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2023年12月20日 (水)

大垣一夜音楽祭、石田市長、♪ダイアナを熱唱 

 

 大垣の冬の行事として、大垣の若手音楽家の育成、大垣の音楽文化の育成を目的に、市会議員(当時)の岡田まさあき氏が音頭を取り、大垣市は23年前から冬の音楽活動を始めた。今年はその第21年目のイベントとして、「21th 大垣ジャストワンナイトコンサート」で、30のコンサートが12月16,17日に大垣市内の11の会場で開催された。そのしんがりとして、The Seniors & Be Youngが演奏した。

 

 私はThe Seniors & Be Youngとご縁があり、その練習風景とコンサートの撮影とビデオ撮影を担当した。当日はSony α7Ⅳ,Sony α9に70~200㎜f2.8レンズ、24~105㎜レンズを装着し、コンパクトデジカメを含め三丁拳銃で撮りまくった。合計の撮影枚数は1000枚弱である。演奏会の撮影は5年ぶりである。

 

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 挨拶をされる岡田まさあき実行委員長

 「大垣音楽祭」という井戸を掘ってくれた大恩人に感謝である。

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バンド紹介

 The Seniorsは松下実さんがリーダ(親分?)で、73歳をトップに60歳代が主力のグループである。The Seniorsは50年から70年代のオールディーズ一筋で6人編成のバンドである。

 Be Youngはそれより10歳くらい若い4人グループである。リーダは同じく松下実さんである。Be Youngは昭和の懐かしい歌謡曲からポップスまでの和洋の音楽を4人で演奏するバンドである。

 

会場準備

 会場は大垣市北地区センターで、用意した196席が満席であった。当日は、中学同級生の私を含め、同じ学年の伊藤秀光県会議員と他同級生が多数来ていて、大盛況であった。

 その会場準備も後片付けも同級生が率先して助けてくれた。ありがたいことだ。

 

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 観客も70歳前後の世代が大半で、嵐の団塊世代が駆け抜けた跡を露払いするのが大変だった。その世代?が元気一杯で会場に溢れていた。嵐の団塊の世代の去ったあとは、ぺんぺん草も生えないようだが、その後を埋めるのが、今の70代前半である。

 

ゲスト出演

 当日は空(そら)市会議員が「ぽんぽこ」を歌った。松下リーダから「そら見たことか!」と言われないように脅迫?されていたので、最大限の熱唱であった。今後、空さんは、「ぽんぽこ」を18番ではなく、16番の歌?にするとのこと。

 コンサートの最後に大物ゲストの石田仁大垣市長が登場し、「ダイアナ」を熱唱した。「ダイアナ」はオールディーズの代表的な歌である。「ダイアナ」は、1957年にポール・アンカが作詞作曲し、自ら歌って有名にした楽曲で、1957年5月にニューヨークのドン・コスタ(英語版)のスタジオで録音された。

 ボーカルの千晴さんから「ハンサムで、歌って踊ってくれる市長さんが来られるのはうれしい」との紹介で、石田市長が登場であった。市長が公的な場でオールディーズの歌を歌うとは、この25年間の大垣市政ではなかった珍事である。バンドと共演して、歌を歌ってくれる市長が登場するとは、嬉しい限りである。以前の堅物の市長たちではありえない事態である。石田市長は、(親分から)とにかく来い、歌わせてやるから来い、と言われて来ました。会場を盛り上げるために来ました」と謙虚に自己紹介?である。リーダの大物ぶりがうかがえる。

 私は、今の大垣市の行政には不満だらけではあるが、今回の市長の情熱と熱演ぶりに少しだけ石田市長を見直した。それで大垣が少しでも活性化すれば嬉しい。前市長の悪政の結果、大垣は芸術の不毛地帯に変貌した。私は、衰退していく大垣市を、どげんきゃせんとあかん、とやきもきしている。

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 空市議会議員の熱唱

 

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 「ダイアナ」を熱唱する石田市長

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 石田市長とBe Young

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  The Seniors

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 Be Young

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 観客は頭が白い昭和の世代が大多数

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歌は力

 歌には讃美歌、お経、念仏、社是と同じ効果がある。それを歌い、唱えれば、みんなと気持ちが一つになる。皆と同じ歌を歌えば、心は一つになれる。反戦の歌を歌って、戦争に反対して世界平和を目指そうとする行動は、大きな力となる。歌は芸術で力を与えてくれる。Be Youngのボーカルの千晴さんが、舞台で反戦の歌の解説をされて、始めて歌の力に気が付いた。言葉は言霊といって、魂が籠っている。

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音楽都市の活性化

 聞けば昔、石田仁市長はバンドをやっていて、それを参考に松下実さんがバンドを結成したという。当時はバンドをやっていると「奴は不良か」と色眼鏡で上の世代からみられた時代である。見方を変えれば、それだけ元気があったのだ。

 当時の私はがり勉一筋で、バンド演奏活動は、私には縁のない世界であった。松下実さんと私の接点は、模型飛行機作りであった。二人とも伊藤模型店に入りびたりであった。今の若い人のゲーム、YouTube時代とは隔別した平和な昭和の時代であった。それが私も老いて、今はその世界にのめり込んでいる。それで今後の音楽都市、文化都市への復活の一助になればと思い活動している。

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2023-12-19  久志能幾研究所通信 2788号  小田泰仙

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