ピアノ騒音殺人事件 2/3
子供の音に対する感受性
2013年12月、ヤマハ名古屋店の鍵盤売り場に顔を出し、販売課長さんと話していたら、小さい子が展示ピアノの試騨をはじめた。販売課長さんとの会話を妨害するような傍若無人の音程、音量(騒音)で弾き始めたので、なんと汚い弾き方かと相手を凝視してしまった。つられて横に立っている母親の顔を見たが、風体はセレブ風ではあるが、下品な雰囲気が感じられた。子供は立派に音階どおりのそれ相応に弾いているのだが、なにせ聞いていて汚く不快感が伝わってくる。子供は親の後姿を見て育つ、を思い出してしまった。
ピアノ騒音殺人事件後、警察が騒音を測定するため、犯行のあった部屋でピアノを弾いて上階の部屋で聴こえる騒音レベルを測定したが、44デシベル程度あった。しかしそれは警察関係者が普通に弾いて形式的に測定しただけだ。条例では40~45デシベルは「睡眠が妨げられる、病気のとき寝ていられない」とされていた。しかし小学2年生の子が、親を意識して意図的に弾くピアノは、警察官が普通の感性で弾くのに比べれば、条例の音圧レベル以上に不快感を与える響きが凄かったと思われる。音にも品位と優しさもあれば下品な音もある。音に対して下品な感性しかないと、ピアノを弾いても、機械的な音しか出せず、優しさのある繊細な音は出ない。
その原因は、親の影響を受けて育った子の、音に対する感性の劣化であった。被害者の家庭は、父親が日曜大工で大きな騒音を立てるのが日常茶飯事であった。音に対する感性が劣化していた。殺害された子供は、犯人が回覧板を持っていったときに無邪気に「おじちゃん、人間生きていれば音が出るのよ」と犯人にそう話しかけた。それは両親が、日頃言っていた言葉をそのままオウム返しに言ったにすぎない。そういう親から免罪符を貰った子供が立てるピアノの音は、聞くに堪えない。
脳の発達
小さい子供は、親の直接の躾と後姿を見て育ち、脳の思考回路が形成される。毎日、音をガサツに立てる親からの「訓練」を毎日受けると、脳の回路がそのように形成される。一日20回そんな音を聞かされると、年7,300回、7年間で51,100回のガサツな音を聞くという思考回路が形成される。それで脳の思考回路の80%が完成する。その過程で、親の教育姿勢、音の感受性が子供の脳に定着される。良いことも悪いことも、脳には純粋な情報として吸収され、脳の成長に影響を与える。今回の事件も、親の資質と無意識に与えた躾と育成環境が、子供の脳の生育に大きな影響を与えた。
小家族の中で育った子は、大家族の中の子と違い、回りの大人の音の出し方(出さない生活マナー)を学ぶ機会がなく、核家族として気ままに生きた親の後姿からの教育は、問題があった。核家族化のために作られた団地は、大家族主義を崩壊させるために米国占領軍が敷いた施策の一つとも言われる。日本の家制度の破壊の一手段として広まり、日本人の相手を慮る精神が荒廃していった。それこそが、戦争で日本人の精神の恐ろしさに震え上がった米国が考えた、二度と日本が立ち上がれないように仕組んだ復讐シナリオの一つであった。
日本人の音への感性の劣化
殺害された女の子が言った「人間生きていれば音が出るのよ」とは、動物界の話である。だから動物とは違う人間は、特に日本人は長い期間を掛けて、紙と木でできた住居の中、音で人に迷惑を掛けない日本独特の文化を作り上げた。それが戦後の核家族化、テレビ文化、アメリカ化でその文化が壊れていった。日本再生を恐れた米国が、その文化を壊れるように占領政策で仕組んだといえる。
音は目で観ないといけない。音には人間の心のメッセージが込められている。例えば、姑が嫁に小言を言って、「わかりましたね」、「ハイ、お母様」といって嫁が引き下がるとき、襖をピシッと大きな音を立てて閉めれば、そこに嫁の心が表現されている。それを、音を目で観るという。それが観音菩薩信仰である。
それに対して欧米では、言わなければ何も伝わらない。自己主張がなければ成り立たない文化である。相手の心を読むという繊細な文化は育たない。そこに欧米のテクニカルライティングの文化と、天声人語に代表される文芸と仕事をごちゃまぜにする文化との差である。それも先の太平洋戦争の遠因になっている。欧米は強欲・利己の文化で、日本は共生・利他の文化である。
その大事な日本人の心が米国の陰謀で破壊されたので、ピアノ騒音殺人事件が起きた。世の中に起こることは、全て因果である。真因を探さず対処療法で済ませるから、益々混迷の世界に迷いこむ。防音処理は対処療法である。心を直さないと、事件は別の形で再発する。例えば、ピアノの練習時間を通知して、騒音の被害者の相手に了解をもらう配慮をしていれば、この殺人事件は起こらなかった。私の経験でも、このピアノ騒音はいつまで続くのかという不安があるから、怒りが爆発する。
3DKのウサギ小屋に住む人間には、我が子が弾くピアノは、ステータスとしても自慢の象徴である。子供が鳴らす無神経なピアノ騒音の中に、その家庭の「自分達だけよければよい、他人は知ったことではない」という心情を観る。観音菩薩と不動明王がそれを見て、間違った方向にアメリカナイズされつつある日本人に、目を覚ます鉄槌を加えたのではないか。
その真因を追及せず対処療法ですませたため、現在でも、無神経にたてる騒音で問題が起きている。スマホの迷惑行為、静かな場所での携帯電話の大声通話、iPod等の音漏れの無配慮、身につけた鈴のチリンチリンの甲高い騒音、静かな場所でキーボードを叩くカシャカシャ音等の無神経な騒音が、暴力事件を引き起こしている。ピアノ騒音殺人事件はまだ終わっていない。
図3 脳の発達と心の発達
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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