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2022年8月17日 (水)

為写経

 

 2015年、お墓の改建を機に、父の末弟の小田五郎に「護國院」という立派な院号を長松院住職様から付けていただいた。小田五郎は昭和19年にビルマで戦死された英霊である。また元の戒名が戰勲至誠居士であるので、吉田松陰が好んで使った「至誠」であるのも因縁である。

 住職様も英霊に院号を付けるというのは、住職としても人生で滅多にないことであり、大変名誉なことなので、その代金は不要と言われた。ありがたいことであった。

 その一連の過程で、小田家先祖代々諸精霊の位牌を作るとよいと長松院住職様からのアドバイスを受けて作成した。

 

 その位牌を納めに来た横田仏壇屋の奥様から、それなら為書きの写経をお墓に納めると良いという助言があり、早々に写経を始めた。書いているうちにそれならお墓に入っているご先祖様全員の為写経をしようという気になり、全33名分の写経をする大変なことになった。それでも8月15日から始めて、10月3日で33名のご先祖様の為写経を終ることができた。まだ時間があるので、更に写経を進めた。

 これも以前に、知己塾で恵峰先生より「般若心経の写経をすると書道の勉強にもなる」と言われて、その教材を入手していたご縁があって、直ぐに取り掛かれることが出来た。ありがたい恵峰先生からのご縁である。

 

 般若心経の一字一字を慎重に書いていると、その意味するところが伝わってくる。書いてこそ、その経の意味が理解できる。それが分かったのも大きな功徳であるようだ。

 

 馬場恵峰先生は、今までに1万5千文字の写経をされたという。先生でも1枚の般若心経を書かれるのに2時間を要するという。それも斎戒沐浴をしてからの写経である。ご縁があり、先生の書の写真集を出版することで、先生の書かれた経の写真を昨年から撮らして頂いている。次頁はその一部である。

 

 2015年10月3日、33名のご先祖様の為写経を終えて、小田五郎さんに新たな院号がついたことを思い出し、その位牌を作ることを思いついた。既に五郎さんの50回忌は終っていて、元の位牌はお炊き上げされているはずだが、諸般の事情で仏壇に位牌も祭られてこなかったようだ。英霊でもあるし、私の家にその関係遺品が残されていて、私が遺品を管理しているご縁もある。住職様と相談をして、位牌を新作することにした。結果として、2015年の半年間で3つの位牌を新作するという不思議なご縁となった。何かに導かれているようだ。

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  馬場恵峰書

2022-08-016   久志能幾研究所通信 2464  小田泰仙

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