っているのでは、白紙の譜面を眺めて、ピアノの前で座っているが如きである。

 

人生は暗譜演奏

 人生の人生という曲を演奏する原則は、暗譜演奏である。自分で、自分の人生の曲を描いて自分で弾く。その曲は自分が作曲した楽譜に書いてある。誰に頼るのでもなく、自分で作曲して、曲を弾かねば良き人生は創れまい。そして今は、自分が黒子として、後進の譜面をめくってあげる番なのだ。

 生きている以上は、自分独自の人生の音色を出さねばならぬ。観音菩薩様がその音を観ている。そうでないと、見守ってくれている観音菩薩様やご先祖様に申訳がない。

 

最期の譜面をめくる

 一日中、テレビの前に座っているのでは、バックグランドに無伴奏葬礼行進曲が流れなか、白紙の譜面を眺めて、無為に過ごしているようなものだ。その葬礼行進曲を演奏しているのは、一日中、何もやることのない己なのだ。「おくり人」とは、自分自身である。

 日暮れて道遠し、フィナーレは近い。演奏会と違い、人生にアンコールはない。人生二度なし。全ては一期一会だ。うかうかしていると、指の下にある次のページには、葬礼の曲が書かれているやも。人生の道を急げ。

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6039a34461  馬場恵峰書

2019-06-05   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

2019年6月 2日 (日)

Rregret to Mrs. Yoshiko Kawamura

河村義子先生への弔辞(改定) 英訳

        At the funeral of the Mrs. Yoshiko Kawamura on December 27, 2018, Mr. Shigekatsu Tanaka, Executive Secretary of the "Enjoying First-Class Music in the World association", gave a regret. I had heard this for the first time. I had known the greatness of Mrs. Yoshiko Kawamura's activities.

 

Achievement

        Mrs. Yoshiko Kawamura had a close relationship with the German Stuttgart Strings Sextet, Dresden trio, and cellist TIMM, and was bridged by music between Ogaki and Stuttgart. Yoshiko-sensei had contributed to the promotion of Ogaki culture at the world level.

        Yoshiko-sensei, who reproduced on the stage of "Rokudan in WINE" by Mrs. Maru Kiwako Toda, taught us the history of Ogaki-Vienna's music exchange. That's why I was able to visit the Vienna Musikverein and pay a courtesy visit to Dr. OTTO BIBA , the director of the Vienna Musikverein who visited Ogaki 30 years ago.

        Yoshiko-sensei had pioneered Ogaki's musical culture through music activities such as “the Kanadenowa contest”, “Kotone” and , "Enjoying First-Class Music in the World association", in-housing contact concerts, and nursery concerts. Yoshiko-sensei had built many music heritage sites in Ogaki and had raised her successors.

 

 

A turn of fate

  When Yoshiko found a lesion five years ago and found that she could not live as a pianist after surgery, she stopped the surgery and chose the course of treatment for coping therapy and decided to live as a pianist until the end of her life.

  It is also a turn of fate, I had met her as a piano teacher at the same time. She didn't notice it around, didn't emit a loud sound, and I have awe of her. As I thought, I was suggesting from her words in many scenes, but I was not aware of it.

  Since I got along with Yoshiko-sensei, I had met many good friends. I am more than grateful to see the good relationship with Yoshiko-Sensei rather than the sadness of parting. If there is a encounter, there is a parting, this world's impossibility. The better you meet, the more sad you are.

 

Summary

  Mrs.Kawamura Yoshiko, discipline name " Holy watch temple teach music righteousness love sister", means to watch over his disciples with a Kannon-like eye, teach music and dedicate to love for Righteousness. Yoshiko-sensei was a warm person who made one stay in the rain during the hard times in life. This name is a wonderful name that summarizes Yoshiko-sensei's life. I pray for the well-being of Mrs. Yoshiko Kawamura. Conspiracy.

 

 Below is Mr. Shigekatsu Tanaka's Regret

 

Regret

 

Yoshiko-sensei

I am very sad. I have to say sad farewell words.

Yoshiko-sensei had loved the music hall of the Ogaki City Suitopia Center.

  When I was the Executive Director of the Ogaki Culture Corps, I asked for support as a music expert, and I was happy to be an advisor for he Ogaki Culture Corps.

 

  I agree with the desire that the piano always resonates with Suitopia Center, and when I go to purchase a piano that can be used in the lobby to Hamamatsu, Yoshiko-sensei choose the piano. She said that he is wanting to come to Ogaki.

 

  Also, when we overhauled the culture hall and the Steinway & Sons piano in the music hall, I was thinking about giving away to everyone the hammer of the piano played by many people. At Ogaki Municipal Hospital, we asked you to purchase the piano at the lobby concert together. All the pianos were selected by Yoshiko-sensei.

 

  Yoshiko-sensei had been continuing nursery school concert for the children as one of the activities of Kasumi-kai. When we decided to work on such a project to give children a dream as a cultural gift, Yoshiko-sensei had added a program to train students to the next leader.

 

  Furthermore, I also had asked Yoshiko-sensei Christmas concerts at the music hall and the cultural hall, for the sake of classical music to children. Moreover, it was a first time, accompanied by foods and drinks that I had never been to.

  They listened to music, ate sweets, enjoyed only juice, and also enjoyed music and the valley. In the culture hall, we decided to enjoy caramel popcorn in the lobby, so the whole lobby was surrounded by the smell of caramel and the cheers of children. Yoshiko-sensei had told this many times as pleasant memory that such a thing was able to be done.

 

  In these activities to bring up children, Yoshiko-sensei had started up “Kotone(child and sound)”, developed into “Kotone kids”, and they were bridged to the next generation.

 

  After I resigned as Executive Director of he Ogaki Culture Corps, Yoshiko-sensei wants children enjoying the world's top music. For this response, we had been helding the conncrets, Ashinaga concert. After this concert, the collection of impressions of the concert was filled with the excitement of the children, and we were delighted to be with you.

 

  At the second concert of this year, Yoshiko-sensei was forced to be hospitalized due to her illness on the way, and on the day before the operation she was forced to create a program in a difficult time. Besides, she was not able to listen to the concert. However, when she received the review from children, she was really happy and I was just hapy too.

 

  The other day, when I went to the hospital room, Yoshiko-sensei told with a bright eye about the third concert scheduled in September next year. As a performer, I received an e-mail immediately after saying that I had a letter asking President Sawa of Tokyo Art university to promote it.

  But for this Henschel reply, Yoshiko-sensei cried ”I can not keep my life until November!”.by an e-mail to me.

 

 

I'm surprised at your death too early.

Yoshiko-sensei was raising people through music.

   What kind of tone is it in now? Are you listening to Brahms and the Rokudan in Wine?

   A great tone is engraved in the mind of many students, and the power to live with music must grow. Music is a source of heart.

Please keep an eye on the growing students.

Thank you very much Yoshiko-sensei!

 

December 27, 2018

Executive Secretary of the "Enjoying First-Class Music in the World association"

Tanaka Shigekatsu

 

英語でのメッセージ作成のため、見直し改定しました。

2019-06-02   久志能幾研究所 小田泰仙

KUJINOKI Institute Taisen Oda

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著作権の関係で、無断引用を禁止します。

河村義子先生への弔辞(改定)

Rregret to Mrs. Yoshiko Kawamura

 2018年12月27日の故河村義子先生の葬儀で、「世界で一流の音楽を楽しむ会」事務局長田中重勝さんが弔辞を述べられた。私はそれを聴いて、初めて河村義子先生の活動の偉大さを知った。

 

功績

 河村義子先生は、ドイツのシュッツガルト弦楽六重奏団、ドレスデントリオ、チェリストTIMMとの親交があり、大垣とドイツを音楽で橋渡しをされた。義子先生は、世界レベルで大垣の文化を高めることに貢献された。

 義子先生は、戸田極子伯爵夫人の「ウィーンの六段の調べ」を舞台で再現して、大垣とウィーンの音楽交流の歴史を我々に教えてくれた。そのご縁で、私はウィーンの楽友協会を訪問して、30年前に大垣を訪問された楽友協会記録室長のビーバー・オット博士を表敬訪問することができた。

 義子先生は、カナデノワコンクール、子と音、「世界で一流の音楽を楽しむ会」、院内ふれあいコンサート、保育園コンサート等の音楽活動で、大垣の音楽文化を開拓された。義子先生は、大垣で多くの音楽遺産を築き上げ、後進を育てられた。

 

総括

 河村義子先生の戒名「聖観院教音義愛大姉」は、観音様のような眼で弟子を見守り、音楽を教えて愛のために義に奉じた、という意味である。義子先生は、人生の辛い時、雨宿りをさせてくれるような温かい人であった。この戒名は、義子先生の人生を総括した素晴らし戒名である。河村義子先生のご冥福をお祈りします。合掌。

 

 

下記は田中重勝さんの弔辞

弔辞

義子先生

 こんなにも早く、悲しい別れの言葉を述べなければならないなんて、とても残念でなりません。

大垣市スイトピアセンターの音楽堂をこよなく愛した義子先生。

私が文化事業団事務局長の時には、音楽の専門家としてサポートをお願いしたところ、快く文化事業団アドバイザーを引き受けていただきました。

 スイトピアをいつもピアノが響き渡っているところしたいとの思いに賛同していただき、ロビーでも使えるピアノを浜松へ購入に行った時は、この子が来たがっていると、小躍りするようにピアノを選定していただきました。

 また、文化ホールと音楽堂のスタウェイをオーバーホールした時には、多くの人が演奏した思い出のピアノのハンマーを皆さんにプレゼントすることを一緒に考えていただきました。大垣市民病院でも、ロビーコンサートでのピアノを購入していただくよう一緒にお願いをしてきました。どれも義子先生に選んでいただいたピアノが設置されています。

  また小さな子ども達にも本物の音楽を聞かせたいとの願いから、かすみの会の活動の一つとして保育園コンサートを続けておられたました。子ども達に夢を与えるこうした事業を文化事業団の芸術の贈り物事業として取り組む事とした時には、教え子達を次の指導者に育成するプログラムを加えるなど人材育成に余念がありませんでした。

 さらには、小さな子どもにもクラシックをとの思いから、クリスマスコンサートを音楽堂や文化ホールで行っていただきました。しかもこれまで行ったことのない飲食を伴うもので、音楽を聴いてお菓子を食べ、ジュースをのみ、また音楽やバレーを楽しむものでした。文化ホールでは、ロビーでキャラメルポップコーンを楽しむこととしたため、ロビー全体がキャラメルの匂いと子ども達の歓声に包まれることとなりました。こんな事が出来たことを楽しい思い出として何回も何回も聞かせていただきました。

  こうした子ども達を育てようという活動の中で、子と音の立ち上げ、子と音キッズへと発展させ、次の世代への橋渡しもなされてきました。

  私が文化事業団事務局長を辞したのち、世界で一流と言われた演奏家の招へいと子ども達に本物の生の演奏を聴かせたいとの願いを受けて、世界で一流の音楽を楽しむ会を立ち上げ、多くの企業の方にも応援していただいてあしながコンサートを開催してきました。このコンサート後の感想文集には、子供たちの感動があふれており、開催してよかったと一緒に喜びあいました。

 本年の2回目のコンサートでは、途中から病により入院を余儀なくされ、手術の前日で、苦しいなかでプログラムを作成していただくこととなってしまいました。しかもコンサートを聴いていただくこともできませんでした。しかし、感想文集を届けたときには本当に喜んでいただくことができ、ホットしたところです。

  先日、病室に伺ったときには、来年9月に予定の3回目のコンサートについて、輝くばかりの目でお話をいただきました。演奏者としてヘンシェルはどうかと言って、早速メールをされましたので、私は東京芸大の澤学長にプロモーションをお願いする手紙を出しました。

 でも、ヘンシェルから9月は無理で十一月ならとの返事に、それまでは私はもたない! 重勝さ―ん とメールで言ってこられた義子先生。

  あまりにも早い旅たちで驚いています。

  音楽を通して人を育てる夢に全力で立ち向かわれた義子先生。

 いま、どんな音色の中におられるのでしょうか。ブラームスと六段の調べをきいているのですか?

  多くの教え子達の心には、素晴らしい音色が刻まれ、音楽とともに生きる力が育っていくに違いありません。音楽は心の糧です。

成長する教え子の皆さんの姿を見守り続けてください。

義子先生本当にありがとう!

平成三十年十二月二十七日

世界で一流の音楽を楽しむ会

田中重勝 

 

英語でのメッセージ作成のため、見直し改定しました。

2019-06-02   久志能幾研究所 小田泰仙

KUJINOKI Institute Taisen Oda

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2019年5月28日 (火)

両界曼陀羅の佛様との出会い

 人生の短い期間に、出会う佛様(人)の数は限られている。両界曼荼羅では、1,875尊の佛様が描かれている。それは人生で価値ある人との出会いが、物理的に2千名程度しかないとの寓意である。その人からの学びには、正の場合も負の場合もあるが、それは自分の成長次第である。逆縁の菩薩様からも多くの学びがあるはず。その出会いはすべて己の責任である。

 

出逢いの選択

 人の寿命の制限内で、出会う人の数には限りがある。一尊の佛様との出逢いがあれば、もう一尊の佛様とのご縁はこの世ではかなわない。選択とは一方を選べば、もう一方は捨てること。その両方を選ぶから曖昧さを生み、人生の無駄時間を生む。人生では寿命の制限があるからこそ、その出会いに緊張感が生まれる。「人は死ぬ」ということを前提に考えないから、時間と機会を無駄にする。

 

イベントも出会いの佛

 出会いは人だけではない。イベントも一つの出会いである。今回、遠路600キロの旅で、「仙台国際ピアノコンクール」という仏様に出会ってきた。その出会いで、それに関与している佛様達の徳が希薄であることが分かったのが最大の収穫であった。浜松国際ピアノコンクール、高松国際ピアノコンクールの佛様もその徳に高低差があることが分かった。行って会わなければ、それが分からない。分かれば、命を使って会いに行く価値がないので、二度と行かなければ、命(時間)を節約できる。その時間を別の出会いに使えばよい。

 

出逢いの儀式

 ご縁を成就するためには、時間と労力(お金)と情熱が必要である。身を清め、服相を正し、心を整えて、時間を計って、初めて一つのご縁が生まれる。そのご縁が佛様である。だからこそ、出会う人、出合う機会を自分の目で厳選しないと、自分の人生価値が希釈化される。それが選択であり、決断である。

 

仙台国際ピアノコンクールのご縁

 今回の仙台国際ピアノコンクールでも、交通費6万円、宿泊費6万円、時間も5日間を使い、病み上がりで体がまだ辛い時期に、遠路はるばる佛様に会いに行ったのだ。コンクール中は、一日10時間も聴くことに集中しての出会いである。行ってみなければ、それに見合う価値があるか分からない。価値がないことが分かれば、次回から止めればよいのだ。

 

ギブ & テイク

 己がその縁に出会って、相手に与える価値は何か。自分が会うことで、相手の二度と戻らぬ命の時間を奪ってはいないだろうか、自分は相手が期待している成長をしているだろうか。去っていった佛は、自分の未熟さに呆れて、去っていったのではないか。佛が袂を分かち去って行ったのは、全て己の責任である。

 

苦言のギブ

 その佛から不協和音が聞こえれば、身を呈して苦言を捧げるのが、出会った仏様への礼儀である。今回、仙台国際ピアノコンクールでアリーナ席の封鎖という暴挙に出会ったので、責任者に苦言を呈した。しかし佛様からその反応がなかったので、私は、それを別れの啓示と受け止めた。それは無私の佛でなく、無視の鬼であった。愛の反対は憎悪でなく、無視である。音を愛しているから、苦言を呈するのだ。

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 音を観る仏様 聖観音菩薩立像 松本明慶師作

 

赤の郵便ポスト責任論

 郵便ポストが赤いのも、全て己の責任である。己があの時、遊ばずに、もっと真剣に受験勉強をしていれば、東大に入り高級官僚になり、郵政次官、郵政大臣に就き、郵便ポストの色を己の意思で変えられたはずと思いたい。

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 仙台国際ピアノコンクール 日立システムズホール 2019年5月25日 09:46

  浜松国際ピアノコンクールに較べると、観客がはるかに少ない。

 

  『吾が人生の師天王』p132より

 2019-05-28   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

Dictatorial “Sendai International Music Competition”

The crisis of destruction is approaching

 

Reconfirmation

On May 26, 2019, the previous day, she said, "I will convey your opinion to the judges," and I visited the scene to confirm the results.

So I have visited the scene to check the results. As expected, the Arena seats were closed on the 27th of the third day of the preliminary round.

Looking at the situation the next day, there were no evidence that the jury members have complained of the audience. Perhaps the judges are above the clouds, so she could not say that. I thought it was useless to say that. She did not appear to have such a sense of responsibility. The responsible person is irresponsible.

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 arena seats sealed off in 27th May,2019

 

Volunteer activity

  The management of this type of competition consists of supporters of many volunteers. It is a pity that the reputation of the Sendai International Piano Conch worsens with the self-involvement of the poisonous jury. That happens to any company. Even though the employees are doing seriously, there are cases where the president is ruining them and there are cases where the world is in trouble.

 

 

Double the disappearance of my former job company

The company with my previous job was also overwhelmed by a virtuous officer, and the prospect was finally unclear, and as a result, it was absorbed by a competitor and disappeared from the market. The organization is rotten from the head. That is clear if you look at Nissan, TAKATA, Mitsubishi Motors, etc.

Although many volunteer supporters who support the Sendai International Piano Conch are working hard, the Poisoous Jury Committee stole the effort. It is similar to a former employee's company, where a general employee is working hard day and night, but a poisonous officer has ruined it.

 

 

Audience gap

At the Hamamatsu International Piano Competition(Hamakon) in 2018, the pre-sale tickets for the first qualifying round were sold out, with an unprecedented popularity. That is because Hamakon has been making steady efforts for many years.

Hamamatsu City has a population of 791,854 and Sendai has a population of 1.088,669. So, in the small population of Hamamatsu City, tickets are sold out, and in Sendai City, tickets can not be sold in half.

The Sendai International Piano Contest was a world totally unrelated to its epidemic. It is a hall that can hold 800 people, and it is about half filled up on Sunday. There were 200 or 300 people on May 27 on the final day of the perlimiraly round. The hall is crying. The reality that the hall is sloppy is right. I think that the arrogant management policy of senior management for many years has led to this result.

If it is upset, blocking the arena seat will prevent the audience from entering the contest in the future. The present appearance is the result of past bad deeds. The blockade of the arena seat and the situation that the hall is transparent is never a coincidence.

 

 

Signs of the fall

No one in the field feels unusual about the phenomenon of blockade of the Arena seat. Both the responsible person and the person concerned are happy and act according to their abnormal instructions. It is a sign of the fall of the Sendai International Piano Competition.

 

 

Verification

 According to the explanation of the person who bumped the complaint, the arena seat was blocked at the request of the jury that "the audience in the arena seat is concerned and can not concentrate on the examination". So, during the lunch break, I saw the stage from the jury seat. The jury's explanation turned out to be a lie. Even in the eyes of my eyes, people in the arena seat are totally buried and do not get in the eye. The jury was a poisonous pest. It seems that he is pulling the foot of the Sendai International Piano Competition and using his operations.

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    the view from jury seat

 

Verification of the subject song

The Sendai International Piano Conch is a 40-minute performance, with a three-person two-hour break pattern, followed by a 15-minute break. Human concentration is 15 minutes or at most 20 minutes. If you play it with 3 or 4 songs, you will get tired of listening. The impression of the first performance is overwritten and forgotten by the performance after 30 minutes. The judges will be more tired. The setting for the assignment song is incorrect.

The Hamamatsu International Piano Competition and the Takamatsu International Piano Competition are run with a 15-minute break pattern after the one or two songs have been played for 20 minutes, and the three consecutive people have played for 1 hour. So I can understand the difference between the pianos and the performers, and I feel that the competition is interesting. At Sendai International Piano Contest, the playing time is too long and it's hard to understand and not interesting at all.

 

 

Question of piano selection

The pianos selected for the contest this time are 25 Steinways, 11 KAWAI and 1 YAMAHA. This is an abnormal number. In both the Hamamatsu International Piano Competition and the Takamatsu International Piano Competition, YAMAHA has always secured about half the number of selections.

This is a selection piano this time, and it seems that something is wrong, such as only one YAMAHA. It is likely to be misled as to whether the judge is also a bribe involved.

 

 

The omission of presentation of examination result

The secretariat of the secretariat only reads the number and name of the winners. The secretariat does not think about the audience at the same time. At the Hamamatsu International Piano Competition, flowers were added to the roster list, and winners were introduced in front of them. At Sendai International Piano Competition, it seems that even that effort is regrettable.With this, the audience loses the mind to come again.

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presentation of examination result 27th May 2019

 

 

Cry of spirit

The spirit of Sendai International Piano Conch is crying. I decided not to go to Sendai International Piano Competition again. The Sendai International Piano Competition will decline and collapse. It is the responsibility of all senior management. The organization is rotten from the head.

 

2019-05-28   久志能幾研究所通信 小田泰仙

   KUJINOKI Institute Taisen Oda

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