佛像のお顔に、佛師の心が映し出される
佛師は佛像造りに命を賭ける。その命を賭けた佛像の顔にも、松本明慶師の歳により歴史が刻まれる。明慶師が彫った20年前の佛様のお顔は、端正で勢いがある。それが今は、その佛様のお顔に艶がでている。松本明慶師の人格が上がったのだ。
仕事は人格の現れ
仕事とはその人の心の現れである。勢いがあれば生命感あふれる仕事が完成する。人格が向上すれば、相応の心配りが感じられる仕事となる。仕事とは要求さえたことだけをこなせばよいわけではない。目に見えない箇所にまで心を込めてなんぼである。それでこそ、仕事に「艶がある」と言える。
40歳の時の仕事と、60歳の時の仕事の艶が同じでは哀しい。仕事に艶がでるように精進をしたい。
仕事は正直だ。その人の人格以上のものは出ない。仕事をする前に人間を作れ。
顔を大事にしよう
人間の人格の顔は、「顔」である。都市の顔は駅前商店街である。そこに行政の通信簿が見える。駅前商店街で大垣市の公示地価が決まる。前市長が愚腕を振るった20年間で、大垣に公示地価は半分以下に暴落した。現在、大垣駅前商店街はシャッター通りである。前善市長が心を込めて大垣を作らなかったためだ。現市長は、その政策を継承するという。狂気である。
リンカーンの言葉
人間の顔も同じだ。リンカーンは「男は40になったら顔に責任を持て」と言った。それを理由に知人から推薦された人の入閣を拒絶した。その人の顔が気に食わなかったからだ。人生での仕事ぶりが顔に刻まれる。顔を見れば、その人の人格が分かる。
自分の仕事に自信がないと、自衛策で渋い顔をして胡麻化そうとする。それはまるで玄関に髑髏をぶら下げるようなものだ(福沢諭吉著「学問のすすめ」)。
もっと自信をもって笑顔で社会に向き合おう。顔は社会の窓である。
佛様の責任
佛様でも、顔に責任を持って衆生と向き合っている。慈悲深い仏様なら、慈悲溢れる顔立ちをされている。怒りで衆生を導く不動明王なら、その怒りの形相が凄まじい。その怒りの形相を、佛師は丹精込めて彫り上げる。だから単なる怒りの表情ではない。怒りの中に艶がある。
そのお顔を彫るのが、松本明慶師である。松本明慶師の人格がそのまま佛様の顔に出る。
聖観音菩薩像 松本明慶大仏師作 2000年頃
『大仏師松本明慶 作品集』小学館
松本明慶仏像彫刻美術館の掲載許可を得ています
聖観音菩薩像 松本明慶大仏師作 2010年製作
虚空蔵菩薩像 松本明慶大仏師作 2014年製作
普賢菩薩像 松本明慶大仏師作 2019年製作
2022-04-27 久志能幾研究所通信 2372号 小田泰仙
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