ma_時間創出1001の磨墨智 Feed

2021年4月21日 (水)

寄付は自家経済の造金作用(磨墨知152-3)

確信師になろう、出来心ではダメ

 ユダヤ人は貧乏のときでも、収入の10%を必ず寄付する。ユダヤ教の教えである。寄付をするとは「私は富んでいます。皆さんに寄付をするだけの富があるのだ」と自身に言い聞かせることになる。それが確信師(確信犯?)の行動である。

 それにより稼ぐことを正当化し、稼いだお金で他者を助けるため、多く稼ぐことが大義名分となる。それ故、富んでいる人間のような行動を取り、富んだ人間になる確率が高くなる。

 この教義のためユダヤ人の富裕層の割合は高く、ロスチャイルドや投資家のジョージ・ソロス、映画監督のスティーブン・スピルバーグなど世界的な成功者が数多く存在する。

 私は寄付した分を、「生活VA」で生活の中の無駄な部分を見付け、改善してその金を捻出している。寄付分を賞償却すれば、後はその分が毎年、資金として残る。

 「生活VA」とは、日々使う項目を見直し、節約することで、1年間での節約金額を出し、それが10年間で積み立てる事である。

 

寄付は献血と同じ

 寄付とはある意味で、献血のようなものだ。献血すると体の血が少なくなり、体の造血作用が活発になり、健康増進に貢献する。私も過去は、健康のために献血を積極的にしていた。しかし高血圧になり降圧剤を服用するようになったので、献血が出来なくなった。

 寄付は身上から金が流れるので、その分を稼ごう、節約しようと、却って経済的には好循環の環境になる。出すから入ってくる。貯めこむばかりでは、限界がある。

 

教義に背く行為

 寄付をしないと「自分は貧乏だ、金が無い」と何回も自分の潜在意識に言い続ける。潜在意識に沁みこんだ考えは、日頃の行動に反映され、貧乏人の行動を取り続ける。その行動が、富裕層になれるご縁から日々離れていく。

 (だから是非、オダブツ教にご寄進を。少なくともそれで教祖は幸せになれる。寄付をした方が幸せになるかどうかは、本人の責任?)

 

豊かな心

 自分は豊かであると確信しよう。出来心で寄付するようではダメ。確信犯(?)として寄付をしよう。きっと豊かな心と時間を得ることができる。どうせあの世にはお金をもっていけない。自分で稼いだカネは自分で使おう。それが自己責任である。

 

稼ぐより使うのが難しい

 金を使うには智慧がいる。「金を稼ぎ、貯めるのは簡単だが、使うのが難しい」とは豊田英二トヨタ社長(当時)の言葉。トヨタは稼いだカネを研究開発と設備投資に回した。それで今のトヨタがある。

 下手に金を残すと子孫が堕落する。それより自分で使って、お足(金)を世間に回した方がよい。きっとお足が友達を連れて帰ってくる。

 今、世間が不景気なのは、金を持っている高齢者が金を使わないからだ。若者は不景気で給与が少なく、金を使えない。高齢者よ、金を使え。

 

 二人以上の世帯の内、高齢者世帯(世帯主が65歳以上の世帯)の1世帯当たりの純資産額は5816万円(平成16年11月末)である。(総務省統計局調べ)

 

2021-04-21  久志能幾研究所通信 1996 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年4月17日 (土)

時間貧乏病をぶっ飛ばせ(磨墨智152-4)

 

 時間は、全ての人間に平等に1日24時間を与えられている。時間貧乏人になるか、時間の富裕層であるかは、本人の意識と智慧の出し方如何である。

 「時間がない、忙しい、忙しい」と走り回っている時間貧乏人は、永遠に時間という富は手に入らない。それは、なぜ忙しいかを考えていない証拠である。

 そういう人は、急ぎではないが大事なことを疎かにして、大事ではないが、急ぎのことを最優先にしている。

 「忙しい、忙しい」と走り回っている人に限って、時間にルーズで、パチンコ店の駐車場にマイカーが長時間駐車してある。それを目撃した恵峰先生は呆れている。

 そういう人に限って「恵峰先生から書道を習いたい。今は忙しいから閑になったら来ます」という。そう言っているうちに、忌中という札が玄関に下がる。それを4,5年前に講義で言われた恵峰先生も、今年亡くなられた。歳月は人を待たず。時間は命なのだ。

 

時間の富裕層

 時間の富裕層は時間の有限性を知っている。その限られた一日のうちで、一定の時間を社会奉仕活動に費やすことは、限られた時間を有効に使う訓練になる。またその過程で、社会の実相を見させてもらえる。それが今後の自分の生き方を変える活きた経験となる。

 

 時間をかけた社会奉仕活動は、お金の寄付より価値がある。10年後、元本に利子をつけて仏様が返してくれる。この世は奪った分が手に入るのではなく、与えた分が倍返しで返ってくる(五右衛門風呂の定理)。グローバル競争社会とは対極の世界である。与えない人は、何も与えられない。それが孫の代に返ってくるときもある。可愛い孫が大喜びである。今の自分の幸せは、ご先祖様が積み立てた功徳の貯金の配当を得ているに過ぎない。

 「自分信用金庫」に功徳の貯金をしよう。貯金する過程で道が開ける。ペイオフもなければ、差し押さえも預金封鎖もない。格付けAAAAの超安全資産である。

 

「雑詩其一」  陶淵明 五十歳のころの詩

 人生無根蔕

 飄如陌上塵

 分散逐風轉

 此已非常身

 落地為兄弟

 何必骨肉親

 得歓當作楽

 斗酒聚比鄰

 盛年不重来(盛年重ねて来たらず)

 一日難再晨(一日再びあしたなりがたし)

 及時當勉励(時に及んでまさに勉励すべし)

 歳月不待人(歳月は人を待たず)

 

(意訳)

 人生には根もヘタ(蔕)もなく、舞い上がるチリ(塵)のようなもの。風に飛ばされて、もとの状態を保てない。地に舞い落ちた所に兄弟が生まれる。だから肉親だけにこだわる必要はない。嬉しい時には心ゆくまで楽しめべばよい。酒をたっぷり用意して近隣の皆を集めよう。若い時は二度とは来ない。一日のうちに二度の朝はない。勉強できる時に勉強しよう。歳月は人を待ってはくれない。

Dsc077391sjpg

馬場恵峰書Photo

2021-04-17   久志能幾研究所通信 1992 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年4月13日 (火)

人生経営での命(時間)儲け。金儲けは二の次。

 

会社経営

 会社経営で必要なことは、利益を上げるために売上高を多くすることではない。売り上げがいくら多くても、一部門が赤字の垂れ流しでは、赤字転落である。経営の最優先課題は、利益を阻害する要因(赤字要因)を無くすことだ。

 

赤字の垂れ流し

 前職の会社でも、欧州に作った現地法人が赤字を垂れ流し、日本で稼いだ利益の大半を帳消しにしていた。それが長年続いたが、当時の社長がその会社の閉鎖を決められなかった。エリートの社長が優柔不断であった。その会社は政府の関係があり、会社の解消に支障があったが、社長に決断力がなかった。

 エリートと言われた社長以下の経営陣は、赤字になると真っ先に人材育成費を削った。愚かな経営陣は、人件費をコストとしか見ていなかった。そうしている間に、累積赤字で会社の耐力を失い、それが後年に競合会社に吸収合併される悲劇を招いた。無能で優柔不断の経営者が、会社を潰した。

 

宮仕えの智慧

 私の同僚が上司とのそりが合わず、その海外の現地法人の営業に飛ばされた。そこで心身とも苦労したようで、帰国後、すぐ病没した。享年54歳。

  私が別用件で現地に出張して会った時、かなり疲れた表情をしていた。彼が技術者で営業には不向きが明白なのに、そこにその上司が彼を飛ばしたのは、推定殺人だと仲間内では噂をした。宮仕えとは残酷なものだ。上司に嫌われた場合の悲劇である。

 私はその上司には面従腹背を通して、嫌われないように保身をしたので、その災難を逃れられた。また両親がその上司に盆暮れの付け届けを欠かさなかった。それは宮仕えの智慧であった。だから命を守ってくれた両親に感謝である。命が一番大事なのだ。

 

自分有限会社の経営 

 人生経営で必要なことは、自分の人生経営を阻害している要因を除くことだ。金儲けよりも、阻害要因を排除することが最優先である。

 いくら金儲けの才能があっても健康でないと、人生は大赤字である。 

 安いからと激安飲食店を選んで、それが原因で病気になっては人生経営の命が赤字となる。安いものにはワケがある。

 安いからと遠くの店に足を運んでは、時間ロスで人生経営の命が赤字となる。

 食べ過ぎて病気になっては、人生経営の命が赤字となる。

 安く美味いからと「毒」入り食品を食べて、病気になっては人生経営の赤字となる。

 安いからと激安商品を選んで、それが原因で人格が下品になれば、人生が貧困になる。それで奴隷労働で作った製品ばかり買えば、日本の雇用がなくなり、日本経済が病気になってしまう。安いものにはワケがある。

 せめて小さな心掛けで日本経済の足を引っ張ることは止めよう。

 儲けのためにプラスすることばかり考えず、マイナス要因を排除することが最優先である。時間は命なのだ。

P10409731s  馬場恵峰書

 

2021-04-13 久志能幾研究所通信 1987  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年4月11日 (日)

キレよう (磨墨知132)

 

 正しい方向にキレるなら、物凄いエネルギーが発揮される。それで目標を短時間に達成できる。

 

 安易な妥協の人生を変えよう。ぬるま湯の人生を送る中で、たまには切れて、過度な反応をするのも良いものだ。きっと世界が変わる。自分の人生が変わる。そうすれば相手の人生も変わる。

 切れた民衆の怒りが社会を変えてきた。そうやって歴史は作られてきた。

 

 ただしキレて刃物を振り回してはいけません。私が切れると、テクニカルライティング手法を応用した切れる文書で、冷静に不届きものを切ります。論理的な推敲を重ねて文書を書いていくと、その過程で、その問題点が浮かび上がり、何が正しいかが見えてくる。

 

2021-04-11  久志能幾研究所通信 1984  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します

2021年4月 8日 (木)

10年後、この世にいないとしたら

 

10年後のために、今することは何か?

3年後のために、今することは何か?

1年後のために、今することは何か?

今日、することは何か?

死後の世界で出会う人のために、今することは何か?

この10年間で何を遺すのか?

 

5年後

 日本人の平均寿命は80歳である。今、70歳の人は10年後にはこの世にいない確率が高い。60歳の人でも20年後にはこの世にいない。20年などあっという間だ。75歳になれば、4人に一人は認知症である。つまり脳死である。そのことを考えないから、ドタバタの人生で終わる。死の間際になってあわてる。

 死に接して、慌てないように人生を送れば、死の時になっても、従容として死ねる。立派に死ねる。死ぬ時は、死ぬのが一番適切な行動だ。延命治療など不要である。

 

成年重ねて来たらず

一日再び晨(あした)なり難し

時に及んで当に勉励すべし

歳月は人を待たず

陶淵明(365~427年)『雑詩十二首』

 

 

時間の浪費   p 35

 その原因はどこにあるのか? 君たちはあたかも自分は永久に生きられるかのように今を生きていて、自分のいのちの脆さに思い致すことは決してない。いかに多くの時間がすでに過ぎ去ったかを意識しない。時間なぞ無尽蔵にあるもののように君たちは時間を浪費している。そうやって君たちがどこの誰かに、あるいは何らかの事に与えているその日が、実は君たちの最後の日であるかもしれないのに。死すべき者のように君たちは全てを怖れ、不死の者であるかのようにすべてを得ようとしているのだ。          

   セネカ「人生の短さについて」3-4(中野孝次訳)

Img_64031s  馬場恵峰書 2006年

2021-04-08   久志能幾研究所通信 1980 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

「断捨離」よりも「断アプリ・捨アプリ・離スマホ」を

 

 最近、集中力を妨げる悪魔として暴れているのが、スマホの通知音である。その音がうっとおしいので、今回多くのアプリを削除した。

 最近もドコモメール、マイマガジンのアプリで、通知音が「ピッ」と鳴った。内容を確認したら単なるアンケート付の宣伝であった。あまりにその頻度が多いのでそのアプリを削除しようとしたが、プロテクトがかかっていて削除できなかった。仕方がないので強制停止状態にした。

 仕事に集中しているのに、その集中が途切れると、元に戻すに10分はかかる。時間泥棒である。1分100円の時間コストとして、年間で73万円ほどの時間損害となっている。

  2回×10分×365日×100円=73万円

 だから最近は仕事場にスマホを持って行かないようにした。着信があれば後から確認して、連絡をすれば済む話である。スマホを持つと不便である。

 

2021-04-07   久志能幾研究所通信 1978 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年4月 3日 (土)

人喰い人種の饗宴 = 面会とは命(時間)を喰う饗宴

 

 吉田茂は長生きの秘訣を「人を喰うことだ」と答えたのは有名な話だ。人と面会するとは、その人の持ち時間(一生で使える時間=命)を自分のために消費させる饗宴だ。人食いの饗宴である。夢ゆめ、手ぶらで行くべからず。土産を持って行け。その人が消費した時間(命)が、その時間に見合う価値ある土産を与えよ。そうしないと、時間泥棒(殺時ン)になってしまう。

 

人との面会とは真剣勝負

 その人の面会は、今生の最初で最後の出会いと思え。お互い、明日は分からない。その対応が悪ければ、二度と会ってはもらえないかもしれない。相手だって生きるのに忙しいのだ。

 特に高齢の師ならなおさらのこと。私は良き時に多くの時間を馬場恵峰先生と真剣に共有できて、幸せだったと思う。そうでなければ悔いが残った。馬場恵峰先生に再度会いたくても、もうそれは叶わない。

 

土産

 土産とは、その人に価値ある情報であれ。土産とはお菓子ではない。スィーツは人の命を削る。糖分は病気の元である。

 くだらない話題で時間を無駄にしてはならない。話を雑にするから、雑談になる。その雑談が、後日、お互いの付加価値(金)にならなければ、無駄な会話である。

 

気配り

 最大の気配りとは、相手に対して全力で向き合うことだ。真の信頼関係はここでこそ生まれる。(田中角栄)

 相手と話している時に、携帯電話に応答するのは言語道断である。それだから人生で失敗する。その行動が己の人生の全てを象徴している。それこそが相手への最大の侮辱である。それは自分の人生を侮辱している。今、目の前の人物こそ人生最優先の人物なのだ。

 

話題提供

 相手が興味を抱かない話題を提供してはならない。自分の趣味が万人に受けるわけがない。その人にはお宝であっても、多くの人は釣りも石も株もユーチューブ等も興味がない。それに興味を示さない相手に見せつけるのは、宴会で嫌いな食品ばかり押し付けるようなもの。会社の接待宴会での幹事の心得と思え。ヤクザの襲名披露宴会ではないのだから、対等にお互いが成長できる話題を土産として持って行くべし。

 

2021-04-03   久志能幾研究所通信 1970 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年3月14日 (日)

忘れ物をしよう (磨墨知150)

 

 忘れ物は物事、考え事に没頭・集中した証である。それは仕事に没頭できたことの勲章である。将棋の世界でも、忘れ物をすれるくらい考えれば、一人前という話もある。時間の密度を上げるため、忘れ物をするくらい集中しよう。忘れもので損害が出ても、きっと仕事に没頭したことの成果でカバーできるはず。

 

対策

 せめて没頭・集中しても忘れ物をしない工夫(メモや呼称)をすればよい。忘れた場合の救済処置(物に名前を書く)を取る対策をとればよい。パートナーにバックアップをお願いすればよい。

 

忘却は人間の徳性

 還暦を迎えたら、若い時に比べれば短期記憶領域の老化が始って、すぐ忘れることを自覚しよう。要は物忘れが良くなる?のだ。人として忘れることは良いことだ。昔のことをいつまでも覚えていたら気が狂う。加齢すると覚えることが増えるもの。だから日記やメモや予定俵に記載すれば解決である。

 老いを嘆くのではなく、臨機応変にその対応をすればよい。笑ってごまかせる人徳を身に付けよう? 人格が向上すれば、その度忘れの愛嬌が、人間味になる。惚けと愛嬌は紙一重。

 しかし認知症になれば、自分を忘れる。考えず、頭を使って仕事をしてこなかったためだ。そうなれば人間ではなくなるので、ご用心。

 

2021-03-14   久志能幾研究所通信 1950 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年3月10日 (水)

仕事の疲れは仕事で取ろう (磨墨知147)

 

 全力で仕事をしていると楽しくなる。結果として密度の高い仕事になる。

 その仕事も質の違う仕事と組み合わせると、無駄なく時間が使える。肉体労働には休息が必要だが、頭脳労働の疲れは、別の頭脳労働をすることで取れる。頭脳では新しいことに興味を起こす物質が分泌される。

 遊びはやり過ぎると、嫌になってくる。なにか虚しい気持ちにもなる。それはやったことに対する成果がないからだ。それに対して仕事はやればやるほど面白くなってくる。その成果が見えるからだ。だから、趣味で将棋がいくら好きでも、3日も将棋ばかりやっていれば嫌になる。将棋が仕事のプロなら、話しは別である。

 

爆睡・永眠

 仕事に全力で取り組めば、夜は心地よい疲労感でバタンキューである。全力でやった仕事の疲れが、バタンキューの爆睡を誘う。それで仕事の疲れが取れる。いやいや仕事をやっていると、精神的な疲れが残り、夜に神経が高ぶり、寝られない。

 

 よく働いた一日は、安らかな眠りを誘う。

 よく働いた会社人生は、充実した林住期を恵まれる。

 

 「林住期」とは、「働きづめに働いてきた人間が、ようやく自分のやりたいことが出来るようになった時期」である。

 ちなみに人生を4つのステージに分けることを「四住期」という。これは古代インドの思想である。第一期は修行の「学生期」、第二期は家庭の主人になる「家住期」、第三期が「林住期」、第四期は一切の世間的な欲を捨て、世の中で困っている人の魂を救う「遊行期」である。この4つのステージを全て辿って死んでいく生き方こそ最も理想的だと紀元前のインド人は考えた。

 

 よく働いた一生は、安らかな永眠を賜わう。

 

 人間が長寿で死ぬのは、枯れ木が倒れるように自然である。死の恐怖も苦しみも少ない。ところが、若くして死ぬとは、生木を裂くようなもので、塗炭の苦しみを味わう。だからこそ健康に留意して長生きすべし。 

 馬場恵峰師は93歳と8ヶ月まで「生涯現役、一路挑戦、一生青春」を座右の銘として働かれた。最後は1か月程寝込まれたが、多くの弟子が見舞いに来て最後の別れをした。恵峰先生は家族に見守られて、2021年1月1日に静かに息を引き取られた。穏やかな最期であった。

 

生涯無休

 私の座右の銘は「生涯無休24H対応」である。名刺にもそう記載している。だから何時仕事の電話をかけてもらっても構わない。深夜で私が電話に出られないときも、秘書の留守電?が対応します。

039a12112s

  馬場恵峰書

 2021-03-10 久志能幾研究所通信 1944 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月28日 (日)

「G線上のアリア」は厠上よりも最高

 

 文章を考えるのに適した場所としての欧陽修は「三上」を揚げている。その中でも、私は電車のグリーン車の線路上が最高であると思う。

 欧陽修は、中国の政治家・学者である。彼が友人の謝希深に語り、『帰田録』に書いた言葉が「三上」で「三上」とは馬上・枕上・厠上(便所)のことである。この欧陽修は唐宋八大家の1人である。

 

馬場恵峰先生の49日

 2021年2月27日は、馬場恵峰先生の49日である。2月27日に九州からの帰り電車は、コロナ禍の影響で電車はがら空きである。諫早から博多までの在来線特急「かもめ」は、乗客が私一人で、貸し切り状態であった。往路もほぼ同じ状態であった。山陽新幹線でもほぼ同じ状態であった。

 昔は馬の上が揺られながら考えるのが最高の環境であったが、現代はグリーン車の線路の上(G線上)で、ガタガタと揺られながら、考えるのが最高の環境である。グリーン車の1両を貸し切りで、ゆったりとした席で思考を練り、文書を作るには最高の環境(アリア(aria)は、イタリア語で、音楽の節・旋律を意味し、ほかに「空気」や「態度」の意味もある)である。

 枕の上で考えではダメである。寝るときは真剣に寝ないと睡眠不足になる。良い考えも、目が覚めると思い出せないことが多い。また横になって考えることに、ロクなことはない。ゲーテもベッドの思考を禁止という。

 厠(便所)でも、現代は長時間のトイレは禁止である。トイレ時間が長いとは便秘であり、食生活が健康的ではない証しである。そもそも健康な動物は、排泄の行為は一瞬である。そうしないと排泄は無防備な状態で、敵に襲われる危険があるからだ。

 

動く書斎

 特急列車のグリーン車券は、わずかプラス1600円を払えば、グリーン車が1時間40分間、貸し切りになり、マスクもせず(乗客は一人だから)、車中で考え、本を読み、文書を作ることができるのだ。動く書斎を借りたと思えば安いものである。G線上のアリアの時間は値千金である。

 

 博多・諫早間の自由席特急券は 1,250円

        指定席券が   1,780円

        グリーン車券が 2,850円である。

 

 考えない人生は、野獣の人生だと思う。人間である限り、考えて人生を歩みたい。

 

P1140227s

2021‎年‎1‎月‎3‎日、‏‎8:57 山陽新幹線 のぞみグリーン車

馬場恵峰先生の葬儀に行く途中

P1140411s

2021‎年‎2‎月‎27‎日、‏‎16:37 特急「かもめ」 

P1140412s 特急「かもめ」 グリーン車

Img_64041s

2021-02-28 久志能幾研究所通信 1934 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。