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2021年4月11日 (日)

キレよう (磨墨知132)

 

 正しい方向にキレるなら、物凄いエネルギーが発揮される。それで目標を短時間に達成できる。

 

 安易な妥協の人生を変えよう。ぬるま湯の人生を送る中で、たまには切れて、過度な反応をするのも良いものだ。きっと世界が変わる。自分の人生が変わる。そうすれば相手の人生も変わる。

 切れた民衆の怒りが社会を変えてきた。そうやって歴史は作られてきた。

 

 ただしキレて刃物を振り回してはいけません。私が切れると、テクニカルライティング手法を応用した切れる文書で、冷静に不届きものを切ります。論理的な推敲を重ねて文書を書いていくと、その過程で、その問題点が浮かび上がり、何が正しいかが見えてくる。

 

2021-04-11  久志能幾研究所通信 1984  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します

2021年4月 8日 (木)

10年後、この世にいないとしたら

 

10年後のために、今することは何か?

3年後のために、今することは何か?

1年後のために、今することは何か?

今日、することは何か?

死後の世界で出会う人のために、今することは何か?

この10年間で何を遺すのか?

 

5年後

 日本人の平均寿命は80歳である。今、70歳の人は10年後にはこの世にいない確率が高い。60歳の人でも20年後にはこの世にいない。20年などあっという間だ。75歳になれば、4人に一人は認知症である。つまり脳死である。そのことを考えないから、ドタバタの人生で終わる。死の間際になってあわてる。

 死に接して、慌てないように人生を送れば、死の時になっても、従容として死ねる。立派に死ねる。死ぬ時は、死ぬのが一番適切な行動だ。延命治療など不要である。

 

成年重ねて来たらず

一日再び晨(あした)なり難し

時に及んで当に勉励すべし

歳月は人を待たず

陶淵明(365~427年)『雑詩十二首』

 

 

時間の浪費   p 35

 その原因はどこにあるのか? 君たちはあたかも自分は永久に生きられるかのように今を生きていて、自分のいのちの脆さに思い致すことは決してない。いかに多くの時間がすでに過ぎ去ったかを意識しない。時間なぞ無尽蔵にあるもののように君たちは時間を浪費している。そうやって君たちがどこの誰かに、あるいは何らかの事に与えているその日が、実は君たちの最後の日であるかもしれないのに。死すべき者のように君たちは全てを怖れ、不死の者であるかのようにすべてを得ようとしているのだ。          

   セネカ「人生の短さについて」3-4(中野孝次訳)

Img_64031s  馬場恵峰書 2006年

2021-04-08   久志能幾研究所通信 1980 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

「断捨離」よりも「断アプリ・捨アプリ・離スマホ」を

 

 最近、集中力を妨げる悪魔として暴れているのが、スマホの通知音である。その音がうっとおしいので、今回多くのアプリを削除した。

 最近もドコモメール、マイマガジンのアプリで、通知音が「ピッ」と鳴った。内容を確認したら単なるアンケート付の宣伝であった。あまりにその頻度が多いのでそのアプリを削除しようとしたが、プロテクトがかかっていて削除できなかった。仕方がないので強制停止状態にした。

 仕事に集中しているのに、その集中が途切れると、元に戻すに10分はかかる。時間泥棒である。1分100円の時間コストとして、年間で73万円ほどの時間損害となっている。

  2回×10分×365日×100円=73万円

 だから最近は仕事場にスマホを持って行かないようにした。着信があれば後から確認して、連絡をすれば済む話である。スマホを持つと不便である。

 

2021-04-07   久志能幾研究所通信 1978 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年4月 3日 (土)

人喰い人種の饗宴 = 面会とは命(時間)を喰う饗宴

 

 吉田茂は長生きの秘訣を「人を喰うことだ」と答えたのは有名な話だ。人と面会するとは、その人の持ち時間(一生で使える時間=命)を自分のために消費させる饗宴だ。人食いの饗宴である。夢ゆめ、手ぶらで行くべからず。土産を持って行け。その人が消費した時間(命)が、その時間に見合う価値ある土産を与えよ。そうしないと、時間泥棒(殺時ン)になってしまう。

 

人との面会とは真剣勝負

 その人の面会は、今生の最初で最後の出会いと思え。お互い、明日は分からない。その対応が悪ければ、二度と会ってはもらえないかもしれない。相手だって生きるのに忙しいのだ。

 特に高齢の師ならなおさらのこと。私は良き時に多くの時間を馬場恵峰先生と真剣に共有できて、幸せだったと思う。そうでなければ悔いが残った。馬場恵峰先生に再度会いたくても、もうそれは叶わない。

 

土産

 土産とは、その人に価値ある情報であれ。土産とはお菓子ではない。スィーツは人の命を削る。糖分は病気の元である。

 くだらない話題で時間を無駄にしてはならない。話を雑にするから、雑談になる。その雑談が、後日、お互いの付加価値(金)にならなければ、無駄な会話である。

 

気配り

 最大の気配りとは、相手に対して全力で向き合うことだ。真の信頼関係はここでこそ生まれる。(田中角栄)

 相手と話している時に、携帯電話に応答するのは言語道断である。それだから人生で失敗する。その行動が己の人生の全てを象徴している。それこそが相手への最大の侮辱である。それは自分の人生を侮辱している。今、目の前の人物こそ人生最優先の人物なのだ。

 

話題提供

 相手が興味を抱かない話題を提供してはならない。自分の趣味が万人に受けるわけがない。その人にはお宝であっても、多くの人は釣りも石も株もユーチューブ等も興味がない。それに興味を示さない相手に見せつけるのは、宴会で嫌いな食品ばかり押し付けるようなもの。会社の接待宴会での幹事の心得と思え。ヤクザの襲名披露宴会ではないのだから、対等にお互いが成長できる話題を土産として持って行くべし。

 

2021-04-03   久志能幾研究所通信 1970 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年3月14日 (日)

忘れ物をしよう (磨墨知150)

 

 忘れ物は物事、考え事に没頭・集中した証である。それは仕事に没頭できたことの勲章である。将棋の世界でも、忘れ物をすれるくらい考えれば、一人前という話もある。時間の密度を上げるため、忘れ物をするくらい集中しよう。忘れもので損害が出ても、きっと仕事に没頭したことの成果でカバーできるはず。

 

対策

 せめて没頭・集中しても忘れ物をしない工夫(メモや呼称)をすればよい。忘れた場合の救済処置(物に名前を書く)を取る対策をとればよい。パートナーにバックアップをお願いすればよい。

 

忘却は人間の徳性

 還暦を迎えたら、若い時に比べれば短期記憶領域の老化が始って、すぐ忘れることを自覚しよう。要は物忘れが良くなる?のだ。人として忘れることは良いことだ。昔のことをいつまでも覚えていたら気が狂う。加齢すると覚えることが増えるもの。だから日記やメモや予定俵に記載すれば解決である。

 老いを嘆くのではなく、臨機応変にその対応をすればよい。笑ってごまかせる人徳を身に付けよう? 人格が向上すれば、その度忘れの愛嬌が、人間味になる。惚けと愛嬌は紙一重。

 しかし認知症になれば、自分を忘れる。考えず、頭を使って仕事をしてこなかったためだ。そうなれば人間ではなくなるので、ご用心。

 

2021-03-14   久志能幾研究所通信 1950 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年3月10日 (水)

仕事の疲れは仕事で取ろう (磨墨知147)

 

 全力で仕事をしていると楽しくなる。結果として密度の高い仕事になる。

 その仕事も質の違う仕事と組み合わせると、無駄なく時間が使える。肉体労働には休息が必要だが、頭脳労働の疲れは、別の頭脳労働をすることで取れる。頭脳では新しいことに興味を起こす物質が分泌される。

 遊びはやり過ぎると、嫌になってくる。なにか虚しい気持ちにもなる。それはやったことに対する成果がないからだ。それに対して仕事はやればやるほど面白くなってくる。その成果が見えるからだ。だから、趣味で将棋がいくら好きでも、3日も将棋ばかりやっていれば嫌になる。将棋が仕事のプロなら、話しは別である。

 

爆睡・永眠

 仕事に全力で取り組めば、夜は心地よい疲労感でバタンキューである。全力でやった仕事の疲れが、バタンキューの爆睡を誘う。それで仕事の疲れが取れる。いやいや仕事をやっていると、精神的な疲れが残り、夜に神経が高ぶり、寝られない。

 

 よく働いた一日は、安らかな眠りを誘う。

 よく働いた会社人生は、充実した林住期を恵まれる。

 

 「林住期」とは、「働きづめに働いてきた人間が、ようやく自分のやりたいことが出来るようになった時期」である。

 ちなみに人生を4つのステージに分けることを「四住期」という。これは古代インドの思想である。第一期は修行の「学生期」、第二期は家庭の主人になる「家住期」、第三期が「林住期」、第四期は一切の世間的な欲を捨て、世の中で困っている人の魂を救う「遊行期」である。この4つのステージを全て辿って死んでいく生き方こそ最も理想的だと紀元前のインド人は考えた。

 

 よく働いた一生は、安らかな永眠を賜わう。

 

 人間が長寿で死ぬのは、枯れ木が倒れるように自然である。死の恐怖も苦しみも少ない。ところが、若くして死ぬとは、生木を裂くようなもので、塗炭の苦しみを味わう。だからこそ健康に留意して長生きすべし。 

 馬場恵峰師は93歳と8ヶ月まで「生涯現役、一路挑戦、一生青春」を座右の銘として働かれた。最後は1か月程寝込まれたが、多くの弟子が見舞いに来て最後の別れをした。恵峰先生は家族に見守られて、2021年1月1日に静かに息を引き取られた。穏やかな最期であった。

 

生涯無休

 私の座右の銘は「生涯無休24H対応」である。名刺にもそう記載している。だから何時仕事の電話をかけてもらっても構わない。深夜で私が電話に出られないときも、秘書の留守電?が対応します。

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  馬場恵峰書

 2021-03-10 久志能幾研究所通信 1944 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月28日 (日)

「G線上のアリア」は厠上よりも最高

 

 文章を考えるのに適した場所としての欧陽修は「三上」を揚げている。その中でも、私は電車のグリーン車の線路上が最高であると思う。

 欧陽修は、中国の政治家・学者である。彼が友人の謝希深に語り、『帰田録』に書いた言葉が「三上」で「三上」とは馬上・枕上・厠上(便所)のことである。この欧陽修は唐宋八大家の1人である。

 

馬場恵峰先生の49日

 2021年2月27日は、馬場恵峰先生の49日である。2月27日に九州からの帰り電車は、コロナ禍の影響で電車はがら空きである。諫早から博多までの在来線特急「かもめ」は、乗客が私一人で、貸し切り状態であった。往路もほぼ同じ状態であった。山陽新幹線でもほぼ同じ状態であった。

 昔は馬の上が揺られながら考えるのが最高の環境であったが、現代はグリーン車の線路の上(G線上)で、ガタガタと揺られながら、考えるのが最高の環境である。グリーン車の1両を貸し切りで、ゆったりとした席で思考を練り、文書を作るには最高の環境(アリア(aria)は、イタリア語で、音楽の節・旋律を意味し、ほかに「空気」や「態度」の意味もある)である。

 枕の上で考えではダメである。寝るときは真剣に寝ないと睡眠不足になる。良い考えも、目が覚めると思い出せないことが多い。また横になって考えることに、ロクなことはない。ゲーテもベッドの思考を禁止という。

 厠(便所)でも、現代は長時間のトイレは禁止である。トイレ時間が長いとは便秘であり、食生活が健康的ではない証しである。そもそも健康な動物は、排泄の行為は一瞬である。そうしないと排泄は無防備な状態で、敵に襲われる危険があるからだ。

 

動く書斎

 特急列車のグリーン車券は、わずかプラス1600円を払えば、グリーン車が1時間40分間、貸し切りになり、マスクもせず(乗客は一人だから)、車中で考え、本を読み、文書を作ることができるのだ。動く書斎を借りたと思えば安いものである。G線上のアリアの時間は値千金である。

 

 博多・諫早間の自由席特急券は 1,250円

        指定席券が   1,780円

        グリーン車券が 2,850円である。

 

 考えない人生は、野獣の人生だと思う。人間である限り、考えて人生を歩みたい。

 

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2021‎年‎1‎月‎3‎日、‏‎8:57 山陽新幹線 のぞみグリーン車

馬場恵峰先生の葬儀に行く途中

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2021‎年‎2‎月‎27‎日、‏‎16:37 特急「かもめ」 

P1140412s 特急「かもめ」 グリーン車

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2021-02-28 久志能幾研究所通信 1934 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月27日 (土)

読みの省略 (磨墨智110)

 

 過去の経験や思考が、未来の事件を読む糧となる。時間節約の為、読むべきことを絞ろう。全てを読んでいては、絶対時間が足りなくなる。プロは、過去の血の滲む訓練を智慧に昇華する。それが定石と言われる手順だ。

 

人生の岐路の選択で、自分の定石を蓄積しよう。それが時間を略するテコになる。早く選択すれば、多く選択する機会が増える。間違いもあるが、それが貴重な経験となる。多く決断して多く間違いを経験しなければ、読みの練習にならない。痛い目に会って初めて智慧になる。

 

 大事なことは第一感で決めても、そんなに間違いはない。そこには過去の経験から獲得した智慧が出した結論だからだ。

 

 即決はしなくてもよいから、早く決断しよう。時間は無為に過ぎていく。強敵の時間は、待ったを許してくれない。

 

Dsc09255s  馬場恵峰書

2021-02-27  久志能幾研究所通信 1933  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月26日 (金)

自分の部署に全力投球 (磨墨知139)

 

今の部署のことが出来てきないのに、他のことを考えるなんて!

不義理でもいい、まず自分の部署のことを完璧にこなそう。

自分の部署で出来てないことを他人に押しつける人とは不義理でいい。

八方美人になって両方の目的を潰さないようにしよう。

言い訳していると、自分の責任ではないと考えて、時間が浪費される。

 

自営業なら、その仕事に全力投球しよう。

今が悠々自適の定年後の生活なら、今の人生を充実させるために、生き方に全力投球をしよう。お世話になった社会に恩返しをしよう。公園の草取りでも、水路の掃除でもそれが社会への恩返しだ。もう最期までの時間がないのだ。

「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」にならないようにしよう。

 

今、採用試験を受けたら、今の会社は自分を雇ってくれるだろうか?

自営業なら、自分を自分が社長の自分は、己を雇うだろうか?

 

今が悠々自適の定年後の生活なら、奥さんや子息、知人が我が人生の監督者である。他人の批判の声に真摯に向き合おう。

今のままの生き方で良いのか、自問しよう。あと何回、親と会えるのだ。後何回、孫と会えるのか。70歳なら平均寿命80歳として、孫ならあと10回しか会えないかもしれない。自分の親が遠方に住んでいるなら、後数回しか会えないかもしれない。残り時間が命である。

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2021-02-26  久志能幾研究所通信 1932  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年2月25日 (木)

時間節約とは勤勉の汗を流すこと (磨墨知144)

 

 若いころ勤勉の汗を流さなかったツケは、年老いて足腰の弱りとして涙を流す時間として帰ってくる。自分の足で動けないほど、自分の時間を無駄にする事象はない。自分が撒いた怠惰に対する天罰である。

 

 馬場恵峰先生は、93歳まで毎日の朝夕の2回、300坪の庭の掃除を欠かさなかった。だから広い庭に雑草が全くと言っていいほど、生えていない。ついでに隣の敷地の一部まで掃除をされていた。それが体を動かすことで、健康にもつながった。先生が昨年末に倒れられて1か月程は、それが出来なかっただけである。だから93歳と7か月までは現役であった。

 

 トヨタが世界一の自動車メーカになったのは、トヨタ生産方式の5S(整理整頓清潔清掃)を徹底したためである。トヨタは頭と体の汗をかいて、世界一になった。マネーロンダリングで稼いだわけではない。

 日産のゴーンは、必要以上に従業員の首を切り、先人が蓄積した資産を切り売りして、金を作った。それが強引な日産再生であった。そのツケが今になって露見している。

 

ある教徒の事例

 ある町に宗教を理由に町内の公園草取りの奉仕行事に全く参加しない家がある。当番で班長になっても、他人には公園の草取り掃除を強いても、家族の誰も公園の草取りには参加しない。日曜日は同じ宗派の寄り合いのお喋り会合で忙しく、町内の奉仕行事に行く気などさらさらない。娘が曰く「宗派の集会場に行っても最近は誰も来ないのでつまらない」と。

 この娘が何のために教団の集会場に行くのか明白である。家の状況と家人の言動を見ると、宗派の問題ではなく、それを大儀名文として言い訳をするだけだ。つまり単なる怠け者の家庭である。

 

 勤勉でなく、整理整頓清潔躾ができていない結果が、まだ70歳前後で足腰が立たず、動けない羽目になっている。その家の庭は、廃品回収業まがいのゴミ溜めとなっている。それを恥と思わない神経が哀しい。子供の自転車は雨ざらしで庭に放置されている。モノには魂がこもっているという。自転車で育ったのに、それを供養もせずに放置である。

 

 子供は親の後姿を見て育つ。放置された自転車を見れば、家の教育状況がわかる。家は保全する金がないため、ボロボロで町内の恥さらしである。勤勉であれば家を保全するくらいの金はできる。玄関の土壁は大きな穴が開き、玄関内は散乱、郵便ポストはサビサビ、軒下は垂れ下がり錆だらけ、塀は破れたまま。クーラもない防音設備のない部屋で、下手なピアノ騒音を近所に撒き散らしている。40年間の怠惰な生活のツケが、家相に表れている。

 

教義の教え

 美智子上皇后は、若いころクリスチャンの教育を受けて育たれたが、皇后として立派に日本国民の幸福を願い日本国の神事を司られた。クリスチャンの教育も日本の躾教育も、根本は同じ勤勉の思想である。宗教を理由に町内の奉仕行事をさぼり、自分達だけの幸せを願うのは、単なる利己主義の怠け者である。クリスチャンはその布教活動として、地域の奉仕活動には積極的に参加を推奨しているのがこの世界の常識である。それをしないのは、教義の教えに背く行為である。それゆえ、その町の誰もその家を相手にしない。

 

勤勉

 我々仏教徒としてでなく、人間として心がけなければならないのは、心に生える雑草の除去である。摘んでも摘んでも、怠惰な心があると生えてくる。その心の汚れを落とそう。汚れが付くのを防ぐのは勤勉である。当たり前当たり前のようにするのが精進である。

Img_63991s  馬場恵峰書  2006年

2021-02-25 久志能幾研究所通信 1931 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。