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2023年11月 8日 (水)

何を置いて逝くのか 残るのは線香の煙だけ

夢追いて 体は老いて 煙置く

 

 人間は一生をかけて(80年×365日=29,200日)、何を現世に置いてあの世に旅たつのか。土でできた肉体は、いつかは土に帰る。土でできた肉体は大きな器である。その器に何を入れて昇華させるのか。それが人間の生き様であり、成果である。かけた時間に相応して、人生が決まり、昇華する価値が決まる。

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            新人教育テキスト「修身」2004年

 

 

人生のチェックアウト

 人は人生ホテルに、裸でチェックインして、裸でチェックアウトする。ホテル滞在中の衣食住は、天からの借り物で、チェックアウト時は全て置いて逝く。どんな立派なホテルに泊まっても、いつかはチェックアウトしなければならない。

 それも自分の意思ではなく、ある日突然にお呼びがかかる。死神運転手が「お迎え」の車で来た時、乗車拒否はできない。向こうだって年功序列の搬送計画がある。運転手も上司の閻魔様の御指示には逆らえない。死は云わば、あの世の裁判所からの出頭命令だ。その時、身に着けるのは経帷子のみ。その時、何を置いて逝くのか。

 各学年の進級(その学年生活の死)、学校の卒業(学校生活の死)、会社人生の定年(会社人生の死)、定年後の第二の人生の死がある。どんな人生でも、どんなプロジェクトでも、生老病死であり、必ずその終りがくる。恋愛だって生老病死である。情熱的な恋愛でも永遠には続かない。どんな恋愛もいつかは冷める。青春の情熱は一瞬である。

 生は偶然だが、死は必然である。

 そこに何を置いて逝くのか、すべて生を受けた時に計画した志次第である。

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何を遺すか

 死とは肉体的な死だけを意味しない。例えばある部署に部門長として人事異動して、規定の任期を勤めて、その部署を去る場合は、その任期という生命体の「死」である。部門長としてある事業を任された場合、その任期中に何を創り上げるか、何を遺すか、それが問われる。その任期後、人事異動で別に部署に移動すれば、その人が存在したという事実は煙となる。しかしその人がその部署に残した「何か」がその人の昇華物なのだ。それが問われる。

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回想 

 上記資料は、私が前職で、新入社員教育カリキュラムの中の「修身」の講義で使った。当時の新入社員も今は40歳超えである。この20年をどう過ごしたのか、聞いてみたい。

 この6年後の私の定年時の挨拶回りで、社内を回った時、私の講義を聞いてくれた営業マン中堅(女性)は、その講義を良かったと言ってくれた。嬉しかった。人生を考える上で、自分でも良い講義をしたと思う。

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 今からでも遅くない

 定年になって1年目は、第二の人生の新入生である。人生を考えることは、定年後のシニア世代でも、余命が僅かの人でも構わない。何時から始めても、遅いことはない。残りの時間を、何にお金を使い、何に時間を使い、誰と出会い、何を計画したかで、人生の最終仕上げの出来栄えが変わる。今ここに全力をかけよう。

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 馬場恵峰書

 

2023-11-08  久志能幾研究所通信 2770号  小田泰仙

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2023年5月20日 (土)

墓はじめ 基本設計1 巻石

 

 今の自家のお墓は60年前(1963年)に父と父の兄が共同で建てた。しかし2015年当時で築52年も経つと、墓石が風雪の影響を受け、墓石の傷が目立ってきた。冬に雪が降り、その水分を墓石が吸い、夜に凍結し、昼に融解する現象が長年続くと、墓石が疲労破壊される。

 2015年、叔母が亡くなり、結果として祖母の家が絶えたので、私がそのお墓のお守りを引き受けた。叔母の家の墓4基と今の自家のお墓と従弟のお墓の計6基の墓を3基に統合する計画を立てた。石屋さんにお墓の基本設計をお伝えした。

 

基本方針

 改建をする目的の第一優先は、風雪対策、地震対策、メンテナンスフリー、再発防止である。

 改建するにあたり、華美を避け、質実剛健、統一感ある現代風デザインで、塔婆立てと墓誌を建てる。その際、ご先祖のおもてなしもする、である。

 どういうわけか、計画した当時は将来に自分もその墓に入るとは全く考えていなかった。当時、まだ体力があり、元気溌剌であったので、全く死を意識しなかったようだ。今にして、考えが幼いなと思う。人は必ず死ぬのだ。死線をさ迷う経験をしないとその気にならないようだ。その咎で、後年がんで死線をさ迷う羽目になった。

 

土台(巻石)

 菩提寺に墓参りに行って、いつも気になるのは、隣のお墓の草の放置である。隣のお墓の土地には砂利が敷き詰められていて、そこにはいつも雑草が生い茂っていた。砂利では必ず雑草が生えてくる。もしそれが自分の家のお墓なら、墓参りの前にその除草だけで疲れてしまうだろう。私もいつまでも若くない。それもお盆の炎天下での除草なら大変だ。

 その土地に砂利を敷設する場合、周辺を縁石で囲って作るが、それが長い間にずれてしまう。その保守が大変である。

 その対策として、石屋さんの助言で、一枚の土台石(巻石)で墓のベースを作ることにした。一枚の石なら、縁石がずれることもない。そこから雑草が生えることを防げる。そうしたらよい石があるとの情報があり、それを発注した。

 

巻石入荷

 その石の加工は中国で行った。残念だが、現在の日本では加工できないという。中国での加工が終った墓石が日本に入庫した連絡を受け、2015年10月21日、石屋さんと一緒に大阪の石材問屋に確認に出向いた。

 

 最初に目に飛び込んできたのは、石材店の仮置き場に置かれた一枚づくりの巻石である。長さ3.6m、幅1.5m、厚さ37cmの一枚づくり巻石の梱包を傍で見て、とんでもないものを注文したものだと、吾ながら呆れた。原石の重さは32トンという。

 石材店の所長さんも、この大きさの石は今まで扱ったことがないという。これより大きい墓所の巻石は数多く存在するが、複数枚の石材を組み合わせて構築するので、一枚石づくりでは存在しないという。そういう意図は無かったのだが、結果としてエライことになってしまった。

 

ご縁の流れ

 今回の不思議なご縁で、3基のお墓を同時に建立することになり相応の大きさの巻石が必要となった。お墓の建立後に草取りや掃除等の手間を少なくする目的で一体構成を検討した結果である。たまたま大きな石材が在庫していて、それも、為替レート一ドル90円で入手した石材が偶然に在庫していたというご縁の賜物である。今なら一ドルが140円、150円の高騰ぶりだ。私の力ではない。ご縁の流れの勢いは恐ろしい。

 

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2023-05-20  久志能幾研究所通信 2689号  小田泰仙

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2022年11月15日 (火)

石職人の神様が超絶閑技で「石造釣灯籠」

 

 神としての大自然は悠久の時間を使って大地を彫刻している。硬い大地を素材として悠久の時間をかけて削り、芸術作品のような造形を創作する。大地は硬い素材なので、割れないように、ゆっくりと少しずつ削っていく。世界遺産になっているような大自然の風景は、神という彫刻家の作品なのだ。

 

 同じように硬い石を造形するには、ゆっくりと削らねばならぬ。速く削ると応力がかかり過ぎ、石が割れてしまう。だから少しずつ、ゆっくりとノミを振って削り出さねばならぬ。そんな気の遠くなる仕事で、神技を持つ石職人が作った「石造釣灯籠」が彦根にある。

 どう考えても、不可能な造形である。ノミが入らない場所を、どうやって削ったのだと疑問が起きる作品である。

 「石業界も機械化が進み、(これは「閑な」明治時代だから出来たことで、)現代ではこのような作品の再現は不可能です(松居石材商店の7代目松居利樹氏談)。

 

 そうなのだ、「閑」だから良い作品ができるのだ。「閑」とはラテン語でスカラである。スカラとは哲学者のことだ。閑だから考えることが出来る。労働は奴隷にさせて、貴族は閑になって考えることが出来て哲学を生み出した。学校のスクールもスカラから派生した言葉である。閑だから学校に行って勉学が出来る。出来の悪い学生は、ネットやゲームに忙しいから、成績が上がらない。

 現代は「閑」というと悪い印象あるが、本来良い言葉である。人は考える時は、家の「門」を閉じて、そこにかんぬき(閂)の棒で閉鎖して思考や業務に没頭する。それが「閑」という語源である。現代は余りに軽薄早急軽率である。それでは良いものはできない。これも日本が衰退した一因だと思う。

 

一つの石から削り出した「石造釣灯籠」

 この「石造釣灯籠」は一つの石(堆積岩)から削り出して作られた。鎖もその一つの石から削り出された。これは松居石材商店(江戸時代の文政12年創業)3代目の松居六三郎氏の作品である。この作品は1903年に大阪で開催された内国勧業博覧会に出品された。鎖も屋根の端の渦巻きの装飾も一つの石から削り出された。大きさは縦横16.5センチ、高さ21.7センチである。

 

 当主の松居保行氏もお店を受け継ぐまで先代からこの作品は二度ほどしか見せてもらえなかったという。超お宝であり、作品の出し入れで破損の恐れがあるからだ。現在でも、過去の取り扱いの不備で一部破損している。だからずっと箱に入れてお蔵入りしていたという。今回、彦根城博物館で「松居石材商店の歴史を振り返る」展示が2022年9月8日から10月4日まで展示された。

松居石材商店の歴史 | 彦根城博物館|Hikone Castle Museum|滋賀県彦根市金亀町にある博物館 (hikone-castle-museum.jp)

墓石・石材店(彦根,米原,長浜) お墓のことなら松居石材商店へ

 中国でも鎖の一石造りは有るようだが、レベルがずっと格下という。ここまでのレベルは日本の明治時代だからできたことのようだ。

 私も仏像彫刻では、松本明慶大仏師作の仏像で一木造りは当たり前の世界であったが、流石にこの一石造りの作品には驚嘆である。

 私はこの作品の秘蔵はもったいないので、然るべき展示ケースを作って、常時展示するように松居石材商店さんにお願いした。この作品を作られた松居六三郎氏が草葉の陰で泣いていると思う。職人は口数も少なく、出しゃばらない。だからこそ、そういう作品は多くの人に見てもらいたい。常時展示をして多くの人に見てもらい、この超絶の職人技を顕彰したい。これは日本の宝だ。

 

 私が2015年に再建したお墓は、この松居石材商店さんに造って頂いた。父と父の兄が1960年に建てたお墓は、同じく松居石材商店さんに造って頂いた。松居石材商店さんと出会えたのは、良きご縁と感謝している。

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2022-11-15  久志能幾研究所通信 2542  小田泰仙

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2022年11月12日 (土)

お墓マンション、強欲の極み、遺骨は彷徨

 

 先日、東京TOBU池袋で松本明慶大仏師仏像彫刻展が開催された。その時に館長さんがある檀家から呆れた話を耳にした。

 

墓地から出て行け

 東京にあるお寺が、今ある墓地をマンションの土地として売り、今あるお墓を撤去した。その跡地にマンションと、立体式の納骨堂を建てた。要は、東京の高い土地にあるお墓では、檀家から年間のお墓維持費(護持会費)だけでは、儲からないので、その土地をマンション用地として売って、マンション経営で利益を得ようとした。

 新規に墓マンションに一基を購入なら150万円だが、今の墓地にお墓がある場合、同意して遺骨を墓マンションに移すなら一基30万円でよいという。嫌ならお墓をたたみ、檀家から出て行けという。檀家の多くは、お寺の横暴さと強欲ぶりに呆れて、檀家の多くが別のお寺に遺骨を移したという。

 

お墓の役割

 お墓とは、お骨を土に還す装置である。火葬してお墓に納めた遺骨は、おおよそ80年間で土に還る。その間、微生物がお骨を食べてくれて、遺骨が土に還元される。人は土から生まれて、土に還る。悠久の時間の流れで我々の命は流れていく。

 それを墓マンションに陶器の骨壺に納めたままでは、骨は微生物が分解することがなく、永遠に土に還ることが出来ない。墓マンションは大自然の理に反している。お寺が金儲けで、墓マンションを造るのは外道である。お寺が、墓の存在の目的を理解していない。守銭奴の坊主はお寺の風上にも置けない。

 

札幌市の墓マンション事件

 2012年に出来た札幌市にある墓マンション「御霊堂元町」は、一区画30万円~250万円、年間6000~12000円の管理費で売り出された。「雨の日でも雪の日でも快適にお参りが出来る」という謳い文句で販売された。この納骨堂の運営は、民間の葬儀社がスポンサーであった。その後、経営者がコロコロ変わり、挙句に経営が左前になって、そのビルは競売にかけられ、そのビルは出入り禁止となった。それでその墓マンションを持つ遺族は、その墓にお参りが出来なくなってしまった。現在、札幌市役所も困惑している。行政も遺骨の管理までは手が出せない。

 便利に見える墓マンションも、このような事件に襲われると、遺骨が彷徨う羽目になる。これでは死んでも安らかに眠られない。遺族の安易な考えでの行動が因果応報で返ってきた。(この記事は、「納骨堂競売騒動で判ったお墓マンションが危ない」(『週刊新潮』2022年11月17日号)を参考に編集)

 

ご加護

 墓マンションにはお墓の機能がない。だから、墓マンションには手を出してはならない。ご先祖様に対して無責任である。私はこの記事を読んで、正式の土のお墓を建て、ご先祖の遺骨を納めることが出来て良かったと思う。ご先祖の子孫は、ご先祖を無事に土に還す責任がある。それを放棄して幸せはない。今ある自分の幸せは、ご先祖様が守ってくれていると信じている。

 

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 井伊家の菩提寺 豪徳寺   ‎2015‎年‎11‎月‎24‎日撮影

 このように東京のど真ん中でもお墓は整然と整備されている。

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2022-11-12  久志能幾研究所通信 2540  小田泰仙

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2022年8月25日 (木)

お墓改建の後始末

 

 2015年のお墓の開眼法要の後始末も終り、ほっとした2016年元旦、お寺から年賀が届き、今年の年忌に当たる母の戒名が入った連絡書が同封してあった。それがまたひと騒動の始まりであった。

 

後始末

 人生の出来事で何事も後始末が大事なのだ。たった一つの後始末をきちんとしないために、全てを失うこともある。人生は能舞台なのだ。人はそこで演技を舞う。神仏から人生舞台でのお役が与えられている。黙って舞台に上がり、黙って演技をして、黙って舞台を降りる。幕が下りても、舞台を降りてその場を去るまでは、人生なのだ。最後まで気を抜かず演技をしよう。

 

戒名が違う!

 その母の戒名が私の記憶にある戒名と違っていた。2016年1月3日、お寺に行き確認をしたら、お寺の過去帳に記載の戒名と位牌の戒名が一文字だけ違っていることが判明した。他の戒名も不安になり、墓誌に書いた先祖の戒名を再確認したら、祖父祖母、母の3名の戒名が違っていた。今まで43年間もその戒名の位牌に手を合わせていたので、その戒名が過去帳と不一致だとは夢にも思わず、それを元に墓誌を作ってしまった。墓誌を作るとき、家に位牌のない親類縁者の戒名はお寺の過去帳から確認してもらったが、戒名が既知である両親と祖父祖母の戒名の確認をしなかった。家の仏壇に位牌があることで盲点となっていた。

 

ゴッドファーザーとのご縁

 戒名とは、葬儀の引導を行う僧侶が故人に付ける名前である。故人は戒名を授けられることで僧侶の弟子となり、来世で仏道を修行することになる。院号とは、その故人が来世での修行のために建ててもらった寺の名前である。院号は本来お金では買えず、お寺や社会に貢献をしないと授けてもらえない。

 それゆえ引導をする僧侶はゴッドファーザー(名付け親)である。その戒名はゴッドファーザーの意志が絶対である。白木の位牌に書いた戒名と過去帳に書く戒名が食い違っていても、住職が過去帳に書くときが絶対に正しいものとして扱われる。位牌に書かれた戒名は、50回忌が終ればお炊き上げされてこの世から消える。しかしお寺にある過去帳は永遠に消えない。それ故、食い違いがあっても、どちらを正とすべきかは自明である。そのため今回の戒名の不整合は、過去帳に合わせて直すことにした。位牌も墓誌もお金を掛けて直せば済む話であるが、過去帳は直せない。

 過ぎ去った過去を消せないのが人生である。しかし人生の出直しはできる。自分が位牌を作り直せる状況であるだけでも、幸せである。自分が下流老人でないことを喜ぼう。今回、ご先祖は新しい位牌を作ることで、正しい戒名で仏道の修行に励まれることになる。

 導師である僧侶が過去帳に書いたときが、その故人に一番相応しい戒名である。30年来の吾が師である本多先生(住職)の教えを頂き、本件を納得することになった。本多住職は私のニックネーム「オダブツ」の命名者でもある。つまり私のゴッドファーザーである。

 

 このご縁で小田家先祖の為写経を再度やりなおして、39枚の写経を完成させた。祖母の追善供養法要(2016年2月12日)後に、その写経をお墓に奉納することにした。また墓誌も再製作をした。半端な金額ではない。えらい出費である。

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 馬場恵峰書 写真集『心に残しおく古訓言』 撮影2015年10月26日

  

2022-08-25  久志能幾研究所通信 2472  小田泰仙

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2022年8月20日 (土)

ご縁とは波動

 

 人は縁と言う波を発している。その波は高い周波数のときも低いときも、大きな波のときも小さな波のときもある。乱れた周波数のときもあり、その波と相手の波が干渉して不協和音を発することがある。お互いが共鳴して美しいハーモニーを奏でるときもある。

 

ご縁がない

どの波が良いか悪いかではなく、相手と周波数が合うかどうかである。不協和音の発しているのに、何も意地を張ってその音に張り合うのは小人である。その波の差を尊重して、それには「縁がないというご縁」として、そこから遠ざかるのが大人の智慧である。

 物理法則として、人間固有周波数が5000Hzの人と7000Hzの人とは絶対に共振しない。その宇宙根源の理を理解すべきである。それが相性である。考え方が共振できる人と付き合おう。

 その縁があるかないかを耳を洗い、耳を澄ませ、目を拭って見極めたいもの。

 

求めるご縁

神・仏を探しに電波を発していれば、何時かはその電波をキャッチされて、神・仏のご縁のある人に出会うであろう。泥棒を探す波を出せば、それに縁がある事件に遭遇するはずである。すべて己が発する波の如何によって相手から返って来る波が異なる。起こる事件や相手は己の鏡なのである。

 

洗脳殺人波動

 カネに飢えた新興宗教団体は、幸せを求める迷える羊を補足する周波数を発信して、集蛾灯で蛾を集めるが如く信徒候補を捕まえる。新興宗教団体は、迷える羊が好む周波数帯を良く知っている。迷える羊は、苦労せず幸せになりたいのだ。それは行動ですぐわかる。その宗教団体では、その周波数を「洗脳」と呼んでいる。

 統一教会は、票が欲しい議員にも、洗脳周波数機関銃をぶっぱなし、選挙活動に潜入していた。その機関銃の音は人間の耳には聞こえない巧周波である。日本政界の恐ろしい現実である。それが原因で安倍元首相は暗殺された。

 

航跡

 自分の人生で出した波動が、自分の死によって消えていく。しかしその波動は、去っていく船の航跡のように、いつかは消え去る定めである。縁ある人に長く良き思い出となるような痕跡を作りたいと思う。

 

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 馬場恵峰書

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2022-08-20   久志能幾研究所通信 2468  小田泰仙

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2022年8月19日 (金)

いのち、霊止

 

 お墓作りの全ての工程が終ったので、2015年12月1日より、予定通りトイレと玄関のリフォームに取り掛かった。築45年の自宅の耐震補強を兼ねた第6次のリフォームである。

 床と壁をめくると白蟻に喰われた跡が出てきた。2年前のリフォーム時に対策をしてあったが、その痕跡のようである。床や壁を剥がさないと分からないので始末が悪い。知らないうちに家の内部を犯す白蟻は、自分の体の中に潜む病巣に似ている。心して対応したいもの。

 白アリも生きるためには、食べねばならぬ。お互いの領分を守るために、家の白アリ対策は必須である。自分の城は自分で守れ、である。白アリにとって日本家屋は、ご馳走である。白アリだって、人類と200万年も共生してきたのだ。その白アリと共生する知恵を持てばよいだけだ。

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 リフォームで壁と床と天井を剥がした玄関    2015年12月1日

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  白蟻に喰われた床材

 

命を捨てる

 そこにまた不思議なご縁があった。2015年12月2日の朝、大垣八幡宮神社の横の川辺で、70歳前後の女性が首を吊っているのが発見された。その話を今回リフォームの仕事の業者から聞かされた。彼はいつも早朝にジョギングに行く道筋であるが、当日は私の家のリフォームの仕事があるので、その現場に遇うことを避けることができたと、私に感謝をしてくれた。そんな姿を見ればトラウマのように頭に残ってしまうと。下手をすれば彼が第一発見者になっていたかもしれないと。

 私にとっても、その現場はいつもの朝の散歩コースであるし、私もリフォームに取り掛からなければ、その現場に行き、私が第一発見者になっていたかもしれない。つくづくと佛縁を感じた次第である。

 

 その道は子供達に通学路にもなっており、子供達が見たら大変なことになる。自殺した人を責める訳にはいかないが、せめて人様に迷惑をかけずに世を去って欲しいもの。覚悟の自殺なら、山奥で人目につかず一人で死ぬものだ。しかし、人目のある場所で死ぬのは、その直前まで誰かに助けてもらいたい気持ちの未練があったようである。

 死ぬ気になれば何とでもなる。生んで育ててくれた親を思えば、死を踏みとどまれるはず。捨てるならその命をくださいと泣いている難病の人がこの世には数多くいる。1973年入社後の頃、設計ミスでトラブルに困っていた時、指導員の太田博さんから、「人間が作った問題は、人間がなんとか解決できる」と教えて頂いた。その言葉が今でも頭に残っている。

 

佛の力

 首を吊り、意識が遠のく間でも、少しでも生きてくれよと心臓を動かし、肺を動かし、血液を全身に送る作用が、佛の力である。その佛の力を振り切り、死に向かうのは、人の道に反している。最後の最後まで、自分を捨ててはならないと思う。死は神仏の管轄で、人間の管轄ではない。どんな人間でも社会から恩恵を受けて成長した。その恩に報いるためにも、生き続けなければならぬ。

 

 自然界の生命体は、ただひたすらに生きる。自然物は無所属、無条件でひたすら立ち向かう。太陽や雨や風は、たた照り、ただ降り、ただ吹く。風は「何のために」とは考えない。人間も自然界の一つの存在だ。猫も犬も「何のために」とは考えず生きる。生命体は、ただひたすらに生きる。それは人間も同じだ。それが生命に与えられた使命である。それに反してはならない。犬畜生と人間の違いは、人は他人の喜びの為に働くことだ。

 

佛の教え

 佛の最大の教えは、人のものは盗ってはならない、人を殺してはならない、堕落してはならない、である。自殺とは、己を殺す殺人である。

 人は最低一人を幸せにする義務がある。その一人が自分である。

 

霊止

 今回のお墓作り、家系図作り、ご先祖探しの工程と加齢による体の衰えと病気で、命の不思議さ、ご先祖から頂いた命の大事さを再確認した。病気は自分の体の管理の怠慢であるが、生死は自分では管理できない佛縁の営みであると信じている。頂いた命は、限りある限り永らえてご先祖や社会にご恩返しをすべきだと思う。

 

揮毫

 2014年夏、恵峰先生にお願いして下図の「いのち」の書を書いてもらった。前の書には無かった「霊止」が追加されていた。「ひと」を「霊止」と書くとは意味深長である。

 

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2022-08-19  久志能幾研究所通信 2467  小田泰仙

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2022年8月18日 (木)

洗脳教育、墓石に学ぶガン対策

 

 少しずつ、言葉巧みに毒を頭の中に沁みこませて行く。新興宗教団体が行う信徒獲得の手段である。それに染まると、長期間に亘ってもその洗脳教育が解けない。

 1995年のオオム真理教の地下鉄サリン事件から19年たった2014年に、指名手配されていた信徒が逮捕された。しかし信徒はその洗脳が解けていなかった。洗脳の恐ろしさが再認識された。

 2022年、統一教会の洗脳教育の害で安倍元首相が暗殺される事件が起きた。

 子供の幼年期における親の教育の大事さと、ブラック企業での洗脳教育、新興宗教での洗脳教育の恐ろしさを対比して考えたい。

 

テレビ教の洗脳教育

 日頃でもテレビの痴呆番組、グルメ番組、ファーストフード・医薬品の広告の氾濫で、知らず知らずに頭が洗脳され汚染され、ポテトチップをつまみ清涼飲料水を飲みながら、テレビを見続けるとテレビ痴呆信徒にされている。それが認知症とがんの原因となる。

 その洗脳が40年間続き、その結果が、日本人の2人に1人ががんになる時代となった。75歳以上は4人に一人が認知症になる時代である。すべて悪い食品の宣伝洗脳が原因と推定される。その対策は簡単だ。その洗脳の宣伝から遠ざかれがよいだけだ。何でも元を断たなきゃだめなのよ。

 

 昼から刑事ドラマで、毎日人殺しのテレビドラマが氾濫している。これでは凶悪犯罪が頻発するのも当然である。くだらない芸能人のよろめきゴシップで、日本人の品格が落ちるのも故あること。無料でテレビが見えるのは、企業の健康を無視した金儲けという悪魔が裏に潜んでいる。

 

銃乱射事件

 米国の銃の乱射事件が起きると、立て続けに同じような事件が頻発するのも、洗脳教育と同じ作用がある。犯罪が頻発するハーレムに育った子供が、犯罪に走るのに抵抗がないのも、同じ洗脳教育である。

 2015年12月の韓国人の靖国神社爆弾事件も、韓国政府が50年間の反日教育をしてきた「成果」である。柔軟な脳の発達期に反日教育で洗脳すれば、畜生の仕業をしても、国中で賞賛の声が満ちる国と成り下がる。反面狂師として興味深い狂育成果物である。

 人は、数多く見た通り、教えられた通りの人間になる。良きことを多く見ればよき人生が、悪いことばかりに取り囲まれて育てば悪しき人生が創り出される。

 

墓石の洗脳

 墓石でも同じことが言える。特に柔らかい石を墓石に使っていると、水が長年内部にしみこんでいる。その水に鉄分が含んでいると、一度墓石に染みこんだ鉄分は、高圧高温洗浄でもその汚れは落ちにくい。その水垢が落とすにはシュウ酸を入れた温水が必要となる。雨が降った後に水の染みこんだ墓石を見ていると、己の自我が確立していない状態で、洗脳教育を知らずに受けて地獄に堕ちる人たちの姿が墓石に重ねて見えてしまう。

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 雨の後で水を吸い込んだ墓石  石が柔らかいと水を吸う

 雨上がりの後に、墓地を訪れ、墓石の種類の差によって水の吸い方に違いがあるのを見比べると良い。水を多く吸う墓石は、寿命が短い。つまり冬に墓石の内部の水分が凍り、それが体積膨張して内部から石を破壊するからだ。私の家の墓石は、建立後60年で痛んできた。それで改建した。

 人間の心も洗脳されると、疲労破壊され、心がぼろぼろになる。

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言葉の毒

 日々使っている言葉が人を傷つけ、自分自身を傷つける。自分が吐く言葉の影響を一番受けるのは自分である。言葉に含まれる何気ない小さな毒が、長年に亘って心に蓄積すると、毒薬をあおるような被害を受ける。母の励ましが子供を育て、子供の心を傷つける言葉が子供を殺す。言葉とは「こと魂」である。人を傷つける言葉を吐く人とは、距離を置いたほうがよい。近づいてくる縁が全て善ではない。毒ある縁を避け良き縁に接せるのが、佛の智慧であるし、佛縁を大事にする心である。

 

変わらなきゃ

 みんなは、「変わらなきゃ」、「自己改革しなきゃ」、と大騒ぎをしている。しかし今だかってそれで変わった人などいない。暫らくすると元の木阿弥となっている。それは何故そうなったかを考えず、「変わらなきゃ」と言っているだけだからだ。それには洗脳された脳を変えることが必要だ。その洗脳は、一日に20回、一年365日、10年間も続けば73,000回も脳に与えた破壊工作なのだ。それを修復するには、相応の取り組みが必要だ。

 だから今の日本を変えるのは大変である。しかしやらねば日本が亡ぶ。

 

2022-08-18  久志能幾研究所通信 2466  小田泰仙

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2022年8月17日 (水)

為写経

 

 2015年、お墓の改建を機に、父の末弟の小田五郎に「護國院」という立派な院号を長松院住職様から付けていただいた。小田五郎は昭和19年にビルマで戦死された英霊である。また元の戒名が戰勲至誠居士であるので、吉田松陰が好んで使った「至誠」であるのも因縁である。

 住職様も英霊に院号を付けるというのは、住職としても人生で滅多にないことであり、大変名誉なことなので、その代金は不要と言われた。ありがたいことであった。

 その一連の過程で、小田家先祖代々諸精霊の位牌を作るとよいと長松院住職様からのアドバイスを受けて作成した。

 

 その位牌を納めに来た横田仏壇屋の奥様から、それなら為書きの写経をお墓に納めると良いという助言があり、早々に写経を始めた。書いているうちにそれならお墓に入っているご先祖様全員の為写経をしようという気になり、全33名分の写経をする大変なことになった。それでも8月15日から始めて、10月3日で33名のご先祖様の為写経を終ることができた。まだ時間があるので、更に写経を進めた。

 これも以前に、知己塾で恵峰先生より「般若心経の写経をすると書道の勉強にもなる」と言われて、その教材を入手していたご縁があって、直ぐに取り掛かれることが出来た。ありがたい恵峰先生からのご縁である。

 

 般若心経の一字一字を慎重に書いていると、その意味するところが伝わってくる。書いてこそ、その経の意味が理解できる。それが分かったのも大きな功徳であるようだ。

 

 馬場恵峰先生は、今までに1万5千文字の写経をされたという。先生でも1枚の般若心経を書かれるのに2時間を要するという。それも斎戒沐浴をしてからの写経である。ご縁があり、先生の書の写真集を出版することで、先生の書かれた経の写真を昨年から撮らして頂いている。次頁はその一部である。

 

 2015年10月3日、33名のご先祖様の為写経を終えて、小田五郎さんに新たな院号がついたことを思い出し、その位牌を作ることを思いついた。既に五郎さんの50回忌は終っていて、元の位牌はお炊き上げされているはずだが、諸般の事情で仏壇に位牌も祭られてこなかったようだ。英霊でもあるし、私の家にその関係遺品が残されていて、私が遺品を管理しているご縁もある。住職様と相談をして、位牌を新作することにした。結果として、2015年の半年間で3つの位牌を新作するという不思議なご縁となった。何かに導かれているようだ。

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  馬場恵峰書

2022-08-016   久志能幾研究所通信 2464  小田泰仙

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2022年8月14日 (日)

平和祈念の墓標

 

 先日、小田五郎氏(父の兄弟の五男)の為写経を終わったことに、なにか因縁を覚えた。明日8月15日は小田五郎氏の78回目の命日である。小田五郎氏は昭和19年8月15日、インパール作戦で戦死を遂げた。享年24歳である。

 為写経は、12人のご先祖の為に、順次、約10日に一枚のペースで行っている。たままた8月15日の目前に小田五郎氏の為写経が完成した。そのご縁で、インパール作戦を思い出した。

 

インパール作戦

 2015年10月8日、私が高野山に行ったとき、ビルマ戦線での戦没者慰霊碑を発見して、ビルマ・インパール作戦で戦死(昭和19年8月15日)された父の兄弟で五男の小田五郎氏の無念を思い、手を合わせた。インパール作戦では、日本陸軍の損害は、戦死者が第15軍の主力3個師団で計11,400人・戦病死者が7,800人・行方不明者1,100人以上(計20,300人以上)にのぼり、そのほか第15師団だけで3,700人の戦病者が発生した(『戦史叢書』による)。

 ビルマ・インパール作戦では、2万人余の戦死者が出た。その多くは戦死者以外にマラリアや餓死等であり、その主の原因は司令部のずさんな作戦ミスにある。戸部良一氏は、『失敗の本質』において、インパール作戦でずさんな計画が実行された原因について、牟田口軍司令官や河辺方面軍司令官の能力も影響しているが、より重要なのは「人情」という名の人間関係・組織内融和が優先されて組織の合理性が削がれた点にあると主張している。組織のトップがその責任を果たさなかった場合の結末は悲惨である。

 

父の兄弟の四男

 2016年1月6日、長松院で祖母の追善供養の法事の打ち合わせをした後、思いついて彦根護国神社内にあるシベリア戦没者慰霊碑に向った。その慰霊碑の裏面を見て、そこに父の兄弟で四男の小田史郎氏の名を発見して、改めて厳粛な気持ちになった。今まで数回ここを訪問しているが、裏面に小田史郎氏の名前があることには気がつかなかった。お墓の開眼法要も終り、戒名の訂正と祖母の追善供養の段取りが終った後での発見である。何か導かれたようだ。

 

共産主義という敵

 改めて共産主義国家ソ連の非道さを考えることになった。貧富の差をなくすため共産主義が生まれたが、実際は資本主義以上の貧富の差を生み、一部特権階級のみが極楽の生活を送る。現代の皮肉である。その轍を中国共産党が踏んでいる。1950年代の大躍進政策で、自国民推定で2,000~5,000万人を餓死させたことで毛沢東は、生涯でただ一度自己批判をして党主席を辞任している。5,000万人を殺しても責任を問われたわけではない。

 

グローバル経済教という敵

 企業が勝ち抜くためのベストプラクティスとして、資本主義社会でグローバル経済主義が横行しているが、結果は貧富の差の拡大があっただけである。常に企業のトップの一部の特権階級のみが、美味しい目を味わい、大多数の労働者はより不幸になる仕組みである。

 

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  彦根護国神社 シベリア戦没者慰霊碑

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 シベリア戦没者慰霊碑裏面 

 上段左から2人目が小田史郎氏の名    2016年1月6日撮影

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  高野山 ビルマ方面戦没者慰霊碑 2015年10月8日撮影

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 戦争は常に自己の国の利益を最大にしようとする利己主義から生まれる。病気との戦争も自己の欲望を最大にしようと極楽三昧の生活を送るところから発生する。己を滅ぼすのは己である。国のトップが狂えば、国が滅び、会社のトップが金儲け主義を邁進すれば、儲かるのは一時的で、長期的には衰退する。ご先祖から頂いた体をその欲望のままに生活すれば、病気になり早くあの世に旅立つのも故あること。

 

 ご先祖が戦争で非業の死を受けたことや、世界の多く人が理不尽な扱いで命を奪われた歴史の事実を凝視すると、自分が受けてきた諸般のことは、なんと小さいことかと思い知らされる。小さな人間の力では何も出来ないかと、無力感にも襲われる。しかし艱難辛苦を浴びたご先祖に比べて、今の自分の幸せさ、生きていること、生かされていることに報恩感謝の念が沸き、未来へ希望を持って生きていきたいとの想いが出てくる。

 

2022-08-014   久志能幾研究所通信 2462  小田泰仙

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