娘に残す智慧の舌、息子に与える勤労の香
娘に残す味覚
姫路のある眼科医から聞いた娘に残す遺産の話である。彼は、娘の舌を正しく育てることで遺産としたという。変なものは食べさせず、良い物だけを食べさせているという。良いものを食べさせるのはお金がかかる。その真意は、娘の舌の味覚の育成である。舌の記憶は、万巻の書を読んでも身に付かない。ただ体験あるのみである。それは智慧の世界である。
娘は将来他家にお嫁に行く。嫁いだ先の家の姑の料理を作るとき、変な味覚に染まった舌だと、姑さんに好かれる料理が作れない。結果として姑に嫌われて、不幸な嫁生活となる。良いものを食べさせるのは、それを防ぐためで、それが娘の幸せにつながる。いくら財産を持って嫁に行っても、相手の家風の料理に合わず、姑に嫌われれば不幸である。だから正しい味覚の舌を娘に残すのが最大に遺産である。それは健全な料理を生み、結果として長寿となる。化学調味料や砂糖漬けで味付けされた食品、ファーストフード、フミレス、スナック菓子等の味に馴染んだ舌では、姑さんの気に入られるはずがない。
その反対の極致は、隣国財閥の娘、ナッツリターン姫である。その姫は舌どころか腐臭も感知しない鼻を親から遺産として受け継いだ。
息子に与える人徳
同じことが息子にも言える。大抵の場合、息子は将来、宮仕えする身である。美しく正しく躾をされた子供は、素直な性格に育ち、嫌われるような性格にはならない。その素直な性格が最大の遺産である。将来の上司に嫌われては、出世もおぼつかない。自分も部下を持って感じたことは、煮ても焼いても、箸に棒もかからない性格の部下など、面倒を見たくもない、である。部下の親の顔を見てみたいと何度思ったことか。当然、本人の査定も辛くなる。こんなテイラクでは親から多大な遺産をもらっても、人生の幸福はありえない。
朱に交われば赤くなる。自分の性格を形作るのは師、友人の交友関係である。その交友関係の人間で、変な匂いのある人と付き合うと、変な臭いが染み付く。そんな危険な臭いが付くのを防ぐのが必要だ。そんな人たちとの付き合いを避ける方法は、親が背中で模範を示すべきだ。
佳き香を焚くとなんともいえぬ佳き匂いが漂う。その人がそこに存在するとその場が和む。息子はそんな存在の人になって欲しいと親が思い、そのように育てるのが無形に財産である。
香木の白檀の香りはお釈迦様の香りとされ、お釈迦様が歩いてみえると、その香りで1里先からでも分かると言われる。そんな高尚な香りまでは望まないが、せめて人様にさわやかな雰囲気を放つ人に育てたい。回りの人へ悪臭を撒き散らすような存在では、息子の将来の出世は夢の夢。佳き香りを染み込ませた性格が、子供への価値ある遺産となる。
開眼法要の引き出物、白檀のお線香
私の自家のお墓の開眼法要での引き出物に、松本明慶工房の白檀のお線香を選定した。松本明慶工房で佛像を彫った時に出る削り屑で作られたお線香である。お釈迦様は35歳で悟りを開かれた。お釈迦様が歩いてこられると、1里先からよい匂いがしてきてお釈迦様が来られるのが分かったという。インドでは白檀は佛が宿る木として尊重されており、最高の香木とされている。白檀はお釈迦様の香木とされている。
総白檀の佛像とのご縁
松本明慶師は高さ5mの木造大佛・不動明王を総白檀で製作され、厳島大願寺に納佛された。その製作過程は、NHKドキュメント「仏心大器(平成の仏師・大仏に挑む」(2006年)をオンデマンドで閲覧ください。私はこのドキュメントに魅せられて、何度もこのビデオを見て松本明慶大佛師のファンになった。この大きさの大佛を総白檀で造佛するのは1,400年の大佛造り歴史の中で初めてである。白檀は佛の宿る木とも言われ、鋼鉄のように硬い香木である。それ故彫刻には最高の木である。佛像という伝統工芸の制限多き世界での新技法の開発は、創造性そのものである。その過程で多くの工夫が盛り込まれ、汗と涙の苦労が窺える。
総白檀の大佛製作には大量の白檀の材木が必要である。白檀は輸出制限のある木で、大量の白檀の木の入手にはインド政府の許可が必要だが、それがなかなか許可されなかった。担当部署にいくら説明してもその利用法が理解されないため、許可が下りない。インド政府曰く、「ラジブ・ガンジー首相を荼毘に附すために使った白檀の総量が4トンである。それなのに23トンもの白檀をよこせとは何事か」である。松本明慶先生は、その必要性を説明するため、白檀で製作する大佛と同じ構成で、紅松(ロシア産)で実物大の雛形大佛を作成して、白檀の木を無駄には使わないことをインド政府に実物で説明して理解を得た。
白檀の産出国はインド、インドネシア、オーストラリアなど。太平洋諸島に広く分布するが、ニュージーランド、ハワイ、フィジーなどの白檀は香りが少なく、香木としての利用は少ない。インドのマイソール地方で産する白檀が最も高品質とされ、老山白檀という別称で呼ばれる。雌雄異株で周りに植物がないと生育しないので栽培は大変困難で、年々入手が難しくなっている。インド政府により伐採制限・輸出規制が掛けられている。
私が両親からもらった遺産
母からは生きていく智慧と人の道であった。母は戦後、裸一貫で、父と共に働き、私に物心両面で多くのものを残してくれた。それは表面的なもので、その背景にある智慧と法要や付き合いでの人の道が最大の遺産であった。今は、母よりも私の人を見る眼が厳しすぎて困っているが、それでもそれが己の戒めとなって、まっすぐな道を歩む道標となっている。
父からの遺産は、母と同じであるが、勤勉さであった。父は正月三が日に家にいたためしがない。仕事である。父は普通の休みの日も洋裁の内職をしていた。父はオーミケンシの警務係で、会社の門を守っていた。正月三が日でも、会社として誰かは門にいなくてはならない。同僚は三が日に出るのを嫌がっているため、父がいつも引き受けていた。なにせ残業手当が100%増しである。いつもそのため、父の残業手当が多すぎると人事部から睨まれていたほど。私は両親から、一度も勉強をせよとは言われなかったが、両親が、本職、内職で私のために働いている後ろ姿をみると、遊び惚けているわけにはいかない。父は小さい頃、あまり勉強をせず、遊んでばかりいたので、小学校尋常科を出てすぐ、口減らしの意味も含めて洋裁店に丁稚に出された。祖父が事故で若くして亡くなったので、家族は生活が大変だった。小さい頃に他人の飯を食って育ったので、苦労をしている。それがシベリア抑留されたとき、職人としての腕があったのと、苦労をしているので人から恨まれるような振舞いはしないという智慧がある為、結果として屋内工場でミシンの仕事に回されて命が助かった。他の人は零下20度の極寒の中の厳しい屋外労働で、多くの仲間が倒れていった。何が幸いするか、佛の采配は不思議である。
今、振り返ると、大した贅沢もせず、息子のために働いてくれた両親の後ろ姿が、最大の遺産である。それがあるから、今の私がある。
後進に残す誇りと香り
2015年、お墓の改建のおり、1734年没のご先祖にたどり着き、それを振り返って考えると、現在、自分が貰いたい遺産、後進に残したい遺産が何であるかが明白になった。ご先祖探しの調査の結果、ご先祖は「黄鶴 北尾道仙」という敬称が付けられていた。詳細は不明であるが、生前に芸の面か社会への貢献が偉大であったようだ。そんなご先祖を持って感じるのは、自分がその子孫であるという誇りである。その誇りがあると、生きていく力と、これから自分が何を社会に貢献できるかが刃として己に突き刺さる。その誇りを生む最大の要素は勤勉と人の道である。自分が世を去るとき、後進が誇りをもって自分の後継者であったと思ってくれることほど嬉しいことはない。それが佛の香りと誇りとして後進に伝われば最高である。
図1 白檀線香の説明書
2017-07-07
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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