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2020年2月26日 (水)

磨墨智116 清水の舞台から飛び降りない

 そんなことをしたら大怪我をする。それよりも、日々の小さな決断をきちんとして、やるべきことを地道に積み上げよう。そうすれば、小さな決断の積み上げで、仕事が障害なく進められる。どんなプロジェクトも小さな決断と小さな仕事量の積み重ねである。そうすれば清水寺の舞台から飛び降りるような無謀な行為は無用となる。

 

土俵のど真ん中で勝負

 どんなプロジェクトも仕事でも、土俵のど真ん中で、正々堂々と勝負をすべきである。やるべきことをさぼったため、土俵の俵際に追い詰められての決断では、リスクが大きくなる。起死回生の決断は、応急処置、対処療法である。その決断は、清水の舞台から飛び降りるが如き決断で華々しいが、失敗する確率は大きい。

 

決断にもニュートンの法則

 いつも正しく速やかに決断をして仕事が回っている状態なら、決断は常に正しく動く状態で継続される。ニュートンの第一法則である。

 日頃、やるべき決断をせず、決断が止まっている状態に陥るから(決断を先延ばし)、上司から崖から突き落とされる羽目になる。

 

物理の法則からの検証

 清水の舞台から飛び降りる決断は、無限大に近い仕事量となる。仕事量は[力]×[距離]で表される。力は[質量]×[加速度]で表される。つまり仕事量は[質量]×[加速度] ×[距離]である。

  W=Fx

  F=mα

 飛び降りた時の力は、加速度が無限大ほどに大きく、結果として、とんでもない仕事量となってしまう。つまり日頃さぼっていたことを思いついてやろうとすると、とんでもない労力が必要になる。だから清水寺の舞台から飛び降りても成果が出ない。

 日頃、地道にやるべきことをやっていれば、そんな事態にはならない。それを二宮尊徳は「積小偉大」と言った。一発勝負で、カッコいいことをやってもダメなのだ。

 

大垣市・小川敏の例

 政治家でも、一発勝負で世間受けのすることばかりする輩が多い。しかしその輩は、日頃の地道な積み上げの政治は軽視する。小川敏は、市長としてやるべき仕事をせず、市民の目を逸らすため、派手な大垣市制100周年記念行事、新市庁舎建設等で市民の目を逸らした。

 大垣市制100周年記念行事の3億5千万円の大出費は、節約第一主義のケチの小川敏にとって、窮地挽回の「清水の舞台から飛び降りる覚悟」であったはずである。大垣市制100周年記念行事経費は、90周年記念行事予算(1億1566万円)より3倍以上にも増えた。だから市長選6選を狙った行事と見てもよいだろう。小川敏は、部下が上申する予算で、前年度より増えることを極端に嫌がり、場合によってはその担当者を左遷するという噂もあるくらいだ。だからヒラメの職員は、予算を必要以上にケチり、大垣市の未来への予算を計上しない。

 ケチな小川敏として、県下一の市民負担額の新市庁舎建設も、「清水の舞台から飛び降りる」覚悟であったはずだ。しかしその結果は翌年も地価の下落である。やはり日頃の政治が大事なのだ。

 

小川敏の末路

 小川敏の19年間の無為無策、無能政治で、大垣は没落し、大垣の地価は51%暴落し、大垣駅前商店街は80%が息絶えた。過疎地との無為な合併で人口密度は半減した。大垣経済は、介護・福祉・医療産業だけが伸びて、総合的に、年率1%で衰退の一途である。交通インフラの整備が放置されたので、朝夕の交通は大渋滞である。台風がこれば、基幹道路が水没してマヒするのが頻繁である。児童生徒の一人当たりの教育費は、県下最低レベルまで削減された。それで大垣の未来が破壊された。

 

崖下に突き落とすのも愛

 決断とは迷いの時間を断ち切ること。やるべき決断をしないから、上司から崖下に突き落とされる。突き落とされるだけ、まだ救いがある。上司は温かいのだ、愛があるのだ。突き落とす上司は部下のことを思っている。

 しかし上司は部下を見限ると、相手にもしない。上司も部下を崖下に突き落とすのに大変なエネルギーがいる。上司は緻密な計算をして、心を鬼にして部下を崖下に突き落とす。

 私も会社で部下を持ったときは、助言を聞かない部下は、無視をした。そうでないと、別の成長すべき部下の育成時間が犠牲となり、組織がダメになり、上司の体がもたない。上司の時間も健康も有限である。そうしないと激務の中間管理職は命がいくつあっても足りない。愛の反対は、憎悪ではなく、「無視」なのだ。

 

求む、徳川家康

 大垣の再生には、徳川家康タイプの政治家が求められる。小川敏は明智光秀タイプの政治家のようだ。小川敏は、知識だけはあるが智慧がなく、世間わたりが下手で、一発勝負(本能寺の変)で窮地打破を目指す政治家のようだ。小川敏は、重荷を背負って遠き長い道を歩くことが出来ないのだ。

 大垣には、今から時間をかけて大垣を再生する大仕事が横たわっている。

S   馬場恵峰書

累計閲覧総数 150,572

2020-02-27 久志能幾研究所通信 1492 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月23日 (日)

磨墨智89 決断できない部下は崖から突き落とそう

自分は清水寺の舞台から飛び降りよう

 

 成長する部下はそっと背中を押すだけで、自然に一歩踏み出してくれる。3分間で決断できない部下は、3年間経っても決断できない。

 ニュートンの第一法則で、止まっている部下は、永遠に止まっている。だから跳ぶのを待つのは時間の無駄である。獅子が我が子を崖下に突き落とすように、心を鬼にして優柔不断な部下を崖から突き落とそう。きっと大きく成長してはい上がってくる。人の前に克服できない障害は現れない。

 優柔不断が人生時計の針の進み方を遅くする。「遅い」というのは罪悪である。人が躊躇うしている間も、宇宙の絶対時間は冷酷に刻まれて進む。何時かは人生の最期の日が訪れる。

 

清水寺の舞台

 優柔不断な自分を、清水寺の舞台から飛び降りるように追い込もう。追い込まれれば、自分は信じがたい力が出せる。「火事場の馬鹿カ」である。「産むが安し」である。

 やってしまった後になり、何であんな些細なことに躊躇したのかと、後悔することが、この50年間でしきりである。毎日が反省の日々である。行動して失敗する後悔よりも、しないで後悔した方が、悔いは大きい。跳べなかったのは、跳べるはずがないという、オダ仏教教祖からの自己暗示に罹っていたのである。その洗脳から目を覚まして、人生の宇宙に飛び出そう。洗脳から解放され、宇宙には束縛のない無重力空間が広がる。

 

洗脳教育

 オウム真理教麻原教祖の洗脳教育で、清水寺の舞台から飛び降りるよりも恐ろしい行為をした人たちがいた。信徒は地下鉄内でサリンを撒いた。人として超えてはならぬ一線を超えた人たちだ。それほどに、洗脳教育は怖しい。

 その洗脳教育を自分のために、良いことに使おう。「自分はできない」という洗脳教育から抜け出そう。悪いことのために飛び降りるのではなく、世のために清水寺の舞台から飛び降りるなら、神仏が助けてくれる。

 

重力の壁

 ある時、アインシュタインがエリザベス女王に、「この崖から飛び降りるとどうなるでしょうか」と尋ねたことがあった。女王は、飛び降りれば死んでしまうのが当たり前なのに、変な質問ねと思ったという。アインシュタインが聞きたかったのは「飛び降りて落下の途中で、重力の影響のない世界に漂ったら、どうなるでしょう」を聞きたかったという。天才アインシュタインにとって怪我とか死は眼中になかった。

 我々は「重力」という社会の常識、慣習、掟、束縛から動けないように制限をされて生きている。我々は、それの束縛がない無重力な世界を体験すべきなのだ。世間のしがらみかを断ち切るとは、清水の舞台から飛び降りることなのだ。だから部下には、部下を支配している潜在意識の束縛から開放するため、崖から突き落とすのだ。(それは上司には快感である? 体感済)

 危機に遭遇して、自分を庇ってしまうからドツボに嵌って、益々窮地に追い込まれる。そういう時こそ、勇気を出して一歩前進である。

 

ご注意

 しかし、崖から突き落としてはいけない人がいる。全ての人がリーダになれるわけではない。メンタル的に弱い人もいる。その見極めをしないと、自分の大事な時間が無駄になる。

 

2020-02-23  久志能幾研究所通信 1489 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月21日 (金)

磨墨智104 ニュートンの第一法則(慣性の法則)に従おう

 止まっているモノは永遠に止まっている。それは時間が止まっている状態である。動いているモノは永遠に動いている。それは生きている証である。一歩踏み出して、動きの慣性を付けよう。

         ニュートンの第一法則

 

50年後の姿

 じっとしていても、時間は無為に過ぎていく。時間という敵は優柔不断ではない。座して死を待つほど、愚かなことはない。いくら言っても、テコでも動かない人など、構っていられない。今やったことの結果が失敗でも、それは目的達成のための些細な一里塚、成功迄の一工程である。50年後に真の結果は出る。

 今、50年前を振り返ると、今の自分は50年前の行動があっての自分である。当時の学生時代の取り組みの汗が、今の己の姿なのだ。

 50年後の結果は冥途で見よう。今を全力で生きればよい。人生時間は有限である。人生の大事を急ごう。

 

生涯現役の師を選ぶ

 やって見て失敗すれば、その道は間違ってたことが分かったのだ。それ以外の道を行けば、成功にたどり着ける。だから死んだふりをして活動をしてない人とご縁を結んでも、時間の無駄である。どうせ何時かは死ぬのだ。だから生きている間に、全力で活きよう。

 人生の師を選ぶなら、生涯現役の師を選ぶべきだ。だから私は馬場恵峰先生を師として、人生の生き方を教えてもらっている。

Dsc09229s  馬場恵峰先生(93歳現役) 2020年2月13日 恵峰塾の講義で

 

挑戦し続けるエネルギーを

 エジソンも20,000回の失敗の道を動いて歩んで、20,000回目に、耐久性のある電球のフィラメントを発見した。エジソンが成功したのは、エジソンが天才であったためではない。エジソンに動き続ける好奇心溢れる慣性のエネルギーがあったからだ。

 彼は19,999回の失敗をしたのではない。一回一回、各項目の確認評価を19,9990回やったのだ。失敗したのではない。その方法で19999回、愚直に試験をしただけだ。全手順を「足」を使って確認したたのだ。「千里の道も一歩から」と同じである。

 

人生のエネルギー

 良いご縁を招くには、自分自身に強いエネルギーを持つことだ。

「人間の運命は人間の手中にある」哲学者サルトル

 成功のために自分で自分のダイナモ(発電機)を自家発電で回そう。だれも自分のダイナモは回してくれない。ダイナモを回せば回すほど、自分の慣性のエネルギーが高まる。自身の質量(家の財産、地位や名誉、名声、能力)が少なければ、走る速度を上げて補い、自分のエネルギーを高めよう。質量のない私は足りない分を補うため、走る速度を上げて生きてきた。マグロのような生き方だと思う。走るのを止めれば、倒れてしまう。

 

E=mV^2

  E:エネルギー(マンパワー)

  m:質量(人の能力)、 V:速度(動き回る速度)

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  馬場恵峰書

 

2020-02-21 久志能幾研究所通信 1487 小田泰仙

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2020年2月20日 (木)

磨墨智103 レストランへは何を注文するか決めて入ろう

 料理を注文するまでの時間を短くしよう。私が外食する場合は、レストランで即決を旨としている。メニューは次回に頼む料理を選ぶために見る。料理が出てくるまでは、次回食べる料理を考えよう。

 たかが1,000円の料理で、その選択に3分間も迷うのは愚かである。時間レート100円/分として300円の人生時間ロスである。人生時間は有限なのだ。それが即断できないようでは、社長として1,000万円の稟議決裁はできない。

 

既知の予定

 その「人生レストラン」に行くことは、ずっと前に決まっている。決まっているのだから、事前に「何を食べるか、何をやるか」を決めておくべきだ。そのプロジェクトの終わりの日だって、定年退職の日だって、入社した時に決まっている。人生最期の日が来ることも、確定事項である。「人生一度限りのお食事時間」を大事にしよう。

 

人生レストラン

 此の世は人生レストランで、バイキングレストランである。何を食べようが、何をしようが、どれだか食べようが、全く食べまいが、どれだけやろうが、それはやりたい放題である。その「料理」は、自分の選択と決断だけで決まる。

 人生レストランのお代は、「お足」と「行動」で払う。自分の意思でその方面に足を向けないと、その「料理」は食べられない。足こそが己の意思を具現化する。人生レストランでは、行動して選択しないと何も食べさせてもらえない。

 

占い師にならない

 やりもしない前に、それは無理、それは不可能、それは不味そうだからと食べないのでは、トヨタ生産方式を作った大野耐一から「やりもしないうちから出来ないなんて、お前は何時から占い師になったのだ!」とカミナリを落とされる。一度しかない人生だから、何でも一度は食べてみることだ。試し食いなら無料である。気に食わなければ、やめればよい。

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 馬場恵峰書 82歳

 

己の体は預かりもの

 人生レストランが、普通のバイキングレストランと違うのは、その食べ方如何で、「天主」から突然の強制退場を命じられることがある事だ。あさましい飽食、狂食、狂遊、狂楽、狂った労働では、冥途行き救急車を呼ばれてしまう。健康管理をお大事に。前職では、一緒に仕事をした仲間が、24名も天に召されてしまった。今にして、よくぞ生き延びられたと、神仏に感謝している。

 

時間制限

 どんなバイキングレストランでも時間制限がある。だからこそ、何を食べるかを事前に決めておかないと、時間切れとなる。美味しいお店の時間管理は厳格である。好きなことに熱中すると時間を忘れ、あっという間に時間が経つ。終わりのないお食事タイムはない。人はいつまでも、今の状態が続くと思っている。死は突然なのだ。世は無常である。

 何時までもあると思うな、親とカネ。

 親が死ぬのだから、己も何時かは死ぬのだ。人ごとではない。

 

第二の人生レストラン

 普通のサラリーマンでは、その第一の人生レストランの滞在時間が60歳までである。第二の人生レストランで何を食べるか、そのレストランに行く5年前までに決めておくと、人生のロスが少ない。60歳になる日は、就職した時から、決まっている。

 私は前職で、定年直前に定年延長を止めた。急遽の予定変更であったので、定年後のやることが決まっておらず、少しの時間ロスをした。それが、悔いであったが、よき骨休めの時間でもあった。やはり次のレストランの料理は事前に決めて、その準備をしておくとよい。

 

来世のレストラン

 来世でも何をやるか決めておいたほうが良い。来世に向かって、書道を本格的に始めようと思う。きっと生まれ変わった時、役立つだろう。

 馬場恵峰先生の書道活動を見ていると、前世で相当の書道の練習をしたとしか思えない。ご先祖の才能がDNAとして受け継がれたようだ。

P1040528s 馬場恵峰書 小学校1年生の時の書

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馬場恵峰書  小学校2年、3年の時の書

 

2020-02-19 久志能幾研究所通信 1485 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月16日 (日)

磨墨智624 お坊さんと仲良くなろう

 いつかはお世話になるお坊さんである。後に残る人のために、お坊さんと仲良くなっておこう。後に残る人の時間が助かる。

 葬儀の時、お坊さんは故人の生前の生き様を親族から聞き出して、その人に見合った戒名を授ける。しかしそれは応急処置である。本来は生前に戒名を授かるのが正規である。事前にお坊さんとお話がしてあれば、事前に個人の性格が分かり最適の戒名を授けてもらえる。時間節約にもなる。あの世で後悔をしない。

 

戒名とは

 戒名とは、導師が故人に弟子として授けるあの世での名前である。あの世で、戒名(戒めの名)を背負い、その名に恥じないように仏道を修行する。生まれた時の本名は、両親がこの子はこうあって欲しいと名付ける名前である。往々にその名前に恥じる現世を送る人が多い。

 戒名はあの世で、こうありたいと願って住職が名づける。今度こそ、名前に恥じない佛道を歩みたいもの。

 

私の戒名

 私は今回の癌の手術をして、覚悟を決めて終活準備の一環として戒名を授かった。導師より提案のあった戒名候補から選定した。その戒名を馬場恵峰先生に揮毫もしてもらった。お墓は2015年に建立スミで、墓誌も手配した。そして葬儀と50年間の法事の段取りもした。そのお金も払った。準備万端である(?)。我ながら、あきれている。

 本来、生前に戒名を授かるのが正規である。今回それを初めて知った。人生知らないことばかりである。まだ死んだ経験がないので(?)致し方なし。

 

人生最大のイベント

 死とは人生で、最大で最高のイベントである。それまでに何をこの世に遺せるか、人生の課題である。そのお祝いが死のセレモニーである。そのイベントを立派に成就するために精進をしたいと思う。

 癌死では(確率50%)、生前の食生活と生活習慣が「狂っていた」とみなされたのだ。人生道を暴走して、人生道の通行違反切符を切られたようなものだ。安心安全健康運転違反である。

 認知症(確率25%)で死ぬのでは、そのやってきたことが理解できなくなり、生きてきた甲斐がなくなる。それでは人生の作品の完成がままならぬ。仕事で気ばかり使って、頭を使わなかった校長先生や警察署長が認知症になりやすい。仕事一筋で、仕事以外の世界を知らず、定年後にやることがなくなると、認知症を発病しやすい

 老衰では(2%)、無為無策のようで未練が残る。

 不慮の死(1%)では、人生の危機管理ができていなかった証である。

 前向きに倒れるようにぽっくり死は(1%)である。それが理想だが、狭き門である。

 立派に死ぬためにも準備と努力が必要だ。その前提条件は健康管理である。

 

理想の死

 死の直前まで人生の作品の仕上げに命を捧げたいと思う。そうすれば納得できる死を迎えられる。あの世に悔いがなく逝ける。だから今を全力で時間を忘れて働きたいと思う。

  よく働いた一日が安らかな眠りを誘う様に

  よく働いた一生は安らかな死を迎える。

             レオナルド・ダ・ビンチ

 

エピソード

 その戒名を墓誌に刻むにあたり、馬場恵峰先生に私の戒名を揮毫してもらったが、行き違いがあり、墓誌に戒名を彫った後でミスが見つかった。相手が石なので修正がきかない。それで墓誌を再製作するという顛末になってしまった。それで100万円近くが消えてしまった。なにせ自分の戒名を彫るのは、初めての体験なので、ミスがあっても致し方なし(?)。

 墓誌、位牌の戒名の名には、意外と間違いが多いようだ。普通は誰も気が付かない。以前もご先祖の戒名の間違いに誰も気がつかなかった事例があった。

 今回の間違いは、仏様から「まだ浄土に来るには早い、死に急ぐな」と言われたと自分の都合の良いように解釈した。昨年、癌の手術後、医師からは余命2年と言われてから1年が経過した。だから後1年で死ぬ(?)予定が、急遽、死ぬことを諦めた(?)次第である。健康管理は己の責任だが、死は神仏の管轄範囲なので、私には管轄外である。だから自分の出来る健康管理に精進するしかない。

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  馬場恵峰書

 

2020-02-16 久志能幾研究所通信 1482 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月15日 (土)

磨墨智33 タイマツ(心の霊光)を掲げよう

 早朝の薄暗い時には相手に認識してもらうため、ヘッドライトを点燈して走行しよう。夕刻で暗くなったら、早めに点灯しよう。雨が降り出して見通しが悪くなったら、点灯しよう。1985年当時でも、スウェーデンでは昼間でも車走行時はヘッドライトの点灯が義務付けられていた。

 それは自分の車の前方を見るためではない。相手に自車の認識率を高めるためで、それが事故防止になる。事故を起こさないのは重要な時間節約である。

 

周知徹底

 自分が何をやろうとしているかの志を掲げるのが、周りに知らせるのが効率アップである。そうすればみんなからの援助がある。一人では小さな力だが、皆が力を合わせれば、大きな力となる。リーダが組織のベクトルを合わせるため、スローガンを立てるのが、そのスローガンも松明の一種である。

 暗夜に一燈を灯そう。

 自由の女神は、自由のタイマツを灯して、アメリカへの移民を迎えた。欧州を追われたやっと米国にたどり着いた移民は、それでどれだけ勇気づけられたことか。私も1994年にニューヨークを旅行した時、その自由の女神像を見て、感銘を受けた。私も一旗揚げようという気になった。

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 フェリーから眺める自由の女神(左側)とウォール街のビル群(右側)

 一番高いビルが国際貿易センタービル(2001年9月11日、テロで崩壊)

   1994年5月3日 著者撮影

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 フェリーから望むウォール街

 一番高い2つのビルが国際貿易センタービル

   1994年5月3日 著者撮影

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 国際貿易センタービル106階からの眺め

 手前の移民局と自由の女神の位置関係がよく分かる。

   1994年5月3日 著者撮影

 

大垣の燈火

 大垣を良くするためにタイマツを掲げよう。現状の小川敏の独裁政治の問題点を照らし、大垣を良くするための皆の認識を共通化するのも、タイマツを掲げるのは、大垣を良くする手段である。

 だからこのブログは言葉の灯台である。灯台には妨害の嵐も吹けば雨も降る。だからこのブログを誹謗するコメントも襲来する。それは小川敏軍団にまつわりつく利権集団の手先である。

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 馬場恵峰書

 

2020-02-15 久志能幾研究所通信 1481 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月 5日 (水)

磨墨智621 「神も仏も無いのか....」と嘆かない

 そう、貴方に強くなって欲しいがため、「神も仏もないのか」と嘆く状態を神様が与えている。それは神仏の深慮遠謀である。艱難辛苦が人を強くする。人は強くなければ時間を作れない、強くても男は優しくなければならない。それを仁義礼智信という。

 南方のラワンの木は、環境抜群の熱帯ですくすくと大きく育つが、大きくなると自分の体重を支え切れず倒れてしまう。そんなラワンの木のような人間になってはならない。

 それに対して寒冷地の木は、成長は遅いが緻密な年輪を重ねて強靭な材木に育つ。

 

自転車道とは転ぶこと

 今まで70年近く生きてきて分かったことは、人間が作り出したトラブルは人間が解決できるのだ。神仏は自分に見合った課題しか与えない。そうなった因果を己が作ったのだ。自分で解決できるのだ。だれも貴方に総理大臣をやって欲しいと頼まない。その昔、私も仕事の上で塗炭の苦しみを味わっても、今思うとなんと愚かなことで悩んでいたことかと思うことが多い。それの経験があるから、今の成長した自分がある。

 自転車の習得でも、転んで痛い目を会ってうまく乗れるようになるのだ。人生の車の運転も同じである。

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  馬場恵峰書 2006年

 

鬱病の蔓延

 そういう苦労のない人が、些細なトラブルで引き籠り、鬱病の仮面を被ってしまう。鬱病は病院に行っても治らない。薬で、益々鬱病が酷くなってしまう。薬物依存になる。その副作用が大きい。薬では、心は強くならない。現代の鬱病治療とは、まるで高血圧症に降圧剤を投与するような対処療法である。根本治療ではない。病院にとっては金儲けのネタなのだ。

 私も会社の陰鬱な仕打ちと仕事の葛藤で鬱寸前になったことがあるが、病院に行けば、間違いなく鬱病と診断されたはずだ。私は、病院の鬱病治療では、薬漬けになる事を本で知っていたので、病院に行かず、自分で治した。

 それも当時、私の担当である管理部署には、精神的にダウンした社員を異動でどんどん送り込んできて、その対応策で学んだ成果である。開発部隊は仕事がきついが、管理部署は楽だろうと、相手先の管理職がダウンした部下を私の部署に送り込んできたのだ。当時のある部署の役員は、過剰な成果を求めて部下の管理職を責めて、数多くダウンさせた。役員は倒した部下の数が多いほど、出世したのが現実であった。まるでブラック企業のようであった。若い人は、その部署に異動になるのを恐れていた。

 だから隣の部署にいた私も鬱病関係の本を10冊弱買い込んで研究をして、その発生原因と対策・治療法を自分で学んだ。

 

鬱病の現状

 今は鬱病になったもの勝ちである。上司が部下を育てようと叱ってもパワハラだとして病院に駆け込めば、全員、鬱病の診断書を頂ける。会社も腫れモノを触るように、一歩引いてしまう。医師も本人の申告病状を否定できないので、鬱病と診断するしかない。病院もその方が儲かるのだ。医師も患者保護で、会社には患者の情報を流さないし、担当上司は医師とも話も出来ない。何かおかしな社会となった。それだけ人間が精神的に虚弱になったようだ。その根本原因は、人間としての感謝を忘れ、仁義礼智信の教育を放棄して、拝金主義・成果主義の技術だけを教える教育体制にあると思う。

 

プラスマイナスゼロ

 宇宙根源の法則の理は単純である。人生のプラスマイナスはトータルはゼロである。逆境でのマイナスが大きければ、人生が好転した時のプラスが大きい。そうでないとバランスが取れない。だからその逆境の時、どれだけ自己充実をするかにかかっている。

 いい思いだけして借金踏み倒しで来世に旅立っても、子孫がそのツケを払わされる。長~い時間のスパンで観れば、人生は公平である。

 

先楽、後楽 

 人は絶好調の時は学ばない。世間の冷たい風に吹かれ、罵られ、嘲られ、叩かれた時こそ、大きな学びがある。人生の前半では、天分の才で能力の高い人は絶好調である。しかしそれを鼻にかけ学校を出てから学ばないと、老いてから痴呆的醜態を晒す人は多い。他山の石としたい。

 人生は、今日が始まりなのだ。何事も始めるのに、遅すぎることはない。

 

来世で生まれ変わった時のために

 人生レ―スの第4コーナを回って、老齢期に学ぶ勉強は、どんな道(書道、絵画、外国語等)でも、輪廻転生で生まれ変わってからこの世で使える技である。現世の生まれながらの天才は、前世でそのご先祖が努力をしたのだ。だからそのために生前に練習するのだ。

 だから人生、死ぬまでが勉強である。己のDNAを受け継ぐ子孫のために勉強をしよう。きっと3世代後にそれが花開く。人は学びながら歳を頂くのだ。学ばないと年甲斐もなく老いる。醜態である。

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  馬場恵峰書

 

2020-02-05 久志能幾研究所通信 1472  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨智622 死ぬな、殺すな、生きて時間を創れ

目標を持たないから早く死ぬ。

生きる信念・理念を持たないから、早く死ぬ。

到達点を見極めないから路半ばで死ぬ。

生きたいという願望がないから死ぬ。

強い願望があれば神様が生かしておいてくれる。

生かされていることを感謝して働いて時間をつくろう。

 

生あるもの必ず死あり

 世は無常である。どんな生き物にも死があり、どんなモノにも寿命がある。それを意識せず、命を永らえたいという意思がないから、早く死ぬ。早くモノを死なす。早く死ぬ人は、人生を丁寧に生きないし、モノを丁寧に扱わない。一番大事な自分の体を大事にしないからだ。だから天からしっぺ返しを受ける。

 死を意識しないから安易な生き方になる。倒産を考えないから、会社を私物化して、杜撰な経営となる。

 

会社の寿命

 会社だって命がある。昔は会社の寿命は60年と言っていたが、今は30年と言われる。大企業でも知識だけの頭でっかちの経営者が、大船に乗った気で安易に経営するから、破綻する。

 中小企業では、会社創立1年後の生存率は40%、5年後は15%、10年後は6%、20年後は0.3%、30年後は0.02%である。

 それは社長が、創業当初の志を忘れ、会社の利益を交際費や妾や高級車、別荘に身を入れ込むから、会社を維持できなくなるからだ。要は天罰である。会社を私物化した咎である。

 

大垣市の寿命

 20年間弱も、小川敏が大垣市を無能政治で支配したから、大垣市は没落して、滅亡寸前である。大垣駅前は、昭和20年7月にB29の空襲で焼け野原になった。今、大垣駅前が、大垣市が衰退したのでビルが無くなり焼け野原のような閑散とした風景になった。小川敏が無能政治爆弾を大垣市に投下したのだ。大垣市の敗戦である。

 大垣市の顔である大垣駅前商店街は80%が店を閉めた。近隣都市間では、大垣市だけが公示地価が、小川敏が市長になって連続19年間、下落の一途である。

 それでいて小川敏は、市の職員の給与だけは県下一の高給にした。しかし、大垣の未来を作る子供を教える教員の給与は県下最低レベルに落とした。大垣市の児童生徒の教育環境は県下最低である。

 小川敏は、己の自慢話として大垣市制100周年記念行事で3億5千万円を浪費しても、後世に何も残せなかった。その使用用途の会計報告もマル秘にして公開しない。結果は翌年も地価の下落である。

 小川敏は大垣市経営を私物化しているとしか思えない。今は6選に向けて事前選挙運動に熱を上げているとしか思えない。

 

私の勤めた会社の寿命

 私が命を捧げた前職の会社は創立後65年で市場から消えた。その間に一緒に仕事をした仲間が24名も亡くなった。経営層が学閥に支配され、決断ができず、先見の明のない経営者がのさばったから、市場から淘汰された。あのJALでも、あのGМでも、潰れる時代である。JALの株を持っていれば、大金が紙くずになった。   

 

プロジェクトの寿命

 どんなプロジェクトだって命がある。いい加減な気持ちや、杜撰な計画や決意のない実行をするから、途中で死亡(挫折)である。どんな夢を抱いても、プロジェクトを育てようという意思がないと、育たない。「偉大な仕事は夢で始まり、情熱で維持され、責任感で成就される(堺屋太一の言葉)」。その一つでも欠けるプロジェクトは頓死である。

 自分も今まで、毎年の年初に目標を立てて頑張るが、情熱か責任感かが足りなくて、多くの夢が頓挫した。忸怩たる思いである。

 今は、「死ぬまでにやりたい108の夢」が死なないように、大事に育てている。

039a34401s  馬場恵峰書

 

仏像の寿命

 仏師の命は精々100年、しかし仏師は1,000年間も人々の祈りの受け皿となる仏像造りに命を掛ける。1000年間も拝まれる仏像を創れれば、仕事冥利に尽きる。

 松本明慶大仏師が高野山中門に納めた四天王像は、今後、1000年間は皆さんに拝まれる仏像である。

 

私の余命は1年?

 私は昨年、癌が発見され手術をした。医師からは、「5年後生存率は53%」と説明された。五年後には私と同じ症状の人の半分が、死ぬ。統計データからの値は冷酷である。単純計算すると5年×0.53=2年である。今が術後1年目であるので、余命は1年ということになる。それは医師の言う通りに標準治療を受けた場合である。

 私はそんなことで死んでたまるかと、自分で病気を調べ、免疫力の文献を当たり、抗がん剤を調べ、代替治療を調べて、今までの生活習慣、食生活を変えた。主治医の勧める抗がん剤治療を拒否して、別病院で代替治療を選択して今を過ごしている。

 私は、2年で死んでたまるかという意思で生きている。まだまだやり残したことが山積みである。

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 高野山中門 増長天  松本明慶先生作 2015425日撮影

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 高野山中門 広目天  松本明慶先生作 2015年4月25日撮影

 

2020-02-04 久志能幾研究所通信 1471  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月 4日 (火)

磨墨知455 臓器移植の拒否を

臓器移植用の心臓を輸送中のヘリが墜落

 2020年2月1日朝、福島・郡山市で、福島県警のヘリコプターが臓器移植手術のための心臓を運ぶ途中で墜落した。乗っていた7人がけがをした。心臓移植手術は断念された。日本臓器移植ネットワークによると、ヘリは、東大病院で臓器移植手術を待つ男性に、福島県内で脳死判定を受けた男性の心臓を運ぶ途中であった。

 一人の命を助けるため、まかり間違うと、7名の命が失われるところであった。この事故で、臓器移植の是非を再度考える機会を得た。

 

臓器移植 

 臓器移植は自然界の原理原則からみて正しいのだろうか?

 それによって多くの人の時間がロスしてないだろうか?

 人類の時間を、綜合的にはロスしていのだろうか?

 一つの臓器が悪くなるというのは、他の臓器も寿命が短くなっているはずである。それを無理に、その悪くなった臓器だけを臓器移植をしても、他の臓器とのバランスが崩れてしまう。また臓器拒否反応の抑制薬、感染予防の抗生物質を多量に投入される。それが体に良いわけがない。それの影響で亡くなる人も多い。だから、臓器移植は宇宙根源の自然の理に反していると思う。倫理的にも問題である。私は反対である。

 

運命を受け入れ

 臓器移植で、人の命を「殺めて」までして、私なら長生きしたいと思わない。私が臓器移植しか治療の手段のない病気になったら、私は臓器移植を拒否し、それを運命として受けれたい。私が死んだ場合、私は臓器提供拒否である。

 

運命とは

 運命とは、ご先祖の生活習慣の長年の蓄積、その土地の生活習慣の歴史、その社会の健康への取り組み等、それが己の体に影響して、健康な臓器かそうでないか、教育がよいか、生活が豊かか等を決める「その家の経営」だと思う。それを運命と私は思う。だから私はその改善のため、食生活の改善、考え方の変革等に取り組んでいる。その啓蒙活動に力を入れている。

 ご先祖やそのご縁者の考え、生活習慣の集大成版が己の体である。今の己の生活習慣が、子孫の健康に影響する。一番の影響者は両親である。卑近な例では、親がタバコを吸えば、子供も煙草を吸う確率が高い。悪い食生活を送れば、遺伝子に傷がつくだろう。37兆個の細胞がその影響を受けて、癌になる確率も他の人よりも高くなるだろう。それが運命である。それを意識して、己の生活習慣を正しくしているか、自問したい。

 

自然界からの逆襲

 自然界の理に反した金儲け至上主義の食品生産体制が、今回の新型コロナウイルス、先のSARS、牛海綿状脳症(BSE)の発生ではないかと思う。それが自然界からの逆襲だと感じる。狭い牛舎での飼育、砕骨肉での飼育、抗生物質を多量に投与された状態の飼育、それらが異常な病気の遠因と私は思う。

 

日本最初の心臓移植

 日本で最初に心臓移植手術をしたケースでも、患者は臓器拒否反応で死亡した。心臓移植手術をした和田医師は、後日殺人罪で起訴された。心臓を摘出された若者は、医師団の発表では、脳死と説明されたが、助かるべき治療を受けられず、心臓を摘出された可能性もあった。

 

中国での臓器移植

 現代では、カネがあれば中国に行って、強制収容所に入れられたウイグル族、チベット族の人間から臓器摘出をして、己だけの命を永らえることができる。しかし往々にして術後の併発症で亡くなる人が多いようだ。それは自然に理に反しているからではないか。 

 中国に行けば、数日でドナーが見つかるという。それは上記のカラクリである。それを薄々知って中国に行って臓器移植をする人は、人間として正しい道を歩んでいるのだろうか。金持ちは命が助かるが、貧乏人は助からない。無実で強制収容所に入れられ、臓器摘出をされる民族は悲惨である。

中国の臓器提供数と移植数 アジアで1位、世界2位に

CNS】中国・国家衛生健康委員会は1126日の記者会見で、中国は臓器の提供・移植に関する仕組みを基本的に完成させたことを発表した。現在、年間に提供・移植される臓器の数はアジアで1位、世界で2位となり、移植者の生存率指標は世界でも先進的レベルに達したとしている。

 2019年上半期に中国全土で行われた臓器提供は2757例で、前年同期比で9.5%増、提供臓器は7186個、前年同期比で3.6%増となっている。

(以上、下記の記事を一部抜粋)

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/

日本の末路

 日本が中国に占領されて、中国領日本自治区になれば、日本人が臓器提供の対象となるだろう。新型コロナウイルスが猛威を振るっても、尖閣諸島への中国船の領海侵犯は連日である。

アメリカの怒り

 だからトランプ大統領を始め米国議会は中国と全面戦争をする気になった。米国では人権無視はご法度なのだ。なぜ日本のマスコミはそれを報道しないのかが、問題である。中国との商売優先が頭にあるマスコミは、それをタブー視して、スポンサーに気兼ねをして記事にはしない。それも神への冒涜ではないか。そんな体質だから新聞購読数の減少が止まらない。

 新聞のスポンサーの日本企業は、拝金主義に犯されて、金儲け一本道である。だから景気が回復しない。天罰である。お天道様に顔向けできない恥ずかしい行いである。

 

母のケース

 私の母は脳溢血で倒れ、一時的には奇跡的に回復したが、その後、脳梗塞になり、意識がなくなり、人口呼吸機と点滴だけで5か月間、植物人間として命を永らえた。年末の寒い日に眠るように息を引き取った。私は死に目にも会えなかった。

 私が見舞いに行っても、意識もなくベッドに横たわる母を見るのは辛い状況である。母は自分の力では呼吸も出来ない。今、意識が戻っても、筋肉が削げ落ちた肉体で、起き上がることもできまいと見える。それでも現代医学は、植物人間のような母を生かし続ける。なにか神への冒涜ではないかとも感じた。

 欧米では、植物人間の治療はごく少ないと聞く。自分がその立場なら、家族を苦しめてまでして、生き永らえたくはない。それでは社会に貢献できない。しかしは母、意識がないので、その意志表示をできなかった。地獄はあの世にはない。それが地獄であった。

 どんなものにも寿命がある。それを天が寿命だと言っているのに、無理に延命治療で命を引き延ばすのは、神仏への冒涜ではないか。それで家族が地獄の苦しみを味わう。死を素直に受け入れるのが、宇宙根源の理に従った生き方ではないのか。 

2020-02-03 久志能幾研究所通信 1470  小田泰仙

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磨墨知452 調和=弱肉強食

 滅びゆくものを無理に「保護」しない。保護する時間が無駄である。弱者の滅びは自然界が調和している証拠で、自然界の原理原則である。弱いものを保護するとますます弱くなる。滅びるものが滅びず、全てが栄えるとはすべての種が絶滅する事になる。一種だけ繁栄しすぎるのは、生態系が崩れて全てが滅ぶのです。その場合の保護は見せ掛けの援助となる。宇宙全体の時間経過に棹さすもの。

 グローバル経済主義の跋扈で、世界が衰退寸前になってきた。自然の調和が取れなくなったためである。1%の種族が、99%を独り占めする社会は、弱肉強食が行き過ぎた現象である。

 無理に保護して、アメリカの自動車産業は、政府保護に頼って、市場での闘う厳しさを捨て、結果として、国際競争力をなくして衰退した。

 無理に補助金政策で保護しても、日本の繊維産業業は無くなった。人件費が高くなりすぎて、日本では採算がとれなくなったのだ。

 保護された産業は全て衰退している。世界の産業の生成衰退の自然の理に叶った現象である。保護政策は、宇宙根源の自然の理に反しているからだ。

 

自給自足が力

 国民が生きるための農業の保護は別である。それは国の自己防衛機能である。自給自足ができなくなったら、今の中国のようにアメリカから食料を武器に攻め立てられる。カネがあっても、相手が食糧を武器として使うと、我々が生きるための食い物が手に入らない。兵糧攻めである。食料は武器となる。だから安易に外国の食料に頼っては駄目である。国内食料生産は保護しなければならない。

 

2020-02-03 久志能幾研究所通信 1469  小田泰仙

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