1000年の命
人の命はせいぜい百年だが、佛像の命は千年にも及ぶ。佛像は千年にもわたって、祈る人々の心を受け入れる。その佛像造りに佛師は命をかける。人の命は河の流れに浮かぶ泡沫のようなもの。人の命は儚い。だからこそ、今を精一杯に生きるべしと、鴨長明は『方丈記』で云う。命が有限であるからこそ、今の仕事が輝く。人の命が千年もあれば、緊張感が生まれず、命が輝く作品は生まれまい。自分が作る仕事がどれだけの期間、世に受け入れられ続けるか。長く使われて欲しいと願うのは、作品を世に送り出す創造者である。芸術作品、工業製品、システム製品、思想等の全てに言える。
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。----『方丈記』
人は三度死ぬ
一度目は人生の使命が終ったとき。二度目は肉体的な死。三度目は縁あった人たちの記憶から、その人の記憶が無くなる時である。完成させた仕事が世に長く残るとは、その人が生きていること。その人の作品を見る度に、その人に思いを馳せる。その人の作品が目の前で語りかける。古の思想家の言葉を思い出すたび、その人の声を聴く。その思想家は人々の心の中で訴えている。そんな風に命が永らえる作品を残して旅立ちたい。
毎朝、水門川沿いの「四季の路」(大垣市)を散歩すると、目に写る川の流れの変化に無常を感じる。河の流れは絶え間なく、四季の移り変わりによる風景の化粧直しに人生を感じる。日暮れて道遠し。命の有限さを毎日ひしひしと感じる。
図1~4 「石山の 石より白し 秋の風」(芭蕉) 「四季の路」(大垣市)
碑文の書は芭蕉直筆
2017-07-27
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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