墓参りでご縁、三百回忌に備え命を保全する決意
北尾道仙の三百回忌
今日(9月5日)、夏の猛暑も落ち着いたので、お盆に出来なかった墓まいりに行ってきた。その時、住職さんに小田家最古のご先祖である北尾道仙の調査結果を報告した。
そこで住職さんと話し合って納得したことは、ご縁の不思議さ、健康の大事さである。生かされている命の大事さである。
三百回忌の連続
住職様は、今年は北尾道仙の290回忌で、特別の法事はないが、10年後の2034年は三百回忌になるので、盛大にお祝いをしようという。三百回忌はお祝いである。
またその7年後(今から17年後、2041年)には、道仙の父の北尾春圃の三百回忌になるので、それにも参列することも考えて欲しいを言われた。その時、安請負をしたが、よく考えると、その時、私は91歳。それで少し不安になった。
これは襟を正し、性根を据えて、健康に最大の留意をして、長生きせねばという気になった。そういう気にさせてもらったのも、今回のご先祖探しをしたご利益のようだ。
寿命の貯金
人として生まれれば、何時かは必ず死ぬ。その時、後悔しないように、あらかじめ体に悪いと分かっていることは避けたい。特に長生きしようとするならなおさらである。「食事は食欲で食べてはならない。食育として食べないといけない」は、吉野敏明医師の口癖である。体は食物から出来ている。納得である。
お金を無駄にしてはならないが、それ以上に命を大事にせねばならぬ。人生時間を無駄をしてはならない。それは体が持っている寿命貯金の減少率を少しでも小さくすることだ。命を全うすることは、お金を稼ぐ以上の金儲けなのだ。
天からの借金
体に悪いことするとは、天から借金をすること。一時的には良い思いをするが、どこかでその借金を返さねばならぬ。それは病気という形か、寿命の短縮という形で天から請求書が来る。だからその請求書の数を減らせばよい。
いつもはお寺の応接室で出されたお菓子を頂くのだが、今は砂糖絶ちをしているので、出されたお菓子を食べなかった。この15年間で初めてのこと。気付いた小さなことを積み重ねていくしかない。何時からやるの?今でしょう。今からでも遅くない。
この一環で、砂糖以外に小麦、植物油、乳製品を徹底的に食べないようにしている。
今回、住職様からご先祖の三百回忌という良き目標をいただいた。これも北尾道仙を探して三千里の旅をしたご縁である。
おまけの良いお話し
住職様と雑談のついでに、住職さんはお師匠さんから、「坊主は全員地獄行きだ」と宣告されている話を聞いた。つまり住職は、罪人と一緒に地獄に行き、そこで罪人と一緒に修行をして、罪滅ぼしをしから、その罪人を極楽に連れて行くお役目があるという。罪人でも禊ぎが住めば、極楽に行ける。その点で仏教は救いがある教えである。今日は墓参りに行って、良い話を聞いた。
一神教では、一度地獄に落ちれば、永遠に地獄である。キリスト教は厳密過ぎて日本人のおおらかさ、曖昧さには合わないようだ。だからザビエルが布教して400年経つが、いまだ1%ほどしかキリスト教徒はいない。共産党の支持率と同じなのは偶然ではないようだ。世界のキリスト教普及率から言えば、異常値である。それは日本の歴史を見れば必然の値である。
2024-09-05 久志能幾研究所通信 2932号 小田泰仙
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