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2017年11月 1日 (水)

人生の奥の細道を歩く

 2010年8月末に37年5ヵ月間を勤めた会社を定年退職し、故郷の岐阜県大垣市(県下で岐阜市に次ぐ第二の都市、人口16万人)に活動拠点を移してから、朝の日課として「四季の路」を現在まで歩き続けていた。最初の4年間は、雨の日も風の日も欠かさず歩いていた。松尾芭蕉が半年で踏破(1日13 km)した奥の細道の2400kmを、私は毎日5km で1年半かけて達成した。現在は(2015年)、時間帯を夕刻に変えて、雨の日を除いて毎日歩いている。

 「四季の路」は、大垣市が俳聖松尾芭蕉の『奥の細道』の旅で詠まれた俳句の碑を市内中心部の水門川沿いに建立し、「ミニ奥の細道」として整備した遊歩道である。早朝の人通りのまばらな街を横切り、川沿いの静寂な散歩道を歩いて、考えたことは、今までの人生の歩みと今後の35年(予定)の道のりである。60年間の総括として人生を振り返ると、人生は旅だなぁとつくづくと感慨にふけさせられる。『奥の細道』の冒頭の一節が自分の人生に重なる。

 

人生は托鉢の旅

 人生とは空の器を持って、僧が托鉢をする修行と同じである。器を上向けに捧げて歩かない限り、ご縁は入ってこない。来る日も来る日も、雨の日も風の日も同じ道を歩く。同じ道を歩いていても出会う縁は毎日違う。その前を毎日通過しても、4年目でしか実が結ばないご縁もある。どれだけご縁に対して意識がそこに向くかで、そのご縁との出逢いがある。

 

人生は縁を求める旅

 人生の旅は、縁を求めて歩く旅である。用があるのではない、用を作りに出かける旅でもある。犬も歩けば棒に当たる。歩かなければ、ご縁に出会でない。多く出会いの中から、真珠の出会いが生まれる。無駄な出会いがあるから、真の出会いがある。散歩の途中にある恒久平和の碑の裏側に記載された父の名前は、4年間、毎日その横を通っても気が付かなかった。同じように、気づかずに通り過ぎていったご縁がどれほどあることか。

 半生を振り返り、遭遇した多様な縁を見つめる時、よくぞ無事にこの歳まで生きてきたかとの思いにふけさせられる。無事にたどり着けなかった仲間がなんと多いことか。そのビジネス戦士の戦死の現実を見ると愕然となる。

 

「全てを受け入れる」を悟る旅

 水門川の澄んだ清流を観ながら、早朝の水辺を歩くと大変清清しく、気持ちのよさは格別である。水門川の川底まで澄んだ水の流れは、気候によっては泥水を含んで濁り、日によっては大量のゴミが流れてきて、日々その様相を変えるのも、人生を感じる。「海の水を辞せざるは同事なり、是故に能く水聚りて海となるなり(修証義)」という言葉がよく思い浮かぶ。来る縁を拒否するから、軋轢を生じさせる。相手を拒否せず、全てを受け入れ、それを己に同化させればよいのだ。そうすれば時間がかかっても、最後は己のものになる。その悟りを得るために、60年という長い時間がかかった。それを体得するのが人生である。

 

旅の終わり

 どんな旅にも終わりがある。95歳まで歩くと決意していても、一年前から腰を痛めて、この1年間は歩けなかった(2017年)。いくら歩こうと言う意思があっても、加齢による脊椎の骨の老化で、歩けなくなったのだ。日暮れて道遠し、を痛感させられた。「命には限りがある」ことを思い知らされたこの1年間であった。元気な時は、それをすっかり忘れていた。最近やっと痛みも和らぎ、ぼちぼちと散歩を再開した。己の命の限界を見据えて、人生計画で列挙した夢は早く実現しようと決意を新たにした。それが今回の大きな学びである。

 

図1~4 「四季の路」の風景

図5 四季の路の地図(大垣市作成 「四季の路」道中に掲示)

図6 馬場恵峰書「奥の細道」冒頭の書

  「馬場恵峰書『奥の細道全集』」より(「2017年12月発刊予定」)

 

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久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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