不用品整理は、損切と思おう
家中の品物を断捨離している。つい勿体ないと、溜め込んだ結果、不用品に占領された生活を送る羽目になっていた。「不用品整理は、損切と思おう」の言葉を雑誌で見つけて、すっと腑に落ちた。それで使わないものを躊躇なく捨てられるようになった。
不要なものは、場所を占有して、必要なものを探す時間を失う。それが一番の人生ロスである。
それより無駄の品物が、社会を交差して、無駄である。自分がその種の品物を提供する場合は考えるべきだ。
再発防止
不用品となる恐れのあるモノを買う場合、廃棄を想定して購入する。
お金持ちの家にはモノは少ない。
当家は貧乏なので、品物が溢れている。
家に置く品物を少なくする心構えが必要だ。
モノに執着する心こそ、捨てるべき不要な心である。強欲があるから、みちることのない執着心が生まれる。
一衣一鉢、小欲利他の心で過ごそう。
人は裸で生まれて裸で死んでいく。
本音は、それに付けてもお金の欲しさよ(笑)。谷底に落とされても無くならないと書いて「欲」である。人間である以上は、欲は無くならない。生きる欲まで捨てたら人間ではない。それを前提に精進は続けよう。
最近捨てたモノ
有名観光地を特集した雑誌「サライ」等
いつもお世話になっている近所の人に進呈した。
最新号「週刊文春」、「週刊新潮」、「ゲーテ」、「PHP」
必要なページをコピーして、後は近所の人に進呈。
有名画家のリトグラフ
貸与として先生に進呈。価格は数十万円の絵である。
私が入院した時、お世話になったのでそのお礼である。
もし私より先に亡くなられたら、返してもらう約束である。
今は先生と生存競争である。
昔のVHSテープ
今のブルーレイビデオを見ると、とても見れないレベル。
オイルヒータ、パネルヒーター
いつもお世話になっている先生に進呈した。
足踏み健康器
この種のモノは、長続きしたためしがない。
買ってはいけないという知恵がついた。
50年前のカッターシャツ
母がバーゲンセールで、私のために大量に買っていた。
新品なので捨てられず、50年間も保存することになった。
当時と体格が変わり、また変色して着られない(😿)
保管場所ばかり取り、無駄であった。
電気掃除機
今はクルクルを使って畳の上を掃除している。
電気掃除機は、面倒である。不要と断定して捨てた。
野菜ミキサー
一度も使わず捨てた。誰も貰ってくれなかった。
お茶やシイタケ、砂糖
慶弔時のもらい物である。
賞味期限を見たら、10年前に期限が切れていた。
当時は管理職として、香典を数多く出していた。
その返礼として、お茶やシイタケが返礼で来た。
とても消化しきれない。付き合い上で、悪慣習である。
私が香典返しをした場合は、その考慮をした返礼品にした。
結婚祝いの返礼品
コーヒーカップやコップセット、毛布
ダブってあるので使いきれず、捨てるしかない。
固形石鹸
50年前のお歳暮、お中元での品ものである。それが自家には大量にある。今は液体の洗剤の使用が中心で、固形石鹸など年に数個しか使わない。
タオル
もらい物の新品のタオルが段ボールで2,3倍分もあった。普通の成果腕はとても使い切れない。10年前の東日本大震災のおり、支援物資として提供した。
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馬場恵峰書
2021-12-02 久志能幾研究所通信 2226号 小田泰仙
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