i-修身 Feed

2020年1月 4日 (土)

タイヤに窒素を入れて「得・徳・疾く」

 私は15年ほど前から、自車のタイヤに窒素ガスを入れている。窒素はガスが漏れにくく、温度変化にも強いため、航空機のタイヤにも使われている。フォーミュラカーもタイヤには窒素を入れている。

 

窒素入りタイヤのメリット

 窒素は空気に比べてゴムの透過速度が三分の一とガスが漏れにくく、空気圧チェックが年に1回くらいですむ。時間節約となる。

 窒素入りタイヤは、燃費向上につながる。タイヤ圧の管理は一般の人は怠慢になり勝ちである。JAFの調査によると高速道路を走る車で、その内15%の車のタイヤ圧が不足していたという。タイヤ圧が不足すると燃費が悪くなる。それが窒素入りのタイヤだとその確率が減る。

 窒素は酸素に比べて、タイヤやホィールの金属部への腐食影響が少なくタイヤの寿命を延ばすことが出来る。

 窒素は音の伝達率が低く、タイヤからの走行音の伝達が減少して、乗り心地が良くなる。しかし僅かな差なので体感するのは難しい。

 費用もタイヤ4本で2千円ほどである。無料の空気に比べて、それがデメリットだろう。

 安全運転への貢献、燃費節約への貢献は0.1%かもしれないが、その積み重ねが人生を質実剛健にする。

 

不徳の露見

 2013年、岐阜トヨペット大垣北店が、車検時に窒素が入った私のタイヤに空気を入れるという失態を犯した。タイヤには窒素入りの目印があったが、岐阜トヨペット大垣北店の整備マンは、それの知識がなかったようだ。岐阜トヨペット大垣北店は窒素を入れる設備も持っていなかった。そのミスを指摘しても、岐阜トヨペット大垣北店は、その事態を理解できず、その謝罪もなかった。

 これでは苦情を言っても時間の無駄だと思い、早々に退散して、別のお店で「お金を払って」窒素を入れ直した。それ以降、岐阜トヨペット大垣北店とは縁を切った。「窒素入りタイヤ」という事象がディーラの技術レベル、信用レベル(徳)を教えてくれた。

 自分の命を預ける車の点検を任せるディーラは、技術力、仁義、徳、礼儀、智慧、信用力があるお店を選ぶべきである、が今回の学びであった。

 

日本人の徳の消滅

 しかしこれは特定のお店だけの問題なのか。自分のやった仕事にミスがあっても、客に反省も詫びもない。そんな日本人が増えたようだ。企業も拝金主義がまかり通る経営が最優先される。日本人全体が「仁義礼智信」を忘れた、人間としての基本素養を放棄しつつあるのではと危惧している。それは日本の政治、大垣の政治でも垣間見える。

 

 「ビジネスは壊れやすい花瓶に似ている。無傷であればこそ美しいが、一度割れると二度と元の形には戻らない。」

    Business is like a fragile vase - beautiful in one piece, but once broken, damn hard to put back together again to its original form.

     “Letters of a businessman to his son" by G.KINGSLEY WARD

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 馬場恵峰書

 

2020-01-04 久志能幾研究所通信 1444  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月28日 (土)

運命を変える一番大事な力

 組織で一番必要とされる力とは、リーダの「総合的人間力」である。組織とは、二人以上で要素から構成された集合体である。集合体である以上、それを統括するリーダが必用である。会社で言えば、社長であり、家庭であれば家の主である。自分の体という組織なら、己の頭(心)がその統括者である。そのリーダが組織の持つ資源を最大限生かして、成果を最大にする営みを「経営」という。

 リーダがその経営を間違えるから、組織が左前になり倒産する。自分の体の経営を放漫経営するから、病気になり、早死にする。

 

組織とは

 組織は人、モノ、カネ、情報、歴史からなる。国で言えば、人(国民)、モノ(国土、インフラ)、情報(文化資産)、歴史からなる。

 会社で言えば、人、商品力(モノ)、カネ(資本力、土地、インフラ)、情報(情報資産)、歴史(信用、伝統)からなる。

 

資源の分類

 その資源の内、「人」こそが未来を作る組織の競争力である。「モノ、カネ、情報、歴史」は過去に作られた組織の補助力(追い風)である。

 自分の未来を作るのは、親からもらった遺産でもなく環境でもない。自分等言う「人」が未来を作るのだ。その意識の有無が成果に差を生む。

 企業を発展させるのは(逆境に立ち向かう力)、モノでもカネでも歴史(伝統)でもなく、「人」という綜合的人間力である。過去の栄光は、企業の発展には、過去の遺物は追い風にはなっても、推進力にはならない。

 

経営者の質

 しかし中小企業、いわんや大企業でも、指導者の素養を持つ人材は極めて少ない。大企業での経営者が有名大学を出ているから、指導層の素養を持っているわけではない。指導層になるには、相応の素養が必用だ。それがないと、知識はあっても経営の智慧のない経営者となる。その悪例は、大垣を没落に導いた市長の小川敏の経営の無能さを見ればよい。

 大企業でも有名大学を出たが、経営に無知で、指導者の素養がない人が社長を務めると、会社がつぶれている。日産、三菱自動車、東電、JR西日本、電通、タカタ、松下電器、シャープ、パイオニア等と事例が、次から次に湧き出る程である。

 

自分の体の経営者

 自分が何の為に、此の世に生まれてきたかの意識がないから、もてる最大のお宝の命を粗末にするのだ。だから病気になる。それは己の体の経営者失格である。乱れた食の経営、乱れた生活の経営、利己欲の制御の失敗、それが病気を招く。

 

ネッツトヨタ南国の経営

 経営者・リーダが持つべき力が「人間力」である。ネッツトヨタ南国では、社員全員が経営者の意識で働いている。だからネッツトヨタ南国は、不況で同業他社が売り上げを減らしている時も、成長している。

 その人間力の源は、「心」の問題である。グローバル経済主義競争が激化して、その心の教育がないがしろにされ、利他の心が失われ、利己主義、拝金主義が蔓延した。その結果、日本の「失われた30年」が生まれた。私が危機感を抱き、前職で技術者教育講座に「修身」の講座を新設し、私がその講師役を務めたのも、この危機感からである。

 ネッツトヨタ南国では、社員教育でこの人間力を高める仕組みを構築して、社員に目覚めさせている。最大の要点は、「何の為に働くか」を意識させるのだ。それに気が付けば、人間力は自ら高めていく。

 

「全ての成功は、メンタルから始まります。」

   サーシャ・パイン(テニス選手・大坂なおみのコーチ)

 

人間力とは

  自然の理を理解して経営する力

  自分の資源を最大限生かす力

  回りの人の持つ資源を、最大限に生かせる力

  周りの人を気遣う力

  困難に立ち向かう力

  恥をかく力(自惚れが強いと恥をかかないため黙っている)

  自ら考え、自ら発信し、自ら行動し、反省する力

  知識ではなく、智慧を活用する力

  夢見る力(夢のない人は人間ではない)

  AIには出来ない道徳、倫理観、慈悲を持つ力

  何の為に働くかを理解する力

  生まれてきた意味を考え、自分の使命を果たす力

 

 これと真逆の経営をしているのが小川敏の大垣市政である。「狂った政治」を18年間も続けた。だから大垣市は衰退した。

 自分の体の経営も同じである。これに反した「狂った生活」を送れば病気になる。日本人の半分が癌になるのは、使命感を忘れ、拝金主義、利己主義の「狂った生活」をしているため。つまり日本人に人間力が低下しているためである。

 心を整えれば、己の体は自分自身のモノではなく、世のために尽くすためにあることに気が付く。己が生まれた理由とその使命に気が付くはずだ。そうすれば、仏様のご加護で病気にならない。世のために何かを残そうという気になる。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)よ

 

以上は横田塾(2019年11月7日、11月10日、プレジデント社主催)でのネッツトヨタ南国の横田英毅相談役の講義、馬場恵峰先生の「言志四録」講義(2019年1月~12月)、南雲吉則先生の講義をヒントに作成しました。 

 

2019-12-27 久志能幾研究所通信 1436  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月21日 (土)

自分は仕事以外に何が出来るのか?

 会社を定年になり、会社を離れて自分は仕事以外に何が出来るのかを、自身に問うべきである。だから第二の人生で何が出来るのかを、会社に勤めている間に道を探すべきなのだ。会社に勤めている間に、その道を歩く準備に一日の時間の1割を割いて学ぶべきだ。そうしないと、定年後、やることがなく認知症になり、早く死ぬ。

 仕事は生活の糧である。それを卒業した後が、本当の人生なのだ。家のローンも終わり、子育ても終り、これからが人生の収穫期である。それなのに、やることがないなんて、惨めすぎる。それは社畜の人生だ。

 第二の人生でやることが、魂の糧となる。己は会社生活38年間で、何をするために生まれてきたかを、悟るべきだ。

 

利己主義の弊害

 下手でもいい、何かを取り組むべき。最初は下手で当たり前。字書き恥かきというように、恥をかかないから、何事もうまくいかない。

 身の回りで問題があっても「言わぬが花」と黙っている人は、保身主義者である。自分が可愛いのだ。自分が傷つきたくないのだ。それは今まで世間様から育ててもらった御恩を忘れた畜生の行為である。

 「学びしことを人に教えざるは、借金をして返さざるが如し」と福沢諭吉翁は説いた。今まで多くのことを人から学んできた。そのお陰で智慧ある年長者に成長したのだから、それを人に教えないと、知識泥棒になってしまう。教えないから、認知症になる「俺には関係ない」と利己主義を出すから、認知症になる。日本では、65歳以上の15%は認知症である。グローバル経済主義の氾濫で利己主義者が増えたのも原因の一つである。

 

人に教える

 情報とは情けの知らせである。それを自分の頭の中で、その流れを止めるから、頭の中で腐ってくる。溜めずに、人に話してその考えを流すから新しい発想や別の情報が入り、生まれてくる。

 それはお金も同じである。お金は財産ではない。経験を得るための回数券なのだ。それを溜めるから、有効期限切れになって腐る。若い時に使うべき経験のチャンスは、年老いてからでは有効期限切れで使えない。私も若いときにやっておくべきことが出来ず、後悔してことが多々ある。お金を世間に流せば、利子をつけて帰ってくる。その利子とは経験から生まれる智慧である。

 馬場恵峰先生は、自費で240回以上も中国に旅された。その経費は約7千万円で、お金は消えたが、それから得た智慧は頭の中に残っている。得たご縁は限りない。明日(12月13日)から、馬場恵峰先生は最後の中国旅行をされるが、それは人生最後のお別れの挨拶回りという。体力的に今回が最後の旅行になるという。何ごとも永遠に続くわけではない。

 

宗教の教え

 会社生活でしみ込んだ自己中心主義を止めないと、定年後の第二の人生は寂しいものになる。仏教もキリスト教も「自己中心主義を止めなさい」が基本の教えである。欧米の企業が害毒を振りまいたグローバル経済主義、拝金主義、利己主義が日本人の心を破壊している。宗教はそれとは反対の教えである。

 己の第二の人生で、人を祈る気持ちがないと、神仏の加護はない。今の成果主義、利己主義の権現のままでは、社会に受け入れてもらえない。

 

学び

 何のために学ぶかというと、己の感性を高めるためである。感性とは教養の事。それは学習しないと身に付かない。そのために「温故知新」、「温故創新」が必用だ。生涯かけて知識を学び知恵を磨くのだ。

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 以上は2019年12月12日、「生き活き教養塾」で馬場恵峰先生が講義した内容を元に記述しました。

 

2019-12-21 久志能幾研究所通信 1430  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月20日 (金)

価値創造力を計算する式

 2019年12月19日、友人と知立のホテルで食事を共にした。バイキング形式の昼食である。病み上がりであるので、食べる量を自省したつもりであったが、久しぶりに友人とお互いの病気の話に会話が弾み、つい食べ過ぎたようで、あとから少し嘔吐してしまった。それで疲労困憊になり帰宅後、すぐ寝てしまいブログのアップが出来なかった。恐縮です。まだまだ体調が完全に回復していないことを思い知らされた。健康の大事さを再度痛感した。健康でなければ、ブログ一つ書けない。

 

価値創造力

 そこで思いついたのが、自分の人間としての価値創造力を算出する方法である。成果を算出する式は、京セラの稲盛和夫氏や日本電産の永守重信氏の唱える式があり、企業創造力を算出する式も多数存在するので、それを参考に自分が付加価値を生みだす力を算出する方法を考えた。

 その実力を削いでいるのが、食欲であることを今回の食事会で痛感した。それで、この式に「利己欲」の項を追加した。自分の体を利他のために使おうと思うなら、ドカ食いはしないもの。自分の体は夢を実現するするための大事な資源だのだ。それを傷つけてはいけない。

 

【価値創造力】=[志]×[熱意]×[能力]×[道具]×[徳力]×[神仏加護力]×([利他力]÷[利己欲])+[知識]

 

 能力とは体力、決断力、知力、智慧の力である。能力がいくらあっても健康でなければ、実力を発揮できない。死んでもいいから健康管理である。志があれば仏様が守ってくれる。

 利己欲が強いと、能力があっても、例えば食欲や物欲があり過ぎると食べ過ぎて病気になる。その欲望が制御できず、却って能力が削がれてしまう。自分を自制できない人間に神仏もご加護を与えないだろう。いくら能力があっても神仏の加護がないと、その成果には限度がある。

 それと反対に利他欲が大きいと神仏のご加護がある。世のため人のためとの利他欲は大きほど、大きな仕事が出来る。大きく望まないから、小さな成果で終わる。

 知識は単に足し算だが、志、熱意、能力、道具、徳力、神仏加護力は掛け算である。それより智慧が大事である。人は智慧を持ち賢くありたい。知識を持っていても愚かで賢くない人が多い。

 私は文殊菩薩と普賢菩薩に毎日、手を合わせている。

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 松本明慶大仏師作 文殊菩薩と普賢菩薩

 

2019-12-20 久志能幾研究所通信 1429  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月28日 (木)

狂った世相、その真因と対策

 狂った食事が癌を誘発するように、狂った精神教育が、狂った人間を生み、それが狂った世相を生み出す。1960年頃、私が小学生の頃、下記の事件や世相はなかった。これは日本の戦後の精神教育が狂っているためだと私は思う。

 

真因

 全ての事象は、拝金主義、利己主義、グローバル経済主義が蔓延したためではないか。ホリエモンのように、全ては金で換算できるという人間が世に蔓延してきたためではないか。かれは株式分割という違法手法で金を儲け、それで失敗した投資家が自殺までしている。ホリエモンはそれに罪悪感を覚えていない。

 昔の精神教育が充実した日本を破壊する教育が戦後、蔓延した。太平洋戦争で、特攻、玉砕、徹底抗戦等で日本の恐ろしさを痛感した米国による日本精神破壊工作だと私は思う。アメリカも昔は豊かであったが、現代は精神が荒廃して自己中毒症に罹り、1%の富裕層が、99%の富を独占する格差社会に落ちぶれてしまった。その波が日本に押し寄せている。

 欧米の価値観に侵されて、日本人の持つ精神構造が、動物の脳に支配され争いしか起こさなくなった。「爬虫類の脳」が「足る知る」を忘れ、欲望のまま暴走し始めたのだ。DNAに刻まれた日本人の尊い精神構造を取り戻さないと、日本人は滅びる。

 

対策

 その対策で、日本には「修身」教育の復活が必要だと思う。見えない敵からの精神破壊工作を防ぐのが目覚めた人間の義務である。その抵抗をしないと日本は滅びる。私はその警鐘をこのブログで鳴らしている。その身近な危機が、小川敏の大垣市政である。このままでは大垣は滅びる。

 

狂った世相

 死刑になりたいから誰でもいいと無差別殺人事件が氾濫。

 親による子殺し

 子による親殺し

 若者による友人の残虐殺人

 2人に一人の癌患者(昔は癌は珍しかった)

 60歳以上は2割の認知症患者(昔は認知症は聞かなかった)

 1%の富裕層が、99%の富を独占。格差社会の実現

 ゲームに没頭する若者

 ゲーム作成者になることが、将来の若者の夢?

 引きこもり中年の増加

 パワハラの増加

 鬱病の増加

 スマホにかじりつく若者

 高学歴である高級官僚の汚職

 狂った野党、それを指示する狂ったサヨク国民

 狂ったマスコミ

 狂った食物をCMで垂れ流すテレビ

 食べ物を粗末にする番組の氾濫

 大食い大会を推奨するテレビ番組

 電車の中で本を読む人が激減。スマホばかり。

 隣国が狂って日本の安全保障が危機に瀕しているのに、それを報道せず、それから目を逸らすように愚劣な事件を大きく報道する日本のマスコミ。

 増税すれば、景気が悪くなるのが自明なのに増税に血道を上げる財務省。その理由は天下り先の確保である。そんなレベルの人間が高級官僚になり、堕ちてしまった。

 円安を喜ぶ経済官僚がのさばるようになった。円安とは日本が貧乏になること。経済が分からない人間が、経済を支配している。

 移民を入れれば、欧州のように将来、混乱が起きるのが必然なのに、保身のため移民を推し進める高級官僚。

 日本は世界屈指のやる気後進国に落ちぶれた。日本には熱意ある人が6%%しかいない。それは米国の5分の一以下。やる気のない社員は70%の割合で跋扈する。

 真面目に働くのが悪であるかのような教育体制、社会体制。

 休め、休めの大合唱。

 上司の叱咤激励をパワハラとして訴える社員の氾濫。

 働く目的を、「楽しい生活」に求める若者。

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊より

 2019-11-28 久志能幾研究所通信 No.1410  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月22日 (日)

大垣の地価下落は、大垣市長の無能経営が原因

市長の使命

 リーダ(社長、市長)の使命は、任された組織(企業、都市)の価値を上げること。組織(都市)の価値は下記で評価される。その評価値が減れば、付加価値も下がる。その評価は、企業では株価であり、都市では基準地価である。それは万人が評価する神のような評価である。いわば商売の神様からの通信簿である。己と言う人間も、その組織の経営のやり方で、世間から評価される。

 

組織の価値

 各都市の19年基準地価が発表された(2019年9月20日)。中部圏の主要な都市の中で、大垣市だけが地価下落である。他の主要都市はリニア景気で全て上昇である。大垣市長・小川敏氏の経営能力がない為である。それが、神の声として公開された。要は50年前のテストの成績(記憶力)が良かっただけで、経営能力のない人が大垣市の市長で君臨したため、大垣市が没落した。この50年で経済の価値観が変貌したのだから、現代に必要とされるトップの能力項目も変わった。

小川敏氏は市長として経営能力なし

 小川敏氏は時代に取り残された旧態依然たる化石のような人物である。その人物が市長の座に18年も居座るから、大垣市民が巻き添えで被害を受けた。地価が半分に暴落した。大垣市経済が没落した。子供たちへの教育投資が県下最低レベルとなった。それに対して小川敏市長は、都市の経営能力がなく、なす術がない。なにせ18年間も、連続で地価が下がり続けているが、間違った手を打ち続け、その悪手の反省もせず、それを恥じず、諫言を退け、市長の座に居座っている。

 

基準地価2年連続上昇、中部圏で上昇、下落の2局化

 岐阜市や多治見市、中津川市など利便性が良い都市の地価が上昇した。それに対して、大垣市だけは、18年間、連続で下落である。大垣市長の都市経営の無能さが数値に現れている。

 名古屋圏では、商業地が3.8%、名古屋市は7.5%、知立市は3.8%、刈谷市は3.4%、高山市は4.5%、の上昇である。大垣市だけが下落である。

大垣市の地価推移(2019年、2018年)

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上図は今年と昨年の基準地価。単位:一㎡当たり千円、2019年9月20日、日本経済新聞より

自分の価値

 人間を人間たらしめる要素として、本質的要素と付属的要素がある。本質的要素とは、徳性である。徳性とは、明るさ、清さ、人を愛す、人に尽くす、恩に報いる、誠実、正直、勤勉である。付属的要素とは、徳性の発露を助ける要素で、知識、知能、技能である。(安岡正篤著『人物を修める』より)

 付随的価値である知識力が高いだけで、若い時に自惚れて人生を歩むと、その後の人間的な成長が出来ない。いくら記憶力が良くても、高学歴でも、それは経営能力とは別の能力である。

 人は学び続けなければ、人間でなくなってしまう。学び続けないと、人間は、本質的な動物のレベルに堕ちてしまう。安岡正篤師の言葉である。人前でギネス水饅頭の共食いを自慢する人間に落ちぶれる。それは爬虫類の脳に支配された動物の行為である。だから全国で笑いものになる。

 大垣市長の小川敏氏は、付随的な要素の記憶力は良くても、人間として本質的な要素が劣ると言えるのではないか。人間的な学びをしていないのではないか。小川敏市長は18年間も市長に居座って、大垣市を没落させた。それを認識もせず、責任も感じず、18年間も無様な姿をさらしたのだから、残りの任期2年間で挽回など夢の夢。

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   「修身」のテキストより

 

企業価値の評価項目

 収益性

 安定性 

 将来性

 給与 

 働きやすさ

 

都市の価値の評価項目

 観光の魅力度

 工業の生産額(生産地としての魅力)

 商業の売上高(商売の魅力)

 住居の魅力(利便性)

 子育ての魅力

 小学中学校の教育体制

 日本遺産の魅力

 スポーツの魅力

 芸術の魅力

 グルメの魅力

  大垣市は全ての項目で落第となった。小川敏市政以前は良かった。

 

自分と言う「人間組織」の評価項目

 本質的要素 心の徳性

 付随的要素 知識、知能

 体の健康要素

  五臓六腑の支配者が己

  五臓六腑を作る37兆個の細胞の支配者が己

 心の健康要素

 

大垣市の地価推移(2001年以降)

 2001年の地価を100として2018年の地価は

  (公示地価、基準地価の総平均)2001年より小川敏氏が市長就任

 大垣市  49.5

 岐阜市  64.4

 一宮市  75.0

 名古屋市 145.1

 大府市  90.2

 刈谷市  107.2

 安城市  99.0

 岡崎市  94.3

 

        大垣市地価平均    前年比  変動率

2001年[平成13年]   12万4222円/m2  -7.98%  下落

2002年[平成14年]   10万8425円/m2  -10.10%  下落

2003年[平成15年]   9万6470円/m2   -9.65%  下落

2004年[平成16年]   8万3482円/m2   -8.56%  下落

2005年[平成17年]   7万3836円/m2    -7.04%  下落

2006年[平成18年]   7万2277円/m2    -4.20%  下落 

2007年[平成19年]   6万8535円/m2   -1.85%  下落

2008年[平成20年]   6万9942円/m2   -0.16%  下落

2009年[平成21年]   7万1687円/m2   -1.40%  下落

2010年[平成22年]   6万7237円/m2   -2.82%  下落

2011年[平成23年]   6万5702円/m2    -2.36%  下落

2012年[平成24年]   6万3941円/m2    -2.41%  下落

2013年[平成25年]   6万3216円/m2    -2.13%  下落

2014年[平成26年]   6万1898円/m2    -1.31%  下落

2015年[平成27年]   6万1495円/m2   -0.78%  下落

2016年[平成28年]   6万0585円/m2    -0.57%  下落

2017年[平成29年]   6万0692円/m2    -0.50%  下落

2018年[平成30年]   6万1540円/m2    -0.39%  下落

2019年[令和元年]    6万2036円/m2     -0.47% 下落

 大垣市の公示地価・基準地価マップ・坪単価 - 土地代データより 

 ※変動率は、各地点の変動率の平均となります。(平均地価の変動率ではありません)

  https://tochidai.info/gifu/ogaki/  

 

 

大垣市の経済の没落

 小川敏市長が、自己満足の無能な作業を18年間も続けるので、

 大垣市の平均地価が50.2%減った。

 大垣市の人口密度が58.3%減った。

 小売商店数は35.7%も減った。

 (2018年には46.7%も減ったと推定(回帰分析))

 小売商店従業員は30.4%が消えた。

 (2018年には39.8%が消えたと推定(回帰分析))

 教育・学習支援の従業員の58.8%が消えた。(8年間で)

 小売業商品販売額が16.6%減った。

 (2018年には21.7%も減ったと推定(回帰分析))

  (以上は2001年~2014年 大垣商工会議所のデータ)

20190821

各市の教育費比較

 大垣市の教育は県下最低レベル

          一人当り予算   児童生徒数 

         千円  大垣100で   人

 多治見市    735    158    8,862  

 岐阜市     529    114    32,074  

 可児市     517    111    8,352   

 大垣市     465    100    14,400  

 各務ヶ原市   445     96    12,525   

 刈谷市(愛知県)918    197    11,120  

 

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 大垣市の救世主よ、出でて大垣を救いたまえ。

 

2019-09-22   久志能幾研究所通信No.1345 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月12日 (木)

人間性分析 2/2  小川敏市長の分析

人間の徳性

 人間を人間たらしめる要素として、本質的要素付属的要素がある。

 本質的要素とは、徳性である。徳性とは、明るさ、清さ、人を愛す、人に尽くす、恩に報いる、誠実、正直、勤勉である。付属的要素とは、徳性の発露を助ける要素で、知識、知能、技能である。(安岡正篤著『人物を修める』より

 

生きる目的

 人は、人間として何のために生きるのか。自分として(組織)、吾として(神仏)、私として(利己)、どのスタンスで生きるかで、その生きざまが変わる。それが己の価値観である。組織の一員として生きるなら、組織の為に価値あるものを組織に提供する人生となる。神仏に帰依するなら人類に対する働きとなる。利己に生きるなら畜生の人生となる。

 

大村智博士の人生

 大村智博士は、ノーベル賞を取ろうとして研究をしたわけではない。世のために儲かるはずのない微生物を研究者として45年間研究したら、100種以上のワクチンを発見でき、結果として人類に貢献できるワクチンが発見できただけである。世界中で年間3億人以上の人々が感染しながら、それまで治療薬のなかった疥癬症に対するワクチンを開発して、年間数百万人を失明の危機から救っている。それが評価されてノーベル賞を受賞された。

 

田中角栄の人生

 田中角栄は、学歴があったわけではない。学歴がなく苦労したから、人の機微を熟知して、組織のリーダーとして人の心を掴んだ。組織の中で生きる術を駆使して首相に上り詰めた。田中角栄元首相は「人は努力をすれば、必ず成功する。成功しても、それをひがむ人間がいることに注意せよ」と諭している。苦労した人しか言えない言葉である「成功しても、決して僻む側の人間になってはならない」とも言う。「自分」の人生に生きた人の言葉である。

 

菅直人の人生

 菅直人首相(当時)は、福島原発事故の際、原発の知識は東工大卒として、俺が一番だと思い、福島原発事故の現場に乗り込んで、「イラカン」の一番悪い状況を発揮して、指揮系統を大混乱させて、福島原発事故を大混乱の危機に陥らせた。その傲慢さが、彼に史上最低の首相との烙印を押した。「私」として、自己満足を優先としたから、無様な結果となった。

 

小川敏氏の人生

 小川敏市長の今までの行動を観察するに、「私」が前面に出た行動が目につく。彼は付属的要素の知識の面だけは秀でているが、徳性が秀でているとはとても思えない。そうでない事例だけは、数多く目にした。智慧がある行動がない。

 常盤神社での居眠り不敬、濃飛護国神社前でのギネス水饅頭の共食い行事で英霊への無礼、食べ物を粗末にしたギネス水饅頭の共食いの行事を含めて、彼はハチャメチャの大垣市制100周年記念行事で、無意味な100の数に拘り3億5千万円の市民税を浪費して、殿のご乱行として強引に100の行事を実施した。自己防衛目的で、その公金の使用用途をマル秘扱いにできる条令の制定等もした。

 岐阜新聞、中日新聞でも、人を押しのけて過剰に新聞紙上に顔を出している。天皇陛下から叙勲を受けた人を押しのけてまでして、自分が中央になる写真撮影を強制する。

 自分を崇める人間以外は、小川敏市長は相手にしないとも噂に聞く。なんでも自分が前面に出ないと収まらない性格では、組織として、人に任せる運営ができない。それでは人が育たない。まるで功名心の権化である。

 本来、裏方であるべき人が、表舞台にしゃしゃり出て大垣市長として活動したのが、大垣市の不幸であった。彼ほど市民から愛されない無能市長も珍しい。だから大垣駅前商店街が崩壊した。大垣市の地価が半値以下に暴落して、都市として没落した。未来を支える大垣の子供達の教育体制が崩壊寸前である。

 

事例

 下図は藍綬褒章を受章された木曽義尚さんと緑綬褒章を受章された藤井和子さんが、ノーネクタイの大垣市長をど真ん中にしている写真である。まるで市長が章を拝受したように見える。こういう類の写真が地方紙に頻繁に掲載される。小川敏市長の「私」が突出した行動である。大垣市民として恥ずかしい。こんな写真を掲載することを恥とも思わない地方紙がのさばっているのが恥ずかしい。子供の教育上で道徳が破壊される。

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  2018年5月30日、岐阜新聞西濃地域欄

 

小川敏氏の経歴

 彼の過去を見ると、利己として、何が何でも東大出でなければ、気が済まなかったようだ。1969年、安田講堂事件が起きて東大入試が中止になった年、彼は京大に合格した。しかし彼は翌年、東大に入りなおしている。東大卒業後、超一流の伊藤忠商事に入社したが、わずか6年で退社して、超零細企業の家業を継いでいる。何が哀しくて、東大卒として将来が約束されたはずの超一流の商社を辞めねばならかったのだ。

 伊藤忠商事の初代の伊藤忠兵衛は、典型的な近江商人で、その経営哲学「三方よし」の精神で、事業を発展させた。「三方よし」とは「売り手よし」、「買い手よし」、「世間よし」である。「世間よし」は、幕藩時代に、近江商人がその出先で地域の経済に貢献し、「世間よし」として経済活動が許されたことに起因する。それは「企業は株主との間でバランスの取れた事業を行うべき」との現代ビジネスの源流ともいえる。(近江商人博物館資料より)

 初代忠兵衛の座右の銘は「商売は菩薩の業、商売道の尊さは、売り買い何れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの」で、高い道徳性と精神性が現れている。それこそ「自分」「吾」の思想である。

 その経営理念が伊藤忠商事に浸透している。それと小川敏氏の「私」が色濃い考え方と合わなかったのではないか。推察すると、伊藤忠商事の退社は性格的に伊藤忠商事の社風に合わず、退社せざるを得なくなったか、性格が災いして閑職に追いやられて、嫌気がさして辞めたと推定される。

 

大垣に帰郷後の小川敏氏

 その後の経過を見ると、小川敏氏が家業経営に没頭したとは思えず、家業はその後、小川敏氏なしで経営されている。その家業は今でも超零細企業の状態である。なぜ東大を出た小川敏氏が、家業を発展させられなかったのか。だから小川敏氏に経営能力があるとは思えない。高学歴と経営能力とは別である。大垣市が没落したのも、経営能力のない小川敏氏が市政の舵を取ったのが原因である。たまたま2001年、前市長の小倉満氏が現役で亡くなられて、小川敏氏が選挙に出たのが、大垣の運の暗転であったようだ。

 

小川敏氏の総合評価

 小川敏氏は、裏方の事務局長としてなら優秀である。しかし組織を統率する政治家としては、不向きであると私は思う。一番の問題は、それを本人が自覚していないこと。謙虚でなければ、徳は現れない。傲慢では、健全な組織のリーダーは務まらない。

 

2019-09-12   久志能幾研究所通信No.1336 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月11日 (水)

人間性分析 1/2  総論

 人間性とは、人生と組織の運命を左右する。その理論をもとに、田中角栄、菅直人、大村智博士、小川敏現大垣市長を実例で検証する。

 

自分とは何か(組織論)

 「我」とは稲(禾)を刃先がぎざぎざしたほこ(戈)で刈って、自分のものにしている様を表わす。「私」とは稲(禾)を腕(ム)で自分のものとして抱える姿を表している。「自分」とは、何者かによって生かされている全体の中で、「自ら」の「分」である。己は世の中の一部として考える姿である。その反対が「利己」である。己のことだけしか考えないから、囚われの闇の世界に落ちていく。自分の一族の中での位置づけを考えよう。

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自分とは何か(人間として)

 人間を人間たらしめる要素として、本質的要素付属的要素がある。本質的要素とは、徳性である。徳性とは、明るさ、清さ、人を愛す、人に尽くす、恩に報いる、誠実、正直、勤勉である。付属的要素とは、徳性の発露を助ける要素で、知識、知能、技能である。(安岡正篤著『人物を修める』より)

 人は知識でその人間の偉さを選別してきたのが、今までの偏差値教育である。それで人に順位付けをして、組織の構成をしてきた。人間の属性的要素(知識、学歴)だけを尊重した人間評価で組織を動かすから、往々に組織が壊死してしまう。その悪例が、東電、三菱自動車、日産、タカタ、三菱重工、大垣市の行政である。

 人は不完全な存在であるからといって、完全なる神を目指してはなるまい。それでは人でない存在を目指すこと、人でなし、になってしまう。あくまでも人間として欠点もありながら、それを人間味として、徳性を育成して角熟した人間に昇華した人生を目指したいと思う。本質的要素と付属的要素をバランスよく成長させる。その過程で自分の発見がある。

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新人教育資料「修身」 2004年  小田

 

自分とは何か(神仏鬼神として)

 自分とは何かを追及すると、己の心には佛も住めば鬼も住む。神を住めば魔モノも住む。それを超越して自然と佛と一体になること、それが仏教である。それを目指すのが人間であることに行き着いたのが、弘法大師である。

 東洋の思想では、人は全て佛性を持つとされる。悪人でも閻魔大王の前で、地蔵菩薩が弁護人として救済してくれるとの思想が生まれ、地蔵菩薩信仰が生まれたという。それゆえ東洋の宗教には救いがある。悪があるから善が映える。人間である以上、一度も罪を犯さなかった人はいまい。それに目覚めさせてくれるのが懺悔する心であり、ご先祖に手を合わせる環境である。

 

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 松本明慶先生作「童地蔵菩薩」

 

 

吾は権現様・佛様である

 「吾」とは、神のお告げと神具で使う器具の象形からなる文字で、「われ」を意味する。吾の「口」とは神のおつげの意味。音符の「五」は、棒を交差させて組み立てる器具の象形である。神のおつげを汚れから守るための器具のさまから、「ふせぐ」の意を表す。そのさまを借りて、「われ」の意味を表す。漢字を創った古代人は、人間には佛性があることを知っていた。

 修証義に曰く「佛祖の往昔は吾等なり、吾等が当来は佛祖ならん(釈尊および歴代の祖師のその昔は我々であった。我々の将来は祖師である)」。佛はどこにもいない。己の内に存在すると道元禅師は言う。己の内なる佛の声は聞こえるが、それに耳を塞ぎ、欲に負けて、やってはいけないことを犯し、食べすぎ、飲みすぎ、集めすぎ、貯めすぎの強欲に走る人間の弱さから来る業を、罪という。「足る知る」を理解しながら、それが自制出来ない弱さの鬼性と、神の御告げに耳を傾ける佛性の両方を持つのが人間である。

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ご先祖

 自分の運命は、己に流れるご先祖の血が左右している。己の無意識の行為に、ご先祖様の姿がある。家系図でご先祖の後姿を見れば、己の血が分かる。善も悪もご先祖様の教えである。ご先祖はやってはいけないことの結末を、30年後に孫に見せている。その行動の全ては、すべて遺伝子に書き込まれる。それは「天網恢恢疎にして漏らさず」の結果となる。

 ご先祖様は家系図内で人生劇場を演じている。そこには平家物語もあれば方丈記、リア王の物語もある。東西の宗教の差や宗派の違いは、単なる派閥争いの類で、手を合わせ自省することは、宗派を超越した行為である。

 

人生の螺旋階段

 西洋では神が完全無欠の絶対的存在であるので、不完全な人間は悪でしかない。最期の審判で、人は天国と地獄に行き先を振り分けられる。敗者復活戦はありえない。その最期の審判を凝視する姿がロダン作「考える人」である。

 地獄の前で最期の審判を見なくても、家系図を見ればその人が分かる。自分の考え方を見れば、人生の結末が観える。両親の教育を見れば、人の行く末が観える。

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 「考える人」 大垣市興文地区センター前

 

運命を決める遺伝子

 最近の凄惨な無差別殺人の多発がそれを象徴している。自分の考え方、親の教育次第を見れば、人生の螺旋階段を昇るのか、地獄へ下るかは、おおよそ見える。親が子供へ与えるメッセージが子供の遺伝子に影響を与える。自分のこどもの将来は、親が握っている。

 人は組織として疎外感に苛まれて、起こす事件である。「利己」ではなく、「自分」という考えを持てば、そんな凄惨な事件は起すまい。全て利己が起こす事件である。人間として知識だけで評価されて、社会の底辺の突き落とされて起こす事件である。人間として、ご先祖を敬う躾を受けなかった咎で起きる事件である。

 

2019-09-11   久志能幾研究所通信No.1335  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月 1日 (日)

お金で智慧を買う

 お金を使って手に入れるのは智慧である。そのお金を使えるのが幸せである。使えるのは健康であることが前提である。その上で、体力も気力も夢もないと使えない。余命1年と宣告された病身では、お金は使えないし使う気にもなれない。

 お金を使える幸せを大事にしよう。そのうち使えなくなる日がやってくる。

 

自分を買う

 単にモノを買うのでは、お金を使ったことにならない。それは単にお金がモノに変わっただけである。価値あるモノを売れば同じ金額が返ってくる。安いものではそうは行かない。安もの買いの銭失いである。お金でモノを買うとは、自分を買ってくるのだ。その過程で智慧が付く。

 

利用限度

 美味いものを食っても限度がある。立って半畳、寝て1畳、死ぬまで飲んでも1升、食べて丼1杯である。人間の体では知れたもの。それではお金を使い切れない。食べ過ぎ飲みすぎれば、病気になり、早死にである。持てる人生の時間内に、どれだけ有効にお金を使えるかを問われている。

 

経験を買う

 お金を使うとは、体験への出費である。体験で智慧が湧く。それには時間も体力も必要だ。智慧を得うるための出費が、お金を使う行動である。学ぶ費用、師に会うための交通費、受講料、稀少価値の品の購入に智慧を費やす行動、出費が相当する。その過程で智慧を出す訓練が出来る。お金を賢く使うために受け入れる器を大きくすることだ。

 貯めるばかりの人生は、小さな器の人生。入ってきたお金を世間に旅ださせて、そのおこぼれをあずかる気持ちで丁度よい。それを自分の所で止めて、貯めるからお金が腐ってくる。お金は生鮮食品である。気持ちよく旅出させてあげれば、お友達をつれて帰ってくる。目先に囚われて、出し渋りをすれば、相手も嫌気がさして去っていく。損をして得を取れである。

 

夢を買う

 高いものにはワケがある。高いものには創った人の魂がこもっている。お金を使うとは、自分の夢の実現のための投資行動である。20年後を夢見て、今の自分に投資をする。そのためには学びの器を大きくすること。学びに限度はない。学んで成長すれば、器も自然と大きくなる。不健康な器では、何も入らない。

 

失敗の買い物

 良くない買い物はあるが、失敗の買い物はない。良くない品物、ご縁に接したら、それは良くないことが分かっただけ、智慧が付いたと感謝すべきである。私は、二度とその品物、お店、ご縁に近づかない。それだけで十分にお釣りがくる智慧を得たことになる。

 

智慧の披露

 学んで一杯になった器は、世間に披露しないといけない。日々、その舞台で自分の学んだ智慧が試される。会社での各場面が能舞台であり、仲間が観客である。果物屋の店頭が人生舞台で、来客がご祝儀である。そこでどんな演技をするのか、そこに自分の器に入れてある智慧が試される。商売では、その演技に失敗すると客は二度と来てはくれない。

 智慧は出し惜しみしてはダメである。どうせ持ってはあの世に行けない。智慧は出せば出すほど、自分にご褒美として帰ってくる。智慧を出す能力が磨かれる。

 

自分は能役者

 人生では人が仮面を被って人生劇場の役者を演じている。ある人は教師を、ある人は警察官の仮面を被って演じている。その仮面をペルソナという。ペルソナとはラテン語で仮面と言う意味である。この語源でパーソナリティと言う言葉が生まれた。個性とは、人が被る仮面のキャラクターである。人はその仮面を見て、その人の役割を期待する。その仮面を被ったら、その役割を演じなければ人の期待を裏切る「裏切り者」である。

 

人生舞台

 人生の舞台とは、幕が上がっている間だけが舞台ではない。幕が上がるまでの血みどろな練習時間、舞台の段を上がる時の挙動、舞台を下りるときの挙動も全て人生劇場の演技時間である。観客に見せる舞台での演技は一コマに過ぎない。一刻たりとも気を抜けない。観客は見ていなくても、神様仏様そして内なる己という仏が見つめている。

 一局を舞い舞台を下りて初めて「人生織物」での横糸の一本が完成する。人生とはその連綿とした行動の積み重ねである。観客が見ている時だけが、舞台ではない。

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  2005年『修身』

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     馬場恵峰書

 

2019-09-01   久志能幾研究所通信No.1325 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年8月27日 (火)

新入社員に教える「死への準備」

 私が入社したばかりの新入社員に、「修身」の講義で問うたことは、死への準備である。サラリーマンには、定年が人生の一区切りとしての「死」である。その死である定年までの働き方を問うた。

 

死を意識して働こう

 今を必死に生きるために、死を意識しよう。万物には必ず死がある。期限がある。人生の半分を占める会社生活にも、定年と言う「死」がある。入社したら、38年後に訪れる死(定年)を見据えて仕事をしよう。それが時間創造である。そう新入社員に教えた。

 定年があるから、組織の新陳代謝が進み企業が成長する。100年前の先輩がいつまでも居座っていては、部下は閉口である。人間の手も、母親のお腹の中で指と指の間の組織が死ぬことで、指のある手に成長する。死なくして成長はない。過去の自分を殺すことで、自分も成長する。

 組織として成長できない企業が倒産する。会社の寿命は30年である。長寿会社は常に変化成長している。成長しない企業には、競争社会で倒産と言う自然淘汰が待っている。

 個人的に定年と言う死を迎えるには、38年間の仕事のやり方が、定年後の時間の創り方に影響する。定年までの時間の過ごし方で、会社に残す付加価値で差を生み、定年後の時間価値を決める。

 貴方がたは、入社後、勤続38年間(13,870日)もの時間をかけて、どんな資産を創っていくのか。「老いて」何を後進に「置いて」行くのか。定年後の30年をかけて、どんな価値を残して、あの世に逝くのか。考えて仕事をして欲しい。

 技術者として、やってきたことを記録に残さないと、何もやらなかったと同じになってしまう。私は、そう思って記録に残すことを心がけてきた。それでこの講義が成立した。

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      新入社員教育テキスト「修身」2005年

 

管理職としての「死」の意識

 私が先輩から教えてもらった管理職の心得は「その職場の長としての任期は4年間。1年目は職場の観察、2年目は何をやるか決めてその種を撒く、3年目はその成果の回収、4年目は後進を育てて、後を託す」であった。

 

定年後

 定年と言う「死」を迎えて、会社時代の肩書や地位は、退職すれば無価値になる。なまじっかプライドがあると、負の遺産となる。会社時代に、人生の価値を創れなかった元エライさんが、老人ホームで「私の上席はどこですか?」とKY語(空気の読めない語)を発し、周囲の失笑をかうのだ。定年後の家で、妻から粗大ゴミ扱いをされるのだ。そうなっては、人生はお終いです。

 

定年後の粗大ごみ扱い

 先日、名刺を整理していたら、30年前、仕事でお世話になった業者の人の名刺が出てきて、懐かしくなり、その場で相手の自宅に電話をかけた。電話に出た相手の妻は、夫に「オダって人から電話!」と不機嫌そうな、迷惑そうな声で夫に声をかけた。その声は私に丸聴こえである。それで彼の家での妻からの扱いが分かってしまった。だからそれ以降、その家には電話をかける気がしなかった。再会する気にもなれなかった。それは彼が38年間をかけて、積み上げた負の財産である。彼が退職した会社でも、その価値が分かるような気がした。

 

余命宣告

 私も今年、癌で余命宣告を受けて、死を身近に見て、人生の残り時間を意識させられた。死を意識するから、やるべきことが浮かび上ってくる。緊張感をもって生きることが出来る。日暮れて途遠し、を痛感させられた。

 

「人生の短さについて」   

 人生は短いわけではなく、我々は十分な時間を持っているのだ。ただそれを多くの人は空しく浪費しているだけだ。

 彼らに共通するのは、真に自分に属しているものに頼らず、彼らの権内にない外なるものをあてにし、それに依存していることだ。今を生きないで、未来のよい生活を夢みて今を犠牲にしていることだとし、そういう人間は生きているのではない、ただ生存しているだけだと断言する。 p 32

 

時間の浪費

 その原因はどこにあるのか? 君たちはあたかも自分は永久に生きられるかのように今を生きていて、自分のいのちの脆さに思い致すことは決してない。いかに多くの時間がすでに過ぎ去ったかを意識しない。時間なぞ無尽蔵にあるもののように君たちは時間を浪費している。そうやって君たちがどこの誰かに、あるいは何らかの事に与えているその日が、実は君たちの最後の日であるかもしれないのに。死すべき者のように君たちは全てを怖れ、不死の者であるかのようにすべてを得ようとしているのだ。      p 35

  中野孝次著『ローマの哲人 セネカの言葉』岩波書店2003年より

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  馬場恵峰書

 頂いた命をただひたすらに活かして生きる。そこから始めないと仏様のご加護も始まらない。命を粗末にして人生は拓けない。みほとけが求められているのは、命を最大限に活かして生きること。それが世のため人のためになる。そうしないと世の中の迷惑な存在に成り下がる。「一日一生」の心がけで生きる。

 

2019-08-27   久志能幾研究所通信No.1319  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。