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2021年7月27日 (火)

猫足ピアノ、天上界を目指して4mジャンプ

 

 懸案であった猫足ピアノの移動が、1年がかりでやっと今日(2021年7月27日)、完了した。コロナ禍の非常事態宣言での延期、台風8号接近といろいろと邪魔が入ったが、今日(大安)無事に別宅に移動できた。

 当初の一階の部屋から別宅に移動して、猫足のピアノが約4mの高さまでジャンプ(クレーンで吊り上げ)して、無事二階の極楽音楽室に納まった。猫ちゃんには極楽浄土のような天上界である。

 ピアノ運送専門業者の手際の良さに感心である。重さ350キロのピアノを2人で荷造り、移動させたのには驚嘆である。さすがプロである。

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移動のための分解

Dsc00400s  梱包してトラックに積み込み

Dsc00414s クレーンで4mも持ちあげる

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移動先の部屋に仮置きになりホッとする

Dsc004281s 設置完了

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 今から、3年ぶりにピアノレッスンを思い出して再開しようと思う。防音工事等も考えなければならないが、ボチボチとやって行こうと思う。

 2018年春、河村義子先生が病気で入院されたため、個人レッスンが中断となった。2018年12月25日、突然の訃報に茫然であった。私も胸騒ぎを覚えて検査をしたら、翌年1月に癌が発見された。急遽手術をしたが、2年半経っても体調が完全には戻らず、ここ3年程ピアノに全く触っていない。リハビリをかねて、元気を付けるため、ピアノを再開する計画である。

 この猫足ピアノは、自分が構わなくて勝手に鳴くので(自動演奏付き)、それを聴くのも楽しみである。この猫足ピアノには、華がある。よい買い物をしたと思う。

 

猫足ピアノの鳴き声

 このピアノはヤマハC2がベースである。河村義子先生宅でのレッスンピアノはC6である。サイズが違うだけ、やはり大きなサイズのC6の音は、響きが違う。そのため今までC2に少し物足りなさを感じていた。ある時、河村義子先生が来宅して、この猫足ピアノを弾かれた。「調律もきちんとされているし、いい響きね」と褒めてくれた。何時も私が出している音と違い、その響きの差に驚嘆した。「どうしてそんなすごい音が出るの?」と聞いたら、義子先生はさりげなく「(私は)プロですから」。私はギャフン! 音の良し悪しは、ピアノの差ではなく、腕の差であることを思い知った。腕を上げるには、天上界を目指して地道に練習する以外にはない。

 

2021-07-27   久志能幾研究所通信 2102  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月29日 (火)

ブラームス 老いのピアノ演奏

 

 2016年、私が戸田伯爵夫人のウィーンでの琴の演奏エピソードを調査する過程で、ビデオ「ブラームスのロウ管」(北海道放送)が、私のピアノの師である河村義子先生から送られてきた。

 そのブラームスは戸田伯爵夫人の琴の演奏を聴きながら、六段の演奏をピアノ楽譜にした譜面に朱を入れた。戸田伯爵は、大垣藩最後の殿様である。明治になり、ウィーン公使としてウィーンに赴任した。

 そのビデオから分かったことは、天才のブラームスにでも、老いは襲ってくる冷酷な事実である。その時の対応の如何に人間性が露見する。

 

ブラームスの老い

 ブラームスは音楽の3Bと称せられる存在である(バッハ、ベートベン、ブラームス)。その大作曲家、ヨハネス・ブラームスが自作「ハンガリア舞曲第一番」とJ・シュトラウス「とんぼ」のピアノ演奏をロウ管シリンダーに録音したのは、エジソンの発明から約12年後の1889年12月2日である。

 この歴史的なロウ管は、ボーゼ博士によるSPレコード(1938年 TELEFUNKEN製 78rpm)は、録音・保存状態の悪く、最新のレーザー再生装置でもうまく再生できない。「ハンガリア舞曲」の旋律は、ピアノというよりアタック感の無いヴァイオリンの音に近く、「とんぼ」に関しては凄まじいトレース・ノイズで、最新の技術を使ってもほとんど聞き取れない。

 これはロウ管の保存状態の悪さと、録音時の条件の悪さに起因する。ロウ管に入ったヒビは第二次世界大戦の責任で、マイク・セッティングのミスはブラームス本人の思惑だった。

 ブラームスは、この録音セッションの為に自作「ラプソディ作品79-2」を用意したが、その練習中に自分の技量の衰えに気付き、後世に自分の老いの露見したピアノ演奏を残すこと躊躇を覚えたようだ。ブラームスは完ぺき主義者であった。

 親しい友人であるフェリンガー家でのセッション当日、神経質になっていたブラームスは、録音技術者に対して非協力的だった。突然「フェリンガー夫人がピアノを演奏します!」と自嘲気味に叫びながら、ブラームスは録音技術者のマイク・セッティングが終わらないうちにピアノを弾き始めた。フェリンガー氏は慌てて「ピアノ演奏はブラームス博士です!」(この部分から録音は開始)とアナウンスを録音に被せた。

 ブラームスは録音を嫌がっていた事は、その記録から明白だ。彼の代表曲「ラプソディ」でなく、ハンガリア民謡をベースに作曲(編曲?)した「ハンガリア舞曲第一番」を弾き飛ばした事や、その後にシュトラウスの「とんぼ」という超軽い曲を弾いた事から見ても明らかだ。

 ブラームスの人生は、この録音事件の頃から急速に陰り始める。もともと自分の才能に対して懐疑的だったブラームスは、書き溜めていた楽譜を河に捨てたり、演奏活動から遠ざかったり、ついには遺書の用意まで始める。

 そして1896年、最愛の人クララ・シューマンが急逝し、その埋葬に立ち会う為に40時間もの汽車旅をした事で体調を崩し、1897年にあの世へ召される。

 本稿は、「ブラームスのピアノ自作自演」© 2016 Hisao Natsume. All rights reserved. Designed by Sakuraphon.( http://www.78rpm.net/column/brahms-plays-brahms.html)を参考に加筆編集。

 

 

録音技術とのご縁

 老いてもまだまだ技量もある世界3Bの一人と称せられるブラームスである。老いは神の御心、それに従ってありのままを受け入れて、67歳のピアノ演奏を残し欲しかった。ブラームスの技量の絶頂期とエジソンの録音機の本格的普及の時期が少しずれてしまった。それもご縁である。

 自分にできることは、その時のご縁を大切にしたいである。私は馬場恵峰先生の書の撮影で、最新鋭最高級のカメラ機材を揃えて撮影した。今にしてよくやったと思う。

 

健康管理

 ブラームスは写真等から推察すると、かなりの肥満で、老化の進展が速かったと推定される。天才はその芸に没頭して、自分の体のことは後回しになるのかと残念に思う。天才モーツァルトも、35歳で連鎖球菌性咽頭炎から合併症で亡くなっている。天才だからこそ、宝石のような才能を支える健康を大事にして欲しかった。

Strauss_und_brahms ヨハンシュトラウスとブラームス  ウィキペディアより

 

 馬場恵峰先生は老いを隠さなかった。しかし自分の体の健康には大変気を使われた。だから94歳まで現役で活躍することが出来た。

 馬場恵峰先生に、「先生の90歳の時の書と70歳代の時の書の差は何ですか」と聞いたら、「70歳代の書には勢いがある。90歳の書には艶がある」である。人は老いても相応の作品が出来上がる。老いを隠す必要はない。

 

 ご縁があり、2017年4月、ウィーンを旅した。戸田伯爵夫人のウィーンでの琴の演奏エピソードを発見された楽友協会のビーバー・オット博士と面会し、ブラームスの墓参りをした。

 良きご縁からはよきご縁が生まれる。今は、コロナ禍で、海外には行けない。良き時にウィーンに行けて、その報告を河村義子にできて良かったと思う。その時は河村義子先生も元気であった。

P1000934s1 ブラームス像の前でビーバー・オット博士とツーショット 2017年4月24日

 楽友協会にて

P1000812s  楽友協会 ウィーン   2017年4月24日

 P1000721s ウィーン市立墓地  2017年4月20日

P1000779s 音楽家たちの墓地エリア

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P1000849s ブラームスの墓地

P1000776s 音楽家たちの墓地エリア 左がモーツアルト、その左がベートベン、中央がヨハンシュトラウス、右手がブラームスのお墓である。

『佛が振るチェッカーフラグ』 p94

2021-06-29   久志能幾研究所通信 2074  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年4月15日 (木)

カーテン・コール(凍る?)商売

 

 セカンドハウスのピアノ室(ピアノはまだ未搬入)に、スタジオ用の防音カーテンを追加する計画をした。1年前にこの部屋の一面の窓に、このカーテンを取り付けた。あと一面の窓のカーテンを「カーテン・コール」で付けようとしたら、業者が、下記のようにほざいた。

 「年度末の3月末に在庫は処分するので、注文は3月中にして欲しい。同じ型番でも、新しく製造するカーテンは色合いが微妙に違う可能性がある。その保証が出来ないので、是非、今すぐ注文して欲しい」である。

 

 人を馬鹿にするな、これでは脅迫である。

   この業界では、本年度分の在庫を3月末に処分して、4月から新たに在庫を揃えるようだ。違和感のある商売方法である。

 今回、購入しようとしているのは、スタジオ用の吸音カーテンで、日本で作る工業製品(東リ株式会社)である。劇場やスタジオで使われているカーテンである。ロットが違ったら、極端に色調が変わってしまうはずがない。私は日本の品質管理を信じている。多少、色が変わっても極端ではあるまい。実質的に問題はない。

 防音専門メーカの社長に事情を聞けば、この業界はそういうもんだ、それが慣習だということであった。製造メーカはまじめだが、カーテン販売業界がふざけている。

 この対応で、相手業者の寒々とした心の温度を感じて、「カーテン凍る商売」のカーテン販売屋から逃げた。しばらく冷静になるために、追加のカーテンを付ける計画を一時中断した。

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2021-04-15   久志能幾研究所通信 1990 小田泰仙

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2020年12月26日 (土)

一人では成佛できない  「學」とは

 

 2011年4月6日に第50回京都佛像彫刻展に出かけたら、偶然、松本明慶先生にお会いできた。展示されている佛像を説明していだいた。そこには若い佛師の作品が展示されていて、中には松本工房から独立して、佛像を作っている佛師の作品も展示されていた。素人目から見て、松本工房の佛師の作品に比べて、出来が落ちるのがわかる。明慶先生によると、独立したくらいだから腕はいいのだが、独立当時から作品のレベルが変わっていないという。つまり時間が止まっている。

 これは、独立した仏師が、自分の世界に閉じこもってしまい、松本工房で大勢の仲間との切磋琢磨が無くなり、成長が出来ないとのことである。自分の世界と比較して、身につまされるお話である。人は、批判、指導により人間として成長し、その作品の出来に影響するのだと。作品がその人自身を冷酷に表す。

 菩薩とは如来になるべく修行中の佛様をいう。菩薩様は修行をしながら衆生を救う佛様として拝まれている。一人では成仏できない。回りの仲間がいてこそ、自分が成仏への修行ができるのだ。仲間は自分の鏡なのだ。仲間に手を合わせて感謝しよう。

 その学びは、仏像彫刻に限らず、全ての芸術、学問にも当てはまる。

 

「學」

 「學ぶ」の「ワかんむり」は「学びの館」を表し、下の「子」は、学びの館で過ごす生徒を表している。その学生たち、教師との対話をしている様を冠の上の象形文字で示している。一人では学べないのだ。一人で学べるのは超人である。凡人の我々は師に従って、仲間と議論をしながらその道を進むのだ。それを表した文字が「學」である。

 師との出逢いこそ、最大の学びである。だからこそ、「3年かけて師を探せ」である。

 また一緒に学ぶ仲間のレベルも影響する。良き仲間を探そう。朱に交われば赤くなるのだ。

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Img_43861s  馬場恵峰書

 

2020-12-26 久志能幾研究所通信 1874  小田泰仙

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2020年12月25日 (金)

賽の河原のピアノ弾き(改2)

 

 賽の河原の石積とは、親の供養のための童子の願行ではない。それは己が成仏させられなかった己の願行である。「禁煙・禁酒、毎日6時間勉強」と願をかけ、最初の数日間だけは実行するのだが、内なる鬼が「そんなしんどいことは止めて、もっと気楽にしなはれ」と天使の声の如く耳元に囁きかける。

 今まで積み上げてきた禁煙・禁酒、勉強の継続という名の「石積の供養塔」を壊すのは鬼ではなく、怠惰な自分である。成就させることのできず、途中で投げ出した供養塔が、人生でどれほどあることか。幼くして死んだ子は、自分が投げ出した三日坊主の象徴である。賽の河原の石積はあの世ではなく、己の「人生という大河」の両岸にある。チャレンジしては、途中でおっ放り出した死屍累々の山に手を合わせたい。

 

内なる地蔵菩薩

 積み上げた石積を壊す鬼を止めるのが、己の内なる地蔵菩薩である。佛像は己の心を現す鏡である。自分の心には鬼も住めば、佛も宿る。場面ごとに鬼と佛が心の鏡の中に交互に現れる。堕落に誘う鬼の時もあれば、己を厳しく裁く裁判官の時も、救いの佛さまのときもある。すべて自分の心が決める。

 

地蔵和讃

 賽の河原の積み石の「地蔵和讃」は、子供に対する寓話ではなく、怠惰な大人への説法である。「三途川の河原の石積」はあの世ではなく、己の心に存在する。地獄に堕ちる前に、自分を救ってくれるのは、地蔵菩薩という名の自分である。菩薩とはひたすら修行道を歩く佛様である。

  『失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる(松下幸之助翁)』。

 諦めるから、失敗になる。三日坊主を殺すのは自分の内なる劣等感という鬼である。邪気を振り払い、ひたすら目標に向かって、壊されても崩されて賽の河原の石を積み上げ続ける。そうすれば内なる地蔵菩薩が助けの手を差し伸べる。自分を救うのは自分である。

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 松本明慶先生作 白檀 地蔵菩薩  松本明慶佛像彫刻美術館蔵

  写真掲載には、松本明慶佛像彫刻美術館の許可を頂いています。

 

馬鹿じゃなかろうか

 賽の河原の石を積み上げ続けられるのは、純真な心を持ち続けた童だけである。中途半端に大人になり、純真さが薄れ、雑草が心に芽生えると、石を積み上げる気力も失せる。人から見て「馬鹿じゃなかろうか」としか思われないことをしなくなる。それは成長ではなく退化である。バカではないかと思われることを平然とやり続けられる人間になりたいもの。

 

 ピアノには誰しも憧れるが、習得は難しい楽器である。必死に練習をして、やっと弾けるようになったバイエルンの練習曲でも、翌日になると指が絡んで上手く引けないことが多々あり、自分の才能の無さに忸怩たる思いをさせられる。ピアノを習熟するには毎日8時間の練習を10年間すればよいというが、それだけの情熱をほかの面に向ければどんな道でも成功者になれる。プロ相当の腕になるには、賽の河原の石積の試練を乗り越える情熱が必要である。才能よりも弾きたいという情熱をいかに継続させるか。それを持続した人だけが、三日坊主の鬼の手から逃れられる。

250

岩崎洵奈さん  ベーゼンドルファーModel 250

 ベーゼンドルファー東京 2016年3月13日

 

 前写真のピアノはベーゼンドルファーModel 250で、ウィーンのオペラ座で100年間弾かれ続けた歴史を背負う。このピアノを弾ける舞台に辿りつく前に、賽の河原に消えたピアノ弾きは無数にいる。

 100年間も現役で活躍したピアノが存在することは稀有である。その修復が完了してベーゼンドルファー東京ショールームに展示された。2016年3月13日、ピアニスト岩崎洵奈さんの演奏で、このベーゼンドルファーModel 250と現フラグシップのModel 290 Imperialとの弾き比べのミニコンサートが開催された。招待を受け現地に出向いた。ミニコンサートの後、Model 271 を少し弾かせてもらって幸せでした。

 

三途の河で地蔵菩薩

 人生で情熱を傾けられる道を見つけて、人からは馬鹿じゃなかろうかと呆れられても、それを意に介さず、我が道を歩き続けられる人は素晴らしい。そういう人は、迷わず胸張って浄土へ向って歩き続ける。思いを心に刻んだ三日坊主が生きながらえると、三途の河で地蔵菩薩に逢える。

 宮仕えの時は、60歳までという期限があった。定年後はその制限が無くなる。レッスンの遅々たる進捗にめげず、悠々とレッスンを続けよう。こちらは死ぬまでにマスターをすればよい。死ぬまでにゆっくりと賽の河原の石積をすればよい。智慧と使える時間の量は、孫よりも多いと認識しよう。

 

2020-12-25 久志能幾研究所通信 1873  小田泰仙

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2020年12月12日 (土)

国破れて山河在り 義子師去りて音楽在り

 

 義子先生の死を思うと、なぜか李白の「国破れて山河在り」の詩が頭をよぎる。義子先生が活躍していた「音楽の国」が破れてしまった。義子先生が亡くなっても音楽を愛する人たち、友人、門下生が変わりなく生きている。大垣の山河も変わりなく四季の移り変わりを演奏している。自然は声なき音楽を奏でている。

 

 私も老いて髪も白く薄くなったが、音楽を愛する気持ちは変わらない。義子先生の志を継いで、大垣の「音楽の国」の再建に向かって、一助として精進したい。朝起きて、まだ息をしていれば、「この世でまだまだやるべきことがある」との仏様からの啓示である。「起きたけど 寝るまでやることなし」ではない境遇に感謝である。

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2020-12-12 久志能幾研究所通信 1859 小田泰仙

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2020年11月 8日 (日)

死刑の証明は1つで十分  磨墨知28 

 

 無為な事に時間をかけすぎない。自己満足の証明のため、決断の時を無為に延期するのですか? その「裁判」の目的はなんですか? 死体に鞭打つのですか? 後の始末は仏様がやってくれる。目的を忘れると余分な事に時間を使うもの。それは死んだ子の歳を数えると同じ。

 

死刑判決

 過去の人を「死刑判決」で鞭打たない。その人に自分は「死刑判決(絶交、絶縁)」をしたのだ。その魔の世界から遠ざかれば、幸せが手に入る。時間が手に入る。腐れ縁で苦しむのは、縁を切れない優柔不断な己である。その人は住む世界が違うのだ。価値観が違うのだ。「人種が違うのだ。」

 

人種が違う

 「人種が違う」とは故河村義子先生が言った言葉。私は河村先生主催のコンサートの勧誘で、チケットを売るため走り回っていた。その中で当然来るべき人、義理でも来なければならない人と思って勧めたら、その人に「休日に来なければならないほど魅力あるコンサートですか」と拒否されて愕然とした。その報告を河村先生にしたら、河村先生が私を慰めてくれた言葉が上記である。

 そのコンサートが河村先生の生前の公式最後の公演となった。私が主のスポンサーとなって開催したコンサートだ。ドレスデントリオを招いての2018年1月13日の新年コンサートであった。

 河村先生の葬儀当日、2018年12月、その人は葬儀には来たが、焼香だけを済ませると早々に消えた。義理で来たことが見え見えであった。私には何か割り切れない気持ちが残った。私はその人に「死刑判決(絶交、絶縁)」をして正解であったと悟った。

 

病気というご縁

 自分を癌にした原因には鞭打たない。そういう苦い経験が今の自分を作った。当時はそれで極楽だったのだ。やってはいけない事、付き合ってはいけない人を、身を挺して体験したのだ。人生の修行時は、清濁併せのまねば成長できない。自分はそれから知見を得たのだ。後は、その魔の世界から遠ざかればよい。

 酒、煙草、分かっちゃいるけどやめられねぇ、では犬猫以下である。

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   馬場恵峰書

 

2020-11-07 久志能幾研究所通信 1817  小田泰仙

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2020年10月29日 (木)

私の夢 ミニ音楽堂の建設

 

 私の夢は自宅にミニスタジオ(音楽堂)を作り、そこで世界の一流の音楽家に、リハーサル会場の提供やミニコンサートを開催することだ。

 現在、コンサートホールで演奏する音楽家は、そのリハーサル会場に困っている。正規のホール会場を1日借りると、賃料で30万円は取られる。大垣に来る音楽家は、宿泊先のホテルで、「近くにリハーサル会場はないか」と必ず質問する。

 

ドレスデントリオの想い出

 2018年1月13日、河村義子先生がドイツからドレスデントリオを呼んでコンサートを開催した。そのリハーサルは、金山駅近くのマンションの一室で行った。その部屋で、河村義子先生も一緒にリハーサルをされた。

 その部屋は、ピアノの先生が個人のピアノレッスン用に借りている。その部屋は完全な防音設備がないので、気兼ねして練習をするようだ。

 私は、そのその場に同席して、リハーサル風景を撮影させてもらった。休憩時、一緒にお菓子を食べながら楽しくお喋りをした。それが良き想い出である。それを自宅で出来れば幸せと、自宅にミニ音楽堂の建設を夢見ていた。

 

大人のおもちゃ

 私はそれの実現のため、今年の初めに「大人のオモチャ」(家)を買った。それはこの8年ほど探し回っていた要件にピッタリであったので即決した。それも朝、物件を見付けて夜に買うことを不動産屋に報せた。我ながら狂気である。

 それで、まず第一歩として、ミニ音楽堂の入れ物は準備が出来た。今すぐには改造工事費が工面できないので、手が付けられないが、近い将来、そこにミニ音楽堂を完成させるのが夢である。ミニ音楽堂の建設と言っても、防音工事費がかかるし、コンサートピアノも家庭用のピアノの数倍と高価である。これからの資金繰りが大変だ。でもそれも生き甲斐の糧になる。

 この歳で、新しい家を買ったので、友からは狂気の沙汰だと呆れられている。人は狂気の時こそ、大きな仕事できる。まともな神経では、プロジェクトは進められない。だから医師からの余命宣告通りには、死ぬわけにはいかない。医師を信じれば、余命宣告通りに死ぬことになってしまう。

 

 「人間は本質的に狂の部分を持っている。

  狂っているときが一番正常で健全だ」

      ギリシャの哲学者セネカ

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 ドレスデントリオの練習風景  2018‎年‎1‎月‎8‎日、

 

2020-10-29 久志能幾研究所通信 1806  小田泰仙

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2020年10月 6日 (火)

狂った習慣・喫煙が女性を殺す

 

 生涯のうちに乳がんになる女性の割合は、50年前は50人に1人であったが、現在は14人に1人 と言われる。年間6万人以上が乳がんと診断されている。 また、乳がん死亡する女性の割合も年々増加の傾向にある。年間約1万3,000人が亡くなっている。これは乳がんを発症した人の30%程度に当たる。

 「乳房再建ナビ」より http://nyubo-saikenn.com

 

 乳がんは、この40年間で、乳がんは3倍に増えた。その最大の原因は、狂った食生活、狂った生活習慣である。それ以外に、夫と子息の喫煙の影響が大きい。

 乳がんに罹り、それが完治しても、一度癌になった体は癌に罹りやすく、別の部位に転移する危険性が大きい。

 癌の治療をしても、癌になった真因を除去しないから、数年後に癌が転移して再発する。いくら有名病院で名医にかかって治療をしても、癌になった真の原因を見付け、その元を絶たなきゃ再発する。私のピアノの先生の場合もそうだった。

 

「日本人女性の乳がん発症」

 2105年1月、日本の集団免疫学研究である「高山スタディ」から、乳がんと喫煙に関する報告が出された。本人ではなく、家族の喫煙である。

 高山スタディでは、生活習慣と免疫との関連を解析するために1992年にスタートした。

 年齢、BMI(体格指数)、飲酒、初潮年齢、出産・授乳経験など他に乳がん発症との関連が疑われる要因の影響を排除して解析した結果、「本人」と喫煙と乳がん発症との関連は認められなかった。

 「夫」の喫煙との関連を解析したところ、妻本人がたばこを1本も吸わなくても、夫が一日に21本以上たばこを吸っている夫婦では、夫も非喫煙者である夫婦に比べて、妻の乳がん発症リスクが1.98倍に上昇することが判明した。

 受動喫煙と乳がんについては国立がん研究センターの報告もある。閉経前の女性の場合、自分自身が非喫煙者でも「たばこを吸う人と10年以上、一緒に住んでいた」「家庭以外で、毎日1時間以上、たばこの煙を吸う機会がある」などの女性は、乳がん発症リスクが1.5~2.6倍に上昇するという。

 この項、井手ゆきえ著「日本人女性の乳がん発症」(「週刊ダイヤモンド 2015/03/14号」)より

 

 家族で夫以外に、子息も煙草を吸えば相乗作用で、妻・母である女性が乳がんになる確率は急増するであろうことは、容易に推察できる。タバコを吸うことは、自分の肺がんリスクも増えるし、近親の女性に対して癌を誘発させる狂った習慣である。妻殺し、母殺し、娘殺しになってはならない。

 

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 日経ビジネス 2016.02.08

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 日本経済新聞 2019年10月18日

2020-10-06 久志能幾研究所通信 1774  小田泰仙

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2020年9月11日 (金)

あなたの目的は何?

 「人間はモチベーションで方向が決まる。お金が目的なら、それが達成できればそこで止まる。名声も同じだ。私の目的はゴルフなんだよ。」

  プロゴルファー 中嶋常幸  (PRESIDENT 2003.3.17 P17)

 

 「首位打者を目標にしていたら、どっかで挫折していたでしょう。

 “あれをやっておけばよかった”ということがないようにすることです」

     イチロー選手  2007年

 

 大垣市長の小川敏の目的は、大垣市長になる事だけであったようだ。現在の状況から判断すると、彼には大垣市民のため、何かを成し遂げようという志はなかった。だからそこで成長が止まった。そんな男が19年間も大垣市に君臨したので、大垣市民に不幸をもたらした。

 

感動と理動

 小川敏は頭だけを動かして大垣市を経営したから、市民の心を動かす政治が出来なかった。心が動けば、頭も動くのだ。そうすれば市民が喜ぶ政治ができたはずである。

 人は「感動」しても、「理動」はしない。今まで日本では、記憶力だけが優れていた人が評価される時代が続いた。50年前の記憶力だけの試験成績が良かっただけの輩が評価され、政治経済の舵を取った。俗に頭がいいいわれる人は、先例を重視して、新しいことは避ける傾向にある。だから日本の成長が止まり、大垣は没落した。「理」だけで考えるから、理性以上の考えに及ばないのだ。創造性が欠如しているのだ。理性とは理性でしか物事を考えられない偏った能力である。

 だから一流企業でトップの不祥事が続く。超一流大学出の人がオウム真理教に騙されて、絞首台に上った。金だけで物事を考えたから、日産でカルロス・ゴーンの事件が起きた。東大出ではない前市長・小倉満時代は、大垣は輝いていた。その後、東大出だけで評価された小川敏が大垣市を支配したから、大垣が没落した。理性だけでは、発想に限界があるのだ。それが現代日本の成長を阻害する病巣である。

 

私の夢

 だからこそ、自分は小川敏を反面教師として、一生かけても実現できないような夢を見ている。理屈で考えれば、アホかいなという大きな夢を見ている。

 夢を見るなら10倍大きくして、夢を見るようにしている。トヨタ自動車の大野耐一氏の教えである。簡単に実現できないから、自分は一生自己挑戦して成長できる。それが自分の成長戦略である。

 夢を見るなら利己ではなく、利他の夢を見よう。夢が実現したら、多くの人が喜ぶ夢を見よう。きっと神仏が助けてくれる。

 私の夢は、自宅にミニコンサートができる音楽ホールを造る事。そこで海外の音楽家達が、リハーサル、練習できる場所を提供することだ。現在、そういう場所がなく、音楽家が困っている。いくら練習と言っても大きなホールを借りれば、一日30万円の賃料が必用となる。

 

ブログの目的

 私のブログは、読んで少しでも生き方、人生を考える糧となり、何度でも読み返したくなる内容を書くように心がけている。自分の生き方の自省として書いている。私には書くことは生きることなのだ。そうしないと毎日欠かさず3年間も続けられない。 Img_5727s

 初めて馬場恵峰先生宅を訪問した時、お土産で頂いた書。

 2011年4月2日入手。東日本大震災直後で、その日にちを忘れない。

 

2020-09-11 久志能幾研究所通信 1745  小田泰仙

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