2010年、37年5ヵ月間を勤めて定年退職し、故郷の岐阜県大垣市(人口16万人)に活動拠点を移してから、朝の日課として「四季の路」を歩いていた。「四季の路」は、大垣市が俳聖松尾芭蕉の『奥の細道』の旅で詠まれた俳句の碑を市内中心部の水門川沿いに建立し、「ミニ奥の細道」として整備した遊歩道である。
毎朝5時に起床して、仏壇の前でお勤めをした後、日の出に合わせて散歩に出る。自宅から徒歩10分の八幡神社でお参りをしてから住吉燈台を目指して、「四季の路」を歩く。住吉神社、大垣公園、濃尾護國神社、大垣城を通って帰宅する。自宅から住吉燈台まで往復で1時間余、芭蕉『奥の細道』の紀行で詠まれた俳句の碑を横目で見ての「ミニ奥の細道」朝の旅である。
水門川の澄んだ清流を観ながらの散歩は大変清清しく、気持ちが良い。水門川の川底まで澄んだ水の流れは、気候によっては泥水を含んで濁り、日によっては大量のゴミが流れてきて、日々その様相を変える。「海の水を辞せざるは同事なり、是故に能く水聚りて海となるなり(修証義)」がよく思い浮かぶ。
大垣に転居してから5年弱、雨の日も風の日も「四季の路」を歩いた。松下幸之助翁の言葉「雨が降れば傘をさす」。帰宅後、大垣の水(大垣は水の都として有名で、豊富で良質な水は水温が低い)をかぶり、乾布摩擦をして一日のスタートとした。水かぶりは人生への危機感から、2010年6月から再開し、それから1日も欠かさずに継続した。3年前の事件を契機に、1年間続けた水かぶりを中断しての2年ぶりの再開だ。2010年11月のローマ旅行時も、毎朝、ホテルでローマの水をかぶった。ローマの水は大垣の水とは違い、少々緻密さにかける水ではあったが、冷たいことには変わらない。何らかの達成感を得るには、多少の困難・苦痛が必要のようだ。まるで塩沼亮潤師の千日回峰行みたいだ。現在は早朝の運動の危険性を知り、体調を考えて夕刻の散歩に変えた。
人生の旅
早朝のため人通りのまばらな街を横切り、川沿いの静寂な散歩道を歩いて、今までの60年間(会社生活38年間)の社会での歩みと今後の42年??を考えた。60年間余の総括として人生を振り返ると、人生とは旅だ、と思いいたる。『奥の細道』冒頭の一節が自分の人生に重なる。
半生を振り返り、遭遇した多様な縁を見つめるとき、よくぞ無事に定年という折り返し点にたどり着いたと感慨にふける。無事にたどり着けなかった仲間がなんと多いことか。団塊の世代で多かった同期の仲間が1/3に激減した現実を見ると愕然となる。
「四季の路」を歩くなか、ごく平凡なサラリーマン生活を送ってきたつもりが、普通では「有り難い」多くの出会いを経験させていただいたことに気づいた。多くの御縁の中で生かされて、無事にやってこられたことに感謝です。頭では「塞翁が馬」を理解しているつもりですが、還暦を迎え、その言葉の重みを再確認しています。様々な出来事に出会って、それが自分の血となり肉となり知恵となったことを実感する。まさに格物致知、磨墨知の世界である。歩きながら考えることは、毎日が堂々巡りの感もあるが、実際に自分が意思を持って実行できた証のみが、自分の経験の形成につながっている。
只歩
渡部昇一著『95歳へ!』(飛鳥新社 2007年)で散歩での瞑想法が推奨されている。歩いていると途中や帰宅後にいろんな思いが浮かんでくる。歩くことは考えること、生きることなのだ。人が死ぬ時は、全人生の出来事が走馬灯のように高速で目の前に映し出されるという。時おり、過去の人生の出来事の一片が走馬灯のコマ送りのように眼に止まることがあり、自分の過去の反省と懺悔の思いが湧き出てくる。また過去の出来事の判断についても、当時批判された事件が、冷静に自分が正しかったと確認する事例も多く思い出される。
歩かなくなった時、チャレンジがなくなった時、創造しなくなった時、自分を磨かなくなった時、そして諦めた時に、人は老い、死ぬという。人の記憶からその人の思い出が消えた時、第二の死(本当の死)が訪れる。孔子、安岡正篤、松下幸之助、両親、共に私の記憶の中に生きて語りかけている。本当の死を延ばすには、自分の航跡をどれだけ印象強く人と記録に残せるかだと、自戒をこめて歩いている。
読書感想 渡部昇一著『95歳へ!』飛鳥新社 2007年
【要旨】何事かをなす時間は、まだ十分に残されている。60歳から35年間を設計する、中高年のための実践的幸福論である。ボケずに健康で95歳を迎えるため、氏は何人もの矍鑠たる高齢者と対談し、教示されたノウハウを、この本にまとめた。(2011年2月24日記)
本書は世代を超えて人生観・生活方法の見直しとして多くの示唆がある。渡部氏は、60歳の人に95歳を目指して、あと35年間、がんばろうと主張している。しかし個別の内容は、どの世代でも応用できる生き方のヒントが多くある。全ての世代に伝えるべき良く生きるためのエッセいだと感じた。若い人ほど、人生の計画を立てる上で、お勧めである。
歳月は人の背後より迫り、無常にも追い抜いていく。誰にでも訪れる死。その死を受け入れ、死までの人生を充実して過ごす術は知っておくべきだ。よく生きた人生は、よく働いた日と同じように、安らかな永遠の眠りを得る。
95歳まで生きるつもりでないと、70歳までも生きれまい。蒲柳の質で幼少のころは養護クラスに入れられた渡部氏であるが、2016年まで、85歳でも幅広く活躍をされていた。20歳までも生きられないと医者から言われた蒲柳の質の松下幸之助氏は、120歳まで生きるんだと周囲に宣言し、94歳の天命を全うされた。凡人の我々でも95歳まで現役の仕事を見つけたい。この書で、白川静氏の生きかたを紹介されている。氏は88歳から94歳まで京都の市民大学講座で24回も講義をされた。その収録DVDを購入し、観ると生きる力が湧いてきた。
また、生きるには言語能力の維持が欠かせない。それの音読を習慣にすることにした。今まで音読の良さは理解していたが、よい教材がなく実行できていなかた。この書を読んで思いついたのが、今までに書抜きをした資料である。本一冊を音読すると間延びがするが、自分が選別した図書の書き抜きであるので、興味が持続する。また、何回も音読することで、内容が頭に刻み込まれる。今までは、本を読んでそのときは感銘しても、すぐに忘却の彼方の例が多くあった。なかなか何回も読めないが、抜書き資料なら長続きする。『脳に悪い7つの習慣』の著者林成之教授も、大事なことは何回も頭に叩き込むべきとの説にもあっている。
私が2017年4月17日、ウィーンに到着した日に師の訃報に接した。86歳で旅立たれるとは意外であった。それでもこの御年まで現役で大活躍されたのには敬意を捧げる。師のご冥福をお祈りし申し上げます。(2017-06-30)
図1 「四季の路」地図 大垣市製作
図2 四季の道の風景 左の石に松尾芭蕉の俳句が刻まれている。
図3 住吉燈台
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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