« カテゴリー「四季の路」を追加します | メイン | インプラント 15(美観、価格性能比) »

2017年7月26日 (水)

人生の旅の結びと出発

 人生曼荼羅界の最終章は、次の界への旅立ちである。その界での使命を果たした後は、次の界に旅立たないと、今の界の人に迷惑をかける。何時までも徳川家康が君臨していては安倍総理も煙たかろう。今も天才佛師の運慶が健在では、明慶先生も出番も少なかろうと思う。新しい血が生まれないと、その界の発展もない。人生に時間制限があってこそ、今の命が輝く。俳聖松尾芭蕉の旅も、江戸深川を出て東北、北陸を回り大垣が「奥の細道」の結びの地となった。芭蕉は大垣で親交の深い木因らとの再会を歓び、旅の疲れを癒した。そして伊勢神宮の遷宮の訪問のため、大垣船町港より舟で桑名に向かい旅に出発した。次句を残した。

「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」

 句意は「蛤の蓋と身が引き剥がれるような辛さを残し、親しい人々と別れて、自分はいま行く秋とともに、伊勢の二見に向けてまた旅に出るのだ」。これは「奥の細道」における結びの句であり、見送る門人衆への留別吟である。伊勢の名産である蛤をふまえ、「蓋・身」に掛けて「二見」を出した技巧的修辞であり、「蓋・身に別れ」から「別れ行く」「行く秋」と引き出した重層的表現である。

私の「奥の細道」結びの地

 現代では60歳の定年になっても、95歳まで生きる意志があれば、まだ35年間もある。第一の人生の会社生活37年間とほぼ同じである。第一の人生は修行として学ぶことが多かったが、還暦を迎え一応、社会の基本的なことは学習をした。それを活かせば、第二の人生でも、まだまだやれることは多いはず。人生は倒れるまでが、旅なのだ。寝たきりになっては、人生の旅はできない。寝たきりになるのは、寝たきりになるような生活の「心がけ」をしてきた因があるからだ。人の世は因果応報である。修証義に曰く「善悪の報に三時あり、一者順報受、二者順生受、三者順後次受」。(三時:因果の報いの現れる三つの時期)

 小さな私的な人生でもドラマがあり、谷も峠がある。しかし、その峠にもたどりつけず鬼門に入った仲間が身近で11名にも及ぶ。還暦を迎えて、無事に人生の峠に辿り着けた有難さを感じる。大垣に帰郷した2010年9月から毎日、「四季の路」を雨の日も雪の日も歩き続け、16カ月後の2011年末に累計で2,400kmを歩いた。芭蕉が東京深川から大垣までの道中とほぼ同じ距離である。意識をしたわけでなく、ただ毎日、5kmを継続して歩いただけだ。芭蕉は160日をかけて「奥の細道」を歩き、私は500日弱をかけて2,400kmを歩いた。その後も「朝の旅」で歩き続けている。

燈台を背に立つ松尾芭蕉の像

 この像は昭和63年(1988)建立された。後ろは大門川、船町港跡の河畔に立つ船町燈台。なぜか、この像は桑名方向(南)ではなく、西を向いて立っている。西方浄土を見つめているのだろか。左後ろに見送るのは俳友の谷木因像である。芭蕉が最初に大垣を訪れたのは、貞享元年(1684)、「野ざらし紀行」の旅の途中、俳友・谷木因を訪ねたのが始まりで、以後3回大垣を訪れている。谷木因と芭蕉とは、京都の北村季吟の相弟子である。当時、大垣の俳諧は、大垣十万石の城主戸田公の文教奨励もあって、谷木因の指導のもと大垣藩士らを中心に盛んであった。芭蕉の4回にわたる大垣への訪れは、大垣俳壇に新風を吹き込んだ。「奥の細道」は、谷木因の屋敷前、舟町湊で結ばれている。谷木因は風雅の面だけの人ではなく、優れた経済人であった。木因は家業を広げ、諸国との交流を盛んにして、ふるさとと大垣繁栄の先達となった。彼の名を冠した餅も、創業250年のお菓子処「つちや」から販売されている。

住吉燈台

 大垣の船町港跡にある住吉燈台は、夜には灯りが点燈し情緒ある雰囲気を醸し出している。俳聖松尾芭蕉は、「奥の細道」の旅を元禄2年3月27日(1689年)に江戸深川を出発し、5ヶ月間にわたり600里(2,400km)を巡遊して、9月6日、ここ大垣でむすびんだ。芭蕉はここから舟で桑名へ下り、伊勢神宮の遷宮参拝へ向かった。毎朝、「四季の路」を散歩すると、四季の移り変わりに自分の人生が重ね合わせられて、今までの人生曼荼羅の世界に思いを馳せる。

人生旅路のご縁

 隣の住吉神社は、河の運行の安全を祈願して建立されている。住吉神社は、大阪・住吉大社が本宮である。住吉神社は、御祓い、航海安全、和歌、農耕の神様として祭られている。また大垣・住吉神社は、「蛤のふたみに」のご縁にかけて、大垣の縁結びの神様としても祭られている。住吉神社のご利益(差別化商品)は良縁である。人生の旅路で、燈台を目指して歩いてきたが、燈台前の住吉橋を渡る前に、どれだけ人知れずお世話になったご縁があることやら。今ここに辿り着けたのは自分だけの力ではない。皆様とのよき縁があって、目標とした場所に辿り着いたに過ぎない。そのご縁を忘れてはならないと肝に銘じている。

 その旅路に四季がある。春の清々しい時もあれば、酷暑の夏もある。晩秋で人生の黄昏を感じる時もある。凍てつく吹雪が舞う冬の時もある。今までの会社人生の過程を象徴するような、燈台の四季の風景が目の前を行き過ぎてゆく。そんな四季の折々の循環を帰郷後6回も見ることになった。自然の営みは、声なき経を唱えている。

 

図1 芭蕉とその旅立ちを見送る木因  

図2 芭蕉の凛とした後姿。人格は後姿に現れる

図3 住吉灯台の横にある住吉神社(大垣市 船町港跡)

  住吉神社の本宮は大阪の住吉大社である。

思いをむすぶ縁結び、はまぐりの縁結びの神様としても祭られている。

図4 水鳥が遊ぶ水門川

図5 当時の灯台(右)、この先が桑名方面

図6~9 住吉燈台の春夏秋冬

 

2017-07-26

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

1img_0603

2p1050182

3dsc01799

4p1050710

5p1030327

6p1060002

7img_2708

8dsc03057

9img_3770

コメント

コメントを投稿