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2020年3月26日 (木)

磨墨知33-1 タイマツを掲げよう(2)

 タイマツとは、志・夢・憲法・方針である。それが自分の行き先、組織の目指す先を示す。暗夜の中、タイマツが行き先を照らす。ニューヨークの入り江に建つ「自由の女神像」の掲げる燈火が、アメリカに移民してきた人々に勇気を与え、心を鼓舞させて、自由の国を造った。

河村義子先生の夢が、大垣の音楽芸術活動のタイマツとなった。大垣の未来を背負う子供たちに夢を与えた。 4k8a3399s  チェリストTIMMを招いてのコンサートに、120名の子供たちを「あしながチケット」で招待して、子供たちに一流の音楽に接しさせた。演奏会の前に挨拶をされ、子供たちのためにベーゼンドルファーのピアノをやさしく解説された河村義子先生。子供たちをこよなく愛した先生であった。(2017年9月29日 大垣音楽堂で)

今川順夫氏のシベリア抑留で生まれた負けじ魂の炎が、大垣の恒久平和の願いとなった。氏は子供達の為に多くの寄付をされた。Dsc04619s  地獄のシベリア抑留の講演会で、支給されていた一食分のパンの量を説明する今川順夫最高顧問。これで極寒の中の重労働に耐えて生還した。「この地獄を生きのびて日本に帰り、会社を創るのだ。こんなところで死んでたまるか」と、その負けじ魂で、シベリアから帰国後に会社を創立して、5000人の会社を作り上げた。(2014年8月14日 大垣興文地区センターにて)

安岡正篤師や渡部昇一師の著書や多くの偉人の書が、私の心に灯をともした。 

憲法の威力

 日本国憲法が戦後の日本の行動を決めてきた。日本憲法は、アメリカが二度と日本が立ち直れないようにした自己縛りの憲法である。70年前の敗戦の混乱のさなかに作られた憲法で、アメリカから押し付けられた憲法である。賞味期限が切れている。北朝鮮、韓国、中国からの侵略行為に対して、国を守るには無力の憲法である。ドイツでも戦後、数回の憲法改正を行っている。改憲しない方がおかしいのだ。

 大垣市民憲法が、大垣の行く末を決めてきた。大垣市民憲法も、小川敏が2009年に大垣市民憲法を改悪してから、大垣の没落が始った。必然の流れである。

 

行き先明示

 後に続く人が先頭を走る人が斃れても、先人が掲げたタイマツの方向が分かっていれば、後進がその方向に進路を向ければ、何時かは目的地に到達する。行き先が分かっていれば、部下は安心してリーダについていく。

 自分の行先の目的地をタイマツで明確にしよう。そうすれば寄り道をしなくても済む。寄り道が最大の時間ロスである。タイマツを掲げれば、周りからの援助もある。仏様からの援助もある。何処へ行くか分からない放浪人を、誰も援助はしない。

 己の人生の行き先は、天命、使命に示されている。

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 馬場恵峰書

 

2020-03-26 久志能幾研究所通信 1514 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨知42-1 夢で明日の仕事をする

 寝る前に、手帳で明日の予定を確認しよう。明日の予定を書きだそう。それで時間に対する意識が変わる。明日の朝も起きなければという緊迫感、楽しみが生まれて安眠できる。

 もしかして今夜は人生最後の夜かもしれないのだ。翌朝、幸いに目が覚めたら、仏様に感謝して朝からエンジン全開で人生を驀進できる。己は生かされているのだと感謝できる。

 

長生きの秘訣

 ノーベル生理学・医学賞を取ったリータ・レーヴィ=モンタルチーニ(イタリア)は、100歳になった時のインタビューで長生きの秘訣を聞かれて、「明日目が覚めたら、なにをするべきかが、私にはわかっているから」と答えたという。

 (『週刊新潮』2018.1.4・11号 「対談 養老武司vs.塩野七生」)

 

今生の極楽、来世の地獄

 「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」では困るのだ。それでは認知症への道をまっしぐらである。認知症になっては、己は極楽だが、家族が地獄なのだ。だから、来世では、その罪で地獄行きである。世話をした家族は極楽へ行ける。

 長い目で観て、人生の全てを加減乗除すればゼロである。いくら金を貯めても、あの世には持って行けいない。どんなに若さを謳歌しても、人背は生老病死である。若い時の苦労が、第二の人生で花が開く。若い時に人生を謳歌したエリートの末路は悲惨である。

 

2020-03-26 久志能幾研究所通信 1513 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年3月25日 (水)

磨墨知151-1 無意にブログを読み漁らない

結論が最初に書いていないブログを読まない。

付加価値がないブログを読まない。

自分の人生に影響しないブログを読まない。

それはTV番組でも本でも、行事や人との付き合いでも同じである。

題名に、話題(topic)と目的語(purpose)のないブログを読まない。

 

 「ブログはあくまでも個人日記。金の粒が落ちている可能性はありますが、金の鉱脈はありません。特にネット検索初心者にとってブログを熱心に読み漁るのはネットサーフィンにもつながる不毛な行為だと思います。」

  『内藤式「ザ・検索術」』の著者で心理学者の内藤誼人氏のコメント

  『プレジデント』2007.3.19号 p59

 

 人のブログを見ると、上記のコメントに納得させられる。そのブログの記事で何を言いたいのか、何を伝えたいのか、それが曖昧なブログが氾濫している。文書を読む以上、そこから得られる情報で自分の行動が変わらなければ、テレビを時間つぶしに眺めると同じで、時間の無駄である。時間は命なのだ。

 それはバラエティーショー番組で、見識のかけらもない芸人が、コメントを垂れ流す番組を見ると同じで、人生の無駄である。時間は有意に使わないと、人生が無意に過ぎてしまう。

 

無意から有意へ

 人は白紙で生まれてきたので、一番多く見たり、聞いたり、読んだりしたことしかできない。無意な情報に多く接せると、無意な行動しかとれなくなる。それは洗脳教育と同じである。それが認知症への階段を上ることになる。無意な情報を避け、有意な情報に接するべきなのだ。

 

情報の提供

 私はブログ記事を書く場合、読み手に何らかの付加価値を提供する意図で書いている。私は単なる日記としては書いていない。将来の行動にフィードバックできるように、事件の記録として書いている。

 私のブログでは、結論を最初に書き、ビジネス文書として構成している。それで何を伝えたいかを明確にしている。私が一番大事にしていることは、タイトルである。そこに文書の全てを表すタイトルにすることに注力する。次に大事なトピックセンテンス(核文)にも最大の注意を注ぐ。

 記事を読んでいただくことは、相手の時間を頂くことなのだ。自分の意見が正しいことを教えて頂いたのだと考える。人の時間を頂く以上は、倍返しで価値ある情報を提供することで、それに応えたいと思う。読んでよかったな、と思う記事を目指している。その情報で、少しでも読者の人生が変われば本望である。

 その情報で、読者の生きざま、行動、行く末に修正を加えて、皆さんの志、夢の実現に向けて、0.01歩でも前進すれば嬉しい。それで社会が良くなる。毎回のブログが私の遺稿なのだと決意して書いている。将来はこれを編集して出版予定です。

 

知りたることを教えざるは、金を借りて返さざるが如し(お釈迦様の教え)

Img_64031s  馬場恵峰書          時間は命なのだ。

 

2020-03-24 久志能幾研究所通信 1512 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年3月21日 (土)

天狗の薬剤使が、癌患者の命を奪う

 病院から指定された薬を買う場合、大病院近傍の薬局の中で、一番遠い場所にある薬局から買うのが良い。薬局が大病院に近いほど、その距離に反比例して「薬剤使」のお鼻が高くなる。だから薬が出てくるまでの待ち時間が、まともな薬局に比べて10倍もかかる。

 時間は命なのだ。失ったお金は稼げば取り戻せるが、失った時間は絶対に取り戻せない。

 

 2020年3月11日、愛知県がんセンターで診察を受け、薬を処方された。それで帰り道の最初にあった「日本薬剤 徳川山薬局」で薬を入手した。下記はそこで覚えた怒りの事件である。

 

待ち時間での怒り

 たった一つの薬をもらうのに25分間も待たされた。その薬局の待合ベンチには4人しかいなかった。それもご丁寧に順番で一人を飛ばされた。

 

問診表での怒り

 待合室で待っている間に、無駄な問診表を書かされた。その問診表で、薬剤師はどういう付加価値を出すのか。それで薬剤師は医師のように治療をするわけではない。治療をすれば医師法違反である。治療方法と薬は医師が決める。薬剤師は、医師の指示通りに薬を出せばよいだけだ。だから問診票の記載は、無駄な仕事である。

 この薬局は、世の中で付加価値を生まない無駄な仕事を患者に押し付けている。問診票には、住所氏名生年月日を書く欄があるが、それは健康保険証に書いてある。それをわざわざ書かされた。過去の病歴も書かされた。それは病院のカルテには記載済で、そんなことは、薬剤使が知るべきことではない。

 

問診表の入力時間の怒り

 私の薬が15分後に薬局の奥からトレーに載って出てきたが、その薬を載せたトレーを横に、若い薬剤使が私の目の前(距離1m)のパソコンに、私の問診表の内容をちんたらチンタラと入力していた。その薬剤使は、10分間もかかって入力を終り、おもむろに私を呼んで薬を出した。それで25分間もかかったのだ。本来なら、5分か10分ですむ仕事である。怒り心頭である。

 

癌患者は時間が命

 愛知県がんセンターの前の薬局に来る客は、全員が癌患者である。癌患者は余命宣告をされた人もいるはずだ。癌患者には時間は命なのだ。お鼻の高い薬剤使」はその命の時間を自分たちの金儲けと時間つぶしに使っている。「お鼻の高い薬剤使」は、癌患者の命など知ったことではないのだ。薬剤師には、ガン患者は金ヅルなのだ。

 

京都日赤病院での例

 知人が京都日赤病院に通い、薬を処方され、日赤病院の前の薬局で入手をした。病院の近くには10店舗ほど薬局が並んでいる。そのときは、病院から一番近い薬局に行ったが、30分も待たされたという。知人はそれに懲りて、次の時は病院から一番遠い薬局に行ったら、3分で薬が出てきたという。それも非常に丁寧に対応してくれたという。医師の処方箋での投薬なので、薬は同じである。

 

薬剤師の環境

 今、薬剤師は不足気味で引っ張りだこだという。新人の薬剤師でも給与で30万円を貰うという。だから今は、薬剤師のお鼻が高いのだ。

 私は今後、二度とこの徳川山薬局に行かず、先にある遠方の薬局で薬を入手する予定である。私は残された時間を最大限に使いたい。時間とは、死ぬまでに使える「金で買えない資源」なのだ。

 正しい薬剤師は、患者の味方だが、使命感を忘れた薬剤師は、錬金術使の魔法使いと同じで、「薬罪使」である。

 基本的に薬は毒である。薬は対処療法の手段である。私は薬を飲まなくてもよい状態になるように、体を管理している。

 

2020-03-21 久志能幾研究所通信 1509 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月27日 (木)

魔墨智◇◇ 時の積み重ね

 一瞬一瞬の積み重ねで一日になる。その一日は二度と巡ってこない。そのご縁も二度と回ってこない。ご縁も一つ一つの積み重ねで花が開き、その恩があって実を結ぶ。

 一生は平凡な毎日の積み重ねである。「積小偉大」こそ時間の大切さを含んでいる。派手な世間受けを狙った一発勝負では、人生も大垣の政治も変わらない。それでは過度に大きな加速度もお金も必用である。無為な一発勝負では、エネルギーの消費が多く、時間の無駄である。だから大垣は衰退した。他山の石とすべき事例である。

 原稿もなしに出まかせでスピーチをする政治家を私は軽蔑する。聴衆の時間(命)を食い物にしているのだ。小川敏のように。

 小さな一事、一事の積み重ねで大きなプロジェクトの成就となる。その一事に己の夢が籠る。一度に夢は叶わない。一歩一歩の前進である。千里の道も一歩から。神は細部に宿る。細部を疎かにすべからず。一瞬を疎かにすべからず。自分という人生プロジェクトを大事にしよう。だから私は時間を大切にする友を大事にしている。

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  馬場恵峰書

 

2020-02-28 久志能幾研究所通信 1493 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月26日 (水)

磨墨智116 清水の舞台から飛び降りない

 そんなことをしたら大怪我をする。それよりも、日々の小さな決断をきちんとして、やるべきことを地道に積み上げよう。そうすれば、小さな決断の積み上げで、仕事が障害なく進められる。どんなプロジェクトも小さな決断と小さな仕事量の積み重ねである。そうすれば清水寺の舞台から飛び降りるような無謀な行為は無用となる。

 

土俵のど真ん中で勝負

 どんなプロジェクトも仕事でも、土俵のど真ん中で、正々堂々と勝負をすべきである。やるべきことをさぼったため、土俵の俵際に追い詰められての決断では、リスクが大きくなる。起死回生の決断は、応急処置、対処療法である。その決断は、清水の舞台から飛び降りるが如き決断で華々しいが、失敗する確率は大きい。

 

決断にもニュートンの法則

 いつも正しく速やかに決断をして仕事が回っている状態なら、決断は常に正しく動く状態で継続される。ニュートンの第一法則である。

 日頃、やるべき決断をせず、決断が止まっている状態に陥るから(決断を先延ばし)、上司から崖から突き落とされる羽目になる。

 

物理の法則からの検証

 清水の舞台から飛び降りる決断は、無限大に近い仕事量となる。仕事量は[力]×[距離]で表される。力は[質量]×[加速度]で表される。つまり仕事量は[質量]×[加速度] ×[距離]である。

  W=Fx

  F=mα

 飛び降りた時の力は、加速度が無限大ほどに大きく、結果として、とんでもない仕事量となってしまう。つまり日頃さぼっていたことを思いついてやろうとすると、とんでもない労力が必要になる。だから清水寺の舞台から飛び降りても成果が出ない。

 日頃、地道にやるべきことをやっていれば、そんな事態にはならない。それを二宮尊徳は「積小偉大」と言った。一発勝負で、カッコいいことをやってもダメなのだ。

 

大垣市・小川敏の例

 政治家でも、一発勝負で世間受けのすることばかりする輩が多い。しかしその輩は、日頃の地道な積み上げの政治は軽視する。小川敏は、市長としてやるべき仕事をせず、市民の目を逸らすため、派手な大垣市制100周年記念行事、新市庁舎建設等で市民の目を逸らした。

 大垣市制100周年記念行事の3億5千万円の大出費は、節約第一主義のケチの小川敏にとって、窮地挽回の「清水の舞台から飛び降りる覚悟」であったはずである。大垣市制100周年記念行事経費は、90周年記念行事予算(1億1566万円)より3倍以上にも増えた。だから市長選6選を狙った行事と見てもよいだろう。小川敏は、部下が上申する予算で、前年度より増えることを極端に嫌がり、場合によってはその担当者を左遷するという噂もあるくらいだ。だからヒラメの職員は、予算を必要以上にケチり、大垣市の未来への予算を計上しない。

 ケチな小川敏として、県下一の市民負担額の新市庁舎建設も、「清水の舞台から飛び降りる」覚悟であったはずだ。しかしその結果は翌年も地価の下落である。やはり日頃の政治が大事なのだ。

 

小川敏の末路

 小川敏の19年間の無為無策、無能政治で、大垣は没落し、大垣の地価は51%暴落し、大垣駅前商店街は80%が息絶えた。過疎地との無為な合併で人口密度は半減した。大垣経済は、介護・福祉・医療産業だけが伸びて、総合的に、年率1%で衰退の一途である。交通インフラの整備が放置されたので、朝夕の交通は大渋滞である。台風がこれば、基幹道路が水没してマヒするのが頻繁である。児童生徒の一人当たりの教育費は、県下最低レベルまで削減された。それで大垣の未来が破壊された。

 

崖下に突き落とすのも愛

 決断とは迷いの時間を断ち切ること。やるべき決断をしないから、上司から崖下に突き落とされる。突き落とされるだけ、まだ救いがある。上司は温かいのだ、愛があるのだ。突き落とす上司は部下のことを思っている。

 しかし上司は部下を見限ると、相手にもしない。上司も部下を崖下に突き落とすのに大変なエネルギーがいる。上司は緻密な計算をして、心を鬼にして部下を崖下に突き落とす。

 私も会社で部下を持ったときは、助言を聞かない部下は、無視をした。そうでないと、別の成長すべき部下の育成時間が犠牲となり、組織がダメになり、上司の体がもたない。上司の時間も健康も有限である。そうしないと激務の中間管理職は命がいくつあっても足りない。愛の反対は、憎悪ではなく、「無視」なのだ。

 

求む、徳川家康

 大垣の再生には、徳川家康タイプの政治家が求められる。小川敏は明智光秀タイプの政治家のようだ。小川敏は、知識だけはあるが智慧がなく、世間わたりが下手で、一発勝負(本能寺の変)で窮地打破を目指す政治家のようだ。小川敏は、重荷を背負って遠き長い道を歩くことが出来ないのだ。

 大垣には、今から時間をかけて大垣を再生する大仕事が横たわっている。

S   馬場恵峰書

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2020-02-27 久志能幾研究所通信 1492 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月23日 (日)

磨墨智89 決断できない部下は崖から突き落とそう

自分は清水寺の舞台から飛び降りよう

 

 成長する部下はそっと背中を押すだけで、自然に一歩踏み出してくれる。3分間で決断できない部下は、3年間経っても決断できない。

 ニュートンの第一法則で、止まっている部下は、永遠に止まっている。だから跳ぶのを待つのは時間の無駄である。獅子が我が子を崖下に突き落とすように、心を鬼にして優柔不断な部下を崖から突き落とそう。きっと大きく成長してはい上がってくる。人の前に克服できない障害は現れない。

 優柔不断が人生時計の針の進み方を遅くする。「遅い」というのは罪悪である。人が躊躇うしている間も、宇宙の絶対時間は冷酷に刻まれて進む。何時かは人生の最期の日が訪れる。

 

清水寺の舞台

 優柔不断な自分を、清水寺の舞台から飛び降りるように追い込もう。追い込まれれば、自分は信じがたい力が出せる。「火事場の馬鹿カ」である。「産むが安し」である。

 やってしまった後になり、何であんな些細なことに躊躇したのかと、後悔することが、この50年間でしきりである。毎日が反省の日々である。行動して失敗する後悔よりも、しないで後悔した方が、悔いは大きい。跳べなかったのは、跳べるはずがないという、オダ仏教教祖からの自己暗示に罹っていたのである。その洗脳から目を覚まして、人生の宇宙に飛び出そう。洗脳から解放され、宇宙には束縛のない無重力空間が広がる。

 

洗脳教育

 オウム真理教麻原教祖の洗脳教育で、清水寺の舞台から飛び降りるよりも恐ろしい行為をした人たちがいた。信徒は地下鉄内でサリンを撒いた。人として超えてはならぬ一線を超えた人たちだ。それほどに、洗脳教育は怖しい。

 その洗脳教育を自分のために、良いことに使おう。「自分はできない」という洗脳教育から抜け出そう。悪いことのために飛び降りるのではなく、世のために清水寺の舞台から飛び降りるなら、神仏が助けてくれる。

 

重力の壁

 ある時、アインシュタインがエリザベス女王に、「この崖から飛び降りるとどうなるでしょうか」と尋ねたことがあった。女王は、飛び降りれば死んでしまうのが当たり前なのに、変な質問ねと思ったという。アインシュタインが聞きたかったのは「飛び降りて落下の途中で、重力の影響のない世界に漂ったら、どうなるでしょう」を聞きたかったという。天才アインシュタインにとって怪我とか死は眼中になかった。

 我々は「重力」という社会の常識、慣習、掟、束縛から動けないように制限をされて生きている。我々は、それの束縛がない無重力な世界を体験すべきなのだ。世間のしがらみかを断ち切るとは、清水の舞台から飛び降りることなのだ。だから部下には、部下を支配している潜在意識の束縛から開放するため、崖から突き落とすのだ。(それは上司には快感である? 体感済)

 危機に遭遇して、自分を庇ってしまうからドツボに嵌って、益々窮地に追い込まれる。そういう時こそ、勇気を出して一歩前進である。

 

ご注意

 しかし、崖から突き落としてはいけない人がいる。全ての人がリーダになれるわけではない。メンタル的に弱い人もいる。その見極めをしないと、自分の大事な時間が無駄になる。

 

2020-02-23  久志能幾研究所通信 1489 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月21日 (金)

磨墨智104 ニュートンの第一法則(慣性の法則)に従おう

 止まっているモノは永遠に止まっている。それは時間が止まっている状態である。動いているモノは永遠に動いている。それは生きている証である。一歩踏み出して、動きの慣性を付けよう。

         ニュートンの第一法則

 

50年後の姿

 じっとしていても、時間は無為に過ぎていく。時間という敵は優柔不断ではない。座して死を待つほど、愚かなことはない。いくら言っても、テコでも動かない人など、構っていられない。今やったことの結果が失敗でも、それは目的達成のための些細な一里塚、成功迄の一工程である。50年後に真の結果は出る。

 今、50年前を振り返ると、今の自分は50年前の行動があっての自分である。当時の学生時代の取り組みの汗が、今の己の姿なのだ。

 50年後の結果は冥途で見よう。今を全力で生きればよい。人生時間は有限である。人生の大事を急ごう。

 

生涯現役の師を選ぶ

 やって見て失敗すれば、その道は間違ってたことが分かったのだ。それ以外の道を行けば、成功にたどり着ける。だから死んだふりをして活動をしてない人とご縁を結んでも、時間の無駄である。どうせ何時かは死ぬのだ。だから生きている間に、全力で活きよう。

 人生の師を選ぶなら、生涯現役の師を選ぶべきだ。だから私は馬場恵峰先生を師として、人生の生き方を教えてもらっている。

Dsc09229s  馬場恵峰先生(93歳現役) 2020年2月13日 恵峰塾の講義で

 

挑戦し続けるエネルギーを

 エジソンも20,000回の失敗の道を動いて歩んで、20,000回目に、耐久性のある電球のフィラメントを発見した。エジソンが成功したのは、エジソンが天才であったためではない。エジソンに動き続ける好奇心溢れる慣性のエネルギーがあったからだ。

 彼は19,999回の失敗をしたのではない。一回一回、各項目の確認評価を19,9990回やったのだ。失敗したのではない。その方法で19999回、愚直に試験をしただけだ。全手順を「足」を使って確認したたのだ。「千里の道も一歩から」と同じである。

 

人生のエネルギー

 良いご縁を招くには、自分自身に強いエネルギーを持つことだ。

「人間の運命は人間の手中にある」哲学者サルトル

 成功のために自分で自分のダイナモ(発電機)を自家発電で回そう。だれも自分のダイナモは回してくれない。ダイナモを回せば回すほど、自分の慣性のエネルギーが高まる。自身の質量(家の財産、地位や名誉、名声、能力)が少なければ、走る速度を上げて補い、自分のエネルギーを高めよう。質量のない私は足りない分を補うため、走る速度を上げて生きてきた。マグロのような生き方だと思う。走るのを止めれば、倒れてしまう。

 

E=mV^2

  E:エネルギー(マンパワー)

  m:質量(人の能力)、 V:速度(動き回る速度)

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  馬場恵峰書

 

2020-02-21 久志能幾研究所通信 1487 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月20日 (木)

磨墨智103 レストランへは何を注文するか決めて入ろう

 料理を注文するまでの時間を短くしよう。私が外食する場合は、レストランで即決を旨としている。メニューは次回に頼む料理を選ぶために見る。料理が出てくるまでは、次回食べる料理を考えよう。

 たかが1,000円の料理で、その選択に3分間も迷うのは愚かである。時間レート100円/分として300円の人生時間ロスである。人生時間は有限なのだ。それが即断できないようでは、社長として1,000万円の稟議決裁はできない。

 

既知の予定

 その「人生レストラン」に行くことは、ずっと前に決まっている。決まっているのだから、事前に「何を食べるか、何をやるか」を決めておくべきだ。そのプロジェクトの終わりの日だって、定年退職の日だって、入社した時に決まっている。人生最期の日が来ることも、確定事項である。「人生一度限りのお食事時間」を大事にしよう。

 

人生レストラン

 此の世は人生レストランで、バイキングレストランである。何を食べようが、何をしようが、どれだか食べようが、全く食べまいが、どれだけやろうが、それはやりたい放題である。その「料理」は、自分の選択と決断だけで決まる。

 人生レストランのお代は、「お足」と「行動」で払う。自分の意思でその方面に足を向けないと、その「料理」は食べられない。足こそが己の意思を具現化する。人生レストランでは、行動して選択しないと何も食べさせてもらえない。

 

占い師にならない

 やりもしない前に、それは無理、それは不可能、それは不味そうだからと食べないのでは、トヨタ生産方式を作った大野耐一から「やりもしないうちから出来ないなんて、お前は何時から占い師になったのだ!」とカミナリを落とされる。一度しかない人生だから、何でも一度は食べてみることだ。試し食いなら無料である。気に食わなければ、やめればよい。

P10500021s

 馬場恵峰書 82歳

 

己の体は預かりもの

 人生レストランが、普通のバイキングレストランと違うのは、その食べ方如何で、「天主」から突然の強制退場を命じられることがある事だ。あさましい飽食、狂食、狂遊、狂楽、狂った労働では、冥途行き救急車を呼ばれてしまう。健康管理をお大事に。前職では、一緒に仕事をした仲間が、24名も天に召されてしまった。今にして、よくぞ生き延びられたと、神仏に感謝している。

 

時間制限

 どんなバイキングレストランでも時間制限がある。だからこそ、何を食べるかを事前に決めておかないと、時間切れとなる。美味しいお店の時間管理は厳格である。好きなことに熱中すると時間を忘れ、あっという間に時間が経つ。終わりのないお食事タイムはない。人はいつまでも、今の状態が続くと思っている。死は突然なのだ。世は無常である。

 何時までもあると思うな、親とカネ。

 親が死ぬのだから、己も何時かは死ぬのだ。人ごとではない。

 

第二の人生レストラン

 普通のサラリーマンでは、その第一の人生レストランの滞在時間が60歳までである。第二の人生レストランで何を食べるか、そのレストランに行く5年前までに決めておくと、人生のロスが少ない。60歳になる日は、就職した時から、決まっている。

 私は前職で、定年直前に定年延長を止めた。急遽の予定変更であったので、定年後のやることが決まっておらず、少しの時間ロスをした。それが、悔いであったが、よき骨休めの時間でもあった。やはり次のレストランの料理は事前に決めて、その準備をしておくとよい。

 

来世のレストラン

 来世でも何をやるか決めておいたほうが良い。来世に向かって、書道を本格的に始めようと思う。きっと生まれ変わった時、役立つだろう。

 馬場恵峰先生の書道活動を見ていると、前世で相当の書道の練習をしたとしか思えない。ご先祖の才能がDNAとして受け継がれたようだ。

P1040528s 馬場恵峰書 小学校1年生の時の書

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馬場恵峰書  小学校2年、3年の時の書

 

2020-02-19 久志能幾研究所通信 1485 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月16日 (日)

磨墨智624 お坊さんと仲良くなろう

 いつかはお世話になるお坊さんである。後に残る人のために、お坊さんと仲良くなっておこう。後に残る人の時間が助かる。

 葬儀の時、お坊さんは故人の生前の生き様を親族から聞き出して、その人に見合った戒名を授ける。しかしそれは応急処置である。本来は生前に戒名を授かるのが正規である。事前にお坊さんとお話がしてあれば、事前に個人の性格が分かり最適の戒名を授けてもらえる。時間節約にもなる。あの世で後悔をしない。

 

戒名とは

 戒名とは、導師が故人に弟子として授けるあの世での名前である。あの世で、戒名(戒めの名)を背負い、その名に恥じないように仏道を修行する。生まれた時の本名は、両親がこの子はこうあって欲しいと名付ける名前である。往々にその名前に恥じる現世を送る人が多い。

 戒名はあの世で、こうありたいと願って住職が名づける。今度こそ、名前に恥じない佛道を歩みたいもの。

 

私の戒名

 私は今回の癌の手術をして、覚悟を決めて終活準備の一環として戒名を授かった。導師より提案のあった戒名候補から選定した。その戒名を馬場恵峰先生に揮毫もしてもらった。お墓は2015年に建立スミで、墓誌も手配した。そして葬儀と50年間の法事の段取りもした。そのお金も払った。準備万端である(?)。我ながら、あきれている。

 本来、生前に戒名を授かるのが正規である。今回それを初めて知った。人生知らないことばかりである。まだ死んだ経験がないので(?)致し方なし。

 

人生最大のイベント

 死とは人生で、最大で最高のイベントである。それまでに何をこの世に遺せるか、人生の課題である。そのお祝いが死のセレモニーである。そのイベントを立派に成就するために精進をしたいと思う。

 癌死では(確率50%)、生前の食生活と生活習慣が「狂っていた」とみなされたのだ。人生道を暴走して、人生道の通行違反切符を切られたようなものだ。安心安全健康運転違反である。

 認知症(確率25%)で死ぬのでは、そのやってきたことが理解できなくなり、生きてきた甲斐がなくなる。それでは人生の作品の完成がままならぬ。仕事で気ばかり使って、頭を使わなかった校長先生や警察署長が認知症になりやすい。仕事一筋で、仕事以外の世界を知らず、定年後にやることがなくなると、認知症を発病しやすい

 老衰では(2%)、無為無策のようで未練が残る。

 不慮の死(1%)では、人生の危機管理ができていなかった証である。

 前向きに倒れるようにぽっくり死は(1%)である。それが理想だが、狭き門である。

 立派に死ぬためにも準備と努力が必要だ。その前提条件は健康管理である。

 

理想の死

 死の直前まで人生の作品の仕上げに命を捧げたいと思う。そうすれば納得できる死を迎えられる。あの世に悔いがなく逝ける。だから今を全力で時間を忘れて働きたいと思う。

  よく働いた一日が安らかな眠りを誘う様に

  よく働いた一生は安らかな死を迎える。

             レオナルド・ダ・ビンチ

 

エピソード

 その戒名を墓誌に刻むにあたり、馬場恵峰先生に私の戒名を揮毫してもらったが、行き違いがあり、墓誌に戒名を彫った後でミスが見つかった。相手が石なので修正がきかない。それで墓誌を再製作するという顛末になってしまった。それで100万円近くが消えてしまった。なにせ自分の戒名を彫るのは、初めての体験なので、ミスがあっても致し方なし(?)。

 墓誌、位牌の戒名の名には、意外と間違いが多いようだ。普通は誰も気が付かない。以前もご先祖の戒名の間違いに誰も気がつかなかった事例があった。

 今回の間違いは、仏様から「まだ浄土に来るには早い、死に急ぐな」と言われたと自分の都合の良いように解釈した。昨年、癌の手術後、医師からは余命2年と言われてから1年が経過した。だから後1年で死ぬ(?)予定が、急遽、死ぬことを諦めた(?)次第である。健康管理は己の責任だが、死は神仏の管轄範囲なので、私には管轄外である。だから自分の出来る健康管理に精進するしかない。

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  馬場恵峰書

 

2020-02-16 久志能幾研究所通信 1482 小田泰仙

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