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2021年10月22日 (金)

ピアノ騒音殺人事件 1/11  (改定)

 

 私の家作りで、一番大きな影響を与えた事件は「ピアノ騒音殺人事件」である。それにより私がピアノを始めるのが40年間も遅れてしまった。家作りでも、防音対策で1千万円以上をつぎこむことになった。その因縁の事件がピアノ殺人事件である。

 

 この事件が明らかにしたのは、日本人の精神の劣化である。敗戦により、マッカーサー進駐軍の命令で、日本人の精神を破壊する政策が次々となされた。マッカーサーが日本人の精神を破壊したい目的は、二度と米国にはむかうことなくすることである。それだけアメリカは、日本の滅私奉公や特攻、玉砕という米国人には理解不能な精神構造を恐れた。その対策政策の一つが「修身」教育の廃止である。それと家制度の廃止である。進駐軍は、旧日本軍再来の恐怖心から、徹底的にその根絶を図った。それにより日本人古来の他人を慮る美しい心や利他の精神が破壊され、欧米の個人主義、権利意識の拡大、利己主義の教育が蔓延した。

 

 その精神の破壊工作の結果、起きたのがこのピアノ殺人事件だと思う。日本人は自分の欲望だけ満足できれば、他人のことは知ったことではないという精神構造になってしまった。また欲望として見せびらかし精神が氾濫して、ウサギ小屋にピアノを入れて、自慢げに娘にピアノを弾かせる精神にまで落ちぶれたのが遠因である。

 

 その流れで、携帯電話やスマホを回りの迷惑を考えず、傍若無人に使う現象は、1974年に起きたピアノ殺人事件と本質は同じである。

 

殺人事件

 1974年8月28日朝、神奈川県平塚市でピアノの騒音を理由として、母子3人が殺害された。3日後、逮捕されたのは一家の上の階に住む無職の男(当時46歳)だった。階下から聞こえてくる子供のピアノの音に悩まされての犯行だった。事件の前から何度も相手先とやり合っていたが、被害者宅が犯人をおかしな人として、まともに相手にしなかったのが遠因となった。事件の数日前、被害者の室のドアに「子供が寝ていますので静かにしてください」という張り紙が貼ってあるのを犯人は見かけ、「なんと自分勝手な!」と改めて殺害を決意し、刃渡り20.5センチの刺身包丁を購入した。

 

 この事件以降、騒音などによる事件や訴訟が頻発しており、多くの専門家はこの事件を「日本人の騒音に対する考え方が劇的に変化した事件」としている。ピアノ製造・販売店にも大いなる危機意識を与え、音量の抑制可能なピアノや防音材などの研究が進み、防音設備やサイレント楽器が開発された。

 

 このピアノ事件により、騒音問題が浮き彫りにされた。この事件について多くの音楽関係者が沈黙する中、作曲家・團伊玖磨はエッセイの中で日本の住宅事情内にピアノを持ち込む行為を「根本的誤り」として、次のように断じている。

 「日本の小さな部屋でピアノを弾いている情景は、正直判りやすく言えば、バスの中で大相撲を、銭湯の浴場でプロ野球を興行しようとする程の無茶で無理なことなのである」(「アサヒグラフ 1974年10月25日号」)

 

私のピアノ騒音被害体験

 私も中高校生の時代(1965年ごろ)、会社の社宅の団地暮らしの中、隣のピアノ騒音に苦しめられたことがあるので、犯人の心境がよく分かる。住んでいた団地は、事件のあった団地の構造とほぼ同じである。昔の建築構造では、どうしても上下左右の部屋の音が聞こえる。会社の社宅のため、普通以上に気を使っての生活が強いられる。この事件と同じように上の階の住民が、娘のためピアノを入れた後、ピアノの練習音が聞こえてきて、私の受験勉強の妨げになったことがある。私の受験勉強姿を見守っている母が、怒って上の階に聞こえるように襖を大きな音を立てて閉めるのを繰り返したのを今も覚えている。社宅内の人間関係では、せいぜいやれるのはこの程度の抗議である。そんな構造のアパートにピアノを持ち込むのはどう考えても異常であると今でも思う。

 

音には暴力性があることの証明

この殺人事件のあと、似たような殺人事件が頼発する。

1976年5月2目 鳥取市 『ステレオの音を注意されて』

1976年7月21日 東京大田区 『印刷機の騒音』

1977年4月27日 大阪市 『子供の走り回る音を叱責されて』

1981年2月26日 東京目黒区『老人ホームで同室者のいびきの音を腹を立てて』

1981隼7月17日 兵庫県・龍野市 『オルガシの音がうるさかったから』

1981年9月12目 川崎市 『ステレオの音』

1982年9月8日 兵庫県・加西市 『カラオケの音』

1985隼7月5日 和歌山市 『バイタの騒音』

1997年11月10日 浜松市 『バイクの騒音」

 

 上の挙げた殺人事件は氷山の一角に過ぎず、80年代に入ると近隣とのトラブルでの暴行・傷害・器物破損は年間250件にも達している。いかに人は騒音を暴力とみなしているかの証である。この事件が音は暴力であることを教えた意義は大きい。今までは音の暴力に対して泣き寝入りであった。

 

芸術の名を借りた暴力

 音楽は聴く人にとっては芸術でも、音楽に興味の無い人には騒音の暴力でしかない。いくら世界的な名ピアニストが弾いても、興味がなければ騒音の暴力である。犯人は美しい音楽も、興味ない人には騒音の拷問と感じることを日本社会に知らした役目を果たしたことになる。犯人は控訴もせず死刑を希望し最高裁でも死刑が確定したが、なぜか事件から40年以上経った2017年現在、死刑を執行されていない。死刑待機の最年長者でもある。それを考えると、犯人は仏様の使命を帯びた鬼の化身ではないかとも思ってしまう。

 

 厚さ12㎝の床を挟んで、下から聞こえてくる乱暴な子供のピアノ音は騒音の拷問である。本来、ピアノは30畳位の部屋で鳴らす前提で作られている。それを当時の防音を考慮されていない団地の3畳間に入れ、うちにもピアノが入ったと誇らしげに鳴らすこと事態、異常な状況にあった。子供もそんな親の顔色を伺って自慢げに弾いたのであろう。それが日本の高度成長期が軌道に乗って豊かになったという驕りが生んだ悲劇である。豊かになったと思い込んでいたのが当時に日本社会である。ピアノの騒音が直接響かない家庭は救いがあるが、そうでなく直接、ピアノ騒音が薄い壁を通して突き刺さる家には、悲劇である。貧しいとどうしても一点豪華主義となる。貧乏なため回りの備品や環境造りには金が行かない。いかなくても他人に迷惑を掛けなければ良いのであるが、ピアノは騒音暴力として猛威を振るう。豊かさとは一点豪華主義ではない。分相応の豊かさに満足して、全体バランスを考えて豊かさを一歩一歩実現していけば悲劇は生まれない。しかし、当時の高度成長時代は、国民全体が背伸びをしていた。そこから生まれた悲劇である。昔あった日本人の他人を慮る心が破壊されていたために起きた悲劇である。 

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事件を報道する新聞(朝日新聞)

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 当時、私が住んでいた社宅(事件の団地とほぼ同じ構造)

   取り壊される直前。新築当時は、人もうらやむピカピカの住宅でした。

   今は新興住宅地に変貌している。

 

2017-07-05 初稿

2021-10-23改定  久志能幾研究所 2187  小田泰仙

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2019年12月29日 (日)

河村義子先生を偲んで

 河村義子先生が逝去されたのは2018年12月25日であった。先日、一周忌法要があり、私はその命日の数日前に先生宅を訪問してご霊前にお参りさせていただいた。

 そこでご主人といろいろお話をして、お参りされる皆さんが私と同じ感想を持たれていることを知った。皆さんが、義子先生と知り合いになり、普通では叶わぬ世界一流の音楽家達と交流が出来たと感謝である。それは皆さんが異口同音に感謝されていた。大垣の片田舎で、世界を相手に活躍された義子先生の偉大さが実感できる。ご逝去後一年経っても、先生宅にお参りにこられる人が絶えないのも、先生の人徳であろう。葬儀では約1000人の方が参列された。

 

先生との出会いのご縁

 思えば河村義子先生とのご縁も稀有なご縁である。もし私が定年延長をして大垣に帰郷していなければ、このご縁はない。前職の、上からと下からのいじめの軋轢で、かつ実質吸収合併された会社の中間管理職の立場で、宮仕えの延長は嫌だと辞める決断したのがご縁の始まりである。

 大垣に帰郷後、酔狂にも長年の夢であったピアノを入手して、防音室まで作って始めたピアノである。公式の言いわけは、「ボケ防止でピアノを習う」である。若いころ(1970年)、平塚市でピアノ殺人事件が起こり、その影響でサラリーマン生活・借家住まいではピアノは無理と諦め、ピアノを始めるなら防音室が必用と覚悟をしていた。ピアノもグランドピアノと、決めていた。それは定年後でしか、実現しなかった。

 定年後、購入したピアノもこだわってチッペンデール形式の猫足のピアノを選定した。ヤマハの販売課長が、この30年間で中部地方では、このピアノを含めて2台しか見たことがないという代物であった。

 そのこだわりがあったから、その販売課長さんの紹介で、個人レッスンの講師として、河村義子先生を紹介して頂いた。ド素人の還暦後のおじさんの個人レッスン引き受けを快諾された義子先生も偉いと思う。このこだわりのピアノでなければ、河村義子先生とのご縁はなかったかもしれない。そういう点で、この猫足のピアノは、ご縁の招き猫ピアノである。この猫ちゃんを粗末に扱うと化けて出そうである。

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 猫足のピアノ

 

音楽家とのご縁

 義子先生とご縁ができて、世界の一流の音楽家や関係者と親しくなった。それはドイツ、米国、ウィーンの音楽家とのご縁である。義子先生とのご縁で、ウィーンの楽友協会の資料館館長のビーバー・オット博士にも表敬問する機会を頂いた。これも義子先生がライフワークで戸田極子伯爵夫人の研究をされていたご縁に起因する。私も義子先生とご縁がなければ、ウィーンになどに飛ばなかっただろう。

 

演奏中の撮影

 先生のご縁があったから、音楽活動の写真を5年間にわたり撮影する機会に恵まれた。いくら写真が好きでも腕があっても、演奏中の写真を自由に撮れるわけではない。河村義子先生からの依頼がないと、音楽家の写真は勝手には撮影できない。そのご縁で、無音シャッターのミラーレスsony α9を設備投資して臨むことができた。それで私の新しい分野への挑戦が出来た。たまたま写真歴50年の経験を活かすことが出来たのは幸いであった。

 

義子先生の覚悟

 義子先生は5年前に癌が見つかり、手術をするとピアニストとして生きていけなくなる恐れがあると言われ、癌の手術を断念されて、最期までピアニストとして生きる覚悟をされた。丁度、私が先生と知り合ったころである。

 私が先生とお会いしたころ、いつも部屋に掲示されているご自身の写真は「気に入っていて私のお葬式にも使うの」というので、何の冗談かと呆れた思い出がある。

 また4年前に先生がドイツへ1か月ほど演奏旅行に行かれて、帰国後、「やりたいことは全てやったので、いつ死んでもいい。幸せ」というので更に呆れた思いである。鈍感な私は義子先生の決意に気が付かなかた。

 先生は人生の賞味期限の意味を知っておられたのだ。義子先生は、人生を最期まで、全力で駆け抜けていかれた。

 

ドレスデントリオの最後の演奏会

 2018年1月13日に、ドレスデントリオを招いて先生最後の公式演奏会をクインテサホテル大垣でされた。私や周りは病気の事情は知らないので、何を焦って年に2回も大きな演奏会を企画するのかと、半ば呆れていた。先生が資金的に困っておられたのを援助できたのが、今にしてよいことをしたと思う。

 この少し前に、チェリストTIMMの演奏会を開催したばかりで、市内の大手企業に協賛金のお願いに回れない事情があった。それを陰で支援できたのは功徳であった。私の支援があり、先生がこの講演会をする決断をされた。

 このお陰で、私はドレスデントリオに密着して音楽家チームのご縁ができた。飛行場へのお出迎え、数日間のリハーサル会場での撮影、支援、大垣でのサポートをできてよき経験を得られた。普通の人ではこんな経験はできまい。義子先生に感謝である。お陰で、ドレスデントリオと義子先生の新春演奏会は大成功であった。これが義子先生の公式演奏会の最後となった。 

Dsc04341s  ドレスデントリオとの共演 クインテッサホテル大垣 2018年1月13日

花が咲いた

 義子先生が長年、大垣の音楽の普及活動で尽力をされていて、それが花開いた結果である。準備万端、実践万端すれば、後は花が開くしかないのだ。それを佐藤一斎は、「已むを得ざるにせまりて、しかる後のこれを外に発する者は、花なり」と表現している。まさに「縁ありて 花ひらき、恩有りて 実を結ぶ」である。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)よ

 

命の恩人

 河村義子先生が亡くなられて、私が葬祭場でその病名を知り、少し胸騒ぎを覚えて、その翌年の年初に精密検査をしたら、癌が見つかった。あと半年発見が遅れていれば手遅れであったろう。義子先生のご家族から、地元の病院は野戦病院のようで、それより義子先生が入院された病院(愛知県がんセンター)がよいと推奨された。それで即、入院・手術を受けた。有りがたいご縁であった。義子先生のお陰で命拾いができたようだ。

 すべてご縁の連鎖であった。これは仏様のご配慮としか思えない。どこか一つでもご縁が切れていれば、こんな状況にはならなかっただろう。人智を超えた何か大きな力だと思う。

 

夕焼け小焼けで日が暮れて♪

 最近、義子先生のことを思い出すと、童謡「夕焼け小焼け」の歌詞が聴こえる。義子先生は、自分の夢を大きく燃やして、大きな夕焼けを作り出して、人生を全うされた。その夕焼けが多くの弟子を照らしている。自分も相応した小さな夢を燃やして、人生の小焼けを作り出して、人生を全うしたいと思う。先に逝かれた義子先生だが、先生の遺志を継いでそれを全うし、「皆で仲良く帰りましょう♪」で、先生の後を追い浄土に還るのだ。人は必ず死ぬ。早いか遅いかは、大した問題ではない。人の偉さは、死ぬ時に、後進にどんな「大きな金の夢♪」を残せるかである。それが人の課題である。

 

戒名

 義子先生の戒名は「聖観院教音義愛大師」である。童謡の中の「まるい大きなお月さま♪」とは、「皆さんを優しく見守り、衆生の助けの叫び声を観れば助けに駆けつける『聖観音菩薩』」であると私は解釈している。私が大垣に帰郷して、最初に大仏師松本明慶先生の作品に触れたのは、聖観音菩薩像である。私には、ご縁の仏様である。

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 大仏師松本明慶作 聖観音菩薩像

 

2019-12-29 久志能幾研究所通信 1438  小田泰仙

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2017年7月13日 (木)

ピアノ騒音殺人事件 6/12(改定)

日が暮れてピアノが猫足でやって来た

 人生も還暦を過ぎ、第二の人生が回り出した頃の2014年3月23日、製作に半年を要した特注のチッペンディールのピアノが、日の暮れた夕刻に猫足でやってきた。チッペンディールのピアノは、ヤマハ中部地区の販売30年間で、私の分を含めて2台のみの珍獣である。40年来の夢であった猫の鳴音が響いた。

 ピアノを購入して3年経った現時点(2017年7月)で振り返っても、良き選択であったと思う。それも猫足のピアノの選択は最高である。ヤマハの本社工場を見学した時(2013年12月17日)、案内の西郷さんが、「チッペンディールのピアノがラインで流れていると思わずワクワクする」といっていた。持つべきは、何か他とは違う付加価値を持つモノである。万人が持っているものを持っていても嬉しくはない。

『定年後』の幸せ

 それを考えると、己は他の人と違うどんな付加価値を持つのかが問われる。楠木新著『定年後』では、定年後の人は80%が不幸であるという。多くの人が、会社に残れば生前火葬で魂を燃やされ、家に帰っても妻が家の実質的な主で、夫に書斎もなく居場所がない。せいぜい図書館や書店をうろつくしかない。定年後でも元気な人は、せいぜい15%だという。昔の上司から、「古希になったので、今年から年賀状を止めます」との連絡が来ると情けなくなる。きっと幸せではないのだろうと推察してしまう。そんな人とは、こちらからお付き合いをお断りである。たとへ幸せでなくとも、幸せのふりをしていれば、幸運が舞い込む可能性があるが、最初から不幸せとして行動すれば、来るのは貧乏神だけだ。その観点で、己がその80%に入っていないと自負できるので、幸せだと思う。幸せかどうかはあくまで、自己評価である。目立たなくても、有名でなくても、キラッとする何かを持って、それを磨き続けられるならば幸せである。それを死ぬまで続ければ生涯現役である。

 

図7 猫が夕暮れにやってきた

図8 搬入

図9 部屋の中で梱包を解く

図10 こだわりのあるペダル部

図11 猫足

図12 ウォールナット製のチッペンディール(猫足形式のピアノ) ヤマハカタログより

図13 書庫兼ピアノ室に納まったピアノ。部屋はこだわりを持って畳敷きにした。天井も音響効果を考慮した構造。ヤマハ販売課長小川氏と調律師の岡本氏(右)。岡本氏は、ベーゼンドルファーを調律できる数少ない一人。名古屋では2名のみ。

 

2017-07-13

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年7月12日 (水)

ピアノ騒音殺人事件 5/12(改定)

見せびらかしのご縁

 2013年、還暦を過ぎた身で、40年前からの夢であったグランドピアノを買う決断をした。お店の人には「見せびらかしで買う」と冗談で言っておいた。ピアノが特注品なので、ヤマハ本社から「ピアノの先生が買うのですか?」とヤマハ販売店の小川課長さんに問い合わせがあり、本社にその旨を伝えたら、「エッ?エッ!!」と絶句されたと小川課長さんが笑っていた。

 誰に、特注ピアノを見せびらかすのか。自分である。グランドピアノを見て豊かな気持ちになり豊かな行動がとれる。それでこれからの人生が豊かになれば十分に元は取れる。それがご縁で、生の演奏会にも行こうかという気にもなる。ピアノ全集のCDも買う気になる。その費用を稼がねば、という動機付けにもなる。福の神のご来宅である。借金も財産のうちである。日本経済活性のお手伝いである。いざとなったら、得意技の借金踏み倒しをすればよい? 残念ながら?ヤマハさんはピアノ購入は納入前全額支払い制のため、この手が使えなかった。ヤマハさんはしっかりしておられるわい。

 その反対に、安いピアノを買って毎日それを眺めていたら、「自分は甲斐性がなく、こんな安いピアノしか買えなかった」と自分を責めて、貧乏臭い考えに陥り、貧しい行動しか取れなくなる。浮いた金が無駄遣いに消える恐れもある。貧乏神がすり寄ってくる。ピアノを買う目的は、惚け防止と音楽鑑賞である。指先を使うことは、脳の活性化に繋がる。また高級オーディオに金をつぎ込むより、本物のピアノで自動演奏を楽しむほうが、お金の節約となる。高級オーディオは金食い虫である。陳腐化も早い。しかし今回の最大の誤算は、ピアノの自動演奏機能が無駄になったこと。レッスンを受け始めたら、自動演奏の出番が全くなくなってしまった。やはりピアノは自分で弾くと楽しい。

 ピアノを買うとは、そのために家屋と人生時間の設計をすること。桐ケ崎町の火事のあった翌日の2013年10月28日から、予定通りピアノと書庫のために家の改築に入った。ピアノ騒音殺人事件が念頭にあり少し回り道をしたが、近所への迷惑防止を前提に防音工事を完璧にした。また床の補強、部屋の増築等でかなりの出費となった。床の補強は、蔵書3.4トン(ダンボールで170箱)に耐えるための処置である。それもご縁である。この工事業者が火事の隣のカーテン屋さんである。10月5日、防音工事の打ち合わせのためカーテン屋さんのレクサスで大建工業名古屋ショールームに出かけた経緯がある。その後、彼と目前の納屋橋ヤマハ楽器店に寄ったのもご縁です。

クルミの木とのご縁

 この特注ピアノ(2013年10月13日正式発注)は、一般的な黒のピアノではなく、材質がアメリカンウォールナット(クルミの木)である。このクルミの木は北米を産地として、落ち着いた濃褐色の木目を持つ。クルミの木は狂いが少なく精密で粘り強いのが特徴である。趣味の問題として、音楽の楽器が真っ黒けのケの黒よりは、ウォールナット色のほうが様になると思い、敢えてウォールナットにした。

 2013年10月10日、長崎の馬場先生宅を知己塾受講のため訪問したら、近所の大工の新立さんから珍しい木だよと言って、クルミの木のブランク表札を渡された。その時閃いて、馬場恵峰師に私の雅号の表札を揮毫してもらった。以前に馬場先生に普通の表札(桧)を揮毫して頂いた。新立さんが今回、偶然クルミの木のブランク表札を提供してくれたのがご縁である。聞けば、たまたま珍しい木が入手できたとのこと。

土台の基礎からの工事

 改築の一環として、今までの改築で床をめくったら、ふろ場、台所、居間、座敷、仕事部屋が白蟻に喰われてしまったのが判明して、全て床からやり直すことになった。今回の元応接室を改築してピアノ室兼書庫にするにあたり、下から湿気が上がってこないように、地面にビニールを敷き、コンクリートで固める工事とした。また24時間タイマーで、床下換気をする換気扇も設置して万全を期した。

 またピアノの重量に耐えられるように、床のネタも普通の倍の量にして強度を上げた。壁の強度も上げて、総合的に家の耐震強度向上を兼ねた工事とした。

白蟻業者の選定

 当初は出入りの業者の進めるままの白蟻業者にお任せしたが、経営者仲間から助言があり、別の業者に見てもらったら、点検のレベルが格段に上なので急遽、業者を変更した。その業者はお風呂から二階に登っている白蟻の跡を調べて二階の点検までしてくれた。また、白蟻点検後に床下の撮影データまで提供してくれた。

 和歌山のカレー殺人事件の影響で、ヒ素が使えなくなり、シロアリ駆除の薬品の有効期間が5年となり、5年ごとに駆除薬の再塗布が必要になったことを知った。カレー殺人事件はとんでもない事件であった。

防音工事

 窓は二重のペアガラスで、更に二重のペアガラスの内窓を付け、電動シャッター付きで、厚いカーテンを付けた。これでも人の声は聞こえる。道路に面した部屋なので、これで良しとするしかない。

こだわりの畳敷き

 このピアノ室には畳をひいた。普通の家でピアノを置く部屋がないから、畳の部屋のピアノを置くケースはよくある。しかし新規でピアノを置くため畳を敷いたのは稀有だと思う。この改築をしたピアノ室はフローリングの床であるが、畳を入れる予定で5センチ床を下げて床の工事をした。その上に吸振マットを敷きピアノを設置した。その周りに畳を敷いた。結果として猫足のピアノにはよく似合っている。やはり日本人には畳が最高である。

今回の改築の一環として、家の全室を畳の部屋に改築した。廊下も台所も畳敷きにした。台所では、汚れるので畳敷はご法度かもしれないが、汚れてもその分だけの畳を取り換えれば済む話で、問題なく使っている。畳敷きの台所は食事をしていても何か落ち着く。

 

 

図1 ピアノ室の増床改築工事

図2 コンクリートを打つ前にビニールを敷き、ワイヤーを敷く

図3 ミキサー車でコンクリートを打つ

図4 床の吸音材の設置

図5 天井の吸音材の設置

図6 天井の音響板

図7 換気装置。部屋が密閉構造になるので必須。

図8 床下の点検写真(座敷の床下の白蟻の被害)

図9 フローリングが完成。窓はこれから内窓、シャッターを設置

図10 防振マットを敷いて、その周りに畳を敷く

図11 畳を敷いて、ピアノの型紙で設置位置を検討

 

2017-07-12

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年7月11日 (火)

ピアノ騒音殺人事件 7/12

後姿から日本の未来を見つめて

 人はその後姿に性格と育った履歴が現れる。人は育った環境で、その性格が大きく変わるのを実例として、私はこの5年間の定点観測で体得した。国家試験の受験勉強のため、毎日大垣市立図書館の学習室に通っていた。その学習室で、私の座る位置は、全体を見渡せる最北端の席で、毎回同じであるが、周りに座る学生や社会人は、年毎に変わるし座る場所も毎日も変わる。第一学習室の50名の座席は土日では満席だが、平日は30名ほどで、小学生から、高校生、学生、社会人まで多くの人が学習に勤しんでいる。またその人たちが千差万別なのである。この5年間余、30名×300日×5年で延べ約45,000人の後姿を見続けた。

 この45,000人の中で目に付いたのは、下記事例である。その後姿にその人の生き様が現れている。何も言わなくてもその後姿を見れば、その人の性格と家庭と未来が見える。この子達の大部分が真面目に勉強をしている。それを目の当たりに見ると、日本の未来もまだ希望があることを感じる。この子達が未来の日本を背負ってくれる。私の年金を支えてくれる? 頼もしい限りである。真面目に勉強しているその子達に、音の暴力をふるう人間の行動を観察した結果が以下である。

 

シーンとした静寂の空間で、音の暴力をふるう人間模様

・イスを引くとき無造作に大きな音を立てて立ち上がる人

  パイプ椅子が共鳴して大きな音を立てる構造となっている。

  設備も床の構造も悪い。改善の計画はあるというが5年以上も実施されない。まさにお役所仕事の象徴である。無造作にイスを引けば大きな音が出ることが分かっているのに、空気の読めない人の行動は愚かである。それに気の回らない人が人生で出世できるわけが無い。

・イヤホンで音楽を聴きながら、大きな音を立てて立ち上がる中年女性

  注意しても、逆に言いつけオバンになり、反撃して大喧嘩を仕掛けてくる。

・私が大喧嘩をしていても図書館の副館長も、見て見ぬふり

・図書館館長と直談判をしてものれんに腕押し。お役人の無責任の極み

・大きな靴音を無神経に立てて歩き回る人

   己の立てる音には無神経な大人が多い

・学びの場にハイヒールで、甲高い靴音を響かせて平然としている女性

   無神経としか思えない。

・猫でもあるまいし、身につけた鈴をチリンチリンと鳴らして動く老若男女

  甲高い鈴の音は静寂な部屋中に響き渡る。本人は洗脳されて意識が無い。

  こういう人が静かな演奏会場でも、鈴をチリンチリンと鳴らす。

・ヘッドフォンで音楽を聴きながら勉強している為、己が出す騒音に無神経。

 こういう子が、イスを無造作に引いて大きな音を出し、鉛筆の筆記音を立てる。

・無造作に机の上にキーホルダーを放り投げ、部屋中に響く金属音の立てる人

・携帯の着信があると靴音も高く飛び出していく子や大人

・携帯の着信があると出て行く途中の室の中で「モシモシ」とやる異常者

  部屋中にその声が響く。それが他人迷惑と感じない感性が哀しい。

・ゲームに没頭して2時間も時間を費やす子。

  勉強の場の雰囲気を壊している。そんな子がいると勉強の緊張感が無くなる。

  ゲームをやるために税金でこの施設を整備したわけではない。

・使った学習机を消しゴムのゴミだらけにして、そのまま帰宅する子や大人

 どういう家庭躾を受けたかよく分かる。大人でも出世できない人なのだろう

・携帯を机の上に置き着信振動音を部屋中に響かせる大人

 机の上板が共鳴板となり高い音を室中に響かせる。無神経の極み。会社でも同じ無神経な行動を取っていて出世から外れたのだろう。

 以上はシーンとした学習室内の静寂を破る「騒音」と人間模様である。そのシーンとした空気が感じられない無神経な人といえる。そこまで日本人が劣化したのかと情けなく思う。学習に神経を集中させていると、この集中を中断させる騒音が入ると腹が立つ。ところが騒音を出す上記の人たちは、それに全く気づいておらず、全く無頓着なのだ。そんな類の人間が、昔のピアノ騒音殺人事件に縁があった同類だと考えてしまった。そういう神経の大人は、空気を読めないため(KY)、出世もできず左遷させられる。それが世の中。本人だけが、なぜオレが?という。図書館は世間の未来の縮図である。

 

2017-07-11

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

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2017年7月10日 (月)

事務連絡 カテゴリー「ピアノ騒音殺人事件」を追加

12回の連載で掲載予定です。皆様のご意見を期待しております。

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

2017年7月 8日 (土)

ピアノ騒音殺人事件 4/11

眼で聞き、耳で見る  

 二つの事象が接してこすれると、ミクロ的な現象として破断が起こり、必ず音が出る。これはトライボロジーの世界である。その音を耳からの目で聞くことができるか、心の耳で聞くことができるか、である。問題があれば必ず雑音が発生する。その「音」を心の目で「観る」能力が、人生では必要である。心して観れば心眼が開く。

 「耳」という字の真ん中に、「目」がある。「目」の上下の線が両端に伸びている。それが上の人たちの声、目下の人たちの声を見なさいであり、「目」の下に伸びた線が、自分の心底から聞こえてくるご先祖様の「助言」の声を観なさい、という意味である。「助」とは「目」の「力」と書く

 問題がなければ、スムースな接触で音は観えない。ある決断をして問題が出れば時間ロスも甚だしい。それが自分の体の手術のことなら重大である。私はインプラント手術の検討をした際、その直前段階で多くの不協和音が聴こえて、手術の2時間前にキャンセルした。

「心の耳を澄まし、天のメッセージに聞き入ろう」安岡正篤師

 心の耳を澄ますと、眉間にある心の第三の目が開き、この世の真実が見える。

 

己の後姿は見えない

 己が行っている業が、どれだけ人に迷惑を掛け、恨みを買っているかは、己には見えないし、聞こえもしない。それを教えてくれるのは、耳に痛いことを言う周りの知人である。その知人は仏様の使者である。仏様の使者の啓示を無視してはいけない。それがこの事件の教訓である。私にはこの事件は、仏様が犯人を仏様の使者として、人間界に遣わし鉄槌を与えたとしか思えない。最大の被害者は、殺害された母子よりも、その夫であろう。殺された母子よりも、生きてこの苦しみを持ち続けるのは地獄である。地獄はあの世にはない。この世が地獄であるのを目の当たりにした。それは全て己が生み出したもの。己が犯行の遠因を作ったことを夫は理解していない。夫は「犯人を死刑に」と叫び続けた。それに対して社会では、犯人の助命を嘆願する会が発足する。犯人は控訴もせず死刑を望み、それが40年たっても実現しない。何が仏様のご意思か、この40年間の歴史が証明する。

 この事件が日本の音楽界と社会に与えた衝撃は半端ではない。私も40年間、その呪縛の囚われてしまった。この事件が頭にあり、40年前はピアノからエレクトーンに選択変更し、40年後はピアノを導入するため防音工事と全室内窓付きペア硝子窓の防音リホームまで対策をした。費用も半端ではない。まるで仏様からのお導きである。殺されることを思えば安いもの。私にとって皆さんに音で迷惑を掛けないというのは、宗教の教義みたいなものになっている。

 下図は今回施行した防音壁の構造である。左は標準の防音構造、右は特別版の防音構造である。本当は特別版にしたかったが、部屋の大きさが総合で1畳ほど減ってしまう。また自宅が一軒家で、隣家とも離れていることも考慮して、しぶしぶ標準の防音構造を選択した。それが私の分相応である。

 

図1 防音壁の構造 左図:標準  右図:特別版

 

2017-07-08

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2017年7月 7日 (金)

ピアノ騒音殺人事件 3/9

ピアノからエレクトーンへ、40年経ってグランドピアノへ

 私は学生時代からジャズに興味がありLPレコード収集やジャズ喫茶めぐりをしていた。特にジャズピアノに魅入らせられて、自分でも弾きたいと思うようになり、手始めにエレクトーンを検討した。ところが会社に入社して2年目の1974年、神奈川県平塚市の県営団地で、ピアノ騒音殺人事件が起きた。子供2人を含む一家3人が刺殺された。このため騒音の点で、ヘッドフォンで聞けるエレクトーンの選択は必然となった。最初は普通の初心者用エレクトーン(25万円程)を購入し、その後に、コンボオルガンYC-45D(定価80万円を中古で30万円ほど)を手に入れた。

 しかしジャズの32音符が並ぶ楽譜を見て、とても凡人にはこなせるものでないことを悟りもし、ヤマハ・エレクトーン教室に3年も通ってもモノにもならず、教室でもレッスンの仲間にも付いていけなくなり、「身を引いた」。それよりも仕事が忙しくなり、レッスンどころではなくなったのが真因であった。今思うと、仕事に生きがいを感じて、仕事に没頭できたのは幸せであった。そうでない仲間も数多く見てきた。

 ヤマハ・エレクトーン教室に入って驚いたのは、10人くらいの教室で、男性は私一人であったこと。全く想定外で焦ったが、一度決めたことを覆すのは不本意であり、意を決して、そのまま教室に通った。色気に惑い?その気になってアタックをした女性もいないわけではないが、こういう状況ではうまくいかないのが常のようだ。

 当時、本当は生ピアノが欲しかったのだが、アパート住まいでは、夢の夢であった。それが40年経って、我が家に実現して我ながら驚いている。それもアップライトではなく、グランドピアノが買えた。完全な防音室にも改築した。総額1千万円の出費で、三度の飯にも事欠くような貧乏?にはなったが(ダイエットのため)、心が豊かになり、ピアノを練習する時間的余裕もできた。著名なピアニスト河村義子先生から個人レッスンを受けるご縁も授かった。やはり夢は追い続けるものだ。

 

図4 ヤマハ コンボオルガン YC-45D (ヤマハHPより)

 

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2017年7月 6日 (木)

ピアノ騒音殺人事件 2/3

子供の音に対する感受性

 2013年12月、ヤマハ名古屋店の鍵盤売り場に顔を出し、販売課長さんと話していたら、小さい子が展示ピアノの試騨をはじめた。販売課長さんとの会話を妨害するような傍若無人の音程、音量(騒音)で弾き始めたので、なんと汚い弾き方かと相手を凝視してしまった。つられて横に立っている母親の顔を見たが、風体はセレブ風ではあるが、下品な雰囲気が感じられた。子供は立派に音階どおりのそれ相応に弾いているのだが、なにせ聞いていて汚く不快感が伝わってくる。子供は親の後姿を見て育つ、を思い出してしまった。

 ピアノ騒音殺人事件後、警察が騒音を測定するため、犯行のあった部屋でピアノを弾いて上階の部屋で聴こえる騒音レベルを測定したが、44デシベル程度あった。しかしそれは警察関係者が普通に弾いて形式的に測定しただけだ。条例では40~45デシベルは「睡眠が妨げられる、病気のとき寝ていられない」とされていた。しかし小学2年生の子が、親を意識して意図的に弾くピアノは、警察官が普通の感性で弾くのに比べれば、条例の音圧レベル以上に不快感を与える響きが凄かったと思われる。音にも品位と優しさもあれば下品な音もある。音に対して下品な感性しかないと、ピアノを弾いても、機械的な音しか出せず、優しさのある繊細な音は出ない。

 その原因は、親の影響を受けて育った子の、音に対する感性の劣化であった。被害者の家庭は、父親が日曜大工で大きな騒音を立てるのが日常茶飯事であった。音に対する感性が劣化していた。殺害された子供は、犯人が回覧板を持っていったときに無邪気に「おじちゃん、人間生きていれば音が出るのよ」と犯人にそう話しかけた。それは両親が、日頃言っていた言葉をそのままオウム返しに言ったにすぎない。そういう親から免罪符を貰った子供が立てるピアノの音は、聞くに堪えない。

 

脳の発達

 小さい子供は、親の直接の躾と後姿を見て育ち、脳の思考回路が形成される。毎日、音をガサツに立てる親からの「訓練」を毎日受けると、脳の回路がそのように形成される。一日20回そんな音を聞かされると、年7,300回、7年間で51,100回のガサツな音を聞くという思考回路が形成される。それで脳の思考回路の80%が完成する。その過程で、親の教育姿勢、音の感受性が子供の脳に定着される。良いことも悪いことも、脳には純粋な情報として吸収され、脳の成長に影響を与える。今回の事件も、親の資質と無意識に与えた躾と育成環境が、子供の脳の生育に大きな影響を与えた。

 小家族の中で育った子は、大家族の中の子と違い、回りの大人の音の出し方(出さない生活マナー)を学ぶ機会がなく、核家族として気ままに生きた親の後姿からの教育は、問題があった。核家族化のために作られた団地は、大家族主義を崩壊させるために米国占領軍が敷いた施策の一つとも言われる。日本の家制度の破壊の一手段として広まり、日本人の相手を慮る精神が荒廃していった。それこそが、戦争で日本人の精神の恐ろしさに震え上がった米国が考えた、二度と日本が立ち上がれないように仕組んだ復讐シナリオの一つであった。

日本人の音への感性の劣化

 殺害された女の子が言った「人間生きていれば音が出るのよ」とは、動物界の話である。だから動物とは違う人間は、特に日本人は長い期間を掛けて、紙と木でできた住居の中、音で人に迷惑を掛けない日本独特の文化を作り上げた。それが戦後の核家族化、テレビ文化、アメリカ化でその文化が壊れていった。日本再生を恐れた米国が、その文化を壊れるように占領政策で仕組んだといえる。

音は目で観ないといけない。音には人間の心のメッセージが込められている。例えば、姑が嫁に小言を言って、「わかりましたね」、「ハイ、お母様」といって嫁が引き下がるとき、襖をピシッと大きな音を立てて閉めれば、そこに嫁の心が表現されている。それを、音を目で観るという。それが観音菩薩信仰である。

 それに対して欧米では、言わなければ何も伝わらない。自己主張がなければ成り立たない文化である。相手の心を読むという繊細な文化は育たない。そこに欧米のテクニカルライティングの文化と、天声人語に代表される文芸と仕事をごちゃまぜにする文化との差である。それも先の太平洋戦争の遠因になっている。欧米は強欲・利己の文化で、日本は共生・利他の文化である。

 その大事な日本人の心が米国の陰謀で破壊されたので、ピアノ騒音殺人事件が起きた。世の中に起こることは、全て因果である。真因を探さず対処療法で済ませるから、益々混迷の世界に迷いこむ。防音処理は対処療法である。心を直さないと、事件は別の形で再発する。例えば、ピアノの練習時間を通知して、騒音の被害者の相手に了解をもらう配慮をしていれば、この殺人事件は起こらなかった。私の経験でも、このピアノ騒音はいつまで続くのかという不安があるから、怒りが爆発する。

 3DKのウサギ小屋に住む人間には、我が子が弾くピアノは、ステータスとしても自慢の象徴である。子供が鳴らす無神経なピアノ騒音の中に、その家庭の「自分達だけよければよい、他人は知ったことではない」という心情を観る。観音菩薩と不動明王がそれを見て、間違った方向にアメリカナイズされつつある日本人に、目を覚ます鉄槌を加えたのではないか。

 その真因を追及せず対処療法ですませたため、現在でも、無神経にたてる騒音で問題が起きている。スマホの迷惑行為、静かな場所での携帯電話の大声通話、iPod等の音漏れの無配慮、身につけた鈴のチリンチリンの甲高い騒音、静かな場所でキーボードを叩くカシャカシャ音等の無神経な騒音が、暴力事件を引き起こしている。ピアノ騒音殺人事件はまだ終わっていない。

 

図3 脳の発達と心の発達

 

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2017年7月 5日 (水)

ピアノ騒音殺人事件 1/3

 1974年8月28日朝、神奈川県平塚市でピアノの騒音を理由として、母子3人が殺害された。3日後、逮捕されたのは一家の上の階に住む無職の男(当時46歳)だった。階下から聞こえてくる子供のピアノの音に悩まされての犯行だった。事件の前から何度も相手先とやり合っていたが、被害者宅が犯人をおかしな人として、まともに相手にしなかったのが遠因となった。事件の数日前、被害者の室のドアに「子供が寝ていますので静かにしてください」という張り紙が貼ってあるのを犯人は見かけ、「なんと自分勝手な!」と改めて殺害を決意し、刃渡り20.5センチの刺身包丁を購入した。

 この事件以降、騒音などによる事件や訴訟が頻発しており、多くの専門家はこの事件を「日本人の騒音に対する考え方が劇的に変化した事件」としている。ピアノ製造・販売店にも大いなる危機意識を与え、音量の抑制可能なピアノや防音材などの研究が進み、防音設備やサイレント楽器が開発された。

 このピアノ事件により、騒音問題が浮き彫りにされた。この事件について多くの音楽関係者が沈黙する中、作曲家・團伊玖磨はエッセイの中で日本の住宅事情内にピアノを持ち込む行為を「根本的誤り」として、次のように断じている。

 「日本の小さな部屋でピアノを弾いている情景は、正直判りやすく言えば、バスの中で大相撲を、銭湯の浴場でプロ野球を興行しようとする程の無茶で無理なことなのである」(「アサヒグラフ 1974年10月25日号」)

 

私のピアノ騒音被害体験

 私も中高校生の時代(1965年ごろ)、会社の社宅の団地暮らしの中、隣のピアノ騒音に苦しめられたことがあるので、犯人の心境がよく分かる。住んでいた団地は、事件のあった団地の構造とほぼ同じである。昔の建築構造では、どうしても上下左右の部屋の音が聞こえる。会社の社宅のため、普通以上に気を使っての生活が強いられる。この事件と同じように上の階の住民が、娘のためピアノを入れた後、ピアノの練習音が聞こえてきて、私の受験勉強の妨げになったことがある。私の受験勉強姿を見守っている母が、怒って上の階に聞こえるように襖を大きな音を立てて閉めるのを繰り返したのを今も覚えている。社宅内の人間関係では、せいぜいやれるのはこの程度の抗議である。そんな構造のアパートにピアノを持ち込むのはどう考えても異常であると今でも思う。

 

音には暴力性があることの証明

この殺人事件のあと、似たような殺人事件が頼発する。

1976年5月2目 鳥取市 『ステレオの音を注意されて』

1976年7月21日 東京大田区 『印刷機の騒音』

1977年4月27日 大阪市 『子供の走り回る音を叱責されて』

1981年2月26日 東京目黒区『老人ホームで同室者のいびきの音を腹を立てて』

1981隼7月17日 兵庫県・龍野市 『オルガシの音がうるさかったから』

1981年9月12目 川崎市 『ステレオの音』

1982年9月8日 兵庫県・加西市 『カラオケの音』

1985隼7月5日 和歌山市 『バイタの騒音』

1997年11月10日 浜松市 『バイクの騒音」

 

 上の挙げた殺人事件は氷山の一角に過ぎず、80年代に入ると近隣とのトラブルでの暴行・傷害・器物破損は年間250件にも達している。いかに人は騒音を暴力とみなしているかの証である。この事件が音は暴力であることを教えた意義は大きい。今までは音の暴力に対して泣き寝入りであった。

 音楽は聴く人にとっては芸術でも、音楽に興味の無い人には騒音の暴力でしかない。いくら世界的な名ピアニストが弾いても、興味がなければ騒音の暴力である。犯人は美しい音楽も、興味ない人には騒音の拷問と感じることを日本社会に知らした役目を果たしたことになる。犯人は控訴もせず死刑を希望し最高裁でも死刑が確定したが、なぜか事件から40年以上経った2017年現在、死刑を執行されていない。死刑待機の最年長者でもある。それを考えると、犯人は仏様の使命を帯びた鬼の化身ではないかとも思ってしまう。

 厚さ12㎝の床を挟んで、下から聞こえてくる乱暴な子供のピアノ音は騒音の拷問である。本来、ピアノは30畳位の部屋で鳴らす前提で作られている。それを当時の防音を考慮されていない団地の3畳間に入れ、うちにもピアノが入ったと誇らしげに鳴らすこと事態、異常な状況にあった。子供もそんな親の顔色を伺って自慢げに弾いたのであろう。それが日本の高度成長期が軌道に乗って豊かになったという驕りが生んだ悲劇である。豊かになったと思い込んでいたのが当時に日本社会である。ピアノの騒音が直接響かない家庭は救いがあるが、そうでなく直接、ピアノ騒音が薄い壁を通して突き刺さる家には、悲劇である。貧しいとどうしても一点豪華主義となる。貧乏なため回りの備品や環境造りには金が行かない。いかなくても他人に迷惑を掛けなければ良いのであるが、ピアノは騒音暴力として猛威を振るう。豊かさとは一点豪華主義ではない。分相応の豊かさに満足して、全体バランスを考えて豊かさを一歩一歩実現していけば悲劇は生まれない。しかし、当時の高度成長時代は、国民全体が背伸びをしていた。そこから生まれた悲劇である。

 

図1 事件を報道する新聞(朝日新聞)

図2 当時、私が住んでいた社宅(事件の団地とほぼ同じ構造)

   取り壊される直前。新築当時は、人もうらやむピカピカの住宅でした。

   今は新興住宅地に変貌している。

2017-07-05 

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