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2017年7月 7日 (金)

ピアノ騒音殺人事件 3/9

ピアノからエレクトーンへ、40年経ってグランドピアノへ

 私は学生時代からジャズに興味がありLPレコード収集やジャズ喫茶めぐりをしていた。特にジャズピアノに魅入らせられて、自分でも弾きたいと思うようになり、手始めにエレクトーンを検討した。ところが会社に入社して2年目の1974年、神奈川県平塚市の県営団地で、ピアノ騒音殺人事件が起きた。子供2人を含む一家3人が刺殺された。このため騒音の点で、ヘッドフォンで聞けるエレクトーンの選択は必然となった。最初は普通の初心者用エレクトーン(25万円程)を購入し、その後に、コンボオルガンYC-45D(定価80万円を中古で30万円ほど)を手に入れた。

 しかしジャズの32音符が並ぶ楽譜を見て、とても凡人にはこなせるものでないことを悟りもし、ヤマハ・エレクトーン教室に3年も通ってもモノにもならず、教室でもレッスンの仲間にも付いていけなくなり、「身を引いた」。それよりも仕事が忙しくなり、レッスンどころではなくなったのが真因であった。今思うと、仕事に生きがいを感じて、仕事に没頭できたのは幸せであった。そうでない仲間も数多く見てきた。

 ヤマハ・エレクトーン教室に入って驚いたのは、10人くらいの教室で、男性は私一人であったこと。全く想定外で焦ったが、一度決めたことを覆すのは不本意であり、意を決して、そのまま教室に通った。色気に惑い?その気になってアタックをした女性もいないわけではないが、こういう状況ではうまくいかないのが常のようだ。

 当時、本当は生ピアノが欲しかったのだが、アパート住まいでは、夢の夢であった。それが40年経って、我が家に実現して我ながら驚いている。それもアップライトではなく、グランドピアノが買えた。完全な防音室にも改築した。総額1千万円の出費で、三度の飯にも事欠くような貧乏?にはなったが(ダイエットのため)、心が豊かになり、ピアノを練習する時間的余裕もできた。著名なピアニスト河村義子先生から個人レッスンを受けるご縁も授かった。やはり夢は追い続けるものだ。

 

図4 ヤマハ コンボオルガン YC-45D (ヤマハHPより)

 

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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