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2021年10月 6日 (水)

帰らぬ青春時代の後悔、老いて観えてきたもの

 

 最近、あの世の世界がうっすらと見えてきた。加齢現象で目が悪くなり、現世が見えにくくなったが、逆に過去のことがはっきり見えてきた。

 私も学生時代や若い頃は、サイコのサスペンス映画、コロンボ探偵もの、シャーロックホームズの探偵もの、アガサ・クリスティーの探偵もの、エリラー・クイーンの「Xの悲劇」「Yの悲劇」の世界にハマって熱中したこともあった。面白くてつい読みふけってしまった。

 この類の小説や映画を見て、今にして振り返ると、心に刻んで自分の成長に役立ったと言えるものがないのだ。それに没頭して、今にして何が残ったのか? 大事な青春の時間を無駄遣いしたとの後悔だけが、はっきり見えてきた。

 

 死が見えてくると、また癌の手術を経験し、死の最前線に身を置かれると、そんな作りごとの探偵ものなど全く興味がなくなる。それを読んで、鑑賞して、一体何が私の人格形成に残ったのだ。残るのは虚しさだけである。

 

人殺し、隠蔽工作の習得?

 問題は、その探偵ものに費やした時間に対して得られた価値は何かである。人殺しとその隠蔽工作を智慧として得ても、その後の人生の糧になったとは思えない。要はいっときの快楽であったにすぎない。それは50年経たないと「愚かであった」と覚醒しない快楽であった。

 

野獣より怖しいワイドショー

 そういう目で見ると、いかにくだらない情報や、作り物が周りに溢れているかが怖しくなる。2000年前のローマ時代には、ローマ市民はコロッセオでの闘士と野獣・罪人たちが殺し合いをして、それの血が飛ぶのを見て熱狂した。

 我々はそのローマ市民に対して、どれだけ進歩したのか。今はワイドショーという野獣が、芸能人のスキャンダルを血祭りにしている。コメンテーターを呼ばれる下人がテレビで叫んで盛り上がっている。時には皇室までを血祭りにしている。コロナウイルスさえ食いものにしている。一番大きな獲物は、我々の時間を食いものにしている。野獣は満腹になれば、人を襲わないが、ワイドナショーという怪物は、限度がない。

 

洗脳教育?

 ひょっとすると、それは目の前の真実から目を逸らすための情報操作ではないかとも疑いたい。ローマ時代にコロッセオでの戦いショーも、本当に意図は、時の政治家が市民の不満を逸らすための手段であったのだ。コロッセオでの戦いの見世物は、現代のテレビワイドショーである。

 せめて、人間として、奴隷の殺し合いショーに熱狂したローマ市民よりは進歩したい。自分よりはるかに下品な芸人やコメンテーターの言動に左右されることは避けたい。

 この状況では2000年前に活躍した師を、我々が超えるのは難しかろう。だから2000年前の書(論語、聖書、仏典等)が、今でも通用するのにはワケがある。

 人生の残り少ない時間を大事にしたいと思う。時間は命なのだ。

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 コロッセオ  2010年 著者撮影

2021-10-06  久志能幾研究所通信 2171   小田泰仙

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